ブレードランナー 2049 (ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督 / 原題 : Blade Runner 2049)

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今やサーの称号を持つ英国の巨匠映画監督リドリー・スコットは、80歳になった今でも精力的な活動を展開しているが、私の世代ではやはり、デビュー第 2作の「エイリアン」(1979年) と第 3作の「ブレードランナー」(1982年) によって衝撃を受けたことが、その後の映画経験の原点になっていると言えるであろう。正直なところこの監督はその後すぐに、全く違った作風の作品を撮って観客を戸惑わせ、「ブラックレイン」で元のテイストに戻ったかと思えば内容はハズレであり、「1492 コロンブス」で、あぁこの監督はもう見限ろうと思ったら、「グラディエーター」で奇跡の大復活。その後もまた様々なタイプの映画を監督し、結構出来不出来がはっきりするタイプであると思う。今年は既にスコット自身の監督による「エイリアン : コヴェナント」を見ることができ、そして今度は「ブレードランナー」の続編だ。この 2作、人造人間がテーマのひとつになっていることが共通するが、相違点もいろいろあり、前者は「エイリアン」の前日譚であるのに対し、本作は「ブレードランナー」の 30年後の世界を舞台にしていることが挙げられる。そして本作では自身は監督ではなく製作総指揮であり、監督は、前作「メッセージ」で一躍その名を高めた 1967年生まれのカナダ人、ドゥニ・ヴィルヌーヴである。
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前作「ブレードランナー」はもちろん、常に酸性雨の降り注ぐ猥雑で荒廃したロサンゼルスを舞台としたスタイリッシュな映像と、意外性のあるストーリー展開、そしてヴァンゲリスによるシンセサイザー音楽によって、誰もが一度見たら忘れないような作品である。私も、この映画に衝撃を受けて、原作であるフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んだし、ヴァンゲリスのほかの映画音楽、つまり「炎のランナー」とか「南極物語」のサントラを購入したりしたものだ。また、初公開から 10年後に公開されたディレクターズ・カットで重要なシーンの追加がされた。つまり、ハリソン・フォード演じる捜査官デッカードの役回りは、人間社会に紛れ込んだレプリカント (人造人間) を処刑することであるにも関わらず、実はデッカード自身がレプリカントであることが示唆されたのである。そのあたりの知識のない人がこの「ブレードランナー 2049」を見ると、さすがにちょっと厳しいとは思うが、まあそんな人はほとんどいないという前提であろうか (笑)。この映画のストーリーは、前作の制作時には想定されていなかった、今回新たに作られたものであるが、それはすなわち、前作の延長戦上にストーリーが書かれたということである。ところで前作の舞台は、当時から見た近未来であったが、今確認すると、それは 2019年。おっ、当時は随分先だという設定なのだろうが、なんと、もう再来年ではないか (笑)。街の風景はこんな映像であり、それはそれは強烈なイメージであった。もともとリドリー・スコットが大阪を訪れたときに道頓堀を見て発想を得たと言われているが、よく外人が写真を撮っている現在の渋谷のハチ公前交差点など、さながらこの「ブレードランナー」の世界に近いと言ってもよいと思う。・・・まあさすがにそれは言い過ぎか (笑)。
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さて、そんな思い入れのある人間が今回の作品を見たときに、どんな感想を抱くであろうか。実は私は、期待が大きかったせいか、残念ながら、ちょっともうひとつ乗り切れないものがあった。今回の舞台も前作と似たような雰囲気ではあるが、どういうわけか、あまりインパクトを感じない。ひとつは、宙を飛ぶ乗り物があまり高層ビルの間を飛び交うことがなく、また、主人公でやはりブレードランナーの K は、このように街中を歩く設定が多いことで、街全体の俯瞰シーンがあまりないことが理由かもしれない。
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それから、戦闘シーンが少ない。最初の方にあるにはあって、それなりの工夫はあるものの、やはり前作のルトガー・ハウアーのような強力なレプリカントとの対決という要素が欲しかったところ。そして、全体を通して不思議な静けさが支配する。これはヴィルヌーヴの前作「メッセージ」でも感じたことで、見ている方はなんとも殺伐とした思いになるのである。そこに流れる音楽も、ちょっと前作のヴァンゲリスをイメージした雰囲気もあって、「ヴオォォォー」という、チベットで使われるほら貝 (?) のような音には不気味さもあってよいのだが、前作では確かエンドタイトルで堂々と流れたあのメインテーマで一種のカタルシス作用があったところ、今回はそれもなく、ただただ静かなのである。この静けさこそが、ヴィルヌーヴ作品の特徴ということだろう。音楽担当は現代の映画音楽の巨匠ハンス・ジマーであるが、もしかすると、ヴァンゲリスを意識し過ぎたのではないかと勘繰りたくもなってしまう。あ、それから、やはり前作へのオマージュ風に思われるのが、劇中で何度か流れる意味不明の日本語のセンテンス。そう、前作ではデッカードが屋台で何かを 4つ注文するのに、店のオヤジが「2つで充分ですよ。分かって下さいよー」と言っているのが非常に印象的で、私などは、この言い回しを日常生活の中で意味もなく繰り返したりして、笑いを取るのに躍起になっていた時期があるので、今回は全く違うシチュエーションながら、シュールな日本語の使用は面白いと思ったものだ。

評価すべき点としては、やはり主役のライアン・ゴズリングが挙げられようか。「ラ・ラ・ランド」で一気にブレイクした感があるが、ちょっと三枚目風のところに親しみを覚えさせる一方で、やるとなったらかなりハードなシーンもこなせる、いい役者である。
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それからもちろん、前作の主人公ハリソン・フォードの元気な姿を見ることができるのも、嬉しい。あの超有名なシリーズ物ではもはや彼を見ることができないことを思うと (これをネタバレと怒る人はいないと信じます 笑)、この映画への出演は大変嬉しいところ。
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この 2人の関係について書いてしまうとネタバレになるが、この作品オリジナルの発想がそこにあり、レプリカントとレプリカントでそういうことになるか (?) という面白みはあり、また前作のシーンからの音声を再生したり、デッカードが恋に落ちたレプリカント、レイチェルの映像も出てきて、懐かしさに囚われる点は評価できる。さて、この 2人の関係やいかに。
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ストーリー展開としては、終盤に謎が解明するあたりにもさほどの緊張感がないし、明かされる真相にもあまり衝撃がないのが残念だ。また、悪役のインパクトや、主人公が思いをよせるヴァーチャルな女性 (現れたり消えたりするときに流れるプロコフィエフの「ピーターと狼」のテーマが能天気に明るいのがシュール) の魅力も、私にはちょっと不足していると思われた。それから、予告編でも出て来たこういう映像、大してショッキングではないでしょう。
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こんな感じで、私としてはこれはもうひとつ乗れなかった映画であった。だがその一方で、誰しも自分独自のものがあると信じたいのだというメッセージは切ないし、いよいよ人類の荒廃も進んだ近未来には、もしかするとこんな静けさしかないのかもしれないという、ある種の絶望感の表現に、見る価値があるとは言えると思う。さすがに 3作目が作られる可能性はまずないであろうから、前作から 35年の時を経た現代において、このような映画が作られたことの意味をよく考えたいと思う。

by yokohama7474 | 2017-12-06 00:38 | 映画 | Comments(0)  

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