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ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」 2017年 7月18日 東急シアターオーブ

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別項で井上道義指揮の大阪フィルの演奏による「ミサ」の上演をご紹介し、その中で、指揮者・作曲家として知らぬ者とてないレナード・バーンスタインの生誕 100年が来年であることに触れた。さすがにバーンスタインクラスになると、様々な記念行事が世界中で開かれるようであるが、この公演もその一環。上のチラシにある通り、「生誕 100年記念ワールドツアー」の日本公演なのである。小編成のオーケストラのメンバーの過半に日本人の名前が並ぶことを除けば、キャスト・スタッフには日本人はゼロ。メンバーの選抜について説明した文章を見つけることができないが、マネージメントはサンダンス・プロダクションズというブロードウェイ・ミュージカルを手掛ける事務所であるので、恐らくはブロードウェイでオーディションを行ったものであろう。つまり、ブロードウェイの引っ越し公演ということになる。このミュージカルのブロードウェイ初演は 1957年で、今年はそれからちょうど 60年ということにもなる。

会場は、東京でも珍しいミュージカル専門劇場、東急シアターオーブ。一応 (?) 東急沿線在住者である私は、この劇場のオープン時からいろいろと宣伝を目にして来ていて、一度行ってみたいなぁと思っていたところへ、この演目である。家人を誘って出かけることとした。聞けば、この劇場のこけら落としはやはりこの「ウエスト・サイド・ストーリー」であったらしく、早くもオープン 5周年になるとのこと。東急は現在、渋谷地区の大規模な再開発を行っていて、シネコン 109 シネマズで映画を見ると、必ず予告編の前に二子玉川あたりの、東急沿線でもオシャレな界隈に住むという設定の若い夫婦と幼い娘さんの幸せそうな様子 (「この緑の植物いいねぇー」「あぁ、いいねぇー」などとやっている) の宣伝が上映されるが、あれも東急なのである。どうでもよいが、その宣伝の中で、夕食が何がよいかを訊かれた女の子の返事が「マルゲリータ」(ピザ) ではなく「マルガリータ」(カクテル) だったら、ちょっとは毒が出て面白くなるのになぁと、ろくでもないことをいつも考える私である (笑)。ま、ともあれ、渋谷駅から直結のビル、渋谷ヒカリエの中に東急シアターオーブは位置している。
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私は、新しいものを追いかける習性は特にないのだが、一度このビルには行ってみたいと思っていたので、今回はその意味でも興味津々。まぁ既にできてから 5年も経っているので、もはやことさら新しい場所と強調する意味もあるまい (笑)。11階にある劇場入り口からさらに昇って行くと、ハチ公前交差点の混雑や山手線のホームを含めて、渋谷一帯を見下ろせる、なかなかのロケーションだ。まだビルが建設途中であった頃に NHK の「ブラタモリ」でこの場所を紹介していたことを思い出した。新宿の高層ビル街もこのようにズラリと並んで見え、壮観。夜景はまた格別だ。
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今回の上演は 7/12 (水) から 7/30 (日) までの間に 23公演。かなりの強行軍だ。私が出向いたのは 7/18 (火) で、平日とはいえ、会場は老若男女で賑わっている。なかなかに大人の雰囲気の劇場で、こういうところに人々が集ってくるとは、東京にも大人の文化が根付いているのだなと、東急の文化への貢献に敬意を表したい気持ちになった。ただ、あえて難点を指摘すると、敷地面積の制約によるものか、ホワイエが狭いこと。また、1階から 2階、3階までの行き来も楽ではないし、何より、バーカウンターが 2階席のホワイエにしかない点は、絶対に改善した方がよい。これでは休憩時間にゆっくりと飲み物を楽しむこともできない。

さて、あまり東急のこととか劇場のことで無駄口ばかり叩いていないで、本題に入ろう。私の「ウエスト・サイド・ストーリー」体験は、最初はもちろんロバート・ワイズと、もともとの舞台の振付をしたジェローム・ロビンズの監督による映画 (1961年) であった。もちろん劇場公開時には未だ生まれていないので、自宅でのヴィデオ鑑賞という形態での体験であった。それから、録音ではもちろん作曲者バーンスタインがホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワを主役コンビに据えたものと、その滅法面白いメイキング物 (英語の発音が悪くてバーンスタインに怒られ、頭を抱えて悩むカレーラスがかわいそうだが)。舞台では、2003年にオーチャードホールで見たミラノ・スカラ座版だけだ。この時には主役級はすべてオペラ歌手であったようだが、今回の上演と共通するのは、振付のジョーイ・マクリーニーと指揮のドナルド・チャンである。つまり、今回の上演はミラノ・スカラ座版と共通点があるということだろう。まあこの曲の場合、こんなイメージが定着していますからね。新機軸を狙うのはリスクが高すぎるという事情もあるに違いない。
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さすがブロードウェイ水準の上演だけあって、歌も踊りも、なかなかに楽しめるものであり、全体を鑑賞した印象は大変満足である。だが、実のところ、主役の 2人にはもう少し伸び伸びした歌唱があってもよいかもと思ったのも事実。例えば「トゥナイト」に聴かれる熱情の表現には、もっと曲の途中で盛り上がる要素が欲しいし、「アイ・フィール・プリティ」のフレーズの最後の歌詞 "By a Pretty Wonderful Boy" の部分は、もっときれいな高音で聴きたい。これはなにもオペラ的に歌って欲しいというわけではなく、ミュージカル流儀においても、さらにクリアな表現が可能なはずということを言っているつもり。これはもしかすると、マイクの問題もあったのだろうか。ちょっと歌が近すぎて、響きすぎるために音像がぼやけていたようにも思う。その一方で、圧巻だったのはプエルトリコ移民の女性たちによる「アメリカ」ではなかったか。これは楽しい。もちろん、このミュージカルの特色である、夢の世界ではない 1950年代の現実を感じる場面のひとつがこの「アメリカ」であるのだが、現実がつらいがゆえにそれをしゃれのめすという感覚に、人間の逞しさがある。そんなことを思わせるシーンだった。
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それにしてもこの曲、ミュージカルにしては音楽が難しすぎないか。その後ブロードウェイに現れたほかのメジャーなミュージカル、「ライオン・キング」でも「ミス・サイゴン」でも「オペラ座の怪人」でも「レ・ミゼラブル」でも、あるいは「シカゴ」でも「42nd ストリート」でもよい。いずれも、もっともっと平易な音楽ではないか。稀代の教養人でもあったバーンスタインとしては、自分が世に問うミュージカルとはこのようなものであるというこだわりがあったのであろう。それが今日、遠く離れた日本でもこれだけの聴衆を獲得していることは、考えてみれば素晴らしいこと。作曲者自身が編曲したこのミュージカルの抜粋で、オーケストラコンサート用に作られたシンフォニック・ダンスという組曲があるのだが、実はそこには、このミュージカルで最も有名なナンバー 2曲、つまり「マリア」と「トゥナイト」が入っていない。今回改めて全曲を聴いてみると、バーンスタインがその組曲で伝えたかったのは、夢見る主役たちの甘い思い (最後には悲劇に終わるにせよ) ではなく、貧困の中で逞しく生きる若者たちの姿であったということかと思い至った。ジムでのダンスシーンでのトランペットや、マンボでの掛け声こそ、作曲者が高々と響かせたかった音楽なのであろう。

東京では、来年のバーンスタイン生誕 100年を記念して、この「ウエスト・サイド・ストーリー」の全曲演奏が 2種類行われる。ひとつはなんと、あのパーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団による演奏会形式での上演。もうひとつはバーンスタイン晩年の愛弟子である佐渡裕指揮による、映画全編に生で伴奏音楽をつけるという企画。いずれも絶対に聴きに行くぞ!! と決意を固める私であった。考えてみれば、クラシックの音楽家が全曲を採り上げるミュージカルは、歴史上これと、やはりバーンスタインの手になる「キャンディード」くらいだろう。私は「キャンディード」も心から愛しており、ミュージカルに刺激されて、ヴォルテールによる原作まで読むに至ったので、来年上演がないことはいささか寂しいが、またいずれ舞台にかかることはあるだろう。ところで、クラシックの音楽家が「ウエスト・サイド・ストーリー」を演奏することが一般的になる過程では、上述の作曲者自身による録音の存在が欠かせない。こんなジャケットであった。懐かしいなぁ。
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そんな思いで、2003年の来日公演で見たこの作品のミラノ・スカラ座版のプログラムを引っ張り出してパラパラ見ていたら、大変な発見があった。上述の通り、このときの主要キャストは皆オペラ歌手で、それぞれに世界的なキャリアが紹介されているが、なんと主役のトニーの 3人のキャストのうちのひとりは、今や世界最高のテノールのひとり、ヴィットリオ・グリゴーロではないか!! 私も昨年 7月16日の記事で、ロンドンで見たマスネの「ウェルテル」の上演について書いたことがある。そう思って手元にある「ウエスト・サイド・ストーリー」全曲 CD の幾つかをひっくり返してみると、おっと、あったあった。トニーを歌っている。2007年の録音だ。
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このように、ミュージカルとオペラの中間、あるいはアマルガムとして特異な価値を持つこの作品、これからも多くの優れた演奏に恵まれて行くことだろう。一方で会場の東急シアターオーブも、これから改善できることは改善してもらい、ミュージカル専門劇場としての重要度を一層増して行ってもらいたい。そう言えば私が見た日の公演は、ちょうどオープンから 5年目のその日ということであったらしく、終演後にステージに並んだ歌手と指揮者が、客席にも参加を求めながら、「ハッピー・バースデイ」を歌うこととなり、大いに盛り上がったのである。今後 10年、20年、いや 50年と、7月18日にはこの歌がこの劇場で流れますように。

by yokohama7474 | 2017-07-19 23:26 | 演劇 | Comments(0)

勅使川原三郎 佐東利穂子 トリスタンとイゾルデ 2017年 4月30日 シアターχ

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このブログにしては珍しく、2回続けて演劇の記事となった。だがしかし、前回のリヒャルト・シュトラウスと同様、今回も音楽に関係する内容の舞台なのである。このブログで何度か採り上げてきた私の敬愛するダンサー、勅使川原三郎の公演。題材として採り上げられるのは、あのワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」だ。

今回の会場は、勅使川原が本拠地とする荻窪のカラス・アパラタスではなく、両国にあるシアターχ (これは「エックス」でなくギリシャ文字で、「カイ」と発音する) である。ここは有名な寺である回向院に隣接し、かつて初代の国技館のあった場所に立っているビルの 1階にある。最大客席数 300だが、席の配置によって 100席程度にもなるらしい。勅使川原のダンスのように、大劇場ではなく小劇場で接する方がよりよく楽しめるパフォーマンスには最適のサイズであろう。私は随分以前にこの劇場には何度か来ていて、それは、学生時代の素人演劇の仲間が、ここで何度か芝居を打ったことがあるからだ。そのような素人劇団が使うのと同じ劇場を、日本が世界に誇る前衛ダンサーが使うとは、なんとも面白いこと。最近演劇の世界が遠くなってしまっている私にとって、若き日の自分と暗闇の中で出会うのではないかと思われる (?) このような場所に久しぶりに出かけることができて大変嬉しかったし、東京の文化の諸相を考えるには貴重な機会となった。

さて、実は今回の「トリスタンとイゾルデ」は、昨年 5月にカラス・アパラタスで初演されたものの再演。今回は 5回のパフォーマンスが行われたが、私が見たのはその最終回。演じる方も、かなりこなれた段階に至っていたことであろう。狭い劇場ではあるものの、老若男女によってほぼ満席の入りであった。勅使川原は今回も佐東利穂子とデュオでのダンスとなったが、今回の題材である「トリスタンとイゾルデ」はまさに男と女の物語。当然のように勅使川原が演じるのがトリスタン、佐東が演じるのがイゾルデという解釈が自然だと思うが、実際のところ、そのようなことはあまり重要ではなく、響いてくる音楽と、二人の人間が作り出す動きとのコンビネーションをトータルに受け止めるべきではないだろうか。尚ここでの勅使川原の役割は、「構成・振付・照明・美術・衣装・選曲」となっている。要するにすべて彼がひとりで手掛けているのである。
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ここで、上演に向けた勅使川原の言葉を引用する。

QUOTE
リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ上演は、本来 4時間におよぶ壮大な音楽劇ですが、私たちはダンスとして 1時間にまとめました。巨大な演奏も驚異的な歌唱も常に密やかで繊細です。闇に消え入るようなはかない人間の内側に深く沈んでいる感情が横たわる夜の幕を一枚一枚はがすように描きます。冷たすぎる夜、熱すぎる感情、音楽の背後の深い沈黙、引き裂かれる闇、原作にある不可能な愛、死、人間への郷愁という秘密の刻印を、私は全身に焼き付けられた感覚を否定できません。(中略) 目の前にある「時刻」に我の全てを投げ出す覚悟、それは私たちの「ダンスの時」であり「トリスタンとイゾルデ」が、与えてくれる貴重な「生」であります。「死」が透けて見えるような、真水のような「時」といってよいかもしれません。
UNQUOTE

なるほど、ここで勅使川原はオペラのストーリーを追うことに主眼を置くのではなく、飽くまでもそこに表れた、死への憧れといった人間の不可解な感情と、そこに秘められた闇の世界の強い力をこそ、ダンスという抽象的手法で表現しようとしたのであろう。だから、もしこのオペラの全曲を聴いたことのない人であっても、そのモノトーンの舞台で進行する一連の動きを見ることで、何やら胸がざわついたのではないだろうか。その意味ではこの上演は、「トリスタン」を知らない人をこそ、その夢幻的な魅力へ誘うものと言ってもよいかもしれない。とは言え、原作の流れは尊重されているように見える箇所もあり、特に、2幕の最後で傷つき倒れるトリスタンはそのまま表現されていたし、第 3幕で勅使川原は、着ていたジャケットを畳んで舞台に置いて退場し、入れ替わりに入ってきた佐東はそのジャケットにしがみついて最後は横たわって静かになるという作りになっていて、これも原作のひとつの解釈だと思う。だがこれをもって頽廃的ということはやめよう。まさにそこには、透けて見える死の誘惑の末に見えてくる、生の貴重さが表現されていたように思われる。

音楽は、勅使川原の言う通り、全曲から 1時間程度を抽出したもので、まずは 1幕から前奏曲全曲が流れ、その最後の 2つのピツィカートに重なって、二人が媚薬を飲んだあとの場面に続く。2幕からは、二重唱の最後の方からマルケ王が入ってくるまで、そして幕切れでトリスタンが倒れるシーン。3幕からは、あの荒涼とした前奏曲と牧童の笛、トリスタンの独唱部分が少しと、最後にイソルデによる愛の死。なんだ、こう書いてみると、オペラのストーリーを順番に追ったダイジェスト版にはなっているわけである (笑)。特筆すべきは使用されていた音源で、現代音楽に続く鋭敏な感性とか、線の細い神経質な展開というものではなく、むしろ汚いくらいの音を含んで力強く流れる太い奔流であったのだ。この音源の強い説得力が、ダンサーたちの踊りを大いに助けていたものと思う。前奏曲が鳴り出したときから、それほどひどい音質ではないものの、モノーラル録音であることは明らかで、時折出てくる歌手の歌唱も時代めいていることから、フルトヴェングラーがロンドンで録音した全曲盤を音源として使用しているのではないか、と勝手に解釈した。但し、マルケ王の入ってくる場面ではドタドタという音も聴こえたように思ったので、ライヴ盤かもしれない。もしそうなら、確かフルトヴェングラーの全曲ライヴは残っていないはずなので、クナッパーツブッシュだろうか。まさか 1952年 (まさにフルトヴェングラーがロンドンでスタジオ録音した年) のカラヤンによるバイロイト・ライヴということはなさそうに思うのだが・・・。ともあれ、素晴らしい演奏でした。
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改めて思うことには、ダンスが表現できるものには様々なものがあれど、このような音楽史上に残る名曲とがっぷり四つに組むことで、見る者がその曲の本質をよりよく知ることや、さらには、これまで気づかなかった曲の特徴にも気づくことがあるということだ。だがそのことは、ダンスが音楽を聴くためのヒントになるということではなく、飽くまでダンスとしての表現に、豊かな文化的文脈があるということなのであろう。その意味では、さらに抽象的な世界で先入観なく楽しめるオリジナル・ダンス作品も見てみたい。・・・そして、私は知っている。勅使川原と佐東は、この「トリスタン」公演のあと、休む間もなく次の公演に入ることを。それは「硝子の月」という新作で、GW 後半、5/5 (金) からの上演である。これがその公演のポスター。もしこのブログをご覧の方で、未だ勅使川原のダンスを見たことのない人がおられれば、これをご覧になることをお薦めします。
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さて、生と死を巡る物語によるダンス公演終了後、隣の回向院を散策した。江戸時代から、様々な生と死を見てきた寺院である。あの芥川龍之介もこのあたりで生まれ、この寺の境内で遊んでいたはずだ。
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ここには鼠小僧次郎吉の墓があるのが有名だが、実はこんなものも。
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先般の四天王寺についての記事で、天王寺界隈にある初代竹本義太夫 (1651 - 1714) の生誕地の石碑をご紹介したが、その後数日を経て、今度はその墓に遭遇するとは、奇遇である。これは何か芸事でも習えという神の啓示か? そういうことなら、今度ウクレレの練習でも始めようかしらんと思ったのだが、あとで調べてみると、上方の人、竹本義太夫の本物の墓はやはり大阪の天王寺界隈にあるそうで、これは大正時代に入って東京のファンが建てた記念碑のようなものであるらしい。それから、西日を受けて神々しく輝く、このような犬猫の供養塔もある。「トリスタン」鑑賞によって昂った思いの中、これを見て「死が透けてみえるような真水の時」に思いを馳せると、生きとし生けるものたちへの限りない哀惜の念を感じるのである。
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ふと見るとその近くに、そのような私の溢れる思いを知る由もなく、呑気に寝ている猫一匹。うーむ。とても「死が透けて見えるような真水の時」などということを考えているようには見えないが (笑)、実際コイツも、与えられた真水の時を享受しているわけであり、その平和な風景に、私の心は和んだのである。
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by yokohama7474 | 2017-05-03 01:22 | 演劇 | Comments(0)

1940 リヒャルト・シュトラウスの家 (演出 : 宮城聰) 2017年 4月29日 静岡音楽館AOIホール

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これはコンサートホールで行われた催しであり、一流のプロの音楽家の演奏を含むことから、内容的にはコンサートに分類してもよいくらいなのだが、熟考の末、やはり演劇として紹介することとした。そもそも私がこの催しを知ったのは、ある東京の演奏会で配られたチラシであった。1940年のリヒャルト・シュトラウスというと、ちょうど皇紀2600年の頃。今日一般に演奏されることはまずないが、当時ドイツ最高の作曲家であった R・シュトラウスがこのときに奉祝音楽を書いたことは、音楽ファンにはよく知られている。私は、戦時中のドイツの音楽家と政治の関係には大いに興味を抱いていて、生涯をかけて勉強して行きたい分野のひとつなので、この芝居が扱っているのがそのテーマであると知ったとき、大いに好奇心が刺激された。だが、これは静岡市でのイヴェントだ。ちょっと遠いのは事実。だが、カレンダーを確かめてみて、この GW 初日には東京でコンサートが入っていないことが分かったので、あまりこの分野に知識がないと思われる (笑) 家人を誘って、出かけることとした。もちろん前後に静岡観光も行い、それはまた別途記事でご紹介する通り、なんとも素晴らしい小旅行になったのだが、まずはこのコンサート風演劇について書いてみたい。

私がこの公演に出かける決心をしたのは、ただその主題だけによるものではない。それは、演出家がこの人であったからだ。SPAC (Shizuoka Performing Arts Center = 静岡県舞台芸術センター) の芸術総監督である演出家、宮城聰。
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1959年生まれの宮城さんは、私より 6歳年上だが、私は随分以前から一方的に存じ上げている (ゆえに、「さん」づけなのである) だけでなく、一度だけだが、二人で話し込んだこともある。それは今を去ること 31年前、1986年のオイゲン・ヨッフム指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (未だ「王立」を冠していなかった頃) の演奏会のあと。衝撃のブルックナー 7番の超名演の興奮を醒まそうとして入った喫茶店でのことであった。当時から彼はアマチュア劇団の主催者として異彩を放っていて、舞台での彼を何度も見ていた私は、今となっては恥ずかしい限りだが、当時は素人演劇などに少し関与していたものだから、やはり同じコンサート帰りにひとりで静かにお茶を飲んでいる宮城さんを見つけ、話しかけてしまったのであった。私の厚かましい行いに嫌な顔ひとつせず、芸術的な話題につきあって頂いた。高校・大学の先輩である野田秀樹がいなければ自分は芝居をやっていなかったであろうと話していたのが印象的であったし、ムラヴィンスキーのファンで、当時入手が難しかった (が、私はアナログレコードを持っていた) 彼のベートーヴェン 7番の録音が超名演だという話で盛り上がったことをよく覚えている。その後も何度かは彼の芝居を見に行ったものだが、最近はすっかりご無沙汰だ。2012年にシャルパンティエ作曲になるモリエールの「病は気から」の演出を見に行って以来のこととなる。

さて、会場の静岡音楽館 AOI (もちろん徳川家の葵のご紋からの命名であろう) は、静岡駅前にあって、交通至便である。このような近代的なビルの 8階にあり、618席の中型ホールである。東京で言うと紀尾井ホールに少し近い、いわゆるシューボックス型の長方形のホールだが、ユニークなのは、1階席の奥行が狭く、2階が始まるあたりの位置で 1階は終わってしまうような構造なのである。音響は素晴らしい。
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今回の演劇では、日本政府が皇紀2600年奉祝曲を欧米の作曲家に依頼することを決定するところから始まる。ドイツ以外にも、米国、英国、フランス、イタリア、ハンガリーの作曲家に委嘱をすることで、日本の威信を世界に見せつけようという試みで、その中でも音楽の国ドイツでは、最高の作曲家であるシュトラウスに作曲してもらうことが重要。ドイツでの経験を買われてその使命を負った若いビジネスマン (この芝居の登場人物中、唯一の架空の人物) が、アルプスに近いガルミッシュのシュトラウス邸に赴き、直接交渉をする。その後無事に作曲がなされて、初演されたあとの情景までが描かれているが、その間に、シュトラウスのトラウマ (父や、悪妻と言われたパウリーネ、そして息子) が現れたり、日本政府の思惑が暴かれたりする。そして時折、ソプラノの佐々木典子、バスの妻屋秀和という日本を代表するオペラ歌手たちが歌ったり、ピアノの中川俊郎、クラリネットの花岡詠二という達者な演奏家の演奏もなされる。演奏されるのは、1940年の雰囲気を表す、李香蘭が映画の中で歌った「蘇州夜曲」、シュトラウスの「無口な女」から「音楽とはなんと美しいものか」、シェーンベルクの 6つのピアノ小品作品 19、ワーグナーの「タンホイザー」から「夕星の歌」、ヴェルディの「椿姫」から「さようなら、過ぎ去った日々よ」、そして米国のポピュラー・ソング「私の青空」、最後にシュトラウス晩年の傑作「4つの最後の歌」と、実に盛り沢山。いずれも優れた演奏であったが、既にヴェテランでありながら深い声を響かせた佐々木典子と、最近大活躍の妻屋秀和のよく通る声には脱帽である。実はこの公演には音楽監督がいて、それは私が敬愛する作曲家でありピアニストである野平一郎。彼は SPAC の芸術監督なのである。
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まず私はここで、この公演の音楽の部を高く評価した。では一方の、演劇の部はいかがであろうか。ここでは 6人の役者たち (いずれも劇団 SPAC 所属) が様々な役柄を演じたが、ひとつの難点は、コンサート用のホールであるゆえに、残響が邪魔をして俳優の喋る声を聞き取りにくくしていたこと。そして、舞台上にはシュトラウスらが座るデスクをイメージした簡易なセットがあるだけで、ほかには酒の瓶等の小道具が出てくるくらいと、非常に簡素。照明も通常の演劇に比べれば効果が限られていて、きっと俳優たちとしてもちょっと演じにくかったのではないだろうか。脚本は、自ら演出も手掛ける SPAC 文芸部スタッフである大岡淳。正直なところこの脚本は、史実に基づい実在の登場人物たちに喋らせる箇所と、空想の力でドラマを作る箇所との切り替えの苦労が窺えるような気がした。正直な感想を言ってしまえば、なぜ今、1940年の日本政府の思惑とか、戦争に翻弄されたシュトラウスの創作活動というものを題材とした演劇を見る必要があるのか、まさにその点において疑問を拭うことはできなかった。つまり、この時代の音楽の在り方について興味のある人にとっては、(最後に少しサスペンス調もあるとはいえ) この演劇のテーマは既知のものだし、もしその点に興味のない人なら、これを見たから目から鱗で新たな世界が広がる、とはならないという難点がある (家人もそう言っていた 笑)。客席は満席であったが、実際のところ、一体どのくらいの人たちがこの演劇に満足したものだろうか。

とは言いながらも、地方都市においてこのような意欲的な催しがなされていることの意義は大変大きいと思う。また追って記事を書くが、今回初めて静岡の街を見る機会を得て、さすが東照権現のお膝元、なかなかに文化的なインテリジェンスある雰囲気の街だなと実感したこともあり、その観点に立ってみれば、今回の公演はそのような都市にふさわしく、関係者の皆さんの苦労には拍手を送りたい。あ、それから、宮城さんの演出だが、このような簡素な演劇であるからあまり演出の余地もないように思うが、それでも、俳優のセリフの抑揚に、昔見た彼の芝居を思い出させる何か懐かしいものを感じる瞬間もあったし、音楽の使い方も、例えばシェーンベルクを選曲するなど、さすがのセンスだなと思ったものである。

さて、シュトラウスの戦争との関わりへの私自身の思いを書きだすときりがないのでやめておくが、一言で言えば、この作曲家は政治には徹頭徹尾興味のない人であった。なにせ、戦争末期に、オペラにおいてセリフが先か音楽が先かという優雅なテーマのオペラ「カプリッチョ」を書いていた人である。だが一方で彼はしたたかな人物でもあり、この演劇での人間像においてもそれが表現されていて、例えば、日本政府からの委嘱を受ける理由は、義理の娘がユダヤ家の家系であることから、日本政府による保護を条件にするのである。また、奉祝曲を書くにあたって、特に日本の音楽を勉強することはせず、ただ当時ドイツで公開された日本映画を見てイメージを膨らませたという設定になっている。確かに当時ドイツで公開された日本映画があり、それは 1937年の「新しき土」という作品。私はこの映画のことを、数年前に読んだ原節子についての本で知った。当時彼女はまだ 16歳。この映画のキャンペーンでベルリンにまで出向き、その後米国に渡って世界一周をしている。この映画、私は見たことがないが、今では簡単に DVD が手に入るようだ。果たしてどんな映画なのであろうか。日本側の監督は伊丹万作である。
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それから、皇紀 2600年の奉祝曲と言えば、当時の貴重な録音を集めた CD が出ている。私の手元には、発売時の 2011年からこの CD があるが、すみません、未だ聴いていません・・・。聴いていない人間が言うのも説得力がないが (笑)、当時の貴重な音源の数々が入っている上に、現代日本の碩学、片山杜秀の詳細な解説がついているので、お薦めです。因みにアマゾンでは、あと在庫 1点になっています。
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最後にもうひとつ。皇紀 2600年といえば、最も有名な曲は、英国のベンジャミン・ブリテンによるシンフォニア・ダ・レクイエム (鎮魂交響曲) である。この曲は作曲されたものの、おめでたい機会に鎮魂とは何事かという日本側の拒否によってお蔵入りされ、世界初演は 1941年にジョン・バルビローリ指揮のニューヨーク・フィルで、日本初演は 1956年に作曲者自身指揮する NHK 交響楽団によって行われた。実は経緯はもう少し複雑であるようだが、確かにこのような機会に委嘱される音楽として鎮魂をテーマに作曲するという発想は、なかなかにユニークである。今日では 20世紀の名曲のひとつとして知られるこの曲、想像力で補いながら聴いてみるのもよいかもしれない。そんなわけで、この曲は上記 CD には収められていないので、念のため。

静岡音楽館 AOI、また機会あれば是非行ってみたい。駅前の家康像と、巨大な葵のご紋との再会を心待ちにしている。あ、AOI とはもちろん葵のことだが、もしかして、知的な街静岡ということで、"Art of Intelligence" のことなのかもしれない、と想像力を逞しくしております。なにせ今回の芝居は、インテリジェンス、つまりスパイ活動とも関係があるし・・・。
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by yokohama7474 | 2017-05-01 01:08 | 演劇 | Comments(0)

塩津能の會 (能「樒天狗」ほか) 2017年 2月11日 喜多六平太記念能楽堂

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最近どうも、久しぶりに能を見たくて仕方がないという気持ちが強くなっていた。私は別に能に詳しいわけでもなんでもなく、以前は主として薪能などの機会に、その神秘的な世界を見たくて時々見に行っていたくらいであるが、だがまさにその神秘性には深く心を動かされるのである。もともと私は通常の演劇にも興味自体はあるのだが、クラシックのコンサートやオペラにかなり時間を取られている関係上、どうしてもそちらはおろそかになってしまう。一方で、歌舞伎や文楽という伝統芸能は、このブログでも採り上げている通り、それなりの頻度では鑑賞の機会を得ている。だが能については、以前見たのがいつであるかすらも思い出せないありさま。毎度テンポの遅さには忍耐を必要とするものの、日本人独特の美意識に則って演出される生者と死者の邂逅に、妙なる幽玄の美を見ることができる芸能は、能をおいてほかにない。そんなわけで、思い立って調べてみると、なんと便利な時代になったことであろう。全国の能上演のスケジュールを調べることができるサイトがあって、それを見ると、東京だけでも実に大変な数の上演がなされている。まず国立能楽堂の公演を調べてみたら、既にチケットは完売。そして目に付いたのがこの公演だ。目黒にある喜多能楽堂での公演。喜多とはもちろん能の一派。観世、宝生、金春、金剛の四座のうち、金剛から江戸時代に分かれた流派である。私の知識はその程度で、それぞれの流派の違いなど理解していないのだが、喜多流については明確にひとりの名前を思い浮かべることができる。14世 喜多六平太 (きた ろっぺいた 1874 - 1971)。人間国宝であり文化勲章受章者でもあった、偉大なる能楽師。
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今回私が能を鑑賞したのは、この第 14世喜多六平太の名を冠した能楽堂である。目黒駅から徒歩 7分の距離にあり、ドレメ通りという面白い通りを通って行く。これについてはまた後ほど記すが、能楽堂の入り口はこのようなシンプルな作り。
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そして今回の演目は以下の通り。
 舞囃子「白楽天」 : 大槻 裕一 (おおつき ゆういち)
 舞囃子「天鼓」 : 塩津 圭介 (しおつ けいすけ)
 能「樒天狗 (しきみてんぐ) : 大槻 文藏 (おおつき ぶんぞう) / 塩津 哲生 (しおつ あきお)

「大槻」姓が二名に、「塩津」姓が二名。私も調べて知ったのであるが、大槻文藏は 74歳。大阪出身の観世流の能楽師で、紫綬褒章受章者。大槻裕一もやはり大阪、観世流の弱冠 19歳。文藏の芸養子である。一方の塩津哲生は喜多流の能楽師で 72歳。彼もまた紫綬褒章受章者である。塩津 圭介は彼の長男。つまりこれは、観世と喜多という異なる流派が合同で開催する催しなのである。なんといってもメインは後半の、75分を要する「樒天狗」である。これは 1464年に足利義政の後援を受けて (古い!!) 京都で開かれた勧進能の演目のひとつであったが、それ以降、歴史上の記録にある上演はあと一度だけで、1994年に復活上演されるまで長らく忘れられていたらしい。昨年大阪で観世流・喜多流の合同で上演され、今回はその時の上演から二人のシテが役柄を入れ替えての東京公演となる。

一言でまとめてしまうと、この「樒天狗」、大変面白かった!! 能らしく亡霊や物の怪が登場するので、そもそも私好みの内容なのであるが (笑)、それにしても救いのないストーリーなのである。つまり、以下のようなもの。京都の愛宕山を通りかかった山伏が、折からの雪がやむのを待っていると、高貴な姿の女性が一人で樒 (しきみ、折るとよい香りがするので仏花として使われる) の花を摘んでいるのを見る。ところが夜になってもそれを続けているので、山伏もさすがにこの世の人ではないと気づき、素性を尋ねたところ、六条御息所 (ろくじょうみやすどころ) とも呼ばれた白河天皇の娘であるという。彼女は自らの美貌に慢心したため、その報いで魔道に堕ちたと語る。入れ替わりに現れた木の葉天狗が彼女の過去について語ることには、太郎坊という愛宕山に住む天狗が彼女の命をわずか 21歳で奪い、魔道に引き込んだとのこと。この太郎坊、もともとは空海の弟子の高僧であったが、破戒して天狗に化してしまったという悪い奴。そして小天狗二人を引き連れた大天狗 (これが太郎坊) が登場、六条御息所に熱湯熱鉄を飲ませるという拷問を行い、彼女は黒焦げとなるが一旦もとの姿に戻り、そして今度は鉄の鞭で叩かれて木っ端みじんになるというもの。なんともおどろおどろしくまたシュールな展開だ。これは、2013年に大阪で行われた公演の様子で、太郎坊に責めさいなまれる六条御息所。今回も同じ演出であるが、役者が異なっており、この時太郎坊天狗を演じた大槻文藏が今回は六条御息所を演じている。
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自らの美貌を慢心しただけでこんなひどい目に遭うのは誠に理不尽で、それが滅多に上演されない理由のひとつであることは確かであろう。だがこのような演目を生み出した室町時代の創作者 (世阿弥の継嗣、音阿弥が作者とも言われるが不詳) は、人間の業の深さを描くことを主眼としていて、それが日本人の感性の深いところに響いてくることは確かであろう。今回六条御息所を演じた塩津哲生はこの公演の主催者であるが、笠をかぶって舞台に現れた瞬間から鬼気迫るものがあり、能らしく緩慢な動きの中に小刻みな震えも見せ、強い印象を与えた。一方、大天狗太郎坊を演じた大槻文藏は、実に堂々たる悪漢ぶりを表現した。また、会場で配られたプログラムには作品解説が詳しく掲載されており、また、今回演出を担当した村上 湛 (むらかみ たたう) が開幕前に解説をしてくれるなど、事前に情報のなかった私でも充分に楽しむことができた。また、何より有り難いのは、プログラムに詞章が掲載されていることで、これを見ながら鑑賞することで、ストーリーを明確に辿ることができた。調子に乗って台本まで買ってしまったが、自分で謡うわけではなし、これはちょっと要らなかったかな (笑)。
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尚、六条御息所とは、源氏物語に登場する架空の人物の名である。だがこの作品において魔道に堕ちて苦しんでいる人物は実在の人で、白河天皇の娘、媞子内親王 (ていし (または「やすこ」ないしんのう) のこと。京都の六条に住んでいたので六条御息所と呼ばれたらしいが、その邸宅跡は京都の万寿寺という寺になっているらしい。この万寿寺、京都五山の第 5位という格式の高い寺であったが、その後衰退し、現在は東福寺の塔頭として小さな規模で現存している。尚この媞子内親王は、皇女が幼少の頃に伊勢神宮に数年間仕える制度である「斎宮 (さいくう)」にも籍を置いていたという。私は数年前に、松阪と伊勢の間に位置するこの斎宮跡 (最近発掘調査・研究が活発に行われている) を訪れたことがあるので、早速斎宮歴史博物館で購入した冊子を手元に持ってきて調べると、あ、ありましたありました。ずらりと並ぶ斎宮皇女の中に、この媞子さんの名が。こういう資料を見ると、能のモデルがぐっとリアリティを増しますな。
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さて、今回、この「樒天狗」に先立って前半で上演された 2演目は、舞囃子 (まいばやし) とあるが、これは何かというと、能の演目のダイジェスト版を、シテ一人が音楽と謡をバックに仮面をつけずに舞うというもの。プログラムのストーリーを読むとそれぞれに面白いが、いかんせん、こちらは詞章も掲載されておらず、耳で内容を聞き取ることはほぼ不可能だったので、舞っている役者の緊張感のみ鑑賞することになってしまった。尚、今回は狂言の上演はなし。というわけで、久しぶりの能であったが、現代人にはいささか遅すぎるテンポを享受し、限られた舞台装置をイマジネーションで補うことで、幽玄の世界がまさまざと見えたのは嬉しかった。これを機会に、また出かけてみたい。クラシック音楽に占領されていない日程を探す必要はあるが・・・。

ところでこの喜多能楽堂のあるあたりは、なかなかに風情があって面白い。ドレメ通りと呼ばれているが、これは専門学校「ドレスメーカー学院」の略。杉野学園という学校法人が経営している。この通りにはその学校の建物が立ち並んでいるほか、カトリック目黒教会や、アマゾンが入っている新しいオフィスビルもある。だが私の目をぐぐっと惹きつけたのはこの建物だ。
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1957年にできた建物らしい。日本最初の衣装博物館であるそうだ。中を覗くと灯りはほとんどついておらず、観覧希望者は申し出るようにと書いてあったが、今回は時間の関係もあり、パスした。そしてこの建物の前にある銅製の塔も大変な存在感なのである。由緒書によると、水戸光圀の命によって鋳造されたもので、高橋是清が自宅の庭に置いていたものを、杉野学園が譲り受けたものらしい。
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また、目黒区のサイトによると、このあたりには明治期に日本初の撮影所が作られたらしい。但し現在ではマンションになっていて、その面影は既にないとのこと。撮影所と言えば私の住んでいる大田区の蒲田が有名であるが、こんなところにさらに古い撮影所があったとは驚きだ。もっとも、能楽堂で上演されているのは、15世紀に確立した演劇。映画とは歴史が違います (笑)。もちろんこのあたり、私が大好きな雅叙園も近いし、古刹大圓寺もある。様々な文化が混淆する目黒、まだまだ尽きせぬ魅力がありそうだ。

by yokohama7474 | 2017-02-12 01:44 | 演劇 | Comments(0)

肉声 ジャン・コクトー「声」より (構成・演出・美術 : 杉本博司、作・演出 : 平野啓一郎、出演 : 寺島しのぶ、節付・演奏 : 庄司紗矢香) 2016年11月25日 草月ホール

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この公演を知ったのは、どこかのコンサートで配布されていたチラシであったと思う。以下のようなシンプルなものであった。
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なになに、「この秋あの4人がおくる"妾"・語り」とはどういうことだろう。ここに並んでいる4人の芸術家の名前は、私にとっては濃淡(?)あれども、いずれも芸術愛好家にはよく知られたもの。しかも、あのジャン・コクトーの「声」を題材にしたコラボレーションであるようだ。これは行くしかないだろうと思い、日程を調べたところ、唯一初日公演にだけ行くことができると判明。平野啓一郎の小説のいくつかを愛好する家人を誘って、出かけてみたのであった。

コクトーの「声」は、原題のフランス語を直訳すると「人間の声」であり、クラシックファンにとっては、フランシス・プーランク作曲のモノオペラによって知られている。かく言う私も、録音ではジュリア・ミゲネスの独唱、ジョルジュ・プレートルの指揮の演奏で、また生演奏ではジェシー・ノーマンが日本でシェーンベルクの「期待」と合わせて披露した公演で、この曲に親しんできた。加えて、堀江眞知子のソロ、秋山和慶指揮の日本語版(和訳は若杉弘)のCDも手元にある。オペラとしては非常に特殊で、舞台上で何度か電話のベルが鳴り、その電話に応対する女性がたったひとりの登場人物なのである。コクトーの台本が書かれたのは1930年。プーランクによるオペラ化(マリア・カラスを念頭に置いて作曲されたが彼女による歌唱は実現しなかった)は1959年。ある種のモダニズムに彩られながら、フランス独特の陰鬱な色恋沙汰のアンニュイな雰囲気をたたえた作品である。徐々に狂気をはらんで行く女性の精神状態が、セリフだけで描かれた究極の作品と言える。ただ今回はこのコクトーの戯曲を、芥川賞作家である平野啓一郎が翻案したものを、寺島しのぶが一人で演じ、ヴァイオリニストの庄司紗矢香が音楽を演奏するという趣向。もともとの原案は、世界的な美術家である杉本博司によるものであるらしい。これが杉本の肖像と、彼の典型的な作風を示すモノクロ写真。
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会場は青山の草月ホール。このホールにはかなり久しぶりの訪問だ。随分以前はここで「東京の夏音楽祭」のコンサートやレクチャーが行われていて結構通ったし、ベルクのオペラの映画なども楽しく(?)ここで見たものだ。また、もちろん先代の生け花草月流家元、勅使河原宏は、私にとっては尊敬する映画監督。
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会場には花輪がいくつも飾られており、本作の創造者4名のうち舞台に登場しない杉本と平野は客席に姿を見せているし、俳優の奥田瑛二もいる。あ、こんな花輪もあるではないか。
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上演時間80分のこの芝居はいかなる内容かというと、一言で言えばコクトーの原作とは全く異なっている。共通点と言えば、女優ひとりのモノローグであることくらいである(笑)。舞台は1940年の夏と1945年3月。すなわち、日本が戦争に突き進んで行く時代と、既に空襲を経て敗色が濃くなっている時代である。ル・コルビュジェ風のモダニズム建築に住む愛人が主人公で、彼女が男からの電話を受けてひたすらひとりで喋るというもの。事前のネットニュースでは、庄司のヴァイオリンは、無声映画時代の音楽のように芝居を伴奏するとあったが、それは全くの誤報で、冒頭、中間、ほぼラストに登場し、セリフのない箇所で3回、無伴奏ヴァイオリンを演奏するというもの。これが開演前のステージ。杉本自身の解説によると、ここに投影されている建物は堀口捨己という建築家(1895-1984)の設計であり、彼は実際に資産家の施主のために愛人宅を設計しているという。そこに住む愛人は、フェンシングと水泳を趣味とする当時のモダンガールであったらしい。そのようなキャラクター設定は本作でも採用されている。
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そんなわけで、事前の説明は一通り済んだので、芝居の内容について語らねばならない。正直なところ、私にとってはこの上演は、その意欲的な試みの意義は理解できるものの、残念ながら内容について共感するには至らなかった。いくつか理由を挙げよう。
・寺島しのぶは終始バインダーのようなものを見ながらセリフを喋っており、これは一人芝居というよりは朗読だ。しかも、私が気付いた限りでは3回トチっていた。生の舞台なので、トチるのが悪いと言う気は毛頭なく、演技にはさすがのものがあると思った瞬間もあったが、あまりに単調とも思われた。
・演出として杉本と平野の両方の名が記載されているが、実際には動きはほとんどなく、舞台背景に投影されるスライドが、家の外観から、中から外を見た写真に変わる程度。寺島は時折立って歩くなどの最小限の演技はあったが、そこには演出と呼べるほどのものは感じられなかった。
・平野の脚本には、妾の大胆さと人生への割り切り、またその反動の人間的な感情が表現されていて、理解できる部分もあったが、品のない描写には共感できない。恐らくそれは、笑いがないからだ。例えば三島由紀夫の通俗作品における下品なネタには、どこか笑いの要素がある場合が多い。一方ここで平野が選んでいる言葉の数々は、三島の作品と比べて、品のなさを突き抜けて人間の真実を赤裸々に表すところにまで至っているか否か。
・音楽がない。これでは間がもたない。いやもちろん、庄司のヴァイオリンは3度に亘って響き渡ったが、芝居そのものとは分断されていて、私としては、同じ音楽をコンサートホールで聴きたかったと思う。以下のような非常に凝った曲目で、意欲的な自作を含め、いずれも私にとって初めて聴くものであったのだが・・・。
 1. エリック・タンギー (1968年フランス生まれ) : ソナタ・ブレーヴから第2楽章
 2. 庄司紗矢香 : 間奏曲
 3. オネゲル : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタから第2楽章
因みに彼女は今回、通常のコンサートのように髪を束ねてピンクのドレスを着るといういで立ちではなく、上の写真の通り、髪を下し、黒一色の衣装であった。鳴っている音は、表現主義風というか、しばしばわざとかすれぎみのようにも聞こえたが、さすがの安定感であり、特にオネゲルは高水準の演奏であった。

ここで題名が「声」ではなく「肉声」とされているのは理由があるだろう。すなわちここで描かれているのは、原作のような、電話という機械を通した声の伝達における届かない思いというよりは、電話の向こうにいる男と主人公の女がかつて交わした「肉」を伴った行為でありコミュニケーションであるからであろう。二人の逢瀬の際、実際に肉を通して交わされたはずの感情の残滓に、実は男も女も(それぞれ別のかたちで)しがみついているのだ。だが残酷なことに、戦争という個人を遥かに超えた大きな出来事の中で、彼らの肉はいつ形を失うか分からない。ラストシーンの意味は明確に説明されないが、恐らくはいずれ死すべき運命にある人間の持つ感情への、ある意味の賛歌なのではないだろうか。そのようなことは、私も頭ではそれなりに整理できるのだが、では、それが現代日本においていかなる意味を持つかと点を思うと、急に醒めてしまうのだ。1940年代の妾さんの言葉から、明日に生きる勇気を見出すことは、残念ながら私にはできなかった。

だが、私としては、久しぶりに演劇に接する機会。もともとこのような試みにはリスクがあるし、私とは異なる感想を抱いた人たちもいたと思う。そう考えると、このような機会を今後も極力楽しみたいと考えるのである。ジャン・コクトー自身が見たら、一体どうコメントするだろうか。きっと、「私には、男女の機微は本当は分からないんだよ・・・」と言うのではないか(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-11-26 01:23 | 演劇 | Comments(0)

887 (作・演出・美術・出演 : ロベール・ルパージュ) 2016年 6月25日 東京芸術劇場プレイハウス

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カナダ、ケベック出身の演出家、1957年生まれのロベール・ルパージュに関しては、昨年 10月18日の記事で、「針とアヘン」という舞台をご紹介した。映像の魔術師と異名を取るルパージュの、文字通り魔術的な手腕に舌を巻いたのも記憶に新しいが、その彼が再度来日し、今度はこの「887」という作品を上演。しかも今回は作・演出だけでなく主演も務めるという。これは必見である。東京では 4回の上演が既に終了してしまったが、次の週末、7/2 (土)、3 (日) の 2日間、新潟のりゅーとぴあでの公演が未だ残っている。もしこの記事をご覧になって興味をお持ちの向きは、是非新潟まで足を延ばしてみてはいかがであろう。それだけの価値はあると思う。あ、飽くまで個人の感想です (笑)。これは東京での会場となった池袋の東京芸術劇場のプレイハウスの入口。
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この芝居のイメージを持って頂くため、冒頭のチラシをご覧頂こう。何やらアパートのような建物のセットの傍らで思いに耽っている様子であるのが、ルパージュ本人だ。実はこのチラシ、右側が開くようになっていて、開いてみるとそこにはこのような写真が。うーむ、ルパージュさん、しゃがみこんで一体何を考えているのやら。
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実はこの作品、昨年世界初演されたばかりで、今回が日本初演であるが、ルパージュ自身の幼年時代を主題にしており、題名の 887 とは、当時ケベック・シティで彼が住んでいたアパートの番地である、「マレー通り 887番地」に由来する。あーなるほど、では題名をあれこれ考えても意味はなく、聞いてみないと分からないですな (笑)。Google Map で位置を指さすルパージュ。
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この作品は (昨年見た「針とアヘン」も、内容はほぼそれに近いものであったが) 一人舞台で、例外的に 2度ほどほかの人物が幻想的にシルエットで現れるのみ。今回はルパージュ自身が一人で自らの幼時について、その頃経験した思いについて、そして世界をどう見ていたかについて、あれこれ喋る。そしてまた、現在の友人との対話まで再現して見せるシーンもある。その間、約 2時間10分。休憩もなく一人で話し通すのであるが、冒頭で、最近の記憶が曖昧で古い記憶の方が鮮明であると自ら語ってみせる割には、この作品のためにそれだけの長いセリフを暗記するとは、矛盾ではないですか (笑)。言語はほとんど英語で、友人との会話のみ彼の日常語であるフランス語になるが、ステージの奥に日本語字幕が出るのである。ちょっとでもセリフに詰まったら終わりではないか!! ただこの点については、ルパージュの右耳に何か詰まっていたので、さすがにそこからプロンプターの音声が流れているのではないかと思う。いやしかし、それだからと言って彼のこの驚異的なセリフの流れに価値がないということは全くない。全く自らの言葉として滔々と喋り続けるその姿と、例によって鮮やかこの上ない舞台上の効果によって、2時間はあっという間である。休憩が入らないのも、流れが続くという意味で大いに賛成したい。これがルパージュさんです。
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まず観客の誰もが感嘆の声を挙げるであろうシーンは、アパートの住民の紹介だ。建物のミニチュアがぐるりと回ると、そこにはアパートの各部屋のベランダが現れ、ルパージュの説明とともに、それぞれの窓に小人のような小さな人影 (や、ある場合には犬の姿) が映って、動き回るのだ。もちろんこれは人形ではなく、事前に撮影した映像を裏から投影しているのであろうが、そのリアルなこと。ネット上でそのような映像を探してもそのものズバリの写真が出てこないが、これがアパートのベランダ側。全部で 8世帯あり、それぞれの窓に「小人」が現れるのである。
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また、この写真 (ベランダ側は向かって右の方の面で、ここでは見えていない) の窓に少し見えている映像で、少しは「小人」をイメージできるかと思う。
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ルパージュの語る近隣の住民像はコミカルでアイロニカルだ。カッコよくて逞しい彼の父はしかし、タクシーの運転手に身をやつしているし、家には認知症の始まった祖母もいて、家族の間には若干の波風がある。その意味では、自身の家庭の情景は大変ノスタルジックに描かれはするけれども、やはりそこもコミカルでアイロニカルな要素を免れないのだ。深夜の窓から父のタクシーを見守る子供。帰ってきて欲しい父親はしかし、煙草をふかしたあとにまた仕事に出掛けてしまう。ほかの家の人が練習しているショパンのピアノの調べの切なさ。このような情景は、誰しも全く同じ経験をするわけではないが、でもなぜ、懐かしく思ってしまうのだろうか。やはり、ルパージュの語りと演出によって、観客はそれぞれが自らの記憶の中に似たような思いをした場面を、自然と探すからではないか。そんなことのできる演出家は、そうそういるものではないだろう。これは書棚 (主人公はケベックの詩人の書いた詩を暗唱する責務を負っていて苦労しているが、その詩人の本をどこに入れるかで話題になる書棚) のひとつひとつの枠が外れて幼時の思い出につながる場面。素晴らしい意外性だ。
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また、現代のルパージュの部屋が出てくるシーンには、壁に縦書きで「縁絆創」と墨書してある掛け軸が下がっているが、一体どういうことか。答えは分からないが、彼は演劇学校時代に日本の伝統演劇を専門に学んでおり、初来日した 1993年には、2週間に亘り昼夜歌舞伎座に通い詰めたらしい。うーん、確かに歌舞伎の舞台転換の見事さには瞠目すべきものがあるが、ルパージュの魔術的手腕のひとつの源が歌舞伎にあるかもしれないと思うと、嬉しくなるではないか。そういうことなら、毎年来日してもらって、同じ演目でもよいから、是非繰り返し彼の作品を日本で見ることができるようにして欲しい。

この作品、人間の孤独と社会の大きな流れの双方に思いを至らせながら、巧まぬユーモアがそこここに溢れている点でも、「針とアヘン」との共通点を感じるが、その後者の方、社会の大きな流れに、ひとつの重点がある。カナダの歴史にはイギリス系とフランス系の争いがもともとあって、ルパージュの生まれたケベック州はフランス語圏であり、最近はいざしらず、以前から独立運動が活発であったことは常識の範囲では知っているが、ここでは、60年代には相当活発な活動を見せた様子が描かれている。1967年にフランスのド・ゴール大統領がモントリオールを訪れてフランス系住民に呼びかけたことで、大きな盛り上がりを見せたらしい。この芝居ではルパージュが小型のカメラでミニチュアを後方画面に大写しにするシーンがいくつかあるが、これは、スピーチに熱狂する人たちの前を、ド・ゴールがリンカーンに乗って通り過ぎるシーン。前後に、ケネディ暗殺シーンや連続殺人鬼の話も出て来るので、何か起こるのではないかとハラハラする。だがド・ゴールは、あのフレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」(フィクションだが) でリアルに描かれている通り、実に 31回も暗殺未遂に遭っているという大物。ここでは何も起こりはしない。
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幻想的なシーンのいくつかの中でとりわけ印象深いのが、神経のニューロンを表したこのシーン。ルパージュは、人間が社会において描き出す悲劇や喜劇もうまく表現するが、人間の内面に巧まずして視覚的に迫って行く手腕も大したものだ。これは一度見たらなかなか忘れないイメージだ。
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ここで、プログラムに記載されているルパージュ自身の言葉を引用しよう。

QUOTE
この作品は、一つの大義を掲げる大人の意見表明ではありません。これは前思春期の少年の記憶の中への侵入であり、そこではしばしば政治的なことと詩的なことが混ざり合っているのです。
UNQUOTE

私が上で述べてきた感想が、作者自身によって裏打ちされているのを知るのは意義深いことである。これは脚本家として、演出家としての彼の度量を示す言葉であろう。是非是非、これからも頻繁に来日して、その魔術を見せつけて欲しい。場合によっては、「ルパージュ劇場」とでも題して、常打ち公演をして頂けないものだろうか。ロベール・ルパージュ、覚えておくべき名前である。

by yokohama7474 | 2016-06-27 00:28 | 演劇 | Comments(0)

勅使川原三郎 佐東利穂子 青い目の男 2016年 1月22日 カラス・アパタラス

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現代日本を代表する前衛舞踏家の勅使川原 三郎 (てしがわら さぶろう) の名は、一般的にはどのくらいポピュラーなものであるか知らないが、私にとってはもう 30年近く前から、まさに第一級の芸術家なのである。学生時代の 1988年に友人から、NHK で放送された彼のダンス「夜の思想」(モデルの山口小夜子をフィーチャー) がすごいと聞き、彼からヴィデオテープを借りてダビングしたのがそもそもの始まりで、その衝撃的なビデオは、DVD にコピーして未だに手元にある。・・・と自慢したが、なんという便利な時代か。今や youtube で全編見ることができるではないか!! ご興味おありの向きは、是非検索を。ともあれ、無機的、無性別、あるいはあたかも生命体と無生命体との垣根を自由に飛び越えるようなこのダンスは、何かそれまでに見たことのない異様なものとして映ったが、空間を切り裂いてあたかも彫刻を刻むような、ある場合には痙攣的な激しい動きが、同時に神秘的な美しさをも湛えていて、その画像に釘づけになったものだ。それから、騒音をバックに激しく踊るかと思うと静かな音楽でスローな動きに転じるという転換も素晴らしく、レハールの「金と銀」という、それまで能天気なワルツだと思っていたものが、実は大変に毒と退廃を含んだ音楽であることを気づかせてくれた。それ以来、銀座で天王洲で、あるいはニューヨークのブルックリンで彼のパフォーマンスを見てきたが、それでも熱烈なファンと言えるほどの回数は実際の舞台に接していないことを残念に思っていた。最近彼のダンスを見たのは、2010年 5月、渋谷のシアターコクーンでの「オブセッション」という舞台で、既に 5年半以上経過している。そんな昨年 12月のある日、既にこのブログでも採り上げた、神奈川県立近代美術館 鎌倉 (カマキン) に行った際に、上の写真のようなハガキ大の案内が置いてあるのを見て、今回は久しぶりに見ないといけないと思ったのであった。

久しぶりに見たいといけない理由も、上の写真にある。「原作 ブルーノ・シュルツ」。おー、そういえば勅使川原は、最近このポーランドの作家の作品へのオマージュを捧げていると聞いたことがある。芸術映画ファンにはおなじみの名前であろう。クエイ兄弟の傑作人形アニメ短編映画、「ストリート・オブ・クロコダイル」の原作者だ。
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この映画が日本に紹介されたとき (やはり私の学生時代だ) の衝撃は忘れられない。そして、聞きなれないブルーノ・シュルツという名前。1892年に生まれ 1942年に路上でナチによって銃殺されたこの作家の日本への紹介は、この映画の公開のあと、集英社の「世界の文学」シリーズ第 12巻、「ドイツIII、中欧、東欧、イタリア」が最初だったと記憶する。今書棚から手元にこの本を引っ張り出してくると、発行は 1989年とある。ちょうどベルリンの壁が崩壊した年で、世界の秩序の転換期。美術需要の面では、19世紀末芸術がブームになっていた頃だ。上記の通り、勅使川原の名前が知られるようになってきたのもこの頃。バブル時代の日本の文化シーンに、そのような退廃的前衛性がよく合ったということか。

ブルーノ・シュルツはもともと美術を志したらしいが、このような、上目使いのなんともひねくれた自画像を描いている。20世紀末の私は、ここに表れている 19世紀末の雰囲気 (例えばオーストリアの画家クービンを思い出さないか) から、彼の心の奥の闇を嗅ぎつけ、そこに多大な興味を抱いたわけだ。ユダヤ人としてナチに路上で銃殺されたという最期も、何やら運命的な雰囲気が濃厚ではないか。
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さて、例によって長い前置きになっているが (笑)、「ストリート・オブ・クロコダイル」のイメージを通じて、私には早くから、勅使川原とシュルツの間には芸術上の類似性があるという感覚が強くあり、それゆえに、カマキンで見つけたこの公演の案内に感覚を大いに刺激され、強く背中を押されたのであった。

ところが、今回の上演会場は、「カラス・アパラタス B2 ホール」とあり、どうも聞いたことがない。カラスというのは、彼が率いるグループ、KARAS のことであろうが、アパラタスってなんだろう。荻窪駅から徒歩 3分とあるが、私にとってはなじみのない土地だ。ともあれ、駅から少し歩くとすずらん通りという商店街があり、勅使川原三郎とすずらん通りかぁ、どうにもそぐわないなぁとひとりごちながら歩いて行くと、お、ありましたありました。普通の町並みの一角のマンション。隣は庶民的な食堂だ。
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このステージ、料金が非常に良心的だ。前売り 2,500円。当日 3,000円。こんな安い値段で世界的舞踏家のステージを見てしまってよいのだろうか。入り口で受付を済ませると、マンションの地下に行けと案内されるが、壁には勅使川原のこれまでの国内外のステージのポスターが貼ってあって、なかなかにオシャレである。
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地下 1階のスタジオ (練習場?) に場所に通されて、そこで地下 2階の劇場が会場するまで待つ。我が家にもあるような芸術に関する日本書・洋書の本棚や、KARAS に因むのであろう、カラスのはく製などがある。三々五々、老若男女の観客が集まってくる。
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さて、開演 10分前に、さらにもうひとつ下の階の小さな劇場に通される。そこは黒一色の空間で、何のセットもない狭い舞台に、40名程度しか収容しない客席があるだけだ。なんとも閉ざされた空間だが、舞台と客席との距離が限りなく近く、舞台上で起こることに観客も他人ではいられない環境だ。

舞台は全くの暗闇から始まるが、最初は、KARAS の代表的なメンバーで、最近は勅使川原とデュオで出演しているらしい (2010年に見た「オブセッション」もそうだった) 佐東 利穂子と、どうやら若手有望株らしい鰐口 枝里が激しいダンスを踊るところから始まる。このステージを通して、美術は皆無。照明も何種類かのトップライトがあるのみだ。音楽はもちろん録音で、ほぼ全編流れ続け、そこにシュルツの短編「夢の共和国」の朗読の、やはり録音が重なる。 あとで分かったことだが、読んでいるのは佐東自身である。
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正直、以前の KARAS の舞台を思い出すと、集団で「勅使川原風」ダンスを踊るのが少し痛々しい気がしたものだ。つまり、勅使川原の踊りはそれほど突出していて、いかにほかのダンサーたちが同じような動作をしても、体のキレはもちろん、関節のひとつひとつ、筋肉のひとつひとつが織りなす動きの残像が全く段違いであったのだ。最近は群舞よりも少人数での活動が中心なら、その方がよいように思う。ここで見る佐東のダンスは、もちろん勅使川原風とは言えるものの、男女の性差は当然踊りに反映しているし、その表現力の点でも、勅使川原自身とはまた違った鋭さが備わっている。このデュオは、あるときは反発しあい、あるときは同調しあい、ダンス自体にストーリー性があろうがなかろうが、激しく空間にその動きの軌跡を刻んで行く。踊り手の息遣いまではっきり聴き取れるこの劇場は、大ホールにはない緊密さを観客に感じさせてくれる。非常に貴重な経験である。
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シュルツの作品は、上述の集英社の世界の文学シリーズで訳出された短編集「肉桂色の店」(「ストリート・オブ・クロコダイル」の原作を含む) だけでなく、その後平凡社ライブラリー (良書を多く含んでいるシリーズだ) のひとつとして、彼の全小説が 2005年に発売されている。今回の公演に備えて、原作である「夢の共和国」を読もうと思い、シュルツ全小説を購入しようとしたのだが、既に版元品切れで、Amazon の中古で最も安いものでも 5,000円 (定価 1,900円のところ) はする。まあしかし、やむない。大枚 5,000円払ってその本を購入した。「夢の共和国」は、たかだか 10ページほどの小編、いや掌編と言うべきだろうが、抽象的で幻想的言辞に覆われてはいるが、どうやら作者が幼時に抱いた夢想、大人たちの支配を離れた子供たちの共和国を描いているようだ。青い目の男とは、その子供たちの夢想を現実のものとする指導者のようだが、その真意は明確には描かれていない。1936年の作品で、未だ第二次世界大戦は始まっていないが、全体のトーンはメルヘン的というよりも荒涼としており、無機的な感じがして、その点で勅使川原のダンスには合っていると言えよう。今手元で本を開き、この日の朗読を思い出してみると、「ワルシャワ」というような具体的な地名への言及のある箇所は飛ばされているが、全体の半分くらいは読まれていたのではないだろうか。記憶の限りでは、朗読の流れは小説の順番のままであった。ダンスの動きはときに小説のシーンを描写し、ときに抽象化していたと思う。個別の動きの解釈を試みる必要はないと思うが、言葉に呼応したその動作の流れを感じる必要はあるだろう。シュルツの原作から印象深い箇所を引用するときりがないが、作品の終結部を以下に転載しよう。決して子供の夢想というイメージではなく、人類の指導者というイメージかもしれない。

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人間の生む作品は、いったん完成すると、それ自体のなかに閉じ籠り、自然と断絶し、自らの原則の上に安定するという特性を有する。藍色の目の男の作品は、宇宙の大いなる結びつきから抜け出さず、却ってそこに根ざし、ケンタウロスのような半人半獣となり、自然の大いなる周期に縛られ、未完成でいながら成長をつづける。藍色の目の男は万人を継続へ、建造へ、共同制作へと呼びかける --- われわれはひとり残らず天性の夢想家であり、牙を徴 (しるし) とする種族の兄弟、天性の建築家ではないかと ---

UNQUOTE

使用音楽だが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第 2番の第 2楽章と、ドヴォルザークの「新世界から」の第 2楽章という、ともによく知られた緩徐楽章が繰り返し使われていた。上述した「金と銀」のときのような衝撃はなかったが、それでも、特にラフマニノフには、この曲独特の限りない抒情を、ロマン性のないところで身体表現するという点に、「甘ったるいラフマニノフ」とは違う面を感じることができた。またドヴォルザークの方は、私の聞き間違えではなければ、指揮者のかすかな唸り声と、ほんのわずかの聴衆の咳が入っていたように思う。とするとライヴ録音。この曲のライヴで有名なのは、それこそソ連が崩壊したあとにラファエル・クーベリックがチェコ・フィルを指揮したもの。全くのドス勘であるが、もし使用 CD がその演奏なら、日本にシュルツが紹介された前後の時期の録音ということになり、勝手にその組み合わせの妙を夢想しております (笑)。

さて、このような狭い場所での上演の特権と言うべきか、1時間ほどのパフォーマンス終了後、勅使川原と佐東が舞台上で喋るというサービスまでついていた。勅使川原によると、これは昨年両国のシアターχ (カイ) で上演したものの再演で、最近取り組んでいるブルーノ・シュルツ・シリーズのひとつ。このカラス・アパラタスではなるべく多くの回数の上演を続けたくて、今年も年明けから、シューベルトのピアノ・ソナタを使用した演目と、今回の「青い目の男」を踊っていて、とても忙しい (数えてみると、1月 7日から 23日の 17日間に 13回公演がある)。そこで急に佐東にマイクが渡され、予期していなかったらしくびっくりしていたが、そのわりには非常によいことを喋っていた。つまり、このカラス・アパラタスを本拠にして 3年、細々とだけれども自分たちのやりたいことを独立独歩でできるようになった。シュルツの「夢の共和国」を読むと、この劇場を作り上げる過程とオーバーラップしてしまうと。そしてまた勅使川原が引き取って言うには、人間の細胞が日々死んで行きながらまた新たな細胞が生まれて人間という存在が続いて行くなら、自分たちが死んでもそこには何かが残るはず。このシュルツの作品はそんなことを教えてくれる。青い目の男というには、何も目が物理的に青いヨーロッパ人のことではなく、自分たちのように黒い目であっても、青空を見上げればそこに反射して青くなる、そんなイメージなのではないかと。・・・いいことおっしゃるじゃないですか。

この勅使川原、もともと年齢不詳なイメージだが、実に 62歳。えっ、ということは、私の会社のあの役員や、定年退職したあの方よりも年上ということか (笑)。実は上演を見ながら、昔の彼の、ズドンと倒れては無重力のように起き上がる動きが延々続いたパフォーマンスを思い出して、今回はそのような動きがないことから、まあやむないことだけれど、どんな天才ダンサーでも年を取るのだなと思っていたものだから (無常感とは言わないまでも、時の流れを感じるという思い)、時の流れについての彼の上記の発言にポンと膝を打ったのであった。スピーチ終了後は二人とも笑顔で観客の送り出しをしていて、なんとも親近感の持てるステージであった。その一方で、やはり若い頃のダンスが懐かしいという思いも、なかなかに消し難いものがある。久しぶりに引っ張り出してきた彼の 1994年の公演、「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH NOIJECT」(分かる人にはすぐ分かるように、宮沢賢治に材を採ったもの) のプログラムからの写真を掲載しておこう。
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怪しいまでの前衛性で、とても終演後に笑顔で観客に話しかける雰囲気ではない (笑)。でも、まさに古い細胞は死に、新しい細胞が生まれて、人は時を過ごして行くもの。若い力とは異なる武器が、今の彼にはあるはずだし、彼のような天才ではない我々凡人でも、通り過ぎる時を顔に刻んで、青空を仰いで生きて行こうではないか。
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お、青い目の男ならぬ、青いジャンパーの男ですね。今後も応援していますよ、勅使川原さん!!


by yokohama7474 | 2016-01-23 02:13 | 演劇 | Comments(0)

壽 初春大歌舞伎 2016年 1月 2日 歌舞伎座

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新年の過ごし方には、人によって家族によって、また年によっていろいろあろうが、時には歌舞伎など見に行くのも楽しいものである。様々な劇場で新年 2日か 3日から歌舞伎がかかっており、都内では歌舞伎座以外でも新橋演舞場や浅草公会堂で、新年ゆかりの演目が並んでおり、和服にキツネの襟巻 (?) などオシャレに巻いたご婦人などが縦横に闊歩している姿も艶やかで、新年ならではのワクワク感があるものだ。というわけで、今年は歌舞伎座の初春大歌舞伎の初日に出掛けてみることとした。この劇場が建て替わってから 3年近く経っているわけだが、実は未だ今の劇場で観劇したことがなかったので、これはいかんということもあって、2016年の最初の成果をここに求めたという意味合いもある (笑)。人間やはり、どんな小さなことでもよいから達成感を味わうことで進歩して行くものであります。劇場はこのような雰囲気。
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プログラムは昼の部と夜の部で異なっており、私が見たのは 16時30分からの夜の部。豪華役者陣による 4演目だ。歌舞伎の常だが、途中休憩を挟むものの上演時間は非常に長く、終演は 21時を回っていた。また、入場も開演の 20分前と、かなり慌ただしい。その代わり、通常の劇場と違って場内で飲食自由というのが歌舞伎のよいところである。途中、普段食べない人形焼など頬ばりながら見る歌舞伎は、新年の賑わいいっぱいだ。

夜の部の最初の演目は、「猩々 (しょうじょう)」。これは長唄をバックに主として踊りによって演じられるもので、上演時間 20分程度。猩々とは現代語ではヒヒであり、もちろん猿の一種だ。今年の干支に因んだ選択なのであろうが、猩々はもともと、中国の古典「山海経」(2500年ほど前から編纂され、徐々に加筆されていった世界最古の地理書だが、多くの妖怪や神の紹介を含んでいる) に出てくる怪物で、人の顔と足を持ち、言葉を解し、酒を好み、魔除けとして信仰の対象にもなる。もともと能の演目としてもよく知られている。そのイメージはこの人形のような感じ。
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今回の舞台では 2匹の猩々が出てきて、中村梅玉と中村橋之助が演じた。台詞なしに息の合った軽妙な舞を披露した。橋之助は私と同い年でなんとなく親近感があるが、今年八代目中村芝翫 (しかん) を襲名することになっている。ところでこの後の演目の幕間で場内を歩いていると、この橋之助が 3人の子供たちとともに、南野陽子のインタビューを受けているのを発見。どうやら NHK Eテレで生放送していたらしい。全然知らなかったが、あとで調べてみると、この歌舞伎座と大阪の松竹座 (市川中車ら出演) とを結んで放送していたのですな。

2つめの演目は「二条城の清正」から、「二条城大広間の場」と「淀川御座船の場」。これは、関ヶ原合戦と大坂の陣の間、慶長 16 (1611) 年に豊臣秀頼が加藤清正らに伴われて京都の二条城で徳川家康と面会したという史実をもとにしたもの。昭和 8 (1933) 年、吉田絃次郎という作家によって書かれた作品だ。この作家、現在では忘れられた名前だが、調べてみると、230冊以上の著作を残し、嵐寛寿郎主演の映画化作品もあり、また早稲田の教授としてあの井伏鱒二を教えているという。なるほど、江戸時代の古典に比べて、秀頼が清正に目で問いかけるシーンなど、演劇としての芸の細かさを要求される台本だ。ここで秀頼を演じているのは、市川染五郎の長男、松本金太郎 10歳。そして清正を演じているのが、その祖父にあたる松本幸四郎だ。
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実はこの日の後の演目には染五郎も出ているので、三代に亘って同じ舞台に出ていることになる。もちろん世襲制の歌舞伎界であるから、そのようなこともままあるのかもしれないが、それにしてもすごいことではありませんか。以下の写真は、2013年の10月、国立劇場での三世代そろい踏み。金太郎の左にいるもう少し背の高い子は、市川中車 (香川照之) の息子、市川團子。
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それにしてもこの芝居の中での秀頼は、かなり多くの台詞を喋る必要がある。これを 10歳で務めるとは大変なことだと思ったら、プログラムでの幸四郎のインタビューによると、彼自身も染五郎も過去に演じてきた役柄であるとのこと。昭和の「新しい」作品ですら、既にしてこれだけの歴史があるのである。改めて歌舞伎の伝統を実感することができる。それにしてもこの金太郎、素顔も可愛らしい少年だが、舞台におけるその立ち姿や声の出し方も、子供らしさを感じさせながら堂々たるもので、私がヨボヨボになった頃に、「いやぁー、10歳の金太郎の秀頼を見たよ」と言って自慢する日が来るのかもしれない (笑)。舞台上では、年を取ってからも青年や若い遊女の役などは演じることはできるが、この役の場合には本当の少年しか演じることができないので、文字通り期間限定の役ということになろう。

ところでこの芝居、内容は、家康からの招待を受けて二条城を訪れた秀頼と、そのお供をした清正の行動を描いたもの。前半の「二条城大広間」は、幼いながらも礼節をわきまえ、しかも老獪な家康と堂々と渡り合う秀頼と、武骨ながら才気煥発、狙われている若君を機知と度胸で守ろうとする清正の姿が、その後の豊臣の運命を知っている観客に、ある種の感情移入を促すのである (日本人のメンタリティにある判官びいきという奴だ)。ただ正直なところ、あまりに動きが少なくて、見ていてハラハラドキドキとまでは行かないのが残念。後半の「淀川御座船の場」は、二条城から大阪に船で帰る主従の姿を描く。秀頼の成長を思って涙する清正に、ずっと達者でいて欲しいと声をかける秀頼。感動的な場面であるが、演じているのが実際の祖父と孫であることを知っている観客たちは、そこでもまた感情移入を避けることができず、かくして場内にはすすり泣きの声が聞かれるという次第。幸四郎はこの場面について、「温かい心の通い合う佳い場面だと思います。ここでの秀頼は芯の通った若者で、金太郎にはこれからの歌舞伎役者としての姿勢を学んでほしいと思っています」と語っている。残念がなら舞台の写真がないので、加藤清正の肖像画でお茶を濁します。あしからず。
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ところで史実を調べてみると、清正は、この京都での家康 - 秀頼会談のあと、熊本に帰る船の上で発病し、到着後数ヶ月で亡くなったとのこと。家康による毒殺説まであるらしい。ほぅ、そうするとこの芝居の船のシーンは、秀頼の願いも、それに号泣して応える清正の意気込みも虚しいということになり、見る者の心を一層揺さぶりますねぇ。また、この台本が書かれた昭和 8 (1933) 年はどんな年だったのだろうか。既に日中戦争は始まっていて、満州国はその前年に建国宣言がなされている。この 1933年、日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立から戦争の泥沼にはまって行くことになる、そういう時代だ。この芝居の中で秀吉の朝鮮出兵について家康が意見を求め、清正が、もう一度あれば自ら先陣を切って明まで攻め入ると答えるシーンがあるが、台本が書かれた時代背景を考えると、何やら深読みしてしまいたくなる。それから、これも大いに脱線になってしまうが、文芸評論家、小林秀雄の作品を年代順に掲載した新潮社の全集を少しずつ読み進んでいるので、試みに 1933年に書かれた文章を見てみると、例えばこんなものがある。「谷崎潤一郎氏の『春琴抄』(「中央公論」) --- を面白く読んだ。特に心を動かされたわけでもないし、深く考えさせられたというのでもない、面白く読んだというのは消極的な意味なのだが、ともかく読んでいる間ちっとも気が散らなかった。ほんといえば私にはそれだけでも充分である」(5月 3日、報知新聞)。激動の時代の文芸のあり方をあれこれ考えさせられる興味深い内容だ。

さて、3つめの演目は、「廓文章 (くるわぶんしょう)」、通称「吉田屋」である。1678年、22歳 (または 27歳) で世を去った大坂新町の名妓、夕霧太夫の死を悼み、早くも死の翌月に上演された「夕霧名残の正月」以降、「夕霧狂言」と呼ばれる系統の作品が多く作られた。西鶴も「好色一代男」で夕霧を絶賛しているという (1682年の刊行なので、夕霧の死後数年後の評判という生々しい記録だ)。1712年に近松門左衛門が浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡 (ゆうぎりあわのなると)」を書き、その上巻を脚色したのがこの「廓文章」だそうだ。上方で流行した、いわゆる歌舞伎の和事 (わごと) の代表作。主役の藤屋伊左衛門は、大坂でも指折りの豪商の若旦那でありながら、夕霧に入れあげて多額の借金を背負い、みすぼらしい身なり (紙衣 (かみこ) 姿と言われる) で登場する。演じるのは中村鴈治郎。この役の初演を演じたのは初代坂田藤十郎だが、今の鴈治郎は、人間国宝、4代目坂田藤十郎と扇千景の息子。昨年の鴈治郎襲名披露でも演じたらしいが、きっと思い入れのある役だろう。これが昨年の襲名時のポスター。今回も同じ衣装で登場した。
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私はこの芝居を初めて見たが、育ちのよいボンボンの雰囲気が必要な役なので難しいだろうと思う。その点鴈治郎は、仕草になんとも言えない憎めなさがあり、客席から笑いも取っていて、なかなかに面白かった。だが、この芝居の主役は、相手方の夕霧が舞台に登場すると一変してしまうのだ!! 玉三郎だ。
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私はこの人が普段しゃべっている映像などを見ると、少し品のいい男性というふうに思うのだが、ひとたび女形として舞台に立つと、本当にきれいでびっくりしてしまう。正直、この人を見てしまうと、ほかの女形がかわいそうなくらいだ (笑)。この夕霧は何度も演じているらしく、まあその所作の洗練されたこと。客席からは、はぁ~っとため息が漏れ続けた。いやいや、先月見た和太鼓集団、鼓童の芸術監督などの副業 (? にしてはハードな仕事ですな) も務めながら、本業ではいよいよ輝きを増しているとは驚くばかりだ。年を調べてびっくり。もう 65歳なのだ!! ええっと、ちゅうことはですよ、誰とは言わないが、私の会社のあの役員やこの役員よりも年上ということか!! びっくりびっくり。

ところで、上でご紹介した、夕霧没の翌月演じられた「夕霧名残の正月」では、同じ伊左衛門と夕霧の逢瀬が描かれるが、実はそこで伊左衛門と一緒に踊る夕霧は亡霊であったという設定だったらしい。つまり、実在の夕霧が亡くなってすぐに、その人の亡霊を舞台に登場させたということだ。世界の演劇史上にそのようなことはほかにもあるだろうか。江戸時代の日本の文化の成熟度を示す例ではないだろうと思う。

さて、この日最後の演目は、「雪暮夜入谷畦道 (ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」、通称「直侍 (なおざむらい)」。この直侍とは、主人公、片岡直次郎のことらしい。明治に入ってから数々の歌舞伎をものした河竹黙阿弥による大作「天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな)」の一部である。尚、河内山宗俊 (こうちやまそうしゅん) もこの作品の重要な登場人物のひとりで、部分上演の場合は、直次郎、宗俊、いずれかが主人公の幕を上演するのが通例らしく、今回は直次郎だ。その直次郎を演じるのは、市川染五郎。
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歌舞伎役者にもいろいろあるが、彼はスキッとした顔立ちで、本当に歌舞伎役者らしい雰囲気を持っていると思う。今回演じる直次郎は、宗俊と同じく、実在の人物を黙阿弥が脚色して、ゆすりたかりを生業とする小悪党に仕立て上げたもの。実在の直次郎もそのような人物で、最後は獄死しているらしいが、もともとは旗本の家の出身ということで、舞台でもただのヤクザ者ではなく、どことなく漂う生まれのよさが求められよう。染五郎は、少し線の細さはあるものの、過剰にならない演技でなかなかの迫力を出していたと思う。この芝居は、なじみの吉原の遊女、三千歳 (みちとせ) が病に臥せっている入谷を通りかかった直次郎が、そば屋で彼女の噂を聞き、人目を忍んで逢いに行くが、仲間の讒言で追っ手に踏み込まれてしまい、三千歳に、「もうこの世では逢えないぜ」と言い放って逃亡するという筋。正直、これだけではあまり面白いストーリーにはならないが、雪の夜道を歩く人たちの姿やそばを食う姿などに、なんとも言えないリアリティと詩情があって、なぜか懐かしいような感じを覚えるのが素晴らしい。黙阿弥が歌舞伎を書いたのは幕末の本当に最後の頃から、明治の半ばにかけての大きな歴史の転換期。だがその歌舞伎作品は (すべてであるか否かは知らないが、少なくともほとんどが) 同時代ではなく、過去である江戸時代の設定であろう。だが、今回の芝居などを見ると、ただ単に懐古的な内容なのではなく、近代演劇としてのリアリティと歌舞伎の様式美をみごとに両立させているのが分かる。400年に亘る歌舞伎のレパートリーとしては、黙阿弥作品はやはり欠かせないものであろう。

そんなわけで、非常に盛りだくさんな初春歌舞伎であり、初めての新生歌舞伎座での観劇を充分楽しんだのだが、あえて苦言を三つ呈したい。

ひとつは、歌舞伎では毎度のことながら、開演前の時間が短いこと。昼の部と夜の部が近すぎるから、慌ただしいことこの上ない。プログラムに掲載されている解説やあらすじを読むのがぎりぎりになってしまうし、せっかくショップにあれこれのグッズを売っているのに、あれでは売れ行きも伸びないのではないか。幕間にはトイレや食事の時間も必要だし、夜の会は終演後には売店は閉まってしまっている。従って、開場時刻を早めるべきだ。日本のオペラの上演では開演 1時間前に開場することも珍しくなく、その間に観客はくつろいで上演に備えることができる。歌舞伎もできればそのくらいの時間が欲しい。

ふたつめ。上記とも関連するが、通し狂言ならいざしらず、このような部分的な上演の場合には、上演時間 4時間半超はちょっと長すぎるのではないか。特に今回は、動きの少ない演目が多く、退屈する瞬間があったことも否めない。また、3演目目と 4演目目は、登場する男のキャラクターこそ違え、女に入れ込んでいて、その女が病に臥せっている (いた) という点は共通しているなど、あまり対照的なものにはなっていない。もう少し刈り込んで全体の上演時間を減らし、演目のバランスにも留意してはいかがか。

みっつめ。これがいちばん本質的だが、大変残念なことに、役者の声が客席まで充分届いて来ない。私は大枚はたいて 1階16列目の 1等席を購入、楽しみにでかけたのだが、舞台からそれほど遠くなかったにもかかわらず、これまでの歌舞伎鑑賞体験の中で初めて、役者の声を聴き取るのに苦労した。これはいかなる理由によるものか。音楽ファンとしての経験から勝手に想像すると、天井が高いか形がよくなくて、声の反響が充分ではないからではないか。従って、天井に反響板を設置することで改善するのではないだろうか。音楽ホールでも、東京芸術劇場や東京オペラシティコンサートホールは、できた頃よりも確実に音響がよくなっている。スタッフの地道な努力による改善補修がなされたものと理解する。歌舞伎座も同様の改善をして頂くよう、切にお願いする。

新旧の素晴らしい役者たちが舞台を盛り上げている (もちろん、三味線、鼓の方々や謡の方々、裏方の方々まで含めた関係者の努力の賜物である) 現在、鑑賞環境をよりよくすることで、さらにこの素晴らしい伝統文化を充実したものにできると思う。この空間が、今後も喝采で満たされ続けるよう、鑑賞者側からも率直な思いを書き連ねます。
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by yokohama7474 | 2016-01-03 15:22 | 演劇 | Comments(0)

バトルフィールド (演出 : ピーター・ブルック) 2015年11月27日 新国立劇場中劇場

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このブログでは、度々 30年近く前の私自身の経験や、それに関する書類などが出てくるので、「コイツは一体何なんだ」と思われる方もいらっしゃるものと思う。まあそのような疑問に長々と答えるよりも、シンプルに、文化に関する趣味を続けるには 30年は別に長い時間ではないし、知れば知るほどに自分の無知を知るのだということを申し上げておきたいと思う。なぜに今回こんな話で始めるかというと、今回鑑賞したこの芝居こそ、私の 30年間に亘る悔しさを癒してくれるものであったからだ。あるいは、30年なんて短いものだと思わせてくれるものと言ってもよい。

ピーター・ブルック。今年 90歳の世界的演出家だ。
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前回の記事では 91歳の指揮者、サー・ネヴィル・マリナーを採り上げ、残念ながら来日中止になった 92歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーに触れた。また最近の報道では、9月 5日に伝説の女優、原 節子が 95歳で死去していたことが明らかになった (9・5 に 95 で逝去という偶然。もっとも、60歳の誕生日、すなわち還暦の日に逝った小津 安二郎ほどのインパクトはないが)。90代の芸術家たちそれぞれの生きざま、死にざまを考えることは誠に興味深いが、この世界的演出家の新作は、つい先だって、9月にパリで世界初演されたばかりの舞台の世界ツアーの一環であり、新国立劇場の中劇場で、11月25日 (水) から 29日 (日) まで 6公演が開かれる。これは、ブルックの演出としては日本では最も有名な「マハーバーラタ」(あの有名な古代インドの叙事詩に基づくもの) の続編をなすもので、上記のチラシにも、「あの伝説の舞台から 30年、現代演劇界の巨匠 ピーター・ブルックがふたたび『マハーバーラタ』に挑む」とある。これは一体どういうことか。

今を去ること 30年。1985年、バブルに向かう好景気の日本には、様々な文化的イヴェントが溢れていた。文化面でのひとつの中心はセゾングループで、映画館シネ・ヴィヴァン六本木や CD ショップ WAVE に、芸術書を揃えた書店 アール・ヴィヴァン、また、クリムトの「接吻」を含むウィーン世紀末の大々的展覧会をはじめとして意欲的な企画が目白押しであったセゾン美術館、そして演劇では、パルコ劇場やホテル西洋銀座にあった銀座セゾン劇場など、まさに東京の文化の牽引役であったのだ。その銀座セゾン劇場で、当時から巨匠演出家と言われたピーター・ブルックが、あの「マハーバーラタ」を上演する、しかも、休憩を入れて 9時間にも及ぶ超大作であると知って、絶対に行きたいと思ったのだ。その際にもうひとつ決め手となったことがあって、それは、脚本をあのジャン・クロード・カリエールが書いていることであった。「あの」と言っても知らない人の方が多いとは思うが、スペインのシュールレアリズム映画監督ルイス・ブニュエルの代表作の数々 (「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」とか「欲望のあいまいな対象」とか) の脚本を書いた作家である。当時からブニュエルに強く心酔していた私としては、このことはまさに、この芝居を観なければならない決定的な要因であった。ところが、チケットが取れない!! 当時はインターネットはないので、人気公演は、発売日にダイヤル式の電話で何時間もトライして、ようやくつながったときに売り切れであれば、もうあきらめるしかなかったのだ。ネットオークションも掲示板もなかったのだ (それでも、コンサートの場合は音楽誌に載る「譲ります」コーナーという最後のよりどころはあったが)。この公演もそのような事態に陥り、絶望していたところ、なんという幸運か、学生席は当日発売で、必ず一定数あるというではないか!! そこで私はカリエールが書いたこの芝居の脚本 (もちろん今でも手元にある) を読んでバッチリ予習し、ある日の朝早く、開演時間の何時間も前に、いそいそと劇場に向かったのであるが、そこで発見したのは、徹夜で並んで学生券を求める人々の姿!! 結局そんなわけで、時既に遅し。この芝居を観ることはできずに涙をのんだのである。

その後ピーター・ブルックの演出は、1991年に同じ銀座セゾン劇場でシェイクスピアの「テンペスト」を観ることができ、その簡素な舞台に大変感動した記憶がある。ミランダ役は、その後映画でも活躍した (その頃はまだ文字通りフランス人形のように可愛らしかった) ロマーヌ・ボーランジェ、キャリバンは、フォルカー・シュレンドルフの名作「ブリキの太鼓」で主役の少年を演じたダヴィッド・ベネントであった。

そんなわけで、今回、ピーター・ブルックが 90歳で健在だということも分かり、30年ぶりの「マハーバーラタ」の続編 (しかも脚本には今回もジャン・クロード・カリエールも参加) ということで、気合を入れて見に行くことになったのであるが、今回の上演時間は、なんとわずかに 70分!! これは老巨匠の枯淡の境地であるのだろうか。あらすじとして紹介されている文章を転用しよう。

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バラタ家の一族は 2つの勢力に引き裂かれた。
それは 5人兄弟がいるバンダヴァ家と、
ドリタラーシュトラ王の百人の王子がいるカウラヴァ家であった。
どちらも恐ろしい手段を使って戦いを繰り広げ、
ついにバンダヴァ側の勝利で終わった。

戦場となった大地は、何百万もの屍体で覆われていた。
バンダヴァの長兄ユディシュティラは、大量殺戮によって勝者となったものの、
悔恨や罪悪感に苛まれていた・・・。「この勝利は敗北だ」と。
そして、過去の行為に疑問を持ち、自らの責任を解き明かそうとする・・・。

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なるほど、前作の激しい戦闘のあとの世界を描いているわけだ。舞台はこのように質素なもの。
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登場する役者は、男性 3名女性 1名の計 4名。使用言語は英語。そこに、昔からブルックの芝居で音楽を担当する土取 利行 (つちとり としゆき) が、ジャンベという太鼓をひとりで叩いて伴奏するのだ。プログラム (今回の公演用に特別に編集された内容満載の本) に掲載されている役者の写真、それから、ジャンベとはどういう太鼓かというイメージは以下の通り。
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登場人物たちはそれぞれに役柄があるのだが、見ているうちにそれはどうでもよくなってくる。というのも、これは恐らく原典の「マハーバーラタ」に含まれているのであろうか、あれこれの逸話、説話を役者たちが再現するシーンが続いていくからで、誰が誰を演じているのか分からない入れ子構造が次第に明らかになって行くからだ。役者たちは、決して普通の意味で演技力があるという感じもせず、終末観溢れるセリフ、あるいは残虐なシーンを述べるセリフであっても、淡々としたものだ。ただ時折、感情の爆発や激しい動きがないではない。そのような局面で芝居の流れをリードするのは、必ず土取のジャンベであるのだ。古代の神話の世界を扱った演劇で、しかしその世界を操る神のような存在はたったひとつの太鼓であると思われてくる。もともとジャズ奏者の土取は、既に 40年近くブルックの劇団とともに活動しており、1985年の「マハーバーラタ」と今回の「バトルフィールド」の両方に出演している唯一の人物だ。
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70分という短い上演時間であるにもかかわらず、ストーリーが抽象的であるせいか、結構長く感じる。役者たちの簡素な動きの中に、美しいバランスが形成され、見ていてなんとも清澄な気分になる。その一方で、結構笑いを取るシーンや観客を巻き込むシーンもあって、簡素な意外性が観客を飽きさせないのだ。
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そして最後、4名の役者たちはこのように集まって座り、世界を操る神たるジャンベ奏者、土取の方を見る。そうして激しくまた情緒豊かに鳴り響くジャンベの演奏で、全編が終了する。
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この作品を、人類永遠のテーマである平和の尊さであると素朴に決めつけてしまうのは避けたい。ここで描かれているのは、殺戮のあとの世界、単純化してしまった世界の中で、人間だけではなくあらゆる生命がその役割を持っているということではないだろうか。人間同士の戦いの良し悪しというよりももっと高い次元の話だと感じた。そして、それゆえにこの芝居は単純なのだ。すべて偉大なるものは単純である。

上述の通り、劇場で売られている特製プログラムには、様々な関連情報満載だが、せっかくなので、ピーター・ブルック自身の言葉を引いておこう。高齢のために今回、さすがに来日はしていないが、現地パリでの最新インタビューを読むことができるのは嬉しい。

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(聞き手の、「あなたの仕事はシンプルだと形容されますね」という問いかけに対し)
私にとってレッテルを貼るというのは、何かを固定してしまうということです。私は人生すべてが動きであると思う。動きには、ゆっくりしたものも素早いものもありますが、すべて音楽のようでしょう。何の動きもない音楽など考えられないし、あるとすれば無音ですよね。音がたった一つだけある瞬間があるとすれば、それはもう音ではない。音とは、何かその前にあるもの、その後にあるものとの間で活かされるものなのです。レッテルを貼るということは、飛び回っている蝶々をつかまえてピンで留めようとするものです。蝶々は死んでしまう。私にとってこれはとても大事なことなのですが、「シンプリシティ」(注 : 単純さ) という言葉を頻繁に耳にし過ぎる。若い人たち、若い演出家たちが、それで「ああ、ピーターのメソッドがわかったぞ!」と思ってしまうのは、とても困ったことだと思います。私は 60年間、70年間を経てこの地点に辿り着いたわけですが、最初の頃は混沌としていましたよ。人生の楽しみ、苦しみ、何もかもを味わいました。ありとあらゆる料理も食べましたし、重い食事、ドイツ料理、日本食、何でも。ほんの少しずつ、自分自身で理解するために。ですから他の人には自分の道筋を通ってほしい。私にとって少なくとも 60年間、あるいはそれ以上の時間がかかったように。

UNQUOTE

うーん。簡単に単純化云々と書いてしまったが、その単純化できる境地に達するまでに、長い時間と人生経験を要した結果であって、誰でも真似できるものではないということだろう。芸術分野でなくとも、我々が生きて行く上で経験するあらゆる分野についてあてはまる、含蓄深い言葉だと思う。あ、それから、30年前に見ることができなかった芝居の敵討ち (?) をしたからと言って喜ぶのはまだ早い。その倍、60年かけて初めて物事が見えてくると、ブルックは語っているのだから (笑)。まだまだ修行が足りません。

さて最後に、とっておきの本をお奨めしておこう。この記事で何度も名前を出した脚本家、ジャン・クロード・カリエールが、あの「薔薇の名前」の原作者ウンベルコ・エーコと対談した、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本だ。もちろんこの本は、今のところ (発行された 2010年時点では) 紙の書物だが、もしかしたら今では電子書籍で読めるかもしれない (笑)。まあしかし、真の知性同士の驚くべき対話に、ページを繰るごとに気持ちが高揚するという経験は、電子書籍でも味わえるものなのだろうか。いずれにせよ、ピーター・ブルックの芝居でも観ようという知性と感性の持ち主の方には、人生における必読の書として強く推薦しておこう。
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by yokohama7474 | 2015-11-28 03:01 | 演劇 | Comments(0)

歌舞伎 神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし) 2015年11月15日 国立劇場

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今、東京の国立劇場で、「神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし)」という歌舞伎がかかっている (11/26 まで)。これは、昔多摩川の渡し場があった矢口という場所にまつわる物語。時は南北朝時代。鎌倉幕府を倒すのに功績のあった武将、新田 義貞の二男、義興 (よしおき) が父の遺志を継いで足利尊氏の没後に挙兵、鎌倉を目指す途中で多摩川を渡る際、敵の奸計に陥って矢口渡にて命を落とす。ところがその後、義興の亡霊が祟りをなしたので、その御霊を鎮めるために神社が建立される。この物語はもともと「太平記」に記述があるが、この歌舞伎が扱うのは、その義興暗殺を巡る人々の後日譚であり、中でも義興の旧臣、由良 兵庫之助 (ゆら ひょうごのすけ) の物語が強烈なインパクトを持つ。上のポスターがその兵庫之助。演じるのは当代の重鎮、人間国宝 二代目 中村 吉右衛門だ。
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さて、この数年、私はなんとしてもこの演目が見たかったのである。それゆえ、今回の上演を知って狂喜乱舞した。それには明確な理由がある。本公演のプログラムに載っている、矢口渡近辺の現在の写真は以下の通りだ。
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むむ、この写真、どこかで見覚えがないか。おっと、なんとなんと、このブログのタイトルに掲げている写真と、何やら雰囲気がそっくりだ。・・・ま、それが理由 (笑)。ここに住んだのも何かの縁。いろんなご縁を大切にしないといけません。

この歌舞伎、作者が面白い。福内 鬼外 (ふくうち きがい) という、節分の豆まきのような人を食ったこの作者の正体は。
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そう、江戸のマルチタレント、平賀 源内 (1728 - 1780) だ。医者であり蘭学者であり洋画家であり、オランダから入ってきた静電気発生装置であるエレキテルを日本で復元した人物としても知られる。一説には、上記の新田義興を祀る新田神社 (東京有数のパワースポット。後述) から、祭神である義興の霊験を広めて欲しいとの依頼を受けて執筆されたとも。実は源内は、今はどこの神社でも初詣のときに売っている破魔矢 (当初は矢守と称した由) を考案した人物で、どうやらそれもこの歌舞伎の内容と関連がある模様。芝居を書いてその関連グッズを売る、商売上手な、なかなかのアイデアマンだ。ともあれこの作品、人形浄瑠璃として 1770年に江戸外記座で初演され、1794年に江戸桐座で歌舞伎として初めて上演された。この歌舞伎としての初演時の役者を、あの写楽が何枚か描いている。おぉなるほど、写楽が活躍した 10ヶ月 (1794年 5月から 1795年 3月にかけて) という短い間に、ちょうどこの作品が歌舞伎として初演されたのですな。但し、写楽デビュー時のあの強烈な大首絵ではなく、それほどインパクトのない全身像だ。とはいえ、主役級ではなくこれらの脇役までも肖像画がいわばブロマイドとして売りに出されていた江戸時代の演劇文化の成熟ぶりには驚きを禁じ得ない。
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さて、国立劇場は建物や雰囲気自体は古いものの、いつも歌舞伎を見る昔ながらのワクワク感を感じさせてくれる場所だ。歌舞伎座がいろいろな歌舞伎の場面場面を上演するのに対し、こちらはいわゆる通し狂言が多い。しかも、上演にあたって詳細な資料を作成して一般にも販売するのだ。やはり国立だけあって、歌舞伎を日本固有の貴重な文化遺産として後世に伝えて行こうという意志が見えて、なんとも心強い。あ、それから、チケットの値段も歌舞伎座よりも安いのです (笑)。駐車場もあって、今回のように休憩を入れて 4時間半近い上演でも、なんと駐車料金 500円。皇居を望む都心の一等地であることを思うと、嬉しい限り。
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そして今回は、大田区が舞台の作品ということで、こんなコーナーも。
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地元民なのに、なぜか嬉々としてこのようなグッズやお菓子などを買っている家人を横目で見て、物品の販売というものは、平賀源内流に、何かにあやかるとか、言葉を選ばずに言えば、便乗するということが大事なのだなと思い至った次第。そういえば、東急多摩川線沿線 (蒲田、矢口渡、武蔵新田・・・) にはこの歌舞伎のポスターがあちこちに貼ってあるが、地元民の皆様は国立劇場に足を運んでいるのだろうか。余計なことながらちょっと心配だ。

さて、本題に入る前に寄り道しすぎですね。そろそろ作品について書きましょう。今回上演されたのは以下の 4幕。
 序幕 : 東海道 焼餅坂 (やきもちざか) の場
 二幕目 : 由良兵庫之助 新邸の場
 三幕目 : 生麦村 道念 (どうねん) 庵室の場
 大詰 : 頓兵衛 住家 (とんべえ すみか) の場
実はこれらの場の中で比較的頻繁に演じられるのは、最後の「頓兵衛住家」だけで、序幕は 109年ぶり、二幕目は 100年ぶり (前回、1915年に兵庫之助を演じたのは、初代中村吉右衛門)、三幕目は実に 119年ぶりとのこと。従って、今回の上演は歴史的なものなのだ。とりわけ二代目吉右衛門にとっては、齢 70を超えて、初代からちょうど 100年後に同じ役を演じるというのは、いかにも感慨深いことだろう。

序幕では、義興の奥方である筑波御前 (中村 芝雀) と家臣、由良兵庫之助の妻、湊 (中村 東蔵) が、来るべき新田家再興のために、生き別れになった義興の遺児、まだ幼い徳寿丸 (とくじゅまる) を探す旅に出ている。駕籠かきに言い寄られるのを巧みに切り抜ける (笑えるシーンあり) が、そのならず者の駕籠かきたちは、修行者に扮して背中に背負う行李にその徳寿丸を隠して落ち延びる新田の家臣、南瀬 六郎 (みなせのろくろう) に標的を替える。六郎は足を傷つけられながらも、このならず者たちを片づける。
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二幕目がこの演目の最初の大きな見どころだ。由良兵庫之助は、新田家滅亡ののち、敵方の足利家に寝返って生き延びている。その新たな屋敷にたまたま旅の途中の筑波御前と湊がやってきて、思わぬ再会を果たす。湊は夫の裏切りをそしるが、兵庫之助は知らぬ顔。そこに徳寿丸を守る南瀬六郎もやって来るが、それを目撃した悪党の密告を受けた足利の重臣、竹沢 監物 (たけざわ けんもつ、中村 錦之助) がズカズカと入り込んで来て、兵庫之助の足利への忠誠を示すため、六郎と徳寿丸の首を出せと要求。六郎とは大立ち回りになる。
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その果てに、六郎は自害。そして兵庫之助は、幼い徳寿丸の首も平然と切り落として竹沢に渡す。ところがこれは実は兵庫之助と六郎の仕組んだ作戦で、敵の目をあざむいて徳寿丸になんとしても生き延びてもらい、お家再興を託すための大芝居であったのだ。六郎はそのために命を落とした。では、徳寿丸は・・・。実は首を斬られたのは、兵庫之助の実の息子であったのだ。真実が分かってからも、兵庫之助、筑波御前、湊の間には長いやりとりがあり、お家のためにわが子までもを手にかける兵庫之助の忠誠心と、必死にお家のためと自分に言い聞かせながらも幼いわが子の犠牲に断腸の思いを抱く湊、そして夫婦に深い同情を抱きながら凛とした態度で徳寿丸に期待を寄せる筑波御前と、それぞれの姿が描かれる。見応え充分の場面であるが、中でも兵庫之助が、「お家のためなら子供の命くらいなんでもないわ」と豪語して呵々大笑し、それが抑えた号泣へと変わって行くあたりの吉右衛門の芸には、鬼気迫るものがあった。ところで、この設定、どこかで見たことがある。帰宅して調べると、5年前に文楽で見た、「菅原伝授手習鑑」の寺子屋の段であった。設定はほぼ同じで、追われている幼い主君を守るために、わが子を身代わりとして殺す話だ。この「菅原伝授手習鑑」の初演は 1746年だから、この「神霊矢口渡」より前だ。だが、大らかな時代のこと、このような剽窃ならいくらでもあったのだろう。もしかすると中国あたりの説話にルーツがあるようなことなのかもしれない。実は、同じような設定でこのような極限の悲しみを表現すると、歌舞伎よりも文楽の方が強烈な表現になると思う。人間が演じると、よくも悪くも、人の声と仕草でリアルな感情が表されるところ、絞り出すような謡と物言わぬ人形の動作という組み合わせになると、現実を超えた感情表現が可能になる。なので私も文楽のこのシーンの臓腑をえぐる深い悲しみを、体のどこかで覚えていたものだ。またその一方で、このような吉右衛門の大見得を見ると、歌舞伎ってやっぱりいいなぁとも思ってしまうのだ。よっ、大播磨!!
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三幕目と四幕目は話としては続いていて、義興の弟、義岑 (よしみね、中村 歌昇) が登場する。ここでは義岑は、あまり頼りにならないやさ男という描かれ方をされているが、道心という托鉢僧に出会い、彼が実はもと新田家の旗持ちであることを知る。そして義岑は家の再興に向けた決意を固め、ちょうど兄が命を落とした多摩川の矢口渡まで来るが、そこで日が暮れたため、同行している傾城うてな (中村 米吉) とともに渡し守りの頓兵衛 (とんべえ、中村 歌六) の家に一夜の宿を願い出る。ところがこの頓兵衛こそ、兄、義興の舟に細工をして謀殺した張本人。そして運命の皮肉か、頓兵衛の娘、お舟 (中村 芝雀) が義岑に一目ぼれ。親への義理と愛する人への思いの板挟みになり、ついには義岑を逃がしてしまうお舟。頓兵衛は義岑殺害をたくらみ、夜半に床下から刀で攻撃するが、手負いになったのはなんと自分の娘。その後父娘の争いが続き、最後にはお舟も力尽きるが、頓兵衛も、川の中から現れた義興の亡霊 (中村 錦之助) に矢で喉を射られて絶命する。
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ここにも見せ場が沢山あり、歌舞伎の演劇としての成熟度を思い知るのであるが、興味深いのはお舟の行動だ。これも、どこかで見たことないだろうか。そう、ヴェルディの歌劇「リゴレット」だ。もちろん「リゴレット」には最後は亡霊は出てこないものの、殺されるモンテローネの呪いという設定になっている点、共通点はある。「リゴレット」の初演は 1851年で、その原作、ヴィクトル・ユゴーの「王様はお楽しみ」はもちろんそれより前だが、この「神霊矢口渡」よりは確実に後だ。これは偶然の一致なのか、それともユゴーがどこかで歌舞伎のストーリーを知るきっかけがあったのか、興味は尽きない。もしかして、ユゴーが平賀源内を盗作??? まさかとは思うが、想像するとこんなに楽しいことはない。

このように、見どころ満載の演目であるので、大田区民であろうとなかろうと、一見をお奨めする。

さて、せっかくなので、新田次郎、いや違った、新田義興を祭神とするパワースポット、新田神社を紹介しておこう。東急多摩川線の武蔵新田駅から、徒歩で 3分というところだろうか。決して大きくはないが、なんとも言えずそこだけ空気が澄んでいるような気がするのだ。
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この本殿には、今回の「神霊矢口渡」のポスターが貼ってある。義興さんもさぞご満悦であろう。
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それからここには、霊木のケヤキがあり、よく人が木の回りに手をあててパワーを吸引している。
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そして外壁には、神社の来歴の長い説明が。実は今回、同じものが国立劇場の 2階ロビーにも展示されている。
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それから近辺でもう一箇所、興味深い場所をご紹介しよう。
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なになに、やぐちのわたし、とんべえじぞうそん・・・。そうだ。この歌舞伎で悪役として登場する渡し守、頓兵衛の名前がつけられた地蔵様だ。こんなふうに既に磨滅が激しく、何やらただならぬ気配。
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これは、頓兵衛が義興の暗殺に加担したことを悔いて、その菩提を弔うために祀ったという言い伝えがある。実際のところは頓兵衛は架空の人物であろうし、歴史的な根拠は何もないのであるが、このようなお姿になっても未だこの世に留まって時代の移り変わりをご覧になっている地蔵さんに、人々が日々抱く様々な悔恨の思いの受け止め手としての信仰が集まったと思うと、心に迫るものがある。

新田義貞なら教科書にも出てくるが、義興の名前は、たまたまこの新田神社を訪れた人くらいしか知らないと思う。それでも、今でもこの土地に残る伝説と、その場所に漂うただならぬ雰囲気に触れると、長い時間の人々の生活が偲ばれよう。大田区民の皆様はもちろん、そうでない方も、今回の貴重な上演から、そのような歴史に思いを馳せてみませんか。ついでに大田区特産物も、よろしく!!

by yokohama7474 | 2015-11-17 00:47 | 演劇 | Comments(0)