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さよなら、人類 (ロイ・アンダーソン監督 / 英題 : A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence)

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今年、これまでで最も強く、見たい!! と思った映画。スウェーデン映画 (より正確には、ノルウェイ、フランス、ドイツとの合作) で、原題は、"En duva satt på en gren och funderade på tillvaron"...うーん、さっぱり分からんが、duva はきっと dove (= pigeon) と同じではないかと思うと、どうやら英語の題、"A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence" と同じだと推測できるような気がする (が、保証はしません)。日本語では、「存在について考察する枝の上の鳩」ということになるが、スウェーデン語と同じく、日本語でもなんのことやらさっぱり分からない (笑)。邦題の「さよなら、人類」は、昔たまというグループが歌っていた (某友人の唯一のカラオケレパートリーでもあった) 同じ題名の歌を思い出すが、あれは「さよなら人類」であって、読点はなかった。まあそれはこの際、どうでもよい話であるが、この邦題、ポスターで見るようなとぼけた味わいとは対照的な、終末感漂う原題やこの映画の中身の雰囲気を出そうという腐心の結果であろうか。

さて、スウェーデンには仕事でも遊びでも行ったことがあり、ストックホルム郊外、世界遺産のドロットニングホルム劇場でバロックオペラなど楽しんだことまであるが、すべての人が完璧な英語を喋る国である。よって、旅行者がスウェーデン語なるものを耳にする機会はあまり多くない。従って、この映画で聞く言語に、ほとんどの人が馴染みのなさを感じるのではないか。この映画から感じることのできる終末感は、ひとつにはこの言語の響きがあると思う。もちろん、映画界にはイングマル・ベルイマンという同国の巨匠もいるわけであるが、誰でも知っているポピュラーな存在とは言い難い。「イニェー」だか「ウニェー」だか、それも Yes だか No だが分からぬが (笑)、何やら応答している登場人物たちの曖昧な言葉が、見る人になんとも不思議な孤独感を覚えさせるのである。

ポスターに出ている 2人の男は、向かって右がサム、左がヨナタン。おもしろグッズを売り歩いているセールスマンだ。何がおもしろグッズかというと、まず、吸血鬼の牙。
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それから、笑い袋 (映画で使われたものではなく、あくまでイメージ)。
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そして極め付けが、イチ押しの新製品、「歯抜けオヤジ」のマスク。
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もちろん、どこに行ってもバカ売れ・・・、なわけがなく、人々から白眼視される 2人の周りには常に徒労感と哀愁がつきまとう。そしてこの映画、これら 2人と関係あるのかないのかよく分からない登場人物たちが、何やら同じような場所に出没して、全く関連性のない仕草や会話を続けるというもの。ストーリーは、あるような、ないような。例えて言えば、吉田戦車の不条理マンガか、あるいはだいぶ古いが、ゲバゲバ 90分、またはモンティパイソンのコントのようなもの。もちろん、映画におけるシュールレアリスムの最高の例である、ルイス・ブニュエルを思わせるところも幾分ある。全部で 39シーンあるそうだが、ワンシーンワンカットで成り立っている。見ていて即興性が感じられるが、スタッフのインタビューによると、監督には撮影前にイメージができているものの、セリフを含めた完全な形での脚本はないそうだ。それでいて、適当に早撮りしてしまうわけではなく、この映画は実に撮影に 4年も要しているとのこと!!

シュールな笑いの合間に、時として強烈なシーンが出て来て目を奪う。例えば、サムとヨナタンが、歯抜けオヤジマスクを売り込んでいると、古風ないでたちの軍隊がカフェに突然現れ、馬に乗ったスウェーデン国王カール 12世 (1682 - 1718) が号令をかける。
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この少しあとのシーンでは、戦争に敗れたスウェーデン軍がトボトボ帰還し、戦争のおかげで未亡人になった若い女性が泣き崩れる。

あるいはこんなシーンもある。大きなドラム缶状の容器を横たえた中に黒人奴隷を押し込み (ここだけなぜか軍隊が英語を喋っている)、ドラム缶の回りに火を放って回転させるというもの。なんとも空恐ろしいシーンだ。
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多くの登場人物が (上の写真のヨナタンのように) 顔を白く塗っていて、ゾンビ風にも見えるし、演劇の舞台のようにも見える。いずれにせよ、この映画ではリアリティは追求されておらず、まさに空虚でシュールな、生命感のない世界。何度か登場する将校が、レストラン (冒頭のポスターと同じ場所だ) の前で携帯電話を手にするシーンでは、窓の奥で食事をしている人々が、何度も何度も馬鹿笑いしているが、それは遠い別世界から届いてくるような感覚で、現実のものではないように聴こえる。
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ここに出て来る人たちは、もしかすると、既に死んでしまっているのだろか。そういえば、何人か電話口で、「元気でなにより」という言葉を発するが、いやいや、馴染みのない言葉ということもあり、そのいずれもが、「ご愁傷様」と言っているように聴こえ、一体どこがどう、元気でなによりなのか、という感じで響くのだ!! この感覚、バルチュスの作品に似ている。この街角。この人々の生命感のなさ。でもどこかに漂う哲学的な雰囲気。
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とまぁ、とぼけた味わいの中に不気味さを満々と抱えた映画なのであって、類例を探すのはちょっと難しいし、制作の困難さも想像できる (映画監督とは、集団を動かす仕事であり、共感しない大勢のスタッフを従えて作品を作ることはできない)。私にとっては、かなり好みの映画と言える。この作品の監督、ロイ・アンダーソンは 1943年生まれで、短編も含めてこれまで何度か国際的な映画祭で賞を取っており、本作ではなんと、昨年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しているのだ。なんでも、過去の作品、「散歩する惑星」、「愛おしき隣人」に続く、15年がかりで制作されたリビング・トリロジー (人間についての三部作) の締めくくりとのこと。因みにこの過去の 2作、新宿シネマートで公開とあったので調べてみると、8月初旬の 1週間にレイトショーで上映されただけであった。うーむ、残念。そのうちディスクで発売されるのを待とう。

この映画、まだ劇場にかかってはいるが、全国的に見ても上映館は非常に限られている。もし、このような不思議映画がお好きな方は、すぐに劇場に走った方がよい。Good Luck!

by yokohama7474 | 2015-09-07 21:50 | 映画 | Comments(0)

ジュラシック・ワールド (コリン・トレボロウ監督 / 原題 : Jurassic World)

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いろんな映画を楽しみたいといつも思っているのであるが、時折、「IMAX 3Dで見たいなぁ」という思いに無条件で駆られることがある。それはいわば、「ああ、たこ焼き食いてぇなぁ」とか、「思いっきり生ビールをゴクゴク飲みてぇなぁ」という欲求 (おー、なんとささやかな!!) と似たものがある。言ってみればそれは、21世紀の先進国に生きる人間としては、当然許されてしかるべき範囲の娯楽と言えよう。

まあ、理屈はどうでもよいのだが、ある週末、矢も楯もたまらず IMAX 3D が見たくなり、躊躇なく選んだのがこの作品であった。ジュラシック・パークシリーズはこれまでの 3作品をいずれも見ているが、やはり最初の作品が忘れがたい。DNA から恐竜を再生するという、現実的可能性は別としても、少なくとももっともらしい設定がシンプルでよかったし、2作目も含めて、スピルバーグ自身が監督すると、単に恐竜が動いているシーンでも、何かが違うと思ったものだ。まあこれはひいきの引き倒しかもしれないが。

今回の作品では、設定はこれまでのものを引き継ぎ、以前事故のあったジュラシック・パークは廃園となっているものの、同じ場所にこのジュラシック・ワールドができていて、新たな経営者のもと、合理的経営と新奇なもので観客を喜ばせる方針で成功しているというもの。ところが、観客を怖がらせる凶暴な恐竜を作り出すために複数の生物の DNA をかけあわせたハイブリッドな生き物が、その知性を駆使して大暴れするというストーリー。至って単純である。全世界で記録的な大ヒットとなっている。まさに、IMAX 3D での「究極の映画体験」にふさわしい!!

・・・と多くの人は言うのだろうか。正直私は、この映画にそれほど驚かなかったし、要約してしまうと、「スピルバーグ以外の監督では見たくないなぁ」という感想を持ったのだ。そもそも、ストーリーを大して気にしない私が、この映画のストーリーには不満がいっぱいだ。これからご覧になる方のためにネタばれは避けるが、例えば、
・脱走するインドミナス・レックスが生体反応を消すことができる能力が、他の実在の生物から来たものであれば、なぜそれまでに同様の事態が起こっていないのか。意図的に生命反応を消すことができるとすると、そんな生物、どこにいるのか。
・そもそも、リスクに敏感で論理的なアメリカ人がやっているのに、恐竜が脱走したときのプラン B、プラン C がないことなどあり得ない。
・女性が全速力で走り回るのに、ハイヒールが壊れない。そんなことってあり????
・兵器として飼育中のラプターは、対インドミナス・レックスの切り札に使われるほど強いのか。敏捷ではあっても、体格が違いすぎる。
・ましてや、真打ちとして登場する恐竜は、インドミナス・レックスの敵ではないはず。そもそも、この恐竜の登場にはなんら意外性がない (メカ・インドミナス・レックスでも出て来るのか、あるいは主人公の女性が新開発のインドミナス・レックス・スーツに身を包んで自ら肉弾戦を戦うのかと思った)。
・主人公の女性は、相当な責任を追っているはず。騒動が終結したあと、親戚と一緒にぼぅっと座っていてもよいものか。経営者と一緒に不祥事の説明をすべく記者会見に臨み、「申し訳、(一息おいて) ございませんでした」と頭を下げるべきではないのか (あ、それは日本独特の光景か 笑)。

ただ、評価すべき点もある。まず、コイツはなかなかのキャラクターだった。
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また、細かいところで、思春期の子供の心理がそれとなく描かれていたところもよかった。長男がほかのグループの女の子をジロジロ盗み見るところ、あるいは、次男が両親の離婚可能性について泣きながら語るときのつれない反応。また、叔母のクレアを追って現れたオーウェンのことを、「あれ、誰?」と無遠慮に訊く場面。ただ、この種の映画ではもっとこの子供たちが知恵を使って窮地を脱する場面を設定すべきではないのか。ここでの子供たちは、(車を運転したりはするものの) ひたすら逃げ回り、物陰に避難するばかりで、強大な敵に一泡吹かせるシーンは、全くなかった。昨今の映画としては、もうひとつひねりがなかったと言うしかないだろう。

俳優に関して言うと、オーウェン役のクリス・プラットは、なかなか精悍でよかった。
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一方、クレア役のブライス・ダラス・ハワードは、大変申し訳ないが、あまりぱっとしない。第 1作のローラ・ダーンをちょっと思い出させる、なんとなくマイナーな雰囲気を持った女優さんだ。
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調べてみて分かったことには、この人、あのインド人監督 (すみません、どうしても名前を覚えられない。あの、「シックスセンス」の監督) の「レディ・イン・ザ・ウォーター」の主役だったのだ。あーそういえばこんな顔でしたねー。当時、「あんまりキレイじゃないなぁ」と思った記憶が。
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さらに調べてみてなおビックリ。この人、あの有名な監督、ロン・ハワードの娘なのだ。そういえばローラ・ダーンの父親も俳優だったが、知名度からすれば数段こちらの方が上だ。おみそれしました。

改めてこの映画での恐竜の格闘シーンを思い出すと、どこかで見た感覚が甦る。考えてみて分かったのだ。それは、昨年公開されたハリウッド版「ゴジラ」だ。あの映画は結構面白いと思ったが、怪獣に対する感覚が日米で違うのだなとも思ったものだ。西洋人の考える異形の生き物は、基本的に恐竜から来ているというのが正しいところか。
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最後にもうひとつ、くだらない気づき事項。ラプターを飼育しているスタッフの中の黒人は、悪態をつくときに、アメリカ人が使う s で始まる汚い言葉ではなく、「メルド!!」と言っていた。これ、フランス語だ (あ、意味は同様に汚いはずです 笑)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%89_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E)
ということは、この人はアフリカから来た人という設定なのだろうか。舞台は中米コスタリカだが、アメリカ以外から従業員を集めているということなのか、と、どうでもいいことを考えてしまった。コスタリカと言えば、東京オリンピックのエンブレム盗作事件で騒がれているデザイナーが、以前コスタリカ国立博物館のロゴからも盗作して、名古屋の東山動物園のロゴをデザインした疑いありと、今日報じられている。
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うーん、このくらい許してあげてもいいような気もするし、偶然の一致の可能性もあると思うが・・・。それにしても、誰がこの類似に気づいたのか。名古屋在住でお子さんを東山動物園に連れて行こうと思った人が、やはり家族で「ジュラシック・ワールド」を見てコスタリカに興味を持ち、旅行に行こうと思ってあれこれ調べると、あれ、どこかで見たマークが・・・と気づいたものであろうか。もしそうなら、この 21世紀に先進国に生きる人間としては、漫然と IMAX 3D を眺めているのではなく、思わぬもの同士のつながりに思いを馳せながら、心して映画を見るべきということだろう。まあそれにしても、東山動物園とコスタリカ国立博物館・・・。もしこれが盗作であるならば (その真否は私には分からないが)、まさかその 2つのつながりに気づかれようとは、夢にも思わなかっただろうなぁ・・・。



by yokohama7474 | 2015-09-01 23:43 | 映画 | Comments(2)

ターミネーター 新起動 - ジェネシス - (アラン・テイラー監督 / 原題 : Terminator : Genisys)

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恥ずかしながら、ターミネーターシリーズを、ろくに見たことがない。事の発端はこうだ。大学に入ったばかりの頃、周りの映画好きがことごとく、「ターミネーターはいい」と異口同音に言い交していて、生来の天の邪鬼の私は、「そんなに皆が見るなら、オレは見なくてもいいよね」とうそぶいているうち、上映が終了してしまったのである。最初の作品を見ていなければ、その後のシリーズ物を見るのは若干ハードルがある。それでも、いわゆる T2 (「ターミネーター 2」、すなわちシリーズ 2作目) は、飛行機の中で見た。但し、記憶が正しければ、今のようにエコノミーでも各席にモニターがある時代ではなく、個人で旅行に行く際に、エコノミーエリア共有のデッカいスクリーンで、吹き替えで見たはずだ。それでも、その T2 は非常に面白く、シリーズを通しての主人公とおぼしい、サラ・コナーの名前は記憶に貼りついて離れなかった。

いや実際、当時この T2 に登場する T-1000 の液体金属ロボットを見たときには、その映像の凄さに驚愕したものだ。今回も、その当時の驚きをそのままに、むしろ現代の CG 技術からすると素朴に過ぎるのではないかと思われるくらい、T2 を彷彿とさせる液体金属の映像がいろいろ出て来る。演じるのはイ・ビョンホンだ。
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ストーリーは至って単純。未来の時点で人類を絶滅に近い危機に追い込むスカイネット (本作では人格を与えられている) に対する人類の反乱軍は、ジョン・コナーが率いている。それに対してスカイネットは、その人類の反乱のリーダーを存在しないようにするため、過去に殺人機械 (= ターミネーター) を送り込んで、ジョンの母親、サラ・コナーを亡き者にしようというのだ。また、そのサラを守るために人類側から過去に送り込まれるのが、カイル・リースだ。これまでのシリーズのストーリーを調べてみたのだが、基本的にこの路線に沿っていて、新たなキャラクターが強大な力でどちらかの側で突然現れるということはなく、ひたすらこれらの人物が登場しているようだ。これは、シリーズ物としてはひとつの見識だと思う。以前にも書いたが、どうもシリーズ物は、主要キャラクターの人気に依存するあまり、その敵をあれこれ創り出して話をいたずらに複雑にする傾向があるから、どんどんつまらなくなるのだ。このシリーズはその例外と言える。

ただ、本作では、(予告編で明らかにされているので、これから見ようという方にも教えてもよいと思うのだが) その反乱軍の闘士たるジョン・コナーのキャラクターに変化が起きる。私は過去のシリーズを知らないから平気だが (笑)、ずっとこのシリーズのファンの方には、大変なショックではないのか!! 何せこれですからね。どう見ても最初から怪しいだろ、これ。
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もうひとつ、このシリーズの見識は、アーノルド・シュワルツネッガーという稀有なキャラクターに一貫して依拠していることだ (但し、4作目だけは、彼がカリフォルニア州知事に就任したことから、登場していないらしい)。ここでの彼の役柄はロボットである。従って年を取らないはずである。それが、ここでは有機体部分は加齢するという設定になっていて、それゆえに、今現在のシュワルツネッガーの顔が、そのまま活かされることになる。傑作なのは、開始間もない部分で、青年時代の彼と現在の彼が肉弾戦を演じること。
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若い頃の姿は、体型が昔のシュワルツネッガーに似ているモデルの顔の部分だけ CG で合成したとのこと。私はこのシーンを大変に興味深く見た。と言うのも、私の周りの連中が「ターミネーターはいい」と言い合っていた頃、つまり 30年前のノスタルジー (それはつまり、シュワルツネッガー自身にとってもノスタルジックな思い出のはず) を、今の自分自身が吹っ飛ばすシーンであるからだ。但し、そこで現在のシュワルツネッガーが勝利を収めるのは、彼ひとりの力ではなく、サラの銃という助けを借りるおかげなのだ。流れた時への思い。それとは裏腹の、まだまだやるぞという思い。ある意味でとても切ないシーンではないか。シュワルツネッガーがいくつになったかというと、今年68歳だ。68歳?! 老人ではないか。でも、その「老人」としての今をさらけ出してうまく利用している点、好感が持てるというものだ。

一方で、この映画のストーリー自体は、それほど驚くものではない。もちろん、タイムマシン物を見ていると、時々、「これは設定が悪いのか、それともオレの頭が悪いのか」と自問自答するような瞬間があるもので、本作にもそのような瞬間が時々ある。それを除けば、割合にスムーズな展開だと言えるだろう。私の場合は、ストーリーにはあまり重きを置かないので、それはよいのだが、この映画の問題点を挙げるとすれば、役者の質ということになるのではないか。何より、サラ役のエミリア・クラークが物足りない。もっと可憐で逞しい女優もいるような気がする。そんな中、脇役ながら気になる役者がいる。警官のオブライエン役の、J・K・シモンズだ。以下の写真ではいちばん左。
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そう、彼こそは、あの凄まじい作品、"Whiplash" でアカデミー賞助演男優賞を受賞した役者だ。この映画をご覧になった方はお分かりだろう。邦題は「セッション」。
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おおこわ。その彼が、この映画では、冴えないアイルランド系の刑事を演じていて、何か心に残る演技を披露している。

この作品から、また新たなターミネーター 3部作が展開するらしい。願わくば、ほかのシリーズ物の轍を踏まず、シュワちゃんのキャラクターを信じて、よい作品が続きますように。そうなると、私もこれまでの 4作をなんとかして見ないといけない。頑張ろう!!
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"I'll be back." だって。もちろんそうして下さいや。

by yokohama7474 | 2015-08-25 23:13 | 映画 | Comments(0)

進撃の巨人 (樋口 真嗣監督)

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もう 4 - 5年前になるだろうか。本屋に平積みになっていたマンガ「進撃の巨人」を見て、面白そうだなぁと思ったのは。その後人気があるのは知っていたが、何せ私は、他人のペースに合わせるのが大嫌い。未だ連載中のマンガの続きを、今か今かと待ちわびるのが嫌で (同様の理由で、テレビの連続ドラマも見ない)、あえてこれまでこのマンガの 1ページすら、開いたことがない。マンガは面白そうだが、デッサンがちょっと未熟な気がしたのも、敬遠したひとつの理由だった。そんなところに、実写で映画化とは、嬉しい知らせだった。

まあ何が面白いって、人間を食糧にする巨人の描写が、なんとも言えず人間の恐怖心を煽る。
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この実写での巨人は、これまたなんともいい味出している。この巨人の実際の映像は、予告編でもほとんど使っていなかったし、ネットで画像検索しても、あまり出てこない。ただ、テレビで車の宣伝に使われていて、なんとも強烈なインパクトだった。映画のプログラムに載っている写真を掲載しよう。いやー、演じている役者の方々、本当にご苦労様です。メッチャ気持ち悪かったですよ (笑)。
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原作者の諫山 創は、1986年生まれというから、まだ 20代だ。なんでも、引きこもりの 19歳だったときに「人食い巨人もの」というジャンルのイメージを描いていたものが、少年マガジンで賞を取ったこの作品に結実したという。原作の展開はいざ知らず、この映画では非常に単純にストーリーが進んで行く。100年以上前に現れた巨人に人類は次々と喰われ、今では 3重の壁に閉ざされた世界に住んでいる。しかし、ある日人間の筋肉の標本のような超巨人に壁を破られ、そこから上の写真のような異様な風体の巨人たちが続々入ってきて、人類を危機に陥れるというもの。

昨今の邦画の予告編など見ていると、核関連施設が危機を迎えるといった設定や、なにがしかの軍隊調の映画によく行き当たるが、正直言って、核の恐怖を世界でいちばん知るはずの日本人が、そんな映画でハラハラドキドキというのは、なんとも説得力がない。それに引き替え、この架空の世界のリアリティはどうだ。人間が本能的に抱く恐怖がここにはある。立ち向かって行くには大変勇気がいる。その思いを観客に抱かせるだけで、この映画の狙いの半分は満たされているのではないだろうか。

人物の描き方は大変あっさりとしている。主人公 (らしい) エレンが、恐怖に怯えて恋人を失うところから、段々に成長して行く過程が描かれて行く (2作目はさらにそうなるのだろう) が、それ以外の人間像はさほど丁寧に描かれない。その点が不満と言えば不満と言えようか。それから、役者も、残念ながら全体的に低調に思われる。巨人退治の達人たるシキシマ役の長谷川 博己は、うーん、ちょっと大人の味が不足。口先先行のジャンを演じる三浦 貴大は、演技過剰。研究者のハンジを演じる石原 さとみは、甲高い声を挙げてがんばっているものの、ミスキャストのそしりは免れまい。そんな中、颯爽としたヒロイン、ミカサを演じた水原 希子は、なかなかの表現力だ。CM であれこれ見かけるモデルさんと思っていたが、何か天性のものがあるように思う。なんでも、父はアメリカ人、母は韓国人で、テキサス州ダラスの生まれとのこと。この面構え、なかなか純粋日本人の女優で見かけることは少ないと思うが、いかがなものであろうか。
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本作のロケは、あの長崎県の軍艦島で行われたらしい。かつて廃墟マニアのメッカと言われた軍艦島も、今や世界遺産。なんともびっくりである。「007 スカイフォール」でもロケ地になっており、まあその荒廃したイメージは、ほかにない雰囲気満点だ。ただ、崩れ行く廃墟であるからこそ人の興味を惹いた場所であるわけで、世界遺産に認定されてしまった今、「保護」する必要が生じてしまった。廃墟をどうやって保護するか。これは難しい問題である。
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この映画、2作目が 9月19日に公開されるとのことで、本作はまず前半ということだが、さてどこまで楽しませてもらえるだろうか。マンガ自体が未だ連載中ということだから、ともあれ途中での区切りというストーリーになるのだろうか。それとも、マンガを離れて全然違うストーリーが展開するのだろうか。マンガの連載にハラハラドキドキしていない私としては、冷静な気分で次を待つことができるのである。ひとつ面白いのは、本作の中で、「巨人には性器がないので生殖方法も不明」とされているが、赤ん坊の巨人も登場することから、なんらかの生殖方法があることは確かなのだ。そのあたりの解明も、次回楽しみにしていますよ。


by yokohama7474 | 2015-08-22 23:52 | 映画 | Comments(0)

チャップリンからの贈りもの (グザヴィエ・ボーヴォワ監督 / 英題 : The Price of Fame)

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夏休み映画があれこれ封切されていて、とにかくキャッチアップだ!! と言いながら、ターミネーターでも進撃の巨人でもミッション・インポシブルでもジュラシック・ワールドなく、こんなマイナーな映画を見てしまうのが、私のひねくれた性格をよく表している (笑)。確かに、この前に見たアベンジャーズが CG テンコ盛りであったのに対し、ここでは一切そういう要素がなく、まあなんとも古風な映画ではある。でも、視覚に激しい刺激を受けるだけでなく、時々こういう手作りの映画を見たくなるものだ。

私がいつもタイトル欄に、邦題と併せて原題 (英語の映画以外は分かる限り英題。ちなみに本作はフランス映画で、原題はフランス語) を掲載しているのは、邦題の持つニュアンスが原題と異なることがかなり多いという問題意識による。この映画もそうだ。「チャップリンからの贈りもの」・・・うーん、違うと思うなぁ。ここでの主人公たちは、別にチャップリンに対する憧れで犯罪を犯すわけではなく、現実との対峙の中で、自らの決断で行動を起こすのだ。そこに多々人間的な要素があるからと言って、また、映画の結末で病院の治療費が賄われたからといって、何も主人公たちが「贈りもの」を望んでいるわけではない。とはいえ、英題の "Price of Fame" を、「名声の代償」とか「有名であることの価値」とか訳しても仕方ないからなぁ・・・(笑)。やはり日本語ではなかなか難しいものだ。

さて、この映画、1978年にスイスで実際に起こったチャップリンの棺の盗難事件を扱っている。当時私は小学生か中学生だったが、この騒ぎはよく覚えている。亡くなったのが確かクリスマスで、その数か月後に墓場から棺が掘り起こされて何者かが持ち去ったという事件であった。その当時、事件の解決や犯人像について報道があった記憶はないが、「有名人は死んでも大変だなぁ」と思ったことは、はっきりと覚えている。つまり、英題の Price of Fame とは、当時の人々が実際にこの事件に対して抱いた感情を言い当てた言葉なのである。実際の事件の犯人は、ポーランド人とブルガリア人であったが、この映画では、ベルギー人とアルジェリア人に設定を変えてある。東欧の 2人より、白人と有色人種の方が、コントラストもあり、欧州における移民の貧困という問題をより明確に描くことができるという意図であろうか。

この主人公たちは、貧困に耐えかねて、チャップリンの遺体の「誘拐」を行い、身代金を稼ごうとするというストーリーだが、その決意の悲愴さに比較して、主人公たちの行動の描き方には悲愴さはあまりなく、常にどこか人間的なゆるさがあって、観客の微笑を誘う。描かれている現実は実際には悲愴さはあるのだが、映画の意図は、それをリアルに描くことではなく、大真面目であることの可笑しさといった点に焦点を当てている。また、アルジェリア人オスマンには腰を痛めて入院中の妻と、幼い娘がいて、彼が追い込まれて行く過程には、この 2人への愛があるわけだが、その表現の不器用なことに、観客は笑わされながら、ちょっとほろりとさせられるのだ。

作中にはチャップリン作品へのオマージュが幾つか含まれているとのことだが、それよりも何よりも私が感心したのは、屋内、屋外を問わず、スイスのヴヴェイ (レマン湖畔) の澄んだ空気と、そこに住む人たちの確かな息遣いが、これはリアルに描かれていたことであった。雨の中、仕事を終えて帰ってきたオスマンが手をすり合わせたり、ベルギー人エディが、オスマンの娘サミラを連れてレマン湖の遊覧船に乗ったり、あるいはオスマンが脅迫電話をかける前に息を白くしながら公衆電話の前で煙草を吸ったり、そのような仕草や行動に、なんら特別でない人々の確かな生が感じられるのだ。生命賛歌といったような大げさなものではなく、普通の人たちの全く自然な生の姿が心に沁みるという印象。不滅の名声を残したチャップリンとの対比において、「それでも君らが生きていることは素晴らしい」というメッセージであろう。スクリーンでは庶民の姿を演じたチャップリンは現実世界では富豪となり、Price of Fame を払ったということか。尚、本作では実際にチャップリンの旧宅や墓でロケされているとのこと。

ところで、本作に出ているこの女優さんは誰でしょう。サーカスの団員で、エディと恋仲になって彼を道化師にしてしまう役柄だ。決して若くはないが、なかなかいい雰囲気を持っている。
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彼女の名前は、キアラ・マストロヤンニ。ということは、当然マルチェロ・マストロヤンニの娘だろう。では、母親は? なんと、カトリーヌ・ドヌーヴ。2011年のカンヌ映画祭で、こんなツーショットもあったらしい。マストロヤンニとドヌーヴは、結婚はしていなかったようだが。
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このお母さん、ン十年前はこんなだった。
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うーん。Fame があろうがなかろうが、人って年を取るものなのだね、やっぱり (笑)

あ、ひとつ書き忘れかけたことがあって、それは本作の音楽だ。なんとあの、ミシェル・ルグランなのだ。映画音楽史上最も有名な曲のひとつ、「シェルブールの雨傘」で未だ不朽の Fame を誇る作曲家だ。えー、まだ生きていたのという感じだが、1932年生まれ。「シェルブールの雨傘」は 1964年の作で、主演はほかでもない、カトリーヌ・ドヌーヴ。そう、上の写真の映画である。実は私はこの名作を見たことがなく、有名なテーマ曲しか知らないのだが、音楽の使い方はどうだったのだろうか。少なくともこの「チャップリンの贈りもの」における音楽には、正直、納得できない部分が多々あった。監督の意向であるのかもしれないが、もう少し繊細な仕事をする若手を選んだ方がよかったのでは・・・とも思うが、ま、カトリーヌ・ドヌーヴの娘に免じて、大目に見てあげることとしよう。

by yokohama7474 | 2015-08-21 01:14 | 映画 | Comments(0)

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン (ジョス・ウェドン監督 / 原題 : Avengers : Age of Ultron)

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ヨーロッパ旅行で遊び呆けているうちに、日本では既に夏休み映画が続々封切られていたことが判明。よし、頑張ってこれから挽回するぞ!! と決意して最初に見に行ったのがこの映画である。

ご存じない方のために申し上げると、これはマーベル社のアメリカンコミック (いわゆるアメコミ) を原作とするヒーロー物の集大成。なにせ、他の作品では主役を張っている、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティー・ソー、ハルクらのヒーローが集結、一致団結して (まあこの作品では内輪もめもあれこれあるのだが) 強大な敵に立ち向かうという物語である。いわば、中トロ・ウニ・イクラ丼みたいなもの。すぐに上映終了してしまうのでは、という危惧に反し、立派に 1ヶ月以上公開中である。

このアベンジャーのシリーズは、これで 11本目とのことだが、私はアイアンマンを 1本も見たことがなく、せいぜい、マイティー・ソーの 2本と、キャプテン・アメリカの 2作目くらいだ。その意味では、ほかの作品での世界観のニュアンスを深く知る立場にはない。なので、開き直って、ゼロから映画を楽しみたいと思った。正直、中トロ、ウニ、イクラのどれかに絞った方が海鮮丼としてはうまいのではないかと思っていたのだが、ある意味、ここまでやってくれれば、なかなかに面白い。丼の中には、中トロ、ウニ、イクラのみならず、キャビア、明太子、くさやも一緒に入っていたのである!! すみません、見ていない人にはワケ分かりませんよね。要するに、アベンジャーズというヒーロー集団だけでなく、明らかな敵、あるいは敵か味方か分からない超人キャラクターがあれこれ出てきて、これがなかなかに楽しいのだ。

それにしても、この映画の豪華な俳優陣はどうだ。主役とみなしてよいのは、アイアンマン役のロバート・ダウニー Jr. であろうが、私はシャーロック・ホームズ・シリーズの彼が大好きで、今回も期待して見たのであるが、期待通りと言うべきか、飄々とした味わいが微笑を誘う。ものすごい動きで敵を攻撃しているときに、アイアンマンスーツの下の彼はあれこれ考えているのだが、それが必ず顔の静止画のアップで、その著しいギャップが笑えるし、散々いろんなものを破壊して九死に一生を得たあとでも、アイアンマンスーツを脱いだあとは、頬の切り傷ひとつなのだ (笑)。これはフィギュアの写真だが、映画の中の本物がもっとずっと軽傷だ。
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まあそれにしても、いろんな映画が次から次へとよくもまあ、地球を絶滅の危機に陥れてくれること。この映画では、アイアンマンの本来の姿である科学者、トニー・スタークが開発した、ウルトロンという機械生命体 (ってなんだろう???) がアベンジャーズに敵対するのだが、相手の正体が最初から分かっている分、ハラハラ感はあまりない。むしろ、ハルクが暴れてビルの建設現場を破壊するシーンで、強烈な煙が舞い立つシーンが、911 のビルの崩壊を思わせて、アメリカの人たちはこれを平気で見ることができたのだろうかと、そっちの方がハラハラしたものだ。その一方、最後に大きなドンデン返しがあるわけでもなく、ある意味安心して見ていられる (?) と言えないこともない。

役者でもう一人気になったのは、あの「ハート・ロッカー」で忘れられない演技を見せてくれた、ホーク・アイ役のジェレミー・レナーだ。
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うーん、「ロード・オブ・ザ・リング」のレゴラス (オーランド・ブルームが演じた) もそうだったが、迫りくる敵の大量の軍勢に対して、弓矢ではどうしても時間がかかりすぎて、敵にやられてしまうだろうと思うのだが・・・。

あとは、やはりブラック・ウィドウ役のスカーレット・ヨハンソン。相変わらず役柄を選ばない女優魂を見せているが、彼女のカッコいい姿をシルエットで写して見せた監督は、なかなかにセンスがあると思う。もうかなりベテランになったかと思いきや、まだ 30そこそこだ。まだまだこれからの活躍に期待。
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それから、最後にこのブログならではの、音楽のこだわりに触れておこう。オリジナル音楽は、今や映画音楽の巨匠となったダニー・エルフマンだが、劇中でベルリーニの歌劇「ノルマ」から、「清らかな女神よ」(通称「カスタ・ディーヴァ」) が使われているシーンがあり、むむ、この太い情念の声は、と思うと、案の定マリア・カラスの録音だった。また、エンド・タイトルによると、現代音楽の巨匠、アルヴォ・ペルトの「ベルリン・ミサ」を使っていた模様。ペルトに関してはちょっとうるさい私も、この曲は聴いたことがない。今度調べてみよう。

いや全く、キャビアや明太子やくさやだけでなく、マロン・グラッセとかティラミスまで入った、なかなか気の利いた映画ですなぁ。でもちょっと、食い合わせ悪そう。うげっ。

by yokohama7474 | 2015-08-20 00:23 | 映画 | Comments(0)

青鬼 Version2.0 (前川 英章監督)

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青鬼は、ゲームのキャラクターらしい。私には全く縁のない世界ではあるが、1作目が結構面白かったので、今回も見逃してはなるものかと、頑張って見に行った。一緒に見た連中は、ほとんど高校生だったようで、後ろの男子は、「おれ、ガチ怖ぇんだけど」と言っていたし、隣の女子は、「これってさー、ゲームやったけど、メッチャ速くねー」と言っていた。これこれ、日本語を喋りなさいよ。

さてこの青鬼、1作目では、AKB48 のメンバーで、例のノコギリ事件で被害者となった入山 杏奈がなかなかによかったのである。
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事件後の対応は立派だと思ったし、そのプロ根性に脱帽したものだ。さて、今回の作品、Ver 2.0 とはもちろん、ヴァージョンアップしたということなのだが、うーん、残念ながら前作よりは質は下がったとしか言いようがない。低予算はよいのだが、屋外も室内も関係ない、この汚い画像はどうだ。もう少し丁寧に作るべきだろう。また、今回新たに登場する、フワッティなるキャラクター。
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これ、どうですか。ふなっしーと、NHK のどーもくんの合体を青くしただけではないか。
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あーあ。こうして偉大な初代が堕落して行くのか。

by yokohama7474 | 2015-08-02 21:42 | 映画 | Comments(0)

チャイルド44 森に消えた子供たち (ダニエル・エスピノーサ監督 / 原題 : CHILD44)

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あれは 2009年、ということはもう 6年も前のことになるが、「このミステリーがすごい ! 海外版第 1位」という本の帯が目に入った。「このミステリーがすごい!」についてご存じない方は以下をご覧頂くとして、ミステリーを読もうと思うときには結構な信頼度をおけると思われるランキングで、私のような無節操な乱読家にはありがたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%8C%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84!

本との出会いには、題名とか装丁とか、そのときの自分の興味とか、いくつかの要素が関係するが、このときには、さらに以下の文言が決め手となった。「リドリー・スコット監督で映画化決定」--- その本が、上下 2冊に分かれた、トム・ロブ・スミスの「チャイルド44」であった。旧ソ連のスターリン時代を舞台とした、なんとも後味の悪い作品だが、ここで描かれた人間心理は、犯罪者の側のそれよりも、犯罪を解明する側のそれに重点が置かれており、心胆寒からしめるものがあった。衝撃的な内容であったので、読み終えたあと、回りの人たちにも一読を薦めた覚えがある。

ところが、その後待てど暮らせどリドリー・スコットが映画化したという話は聞かなかった。時々、「あれはどうなっているのかなぁ」とは思っていたが、そろそろその思いも薄れつつある頃、この映画の宣伝を目にした。結局、リドリー・スコットは監督は務めず、製作者のひとりだ。ただ、この映画のプログラムによると、リドリー・スコットがいち早く原作に目をつけたのは本当のことらしい。作者はこれが処女作、しかも、スコットのアプローチは原作の出版前のことというから恐れ入る。そして監督として起用されたダニエル・エスピノーサはスウェーデン人で、「イメージマネー」なる日本未公開なるも同国映画史上最も興業成績を挙げた作品でデビュー、その後、デンゼル・ワシントン主演の「デンジャラス・ラン」がヒットしたという。

一言で言うとこの映画のテーマは、圧政の中で反体制者を始末する義務を負った警察が、都合の悪い事実に目を覆いながら、連続殺人 (44人の子供) の犯人を真剣に追うことをせず、適当に犯人をでっちあげて次々に逮捕していたという事態の異常性と恐ろしさである。そこには、スターリン時代に社会を覆っていた恐怖が色濃く表れている。人々は社会への忠誠を試され、反体制派は、発見されれば裁判も受けずに射殺される。人としての感情を押し殺して職務遂行を是とする者や、自分勝手な欲望を取り繕って他人を出し抜く者が跋扈する。そのような中では、連続殺人事件の犯人を放置することは国家への反逆とみなされるため、警察は、とにかく真犯人など誰でもよいから捕まえて自白させ、処刑するのだ。実話をもとにしているため、原作はロシアでは発禁らしい。

さて、映画そのものについて語りたいのだが、さて何を語ろうか。このブログでご紹介する映画では既に 3本目の主演作となるトム・ハーディは素晴らしい。ここでの彼の役回りは、エリート警察官で、組織への忠誠心は充分にあるのだが、不正を看過することのできない誠実な性格で、妻や友人への思いやりの心があるがゆえに、自らを危険かつ不利な環境に追い込んでしまう、そんな人間だ。爽やかさはほとんどなく、善玉か悪玉かすら、すぐには分からないような役柄だ。それから、旧ソ連を舞台にした映画ということで、まるでロシア語のような不明瞭な英語を喋る点も、演技の一環なのであろう。
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ところでこの俳優、バットマンシリーズの「ダークナイトライジング」に出演していたらしい。うーん、覚えがないなぁと思って調べてみると、ベインという悪役だった。
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こりゃ分からんって (笑)。ただ、今回も協演しているゲイリー・オールドマンとは、そこでも同じ映画に出ていたのですな。協演シーンがあったか否かは覚えていないが・・・。この人、もともと様々な役柄をこなす怪優であるが、最近は演じるキャラクターの傾向が決まってきたような気もしますね。今回はトム・ハーディが左遷される地方の警察の上司で、人当りは決してよくないものの、信念を持つ男の姿を渋く演じている。でも、この人が出ると、まともな役でもなんだか怪しく見えるんだよねぇ(笑)。
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原作の詳細は覚えていないものの、映画はおおむね原作に忠実なようだ。但し、犯人像の設定でひとつ大きな違いがあり、こればかりは私も、映画を見ながらすぐに気づいた。原作の方が呵責ないとも言えるが、実は映画の方が、一般的な人々の内に潜む狂気を浮彫にして残酷であるとも考えられる。ソ連時代、地方で飢餓が発生すると、極度の食料不足から、人の肉を食うという事態まで発生したと聞く。なんとも痛ましい限りだが、この映画の背景がそういう時代であったという認識があるとないでは、映画の持つ重みが格段に異なる。その一方で、この映画があらわにする人間の狂気とは、実は我々の何気ない日常の裏にも潜んでいるものであると思う。

思考停止、真実に目をそむけた上司への盲従、メンツの偏重、都合の悪い話の隠蔽等々、間違った自分に気づいたら、深呼吸してこの映画を思い出そう。

by yokohama7474 | 2015-07-30 22:44 | 映画 | Comments(2)

雪の轍 (ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督 / 英題 : Winter Sleep)

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2014年のカンヌ映画祭で最高賞パルムドールを受賞したトルコ映画である。公開された当初は東京の 2館のみでの上映であったが、今では名古屋、京都、大阪、福岡等の大都市にある小劇場系 (?) 映画館でも見ることができる。

そもそもトルコ映画と聞いて、出てくる名前はユルマズ・ギュネイくらいであるが、そのギュネイにしても、「路」という作品がやはりカンヌの最高賞を取ったことから知られている程度で、その他の作品は日本でどのくらい公開されているのであろうか。もちろん、映画は別に各国を代表して作られているわけではないので、よい映画はよい、悪い映画は悪いということにしかならないのだが、その一方で、この映画のように、かかわったスタッフ・キャストが全員トルコ人 (多分・・・あ、間違えた。日本人の脇役が 2人出演していましたね。エンドタイトルでバッチリチェックしたところ、日本人の名前であった) である場合には、その国の役者の演技とか、照明音響美術等々のレヴェルに、その国の映画産業の在り方がおのずから表れることも事実であろう。その観点からは、この映画の出来具合で我々観客の今後のトルコ映画への期待も変わってくると言える。

上記ポスターにある通り、この作品は、奇景で知られるトルコの世界遺産、カッパドキアの洞窟ホテルを舞台とする、上映時間 3時間16分という大作。「愛すること、赦すこと --- もがきながらも探し求める、魂の雪解け」というコピーに雪のカッパドキアの写真を見ると、どんなに壮大な叙事詩が展開されるのかと思ってしまうが、実はこの映画、究極の室内劇である。戦争もなければ宇宙人との遭遇もない。誘拐も暴行もない。そもそも、3時間を超える映画で、一人も人が死なないのだ。今日び、どうやってそれで映画を作るのか。カンヌの審査員のひとりであったジェーン・カンピオン (私がこよなく尊敬する監督) は、「物語が始まった途端に魅了されてしまった。あと 2時間は座って観ていられたでしょう」と語ったらしいが、まさにその通り。この映画で数少ない劇的 (?) なシーン、子供が車に向かって石を投げるシーンは、冒頭まもなくであって、それから後はほとんどが室内劇であるにもかかわらず、飽きることは全くなかった。これは一体どういうことなのか。

この映画の中で、延々と口論が続くシーンが 3つある。ひとつは、主人公 (もと舞台俳優で、遺産として譲り受けた洞窟ホテルを営む裕福な初老の男) とその妹、2つめは、主人公とその若く美しい妻。3つめは、主人公とその友人たち 2名である。換言すれば、主人公が相手とシチュエーションを変えて、延々と口論する。その合計だけで、30分は優に超えているだろう。そのいずれもが圧巻なのだ。プログラムを読むと、基本的に書かれたシナリオ通りの演技を俳優にさせたとのことだが、彼らの口論の様子はあまりに長く、また作られた感じがしない自然な流れなので、相当部分即興ではないかと思ったのだ。これを演技としてできてしまうトルコの俳優たちは恐るべきではないか。もちろん、監督のインタビューでも、一部は即興で足したと言っているので、特に主人公とその妹のシーンなどは、即興の部分がそれなりにあるように見受けられるが。いずれにせよ、人生を圧縮した瞬間がこれらのシーンに詰め込まれていて、看過できないリアリティがあるのだ。

ここで使用されている音楽は、シューベルトの最後から 2番目のピアノ・ソナタ (第 20番イ長調D.959) の第 2楽章。シューベルトは晩年 (と言っても、たかだか 38歳だ!!)、曲を肥大化させる傾向があり、ピアノ・ソナタの分野では、最後の第 21番変ロ長調 D.960 が、本当に底知れぬ深淵を覗くような音楽であるのに対し、同じ死の年、1828年に書かれたこのソナタは、少しは分かりやすい要素を持っている。この映画で使われているのは、第 2楽章の冒頭のテーマであり、中間部で感情の炸裂があるのであるが、その部分は周到に避けられている。これはこれで、人生の機微を淡々と描くこの映画にふさわしいとも言える。プログラムの監督インタビューによると、かつてブレッソンの「バルタザールどこへ行く」という映画 (1966) で使われていた由。私の世代ではブレッソンは、最後の作品「ラルジャン」にぎりぎり間に合ったくらいで、この作品については知識がない。まあそれにしても、海外のマスコミにはマニアックな人がいますなぁ。

この作品の呵責なさはまさに特筆すべきものがあるが、脚本においてはチェーホフやドストエフスキーに負うところが多いらしい。監督自身、チェーホフの 3作に着想を得ているとの発言があるが、特定はしていない。プログラムに寄稿しているロシア文学者の沼野 充義は、そのうち 2作にしか言及していない。ということは、残る 1作は自分で探すしかないということか。

誠にトルコ映画、恐るべしである。

by yokohama7474 | 2015-07-25 23:53 | 映画 | Comments(0)

ターナー、光に愛を求めて (マイク・リー監督 / 原題 : Mr. Turner)

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イギリス 19世紀ロマン派を代表する画家、J・M・W・ターナー (1775 - 1851)。今日、英国が自国の美術作品を展示する美術館である Tate に行くと、この画家だけでこれでもかとばかりの展示がある。その素晴らしい表現は、印象派はおろか、遥か抽象画にまで影響を与えた巨匠である。私にとっても、多分歴史上で 10指に入るくらい、大のお気に入りの画家である。その巨匠ターナーの生涯を描いた映画を見ないくらいなら、長久手古戦場でバーベキューでもしている方がましだ。

なになに、主役を演じるのは、ティモシー・スポールとな。あのハリー・ポッターシリーズでピーター・ペテグリューを演じた役者らしい。おっと、コイツか!!
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えーっ!! ロマン派の巨匠ターナーでしょ。何かの間違いではないのか。紳士の国英国で、歴史に残る数々の傑作をものしたターナーが、こんな風貌であるわけがない。と思って映画を見ると、こんな感じ。
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あっちゃー、これ、一緒じゃん。画家のターナーだよね。ティナ・ターナーじゃないよね???

悪ふざけはこの辺にして、映画についての感想に入ろう。これまで、決して美形でないけれど、痛いような人生を感じさせる画家の伝記映画はいくつかある。例えばフランシス・ベーコン。例えばポロック。例えばバスキア。皆それぞれにいい映画だった。でも、しつこいようだが、今回は精神性あふれる作品を数多く残したターナーだ。醜悪であるわけがない。・・・と思ってちょっと調べてみると、この画家に関しては、個人的な事柄はあまり知られていないらしい。その意味で、呵責ないシーンをあれこれ含むこの映画は、一般に知られたいくつかのエピソードを散りばめつつも、従来のイメージとは異なる、リアルなターナー像に迫った映画と評価できるだろう。

まず、この邦題が意味深だ。「光に愛を求めて」。そう、彼が愛を求めるのは、人間ではなく光なのだ。決して人とコミュニケーションが取れないわけではない。また、女性に対して淡泊というわけでもない。でも、本当の意味で彼の心に巣食っているのは、様々に変幻する光であって、それをとらえるためなら、あらゆる犠牲を惜しまない。それがターナーだ。晩年の代表作のひとつ、「雨、蒸気、速度」(1844) を見てみよう。
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ここでは雨の中を疾走する蒸気機関車が描かれているのだが、雨や蒸気のみならず、速度が描かれているところが、何よりも斬新であるのだ。音楽の世界では、かなり時代も下り、モダニズムの世界に入ってくるが、オネゲルの「パシフィック231」と共通するところがある。それだけターナーの表現が時代を先駆けていたということだろう。

この映画の監督、マイク・リー (スパイク・リーではありません。念のため) は、過去にカンヌのパルムドール受賞の経験もある英国の名匠らしいが、私自身は過去の作品を見たことがない。ただ、この映画のエキセントリックなターナー像を、嫌味なく巧みに描いていると思う。形式的な尊敬を表すではなく、人間ターナーに迫ろうという真摯な態度が伺われる作品だ。

この映画、実在の人物がいろいろ登場する。サー・ジョン・ソーン (ロンドンのホルボーン近くに、邸宅をそのまま美術館として保存している場所があり、この時代に興味ある人には必見だ) や、ライバルであったコンスタブル。また、ヴィクトリア女王とアルバート公も出てくる。そんな中、改めて興味を持ったのは、ジョン・ラスキンだ。美術評論家で、いわばターナーを世に出したこの人は、1819年生まれだから、ターナーより実に 44歳年下。劇中の議論の中で、クロード・ローラン (少し前の時代の風景画家で、当時大変な尊敬を集めた) をラスキンがけなし、ターナーがその意見に反対する場面が興味深かった。もし実際にあんな感じであったなら、ターナーは自分の擁護者であるラスキンに対して、あまり感謝の念もなかったように思われる。それはこれまでの理解と異なるものであった。と思って考えてみると、ラスキンはホイッスラーの作品を貶して裁判沙汰になったはず。件のホイッスラーの作品、「黒と金色のノクターン 落下する花火」(1875) は、いわばターナーの方法をさらに推し進めたような作品だ。
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ターナーを絶賛しながらも、後年 (ターナーの死後) ホイッスラーの作品をこきおろしたラスキンは、一体何を理想としていたのか。この映画の中に出てくる、頭でっかちの生意気な青年、ラスキンは、実際あのような人であったのかもしれない。

このように考察してくると、この映画は、ターナーや彼を巡る歴史的事項について全くイメージのない人が見ると、よく分からないかもしれない。でも、音楽を多用せず、感情的な起伏を過度の演出で見せることも周到に避けた手法は、あたかもターナーの作品に当時の人々が感じたのと同じような斬新さを持っているのではないか。決して美術のドキュメンタリーではなく、人間の持つ不可思議な面を端的に表した作品として、多くの人に鑑賞されることを願ってやまない。

但し、観客は、主演俳優の顔に生理的不快感を持たない人だけになってしまう点、監督も計算済みであろうが・・・。

by yokohama7474 | 2015-07-24 01:46 | 映画 | Comments(3)