フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団 (ヴァイオリン : 樫本大進) 2017年12月 1日 サントリーホール

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早いもので、もう 12月。2017年も残すところあと 1ヶ月となった。だが、東京の音楽界には未だ熱気がこもっていて、そのひとつの要因は今回の指揮者とオーケストラの組み合わせである。1974年生まれ、現在 43歳の気鋭の指揮者、スイス人のフィリップ・ジョルダンと、ウィーンにおいて 1世紀以上に亘り独自の地歩を築いてきたウィーン交響楽団である。ジョルダンはなんと言っても、2020年から文字通り世界最高峰のオペラハウス、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが予定されていることで、世界楽壇の期待を集めているわけであるが、2014年からこのウィーン響の首席指揮者を務めている。調べてみると、2007年に PMF (パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル) のために札幌に来たことはあるようだが、東京にはこれが初の登場になるようだ。このような精悍な顔つきの指揮者である。
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現代の音楽界には、親子二代で指揮者という例がかなりあるが、このジョルダンもそうである。父は、今は亡きアルミン・ジョルダン (1932 - 2006)。名門スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者として名を上げた人で、私は実演を聴いたこともあるし、録音や FM のエアチェックで数々の演奏に親しみ、かなり尊敬していた指揮者である。
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アルミンの息子、今や世界で引っ張りだこの若手指揮者となったこのフィリップ・ジョルダンについては、私は若干特殊な接し方をして来た。これまでに私が聴くことのできた彼の演奏は以下の通り。
 2002年12月19日 : ヨハン・シュトラウス「こうもり」 メトロポリタン歌劇場
 2008年 6月21日 : リヒャルト・シュトラウス「カプリッチョ」 ウィーン国立歌劇場
 2013年 6月18日 : ワーグナー「ラインの黄金」 パリ・オペラ座バスティーユ

つまり、いずれもオペラばかり。実は 2002年の「こうもり」は、「今回はジョルダンという指揮者が MET にデビューするんだけど、父親も指揮者らしい」という情報を聞いて、「まさか、アルミン・ジョルダンの息子じゃないだろうから、人違いでしょ」と答えたものであった。いや、何かを知っているわけではなかったのだが、なんとなく、上に写真を掲げたような、哲学的風貌のアルミン・ジョルダンに指揮者の息子がいるというイメージがなかったからで、ましてや、当時 20代の颯爽とした指揮者 (今でも颯爽としているくらいだから当時はいかばかりであったか想像できよう 笑) が、あのジョルダンの息子とは、信じられなかった。だから、彼が本当にアルミン・ジョルダンの息子であると知って驚いたものだ。その後数年おきに彼の指揮に接し、また、パリ・オペラ座の音楽監督に就任したときには、やはり頭角を現したなと思ったものだし、実際にパリで聴いた「ラインの黄金」は、大変に美しく集中力の高い演奏であったのを覚えている。だが今回はオーケストラ・コンサート。一体どのような演奏になるのか楽しみである。曲目は以下の通り。
 メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 (ヴァイオリン : 樫本大進)
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」

なるほど、冒険を避けた名曲プログラムである。実は今回、12/3 (日) にもまたサントリーホールで演奏会があり、その日の曲目も、いわゆる名曲路線であって、正直なところ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのジョルダンを聴くのには、少々面白みを欠くような気がしないでもない。だが、いかにウィーン国立歌劇場の次期音楽監督とはいえ、初めての東京への登場、招聘側も安全を見たのかもしれない (チケットを売り出したときには確か未だウィーンへの就任は発表されていなかったと思う)。ともあれ、名曲を名曲として楽しみたい。

今回のソリストは、2010年から天下のベルリン・フィルのコンサートマスターを務める、樫本大進。1996年にロン=ティボー国際コンクールで史上最年少で優勝してから既に 20年以上が経過したが、未だ 38歳である。
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先にレポートしたサイモン・ラトルとベルリン・フィルの来日公演では、2プログラムともコンサートマスターを務めた樫本は、恐らくそのまま日本に残ったのであろう、ここではソリストとして登場である。私は彼を若い時に聴いたとき、ある種老成した、落ち着いた音楽を奏でる人であると思ったのであるが、ベルリン・フィルのコンマスという重責を立派に果たし続けるうち、かなり積極性を身に着けてきたような気がする。今回の曲目はメンデルスゾーンのコンチェルトという甘美な曲であるが、彼はただ甘美であることに腐心するのではなく、独特の艶やかな音でしっかりと一本筋の通った音楽を聴かせてくれたと思う。時に走りすぎかなと思うような瞬間もあったかもしれないが、彼の場合には、人為的な感じがなく、音楽の流れを追う中での表現としての必然性を感じたものである。曲の美観を存分に掘り下げた演奏であったと思うが、またジョルダンの指揮が大変丁寧で流れのよいもので、ウィーン響の音もクリアで大変美しく、素晴らしいものであった。樫本がアンコールで弾いたのは、バッハの無伴奏パルティータ 3番の第 3曲「ルール」という、アンコールピースとしては比較的珍しいものであったが、ここでも強い意志に裏打ちされた独特の美観が聴き物であった。しかしながら、このアンコールの演奏中ずっと、会場内で何やら鳥のさえずりのような音が響いていた。携帯電話の呼び出し音だったのだろうか。ホール内は電波が入らないはずなので、若干奇異な気がしたのだが、いずれにせよ、聴衆としてのマナーは充分守りたいものだ。

後半の「巨人」は、私が初めて聴くジョルダンの指揮する交響曲であった。結論から申し上げれば、これもまた大変流れがよく美しい演奏であったことは間違いない。ただ惜しむらくは、音が常に軽めであって、最後の大団円 (ホルンのみ起立し、終結部では再度着席) までは、腹の底に響き渡る音はあまり聴かれなかった点、マーラーの演奏としてはもうひとつ迫力を欠いた感は否めない。特に先般、ネルソンスとボストン響という特上の音で聴いてから日が浅いこともあり、その点でも若干分が悪いということになってしまった。だが、前半のメンデルスゾーンの伴奏から続くこのコンサートに、私が過去にオペラで聴いた彼の指揮を思い合わせると、何かジョルダンの個性を理解できたような気がする。決して爆裂的ではなく、感情に強く訴える音楽ではないが、細部にまで目が行き届き、滑らかな流れを維持する美しい音楽。そういえば、この「巨人」でも随所で木管楽器などにキューを飛ばしてその部分を強調していた。このウィーン響は、長い伝統を持つ名オーケストラではあるが、同じ街に本拠地を置くウィーン・フィル (もちろん、歌劇場のオーケストラのメンバーからなる) とは違って、一音一音のしたたるような芳醇さという特色はあまりなく、より近代的で美麗な音を出す。その意味でジョルダンの感性には合っているように思う。だがその一方で、アンコールで演奏されたヨハン・シュトラウスの 2曲のポルカ、つまり「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と「雷鳴と電光」は、あえて言ってしまえば、もしウィーン・フィルだったらもっと面白いかなぁと夢想させるものだったと言うと、語弊があるだろうか。面白いのは、「雷鳴と電光」で、トランペットのひとりとピッコロのひとりは、譜面を閉じて演奏していた。彼らの街、ウィーンの音楽であるから、暗譜で充分演奏できるということだったのだろうか。

このコンビの演奏は、今後も期待を込めて聴いて行きたいものだが、昨年にはベートーヴェンの交響曲ツィクルスを演奏したらしく、録音も 2020年までにかけてリリースするという。現在出ているのは 1番・3番のみであるが、会場先行ということで、第 2弾の 4番・5番も収めた 2枚組を売っていたので購入した。これはプログラムに掲載されている宣伝。
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また、終演後にはサイン会が開かれ、活況を呈していた。私のもらったサインはこのように控えめなもので、彼の丁寧な音楽を思わせる。
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フィリップ・ジョルダン。これからの進化を見て行きたい指揮者である。

by yokohama7474 | 2017-12-02 03:03 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

Commented at 2017-12-02 14:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yokohama7474 at 2017-12-02 21:58
> カギコメさん
再度のコメントありがとうございます。日本は何事も東京中心ではありますが、地方には地方の文化があり、それぞれの発展があるべきだと思っています。その意味で、地方の方にこのブログを読んで頂くことで、東京のよい面悪い面、両方を認識して頂ければ幸いです。このような方に読んで頂いていることを励みに、これからも文化の狩人として (?)、頑張りたいと思いますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。

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