ドヴォルザーク : 歌劇「ルサルカ」(指揮 : 山田和樹 / 演出 : 宮城聡) 2017年11月 9日 日生劇場

e0345320_23262289.jpg
この日は私にとってかなりハードな日になった。1日でオペラを 2本、鑑賞したのである。いや、これが人生初の経験とは言わない。ニューヨークにいたときは、土曜日に MET のマチネとソワレを両方見たことは一度ではない。だが、海外駐在中の、ある種の高揚感のある生活と、東京での日常生活との差は当然ながら歴然とあって、その意味では、「東京では初めて」、1日に 2本のオペラを鑑賞したと言えば正確になる。しかもその 2本は、イタリア物でもドイツ物でもフランス物でもなくて、両方ともスラヴ系オペラなのである。最初に見たのがこの記事で採り上げるドヴォルザークの「ルサルカ」、2本目は、これは演奏会形式上演だったが、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」であった。後者はまた追って記事にするので、ここでは「ルサルカ」について徒然に語ることにする。

このオペラは、東京日比谷の日生劇場で上演されたもの。日生劇場とは、その名の通り日本生命日比谷ビルの中にある劇場であり、まるで海底のようなユニークな内装で知られるのであるが、設計者は、以前このブログでも個展をレポートした名建築家、村野藤吾 (1891 - 1984)。こけら落としは、あの伝説的な 1963年 (私もさすがに生まれる前である) のベルリン・ドイツ・オペラの引っ越し公演であった。ここでは年に数回はオペラ公演が行われていて、私も時々足を運ぶ。客席数 1,330と手頃なサイズであり、安い席でも充分声が届くのでありがたい。これが舞台から見たこの劇場の客席の様子。
e0345320_23482377.jpg
さて、この公演の楽しみはいくつかあって、まずは、私がこのブログでも何度となく賛辞を捧げてきた若手指揮者、山田和樹が指揮をすること。今年の 2月 6日付の記事で、彼が藤原歌劇団の「カルメン」で初めてオペラの指揮をした公演を採り上げたが、これは、少なくとも日本では、それに続く 2度目のオペラ指揮ということになるはずだ。楽しみのふたつめは、演出である。現在、静岡舞台芸術センター (SPAC) の芸術総監督を務める宮城聰 (みやぎ さとし)。彼がその静岡で演出した戦時中の R・シュトラウスを題材にした演奏会兼芝居 (?) については、今年 5月 1日の記事で言及していて、そこに、私とこの演出家の過去の僅かなご縁も書いているので、ここでは繰り返しは避けよう。ただ、彼自身が未だにアマチュアであった学生時代から、彼の演出を沢山見てきた私としては、このような由緒ある劇場の大舞台での演出は、本当に楽しみなのである。それから、みっつめの楽しみは、曲目である。チェコの大作曲家、アントニン・ドヴォルザークのオペラとしては、唯一現代の劇場のレパートリーに残っているが、チェコ語という特殊な言語の使用によってその演奏頻度は決して高くない「ルサルカ」。これは山田と宮城の写真。
e0345320_00124534.jpg
e0345320_00125520.jpg
この演目は 3回上演され、今回がその初日なのだが、調べてみると既に 11/6 (月)、7 (火) と 2日間、中高生用の鑑賞教室という趣旨での上演がされているらしい。私が鑑賞した、この平日の 13時30分開演の公演にも、高校生とおぼしい男女が大勢鑑賞していたので、本格的な一般公演は今週末の土日ということになるのかもしれない。これがスタッフ・キャストの集合写真。
e0345320_00184161.jpg
さて、チェコ語のオペラを上演する苦労は、いかなるものであろうか。もちろん世界的に見れば、ヤナーチェクという、ちょっと独特の魅力的なオペラの数々を書いた人がいて、それはすべてチェコ語であるから、本格的なオペラハウスは多かれ少なかれ、チェコ語での上演の機会は、決して多くはなくとも、それなりにはあるとも言える。それ以外にも、スメタナ (「売られた花嫁」が有名)、マルティヌーという作曲家の作品、そしてもちろん、この大御所ドヴォルザークの「ルサルカ」が、主要なチェコ・オペラのレパートリーである。このオペラの初演は 1901年。20世紀最初の年である。有名な「新世界」(彼の書いた最後の交響曲である) 等、米国で書かれた作品はいずれも 19世紀の作。それに対して「野鳩」等の一連の交響詩は、実はすべての交響曲よりも後に故国チェコに帰国後に書かれているが、興味深いのは、その題材にはメルヘン的なものが多いことである。というのも、この「ルサルカ」(ドヴォルザークの 11のオペラのうち 10作目) も、人間に恋をした水の精を主人公とするメルヘン・オペラであるからだ。時代は既にワーグナーを知っており、ドヴォルザークもここではライトモチーフの手法を (ワーグナーほど複雑にではないが) 用いて、かなり劇的な音楽を書いている。劇中のアリアとしては、第 1幕で主人公ルサルカが歌う「月に寄せる歌」が突出して有名で、単独でもよく歌われる。

さてそんなオペラの上演であったのだが、舞台を見渡してすぐに気づくのは、いわゆるオケ・ピットが設置されておらず、指揮者とオケは、平土間の地面に並んでいて、客席との間には、赤いロープを渡してあるだけだ。そして、木管とホルンがオケの陣取っている場所に収まり切れず、舞台上に並んでいる (木管が下手、ホルンが上手)。この劇場で過去にオペラを見たときにはそのようになっていなかったので、これは演出上のなんらかの意図によるものであろうか。そして舞台は、あたかも日生劇場の海底のような壁がそのまま伸びていったような、曲線による閉ざされた空間に、幅の広い階段が設置されたもの。全 3幕、一切舞台装置の転換はなく、この場所が沼のほとりにもなり、宮廷の内部にもなる。様々な工夫があったとは思うが、正直なところ、スペースが限られていることから来る若干の閉塞感を感じてしまった。また、舞台下の空間も歌手たちが動くために使われており、それ自体はオペラ演出でも決して珍しくはないものの、昔から小劇場で宮城の演劇を見てきた者としては、少し懐かしいような気もしたものだ。あまり細部にこだわらず、ただ、民衆の好奇の目とか、宮廷の人間関係の浅薄さなどの表現には、音楽の流れを邪魔しないことを心掛けている様子が見られて、その意味では手堅い演出だったと言えるだろう。

私としてはこの演奏、やはり山田の指揮が第一の聴き物であったと思う。上記の通り、かなり劇的に書かれたスコアであり、音の動きも多彩であって、指揮者としても料理しがいのある作品であると思うが、さすが山田和樹、その敏捷な音楽の推移には、いつもながら非凡なものを感じた。オケは今回は読売日本交響楽団であるが、この読響、今月はこのオペラと、それからメシアンの超大作「アッシジの聖フランチェスコ」を演奏するわけで、いよいよ楽員の皆さんたちの日常に、パレットに並ぶ様々な音が満ちてくることだろう。合唱団は、オペラとしては珍しいことに、山田が音楽監督を務める東京混声合唱団。歌手陣はほぼ全員二期会の人たちで、チェコ語という慣れない言語にもかかわらず、朗々たる歌唱を聴かせた人が多かったが、その一方、どうしても言葉の響きが暗いので、声を張り上げてもニュアンスが充分に伝わらない箇所も、あったかもしれないと思う。タイトルロールの田崎尚美、王子の樋口達哉、水の精ヴォドニクの清水那由太、外国公女の腰越満美等、皆健闘していたが、もしひとり挙げるとするなら、魔法使いイェジババを演じた清水華澄であろうか。このブログでも過去に、やはり山田和樹と共演した R・シュトラウスの「4つの最後の歌」などをご紹介したことがある。
e0345320_00541238.jpg
実は私は以前、この「ルサルカ」を舞台で見たことは一度しかなく、それは 2011年の新国立劇場における尾高忠明指揮の上演であったのだが、今プログラムを引っ張り出してきて見てみると、主役級の歌手たちは外人だが、実はこの清水は、第三の森の精という端役で出演していた。因みに森の精のほかの二人は、安藤赴美子と池田香織。最近の二期会の公演やコンサートで活躍している人たちばかりである。なるほど、新国立劇場で常打ちでオペラを上演することは、やはり時とともに日本人歌手を育てているのだな、と改めて実感した次第。

ドヴォルザークは我々には充分親しい作曲家でありながら、彼のこのようなメルヘンへの指向については、実はそれほどイメージがない。ミュシャを思い起こすまでもなく華麗なる世紀末文化を誇るアールヌーヴォー都市であるプラハでは当時、いかにも世紀末的な、現実ではない空想の世界への逃避指向があったのだろうか。このような美しいアールヌーヴォーの建物、プラハ市民会館の中には、スメタナ・ホールというホールがあり、今でもチェコの人たちの音楽活動の中心である (私は前まで行ったことはあるが、残念ながら中には入っていない)。郷愁と名旋律の作曲家と思われているドヴォルザークを、一度世紀末の観点で聴き直すのも面白いかな、と思った次第。
e0345320_01072047.jpg

by yokohama7474 | 2017-11-10 01:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)
<< チャイコフスキー : 歌劇「エ... アンドリス・ネルソンス指揮 ボ... >>