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スパイダーマン : ホームカミング (ジョン・ワッツ監督 / 原題 : Spider-Man : Homecoming)

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昨年の 5月28日に記事を書いた「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」において、マーヴェル社のヒーロー・キャラクターの集団であるアベンジャーズが内輪もめする中、「新人」として登場してキャプテン・アメリカの盾を奪ってしまうスパイダーマンに触れた。これには背景があって、もともとスパイダーマンもコミックにおいてはマーヴェル社のキャラクターであったようだが、映画の権利はソニー・ピクチャーズが持っていた。それが、この両社の協力によって、スパイダーマンがマーヴェルとキャラクターたちと共演することが可能になったわけである。そんなわけで、この作品は飽くまでもスパイダーマンが主役であるが、「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」のストーリーと一部関連があるし、例のキャプテン・アメリカの盾を奪う回想シーンも出てくる。ちなみにそのシーン、アイアンマンを演じるロバート・ダウニー Jr. が、このように両手でおにぎり型🍙を作って、「アンダールース」と聞こえる言葉を叫ぶとスパイダーマンが出て来るのだが、その場面の字幕は「新人!!」となっている。
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この言葉が分からなかったので調べてみたところ、"Underoos" とは子供用の下着メーカーであるようだ。このようなヒーロー物に特化しているのだろうか。ということはつまり、アイアンマンの表すおにぎり型は、パンツの上下逆さま状態を示しているのか? (笑)
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いずれにせよここから分かることは、既にアベンジャーズの中心的存在として活躍している実績のあるアイアンマンから見れば、スパイダーマンなどまだまだガキなのだということである。そしてこの映画のテーマはそこにある。

スパイダーマン単体の映画としてはこれが 6本目になるが、私はこれまでの 5本はすべて劇場で見てきた。最初の 3本はサム・ライミ監督、トビー・マグワイヤ主演。次の 2本は「アメージング・スパイダーマン」のタイトルを持ち、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンという、その後大出世するコンビを主役に据えていた。ひとつひとつの作品には長短あるかもしれないが、クイーンズとマンハッタンを舞台として強大な敵と戦うスパイダーマンの活躍、特にビルの合間での胸のすく跳躍と、その反動としての、正体を隠して戦う宿命や、愛する人たちを守り切れない絶望感に、これぞスパイダーマンというヒーローの特徴が明確であったと思う。さてその意味では、今回は新たなスパイダーマン像が描かれるのではないかという期待感がある。そして見終わった感想は、まさにその期待感の充足。これまでのファンにも受け入れられるように工夫しているとも思われ、なるほど作り手側の苦労が偲ばれるようにも思われる。真っ二つに裂けたフェリーを懸命に支えるスパイダーマン。
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極度のネタバレにならないように留意しながら、本作の特徴を思いつくまま列挙しよう。
・過去 5本における憧れの人、メリー・ジェーン・ワトソン (MJ) やグウェン・ステイシーは、今回出ていない。その代わりにスパイダーマン = ピーター・パーカーが憧れるのは、ちょっと肌の色の黒い美人の同級生である。その他、アジア系やヒスパニックが周囲の友人たちであるという設定に、米国のリアリティがある。
・これまでは、孤独なヒーローとしてその正体をひた隠しにして来たスパイダーマンが、ここでは最初から親友に正体がばれてしまっている。だがそのことにより、たったひとりで宙を飛んで敵に立ち向かうというワンパターンを越えたスケールの大きい仕掛けが可能になっている。
・ここに登場する敵役は、世界制覇をもくろむ悪党ではなく、ただビジネスとその結果としての金銭にしか興味のない男である。だが彼にはアイアンマンを憎む理由があり、その点で、アイマンマンの弟子筋という設定のスパイダーマンとの対決という必然性が存在する。
・その一方で、この敵役、鳥の怪物のような姿をしたヴァルチャーは、その人物像の設定に、最初のシリーズにおけるグリーン・ゴブリンを思わせる要素もある。むむ、ということはこの次の作品では、ヴァルチャーの子供がスパイダーマンに牙を剥くのであろうか?! もしそうなら、それこそ新機軸である!!
・ピーターのおばさんであるメイは、以前のお婆さんという設定ではなく、ここでは「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」と同じく、アクティヴでセクシーな人として描かれている (女優も同じで、マリサ・トメイ)。
・スパイダーマンのピッタリしたスーツは、そんなものかと思って気にもかけていなかったが、ここではアイアンマン = トニー・スタークが設計したことになっていて、どのようにピッタリするのかの説明があり、また、スーツに仕込まれた AI が斬新だ。その一方、蜘蛛の糸を出すことと身軽であることがその身体能力のほとんどであるスパイダーマンは、スーツには過度に依拠していることはなく、いざとなれば生身にダボダボの服装でも戦えることが表されている。
・ニューヨークのような高層ビルが立ち並ぶ中ではなく、森の切れ目で広大な空き地になっている場所では、さすがのスパイダーマンもどこにも糸を飛ばせず、もはやなす術ないとばかりに地上を走る点が笑える。だが、走っている車になんとか飛び乗りさえすれば、不屈の追跡劇の再開は可能なのである。
・そして、最近そのような映画が多いのだが、これは絶対に飛行機の中で見ないこと。肝心のシーンがカットされて、ストーリーを追えなくなりますよ。
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そう、「シビル・ウォー」に続いてここでも主役を演じるのは、英国出身の若手、トム・ホランド。以前も書いたが、私がビジネスでお世話になったことのある英国人弁護士、ホランドさんの甥っ子なのである!! 彼にはこの役柄に適性があると思うし、「シビル・ウォー」のときには精悍さを見せるシーンがほとんどなかったのに対して今回は様々な顔を披露し、なかなかの成果を挙げている。彼は、人間味のあるキャラクターを演じて行ける役者であろうと思うので、この役に安住することなく挑戦して行って欲しいものだ。ホランドおじさんも期待していることだろうし (笑)。それにしてもこのワシントン・モニュメントのシーン、思わぬ展開で大変面白かった!!
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それから忘れてはならないのは、敵役を実に楽しそうに演じている、マイケル・キートンだ。
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マクドナルドをフランチャイズ化した伝説の実業家を生々しく演じた「ファウンダーズ」での見事な演技も記憶に新しいが、かつてのバットマン俳優は、「バードマン」の怪演を経て、ここでは本当に、妄想ではなく自身が化け物のような、鳥型の巨大な金属製スーツを着た悪者を演じているのである。こういう悪役が出てこないと映画は締まらないし、マイケル・キートンはこれからますます期待の俳優になってきた。それから、最後の方のシーンでは、「アイアンマン」絡みの女優が出て来るが、プログラムにもそのことは記載されていないので、あえて名前を出すのは控えよう。だが、そのほんの僅かな登場シーンにも関わらず、エンドタイトルでは確か 4人目に名前が出て来るという、ハリウッドの大女優である。最近あまり仕事をしていないように思うので、そろそろまた活発に働いてほしいと思う。

このようなビッグネームのシリーズ物で、巨額の予算を投じる作品であるから、監督は、恐らくは冥利に尽きる一方で、大変な緊張感を持って制作に臨んだことであろう。そんなプレッシャーの中、上記のような、なかなか気の利いた作品に仕立て上げたのは、1981年生まれのジョン・ワッツ。これが長編 3作目ということだから、今後も期待できる才能であるだろう。
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エンドタイトルの最後に、「スパイダーマンは帰ってくる」というメッセージが出るので、また新たなシリーズとして継続するのであろう。長く愛されてきたヒーローのキャラクターを使って、新機軸や世相を取り入れながら多くの人たちに支持されるような作品に仕上げることはなかなか簡単ではないだろうが、是非今後のシリーズに期待したい。マーヴェルのシリーズではまたほかにも、マイティ・ソーやブラックパンサーをそれぞれ主役にした映画の予告編を見ることができる。あまりキャラクターが多すぎると、複雑になりすぎるきらいがあるものの、現代人の生活における空想の必要性はますます増している。それゆえ、是非是非、今後もいろいろなヒーロー・キャラクターを楽しんでみたいと思っているのである。

by yokohama7474 | 2017-09-13 00:53 | 映画 | Comments(0)

海底 47m (ヨハネス・ロバーツ監督 / 原題 : 47 Meters Down)

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この映画、題名そのままである。海の中、深さ 47m。そこで一体何があったのか。予告編を見る限り、この映画の設定は以下のような単純なもの。
・姉妹とおぼしき女性 2人組が、異国のマリンリゾートで、海の中にケージを沈め、そのケージの中から迫力満点のサメを見るというアトラクションに参加することとする。
・ところがそのケージを船につないでいるワイヤーの強度が充分でなく、あわれワイヤーはぶっつり切れ、ケージの姉妹は海底まで落ちて行く。
・海底は水深 47m。急いで自力で水面まで上がろうとすると、脳の中に気泡ができる潜水病にかかる恐れがある上、どこで巨大サメに狙われるか分からない。かと言って海底に留まっていると、遠からぬうちに酸素ボンベが切れてしまう。

うーん、さぁ、どうする!! これだけシンプルな設定において、一体どんなストーリーが可能というのか。ええっと、(1) 海底で座して死を待つ。(2) 脱出を試みてサメに食われる。(3) 幸いにしてサメには食われないけど、慌てて浮上して潜水病で一巻の終わり。それ以外の選択肢があるというのか。そして、それらの選択肢を映画化して、何か面白いのか (笑)。このようなシンプルな設定ゆえか、この映画は日本ではかなり冷遇されていて、劇場に行ってもこの作品のプログラムは売っていない。なぜなら、本来この映画は劇場公開なしにネット配信だけという予定であったからだ。それがいかにして劇場公開にこぎつけたのか、私の知るところではないのであるが、ひとつフェアでない点は、通常の劇場公開作品に比して宣伝が限られているということだろう。私の場合はたまたま何かの映画を見に行った際に予告編を見て、そのシンプルな設定に興味を惹かれたがゆえに、是非この映画を見てみたいと思ったものである。うぉー、こわ。これはイメージです。
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そもそも私の世代は、物心ついて初めての大ヒット映画は、あのスピルバーグの「ジョーズ」であった。当時小学生の私は、この死んだ魚のような (?) 無表情な目をした巨大な魚が、その強力なキバと顎の力で、人間を含むあらゆるものを食いつくすという野蛮さに魅せられ、学校で詩を書けという課題が出たときに、そのような非情なサメを題材にしたのであった。それゆえ、サメに襲われる人間というこの映画の設定は、どこか私の琴線に触れる部分があったのである。私と同じ世代でなくとも、サメの凶暴性に興味を惹かれる人は多いのではないだろうか。そして私は思うのである。この映画を劇場公開に持って行った人は、なかなかモノが分かった人に違いない。ところが実態は残念ながら、この間の週末、お台場で私がこの作品を見たとき、観客がたったの 5人 (!) であったのである。だが実際のところ、この映画は結構面白く、見た人は誰でもそれなりに楽しめるものだと思うのだ。いや、それだけではない。まず冒頭のシーンが洒落ている。水中からとらえた、浮き袋で水面に浮かんでいる女性。そして何物かがその女性をめがけて水中から突進する。あっと思う間もなく浮き袋から水中に投げ出される女性。そして水はみるみる赤く染まる・・・。あぁっ、いきなり惨劇か!! と思うとそれは、メキシコでバカンスを楽しむ姉妹で、メランコリックな性格の姉を冷やかす活動的な性格の妹のいたずらであったのである。水を赤く染めたのは、姉がグラスで飲んでいたワインであったのだ。私はこの冒頭のシーンのセンスに感心した。そうそう、サメの襲撃を偽装したこのシーンに、姉妹の運命が暗示されているのである。これが主役の姉妹。右が姉、左が妹である。
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彼女らは、旅先で知り合った男たちが薦めるアトラクション、つまりは沖合までボートで行き、海底 5mのところに沈めるケージに入り、そこに鮮血をしたたらせた魚の切り身を投じることでやってくる巨大ザメを観察するというツアーに参加する。慎重な性格の姉は躊躇するが、冒険好きの妹の後押しによって、海に入る決心をする。このあたりの姉妹のスタンスの違いと、メキシコの男たちとの逢瀬の楽しみ方は、シンプルでありながら、なかなかよく描けていたと思いますよ。そしてここから先を書くとどうしてもネタバレになってしまうので、さて一体何を書こうか迷うところではあるのだが、ひとつ言えるのは、このように誰がどう考えても絶望的な状況においても、知恵を絞って、たとえリスクがあっても、取りうる手段を講じることが大事だということだろう。その点は冗談ではなく、この映画から生きる上でのヒントを得ることができると思う。例えば、海底に落ち、無線も通じない状況であれば、サメがやってくるリスクを犯してでも、ケージから出て頑張って浮上して、水面にいるクルーたちに無線で呼びかけることがどうしても必要であろう。それをしなければ、本当に座して死を待つわけで、同じ死ぬなら、サメに食われるリスクを犯してでも、水上からの助けを待つべきである。うーん、もし私がいつかこのような危機的状況に追い込まれたときには、リスクを取って生き残る道を模索することとしよう。いやもちろん、そんな目に遭わないに越したことはないのだが・・・。
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この映画においては、極限状態において人間が取るべきリスクが表現されている。残念ながら現実世界には、巨大な力を持って弾よりも速く空を飛ぶ異星人もいなければ、種々の乗り物を駆使して悪と闘う大富豪もいなければ、念力でモノを遠隔操作できるミュータントもいなければ、通常は車の形をしたロボット生命体もいない。人間が直面する危機は、人間の力によって切り抜けるしかないのである。人間の能力には限界があるゆえに、その限界に挑戦することには大いなる意義があるのである。実際のところこの映画においては、少し希望が出て来たと思ったら、それをあざ笑うようにその希望が潰えてしまう。こういう展開でこう来たか!! という裏切られ感が心地よい。だから、宣伝が不足しているがゆえに公開されている劇場も少ないということは、フェアではないと思うのである。うわー、目が合ったけど、来るな、来るな!!
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極限状態においては、それぞれの人のサバイバル能力が試される。ここで描かれている対照的な性格の姉妹は、さて、この危機にどう対処して、果たして生き残ることができるのであろうか。この映画は海洋映画というよりも、緊急事態における人間の能力を描いているという点で、普遍性を持つものであると思う。だから、これを見たら怖くて海に行けないと恐れる必要はない。もしかしたら明日、普通に地上で生活している人が、このような危機に襲われないという保証はないのだから。危機を前にしても冷静に、勇気を持って行動しようではないか!!

最後に、この映画の結末について言及したい。この結末、見る人によってはなんだこれだけか、と思うかもしれないが、人間の孤独に鋭く迫っている部分もあるのではないか。ネタバレはしないが、クラシックファンにだけ分かる方法で少しヒントを書くと、これは、あの不世出の演出家ジャン=ピエール・ポネルが 1980年代にバイロイトで演出した「トリスタンとイゾルデ」のラストに似ている。分からない人にはチンプンカンプンであろうが、このシーンのあとに来る衝撃のラストである。
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そんなわけで、「ジョーズ」と「トリスタン」の交わるところ、人間の可能性を知ることができる、と大袈裟なことを言わずとも (笑)、この映画、素通りするにはもったいない。もうあまり長く劇場にかかっていないと思うので、興味をお持ちの方は、急いだ方がよいと思います。

by yokohama7474 | 2017-09-08 00:20 | 映画 | Comments(0)

ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦 (ショーン・エリス監督 / 原題 : Anthropoid)

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ナチスについての映画は、昨今でも枚挙にいとまがない。このブログでも、フィクションながら現代と切り結ぶ問題作や、実話に基づきながら課題の残る内容の作品などをご紹介して来たが、ここにまた、実話に基づいてナチスへのレジスタンス活動を描いた力作が登場した。これは 1942年 5月、ナチス支配下のチェコスロヴァキアの首都プラハで実際に起こった、ナチス親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件をテーマにしている。ハイドリヒについて私は詳しく知るものではないが、悪名高きナチの親衛隊 (SS) で、冷酷非道なハインリヒ・ヒムラーに次ぐ No.2 であったそうだから、まさにナチス政権の中枢にいた人物。実際にユダヤ人虐殺計画の首謀者のひとりであったが、ナチの要人として戦時中に暗殺された唯一の人物となった。これがそのハイドリヒ。そう思って見るせいか、冷酷に見える。
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英国政府とチェコ亡命政府の司令を受けた 2人の軍人、ヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュ (2人とも名前の響きから、チェコ人であろう) がパラシュートでチェコ国内に降り立ち、秘密裡にプラハのレジスタンスの人たちと連携して、暗殺計画を練る。暗殺当日、思わぬアクシデントに見舞われて射殺には失敗するが、結果的にハイドリヒは数日後に病院で死亡。結果的にナチに一矢を報いることとなった。だが、このような反逆をナチスが放置しておくわけもなく、血も涙もない取り締まりを容赦なく行い、報奨による密告制度を設定し、ついに暗殺を遂行したレジスタンスたちを追い詰める・・・。このような内容であるから、見ていて楽しい映画ではないことは間違いない。映画のメッセージは、平和な現代であるからこそ、また、平和な日本 (隣国が核実験やミサイル実験を頻繁に行っている状態で平和と言うのも、気がひけるものの・・・) であるからこそ、強く響いてくる。シネコンでは上映しておらず、非常に限られた規模の劇場でしか見ることができないのは、大変に残念だ。尚、原題の「エンスラポイド」とは類人猿のことで、この暗殺作戦のコードネームである。この暗殺対象は人にあらずという意味が込められているのであろうか。これが劇中のハイドリヒ。雰囲気はよく似ている。
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さて、映画の重大なメッセージは理解した。では、純粋に映画として見てみるとどうであろうか。私の評価は、残念ながら映画としての水準には課題が多いというもの。そのひとつの理由は、手持ちカメラを多用し、室内のシーンでもあまり照明を使っていないように見えることだ。短いカット割りでサスペンスを演出するシーンの意図は分かるが、慌ただしことこの上ないし、画像がお世辞にもキレイとは言い難い。あえて言ってしまえば、室内も屋外も同じような黄色がかったトーンの映像で、単調に陥ってしまっていると思う。私の持論は、映画はとにかくまずはキレイな映像を丁寧に撮るべきというもので、もちろん、ゴダールとかウディ・アレンなどになると、決して丁寧には撮っていないかもしれないが、不思議な映像の力が常にある。それは特別な天才的才能によるもので、通常の監督は (いや、天才でないとよい映画を撮れないわけではなかろうから、「通常の監督」で充分である)、やはり絵の作り方には、じっくりと取り組んで欲しいものである。それからこの映画、ストーリーのどこまでが史実であるのか分からないが、こんな緊張の中でレジスタンス同士が恋に落ちてよいのかという疑問を覚えるし、最終的に立てこもる闘士たちは主役の 2人だけでなく、10人前後いるので、ここは 2人に焦点を絞らず、さらにほかの闘士たちのキャラクターも描く方が、奥行きが出たのではないかと思う。あえて言ってしまえば、主役の 2人を中心に据えて迫力ある映画を撮ろうという作り手の情熱が、少し空回りしているように思い、残念であったのである。実は監督のショーン・エリスは、脚本も手掛け、さらには撮影まで担当している (もともとカメラマンのようだ)。そのことが裏目に出てしまったのかもしれない。

これが主役の 2人、ヨゼフ役のキリアン・マーフィ (左) と、ヤン役のジェイミー・ドーナン (右)。前者はアイルランド出身で、「ダークナイト」「インセプション」と、クリストファー・ノーラン映画の常連で、近く公開される「ダンケルク」にも出演している。後者は英国 (北アイルランド) 出身で、もともとはモデルである由。
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この 2人はなかなかに熱演であるとは思うものの、正直、諸手を挙げて大絶賛という感じでもない。というのも、上記のような決して美しくない画面の中での演技に、どこか切実さが乏しいと感じるからだ。セリフの抑揚も小さく、感情がほとばしるシーンは少ないが、それは監督の演出なのであろうか。そしてこの主演をはじめとして、ナチを除く登場人物が喋っているのは英語である。先に「ヒトラーへの 285枚の葉書」の記事の中で、セリフが英語であったことが不満だと書いたが、この映画にはそれはあてはまらない。なぜなら、ここでは、チェコ語という言語がマイナーであるがゆえに、それをそのまま英語に置き換えていると解釈すれば、納得が行くからだ。それゆえ、狡猾で冷酷な敵国人が、ドイツ語という異なる言語を喋る点に緊張感を感じることになる。その点は成功していると思った。だが、そういうことなら、ちゃんと英語を母国語とする、あるいはそれに等しい英語の能力を持つ役者で固めて欲しかった。私が気になったのは、レジスタンスの同士の女性たちの喋る英語。女優のひとりはチェコ人。もうひとりはカナダのモントリオール生まれ、つまりフランス語圏である。ここでの英語がチェコ語の代わりであれば、(ほかの脇役たちはともかく、主要な役の女優たちについては) これはまずかったのではないか。

ところでこの映画のチラシの裏面には以下のような宣伝文句がある。
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ラスト 30分間にどんなシーンが出て来るのかは、例によってネタバレを避けるためにここでは言及しないが、この一連のシーンは見応えがある。上記に書いた私のこの映画への不満のかなりの部分は、この終盤のシーンによってかなり消えてしまった。そのくらいのインパクトがあるのである。恐らくは実話をもとにしたのであろうが、舞台設定が非常に大胆で、え、こんな場所で本当にそんなことが?! と思うこと必至である。国のために命をかけて戦う人々の誇りと絶望が、徐々に胸を締め付けるのである。このシーンを見ていると、劇中で描かれていたレジスタンス同士の微妙な関係や、一体誰を信じればよいのか分からない緊張感といったものが甦ってきて、その意味するところは実に重い。もし自分がこのような境遇に置かれれば、一体どう振舞うだろうかと、自問自答するべき内容である。それゆえ、クライマックスに至るまでの技術的な不満を越えて、ズシリと胸に応える映画になっているのだ。

さてこのハイドリヒ暗殺事件、過去にも映画化されている。そのうちのひとつは、あのフリッツ・ラング監督の「死刑執行人もまた死す」である。私も随分以前、ラング作品の特集上映で劇場で見たが、詳細は全く覚えていない。今調べてみると、暗殺事件そのものを描いたものではなく、後日譚である。ラングと言えば、「メトロポリス」をはじめとして、ドイツで活躍した映画監督。ユダヤ系であったために米国に亡命したのであるが、今回初めて知ったことには、この「死刑執行人もまた死す」の原案は、このラング自身と、それからベルトルト・ブレヒトなのだ。ブレヒトもまたドイツから亡命して来ていたわけだが、およそイメージの異なるこの 2人の芸術家が、こんなところでコラボしていたとは。
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そしてもうひとつの余談は、このハイドリヒ暗殺に対するナチの報復として起こった有名な悲劇について。その舞台は、チェコの片田舎のリディツェという村だ。ハイドリヒ暗殺犯がここに潜んでいると見たナチスは、驚くべきことに、村全体を破壊した。村人 500人ほどのうち、15歳以上の男性約 200人は全員射殺。女性約 180人は強制収容所に入れられ、1/4 がそこで死亡。100人ほどの子供たちは、アーリア人と判別されてドイツに送られた 8人以外は全員強制収容所行きだったという。数々のナチの悪行の 1つの出来事に過ぎないかもしれないが、それにしても、その極悪非道さには言葉もない。音楽や美術が好きな人なら先刻ご承知の通り、チェコ人は非常に愛国心の強い人たちで、この破壊された村は戦後再建されているし、音楽の分野では、チェコ近代を代表する作曲家、ボフスラフ・マルティヌーの「リディツェへの追悼」という悲痛な管弦楽曲が知られている。この曲によって、ナチスの蛮行は永遠に語り継がれる。芸術の力は侮れないのである。

さて、ここで私が気づいたことには、この「死刑執行人もまた死す」も、マルティヌーの「リディツェへの追悼」も、ともに 1943年の作なのである!! つまり、ハイドリヒ暗殺の翌年で、未だ戦争真っ最中のことなのだ。この事実は、深く考えさせられることである。インターネットも国際中継もない時代であっても、勇気ある芸術家たちの創作活動は、ナチの悪行の同時代にあって、それを容認しなかったということである。蛮行を行うのも人間なら、それを非難する力も人間には備わっているのだ。

この写真は、ハイドリヒが実際に乗っていて襲撃された車である。アンディ・ウォーホルの事故のシリーズにでも出てきそうな感じだが、ここに残された弾丸の跡が動かした人類の負の歴史を、私たちは意識して学ぶ必要があると思う。
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by yokohama7474 | 2017-09-06 00:11 | 映画 | Comments(0)

トランスフォーマー 最後の騎士王 (マイケル・ベイ監督 / 原題 : Transformers : The Last Knight)

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ハリウッドの人気シリーズ、普段は車の姿をしたロボット生命体が活躍する「トランスフォーマー」の第 5弾。そういえば、先にシリーズ最新作についての記事を書いた「パイレーツ・オブ・カリビアン」も今回が 5作目。そのシリーズの開始は 2003年、対するこの「トランスフォーマー」シリーズの最初は 2007年。若干こちらの方がシリーズ化のペースが早いのであるが、奇妙な一致があって、あちらの最新作の日本での副題は「最後の海賊」、そしてこちらは「最後の騎士王」。どうしてこうも「最後」ばやりなのか (笑)。だが、あちらの方は原題は全く違うものであったのに対し、こちらの邦題は原題の直訳。さて、一体何が最後であるのか。

手っ取り早く話を進めると、私はこの映画を評して、「まるで夢のようだ」と言いたい。これは、まさに夢のような大傑作という意味では決してなく、なんだか知らないが切羽詰まった事態が次から次へと現れ、その間の脈絡もなければ、落としどころも見えないという、そういう点で、シュールなまでの荒唐無稽さを持っているという意味である。夢の中では、細部にリアリティがありながらも、つじつまの合わない部分のめくるめくパッチワークを体験することになるが、この映画の印象はまさにそのまま。いや実際、これは一体どんな映画だろう。ストーリーが子供向けかと言えばさにあらず。こんなものは刺激が強すぎて、とても子供たちには見せられない。では大人が楽しめるストーリーかと言えば、それも当たっていない。それから、過去の作品を見ていることが前提になっていて、その流れを知らない人には全く分からない内容なのだ。いや、実際には私は過去 4作のうち第 2作以外は見ているはずだが、現代人の常として、その内容をいちいち覚えているほど暇ではない。オプティマス・プライムとバンブルビーの関係もよく知らないし、ましてや、オートロック、じゃないや、オートボットとか、デカメロン、じゃないや、メガトロンとか、レデンプション、じゃないや、デセプションとか、サイババ、じゃないや、サイバトロンと言われても、なんのことやらさっぱりだ。だから勢い、信じられないほど鮮やかな CG に目を見張るところで、この映画のストーリーを追うのをやめてしまうこととなる。その一方で、映画の中では何やら、「あと 3日で人類は滅亡します」などと冷静に語っている学者 (?) はいるし、宇宙船に乗っている創造主なるものも登場するし、ロボット生命体とはおよそ縁がないと思われるアーサー王の聖剣エクスカリバーや、魔法使いマーリンの杖がどうしたという話題も出て来るし、世界がかつてひとつであったときの名称であるパンゲア大陸やストーンヘンジも出て来る。かと思うとキューバのシーンではチェ・ゲバラの大きな肖像画も出て来るし、回想シーンでナチも出て来る。いやもう、その食い合わせの悪さに気持ちが悪くなるほどだ。これがオプティマス・プライム。果たして彼は善玉なのか悪玉なのか。ネタバレはできないが、その立場は、おいおいと言いたくなるほど些細なきっかけで変わるのである。地球の命運がかかっているのに、全く人騒がせな (笑)。
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対するこちらがバンブルビー。未だ若くてやんちゃ者という設定のようだが、少なくとも顔を見る限りは、若いのかどうか判然としない (笑)。
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繰り返しだが、その CG の凄まじいこと。これまでのシリーズでもそうであったが、さらに進化しており、その点には見る価値はあろう。いや、それだけではなく、生身の役者もなかなか豪華である。まずは、前作「ロスト・エイジ」に続いての出演であるマーク・ウォールバーグ。最近ネット記事で見たのだが、昨年の彼の年収は日本円にして 75億円で、ハリウッド No. 1 であったそうだ。演じている役柄には地味なものが多いので、ちょっと意外な感じがする。だが、よい役者であることは間違いない。ここでは筋肉ムキムキの腕を見せているし、何より、実は大変に重要な人物であることが劇中で判明する。だがその割には、大団円ではそれほど活躍しないのが奇異である。すごい武器を手にしているはずなのに、一体何をしているのか、と言いたくなること必至である (笑)。あ、そのすごい武器とは、この写真 (上のバンブルビーの写真と同じポーズですな) の銃程度のものではないのだ。それはそれはすごい武器なのだ。それなのに・・・。
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それから、驚きの出演は、アンソニー・ホプキンス。英国で最高の名誉であるサーの称号を持つ、当年 79歳の稀代の名優が、なんとも楽しそうに謎の貴族を演じている。
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それから、私の好きな (昔のコーエン兄弟作品によって) ジョン・タトゥーロが出ているのも嬉しい。もっとも、調べてみると、このシリーズには 1作目から 3作目まで出演していたらしい。相変わらずいい味出していますな。
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まあこのように、ごった煮もいいところの、ある意味のトンデモ映画であり、まさに夢の世界を漂うような作品なのである。このシリーズを継続して監督して来ているマイケル・ベイは、ほかにも多くの大作を手掛けてきている実績を誇るが、こんなシュールな映画を撮ってしまうと、これから先どうなるのだろうと思わないでもない。ま、余計なお世話ですがね。
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さて、それでは映画の本質からちょっと離れて、いつもの脱線としゃれこもう。劇中で私がそれと判別できたロケ地を 3ヶ所ご紹介したい。まずひとつ、戦時中のナチの司令部が置かれているという設定の豪奢な建物。以前もこのブログでご紹介したことがあるが、これは世界遺産ブレナム宮殿だ。あのウィンストン・チャーチルの生まれた場所としても知られる。面白いのは、このシーンの前のシーンで、アンソニー・ホプキンス演じる貴族の館の中の部屋に、チャーチルの肖像写真が置いてあることだ。戦争中ナチとの戦いに心血を注いだチャーチルが、自分の生まれた家がナチの司令部になっているという設定を知ったら、驚きと怒りのあまり、墓から甦るのではないかとすら思われる。こんなシーンである。
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ふたつめは、これはほんのワンシーンしか出ないのであるが、女性学者ヴィヴィアン (演じるのはローラ・ハドック) の実家という設定のシーン。これはロンドンのホルボーン近くにある、ジョン・ソーン美術館。建築家サー・ジョン・ソーン (1753 - 1837) の邸宅をそのまま美術館としているもので、決して広いとは言えない邸内は、かつての主が収集した古代の美術品でいっぱいなのである。ロンドンにおいては、画家フレデリック・レイトンの邸宅であるレイトン・ハウスと並ぶ、個人の邸宅として面白い場所だと思う。私の尊敬する建築家磯崎新がいろいろな建築を縦横に語り、篠山紀信の美しい写真が掲載された「磯崎新の建築談義」の第 11巻で紹介されているので、強くお薦めしておこう。
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そして最後。ジョン・タトゥーロの連絡を受けたアンソニー・ホプキンスが、ある大事なものを探しに行く場所だ。これは、アイルランドの首都ダブリンにあるトリニティ・カレッジの図書館である。この大学の歴史は古く、あの「ガリバー旅行記」を書いたジョナサン・スウィフトがここで教鞭を取っていたことと、アイルランドの至宝で、8世紀に制作された聖書の写本である「ケルズの書」を所蔵していることで知られる。ダブリンなどなじみのない方も多かろうし、小さな街で娯楽も少ないのだが、このトリニティ・カレッジだけは見に行く価値がある。以下の 3枚は、私がそのトリニティ・カレッジの図書館を訪れたときにスマホで撮影した写真。こんな場所は世界にもそうそうあるものではなく、まさに知の殿堂。圧巻である。
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ええっと、何の記事でしたっけ。あ、そうそう、「トランスフォーマー」でしたね (笑)。上記の通り、CG 満載の夢のような映画であるが、それだけ関与している人の数は膨大であるはず。さぞかしエンドタイトルが長いだろうと思いきや、なんとなんと、最近のハリウッド映画の平均よりも随分短いのだ。その理由は、普通ならスクロールして行くはずの画面が、静止画像で 0.何秒ごとというペースでどんどん切り替わって進んで行ってしまうからだ!! 組合との合意で、関わった人すべての名を出さないといけないルールになっていると理解するが、これはなんともトリッキーな方法だ。これだけ早く画面が進んでしまうと、その内容を見ることはほとんどできない。いわばルールを骨抜きにした格好だが、それでよいのだろうか。これまた余計な心配でありながら、あのスピルバーグを製作総指揮のひとりに頂く作品で、こんなことをやってもよいのかと、ちょっと思ってしまいました。それとも、あれも夢だったのだろうか・・・。

by yokohama7474 | 2017-08-28 23:47 | 映画 | Comments(0)

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ (ジョン・リー・ハンコック監督 / 原題 : The Founder)

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ファウンダーとはもちろん、創設者のこと。このポスターを見るに、どうやらあのハンバーガーショップ、マクドナルドの創設者の話らしい。・・・と思った瞬間にあなたは既に映画の作り手のペースにはまっている。邦題によると、そこには何か「ヒミツ」があるらしい。そもそも日本で「マクドナルド」と平坦なイントネーション、強いて言えば「マ」に若干の、「ナ」に明確なアクセントがある発音で呼ばれるこのハンバーガーショップ、英語でそのまま発音しても英米人には通じない (もちろん、関西で使われる「毎度」と同じ発音による「マクド」という名称では、絶対に通じない。笑)。英語では、「ド」の音に強いアクセントがあり、強いて日本語表記すれば、「マクッ、ドーーウナルズ」となるのである。それはそのはず、店名の英語の綴りは "McDonald's" である。これは、マクドナルドという苗字の人たちが、自分たちの苗字に因んだ店名としてつけたもの。因みにこの Mac または Mc という最初の音は、スコットランド系の名前において、"son of" (= ~の息子) を意味し、発音する際には決してそこにアクセントが来ることはない。この名前、なんとかバーガーという店に比べると、やはり何か印象に残るものがある。また、日本で (これまで営業上の浮沈はあったものの) 放課後の高校生たちも気軽に利用し、青春の舞台ともなるマクドナルドの店舗は、現代の米国ではちょっと雰囲気が違っていて、場所と時間帯によってはちょっと怖いくらいの荒れた感じのところもある。ともあれ、米国のファーストフード (最近時々使われる「ファストフード」という言葉には大変違和感ある。英語でも "fast" の発音は普通は「ファースト」だ) の文字通り代名詞であり、全世界の店舗数は実に 35,000 を超えるらしい。まさに一大ハンバーガー帝国。そのファウンダーとはいかなる人であり、どのようにしてこの大帝国を築いたのであるかを描いたのがこの映画である。

いや、もう一度ここで明らかにしておこう。ここでファウンダーを自称しているのは、もともとミキサーのセールスマンであったレイ・クロックという人 (1902 - 1984) である。おや、ファウンダーの名は、マクドナルドさんではないのだな。そう、マクドナルドはもともと、カリフォルニアの砂漠地帯にあるサンバーナーディーノという街で、マックとディックというマクドナルド兄弟が始めた店を、このレイ・クロックがフランチャイズ化したもの。ということは、映画の題名にまでことさらに創業者であることが主張されているものの、その内実は、他人の作り出したものを広めたというに過ぎない。いや、「過ぎない」というにはあまりに巨大な業績を残した人なのである。その手腕、人間性なところと非人間的なところ、また彼が一大帝国を作り上げて行く様子を、非常に冴えた演出で見せてくれるのが、この映画なのだ。主演は、かつてのバットマン役であり、最近ではなんといっても「バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でのパンツ姿の熱演 (笑) が記憶に新しい、マイケル・キートン。これが彼の演じるところのレイ・クロックと、本物のレイ・クロックの写真。映画の役柄の方が、本物よりも少し賑やかな人間像になっているのかもしれない。
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まず何より、マイケル・キートンの演技を絶賛する必要があるだろう。ここでの実業家レイ・クロックの姿を見て、人はどう思うであろうか。自分の意志を貫く情熱家。目的のためには手段を選ばない冷徹な人間。冴えない中年男のようで、意外にもピアノの腕前が達者で、色恋沙汰にも無縁でない人物。そして、成功してもどこか憎めないところのある男。これらをすべて満たす複雑な人間像は、マイケル・キートンが演じているからこそ、十全に描き出されていると言ってもよいだろう。上記の通り、もしかすると実在のレイ・クロックは、もう少し面白みのない人間であったのかもしれない。あとで知ったことにはこのレイ・クロックは、現代日本を代表する実業家である孫正義や柳井正も尊敬するビジネスマンであるらしい。合理性と勤勉によってあれだけの大成功を収めた人であるから、そのビジネスのやり方には学ぶべきところが多々あるのであろう。最近の実話をもとにした映画ではしばしばそうである通り、この映画においても、末尾の部分で実在の人物の語る様子や、映画で描かれた時代のあとどのような人生を歩んだかが紹介される。そこでレイ本人の語る言葉の印象には、それほど面白みはないように思う。だからこの映画は、実話だから面白いということよりも、まずは役者の演技が素晴らしいから面白いと言ってもよいのではないだろうか。実際、米国の辣腕ビジネスマンのやり方を評して、血も涙もないと非難しても、あまり意味がない。というのは、そんなこと当たり前なのである。逆の言い方をすれば、ビジネスにおいて冷徹であっても、人間としては必ずしも血も涙もないということもないケースがあることだ。そして面白いのは、ビジネスで大きな成功を収めるためには、本人の才覚に加えて、いろいろな幸運に恵まれる必要があり、有能なスタッフも、いつどこでどんな偶然で現れるか分からないということ。この映画ではそのようなビジネスの世界の機微、そして人生の機微が大変うまく表現されている。監督であるジョン・リー・ハンコックの手腕が大いに冴えている。
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この監督は今年 60歳。もともと弁護士であるらしく、その風貌からも知性が読み取れるが、脚本家として頭角を現し、監督作としても「オールド・ルーキー」「アラモ」「しあわせの隠れ場所」等があるが、なんと言っても素晴らしいのは、「ウォルト・ディズニーの約束」である。エマ・トンプソンやトム・ハンクスが出演したこの映画、ミュージカル「メリーポピンズ」映画化の内幕を描いたものであったが、本当に素晴らしい作品であった。恥ずかしながら、普段は滅多にないことなのだが、この作品を劇場で見た私は、ボロボロ泣いてしまったことを白状しよう。今回の「ファウンダー」では泣きはしないものの、そのスピーディかつ要領を得た演出には完全に脱帽である。

マイケル・キートン以外の役者も、それぞれに個性的で素晴らしい。妻役のローラ・ダーンは久しぶりに見るが、うーん、昔のデヴィッド・リンチ映画に出ていた頃からすると、さすがに年齢を重ねたなぁという思いは禁じ得ない。
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印象的なシーンは幾つもあるが、やはり忘れがたいのは、終盤でマクドナルド兄弟の片割れとトイレであったときに彼の語る言葉。マクドナルドには、ほかのレストランにない絶対の強みがあると主張するレイ・クロック。それが一体何であるのか、ここで明らかにするのは避けるが、私などは、なるほどそうかと思ったものである。優れたビジネスマンの持つ、一種のインスピレーションのようなものが、いかに重要か。そしてまた、彼はそのインスピレーションを信じることで、誰も成し遂げたことのないことをやってのけた。それこそ "persistence"、忍耐の賜物なのである。忍耐なくしては、このような成功はあり得ない。
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そうして、この映画を見たあとは、日本式な「マクドナルド」ではなく、「マクッ、ドーーウナルズ」と、English - American な名前を口に出してみよう。もしかすると目の前に何か新たな人生のヒントが現れるかもしれない。そんなことを考えさせてくれる映画でした。

by yokohama7474 | 2017-08-26 02:06 | 映画 | Comments(0)

東京喰種 トーキョーグール (萩原健太郎監督)

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またしてもマンガを原作とする邦画である。昨今流行りのマンガを一切知らない私としては、原作がマンガであるか否かを問わず、映画として面白かったか否かだけしか感想を述べることができない。だからこのブログをご覧になる方で、この映画の原作に一家言ある方の場合、私がここでボソボソ呟くことについて、「コイツ、全然分かってねーなー」と思われるかもしれない。その前提で以下、感想を徒然に記そうと思う。

まず、この映画を先週見てから、試しに Wikipedia で「東京喰種」という項目を見てみると、その説明の、実に詳細に亘っていること。長さも誠に驚嘆するほどのもので、例えばバッハやモーツァルトやベートーヴェンのどんな名曲に関しても、こんなに長い Wiki の記事はないであろう。端的な話、日本国民を無作為に選別して、ベートーヴェンの交響曲第 5番を少しでも聴いたことある人と、「東京喰種」のマンガを少しでも読んだ人の人数を比べると、圧倒的に後者が多いのであろうと思う。まあそんなものであろう。「東京喰種」とは、そんなに大人気のマンガであるようだ。
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そう、この映画においては、もっぱら人間を食糧とする奇怪な怪物どもが喰種 (グール) と呼ばれ、ソイツらが人間に混じって生活しているところ、国家権力はそれを駆除するために血道をあげる。さて、追い込まれた喰種どもは・・・。という話。果たして正義はどちらにあるのか、人肉を喰らうという宿命を持つ喰種には生きる権利がないのか、という観点で進んで行く話の流れは、結構面白いと言ってよいと思う。だが、結構最近、やはりマンガを原作とした映画として、「寄生獣」の前後編があったではないか。人間世界に異形のものが紛れ込んで住んでいるという設定、本来はそこに属さない人間が、あるきっかけで板挟み状態となって苦しむこと、そして人間にはない触手のようなものをブンブン振り回すところもそっくりだ。もちろんここでは、「寄生獣」のような主人公の身近で味方になる存在は登場せず、主人公の肉親への愛も描かれず、それだけ仮借ないストーリーだとも言えるだろう。そう、「寄生獣」にあってここにないのは、ユーモアのセンスではなかろうか。登場人物たちは皆悩み、敵を憎み、ただその憎しみに身を委ねて敵対的になるか、または諦念に囚われてコソコソ生きる。そう言えばここでは、見ていてくすっと笑ってしまうようなユーモラスなシーンは、ほぼ皆無であったと言ってよいだろう。だがその一方で、身も世もない絶望感に囚われるかといえば、さにあらず。ここでは世界の終わりのような雰囲気は醸されておらず、焦点はあくまでも、特殊な生物である喰種たち個々人の悩みに絞られているせいだろう。上に原作マンガのキャラクターのイメージを掲載した主役のカネキは、この映画のイメージではこんな感じ。
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なるほど、この赤い左目とキバむき出しの仮面は、なかなか怖い。だがこの主人公、もともとは大変にナイーヴな青年であり、このような赤い片目を持つようになってからも、恐ろしい運命に全力で抗う。彼個人の思いには常に葛藤があり、時と場合によってはその正義心は熱く燃え上がるのである。演じるのは窪田正孝。私はあまりなじみがないが、最近テレビや映画で活躍しているようだ。この映画においては、正直なところ、すべてのシーンで素晴らしいとも思わないが、徐々に自分の正体と折り合いをつけようとするところや、クライマックスでの体当たりの熱演は見ごたえ充分。
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トーカという、単純なようでいてなかなか複雑なキャラクターを演じた清水富美加は、スキッとしていて、なかなかよい。
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それから、こんな人も。そう、元 Wink の相田翔子。Heart on Wave な感じがよく出ていた (?)。
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だが私が感心したのはなんと言ってもこの人。蒼井優である。登場シーンはほぼ前半に限られているが、これは見る価値ありである。本人もインタビューで「これまであまりやったことのないアクションを経験できて、とても楽しかったです。頑張れたのではないかと思います」と語っているが、いやいやその通り。頑張っていると私も思う。才能あふれる彼女にして、これは新境地であろう。何をどう頑張っているのかお見せできないのが残念だが (笑)。
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ここで喰種たちを追い詰める特殊警察のような組織、CGC (Commission of Counter Ghoul) の描き方は、ちょっとどうだろうか。そもそも喰種のような危険極まりない存在の捜査をこんな少人数で行い、しかも駆除の方法も一騎打ちという点、リアリティのない設定である。そして、彼らが喰種と一騎打ちで戦うときには、なぜか、拳銃等の通常の武器ではなく、喰種の持つ武器を転用したような触手用のものや、その加工品 (?) を使うのである。なになに、それを「クインケ」と呼ぶのですか? で、それは「金属質の素材『クインケ鋼』が用いられており、電気信号を送り込むと、喰種の赫包から赫子が出てくるように戦闘用の形態へと変わる」らしいのだけど、意味が分からん。そもそも「赫子」の読み方が分かりません。なになに、「かぐね」? だから知らないって (笑)。大泉洋が、残虐な CGC の捜査官を楽しそうに演じている。
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改めて思うのは、マンガを読んでいない人間にとっては入り口で疑問に思うことも幾つかあり、それは致し方ないのかもしれないが、単独の映画という観点からは、少し残念なような気もする。ストーリーから感じ取ることのできるメッセージは理解できるが、上記の通り、ユーモア感覚に乏しい一方で、絶望的な終末感もそれほど漂っていないので、見ていて心がわしづかみにされるような感動に巡り合うことはできなかった。演技の質においても、何人かの俳優には課題が残ったように思う。それから、映像自体の鮮明度にも時折不満が残ったことも事実。と書いていながら、ではそれほどつまらない映画かと問われれば、いやいや、それなりに面白いと答えるだろう。監督の萩原健太郎は、ロスの大学で映画を専攻し、これまで TV CM などを手掛けてきた人で、これが長編デビュー作。有名マンガが原作でやりにくかったこともあるのかもしれないと、勝手に考えてしまうが、また美的センスを発揮した作品を期待したい。

私がこの映画を見たのは先週であったが、劇場ではこんなものを配布していた。
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これは一体なんだろうと思って帰宅してから開けてみると、コースターだった。右下に "Sui Ishida" とあるので、原作者石田スイの手になるオリジナルデザインなのであろうか。うーん。こんな赤い目で見られると、喰種が好むというコーヒーも、だんだん人肉の味に思えてくるのではないかと思い、しまい込むことにした。「東京喰種」ファンの皆様、ごめんなさい。
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by yokohama7474 | 2017-08-22 22:23 | 映画 | Comments(0)

ヒトラーへの 285枚の葉書 (ヴァンサン・ペレーズ監督 / 英題 : Alone in Berlin)

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荒唐無稽のストーリーの娯楽大作にも映画の面白さはもちろん大いにあるものだが、その一方で、歴史的な事実に材を採った社会的なメッセージを持つ映画に接することもまた大事であろうと考える。あえて言えば、そのように様々な違ったタイプの作品に接することで、映画という表現分野の持つ力の多様性を実感できるし、見る方の鑑賞の幅も広がろうというものだ。この作品など、そういう問題意識のある人には、かなり興味をそそられるタイプの作品であると思う。題名の示す通り、第二次大戦中のドイツを舞台にした物語。ストーリーは分かりやすい。戦争で我が子を失ったドイツ人夫婦が、それを機会にナチ政権を非難する匿名のカードをベルリンの街中にばら撒き始める。当然ながらゲシュタポ (秘密警察) が犯人を探し求めるが、なかなか見つけることができない。夫婦が街中に配って歩いたカードの数は、実に 285枚。だが、果たしてナチの手から逃げおおせるのか・・・というもので、実話に基づいていることもあり、いかにも重いテーマを扱っている。私個人はしかしながら、この作品が、映画としてそのテーマを充分に咀嚼し、歴史に残るような水準の作品になっているかと問われれば、残念ながら否定的な答えになってしまうだろう。以下、徒然に印象を綴ってみよう。

ここで夫婦を演じているのは、アイルランド人俳優のブレンダン・グリーンソンと、英国出身のオスカー女優、エマ・トンプソン。
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私がこの映画に注目したのは、まず第一にはエマ・トンプソンの出演であったのだが、なぜかここでの彼女は、時にかなりパターン化された演技をしているように思われてならない。もちろん、期待通りの非凡なシーンもあるが (ナチ親衛隊中佐の夫人を責める箇所など)、どうだろう、ちょっと遠い目をしているシーンが多すぎないか。ここでの彼女の役回りが、無謀な試みを始める亭主に対して、彼を咎めながらも同調する忍耐強い女性の姿であることは分かる。そしてその裏に、この夫婦の堅い絆があることをこの映画が示そうとしていることも分かる。だが、それでもやはり私は納得しない。例えば、昔を思い出して二人だけの時間に慰めを見出そうというシーンは、ちょっとこの映画の趣旨に反するのではないか。戦争下、愛する息子を失いながらも必死に生活を送る夫婦に、甘い慰めを考える余裕があったか否か。もしかすると作り手の意図は、悲惨な現実を描きながら、観客に癒しを与えたいということなのかもしれないが、もしそうなら、それはやはり映画の基本トーンに沿わないように思うのだ。一方のブレンダン・グリーンソンは、これまで数々の映画に出演しているものの、主演映画は少ないようだ。いわば彼の地味さが、この父親役に適しているとの判断による起用であろうか。確かに、寡黙で不器用ながら、心の中には強いものを持って決然たる行動に出るという人物像は、よく出ている。だが、やはりここでも、何かが足りないもどかしさを否定することができない。それは恐らく、普通の人に潜む狂気のようなもの、それが出て来ていないからではないか。実はほかにもう 1人、重要な役柄の登場人物がいる。この人だ。
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ドイツ人俳優、ダニエル・ブリュール。ここでの役柄は、主役夫婦を追い詰めるゲシュタポの警部である。タイプとしては、彼の名を一躍高めた「ラッシュ / プライドと友情」における天才レーサー、ニキ・ラウダに近いものがあると言えるだろう。つまり、優秀な能力を持ちながら、他人とのコミュニケーションには問題があり、その行動が冷徹一辺倒に見えながらも、実は人間性もあるという点においてである。だが大きく違う点が一つある。それは、ここでは彼は現場をすべて任されているわけではなく、メンツを重んじる党 (親衛隊) からの強いプレッシャー、しかも人の命にもかかわるようなものの下にいるという点だ。そのつらい立場と、一方で妥協のない強い信念をよく表現しており、私は彼こそがこの映画における最大の功労者であると思う。

と書いていて、ひとつ頭をよぎったことがある。それは言語。この映画はドイツを舞台にしていて、登場人物の役柄も全員ドイツ人である。にもかかわらず、使われている言語は英語なのだ。これは些細なようでいて、やはり大きな問題であるように思う。戦時下のドイツをリアルに描くなら、ドイツ語の響きでなければ、本当の意味の切実さは出ないのではないだろうか。これは私が音楽好きで、オペラにおける原語主義に毒されているということもあるのかもしれないが、でも、「ハイル・ヒトラー!!」と敬礼する人たちが英語で会話しているなんて、大いに違和感があり、やはりおかしいと思う。実はこの映画、英・仏・独の合作映画であり、世界での公開を前提にするなら、商業上英語が最も有利という事情があったのかもしれない。だが。だがである。こんなことを言ってもせんないと思うが、例えばメル・ギブソンがこの映画を撮るとしたら、やはりドイツ語で撮ったと思うのである。言語の選択はひとえに、作り手の信条の問題。この監督には違った信条があったということだろう。これについては後述する。

ここで話題になった本作の監督は、実は自身で脚本も書いているのだが、その名はヴァンサン・ペレーズ。どこかで聞いた記憶があると思ったら、この人でした。
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そう、あのパトリス・シェロー (もちろんオペラファンにもおなじみの名前) 監督の「王妃マルゴ」で、あのイザベル・アジャーニ (最近活動を聞かないですねぇ、でも素晴らしい女優) と共演していたあの俳優なのである。この映画を見たのはちょっと前と思っていたが、調べてみると 1994年。もう 23年も経っているかと思うと空恐ろしいが、スイス出身のこのヴァンサン・ペレーズは現在 53歳。まだまだイケメンの面影は充分ですな。
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この作品で彼が描きたかったのは、特別な英雄ではない普通の夫婦が、恐ろしいナチス体制下で自分たちの声を発したということで、その意義は現代に我々にも響くものだと思ったからだという。また、ドイツ人とスペイン人の血が流れている自分のルーツを探ると、ドイツ人の叔父が戦死していたり、スペイン人の祖父がファシストに銃殺されていたりという事実が分かったことが、本作の制作を後押ししたようだ。実はこの映画には原作があり、ハンス・ファラダというドイツの作家が 1946年、死の 3ヶ月前に発表した「ベルリンに一人死す」(邦訳も出ているようだ) である。本作の原題、"Alone in Berlin" は、その原作の英題と同じなのであろうか。この「ベルリンに一人死す」という小説は、ファラダがゲシュタポの資料に基づいて、つまりは現実に起こったことを題材として、命を削るほど凄まじい勢いで書き上げたものだが、2010年になってようやく英訳が出版され、ベストセラーになったらしい。ペレーズがこの映画を英語で撮ろうと思ったのは、それが理由だとのこと。これが原作者のファラダ。ナチから睨まれ、精神的葛藤から極度のアルコールと薬物依存に走ったらしい。
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確かに、この作品が突きつける重いテーマは、我々ひとりひとりに、独裁制のもとで自らの意見を明確にする勇気が果たしてあるか、という問いであろう。もちろんそこには命の危険があり、そう軽々に「自分でも同じことをやっただろう」と言える人は、まずほとんどいないであろう。その一方で、追いかけるゲシュタポにも様々な人間の確執やメンツ、階級制があり、決して一枚岩ではなかったこともここで描かれていて、興味深い。なにせ、泣く子も黙るゲシュタポの警部がこんな顔になってしまうのだから、世の中複雑なのである。そして結末では、もっと複雑なことが起こってしまうのである。
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映画の内容については厳しいことを書いてしまったが、この映画のテーマの重さ自体には異論の余地はない。なので、事実としての重みは、充分受け止めたいと思う。どの時代を生きるにおいても、歴史に学ぶことほど大切なことはないのだから。

by yokohama7474 | 2017-08-17 00:25 | 映画 | Comments(0)

ザ・マミー 呪われた砂漠の王女 (アレックス・カーツマン監督 / 原題 : The Mummy)

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今年のサマーシーズンの封切映画の中で、最も強く見たいと思ったのがこれだ。実際に見てみて大変に面白かったので、様々な方に広く見て頂きたい・・・とまでは言わないが、新しい時代のモンスター映画として、その種の映画に興味のある人にはお薦めである。このブログでは予告編に言及することが多いが、必ずしも新作映画の渉猟に大変熱心というわけでもない私にとっては、今後見るべき映画を占うに当たって、やはり予告編が最大の情報源である。この映画に関しては、それはもういやというほど多くの回数、予告編を見ることになったのだが、最初に予告編を見た瞬間に、これは本編を見る価値ありと直感した。それは、このようなミイラ (題名の「マミー」とはミイラのこと) の様子が印象的であったからである。
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この気味の悪い白塗りメイクから覗く強い視線に見覚えがあった。これである。
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このブログで大絶賛し、その後も時々思い出しては「面白い映画だったなぁ」とひとりごちている「キングスマン」において、このような義足の殺し屋を鮮烈に演じたソフィア・ブテラ。その後「スタートレック BEYOND」にも出ていたが、そのときは判別も難しいほど濃いメイクであった。その点今回は、やはりメイクは、うん、若干濃いめではあるが (笑)、表情は見える。彼女はアルジェリア系のフランス人で、今年 35歳。もともとはダンサーで、マドンナのバックで踊っていたりしたらしいが、「キングスマン」で本格的に映画デビュー、忘れがたい印象を残した。従い、予告編で彼女が演じるミイラのなんとも言えない迫力に接したとき、この映画には見る価値ありと思ったのである。もちろん、主役のこの人、トム・クルーズが、いつもの笑顔でアクションを演じているのも好ましい。彼が演じるのは、米軍の関係者らしいが、砂漠で「アドヴェンチャー魂」を発揮して、お宝を見つけてくすねようという悪い奴。だがどうやら女性には大いにもてるらしい。それがこの映画のひとつのキーであって、かなり対照的な 2人の女性から「盗人!!」と責められるシーンは重要なのである (?)。
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それから、最近スクリーンであまり見かけることがないのを残念に思っていたこの人、ラッセル・クロウ。
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予告編でも明らかなように、ストーリーは簡単。砂漠の中に眠っていた古代エジプトの王女のミイラが現代に甦り、ロンドンを攻撃する。彼女の標的は、トム・クルーズ演じるニック・モートンだ。ただ、ラッセル・クロウが善玉なのか悪玉なのかは予告編でははっきりしない。そのあたり、本編を見ていない人に詳しく述べるわけにはいかないが、実はこのストーリー、もう少し複雑だ。ロンドンの地下鉄工事中に見つかった十字軍騎士団の地下墓地が最初に紹介され、次いで、米軍関係者 (アナベル・ウォーリス演じる女性考古学者ジェニー・ハルジーを含む) が、エジプトではなく、なぜかイランでミイラを発見する様子が描かれる。そのミイラ、エジプトの王女アマネットを収めた柩はロンドンに運ばれるのであるが、途中で大トラブル発生。ミイラは人間たちの生気を吸い取ってどんどん活発になり、呪いの力で凄まじい災厄を巻き起こす。実はその目指す相手はトム・クルーズなのであった (ところで、予告編でラッセル・クロウが語っているセリフ、「彼女は世界を自分独自のものにするまで止まらないだろう」は、本編では聞くことができず、若干奇異である)。おぉ、こわ。
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ここでのトム・クルーズは、いつもの通りかなり激しいアクションに自ら取り組んでいるが、まぁ、「ミッション・インポッシブル」シリーズに比べればこのくらいはお茶の子さいさいであろう。死んだと思われたものがどっこい生きていた、というシーンでは女性ファン垂涎の筋肉ムキムキの裸体まで披露するサービスぶりで、まあとても今年 55歳になるとは思えない。その意味でこの映画、いつものトム・クルーズ映画スタンダードを満たしているという点だけでも、面白い映画と言えるであろう。
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一方のラッセル・クロウの役柄について、ここで詳しく書けないのが残念であるが、劇中で彼が名乗るだけで、「むむ、もしかしてこの人は」と思うこと必至。その設定が読めても、その後の展開をなかなか読めないのがよい。そしてここでトムとラッセルの豪華共演コンビは、肉弾戦まで披露してくれるのだから、嬉しいではないか。劇中で、敏捷な身のこなしのトム・クルーズに対してラッセル・クロウが「お前は若いから」というようなことを言うが、実年齢はトム・クルーズが 2歳上。もともとタイプの違う 2人であり、ラッセル・クロウの場合はやはり「グラディエーター」が忘れがたいように、闘士型のタイプである。だが、ちょっと重そうですな (笑)。役作りかな。
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この映画の面白い点は、随所にかなりのユーモア感覚があることや、一部ゾンビ物の要素を取り入れることでサスペンス感覚を増していること、それから、凝ったセットで、古代エジプト、中世、現代の時代色を巧みに使い分けていることにもあるだろう。あ、それからこの映画、飛行機の中で見る場合には、重要なシーンがカットされることは間違いない。なので、「映画なんて飛行機で見るもの」と決めている方には、この映画は例外として頂くしかない。監督のアレックス・カーツマンは原案と製作も兼ねているが、過去には様々なヒット作の脚本 (「ミッション・インポッシブル 3」「トランスフォーマー」「スタートレック」「グランド・イリュージョン」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」など) や製作を手掛けている。なかなかの才人であると思う。

それにしてもこの映画、ストーリーを途中まで書くのは簡単だが、結末はなかなか単純ではない。ミイラはこれで完結であろうが、トム・クルーズとラッセル・クロウを中心として、話はこれからも続いて行きそうだ。と言うにはわけがあって、この作品はもともと、ユニバーサル映画が戦前から様々に制作したモンスター映画のリメイク・シリース、名付けて「ダーク・ユニバース」の第 1回作品であるからだ。そう、ドラキュラやフランケンシュタインの怪物や狼男や半魚人を輩出した、あのユニバーサル・モンスター映画が、最新の技術と俳優陣によって再度映画化されるという、モンスター好きにとってこれ以上ないほど期待感を抱かせるプランが実現するのである。そのダーク・ユニバースの宣伝用のこの写真を見よ。
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そう、ここには、本作に出ているラッセル・クロウ、トム・クルーズ、ソフィア・ブテラに加えて、2人の俳優が写っている。あ、右から 2人目は、コスプレをしていないから分かりにくいが、これはジョニー・デップではないか!! そして手前に座っている俳優は誰だ。これは実は、前回の記事でご紹介した「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」でそのジョニー・デップの敵を演じた、あのハビエル・バルデムではないか!!! そう、既に発表されていることには、ジョニー・デップは透明人間を、ハビエル・バルデムはフランケンシュタインの怪物を演じるらしい。なんとも豪華なシリーズになりそうで、今から期待感増大中なのである。ところでトム・クルーズについてはつい昨日、「ミッション・インポッシブル 6」の撮影中、いつもの通りスタントマンを使わないアクションに挑戦していたところ、建物の屋上から屋上に飛び移るシーンで壁に激突したと報道があったが、今日のニュースでは、足首の骨を 2本骨折しているので、しばらくは治療に専念するとある。命に別状はないようで、不幸中の幸いではあるが、これから体力は衰えこそすれ向上することはない年齢。ファンの期待に応えるのは、この「ザ・マミー」で言うところのアドヴェンチャー魂ならぬ役者魂であろうが、どこかでキャリアを変えて行く決断も必要ではないかと思う。ともあれ私がここでそんなことを呟いてもせんないこと。トム・クルーズの次回作「バリー・シール」(10月公開) の予告編は既に始まっていて、これもなかなか面白そうである。一方のソフィア・ブテラの方は、これも予告編を既に見ることができるシャリース・セロン主演の「アトミック・ブロンド」において、またまた美しくも凶暴な役 (?) を演じているようだが、これも楽しみである。

最後にこの映画のオリジナル作品について。上記の通りダーク・ユニバースの第 1作であるこの映画は、実は 1932年の「ミイラ再生 (原題 : The Munny)」のリメイクなのである。ええっと、確かボリス・カーロフだったよな・・・と思いながら我が家の DVD コーナーを確認したところ、以前購入した何本かのユニバーサル・モンスター映画の DVD のうち 1本として、ありましたありました。
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73分の短い映画なので、早速見てみたところ、確かに主演はボリス・カーロフであり、つまりは男のミイラなのである。古代エジプトの神官であった彼は、王女に恋い焦がれており、現代に甦ってもその思い捨てがたく・・・という話。と書いていて思い出したのだが、実は「ハムナプトラ」(主演のブレンダン・フレーザーは最近どうしているのだろう) というシリーズ物の映画があったが、あれも実はこの「ミイラ再生」のリメイクであったのだ。そう思うと今回の「ザ・マミー」の内容は、随分違うものになっているのである。実は「ミイラ再生」は、ツタンカーメンの墓の発掘後に噂された古代の呪いをテーマにしているらしいのだが、ハワード・カーターによるその発掘は 1922年。映画製作よりほんの 10年前の出来事である。そう思うと、両大戦間の、平和だが潜在的な不安を抱えた時代の人々に、古代エジプトのイメージが強く働きかけたのだなと思う。これがミイラを演じるボリス・カーロフ。当然ながら、メイクは相当大変だったようである (上記 DVD の特典映像で、カーロフの娘だか孫だかがそう語っている)。
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かくして、時代は移れど人の心に恐怖は常に訴えかけるもの。ドキドキしながら、ダーク・ユニバースの次回作に期待しよう。
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by yokohama7474 | 2017-08-15 22:59 | 映画 | Comments(0)

パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊 (ヨアヒム・ローニング/エスペン・サンドベリ監督 / 原題 : Pirates of Caribbean : Dead Men Tell No Tales)

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「パイレーツ・オブ・カリビアン」は言うまでもなく、現代ハリウッドを代表する人気シリーズ。もともとディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」からの映画化という珍しいパターンで、アメリカンコミックや過去のキャラクターを活用していることが多いほかのシリーズとは一線を画している。2003年に第 1作が公開され、今回が 5作目となるわけだが、実のところ私はこのシリーズは、最初の作品「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」しか見ていないことに気がついた。なので今回はこの最新作を見に行くことにしたのであるが、正直なところこのシリーズでは、深い意味での人間の生きる意味とか、身を引き裂かれるような強い感動というものはあまり期待できないし、する方が無理というものなので (笑)、まあ半ば義務感であった点は否めない。こんなことを言うと、このシリーズのファンに怒られてしまうかもしれないが、それが偽らざる私のこの映画に対する姿勢であったのだ。

とは言うものの、主演のジョニー・デップは私としても大変にお気に入りの俳優であって、彼の数々のコスプレはいつも楽しいのであるが、ふとここで冷静に考えてみると、彼が普通の恰好で熱演を披露するという映画を見た記憶があるだろうか? ここでも実に楽しそうに当たり役ジャック・スパロウを演じていて、私にとってはその点こそこの映画の第一の価値である。
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彼がこのジャック・スパロウ役について語る言葉がプログラムに掲載されているので、一部引用しよう。

QUOTE
彼は不遜な奴だけど、それは無邪気さから生まれるもの。つまり、ジャックには純粋さがあるんじゃないかと思う。思ったことをそのまま口にしてしまい、その後で言ったことに対処しようとするようなところがあるね。おそらく彼は、頭の中がゴチャゴチャだから、言ってから 5.5秒後に自分が何を言ったか気づいているんだよ。観客は、この男は何でもなんとか乗り切ってしまう奴だぞ、と思っているんだろうけど、誰だって物事をうまく乗り切る様子を見るのは好きなはずさ。
UNQUOTE

面白いことを言うものだ。そもそも「5.5秒」の根拠は一体どこにあるのだろう (笑)。だがこのとぼけ方がいかにもジョニー・デップらしい。名実ともに今日のハリウッドを代表する俳優でありながら、このとぼけっぷり。まさにジャック・スパロウよろしく、観客に支持されるゆえんであろう。ちなみにこの映画の予告編では、かなりのサービス精神で、本編における重要なシーンの映像があれこれ流れているが、そのひとつが若き日のジャック・スパロウだ。こんな感じで、雰囲気あるではないか。演じている俳優の紹介はプログラムに見当たらないが、まさかジョニー・デップ本人の顔の CG 加工ではあるまいな。エンド・タイトルでは "Young Jack Sparrow" という役名があったような気もするが、定かではない。
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だが、予告編にない驚きのシーンももちろんあって、ひとつは、冒頭の銀行の金庫をジャックらが強奪するシーン。いや正確に言うと、雰囲気は予告編にも出ているのだが、これだけ大掛かりにやられるとは予想していなかった。ある意味で、無声映画時代のスラップスティック・コメディのようでもある。それから視覚的に瞠目すべき映像は、クライマックス、ポセイドンの槍 (作中では "Trident" と言っている。これは三又の槍のこと) を巡る攻防シーンに出て来る。詳細の記述は避けるが、海があのようになり、人や船が水にあのように翻弄され、そして海中のはずなのに断崖絶壁での絶体絶命のシーンが現れるとは、まさに意想外。それから全編を通して、敵である「海の死神」サラザールとその手下たちの動きの不気味なこと。呪いをかけられ、死してなおジャックに恨みを抱き続ける彼らは、髪はまるで海の中で漂うように空中を揺らめき、人によっては顔が半分ない。こんな奴らに襲われたら本当に怖いに違いない (笑)。
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もちろん随所に最新の CG を駆使しているわけだが、まあその技術の高度なこと。さすがに人気シリーズだけある。と、このように映像を誉めておいてから言ってしまうのも若干気が引けるが、映画として抜群に面白いかと訊かれれば、正直なところ、そうとも思えない。ストーリーにはそれほど意外性があるわけではなく、気の強いヒロインも最近のお決まりだし、親子の情を描く作品も、ほかに枚挙にいとまがない。また、何かあるひとつのモノ (この場合はポセイドンの槍) だけがすべての鍵を握っているという設定も、ひねりがない。だから私はこの映画を絶対にお薦めと申し上げるつもりはない。やはり、このシリーズが好きな人や、あるいはジョニー・デップのファン以外にとっては、もうひとつインパクトのない作品にとどまっているのではないだろうか。

その一方で、ジョニー・デップ以外にもユニークな役者が出ている点は評価すべきだろう。シリーズの常連である英国の名優ジェフリー・ラッシュも、当然よい味を出しているし、サラザール役のスペイン人、ハビエル・バルデムも怪演である。この人は「ノーカントリー」でアカデミー助演男優賞を受賞しているほか、最近では「007 スカイフォール」でこんな憎い敵を演じていたことが記憶に新しい。もともと悪役だけ演じていたわけではないのでしょうがね (笑)。
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ヒロインを演じるカヤ・スコデラリオは、どこかで見た顔だと思ったら、私がこのブログで絶賛した「メイズランナー」シリーズのヒロイン役であった。キャリアを見ると、その前にも「月に囚われた男」や「タイタンの戦い」などに出ていたようだが、全く覚えていない。未だ 25歳という若さなので、まだまだこれから活躍することであろう。
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それから、ジャックの叔父役で意外なビッグスターが特別出演している。この人である。
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なんと、ポール・マッカートニーである。登場シーンはごくわずかだが、どう見てもこれは喜んでやっている。なんでもジョニー・デップ本人がダメモトでお願いしたら、面白そうだと言って乗ってきたらしい。実際の撮影現場でも、ジョニーが少しリハーサルと違ったことをやると、ポールの方もそれに反応して違うことをやったりと、創造性あふれる現場であったらしい。なお、ポールが劇中で口ずさんでいるのは「マギー・メイ」というリヴァプールの民謡で、ビートルズもアルバム「レット・イット・ビー」の中で歌っているらしい。今度聴いてみよう。また、役者としては、最初の 3作に出演していて、今回 10年ぶりに出演している人たちがいる。
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もちろん、劇中で夫婦を演じるオーランド・ブルームとキーラ・ナイトレイである。だが、彼らの出演シーンは極めて限定的で、上に見る通り、オーランド・ブルームは既に死して海中で呪いをかけられている身であるため、フジツボつきの姿で最初は登場するし (笑)、一方のキーラ・ナイトレイは最後の方にだけ出て来るが、こちらはセリフなしである。ちょっと残念な気がしないでもない。

このように、映像や役者の点で、興味を惹く点がいろいろありながら、作品の充実度という点ではもうひとつという印象なのである。とまとめようとして、監督について一言も触れていないことに気がついた。なじみのない 2人の名前が監督としてクレジットされているが、この 2人はノルウェイ人で、小さな街で育った幼馴染であるらしい。本作が長編 4作目であるが、第 1作はリュック・ベッソン脚本、ペネロペ・クロスとサルマ・ハエック共演のコメディ・ウェスタン「バンディダス」、第 2作は実在したノルウェイ人のレジスタンス活動を描いた「ナチスが最も恐れた男」で、この 2本は日本未公開。第 3作目は、筏で太平洋横断に成功した冒険家ヘイエルダールを描いた「コン・ティキ」であるらしい。なるほど、全く違ったタイプの作品を作ってきた 2人であるが、ここでは海洋ドラマ「コン・ティキ」での実績を買っての起用であったのか??? ともあれ、このような大作の監督に起用されることで、また次へのステップとなるだろう。この作品の場合にはやはり、制作過程でジョニー・デップの強い発言力があったものと思われるが、そのジョニー・デップと監督たちの仲よさそうな写真もある。
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そうそう、本作は邦題が「最後の海賊」とあって、シリーズ最終作かと思わせるが、どうやらそういうことではないようだ。実は原題は "Dead Men Tell No Tales" で、日本語ではちょうど「死人に口なし」となるのだろうか、劇中で敵役であるサラザールが口にする言葉である。まあ、邦題が「パイレーツ・オブ・カリビアン 死人に口なし」ではやっぱりちょっと変なので、直訳でないことも理由があるとは思いつつ、もうちょっとよい題はなかったのかなぁ・・・と思う次第。

by yokohama7474 | 2017-08-15 18:25 | 映画 | Comments(0)

ウィッチ (ロバート・エガース監督 / 原題 : The Witch)

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新宿武蔵野館という映画館をご存じであろうか。新宿東口すぐ近くの一等地のビルに入っている小さな劇場で、私は学生時代からお世話になっているのだが、時間がたっぷりあった学生時代はともかく、社会人になればこのような場所に足繁く通うことは難しくなる。私の場合も、ある時期は長らくこの劇場と全く疎遠になった時期もあったが、久しぶりに足を運んでみると、見違えるほどきれいに生まれ変わっており、そこにかかっている作品も、地味ながら見逃せないものが多い。そんなことで、社会人歴四半世紀を超えたここ数年、またこの劇場から目が離せなくなっているのだ。比較的最近では、メル・ギブソン主演の「ブラッド・ファーザー」をこの劇場で見たのだが、その際に予告編を見て気になったのが、この映画である。何やらアーリー・アメリカン調の雰囲気であり、欧州からの入植間もない米国において、ウィッチ、すなわち魔女が人々を恐怖に叩き込む、そんな映画であるようだ。よくこのブログで言及する通り、私にとって予告編は、本編の内容を占う重要な情報源。もちろん、予告編のイメージ通りの映画もあれば、全く違うものもあって、一概には言えないが、少なくとも映画をストーリー第一ではなく、映像と音響のアマルガムとして楽しむタイプの私としては、予告編で目にする映像と音楽・セリフだけで、期待感の程度が異なる。この映画ではどうであったろうか。

まず目についたのは主演のアニヤ・テイラー=ジョイ。
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この、一見美形のようでいて、よく見ると目と目が離れた、表情豊かで個性的な顔立ちの女優さんは、どこかで見覚えがある。そう、M・ナイト・シャマランの最新作「スプリット」である。このブログでも、その映画における彼女の演技を称賛したが、一度見たら忘れない顔であり、神秘性を重要な要素とするホラー系の映画においては、非常に貴重な存在であろう。1996年マイアミ生まれ。アルゼンチンで育ったので母語はスペイン語だが、幼少期にはロンドンに住んでいたこともあるという。実は、日本では公開の順番が逆になってしまったが、この映画 (2015年) の成功でシャマランの目にとまり、「スプリット」の主役に抜擢されたそうだ。私としては、これから述べるように、予告編で予感した通りにこの「ウィッチ」はなかなかの映画だと思うのであるが、やはり最大の功労者は彼女であろう。まあ行きがかり上、後半の方ではこういうことにもなるのであるが (笑)。
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この映画、とびきり怖いかと訊かれれば、いわゆるホラーとして気の利いたストーリー展開にはなっていないものの、画面からジワジワとにじみ出る人間というものの怖さに気づけば、相当に怖い映画であると感じることになるだろう。それには、感性を駆使すること、つまりは目を開き、耳を澄ますことだ。そう、特に音響において凝った演出が頻繁に見られて、その繰り返しの中で奇妙な感覚が醸成されて行く。例えばいきなり冒頭の場面、主人公一家が神父やほかの信者たちに弾劾され、集団を離れて森の中に棲み処を見つける決意をする場面。画面に映っている人物と、言葉を語っている人物が明らかに異なっており、人物関係が把握できないため、人は不安な気持ちになる。結局、家族が土地を追い出される理由は明確に説明されないのだが、もしかすると、そこでは既に魔女裁判が行われていたのか・・・??? ともあれ、見ている人たちは理不尽な気持ちの中で、家族が森の中に小屋を建てて暮らし始めるのを目撃する。夫婦の間には、長女である主人公のトマシンを含め、子供が 5人。そのうち 2人は男女の双子で、末の子は未だ赤ん坊の男の子だ。1630年の話で、家族は英国ヨークシャー地方から大西洋を越えて米国ニューイングランドにやってきたという設定になっている。もちろん電気もガスも水道もない場所である。敬虔な清教徒である家族であり、新天地を求めてともに苦労した人たちであれば仲はよいはずだが、なぜか家族の間には常に何か微妙なすれ違いがあり、その関係は不気味というか不穏というか、とにかく、愛情と団結心いっぱいのアドヴェンチャーファミリーという雰囲気ではない (笑)。そんな中、次々と事件が発生するのだが、そこで音響的に恐怖を増幅するのは、今度は男女の双子の歌や喋りである。童謡を歌ったり、姉トマシンを非難したりからかっているのであるが、なぜだろう、滔々と歌われたり繰り返し交互に喋られたりする彼らの言葉は、常に何か本能的な恐怖に訴えかけるのである。何気ない日常と隣り合わせの、恐ろしい非日常を想起させる部分がある。
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父親は、家族への愛情を持ち合わせた人物だが、寡黙であり、その愛情が快活に表面に出て来ることはない。家族のリーダーというイメージはほぼゼロである。演じるのはラルフ・アイネソンという英国の俳優。
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それから母親は、その神経質な喋り方や、不愉快さをあらわにした行動や、情け容赦ない絶叫などによって、もしかするとこの映画の登場人物の中で最も怖いかもしれない (笑)。ケイト・デッキーという、やはり英国の女優が演じている。
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前述の通り、あの手この手で見る者を怖がらせるタイプの映画ではない。それどころか、劇中で起きる事件の充分な説明もなされないまま、クライマックスを迎えるという印象だ。だがそれでもここには、人間という存在の真の怖さが描かれていると思う。長男のケイレブが森から帰ってきたあとの凄まじいシーン (そこではまた双子も奇妙な反応を起こして、これまた凄まじいのだが) など、鳥肌なしに見ることはできない。自然への恐怖心や、閉鎖的な村社会への嫌悪や、日常の不便への不満や、家族との距離感や、もしかすると芽生え始めた性的な欲情という要素もあるのかもしれないが、人間心理の奥底に潜む複雑な何かが作用してのことであろうか。普段は充分に豊かな感情と行動力を持つ少年が、まるで悪魔に魅入られたかのような言動を示せば、人々は何かが憑りついたと思ったことであろう。まさに日常が裂けて、その裂け目から邪悪なものが覗く瞬間である。その恐怖の表現をこそ、見逃してはならないのである。また、ウサギやヤギやカラスといった物言わぬ動物たちの不気味なこと。この映画のプログラムには、"Evil takes many forms" とあるが、まさに邪悪なものは、様々な姿かたちをとって我々人間のすぐ近くに存在する。どの動物が魔女の正体だなどと、ヤボなことを考えてはいけない。ここに登場する動物で信用できるのは、人間の忠実なしもべである犬だけであるのだ。そう思って見るとこのウサギも怖いでしょう?
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それから、これも音響の要素のひとつと言ってよいであろうが、喋られている英語が全然分からない。映画の最後に、ここでの言葉は 17世紀のニューイングランドで実際に話されていた言葉の再現を試みたという注釈が出てくるが、いわばその言葉は、私たちの知らない世界を表現するための重要なツールになっている。実際には英国北部訛りということなのであろうが、2人称の "thou"、その所有格 "thy" という言葉が何度も使われているのが聞き取ることができ、その古臭い言葉はもちろん、現在でも聖書で使われているものであるゆえ、宗教的なイメージがつきまとい、その点がまた映画の不気味な雰囲気を冗長するのである。考えてみれば、17世紀とはシェイクスピアの生きた時代。人々の感情表現のツールとしての言葉は、現代と違う点が多々あった (もちろん共通点も多々あったろうが) はずだ。そのことをリアルに感じるから、この映画は怖いのか。このような、人間の感覚に鋭く訴える映画を撮ったロバート・エガースという監督は、実はこれが長編デビュー作で、本作の脚本も手掛けている。この作品、インデペンデンス系映画の祭典であるサンダンス映画祭で監督賞を受賞したのをはじめ、多くの賞に輝いている。その実績によって、あのドイツ表現主義によるホラー映画の元祖「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年、F・W・ムルナウ監督) のリメイク版の監督に抜擢されたという。ホラーファンとしては今後の活躍に目が離せない監督である。
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尚、ここで題材になっている魔女というものがいかなる存在であったかについては、かなり以前、名古屋で見た大変興味深い展覧会の記事を書いたが、実際に過去に起こった魔女事件で有名なニューイングランドの場所がある。それは、マサチューセッツ州のセイラムだ。私はもちろんその場所を訪れたことがあり、それは忘れることができない思い出だ (ニューヨークから車で行けるホラー色の強い場所としては、スリーピー・ホロウと並ぶか、むしろそれ以上の場所だと言ってもよい)。そこでは 1692年に起こった魔女事件が未だに観光収入源になっていて面白い。もちろん、日本美術のファンとしては、岡倉天心とともに明治期における日本の古美術発見に大きな足跡を残したアーネスト・フェノロサがこの街の出身であることも重要だし、それから、私が住んでいる東京都大田区は、実はセイラムと姉妹都市なのである!! (なぜかは知らないが・・・) そんなセイラムの思い出を私がいかに大事にしているかについてのひとつの証拠は、自宅の鍵用に使用しているキーホルダーである。
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これ、今では真ん中の魔女の姿だけになってしまっているが、もともとは周りの円状の部分と下の長方形の部分に、"Salem" "1692" などと記されたプレートが嵌まっていたのである (笑)。こんな状態になってもこのキーホルダーを使い続けている魔女ファンの私としては、人間心理に興味を持たれる文化的な方に、是非この映画をお薦めしたい。新宿武蔵野館での上映は、しばらく前までは「8月中旬まで」となっていたのが、今調べると、「8月下旬まで」となっている。これは朗報です。遠からずホラーの女王として世界に君臨するかもしれない (?) アニヤ・テイラー=ジョイも、このように大入り満員を神に祈っているようだし。
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by yokohama7474 | 2017-08-09 00:33 | 映画 | Comments(0)