ニューイヤーコンサート 2018 大野和士指揮 東京都交響楽団 2018年 1月14日 サントリーホール

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今年に入ってから私が体験しているコンサートは、あたかもシルヴァン・カンブルラン指揮の読売日本交響楽団と、大野和士指揮の東京都交響楽団 (通称「都響」) との一騎打ちのような様相を呈している (笑)。実はこの日とその前日は、山田和樹と日本フィルが、バーンスタイン生誕 100年記念の演奏会を開いていて、私としては相当に迷ったのであるが、いっそ上記の一騎打ちを楽しむかと思い、そちらを諦めてこの演奏会に行くことに決めたのだ。今回の大野と都響の演奏会は、ニューイヤーコンサートと銘打たれているが、日本赤十字社の献血チャリティ・コンサートでもある。かくして会場で幾ばくかの金銭を寄付した私は、いかなるニューイヤーコンサートになるのかと期待しながら、サントリーホールの席についたものである。今回の曲目は以下の通り。
 ヨハン・シュトラウス : 喜歌劇「こうもり」序曲
 ヴェルディ : 歌劇「椿姫」から「乾杯の歌」「ああ、そはかの人か」~「花から花へ」
 ビゼー : 歌劇「カルメン」から前奏曲、「恋は野の鳥」(ハバネラ)、「ジプシーの歌」
 プッチーニ : 歌劇「ラ・ボエーム」から「冷たき手を」「私の名はミミ」「愛らしい乙女よ」
 ストラヴィンスキー : バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

なるほど、前半にはオペラの序曲や超有名なアリアを並べ、後半はごく短い近代のバレエ組曲で〆るというわけである。侮れない知恵者の大野のこと、ありきたりなウィーンの猿真似のニューイヤーコンサートになるわけもない。
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このコンビの充実ぶりは既に何度もこのブログで書いてきているので、今更何を書こうかと思うくらいだが、それでもやはり、最初の「こうもり」序曲がずっしりとした音で、しかも勢いよく走り出した瞬間、やはりその充実感には圧倒される。これはいわゆるウィーン風のシュトラウスではなく、ただ新年にふさわしいフレッシュな音楽なのである。もちろんウィーンにはほかにない素晴らしい流儀があることは当然だが、かの地から遠く離れたこの東京でも、作曲者の頭の中で鳴っていたであろう音に迫るプロたちがいる。それでこそ西洋音楽は世界で演奏されるのである。喜悦感、疾走感、そして劇的な要素まですべて鳴り響いた「こうもり」序曲であった。

そして、メジャーなオペラ 3曲の中のいちばんおいしい部分を味わうこととなった。今回登場した歌手は 3人。まずはソプラノの大村博美。フランスをメインの舞台として活躍している歌手である。
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「椿姫」と「ラ・ボエーム」で彼女と組むテノールは、笛田博昭。堂々たる体躯で、イタリアで数々の入賞歴のある人だ。
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そして「カルメン」を歌うメゾ・ソプラノは脇園彩。先にやはり大野 / 都響の第九の記事でも言及した通り、名指揮者ファビオ・ルイージの指揮のもとで、メルカダンテの「フランチェスカ・ダ・リミニ」の世界初演に参加したほか、既にミラノ・スカラ座の舞台にも立っている。
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この 3人の歌はいずれも素晴らしく、聴きなれたはずのこれらの名曲に、「あぁー、やっぱりオペラはいいなぁ」と思わせてくれる出来栄えであった。特に、私は「ラ・ボエーム」には滅法弱く、今回演奏された第 1幕の後半のシーンではいつも、涙腺が緩まないように自分に気合を入れる必要があるのだが (笑)、今回もその気合がなければ、オイオイと泣いてしまったかもしれないほど感動的であった。日本人はそもそも、体格的にオペラ歌手としてはハンディがあるという事実はあると思うのだが、それでもやはり、優秀な若手は自然と世界で活躍の道を見つけるのである。世界的に見てもオペラ界では、絶対的なスターの数は減っていると思うので、優秀な若手歌手には、是非臆せず世界で活躍して欲しいものである。そして時折故郷である日本で、その成果を聴かせてくれればありがたいと思う。今回の一連の曲を聴いていて、今年 9月から新国立劇場の芸術監督に就任する大野のさらなる活躍が本当に楽しみになった。というのも、今回の歌手 3人は、大村が二期会、笛田が藤原歌劇団、脇園がフリーと様々。もちろん二期会も藤原歌劇団も充実した活動を展開しているが、国内の歌手の世界もいろいろしがらみがあって大変であると聞く。これまで海外で活躍してきた大野が芸術監督に就任することで、新国立劇場では、海外からやってくる優れた歌手たちと、日本の優れた歌手たちがさらに自由に共演できるようになればよいと思う。今回のコンサートは、ごくシンプルなオペラ抜粋であったとはいえ、実は今後の東京での活動を見据えた大野のしたたかな実験の場であったのではないだろうか。

そして休憩後の「火の鳥」は、期待通りに色彩渦巻く演奏となった。但し、今回も感じたこのコンビの課題は、弱音部の色気ではないだろうか。強い音で推進力を出す部分に比べて、ゆっくりした場所での微妙なニュアンスには、このコンビであればさらにさらに豊かな表現が可能であると思うのである。尚、今回は「美しく青きドナウ」や「ラデツキー行進曲」がアンコールで演奏されることもなく、これもいかにも大野らしくて私は好感を持った。

さて、もう一度大野のオペラについて考えてみよう。私は彼の指揮するオペラ公演やオーケストラ公演を、海外でも何度か聴いているが、ここではそのうち 2つをご紹介する。ひとつは 2007年10月20日、メトロポリタン歌劇場でのヴェルディ「アイーダ」。もうひとつは 2009年 5月 2日、リヨン歌劇場でのベルク「ルル」。いずれも忘れがたい舞台である。
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ヨーロッパの昔ながらの指揮修業のスタイルは、歌劇場での練習ピアニスト、いわゆるコルペティトールとして様々なオペラ公演の舞台裏に接することである。これには当然言葉の壁もあり、なかなかに厳しい鍛錬であろうと思うのだが、その経験は血となり肉となって、その指揮者の音楽性の根幹をなして行くものだと思う。ところが、指揮者コンクールで優勝することでキャリアを始める人が増えてくると、なかなかそのような経験に恵まれないことも多いだろう。だが幸いなことに (と言ってよいのか否か分からないが)、現代指揮界で活躍する指揮者には、コンクールではなく、たたき上げで頂点に至った人もいて、その典型はクリスティアン・ティーレマンであろう。日本人にはそのようなキャリアはかなりハードルが高いのは自明だが、大野の場合は、コンクール歴はあるが、若い頃からコルペティトールの経験もあって、それが、欧米各国でのオペラ指揮に役立っているのだと思う。音楽家として世に認められるには様々な要素があるとはいえ、これから日本で上演されるオペラの質を高めているには、大野ほどの適任者はいないだろうと思うのである。オペラとは実に厄介なもので、余談としてその一例を挙げると、今回の演奏会で一部が演奏されたオペラ、「こうもり」「椿姫」「カルメン」「ラ・ボエーム」はいずれも、超のつく有名作品ばかりであるが、これまでに活躍した一流指揮者で、この 4曲すべての録音を残した人がどのくらいいるだろう。まず、カラヤンを挙げよう。そして・・・レヴァインは、もちろんいずれも指揮しているだろうが、「こうもり」全曲の録音はあるのだろうか。ショルティは? やはり「こうもり」が欠けているのでは? アバドはそもそもプッチーニを振らなかったし、ムーティもプッチーニは「トスカ」だけのはずで、「カルメン」も「こうもり」も、きっと振っていないのではないか。小澤が「椿姫」を指揮したとは、少なくとも近年は聞いたことがない。マゼールですら、この 4作の録音は揃わないし、メータもしかり。以上は私が今の理解の中で書いているので、調べれば間違いもあるかもしれないが、いずれにせよ、この 4作品の録音を残したメジャー指揮者として、カラヤン以外は思いつかない・・・と思っていたら、もうひとりいた。自分の気に入った作品しか指揮しない、極めてレパートリーの狭い指揮者で、よく本番直前に緊張のあまり (?) キャンセルすることが多かった変わり者の指揮者。そう、カルロス・クライバーである。なるほど、それなりにクラシック音楽の録音・録画が頻繁になされてきた時代でも、この超メジャー作品すべてを記録として残すには、世界楽壇の帝王か、孤高の天才指揮者でなければならなかったわけだ (笑)。オペラの面白さや奥深さは、こういうところにもあると思うので、是非マエストロ大野には、そのようなオペラの尽きせぬ面白さ・奥深さを、東京の聴衆に存分に表現して欲しいと思う次第である。

by yokohama7474 | 2018-01-15 00:24 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

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