知られざるスイスの画家 オットー・ネーベル展 Bunkamura ザ・ミュージアム

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美術の分野にも人気の高いものとそうでもないものがあり、20世紀に入ってからの様々な画家たちの活動においても、○○派という分類ができる場合はそれなりに把握しやすいこともあり、人気が高いことが多い。もちろん、例えばゴッホに見られる通り、作品の様式よりも画家個人としてよく知られているようなケースもある。だがそれにしても東京は、本当に様々な画家の作品に出会うことのできる文化的な都市である。このブログで過去 2年半の間にご紹介してきたのはそのほんの一部のみであるが、それだけでも充分なヴァラエティがある。だが、美術という分野の奥深さは全く計り知れない。次から次へと未知の画家、それも現在活躍している人ではなく過去の人であるケースが多いのだが、そんな画家たちを知る機会が訪れる。これもそのひとつ。昨年渋谷の Bunkamura ザ・ミュージアムで開かれていた未知の画家の展覧会である。たまたま前々回の記事で見た日本のパステル画と、前回の記事のルオーやカンディンスキーには、創造への情熱という共通点があった。そして前回の記事と今回の記事の間には、時代とスタイルという共通点がある。主人公はオットー・ネーベルという画家であるが、上のチラシに記載ある 3人の画家のうち、カンディンスキーとクレーは、ちょうど前回の記事でもいくつも作品を見ているので、流れから言っても、この美術記事 3連発は大いに意味があるのである (クラシック音楽ファンの方、悪しからずご了承下さい)。

さて、今回初めてその名を知った画家、オットー・ネーベル (1892 - 1973) は、ベルリン生まれのドイツ人である。もともとは建築を学び、建築技師であったが、演劇学校にも通い、役者としてもデビューしようとしたが、第一次大戦に参戦したためそれは果たせず、その後バウハウスで学び、カンディンスキーやクレーの薫陶を受ける。ナチスによって退廃芸術家とされたため、1933年にスイスのベルンに亡命。その後 82歳で亡くなるまでその地で過ごした。今回の展覧会は、オットー・ネーベル財団 (ベルンにあるが、コレクションは同地のパウル・クレー・センターに寄託されている由) の所蔵になるネーベル作品を中心に、主として国内の美術館が所蔵する周辺の画家たちの作品を取り交ぜて、かなりの規模で開催された。尚、東京での期日は既に終了しているが、4/28 (土) から 6/24 (日) にかけて、京都文化博物館でも開かれるので、この記事でネーベルという画家に興味を持たれた方は、是非京都までおでかけ頂きたい。これは 1937年、45歳の頃のネーベルの肖像。
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ネーベルは年齢的にはカンディンスキーよりも 1世代下であるが、やはりバウハウスに学んだ人だけあって、その初期の作風はまさしく当時のモダニズムを体現したもので、この時代の文化に魅了されている者としては、本当に嬉しい。これは「シュトルム」という美術雑誌に掲載されたネーベルの 1925年の作品「無題」。ネーベルはその頃、詩人としても活動していた。
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ここにはもちろんカンディンスキーの影響は明瞭であるが、これは 1912年に刊行されたそのカンディンスキーの第一著作「芸術における精神的なもの」の表紙。
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それにしてもワイマール時代のドイツは、ナチス台頭までのほんの短い間だが、実に自由な文化的気風があったものと見える。その気風を代表するのがもちろんバウハウスであるが、これはバウハウス初代校長であったワルター・グロピウス (音楽ファンにとっては、あのアルマ・マーラーの再婚相手として知られる) 自身のデザインになる校長室。実にすっきりしていますなぁ。
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さてこれは、上の「シュトルム」掲載の白黒作品と同じ 1925年の、ネーベルの作品「山村」。ここにはカンディンスキー的要素もあるものの、誰しも連想するのはシャガールであろう。ご丁寧に、シャガールのシグニチャーである牛まで描かれている (笑)。シャガールはネーベルよりも 5歳上。バウハウスとは関係がないが、アポリネールの紹介で「シュトルム」の編集者であったヘルヴァルト・ヴァルデンという画商と知り合ったらしく、このヴァルデンがネーベルの初期のキャリアを支えた人であった関係で、ネーベルはシャガールの作品に親しんだという。
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これは 1927年の「アスコーナ・ロンコ」という水彩作品。これもやはりシャガール風の雰囲気があるが、私が連想したのはフランシス・ピカビアである。ダダイズムの騎手であるピカビアとネーベルの間には、やはり直接の関係はないのだろうが、ここには明らかな同時代性が感じられる。。
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これは「庭師」(1928年)。構成感は少しフェルナン・レジェを思わせるが、レジェにない毒々しさがある。
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ここで既にネーベルの色彩感覚の豊かさを実感できるのであるが、彼のスケッチブックを見てみると、線のつながりによる空間表現が目立つ。この 2点は 1933年にベルンで描かれたものだが、2つめのスケッチなどはまるで一筆書きで、微塵も迷いを感じさせない。
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ここから先のネーベルの作品は、まさに色と線との交響になっていく。これは「避難民」(1935年作)。初期の作品にあった毒々しさが消えて、クレー風の透明感が感じられる。しかも、テーマはかなり人間的な生活感のあるものであるにもかかわらずである。
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これは「夕暮れる (エロマルディ海岸)」(1930年作)。これは色彩の冒険の様相を呈していて、かたちは極めて単純化されている。
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やはりクレーを連想させる「聖母の月とともに」(1931年作)。上の暖色系と対照的な寒色系の作品である。
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いかにほかの画家と共通する要素があれども、見えるものを色と形に分解して再構成するという感性は、ネーベル独特のものであると思う。これは連作「パリのおみやげ」より (1929年作)。パリで見たどこかのカテドラルの印象なのであろうが、色鉛筆を持って喜々として空間の再構成を行うネーベルの姿を想像することができるではないか。
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これはもう少しミニマル色が濃くなった作品、「高い壁龕」(1930、1941-42年)。
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またネーベルは、カラーアトラス (色彩地図帳) なるものを作っていて、これが興味深い。昔テレビで深夜に放送終了後に見ることができたテストパターンのようなものだろうか。これはローマで目にした光景を色で再現したカラーアトラス (1931年作)。この感性は、モンドリアンからかなり近いところにあるのではないか。
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これは同じスケッチブックから、ナポリで描いたカラーアトラス (同じく 1931年作)。海の色がこのように見えたのであろう。
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このカラーアトラスを作品に投影してみるという試みが見られる。これは「トスカーナの町」(1932年)。あー、もう色と形からなる風景が分解され、個別ピースの集合体になってしまっている!! 面白い。
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点描技法を使った作品もある。こうなるとまたクレーに近くなっているとも言えるが、クレーよりももう少し、なんというか、穏健とも見える。1935年作の「地中海から (南国)」。
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これは「ムサルターヤの町 IV : 景観 B」(1937年作)。地名といい、中東の風景かと見えるが、フィレンツェで描いたものらしい。
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このあとネーベルはさらに抽象の世界に入って行く。第二次大戦の暗い影はそこには見られず、再びカンディンスキーに似たスタイルで、音楽的な喜悦感ある動きが表現されるようになる。これは 1940年作の「かなり楽しく」。その名の通り楽しいではないですか。
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これは「アニマート (生き生きと)」(1938年作)。フレンツェ滞在中の作品で、文字通り音楽用語をタイトルとしている。ええっと、縦横、間違っていませんよね (笑)。
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このようなネーベルの感性は次第に、ラテン文字導入前にゲルマン人の古い文字体系であるルーン文字への興味につながったらしい。おぉ、ルーン文字と言えば、ワーグナーの「ニーゲルングの指環」で神々の長ヴォータンが持っている槍に刻まれている文字ではないか。古代神話の神秘は一見するとネーベルの作品にふさわしくないようにも思うが、実際に作品を見てみると、現実を超えた抽象性という点で、ルーン文字の利用は面白い。これは「赤色に集う収穫のルーン文字」(1964年作)。
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ここからまた、中東とルーン文字の混合が始まる。これは「近東シリーズ」より「イスタンブール IV」(1962年作)。顕微鏡で見た微生物のようにも見えるが、青が鮮やかだ。
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ネーベルが若い頃役者を志したと上で書いたが、実は戦後、その夢を叶え、ベルンで俳優として何度も舞台に立ったらしい。そのようなことを思わせる人の姿を映した作品がいくつか展示されていた。これは「西洋のダンスの仮面」(1935年)。
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浮世絵などの日本の美術が西洋近代の芸術家たちに大きな影響を与えていることはよく知られているが、実はネーベルにもそれが見られるらしい。この「11人の子どもたちが『日本』ごっこ」は 1934年作のコラージュ。北斎漫画の影響と見られているとのことだが、私にはそういうことよりも、素朴な方法で見たことのない日本に思いを馳せるドイツ人ネーベルの柔らかい感性が好ましい。
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ほかにも多くの作品が展示されていたが、上記でもオットー・ネーベルという未知の画家について考えるヒントはそれなりにあると思う。既知の多くの画家の名前を引き合いに出したが、文化とは様々なスタイルが混淆し、影響し合って発展して行くもの。ひとりの画家のスタイルの変遷に、歴史的な流れを読み取ることは決して困難ではない。ある画家が好きか嫌いかという好みの問題はあれ、このような歴史的な流れを知ることで、また新たな何かが見えてくればよいと思うのである。

by yokohama7474 | 2018-01-14 00:28 | 美術・旅行 | Comments(0)  

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