第九 クリストフ・エッシェンバッハ指揮 NHK 交響楽団 2017年12月27日 サントリーホール

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今年の年末に私が体験する第九、すなわち、ベートーヴェンの交響曲第 9番ニ短調作品125「合唱つき」の、4回目の演奏会である。今回は NHK 交響楽団 (通称「N 響」)。今年の指揮は、ドイツの名指揮者、クリストフ・エッシェンバッハである。1940年生まれなので、今年既に 77歳と知って驚く。
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私の世代は、彼をまずピアニストとして認識していたと言えるであろう。例えば、カラヤン / ベルリン・フィルをバックにしてのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集。
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もちろん彼は早くから指揮にも取り組み、チューリヒ・トーンハレ管、北ドイツ放送響、パリ管、そしてフィラデルフィア管などの名門オケのシェフを務めてきたという、指揮者として輝かしい経歴を誇っている。だが、どういうわけか、やはりピアニスト兼指揮者として活躍してきたバレンボイムやアシュケナージとは比較にならないほど、私は彼が指揮する演奏会を経験した機会が少ない。今思い出せるのは、今から 10年以上前、彼が名門フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督であったときに本拠地ヴェライゾン・ホールで聴いた演奏会くらいである。今でも覚えているのは、確かメインがチャイコフスキー 5番で、演奏前にコンサートマスターが聴衆に話しかけ、終演後にチャリティーイヴェントか何かがあると告げた際、「次の曲は通常のテンポなら 45分くらいで終わる曲なので、そのあとでまた会いましょう」と説明し、会場の爆笑を買っていたことだ。つまり、エッシェンバッハの指揮は往々にして濃厚なロマン性を持っていて、遅めのテンポになることを、聴衆は当然ながら知っていたということである。だが演奏内容自体はなかなかのものであったと記憶する。それ以外の機会としては、2015年に彼がウィーン・フィルと来日した際にチケットを買ってあったが、このときはやむを得ない事情でコンサートに行けなかった。実はそのことはこのブログのどこかの記事に書いてあるのだが、ここでは繰り返さない。それからこのエッシェンバッハ、N 響の定期公演デビューはついこの 10月であり、そのときにはブラームスの交響曲全 4曲を、2回の演奏会ですべて振っている。当初の予定では、4番は曲目に入っておらず、モーツァルトのピアノ協奏曲第 12番の弾き振りであったが、指の故障によって曲目変更になったものである。実は私はここでも、3番・2番の演奏会のチケットを持っていたのだが、出張のために行けなかったという経緯がある。

そのように、エッシェンバッハとこれまで巡りあわせの悪かった私であるが、今回、ブラームスの交響曲に続いてドイツ音楽の神髄であるこの第九を、ドイツ人指揮者として輝かしい実績を積み重ねてきた指揮者と N 響のコンビで聴けることは、なかなかに貴重な機会である。今回このコンビで演奏される第九は全部で 5回。うち 4回は NHK ホールで、最終日のこの日だけがサントリーホールでの公演であった。興味深いことに、ほかの日のプログラムは第九 1曲だけだったのに、この日だけはバッハのオルガン曲が前座で演奏された。では、川沿いのラプソディ恒例の「第九チェックシート」を書いてみよう。

・第九以外の演奏曲
  バッハ : トッカータ、アダージョとフーガハ長調BWV.からトッカータ
  バッハ (デュリュフレ編) : コラール「主よ、人の望みの喜びよ」
  バッハ (イゾアール編) : アリア「羊は安らかに草をはみ」
  バッハ : 「天においては神に栄えあれ」からフーガBWV.716、コラールBWV.715
・コントラバス本数
  8本
・譜面使用の有無
  指揮者 : なし
  独唱者 : なし
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり
・独唱者たちの入場
  第 2楽章と第 3楽章の間
・独唱者たちの位置
  合唱団最前列 (舞台後方 P ブロック)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  あり

今回オルガンを演奏したのは、若手オルガン奏者の勝山雅世。
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実は彼女は、やはり昨年のサントリーホールでの N 響の第九 (指揮はヘルベルト・ブロムシュテットで、スポンサーは今回とおなじ、かんぽ生命) でも前座でオルガン・ソロを弾いていた。昨年の自分の記事を読み返すと、曲が終わるたびに拍手が起こっていちいちお辞儀していたと書いてあるが、今回はそんなことはなく、合計 20分ほどの演奏を、聴衆は続けて楽しんでいた。最後の曲のオルガンらしい強奏が素晴らしいと思ったものだ。

さて、休憩のあと演奏された第九だが、数日前に聴いた大野和士と都響の演奏と同じく、コントラバス 8本で、木管楽器は倍管、つまり通常各 2本のところを 4本である。やはりエッシェンバッハの指向は、小ぢんまりとした第九ではなく、生命力あふれる異形の交響曲としての第九であったろう。だが、その表現には実は端正な部分も多く、各パートの音の分離もよいし、指揮者の右側に陣取った第 2ヴァイオリンの音型もよく聴き取ることができたのである。各フレーズの細かいところにも気配りがなされていて、結構こまめにタメを作って音楽の流れを作り出しており、全体として、鬼気迫る大野の演奏よりは、とっつきやすいものであったようにも思う。いわゆるドイツ的な重さがあるという表現は合わないが、それでもやはり、ドイツ音楽の個性をよく描き出した演奏であったと思う。なるほどこの指揮の手腕は大したものであって、あれだけ数々の名門オケを率いてきたにはちゃんと理由があるなと思うと同時に、これまであまり彼の指揮を聴けなかったことを残念に思ったものだ。これを機会に、定期的に N 響を振りに来てくれないものであろうか。このような年齢の実績のあるドイツ人指揮者は、存在自体が貴重であり、N 響が伝統として持っているドイツ物への適性を、いかんなく発揮してもらえるのではないだろうか。もちろん、かつて N 響の指揮台に登場したドイツ系の巨匠たちとは、持ち味に差があることは致し方ないであろうし、それゆえにこそ、N 響の演奏に何か新しい要素を加えてくれそうな期待感がある。
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ところで今回も合唱団は、昨年に続いて東京オペラシンガーズである。舞台の奥に並ぶのではなく、贅沢にステージ裏側の客席、P ブロックの 2/3 程度のスペースに陣取っての歌唱であった。この合唱団はもともと力強さをその特徴とするが、今回も痛快な歌いぶりであり、素晴らしい。N 響の第九と言えば長らく国立音大の合唱団との共演であったが、合唱においても、プロの世界での切磋琢磨が東京の年末には起こっている、ということであろうか。それから、昨年の N 響の第九では 4人の独唱者たちはすべて外国人であったが、今回はすべて日本人。ソプラノの市原愛、メゾソプラノの加納悦子、テノールの福井敬、バリトンの甲斐栄次郎と、実績のある人ばかりで、安定感抜群であった。

そんなわけで、なかなかに充実の演奏であり、さすが N 響とエッシェンバッハと思わせる内容であった。ただ、私の好みから言えば、先に聴いた大野和士と都響の、より表現力の強い演奏の方が共感できる、というのが正直なところ。それだけ東京の第九は、ただ単に年の瀬の余興ではなく、非常に高いレヴェルでの在京オケのつばぜり合いという様相を呈しているものと思う。競争があることは、ファンとしては嬉しい限り。さて、これで残る第九はあと 1回となりましたよ。それは次回の記事で。

by yokohama7474 | 2017-12-29 01:13 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

Commented by マッキー at 2018-01-14 07:22 x
>例えば、カラヤン / ベルリン・フィルをバックにしてのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集。

文中このように書かれていますが、エッシェンバッハがカラヤンと録音したのはベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番 のみです。
画像アップされていたジャケットのレコードのみです。
カラヤンがベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集をレコーディングしたピアニストはワイセンベルクだけです。


今回のエッシェンバッハの第九は今の時代の流行スタイルとは違って一時代前のスタイルでしたね。
演奏を聴いていてエッシェンバッハは第九を相当に深く研究してかなり理解していると思いました。
これには少々ビックリしました、エッシェンバッハの演奏でこれほど確信めいた演奏はあまり聴いたことがないからです。
彼が指揮を始めた若い頃に来日した時のテレビのインタビューで、指揮者になりたいと思ったのは少年の頃にコンサートで何度も聴いたフルトヴェングラーの演奏に感動したためと言っていた事を思い出します。エッシェンバッハはベルリン育ちだったようです。
今回の第九の演奏にはフルトヴェングラーの影響もチラホラ感じさせる箇所もありましたが、それ以上に表現が確立されていて、確固たる自信をもって演奏していたのが強く印象に残りました。
エッシェンバッハの指揮は彼がまだ若い頃から何度も聴いていますが、今回の第九は会心の演奏ではないかと思います。
Commented by yokohama7474 at 2018-01-14 08:55
> マッキーさん
ご指摘ありがとうございます。ご推察の通り、ワイセンベルクと混同しておりました (レーベルも違うのに、ひどい勘違いですね!!)。この欄で、お詫びとともに訂正させて頂きます。今回の第九の内容についてもご指摘の通りで、昨今ではなかなか聴けないスタイルであると同時に、彼自身の確信を感じさせる演奏でした。その前に彼が N 響で演奏したブラームスも、私は生で聴けなかったので、録画で楽しみたいと思っております。

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