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明智憲三郎著 : 本能寺の変 431年目の真実

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一週間ほど出張に出ていて、記事を更新することができませんでした。その間、真面目に仕事はこなしながら、書くネタはあるのに記事を書けないもどかしさで身を焦がす思いでした(笑)。幸か不幸か、今回は出張中にオペラやコンサートに出かけることはなかったので (一生懸命我慢したので?)、今回の記事は、音楽ネタではなく、しばらく前に読んだこの本についてということに相成った。

1582年、織田信長がその最期を迎えた本能寺の変は、その謎めいた真相を巡ってあれこれの推測が飛び交う、日本史上屈指の大事件であることは論を俟たない。ドラマや映画で何度扱われてきたか分からないくらいその話題度は高く、400年以上経った今でも、いわゆるゴシップの類が飛び交っている状況だし、それどころか最近は、歴史ネタで踊るコンビがネタにしているくらいである。この本は、そんな本能寺の変の真相に迫る、ミステリーさながらの実に面白い本なのだ。たまたま上の画像では「15万部突破」とあるが、私の手元の本 (2014年6月、初版第九刷) には、「20万部突破」とあり、ネットで画像検索すると、「24万部」「26万部」「35万部」、さらには「漫画化決定!! 別冊ヤングチャンピオン」という宣伝においては、ついに「40万部突破」とある。大変な売れ行きの本なのである。ちなみに題名から計算すると、ええっと、2013年の発行ということになるが(いや、厳密には「年目」はその年を含むので、ちょうど430年後の2012年が正しいと思うが、まあそこは置くとして)、実はその前、2009年に「本能寺の変 427年目の真実」という本があり、それを加筆・修正したのがこの本である。それだけ著者の執念がこもっているということだろう。

ではその執念をこめた著者は誰かというと、その名の通り、明智光秀の末裔、1947年生まれで、もともとシステムエンジニアの明智憲三郎という人だ。
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つまり、歴史の門外漢である人が日本史上最大の謎のひとつに挑んだというのがこの本なのであるが、その内容は、これは掛け値なしに滅法面白く、しかもかなりの数の一次史料にあたっての考察なので、その説得力には相当なものがある。上記の通り、これはいわばミステリーとしての謎解きの要素のある書物なので、その内容についてここに書いてしまうとネタバレになってしまい、このブログのコンセプトに反するので(笑)、それは避けることとするが、人々が単純に疑問に思う点、例えば、「信長ともあろうものが、なぜ本能寺滞在時には守りを固めていなかったのか」「変が起こるや否や秀吉が中国地方から矢のように近畿まで戻れたのはなぜか」「家康が堺から三河まで命からがら逃げ帰ったというのは本当か」、そして「なぜ光秀は反乱を起こしたのか」、「著者は光秀の末裔というが、謀反を起こした犯罪者の家系が根絶やしにされなかったのはなぜか」といった点のそれぞれについて、極めて明快な回答が提示されるので、その爽快感は無類のものである。しかもここで展開される説において、これまで定説とされてきたものが一体何に依拠していて、それがどの程度信憑性のあるものかがいちいち示されるので、この本の説には実際に説得力が感じられるのである。

考えてみれば、「歴史の真実」などという言葉にはうさん臭さがつきまとう。ほんの何十年どころか、何年か前の事件であっても、その真相は永遠に分からないという事件は沢山あると思う。ましてや、400年を経過した事件には、後世の権力者による情報操作もあってしかるべきだし、そもそも全体像を把握することができた同時代人はいないであろう。あるいは、ある人にとっての「真実」と、別の人にとっての「真実」が異なるという事態もあり得よう。その場合は、そもそも「真実」の定義すら曖昧になっているわけで、人間の営みには様々なところでそのような不確定性があるのだと思う。その一方で、この本を読んでいると、いやはや日本人というものは昔から日記やその他の記録を残すことが好きなのだなぁという感想を抱かざるを得ない。さしずめ現代ではブログなどという存在が、後世の人たちから見れば貴重な歴史的遺物と思われる日が来るのかもしれない。もっとも現在の世界に存在している情報量は、後世の人たちにとっても把握しきれないほど膨大であり、必要な情報が充分に歴史探索者に届くか否かは、いささか心もとない気もする。でも、今から400年後にこのブログを見る人が、この記事から例えば2016年の米国大統領選の行方を推理するような事態になったとしたら、「おいおいおいおい」と言いたくなるでしょうねぇ(笑)。でも、「お、400年前の日本ではこれだけ文化的なイヴェントが起こっていたのか」というように評価されるようなことがあれば、なんともやりがいのあることになるわけで。うーん、400年後の人類、一体どうなっているのだろうか。

などと余計なことを考えているわけだが、最後にちょっといい話。現存している京都の本能寺(当時とは場所が少し変わっているらしい)に行くと、その宝物館でこのような置物を見ることができる。
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これは三本足の蛙のかたちをした香炉で、信長愛用の品と伝わる。この蛙、なんとも愛嬌があるが、実は本能寺の変の前夜に突然鳴き出して、信長に危険を知らせたという。信長愛用の品であれば、そのくらいの不思議を起こす力はあるような気もするが、もし本当に鳴き出したとしても、信長の命を守ることはできなかったわけで、運命の厳しさを感じることができるのである。一方で謀反を起こした明智光秀の切実な思いは、一般的な歴史認識においてはあまりクローズアップされることはない。その点、光秀の末裔が書いたというこの本を通して、その歴史的な空隙を埋めることができて、大変有意義だと思う。三本足の蛙はもう鳴くことはないだろうが、歴史の結節点でこの蛙が実際に見た光景には、多分現代の我々が空想しても及ばない壮絶な歴史のドラマが込められていたのだろう。そんな蛙さんに話しかけたくなってしまいますなぁ。

by yokohama7474 | 2016-10-25 00:24 | 書物 | Comments(0)

イレーネ・ネミロフスキー著 : ダヴィッド・ゴルデル (芝 盛行訳)

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今年1月24日の記事で映画「フランス組曲」をご紹介したが、その映画の原作者が、イレーヌ・ネミロフスキーであった。その記事において、このアウシュヴィッツ強制収容所で命を落としたユダヤ人女流作家の作品のいくつかの翻訳本の装丁の美しさに惹かれたことを書いたが、そのうちのひとつがこれである。

題名のダヴィッド・ゴルデルとは、主人公のユダヤ人実業家の名前。なにやら知らぬが、響きのよい名前ではないか。主人公の名前を題名とする文学作品としては、「アンナ・カレーニナ」とか「ジェーン・エア」とか「シラノ・ド・ベルジュラック」とか、いくつか思いつくが、いずれも一度聞いたら忘れない響きであると思う。その意味ではこのダヴィッド・ゴルデルも同様で、なぜか印象に残るのである。私の勝手な思いつきであるが、この名前が古代ユダヤの王「ダヴィデ」と、彼に退治された巨人「ゴリアテ」の響きを思わせて、なにやら神秘的な連想を誘うのではないだろうか。もちろん、ダヴィッド (英語ではデイヴィッド) は、聖書に登場するこのダヴィデに由来する名前である。これはカラヴァッジオの有名な「ゴリアテの首を持つダヴィデ」。切られた首は画家の自画像と言われている。
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だがこの「ダヴィッド・ゴルデル」は、古代ユダヤの話ではない。両大戦間、1920年代を舞台に、ソヴィエトの油田採掘への投資で切った貼ったの勝負をする実業家の話である。全く予備知識なく、ただ青を基調とした清冽な表紙にだけ惹かれて本作を読みだすと、冒頭から戸惑うことになる。厳しい交渉のシーンなのであるが、その描き方はかなり骨太であり、人生の苦渋の経験の数々を皺としてその顔に刻んでいるであろう初老の主人公、ダヴィッド・ゴルデルの狡猾で強欲なイメージが浮かんでくる。その後ストーリーは大きな展開があると言えばあるし、最初から変わらないトーンで淡々と進むと言えばそうも言える。リアリティはあり、それは過酷なものですらあるのだが、どこか夢の向こうで人々ののっぴきならない人生が展開しているようにも思える。ユーモアを感じることもできるが、思い返してみると暗褐色のシーンのイメージが圧倒的に多い。そんな不思議な小説である。金に執着する強欲ユダヤ人、ダヴィッド。それゆえに彼には一方で家族への強い思いがあるのだが、妻や娘はそれを弄ぶように冷酷だ。若さと老い。富と困窮。精神の高揚と委縮。それらが終始入り乱れ、見知らぬ青年が登場して物語は静かに終わりを告げる。読後感は決してよいものではないのだが、しばらく経つとこの表紙のような涼やかな諦観をもって振り返ることになる。

作者のネミロフスキーは1903年にロシア帝国内のキエフ(今のウクライナの首都)で生まれ、ロシア革命の際にパリに亡命。1929年というから、未だ26歳の若さでこの「ダヴィッド・ゴルデル」で文壇にデビューした。パリの出版人ベルナール・グラッセ(プルーストやラディゲの作品を世に送り出した人らしい)のところに、M・エプスタインという名前で送られてきた原稿は、その力強い筆致で百戦錬磨のグラッセを唸らせたが、なかなか作者に連絡が取れず、新聞広告まで打って作者に呼びかけたらしい。そして1ヶ月後、グラッセのもとに現れたうら若い女性が、子供が生まれたばかりで連絡が遅れて申し訳なかったと自己紹介した上で、夫の名前で原稿を送付したことを告白。そのわずか一週間後にこの小説は出版された。これが作家ネミロススキーの処女作となった。
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そして、早くも1931年に、この作品はジュリアン・デュヴィヴィエ監督により映画化されている。後年、「望郷」「舞踏会の手帖」等で知られるようになるフランス映画の巨匠の、実はこれが初監督作品であったようだ。一体どのような内容であったのか知らないが、試写会にはあの作曲家モーリス・ラヴェルや画家キース・ヴァン・ドンゲン、作家コレット等が姿を見せたという。ふーん。私はコレットはよく知らないが、ラヴェルとヴァン・ドンゲンはよく知っている。このような酒と汗の匂いがして、なぜか鼻毛が出ていたに違いないと思えてならない(笑)主人公を描いた映画と、この2人の洗練された芸術家のイメージは、かなり遠いものがある。ということは、両大戦間のパリにおいて、芸術としてのスタイルの差を埋めるような、何か不思議なリアリズムが、人々の心に訴えかける要素があったということだろう。大変に興味深い。

その後ネミロフスキーは人気作家となったそうだが、39歳の若さでナチのホロコーストの犠牲となってしまう。なんという理不尽なこと。もちろん、才能ある作家であろうが歴史的に名を残す可能性のない市井の人であろうが、命の重さに変わりはないものの、もし彼女が戦後まで生きながらえれば、フランス文学史に新たなページを開いたということになったかもしれない。ただその一方で、運命的に限られた命であったからこそ、天から才能を与えられて、若くして文壇を駆け抜けたとも言えるのかもしれない。今、この本を出している未知谷(みちたに)という出版社で、同じ芝 盛行の翻訳で何冊もネミロフスキーの作品が出版されている。この出版社のウェブサイトは、あたかもインターネットが普及し始めた初期の頃のように古風なものであるが、面白そうな本を次々と出版している。モットーは、「誰もやらないなら私がやります」であるそうだ。文化を愛する人なら、この出版社の果敢な姿勢に大いに共感するはず。私もまずはネミロフスキーをもう少し読んでみることにします。しかしながら、正直に白状すると、「ネミロフスキー」だか「ミネロフスキー」だか、まだ混同することしきりなのである。正しくは、ネミロフスキー。ちゃんと覚えよう(笑)。

by yokohama7474 | 2016-09-16 00:21 | 書物 | Comments(0)

チャイナ・ミエヴィル著 : 都市と都市

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一風変わった小説を読んだ。1972年英国出身のチャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」という2009年に発表された小説だ。原題はそのまま、"The City & The City" であり、このハヤカワ文庫の翻訳(日暮雅道訳)で、500ページを超える大部な作品である。裏に記載されているあらすじの最後の部分には、「ディック - カフカ的世界を構築し、ヒューゴ賞、世界幻想文学大賞をはじめ、SF/ファンタジー主要各賞を独占した驚愕の小説」とあるし、上の写真の帯の部分には、「カズオ・イシグロ絶賛!」とある。フィリップ・K・ディックは言うまでもなくSF界の永遠のカリスマだし、カフカはもちろん20世紀初頭の不条理小説の大家として世界文学史上に堂々と名を留めている。これら作家の作り出す世界は私も大好きだし、それに加えてブッカー賞を受賞した現役作家として飛ぶ鳥を落とす勢いのカズオ・イシグロまで絶賛と来ると、これは読まずにはいられないでしょう、やはり。これがミエヴェルの写真。うーん、このスキンヘッドにマッチョな体つきには、なにやらただならぬ雰囲気を感じてしまうが、結構フレンドリーな方らしいです。
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この小説の設定は大変にユニークで、それは、東欧あたりに存在するという設定の二つの都市国家、ベジェルとウル・コーマが舞台となっていて、この二つの都市国家は同じ場所に存在しているのだが、言語や政治・経済が異なっていて、それぞれの住民は相手の国のことを見てはいけない(見えても見えないふりをする)ルールになっていて、もしそれを破ると、「ブリーチ」(Breach、つまり義務を守らないという言葉そのものだろう)と呼ばれる超法規的警察権力によって処罰されるというもの。このように書いていてもさっぱり訳が分からないが(笑)、設定について詳細な説明はない。まさに不条理の世界そのものだ。物語は、ベジェルで米国人女子大生の殺害死体が発見され、同国の警官であるティアドール・ボルルが、ウル・コーマにも乗り込んでその謎に迫るというもの。ストーリーテリングのトーンはハードボイルド風であり、SFでもミステリーでもホラーでもない、なんとも名付けようのない作品である。私はこれを読んでいて、イスラエルとパレスティナのイメージかと思っていたのだが、ネットで調べると、どうやらモデルはオランダにあるバールレ=ナッサウという街であるらしい。この街についてはWikipediaもあるので、ご興味おありの向きはご覧頂ければと思うが、ベルギー国境から5km程度の距離にあるものの、街の中に実に21ヶ所ものベルギーの飛び地が存在しているという。場合によっては家の中を国境線を通っていることもあり、そのような家に住む家族は、正面玄関のある方の国民になっているそうだ。オランダ側の人口6,000人、ベルギー側2,000人という小さい規模の街であるが、歩いていると何度も国境を越える街とは、なんともユニーク。12世紀にブラバント公爵(おぉ、ワーグナーの「ローエングリン」ですな)がブレダという地域の領主にこの土地を与えたものの、自ら所有する部分は譲らなかったという。このブラバント公の所有地が今のベルギー領らしい。以下の地図で、黄色はオランダ、青がベルギーだ。オランダの中のベルギーの飛び地に囲まれたオランダの領地という場所もあり、なんとも面白い。
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さて、このようなモデル都市はあるものの、この作品で描かれているベジェルとウル・コーマの関係ほど複雑ではない。正直その関係は、読んでいてもあまりヴィヴィッドにイメージされることがない。それが作者の作戦なのかもしれないが、多分に映画的なヴィジュアル性を伴う文章というものは、意外と読んでいる人のイメージを刺激しないものだ。従い、500ページもある大部な作品で延々それをやられると、読者の方は相当辟易してくるものだ。加えて、殺人事件とその謎に迫る主人公の活躍は、胸がスカッとするというものでもなく、手に汗握る展開とは、お世辞にも言えないと思う。驚愕の謎解きがあるかと言えば、私としては否定的にとらえざるを得ない。むしろ、架空の場所を設定して自ら延々と同じような描写を続ける作者の姿を思うと、ちょっと偏執狂的な感じがすると言ってもよいし、もっと言葉を選べば、「いやぁご苦労さんですなぁ」ということになろうか。

もちろん、舞台が架空の街であれ、合理性を欠く禁忌の描写や、先史時代の謎を巡る言説に、普遍的な人間社会の宿命を感じる部分も、あるにはある。そして、この奇妙な設定が一種独特の情緒を生んでいることも確かだと思う。だが、やはり私は、実際に人間が辿ってきた歴史の方に興味がある。いかに優れたイマジネーションを持つ作家であっても、現実世界の歴史以上に面白い作品を書くことは至難の業だろう。あらゆることに関する詳しい情報が簡単に手に入る現代、歴史的事象は考えられないくらいのリアリティをもって我々の前に立ち現れてくる。わざわざ架空の世界のトラブルに深いりする小説を手に取る必要が、一体どのくらいあるだろうか。

というわけで、ちょっと特殊な設定を持つ小説だけに、「読んだ」という事実は忘れないと思うが、むしろ現実に存在するオランダのバールレ=ナッサウを訪れてみたいと思わせるきっかかになった小説として記憶に残るかもしれない。

by yokohama7474 | 2016-08-20 22:57 | 書物 | Comments(0)

井上章一著 : 京都ぎらい

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京都のイメージにぴったりの抹茶色のカバーに、デカデカと「京都ぎらい」と題名が書いてあり、しかも、「新書大賞2016 第1位」と謳い文句が出ている本が積んであるのは、書店を覗くといやでも目に付くものである。しかも副題が「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」と、これまた刺激的。ここで「全部」という漢字ではなく、「ぜんぶ」とひらがなになっているあたりも、いかにも京都らしい柔らかさがあって、これはどうやら、京都人が自らの故郷を非難する本であろうと察しがつく。なんと言っても日本でいちばんの観光地であり、昨今では海外から旅行者の人気の的である京都に関して、一体何がそんなに問題であるのか。

実は私がこの本を手に取った理由は、キャッチーなこの装丁だけではなく、この著者の名に覚えがあったからだ。井上章一。この本における肩書は、「国際日本文化研究センター教授」とある。この教育機関のことはよく知らないが、調べてみると、哲学者の梅原猛が初代所長、心理学者の河合隼雄が第 2代所長を務めた機関で、日本文化の研究に携わる錚々たる研究者たちが顔を揃えているようだ。この井上氏は1955年京都府生まれ。京都大学工学部建築学科及び同大学院修士課程修了。もともとは建築の専門家であるが、これまでの著書には「現代の建築家」という専門そのままの本もあれば、「霊柩車の誕生」「美人論」から、果ては「阪神タイガースの正体」という本まで含まれる、熱狂的タイガースファンであるらしい。実は私は以前この人の著作を1冊読んでいて、それは「つくられた桂離宮神話」という本なのである。さらに言えばその本を読む前に、2冊ほど関連する別の本を読んでいた。今本棚からそれら3冊を出して来よう。
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桂離宮は、ほぼ同時期、17世紀前半に造営された日光東照宮の極めて高い装飾性との対照において、その簡素な精神性に日本美の極を見るとする論調が歴史的に主流である。この井上氏の著作では、その論調を作り出したドイツの建築家ブルーノ・タウトに異を唱え、そのタウトの考察が戦時体制においてナショナリズムの高揚に利用されたということが述べられている。私自身は、ブルーノ・タウトの名前と桂離宮神格化については、30年以上前、高校生の頃に読んだ、それこそ梅原猛の著作で知ったのだが、桂離宮を初めて参観したのはそれから10年以上経ってからだった。一方で、その頃には既にモダニズム建築に対する興味も芽生え、また外国人から見た日本文化にも興味があったので、自然にタウトの著作に親しむこととなった。そうなると今度はそのアンチテーゼとしての井上氏の本に興味が沸いた、という順番であったわけである。そうして読んだ井上氏の言説を、大変面白いと思ったのであった。実証的な論の展開は大方忘れてしまったが、あとがきに紹介されたエピソードが面白くてよく覚えている。引用しよう。

QUOTE
私は、桂離宮の良さがわからないと、正直にまず書いた。無理解を前提にしながら、仕事をすすめてきたのである。この態度は、しかし多くの同業者から、つぎのように批判されてきた。
「桂離宮がわからないようなやつに、建築史を研究する資格なんかない」
「桂離宮を語るのなら、美の本質に肉薄すべきだ。それをないがしろにするのは、邪道である」
いまでも、「井上です」と自己紹介をしたときに、からまれることがある。「君か、桂離宮がわからんなどという暴言をはくのは」、と。
UNQUOTE

著作を世に問うに当たって、これほど正直に自らの立場を明確にできるとは、大変勇気のいることである。世の中には常識というものもあれば良識というものもある。実はそれらと、先入観、集団への帰属意識、他人から白眼視されることへの恐怖、といったものとの距離は、意外と近い場合もある。私はこの井上氏の「つくられた桂離宮神話」を読んで、やはり何事も自分の直感を大事にすべきであること、そしてごく自然な感性で物を見ること(つまり、他人がよいと言うからよいのではなく、自分がよいと思うからよいのだという素直な信念)を学んだのであった。もちろん、私自身が桂離宮を美しいと思うか否かとは別問題として(笑)。
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そんな中、久しぶりにこの著作家の本を読んでみたのだが、この語り口には覚えがある。いや、この本の方が格段に口語的で読みやすい。誰でもが読み通せるだけの平易な内容であるがゆえに、新書大賞なるものを受賞するのもむべなるかな。内容は要するに、洛西の嵯峨という京都「府」出身の自分が、実際に京都の中心である洛中生まれの人々から見れば「郊外」の生まれとしてしか扱われないことへの積年の恨みに端を発し、京都というこの複雑な土地柄における坊主と姫の歴史的関係(?)、訪問者を歓迎するために庭園を発達させた寺院の歴史的機能、初期の江戸幕府の寺院復興への貢献、足利尊氏の天龍寺創建は後醍醐天皇の霊魂の鎮魂のためである等々、聖俗取り混ぜたとりとめない京都論が展開する。ここに記載されている場所にイメージのある人なら、なるほどなるほどと思う箇所が多々あることだろう。また、引用されている実際の会話にかなり笑いを誘われることであろう。タブーを恐れずに歯に衣着せぬ論調の箇所もあり、さすが件の井上氏、勇気があるなぁと思ってしまうこと請け合いだ。このような飄々としたお方。
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一方、このような本の中には、笑いながらも日本人のイヤな部分が見えてくることも事実。ここに書かれたことを知らず、ただ純粋に京都に日本の歴史を感じ、桂離宮に簡素な日本美の極を感じていた方が、実は幸せかもしれない(笑)。読書経験をいかに実生活に活かすかは、読んだ人次第ということだろう。

by yokohama7474 | 2016-07-28 22:42 | 書物 | Comments(2)

アゴタ・クリストフ著 : 悪童日記

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この小説の作者はハンガリー人であるが、1986年にフランス語で発表された。そしてその内容の衝撃によって世界で読まれるようになり、上の写真にもある通り、映画も制作された (脚本・監督はヤーノシュ・サースという、やはりハンガリー人)。実は私は、2014年に日本公開された映画を先に見て、後からこの原作を読んだもの。これを読むと映画は原作を忠実になぞっていることがよく分かり、映画には映画のよさもあるものの、大体において原作の方が映画より面白いことが多い。それは、本を読むには映画よりも長い時間をかけて作品世界とつきあうからであり、また、登場人物を自らの想像力で心の中で動かす必要があるからでもあるだろう。むしろこの作品の場合、よくぞ原作の持ち味をあそこまで頑張って映画化したな、と映画の出来に感心するくらいである。

原作者アゴタ・クリストフは 1935年生まれ。2011年に既に物故している。
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この生年で明らかな通り、子供時代を戦争の中で生きた女性である。そしてまた戦後の東西冷戦にも巻き込まれるという人生を送ったわけであるが、そのような激動の時代を生き抜く逞しさを、後年になって小説に昇華したと言えるだろう。学生時代は数学好きの文学少女。そして 18歳で結婚し、女工として働く。1956年のハンガリー動乱の際に、20万人のハンガリー人が国境を越えてオーストリアに脱出したが、彼女とその家族もその中にいた。そしてスイスに移住、また女工として働き、貧しい生活を送る。やがて離婚、大学に通ってフランス語を学ぶ。家庭を切り盛りしながら深夜に執筆する生活に入り、最初はハンガリー語で書いていたが、1970年代からフランス語で書き始め、戯曲が地元のローカル劇団によって上演されたり、ラジオドラマになる。そして 1986年、初めて書いた小説が、この「悪童日記」というわけだ。既に 50を越えていたわけだが、やはり才能があり、かつ、もっと大切なことには、窮屈な生活の中でも濁らない視線があったのだろう。この「悪童日記」が世界的に売れた後、「ふたりの証拠」「第三の嘘」という三部作を書き上げた。

この「悪童日記」は世界中でベストセラーになったという。読んでみると分かるが、ここには戦争の悲惨さが痛いようなリアルさで描かれていて、なんとも陰鬱な思いにとらわれざるを得ないのだが、その一方で妙にユーモラスな要素 (ある場合には、絶望極まって、もう笑うしかないという開き直り) が全編を通して見られるので、結果として、戦争を起こす愚かな人間の姿と、その戦争の惨禍の中でも逞しく生き抜く人間の持てる力の双方に、読む人は圧倒されるのである。

映画を先に見てしまった人間としては、上記の通り、この原作の雰囲気をそのままに映画化したことに感動を覚えるとともに、その反面、原作ならではの優れた点を感じる。例えば、主人公は双子の男の子たちであって、映画では当然二人が出演しているのであるが、原作では、この二人はそれぞれの人格を与えられておらず、終始「二人で一人」という描き方 (一人称で書かれた小説であって、主語は常に「ぼくら」) であるのだ。多少想像力を逞しくすると、これは実は一人の主人公が、つらい生活からの逃避のために双子の片割れを空想の中で作り出したと考えても、あながち変ではないくらいだ。
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それから、映画の中では舞台はハンガリー、そこに駐留する将校はドイツ人ということが明確であったが、実は原作では舞台は明確にされておらず、ハンガリーの首都ブダペストとおぼしき街は「大きな町」、少年たちの暮らす田舎は、作者自身によるとハンガリーのオーストリア国境近くにあるクーセグという街がモデルらしいが、ここでは「小さな町」としか言及されない。敵国も、そして後半でその敵国から「解放」してくれる他国 (もちろん史実ではソ連であり、解放という言葉にカッコ書きをするのも当然意味がある) も、具体名は出てこない。これぞ文学の素晴らしさ。ここで描かれた人間の真実の姿には、国の特定は必要ないのである。残念ながら私がまだ訪れたことのないブダペストは、このような美しい街。
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それから、原作では映画よりも遥かにエグいシーンが沢山出てくる。文字では書けても、映像にすると醜悪すぎるような設定が多いのである。だが、これも文学の強みであろう、ひとつひとつのエピソードがそれなりに完結していて、全部で 62の短い章から成っている。その構成によって悲惨の連鎖という印象が薄れ、読者は戦争の悲惨さに心を痛めながらも、最後まで読み通すことができるのだ。この作品の原題は「大きなノートブック」という意味であるが、それは、少年たちが戦争下の自分たちの生活を赤裸々に綴った日記の様相を呈しているからであろう。その意味で、「悪童日記」という邦題は、うーん、ひねりは理解できるが、少し響きが楽観的に響き過ぎるような気がする。

余談だが、20世紀を代表する指揮者であったサー・ゲオルク・ショルティはハンガリー系ユダヤ人。1912年生まれだからアゴタ・クリストフよりも一世代上だが、やはり戦争に人生を翻弄されており、戦争中にスイスに滞在してから久しく母国に帰れなくなったのだが、父親とはその際にブダペストから列車に乗るときに別れたきり、一生もう二度と会えなかったと語っている彼のインタビューを見たことがある。この指揮者が感傷に無縁な強靭な音楽を終生奏で続けた裏に、そのような痛ましい経験があったのだ。平和な時代の我々には想像もできないようなことであるが、でも少しでもそのような逸話を知っていると、戦争を題材にした作品に接した際にも、なんとか想像力を巡らせることができるというものだ。

この小説、誠に恐るべき作品である。決して楽しい気分にはならないが、読む人の心になにがしかの強いインパクトを与えることは請け合いだ。また、こんな凄い作品を書いた人が独学の主婦であったことも、人間の持つ潜在能力に気付かせてくれるのである。日常に埋没することなく、感傷もコントロールし、曇りのない目で世界を見ること、それができるか否かはあなた次第、とマエストロ・ショルティもおっしゃっています。
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by yokohama7474 | 2016-06-11 00:35 | 書物 | Comments(0)

ウラディーミル・マヤコフスキー著 悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー

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ウラディーミル・マヤコスフキー (1893 - 1930) はロシア・アヴァンギャルドを代表する詩人である。この本はそのマヤコフスキーによる短い戯曲を収めたもの。最近でこそ東京でロシア・アヴァンギャルドや構成主義の展覧会はあまり多くないものの、1980年代以降、何度も興味深い展覧会が開かれてきた。ロシアにおいて両世界大戦間に花開いた前衛活動の時代は、そのままロシア革命とスターリン時代の間。巨大な帝政が転覆して誕生した世界最初の共産党国家として、内外の戦闘において、また粛清によって多くの血がロシアで流されたという痛ましい歴史があるわけだが、文化・芸術の面では刺激に満ちた時代となった。ロシア・アヴァンギャルドの雰囲気を示す作家として、パーヴェル・フィローノフ (1883 - 1941) の作品のイメージを紹介しよう。これは、我が家の書棚から引っ張り出して来た、1990年にパリのポンピドゥー・センターで見た展覧会のカタログ。私にとっては、生まれて初めて訪れたパリで、ロシア・アヴァンギャルドの代表として名前を知っていたこの画家の展覧会を見ることができた喜びは未だに忘れ難いものだ。今手元に充分な資料がないが、確か私はフィローノフの名前を、「世界最初の抽象画家のひとり」として認識していた。
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さてこのフィローノフ、1913年にこの戯曲「悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー」(表記は冒頭に掲げた小笠原豊樹訳による土曜社のヤマコフスキー叢書に従う) がサンクト・ペテルブルクで初演されたとき、その舞台美術を担当したという。主役は当時 20歳のマヤコフスキー自身。その他の俳優は公募で集めた素人ばかりであったという。1913年ということは、未だ帝政時代であるが、既に胎動している前衛芸術の様子を偲ぶことができる。

この戯曲、本でさっと読んだ限りでは、一体何が進行しているのかあまり想像できないようなものであるが (笑)、それゆえにこそ、本当にロシア・アヴァンギャルドの雰囲気がいっぱいで、わけもなく嬉しくなってきてしまう。なにせ本文の最初の部分を開くと、こんな感じなのである。
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このプロローグでのマヤコフスキー自身の口上を少し引用してみよう。

QUOTE
きみたちにわかるかな、
なぜぼくが
嘲りの嵐のなか、
平然と、
自分の魂を大皿に載せて
モダンな食事の席へ運ぶのか。
広場のほっぺたの無精髭を伝い
無用の涙となって流れる、
このぼくは、
恐らく
最後の詩人なのだろう。
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すっとぼけたイラストのイメージとは異なり、詩の内容は、シニカルなようで意外と情緒的であるのがお分かりであろう。私はこれまでマヤコフスキーの作品には断片的にしか触れてこなかったので、このようなイメージと内実のギャップに興味を抱くとともに、この詩人のナイーブな内面に好感を抱くに至った。このイラストは、「乾いた黒猫の群を連れている老人」という登場人物のセリフ、「さあ、こするんだ! 乾いた黒猫を、こすれや、こすれ!」という部分に添えられたもの (笑)。
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私の知識では、この詩人は若くして自殺したとの整理になっているが、いろいろと調べてみると、ピストルで頭を撃ち抜いて発見されたものの、今では他殺という説もかなり有力になってきているようだ。没年は 1930年。スターリン時代であり、秘密警察の関与があってもおかしくない時代である。時代を駆け抜けた天才詩人に、一体何があったのか。
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この土曜社のマヤコフスキー叢書は、2014年 5月から、全 15巻の予定で刊行中。「背骨のフルート」「南京虫」「風呂」等、彼の一連の作品を読んでみたい。ロシアの芸術の理解への道程にはなるだろうと思います。

by yokohama7474 | 2016-06-02 23:11 | 書物 | Comments(0)

井上靖著 : カルロス四世の家族 - 小説家の美術ノート -

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私は昔ながらの古本屋が好きで、街を歩いていて古本市など開かれているのを見ると、足を停めずにはいられない。そして玉石混交の古い本を買い込んで悦に入るのである。この本もそのようにして近年入手したもの。上の写真にある通り、いちばん外側は段ボールになっていて、その中には何やら模様つきのカバー。そしてそのカバーの中に、硫酸紙で包んだ本が入っているのである。今ではありえない、なんという贅沢な作り。実際に私がこの本をいくらで購入したかは覚えていないが、外側の段ボールには、「初」の字に丸がついていて、「\ 2,500」とある。恐らくは初版本ということであろう。奥付を見てみると確かに、昭和 49年の初版本だ。西暦では 1974年。今から優に 40年以上前の本である。実際に購入したのは数百円ではなかったか。

作者はあの井上 靖 (やすし、1907 - 1991)。「敦煌」「天平の甍」等の歴史もので名を成した大作家だ。
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よく知られている通り、彼はもともと新聞記者であり、歴史のみならず東西の美術にも詳しい人であった。私は若い頃に彼の代表作に加え、主として日本美術に関する文章を多く読んだものだし、琵琶湖畔の十一面観音を題材にした「星と祭」という大部な小説も興味深く読んだものだ。今回採り上げるこの本は、副題にもある通り美術に関するエッセイで、5編からなるが、以下の通り対象は古今東西に亘っている。
 ゴヤの「カルロス四世の家族」について
 桂離宮庭園の作者
 微笑と手と (レオナルド・ダ・ヴィンチ小論)
 顔真卿の「顔氏家廟碑」
 「信貴山縁起絵巻」第一巻を観る

ふーんなるほど。現代でこそ、脈絡なく音楽や美術や映画などを雑多に語るいい加減なブログなどというものも世の中には存在するが、昭和のこの頃、これだけ広範な美術を語る作家という存在は貴重であったことだろう。そしてこれらの文章、読んでいて大変面白い。堅苦しいところはなく、むしろ軽妙な語り口なのであるが、透徹した視線が感じられ、襟を正したくなる箇所があれこれあるのだ。もう失われてしまった昭和の文人の姿であろう。

選ばれている題材のうち、ゴヤ描くところの「カルロス四世の家族」については、昨年 12月にプラド美術館展に関連した記事を書いた。
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http://culturemk.exblog.jp/24008763/
ここで井上は、この作品に描かれた一人一人について、その人生を記述する。中にはモデルが特定できない人物もいるが、ほとんどは判明しており、その性格やその後の運命など、興味深いエピソードが目白押しだ。歴史の残酷を見つめる小説家の視線には、やはり端倪すべからざるものがある。

とりわけ面白かったのは、この本の最後に掲載された「信貴山縁起」についてである。むむ、私は最近の記事でこの絵巻物について触れなかったか。そうだそうだ、「伴大納言絵詞」について触れた、出光美術館の展覧会についての記事だ。
http://culturemk.exblog.jp/24344174/

ちょうど見たいと思ったこの絵巻物についての文章を読むことになるとは、なかなか面白い偶然だ。この絵巻物も「伴大納言絵詞」と同様、3巻からなるが、その第 1巻は、これも「伴大納言絵詞」と同様、残存しているのが絵画部分のみで言葉を欠いているが、これまたやはり「伴大納言絵詞」同様に宇治拾遺物語等でストーリーは判明するという。これは果たして偶然なのか、それともこの 2つの絵巻物の間に何か関連性があるということだろうか。ともあれここでの井上は、この第 1巻で描かれていることを、いや描かれてはいないことまでも、登場人物を仔細に精査しながら、また想像力を駆使しながら、まるで見てきたかのように (?) 語るのである。これはなかなかに楽しい。小説家特有の想像力でストーリーを編み出しているわけであるが、そのリアリティはなかなかのもの。これは、命運 (みょううん) 上人という特殊な能力を持つ僧が放った鉢が、米俵を大量に入れてある倉を運び上げ、いずこかに持ち去る場面。驚く人々が口々に騒ぐ様子が目に浮かぶようだ。これが 12世紀の作とは、とても信じられない。
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というわけで、この「信貴山縁起絵巻」を見たいという私の願いは募るばかり。うーん。誰か私を鉢に乗せて、この絵巻物のある場所まで連れて行って欲しい。・・・いつ、どこで見ることができるのか。井上靖は既にこの世の人ではなく、教えてくれない。まるで闇夜を歩くかのような私なのであった。

by yokohama7474 | 2016-05-05 23:30 | 書物 | Comments(0)

安田 寛著 : バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本

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このブログであれこれクラシック音楽についての記事を書いている私であるが、何を隠そう、楽器は何もできない人間なのである。音楽の楽しみの本質は、自分でそれを奏でることであることは充分理解しているつもりであり、その限りにおいて、自分で演奏もしない人間がいかにエラそうなことをほざいても、所詮はその説得力に限界があると思う。だがその一方で、音楽がごく一部の専門家のものではなく万民のものであるとすれば、どんな人間でも、音楽について語ることができるはずである。それが許容されることこそが音楽の素晴らしさなのだろうと思う。

ピアノを習ったことのない私にとっては、バイエルの教則本の内容がいかなるものであるかを知る由もない。だが、幼少の頃にピアノを習う人が、まずはこのバイエルから入って、ブルグミューラーやらツェルニーに移って行くということはもちろん常識として聞いたことがあり、このバイエルの教則本が全然面白くないという話もよく耳にする。だからバイエルの名前は、強制された習い事の象徴のようなイメージがあり、であるからこそ、一体それがどういうものであるのか、また、一体どういう人がそれを作ったのか、なぜそれほどメジャーであるのか、なんとも気になるのである。ふと立ち寄った書店でこの本を見かけたとき、ちょっと読んでみるかと思ったのはそのような背景による。結論から申し上げれば、この本は滅法面白く、著者の実体験を書き綴っているだけに、下手なミステリーよりもよっぽど楽しめるのである。クラシック音楽に全く関心のない人にはお勧めしないが、少しでも興味がある人には、読んでみて絶対損はないとお勧めしたい。これらは日本で出版されているバイエル教則本の例。
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著者は、日本でピアノの初期教育の聖典と言われてきたバイエルが、最近では本場ドイツをはじめとする世界のどの国でも時代遅れとなっており、日本でもその意義を疑問視する声が増えてきていることを批判的に紹介。また、この教本を作ったバイエルという作曲家についての伝記的事実がほとんど全く知られていないことに着目し、一体バイエルとはいかなる人だったのか (もしかすると実在しなかったのか、あるいは他の作曲家の偽名か、はたまた複数の作曲家が使用したペンネームなのか)、またその教本がいかにして普及し、誰が日本に紹介し、誰が称揚したのか、という点について、凄まじい執念で調査を始める。いや実際、なぜそこまでと思えるほどの執念に、読み進むほど圧倒されるのだ。そして、謎の真っただ中に無謀にも (?) 飛び込んで行き、欧米のあちこちを訪ね歩く著者が、内外の多くの協力者や信じられないような運命的偶然に恵まれて道を拓いて行く展開に、ページを繰るのももどかしいほどの興奮を覚えるのである。何より、真摯な姿勢を自ら揶揄するようなユーモアのセンスが常に漂っているところがよい。

この本の著者、安田寛 (ひろし) は 1948年生まれなので今年 68歳の音楽学者。国立音楽大学の修士課程を修了、各地の大学で教鞭を取り、現在は奈良教育大学の名誉教授。ほかの著書には日本の唱歌のルーツを讃美歌に結び付けるような内容が見受けられるので、このバイエルの探求も、結果的にはその流れの中にある。ライフワークということなのだろう。

そのライフワークにかける著者の執念がたどり着いた結論は、なんとも達成感のあるものである。その箇所に至ると、見も知らぬ著者に対して握手を求め、「本当によかったですね」とねぎらいの言葉をかけたくなるのである (笑)。それから、その艱難辛苦につきあった挙句、全編の最後に記述されたエピローグにおいて、読者はインターネットの利便性を思い知るとともに、その逆説として、利便性度外視で情熱を傾けて多くの徒労を経ながら真実に近づくという行為の尊さに思い至る。ここでネタバレは避けるが、この本を読まれる方には、その表現があながち大げさでないことをお分かり頂けると思う。願わくばこの本の著者のごとく、真実を追い求める真摯さを心のどこかで持ち続けたい。そして大きな仕事を成し遂げたい。読む人にそのような思いを抱かせる書物であり、その点では非常に勇気づけられる。一方で、人間の営みが限られた生の期間にのみ行われることに思い至り、一縷の無常観とともに本を置くことになることも事実。そしてしばらくすると、正が限られているからこそ、真摯な姿勢で生きることに意味があるのだということにも気づかせられるのだ。

それにしても、何事にも歴史があることを思い知る。星の数ほどの人間が生まれ、死んで行く。この世に痕跡を残す人もいれば全く残さない人もいる。痕跡を残しても歴史によって忘れられて行く人もいる。この本の本当の感動はそこにある。私がここで唐突に思い出すのは、名匠ヴィム・ヴェンダース監督の映画、「パレルモ・シューティング」だ。
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この連想を突飛に思われる方もおられよう。実際、この映画はバイエルとは縁もゆかりもない (笑)。あのデニス・ホッパーの最晩年の出演作であるこの映画、そのホッパー演じる死神が、これまでにこの地上で生きた人たちの長い長いリストを見せるシーンがあって、そこには戦慄するような歴史の重さと残酷さがある。私がこの「バイエルの謎」を読んで感じた深淵は、そのような感覚に極めて近いものであった。相変わらず我田引水、牽強付会の暴論であるが (苦笑)、本当のことだから仕方ない。この映画をご覧になっていない方、この本と併せてお勧めしておきます。

by yokohama7474 | 2016-04-19 23:52 | 書物 | Comments(2)

イーデン・フィルポッツ著 溺死人

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いわゆる古典的な推理小説の名作の中に、「赤毛のレドメイン家」という作品がある。私は子供の頃、古今の推理小説 (という言葉自体、今では死語になってしまったが、この場合はやはり、「ミステリー」などというよそよそしい呼び方はそぐわない) についての本をそれなりに読んでおり、その中でこの作品の名を知ったのである。特に、江戸川乱歩が激賞しているとのことで、興味を惹かれたのであった。ところが、今に至るもその「赤毛のレドメイン家」を読んだことがない。にもかかわらず、ある日書店でこの本が陳列されており、「『赤毛のレドメイン家』のフィルポッツが贈る長編推理小説」とあるのを見て、迷わず購入したのだ。帯にはデカデカと「名著復活 入手困難だった名作をお届けします」とあって、これがまた好奇心を激しく刺激。東京創元社復刊フェアに乗ってみようと思ったわけである。実は同じシリーズの復刊で、アーネスト・ブラマ作の「マックス・カラドスの事件簿」は既にこのブログでも採り上げた。さすが創元推理文庫。食指をそそる復刊だ。

イーデン・フィルポッツ (1862 - 1960、長生きだ!!) は英国人で、これは 1931年の作品。とある海岸で発見された溺死体が失踪したバンジョー弾きの格好をしていたところから物語は始まる。その謎に、警察署長のニュートン・フォーブズの友人である医師のメレディス (苗字の記載はない) が迫るというストーリー。作品はメレディスの一人称で語られる。冒頭部分については、実は上の描写は正しくなく、メレディスとその友人の刑務所長とが犯罪論をかわすシーンから始まっていて、その後物語の展開に入って行くのである。そして読者は、メレディスが正規の捜査権限を一切持たないままに、事件の謎に迫って行く過程を辿ることになる。真相は最後の 30ページ以降で明らかになるが、まあそれなりになるほどという感じではあるものの、うーん、驚いてひっくり返るというほどのものでもない。その一方、冒頭に出てきた犯罪論の続きが物語の合間合間に何度も延々と出てきて、正直なところ、ストーリーの流れをその度に分断し、鬱陶しいことこの上ない。当時の英国では、このようなペースで時間が流れていたのであろうか。約 300ページの本で、それほど分厚いわけではないものの、そのストーリー展開の遅さに、現代人である私は終始イライラし、時には 1ページを読む間に、残りの何百ページのことを考えて憂鬱になったこともある。そんなわけで、読み始めてから読む終わるまで、結局数ヶ月を要してしまった。通勤のカバンの中には大概入っていたし、出張にも携えて行ったが、実際に手に取って読む気になかなかなれず、なんとも遅々たる歩みであったわけだ。

そんなわけで、残念ながら推薦に値する作品とは思えず、読み終えたときの解放感のみがせめてもの救い (?) となってしまった。この本の解説によると、フィルポッツの名前は、上記の「赤毛のレドメイン家」によって日本では知られているものの、米国や、あるいは本国英国でも、現在ではほとんどその名を見ることはないという。だが、彼は十代の頃のアガサ・クリスティの隣に住んでいて、彼女の書いた小説について適切に助言を行ったらしい。なので、きっと頭のよい人で、小説のプロット作りにはそれなりのものがあったのだろうが、いかなる理由でか、余分な要素を沢山小説に盛り込んで、その小説自体を台無しにしてしまった・・・??? 残念なことだ。かくなる上は、名作と評判高い「赤毛のレドメイン家」を読んで、その真価に迫ることにしたい。尚、この作品を絶賛した江戸川乱歩は、その翻案を書いたという。その作品は「緑衣の鬼」だ。おー、子供の頃全巻読んだポプラ社の少年探偵団シリーズにも入っていた、あれだ。
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ただ、便利な時代になったもので、このシリーズでもこのあたり (第 34巻) になると、乱歩のオリジナルではなく、別の作家が子供用に書き直したものであったことが分かる。もちろん私は、大人用の版でもこの作品を読んでいるが、内容はよく覚えていない。「赤毛のレドメイン家」と併せて、このブログでまた感想を書ける日がくるかもしれない。

by yokohama7474 | 2016-03-26 00:53 | 書物 | Comments(0)

深水黎一郎著 最後のトリック

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昨年 6月にこのブログを始めてから読書の時間がほとんどなくなってしまっていることについては、以前にもぼやきを書いたが、気を取り直して、効率的に進められる読書の道を探ってはいる。もうすぐ読み終わる本も硬軟取り混ぜて何冊かあるが、ここで採り上げるミステリーは、出張を利用して読み進めたもの。先週の今頃から米国に出張であったため、機内での映画鑑賞 (往復で 3本見たが、劇場とはいろんな意味で環境が異なるので、私にとっての「映画鑑賞」の範疇には入れないようにしており、よってブログの対象ともしない) に加えて、一気呵成に読書する機会であるととらえ、出張直前に本屋で適当な本を物色し、これを選んだものだ。

上の写真の帯には「読者全員が犯人」とあって、題名が「最後のトリック」と来た。なになに、そうすると、この本を読む読者が殺人事件の犯人になるという、文字通りミステリー史上最後に残された究極のトリックを扱ったものであるのか。本の背表紙にあるあらすじにも、「ラストに驚愕必至! この本を閉じたとき、読者のあなたはかならず『犯人は自分だ』と思うはず?!」とある。最後が !! でなく ?! であるあたりに一種の保留を見る (笑)。だが、試してみようではないか。

この種の本を紹介するのは本当に難しい。ネタを明かさずに感想を言うことに腐心するからだ。よくこの種の本の最後に記載されている解説に、あらすじと引用が満ち満ちているのを目にするが、冗談じゃない。今その本を読み終えたばかりの人に、あらすじを教え、本文を引用してどうしようというのか。そんなものは解説を書く人の原稿用紙のマス目埋めに過ぎない。だから、原稿用紙を使っていない私はこう言おう。この本を閉じたとき、読者の私は『なるほど、読者を犯人にするという発想には工夫はあるけど、私は犯人ではないよ』と思ったのである。要するに、読み終わる前に作者の苦労が分かってしまうのである。それは、「読者が犯人」という (作中でも散々に不可能だと位置づけられている) 無理なトリックと、連続する挿話の涙ぐましい関連に読んでいる途中で気付くからである。ここで誓って言おう。私は誰も殺していない。いかにこの本の作者が凄もうと、私には殺したという意識がないのであって、そうである以上、この本を読んで心底恐ろしくなる読者は、残念ながらほとんどいないであろう。

もっとも、挿話の中に面白いシーンがいくつかあったことは事実。双子の姉妹が隔離された部屋でカードの柄を当てあうところなど、人物像もよく描かれていた。身なりを気にしない博士が、お互いに音を聞きあうことができない構造を表現するのに、「隣の部屋でシカゴ交響楽団がベルリオーズの『テ・デウム』を演奏しても気づかない」と発言する点など、クラシックファンとしてはニヤリである (私の知るところ、このオケはこの曲を録音したことはない)。また、天文学に関する詳細な記述にもリアリティがある。だが、このような大仰なトリックを大上段に構えて主題に据えた作品である以上、読み終えてしまえばそのあたりの印象は、あまり強く残っていないのが実情だ。

作者、深水黎一郎 (ふかみ れいいちろう) は、1963年山形生まれ。慶応の大学院文学研究科博士課程修了後、ブルゴーニュ大学とパリ大学で学んだという。これまでにメフィスト賞や日本推理作家協会賞短編部門を受賞している。なかなかの教養人とお見受けするので、究極のトリックなどより、人間世界に実際に存在しているミステリーを題材にされる方が興味深い作品になるのではないでしょうかなどと、勝手な感想を抱いております。

by yokohama7474 | 2016-03-06 21:37 | 書物 | Comments(0)