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このブログの最初に、六本木の国立新美術館で開催されたルーヴル展を取り上げ、その際に、同じ美術館で開かれているマグリット展に言及したが、はっと気づくと、明日が最終日。まあしょうがない。でかけるとするか。

実は私の中ではマグリットという画家への評価が既にできていて、それは、「わざわざ本物を見ずとも、画集で見ていれば充分」というものであった。それは、以前日本で開かれたこの画家の展覧会に出掛け、あれこれの作品を見て抱いた感想だった。ついこの間と思っていたその展覧会は・・・調べてみると、なんと 1988年!! えぇー、あれからもう 27年も経っているのか!! にわかには信じがたい。その後、2002年にも Bunkamura でマグリット展が開かれたようであるが、どうやらそのような整理のもとで、足を運ばなかったらしい。

そんなわけで、今回は半ば義務感に駆られて出掛けたわけであるが、現地にたどり着いて、まずチケット売り場の長蛇の列に驚愕。
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これは、チケット売り場から一本の列では足らず、折り返している情景だ。おそるべし。また、展覧会のグッズショップも押すな押すなの大混雑。私の長い美術館通いでも記憶のない、買い物客の列が売り場に収まらず、廊下にまではみ出しているという状況が現出していた。

さて、マグリットの何が、こんなにも人々の興味を惹くのであろうか。それは、もっぱら具象的なイメージを使いながら、意外なもののの組み合わせで、現実性と夢幻性を軽々と越境する点にあろうか。今回出展されている中では、「白紙委任状」「光の帝国 II」という作品が非常にポピュラーである。
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また、今回出展されておらずとも、最も有名なマグリットのイメージとして、あえて「大いなる戦い」を挙げておこう。
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手っ取り早く言ってしまおう。今回の展覧会は大変楽しく、また、本物のマグリットを堪能する大いなる戦い、もとい大いなる歓びに我を忘れたことを。

彼の生まれは1898年。生国のベルギーでは、例えばクノップフのような、これぞまさに象徴主義 (サンボリズム) という芸術が一世を風靡していた頃だ。それを思うと、両大戦間には彼は 20~30代という若い時期に当たることを理解できる。その頃彼は、未来派風の作品を描いたり、あるいはモダニズムを絵に描いたような雑誌のイラストを発表していた。これは、ある意味で意外なような、らしいような・・・。
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そこから試行錯誤を経て自らのスタイルを獲得していくわけであるが、例えば同じシュールレアリストでも、ダリなら天才的素描力が明確にあるわけだが、マグリットの場合、看板画さながらのベタ塗りで、苦労してデッサンを積み重ねている気配が全く感じられない。これが、私がもともと、マグリットの絵は写真を見ていれば充分と思った根拠であった。

ところが今回、幾つかの作品が、その絶妙な美で私の心を打ったのだ。例えば、晩年、1962年の作、「ヨーゼフ・ファン・デル・エルスト男爵と娘の肖像」はどうだろう。この空は見慣れた彼の空だが、近づいてみるとその表現の繊細なこと。また、人物像も、あたかも米国のスーパーリアリズムのように無機的でありながら、巧まずしてその人物の生を浮かび上がらせている。傑作と呼ぶべきだろう。
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あるいは、「ガラスの鍵」はどうだろう。さて、この大きな石は浮いているのか、あるいは奥の山の上に乗っているのか。
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この絵を見て私の横でカップルが、かけあい漫才さながら、「浮いてる」「乗ってる」「浮いてる」「乗ってる」と議論していたが、その議論はまさに作品の根幹にかかわるのだ。作者の言葉を聞いてみよう。

QUOTE
正確な思考は、「ガラスの鍵」という作品に、山の上に置かれた岩を見るように強いるのです。空中浮遊も、「不動の」雪崩も関係ありません。そう呼びたければ、空中浮遊がないというわけではありません。地球が、山の上の岩も含めて、地上にあるすべてのものとともに、空虚の中に浮かんでいると考えるならば。私の意図は、ひとつの岩のイメージを描くことにありました。ひとつの岩が、ある山の上に置かれている光景が、どこからともなく心に浮かんだのです。
UNQUOTE

このような言葉は、山の情景が「シュールなまでにリアル」に描かれていなければ説得力を持たない。その点、この作品はその要請をクリアしており、託された意味がどうであれ、文句なしに美しい。そういえば今回の展覧会には、作者の言葉があれこれ紹介されていて興味深かった。通常このようなシュールの作家は、あまり解題をしないものかと思うが、意外にもマグリットは饒舌だ。もっとも、だからと言って作者の饒舌を観客が充分理解できかと言えば、別問題なのであるが。さらに言えば、本当に「理解」が必要かということにもなるわけであるが。

さて、今回の展覧会での新たな発見は、生涯スタイルを一貫したかに見えるマグリットも、何度か特殊な作風に転じていることだ。明るく優しい画風の「ルノワールの時代」(1943-47)、マンガのような筆致の「雌牛 (ヴァージュ) の時代」(フォーヴ = 野獣のパロディ、1947-48) がそれだ。いずれも不評で短期で終わったようであるが、時期に鑑みて戦争に対する反応であったと思われる。以下、1946年の「不思議の国のアリス」と、1948年の「絵画の中身」。マグリットの作品とは、ちょっと信じられません。
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それからこの展覧会には、さらに珍しいものが展示されていた。マグリット自身が使用していたイーゼルだ。そこに架かっているのはなんと、未完成の作品だ。デッサンを見ることが極端に少ないこの画家の、線でまず作品を手探りする過程が生々しく見える、稀有な例ではないか。不気味なまでの静謐がそこに感じられよう。
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まあそんなわけで、私にとっては「マグリット再発見」となる展覧会で、会場の混雑も全く苦にはならなかった。今回、1988年の展覧会のカタログも再度見てみたが、実は上記の「不思議の国のアリス」も「絵画の中身」も、そのときに既に展示されていたことが判明。そのような作品のユニークさに気づいていなかった自分への不信にとらわれるとともに、このような機会が繰り返し訪れる東京という街の懐の深さにも、改めて思うところがあった。

by yokohama7474 | 2015-06-28 00:32 | 美術・旅行 | Comments(2)

パリに出張する機会があり、少し時間が余ったので、打ち合わせをすることにした。打ち合わせ相手は、「西洋文明」。いつもながらに手ごわい相手ではあるが、相手の手の内もそれなりに理解しており、いわば宿敵というところか。1990年に初めて訪れて以来、出張で観光で幾度となく訪れてきたこの街で、また新たな体験が増えることとなった。

最初に言ってしまうと、パリは文句なしに世界でいちばん美しい街。よく設計され、よく保存されている。もちろん、この街の歴史に思いを馳せるとき、そのような単純な賛辞は、文字通り浮ついたものになってしまうのであって、表通りの美しさと並んで、裏通りの汚さに、この街の真の生きる力を見る思いである。今回訪れたのは、もちろんルーヴルでもオルセーでもオランジュリーでもロダン美術館でもない。以下の 4ヶ所だ。

ヘンリー・ダーガー展 (パリ市立近代美術館 / Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris )
クリュニー美術館
パンテオン
サン・シュルピス教会

さて、パリの美術館など、とっくに見尽くしてしまったと思っていた私であるが、実は、パリ市立近代美術館には未だ行ったことがなかった。今回は、街中で見かけたヘンリー・e0345320_23494300.jpgダーガー展のポスターが、行ってみたいと思った直接のきっかけであったが、行ってみるとこれが、1937年のパリ万博 (同地での 7回目の万博) の際に建てられた一連の建物のひとつ (エッフェル塔に対面する丘の上に立つシャイヨ宮もそうだ)。ギリシャ神話をイメージしたアールデコの建物で、時代の雰囲気をよく持っている。ただ、訪れる人もあまりいないのか、痛みや落書きなどの汚れが目立っている。惜しいことだ。

ヘンリー・ダーガーである。日本でも既に何度か展覧会も開かれており、本も出ているが、米国シカゴに住んでいた自閉症のオジサン (1892 - 1973)で、死後に発見された夥しい絵画 (長大なストーリーの挿絵) が、「非現実の王国にて」と名付けられ、アウトサイダーアートの代表例として知られている。私はもともとアウトサイダーアートには興味があり、日本でのヘンリー・ダーガー展にも足を運んでいるし、ローザンヌにあるアール・ブリュット美術館や、フランスのシュヴァルの理想宮にも行ったことがある。筋金入りのアウトサイダーアート好きだ。もちろん、そのようなレッテルとは関係なく、ヘンリー・ダーガーの閉ざされた精神の作り出した迷宮世界を楽しめばよい。本能的な恐怖とともに、どこか甘美で穏やかな気持ちを覚えるのは、どうしたわけだろうか。
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尚、この美術館に到着して気づいたことには、ラウル・デュフィの大作壁画が存在するのだ。やはり 1937年の万博のときに描かれた、「電気の精」があるのだ。昨年日本で開かれたデュフィ展には、その下絵がいくつか含まれていて、本物を見たいと思っていたので、ここで対面できて、狂気乱舞。高さ 10m、幅 60m という超大作で、人類の歴史の中で電気がいかに発見され、利用されるようになったかを示すべく、古今の科学者・思想家の肖像画が並び、最後にはオーケストラと合唱による壮大なオラトリオが電波に乗って世界に発信されるのであるが、面白いのは、中央に見えるのが、ジュピターらのギリシャ神話の神々が見守る近代の発電所なのだ。ここでは、デュフィ独特の鮮やかな筆致と色彩によって神話と科学が混然となり、見る者を圧倒する、というよりも、なんとも言い難い高揚感を与えるのだ。ここでしか見ることのできない、素晴らしい作品だ。ただそれにしても、ひとつ気になるのは、1937年時点でこれだけの高揚感が表現されている一方、当時既にドイツではヒットラーが政権の座につき、再軍備宣言もなされていたわけで、2年後には第二次世界大戦勃発、その翌年には早々にパリは陥落してしまうのだ。当時この壁画を見た人たちの本当の思いは、いかなるものであったのだろうか。
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この美術館にはほかにも、マチスの「ダンス」の大壁画もあり、また、ピカソやブラックやドローネーやレジェ、また、エコール・ド・パリの画家たちからダダ、シュール、フルクサスまで、バラエティに富んだ作品が目白押しで、見ごたえ充分だ。

その後、中世美術で知られるクリュニー美術館へ。3回目の訪問となるが、近年改修がなされていて、清潔でありながら、元修道院という神秘的雰囲気が満点である。写真は、トートルダム寺院のファサードに飾られていた彫刻群。また今回、ドイツの木彫りの宗教彫刻の特別展示があり、なんとも美しかった。
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この美術館の目玉はいわずとしれた、フランスの至宝と呼ばれる「美女と一角獣」の連作タペストリーだ。一昨年日本にも来て、よく鑑賞できる素晴らしい展示がなされたので、じっくり堪能したが、ここではさらに狭い空間で、ガラスの覆いもなく、まさに中世にタイムスリップだ。パリの美術館でよく見かけるように、小さな子供たちのグループが作品の前に車座になって先生の話を聴き、また質問に積極的に答えているのを見て、フランス人の文化度に改めて感嘆した次第。
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次に向かったのは、パンテオン。もともと教会だが、19世紀になって、フランスに貢献した人々の墓所となった。現在丸屋根の修理中で、なにやら戦時中の対独レジスタンスの活動家 4名の特集展示をやっていた。この 4名、墓所に棺が安置されているのを見たが、帰国して調べると、なんと、つい 1ヶ月ほど前、2015年 5月27日にパンテオンに移葬されたe0345320_01133980.jpgとのこと。しかも一人はシャルル・ドゴールの姪である由。戦後 70年を記念してのことだろうか。オランド大統領は式典で、「歴史は振り返るためにではなく前に進めるためにある」と演説したとか。戦争の整理がつかず混迷を深めるわがアジアの状況とは、なんという違いだろう。

また、このパンテオンでは、美術面では、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画が見逃せない。この画家の展覧会も、去年だったか日本で開かれていて、その象徴派風の繊細な筆致が、世紀末美術をこよなく愛する私には涙ものだったのであるが、ここパンテオンでは、明らかに当時のアカデミズムを反映したほかの壁画とは全く異なり、詩情漂う素晴らしいものであった。


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さらに、私が初めてここに来た 25年前に驚愕したものに再会できた。それは地下の墓所にある、思想家ジャン・ジャック・ルソーの墓である。ご覧の通り、木の棺の側面に、彫刻で扉が作られており、そこから松明を持った手がにゅっと飛び出しているのである。これは、死後も世界の啓蒙 (Enlightenment) を続けるという意味であろうが、死後の穏やかな眠りを是とする日本人には、なんとも理解しがたい発想だ。











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ところで、このパンテオン、思想家や学者や軍人や作家は葬られているものの、画家も音楽家も見当たらないようだ。何か理由があるのだろうか。

さて、西洋文明との打ち合わせも、ここまで来るとかなり煮詰まってきて、もう足がガクガクだ。最後に、サン・シュルピス教会に詣でて、私のお気に入りである、ドラクロワの壁画「天使とヤコブの戦い」を見て終わりとした。絵は相変わらず迫力あるものであったが、少し痛みが出ているらしく、一部に布のようなものが貼ってある。また、保存のために寄付を募る看板が出ていて、教会の環境で美術品を保存する難しさを考えることとなった。

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また、この教会は一時、「ダ・ヴィンチ・コード」で有名になった。18世紀に堂内に建てられたというオベリスクの真ん中の線は、実際に子午線を刻んだ日時計だが、確かここに謎の鍵を握るものが埋められているという設定だった (今、手元にある本を開いて確認すると、キー・ストーンと呼ばれる板を、シラスという怪しげな修道僧がここの床から掘り出すという設定でした)。この小説が流行っている頃にこの教会に来たことがあるが、その頃には、「ここは異教徒の聖地であったことはなく、この日時計には何も埋まっていません」というような趣旨を記載したチラシが、日本語を含む数か国語で書かれて置いてあったのを覚えている。さすがに今回はそれはなく、ただひっそりと佇んでいるオベリスクでありました。
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ということで、パリでの業務は無事完了しました!!


by yokohama7474 | 2015-06-21 01:41 | 美術・旅行 | Comments(2)

東京ステーションギャラリーは、東京駅丸の内北口に隣接したギャラリーで、重要文化財の駅舎の煉瓦を剥き出しのまま見ながら絵画を鑑賞できる、ユニークなスペースだ。駅舎の復元工事に伴い、以前の場所からは移転したものの、独特のハイカラな (この言葉自体、既に前時代的であるが、モダンとかスタイリッシュというよりも、この場合にはぴったり来る) 雰囲気はそのままである。駅の改札を出て見上げると、美しく復元されたドームを仰ぎ見ることができる。
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丸の内地区全体がそうであるが、東京駅周辺のこの二十年の変貌ぶりは大変なものだ。日本の首都の玄関口として恥ずかしくないこの佇まいを誇りたくなる、そんな街ができている。そして、ステーションギャラリーはその構成要素を成しているのだ。

現在開催されているのは、今年没後 30周年となる洋画家の鴨居 玲の回顧展だ。私自身、この画家の作品に以前接したことがあるかというと、うーんと唸ってしまう。あるようなないような・・・。子供の頃に読んだ怪談集に、こんな感じの挿し絵が入っていたっけなぁ・・・という思いに囚われる。恐らく、この展覧会を見る誰もが、何か懐かしいような思いを抱くのではないだろうか。
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彼の描く自画像、道化師、老人等々は、いずれも痛ましい。だがそこに、時にはユーモラスな、時には幻想的な要素があって、それらが深く心に残るため、必ずしも、鑑賞者が全員絶望感に首うなだれながら会場をあとにする、というタイプの絵ではない。もちろん、画家の辿った人生について記述された説明板を読んで行くうち、その深刻な創作の苦悩を実感することになるし、とりわけ、57歳である日ぷいと自死してしまったことを知ると、誰しもがその事実をどのように受け止めようか、しばし思案することになる。とはいえ、作者の死という事実を抱えて存在し続ける作品たちは、その存在感ゆえに、見る人の心をむしろ鼓舞するような力を持っている。画家の肉体を超えて、その精神が死後も輝き続けている、すばらしい例であろうと思う。
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会場を歩いてみて最も印象に残ったのは、1969年の安井賞を受賞した、「静止した刻」であった。安井賞は安井曾太郎に因んだ具象画家の登竜門で、私も昔は池袋のセゾン美術館で何度も安井賞展を見たものだ。この作品は、いかにもその賞に相応しい、寂しくて陰鬱で、でも人間の姿を生々しく写し取った、一度見たら忘れられない作品だ。まさにここに時は静止して、新たに巡り来る鑑賞者を待っている。そういう機会を持つことができた自分の幸運を実感しつつ、この絵を知る前と知った後の自分の違いが分かる人間になりたいと思う。
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by yokohama7474 | 2015-06-10 21:59 | 美術・旅行 | Comments(0)

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太田記念美術館は浮世絵専門美術館で、いろいろと面白い企画展が開かれる。確かつい先日までは、「広重と清親」をやっていたはずだが、知らない間に終わってしまい、今は「江戸の悪」という展覧会が開かれている。この展覧会、図録が作成されていないのは残念だが、浮世絵に描かれた盗賊・侠客・悪女・ストーカーといった題材で展示品が集められている。

面白いのは、今も昔も庶民は犯罪及びそれを犯した犯罪者に興味を持つということ。ただ、この展覧会で気づいたのは、江戸の人々が悪にやんやの喝采を送ったり眉をしかめたりしたのは、実際の犯罪そのものではなく、専らそれを脚色した歌舞伎を通してだったということである。世界史上稀に見る平和な時代に文化が爛熟し、人々は、芝居という仮想空間で、仮想の悪を存分に楽しんだのである。それは、現代のニュースで我々が見る、気の滅入るような悪の姿ではなく、浄化された悪の姿であったのだ。

そのような背景を考えると、展示品のほとんどが、文化の爛熟も極まった19世紀半ば以降のものであることが納得できる。一部、初代豊国や北斎による化政期 (19世紀初頭) の作品もあるものの、大半は三代豊国や、国芳からその弟子の芳年、芳幾 (むむ、このコンビは・・・そう、あの英名二十八衆句が多く展示されている!!) に下り、時代は明治までカバーする。以下、いくつか図版を紹介。

石川五右衛門。
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平清盛が熱病に侵され、今わの際に閻魔大王に睨まれるところ。
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安達が原の鬼婆。
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平和な時代は刺激を求めて悪が人気を博するもののようだ。さて、同じく平和な現代 (少なくとも日本では)、私たちの感覚は、健全に保たれているだろうか。

by yokohama7474 | 2015-06-08 00:56 | 美術・旅行 | Comments(2)

以前から行きたかった泉屋博古館分館を訪れることができた。六本木の泉ガーデンのすぐ裏という立地なので、サントリーホールのコンサートの前に行くには最適。但し、ここは入館 16時30分までなので、通常の 19時からのコンサートでは間に合わない。土曜の 18時からのコンサートさまさまだ。
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ただ、ここで見たかったのは、東洋の古美術。ここは住友家のコレクションを展示する場なので、大阪の東洋陶磁美術館のイメージや、これまで広告で見ていたこの美術館の展示品から、てっきり東洋美術しかないのかと思っていた。ところが今回の展示は・・・。

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フランス絵画である。うーむ。一体どんな内容なのだろう。

展示品の数は限られているものの、実際に住友家が蒐集した作品ばかりを飾っている点、極めてユニークだ。そして、ここでも学ぶことが。洋画家の鹿子木孟郎が、15代住友吉左衛門 (春翠) から援助を受け、パリで絵画修業を続けるかたわら、現地で絵画を購入して日本に送っていたとのこと。いや、それどころか、住友春翠自身が、画商 林忠正を介して、モネの絵を買い付けているのだ。左にある、「モンソー公園」がそれである。1879年に描かれたものが、1897年に購入され、1900年には日本に渡ってきていたという。日本に初めてもたらされたモネであるとのこと。

その他、新古典主義からアカデミー出展作から、ファンタン・ラトゥール、モンティセリからルオーやピカソ、果てはビュッフェに至るまで、なかなかに充実のコレクションである。また、須磨にあった住友家の別荘に飾られていた絵 (多くは焼失) の紹介もあり、昔の財界人のスケールの大きさを改めて実感した。企業のコレクションというテーマで一貫された展覧会は、集められた絵画の間に何かのご縁があるようにすら思え、何やら快哉を叫びたい心持ちになったものだ。


by yokohama7474 | 2015-06-07 23:30 | 美術・旅行 | Comments(0)

ゴッホのひまわりで有名なこの美術館は、時折見逃せない展覧会を開く。最近では、セガンティーニ展がそうだった。今回は、ユトリロとその母、シュザンヌ・ヴァラドンの作品をそれぞれ 40作ほど集めたものだ。

こんな高層階に位置している。新宿からでもスカイツリーが見えるとは (左端の方)。
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正直なところ、この展覧会にはあまり乗り気ではなかった。ユトリロについては明確なイメージ (アルコールに依存しながらモンマルトルを描き続けた) があるし、その母ヴァラドンは、最近、某テレビ番組で、あの偏屈屋エリック・サティが憧れていたということを新情報として知ったくらいで、父親も分からないふしだらな女だったのだろうくらいにしか思っていなかった。エコール・ド・パリの展覧会で、たまさかその作品に触れることはあっても、ユトリロの母ね、くらいの認識しかなかった。

ところがである。この展覧会の入口手前に展示されている母子の写真に、目が釘付けになった。これだ。
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ヴァラドン27歳、ユトリロ 9歳とある。ええっ!! こんなに美人だったの??? しかもこれは、どう見てもただの美人ではない。数々の天才を翻弄した、自身もやはり天才である女性の肖像だ。ファム・ファタルというのとはちょっと違う。その眼差しには知性と生きる勇気が満ちている。これは一体・・・。

実際に作品を見て、大いなる感動と発見があった。この母子、深い結びつきがあったようだが、画家としての気質はまるっきり異なっている。多分、この展覧会にやってくる人たちの誰もが、展示作品が母と子のどちらの作品であるかで迷うことはないだろう。簡単に区別すると、既によく知られた子の方は、人物を決して正面から詳細に描くことはなく、ただひたすら街の風景を描き、淡い色遣いによってそこに深い抒情が漂っているのに対し、母の絵は、人物は大きく鮮明に描かれ、色同士はあまり混ぜ合わせられることなく、また事物はくっきりとした輪郭を持っている。似ている画家を強いて探すと、ある場合にはゴーギャンであり、ある場合にはキスリング、あるいはヴラマンクなどのフォーヴやブリュッケの画家たち、さらには、フリーダ・カーロまでをも思わせる。ユトリロは、母の作風への反撥から自分のスタイルを確立したのではないかと思われるほどだ。一言で言えば、モダニズムの画家である。これは、「ユトリロの母」で済むような存在ではない。いや、そうだ。実は、会場に入る前に既に分かったのだ。1階のエレベーターの脇に置いてあった展覧会の案内で使われたヴァラドンの絵が、既に私の心を貫いていた。ただ愛らしい絵ではない。人間の生きる姿が表れているのだ。
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会場にあれこれ設置してある説明板から、多くのことを教えられ、自分の無知を恥じることとなった。例えば、
・ヴァラドンは、ただのあばずれ女ではなく、生前から正当に画家として評価され、何度か展覧会も開かれていた。その開催に関して、首相から献辞が送られることもあった。
・シュザンヌという名前は本名ではなく、サティとかロートレックとかルノワールという年長者に惚れられることから、聖書にある「スザンナの沐浴」になぞらえてあだ名とされた。
・ユトリロは、アルコール依存症ではあったが、若くしてモンマルトルで酔っぱらってのたれ死んだわけではなく、1955年、71歳まで生きた。
・モンマルトルの街頭で寒さに震えながら写生を行ったのではなく、ほとんどはアトリエで写真を見ながら制作した。
・また、生前認められずに貧乏であったかと思いきや、才能を見込んだ画家の後押しもあって、生前から成功していた。1928年には、なんとレジオン・ドヌール勲章まで受賞している!!
といったことどもだ。ユトリロの絵の孤独感から、どうしても薄幸な人だと思いがちだが、世俗的成功と、それなりの長寿に恵まれたわけだ。そこでまた日本に思いを馳せるのだが、例えば佐伯祐三の絵は、ユトリロと同質のものがあるだろう。あのような孤独な絵を描く人は、世間から認められず、街頭で写生して命を絞り、若くして結核に倒れてしまうというイメージは、そこから来ているものだろうか。あるいは、長谷川利行でもいい。貧乏で世間から見捨てられたイメージ。ユトリロはそのようなイメージとは全く異なる画家だったわけだ。

もうひとつ。ユトリロは、1883年生まれの、1955年没。ということは、あの欧州全体を巻き込んだ両大戦を、成人として体験しているわけだ。しかし、彼の絵のどこを叩こうが揺すろうが、戦争との関連はどこからも出てこない。たまたま同じ日に板橋区立美術館で日本の画家と戦争の関わりを考えさせられたこともあって、このことは私の中に大きな疑問符を残した。一体、世界が殺し合いをしているときに、あのような孤独と向き合って絵を描く人間とは、どんな人だろう。ピュアな精神を失わずに済んだのは、なぜだろう。今後ユトリロの絵を見るときに、反芻して考えたい。また、ヴァラドンについては、これで一流の画家であったことが分かったわけだから、勝手な先入観を天に謝罪し、チャンスがあればできるだけ彼女の絵を見たい。彼女の人生は映画のネタとしては最高だと思うんだけど、誰か映画化してくれませんかね。監督は誰がいいかなぁ。リドリー・スコット・・・ちょっと違うな。クリント・イーストウッドでどうだ。主演は・・・難しいなぁ。キーラ・ナイトレイ? マリオン・コティヤール? エミリー・ブラントなんてよいかもしれません。まさか今さらエマニュエル・ベアールとか、イザベル・アジャーニではあるまい (笑)。強いて言えば、若かりし日のナスターシャ・キンスキーが今いればなぁ・・・。因みに、ベルト・モリゾの映画はもうすぐ日本公開です。

by yokohama7474 | 2015-06-07 02:00 | 美術・旅行 | Comments(0)

板橋区立美術館訪問後、思い立って近辺の寺社を廻ってみた。それなりに知られている東京大仏はすぐ近く。以前行ったこともあり、久しぶりに来訪することに。
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東京大仏が鎮座するお寺の正式名称は乗蓮寺。調べてみると、天正年間というから、まだ江戸幕府が開かれる前、徳川家康から朱印地 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E5%9C%B0%E3%83%BB%E9%BB%92%E5%8D%B0%E5%9C%B0) が寄進され、その後も歴代将軍から手厚く遇されたとのこと。道理であちこちに葵の御紋があるはずだ。
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ただ、現在の地 (もと赤塚城二の丸) に移転したのは、昭和48年とのこと。そして、昭和52年に東京大仏が完成。蓮台を入れると 12.5m という巨像で、仏壇店翠雲堂の製造になるもの。お顔もなかなか眉目秀麗です。
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また、境内のあちこちに、何やら妙な石の彫刻が。これは、もともと駒込付近にあった藤堂家の下屋敷にあったものを移したものとか。数奇な運命を辿っていますが、そのユーモラスな姿はなかなかに味わい深いもの。最近、板橋区指定の文化財になったとのこと。
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後で知ったことには、この寺には冒険家の植村直己さんの墓があるらしい。といっても、遺体は発見されていないので、モニュメントということだろう。

さて、次はすぐ近くの松月院へ。ここも立派なお寺だ。やはりここも、家康から朱印地が寄進されたとのこと。
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さて、ここには大きな記念碑がある。それは、高島秋帆 (しゅうはん) が天保年間にここに本陣を置き、西洋式砲術の訓練を行ったことを記念するもの。いわば日本陸軍発祥の地ということで、大正年間に建てられた立派なものだ。ん? ちょっと待て。高島 ? もしかして、高島平ってこの人に由来するのか??? 調べてみるとどうやらそうらしい。高島秋帆の名前は昔日本史で学んだ記憶があるが、高島平には結びつかなかった。ひとつ賢くなりました。
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その後、車で走っていると、何やら気になる神社を発見。U ターンして行ってみることに。その神社の名は、諏訪神社。もともと赤塚城主 千葉自胤が、信州の諏訪神社から勧請したもので、赤塚城の鬼門除けであった由。面白いのは、完全に寺の建物なのに、明治の神仏分離で無理矢理神社にさせられた様子が見て取れること。寺院建築の外側に鈴をつけて本殿にしているところって、あまり多くないと思う (笑)。でも、なんとも言えずいい佇まいなのだ。

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それから、このあたりにひとつ面白い祭りがあるらしい。それは、毎年2月13日に行われる「田遊び」と呼ばれる行事で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて流行した「田楽舞い」がそのルーツであるそうだ。1年間の農作業を順序正しく、踊りや唱え言葉で面白おかしく表現し、訪れた田の神 (女神) を楽しませて豊作を祈願するというもの。実際の情景はこんな感じらしい。なぜこの地区に残っているかははっきりしないものの、平安時代にこのあたりに大寺院があったからという説があるらしい。
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ほう、東京 23区内にこんなお祭りがあったとは。世の中知らないことだらけですなぁ。

by yokohama7474 | 2015-06-07 01:08 | 美術・旅行 | Comments(0)

板橋区立美術館は、練馬区美術館と並び、日本の画家たちを中心としたユニークなコレクションと企画で知られる。今回、戦争の表象と題して館蔵品の展覧会を開催中と知って、見にでかけた。区民でもないのに、入場料は無料である。少し申し訳ないような。
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有名無名の昭和の洋画家たちが、それぞれに戦争に関わって、労苦を強いられたり、場合によっては命を取られたりした、まさに画家それぞれの生きた証が作品に結実している。泰西名画にため息をついているだけでは絶対分からない、人が生きる重さを感じることができるし、日本という国が近代以降に置かれた立場を考えさせられる。展覧会では、30名に及ぶ画家それぞれの戦争との関わりが説明してあって、興味は尽きない。一般に知られている名前としては、清水登之、柳瀬正夢、多毛津忠蔵、国吉康雄、福沢一郎、松本竣介、寺田政明、高山良策、山下菊二というあたりが挙げられるが、国吉を除いては、直接に戦争 (敵国民として米国で辛酸を舐めることとなった) とのかかわりについてあまりイメージがない。だが、例えば日本の 1920年代を語る上で欠かせない柳瀬正夢が、驚いたことに、空襲によって新宿駅で死んでいたりするのだ。平和な時代には考えられないことではないか。作風の面では、全体的に、ダリやエルンストといったシュールレアリズムが画家たちの心をつかんでいたことがよく分かる。ただそこに、いつも日本的な情緒がつきまとっているのが興味深い。
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最も印象深かったのは、上のポスターになっている、堀田操の「断章」(1953年) である。なんとも不気味かつ静謐な絵ではないか。

新海覚雄の「貯蓄報国」(1943年) という絵は、いわゆる戦争画のタッチにも似て、今見ればある種のキッチュなのであるが、まさに割り切れない情緒をはらんだ作品だ。これを見て、銃後の備えをがんばろうという気になるようなならないような。
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浜松小源太の「世紀の系図」(1938年)。見ていて胸が痛くなるような気がしませんか。
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難波香久三 (かくぞう) の「地方行政官A氏の像」(1938年)。今も昔も・・・という印象ですね。
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繰り返しになるが、この美術館のポリシーは本当に意義深いもので、美術という営為の根源を考えさせられる。素晴らしい展覧会だった。


by yokohama7474 | 2015-06-06 23:55 | 美術・旅行 | Comments(0)

気温は高いけれども湿気のまだ少ない中、久しぶりに金沢文庫称名寺 (横浜市金沢区) に繰り出した。お目当ては、建物が解体修理中の伊勢原市、日向薬師宝城坊の本尊、薬師三尊の特別開帳だ。
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もともと年に数度しか公開の機会のない秘仏で、以前現地まで拝観に行ったことはあるものの、久しぶりに間近に接することのできるこの機会を逃してなるものかと思い立ったもの。金沢文庫は時折、このような特別展を開催するので、よくよく目を光らせておかねばならない。称名寺自体の本尊 (重要文化財 弥勒菩薩立像) の公開や、運慶展等、過去にも大変印象深い展覧会に足を運んだものだ。

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天気に恵まれ、鮮やかな日差しに太鼓橋を渡るのも楽しい。
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池を見ると、たくさんの亀が甲羅干しをしている。うーむ、体を思い切り反らしたり、傍若無人にほかの亀の上にどっかり乗っかっている奴もおる。なんとも気持ちよさそうで、こちらもついつい目を細め、足を停めて見てしまう。でも、そんなアクロバティックな恰好で、バランスは崩れないのかね、亀さんよ。

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お目当ての薬師三尊とは、ガラス越しながら至近距離での対面。関東特有の鉈彫りとして、弘明寺の十一面観音と並ぶ代表作だ。本尊の顔は完成されているものの、からだ全体に鑿のあとが残っており、一見未完成かと見紛うばかり。ただ、私自身も子供の頃からモノの本で読んできた通り、これは明らかに作業の途中で放棄されたものではなく、この状態で完成作であろうと思う。その証拠には、両脇侍は顔まで一面に鑿のあとが残っている一方で、体躯自体は既に掘り出されてあるのである。作業途中なら、体躯は掘り出されておらず、粗削りの箇所がさらにまだらであろうと思われる。本尊の顔のみがきれいに仕上げられて、それ以外は別世界から現れる段階という印象を受ける。古拙ではあるものの、これはこれで、大きな存在感を持っている。

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この寺は、頼朝と政子から深く信仰された歴史を持ち、かなり隆盛していたらしく、興味深い文書や、平安時代、鎌倉時代に遡る仏像を多数見ることができる。飛天残欠や獅子頭などから、中世の宗教活動のありさまを想像するのは、なんとも楽しいことだ。
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拝観を終えて帰途につくと、トンビがのんびり中空に輪を描いていた。血で血を洗う激烈な生活の中で、頼朝も寺社に詣でた際には目を上げて、しばしこのようなのどかな風景に一息ついたものであろうかと想像してみた。

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by yokohama7474 | 2015-06-03 23:27 | 美術・旅行 | Comments(0)

六本木の国立新美術館にて開催中の展覧会を見る。

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なんであれフェルメール作品が来日するときには、えらい騒ぎになる。ともかくもそれだけの価値はあるものと思うものの、今回のような企画については、中身が分かってしまうと、なかなかに商売上手だなぁという感が先に立つことは否めない。つまり、ルーヴル現地に赴いた際には、大傑作群の陰に埋もれてしまうに違いない小品をこれでもかとばかり集めて、その中に 3点の目玉、すなわち、クエンティン・マセウスの「両替商とその妻」、ティツィアーノの「鏡の前の女」、そしてフェルメールの「天文学者」を適当な間隔で散りばめるという作戦。加えて、小品群の中に、ワトーだのレンブラントだのルーベンスだの、はたまたドラクロワやミレーという超有名画家も入っているとなれば、飾られた絵画全体の質以上に、鑑賞者としても得した気分になろうというものだ。

そもそも今回の展覧会は、ルーヴルの誇る古今に亘る傑作群網羅しようというものではなく、「日常を描く --- 風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」という副題が示す通り、古代から近代まで、人間の生活を描いた絵画を集めたものである。よって、いきおい、鳥肌立つように精緻な古代ギリシャの彫刻もなければ、匂い立つような艶っぽいイタリア・ルネサンスもほとんどないということになり、まさに商売という最も人間的な営みを描いたフランドル、ネーデルランド絵画が中心になってくるわけである。換言すれば、それが数百年遡る絵画であっても、遠く現代人の生活における世俗的風景を連想させる作品が大半を占めているということ。そして、現代の美術館は商売も上手でなければ。

と、あえて否定的に書いてきたところで白状しよう。私はこの展覧会足早に巡って、大変楽しかった。というのは、世界に冠たる大美術館に赴いた際に、これらの小品にまで意識を巡らせることはなかなかに難しいところ、この展覧会では、「あ、こんな絵があるのか」という意外感がそこここに見られたからである。実際、愛すべき小品というものには、独特の味があることを実感する。今回の出品作においては、例えばムリリョの「物乞いの少年」を例に採ろうか。

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涙目の聖母像で見る人の心を清めることに長けたこの画家の、貧しい少年に対するなんと深く優しい眼差し! 何度も通ったプラド美術館で、あるいは画家の生地のセヴィリアで、あれこれムリリョの宗教画を見て私が感じていたイメージと、これは微妙に食い違い、その食い違いが何やら心地よいのだ。

その他の例としては、ティエポロの「大道商人、または抜歯屋」に触れよう。典雅な空の蒼を持ち味とするこの画家に、このような卑俗で皮肉な作品があったとは、驚きだ。それでいて、この絵の空はやはり、天使が舞っていてもなんら違和感のない、彼の蒼なのだ。人間の営みを描くという表現は、なんとも気恥ずかしくなるように陳腐であるが、今回の展覧会を見て行くと、その陳腐さを超えて、人間の営みの滑稽さ、尊さ、やるせなさ、等々が自然と胸に入ってくるのである。なかなかに巧妙な企画ではないか。
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特別扱いのフェルメールの「天文学者」は、彼の作品の中でトップクラスというイメージはなかったのだが、実物はやはり恐るべきものだ。作中人物は、数年前に日本にやってきた「地理学者」と同一人物と見られるが、フェルメール作品の希少性に鑑みると、この両作品を日本で見ることができた充実感は格別のものだ。異常に正確な目を持ったこの画家は、架空の空間に圧倒的リアリティを付与し、どこの誰であってもいい、ただ、近代の理性と批判精神を具現した人間の姿を永遠にキャンバスに残したわけである。神々しいまでの架空のリアリティ。他の画家を冠絶する、フェルメールのみの世界である。

これが今回展示されている「天文学者」。
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そしてこれが、数年前に Bunkamura で展示された「地理学者」。
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会場の国立新美術館では、同時にマグリット展も開催中だ。時間の関係で今回そちらは見ることはできなかったが、このルーヴル展のポスターとマグリット展のポスターが並んでいること自体、文字通りなんともシュールだ。両方楽しむ余裕がないといけませんね。

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by yokohama7474 | 2015-06-03 23:10 | 美術・旅行 | Comments(2)