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この映画のポスターを見て誰しもが抱く感想があるだろう。まず、グレートウォールというからには、万里の長城についての物語だろう。実際ポスターの下の方には、「万里の長城が造られた目的が、ついに明かされる」とある。だが、主演は現在ハリウッドのトップ俳優のひとりであるマット・デイモン。アクションから繊細な演技まで、なんでもできてしまう彼のことだから、ここでは何食わぬ顔をして中国人を演じているのか??? ともかく、仲間とともに何かと戦うという設定の物語であることは確かだろう。もちろん万里の長城の建設に着手したのは、あの秦の始皇帝。紀元前 200年頃の話だ。そんな古代を舞台とするなら、西洋人を登場させるのは無理があるだろう。いや、とはいえ、ユーラシア大陸は陸続き。人類はその後シルクロードなる陸上の交易路を確立させ、アジアとヨーロッパには密なる交流が生まれるのだ。でも、秦の時代とは・・・。

とまぁ、余計なことを考えていたのだが、4/14 (金) の公開だから未だ 2週間足らずなのに、既にシネコンでの上映頻度が低くなっているのを発見して、これがいかなる物語であろうとも、劇場に急がねば、と思って見に行ったもの。もちろんそう思う理由は、この人だ。
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現代映画界の巨匠監督、チャン・イーモウ (張 芸謀) 65歳。そう、この映画は彼のすべきハリウッド第 1作なのだ (但し、中国と米国の合作映画であるが)。この監督については、北京オリンピックの開会式・閉会式の演出を手掛けたことで知られていると言ってもよいし、あるいはオペラ・ファンなら、ズービン・メータとフィレンツェ五月祭音楽祭が紫禁城で上演したプッチーニの「トゥーランドット」の演出家であることを挙げてもよい。だがやはり、初期の「赤いコーリャン」「菊豆」、あとなんと言ってもツァン・ツィイーがなんとも可愛らしかった「初恋のきた道」などのヒューマンな作風が忘れがたく、最近では「妻への家路」が深く心に残っている。その一方で、一般的に彼の知名度を上げたのは「HERO」と「LOVERS」というアクション大作であったろう。それから私として是非お奨めしておきたいのは、これも私が心から敬愛するコーエン兄弟の「ブラッド・シンプル」をリメイクした「女と銃と荒野の麺屋」。あまり知られていない映画かもしれないが、ご存じない方には、「ブラッド・シンプル」と併せて是非是非ご覧頂きたい。面白いです。さてそんなチャン・イーモウがこれまでハリウッド資本で映画を撮っていなかったとは意外である。というのも、同世代の中国の映画監督でもうひとりのビッグネーム、チェン・カイコー (陳 凱歌) は随分以前、調べてみると 2002年に、「キリング・ミー・ソフトリー」というサスペンス映画でハリウッドデビューしているからだ (ちょっと残念な出来ではあったものの)。ともあれ、チャン・イーモウがマット・デイモンを得て世に問う新作の出来栄えや、いかに。
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えぇっと、なんと書こうかな (笑)。私がもし一言でこの映画をまとめるとすると、珍作という言葉を選ぶかもしれない。ネタバレはいつもの通りしないようにするが、でもこれを言わないと話が進まないことには、なんとなんとこれは、私がつい最近見て記事も書いた、「キングコング 髑髏島の巨神」と同系列、つまりは怪獣映画なのである!! 舞台は秦の時代ではなく、12世紀、宋の時代。万里の長城が防ごうとしているのは、大量に攻め寄せる敵。その敵とは、60年に一度やってくる怪物、饕餮 (どんな字だかさっぱり分からないが、「とうてつ」と読む) の大群であり、その怪物たちは知恵があって、人間の裏をかいてどんどん攻め方を発達させているらしい。因みにこの饕餮という怪物、Wiki で調べてみると、殷や周と言った古代の時代から中国の青銅器や玉器に彫られているという。あぁなるほど、例えば出光美術館のコレクションにあるような青銅器類に、よく見かける文様だ。
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映画の中ではこんな感じ。
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あらら、この記事は「キングコング 髑髏島の巨神」について書いているのではありませんよね? (笑) いえいえ、ちゃんと「グレートウォール」であります。この映画でこの怪物が恐るべき大群で現れるシーンは、少し前なら「スターシップ・トゥルーパーズ」(私の大好きな映画なのである)、比較的最近なら「ワールド・ウォーZ」と比較されるだろう。だがこの映画、不思議なことに、そんな圧倒的な数の敵に襲われる人間側の描き方に、あまり絶望感がないのである。マット・デイモンと、もうひとり、ペドロ・パスカルというチリ人俳優の演じるコンビは、傭兵として各地を渡り歩き、火薬を求めて中国にやってきたならず者たちであり、腕に覚えの彼らは、なんのためらいもなく怪物との戦いに身を投じる (因みに、ヨーロッパでルネサンス三大革命と言われた火薬・羅針盤・活版印刷は、すべて中国が先立って発明していたというのは有名な話)。正直なところ、人間を描く名人であるチャン・イーモウともあろう人が、いかにも CG CG した動きを見せる怪物の集団を、こんなにイージーに見せてしまってよいものであろうかという印象を拭うことはできない。決戦を間近に控えた人間は、それこそ「七人の侍」が秀逸に描いている通り、不安な思いをかき消すべく、生きている証拠を探して、例えば自暴自棄な男女の愛に走ったりするものではなかろうか。その点、この映画のヒロインには、爽やかなまでにその気配がない (笑)。
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この中国人女優さんの名は、ジン・ティエン。実は以前の記事ではあえて書かなかったのだが、「キングコング 髑髏島の巨神」にも出演しており、英語のセリフもそこそこある役であった。だが正直、その映画における彼女の役の必然性には納得できる要素が少なく、製作会社レジェンダリー・エンターテインメントが中国資本に買収されたことと何か関係があるのかなぁと、漠然と考えていた。そして実は、この「グレートウォール」もレジェンダリーによる製作なのである。これがコング映画における彼女の勇姿。私が立て続けに見た二本の怪獣映画のいずれにも出演していたということになる。
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彼女の顔は文句なしに美形であり、英語もまぁまぁ頑張ってはいるが、正直なところ、世界に羽ばたく素晴らしい女優かと訊かれれば、まだまだこれからでしょうと答えると思う。この映画における、決してフレンドリーではないとは言わないが、どうにも血の通ったところがあまり感じられない女将軍役を見ていると、例えば「スターウォーズ」の 1作目、エピソード 4 なども、王女と飛び入り兵士の話であったわけだが、あの映画にはなんだか夢があったなぁと思う次第。この映画、時代の要請なのか、あるいは作り手の側に何らかの意図があるのか分からないが、言葉を選ばずに言ってしまえば、あまり感興を感じない残念な設定なのである。

怪物との戦いの成り行きや、クライマックスの作り方も、昨今のあれこれの映画の中では、まあ特にどうということもない。ひとつ言えることは、決定的な悪役が全く出てこないということか。怪物の側の論理 (?) は描かれていないが、ただ人間と敵対している存在ということでしかなく、人間ドラマはそこには期待できないのである。出演している役者の中には、ウィレム・デフォーとかアンディ・ラウといった才能豊かな人たちもいるわけだが、彼らの登場シーンでもドラマ性は希薄で、あまり個性的には描かれていない。もちろん、この映画のストーリーや映像が全く面白くないという気はなく、何気なく見ていればそれなりに面白いと言ってもよいが、あのチャン・イーモウのハリウッド・デビューで、かつマット・デイモン主演と来れば、この出来はいささか残念である。だから私は思うのである。これはもしかしたら、才能ある人たちが作り上げたヘンな映画として、人々の記憶に残るのではないかと。最初の方で珍作と申し上げたのは、そのような意味だったのである。
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さてそうなるとこの映画、何か現代的なテーマでも隠されているのかと勘繰りたくもなってくる。東洋と西洋の優劣関係の揺らぎと「信頼」の重要性、富に向かって我も我もと押し寄せる中国の人口問題、会話の通じない独裁者 (この映画の怪物にも中心がいる) が指導する国家と対峙する緊張感、外から境界を超えてやってくる移民たち、平和実現のためには犠牲もやむないと冷静に考える姿勢・・・そんな諸々の要素がここで隠喩されているとしたら? はい、もしそうならそうでもよいのだが、「もし弾道ミサイルが飛んできたらこうしましょう」という注意事項が職場で喚起されるような物騒な現実の前では、隠喩の意味を考えていても埒があかない (笑)。娯楽は娯楽として、感情移入できるものであって欲しい。これが大監督チャン・イーモウの気まぐれなのか、あるいは今後変わって行く契機となるのかは、また次回作で確認してみたいと思う。

by yokohama7474 | 2017-04-27 00:24 | 映画 | Comments(0)

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私はこのブログで映画を紹介するときには、かなりの頻度でその映画を予告編で見たときの印象を記している。それは、予告編にはその映画の興行成績にも直結しうる凝縮されたメッセージが入っているケースが多く、大げさに言えばその映画と対面するときの大事な「顔」であると思うからだ。そして、この映画の予告編を見たときに真っ先に私の頭が理解したことには、これは怪獣映画であるということだ。もちろん、誰もがすぐに理解する通り、キングコングの映画であるから、一般的には「モンスター映画」という呼称がふさわしいように思うが、なんのなんの、怪獣好きにはすぐに分かるこの「怪獣映画」の匂い (笑)。だからこの映画は私の中では、封切当初から見たい映画一覧表のかなり上位を占めることとなったのである。ところが、あろうことかこの数週間、結構忙しくて、なかなか映画を見る時間がない。ああ私はこのまま、仕事とか接待メシとか歓送迎会に時間を取られたまま、この映画を見る機会を逃してしまうのではないか・・・と神に罪を告白する思いで天を仰いでいたのであるが、ようやく先週末、なんとか朝の回に見に行くことができたのである。

さあ、そんなわけで、これが新たなる怪獣映画の傑作との出会いとなったことは、誠に喜ばしい。私の世代でキングコング映画と言えば、もちろん最初の作品 (1933) は RKO 製作映画のリヴァイヴァル特集上映で劇場で見ているものの、ジェシカ・ラングの出たジョン・ギラーミン監督作品 (1976) は劇場では見ていない一方、ナオミ・ワッツの出たピーター・ジャクソン監督作品 (2005) はもちろん見ている。あ、あと、米国のテレビアニメ物は、日本語の主題歌を今でもよく覚えている。だが東宝映画の「キングコング対ゴジラ」(1962) は、テレビでも見た記憶がない。でもこんなポスター、レトロでよいではないか。著作権の緩やかな大らかな時代の産物と思っていたが、今回調べて分かったことには、ちゃんと米国のプロダクションから東宝が権利を購入して制作したらしい。なるほど、題名においてゴジラよりもキングコングを先に出すことまで、契約で決まっていたのだろうか (笑)。まあ、こんな対決はもう二度と実現しないだろう。
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さて、21世紀のキングコングは、こんなに素朴ではない。第一今回の映画、予告編を裏切るキングコングの登場シーンがなんとも小気味よいのである。つまり、大抵の人は予告編でこのシーンを見て、岸壁に血で手形を残した巨大生物の存在におののく人間たち、しかしその正体は未だ現れず、不気味な謎に包まれている・・・と思うではないか。
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ところがそうではなくて、今回のコングは、かなり唐突にその姿を堂々と現すのだ。これからご覧になる方には、コングの初登場シーンにご注目、と言っておこう。いやー、楽しいなぁ。おっと、こんなに激しく牙をむかれては、その存在意義を誤解されてしまいます。
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そう、この映画においては、この凶暴極まりないコングが善玉なのか悪玉なのか、この点がかなり重要となってきて、これはいわゆるモンスター映画の常道でもあろう。だが上述の通り、これはただのモンスター映画ではなく、様々な怪獣たちが出て来る点にこそ重要性がある。そんな中でコングの位置づけも、それほどもったいつけることなくストレートに描かれることとなる。実に小気味よい。これがこの島に住む怪獣たちの例。
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よく見ると最初に掲げたポスターに、これらの怪獣たちの姿があしらわれていて、だからこれが怪獣映画であることは、やはり最初から明らかなのであるが、少し難点を挙げると、これらの怪獣の出番がちょっと少なくはないだろうか。実際のところこの映画におけるコングの闘いは、最初は人間と、そして最後は宿敵スカル・クローラー (上に掲げた写真のうちのひとつ) と、ということに絞られるのだ。だが、それとても難点というほどでもない。なんと言ってもヘリコプターを縦横無尽につかんでは投げるシーンは凄まじい迫力だし、クライマックスのスカル・クローラーとの闘いにおいては、霊長類(?)たるコングが他の巨大生物と違う点は、道具を使うことができる点だと実感し、胸が熱くなるのである (笑)。そのシーンもやはり非常によくできていて、とにかくすごい迫力なのだが、実はその闘いは、2014年のハリウッド版「Godzilla ゴジラ」におけるゴジラとムートーの闘いを思わせる点もある。・・・ではゴジラとキングコングが闘ったら、何が起こるのだろう。いやいや、上述の通り、そんなことはもう起こらないのだが。

改めて思い返してみると、この映画では随所に冴えた演出のセンスが見られるのだが、端的な長所を挙げると、観客が登場人物たちをきっちり区別できるように作られていること。このブログでも過去に何度か、戦闘ものにおける一群の登場人物たちの区別が難しい作品を採り上げたが、その点この映画は本当によくできていて、多くの登場人物たちが探索や戦闘に加わっているにもかかわらず、主要な役は全員識別できるようにできている。これは稀有なことで、監督の手腕であると称賛しよう。そしてそんな中、このような豪華な顔ぶれが顔を突き合わせるのである。
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そう、ジョン・グッドマンとサミュエル・L・ジャクソンだ。どんなに豪華な怪獣映画やねん (笑)。そして、実質的な主役はこの人、今最高にカッコよい、トム・ヒドルスマン。私は彼の演技を見て失望したことはない。
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そして、伝統的なキングコングもののヒロイン役を包含する (?) 逞しい女性カメラマンを演じるのは、ブリー・ラーソン。うーん、まあ正直それほどよい女優さんとも思わないが、未だ 27歳ながら、2015年の「ルーム」という映画で、なんとアカデミー主演女優賞に輝いているのだ。お見それしました。
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という大変充実したキャストをまとめた才人監督は誰かというと、なんと、インディーズ系出身でこれがメジャー長編デビューとなるジョーダン・ヴォート=ロバーツ。
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この特異な髭によって年齢不詳に見えるが、きっとまだ若いのだろう。芸術系の映画はもちろん好きだが、日本のアニメやゲームも大好きであるとのこと。さもありなん。またこの映画では、密林を舞台にしているということで、コッポラの「地獄の黙示録」へのオマージュを感じさせるシーンも多い。私の見るところ、この作品は正しい監督を得ることによって、素晴らしい成功作になったのだと思う。
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さて、これからこの映画をご覧になる方は、エンドタイトルが終わるまでちゃんと席にいなければならない。実際そこでは、私が上で書いたことが大嘘であることが判明するのである。嘘をついて失礼しました。実は、この映画のプログラムにも記載はあるし、ネット上にも様々な情報が溢れているので既にネタバレではないと確信して書くが、実は近い将来、キングコングはやはり、あのゴジラとの再決戦に臨むことになるのである!! 実はこの映画、「モンスターバース = Monster Verse」(Verse とは韻文とか詩作のこと) というシリーズの 2作目。1作目は、上でも触れた、ギャレス・エドワース監督の「Godzilla ゴジラ」なのである。そして、3作目は 2019年公開予定の "Godzilla ; King of Monsters"、4作目は 2020年公開予定の "Godzilla vs Kong" となる予定。このシリーズは、レジェンダリー・エンターテインメント社が東宝と提携して制作し、ワーナー・ブラザーズが配給しているらしい。なるほど、ゴジラは日本では「怪獣王」であったが、このシリーズでも他の怪獣をなぎ倒し、最後はキングコングと対決するわけか。それにしても、上の方で掲げた昔の東宝映画の題名では、キングコングの名が先に出ていたが、今回のハリウッド映画は、ゴジラの名が先に出るわけか。ゴジラの世界的名声も確立されたわけで、ご同慶の至りである (笑)。昨年日本で異常なほどヒットした「シン・ゴジラ」は、私の見るところでは、ハリウッド版ゴジラへのアンチテーゼであったわけだが、今後公開されるこれらのハリウッド映画に対して、日本側としても何か対抗策を取らなくてよいのだろうか。それとも、この Monster Verse シリーズには東宝も携わっているので、それでよしとするのだろうか。国際社会における日本の地位に影響するかもしれない大問題ではないか (笑)。でもこのコングの表情の多彩さは、さすがに恐竜タイプのゴジラでは出せないなぁ・・・。本当によくできている。いずれにせよ、対決を楽しみにしておりますよ。
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by yokohama7474 | 2017-04-25 00:31 | 映画 | Comments(0)

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ジョン・F・ケネディは言うまでもなく、アメリカ合衆国大統領として歴史上最も高く評価されているひとりであり、その悲劇的な暗殺事件は、50年以上経過した今でも、数々の陰謀論とともに未だに世の人々の間で語られる。それに加え、ケネディ家の抱える闇や、大統領自身の私生活のダークサイドも様々なことが知られるようになっており、興味深いとともに、ゴシップネタには少々うんざりすることもある。だがしかし、いずれにせよケネディ暗殺は 20世紀最大の謎のひとつ。私もこれまで、その件に関するいろいろな映画 (「JFK」のようなメジャーなものだけでなく) や書物、テレビ番組を体験して来た。だが、今回採り上げるこの映画は一風変わっていて、その未亡人、ジャクリーンを主人公としたもの。ジャッキーとはもちろん彼女の愛称である。ここでジャッキーを演じるのは、ナタリー・ポートマン。なるほど、ついこの間リュック・ベッソンの「レオン」でデビューしたと思ったら、もうこんな役を演じるような年になったわけだ。・・・いやいや、「レオン」は 1994年の作品。あれから既に 23年も経っているのだ。彼女は既に「ブラック・スワン」でアカデミー主演女優賞も受賞し、名実ともにハリウッドを代表する女優のひとりである。尚、上のポスターに、アカデミー賞 3部門ノミネートとあるが、主演女優賞は、別項で採り上げた「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンが受賞した。ちなみにこれが、1961年、大統領就任式の際の JFK (家族内での愛称は「ジャック」だったそうだ) とジャクリーン。
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映画は、1963年11月22日のケネディ暗殺から葬儀までの過程をジャーナリストに語るジャクリーンを軸に、ホワイトハウスでの回想シーンを織り交ぜている。ほとんどジャクリーンの一人芝居に近い内容であり、まさにナタリー・ポートマンの存在感と力が、真正面から試されていると言ってよいだろう。その衣装や髪型、喋り方まで、我々のイメージするジャクリーン像をうまく表現しているとは言えるように思う。だがその一方で、映画全体として、もうひとつ何か印象に残るものがないような気がするのも事実。一体何がそう思わせるのだろう。ダラス到着時、未だこれから起きる悲劇を知らないふたり。ケネディを演じるのはキャスパー・フィリップソンという俳優。
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そして数時間後、ケネディの棺とともにワシントンに帰るエアフォース・ワンの中では、ジョンソン副大統領の大統領就任の宣誓が行われ、夫の血を未だ衣服につけたままのジャクリーンもその場に呆然と居合わせることとなる。ジョンソン役はジョン・キャロル・リッチという俳優。
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やはり後に暗殺されるロバート・ケネディもここでは重要な役回りだ。ゴシップによると JFK 死後、ジャクリーンとあまりにも親密であったとも言われるが、真実は分からない。ロバートを演じるのはピーター・サースガードという俳優。
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ここではまず、ダラスにおけるケネディ暗殺という歴史的事件の再現が行われていて、それ自体は緊迫感もあって、なかなかよくできている。だが、なんと言えばよいのか、圧倒的に大きな黒い歯車が回っているというような感じはしない。それもそのはず、この映画の主眼は、この事件の裏に潜む陰謀に迫ることではなく、ジャクリーンがファースト・レディとして、あるいはひとりの妻として母として、いかなる運命に立ち向かったのかということを、彼女の心の裏側からの視点も含めて、詳細に描き出すことであるからだ。もちろん、あの明るい笑顔の裏に様々な葛藤や努力があったことは想像に難くないが、この映画では、どうもジャクリーンの不安と不満に必要以上に観客が追い込まれて行くように思える。画面に形容しがたい不安を与えるひとつの要素は、音楽であろう。キュイーンキュイーンとグリッサンドでうねる弦楽器の音色が何度も出て来て、明るいシーンの印象まで薄くしてしまったような気がする。その音楽を担当したのは、ミカ・レヴィという女流作曲家。調べてみると 1987年生まれの英国人で、もともとロンドン・フィルの楽員。アーティストでもあり、音楽プロデュースも手掛ける才人であるらしい。映画音楽の分野では、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」という映画で、評価されたらしい。あっ、この映画は、去年公開していた、スカーレット・ヨハンソン主演のエイリアン物だな。見に行かねばとチェックしてあったのに、結局見ることができなかったものだ。そんなに音楽が面白かったとは、見逃して悔しい。これが作曲者のミカ・レヴィ。
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ともあれ、私が課題と感じてしまったのは、ジャクリーンを、数々の困難を乗り越えた意志の人と描くのか、ある場合には夫に裏切られながらも愛し続けた献身的な妻と描くのか、あるいは、2人の子供を持ち、ほかに 1人を流産で、もう 1人を生後すぐに亡くしてしまった母として描くのかが、どうももうひとつ明確ではないということだ。というのも、ジャーナリストに話して聞かせるジャクリーンは特に傲慢ささえ漂わせ、一度喋ったことをメディアに載せるなと命令したりする、あまり優雅でない女性として描かれているからだ。そんなことをせずに、時系列に沿って、暗殺の悲劇と過去の回想だけにした方が、感動的な仕上がりになったのではないかと思うが、いかがなものだろうか。また、描かれている期間は限定的で、彼女がその後オナシスのもとに走ったことは描かれておらず、ジャクリーンという人間性にとことん肉薄するという作りにはなっていない。主役を取り巻く役者陣も正直、それほど印象的ではないが、ただひとり「これは」と思ったのは、神父役を演じたジョン・ハートである。
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もちろんあの伝説的な「エレファント・マン」で知られる英国人俳優であるが、最近はハリー・ポッター・シリーズなどにも出ていた。ここでの彼は、ケネディ死後の相談役として、ジャクリーンに対して率直かつ優しさに満ちた語り掛けをしている。実は私は知らなかったのであるが、彼はこの映画出演後、今年の 1月に 77歳で亡くなっている。癌だったそうだが、既に撮影のときには病に侵されていたのであろう。痛ましい話であるが、これまた知らなかったことに、彼は 2015年には Sir の称号まで得ていたのだ。素晴らしい役者であった。

監督は、1976年チリ出身のパブロ・ラライン。これが初の英語作品とのことである。私の上記の感想からもう一度考えてみれば、演出が少し詰め込みすぎかなぁ・・・という気もするが、様々な場面に見える創意工夫は、評価に値するだろう。
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さて最後に、クラシック音楽ファンのためのオマケをひとつ。ホワイト・ハウスでチェロの大巨匠、パブロ・カザルス (1876 - 1973) が演奏するシーンが出てくる。これは劇中、カザルスのチェロに聴き入る JFK 夫妻をはじめとする人々。
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この 1961年の演奏はライヴ盤として、今でも手に入る。これだ。ジャケットを見ても、映画の中のように、カザルスがひとりで「鳥の歌」だけ演奏したかのように思ってしまいそうだが、実際には、ピアノのホルショフスキー、ヴァイオリンのシュナイダーとのトリオであった。
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音楽に興味のない方は、このカザルスがいかに偉大なチェリストであったかイメージがないであろうから、ひとつの例を挙げよう。これは昨年私がバルセロナに出張したとき、空港のラウンジで撮影したもの。通常はパブロ・カザルスと呼ぶが、彼の故郷カタルーニャの言葉では、パウ・カザルスという名前になるらしい。ラウンジの一角がこのような彼を記念するコーナーになっている点、今でもいかに深い尊敬を集めているかが分かろうというものだ。
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このように、カザルスがいつどの都市を訪れたかを示すプレートが飾られている。
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よく見ると、1961年にケネディの前で演奏したと確認できるが、面白いのは、その前に日本とイスラエルも訪れている。またケネディからは、2年後に叙勲もされている。
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そんなわけで、数多い JFK 物の中では少し異色な作品であり、今後人々の心にどのくらい残るかは正直分からないが、様々なピースを組み合わせてみると、ジャクリーンという、やはり 20世紀を彩ったイコンのひとりの人生について、また、彼女が経験した時代の雰囲気について、考えるヒントになる映画とは言えるであろう。ナタリー・ポートマンも、これから演技の深みをさらに増して行ってもらえるものと、期待している。

by yokohama7474 | 2017-04-08 23:48 | 映画 | Comments(0)

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私は元来、少々へそ曲がりなところがあって、映画はもちろん人並に好きなのであるが、米国のアカデミー賞なるものにはさほど興味がない。世の中の敏感に流行じゃないや流行に敏感な人たちは、毎年その時期 (そもそも、いつ頃アカデミー賞の発表があるかも知らないといういい加減さ) になると、今年はあの作品だあの俳優だとソワソワされているようだが、その点私は、泰然としたものだ (笑)。賞が発表されてから、ニュースで仔細ありげにリストを眺め、ふーんと他人事のように(まぁ、他人事ですな、実際)つぶやくことが多い。そして賞の発表後も、「アカデミー賞受賞作だから」という理由で映画を見に行くことは少なく、その映画が面白そうか否かだけが、私の判断基準なのである。

だがそんな私も、今年のアカデミー賞における異常事態には驚いた。もちろん、作品賞発表時の間違いである。「ムーンライト」に行くべき作品賞が、「ラ・ラ・ランド」と発表され、関係者のスピーチの途中で訂正されるという前代未聞の事態。
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そもそも、上記のポスターのように、この作品が今年の大本命と言われていることは知っていたが、史上最多タイの 14部門にノミネートされ、実に 6部門 (主演女優賞、監督賞、作曲賞、主題歌賞、撮影賞、美術賞) を受賞し、あまつさえ、作品賞までもう少しで受賞するところ (?) だったのであるから、この作品は大勝利を収めたと言ってよいわけである。もちろん、もしこの珍事がなくとも、私はこの作品に興味を持ったであろうと思う。それはなぜなら、監督がデミアン・チャゼルであるからだ。
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今回彼は、32歳で史上最年少のオスカー受賞監督となったわけだが、それも当然。なぜなら彼の前作「セッション」(原題 : Whiplash ・・・これは劇中で演奏される曲の題名) が、実に素晴らしい出来であったからだ。もし私が今、過去 5年間の間に見た映画の中でベスト 5 を挙げろと言われば、そのときの気分や記憶の状況、あるいはアルコール分の摂取量によって答えは異なるだろうが、この「セッション」はまず必ず入るだろうと思うのである。そして今回、この「ラ・ラ・ランド」を見て思うことは、この作品は単体で良し悪しを語るよりも、きっと後年、この監督の事績を振り返ったときに、その価値がよりよく分かるものではないだろうか。いやもちろん、この映画を見て感動した人も沢山おられるであろうから、私がここで言っていることが否定的に響くのを恐れるのであるが、換言するとこの監督、もっとすごい映画を将来撮る可能性もあるのではないか、と思うのである。

まず最初に確認しておきたいのは、これはミュージカル映画であるということ。昨今のミュージカル映画は、ディズニーのアニメ系を除くと、「オペラ座の怪人」「マンマ・ミーア」「レ・ミゼラブル」にせよ、これから公開される「美女と野獣」にせよ、舞台の映画化が主流であろうが、これはオリジナル。どのように構成されているのかと思いきや、歌と踊りのシーンはかなり限定的で、通常の演技のシーンが大半だ。だからこれは、フレッド・アステアやジンジャー・ロジャースの古きよきスタイルのミュージカルとは異なり、現代において説得力を持つべくして作られた、新たなスタイルのミュージカルなのである。
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ここで主演女優を務めているエマ・ストーンについて、私はこのブログで何度か言及しているが、「アメイジング・スパイダーマン」シリーズで出て来たときには、やたら目の大きい女の子という以上の印象はなかったが (ただ、その前のシリーズで同じ役を演じたキルスティン・ダンストが苦手であった私は、彼女に好感を持ったことは間違いない)、最近のウディ・アレン監督作品での彼女にはまさに脱帽。もちろん「バードマン」での演技もなかなかのもの。未だ 28歳にして、オスカー女優の仲間入りとは恐れ入る。
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ここで彼女が演じている、女優を目指してロサンゼルスで頑張っている女性、ミアの姿は、きっと 10年ほど前までの彼女自身の姿でもあるのではないか。その意味で、この映画を見る人たちがリアルに、夢を追うことの素晴らしさを実感できるような等身大の演技を、彼女は披露していると言えるように思う。だから、と言ってよいのか分からないが、予告編を見たときから彼女のダンスは、決して惚れ惚れするようなものではなかったし、本編を見てもその感想は変わらないのであるが (笑)、その点にこそ、この映画が人々の心に訴えかける力があるのかとも思う。金髪碧眼の美形のようでいて、額には皺は多いし、目以外の顔の要素が弱い (?) ようにすら思われることもある、一種不思議な女優さんである。このようなシーンにも、なぜかセクシーさは皆無 (笑)。
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一方のライアン・ゴズリングも、決してイケメンでダンディというわけではなく、古風で不器用な男を絶妙に演じている。なにせ彼が演じるセブは、クラシックでいかにも燃費の悪そうなアメ車でカセットを聴き、自宅ではアナログレコードを聴いていて、妄想シーンは懐かしの 8mmフィルムだ (笑)。古き良きジャズを信奉し、やはり夢を追う人という役柄だ。この役者さんは、過去にアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞にノミネートの実績があるようだが、私が知っているのは、「マネー・ショート」だけである。このブログの記事でも採り上げたが、その作品では語りとともに、バリバリのウォール・ストリート野郎を演じていた。この「ラ・ラ・ランド」では、以前から習いたかったというピアノを 3ヶ月間特訓したとのことで、劇中の演奏シーンは、かなりサマになっている。
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だが私がこの映画で驚嘆したのは、何と言っても冒頭のシーンである。カリフォルニアでは鉄道網が発達していないため、人々は車で移動するしかないのであり、私自身もロス近辺を自分で運転して移動したことが何度かあるが、渋滞になると、それはそれはひどいのである (一度運転中に電話がかかってきて、込み入った話をしているうちに空港に向かう高速の出口を逃してしまい、次の出口から渋滞の中を戻るのに、大変な目にあった。あ、「込み入った話」と言っても男女の話ではなく、仕事です)。それを知っている人にとっては、この冒頭シーンは何とも胸のすくものである。実際にロス近郊の高速道路で撮影したものらしく、都会と砂漠の広大なミックスであるこの地域でしかありえないような、ユニークなシーンである。カメラは、渋滞の車から抜け出て踊り出す運転手たちの動きを克明に追って、縦横無尽に動き回る。その楽しさは、考え抜かれているに違いないのにスムーズなこのワンシーンワンショット (途中でシーンをつないでいる箇所は、きっとあるのだろうが) によって、いきなりマックスに達するのである。オーソン・ウェルズの「黒い罠」の冒頭シーンと比較するのはちょっと突飛であろうし、実際、画質も映画の性質も全く異なるが、その衝撃度においては遜色ないと言ってもよいだろう。あ、あと、映画の冒頭に流れる車の BGM は、チャイコフスキーの序曲「1812年」です。
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さてこの映画、夢を追う男女の切ない恋の物語なのであるが、簡単にまとめてしまうと、同じ夢を追う人たちであっても、男はロマンティスト、女はより現実的で逞しく、順応力が高いという、そんな描き方になっている。まさに込み入った話が描かれているわけだが (笑)、万人受けするように、細心の注意が払われていると思う。例えば車だが、セブの乗っているクラシック・カーに引き換え、ミアの車は、トヨタ・プリウスだ。しかもこの車種は米国でも人気であることを示すシーンもある。まさにトランプ政権下の日本の自動車メーカーの今後の課題が、ここに表れている。・・・というのはもちろん冗談で、ミアが経済性に優れたコンパクトな日本車を選ぶ点に、この男女の指向の違いが表れているのである。それから、何度も出て来る、二人が議論するシーンは、いかにも米国人同士の会話であり、ある意味大人、ある意味自己正当化のロジックに長けたもの。ここでも等身大カップルの姿がヴィヴィッドに描かれている。
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大詰めでは、まるでパラレル・ワールドのような描き方がされて、人によってはそこで涙腺が刺激されることであろうが、私は結構冷静に見ていて、やはりこの監督の創造の原点にある音楽的なものへの指向が、ここで具体的なストーリーの形を取っているのだなと理解した。その意味で、前作「セッション」から本作へは、ある種の継続性も確保されており、そして、また次へ向かって飛翔する音楽的感性が、充分に感じられるのだ。上述の通り、それゆえに、この作品を将来また振り返ったときに、デミアン・チャゼル監督の表現したかったことや、その表現方法について、きっと納得するものがあると思う。

ところでチャゼルの過去の経歴を見てみると、なんと、私が昨年 7月 2日の記事で採り上げた、「10 クローバーフィールド・レーン」の脚本を書いているのだ!! な、なんだよ、せっかく音楽つながりという整理をしたのに、全く違う持ち味のエイリアン映画が、ここで紛れ込んでしまった (笑)。これぞまさに、この監督の懐の深さを示す例であると牽強付会して、この記事を〆ることとしよう。さすがアカデミー賞 6部門受賞、見る価値ありです。もちろん使用されている音楽も、リズミカルな部分から抒情的な部分まで、一度聴いたら忘れられませんよ!! ご夫婦でカップルで、こんな感じでどうぞ。等身大で。
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by yokohama7474 | 2017-04-05 01:23 | 映画 | Comments(0)

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この広大な宇宙の中に、たった一人。あるいは二人。果たしてそんな事態に、人間は耐えられるだろうか。最近では、「ゼロ・グラビティ」や「オデッセイ」という映画でそのようなテーマが扱われていた。そしてここにもう一本、なかなかよくできた映画が加わった。題名は「パッセンジャー」で、上記のポスターの題名の英語表記にも "Passenger" とあるが、実際の原題は "Passengers"、つまり単数形ではなく複数形である。冒頭の問いの中で、「たった一人。あるいは二人」と書いたが、実際のところ、一人と二人では大変な違いである。いやそれはもう、決定的な違いなのである (笑)。会話する相手がいるか否か。協力する相手がいるか否か。それによって、生きようとする意志も全く変わってくるだろう。

この映画の予告編は何度も見たが、要するに地球の人口増加や環境破壊によって、別の星に移住する手段を考えた人類が、巨大な宇宙船でその星に向かうのだが、カプセルの中で冬眠していた主人公たちが、どういうわけか予定よりも早く目覚めてしまう、というストーリーだ。目的地到着まで 90年。ということは、ここで危機に見舞われる男女二人は、何もしなければ船内でそのまま死を迎えることになる。この設定は実に残酷で逃げ場のないものであるが、その設定自体はそれほど奇抜ではなく、映画にする場合には、どのように決着をつけるかという点こそが見もの、ということになるだろう。脚本はオリジナル。ハリウッドでは、未制作の優秀脚本のリストを「ブラック・リスト」と呼んでいるらしいが、この作品はそこに載っていたものらしい。脚本を手掛けたジョン・スペイツは、ほかには「プロメテウス」や、「ドクター・ストレンジ」も手掛けているとのこと。なるほど、この作品に出てくる医療用のポッドは「プロメテウス」と共通するし、宇宙的なスケールは「ドクター・ストレンジ」と共通するが、後者については、私はこのブログで散々厳しいことを書いてしまった手前、この「パッセンジャー」での脚本の出来には、ちょっと慎重に接する必要ができてしまうのである (笑)。加えて、実は「プロメテウス」もそれほどよい出来の映画とは思っていないゆえに、なおさらだ。さて、この二人の運命やいかに。
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さて、これが件の宇宙船、アヴァロン号。自身が回転しながら、障害物に対するバリアを作ったり、あるいは光線でそれを壊したりする機能を備え、目的地まで 120年の道のりを進んで行く。なかなかに奇抜なデザインだ。
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私はこの宇宙船の設定のあれこれを、大変に気に入った。もちろん船内では重力が作り出されていて、人が自由に歩けるのみならず、豪華客船さながら、大広間や落ち着いたバーやプールや、各種エンターテインメント設備も備わっている。もちろん CG は駆使されているであろうが、プログラムによると、グランド・コンコースと呼ばれる、人々が集うためにある場所は、巨大なセットが作られたという。
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先端的なデザインに見える一方、床が緩やかな円弧を描く船内の通路の様子などは、「2001年宇宙の旅」を思わせるような、いわば古典的な様相もあって、映画史的な記憶を呼び覚ます。
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このようなアールデコ調の装飾を持つバーにいるバーテンダーは、この程度はネタバレにならないと思うので言ってしまうと、アーサーという名前のアンドロイドなのである。演じるのは英国の名優、マイケン・シーン。宇宙船で過ごす人間に対して、非常に洒落たセンスで反応するようにプログラミングされているようだが、その気の利いたところが裏目に出ることになってしまう。ところで、後で気付いたのだが、この宇宙船の名前、アヴァロンとは、伝説のアーサー王の墓がある場所。そのことと、このアンドロイド、アーサーの名前とは関係があるのだろうか。
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この映画の出演者は、このアーサー役を除くと、船内で目覚める主人公の男女と、それからもう一人の、計 3名のみだ。その意味では、これは巨大な規模の室内劇である。最初に目覚めるジムは技術者、次に目覚めるオーロラ (もちろん、「眠りの森の美女」の主人公から来ているのだろう) は、ニューヨークの著名な作家の娘で、自分も作家・ジャーナリスト。従ってこの 2人は、いわば違う階級に住む人たち。それゆえこの映画を、「宇宙版『タイタニック』」と呼ぶ声もあるようだ。うーん、私は「タイタニック」は、もちろん嫌いという気はないが、歴史的な悲劇を個人の観点で描いたという点に、美点も欠点もある映画だと思っている。その点この映画は、飽くまでフィクションゆえ、個人間の関係に立脚することに焦点が合ってもよいと思う。設定は壮大ではあるが。

ジムを演じるクリス・プラットはなかなかよい。最初に一人で悪戦苦闘する場面で、T-シャツは汚れ、髭は伸び放題、体もだらしなく膨張するところをリアルに演じている。実在感のある演技のできる俳優であろう。彼は「ジュラシック・ワールド」で主役を務めたほか、近く続編が公開される「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」でも主役、「マグニフィセント・セブン」にも出ていた。
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一方のオーロラを演じるジェニファー・ローレンスは、なんといっても「ハンガー・ゲーム」シリーズのヒロイン役で知られ、また、「X-メン」シリーズにも (青塗りで分かりにくいが 笑) 出演している。そして、私にとってはレーダー外の映画だが、2012年の「世界にひとつのプレイブック」で、弱冠 22歳でアカデミー主演女優賞を獲得している。正直、それほど美形にも見えないこともあるが、なんとも表情豊かな女優である。この映画では、宇宙船の中という極限的に限られた世界の中で、実に多彩な衣装で演じるという逆説的方法により、人間はどんな環境でも、生きて呼吸して生活して、感情もあるのだということを強く表現している。
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このように見てくると、主役の 2人はこの映画の設定にピッタリの役者さんたちではないだろうか。そして第 3の男、ガスを演じるのは、ローレンス・フィッシュバーン。なんと言っても「マトリックス」シリーズで知られているであろうが、私にとっては、未だ若い頃の「地獄の黙示録」での狂気の演技が忘れがたい。ハリウッドにとって、なくてはならない名バイプレーヤーだと思う。
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さて、この映画にはほかにも地球で撮られた映像などが登場するが、本当に上記以外に人間が出てくるシーンはほとんどない。ところが、エンドタイトルを注意深く見ていると、上記 4名以外にもう一人、名前の出てくる俳優がいる。それはこの人。
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あのアンディ・ガルシアだ。ここではあえて若い頃の写真を掲載したが、「ゴッドファーザー パート III」の頃の勢いに比べて、残念ながら最近は少し影が薄いような気もするし、リメイク版の「ゴーストバスターズ」でのニューヨーク市長役も、こう言ってはなんだが、大したことのない役だった。そしてこの映画では、本当に一瞬だけしか出ていないので、人によっては見逃す可能性大である。彼の出演シーンを見たときに私は、この人と混同してしまった。そう、スペインの偉大なるヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、ジョルディ・サヴァールである。ここで笑ってもらえる人が何人いるか分からないが・・・。
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監督のモルテン・ティルドゥムは、1967年ノルウェー生まれ。長編監督デビューは 2003年であるが、それ以降自国内での映画制作を行ってきて、初の英語作品は、2014年の「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才科学者の秘密」である。なるほど、あのベネディクト・カンバーバッチ主演のあの映画か。飛行機で見たため、このブログで記事として採り上げてはいないが、なかなか面白かった。このような才能をしっかり見出すのが、ハリウッドの懐の深さであると実感する。
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さあ、この映画の結末をどのように評価しようか。なるほどそう来たかという感じはあって、好感を持つことはできる。人間の、またそれ以外の生物の命の尊さについて、何か感動的なものを感じることもできる。その一方で、設定の壮大さに比して、ちょっと控えめなようにも感じる。上述の通り、歴史的にも日常的にもリアリティのない設定における話の展開なので、個人の物語の結末をそこに見るべきであろうが、ブラックさがない分、ゾッとする切実さもない点が、評価の分かれ目になるだろう。とはいえ、いろんなシーンを思い出すと、様々に想像が膨らむ映画であり、その点ゆえに、私はこれを、なかなかよくできた映画であると評価したい。

by yokohama7474 | 2017-04-01 23:17 | 映画 | Comments(0)

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3月20日 (月・祝) に記事を書いて以来、中 4日に亘ってブログを更新しなかった。出張に出たわけでもないのに、また、プロ野球のローテーション・ピッチャーではあるまいし、こんなに間を空けてしまって、いつも読んで頂いている方々には誠に申し訳ない。書くネタがなかったわけではない。それどころか、貯まってしまっている。それにもかかわらず更新を怠ってしまったのは、いずれも人事異動に関することが理由である。ひとつは人事異動のシーズンで壮行会が結構あり、ベロベロに酔っぱらう日があったこと (まぁそれは普段からという説もあるが)。もうひとつは、身近で起こった人事異動に納得できず、各種調整を行っていたこと。私は思うのであるが、いかなる組織も人間の集合体。文化に自らの居所を見出した私は、いついかなる場面でも、他人の痛みが分かる人間でいたい、そして、それを堂々と人に語れる人間でありたいと切に願うのである。

まぁともあれ、この映画である。もちろん映画好きなら誰もが知っている台湾映画。だが私にとっては、長らく「名のみ高い映画」であったのだ。1991年に制作され、日本でも公開されたが、私はその頃評判を耳にしながら (もう一本の台湾映画、「悲情城市」と並んで) 見逃してしまい、そしてそれ以来 DVD 化されることもなく (どうやらレーザーディスクは出たようだが)、見る機会がなかった映画なのである。この度、マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションのワールド・シネマ・プロジェクトと米クライテリオン社との共同で、オリジナル・ネガからデジタル・リマスター版が制作されたものである。上映時間は実に 3時間56分で、これがオリジナル。最初の日本公開時には 3時間 8分であったが、今回初めて、監督の意向通りの上映が叶うことになったわけだ。この映画の監督は、そう、エドワード・ヤン (楊德昌) だ。台湾では英語教育が進んでいて、皆欧米風のファーストネームを持っている。私も仕事上、かなりの数の台湾の人たちと関わったが、おしなべて親日であり、だが歴史的に屈折を余儀なくされてきた人たちの、毅然とした生きる姿勢に感銘を受けたものである。これが監督のエドワード・ヤン。
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ほぅ、今どんな映画を撮っているの、と思う人もいるだろう。だが残念なことに、彼は 2007年、59歳の若さで、癌で亡くなっている。2000年に「ヤンヤン 夏の思い出」でカンヌの監督賞も受賞しているが、その頃には既に癌に犯されていたらしい。従ってこの「牯嶺街少年殺人事件」は、彼が映画史に残した貴重な作品なのである。今年は彼の生誕 70年であり、没後 10年なのである。私はつい昨日これを見ることができたのであるが、その日は自宅の近くのシネコンでの上映終了日。この長い上演時間であるから、1日に 1回のみの上映で、文字通り最後の回の上映をなんとか見ることができたもの。上映劇場自体はそれほど広くはなかったものの、ほぼ全席売り切れ。しかも、この長丁場なら、昔はインターミッションと称するトイレタイムがあったものだが、この作品にはそれがなく、鑑賞者たちの膀胱はかなり限界に挑戦する状態であったに違いないのに、誰一人として上映途中で抜ける人はいなかったのである。このような場に立ち会うと、あぁ、面白くないことはいろいろあれど、日本は未だ捨てたものではない、と思えるのである。

さて、ここに面白い言葉がある。ヤヌス・フィルムズという会社によるこの映画の評価。「『ゴッドファーザー』と小津安二郎の間に位置する、家族についての完璧な映画」・・・なるほど、見終った今、これは言い得て妙だと思う。因みにこのヤヌス・フィルムズのウェブはこちら。これまた、映画ファンなら狂喜するような内容である。ちなみにこのヤヌスとは、もちろんあの「ヤヌスの鏡」のヤヌスであろう。あ、いや、昔のテレビドラマではありませんよ (笑)。
http://www.janusfilms.com/

この映画を見てすぐに分かる特色は、音楽が全くないこと。いやもちろん、劇中で音楽が演奏される場面では音楽が流れるものの、いわゆる BGM のようなものはなく、ひたすら人々の立てる物音だけがスピーカーを通ってくる。いや、だがしかし、私が覚えている限りにおいて、この長い映画の中でただ一ヶ所だけ、BGM が流れる。それは映画のほぼ終わりに近い箇所で、プレスリーのカバー演奏 (英題になっている "A Brighter Summer Day" はその歌詞の一部) を録音したオープンリール・テープが預けられる場面。きっとそこでは、人の思いが現実を超えて、音楽として空気の中に流れ出たということを表現したかったのではないか。それにしても、音楽のないこの映画、画面もまた暗いシーンが多い。1960年前後の台湾を舞台にしているのであるが、頻繁に停電が起こる様子が描かれている。主人公、小四 (シャオスー) は多くの場面で長い銀色の懐中電灯を手にしており、そこに彼は人生の指針を見出しているように見えるが、彼がその懐中電灯を手放したとき、取返しのつかない悲劇が起こるのだ。そして、冒頭に掲げたポスターにある「この世界は僕が照らしてみせる」というコピーは、まさにそのことを示しているのである。これがそのシャオスーと、恋人の小明 (シャオミン)。そして、懐中電灯を手にした小四。
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この映画の不思議なところのひとつは、出てくる若い女性のほとんどが、申し訳ないが全く魅力的には見えないということだ。一方、男の子たちはなかなかに美形もいるのであり、もしかしてこれは監督の指向のなせるわざかとも思いたくなるが、まあそれはどうでもよい。音楽のないシーンの連続で成り立っているこの映画、もちろん主人公たちが断腸の思いをあらわにする瞬間もあれこれあるのだが、思い返す映画全体の印象は、極めて平板。この静けさ、どこかで覚えがある。そう、小津安二郎の一連の映画群である。あの、家族の姿を描きながらもどこか別の世界の人たちのような登場人物たちと、この映画の登場人物たちの印象はかなりダブるのである。また、主人公の家 (かなり日本風であるので、きっと戦前の日本人の家に、戦後台湾人が住み着いている設定なのであろうと解釈した) のある狭い部屋のシーンが何度か出て来て、そこに何本も空き瓶が並んでいるのが小津的であるし、シーンによってその瓶の並び方が違う点にも、監督のこだわりが見える。そしてこの映画の平板さは、不良グループたちの描き方にもはっきり出ている。要するに、出てくる不良たちの誰もが全然怖くないのである (笑)。極め付けは、「台北中が恐れた男」として、途中でフラッと帰ってくるハニーという男。このように、海兵隊の恰好をして、コートには袖を通していない。
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彼は敵対する不良グループに喧嘩を売るのであるが、「おぅ、やるか」と言って繰り出すパンチの、見るからに弱っちいこと (笑)。そうだなぁ、「あしたのジョー」の中で、パンチドランカーになってしまったカルロス・リベラが「ミーのパンチ、強いネ」と言って繰り出すヨレヨレのパンチにそっくりとでも言おうか。そうしてこのハニーさん、その後あっという間に退場になるのだが、本当に台北中が恐れた男なら、簡単にそんな風にはならんでしょう。そのあたりのクサさになんとも言えない味があるのである。それ以外にも、まさに「ゴッドファーザー」ばりの大量虐殺のシーンがあるが、その前後の成り行きがよく分からないシュールさがある。そうそう、シュールと言えば、この映画には何度か、集団が思い思いのポーズで静止しているシーンが出てくる。そのあたりの静けさは、一度見たら忘れられないものであり、それから、殺戮シーンで出てくる蝋燭の光が、まるでジョルジュ・ラ・トゥールの絵画のような美しさである。その画家の名前を知らない人でも、この作品は見たことがあるだろう。
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それ以外にも、1960年頃の台湾の情勢を思わせる、ケネディ、プレスリー、ジョン・ウェインへの憧れを示すシーンもあり、戦後に本土から台湾に移住してきた主人公一家 (実は監督のエドワード・ヤンも上海から移住した、いわゆる外省人であるらしい) の苦難も描かれている。そのようにごった煮感満載の 4時間、膀胱の膨張に耐えて見るだけの価値はあるものであり、まさに小津映画と「ゴッドファーザー」の両方に思い入れのあるような映画好きなら、見逃してはならないものだと思う。但し、もう一回見ろと言われたら、ちょっと躊躇するかもなぁ・・・

by yokohama7474 | 2017-03-25 23:32 | 映画 | Comments(0)

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今回の記事は短くなりそうだ。理由のひとつは、明朝は早く起きる必要あること。もうひとつの理由は、残念ながら私はこの映画を面白いとは思わなかったことだ。だがまぁ、どのような映画であったのか、記録のために書いておこう。まず題名だが、「アサシン」とは暗殺者のこと。「クリード」は宗教上の信条のことで、クラシック音楽を聴く人なら、ラテン語のミサ曲に「クレド」(Credo) という曲が必ずあって、よく「信仰告白」などと訳されているのをご存じだろうが、きっとその言葉が Creed の語源だろう。15世紀スペインの暗殺者の子孫が、先祖の記憶を辿る特殊な装置によって時間を遡ることを強制される物語であることは予告編で明らかだが、見てみるとこれは、アサシン教団 (これは実在した集団のようだ) と、陰謀論ではおなじみのテンプル騎士団の確執を描いたもの・・・のようだが、正直なんだかよく分からない (笑)。身も蓋もない言い方をすると、このストーリーはあまり私の人生に関係ないという思いが、映画の最初から最後までついて回り、時にウトウトと夢の世界に落ちて行くことになってしまったのだ。だが、何を隠そう、私は陰謀論は大好きで、テンプル騎士団についての本は真面目なものから与太話本まで何冊も読んでいるし、ロンドンのテンプル教会も大好きなのである。その私が感情移入できないのだから、やはり内容に問題があるのではないだろうか。アサシン教団の戦士たちは、あたかもこのワシのように空からダイブするのだが・・・。
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実はこの映画、ゲームに基づく作品らしい。私はゲームをしない人間なので全く知識がないのだが、ゲームの主人公にもともとイメージのある人なら、この映画に対して、また違った見方ができるのであろうか。
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映画には様々な設定があるが、どこまで行っても所詮は虚構の世界。最近はリアルなドキュメンタリータッチの秀作も数々あれど、それらとても、あるいはさらに言えば、ドキュメンタリー映画ですら、映画である以上、そこには虚構の要素が色濃く存在しているものというのが私の考えだ。だから、見る者がその嘘に浸っていられるか否かという点が、良い映画と悪い映画を区別する分かれ道であると思う。その点、この映画のそこここに、嘘が嘘として放り出されているのを私は感じる。例えば、主人公を祖先の世界に戻すというアニムスなる巨大な機械が主人公をガッチリと抱えることになるのだが、過去の世界で主人公の祖先が敵と戦う動きを、そのまま現実世界でアニムスにつかまれた主人公が再現することになる。ここで現代の主人公の戦う姿を映す理由は何であろうか。正直ちょっと煩わしいし、また、俊敏に動く主人公の祖先は、当然ながらでんぐり返りなどもするのであるが、おいおい、背中にはアニムスを背負いながら、どうやってそれを現実世界で再現するのか!! (笑) なにせこんな感じなんだから。
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このような嘘が気になる映画は、残念ながら私は評価できないのである。ストーリーもさしてひねりはなく、敵味方が奪い合う対象物も、一体なぜそんなに価値があるのか、その説得力に乏しい。それから、アサシン教団、テンプル騎士団双方の仲間うちの結束や人間同士の感情、歴史的使命等についての説明が少なすぎる。戦闘シーンは玉石混淆という感じで、カッコよく敵をなぎ倒すシーンもあるが、あまりカッコよいと思えない殺陣もある。主役のマイケル・ファスベンダーは、ドイツ人とアイルランド人の間に生まれた人らしく、私は過去にもいくつか彼の出演作を見ているはずだが、正直あまり印象にない。ここでも、惚れ惚れする快演か否かは、意見の分かれるところではないか。
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ただ、ほかの役者陣はなかなかに豪華である。まず、先に見た「マリアンヌ」の演技も記憶に新しい、マリオン・コティヤール。ここでは全く違った顔を見せる。そして、さすがに年老いたと思うが、あのジェレミー・アイアンズがその父親役を演じている。
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そして、おぉこれはなんと久しぶり、テンプル騎士団の幹部を演じているのは、あのシャーロット・ランプリングではないか!! 既に 70を超えているが、ご健在で何より。ただこの映画での彼女の役柄には、それほど印象的なシーンはない。
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それから、ロケ地で 2ヶ所、私の好きな場所が出てきたので簡単にご紹介。ひとつはセヴィリアの大聖堂。これは非常に規模の大きい建物で、「後世の人たちが、アイツらは気でも狂ったのかと思うくらいデカい聖堂を建てよう」という意図で作られたという。だが、広い場所に面していないので、現地を訪れてもなかなか雄大な姿の全容を見ることができない。ただ、中には有名な場所がある。そう、コロンブスの墓所である。4人の王の彫刻が棺を担いでいる。またその横には、巨大な聖クリストバル (もちろん、コロンブスのファーストネーム、クリストファーと同じ名前) の壁画があって、これも忘れがたい。私がこの地を訪れて既に 20年が経つが、その感動は忘れがたい。
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もうひとつは、ロンドンにあるフリーメーソンのグランド・ロッジ。映画の中ではテンプル騎士団の集会場という設定になっているが、イメージ的にはぴったりだ。私はこの建物の前を何十回も通ったことがあって、それは、ホルボーン界隈からコヴェントガーデンのロイヤル・オペラに向かう途中にあるからだ。内部の見学もできるようだが、そう言えば中に入ったことはないなぁ。もしかすると、この映画でのテンプル騎士団の集会のシーンも、ここで撮影しているのだろうか。それとも、さすがにあんなに広いホールはないのかな。今度ロンドンに行く機会があれば覗いてみたいものである。
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さてこの映画、終わり方はいかにも次回に続くといった風情である。もし次があるなら、映画単体として楽しめるクオリティで作って欲しいと、心から願うのであります。...結局あまり短い記事にはならなかったなぁ(笑)。

by yokohama7474 | 2017-03-17 01:26 | 映画 | Comments(0)

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このブログで採り上げるのは初めてになると思うが、私は韓国映画が大好きである。と言っても、いわゆる韓流ドラマや K-Pop というものには一切知識・関心がなく、ただ「JSA」「シュリ」で日本の観客にも驚愕を持って迎えられたドラマティックな韓国映画の流れにガツンと脳天をやられたということなのである。私の場合、恋愛映画は好奇心のレーダーには入って来ないので、スリラー、サスペンス、ホラー系が中心ということになるが、忘れられない韓国映画がいくつもある。その中で、もちろん「ブラザーフッド」も異常なくらい素晴らしい出来であると思うが、なんと言ってもカンヌでグランプリを獲得した「オールドボーイ」に全身総毛立った観客のひとりである。その作品の監督は、パク・チャヌク。既に上に名前の出た映画では「JSA」の監督でもある。その後、「親切なクムジャさん」は DVD で見て、それはもう、のたうち回って悶絶するくらい痺れたのであるが (笑)、その次に見た彼の作品は、ハリウッドに進出してニコール・キッドマンとミア・ワシコウスカを起用した「イノセント・ガーデン」。その作品は、だが、残念ながら彼にしては若干大人しいかな、という印象であった。そこに 3年ぶりの新作登場である。しかもこの映画、上にある通り、「成人指定で全世界、異例の大ヒット」なのだそうだ。確かに日本でも R18+ という指定になっている。ええっ、そうなんだ。私は劇場で、「18歳以上ですか?」とは訊かれなかったけどなぁ (笑)。これが監督のパク・チャヌク。松尾貴史ではありません。
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実際に内容を見てみると、なるほど R18+ 指定はやむないだろう。だがそれは、別に性的な意味でアダルトということだけでなく、この映画の面白みを本当に楽しむことができるのは、よほどの早熟な天才でない限り、18歳以上の人たちだけだと言ってもよいと思うからなのである。舞台は 1939年、日本統治下の韓国。ある日本人の富豪のところにお手伝いでやってくる若い韓国人女性が、彼女が仕えるお嬢さんと、お嬢さんに言い寄る男性との間で陰謀に巻き込み、巻き込まれるという話。145分の大作で、全体は 3部からなるが、それぞれの部分で違った角度から経緯が描かれ、観客の感情移入を手玉に取るような狡猾な作り。見ていて飽きるということは全くなく、ストーリーを追うだけで充分面白い映画である。ここで主役のスッキ = 日本名珠子を演じるのは、1990年生まれのキム・テリ。この作品のためのオーディションで 1500人から選ばれたとのことで、これまで演技経験はほとんどないらしい。劇中では非常に素朴に見える役柄を演じているが、そこは女優。きれいにメイクすると、それはそれはきれいなのである。
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一方のお嬢さん役を演じるのは、キム・ミニ。1982年生まれで、高校時代から活躍している韓国のスターであるらしい。彼女がこの映画の中で見せる表情は実に多彩。おー、女は怖いのぅ (笑)。この感想はまさに、この映画の感想自体でもあるのだが。
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この映画の成功は、ひとえにこの二人の凄まじい女優魂に負っているものと思う。よく日本では女優がエロティックな場面を演じることを、体当たりの演技などというが、なんのなんの、本物の女優たるもの、体当たりは当たり前なのではないか。あるいは、女優がヌードになるに際し、「必然性があれば」などと言うこともあるが、なぜにそんな言い訳が必要であるのか。この映画を見ていると、女優たちの渾身の演技に圧倒され、我が国と彼の国の芸能界の成熟度の違いに思いを致すのである。劇中とオフステージでの二人。まるで姉妹のようではないか。
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ストーリーの面白さは上述の通りだが、この映画には美術を含めた細部の演出に監督の才能が光っている。現実にはあり得ないような、大広間の畳を部分的に上げるとそこに水がたたえられていて、巨大な盆栽や、ミニチュアの枯山水の庭を置くことができる構造も、映画ならではの虚構空間としてよくできているし、あるいは、二人の女優がそれぞれに大きな荷物を持って、屋敷の中の障子を順々に開けて行くシーンのリズム感なども、まさに映画的としか言いようがない。そしてつまるところ、この映画のストーリーにおけるミスダイレクション自体にはそれほど驚かないが、細部に宿る貪欲な制作意欲が、二人の女優を最高に輝かせていることに気づく。それから何と言っても、「オールドボーイ」の目をそむけたくなるような残虐シーンに常にユーモア精神が表れていたように、この映画におけるエロティックなシーンにも、必ずユーモアがある点にも注目しよう。これらすべて、パク・チャヌクの非凡な手腕であると思う。

ユニークなことに、この映画における使用言語は、設定上やむを得ない面もあるのだが、かなりの部分が日本語なのである。なにせキム・ミニは突然東北弁を喋ったりするのである!! 主要な役柄の人たちには日本人はいないので、正直、我々日本人から見ると言葉の点ではちょっと無理があると感じざるを得ないのだが、それはこの映画の持つ価値においては些細なこと。また、日本語の使用にもうひとつの意味があるとすると、主人公が朗読をする場面で、日本の放送禁止用語が沢山出て来ることであろう。これ、日本の映画では絶対できません (笑)。そのような言葉と、後半頻繁に出て来る日本製の春画の映像は、根がうぶな私 (?) にとっては、若干苦痛であったことは正直に告白しよう。だが、繰り返しになるが、そのような面を笑いに絡めている点こそ、この映画がポルノとは一線を画している明確な理由なのである。だからこの映画をご覧になる方は、エロティックなシーンで大いに笑って頂きたい。それが大人の視点でこの映画を楽しんでいる証拠になると思うし、人間の生き様の尊さと馬鹿馬鹿しさを同時に感じる瞬間になると思いますよ。

実はこの映画、原作は英国のサラ・ウォーターズの「荊の城」という小説である。日本で「このミステリーがすごい!」で 1位になったらしい。私がこれまでに読んだ彼女の小説は「半身」という作品だけで、詳細は覚えていないが、かなり面白かったと記憶する。なぜ私がその本を読んだかというと、その表紙に、私が溺愛するイタリア・ルネサンスの画家、カルロ・クリヴェッリの作品を使用していたからだ (そのことは、昨年 11月 3日付の、「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展に関する記事においても触れた)。この「荊の城」も翻訳が日本で出ていて、上下二巻のうち上巻は、このような表紙である。これは誰の作品だろうか。さすがに手だけでは分からないが、スペインかイタリアの肖像画であろう。
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私としては、久しぶりに見た韓国映画の素晴らしさに大満足。今後公開が予定されている面白そうな韓国映画がいくつかあるので、また時間を見つけて見に行ってみたいと思っている。

by yokohama7474 | 2017-03-16 01:00 | 映画 | Comments(0)

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今日のハリウッドでは CG を総動員したり大規模なセットが作られたり、世界各地でのロケがあったりと、巨額の資金を投入して複雑に映画が作られるのが通例になっており、加えてもともと各自の責任分野を明確にするのが米国式であるので、一本の映画を制作するにあたっても、全体の責任者としての監督の意向が、果たしてどの程度作品に明確に反映されることになるのか分からない。そんな中、明確な監督の個性を刻印した作品群を送り出し続けて成功しているのがティム・バートンである。もともと、自分はどうやらほかの人たちとは違うらしいという内向的な思いを創作の原点としている人であるから、華やかなハリウッドの世界で生きて行くこと自体にもいろいろ苦労もあるであろうに (よって、居住地はロンドンらしい)、2 - 3年に一本のペースでコンスタントに監督作品を世に問うていること自体が驚異的である。
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その一貫したユニークな趣味性のみならず、やはりストーリーテリングの手腕が優れていることが彼の成功の第一の理由であろう。それは、彼の旧作の続編であり、一見するといかにもティム・バートン風であったが別人が監督した「アリス・イン・ワンダーランド / 時間の旅」の出来の悪さを見てもよく分かる (昨年 7月30日の記事ご参照)。今回のこの作品は、監督作としては「ビッグ・アイズ」以来。冒頭に掲げたポスターにある通り、「ティム・バートン史上、最も奇妙」とあって、期待が募る。

予告編でもストーリーの流れはよく分かったが、これは少年が人里離れた屋敷に住むミス・ペレグリンという女性のもとに集う奇妙なこどもたちと触れ合う物語である。だが、そこで伏せられていたのは、ただ触れ合うだけなのか、それとも恋に落ちたり何かと戦ったりするのかということで、答えは両方ともイエス。正直なところ、ティム・バートン好みの「人と違う」こどもたちを使って彼が本当にやりたいことをここで出来たのか否か判然としないところはあり、若干、最近はやりの魔術性とか時間をコントロールする能力とかいう点を取り入れて、大衆性を狙っているのかとも思いたくなるのであるが、それでもほかの映画に時に感じる苛立ちをこの映画に覚えないのは、やはり監督の手腕か、それとも贔屓の引き倒しという奴だろうか。最高の出来で誰にでもお薦めしたいとは言わないが、罪のない映画として、ファンタジー好きなら見て損はないと思う。これがミス・ペレグリンのところに集った奇妙な (Peculiar) 能力を持つ子供たち。
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この中には、のべつまくなしにその能力を見せている人もいれば、最後の最後まで何の能力を持っているのか分からない人たち (おっとこれだけでネタバレに近い。失礼) もいて、それぞれの役柄はよく考えられている。そして、特殊能力発揮の場面は、昨今ありがちな超リアルな特殊映像というよりも、何か昔ながらの手作り感があって、それがこの映画を見て安心していられる理由なのかもしれない。例えば透明人間の活躍など、いかにも「透明人間がやっています」というぎこちなさをわざと出しているように見える。また、クライマックスで骸骨たちが戦うシーンは、もちろんレイ・ハリーハウゼンのクレイメーションによる「アルゴ探検隊の大冒険」へのオマージュであろう。これがその映画のシーン。いいですねぇ、骸骨軍団。
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それから、主人公は祖父の殺害をきっかけにタイムスリップして 1943年のこの屋敷に入って行くのであるが、その彼がなぜこのような特殊能力者たちの仲間になれるのかという点も徐々に明らかにされ、なるほどそれは大した能力ではないようで、実は大変重要な能力なのだと理解することになる。ほら、よくいるではないですか。集団の中で何の役にも立っていないように見える人が、実は集団にとって死活的に重要な存在だということが (笑)。そのような子供たちを演じるのはもちろん若い俳優たちだが、興味深く見たのは、蜂を体内に飼っている少年ヒューを演じるマイロ・パーカー。私は昨年 3月31日の「Mr. ホームズ 名探偵最後の事件」の記事でその名演技を絶賛して、その際に「次回作はなんとティム・バートンの新作であるそうな」と書いたが、それがこの映画である。ただ、これは偶然なのかどうなのか、前作でも彼は養蜂家の息子を演じていた。ハチと何か縁があるのだろうか (笑)。
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このような特殊能力の持ち主の集合は、よくある設定で、「ファンタスティック・フォー」とか「X-Men」もそうだし、日本でも昔の「サイボーグ 009」という例がある。つまりそのような能力を持つ人たちは、敵と戦う場合にその能力を最もよく発揮できるわけで、ここでも手ごわい敵が現れる。予告編には出てこなかったが、海外版のポスターにはちゃんと姿が出ている。
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そう、サミュエル・L・ジャクソンだ。このような怪役を演じさせたら、右に出る者がない (笑)。今回も本当に楽しそうに演じている。それから、主役のエヴァ・グリーン、祖父役のテレンス・スタンプ (1965年の伝説の映画「コレクター」の主役として未だに知られる) など、充実したキャストである。あ、そうそう、充実したキャストと言えば、これはびっくりの英国の大女優ジュディ・デンチが出演している。オープニングタイトルで彼女の名を見て、いつ出てくるのかと楽しみにしていると、後半に確かに出て来る。だが、出て来てすぐに、なんともあっけなくいなくなってしまう (笑)。このあたりのもったいない役者の使い方も、ティム・バートン一流のシニカルな面なのであろう。

それにしても、魔術とタイムスリップ (ここではループと言って、ある特定の一日が繰り返される設定) は、最近の映画には多い。その一方、リアリティ溢れる現代の戦争もののドキュメンタリー風の映画もあって、両極端を構成している。ファンタジーの世界に遊ぶことは平和である証拠だから、前者にはそれなりの意義はあり、その一方で、現実から目を背けないためにも、後者も必要だ。いずれにせよ、あまりに絵空事やあまりに深刻なことは人々の共感を得られないであろうから、現実とファンタジーを結びつける感性が必要であろうと思います。ティム・バートンは意外にしたたかで、そのあたりの現実性も持ち合わせた人なのだろうと思う。これからも期待しております。

尚、私はまた今日から出張に出てしまうので、一週間ほどブログの更新はお休みします。

by yokohama7474 | 2017-03-05 11:39 | 映画 | Comments(0)

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これは低予算の、いわゆるインディーズ系の映画であるが、上のようなポスターを目にした瞬間、これは見る価値ありと判断した。このイラストの乾いた感覚はどうだろう。最近ご無沙汰だが、まるで大友克洋の作品の一場面のようではないか。この映画のチラシを見てみると、このようなコピーが。「理不尽に囚われた楽屋 (グリーンルーム) からの決死の脱出劇 --- 内臓で感じろ! 新世代の傑作アクション・スリラー」・・・なるほど面白そうではないか。また、「全米初登場第 1位」とある。これはますます期待が高まる。

さらに、このようなインディーズ系の映画であるにもかかわらず、ハリウッドのメジャーなシリーズ物に出ている俳優が 2人、ここには出演している。まず一人は、この映画の主演俳優、アントン・イェルチン。
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彼が出ている (いや、残念ながら「出ていた」と過去形にする必要があるのであるが) ハリウッド映画は「スター・トレック」シリーズで、そこで彼はパヴェル・チェコフというロシア系乗組員を演じていた。この役者自身、もともとロシア出身であるらしい。
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なぜに「出ていた」と過去形にする必要があるかというと、彼は既にこの世の人ではないからだ。昨年 6月、自宅で車と門の間に挟まれて死亡しているのが発見された。享年 27歳。この「グリーンルーム」の撮影は 2015年で、日本では先に公開された「スター・トレック BEYOND」の方が後で撮影されている。そしてその「スター・トレック BEYOND」が彼の遺作となってしまった。正直なところ、「スター・トレック」シリーズでは脇役であるが、この「グリーンルーム」では堂々の主役。私はここでの彼の演技は素晴らしいと思う。これから大ブレイクかというときに逝ってしまったことは、残念でならない。

そしてもうひとり、メジャー映画に出ているのは、パトリック・スチュワート。ここでは悪の親玉を演じている。
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この顔はおなじみ。言わずと知れた「X-Men」シリーズのプロフェッサー X 役である。一度見たら忘れまい。
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そのような俳優たちを擁したこのインディーズ映画、ストーリー自体は至って単純で、売れないパンクロックグループがドサ回りをしていて出演することになったライブハウスが、実はネオナチの巣窟で、メンバーたちはそこから脱出すべく努力するが、敵に阻まれるというもの。因みに題名の「グリーンルーム」とは、楽屋と舞台の間にある出演者たちの控えのスペースのことを指すらしいが、上のポスターでも明らかな通り、文字通りグリーン系の色彩が、室内外を問わずあらゆるところに出て来て、見る者を不安にさせるのである。設定はなかなかうまくできている。
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この映画のひとつの特徴は、かなりエグい殺戮シーンが頻繁に出て来ることであり、その手の映画が苦手な人は見ない方がよいだろう。脚本・監督を担当したのはジェレミー・ソルニエという 1976年生まれの新鋭で、これが長編 3作目。どこかで「現代のサム・ペキンパー」という表現を目にしたことがある。うーん、だが私の見るところ、かのヴァイオレンスの巨匠とは未だ格段の差があると言わざるを得ない。むしろこの映画を比較するなら、最近日本でも公開された「ドント・ブリーズ」(フェデ・アルバレス監督) がよいだろう。今年の 1月 6日付の記事で私が絶賛した映画である。この 2つの映画には設定に共通点があり、それは、ある場所に閉じ込められた若者たちがそこから脱出するために命を賭けるという点。最後の方で犬を使っている点も似ている。だが、明らかにこの「グリーンルーム」の完成度は「ドント・ブリーズ」に遥か及ばない。それにはいくつかの理由があるが、例えば、登場人物が多いがその個性が充分に描かれていないばかりか、敵・味方ともに、人の区別すらつきにくい点があること。また、若者たちが敵に立ち向かうための方策に、なるほどっと唸るような工夫がないこと。それから、ネオナチとされている敵の集団が取る行動の理由が説明されず、見ているうちに不気味さを感じなくなること。そして何より、ラストの決着のつけ方。納得がいかないばかりか、多分に拍子抜けである。「ドント・ブリーズ」の息をもつかせぬ展開と、最後の最後まで安心して見ていられないサスペンスは、この映画にはないと言わざるを得ない。時に感覚の冴えを覚えさせるシーンがあるだけに、全体の仕上がりがこの程度であることは、大変に残念である。

ここで再度ペキンパーの名前を出さずとも、映画には鮮血の美学というものがあり、いわゆるスプラッター映画にも (私の感覚では) 美しい作品は数多くある。この作品はそのような美学を目指していることは分かるし、評価できる面もある。また、アントン・イェルチンの鬼気迫る演技が、かなり全体の出来を引き上げているとは思う。だが、残念ながら全体を貫く美学というものまでは感じられなかった。やはり夭逝したヒース・レジャーが、「ダークナイト」での凄まじい演技によって、死後、アカデミー助演男優賞に輝いたようなことがここで起こらなかったことは全く残念だが、致し方ない。

ともあれ、もし自分がどこかに閉じ込められ、決死の脱出を図るときに、一体いかなる心構えで臨めばよいのかについては、なにがしかのヒントが得られたものと思う。・・・そんな目に遭わないことを心から願っておりますが (笑)、いざというときはこんな感じで敵に立ち向かおう。
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by yokohama7474 | 2017-03-02 00:29 | 映画 | Comments(0)