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デビュー作の「第9地区」、2作目の「イリジウム」と、問題作を世に送り出してきた南アの若手監督、ニール・ブロムカンプの 3作目である。私はこれまでの 2作を見て、その一貫して荒廃した世界のイメージ (どのくらいヨハネスブルクの真実を反映しているのだろうか) と、必ずどこかに表されている希望に、強く印象づけられてきた。今回の「チャッピー」の予告編では、ロボットに知能を持たせて、あたかも子供のように育てるという内容に重点が置かれていて、若干子供向けかと思ったのであるが、実際に本編を見てみると、なんのことはない、これまでの 2作以上に深刻な内容だ。ただ、例によって希望はある。だがその希望は思いもよらない形をしていて、容易に受け入れられるものではない。

最近の映画には、人間の潜在能力とコンピューターの結合というテーマが時折見られる。だが、例えばスカーレット・ヨハンソンの「ルーシー」とか、ジョニー・デップの「トランセンデンス」だが、いずれも荒唐無稽過ぎて、全くリアリティがなかった。その点、この映画においては、何か空恐ろしくなるようなリアリティがある。人間の Mortality が、ある手段によって克服されること。それは本当に幸せなことなのだろうか。あるいは、そうなってしまえば、今の人間に見えない何かが見えてくるのだろうか。この映画の真のテーマはそこにある。なんとも仮借ない映画だ。

そのような、これまでの映画にない深い内容を持つものの、個別のキャラクターの描き方が大変秀逸であるため、エンターテイメントとしても充分に高いレヴェルに達している。チャッピーの可愛らしい仕草や、彼の受けるひどい仕打ち、また、正義感に駆られて暴力をふるう姿に、観客は感情移入を禁じ得ないし、どこからどう見ても札付きのワルが、実は大変な仲間思いであったり、自分の命を懸けて他人の命を守る勇気を持っているということも、説得力あるかたちで示される。そして、あのヒュー・ジャックマンが悪役を演じ、ロボットにボコボコにされるシーンなど、なかなか見られませんね。でもこのシーン、大変カタルシスを感じられること受け合い (笑)。さらには、シガニー・ウィーヴァーが、軍需産業の女性経営者の役を嬉々として演じているのも楽しい。このような有名俳優たちが出演することを取ってみても、この監督が映画界において大きな期待を受けている存在であることが実感される。

繰り返しだが、この映画は決して子供向きではなく、映画好きなら必見と言ってもよいだろう。日本での広告内容を、もう少しなんとかできなかったものだろうか。手腕のある監督の作品は、必ず見る人に訴えかける力を持っているのだから、その内容の深さをうまく広告すれば、興行成績も上がると思うのだが・・・。

by yokohama7474 | 2015-06-22 00:28 | 映画 | Comments(0)

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予告編に興味を惹かれたし、「あなたは必ず 2回観る」という宣伝文句も気になって観てみた。いやなるほど。「6 センス」並とまでは行かないが、なかなかのどんでん返しだ。この映画の美点は、考えようによっては大変恐ろしい結末を、しかし心地よい後味で振り返ることができる点だ。役者の持ち味がそれぞれ出ていて、それが隠し味になっていると思う。例えば前田敦子は、彼女自身のキャリアの中で、想像もできないほど数限りなくカメラの視線を浴びてきた女優であるが、それを知っていても騙される (?) ような可憐さをうまく演じている。また、誰しもが多かれ少なかれ経験するであろう、恋愛の甘酸っぱさや、男女のすれ違い、確執、その反動の愛おしさといった要素をうまく散りばめて描いていて、嫌味がない。

また、1980年代を舞台にした点も、なかなかに面白い。登場人物が電話をかけるシーンのやたら多い映画だが、黒電話がプッシュホンにまではなるが、携帯電話にまでは到達しない。もちろんインターネットも存在しない。いや、コンピューターさえ、オフィスの中での共有物としてのみ存在しているのだ。今の若い人たちには、どのようにして人々が生活していたのか、想像すらできないに違いない。でもそういう時代に青春を過ごした人たちがいて、そういう人たちの様々な思いは、存外今の若者と大して違わないのだろうなと思う。場面場面に対応する歌詞を持つ当時の音楽が随所に使われていたのは、若干うるさい気がしないでもなかったし、その時代を知らない若者に対してはアピールできないとも思うが、時代のリアリティを描くという意味では、よい雰囲気を映画に与えていたような気がする。

まあそれにしても、人間、女と男とどちらが純情か。言うまでもありませんよねー。

by yokohama7474 | 2015-06-13 23:50 | 映画 | Comments(0)


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別に、「観ないやつは死刑なのだ」と言われたから見に行ったわけではない。見たかったから見たのだ。もちろん、赤塚不二夫のマンガは子供の頃にそれなりに読んでいたし、子供心に馬鹿馬鹿しいと思いつつ、なぜか気になる存在ではあった。ただ、別に熱狂的なファンではなかったし、これまでもこの種の映画を劇場で見たことはほとんどない。では今回、なぜこの映画を見たか。その理由は、FLOGMAN (蛙男商会) の作品であったからだ。なぜなら、私は FLOGMAN が作り出したキャラクター、秘密結社鷹の爪が大好きだからだ!!
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ということを言うと、熱狂的な FLOGMAN ファンに怒らてれしまうだろう。というのも、私が知っている秘密結社鷹の爪は、TOHO シネマズで見ることができる範囲のものだけなので。

ともあれ、この映画、なんともバカバカしい。期待通りバカバカしいと言ってもよい。原作マンガにおける不条理の文化史的意義を説いたり、現代の抱える様々な制約から限りなく自由なバカボンのパパの姿に仏教的な性格を見たり、そういうことはしません (ちょっとしようかと思ったけど 笑)。ただ、鷹の爪の総統と吉田君の関係をなぞる、ここでのダンテとレスターの関係が、ただそれだけの理由で笑えるし、内閣情報局の神田職員と戸川課長の顔も、ただただ、その「FLOGMAN らしさ」に、もっと画面に出ていて欲しい!! とすら思える。
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一応、私の本来の (?) 興味から来るコメントを 2つ。

ひとつは、これはプッチーニのオペラ「トゥーランドット」と共通のテーマを持つ作品だ。一人の人物の名前が分からないことによって、集団が大きな試練を迎えることになり、その名前が分かった瞬間に、大団円に至る (あ、この映画では、バカボンのパパの名前は何かということを巡って大騒動が起こります・・・うーん)。試しに一度、「トゥーランドット」の最後の合唱を、「これでいいのだ」に変えてみてはいかがだろう。・・・熱狂的プッチーニファンに殺されてしまいますね。賛成の反対なのだってか・・・。あ、写真はイメージです。これはゼッフィレッリの演出ですね。でも、これがバカボンの映画のワンシーンだと思うと、人生なんだか楽しくなってくるじゃないの。
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もうひとつ。エンドタイトルを極力丹念に見るのが私流の映画鑑の締めくくりなのだが、今回は驚いた。音楽の演奏者に、打楽器奏者の高田みどりの名前があったのだ!! 現代音楽の世界では非常に有名な方で、私もいくつか録音を聴いたことがある。いわゆる、忘れようとしても思い出せない人だ。うーむ、そうと知っていれば、劇中音楽をもっと真剣に聴くべきであった。まさかバカボンの音楽に参加しているとは・・・。恐れ入りました。高田先生。

さらに付け足し。ウィキを見ると、バカボンの名前の謂れがあれこれ書いてあるが、今回の「バカヴォン」は、実はどれにもあてはまらない。これは意外と深いかもしれませんぞ。



by yokohama7474 | 2015-06-10 23:05 | 映画 | Comments(0)

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東京という街はすごいところで、ありとあらゆる文化に触れることができる。映画に関してもしかり。シネコンだけ追っていては見逃してしまうような作品も、こまめに探せば、あるわあるわ、まさに百花繚乱の感がある。テリー・ギリアムの新作、「ゼロの未来」も、うっかりすると知らないうちに上映終了してしまうところであったが、なんとか見ることができた。なにせ、東京で上映しているのが、恵比寿ガーデンシネマと新宿武蔵野館というのだから面白い。後者も好きな映画館だが、今回は上映時刻の関係で、前者で見ることとした。おー、なんとも懐かしい。昔はもっと頻繁に足を運んだものだったが、最近ではトンとご無沙汰だった。

ネット上の評価を見るに、この映画については否定的な見解が多いように見受けられるが、私としては、この鬼才が未だに見事な職人魂と特殊なヴィジョンを保っていることが確認できて、こんなに嬉しいことはない。このような映画を作り上げるには、相当な体力、知力、忍耐力が必要に違いない。もちろん、資金力も。

主人公が暮らすのは廃墟そのものの教会で、ほとんどその中でストーリーは展開する。この教会以外のシーンと言えば、主人公の職場、パーティの会場と、一見ブレードランナー風、つまりアジア風だが、2階建てバスで明らかな通りのロンドンの風景くらいである。あ、それから、主人公の妄想世界。主演のクリストフ・ヴァルツは、まさに怪演、終始緊張感を保った演技が圧巻だ。あと、「グランド・ブダペスト・ホテル」にも出ていたらしい若手俳優、ルーカス・ヘッジズが素晴らしい。この映画のセリフはかなり手が込んでいて、字幕ではそれが充分伝わらない感がある。映画をストーリーでしか見ない人には、このような映画のセリフを逐一辿って欲しい。簡単な一例を挙げると、英語の一人称は単数と複数を区別するが、二人称にはその区別がないということだ。すなわち、主人公は自分を We と呼び、対する人たちは彼 (ら?) を You と呼ぶのだが、ここに英語のミステリーがある。個人が一人のときには意見の違いはないが、二人の集団になった瞬間に意見の違いが生じる。よって一人称の単数と複数は区別される。一方で、自分以外の世界という点では、他者はすべてひっくるめて一つの人格と考える理由がある。よって二人称はおおざっぱになり、単複の区別すらない (因みに三人称になると、今度は性別という細かい区別が生じる次第である)。主人公の人格が破たんしていると考える必要はないように思うが、電脳 (今やレトロな響きを帯びた言葉だ) とリアルという二つの人格を表しているのかもしれない。

映画のテイストとしては、もちろん「未来世紀ブラジル」を思わせるところもあるが、それよりもむしろ、「バートン・フィンク」ではないだろうか。電脳世界と現実世界とでどちらが奇妙キテレツかというテーマが描かれているが、そこには明らかに、主人公の汗がにじんでおり、なんとも人間的。その一方で、デヴィッド・シューリスの役柄などは、とんでもなくシュールで、そのギャップが面白い (パーティで「虎の衣装を着ている」と言いながら、実際にはほとんど狸の衣装だったのを見て、ケラケラと笑ってしまった)。その意味で、「バートン・フィンク」との共通点を見出すことができる。そう言えば、主人公の名前はコーエンだ (笑)。

昨年 NHK BS で、モンティ・パイソンの復活ライヴをやっていた。そのあまりにも下品なことに驚きつつ、1人を欠いたモンティ・パイソンのメンバーが、昔のネタを使いながら縦横無尽に動き回るのを見て、大層感動した。テリー・ギリアム。その下品な表現者としての人生に、拍手を送りたい。
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ところで、ひとつ気になることがある。この映画でマネジメントと呼ばれる経営者は、マット・デイモンではないのか。ところが、映画のプログラムを探しても、一言もそれに言及されていない。まさかそっくりさんか。いやいや、「インターステラー」の場合にも、思わぬところで思わぬ役柄で出ていた彼のこと。一流のジョークに違いない。エンドタイトルでは、出演者の表示は見逃したものの、"Assistant to Mr. Damon" という表記があったので、間違いないとは思うのだが・・・。

by yokohama7474 | 2015-06-08 00:31 | 映画 | Comments(0)

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これはすごい映画だ。予告編のイメージは「ハンガーゲーム」、見てみると雰囲気は「スターシップ・トゥルーパーズ」、ドンデン返しは「SAW」、そして続く次作は、これは絶対ゾンビ物だろう!! という勝手な想像を抱かせる、一粒で何度もおいしい作品だ。

全く先を読ませない展開、若手ばかりの個性的な俳優陣、スピーディで効果的なカット割り、どれを取ってもすばらしい。実に恐るべき手腕と言わねばならないこの監督は、これがデビュー作とのこと。今日のハリウッドシステムの中では、監督の個性を発揮することは難しく、作品がヒットして大作を任されるようになるほどその傾向が強いであろうが、このような輝く才能には、是非この個性を保って欲しい。

数々あるこの映画の秀逸な点のうち、顕著なものをひとつ挙げるとすると、役者の顔の多彩さがあるだろう。前の記事で「龍三と七人の子分たち」で、役者の無名性に言及したが、この映画にあるのはその全く逆の、それぞれのキャラクターに合った、「もうこれしかない」という必然性すら感じさせる、それぞれの役者の顔だ。設定上、様々な人種が集まっているわけであるが、「思慮深く繊細な面を持つ黒人リーダー」、「強靭な肉体と精神を持つアジア系」、「鼻っ柱が強く自己中心的な白人」といったキャラクターを、まさにそれぞれの顔が雄弁に語っている。映画とは、映像と音声のアマルガム。観客の感情移入は、このような周到に用意されたキャラクター描写によって初めてなされると思う。

原作は三部作で、すべて映画化される予定とのこと。次回作が本当にゾンビ物なのかどうか知らないが (笑)、この展開ならそうならなければという思いこみを持って、楽しみに次回作を待ちたいと思う。実際、通常のシリーズ物では、1作目のクオリティをその後の作品が凌ぐことは非常に稀である。それは、継続するストーリーと、既に固まってしまった登場人物のキャラクターが既に所与のものになっているところ、スケールを求めるあまりにマンネリ化に陥り、結局何がテーマなのか分からなくなってしまうからだと思う。その点、三部作でそれぞれ全く異なる展開にすれば、マンネリ化を避けられると思うのだ。それゆえにやはり私は、この続きはゾンビ物 (まあ、自分の好きなジャンルであるからですが 笑) になって欲しいと切望する次第であります。余談だが、最近読んだストルガツキー兄弟の「ストーカー」(言わずと知れたタルコフスキー作品の原作) は、実はゾンビ物なのである。ロメロの映画のような、そのものズバリのゾンビ物ばかりではない。隠喩によるゾンビ物があってもよいではないか!

by yokohama7474 | 2015-06-06 01:31 | 映画 | Comments(0)

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北野武作品は、監督の著名度や作品の受賞歴に比してあまりヒットしないという印象があるが、今回は比較的ロングランになっているような気がする (ひとえにイメージで、調べたわけではないので、間違っているかもしれないが)。ただ、映画の出来不出来とは関係なく、なぜにいつもこれほど「安い」雰囲気の映像になってしまうのだろう。今回の役者は、錚々たる面々というのは少しはばかられるものの、日本を代表する役者が何人も出演していて、それなりにきらびやかさがあってもよいはずなのに、まるで全員無名の人たちのようだ。そして、そこに本当に無名性を具現する人たち、例えば、藤竜也の息子の家族などが混じるので、全体の印象は、「なんだか知らない人たちだなぁ」となってしまう。これは当然監督の企図するところであろうし、作品全体を通して明らかに CG も少ないという事実が、画面の基本的なトーンを決めており、ハリウッド調を目指す邦画とは全く一線を画する。

私は北野映画のファンではあるが、今回の作品は、そこそこ楽しめたという程度に留まった。理由は、上記のような、なんとも言えない無名な雰囲気に加え、日本のジジイがあまりカッコよくないということであろうか。もちろん、藤竜也にせよ近藤正臣にせよ、達者だし、いい味出してはいると思う。ただ、描かれているジジイ像がなんとも情けない。いや、今日の老人像のリアリティが映画にあるとかないとかいう話ではない。なぜだか、映像に映っているジジイたちが、カリカチュアになっていないもどかしさがあるのだ。と言いつつも、何度も声を挙げて笑ったことを白状しよう。復讐を誓って仲間の死体とともに殴り込みをかけるのに、その死体を盾にするという、たけし一流のブラックユーモアも楽しかった。あらゆるところで京浜連合とバッティングする間の悪さも、よい呼吸で描けていた。それなのに、ひとえにジジイのカッコよさがビンビンと伝わって来なかったのが、いかにも残念であった。

次回作に期待。


by yokohama7474 | 2015-06-06 00:57 | 映画 | Comments(0)