ベルギー旅行 その 1 ブリュージュ (1)

今回休暇を取った際に、会社の同僚から、どこに旅行するのかと訊かれた。主としてベルギーだと説明すると、彼がニヤっと笑って言うことには、「え? ベルギーですか。ベルギーってあれでしょ? フランスの属国みたいな場所と、オランダに入れてもらえなかった場所が集まってできた国でしょ?」と。それに対して私は 0.5秒黙ったのち、「いいえ、全っ然、違います。ヨーロッパのかつての中心地として、大変重要な場所ですよ」と強く答えたところ、その私の決然たる態度に、その人のニヤニヤ顔は凍りついていたものだ (笑)。いや実際、日本人のベルギーに対する理解の低さには、ホトホト呆れるのである。またある場合には、「あ、ビールが有名ですよね。あと、ワッフルとチョコレートも」というコメントがあったり、「あの、以前サッカーワールドカップで日本と対戦した『赤い悪魔』ですね」というコメントがあったりして、いつもながらの文化の徹底探訪を目的としての旅に向けた準備をしていた私を、大いに嘆かせたのである。いや、私とても正直なところ、以前このブログでご紹介した Bunkamura ザ・ミュージアムでの「ベルギー奇想の系譜」展で展示されていたようなフランドル絵画以上に、さほどこの国について知っているわけでもなかった。そこで、現地に赴く前に、以下のような本を読んで勉強した。

 物語ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路 松尾秀哉著 (中公新書)
 ブリュージュ フランドルの輝ける宝石 河原温著 (中公新書)
 ベルギーを知るための 52章 小川秀樹編著 (明石書店)
 図説 ベルギー 美術と歴史の旅 森洋子編著 (河出書房新社 ふくろうの本)
 魅惑のベルギー美術 冨田章監修 / 姫路市立美術館編 (神戸新聞総合出版センター)

この国の歴史は複雑であって、私も充分に理解できたわけではないのだが、ひとつ重要なことは、ちょうどヨーロッパの中央、英・独・仏の間にあるこの地域は、まさにヨーロッパの十字路としての役割を持ち、ローマ帝国のあとヨーロッパの広範な地域を治めたフランク王国のシャルルマーニュ、つまりカール大帝 (742 - 814) は現在のベルギーの生まれであり、首都を、現在のベルギー国境にほど近いドイツのアーヘンに置いたという。その頃からこの地域は商業が活発となるが、フランク王国の分裂によって、東フランク王国 (領土は今のドイツに近い) と西フランク王国 (今のフランスに近い) の間で、複雑な経緯を辿ることとなる。だが、12-13 世紀頃、フランドル伯の統治下で、英国から羊毛を輸入して毛織物を生産することで発展し、まずブリュージュが、北海経由で物資を運搬することによって全盛を極めることとなった。その後はハプスブルクの支配下に入り、独立はようやく 1830年に達成された。アフリカではコンゴを植民地とし、大虐殺を引き起こしたという負の歴史もあるらしい (映画「地獄の黙示録」の原作であるジョセフ・コンラッドの「闇の奥」はその頃のコンゴを舞台としているらしく、一度読んでみたい)。

ともあれ、もちろん広く知られていることだが、ベルギーの首都ブリュッセルはまた EU の首都でもあり、この国は現代ヨーロッパにおいて、非常に重要な位置を占めているのである。それは、英国 (今度抜けてしまうが・・・)、フランス、ドイツという大国を EU の中心にすることへの警戒心がそれぞれの国にあるところ、中世はまさに文明の十字路として発展したが、今では複数の言語地域を持つ小国として独自の存在感を持つベルギーは、大国間のある種の緩衝材としての役割に鑑みても、EU の首都は適役なのである。文化的にも豊かで、もちろん、ルネサンス期のフランドル絵画以降、クノップフ、アンソールという世紀末象徴主義や、マグリット、デルヴォーというシュールレアリスムの分野において、美術史に残る画家を輩出している。文学では、「青い鳥」で知られる象徴派詩人メーテルリンクがベルギー人だし、あるいは、これは架空の人物だが、英国のミステリーの女王アガサ・クリスティの作り出した名探偵エルキュール・ポアロはベルギー人という設定。音楽の分野では、例えば作曲家セザール・フランクは、フランス人ではなく実はベルギー人である。あるいは、ええっと、指揮者でもいましたね。と考えて、私が「あ、そうだ。クリュイタンス」と呟くと、それを聞きとがめた家人が、「そうよ、早く処分してよ」と予想外の反応である。何かと思うと、「あの、古い箪笥のことでしょ」とのこと。あぁ、確かに、増え続ける所有物の効率的な収納のために、古い箪笥を処分しようとしていたことは事実だが、あのフランス音楽の大巨匠で、ベルリン・フィルとのベートーヴェン録音でも歴史に名を留めているアンドレ・「クリュイタンス」の名を、よりによって「古い箪笥」と聞き間違えるとは、なんと失敬な。ま、それだけベルギーという国への日本における一般的なイメージが限られているということだろう。今回私は、パリからブリュッセルに移動し、そこからさらに移動してブリュージュに 1泊、そしてブリュッセルに 3泊して、いくつかの街 (首都ブリュッセル以外は、いわゆるフランデレン地域 = オランダ語が話される地域のみだが) を訪ねる計画を立てた。いつものことで、あれこれのトラブルには見舞われたものの、なんとかそれらをいちいち解決し、トラブルを楽しむくらいの余裕をもって、ベルギー旅行を堪能した。そのうち、ブリュッセルのモネ劇場で鑑賞したモーツァルトの若き日のオペラ「ルーチョ・シッラ」については、既に現地からレポートを書いたが、たまたま滞在中の音楽イヴェントはこれだけであったので、夜はムール貝その他の料理を楽しんだのである。ベルギーのレストランは、どこに行っても本当においしく、しかも値段もパリやロンドンよりもかなりリーズナブルである。このブログはグルメブログではないので、そのパートはほとんど割愛するが、ミシュランの星つきレストランから街の食堂まで、あらゆるところで出会うことのできる食の楽しみも、この国のひとつの売りである。

さて前置きが長くなったが、私たちがこのブリュージュを訪れたのは、2017年10月29日 (日)。早朝パリからの列車移動であったが、ちょうとサマータイムが終了して時計の針を 1時間戻す日で、慣れないことなので少し戸惑いもあったし、それ以外にも移動には若干のチャレンジもあったのだが、午後早い時刻には無事現地に到着。このブリュージュという街、こんな景色に象徴される。
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ブリュージュというのはフランス語であり、英語でブルージュ、現地のフラマン語 (= オランダ語) ではブルッヘと呼ばれるこの街は、歴史地区が世界遺産に認定されており、このような水路が多いので「北方のヴェネツィア」とも呼ばれる美しい街である。もっともヴェネツイアは本当に海の上に築かれた都市であるのに対し、ここブリュージュは、15kmほど離れた北海を通じて海運を発展させるために町中に運河が築かれたもの。ブルッヘという地名も「橋」に因むものであるという。私はそもそもベルギーでは、首都ブリュッセルは何度か訪れたことがあったものの、今回訪れたほかの街はいずれも初めてなのだが、とりわけこのブリュージュにはどうしても来たいと思っていた。それは音楽ファンとしては当然で、コルンゴルトのオペラ「死の都」、そしてその原作であるジョルジュ・ローデンバックの「死の都ブリュージュ」に負うところ大である。私は随分以前に、ちくま文庫から出ている「ローデンバック集成」でこの小説を読んだが、私のような世紀末象徴主義に耽溺する人間にとっては、身震いするほど素晴らしい本なのである。
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またもちろん、この街に育ったクノップフの「見捨てられた街」も大好きなのである。これは実はパステル画であるが、なんとも淋しい風景だ。これぞまさしくブリュージュの陰鬱でありながら耽美的なイメージにぴったりなのである。
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このクノップフの作品は、この街で活躍した画家ハンス・メムリンク (1430/1440 頃 - 1494) の名前に因むハンス・メムリンク広場を描いたものであるらしいが、本来なら台座の上に乗っているはずのメムリンクの肖像彫刻を描かないことで、あるべきものがそこにないというシュールな印象を呼び起こしている。残念ながら今回の旅行では、この場所には行かなかったが、ただ、最初に訪れたのはハンス・メムリンク美術館である。これはヨーロッパでも最古の病院であるらしい、12世紀に創立された聖ヨハネ施療院の一部を利用した施設。入り口の前にはまさにメムリンク風の聖母子の彫刻が置かれている。
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中にはメムリンクの作品だけでなく、ルネサンス時代にこのフランドル地方で作られた彫刻や絵画が並んでいて素晴らしい。
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だがやはり、単独で展示されていて多くの人々がその前に佇んでいるのは、メムリンクの「聖女カタリナの神秘の結婚」である。これはこの聖ヨハネ施療院の附属教会に飾られていた三連式の祭壇画である。もちろんこの施療院の依頼によって制作され、1479年に完成している。つまりは、制作されてから 550年近くの間、ここに存在している素晴らしい絵画作品なのである。聖カタリナは 4世紀初頭に殉教した聖女。ローマ皇帝の求愛を拒んだために車にくくりつけられて転がされるという拷問を受けたが、奇跡によって車輪は大破し、最後は斬首によって処刑されたという。見事な細密描写には舌を巻く。
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またここには、やはりメムリンクの手になる「聖女ウルスラの聖遺物箱」(1489年作) もあって、これもまた、大変な見ものである。ガラスが反射して残念であるが、これは、やはり殉教者である聖ウルスラの聖遺物を収める箱で、絵画・工芸のみならず、もはや建築でもあると言ってもよい逸品だ。
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また、この美術館では同時に現代アートも展示されていて、それも新鮮で面白い。
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メムリンク美術館のすぐ向かいには聖母教会がある。13 - 15世紀の建立。
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確かに古いが、一見何の変哲もない教会に見える。だがここには素晴らしい彫刻作品が安置されているのである。入り口近くにあるこの祭壇に、ガラスケースに入っているところを見ることができる。
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そう、ミケランジェロの「聖母子像」(1501 - 04年作)。そもそもミケランジェロの彫刻をイタリア以外で見ることは、ほとんどできない (ルーヴルに「瀕死の奴隷」という作品があるが、未完成である)。だがこの聖母子像は、ブリュージュの商人が 1506年に購入したもの。制作直後からここにおられるわけである。ミケランジェロ弱冠 29歳のときに完成しており、あのヴァチカンにある有名な「ピエタ」のあとに制作したもの。「ピエタ」ほど劇的ではなく、動きの少ない作品ではあるが、こうしてクローズアップで写真を撮ったり、まじまじと見つめていると、なんとも言えない静謐な空気が、心を引き締めさせるとともに、穏やかな気分にさせてくれるのである。やはり若き日の天才のみが創り得た、超絶的な逸品というべきだろう。
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私がこの聖母子像をどうしても見たいと思ったには理由がある。それは、このブログでも 2015年11月25日付の記事で採り上げたジョージ・クルーニーの映画「ミケランジェロ・プロジェクト」(原題 : The Monument Men) である。その映画の中で、この聖母子像をナチの魔手から守ろうとして命を落とす男が描かれているが、実話に基づく映画であるから、本当にそういうことがあったのであろう。このあと訪れたゲントのファン・アイク兄弟の手になる「ゲントの祭壇画」もそうであるが、ナチという災厄がヨーロッパを覆った困難な時代を経て一級の美術品が現代に伝えられたことに、我々は感謝しなくてはならない。この旅行のあと、「ナチ略奪美術品を救え」という、モニュメントメンに関する 500ページの大部なノン・フィクションを購入したが、未だ指一本触れられていない (笑)。心してよむ時間を設けねば。
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さてこの聖母教会、見どころはこの彫刻だけではない。ブルゴーニュ公国シャルル突進王 (1433 - 1477) とその娘マリー (1457 - 1482) の柩である。父は情熱と使命感で突っ走る王であり、フランス王との戦いの中で命を落とすが、その無私の突進ぶりが後世の人たちから慕われているようで、ホイジンガの「中世の秋」にも何度も名前が登場するという。娘はハプスブルクのマクシミリアン 1世に嫁ぎ、領民から慕われたが、落馬が原因で 25歳の若さで世を去った。
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これらの柩の足元の床は、ガラス貼りになっていて地下が見えるが、これは相当古いものだ。天使のような壁画も描かれているが、柩であろうか。この教会の起源は 9世紀に遡るというから、その頃のものかもしれない。
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聖母教会を出て、次なる目的地、グルーニング美術館に向かう途中で、元気なビーグル犬と遭遇。洋の東西を問わず、この犬種は全く!! でも、やんちゃなところが可愛いね。橋から見える風景はブリュージュならではの風情あるもの。
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そして見えてきたのがグルーニング美術館。ここには初期フランドル絵画から近現代までのベルギー絵画を鑑賞することができて、見ごたえ充分だ。
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最初の方の展示は、街の歴史に関連するもの。ブリュージュが都市として発展を始めた頃の地図や、人物画の背景に描かれた、当時から物資の運搬に使われていたクレーンが興味深い。
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これは地元の画家ペーター・プルビュスの「最後の審判」(1551年作)。ホラー映画ばりの描写が私好みである (笑)。
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これは恐るべき細密画の逸品で、誰もがその場に足を停めてじっくり見ることになるであろう、ヤン・ファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」(1436年作)。フランドル絵画においては、このような細密描写は突然現れたらしい。単に細密なだけでなく、聖母子の威厳や、作品に名を残している寄進者であるファン・デル・パーレ (向かって右側に膝まづいている白い衣の人物) の人間的な表情といい、実に驚くべき傑作だ。実は、そのファン・デル・パーレの右側にいる聖ゲオルギウスの左腕の盾に、画家とおぼしき赤いターバンをかぶった人物像の反射が描かれているという。肉眼でもよく分からなかったので撮影していないが、ご興味のある方は、ネットで検索して頂くと、情報が出てきますよ。
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ヒエロニムス・ボスの「最後の審判」(1510年頃作)。ボスの真作を見るだけでも貴重な機会なのに、ガラスもなしに対面でき、写真まで撮影できる寛大さには、感謝である。ほらほら、ボスしていますよ!!
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これも非常に珍しい作品で、地元の画家ヘラルト・ダフィットによる「カンビュセスの裁判」(1498年作)。これはブリュージュ市庁舎の参事会に設置するために制作されたもの。ヘロドトスの「歴史」にある逸話で、ペルシャ王カンビュセス 2世の時代に腐敗した裁判官が処刑されるところを描いている。参事会において正しい裁きが行われるような戒めが込められているそうだが、それにしてもこの皮剥ぎの刑は、痛そうではないか。農耕民族である我々日本人には、なかなか理解できない感覚だ。
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さて、数々のベルギー絵画を堪能して外に出ると、既に日が陰っていた。でもこの空の色と、シルエットで浮かび上がった建物は、まるでマグリットのシュールな絵画のようではないか。ここベルギーの地を訪れて初めて、画家の持ち味は、彼または彼女が普段見ている光景から無意識のうちに影響を受けるのだなぁと実感した次第。
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夜になって食事に出かけた際、街でいちばん賑やかなマルクト広場をブラブラ歩いて、レストランを探した。13 - 15世紀に建てられた高さ 83mの鐘楼が美しい。
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さて、ここブリュージュではまだまだ見ていないところがある。翌日の探訪については次の記事で。

by yokohama7474 | 2018-01-01 17:25 | 美術・旅行 | Comments(2)  

Commented by 杜の伸行 at 2018-01-14 16:57 x
ベルギー芸術紀行、堪能致しました❗
ベルギーと言えば、震災後にマチルドさんが宮城に来たときは話題になりました。
NHK・BSで制作した《世界のプリンス・プリンセス物語》という番組を先週の月曜日に総合テレビで流していたので観ましたが、王女たちにもオランダ語とフランス語の両方を話せるような教育をして、国民の統合という雰囲気作りに寄与している様子が紹介されていました(年末にD君宅にお邪魔した際に、「BSの番組はBSの受信料だけで作っているんだろうね?」と聞いたら、表情を曇らせて「いや、でも、たまに総合でも流してるから」といって教えてもらったのが、この番組。プロデューサーはD君😉)。
ベルギー、行ってみたくなりました❗
Commented by yokohama7474 at 2018-01-14 21:51
> 杜の伸行さん
あ、どうも。私としても年末年始に結構頑張って書いた一連の記事なので、読んで頂いて本当にありがたいです。ベルギーの王室は、この言語問題を巡って、歴史的に大変なことになっているようで、日本のような均質な社会 (というと語弊が大いにあることは承知ですが、ヨーロッパとの比較においては均質であることは紛れもない事実と思うので) からは想像もできないほど複雑な様相を呈しています。そのあたり、D 君にも是非取り組んで頂きたいと思いますが (笑)、私は彼の作った、とある演劇のドキュメンタリーを見て胸が熱くなりましたよ。というわけで、また今年もよろしくお願いします。

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