クレメラータ・バルティカ (ヴァイオリン : ギドン・クレーメル / ピアノ : リュカ・ドゥバルグ) 2018年 2月14日 サントリーホール

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バルト三国のひとつ、ラトヴィア出身のヴァイオリニスト、もうすぐ 71歳になるギドン・クレーメルは、言うまでもなく、しばしば「巨匠」よりも「鬼才」と称される偉大なる演奏家である。このブログでも確か過去に 2度、彼の演奏を記事にしたことがあり、そのうちひとつは協奏曲、もうひとつはピアニストとのデュオ・コンサートであった。ここで私のクレーメル体験を滔々と語る気はないが、もちろんその活動には常に注目をしてきているヴァイオリニストである。多分私にとっては、世界のどのヴァイオリニストよりもその動向が気になる人と言ってもよいかもしれない。というのも、彼は通常のレパートリーを繰り返し演奏するのをよしとせず、常に新たなレパートリーの開拓に熱心であって、しかもその際、決して大衆性を忘れた高踏的な音楽に走ることもない。いわゆる一般的なクラシックのレパートリー以外の録音が大変多いのもその証左といえ、21世紀のヴァイオリニストたるや、一体どのような活動を行えばよいのかという点について、これほど刺激的な答えをくれる人もいないのである。今回は、彼が 1997年に設立した室内オーケストラである、クレメラータ・バルティカとの共演である。
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この室内オケの名前の前半は、もちろん「クレーメル」に因むもの、後半は「バルティック」である。つまり、バルト三国、エストニア・ラトヴィア・リトアニアの若者たちを集めて結成されたことによる。クレーメル自身がラトヴィア出身であるから、これは、ロシアでもない、スカンディナヴィアでもない、バルト三国の音楽文化を世界に伝えることをその使命としている。いや、そんな堅苦しい表現はやめよう。バルト三国出身の大変腕のよい若者たちが、古典から現代作品までを楽しんで演奏する団体、それがクレメラータ・バルティカと言ってしまおう。というのも、私自身、クレーメルとクレメラータ・バルティカの演奏を、数々の CD と実演でこれまで何度も楽しんできたからである。実は今回の来日公演は、この三国の独立 100周年を記念するものでもある。100周年? ということはつまり、独立は 1918年。第一次世界大戦中であり、ロシア革命の 1年後だ。激動の歴史を辿ってきた三国にはしかし、音楽という文化の共通項があるがゆえに、このような室内オケの活動が継続できるのであろう。会場にはこのように、民族衣装を来た現地の方々が、バルト三国の観光パンフレットを薦めていた。この地域には私は行ったことがないので、いつの日か訪問を具体化させるべく、パンフレットをいくつも頂いてきた。また会場には、各国の日本各地の名誉領事の方からの花輪なども飾られ、なかなか華やかな雰囲気だ。
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ただ、会場に入って気づいたことには、ステージ裏の、いわゆる P ブロックには聴衆が入っていない。これは若干奇異な感じがしたのだが、そのうちに理由が判明した。会場に到着したときから気づいていたが、今回は VIP がおいでになるようだ。通常、コンサートホールでのこのような警備の対象は皇族だが、案の定、関係者の人たちの会話の中に「皇太子さま」という言葉が聞き取れたので、そうだろうと思ったのだが、それにしても、普段皇族の方がおいでになるコンサートでは、RB ブロックが使われるので、P ブロックを空けておくことはない。だが、コンサート開始前、楽員たちがステージに現れるより先に会場から拍手が起こり、人々が立ち上がったと思ったら、なんと皇太子ご夫妻は、2階のセンターブロックに登場され、その 1列目に着席されたのだ。これは意外。東京文化会館では 2階センターが皇族の方たちの席であるのは何度も見ているが、サントリーホールでは初めてである。なるほど、そうすると、ちょうど真正面に当たる P ブロックに客を入れることには保安上の理由があるということなのだろう。そして、皇太子夫妻に拍手をした私はそのとき、客席にもうひとり興味深い人物がいることに気がついた。それは、NHK 交響楽団首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。彼はちょうど 1ヶ月以上に亘る N 響との共演のために東京滞在中であるのだ。以前、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンのブルックナー連続演奏会に姿を見せていた彼のことに触れたことがあるが、このクレメラータ・バルティカの演奏会に足を運ぶとは面白い。それは、世界トップクラスの指揮者が東京の音楽文化を楽しんでいるということであるし、また、バルト三国のひとつであるエストニア出身の彼にとって、やはりこのオケの活動は気になるものであるからだろう。

そんなわけで、前置きがまた長くなっているが、曲目を紹介しよう。
 ベートーヴェン (マーラー編) : 弦楽四重奏曲第 11番ヘ短調作品95「セリオーソ」
 モーツァルト : ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216 (ヴァイオリン : ギドン・クレーメル)
 モーツァルト : ピアノ協奏曲第 12番イ長調K.414 (ピアノ : リュカ・ドゥバルグ)
 モーツァルト : セレナーデ第 6番ニ長調「セレナータ・ノットゥルナ」K.239

おっとこれはどうしたことか。かなり大胆な曲目で知られるクレーメルとクレメラータ・バルティカが、ベートーヴェンとモーツァルトというウィーン古典派だけのプログラムで演奏会を開く。なんとも意外ではないか。実際のところ、いやさすがにクレーメル。一筋縄ではいかない、でも大変楽しめるコンサートになったのである。
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まず今回のオーケストラ編成であるが、基本的に第 1ヴァイオリン、第 2ヴァイオリン各 6、ヴィオラ、チェロ各 4、コントラバス 2というもの。そこに、最初の「セリオーソ」以外は、オーボエとホルン、そしてティンパニが入る場合があるが、実はヴァイオリン協奏曲で入るフルート 2本は、いずれも若い日本人女性であった。彼女らはどう見てもバルト三国出身ではないだろうから (笑)、日本公演でのエキストラということだろう。まず最初の「セリオーソ」は、ベートーヴェンの中期の弦楽四重奏曲で、演奏時間も 20分程度と手頃。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の弦楽合奏版といえば、トスカニーニがレパートリーにしていた 16番や、プレヴィンが録音している 14番があり、この 2曲はまたバーンスタインも、ウィーン・フィルと絶美の録音を残している。だが、11番の弦楽合奏版とは聴いたことがない。この曲の題名「セリオーソ」とはシリアス、つまりは「厳粛な」という意味であるが、4つの楽章にはいずれも厳粛な要素がある。解説を読むと、当時 40歳で独身のベートーヴェンが 18歳の少女に恋をしたことが作曲の背景があるらしく、恋愛感情を言い訳がましく (?) 厳粛な音楽に託すあたりにこの作曲家の不器用さと、意外な可愛らしさを感じるが、音楽を鑑賞する際にはそんなことを忘れてよいだろう。あの、やはりシリアスな作曲家であったマーラーの編曲という点も面白い。クレメラータ・バルティカは今回、クレーメルの参加なし、指揮者なしでこの曲を演奏したが、決してシリアスになりすぎない洗練された演奏であったと思う。

2曲目にはクレーメルが登場、モーツァルトの 3番のコンチェルトを弾いた。彼は随分以前にニコラウス・アーノンクール指揮のウィーン・フィルと、また最近はこのクレメラータ・バルティカと、モーツァルトの 5曲のコンチェルトをすべて録音しているが、今回はきっちり譜面を見ながらの演奏だ。ここでのクレーメルはまさにクレーメルらしいとしか言いようのない演奏を聴かせてくれた。つまり、わざと情緒的な演奏、あるいはテクニックに依拠した美麗な演奏を封じ込め、喩えてみれば、宙に漂う音の糸を器用に操るようなモーツァルトではなかったか。古典を演奏してこんな変化球を多用する人は、ちょっとほかにいないだろう。それでいて、作為的であったり衒学的であったりすることもなく、きっちりモーツァルトを聴かせてくれるのだから、やはり大したものである。余人には真似のできない高度な演奏と言えるのではないか。

後半にソロ・ピアニストとして登場したのは、リュカ・ドゥバルグ。1990年生まれのフランス人で、未だ 27歳。
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2016年10月に行われた彼とクレーメルのデュオ・リサイタルの様子はこのブログでもレポートしたが、このドゥバルグは、もちろん幼時からピアノをやっていて、数々のコンクール歴もあるとはいえ、ある時期はピアノを弾かずにインターネットで膨大なピアノ音楽を聴いていたというユニークな人で、とかく練習練習という音楽界の鉄則から外れる発想の持ち主であるようだ。今回のモーツァルトでは、気負いも衒いもない、大変自然体で自由な音楽を聴かせてくれ、さすがであった。これは、クレーメルとスタイルは異なるものの、やはり誰もが真似しうる音楽ではない点で、2人の間には共通するものがある。12番という、モーツァルト円熟期の前の素朴な作品であったが、今日はこう弾くけど、明日はまた違った弾き方をするかもね、と言わんばかりの、ある種の即興性すら感じる演奏であり、耳が洗われるような気がしたものだ。アンコールのスカラッティのソナタ ニ長調K.491 も、華麗になりすぎないが透明感のある音楽であった。このピアニストには、このまま自由な演奏活動を続けて欲しいものである。

そして最後の「セレナータ・ノットゥルナ」には実は仕掛けが一杯で、古典プログラムの最後に、これは一本取られた!! という印象である。この曲は、弦楽合奏 + ティンパニと、弦楽四重奏 (但し、チェロの代わりにコントラバスが入る) とに分かれて演奏するが、かなり目立つソロを弾く第 1ヴァイオリンはクレメラータ・バルティカのコンサートマスターが担当し、クレーメルは第 2ヴァイオリン。演奏は、ここでも美麗を極めるというよりも、その時点その時点で鳴っている音の愉悦感に依拠したようなもの。いわゆるオーソドックスなスタイルとは微妙に違うかもと思いながら、確たる違和感は、ティンパニが最初の方で、バチではなくなんというのか、ポピュラー音楽のドラムで使うような金属でできたハケのようなものを使っていたことくらいだった。だが、終楽章のロンドには驚きが待っていた。まず途中でコントラバスが突然激しくゴシゴシやったかと思うと、なんと、「上を向いて歩こう」を演奏しだしたのだ!! その後、ヴィオラは「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を転調したような音楽 (?) を演奏し、ティンパニはまさにドラムさながらの見せ場を作り、ヴァイオリン 2丁は同時にキュンキュン唸ったかと思うと、クレーメルがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第 1楽章のメインテーマに入るあたりを纏綿と弾く。いわばカデンツァというか、むしろバンドでそれぞれの楽器の見せ場を作るような雰囲気で、これは楽しいことこの上ない。やはりクレーメル、ただ古典を弾いて満足する人ではなかったが、聴いている方が楽しめる演奏であったことが、彼の真に非凡なところであろう。

そしてアンコールの最初は、オケだけの演奏で、その前に一部が聴かれたかと思ったモーツァルトの有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の第 1楽章かと思いきや、1フレーズ終わったところでおっとどっこい、全く違うメロディに。その後は、原曲と、全く違う曲 (フォスターの歌曲風であったり、楽員が足を踏み鳴らしてのバグパイプ風音楽であったり、果ては「蛍の光」まで) とが交互に進んで行き、これまた人を食った曲の、楽し気でかつ、まじめな (?) 演奏であった。サントリーホールの表示によると、これはテディ・ボー博士の「Mc Mozart Eine Kleine Bright Moonlight Nicht Music」という曲である由。この曲の詳細は不明だが、私が思い出したのは、P・D・Q・バッハの「Eine Kleine Nicht Musik」である。これ、いわゆるパロディというか、冗談音楽であり、私は高校生の頃に FM で知って爆笑し、その後アナログレコードで何枚かのアルバムを愛聴したものだが、今でも CD で手に入るのだろうか。もしクラシックファンでこの音楽をご存じない方、あるいは今回の演奏会でこのアンコールを楽しんだ方、大変お薦めです。P・D・Q・バッハという怪しげなキャラクターの正体は、ピーター・シッケレという教授であり、私は 10年ほど前にニューヨークで、この人の冗談音楽の生演奏を聴いたことがあるが、未だ健在なのだろうか。まさかクレーメルの演奏会で、この人を思い出すことになろうとは (笑)。
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そしてクレーメルが登場、以下の 2曲を、追加のアンコールとしてオケとともに演奏した。
 梅林茂:夢二のテーマ
 ヴァインベルク:ボニファチオの休日

おお、この「夢二のテーマ」は、鈴木清順監督、沢田研二主演の映画「夢二」(1991年) のテーマ曲であるようだ。音楽はあまり覚えていなかったが、私としても結構好きな映画だったので、なんとも懐かしい。そして最後は、ショスタコーヴィチの軽音楽風の非常に楽しい曲だったが、まさかクレーメルが最近精力的に採り上げているヴァインベルクであったとは!! 恐れ入りました。

このように、相変わらずクレーメルのアイデアとドゥバルグの詩情、そしてクレメラータ・バルティカの水際立った技術が相まって、なんとも音楽の楽しさ一杯のコンサートとなった。皇太子ご夫妻も、きっと楽しまれたことでしょう!!

by yokohama7474 | 2018-02-15 01:04 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

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