ディエゴ・マテウス指揮 読売日本交響楽団 (ドラムス : ピーター・アースキン) 2017年12月 2日 東京芸術劇場

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つい一週間ほど前まで、メシアンの超大作「アッシジの聖フランチェスコ」の日本初演に全力で取り組んでいた読売日本交響楽団 (通称「読響」) が、がらっと異なるタイプの曲を演奏する。しかもその中には、またしても日本初演の曲が含まれているのだ。このような読響の適応能力には、実に感嘆すべきものがある。しかも今回指揮台に立つのは、これが読響のとの初共演になる1984年生まれの若干 33歳、ヴェネズエラ出身のディエゴ・マティウスだというのだから恐れ入る。まずはこの指揮者の紹介から行くとしようか。ヴェネズエラには既に、36歳にして世界中で若き巨匠の名を欲しいままにしている驚くべき指揮者がいて、その名はグスタヴォ・ドゥダメル。エル・システマという、ヴェネズエラで行われている音楽教育 (非行少年少女の更正目的を含んでいる) の驚異的な成果を体現するドゥダメルは、郷土の革命家の名を冠したシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの音楽監督として活躍を続けているが、その補佐を務めているのがこのディエゴ・マテウスである。
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ドゥダメルに比べるとまだまだ知名度は低いかもしれないが、2008年にクラウディオ・アバドが創設したモーツァルト管弦楽団の首席客演指揮者となったことをはじめ、既に名門ヴェネツィアのフェニーチェ劇場の音楽監督を務める (2011年から 2015年まで) など、国際的な活動を展開している。日本でも既に 2年前に NHK 交響楽団の定期公演に登場しているし、2011年にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本 (現・セイジ・オザワ・松本フェスティバル) でも指揮をしている。だが私はこれまで彼の指揮を実演で聴いたことがなかったので、今回は是非にと思って会場に足を運んだのである。そのユニークな曲目は以下の通り。
 バーンスタイン : 「キャンディード」序曲
 ターネジ : ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演、ドラムス独奏 : ピーター・アースキン)
 ガーシュウィン : パリのアメリカ人
 ラヴェル : ボレロ

このプログラムの特色は、そのカラフルな色彩感と、ノリのよさと言ってよいだろう。それゆえ、神秘的なメシアンの超大作との隔たりは著しいのであるが、この演奏会は実に充実して、また楽しいものであり、結果的に私は、東京の音楽界の懐の深さを実感することとなった。ほぼ満員の入りの会場は、満足感でいっぱいという感じのコンサートであった。

今回の目玉は、英国を代表する現代音楽の作曲家であるマーク=アンソニー・タネジ (1960年生まれ) の、なんとドラムス協奏曲。タネジはサイモン・ラトルと近く、代表作「3人の怒れる教皇」などで知られ、日本でも時折作品が演奏されている。私は残念ながらどうしても行けなくて涙を呑んだが、昨年、サントリーホール 30周年を記念する「Hibiki」という彼の新作を大野和士が初演したのも記憶に新しい。
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だがこのドラムス協奏曲は、いささか異色である。2013年に、今回ソロを叩くピーター・アースキンのために作曲されたもの。このアースキン、恥ずかしながら私は知らなかったが、今年 73歳の、ドラム界のレジェンドらしい。
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その名はこの私でも聞いたことのあるフュージョンバンド、ウェザー・リポートのもとメンバーで、過去 8回ものグラミー賞ノミネートを受けているらしい。作曲者タネジとは親しい関係であるらしく、今回演奏されたドラムス協奏曲には、そのものズバリ、「アースキン」という彼自身の名前がついているだけでなく、日本人の奥さん (ムツコさんで、ムッツィーとの愛称で呼ばれる) や、娘と息子 (マヤとタイチ) の名前が入った楽章があるなど、完全にこの人のために書かれた曲なのである。タネジの作品がいつもそうであるわけではないが、ここでは極めて平明な音楽が展開し、またその表情は様々で、大変楽しめる内容である。特に終楽章「フーガの熱狂」では、オケの打楽器メンバー 3名との打楽器対決があり、まるで太鼓集団、鼓童 (以前記事を書いたことがある) のパフォーマンスを見ているかのようであった。やはりこの太鼓というもの、人間の奥深いところに訴えかけると見え、30分間の演奏において、何度かぐっと気持ちが燃え上がるような気分を味わったものだ。もちろんアースキンの水際立った技術は大変なもので、あのタネジが曲を進呈するのもよく分かる。そしてマテウスの指揮も大変にツボを得た着実なもので、オケの人たちも、あれなら慣れない曲でも演奏しやすかったのではないか。

そしてほかの 3曲、「キャンディード」序曲、パリのアメリカ人、ボレロも、真面目に演奏された楽しい曲たちであり、オケの技量、指揮者のリードとも、安心して聴いていられるものであった (ただ、ボレロの中で昔から難所と言われるあの長い金管楽器だけは、冒頭にちょっとミスがあったが、集中力が切れることはなかった)。ボレロ以外は曲想の変化も激しく、ノリがないと成功しない反面、逆説的なようだが、真面目に演奏しないと、上っ面をなぜただけになってしまって、楽しめない。今回コンサートマスターを務めた特別客演コンサートマスターの日下紗矢子以下、読響の面々は、真剣な面持ちで、大変に楽しくて上質な時間を作り出したのであった。マテウスの指揮は、先輩であるドゥダメルとそっくりであるが (そしてそのドゥダメルは、大先輩アバドの指揮ぶりとそっくりと言われることもあるが)、同じ教育を受けているので、当然と言えば当然だろう。聴くべきはそこから出て来る音楽であって、私の思うところ、やはり彼は大変な才人である。奇をてらったところはどこにもなく、だが彼の導き出す音楽の、なんと活き活きしていること。相当にまじめな人なのであると思う。ラテンな音楽家は情熱一辺倒かと思うとそうではなく、多彩なパレットを持った人である。読響との相性もよさそうだし、次は是非大曲を聴いてみたいものだ。
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ところで今回のプログラムに、山田和樹がこの読響の 2人目の首席客演指揮者に就任したとの記載がある。山田が既に抱えているポストの数を考えると、本当に時間が取れるのだろうかと心配にもなってくるが、もちろん彼も世界的な観点から見ても若手指揮者の有望株。読響の活動がますます充実するのは素晴らしいことだ。考えてみれば、大変充実した演奏活動を展開してきた常任指揮者シルヴァン・カンブルランの任期も来シーズンで終わり。読響としても、ポスト・カンブルラン体制を用意する必要がある時期にきているだろう。一体誰が後任になるのだろう。山田と、もうひとり、ドイツ人のコルネリウス・マイスター (近日中に読響の指揮台に帰ってくる) の 2人の首席客演指揮者は当然候補であろうが、私としては、山田には当面海外をメインに活動して欲しいものだと勝手に希望している。今回のマイスターは、ただ 1公演を指揮するだけなのが、何やら怪しくはないか。1公演だけのためにわざわざ来日するでしょうかね。何か、ほかに日本で用事があるのでは。例えば契約にサインするとか・・・とは、なんの根拠もない私の勝手な妄想だが、そういうことがあっても面白いと思う。いずれにせよカンブルランの後任人事が楽しみである。

最後に少し蛇足。この演奏会のあった 12/2 (土) の日経新聞の文化欄で、山田和樹の読響首席客演指揮者就任に触れ、それに関連して、日本のオケが複数の指揮者を立てて活動して行くことが多くなったと解説している。実は私はこの論説には大いに違和感があって、それはなぜというなら、例として挙がっているオケの数が少ないし、ひしめき合う東京の有力オケの数々を差し置いて、地方のオケに言及していることは、全体の傾向を見るには不適だと思うからだ (地方オケを軽んじているわけではありません、念のため)。世界のどのオケも、シェフ指揮者がひとりで切り盛りするわけでないことは、歴史的に見ても別に新しいことでもなんでもないし、朝比奈やカラヤンの例は、世界的に見ても歴史的に見ても、かなり例外的。また、ほかの都市と同じく東京のオケでも、シェフ指揮者の関わりは様々なパターンがある。このブログでご紹介している通り、実際に東京のオーケストラの競争は、世界でも稀に見るような、面白い内容をもたらし始めていて、そこには、カリスマ性のある指揮者の貢献もあれば、複数の指揮者陣で盛り上げているケースもあるのである。複数指揮者制云々より、私の見るクラシック音楽界のいちばんの問題は、やはり聴衆に若年層が少ないことではないか。「アッシジの聖フランチェスコ」の記事にも書いたが、そのような伝統的でない曲目や、今回のように小難しさのない曲目の場合には、やはり若い人たちに聴いて欲しいところ。その解決には、一体どうすればよいのだろう。少々厄介なのは、若い人たちが来なくとも、客席はそれなりに満席になっていることであって、日本の少子高齢化がこんなところにも表れているのかなぁ・・・と考えてしまうのであった。若者よ、こんなに面白いクラシックコンサートに足を運んでみませんか?

by yokohama7474 | 2017-12-03 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

Commented by エマスケ at 2017-12-04 12:53 x
こんにちは。
私も2日の読響に行きました。
若い指揮者によるリズム感溢れる楽しいコンサートでした。
ドラムス協奏曲というのは、今回初めてその存在を知った次第で、最後は打楽器奏者とジャズのセッションのように盛り上がってましたね。
東京芸術劇場の適度な箱の大きさと演目がよく合っていたと思います。
ただ、確かに、もう少し観客に若い方が多かったらノリも違ったかもしれません。

実はその足で、デュトワ&N響のオールラヴェルプログラムを聴きに行きました。
こちらは円熟味のある「ボレロ」でした。
いつもながら、デュトワのタクトさばきとステップは華麗だな、と見入ってしまいました。

またお邪魔させていただきます。
失礼しました。
Commented by yokohama7474 at 2017-12-05 00:16
> エマスケさん
あ、確かにデュトワ / N 響もオール・ラヴェル・プログラムでしたね。ボレロ二連発というわけだったのですね。私もそのプログラムには大いに興味があったのですが、この土・日には、既に記事にした 2つのコンサートに行くことにしたので、聴けませんでした。その代わり、残りの 2プログラムには行きますので、また記事にします。これから年末まで、なかなか忙しいですね (笑)。

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