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和田 竜著 : 忍びの国

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先に同名の映画化作品を採り上げた小説である。その映画についての記事でも触れたが、一般的に、小説が売れてから映画化されるケースは非常に多いものの、この作品の場合は、原作者が映画の脚本を自ら書いていることが最大の特色であろう。私はこの映画を結構楽しんだのだが、その理由のひとつは、さすが作家の手になると思われるセリフであることは既に書いた。だからこそ、原作と映画の違いに興味津々であったのである。

そもそも、ある小説を映画化したものを見ると、十中八九は小説の方が映画より面白いと感じるものである。私の見るところその理由は明白で、要するに文字だけの情報である書物を読むことは、取りも直さず自分の中で、ヴィジュアルなものを含むイメージを膨らませること。つまりはイマジネーションである。どんな人間であれ、イマジネーションがある以上は、他人から押し付けられることのない自由な想像に喜びを見出すもの。もちろん、外から与えられるイメージが、もともと自分が持っていたイメージとほぼ同じというケースもあるであろう。だがそんな場合も、小説の映画化につきまとう別の難題をクリアできないかもしれない。それは、何日もかけないと読破できない小説と、せいぜい 2時間前後で終わってしまう映画との間には、埋めることの到底できない情報量のギャップがあるのである。何事も手軽でスピーディになってきている現代、書物が我々の日常生活に占める割合が減って来ていることは否定しようのない事実であろう。だがそれは由々しき事態。これは難しいことでもなんでもなくて、文字を追うことで人間に生来備わっている想像力が刺激されることは、誰がどう見ても明らかな事実である。なので、人間が人間である以上は、書物の存在意義は続くという点において、この「小説の方が映画より面白い」という感覚は、文化的観点からは非常に大事なのであると思う。
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さて、この小説を読んで、映画と比べていかがであろうか。正直なところ、私は舌を巻いた。その理由は、映画も充分面白かったところ、原作小説はそれよりもしっかりと多い情報量を持っていて、それはそれはよくできていたからである。そう、小説の方が登場人物は多いし、個々のシーンの中でも、設定が微妙に違うところが多々ある。あるいは、主人公である忍者、無門の語る言葉を取っても、小説では映画のように全編を通して現代語というわけではない。戦国時代という設定に基づいて、文字で読むところのリアリティが満載なのである。上述の通り、小説の作者が映画の脚本を手掛けている意味は非常に大きいが、それにしても、どんな小説家もこんな脚本を書けるわけではないだろうと思う。というのも、自分の書いた小説の登場人物たちが大事だと思えば、自らの手でそのキャラクターを変えたりあるいは省略したりすることはつらいことであろうからだ。であるからして、私はこの和田竜という作家のスマートぶりに敬意を表するのである。
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だがその彼の手腕にしても、この小説で使われた手法のすべてがオリジナルというわけではない。読んでいてすぐに分かるのは、歴史物のスタンダードとしての司馬遼太郎からの影響である。小説の中の歴史的シーンをリアルに語りながら、現代の視点から、参照にした文献に言及し、それへの短い評価を記す。そこに時代の流れが巧まずして現れる。そういえばこの二人、眼鏡も似ていないか (笑)。
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ともあれ、読む人の想像力を心地よく刺激する小説であるので、映画云々ではなく、小説そのものとして楽しめる。ところでここで私が言いたいことは、上記のような司馬遼太郎という手法における先駆者のみならず、題材におけるこの小説の先駆的な作品があるということである。このブログで以前ご紹介したこともあるが、その作品とは、村山知義の「忍びの者」。
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5分冊の大部な小説であるが、私はもう何年も前にこの小説を大変面白く読んだ。ここには、「忍びの国」にも登場する百地三太夫や木猿などのキャラクターも出て来るし、何より、最後の最後で明かされる意外な設定も面白い。なので、「忍びの国」に興味を持たれた方は、是非この「忍びの者」も読んで欲しい。作者の村山知義は、演劇や美術の分野における日本のモダニズムを語る上では欠かせない人物であるが、このような面白い小説を書いていたことは、現代において、もっと評価されてもよいと思う。因みにこの「忍びの者」、市川雷蔵主演で映画化されている。残念ながら私は見たことはないのであるが、この昭和感覚あふれるポスターに興味をそそられる。うーん、「忍びの国」における大野智に比べると、随分あか抜けない、短足がに股の、農耕民族的忍者である (笑)。
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今や外人にも大人気のニンジャであるが、歴史の中で「闇に生まれ闇に消える。それが忍者の定めなのだ」(白土三平の「サスケ」より) という位置づけにある彼らの生きざまを、想像力を駆使して感じてみることで、ストレスの多い日常を忘れることができると思う。なので忍者ものは、今この時代であるがゆえに、意味のあるものなのだと思う。

by yokohama7474 | 2017-08-31 00:49 | 書物 | Comments(0)

正木晃著 : 仏像ミステリー

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親譲りの仏像好きで、小供の頃から得ばかりして居る。などと漱石を気取るのはやめにして、この本について語ろう。私が仏像の美に目覚めたのは、小学校 5年生のときの、忘れもしない 5月 5日、小供、いや子供の日。たまたま両親が奈良に行くのに、参加を予定していた親戚がキャンセルしたので、急遽半ズボンの私がピンチヒッターとして参加したのである。40年以上前のその日は、私にとっては早すぎる人生の転換期で、奈良の古寺の数々の存在感に、まさに雷に打たれたような衝撃を覚えたものだ。今、多少は人生の機微を分かっているつもりの私は、その日に本当に感謝している。なぜなら、仏像の神秘に触れて以来、この世界には何か奥深いものがあるのだと察知し、それから美術全般、音楽、文学、映画・・・と、文化全般に私の興味は広がって行き、明らかに私の人生は豊かになったからだ。そんな私であるから、これまでの人生で日本の代表的な仏像のほとんどは見尽くしているし、まだ見ていない仏像のリストは、いつも頭の中にあるのである。そんな仏像マニアの私も、この本は大変面白く読んだ。本のオビにある宣伝文句は以下の通り。

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美しいオモテの顔のウラに怨霊鎮魂 & エロス 阿修羅、弥勒菩薩、薬師如来...有名仏像の "真実"
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これはなかなかによくできたコピーであり、上に掲げたこの本の表紙も、なかなかよくできている。この仏像は、言うまでもなく、東大寺三月堂の本尊、不空羂索 (ふくうけんじゃく) 観音。天平時代を代表する仏像で、その長身の美しいことは筆舌に尽くしがたく、冠に嵌め込まれた数多くの宝石とともに、まさに日本の歴史上有数の素晴らしい造形なのである。この表紙では、その不空羂索観音の写真を掲載しているのかと思いきや、これはイラストなのだ。そして、右上には何やら少女マンガめいた女性の顔が描かれているが、おっと、この女性の右半分は真っ黒で、ただならぬ気配。これは一体どういうことか。もともとこの仏像が安置されている東大寺三月堂には、いろいろな謎があるのだが、この威風堂々たる本尊がいかにして発願されたのか、はっきりしたことは分からない。だが、どうやら藤原広嗣の乱 (740年) が勃発した際に、その乱の平定を祈って建てられたという説があるらしい。この例で分かる通り、上代の仏像にはしばしば呪術的な要素があり、この女性像はそれを象徴している。これは光明皇后なのか、その娘の孝謙天皇 = 称徳天皇であるのか分からぬが、美しい仏像の裏に秘められた血塗られた歴史を表しているのだろう。これが、神々しい不空羂索観音のお姿。左右にいるのは日光・月光 (がっこう) 菩薩である。もちろんすべて国宝だ。私はこれらの仏像に、恐らくは 20回ほど対面しているが、この東大寺三月堂は、何度行っても飽きることのない場所で、まさに世界の宝である。
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この本では冒頭に、日本にいかに多くの仏像が伝来しており、そのクオリティがいかに高いかが強調されている。これは別に愛国的な偏った記述ではなく、客観的な事実である。そんな前提において、この本においては以下のような仏像 / 人物 / 古寺についての興味尽きない言説が述べられている。

・法隆寺 救世観音
・東大寺 不空羂索観音
・興福寺 阿修羅
・広隆寺 弥勒菩薩
・神護寺 薬師如来
・三井寺 黄不動画像
・三十三間堂 千手観音群像
・良源
・安陪晴明
・祐天上人
・飛鳥寺
・成田山新勝寺
・平等院鳳凰堂
・天龍寺
・出羽三山

この中のいくつかについてはこのブログでも採り上げているが、だが私はそれぞれの項目について、必ずと言ってよいほど、この本に教えられるところがあった。知れば知るほどに自分の無知に気づく、それこそが文化の奥深さであろう。例えばこの中で、祐天上人を採り上げてみよう。この人の名前を知っている人はほとんどいないであろうし、私自身も知らなかった。だが、東京在住の人で、目黒の祐天寺という駅名を知らない人は稀であろう。そう、祐天上人 (1637 - 1718) は、この駅名の由来となっている祐天寺を開いた僧なのである。この本によると祐天上人は、幼い頃に家から勘当されている。その理由は、物覚えが極端に悪かったことらしい。勘当されて寺に入った祐天はやはり、経文を暗記することが全くできなかった。なんでも、70日かかっても一字も覚えられなかったというから、それはひどい (笑)。そして哀れ祐天は、彼が修行していた増上寺の門前まで当時迫っていた海に身を投げようとした。そこを通りかかった兄弟子に救われた祐天は、増上寺の開山堂にこもって不眠不休の断食修行をすれば、智慧を授かり、名僧になれると聞かされ、その修行に入った。その修行の中で、祐天の目の前に白髪の老人が現れ、「お前のバカさは前世の因縁でどうしようもないが、成田山新勝寺で 21日間の断食修行をすれば、必ずや智慧を授かるであろう」と告げた。成田山に辿り着く途中も追いはぎに遭い、修行中にも様々な幻影が現れて修行をやめさせようとしたが、祐天はそれらの難をすべて退けた。そしてついに祐天の前に、猛火に包まれた身の丈 3mの不動明王が現れ、「智慧を授かりたいなら、我が剣を呑め。長い方がよいか短い方がよいか」と尋ねた。祐天が迷わず「長い方を」と答えると、不動明王は容赦なく長い剣を祐天の口に突き刺した。祐天はあまりの痛みに悶絶し、全身血まみれとなった。この話は歌舞伎にもなっているようだ。
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血まみれで倒れているところを発見された祐天は、その後、経文を一度聞いただけで一字一句間違えることなく覚えるようになったという。それからも祐天の苦労は続いたようだが、江戸を代表するいわばゴーストバスターとして、数々の怨霊を退治したらしい。目黒の祐天寺は、そんな祐天が晩年に過ごした庵を寺にしたものだという。この逸話を現代に置き換えると、学習障害を持つ子供でも、本人の決意と周りの理解さえあれば、立派な業績を残せるということを意味しているのではないだろうか。現在の祐天寺には、数々の登録有形文化財があるという。そのうち一度出かけてみたいものだ。
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この本にはその他、先に採り上げた出羽三山に関する部分もあるし、とにかく、寺好き、仏像好きにとってはもう面白すぎるのだ。著者の正木晃は、1953年生まれの宗教学者で、専門は密教学とチベット密教であるらしい。その分野で、ほかにも面白そうな本を沢山書いている。この「仏像ミステリー」のよいところは、盛り沢山の情報を、誰にでも分かりやすい平明な言葉で綴っていることで、これはなかなか困難なことであるはず。だから私はこの本を、仏像好き以外の方々にも、広くお薦めしたいのである。

by yokohama7474 | 2017-08-19 01:13 | 書物 | Comments(0)

いなごの日 / クール・ミリオン ナサニエル・ウエスト傑作選 (柴田元幸訳)

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よく書いていることだが、私は本屋をブラブラするのが好きな人間で、昨今のネットでの書籍の購入は、もちろん頻繁に利用はするけれども、本当の意味でのワクワクするような本との出会いは、やはり本屋でなければ得られないなぁと、いつも思っているのである。この本もたまたま本屋で手に取ってみて、なかなか面白そうだったので読んでみることにしたものだ。新潮文庫の村上柴田翻訳堂というシリーズ、つまりは翻訳も手掛ける作家村上春樹と、翻訳の専門家柴田元幸の二人が面白いと感じる英米文学を新訳・復刊で紹介するものだ。全 10冊であるが、そのラインナップを見てみると、有名作家無名作家を取り混ぜて、なかなか面白そうである。その中で私の目に留まったこの本。ナサニエル・ウエスト (1903 - 1940) の作品集で、新訳である。この作家の名前、何かどこかで聞いたような気がするが、気のせいかもしれない。米国の作家でナサニエルというファースト・ネームを持つ人は、もちろん「緋文字」で有名なホーソーンがいるが、彼はこのウエストよりも 100年も前の人。特に両者の間に関係はないようだ。そもそも名前の綴りが、ホーソーンの方が通常の "Nathaniel" であるのに対し、ウエストは "Nathanael" であり、訳者柴田元幸の解釈では、あのドイツ・ロマン派の幻想作家 E・T・A・ホフマンの「砂男」の主人公の名前を取ったのではないかとのこと。なるほど、そっち系の作家であれば、私の好みにもバッチリ合うはず。実はナサニエル・ウエストの本名はネイサン・ワイスタインといって、ユダヤ人である。この本のふざけた表紙が彼の肖像かと思いきやそうではなく、こんな人だったようだ。
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彼の生まれはニューヨークだが、大学をひどい成績で卒業して (おっ、親近感が湧くぞ)、家業の建築事務所を継がずにふらっとパリに渡ったらしい。1927年に帰米し、ホテルの夜勤マネージャーとして小説を書き始める。だが生前には結局どの小説も出版には至らず、困窮するが、1930年代後半からハリウッドに出入りし、何本もの映画の脚本に関わったことで経済的には救われたらしい。ヒッチコックの「断崖」も、第 1ヴァージョンのシナリオは、ウエストともうひとりの脚本家による作であったらしい。「華麗なるギャツビー」(最近では「グレイト・ギャツビー」という方が多いかな) のスコット・フィッツジェラルドは一貫してウエストの擁護者であったらしいが、奇しくもフッツジェラルドが心臓麻痺で死亡した翌日の 1940年12月22日、ウエストは猛スピードで車を走らせ、対向車に激突して、新妻とともに 37歳の短い生涯を終えた。このように伝記的なことを書いているだけでも、何やら教養主義や人道的な考えとはちょっと違った、風変わりで破滅的な作風を想像するが、その作品を読んでみると、やはり風変わりで破滅的なのである (笑)。この本には最後の作品である「いなごの日」と「クール・ミリオン」という 2つの中編、「ペテン師」と「ウェスタンユニオン・ボーイ」という 2つの短編が収められているが、私が実に面白いと思ったのは、「クール・ミリオン」だ。大志を抱いて旅に出る青年と、その周りの人たちが、波乱万丈の運命に翻弄される荒唐無稽な話だが、いやその話のブラックであること。私がこれを読みながらずっと思い出していたのは、ヴォルテールの「カンディード」である。バーンスタインによるミュージカル「キャンディード」の原作としても知られるこの小説は、18世紀フランス啓蒙主義者の作とは思えない、強烈に面白い内容であり、実にブラック。「クール・ミリオン」において容赦ない残酷な目にこれでもかと見舞われる主人公やその恋人の姿は、本当にカンディードと恋人クネゴンデの姿そのままではないか。この「カンディード」、岩波文庫で簡単に手に入るので、バーンスタインによるミュージカルをご存じの方もそうでない方も、是非一読をお薦めする。
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もちろん、ウエストがヴォルテールを模倣したのか否か、私には分からない。だがここには明らかに、「カンディード」と同じ精神が流れている。笑いの要素を越えて、残酷なまでに人間の本質を暴きたてずにはいられない作家の情熱と言ってもよい。もちろん、米国の社会の中に今も昔も存在する差別意識や、その裏返しの協調性も、物語の重要な要素としてそこここで出て来る。全くとりとめなく話は展開して行くので、とても緻密な計算のもとに書かれたものとは考えられないが、作者の創り出したいトーンはよく理解できる。

それに比べると、もう 1編の中編「いなごの日」の方は、もうひとつインパクトに欠けると思う。ハリウッドで夢を追ったり、破れた夢を抱えながら生きて行く人たちが描かれており、ウエスト自身のハリウッド体験が反映されているらしいが、ブラックさという点では「クール・ミリオン」には及ばない。ただ、登場人物のひとりひとりは、こちらの方がよく描かれているとも言えるだろう (村上春樹はこの本の巻末の柴田元幸との対談の中で、「クール・ミリオン」よりもこちらの方が、小説としてはるかにまとまっていると評価している)。ちょっと細部に入ると、私が感嘆した点は、ここで言及される芸術家たち。例えばピカソ、フアン・グリス、ガートルード・スタインは、この作品が書かれた 1930年代にはバリバリの現役であったはず (調べてみると、実際にはグリスは 1927年に亡くなっているが)。パリで多感な 20代の一時期を過ごしたことで、新たな芸術の潮流を存分に浴びたことが推し量られる。だが、さらに驚いたのは、歴史的な画家の名前が列挙されている箇所。まず、サルヴァトル・ローザ、そしてフレンチェスコ・グアルディ。私は恥ずかしながら両方とも知らなかったのだが、前者は 17世紀ナポリの画家で詩人。リストの「巡礼の年」(村上春樹ファンにはおなじみだろう --- 私は特にそうではないのだが) 第 2年「イタリア」の中に、「サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ」という曲があることでも知られているらしい。また後者は 18世紀の画家で、カナレットに続く世代としてヴェネツィアを描き続けた画家。なるほど、渋い 2人の画家が選択されている。だが真の驚きは、その次に出る名前である。モンス・デジデリオ。私はその名を、軍艦島を訪問した際の記事において言及したが、かつて三島由紀夫も愛した 17世紀イタリアの画家であり、巨大な廃墟がなぜか理由もなく崩れ落ちて行く、まるで世界の終わりのような底知れぬ虚無感漂う神秘的な作品を描いた。国内で紹介されているのは、このトレヴィルの画集だけだと思う。一時期は確か絶版であったと記憶するが、今調べると、幸いなことに復刊されているようだ。これまた、大のつくお薦め美術書である。
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このように、ナサニエル・ウエストの興味の中には古今の芸術があったわけで、これは単なる雰囲気作りとか教養主義といったものとは一線を画しているものと思う。小説そのものの評価については人それぞれであろうが、少なくとも、生き急いでいたようにしか思えないこの作家の心の中の深い部分に、人間の深層心理に迫る高い芸術性が潜んでいたことは間違いないだろう。その意味では、短編ながら「ペテン師」という作品に、彼の指向が凝縮して入っているとも言えると思う。これ、本当にブラックなので、相当覚悟して読む必要がありますよ。

生前は作家として認められなかったウエストであるが、戦後になってブラックユーモア作家たちの先駆者として再発見されたらしい。実は「いなごの日」は、1975年にジョン・シュレシンジャー監督、ドナルド・サザーランド主演で映画化されている。私は見ていないが、さて、面白いのだろうか。
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そもそも「いなごの日」とは、聖書の黙示録に、いなごの大群が世界の終わりに発生するとの記述があることに由来し、終末的な意味合いがある。確かにこの小説のラストには、終末的なイメージが存在するのだ。なるほど、ここでモンス・デジデリオとも共通性が出てきましたな。まぁ、この小説をモンス・デジデリオ的と表現することはできないとは思うものの。いずれにせよ、いろいろなイメージを持つことができるので、ブラックなものがお好きな人は、試しに読んでみられては如何。

by yokohama7474 | 2017-08-18 00:25 | 書物 | Comments(0)

泡坂妻夫著 : 湖底のまつり

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ある日ある駅で、ちょっと時間が余ってしまい、何か軽めの読み物でも探そうかなと思って入った書店で目に入った一冊。どうやら昔の本の復刻新刊であるようだ。上の写真で書店名はバレてしまっているが (笑)、ともあれ、本選びには直観が極めて大事。人との出会いと同じく、本との出会いも、なにかの巡り合わせによって彩られるものである。ネットで書物を買うようになってから大幅に減ってしまった喜びのひとつは、そのような巡り合わせである。昭和の時代に書かれたこの小説を、昭和の時代にあったような書店での巡り合わせで手に取る。たまにはそういうことがあってもよいではないか。

泡坂妻夫 (あわさか つまお、1933 - 2009)。この「あわ」の字の右側は「己」ではなく「巳」であるのだが、本にはその活字が使われているものの、PC の漢字変換候補には出て来ず、またネットでも見つけることができなかったので、やむなく右側は「己」になっている普通の「あわ」の字を使用する。この作家の名前に見覚えはあって、もしかしたら何か読んだことがあるかもと思いながら、確信が持てなかった。ただ、上の写真に写っている帯で賛辞を捧げているのは、現代を代表するミステリ作家で、私もその「館」シリーズなどを結構面白く読んだこともある、あの綾辻行人だ。しかも出版社は、ミステリには定評ある創元推理文庫なのである。帯に記された「最高のミステリ作家が命を削って書き上げた最高の作品」などというキャッチフレーズも、気になるではないか。そう思って読んでみることにした。作者の泡坂は、直木賞も受賞したミステリ (というか、当時の言葉では推理小説) 作家である。マジックを趣味としていたらしい。
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この作品が書かれたのは 1978年、つまりは昭和 53年。冒頭からページを繰って行くと、最初は森の中の幻想的なシーンなのであまり時代は感じないが、そのうちに登場人物の女性が過去にいやな経験をしたり、また、山の中で出会う運命に身を委ねるあたりで、なんとも昭和な香りが漂ってくる。正直なところ、その設定やセリフは今の感覚では陳腐に感じてしまう部分が多く、セクハラ・パワハラご法度の厳しい会社生活を送る現代の社会人にとっては、なんとものどかというか、あえて言ってしまえば、男の観点から見た都合のよい設定のようにすら思え、少々うんざりしてしまった。例えば、最初の方に出て来る長くて詳細なラブシーンから、ちょっとだけ引用してみよう。

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紀子は立ち上がった。だが晃二はセーターを放さなかった。晃二は乾きかけたセーターに顔を埋めた。
 ーーー君は、バラのにおいがする・・・。
 ーーー晃二さん、嫌よ。
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こういう文章を、煙草を吸いながらペンで原稿用紙にガリガリ書いて行くというのが、当時の作家の姿であったのだろうか。また読む方も、固唾を呑んでページを繰ったものであろうか (笑)。と茶化しながらも、実は私は、主に電車の中でこの本を読み、すぐに読み終えてしまった。つまり、それだけ面白かったとも言える (あ、ラブシーンがじゃなくて、小説全体がですよ。念のため)。設定にはなかなかユニークなところがあって、同じようなラブシーンが二度出て来て、あれっと思うのだ。ほぼ同じシチュエーションで、例えば上記の「バラのにおい」作戦とか (笑)、会話の中身もほとんどダブっているにもかかわらず、登場人物の名前は違うし、描かれている室内の情景の細部も異なる。これは一体どういうことなのか・・・。そのような謎が、読者をしてその後の展開を知りたいと思わしめる原動力なのである。8人の登場人物たちは、ある場合には恋人同士、ある場合には行きずりの関係、またある場合には刑事と容疑者であったり、同級生であったり、緊張感のある仲であったり、そしてある場合には、「むむ? 同一人物なのか?」と思わせる関係もあって、様々だ。ダム建設をめぐる対立という当時のリアルな社会問題に、日本古来の祭りを組み合わせている点も、それなりに気が利いていると思われる。例えば現代において、海外での関心を意識して日本の土俗的要素を入れているように思われる宮崎アニメとか「君の名は。」などとは違って、読者として想定されているのはもっぱら日本人で、当時 GDP 世界 No. 2 にまで登りつめた経済大国日本において失われつつある、古い習俗へのノスタルジーを持たせようという意図なのかと思う。それはある種、ありがちな発想であるので、正直なところ、私としてはあまり印象づけられることはなかった。また、人物設定もかなり紋切り型という点も否定できない。だがその一方で、トリックそのもののシンプルさには好感を持った。いや、もちろん、最後の方では真相が大体読めてくるので、驚愕のあまり本を取り落とすという事態にはならないが、「なるほど、そうきたか」という心地よさに、昭和のイメージはかなり相殺されてしまうと言ってもよいかもしれない。その意味で私にとってこの小説は、「命を削った作品」とまでは思えないものの、退屈しない読み物であったことは間違いない。

ところでこの小説には、セラピム S5 というスポーツカーが登場する。私は車にはからっきし疎いのでちょっと調べてみたが、どうも該当する車種はないように思われる。一方、「セラピム」と見て、美術愛好家、音楽愛好家は、これがいわゆる「セラフィム」のことだと気づくだろう。もちろん、最上級の位を持つ天使のこと。6枚の翼を持つとされる。これはイスタンブールのアヤ・ソフィアに残る壁画に描かれたセラフィム。
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そして私の世代の音楽ファンにとっては懐かしい、名レーベル EMI の廉価盤のアナログ・レコードがこの名前を使っていた。写真を拝借。
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ちょうどこの「湖底のまつり」が書かれていた頃、クラシック音楽に夢中になり始めていた私は、アンドレ・クリュイタンスとベルリン・フィルのベートーヴェンとか、ジョン・バルビローリとウィーン・フィルのブラームスとかで、このレーベルに大変お世話になっていた。なのでもし当時私が間違ってこの「大人の」(笑) 小説を読んでいれば、ちょっとびっくりすることになったかもしれない。

また、この作品に関係する文芸作品としては、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」が挙げられるが、さてそれがどのようにかかわるかは、読んでみてのお楽しみ。ただ私には、読者へのミスダイレクションとして一部の要素の使用のみが企図されているとしか思えず、作品の内容と深く切り結ぶようなイメージには至らなかった。

そんなわけで、昭和の遺産にもいろいろあることを再認識しました。ただ現代の感覚で読むだけでなく、当時を懐かしむ読み方もあってよいし、何より、トリックが面白ければ、ミステリとして読む価値はあるので、また様々な本との巡り合わせを楽しむゆとりを持って、日々暮らして行きたいと考えております。あ、そういえば Wiki によると、泡坂は「々」の字を使わなかったそうだ。訂正。日日暮らして行きたいと考えております。

by yokohama7474 | 2017-06-08 00:38 | 書物 | Comments(0)

ピーター・トライアス著 : ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (中原尚哉訳)

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本当は違う書き出しにしようと思ったのだが、おぉーっと唸った発見からこの記事を始めよう。自分の手元にある上下巻を写真に撮るために、たまたま横に並べてみて初めて分かったことには、この 2冊の表紙は、ひとつながりの絵になっているわけなのだ!! いやー、これはまた予想外の展開。いかにこの小説を楽しんだ人でも、こればっかりは並べてみないと分からないこと。などと喜んでいる私は無知な人間で、実はネットの世界では既に当たり前なのかもしれないが。

今年の 4月28日付の記事で、フィリップ・K・ディックの古典的名作「高い城の男」をご紹介した。私はその記事で、そのディックの小説を読みたいと思った理由をほのめかした。そしてここで約 1ヶ月を経過して明かされる真実。・・・と言っても全く大したことのない話だが (笑)、私はこの最新の小説を読みたくて、その前に是非とも「高い城の男」を読みたかったわけである。なぜなら、その 2作には共通する設定があるからだ。この小説の題名、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」とは、要するに現実世界での United States of America のことだが、第二次世界大戦の末期に日本が米国に原爆を落として、枢軸国が連合国に勝利したという架空の世界を舞台にしているために、この名称になっているもの。なるほど、それは分かった。だが、上に掲げたこの本、ハヤカワ文庫の上下巻の表紙は一体何なのか。何やら巨大なロボットのようなものが二体、向かい合っている。よく見ると下巻の帯に、「『高い城』& 『パシフィック・リム』の衝撃!?」とある。この最後の感嘆詞「!?」から、「エヘヘ、ちょっと言い過ぎかなぁ」とい照れが見えるような気がする。だが、読んでみると確かにこのコピーは言いえて妙なのである。もし映画「パシフィック・リム」をご存じない方がおられるといけないので、そのイメージをここで掲げておこう。もっとも、この映画に対する私の評価は、決して高くはないのであるが。
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つまり映画「パシフィック・リム」では巨大ロボットが登場し、怪獣 (英語でも「カイジュウ」) と対決するのである。そしてこの小説「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」には怪獣は登場しないものの、巨大ロボットが後半に出てくるのである。だからその意味では、ここには「パシフィック・リム」との共通点があるのは事実だ。そして、まぁそうなってくると、多分に思弁的な要素を持つディックの「高い城の男」の世界からは離れ、現在海外にもファンの沢山いる日本のアニメをはじめとするサブカルチャーの世界に近接するのである。実はその分野は私は苦手で、例えば知り合いの中にガンダム・マニアもいるが、彼の熱中ぶりを見ていると、私はその世界からは遠くに住んでいる人間なのだなぁと実感することがある。言い方を変えれば、この小説で描かれた世界は、文字ではなく映像 (いわゆるヴィジュアルという奴ですな) 先行型であると言え、実際にそのままハリウッドが映画化に乗り出してもよいくらいではないかと思う。と書いてすぐに訂正するのだが、小説ならではのエグい描写も沢山含まれていて、そのあたりはそのまま映画にはできないだろう。だがとにかく、この小説のヴィジュアル性には特筆すべきものがあって、最近年のせいか、読書をしてもなかなかイマジネーションの沸かない私としては、大変読みやすいと思ったものだ。

ストーリー自体はかなりシンプル。戦争に負けたかつてのアメリカ合衆国は、東側をナチス・ドイツに、西側を皇国日本に占領されている (この設定は「高い城の男」と同じ)。そんな中、"USA" なるゲームが流行する。これはなんと危険なことに、戦争で米国が勝って、繁栄を謳歌するという、皇国的にはありえない筋書き。それとともに、ジョージ・ワシントン (GW) 団と名乗る組織が、皇国日本に反逆する活動を行う。主人公の石村紅功 (べにこ) は、特高に属する筋金入りの皇国主義者、槻野昭子とともにある人物を抹殺しようとするが、敵味方入り乱れて、波乱万丈の成り行きの中に身を投じることとなるのだ。ちなみに物語は主人公の両親が戦後をどのように過ごしたかという 1948年の情景に始まる。そこでは主人公の両親は、生まれてくる子供が女の子と信じて、「べにこ」という女の名前をつけるのであるが、実際に生まれてきたのは男の子。ゆえに、「紅功」なる奇妙な名前の男が出てくるのである。物語は主として 1988年の米国西海岸を舞台としているが、回想シーンでは、その 10年前、1978年のサンディエゴ (カリフォルニア州に実在) での悲惨な出来事が重要な意味を持つ。メインの舞台が 1988年になっている理由はどこにも明記がないが、私の思うところ、インターネットが普及した時代では設定が難しくなるからではないか。ここで描かれる 1988年の世界では、各自が「電卓」(この言葉も、もう死語ですなぁ・・・) を持っており、そこから通信やハッキングができるような設定だ。なるほど、これも気が利いている。つまり、ここでの架空の世界にある種のリアリティを与えているのである。それに、描かれた街の情景には、あの「ブレードランナー」を思わせることもあり、ここでもフィリップ・K・ディック (「ブレードランナー」の原作はディックの小説「アンドロイドは電子羊の夢を見るか?」である) とのつながりを感じさせるのである。さらに感心するのは、様々な設定をばら撒いてヴィジュアルな要素を重視しながらも、小説ならではの衝撃性を組み込んだり、登場人物のキャラクター付けを入念に行っていることであり、この小説が SF 物であろうと何であろうと、人間という存在の強さと弱さをかなり仮借なく描いている点、作者の非凡な手腕を垣間見る思いである。こんな面白い小説を書いたピーター・トライアスは、1979年生まれ、サンフランシスコ在住の韓国系米国人。
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彼は若い頃から、いわゆるサブカルチャーを含む日本の映画やアニメにどっぷりだったようである。昨今クールジャパンは外国人に人気だし、私も仕事の関係で外人のそのような指向を実感している面もあるのだが、それにしても、そのような既存の材料を使って、これだけ面白い小説を書けるのは大したもの。この「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」が、初めて日本に紹介される彼の小説とのことだが、今後の活動が楽しみだ。なので、巨大ロボットものにアレルギーのない向きには、この特異な設定の小説を読んでみられるのも一興かと思います。あ、それから、登場人物名の漢字表記をはじめ、随所に翻訳の苦労が偲ばれる。この小説では実際、登場人物が関西弁を喋るようなことすらもあって、英語の原文はどうなっているの??? と不思議になろうというものだ。

上記の通り、この小説の舞台は主として米国西海岸なのであるが、サンディエゴ (LA の南 200km) という街で起こる出来事が、小説において非常に重要な意味を持つ。私はサンディエゴは二度出張で訪れているが、あるとき、お客さんと一緒に少しだけ街を見る機会があった。街の北東部にバルボア・パークという広大な公園があり、そこは今から 100年少し前、1915年に世界博覧会なる大規模な催しが開かれた場所なのであり、いまバルボア・パークに残る多くの建物はそのときのもの。今では博物館や美術館として賑わっている。なのでこの小説でも、作者と同じ西海岸の人たちが読むと、サンディエゴという地名から必ずや一定のイメージを得るものと思う。その施設の一部をご紹介すると、これはなんと、「ミンゲイ・ミュージアム」。そう、柳宗悦らが主張した「民芸」に属する美術作品を展示している。そしてなぜか、ニキ・ド・サンファルの彫刻作品が。
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これは美術館。さすがメキシコに近いだけあって、メキシコバロック風だ。当時は国境に壁を作るという話もなかったであろうし、文化面でのメキシコの影響は大変有意義であったろう。収集品はなかなかのもので、私が敬愛するカルロ・クリベッリの作品もある。
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これはちょっとピンボケだが、どこまでも青い空をバックにした尖塔。確か今は人類博物館になっているはず。
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そしてここで遭遇する驚きは、日本庭園だ。もちろん、なんちゃって日本庭園なのだが、もしかするとピーター・トライアスは、こんな風景を見て、戦争に勝った日本が米国を統治しているというストーリーを思いついたのではないか。もちろん確証はないが、そういうこともあったのでは、と夢想することは楽しい。
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そんなわけで、この奇想天外の物語は、人種のるつぼである米国のあり方に対するヒントにもなるかもしれず、ただ単なる荒唐無稽のフィクションとして割り切ってしまうのは惜しい。右傾化が進むこの時代であるからこそ、このような小説の需要が増大するのかもしれない。

by yokohama7474 | 2017-05-25 00:36 | 書物 | Comments(0)

フィリップ・K・ディック著 : 高い城の男 (原題 : The Man in the High Castle)

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フィリップ・K・ディック (1928 - 1982) は言うまでもなく、SF 界で圧倒的にカルトな人気を誇る作家である。私の知人でも何人かはいわゆる SF マニアという人たちがいて、あらゆる SF 物を渉猟している (いた?)。もちろん私などはその足元にも及ばないのであるが、そんな私ですら、ディックの作品は特別な意味を持っていて、名作映画「ブレードランナー」の原作として知られる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を含めた数冊のディック作品を読んで、驚愕してきた口である。そんな私が大変久しぶりにディック作品を読みたいと思ったにはわけがある。そのわけは、追ってまたこのブログの記事でご紹介するとして、この「高い城の男」について語ろうではないか。これがディックの肖像写真。
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この「高い城の男」は、ディックの作品の中では初期のものである。この作品が1963年にヒューゴー賞という栄えある賞を受賞したことで、彼の名は一躍知れ渡ったらしい。ときにディックは既に 37歳。彼の充実した創作活動は、その後に彼に残された 20年弱の間に主になされたものだということだ。それにしても、1963年ということは、ケネディ暗殺の年。未だヴェトナム戦争は継続中であり、東西冷戦真っ盛りである。そんなときにディックの書いたこの作品の想定は極めてユニーク。それは、第二次世界大戦で連合国ではなく枢軸国、つまり、ドイツ・日本・イタリアが勝利した世界を舞台にしているのである。つまり、当時ガッチリ世界を支配していた現実の戦後秩序から全く離れた世界を、この作家は夢想していたことになる。これは今我々が考えるより数倍も難しいことであり、超弩級の想像力がないとできないことであったろう。それゆえこの作品は、未だに異色を放っているのである。 

と言いながらこの作品、決して読みながら手に汗握るサスペンスがあるわけではない。あえて言ってしまえば、登場人物が多い割には展開が遅い、それゆえにストーリーを追いにくい作品だと言ってもよいであろう。敗戦によって 3つの地域に分割された米国。西海岸は「戦勝国」日本の傀儡である「アメリカ太平洋岸連邦」、東海岸はドイツの傀儡である「アメリカ合衆国」、その間は緩衝地帯である「ロッキー山脈連邦」。ちょっと小さくて見にくいが、以下の地図が本作において想定された世界の勢力地図。赤はドイツの権力が及ぶ地域、緑は日本のテリトリー、水色はカナダなのである。
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上述の通り、この本を読んでいても、人間関係がもうひとつよく分からない点には結構忍耐を強いられる。しかも、何か大事件が起こるわけではなく、強いて言えば危険書物 (つまり、第二次大戦でもし連合国が勝っていたら、という「想定」に基づく物語) の作者、彼がつまり高い城の男なのであるが、その彼に暗殺の危機が迫るということくらいである。だがそれとても、突き進んで行くストーリーではなく、大変に錯綜した登場人物たちの思惑が徐々に収斂して行くというタイプのものであり、しかも、結局はなんらのサスペンスも起こらないのである。それから、登場人物たちの何人かが易経に凝っているという設定であり、それに関する様々な細かい描写があって、西洋人が読むと東洋の神秘というイメージで流すことができるのかもしれないが、私としては正直、その点もかなり冗長だと感じる結果となってしまった。だが、あえて言ってしまえば、当時文字通り世界をリードしていた偉大なる米国の作家が、その米国がもし先の戦争に敗れて、現実世界におけるドイツさながらの分断国家になっていたらどうなるかという空想を抱き、このようなリアリティを持って世界を描いたこと自体が、現実を遥か超えて行く未知の領域であったことだろう。読みながら情景を心に思い浮かべると、当時の観点で夢想した未来、決してバラ色ではなく、空には黒い雲がかかった未来に思いを馳せることができる。その意味でこれはやはり、歴史的な書物なのであろう。興味深いのは、この中で、同じ「戦勝国」でも、ドイツは独裁国家で暴力的な国、日本はドイツと微妙な距離を保つ慇懃無礼な国、そしてイタリアは、要するに弱小でドイツの尻に敷かれているという設定。なんだか分かる気がするではないか (笑)。

さてこの「高い城の男」、最近米国でテレビドラマ化され、日本でも配信されたようだ。私はそれを見ていないが、なんと製作総指揮があの (そう、あの「ブレードランナー」の) リドリー・スコット。このような分かりやすい映像が使われていたようだ。
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長らく世界の秩序は、先の大戦で勝利したか敗北したかによって決定づけられてきた。だが、そろそろそのような「分かりやすい」時代は終わろうとしているのではないだろうか。ある意味で、このディックの「高い城の男」のような世界なら、まだ分かりやすかったであろうが、今や世界の秩序はどんどん分断化され、見えにくくなっている。これが半世紀以上前に書かれた歴史的書物であればこそ、我々は真摯にその設定に向き合うことができる。さて、今から半世紀後、世界の秩序はどうなっていて、この書物はどのように読まれることであろうか。もし未来の人がこの記事を読んで、未だインターネットというものが存在していれば、是非コメントをお願いします!! (笑)

by yokohama7474 | 2017-04-28 00:05 | 書物 | Comments(0)

鹿島 茂著 : 蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝

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このブログでもいくつかの記事でご紹介している通り、近代日本の実業家には、桁外れの巨大な富を美術品の収集や、何らかの文化的事業のパトロネージュに費やした人たちが沢山いた。今我々が享受できる民間機関による文化遺産の豊かさを思うと、日本が近代化して行く過程で営まれたそのような行為には、深く感謝する必要があるだろう。今では企業の価値は時価総額で計られ、成長と凋落は頻繁に入れ替わり、オーナー社長の裁量は限られ、大企業の経営者にもサラリーマン化現象が見られる。従って、いかなる企業にも、昔日のごとき内容の文化事業への支援 (まあそれを道楽という言葉で置き換えてもよいケースも多いわけだが) は不可能になっている。時代の趨勢で致し方ないのであろうが、だがそれでも、その遺産に触れることで、文化と経済の関係について思いを馳せることには大いに意味があるだろう。

さて、この本で扱われているのはひとりの実業家で、しかも文化をこよなく愛した人。だが、彼は美術品の一大コレクションは残さなかった。なぜから、彼は蕩尽しつくたのである。祖父から自分までの三代で築いたその膨大な財産を。上に写真を掲げたこの本の帯にある通り、現在の貨幣価値にして 800億ともいわれるその財産を一代で使い切り、しかもそこには明確な美学があるという稀有な人物の名は、薩摩治郎八 (さつま じろはち 1901 - 1976)。
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この本は、その薩摩の破天荒なパリ生活をはじめとする生涯の事績を克明に追った伝記なのであるが、著者は有名なフランス文学者である鹿島茂。鹿島の著述活動 (や収集活動) は、いちフランス文学者の枠内にとどまるものではないが、このようなユニークな人物の伝記を、丹念に史料を追いながら面白く纏める手腕は、なかなかのものだ。実は、薩摩の伝記は現在では何冊か出ているが、この本のあとがきによると、もともとは鹿島が誰よりも早く手をつけたところ、リーマンショックのあおりで、連載していた雑誌が廃刊となったため、仕上げの部分が中断して数年が経過してしまううちに、ほかの人の本が出てしまったとのこと。そのあたりの人間的なところが憎めないし、何より、そのような「ウサギとカメ」式の顛末を語る口調が全く恨めしく響かない点、ノンフィクション作家としての資質を感じさせるのである。

薩摩治郎八は、東京、神田駿河台の木綿商店の息子として生まれ、1920年に英国オックスフォード大学に留学、1922年にはパリに移り、その地における狂乱の 20年代に、その莫大な資金を惜しみなく消費することで、ダンディな東洋人として名を上げた。その後一旦帰国するが、血筋のよい美女と結婚してまたパリに戻り、様々な芸術家・文化人とも交流しながら、一貫して大いなる散財をすることで (?)、パリで最も有名な日本人となる。第二次大戦の勃発時には、戦火が拡大するかの地から引き上げてくる日本人たちに逆行して 1939年にフランスに渡り (その前に薩摩商店は閉鎖に至ったにもかかわらず)、1951年まで滞在。その後は軽めの雑誌などに、古きよきフランスでの豪遊生活の思い出などを執筆していたらしい。この伝記には、その時代の様々な文化人たちの名前が出て来るので、いちいち書いていてはきりがないが、例えば、薩摩は作曲家モーリス・ラヴェルとは親友であり、また藤田嗣治の現地パリでのパトロンであったらしい。薩摩の回想によると、ラヴェルとともに藤田の個展に出かけて、後ろ姿の裸体画を見たとき、ラヴェルはこう言ったという。「こんなに海の感覚を出している画はないね。それでいて裸体の線だけなんだがね」・・・これはつまり、海が描かれているのではなく、裸婦像なのだが、そこに波のような旋律美があったということのようだ。これが藤田のどの作品を指しているのか判然としないが、イメージとしては例えば、このようなものではなかったか。それにしても、音楽で海を描いたのは、ラヴェルではなくドビュッシーであったはずだが、面白い比喩を使ったものである。
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その他にも多くの芸術家との交流が語られるが、面白いのは、今年 1月15日付の記事で、秋山和慶指揮東京交響楽団がその代表作「サロメの悲劇」を指揮した演奏を採り上げた、作曲家フローラン・シュミット。あの後期ロマン派風の耽美的な曲を書いた作曲家は、自宅に風呂がなく、徒歩圏内に住んでいた薩摩の家にまで、よく風呂を借りに来たという!! そんな趣味だったのか。これぞまさに、風呂ーラン・趣味ット (笑)。
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この本の中では、薩摩が回想録で語っている数々の思い出の信憑性をほかの資料で検証したり、若き日のランデブーの相手が誰の奥さんだったかなどについても、かなり立ち入った調査がなされている。正直、少しうんざりするような細かすぎる部分もないではないが、鹿島という人は一旦こだわると、どこまでもとことん食い下がる人なのであろう。その点では明らかに大変な労作であり、文化的な事柄、特に 1920年代パリが大好きな私のような人間にとっては、実に面白い本なのである。まあそれにしても、華やかなりし頃のパリとは、なんという衝動的パワーに満ちた活気ある場所だったのであろう。もともと芸術家たちは、様々な国からやってきていて、貧乏でも志高くドンチャン騒ぎをしていたわけだ (?)。そんな中、欧州の貴族でもなく、いやもちろん日本においても貴族ではなかった薩摩のような人が社交界の頂点の一角を占めたとは、なんとも興味深いこと。現在のパリでは、移民問題の深刻さが様々な緊張を生み出していることを思うと、この薩摩のようなスケールの大きい東洋人がこの時代のパリにいたことは、幸運なことであった。薩摩の晩年の写真はこちら。
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一見普通のおじいさんのようにも見えるが、不鮮明な画像からも着ているものの高級感は感じられるし、何よりもその福々しい顔から、育ちのよさと、そして、様々な幸せな経験をした人だけが持つ落ち着きを見て取れるように思う。もちろん、彼のような豪遊ができる人はほとんどいないし、ましてや上記の通り、その蕩尽は現代ではまず不可能なことなのであるが、せめてこのような先人がいたことを学び、精神的な貴族に少しでも近づければよいなぁ、と思うことである。

by yokohama7474 | 2017-04-11 22:35 | 書物 | Comments(0)

久坂部 羊著 : 芥川症

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このブログで採り上げる書物には、あまり最新刊はない。というよりも、これまで皆無であったかもしれない (笑)。これはたまたま書店で見かけて購入したもの。新潮文庫で今年 1月 1日に発行されたばかりのもの (もっとも単行本としては既に 2014年 6月に刊行されていたとのこと)。著者の久坂部 羊 (くさかべ よう) は 1955年大阪生まれ。大阪大学医学部卒の外科医、麻酔科医であり、在外公館にて医務官を務めた経歴の持ち主だが、2003年に作家デビュー。若い頃は純文学を志したというが、現在では医療の専門知識を生かしたエンターテインメント作品を中心に執筆しているようだ。
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さてこの本は、題名と表紙によって明らかな通り、文豪芥川龍之介の一種のパロディ 7編によって成り立っている。その題名を列挙すると、
 病院の中
 他生門
 耳
 クモの意図
 極楽変
 バナナ粥
 或利口の一生

もちろん、このブログをご覧になる方に、もとになった芥川の小説名を説明する必要はないと思うが、念のために書いておくと、「藪の中」「羅生門」「鼻」「蜘蛛の糸」「地獄変」「芋粥」「或阿呆の一生」である。そもそも日本の小説家の中で芥川ほど入りやすい人はいないのではないか。短編しか書いていないこともあり、また古典を換骨奪胎していることや、時に童話の形態を取っているものもあるゆえ、(今は知らないが私が子供の頃には) 教科書にもよく取り上げられていた。随分以前から私の手元には、ちくま文庫の芥川全集全 8巻があり、未だすべてに目を通したわけではないものの、彼の文学の鋭利な感覚には常に特別なものを感じている。また、昔私は田端に住んでいたので、いわゆる「田端文士村」の中心人物としての芥川には、長らく特別な思いがあるのである。
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そんな思いで本書を手に取ると、これはなかなかに面白い。それぞれの作品は大なり小なり医療や現代医学に関係した題材となっているのであるが、芥川の「原作」のテーマとの類似性が様々にあるのである。例えば最初の「病院の中」では、父を病院で亡くした息子が、その死因を何人もの医者に尋ねると、それぞれに言うことが違うという具合。これは (黒澤明の「羅生門」の原作にもなった) 芥川の「藪の中」の設定と同じである。だがこの「病院の中」においては、最後にちょっとひねったオチが出て来て、なるほどと思わせるものがある。但し、正直なところ、私としてはこの最初の作品が 7作の中で最も面白かった。ほかにはミステリー仕立てあり、現代社会の問題点と向き合う作品あり、またユーモラスな作品もあるが、描写が必要以上にグロテスクであったり、設定が重すぎたり、またなんとも取りつく島のない悲惨な医療の現実であったりして、ハハハと笑ってすませられない要素もあれこれ出てくるのである。もちろん私はそれらの要素に意義を見出さないわけではないが、芥川という天才が描写したさらに乾いた世界、そしてその奥に潜む人間社会への絶望感というものを思うと、少し複雑な思いに捕らわれるのである。もしかしたら私は、せんないノスタルジーに浸っているのかもしれない。だが、人々をして芥川文学に立ち返らせるものは、やはりこの作家の人間観察であることを思うと、それをパロディにする試みの限界も同時に感じざるを得ないのだ。

とは言いながら、全 7編、飽きることなくスムーズに読み切ることができたことも事実。芥川を必要以上に意識しなければ、それなりに楽しめる書物であると思う。

by yokohama7474 | 2017-02-11 00:36 | 書物 | Comments(0)

鈴木大拙著 : 日本的霊性

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よく、日本人ほど自分たちの特殊性を気にする国民はいないと言われる。いわゆる日本論、日本人論という言説は歴史・文化芸術から政治経済、生活習慣、果てはサラリーマン社会の成り立ちにまで及んでおり、ベストセラー本には、その種の内容を扱ったものがしばしばある。かく申す私自身も、その手の本には以前からかなり興味があり、それなりに読んで来ている。但し、「その手の本」と一口に言っても硬軟様々であり、サブカルチャーを論じたものからマスコミ論、企業文化論、はたまた神道、仏教、天皇制に関する本格的な考察や、あるいはドナルド・キーンのような外からやってきた人の慧眼による分析まで、実に多様である。今回私が読み終えたこの本は、既に歴史的な位置づけを持つものであって、現代の我々誰もが手に取って話題にするようなものではないかもしれないが、日本人のメンタリティについて考えるには、未だに大きな価値を持つものである。

著者鈴木大拙 (すずき だいせつ、1870 - 1966) は日本を代表する仏教学者。96歳近くまでの長い人生を生きた仏教界の碩学であったが、このような猫を抱いた写真を見ると、まさに好々爺という感じに見える。
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彼は戦後間もない 1949年に文化勲章を受賞しているが、その大きな歴史的な業績は、禅の思想を海外に紹介したことにあると言われている。経歴を調べると、明治初期に金沢の藩医の家系に生まれ、若い頃は英語教師をしていたが、鎌倉の円覚寺に参禅して禅の思想に目覚め、27歳のときに渡米して仏教関係の書物を英訳・出版する。39歳で帰国して後、学習院や東京帝大でまた英語講師となる。だがその後は仏教研究に邁進し、戦後、79歳の 1949年から約 10年間は、主として米国の諸大学で、あるいはヨーロッパやメキシコでも、仏教に関する講義・講演を行ったという。そうすると、もともと彼には英語の素養があったにせよ、Daisetz Suzuki という名前が欧米に知られるようになったのは戦後のことで、鈴木自身はその頃既に 80歳前後という高齢であったということだ。現代音楽ファンには、米国の名門、ニューヨークのコロンビア大学での鈴木の講義を、あの 20世紀音楽の風雲児ジョン・ケージが聴講して大きな啓示 (シャレではありません)を受けたことは、よく知られている。ケージは既成の西洋音楽の枠組を破壊した、ある意味で過激な思想な持主ではあったが、鈴木と対話 (というよりも、茶碗の実在性を通して世界のありかたについての講義を傾聴?) しているこの表情を見ると、なんと柔和であることか。
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さて、鈴木大拙はそのような偉大な仏教学者であるが、今日でも多くの著作が出版されていおり、この「日本的霊性」も、岩波文庫で手軽に手に入る。書かれたのは 1944年、すなわち太平洋戦争末期である。本書の解説によると、鈴木は戦争勃発当時から日本の敗戦を確信しており、戦争に負けてしまうと日本は、霊性的自覚の世界的意義を宣揚し、世界の精神文化に貢献することで、国際的使命を果たすしかないと考えていたらしい。というのも、それ以前に「日本的霊性」なる語は彼の著作には登場しておらず、ここで初めて使われた言葉であるからだ。つまりここで鈴木は、敗戦によって悲惨な運命に見舞われるであろう日本人に対し、自らの文化の独自性を自覚することによって、我々は戦後の世界平和に貢献できるのだという、ひそかなメッセージを託したということであろうか。興味深いのはその視点が、日本文化の独自性といっても、いわゆる戦意発揚のための国粋主義的な発想 (それは当然、国家神道の称賛に結びつくであろう) とは全く異なるものである点だ。実際この書物においては「神道は日本的霊性という点において充分なものでない」という趣旨の発言が、暗に明に、繰り返しなされているのだ。これは戦時中の発言としてはかなり危険なことであり、もちろん軍部の検閲などもあったであろうが、末端の役人や軍人には、鈴木がここで言わんとしていることの真意が理解できなかったということであろうか。また上記の通り、鈴木の今日的な位置づけは禅の思想の紹介者であるが、この著作における記述の中心は禅ではなく、浄土宗の系統、つまりは法然・親鸞である。私なりに勝手に解釈してみると、禅には多かれ少なかれ高踏的な要素がつきまとい、庶民が誰でもその思想に共感するというわけにはいかないが、浄土系であれば、誰でも念仏を唱えることで極楽往生できるという平易さによって、庶民性においては優れたものがある。そのような題材の選択においても、鈴木の真意を垣間見ることができる。

ここでの鈴木の趣旨は、真に「日本的霊性」と呼びうるものは、万葉集や平安時代の文化には未だ表れておらず、法然・親鸞によって浄土系思想が発達することで、初めて発生したということである。すなわち、師である法然に導かれ、戦乱の鎌倉期に「大地のうえに親しく起臥する」ことによって親鸞が到達した境地、「弥陀の五劫思惟 (ごこうしゆい) の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人 (いちにん) がためなりけり」という発想こそが、日本的霊性の目覚めであるという。この親鸞の言葉は、「歎異抄」の中に弟子によって記録されている言葉であるらしく、要するに、阿弥陀如来が長い長い時間をかけて思考された結果の誓いをよくよく考えてみれば、このわたし一人の救済についてのものであった、という意味なのであるが、これだけ読むと、まだその真意が分からない。これは、自分ひとり救済されればよいと言っているのではなく (もしそうであれば、後世にまで尊敬される宗教人にはなりませんよね! 笑)、多くの罪を重ねてきた凡人である自分には、現在・過去・未来のあらゆる人間たちの命が集約されている、このような私まで救済されるということは、全人類が救済されるのだ、という意味であるらしい。まあ私も別に親鸞の教義をきちんと勉強したことはないので、実感を持って語ることができるわけではないが、宗教人としての親鸞の厳しい姿勢と高い知性ゆえの、逆説的なものの言い方の奥深さを感じることはできる。有名な悪人正機説 (善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや) も、同様の発想によるものであろう。ふと思い立って、2011年に東京国立博物館で開催された、「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展の分厚い図録を手元に引っ張り出してきた。2012年は法然没後 800年、そしてその弟子であった親鸞の没後 750年であったので、それを記念して開かれた大展覧会であった。日本の文化史は、汲めども尽きぬ豊かな泉なのである。
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鈴木の著作に戻ろう。彼は本書の最後の章で、「妙好人」(みょうこうにん) と呼ばれる人たちの例にいくつか言及している。この言葉はなじみがないが、浄土真宗の在家の熱心な信者のことを指すらしい。特に島根県の下駄職人であった浅原才市 (あさはら さいち、1850 - 1932) についての記述が面白い。こんな人であったようだ。私は読んでいないが、彼をモデルにした水上勉の小説もあるらしい。
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この人は、とにかくなんでもかんでも、なむあみだぶつという語を入れた歌を沢山詠んだらしく (下駄をつくるときにできるカンナくずに書きつけたという)、その素朴な作品を、偉大なる仏教学の泰斗が細かく分析している。例えば以下のようないくつかの歌。

QUOTE
わしのりん十 (臨終)、あなたにとられ。
りん十すんで、葬式すんで、
あとのよろこび、なむあみだぶつ。

りん十まだこの (来ぬ)、このはずよ、すんでをるもの。
りん十すんで、なむあみだぶつ。

今がりん十。わしがりん十、あなたのもので、
これがたのしみ、なむあみだぶつ。
UNQUOTE

これについての鈴木の解説は以下の通り。

QUOTE
(才市の歌で) 最も特殊と見られる一事は、才市の考えが未だ曾て死後の往生に及ばぬことである。(中略) 普通に念仏宗と言えば、娑婆は苦しみ、極楽はその名の如く楽しいところ、両者は対峙して相容れない。それゆえ此の世では忍順・随順など言う訓練をやって、静かに臨終をまつことにする。弥陀の本願さえ信じておれば、極楽往生疑いなしだから南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言って日々を送る、それにこしたことはないというが普通である。(中略) 然るに才市の歌には、死んでからどうのこうのということがない。親から貰うた六字の名号 (注 : 南無阿弥陀仏のこと) で、その心は一杯になっていて、そのほかの事を容れる余地がないように見える。
UNQUOTE

面白いのは、歴史上の偉人の高邁な思考のみならず、このような市井の「詩人」の創作にまで仏教の本質を見ようとした鈴木大拙の視野の広さである。ナントカ大学卒だとか、ナントカ会社勤務だとか、そんな些末なことに拘っていては一生見えないような、幅広く奥深い世界を、鈴木のような人から学びたいと思う。それからもうひとつ興味深い事実をひとつ。鈴木の伴侶は、ベアトリス・レイン (Beatrice Lane) という米国人女性であった。彼女は神智学者であり、禅の研究のために日本に来ていて、鈴木とも若き日に円覚寺で出会ったが、結婚したのは 1911年、鈴木 41歳のとき。これは 1925年頃の写真で、左に見えるのは養子のヴィクターである。尚、二人の間にはポールという実子もいる由。
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これは老年のベアトリス。品のよいおばあさんであるが、日本生活が長かったせいだろう、どこか日本的な風貌にも見える。
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このベアトリスについて、日本語でネット検索してもあまり情報は出てこないが、英文サイトならいろいろと情報を得ることができる。1878年ニュージャージー生まれだから、鈴木よりも 8歳下。あのガートルード・スタインと大学で同級生であったらしい。彼女らが学んでいたのはラドクリフ・カレッジというところで、講師は心理学者のウィリアム・ジェイムズ。この人の名前は知らなかったが、調べてみると、「意識の流れ」理論を提唱したという。なに、意識の流れ??? それは私の偏愛する「ねじの回転」を書いた作家ヘンリー・ジェイムズの手法ではないか・・・。と思ったら、なんとこのウィリアム・ジェイムズは、ヘンリー・ジェイムズの実兄であるらしい!! 彼の理論は、20世紀文学のもうひとりの巨星であるアイルランド人のジェイムズ・ジョイスにも影響を与えており、また、日本の著述家でも、西田幾多郎や夏目漱石に影響を与えている。おおぉ、ここで出て来た名前、西田幾多郎 (にしだ きたろう) こそ、鈴木大拙と同郷同年生まれ、同じ金沢の石川県専門学校 (後の旧制第四高等学校) で机を並べて勉強した、あの大哲学者ではないか!! ここで見えない糸が突然に見え始めた。鈴木にとってのベアトリスは、まあ、ダンテにとっての同名の女性 (イタリア語でベアトリーチェ) と同じくらいだったか否かは分からないが、運命的な愛を抱く相手であるとともに、20世紀文化の大きな潮流につながる精神的な窓口であったのではないだろうか。彼女は 1939年、61歳で逝去してしまう。これは鈴木が海外で仏教について積極的に講義するようになるより前の話。そうすると彼の海外での活動においては、亡きベアトリスが背中を押していたということなのであろうか。ひとりの人間である鈴木大拙が、その活動によって永遠の精神史の一部となるに際し、彼女の啓示が大きかったということなのであろう。冒頭に、本書を日本人論のカテゴリーで言及したが、本当に大切なことは、日本人の思想に関する考察が、実はさらに普遍的な要素、国際的にも受け入れられる要素を持っているということを認識することではないだろうか。

調べてみると、鈴木大拙も西田幾多郎も、金沢に記念館ができている。できれば近日中に訪れて、今私を包んでいる上記のような「意識の流れ」を、そこにつなげて行きたい。アイルランド文学についても、最近ちょっと思うところあり、また記事を書ければよいなと思っております。


by yokohama7474 | 2017-01-22 12:49 | 書物 | Comments(0)

橋本 敏男著 : 荷風晩年と市川

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永井荷風 (1879 - 1959) は、日本文壇史上に残る文豪と称される人。荷風の名前を知らない人はほとんどいないと信じたいが、さて。昨今ではこのブログのひとつのキーワードとなっている (?) 「昭和は遠くなりにけり」という感覚に基づけば、荷風などは随分と昔の人であると思われても仕方ない面がある。この本は、荷風が晩年を過ごした千葉県市川市で、生前の荷風を知る人たちに執念でインタビューした内容をまとめたもの。荷風ファンにとっては、それはもう面白くて仕方ないものに仕上がっている。著者の橋本敏男は、1937年生まれ。もともと読売新聞社の記者であるが、定年後にこのような荷風研究をしているらしく、ほかにも何冊か荷風についての著作がある。

私は今でこそ永井荷風を心から尊敬すると言えるが、若い頃は何というかこう、なんとも低俗な場所に出入りしたスケベオヤジのような悪い印象があって、どうにもその作品に踏み込む勇気がなかったものである。
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それでも「墨東綺譚」は若い頃に読んだし、その後「あめりか物語」(1908年)「ふらんす物語」(1909年) と読むにつれて、この作家の懐の深さにようやく気付いた次第。その間にも私は磯田光一による荷風の評伝も読んでいるし、最近では沢山出ている荷風のぶらり東京散策についての書物を何冊も買い込んでいるのだ。また、古本屋で旧かなづかいの古い荷風作品を何冊か購入し、黄ばんだページをめくりながらウームと唸っている。そう、昔はイヤらしいと思っていた人物が、気が付けば並ぶ者のない偉大な存在になっていることなぞ、そうそうあるものではない。

彼は明治12年の生まれであるが、父は日本の近代化間もないその時代に、既にプリンストン大学やボストン大学に留学経験があったというから驚きだ。世間の秩序に逆らう偏屈オヤジの印象が強い荷風であるが、素晴らしい文化的な家庭に生まれたということだ。米国では日本大使館や横浜正金銀行の現地スタッフとして勤務したが、その後コネの力でフランスに渡り、かの地の文化にどっぷり浸ったわけである。クラシック音楽ファンとしての私は、まず「あめりか物語」に驚嘆。この中には、当時未だ没後26年(!!)であったワーグナーの作品についてのあれこれの記述があり、また、真に驚愕すべきは以下の文章だ (表記は原文のママ)。

QUOTE
(初対面の女性相対して) 劈頭第一に、自分はオペラが好きかどうかという意外な質問に会い、つづいて、プッチニの「マダム・バターフライ」の事、今年四、五年目で再び米国の楽壇を狂気せしめたマダム、メルバが事。それから、今年の春初めてアメリカで演奏されたストラウスの「シンフォニヤ、ドメスチカ」の事など、意外な上にも意外な問題に、自分は今までの覚悟は愚か、宛ら百年の知己を得たような心地で、殆ど嬉し涙が溢れて来そうであった。
UNQUOTE

つまり、軽く口説こうとした女性から、思わぬことに当時最先端の音楽の話が出て、大変に感動したということである。ちなみにプッチーニの「蝶々夫人」の初演は 1904年。オーストラリア出身の歌姫ネリー・メルバは 1893年に22歳でニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューしている。また、リヒャルト・シュトラウスの Sinfonia Domestica、つまり家庭交響曲は 1904年に作曲者自身の指揮で、ニューヨークで世界初演された。「あめりか物語」が書かれた 1908年には、プッチーニは 50歳。シュトラウスは 44歳。バリバリの働き盛りの作曲家たちであったのである!! この驚きがさらに増大するのが、岩波文庫の「ふらんす物語」に付録として収録されている、「西洋音楽最近の傾向」という文章 (1907年にニューヨークで執筆) だ。なんとここでは、若手有望作曲家として、シュトラウスとドビュッシー (シュトラウスより 2歳年上) が比較されていて、彼らの作品のあれこれについて詳細に論じられているのである!! 彼らは当時最先端の現役作曲家であったわけだ。もうクラクラして来てしまう。これが若き日の荷風。
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だが彼の非凡なところは、このような高尚な芸術を論じる一方で、異国の地の女性たちとアヴァンチュールを徹底的に楽しんでいることだ。なんとも先進的ではないか。ただひたすら美を愛する人。このことを頭に入れれば、たとえ彼が老年に至って頑固ジジイになったとしても、我々が払うべき尊敬の念にはいささかも関係しないはず (?)。

戦争中の空襲によって家 (偏奇館、もちろん万巻の蔵書も一緒に) を失った荷風は、東中野、明石、岡山と転々とする。戦後岡山で谷崎潤一郎と食事をして大変感激したという話は知っているが、今回初めて知ったことには、偏奇館を焼け出されてから荷風が頼ったのは、菅原明朗 (すがはら めいろう、1897 - 1998、なんという長命!!) であったのだ。と言ってもこの名前は一般にはあまり知られていないと思うが、作曲家である。私自身もそれほど彼の音楽を知っているわけではないものの、以前 FM のエアチェックで何曲か耳にしたことがあって、名前はよく知っている。調べてみると、長い人生に沢山の作品を残しているのである。菅原と荷風は、浅草オペラの台本と作曲という関係で共演したことがあるらしい。それは 1938年に初演されたオペラ「葛飾情話」。これはそのときの写真で、右端が荷風、左奥が菅原、ほかの 3名は歌手である。一体どんな作品であったのだろうか。
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荷風が市川に居を構えたのは 1946年で、何度か転居しながらも死ぬまで市川に暮らした。最初はほかの人の家に同居であったため、変わり者の荷風はあれこれ問題を起こしたようだ。市川市では、近年になって荷風の記憶を整理して保存しようという動きが起こり、そしてこの本は、その過程における産物なのである。2003年に市川市が荷風生誕 125周年を記念して開いた展覧会の準備において、関係者たちのインタビューが行われたが、その中には新発見の事実もあって大変興味深く、この本の中にその詳細が述べられているのである。実は私はこの本を片手に、市川の荷風ゆかりの場所を年末年始に歩いてみようかと思ったのであるが、既に文学ミュージアムなる市川市の施設が存在していると知り、どうせならそこを見てから街を歩いてみようと考え直した次第。加えて、この地域の古代からの歴史についての本も購入しているので、いずれそちら方面も探訪して記事を書いてみたい。いつになるかは分からないが、市川の知られざる一面に触れることになると思うので、是非ご期待頂きたい。

さてこの本にはもうひとつ、大変に興味深い部分がある。それは、作家の井上ひさし (1934 - 2010) が 2005年にやはり市川で行った講演である。実は彼が若い頃に浅草のフランス座というストリップ劇場 (講演の中で井上は、この表現は誤解を招くとし、「きちんとした劇場です」と説明している) の文芸部に所属していた頃、荷風が何度かそこにやって来たらしいのである。そのあたりの説明がもうそれは抱腹絶倒。私など、読みながら何度も声を上げて笑ってしまいました。晩年の荷風の印象を明確に示すとともに、井上ひさしという人の才能の多彩さも思い知ることができた。私の場合、小学生の頃に井上の「ブンとフン」という作品に入れあげ、その後「モッキンポット師の後始末」「手鎖心中」と読んで行ったが、「子供のくせに心中の本を読んでいるのか」と大人たちにいぶかられたことが原因で (?)、その後彼の作品には疎遠になってしまった。もちろん一般的には「ひょっこりひょうたん島」を代表とする放送作家から、「吉里吉里人」で小説家としてブレイクした人というイメージがあると思うが、そのユーモア感覚には改めて脱帽である。近く私はまた井上作品を読むことになるだろう。だがそれにしても、この人の老年の肖像写真は、荷風と似ているではないか!! まあ、井上がその講演で語っている荷風の歯の汚さは、井上にはなさそうであるが (笑)。実際荷風の肖像写真には、口を堅く結んだものが多く、その理由を、私はこの井上の講演で知ったのである。
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日本文学には、汲めども尽きぬ豊潤な泉が沢山ある。ここでも先人たちの過去の遺産が、現代においてもなお光り輝いていることを認識するのである。

by yokohama7474 | 2017-01-08 00:11 | 書物 | Comments(0)