シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : イザベル・ファウスト) 2018年 1月19日 サントリーホール

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年始から聴いてきたシルヴァン・カンブルランと彼の手兵、読売日本交響楽団 (通称「読響」) の 3種目の演目である。このコンサート、何やらかなりの人気で、早々にチケットは売り切れ。以前も書いたことがあるが、読響はまず上のような地味なチラシを作成したあと、ちょっと凝ったさらにカラフルなチラシを用意するのが通例だが、このコンサートに限っては、上のような、写真以外はモノクロのパターンしか見かけることがなかった。恐らくはフルカラー版を印刷する前に完売になってしまったものであろう。会場であったサントリーホールの入り口にも、やはりモノトーンのポスターが貼られていた。私には、なぜにこのコンサートがそんなに高い人気であったのかはもうひとつ理解できないが、チラシにある通り、「ドイツ 3大 B」が効いたのであろうか。曲目は以下の通り。
 ブラームス : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77 (ヴァイオリン : イザベル・ファウスト)
 バッハ (マーラー編) : 管弦楽組曲から第 2、3、4曲
 ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67

なるほど。生年順に、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスがドイツ 3大 B であり、ここではこの 3人の作品が演奏される。今月のカンブルランと読響のこれまでの 2つのプログラムでは、まずは凝った組み合わせのニューイヤーコンサート、ブリテンと現代音楽の日本初演にブルックナーと来て、最後にドイツ 3大 B というオーソドックスなものに行き着いたわけである。指揮者とオケの実力が試されるプログラム。
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だが私が今回のコンサートでまずに称賛を捧げたいのは、ブラームスのコンチェルトを弾いた 1972年ドイツ生まれのヴァイオリニスト、イザベル・ファウストである。
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このブログでは以前、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のバックによるベートーヴェンのコンチェルトを採り上げ、そこでも、知的でありながら澄んだ音色による強い表現力のある彼女のヴァイオリンを絶賛したのだが、期待通りに今回のブラームスも実に素晴らしい演奏。この曲の冒頭は、朝焼けのような広がりのある音楽からすぐに情熱的に盛り上がり、そしてソロ・ヴァイオリンの登場となるわけだが、最初からおやっと思うほどの快速テンポで進んで行ったファウストのソロはしかし、古楽器風の響きはあるにせよ、理屈っぽかったり、線の細いものではなく、かといってがむしゃらに激性を強調するタイプのものでもなく、音の流れは極めて自然であり、聴いているうちに、そこに込められた無限のニュアンスにどんどん魅せられて行ったのである。推進力は強く、いわば曲がった道のりでも臆することなく信念を持って着実に進んで行くような音楽には、思い切りと爽快さがあり、思わず身を乗り出して聴き入ってしまうほどのものであった。これは、ただ技術だけでも、美意識だけでも達成できない高度な音楽であると思う。面白かったのはカデンツァで、始まった瞬間に、「あ、これは聴いたことのないものだな」と思うと、ティンパニが入ったのである。ヴァイオリン協奏曲でティンパニ入りのカデンツァというと、ベートーヴェンでは聴いたことがある。実際にこのファウストが一昨年弾いたベートーヴェンのコンチェルトがそうであった。だがブラームスでティンパニ入りとは、聴いた記憶がない。そう思っていると、なんとそこに今度は低弦が入り、徐々に高音のセクションに広がって行き、その音色にはちょっと不思議な浮遊感が漂った。カンブルランは、このカデンツァだけ別の譜面を見ながら指揮していた。帰宅して調べたところ、どうやらこれはブゾーニによるものらしく、ファウストは既にダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラと 2010年に録音している。
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そのような圧倒的な演奏のあとでアンコールとして彼女が弾いたのは、ありきたりのバッハの無伴奏ではなく、何やら音で細い線を何本か描くような、シンプルで短い曲。もちろん古典ではなく現代音楽だと思ったが、これはジェルジ・クルタークの「サイン、ゲームとメッセージ」から「ドロローソ」という曲であったらしい。クルタークはハンガリーの作曲家であり、私もそれなりにイメージは持っている人だが、この曲は知らなかった。調べてみると、何種類か全曲の録音もあるようだ。まだまだ知らない曲は無限ですなぁ。ところでこのクルターク、1926年生まれで、91歳の今も健在なのである。
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休憩のあとに演奏されたのは、バッハの管弦楽組曲の第 2番と第 3番から、マーラーがおいしいところだけを選んで編曲したもの。但し、全 4曲のところ、演奏時間の関係だろうか、第 1曲を除く 3曲のみの演奏であった。この曲の存在を私が初めて知ったのは、1984年。小澤征爾指揮新日本フィルの演奏会においてであった。そのときはルドルフ・ゼルキンの来日が中止になって急遽曲目が変更されたのであったが、全く予備知識なしに会場に行って、「へぇー、マーラーがこんな編曲をしているのか」と驚いたことをよく覚えている。その後、ヘスス・ロペス=コボス指揮ベルリン放送響 (当時) による 1975年の世界初録音 (以前採り上げたことのある、マーラーの交響詩「葬礼」とのカップリング) を入手し、よく聴いていたものだ。今回のカンブルランと読響の演奏は、その当時の感覚よりもバロック音楽の特性に近い響きになっていたとは思うものの、ただ清冽なだけではなくニュアンス豊かな演奏であったので、安心して聴くことができた。

そしてメインのベートーヴェン 5番も、カンブルランと読響ならこうなるだろうという予想通りの演奏。テンポは速く、タメはほとんどないが、個々のパートをよく鳴らすことで、純音楽的な仕上がりになっていたと思う。特に両端楽章では畳み込むような音楽を特徴とするこの曲では、この方法は説得力があり、私自身としては、これが必ずしも最高のベートーヴェンとは思わないものの、聴いていて充実感を感じたことは間違いない。現代におけるベートーヴェン演奏は試行錯誤の連続であるが、とにかく疾走感のある演奏に出会えば、かなり楽しめることが多い。もちろん、時にはもっとズッシリとした目のつんだ音 (昔、楽員が全員男性であった頃の読響の響きとして覚えているのは、そのような音だ) が鳴って欲しいと思うこともある。だが、とりわけこの常任指揮者との組み合わせであれば、このスタイルでどんどん駆け抜けて行って欲しいものだ。その意味では、欲張りなようだが、演奏の多様性という観点からは、分厚い音を持つベテラン指揮者がもう少し頻繁にこのオケの指揮台に立つと、もっと面白いのになぁなどと、勝手なことをつらつら考えていた。

ともあれ、今回カンブルランが振った 3つのプログラムをすべて聴くことができて、大変に幸運であった。カンブルランはまたすぐ、4月に再来日予定で、いよいよ読響常任指揮者として最後のシーズンに臨む。ベートーヴェンの、今度は 7番を採り上げるほか、クラリネットの名手ポール・メイエとのモーツァルトやドビュッシーに「春の祭典」、そして、アイヴズの「ニューイングランドの 3つの場所」とマーラー 9番という、またまた聴き逃せない曲目が目白押しなのである。そのうちいくつ聴くことができるか現時点では不明だが、カレンダーを睨みつつ、できるだけ頑張りたい。

by yokohama7474 | 2018-01-20 00:58 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

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