日本パステル畫 事始め 武内鶴之助と矢崎千代二、二人の先駆者を中心に 目黒区美術館

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東京には無数の美術館があって、その館蔵品や特別展を見て回るだけでも、なかなかに大変なことであり、とても見たいものすべてを見に行くことはできない。昨年も、大人気であった「怖い絵」展や、ゴッホと日本の関わりをテーマにした展覧会には、結局足を運ぶことができなかった。だが、決して負け惜しみではなく、それらはいわば、展覧会のテーマについての情報を取得しやすいもの。限られた時間の中で私が優先度を置いている展覧会はむしろ、それを逃したらもしかしたら二度と巡り合うことがないかもしれないというものなのである。例えば昨年 10月から 11月にかけて目黒区美術館で開かれたこの展覧会などはそのような例である。題名の通り日本で制作されたパステル画の展覧会であるが、「画」の字が旧字体の「畫」になっていて、しかも「事始め」とあるので、何やら日本の初期のパステル画の展覧会であることが分かる。そう、これは、開館から 30年の間、近代日本人画家の海外留学や、彼らの使用した画材をテーマとした活動を展開してきた目黒区美術館ならではの企画で、日本における先駆的パステル画家 2人の作品を中心にした、興味深い展覧会であったのだ。

今回の展覧会では、パステル画の歴史も簡単に分かるようになっていたのだが、その源流はヨーロッパのルネサンスにおける 3色チョーク (白・茶・黒) にあるらしい。18世紀になるとフランスでパステル画が制作され、版画によって普及することとなった。例えばこれは、1769年にフランソワ・ブーシェという画家によって描かれた「フローラ」の版画。おぉ、まさにロココ以外の何物でもないし、この時代の雰囲気がよく出ているではないか。あまり上手ではないけれども(笑)。
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近代であれば、ルドンやドガがパステル画を多く残した。これはドガの「踊りの稽古場にて」(1884年頃)。いわゆるパステルカラーの風景というものではなく、人間の動きと存在感を表現するためにパステルを使用しているように見られるが、それでもパステルのおかげで柔らかい雰囲気になっているのは明らかだ。
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さてこのようなパステル画、日本でも早い時期から取り組んだ画家たちはいたらしいが、この展覧会で多くの作品が紹介されている明治生まれの 2人が、その可能性を最初に大きく切り拓いたようだ。正直なところ、そもそもパステル画は、油彩画はもちろん水彩画に比べても、少し格の落ちる表現手段と見られているようであり、これらの画家たちの活躍によっても、果たしてメジャーな絵画表現の方法と言えるのか否かは分からない。だが、これまで名前も聞いたことのなかった画家たちの熱意のこもった作品に触れて、その見事な先駆的仕事ぶりを偲ぶことには大いに意味がある。まず一人目の画家は、矢崎千代二 (1872 - 1947)。
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矢崎は横須賀に生まれ、東京美術学校で黒田清輝に師事。1904年、32歳のときにはセントルイス万博の事務に従事するために渡米。その後パリ経由で 5年後に帰国する。また、その後も世界各地でパステルによる風景画を制作し、中国で終戦を迎えたあとも北京に残って西洋画の教師として教鞭を取り、1947年、75歳で北京にて死去している。彼の作品はとにかく野外での写生によるものばかりで、それゆえにスピード感をもって作品を仕上げることができるパステルが合っていたのであろう。では彼の美しい作品のいくつかをお目にかける。「残照インドダージリン」と「ヒマラヤの朝焼け」(ともに 1920年頃)。雄大な日の光がよく描けている。
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これはパリ、セーヌ川沿いの風景で、「ノートルダム」(1922年)。
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矢崎はパリのカフェの軒先でもパステル画を描いており、20分で 1枚を仕上げる技に、パリっ子たちは大いに喜び、黒山の人だかりになったと、著書に記しているらしい。これはそのようにして描かれたであろう、「パリ風景」(制作年不詳)。淡い青に雲のかかった空もきれいだし、街行く人々の様子も洒落ている。
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これは地球の反対側、アルゼンチンの風景で、「ブエノスアイレス議事堂前」(1931年)。建物の構成感をうまく出している。
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今度は東南アジアで、インドネシアである。「バタビア」(1934年)。やはり、自然のダイナミズムを思わせる夕日と、人々のそぞろ歩きの対照が楽しい。
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もう一人のパステルの先駆者は、武内鶴之助 (1881 - 1948)。
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武内は横浜の生まれ。絵画の専門教育は受けなかったようだが、日露戦争の有名な激戦、二百三高地の戦いに参加した際も、暇を見つけて絵を描いていたという。1909年、28歳のときに、横浜正金銀行ロンドン支店に赴任した兄を頼って渡英。なんとロイヤル・アカデミーに油彩で 2度入選したらしい。帰国後はもっぱら国内で過ごしたようだ。上で見た矢崎の作品とは少し趣きが異なり、無人の風景における自然のありさまに彼の関心があったように思われる。特に雲を描いた作品が、彼の素晴らしい観察眼を如実に示していて興味深いので、以下に掲げる。「雲」(1910-12年頃)、「気にかかる空」(制作年不詳)、「風景」(1910 - 12年頃)。随分以前の黒田清輝展の記事で、やはり画家が飽かず空を眺めて描いた空の様子を何枚かご紹介したが、ここではさらに空模様の大きな変化をパステルで素早くとらえたいという画家の思いが窺われる。二百三高地の空もこんな多彩な表情であったろうか。
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これは「冬の小川」(1918年)。日本の風景だが、ちょっとクールベあたりを思わせるセンスではないか。
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この「雷鳴」(制作年不詳) は、今度は 19世紀英国の作品かと見まがうばかり。美学用語でいう Sublime (崇高) に分類してもよいのではないか。パステル画にしては手が込んでいる。
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これも雄大な風景で、「高原の雲 赤城山風景」(制作年不詳)。本当に油彩のように美しい。
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これは「伊豆福浦海岸」(制作年不詳)。パステルの特性を活かして波の動きを素早く写しているように見える。
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これは珍しく人間が入り込んだ風景画で、「漁村風景」(1906 - 1908)。これはこれで、懐かしい風景をうまく描いていると思う。
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このように、持ち味も経歴も異なる 2人の先駆的パステル画家の多くの作品を一堂に会した、見ごたえ充分の展覧会であった。会場にはまた、国産のパステルもいくつか展示されていた。矢崎千代二は海外産パステルでは欲しい色の補充がままならないことや折れやすいことなどに限界を感じ、国産パステルの必要性を強く唱えたとのことで、それによって国産パステルの研究開発が始まったという。こうして並ぶときれいですなぁ。
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画家の表現手段は様々であるが、やはり熱意と創意工夫によって、道具も発達し、絵画表現も磨かれるものであろう。今回の展覧会は、パステル画の多彩な表現力に感嘆することに加え、芸術家もそれを支える人たちも、情熱を持ち続けることが大切なのであるということを改めて実感させてくれる、貴重な機会であったのである。

by yokohama7474 | 2018-01-12 00:16 | 美術・旅行 | Comments(0)  

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