ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 (ヴァイオリン : レオニダス・カヴァコス) 2017年11月12日 サントリーホール

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前日に続き、サントリーホールで、275歳のオケを 90歳の指揮者が率い、50歳のソリストと共演するコンサートを聴いた。今回の曲目は以下の通り。
 メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 (ヴァイオリン : レオニダス・カヴァコス)
 ブルックナー : 交響曲第 7番ホ長調

前日のコンサートについての記事でもご紹介したが、この 275 / 90 / 50 という今回のツアーゆかりの数字の組み合わせはオリジナル T シャツになっている。前日もあったのか否か記憶にないが、会場の T シャツ売り場には、こんな写真が展示されている。言うまでもなく、左からヴァイオリンのカヴァコス、指揮のブロムシュテット、ひとり置いて、音楽事務所 KAJIMOTO の梶本眞秀社長。そして、後ろにいる人物は、多分このライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の総支配人であるアンドレアス・シュルツであろう。今回の演奏会にも姿を見せていて、1階席真ん中あたりで、どなたかの紹介によって、小泉純一郎元首相を挨拶を交わしていた。尚、今回の客席には、指揮者の鈴木雅明、ヴァイオリンの成田達輝らも姿を見せていた。
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さて、この演奏会について、私ごときが何を語ろうか。あまり確信が持てないが、まずは語り始めよう。まず前半のメンデルスゾーンは、1845年にこのゲヴァントハウス管が初演した曲。初演を行ったのは、作曲者メンデルスゾーンがこのオケの楽長に就任する際にコンサートマスターに就任した、フェルディナント・ダヴィッド。
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この甘美なヴァイオリン・コンチェルトは、まさにこのゲヴァントハウスによって世に出されたわけである。それから 170年以上を経て、極東の地で、ギリシャ人のヴァイオリニストが、今や世界の名曲であるこのコンチェルトを見事に弾くことになろうとは、作曲者も初演者も、想像したことがあっただろうか。カヴァコスであるからもちろん、ただ甘美な演奏にはなるわけもなく、本来ならこの曲に似つかわしくないとすら言えるほどの、いわば哲学的な演奏であったと評価したい。長身で軽々とヴァイオリンを弾く彼であるが、出て来る音には常に細心の注意が払われていて、音楽を聴く楽しみ、あるいは人が今そこに生きて、音楽を聴いているということの意義といったものすらを感じさせる。私はこの人のヴァイオリンを聴いておよそ失望したことはないのだが、今回も最大限の敬意を払うべき演奏であったと思う。ブロムシュテットも、前日のブラームスに続いて、堅実な伴奏に努めた。そしてアンコールに演奏されたのは、今回もバッハの、無伴奏パルティータ 3番から「ガヴォット」。ここでも澄んだ音色に哲学性まで感じさせる、背筋が伸びるような演奏であった。つい先日も、ボストン響の演奏会においてソロを弾いたギル・シャハムが同じ曲をアンコールで弾いており、それはそれで、なんとも人間的な素晴らしい演奏であったが、今回のカヴァコスの演奏は、より孤独感の強い、だがやはり大変感動的な演奏であった。それにしてもこのカヴァコス、私は海外で初めて聴いて、これはすごいと思ったヴァイオリニストであるが、今回の聴衆の反応は、完全にこの人の音楽を強く支持するものであると思った。彼の活動はどんどん広がっており、ユジャ・ワンとブラームスのソナタ全曲を録音したり、同じブラームスのトリオを、ヨーヨー・マ、エマニュエル・アックスと録音していたりする。まさに今が旬のこのアーティストを、ブロムシュテットとゲヴァントハウスのような最高の伴奏で聴ける我々は、本当に恵まれている。
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そして、今回メインの曲として演奏されたのは、ブルックナーの大作、交響曲第 7番である。この曲の初演が、作曲者の生前の遅まきの成功のきっかけとなったことは当然知っていたが、その初演は 1884年、アルトゥール・ニキシュ (ベルリン・フィル第 2代音楽監督) の指揮するこのゲヴァントハウス管によってなされたことは、寡聞にして知らなかった。ウィーン・フィルではなかったわけである。この歴史的な初演を成し遂げたオケが、21世紀に至って、ブルックナーを得意とする 90歳の巨匠のもとでこの曲を日本で演奏することは、これまた大変意義のあることだ。ブロムシュテットのブルックナー 7番と言えば、昨年の今頃、これもドイツの名門オケであるバンベルク交響楽団と日本で演奏したことを、2016年11月 5日の記事に興奮した筆致で書いたのも、記憶に新しい。正直なところ、その時の演奏が既に期待に違わぬ歴史的な名演であったことから、今回は少しは冷静に聴くことができたと言ってもよい (笑)。その感想をここでグダグダと書くまでもないだろう。ブロムシュテットとゲヴァントハウスは、まさにこの曲の神髄を謳いあげたという言葉以上に、何が言えようか。ただ今回、実は私の耳には、この演奏の濃淡が、時折響いて来た。つまり、第 1楽章は金管のニュアンスが完璧ではなく、第 2楽章、それから第 3楽章も、開始部分は驚くほどの音の密度でもなかったものが、音楽が進んで行くにつれ、熱を帯びて行ったように思う。これは演奏の批判ではなく、そこに存在した人間性の証しとして捉えたい。そういえば、昨年の演奏に続き今回もノヴァーク版による演奏と明記されているが、昨年は、記事に書いた通り、ノヴァーク版の最大の特徴である、第 2楽章アダージョでの打楽器が欠けていた。ところが今回は、ちゃんと入っていたのである。但し、シンバルとトライアングルはなく、ティンパニだけであったが。尚、このコンビが 2006年に録音したこの曲は、実はノヴァーク版ではなくハース版であった。このあたりに、80代以降も続いているブロムシュテットの飽くなき探求心を感じることができる。それから、今回の演奏で最も心震えたのは、その第 2楽章アダージョで、ワーグナーチューバと続いてホルンが、ワーグナーを追悼する涙の叫びをあげたあとに、孤独なソロを吹くフルートである。私はこれまでの人生で、この曲をそれはそれは随分沢山聴いてきたが、ここのフルートがこんなに美しく響いたことは、ちょっと記憶にないくらいである。そうして、全曲が壮大な曲調で終了したあと、会場はまさに水を打ったような静けさに包まれた。それから、中空で停まった指揮者の右手が、何十秒もかけてゆっくりと下りてきて、ようやく緊張感がほどけたその瞬間に、わっと拍手が起こったのである。私は、この拍手が示す東京の聴衆の質の高さは素晴らしいと思うし、その一員になれたことを、誇りに思う。以前であれば、大きな音で終わる曲にはすぐにブラヴォーが沸き起こり、あるいは静かな曲でも、誰かがフライング気味に拍手をすることが多かった。だが今や東京の聴衆は、音楽の本当の楽しみ方をよく知っているのだ。私はステージに向かって左側で聴いていたので、よく見えなかったが、ブロムシュテットは体を右側にひねって、聴衆に対して拍手を送っていたようにも見えた。私の思い込みかもしれないが、演奏家としても、渾身の演奏に対してあのような反応があることは、本当に冥利に尽きるであろう。因みに、今回もブロムシュテットは全曲暗譜で指揮をした。
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ブロムシュテットとゲヴァントハウスの演奏、残るは NHK 音楽祭の一環として開かれるブラームスのドイツ・レクイエムだけである。これも心震えるような感動を期待したい。さて、ここでまた脱線だが、我が家のアーカイブで最も古いブロムシュテットの映像を引っ張り出して見てみた。それは、1991年 3月 8日に NHK ホールで行われた N 響の定期演奏会で、ここでは、ベルワルト (ブロムシュテットの母国スウェーデンの作曲家) の交響曲第 4番と、ブラームスの交響曲第 1番とを、ともに暗譜で振る 63歳のブロムシュテットの姿がある。興味深いのは、ここで彼は、現在のようにヴァイオリンの左右対抗配置を取っていないように見えるし、指揮棒も持っている。ここにも、常によりよい表現を求めて試行錯誤を重ねてきた、真摯な音楽家の姿を見ることができるだろう。当時、N 響の定期演奏会の一部は、BS で生放送していて、その休憩時間には曲の解説が入っていた。当時を知らない若い方のために、あるいは、当時を懐かしみたい方のために、映像をいくつかお見せしよう。解説は、作曲家の柴田南雄である。
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当時からブロムシュテットも進化したが、東京の聴衆も進化したと思う。大変素晴らしいことではないか。

by yokohama7474 | 2017-11-13 00:54 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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