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エベレスト 3D (バルタザール・コルマウクル監督 / 原題 : EVEREST)

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私は山登りをしない人間ではあるが、そこそこの山であれば、「あぁ、登頂すると気持ちいいだろうなぁ」と思うことはある。とはいえ、まだ記憶に新しい御嶽山の噴火や、それほどの規模の悲劇でなくても、それなりの頻度でニュースになっている山での遭難のニュースを耳にすると、なんとも暗い気持ちになるものだ。人間が自然を御することは所詮不可能であり、一旦自然災害が起こってしまえばなすすべもない人間の身の危うさを思い知るからだ。特に、このエヴェレストのような、普通に考えて命を危険にさらすような無謀なことを、巨額の資金をかけてでもやろうという人がいることを、私は全く理解できない。この映画の冒頭にある通り、1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが初登頂を達成して以来、最初の頃はプロの登山家でも 4人に 1人が命を落としたという。うーん。理解できない。と言いながら、なぜかこの究極の登山には心惹かれるものがある。もう 10年以上前になるが、「そして伝説は残った」という本を読んだことがある。副題は、「伝説の登山家マロリー発見記」とあって、ヒラリーとテンジン (と普通言うが、なぜファーストネームとファミリーネームの組み合わせなのだろう?) よりも先、1924年にエヴェレスト登頂を目指して消息を絶ったジョージ・マロリーの遺体が 75年ぶりに発見されたことに関するドキュメンタリーであった。ここで私を惹きつけるのは、極限の世界で生還を目指すことのロマンということは多分できそうだ。

そんなわけで、久しぶりに劇場で見た映画がこれである。1996年に実際に起きた遭難事件に基づいており、3D の威力もあって、その描写はかなりリアルだ。この時代だからほぼ全編 CG で作ったのだろうと思いきや、実際にエヴェレストやアルプスで大々的なロケを敢行しているという。いやー、3D カメラを抱えたスタッフの皆さんは大丈夫だったのだろうか。

この映画、登山の話だから、登場人物の顔が分かりにくいだろうと思ったら、ある程度思った通りであったが、そのキャストは非常に豪華だ。主役の登山会社の経営者には、先に「ターミネーター 新起動」でのジョン・コナー役をご紹介したジェイソン・クラーク。その妻役はなんとキーラ・ナイトレイだ。但し彼女は登山をしないので、ほかの俳優よりも安いギャラだっただろう (笑)。主人公を助けようとする仲間に、「アバター」の主役を務めたサム・ワーシントン。ベースキャンプでの頼りになる女性スタッフに、名女優 (最近あまり見なかったが) エミリー・ワトソン。その他、ジョシュ・ブローリンやジェイク・ギレンホールなど、充実の顔ぶれだ。但し、この映画の難点は、まさにその設定にある。山に登ってしまえば、顔や姿がよく分からないので、登山服の色などで人物を識別するしかなく、また、迫真の演技をしようにも、こんな吹雪の中では、見ている人に分かるように撮影するのは極めて難しい。おー、さむ。
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実際、このような高峰にとってみれば人間など、蟻んこのようなちっこい存在であり、いかに通信技術や装備が発達し、天候予報の精度が上がろうと、何千年何万年と当たり前のように起こり続けているちょっとした吹雪によって、人間の体力も知力も、あっという間に吹っ飛んでしまうことの絶望感。急峻な峰を辿る人々の姿を上空からとらえたカットは、そのような絶望感を存分に表現していて、それだけでもこの映画の価値はあると思う。ただ一方で、多くの登場人物がいる中で、その個人的な背景が描かれるのは 2人だけだ。主要キャストで唯一山に登らないキーラ・ナイトレイが、電話での会話という難しいシチュエーションで、なかなかの演技を見せてくれる。この映画でほぼ唯一の、人間の愛を描いたシーンだ。
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但し、改めて思うと、いわゆる実話に基づく壮絶なストーリーを持つ映画 (最近でいうと「アメリカン・スナイパー」とか) に比べると、この映画はもうひとつドラマとしての迫力に欠ける面がある。それは、登山における遭難には、もちろん人間の判断ミス等々の微妙な要素もあるものの、上に書いたような自然 vs 人間の、最初から話にならない無謀な対決が描かれてしまうと、ドラマ性を加えるのは所詮無理であるからだ。なので、この映画を見る際に、気の利いたストーリー展開を期待してはいけない。ただひたすら、自然の驚異と、微々たる力でそれに立ち向かおうとする人間の営為を見るしかない。

これから冬に入って行くので、雪山に登る皆さんはこの映画を見て、勇気ある決断が生死を分けるということを再認識されてはいかがでしょう。ご無事を祈ります!!

by yokohama7474 | 2015-11-14 09:59 | 映画 | Comments(0)

キングスマン (マシュー・ヴォーン監督 / 原題 : Kingsman The Secret Service)

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予告編を見てピンと来た映画は、極力見に行くことにしている。予感が外れることももちろんあるが、今回は大当たりだ。「キングスマン」、間違いなく今年見た映画の中で最高の一本だ!! 近々もう一度見に行ってしまうかもしれない。

ロンドンで高級オーダーメイド紳士服店が並ぶ場所、サヴィル・ロウ (Savile Row)。日本語の「背広」の語源になったというこの場所は、私も仕事で何度か行ったことがある。お客さんのオフィスがそこにあるからだ (私の仕事はアパレルではないのだが・・・)。どんなところかと思いきや、ロンドンではどこにでもある、狭い一方通行の道だ。
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映画の設定は、ここに並ぶ仕立て屋のうちの 1軒、キングスマンという店が、実はスパイ機関の本部になっているというもの。面白いのはこのスパイ機関、国には属しておらず、独立系だということだ。英国の誇る MI-6 所属のジェームズ・ボンドやそのパロディとしてのオースティン・パワーズ、または「Mr. ビーン」のローワン・アトキンソン演じるジョニー・イングリッシュは皆、国家あってのスパイであったが、21世紀の国際秩序においては、新たなスパイ・キャラクターは、豊富な資金を持つ個人であるという設定の方が面白い。対する敵は、これまた国家の範疇には収まらない、ゲリラ活動や IT テロだ。スパイではないが、バットマンもそのような発想でできており、そのシリーズで執事役を当たり役としているマイケル・ケインが、ここでもいかにも彼らしい役柄で出ているのを見ると、何やら信頼できそうな気がするのだ (笑)。
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何より、あの名優コリン・ファースが、きっちりとした着こなしでアクションに挑み、眼鏡をかけて傘を振り回している姿をチラリと予告編で見せるのがよい。ハリウッド流の単純なアクションものではなく、英国風の何か屈折したものがありそうだ。
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映画が始まってすぐに、「あ、これはやっぱりいける」と確信した。中東を舞台にしたミッションが描かれるのだが、旧型のラジカセのアップからカメラが引くと、地上戦闘員が攻撃を受け、さらにアジトになっている古い砦の爆撃へとずぅーっとカメラが昇って行き、爆撃によって砕け散る建物の破片がタイトルになって行くという、そのテンポ感が只者でない。すぐに似ている作風を頭の中で探すと、あったあった、私の大好きなガイ・リッチーだ。あとになって分かったことには、この映画の監督、マシュー・ヴォーン (やはり英国の振付師、マシュー・ボーンとは別人) は、「ロック、ストック & トゥー・スモーキング・バレルズ」や「スナッチ」といったリッチーの傑作のプロデューサーであるとのこと。「レイヤー・ケーキ」という作品でリッチーが監督を降りてしまったのでしょうがなく自分で監督し、それが好評だったのがきっかけでメガホンを取るようになった由。この映画は全く知らないが、調べてみると、主演がなんと、ダニエル・クレイグだ。その後、「キック・アス」という作品を監督していて、これは記憶にあるが、大して見たいと思わなかった。それから、「X-MEN ファースト・ジェネレーション」の脚本・監督、同じく「フューチャー & パスト」の製作・原案をこなしている。こうして見てくると、恐らくこの「キングスマン」は、これまでの作品とは一線を画した、彼自身にとっても新境地なのではないか。

とにかく、大変面白いのだ。若い主人公エグジー (今回が映画デビューとなるタロン・エガートン) がスパイとして逞しく成長して行くというストーリーなのだが、普通、お上品な男が、闘いの場で野生に目覚めるというパターンになるはずが、この映画では全く逆。まず、成長前がこれ。
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そして、成長後がこれだ。
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バッチリ決めた英国紳士が、並み居る敵をバッタバッタとなぎ倒す、そのギャップが面白い。このような方法を取る場合、作品にリズム感がなかったり、小ネタが不発であったりとかの状況で、見るも無残な企画倒れになるリスクがあるのだが、この映画は、まさに目の覚めるようなアイデアと表現方法、そして役者の呼吸で、大変見事だ。今、書きながら映画を思い出して、笑ってしまったり、爽快感を味わっている自分が何やら不気味である (笑)。実際、荒唐無稽なアイデアに対して観客が抵抗感を示すか示さないかは、細部の積み重ねによって決まるのだ。その意味で、いや全く見事な映画だ。

特筆すべき見事なシーンは 2つ。ひとつは、コリン・ファースが暴れる教会の場面。もうひとつは、主人公たちが敵 (これが IT 起業家にして悪党のサミュエル・L・ジャクソンなのだ!!) の本拠地で絶対絶命となり、主人公の教官 (最近いろんな映画、例えば「裏切りのサーカス」や「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密」で印象に残る演技連発の名バイプレイヤー、マーク・ストロング) の案で一か八かの勝負に出るシーン。前者は、あえて言うならば、殺戮シーンとして映画史に残るであろう (この映画が R15 指定になった一因もこのシーンだろう)。完璧に作られたリアリティに圧倒される。後者は、これはただ、腹を抱えて笑おう。エルガー作曲による行進曲威風堂々第 1番、英国の第 2国歌と言われる中間部の流れるシーンだ。劇場で手を叩きたくなるほどの素晴らしいシーンに、久しぶりに会った。

その他、出演者もいろいろ多彩であるが、例えば、敵役のサミュエル・L・ジャクソンの秘書兼用心棒 (?) 役のソフィア・ブテラはどうだろう。
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最近パラリンピックもメジャーとなり、足の不自由な選手の走りや跳躍も日常のものとなったが、このガゼルというキャラクターは、通常なら人の機能を補うべき義足によって、一般人を遥かに超える殺傷能力を持つ。この逆説がまさにこの映画にぴったりだ。演じるのは、世界的なダンサーであり、ナイキのブランド・アンバサダーであるソフィア・ブテラ。
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まあ、このようなイキのよいキャストが組めるというのも、この監督の実力のひとつなのであろう。あ、そうだそうだ、よいキャストと言えば、ひとり気になる役者が出ている。この人だ。
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アーノルド教授という役名で、途中で殺されてしまう脇役だ。さて、この俳優の名は? 誰あろう、マーク・ハミル。ほかでもない、「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカーだ。同じような角度の写真で、面影があると言えばあるような。
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さてさて。既に予告編の上映も始まっているスター・ウォーズの新作、「フォースの覚醒」(日米同時12月18日公開) でルーク・スカイオォーカー役に復帰とのこと。予告編では既に、ハリソン・フォードがチューバッカとともにハン・ソロ役として姿を見せているが、彼らに加え、レイア姫のキャリー・フィッシャーも出演するらしい。いやはや、どうなることやら。

話が例によって脱線してしまったが、この「キングスマン」、私の見たのはシルバーウィーク中のレイトショーだったが、かなりの混雑であった。映画の観客層の通ぶりを測るには、終映後のエンドタイトルでどのくらい人が出て行くかを見れば大体分かるが、この映画の場合、案の定、ほとんどの人が出て行かなかったのだ。さすが、日本も捨てたものではない。プログラムによると、本作の好評により、次回作の噂も出ているとか。私としては、それは若干の不安材料だ。だって、次回作でしゃあしゃあとコリン・ファースが出てくると、ちょっと興醒めですよね。なので、まずこの作品はこの作品として、一旦完結としたい。いやお見事。

by yokohama7474 | 2015-09-23 22:20 | 映画 | Comments(0)

進撃の巨人 エンド・オブ・ザ・ワールド (樋口 真嗣監督)

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先月 1作目を見た実写版「進撃の巨人」、今回はその続編 (現時点での完結編???)、「エンド・オブ・ザ・ワールド」である。見てみると、実際にこれは最初の映画の純然たる続きであって、本来ならまとめて 1編とすべき内容だ。一言で言ってしまえば、正体大暴露大会と、特撮怪獣映画への接近。その先に見えるのは、「これは連載マンガなのだ」という、映画好きにとっては軽い失望だ。

私は幼少の頃からそれほどマンガが好きであったわけではないが、それでもジャンプとかチャンピオンとか、ある場合にはサンデーまでも毎週読んでいた時期がある。その経験上、連載マンガは続けば続くほど、「実はこうでした」「本当はああでした」という設定に遭遇することになることがままあることを知っていて、それが私をマンガから遠ざけた一因にもなっている。最初は普通のスポ根ものだったものが、途中から宇宙の生成に関わる気宇壮大な物語になることもある (笑)。もちろん、「あしたのジョー」のような例外的な古典もあるわけだが、出版社側も読者の興味を惹きつけ続けるために、作者にいろいろと要求するのだろうな、と想像してみたりもする。

現在も連載中の「進撃の巨人」を読んだことがない私としては、純粋に映画としてこの作品を評価するしかないのだが、第 1作に出てきた巨人たちのヴィジュアル面での強いインパクトが、この作品では失われている。それもそのはず、この作品では、巨人たちに襲われる一般市民は登場せず、政府の一部の人たちと、巨人の打倒及び、巨人たちが外界から入ってくる壁の穴を塞ぐ使命を帯びた人たちだけが登場するからだ。もともと謎に満ちた巨人の出現は既に過去のものとなり、ストーリーは、「実は」「実は」のオンパレードに入って行くことになるのだ。そしてその「実は」は、正直に言おう。ちっとも面白くない。そのひとつの理由は、閉ざされた世界の秘密に関してどうのこうのと言われても、リアリティが全くないし、今実際に世界で起こっていることの方が、よっぽど "the end of the world" にふさわしい。この映画の設定から、例えば日本が置かれた実際の位置の比喩と見るのも不可能ではないかもしれないが、そんな説教はこの映画で聞きたくないよという人がほとんどだろう (笑)。

この映画の中で、大昔のものとして出てくるジュークボックス (あ、現在でも既に大昔のものですね 笑) から流れてくる音楽は、確かにいろいろなところで耳にしたことがあるオールディーズだ。スキーター・デイヴィスの歌う、"The End of the World"、邦題は「この世の果てまで」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=b0cPsOa0Lfc
この曲は 1963年のヒット曲らしいが、雰囲気としては、昔デイヴィッド・リンチが使った「ブルー・ベルベット」のようなシュールな不気味さもあり、映画の中ではそれなりに効果も出ていた。だが、歌詞を見てみると、「なぜ太陽は昇り続けるの、なぜ波は岸に寄せるの、なぜ鳥は歌い続けるの、なぜ星は輝くの・・・。世界の終りが来たことを知らないの?」と来るところまではよいのだが、その後、「あなたはもう私を愛していないのに」とか「あなたの愛を失ってしまったのに」と来るのだ。要するに失恋の歌である。簡単に言ってみれば、「オマエにはもう飽きた。失せろ」と男から蹴りを入れられた女が、「ガビーン」とばかり、世界が真っ白になる、そういう状況を歌っているのである。飽くまで個人的な状況だ (笑)。とすると、この映画での使い方は、いかにも大仰だと言うしかないだろう。加えて、エンディングのテーマが SEKAI NO OWARI によるものだ。芸能界に疎い私でも、このバンドの名前くらいは知っているが、まさか彼らの曲を聴いて、本当に世界が終わることを考える人は、あまりいないのではないかと思う。特にこの日本では。

原作の諫山創が語るところによると、昔の東宝怪獣映画、「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966) が本作品のイメージのひとつの源泉になっている由。1作目ではそれを感じることはなかったが、この 2作目ではよく分かる。これ以上言うとネタバレになる (もっとも、原作を読んでいる人には既にネタはばれているのだろうが) のでやめておくが、この怪獣映画感覚、嫌いではないが、どうしても子供っぽくなってしまう点は難点だ。
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だが、日本には怪獣映画の伝統があるわけであって、技術の保存伝承は必要だ。伊勢神宮が式年遷宮を継続してきたのと同じである (ま、ちょい大げさですかね)。本作のプログラムには、メイキング情報もあれこれ載っていて、こんな詳しい冊子をどの映画に対しても作ってしまうのは絶対日本人だけだと確信するが、技術伝承の観点からは意義深いことだ。
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あたかも諫山少年が大昔の怪獣映画を見てワクワクしたように、今の、あるいは将来の子供が「進撃の巨人を見て影響を受けました」という時代がきっと来るであろう。それまで世界が終わっていませんように。

by yokohama7474 | 2015-09-22 20:03 | 映画 | Comments(0)

ミッション:インポッシブル / ローグ・ネイション (クリストファー・マッカリー監督 / 原題 : Mission Impossible - Rogue Nation)

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「ミッション・インポッシブル」(今回気づいたのは、邦題では「インポシブル」ではなく、「インポッシブル」と、不可能さが強調されているのだ!!) シリーズの 5作目だが、このシリーズはこれまで欠かさず見ており、しかも、シリーズ物にしては珍しく、どれも大変面白い。主演のトム・クルーズ、前回はデュバイの超高層ビルに張り付くシーンをスタントを使わずに自ら演じたというが、今回はこのポスターの通り、張り付いたのは飛行機だ。おいおい、これ、CG じゃないの? 違うんです。本当に飛行機に張り付いて (多分、さすがに手でつかまっているだけではないだろうが)、5,000 フィートの高さ (というと、1,500m くらい) まで上昇したという。しかも、それを 8テイク取ったというから恐れ入る。ちょっと変な人だという説もあるが、こんなことをやってのけてしまう役者魂には、誰も文句がつけられまい。彼は 1962年生まれだから、既に 53歳。ここまで来たら、いつまで変わらずにいられるかという記録にチャレンジするくらい、この路線で突っ走って欲しい。

さて、この映画のすごい点は、既に予告編で公開されていたこのシーンを、大胆にも冒頭に持ってきたことだ。そうすると観客は、「あれ、もう出たよこれ。じゃあ、クライマックスは一体どうなるわけ???」と思うわけで、相当な自信がないとできないことだろう。いやはや、効果は絶大だ。

その後のシーンで、何やら IMF が要らないとか言っている。なに??? IMF、International Monetary Fund = 国際通貨基金か? それを滅ぼそうなんて、すわ、これは中国の陰謀か?? とあらぬことを考えてしまったが、この IMF は、Impossible Mission Force、主人公イーサン・ハントたちが属する秘密機関のことだ。ただ、このご時世、なんとなく米国の相対的地位の低下が皮肉っぽく描かれたいるのではと思うのは、考えすぎであろうか。この映画、パラマウントの製作だが、映画開始前の製作会社のロゴには、アリババを含む、明らかに中国 (または香港) 系の会社もあり、そのような妄想をかきたてるのである。あ、そういえば、映画の中で、架空の記事とはいえ、「世界銀行破綻の危機」というものもあった。うーむ。

それからの展開は、驚愕のドンデン返しがそれほど沢山用意されているわけでもなく、苛立ったり戸惑ったりせずに見ていられる。唯一、謎の女性、イルサ・ファウストだけが敵だか味方だか分からない。演じるのはレベッカ・ファーガソンという女優。こういうサービスショット (笑) もあるが、どちらかというと逞しいイメージであり、過度な色気を出すシーンはなく、ひたすら任務として肉弾戦を戦っている。魅力炸裂 (例えば昔、「エントラップメント」でキャサリン・ゼタ・ジョーンズが見せたような) というところまでには行かないが、まずまず好感が持てるといったところか。
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この映画、絶対絶命の危機が何度も訪れるが、その状況からの脱却は、意外と大したことはない。目を見合わせて敵を投げ倒し始めるとか (笑)。でも、それが嫌味にならないあたり、アクションの質やカット割りや装置、照明その他の要素の組み合わせがうまく行っているからではないか。私は大変楽しんだ。

このブログとしてどうしても取り上げなくてはならないのは、オペラのシーンだ。これは明らかに実際のウィーン国立歌劇場で撮影している。階段も、劇場の内部も、間違いなくこのオペラハウスのものだ。
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演じられているオペラは、このブログでも時々話題にしている、プッチーニの「トゥーランドット」だ。但し、開始早々、役人が「北京の民よ」と歌うところからしていきなりアレンジされていて、ちょっとずっこける (笑)。原曲の、短い和音が何度か鳴って、木琴がタッカッタ、タカタカタカタカと響くところ (本当はこれがいいんですけどね) に映像を合わせると間延びするという判断だろうか。その後かなり長く劇場内のシーンでずっと鳴っている音楽は、順番はバラバラだし、幕も自由に行き来し、同じシーンの繰り返しもあって、おいおいおいと思うことは事実で、例えば「ゴッドファーザー パート 3」のオペラハウスのシーンでの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の使われ方とはちょっと違う。でも、まあそれもよいではないか。映画さえ面白ければ。

ほかのロケ地として、ラスト近くのオークション会場になっている、ブレナム宮殿を挙げておこう。ロンドンからさほど遠からぬ世界遺産で、宰相チャーチルが生まれた場所としても知られる。大詰めに向けた雰囲気作りには、なかなか適した場所を選んだと思う。こういうところでフォーマルな会が開かれ、主人公が変装して入り込むなんて、なんとオーソドックス!
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そもそも冷戦が終結して、スパイ物のリアリティがなくなって久しいわけであり、007 シリーズも昔のような単純さよりも、どこか救いがたい暗さをたたえているように思う。このミッション・インポッシブルも、2大勢力の対立という大きな枠がなくなったあとの、秩序なきテロリズムを扱ってはいるものの、基本的には米英が中心となり、その中での裏切りを描いているので、あまり絶望的な感じがしない。最初に書いた中国ネタが正しいかどうか分からないが、いずれにせよそのような新興勢力を克明に描いているわけでない。また、題名の Rouge とは、「ならず者」という意味のようだが、Nation を使うとはどういうことだろうか。調べてみると、米国で公式にも使われている言葉は、Rouge State であるようだ。State と Nation は、日本語にすると同じ「国」ということになるが、私の勝手な邪推では、映画の題名を Rougue State を使ってしまうと、公式声明に出て来る言葉でもあり、最近では Islamic State の連想もあって、シャレにならなくなるからではないか。もしそうなら、その姿勢は、この作品に関しては評価できると思う。これは娯楽映画なのであって、人々の不安を煽るのが目的ではないはずだ。

もうひとつトリビアネタ。このような大規模予算映画のエンドタイトルを追うのはなかなか骨が折れるのだが、今回、音楽は作曲者のジョー・クレーマーが自分で指揮しているようだが、「トゥーランドット」に関しては、なんと、フィリップ・オーギャンの名前があった。もう何年前になるか、東京オペラの森で小澤 征爾が振るはずだった「タンホイザー」を彼が代わりに振って、素晴らしい出来であった。せっかくなので (?)、彼の写真を掲載しておこう。
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このシリーズは、既に次回作製作も発表されているらしい。次はトム・クルーズがどんなインポッッッシブルに挑戦してくれるか、楽しみに待つとしよう。

by yokohama7474 | 2015-09-10 01:32 | 映画 | Comments(0)

さよなら、人類 (ロイ・アンダーソン監督 / 英題 : A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence)

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今年、これまでで最も強く、見たい!! と思った映画。スウェーデン映画 (より正確には、ノルウェイ、フランス、ドイツとの合作) で、原題は、"En duva satt på en gren och funderade på tillvaron"...うーん、さっぱり分からんが、duva はきっと dove (= pigeon) と同じではないかと思うと、どうやら英語の題、"A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence" と同じだと推測できるような気がする (が、保証はしません)。日本語では、「存在について考察する枝の上の鳩」ということになるが、スウェーデン語と同じく、日本語でもなんのことやらさっぱり分からない (笑)。邦題の「さよなら、人類」は、昔たまというグループが歌っていた (某友人の唯一のカラオケレパートリーでもあった) 同じ題名の歌を思い出すが、あれは「さよなら人類」であって、読点はなかった。まあそれはこの際、どうでもよい話であるが、この邦題、ポスターで見るようなとぼけた味わいとは対照的な、終末感漂う原題やこの映画の中身の雰囲気を出そうという腐心の結果であろうか。

さて、スウェーデンには仕事でも遊びでも行ったことがあり、ストックホルム郊外、世界遺産のドロットニングホルム劇場でバロックオペラなど楽しんだことまであるが、すべての人が完璧な英語を喋る国である。よって、旅行者がスウェーデン語なるものを耳にする機会はあまり多くない。従って、この映画で聞く言語に、ほとんどの人が馴染みのなさを感じるのではないか。この映画から感じることのできる終末感は、ひとつにはこの言語の響きがあると思う。もちろん、映画界にはイングマル・ベルイマンという同国の巨匠もいるわけであるが、誰でも知っているポピュラーな存在とは言い難い。「イニェー」だか「ウニェー」だか、それも Yes だか No だが分からぬが (笑)、何やら応答している登場人物たちの曖昧な言葉が、見る人になんとも不思議な孤独感を覚えさせるのである。

ポスターに出ている 2人の男は、向かって右がサム、左がヨナタン。おもしろグッズを売り歩いているセールスマンだ。何がおもしろグッズかというと、まず、吸血鬼の牙。
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それから、笑い袋 (映画で使われたものではなく、あくまでイメージ)。
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そして極め付けが、イチ押しの新製品、「歯抜けオヤジ」のマスク。
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もちろん、どこに行ってもバカ売れ・・・、なわけがなく、人々から白眼視される 2人の周りには常に徒労感と哀愁がつきまとう。そしてこの映画、これら 2人と関係あるのかないのかよく分からない登場人物たちが、何やら同じような場所に出没して、全く関連性のない仕草や会話を続けるというもの。ストーリーは、あるような、ないような。例えて言えば、吉田戦車の不条理マンガか、あるいはだいぶ古いが、ゲバゲバ 90分、またはモンティパイソンのコントのようなもの。もちろん、映画におけるシュールレアリスムの最高の例である、ルイス・ブニュエルを思わせるところも幾分ある。全部で 39シーンあるそうだが、ワンシーンワンカットで成り立っている。見ていて即興性が感じられるが、スタッフのインタビューによると、監督には撮影前にイメージができているものの、セリフを含めた完全な形での脚本はないそうだ。それでいて、適当に早撮りしてしまうわけではなく、この映画は実に撮影に 4年も要しているとのこと!!

シュールな笑いの合間に、時として強烈なシーンが出て来て目を奪う。例えば、サムとヨナタンが、歯抜けオヤジマスクを売り込んでいると、古風ないでたちの軍隊がカフェに突然現れ、馬に乗ったスウェーデン国王カール 12世 (1682 - 1718) が号令をかける。
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この少しあとのシーンでは、戦争に敗れたスウェーデン軍がトボトボ帰還し、戦争のおかげで未亡人になった若い女性が泣き崩れる。

あるいはこんなシーンもある。大きなドラム缶状の容器を横たえた中に黒人奴隷を押し込み (ここだけなぜか軍隊が英語を喋っている)、ドラム缶の回りに火を放って回転させるというもの。なんとも空恐ろしいシーンだ。
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多くの登場人物が (上の写真のヨナタンのように) 顔を白く塗っていて、ゾンビ風にも見えるし、演劇の舞台のようにも見える。いずれにせよ、この映画ではリアリティは追求されておらず、まさに空虚でシュールな、生命感のない世界。何度か登場する将校が、レストラン (冒頭のポスターと同じ場所だ) の前で携帯電話を手にするシーンでは、窓の奥で食事をしている人々が、何度も何度も馬鹿笑いしているが、それは遠い別世界から届いてくるような感覚で、現実のものではないように聴こえる。
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ここに出て来る人たちは、もしかすると、既に死んでしまっているのだろか。そういえば、何人か電話口で、「元気でなにより」という言葉を発するが、いやいや、馴染みのない言葉ということもあり、そのいずれもが、「ご愁傷様」と言っているように聴こえ、一体どこがどう、元気でなによりなのか、という感じで響くのだ!! この感覚、バルチュスの作品に似ている。この街角。この人々の生命感のなさ。でもどこかに漂う哲学的な雰囲気。
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とまぁ、とぼけた味わいの中に不気味さを満々と抱えた映画なのであって、類例を探すのはちょっと難しいし、制作の困難さも想像できる (映画監督とは、集団を動かす仕事であり、共感しない大勢のスタッフを従えて作品を作ることはできない)。私にとっては、かなり好みの映画と言える。この作品の監督、ロイ・アンダーソンは 1943年生まれで、短編も含めてこれまで何度か国際的な映画祭で賞を取っており、本作ではなんと、昨年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しているのだ。なんでも、過去の作品、「散歩する惑星」、「愛おしき隣人」に続く、15年がかりで制作されたリビング・トリロジー (人間についての三部作) の締めくくりとのこと。因みにこの過去の 2作、新宿シネマートで公開とあったので調べてみると、8月初旬の 1週間にレイトショーで上映されただけであった。うーむ、残念。そのうちディスクで発売されるのを待とう。

この映画、まだ劇場にかかってはいるが、全国的に見ても上映館は非常に限られている。もし、このような不思議映画がお好きな方は、すぐに劇場に走った方がよい。Good Luck!

by yokohama7474 | 2015-09-07 21:50 | 映画 | Comments(0)

ジュラシック・ワールド (コリン・トレボロウ監督 / 原題 : Jurassic World)

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いろんな映画を楽しみたいといつも思っているのであるが、時折、「IMAX 3Dで見たいなぁ」という思いに無条件で駆られることがある。それはいわば、「ああ、たこ焼き食いてぇなぁ」とか、「思いっきり生ビールをゴクゴク飲みてぇなぁ」という欲求 (おー、なんとささやかな!!) と似たものがある。言ってみればそれは、21世紀の先進国に生きる人間としては、当然許されてしかるべき範囲の娯楽と言えよう。

まあ、理屈はどうでもよいのだが、ある週末、矢も楯もたまらず IMAX 3D が見たくなり、躊躇なく選んだのがこの作品であった。ジュラシック・パークシリーズはこれまでの 3作品をいずれも見ているが、やはり最初の作品が忘れがたい。DNA から恐竜を再生するという、現実的可能性は別としても、少なくとももっともらしい設定がシンプルでよかったし、2作目も含めて、スピルバーグ自身が監督すると、単に恐竜が動いているシーンでも、何かが違うと思ったものだ。まあこれはひいきの引き倒しかもしれないが。

今回の作品では、設定はこれまでのものを引き継ぎ、以前事故のあったジュラシック・パークは廃園となっているものの、同じ場所にこのジュラシック・ワールドができていて、新たな経営者のもと、合理的経営と新奇なもので観客を喜ばせる方針で成功しているというもの。ところが、観客を怖がらせる凶暴な恐竜を作り出すために複数の生物の DNA をかけあわせたハイブリッドな生き物が、その知性を駆使して大暴れするというストーリー。至って単純である。全世界で記録的な大ヒットとなっている。まさに、IMAX 3D での「究極の映画体験」にふさわしい!!

・・・と多くの人は言うのだろうか。正直私は、この映画にそれほど驚かなかったし、要約してしまうと、「スピルバーグ以外の監督では見たくないなぁ」という感想を持ったのだ。そもそも、ストーリーを大して気にしない私が、この映画のストーリーには不満がいっぱいだ。これからご覧になる方のためにネタばれは避けるが、例えば、
・脱走するインドミナス・レックスが生体反応を消すことができる能力が、他の実在の生物から来たものであれば、なぜそれまでに同様の事態が起こっていないのか。意図的に生命反応を消すことができるとすると、そんな生物、どこにいるのか。
・そもそも、リスクに敏感で論理的なアメリカ人がやっているのに、恐竜が脱走したときのプラン B、プラン C がないことなどあり得ない。
・女性が全速力で走り回るのに、ハイヒールが壊れない。そんなことってあり????
・兵器として飼育中のラプターは、対インドミナス・レックスの切り札に使われるほど強いのか。敏捷ではあっても、体格が違いすぎる。
・ましてや、真打ちとして登場する恐竜は、インドミナス・レックスの敵ではないはず。そもそも、この恐竜の登場にはなんら意外性がない (メカ・インドミナス・レックスでも出て来るのか、あるいは主人公の女性が新開発のインドミナス・レックス・スーツに身を包んで自ら肉弾戦を戦うのかと思った)。
・主人公の女性は、相当な責任を追っているはず。騒動が終結したあと、親戚と一緒にぼぅっと座っていてもよいものか。経営者と一緒に不祥事の説明をすべく記者会見に臨み、「申し訳、(一息おいて) ございませんでした」と頭を下げるべきではないのか (あ、それは日本独特の光景か 笑)。

ただ、評価すべき点もある。まず、コイツはなかなかのキャラクターだった。
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また、細かいところで、思春期の子供の心理がそれとなく描かれていたところもよかった。長男がほかのグループの女の子をジロジロ盗み見るところ、あるいは、次男が両親の離婚可能性について泣きながら語るときのつれない反応。また、叔母のクレアを追って現れたオーウェンのことを、「あれ、誰?」と無遠慮に訊く場面。ただ、この種の映画ではもっとこの子供たちが知恵を使って窮地を脱する場面を設定すべきではないのか。ここでの子供たちは、(車を運転したりはするものの) ひたすら逃げ回り、物陰に避難するばかりで、強大な敵に一泡吹かせるシーンは、全くなかった。昨今の映画としては、もうひとつひねりがなかったと言うしかないだろう。

俳優に関して言うと、オーウェン役のクリス・プラットは、なかなか精悍でよかった。
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一方、クレア役のブライス・ダラス・ハワードは、大変申し訳ないが、あまりぱっとしない。第 1作のローラ・ダーンをちょっと思い出させる、なんとなくマイナーな雰囲気を持った女優さんだ。
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調べてみて分かったことには、この人、あのインド人監督 (すみません、どうしても名前を覚えられない。あの、「シックスセンス」の監督) の「レディ・イン・ザ・ウォーター」の主役だったのだ。あーそういえばこんな顔でしたねー。当時、「あんまりキレイじゃないなぁ」と思った記憶が。
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さらに調べてみてなおビックリ。この人、あの有名な監督、ロン・ハワードの娘なのだ。そういえばローラ・ダーンの父親も俳優だったが、知名度からすれば数段こちらの方が上だ。おみそれしました。

改めてこの映画での恐竜の格闘シーンを思い出すと、どこかで見た感覚が甦る。考えてみて分かったのだ。それは、昨年公開されたハリウッド版「ゴジラ」だ。あの映画は結構面白いと思ったが、怪獣に対する感覚が日米で違うのだなとも思ったものだ。西洋人の考える異形の生き物は、基本的に恐竜から来ているというのが正しいところか。
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最後にもうひとつ、くだらない気づき事項。ラプターを飼育しているスタッフの中の黒人は、悪態をつくときに、アメリカ人が使う s で始まる汚い言葉ではなく、「メルド!!」と言っていた。これ、フランス語だ (あ、意味は同様に汚いはずです 笑)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%89_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E)
ということは、この人はアフリカから来た人という設定なのだろうか。舞台は中米コスタリカだが、アメリカ以外から従業員を集めているということなのか、と、どうでもいいことを考えてしまった。コスタリカと言えば、東京オリンピックのエンブレム盗作事件で騒がれているデザイナーが、以前コスタリカ国立博物館のロゴからも盗作して、名古屋の東山動物園のロゴをデザインした疑いありと、今日報じられている。
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うーん、このくらい許してあげてもいいような気もするし、偶然の一致の可能性もあると思うが・・・。それにしても、誰がこの類似に気づいたのか。名古屋在住でお子さんを東山動物園に連れて行こうと思った人が、やはり家族で「ジュラシック・ワールド」を見てコスタリカに興味を持ち、旅行に行こうと思ってあれこれ調べると、あれ、どこかで見たマークが・・・と気づいたものであろうか。もしそうなら、この 21世紀に先進国に生きる人間としては、漫然と IMAX 3D を眺めているのではなく、思わぬもの同士のつながりに思いを馳せながら、心して映画を見るべきということだろう。まあそれにしても、東山動物園とコスタリカ国立博物館・・・。もしこれが盗作であるならば (その真否は私には分からないが)、まさかその 2つのつながりに気づかれようとは、夢にも思わなかっただろうなぁ・・・。



by yokohama7474 | 2015-09-01 23:43 | 映画 | Comments(2)

ターミネーター 新起動 - ジェネシス - (アラン・テイラー監督 / 原題 : Terminator : Genisys)

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恥ずかしながら、ターミネーターシリーズを、ろくに見たことがない。事の発端はこうだ。大学に入ったばかりの頃、周りの映画好きがことごとく、「ターミネーターはいい」と異口同音に言い交していて、生来の天の邪鬼の私は、「そんなに皆が見るなら、オレは見なくてもいいよね」とうそぶいているうち、上映が終了してしまったのである。最初の作品を見ていなければ、その後のシリーズ物を見るのは若干ハードルがある。それでも、いわゆる T2 (「ターミネーター 2」、すなわちシリーズ 2作目) は、飛行機の中で見た。但し、記憶が正しければ、今のようにエコノミーでも各席にモニターがある時代ではなく、個人で旅行に行く際に、エコノミーエリア共有のデッカいスクリーンで、吹き替えで見たはずだ。それでも、その T2 は非常に面白く、シリーズを通しての主人公とおぼしい、サラ・コナーの名前は記憶に貼りついて離れなかった。

いや実際、当時この T2 に登場する T-1000 の液体金属ロボットを見たときには、その映像の凄さに驚愕したものだ。今回も、その当時の驚きをそのままに、むしろ現代の CG 技術からすると素朴に過ぎるのではないかと思われるくらい、T2 を彷彿とさせる液体金属の映像がいろいろ出て来る。演じるのはイ・ビョンホンだ。
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ストーリーは至って単純。未来の時点で人類を絶滅に近い危機に追い込むスカイネット (本作では人格を与えられている) に対する人類の反乱軍は、ジョン・コナーが率いている。それに対してスカイネットは、その人類の反乱のリーダーを存在しないようにするため、過去に殺人機械 (= ターミネーター) を送り込んで、ジョンの母親、サラ・コナーを亡き者にしようというのだ。また、そのサラを守るために人類側から過去に送り込まれるのが、カイル・リースだ。これまでのシリーズのストーリーを調べてみたのだが、基本的にこの路線に沿っていて、新たなキャラクターが強大な力でどちらかの側で突然現れるということはなく、ひたすらこれらの人物が登場しているようだ。これは、シリーズ物としてはひとつの見識だと思う。以前にも書いたが、どうもシリーズ物は、主要キャラクターの人気に依存するあまり、その敵をあれこれ創り出して話をいたずらに複雑にする傾向があるから、どんどんつまらなくなるのだ。このシリーズはその例外と言える。

ただ、本作では、(予告編で明らかにされているので、これから見ようという方にも教えてもよいと思うのだが) その反乱軍の闘士たるジョン・コナーのキャラクターに変化が起きる。私は過去のシリーズを知らないから平気だが (笑)、ずっとこのシリーズのファンの方には、大変なショックではないのか!! 何せこれですからね。どう見ても最初から怪しいだろ、これ。
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もうひとつ、このシリーズの見識は、アーノルド・シュワルツネッガーという稀有なキャラクターに一貫して依拠していることだ (但し、4作目だけは、彼がカリフォルニア州知事に就任したことから、登場していないらしい)。ここでの彼の役柄はロボットである。従って年を取らないはずである。それが、ここでは有機体部分は加齢するという設定になっていて、それゆえに、今現在のシュワルツネッガーの顔が、そのまま活かされることになる。傑作なのは、開始間もない部分で、青年時代の彼と現在の彼が肉弾戦を演じること。
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若い頃の姿は、体型が昔のシュワルツネッガーに似ているモデルの顔の部分だけ CG で合成したとのこと。私はこのシーンを大変に興味深く見た。と言うのも、私の周りの連中が「ターミネーターはいい」と言い合っていた頃、つまり 30年前のノスタルジー (それはつまり、シュワルツネッガー自身にとってもノスタルジックな思い出のはず) を、今の自分自身が吹っ飛ばすシーンであるからだ。但し、そこで現在のシュワルツネッガーが勝利を収めるのは、彼ひとりの力ではなく、サラの銃という助けを借りるおかげなのだ。流れた時への思い。それとは裏腹の、まだまだやるぞという思い。ある意味でとても切ないシーンではないか。シュワルツネッガーがいくつになったかというと、今年68歳だ。68歳?! 老人ではないか。でも、その「老人」としての今をさらけ出してうまく利用している点、好感が持てるというものだ。

一方で、この映画のストーリー自体は、それほど驚くものではない。もちろん、タイムマシン物を見ていると、時々、「これは設定が悪いのか、それともオレの頭が悪いのか」と自問自答するような瞬間があるもので、本作にもそのような瞬間が時々ある。それを除けば、割合にスムーズな展開だと言えるだろう。私の場合は、ストーリーにはあまり重きを置かないので、それはよいのだが、この映画の問題点を挙げるとすれば、役者の質ということになるのではないか。何より、サラ役のエミリア・クラークが物足りない。もっと可憐で逞しい女優もいるような気がする。そんな中、脇役ながら気になる役者がいる。警官のオブライエン役の、J・K・シモンズだ。以下の写真ではいちばん左。
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そう、彼こそは、あの凄まじい作品、"Whiplash" でアカデミー賞助演男優賞を受賞した役者だ。この映画をご覧になった方はお分かりだろう。邦題は「セッション」。
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おおこわ。その彼が、この映画では、冴えないアイルランド系の刑事を演じていて、何か心に残る演技を披露している。

この作品から、また新たなターミネーター 3部作が展開するらしい。願わくば、ほかのシリーズ物の轍を踏まず、シュワちゃんのキャラクターを信じて、よい作品が続きますように。そうなると、私もこれまでの 4作をなんとかして見ないといけない。頑張ろう!!
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"I'll be back." だって。もちろんそうして下さいや。

by yokohama7474 | 2015-08-25 23:13 | 映画 | Comments(0)

進撃の巨人 (樋口 真嗣監督)

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もう 4 - 5年前になるだろうか。本屋に平積みになっていたマンガ「進撃の巨人」を見て、面白そうだなぁと思ったのは。その後人気があるのは知っていたが、何せ私は、他人のペースに合わせるのが大嫌い。未だ連載中のマンガの続きを、今か今かと待ちわびるのが嫌で (同様の理由で、テレビの連続ドラマも見ない)、あえてこれまでこのマンガの 1ページすら、開いたことがない。マンガは面白そうだが、デッサンがちょっと未熟な気がしたのも、敬遠したひとつの理由だった。そんなところに、実写で映画化とは、嬉しい知らせだった。

まあ何が面白いって、人間を食糧にする巨人の描写が、なんとも言えず人間の恐怖心を煽る。
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この実写での巨人は、これまたなんともいい味出している。この巨人の実際の映像は、予告編でもほとんど使っていなかったし、ネットで画像検索しても、あまり出てこない。ただ、テレビで車の宣伝に使われていて、なんとも強烈なインパクトだった。映画のプログラムに載っている写真を掲載しよう。いやー、演じている役者の方々、本当にご苦労様です。メッチャ気持ち悪かったですよ (笑)。
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原作者の諫山 創は、1986年生まれというから、まだ 20代だ。なんでも、引きこもりの 19歳だったときに「人食い巨人もの」というジャンルのイメージを描いていたものが、少年マガジンで賞を取ったこの作品に結実したという。原作の展開はいざ知らず、この映画では非常に単純にストーリーが進んで行く。100年以上前に現れた巨人に人類は次々と喰われ、今では 3重の壁に閉ざされた世界に住んでいる。しかし、ある日人間の筋肉の標本のような超巨人に壁を破られ、そこから上の写真のような異様な風体の巨人たちが続々入ってきて、人類を危機に陥れるというもの。

昨今の邦画の予告編など見ていると、核関連施設が危機を迎えるといった設定や、なにがしかの軍隊調の映画によく行き当たるが、正直言って、核の恐怖を世界でいちばん知るはずの日本人が、そんな映画でハラハラドキドキというのは、なんとも説得力がない。それに引き替え、この架空の世界のリアリティはどうだ。人間が本能的に抱く恐怖がここにはある。立ち向かって行くには大変勇気がいる。その思いを観客に抱かせるだけで、この映画の狙いの半分は満たされているのではないだろうか。

人物の描き方は大変あっさりとしている。主人公 (らしい) エレンが、恐怖に怯えて恋人を失うところから、段々に成長して行く過程が描かれて行く (2作目はさらにそうなるのだろう) が、それ以外の人間像はさほど丁寧に描かれない。その点が不満と言えば不満と言えようか。それから、役者も、残念ながら全体的に低調に思われる。巨人退治の達人たるシキシマ役の長谷川 博己は、うーん、ちょっと大人の味が不足。口先先行のジャンを演じる三浦 貴大は、演技過剰。研究者のハンジを演じる石原 さとみは、甲高い声を挙げてがんばっているものの、ミスキャストのそしりは免れまい。そんな中、颯爽としたヒロイン、ミカサを演じた水原 希子は、なかなかの表現力だ。CM であれこれ見かけるモデルさんと思っていたが、何か天性のものがあるように思う。なんでも、父はアメリカ人、母は韓国人で、テキサス州ダラスの生まれとのこと。この面構え、なかなか純粋日本人の女優で見かけることは少ないと思うが、いかがなものであろうか。
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本作のロケは、あの長崎県の軍艦島で行われたらしい。かつて廃墟マニアのメッカと言われた軍艦島も、今や世界遺産。なんともびっくりである。「007 スカイフォール」でもロケ地になっており、まあその荒廃したイメージは、ほかにない雰囲気満点だ。ただ、崩れ行く廃墟であるからこそ人の興味を惹いた場所であるわけで、世界遺産に認定されてしまった今、「保護」する必要が生じてしまった。廃墟をどうやって保護するか。これは難しい問題である。
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この映画、2作目が 9月19日に公開されるとのことで、本作はまず前半ということだが、さてどこまで楽しませてもらえるだろうか。マンガ自体が未だ連載中ということだから、ともあれ途中での区切りというストーリーになるのだろうか。それとも、マンガを離れて全然違うストーリーが展開するのだろうか。マンガの連載にハラハラドキドキしていない私としては、冷静な気分で次を待つことができるのである。ひとつ面白いのは、本作の中で、「巨人には性器がないので生殖方法も不明」とされているが、赤ん坊の巨人も登場することから、なんらかの生殖方法があることは確かなのだ。そのあたりの解明も、次回楽しみにしていますよ。


by yokohama7474 | 2015-08-22 23:52 | 映画 | Comments(0)

チャップリンからの贈りもの (グザヴィエ・ボーヴォワ監督 / 英題 : The Price of Fame)

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夏休み映画があれこれ封切されていて、とにかくキャッチアップだ!! と言いながら、ターミネーターでも進撃の巨人でもミッション・インポシブルでもジュラシック・ワールドなく、こんなマイナーな映画を見てしまうのが、私のひねくれた性格をよく表している (笑)。確かに、この前に見たアベンジャーズが CG テンコ盛りであったのに対し、ここでは一切そういう要素がなく、まあなんとも古風な映画ではある。でも、視覚に激しい刺激を受けるだけでなく、時々こういう手作りの映画を見たくなるものだ。

私がいつもタイトル欄に、邦題と併せて原題 (英語の映画以外は分かる限り英題。ちなみに本作はフランス映画で、原題はフランス語) を掲載しているのは、邦題の持つニュアンスが原題と異なることがかなり多いという問題意識による。この映画もそうだ。「チャップリンからの贈りもの」・・・うーん、違うと思うなぁ。ここでの主人公たちは、別にチャップリンに対する憧れで犯罪を犯すわけではなく、現実との対峙の中で、自らの決断で行動を起こすのだ。そこに多々人間的な要素があるからと言って、また、映画の結末で病院の治療費が賄われたからといって、何も主人公たちが「贈りもの」を望んでいるわけではない。とはいえ、英題の "Price of Fame" を、「名声の代償」とか「有名であることの価値」とか訳しても仕方ないからなぁ・・・(笑)。やはり日本語ではなかなか難しいものだ。

さて、この映画、1978年にスイスで実際に起こったチャップリンの棺の盗難事件を扱っている。当時私は小学生か中学生だったが、この騒ぎはよく覚えている。亡くなったのが確かクリスマスで、その数か月後に墓場から棺が掘り起こされて何者かが持ち去ったという事件であった。その当時、事件の解決や犯人像について報道があった記憶はないが、「有名人は死んでも大変だなぁ」と思ったことは、はっきりと覚えている。つまり、英題の Price of Fame とは、当時の人々が実際にこの事件に対して抱いた感情を言い当てた言葉なのである。実際の事件の犯人は、ポーランド人とブルガリア人であったが、この映画では、ベルギー人とアルジェリア人に設定を変えてある。東欧の 2人より、白人と有色人種の方が、コントラストもあり、欧州における移民の貧困という問題をより明確に描くことができるという意図であろうか。

この主人公たちは、貧困に耐えかねて、チャップリンの遺体の「誘拐」を行い、身代金を稼ごうとするというストーリーだが、その決意の悲愴さに比較して、主人公たちの行動の描き方には悲愴さはあまりなく、常にどこか人間的なゆるさがあって、観客の微笑を誘う。描かれている現実は実際には悲愴さはあるのだが、映画の意図は、それをリアルに描くことではなく、大真面目であることの可笑しさといった点に焦点を当てている。また、アルジェリア人オスマンには腰を痛めて入院中の妻と、幼い娘がいて、彼が追い込まれて行く過程には、この 2人への愛があるわけだが、その表現の不器用なことに、観客は笑わされながら、ちょっとほろりとさせられるのだ。

作中にはチャップリン作品へのオマージュが幾つか含まれているとのことだが、それよりも何よりも私が感心したのは、屋内、屋外を問わず、スイスのヴヴェイ (レマン湖畔) の澄んだ空気と、そこに住む人たちの確かな息遣いが、これはリアルに描かれていたことであった。雨の中、仕事を終えて帰ってきたオスマンが手をすり合わせたり、ベルギー人エディが、オスマンの娘サミラを連れてレマン湖の遊覧船に乗ったり、あるいはオスマンが脅迫電話をかける前に息を白くしながら公衆電話の前で煙草を吸ったり、そのような仕草や行動に、なんら特別でない人々の確かな生が感じられるのだ。生命賛歌といったような大げさなものではなく、普通の人たちの全く自然な生の姿が心に沁みるという印象。不滅の名声を残したチャップリンとの対比において、「それでも君らが生きていることは素晴らしい」というメッセージであろう。スクリーンでは庶民の姿を演じたチャップリンは現実世界では富豪となり、Price of Fame を払ったということか。尚、本作では実際にチャップリンの旧宅や墓でロケされているとのこと。

ところで、本作に出ているこの女優さんは誰でしょう。サーカスの団員で、エディと恋仲になって彼を道化師にしてしまう役柄だ。決して若くはないが、なかなかいい雰囲気を持っている。
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彼女の名前は、キアラ・マストロヤンニ。ということは、当然マルチェロ・マストロヤンニの娘だろう。では、母親は? なんと、カトリーヌ・ドヌーヴ。2011年のカンヌ映画祭で、こんなツーショットもあったらしい。マストロヤンニとドヌーヴは、結婚はしていなかったようだが。
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このお母さん、ン十年前はこんなだった。
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うーん。Fame があろうがなかろうが、人って年を取るものなのだね、やっぱり (笑)

あ、ひとつ書き忘れかけたことがあって、それは本作の音楽だ。なんとあの、ミシェル・ルグランなのだ。映画音楽史上最も有名な曲のひとつ、「シェルブールの雨傘」で未だ不朽の Fame を誇る作曲家だ。えー、まだ生きていたのという感じだが、1932年生まれ。「シェルブールの雨傘」は 1964年の作で、主演はほかでもない、カトリーヌ・ドヌーヴ。そう、上の写真の映画である。実は私はこの名作を見たことがなく、有名なテーマ曲しか知らないのだが、音楽の使い方はどうだったのだろうか。少なくともこの「チャップリンの贈りもの」における音楽には、正直、納得できない部分が多々あった。監督の意向であるのかもしれないが、もう少し繊細な仕事をする若手を選んだ方がよかったのでは・・・とも思うが、ま、カトリーヌ・ドヌーヴの娘に免じて、大目に見てあげることとしよう。

by yokohama7474 | 2015-08-21 01:14 | 映画 | Comments(0)

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン (ジョス・ウェドン監督 / 原題 : Avengers : Age of Ultron)

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ヨーロッパ旅行で遊び呆けているうちに、日本では既に夏休み映画が続々封切られていたことが判明。よし、頑張ってこれから挽回するぞ!! と決意して最初に見に行ったのがこの映画である。

ご存じない方のために申し上げると、これはマーベル社のアメリカンコミック (いわゆるアメコミ) を原作とするヒーロー物の集大成。なにせ、他の作品では主役を張っている、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティー・ソー、ハルクらのヒーローが集結、一致団結して (まあこの作品では内輪もめもあれこれあるのだが) 強大な敵に立ち向かうという物語である。いわば、中トロ・ウニ・イクラ丼みたいなもの。すぐに上映終了してしまうのでは、という危惧に反し、立派に 1ヶ月以上公開中である。

このアベンジャーのシリーズは、これで 11本目とのことだが、私はアイアンマンを 1本も見たことがなく、せいぜい、マイティー・ソーの 2本と、キャプテン・アメリカの 2作目くらいだ。その意味では、ほかの作品での世界観のニュアンスを深く知る立場にはない。なので、開き直って、ゼロから映画を楽しみたいと思った。正直、中トロ、ウニ、イクラのどれかに絞った方が海鮮丼としてはうまいのではないかと思っていたのだが、ある意味、ここまでやってくれれば、なかなかに面白い。丼の中には、中トロ、ウニ、イクラのみならず、キャビア、明太子、くさやも一緒に入っていたのである!! すみません、見ていない人にはワケ分かりませんよね。要するに、アベンジャーズというヒーロー集団だけでなく、明らかな敵、あるいは敵か味方か分からない超人キャラクターがあれこれ出てきて、これがなかなかに楽しいのだ。

それにしても、この映画の豪華な俳優陣はどうだ。主役とみなしてよいのは、アイアンマン役のロバート・ダウニー Jr. であろうが、私はシャーロック・ホームズ・シリーズの彼が大好きで、今回も期待して見たのであるが、期待通りと言うべきか、飄々とした味わいが微笑を誘う。ものすごい動きで敵を攻撃しているときに、アイアンマンスーツの下の彼はあれこれ考えているのだが、それが必ず顔の静止画のアップで、その著しいギャップが笑えるし、散々いろんなものを破壊して九死に一生を得たあとでも、アイアンマンスーツを脱いだあとは、頬の切り傷ひとつなのだ (笑)。これはフィギュアの写真だが、映画の中の本物がもっとずっと軽傷だ。
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まあそれにしても、いろんな映画が次から次へとよくもまあ、地球を絶滅の危機に陥れてくれること。この映画では、アイアンマンの本来の姿である科学者、トニー・スタークが開発した、ウルトロンという機械生命体 (ってなんだろう???) がアベンジャーズに敵対するのだが、相手の正体が最初から分かっている分、ハラハラ感はあまりない。むしろ、ハルクが暴れてビルの建設現場を破壊するシーンで、強烈な煙が舞い立つシーンが、911 のビルの崩壊を思わせて、アメリカの人たちはこれを平気で見ることができたのだろうかと、そっちの方がハラハラしたものだ。その一方、最後に大きなドンデン返しがあるわけでもなく、ある意味安心して見ていられる (?) と言えないこともない。

役者でもう一人気になったのは、あの「ハート・ロッカー」で忘れられない演技を見せてくれた、ホーク・アイ役のジェレミー・レナーだ。
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うーん、「ロード・オブ・ザ・リング」のレゴラス (オーランド・ブルームが演じた) もそうだったが、迫りくる敵の大量の軍勢に対して、弓矢ではどうしても時間がかかりすぎて、敵にやられてしまうだろうと思うのだが・・・。

あとは、やはりブラック・ウィドウ役のスカーレット・ヨハンソン。相変わらず役柄を選ばない女優魂を見せているが、彼女のカッコいい姿をシルエットで写して見せた監督は、なかなかにセンスがあると思う。もうかなりベテランになったかと思いきや、まだ 30そこそこだ。まだまだこれからの活躍に期待。
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それから、最後にこのブログならではの、音楽のこだわりに触れておこう。オリジナル音楽は、今や映画音楽の巨匠となったダニー・エルフマンだが、劇中でベルリーニの歌劇「ノルマ」から、「清らかな女神よ」(通称「カスタ・ディーヴァ」) が使われているシーンがあり、むむ、この太い情念の声は、と思うと、案の定マリア・カラスの録音だった。また、エンド・タイトルによると、現代音楽の巨匠、アルヴォ・ペルトの「ベルリン・ミサ」を使っていた模様。ペルトに関してはちょっとうるさい私も、この曲は聴いたことがない。今度調べてみよう。

いや全く、キャビアや明太子やくさやだけでなく、マロン・グラッセとかティラミスまで入った、なかなか気の利いた映画ですなぁ。でもちょっと、食い合わせ悪そう。うげっ。

by yokohama7474 | 2015-08-20 00:23 | 映画 | Comments(0)