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チョン・ミョンフン指揮 東京フィル 2017年 7月23日 Bunkamura オーチャードホール

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一週間ほど前にジョナサン・ノット指揮東京交響楽団による熱演をレポートしたマーラーの交響曲第 2番「復活」であるが、その演奏と相前後して、その第 1楽章の原型となった交響詩「葬礼」の素晴らしい演奏を、エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団が披露した。そして、7/21 (金) とこの日 7/23 (日) の 2回に亘って、今度はチョン・ミョンフン指揮東京フィル (通称「東フィル」) によって、また「復活」が演奏されるという事態。東京は時ならぬ「復活祭り」(?) に沸いているのであるが、 せっかくならこのお祭りに参加しないと損ではないか。現在は東フィルの名誉桂冠指揮者という地位にある世界的指揮者のチョンであるが、上のチラシにある通り、彼がこのオケで「復活」を振るのは 2001年以来実に 16年ぶりとのこと。日本のオケの指揮台に立つ名指揮者たちの中でも、このチョン・ミョンフンはもちろん、世界楽壇における地位もトップ中のトップであるが、私の感じるところ、その音楽の「凄み」という点において、他の追随を許さないレヴェルに達している人である。そんな彼の振る「復活」に、期待するなという方が無理というもの。
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今回、チョンと東フィルはこの「復活」を合計 3回演奏するのであるが、その日程と会場が面白い。まずは東京オペラシティで 7/21 (金) に行っており、そして今回の Bunkamura オーチャードホールでの演奏、そして 3回目はなんと夏休みを越えて、9/15 (金) に、改装なったサントリーホールで演奏される予定になっているのだ (ソリスト、合唱団もすべて同じ)。そもそも世界的指揮者が 2ヶ月を挟んで東京で同じ曲、しかもこんな大曲を指揮するとは極めて珍しいことであるが、東京を代表する 3つの異なるホールで「復活」を演奏するこのコンビには、何かの決意があるということだろうか。実は前回、2001年にチョンと東フィルがこの「復活」を演奏したのは、新星日本交響楽団との合併を経た「新生」東フィルとしての最初の定期演奏会であったとのこと。興味深いことに、合併前の旧・東フィルとしての最後の定期演奏会も、沼尻竜介の指揮でこの曲が演奏され、合併 5年後の 2006年にはダニエル・ハーディングの指揮で、10年目の 2010年には当時常任指揮者に就任したばかりのダン・エッティンガーの指揮で、この曲が演奏されているという。こうなってくると私もひとつ情報を付け加えたくなる (笑)。合併前の新星日響も、当時の大指揮者のもとでこの曲を演奏していて、それは 1986年、朝比奈隆によるもの。高揚感ある演奏だったのを覚えている。これは当日のプログラムからの写真。
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思い起こしてみれば、チョンが合併後の東フィルのミュージック・アドバイザーに就任するというニュースには、本当に驚いたものだ。もちろんそれに先立って N 響ではシャルル・デュトワが常任指揮者、そして音楽監督としての活動を行っていて、それまでの日本のオケの在り方が変わろうという流れはあった。だが東フィルの場合、合併前に音楽監督であった大野和士が非常に大胆なオペラ・コンチェルタンテ・シリーズなどで気を吐いていたので、その手作り感あふれる状態から、一気に世界のメジャー指揮者を指揮台に迎えることには、素直に喜べない気がしたのである。チョンほどの大物を高いギャラを払って連れて来ても、それは一時的なトレーニング目的であって、きっと長年に亘って振ってくれることはないだろうと、私は勝手に思い込んでいたのであった。ところが、それから早いもので 16年。私の思い込みは嬉しいことに間違っており、チョンは今も頻繁に東フィルの指揮台に立ってくれている。そう思うと、過去 20年ほどの日本のオケの飛躍を象徴するコンビのひとつが、チョン・ミョンフンと東フィルと言っても過言ではないだろう。

演奏開始前にステージを見渡すと、コントラバスが 10本の大編成である。最近このような大曲でも、通常サイズの 8本で演奏することが多いと思うが、ここは大規模所帯の東フィルならではの贅沢か。いつもの通り暗譜で指揮を始めたチョンであるが、上に書いた「凄み」は、その呼吸から来ている。気負いすぎることなくごく自然にキューを出して開始した冒頭部は、驚くほどの切れ味でもなかったものの、それに続く低弦の唸りには、凄みを抉り出すチョンの真骨頂が、早くも見えた。総奏に入っても、音楽は過剰な熱を帯びることはなく、迫力はあるものの、ある意味では淡々と進んで行く。逆説的かもしれないが、この淡々とした感覚こそが、チョンの紡ぎ出す凄みの秘訣なのだと思う。どういうことかと言うと、淡々としているかと思えた第 1主題に対して、第 2主題では一転、通常よりもぐっと遅いテンポで纏綿と旋律を歌い抜く。そのときに聴き手は、何か新しい世界が展開したように感じるのである。これはその後も全曲を通して聴かれた傾向で、例えば第 3楽章スケルツォでは的確なリズム感が諧謔味を強調していたし、終楽章の長い長い起伏の中で、オケの爆発の前、あるいは合唱が入ってくる前という要所要所では、遅いテンポでの祈りのような音楽が奏された。このようなメリハリによって聴き手は、ある時には突き放されることもあれば、ある時には纏綿たる情緒に溺れることとなる。チョンが大きな呼吸で指揮棒を振るとき、そこに生じる音楽の凄みが、徐々に深みを帯びて行くのである。既にお互いをよく理解している指揮者とオケのコンビであるから、音の呼吸も自然なのであるが、もし今回の演奏で僭越ながら課題を挙げるとするなら、金管の弱音部の細かいニュアンスではなかったろうか。ところで以前も書いたが、上記のようなチョンの音楽の特性は、彼の師匠であるカルロ・マリア・ジュリーニと共通する点があるのではないか。ジュリーニの手掛けたマーラーは、私の記憶する限り、1番、大地の歌、9番だけである。だが、もしジュリーニが「復活」を振ったらこんな演奏になってのではないか、などと想像しながら聴いていたものである。

今回の独唱者は二期会の人たちで、ソプラノの安井陽子とメゾ・ソプラノの山下牧子。合唱は新国立歌劇場合唱団であった。第 4楽章で独唱を歌うメゾの山下は、なんとも深々とした情緒を伴う声。どこかで聴いたと思ったら、今年 2月に新宿文化センターで行われたアンドレア・バッティストーニ指揮の同じ東フィルによるヴェルディのレクイエムであった。これが山下さん。
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そういえば新国立劇場合唱団は、前日 (土曜日) もフルシャ指揮東京都交響楽団の演奏会で、スークの「人生の実り」を歌っており、それは 2回の「復活」の演奏会 (金曜日・日曜日) の間だったことになる。既に新国立劇場でのオペラのシーズンは終わっているとはいえ、大変な日程である。もっとも「人生の実り」の方は女声合唱だけであり、歌詞のないハミングのみなので、それほど負担ではなかったということか。あるいは、そもそも 2組に分けての別々の歌手たちの出演であったのだろうか。ただ、合唱指揮は同じ冨平恭平。連続した日程で全く別の曲を聴くのに、同じ合唱指揮者が連続でステージで挨拶するのを見るというのも珍しいことだ。また、ここでひとつ思い出したことには、今回の演奏では、メゾの山下を除くソリスト・合唱団のメンバーは、全員譜面を見ながらの歌唱であった。最近の東京での声楽付きの大曲の演奏では、合唱団も暗譜ということも多いが、もともとヨーロッパでは、宗教的な内容の曲の場合には譜面を見るのが普通で、それは神に捧げる言葉、あるいは神がら授かった言葉を歌うからだ。「復活」はミサなどの純然たる宗教曲ではないものの、終楽章の歌詞は明らかに宗教性のあるもの。そのような背景に鑑みて、指揮者が譜面使用を指示したものではないかと、私は想像したくなるのである。

この曲の終盤は、それはもう凄まじい音響の嵐となるので、どんな演奏でも感動するのだが、今回のチョンと東フィルの演奏も、まさに鳥肌もの。この曲の優れた演奏では、合唱の盛大な盛り上がりに対して指揮者の身振りが返って小さくなることが多く、それこそがこの曲の凄みを引き出すひとつの要因かとも思うが、もちろん、「凄み」の指揮者チョン・ミョンフンは、最小限の身振りで最大限の壮絶な音量を炸裂させて、全曲を終了した。この曲の終楽章では舞台裏でトランペットとホルンとティンパニの別動隊が演奏をして、大団円ではそれらの奏者 (あ、もちろんティンパニは除く) もステージに合流して大音響に貢献するという方法が一般的だが、前述の通りこのオケはほかのオケよりも規模が大きいので、それはないかと思っていたら、なんのことはない、最後の最後に何人かの若い奏者 (多分学生のエキストラではないか) が舞台に合流した。数えてみると、トランペットは (起立の 4名を含む) 10名、ホルンは 11名であった。若い奏者たちにとっても、このような経験は本当に生涯の宝になることだろう。

高揚した気分でホールから出ようとすると、たまたま会社の先輩とばったり出くわした。中学生くらいの息子さんと一緒で、なんでも息子さんはホルンを演奏するという。「じゃあ、早くマーラーの演奏会に、エキストラとして出れるといいね」と冷やかすと、「はい」と照れながら答えてくれたのが微笑ましかった。現在ドヴォルザーク 8番を練習中とのことだったので、「ここは大変だねー」と、終楽章のアクロバティックなホルンの箇所を歌うと、我が意を得たりとうなずいてくれたのだが、こちらは演奏せず、ただ口で歌うだけだから気楽なもの (笑)。若い奏者の皆さんにとっては、東京は様々なオケを実際に耳にできる恵まれた環境なのである。プロのオケマンの皆さん、是非未来を信じて、さらに素晴らしい演奏を展開して行って頂きたい。

by yokohama7474 | 2017-07-24 00:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ヤクブ・フルシャ指揮 東京都交響楽団 2017年 7月22日 東京芸術劇場

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この日の 14時からのコンサートにはいくつかの選択肢があった。まず、すみだトリフォニーホールでは、上岡敏之が手兵新日本フィルを指揮して、幻想交響曲などを演奏する。東京オペラシティコンサートホールでは、藤岡幸夫指揮東京シティ・フィルが、エルガー 1番などを演奏。これも面白そうだ。いやいや、本命はやはり、ミューザ川崎シンフォニーホールでの、ジョナサン・ノット指揮東京響であろう。なぜなら曲目は、シェーンベルクの浄夜とストラヴィンスキーの春の祭典という意欲的なものであるからだ!! これらはいずれも是非聴いてみたいものばかりであるが、残念ながら体はひとつ。涙を呑んで私が選んだのは、これらとは違うコンサート。東京都交響楽団 (通称「都響」) を、首席客演指揮者のヤクブ・フルシャが指揮するものだ。実のところ、今月都響は 3種類のプログラムを演奏するが、そのうちの 2種類は既にこのブログでご報告済。マルク・ミンコフスキ指揮の演奏会とエリアフ・インバル指揮の演奏会で、いずれも大絶賛した。そうなると残るもうひとつのプログラムも、聴かざるを得ないではないか (笑)。もちろん、世界の指揮界における若手のホープ、フルシャの指揮ということは大きなポイントであるが、曲目がまた素晴らしい。以下のようなもの。
 ブラームス : 交響曲第 3番ヘ長調作品90
 スーク : 交響詩「人生の実り」作品34
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ちょっと渋いと言えばそうかもしれないが、注目はやはり、フルシャの故郷であるチェコを代表する作曲家のひとり、ヨゼフ・スーク (1874 - 1918) の代表作、「人生の実り」であろう。私の世代でヨゼフ・スークと言えばもちろんあのチェコの名ヴァイオリニスト (1929 - 2011) を連想するが、彼はこの作曲家の同名の孫にあたる。チェコ人の音楽に対する情熱については、このブログでも過去に何度か紹介しているが、チェコ音楽史におけるこのスーク家の実績は、その中でも特筆すべきものではないか。以下、祖父スーク (作曲家として歴史に名を残しているが、孫同様に優れたヴァイオリニストでもあった) と孫スークの肖像。面影には共通するものがある。
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とこのように書きながらも、私にとって作曲家ヨゼフ・スークが身近な存在かと言えば、正直、決してそうではない。だがスークは、チェコ音楽における最大の作曲家であるドヴォルザークの娘と結婚しており、またプラハ音楽院教授としては、次の世代のチェコを代表する作曲家、ボフスラフ・マルティヌーを教えたという点で、チェコ音楽史の系譜の中で、極めて重要な人なのである。そしてその作風は、非常に豊麗な後期ロマン派風。生年を見るとそれは明らかで、ドイツ系の作曲家で言えば、リヒャルト・シュトラウスよりも 10歳下、ツェムリンスキーよりも 3歳下。その一方で、同じ東欧 / ロシア系の作曲家で見てみると、ハンガリーのバルトークより 7歳上、ロシアのストラヴィンスキーよりも 8歳上である。チェコ人の音楽性はかなり保守的であると言ってよいであろうから、スークの作風は、後期ロマン派の残影の中にあって、バルトークやストラヴィンスキーのような 20世紀の前衛とは一線を画するものである。また、音楽好きなら既にお分かりの通り、1874年生まれということは、過激な前衛音楽を切り拓いたオーストリア人シェーンベルクとは同い年。もっともシェーンベルクの場合も、初期には非常に後期ロマン派的な曲を書いていたので、その点での共通点はあると言えるかもしれない。

さて今回の演奏会では、指揮者フルシャが演奏前にステージに現れ、20分に亘りプレ・トークを行った。日本では演奏されることが稀なこのスークの作品について、どうしても語りたかったということだろう。いわく、彼が 17歳のときにプラハの楽譜店の前を通りかかったときに大きなスコアが安く売られているのを見て購入。自宅で勉強してみると、内容は安いどころの話ではなく、めくるめく世界であり、魅了された。17歳や 18歳でこの曲の内容が分かったとは言えないだろうが、素晴らしい芸術がそうであるように、知れば知るほどに、録音で聴けば聴くほどに魅了される。そして、いつの日かこの曲を指揮することを夢見るようになった。40分ほど切れ目なしに演奏される曲であるが、それは例えてみれば、寄せては返す海の波のようであり、また延々と流れゆく河のようでもある。「人生の実り」とは、英語では "Ripening" であるが、ここには人生の様々な要素が表現されていて、「実り」とは成熟した「状態」を指すのではなく、むしろそこに至る「過程」を表している。曲の内容について様々な研究者による様々な説があるが、自分としては初演者であるチェコの大指揮者ヴァーツラフ・ターリヒが唱えた、6つの部分に分ける説を支持したい。いずれにせよ、音楽の流れをよく聴いて欲しい。あ、それから、前半のブラームスもお楽しみ下さい!! と述べて、この若手指揮者のトークは終了した。つまりこの「人生の実り」という曲は、若き日のフルシャが音楽家になる決心をするきっかけの曲であったということだろう。ところで、フルシャの話の中に、彼の師であり、先般惜しくも亡くなったイルジー・ビエロフラーヴェクについての言葉があるかと思ったのだが、それはなかった。

さて、そんなスークの作品の前に演奏されたのは、指揮者が楽しんで下さいと言った、天下の名曲、ブラームス 3番。ここでは都響の今の充実が如実に表れており、なんとも味わい深い名演が展開した。「前座」としてはもったいないような演奏において、都響の実力を引き出したのは、もちろんフルシャの高い力量によるものであろう。実際、ブラームスの 4曲の交響曲の中でも最も渋いこの 3番を、こんなふうにじっくりと聴かせてくれる指揮者が、未だ 36歳の若手とは信じがたいような思いである。この演奏の中で、時折聴き手をはっとさせるように耳に入ってきた地を這うような低音は、コントラファゴットである。以前このブログでも、サイモン・ラトルがベートーヴェン 7番の演奏で、オリジナルの楽譜にはないコントラファゴットを使用しているという発見について書いたが、調べてみたところブラームスの交響曲 4曲のうち、2番を除く 3曲で、この楽器が使われている。まあ確かに 2番はブラームスにしては異例の明るい曲だから、コントラファゴットを含まない楽器編成も、分かるような気がする (だが実は、2番では唯一チューバが使われているという意外性もあるのだが)。ともあれ、昨年からドイツの名門バンベルク交響楽団の首席指揮者を務めるフルシャとしては、ブラームスで充実した演奏をできることは必須の条件であろう。今年 12月にはまた都響で、ブラームスの 1番と 2番を演奏することになっていて、今から楽しみである。これは過去のフルシャと都響の演奏風景。
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メインの「人生の実り」という曲について、実は私はそれほどに思い入れがあるわけではなかった。スークの作品としては、アスラエル交響曲とか「夏の物語」とともに、この曲もこれまでに録音では何度か聴いたことはあり、確かに滔々とした流れはあるものの、R. シュトラウスほどの超絶的なドラマ性があるわけではなく、もうひとつつかみにくい曲と思っていたのである。だが今回のフルシャの指揮ぶりを見ていると、プレトークで感じられたこの曲への思い入れがはっきりと感じられ、移り変わる音楽的情景において、常に確信をもってオケをリードする姿には、素直に感動した。実際、弦楽器の分奏も多く、全曲に切れ目はないのに曲想の変化は多い。また、随所で活躍するティンパニも拍を数えるのに真剣であって、技術的にはかなりの挑戦であったと思うが、最近の都響であればそのくらいの挑戦は軽々と克服できるということを実感した。このオケがマーラーを中心に刻んできた激闘の歴史が、ここにまた新たな歩みを実現したように思い、大変感動したのである。実はこの曲には、別動隊のトランペット 6本 (ステージ奥のオルガンの前に配置) と、女声合唱 (今回は新国立劇場合唱団) が入り、いずれも終盤に登場して曲を彩るのであるが、視覚的にもそれらの要素が大変効果的であった。まさに人生の実りに向かう道のりを、会場に集った聴衆たちは耳にすることができたのである。

実のところ、このブログで以前採り上げた、マーラーの「巨人」におけるフルシャと都響の演奏に接して、もしかするとこの指揮者は、最近の世界的活躍ぶりで疲弊しているのでは、と危惧したものであった。だが今回の充実した演奏を聴いて、彼の音楽がまさに実りつつあることが実感できて、安心した。都響との首席客演指揮者としての契約は今年で終了してしまい、その後はなかなか日本までやってくることはないかもしれない。だが、以前フルシャ自身が口にしていた都響への信頼を維持してもらえれば、我々には今後もチャンスがあるだろう。是非これからのフルシャのさらなる進化を、実際のステージで体験したいものだと思った。

by yokohama7474 | 2017-07-23 00:55 | 音楽 (Live) | Comments(0)

レナード・スラットキン指揮 デトロイト交響楽団 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子) 2017年 7月19日 東京オペラシティコンサートホール

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ヴァイオリニスト諏訪内晶子が主催する国際音楽祭 NIPPON については、先般、諏訪内自身のヴァイオリン・リサイタルの記事でご紹介した。実は今年、この音楽祭に参加する指揮者とオーケストラがあって、それが今回私が聴いた、米国の名指揮者レナード・スラットキンとデトロイト交響楽団なのである。今年 73歳になるこの指揮者の演奏としてかつてこのブログでは、NHK 交響楽団を指揮したものと、フランス国立リヨン管弦楽団を指揮したものとを採り上げた。私はこのスラットキンという指揮者になんとも言えない愛着と信頼感を持っていて、その明快な指揮ぶりには毎度楽しませてもらっているのである。もともとセントルイス交響楽団の音楽監督として名を上げた人だが、父もフェリックス・スラットキンという指揮者であった。私も若い頃、父スラットキンがハリウッドボウル交響楽団を指揮した初期ステレオ LP を、中古レコード屋で見つけてはせっせと買っていた時期がある。私の興味の対象は、高踏的な大芸術だけではなく、庶民的というか、あえて言ってしまえば低俗ギリギリの文化分野にも及ぶので、彼の父の歴史的役割とともに、レナード・スラットキンの活動が大変に気になるのだ。
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一方のデトロイト交響楽団は、なんといってもハンガリーの巨匠アンタル・ドラティが 1977年から 4年間音楽監督を務めた際に、デッカに録音したストラヴィンスキーやバルトークやシマノフスキが忘れがたい。その後、ギュンター・ヘルビヒ、ネーメ・ヤルヴィを経て、2008年からこのスラットキンが音楽監督を務めている。私は生で聴くのが今回が初めてだが、大変興味深い曲目なのである。
 武満徹 : 遠い呼び声の彼方へ! (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 コルンゴルト : ヴァイリン協奏曲ニ長調作品35 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 チャイコフスキー : 交響曲第 4番ヘ短調作品36

なるほど、メインのチャイコフスキー 4番は、スラットキンなら豪快に聴かせてくれそうだ。また、中間のコルンゴルトは私の愛好する曲であり、本当に楽しみ。そして最初の武満は、スラットキンのレパートリーとしては一見異色だが、彼は別の作品 (彼自身が世界初演した「系図 (ファミリー・トゥリー)」) を N 響とも演奏していたこともあり、期待できるのではないか。

まず最初の武満だが、諏訪内はこの曲を一度録音している。それは 2001年、N 響創立 75周年を祝う録音で、指揮はシャルル・デュトワ。確か国外ツアーの曲目でもあったのではないか。名門デッカによる録音であった (この CD でもメインはチャイコフスキー 4番という偶然)。
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早いもので、それから既に 16年が経過しているが、私は昨今の諏訪内はどんどん進化していると思っていて、今回の演奏でも、停滞した歌謡性とでも言うべき特異な武満の音楽を、過剰な気負いなくきれいに響かせていて、素晴らしいと思ったものだ。スラットキンとデトロイト響も、充分に美しい響きでその諏訪内のヴァイオリンに応えていた。予想通りオケのパートは、繊細さや陰鬱さが強調されるのではなく、明確で前向きな音楽に仕上がっていて、アメリカ風武満というものがあってもよいではないかと思った。これこそが音楽が世界語たるゆえんだろう。

さあそして、コルンゴルドである。この作曲家については後で少し書きたいが、このヴァイオリン協奏曲は 1945年の作。一聴して誰もが、古いハリウッドの映画音楽のようだと思うだろう。それもそのはず、このオーストリア生まれのエーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト (1897 - 1957) は、戦前からハリウッドで映画音楽を書いていた人なのだ。だが、それはある意味で思わぬ運命のいたずらによるもの。もともと彼は幼くしてオペラで成功し、欧州全土で神童の名を欲しいままにした。9歳にしてマーラーから天才と称賛され、12歳で書いたピアノ・ソナタはリヒャルト・シュトラウスを恐れさせ、14歳にしてベルリン・フィルの指揮者ニキシュから作曲の委嘱を受ける。そして 23歳の年、1920年にオペラ「死の都」を書いて、欧州楽壇を席巻するのである。その後 1930年代からハリウッドで映画音楽を書き始めるが、ユダヤ系であったため、1938年のナチスによるオーストリア統合で母国に帰れなくなり、米国に亡命した。その意味で、「死の都」という傑作をものしてから、その先に行かなかった作曲家とも言えるが、上記の通り高踏的でない芸術も大好きな私にとっては、大いなる興味の対象なのである。なお、日本ではいろんな本が出版されており、「コルンゴルトとその時代」というみすず書房の書物で彼の人生を知ることができて、大変面白い。
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そもそもこのコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は、私が初めて聴いたこの作曲家の曲であり、演奏はイツァーク・パールマンで、伴奏はアンドレ・プレヴィン指揮のピッツバーグ交響楽団。高校生の頃、この録音をアナログ・レコードで何度も何度も聴いた私はその後、この協奏曲を 1947年に初演したのがあの超絶的な天才ヤッシャ・ハイフェッツであることを知り、もちろんハイフェッツの録音も聴くに及び、その耽美的な曲想に酔いしれた。第 1楽章は特に素晴らしい音楽なのだが、今でも実演ではそれほど演奏頻度が多くないので、今回のような機会は非常に貴重なのである。実際、もし今回の演奏会の曲目がメンデルスゾーンかチャイコフスキーかシベリウスのコンチェルトだったなら、きっと私は行かなかったことだろう (笑)。現在の諏訪内によるこの甘美な協奏曲に大いなる期待をし、そしてその期待は充分に報われた。甘美な節回しを聴いていると、コルンゴルトと武満には意外と共通性があるとまで思えてくるから不思議である。もちろんこの演奏は、甘美な部分だけではなく、疾走する部分も充分に美しいし説得力がある。・・・と考えていてふと思い出したのだが、現在諏訪内が弾いている楽器はストラディヴァリウスで、「ドルフィン」の愛称を持つ。楽器の先端の部分が丸くなっていて、それがイルカを連想させるからだという。
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そしてこの楽器 (1714年製)、以前使用していたのが、ほかならぬハイフェッツなのである!! 写真で見比べてみよう。
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ドルフィンも、かつての所有者のオハコを、現代の日本において再び奏でられることに喜びを覚えていたのではないか。そうだ、今の諏訪内の演奏には、なんとも言えない自由さがある。ここで私がさらに思い出したことには、1999年に、スラットキンが当時の手兵、ワシントン・ナショナル交響楽団と来日した際にやはり諏訪内と共演し、チャイコフスキーのコンチェルトが演奏された。だが私の記憶では、このときの諏訪内は全く精彩を欠き、それを察したスラットキンが途中から指揮棒を置いて、素手の指揮でしっかりサポートしていた。それを思うと今回の演奏は、まさに新境地と言えるのではないか。コルンゴルトをコルンゴルトらしく演奏できるのは、やはり名演奏家だけであろうし、それには楽器とのコミュニケーションも関係しているに違いない。加えて、スラットキンの両親がハリウッドで音楽家をしていた頃、ちょうどコルンゴルトが活躍していたので、きっとこの作曲家の映画音楽をスラットキンの両親は弾いていたに違いないというゆかりもあるのである。それらのことに気づいて満足した私は、今回は諏訪内がアンコールを弾かなかったことに妙に納得したのである。

そして後半のチャイコフスキー 4番では、オケのパワーが炸裂した。スラットキンはもともとあまりテンポを揺らしたり何か奇抜なことをやる人ではなく、ここでもオーソドックスな指揮ぶりであったが、何よりも明快で解放感があるのがよい。デトロイト響は音量も大きく、いわゆる昔ながらの米国の優秀なオケという印象だ。冒頭のホルンのファンファーレだけでも大変な厚みで、やはり日本のオケのクオリティが上がったと言っても金管は課題だなぁ・・・と嘆息した次第。ともあれ、途中退屈することは一切なく、最後の熱狂も素直に聴くことができて、素晴らしいチャイコフスキーであった。

そしてアンコールが 2曲。1曲目は意外な選曲で、指揮者自身が「ハナワサク」と日本語で紹介したが、例の震災復興のテーマソング「花は咲く」である。恐らくは、国際音楽祭 NIPPON が震災復興もひとつのテーマとしていることによる選曲だろう。ここではいかにもゴージャスなオーケストレーションとなっていて (ひょっとしてスラットキン自身によるもの???)、聴く者すべての胸に迫る。まるで古くよきアメリカ音楽のように響いていた。そして 2曲目は、これは本当に古きよきアメリカ音楽で、でもこちらはテンポのよい、「悪魔の夢」という曲。スラットキンは「米国西部の伝統的な歌」と言っていたが、その調子は、コープランドの「ロデオ」の終曲「ホーダウン」にそっくりだ。聴衆にも拍手を求めるノリノリの演奏であった。帰りがけの表示で知ったことには、これはスラットキンの父フェリックスの編曲 (あるいは作曲か???) になるもの。充実した演奏会を景気よく締めくくった。ここで父フェリックス・スラットキンの写真を掲載しておこう。
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さて、最後にもうひとつ、コルンゴルトについて。私のこの作曲家のヴァイオリン協奏曲との出会いは上述の通りだが、実はそれより少し後、ある本を読んで私はコルンゴルトに夢中になった。その本はこれである。私の手元にあるのは、1985年の初版第一刷。
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この中に、「放浪の音楽家 映画的健忘症を克服する」という章があり、そこにコルンゴルトについて触れられた箇所がある。著者は、このブログでは度々その名前に触れてきている蓮實重彦である。ここで詳細を述べることはしないが、コルンゴルトが書いた映画音楽の雰囲気は今日にまで多大な影響を与えていると紹介されている。例えば「スター・ウォーズ」の音楽はまさにコルンゴルト的であると。私はそれまで、ホルストの「惑星」が「スター・ウォーズ」に影響を与えていることは理解していたが、コルンゴルトの映画音楽を知らなかったので、何枚かレコードを買ってみたものである。「シー・ホーク」「ロビンフッドの冒険」・・・なるほど、血沸き肉躍る音楽とはこのことか。それから私のコルンゴルト探訪が始まったのだが、実はこの本にはもう 1箇所、重要な記述があった。ダニエル・シュミット監督の「ラ・パルマ」という映画で、コルンゴルトの代表作であるオペラ「死の都」の中の、この上なく甘美なメロディが流れることについてである。これはまさに世紀末の雰囲気をたたえた耽美的な曲であり、映画音楽と併せて、一般にはあまり知られていないこの作曲家への道程を知ることとなった。ここで重要なのは、音楽についての知識を映画についての本で知ったということだ。このブログで、様々な文化の分野を自由に渉猟しているのは、私のそのような経験から来ているものであることを、ここで明らかにしておきましょう。狭い分野だけにこもっていては、新たな世界は開けない。自由な感性を持って、高踏的な芸術と大衆的な文化の双方を楽しむこと。そうすれば人生、なかなか刺激に満ちた楽しいものになると、私は思っているのであります。

by yokohama7474 | 2017-07-20 01:16 | 音楽 (Live) | Comments(0)

エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団 2017年 7月17日 東京芸術劇場

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7/17 (月) 夜から 7/18 (火) 夕刻にかけて、エキサイトブログのサーバーがメンテナンスのためにアクセス不可となり、その間、記事のアップができない状況であった。コンサートを聴いたらその日中か、無理でも翌朝には記事にすることを基本原則とするこのブログにおいては、本来ならこの記事は、24時間以上前に書いていなければならないものであったが、遅れてしまったことをお詫びしたい。私としてもそれは忸怩たることであって、なぜならば、前々回の記事でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団によるマーラーの「復活」の演奏を採り上げたとき、その演奏と相前後して、ほかのコンビによる同じ「復活」の演奏のみならず、その交響曲の原型である交響詩「葬礼」の演奏もあると記述したからであった。炎暑に入りつつある東京の音楽界の賑わいを伝えるには、即時性が大事なのである。ともあれ、7/16 (日)、7/17 (月・祝) の 2日間に亘って池袋の東京芸術劇場で開かれたエリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団 (通称「都響」) の演奏会。私が聴いたのは 2回目 (というのも、1回目にはちょうど先の記事でご紹介したノット指揮東京交響楽団を聴いていたからだ) で、曲目は以下の通りであった。
 マーラー : 交響詩「葬礼」
 マーラー : 大地の歌 (テノール : ダニエル・キルヒ / アルト : アンナ・ラーション)

東京のマーラー・ファンならこれは必聴であろう。都響の前プリンシパル・コンダクターで現在は桂冠指揮者、世界的にもマーラー演奏の権威と認められているイスラエルの指揮者エリアフ・インバルが、以前 (2012年 3月で、ライヴ録音にもなっている) にも採り上げたマーラー晩年の傑作、大地の歌を再び指揮することに加え、実演の機会の多くない「葬礼」を採り上げる。今年 81歳のインバルのマーラーは、これから毎回毎回が貴重な機会になるであろうし、ある意味で我々は、インバルと都響のコンビによるマーラー演奏によって、日本の音楽界の発展・進化の歴史に立ち会うと言っても過言ではないからだ。
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ではまず、交響詩「葬礼」から。この曲が書かれたのは 1888年、マーラー 28歳のとき。もともと新たな交響曲の第 1楽章として構想されたが、途中で頓挫してしまった。そこでこの曲は、死者の霊を呼び出す異教的祭礼をテーマとする交響詩として完成された。だが出版にこぎつけることはできず、1893年に再び交響曲としての構想に立ち返ることとなる。そしてマーラーは翌 1894年に、5楽章からなる大作、交響曲第 2番「復活」を完成させた。その過程で「葬礼」は、演奏される主題や曲の大きな流れは維持されたものの、細部においてはかなりの修正を加えられて、その交響曲の第 1楽章とされた。つまりこの「復活」が完成してしまうと、「葬礼」なる交響詩の存在意義がなくなってしまったわけで、結局演奏の機会に恵まれることなく、埋もれて行ってしまった。そんな曲がようやく世界初演されたのは実に 1983年のこと。世はマーラーブームであった。その時の演奏、ヘスス=ロペス・コボス指揮ベルリン放送交響楽団 (現ベルリン・ドイツ交響楽団) による CD は当時西ドイツのシュヴァンというレーベルから発売され、私も発売時に購入して愛聴していた。日本語解説に「世界初録音」とあるのが見えるだろうか。因みに曲名は「葬礼」ではなく「葬送」となっている。尚、今ではほかにも、ブーレーズやシャイーやパーヴォ・ヤルヴィやジョルジュ・プレートルの指揮の CD が手に入る。
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さて、ではこの「葬礼」という曲、日本初演はいつ行われたのか。1990年 3月30日、若杉弘が、今回のコンサートと同じ都響を指揮して行った。これは、文字通り画期的なマーラー・ツィクルスの一環で、第 2番「復活」の演奏の際に、第 1楽章を通常の版ではなくこの交響詩「葬礼」に入れ替えてのものであった (実は私はこの演奏会のチケットを持っていたが、所用で聴けなかったので、これもライヴ収録された CD で喝を癒している)。尚、この若杉のマーラー・ツィクルスのプログラムに、当時既にマーラー演奏の世界的権威であり、後に同じ都響を指揮して何度もマーラーを演奏することになるエリアフ・インバルその人の言葉も載っているので、ご紹介する。
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そのような「葬礼」という曲、インバル自身がこれまで指揮したことがあるのか否か分からないが、もちろん期待は大である。楽員のチューニングが終わり、なぜか 2本の指揮棒を持って舞台に登場したインバルは、1本を譜面台に置いて、精力的に指揮を始めた。そしてその瞬間私が認識したことには、都響は今や東京ナンバーワンのオケではないだろうか。前日のノットと東響の「復活」の演奏では、以前の記事に書いた通り、冒頭には課題を感じたところ、今回のインバルと都響が繰り出した響きは、まさに「死者の霊を呼び出す異教的祭礼」にふさわしい、凄まじいもの。低弦の唸りは、冒頭から容赦なく人々の耳に、深く重く、強い説得力をもって響いたのである。それから始まった 25分間、なんと素晴らしい演奏であったことか。「復活」の最終版では消えてしまった、中音域 (第 2ヴァイオリンやヴィオラ) が呪いの言葉を呟くように唸る箇所があちこちで聴かれ、その流れの深いこと。もちろん、完成版に慣れた耳には粗削りに響く箇所もあり、ブルックナーと違ってマーラーの作曲法には洗練があるので、わざわざ粗削りな版を聴く意味があるかと思わないでもないが、聴いてみるとそれが意外と面白いのである。得体の知れない葬礼を目の前で見ているという不気味さに聴衆は圧倒されることとなった。そして、もともとインバルの指揮ぶりは器用なものではないのだが、81歳とは思えないくらい精力的に指揮棒 (上の写真にある通り、彼が使用しているのは比較的短いもの) を上下していると、突然バキッと音がした。よく見えなかったが、どうやら指揮棒を指揮台にぶつけて折ってしまったようであった!! だが音楽の力はいささかも弱まることなく、指揮者は慌てず騒がず、指揮台にあった予備の一本を取り出して、相変わらず精力的な指揮を続けたのであった。このあたり、わざわざ 2本指揮棒を持ってきたことが功を奏するのも、事前に予感のある、何か神がかった演奏であったということではないか (笑)。

休憩後の「大地の歌」は、因みに指揮棒 1本で登場し、特にトラブルなく全曲を振り終えたのだが (笑)、ここでもオケの表現力には際限がない。漢詩のドイツ語訳を歌詞としているのは有名な話であり、また、歴代の大作曲家が交響曲第 9番を完成したあとに死んでいることから、9番目のこの曲には番号をつけずに発表して、でも結局第 10番を完成しないまま世を去ったという逸話もよく知られている。だが、そのような情報を考えずとも、この練りに練った音楽 (6曲からなるが、第 1楽章ソナタ形式、第 2楽章緩徐楽章、第 3・4・5楽章スケルツォ、第 6楽章フィナーレとみなせば一応交響曲だ) にずっと浸っていたいと思うような演奏であった。最初のホルンの叫びの野性味から、最後の "Ewig (永遠に)" の言葉を取り巻くチェレスタやマンドリンのきらめきの夢幻さまで、充分にマーラーを知り尽くしたコンビが、様々な情景や感情を描き出していたし、今思い出しても終楽章のオケによる間奏部分の緊張感は異様なほどであった。今回はアルト・パートをスウェーデン人のアンナ・ラーション、テノール・パートをドイツ人のダニエル・キルヒが歌ったが、特に前者は (随分以前にアバド指揮ベルリン・フィルの「復活」の録音でソリストを務めていた ... 1996年の日本公演では違う歌手だったが)、暗譜で全曲を歌い、大変に安定した歌唱であった。終楽章では、オケに劣らぬ「練れた」声で感銘を与えてくれた。一方後者も、若干単調と感じないでもなかったが、いかにもドイツ人テノールという真面目な歌いぶりであった。
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終演後のインバルは終始上機嫌で、都響の音のクオリティに満足したことであろう。こうしてインバルと都響は、東京の音楽界に多大なる貢献を果たしつつ、また新たな道を進んで行くことであろう。9月から始まる来シーズンのプログラムを見ると、来年 3月に彼は都響に還ってくる。採り上げるのは、これも楽しみなショスタコーヴィチの大作 7番に加えて、幻想交響曲、悲愴等の名曲が並んでいる。うーん、どれも聴いてみたいが、やはりマーラーもまた聴きたいものである。炸裂する音響の中で折れる指揮棒をまた見てみたい!!

by yokohama7474 | 2017-07-19 03:05 | 音楽 (Live) | Comments(4)

ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 2017年 7月16日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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マーラーの大作、交響曲第 2番「復活」は、大変ポピュラーな名曲ではあるものの、演奏には一筋縄では行かないエネルギーを必要とするため、そう滅多に演奏されるものではない・・・東京を除いては。というのも、今週から来週にかけて、世界最高クラスの指揮者が 2人、別々の東京のオーケストラを指揮してこの曲を演奏するからだ。ひとつはここでご紹介するジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団 (通称「東響」)。もうひとつは、チョン・ミョンフン指揮の東京フィルである。そしてそこに加えて、この「復活」の第 1楽章の原型となった交響詩「葬礼」もこの時期に演奏されるという賑やかさ。その演奏は現代におけるマーラー演奏の権威であるエリアフ・インバル指揮の東京都交響楽団によるものだ。最近の東京は 7月半ばにして既に 35度を超える猛暑日になっていて、必ずしもこのような熱い大曲を聴くには適当な気象状況とは思えないが、逆に言うと、外気の暑さも吹っ飛ぶような熱演に触れたいものである。まずは期待のジョナサン・ノット指揮の東響の演奏会をここでご紹介しよう。ノットは東響の音楽監督で、現在 54歳の世界的指揮者である。
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普段とは趣向を変えて、まずはコンサート終了時の光景の描写から始めよう。若きマーラーが描き出した、とてつもない高揚感を持つ音絵巻を指揮し終えたノットは、しばし指揮台に立ち尽くしていた。その背中は、両端が肩の線を外れて、まるで無造作に脱ぎかかっているかのようなシワシワの燕尾服に、汗がびっしょり。そうして起こった爆発的な拍手に、放心状態のノットがようやく反応する。2人のソリストの歌手たちもノットの渾身の演奏に賛辞を捧げ、挨拶に登場した合唱指揮者も心なしか目が赤くなっている。そしてノットは、普段しないことを始めた。オケの中に入って行って、木管や金管の奏者を個別に立たせて拍手を受けさせたのである。世界最高クラスの指揮者が本気になって凄まじい音響を統率した、素晴らしいクライマックスであった。

ではここで曲目を紹介しよう。
 細川俊夫 : 嘆き
 マーラー : 交響曲第 2番ハ短調「復活」

なるほど、ノットが「復活」の前に演奏することを選んだのは、現代日本を代表する作曲家、細川俊夫の最近の作品である。現代音楽を得意とするノットらしい選曲だ。細川についてはこのブログでも何度も触れてきているが、静謐で、時に暗い情念を感じさせる音楽を書く人で、管弦楽曲を多く作曲している。この「嘆き」という作品は、ザルツブルク音楽祭の委嘱で作曲され、2013年 8月、シャルル・デュトワ指揮 NHK 交響楽団のザルツブルクでの演奏会で世界初演された。だがその時はソプラノとオーケストラのための作品。その後音域を下げてメゾ・ソプラノ独唱用に書き直された版が作成され、2015年 5月に広上淳一指揮京都市交響楽団によって初演された。今回演奏されたのは、そのメゾ・ソプラノ版であり、ここで独唱を受け持ったのは、日本が世界に誇るメゾ、藤村実穂子であったのだ。藤村は上記の京都市交響楽団による初演時にも歌っており、これはその再演ということになる。
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この曲の内容は決して楽しいものではなく、2011年の東日本大震災の津波による犠牲者に捧げられたもの。歌詞はザルツブルク出身の詩人、ゲオルク・トラークル (1887 - 1914) によるドイツ語である。このトラークルについて私は詳しく知るものではないが、解説によると、表現主義に属する詩人。第一次世界大戦に薬剤師官として従軍したものの、戦場で目にした惨状に絶望し、27歳で自ら命を絶った。これがトラークルの肖像。確かに神経が細い人のように見える。
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この「嘆き」で使われているテキストは、トラークル最晩年 (といっても年齢は若かったわけであるが) の作で、手紙と詩からなっている。プログラムに掲載されているその内容は、ひたすら絶望的。まさに未曾有の災害における津波の犠牲者の悲劇を思わせるものである。この曲は 20分強の長さであるが、オケによる前奏、中奏、後奏の間に、2回歌が入る。細川特有の弦楽器のキュルキュルいう音や、金管楽器が音を出さずに息だけ吐くという奏法もあり、音響的には暗いながらも多彩さがある。開始部と終結部では、風鈴のような鐘の音がある種の日本的情緒を思わせる。ここでノットと東響は、非常に分離のよい音で緊張感を持って全曲を演奏したが、やはり圧巻は藤村の歌唱であろう。呟くような静かな箇所から絶叫に至るまで、まるで一本の線を描くような、破綻の全くない歌いぶりで、さすがの貫禄であった。この曲は今後も彼女のオハコになるかもしれない。作曲者細川は、2階客席から熱演に拍手を送っていた。細川さんはこんな人。小柄な人である。
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さて、メインの「復活」である。上で終演時の熱狂をご紹介したが、それに値する熱演であったことは間違いない。だが、正直なところ、前半においてはこのコンビであればもっとできるような気がしたのも事実。冒頭の稲妻のような弦楽器の切り込みに続いて低弦が長い歌を唸るところでは、少しテンポが落ち着かず、オケに乱れが生じていたし、その後も木管の緊密さに若干の課題を残したように思う。なので、私としては第 1楽章はもうひとつだと思ったのである。ところでこの曲は、第 1楽章終了時に最低 5分間、休憩を取れとの作曲者の指示がある。それは、第 1楽章の描き出す壮絶な闘争の世界と、その後の楽章で描かれる音楽的な情景が異なるからであろうが、ここでノットは、合唱団 (東響コーラス) も独唱者 (ソプラノの天羽明惠とメゾの藤村) もステージに入れることなく第 1楽章を演奏し、第 1楽章と第 2楽章の間に、合唱・独唱全員が登場するという段取りを取った。これによって作曲者の指示に忠実な、楽章間の断絶が生まれることとなり、実際、その後演奏された第 2楽章アンダンテ・モデラートは、ユーモアをたたえたなんとも言えないよい味の演奏になったのである。尚、独唱者たちは指揮者の横でも合唱団の前でもなく、指揮者右手に配置された第 2ヴァイオリンの奥に陣取るという珍しい配置。また、終楽章では合唱団は大詰めまで起立することなく座ったまま歌い、最初にソプラノが登場するときにも、天羽は座ったままの歌唱であった。この 2人のソリストはさすがの出来であり、第 4楽章以降の演奏全体にインスピレーションを与えたと言ってもよいと思う。ノットの指揮はテンポを揺らすことはほとんどなかったが、唯一終楽章の盛り上がりで若干テンポを落としたと聴いたが、その時オケは一瞬分解しそうになって踏みとどまり、それから先、大団円では演奏者全員一丸となった炎の演奏を成し遂げることとなったのである。

このように、最初から最後まで完璧な出来というわけではなかったが、この曲ならではの凄まじい高揚感を存分に味わうことのできる演奏であって、私の隣の席の女性などは、メガネを外して涙を拭いていた。聴衆をしてそのような感動を抱かせる演奏は実に素晴らしいし、細部がどうのこうのとあげつらう意味はないだろう。熱演に拍手を送りたい。ノットと東響はこれからも意欲的かつバランスの取れたプログラムを予定していて、本当に目が離せない。彼らの本拠地であるミューザ川崎の音響は実に素晴らしいし、このような音楽体験を続けて行ける我々はなんと恵まれたことか。ニューヨークでもロンドンでもパリでもどこでもよい。マーラーの「復活」を立て続けに、しかも一流の演奏陣で聴くことができる都市が、ほかにあるだろうか。東京を覆う熱波は、もしかして音楽界の熱気によるものか? などとうそぶくのも楽しいではないか。

by yokohama7474 | 2017-07-17 00:21 | 音楽 (Live) | Comments(2)

バーンスタイン作曲 ミサ 井上道義指揮 大阪フィル 2017年 7月15日 大阪・フェスティバルホール

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20世紀の最も偉大なる音楽家のひとり、レナード・バーンスタインは 1918年生まれ、1990年没。ということは、来年生誕 100年を迎えることになる。指揮者として最も知られているであろうバーンスタインは、もちろん作曲家でありピアニストであり、教師であり、またヒューマニズムの観点における活動家でもあった。このブログで音楽を扱うときには基本的に現在活動している音楽家の演奏を採り上げているので、既に死去してしまった偉大な音楽家について語ることは、いわば何かのついでということになってしまっている。実はこのブログの開設の際、記事のカテゴリーとして「音楽 (Recorded Media)」というものを作り、過去の音楽家が残した遺産についても、随時述べて行くことにしようとしたのであるが、率直なところ、とてもそんな記事を書いている時間がない (笑)。なので、残念ながら今に至るもそのカテゴリーの記事はゼロなのであるが、その代わりと言っては語弊があるものの、思いつくまま文化の諸分野を放浪することを旨とするこのブログでは、話のついでにバーンスタインの業績に触れるようなことがあると、時々暴走してしまうのが常なのである (笑)。それほど私にとってこの音楽家の存在は大きいということなのであるが、そんな私が聴き逃すわけにはいかない公演がこれなのであった。絶好調の井上道義が、手兵である大阪フィル (通称「大フィル」) を指揮して、バーンスタンの問題作、ミサを演奏する。幸いなことに土曜日の公演があったので、大阪まで聴きに行くことができた。これは壮年期のバーンスタインの写真。
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さて、作曲家バーンスタインが好きな人でも、このミサの実演を耳にした人はあまり多くないのではないか。かく言う私も実演では初めて体験することになる。調べてみると、日本初演は名古屋のグリーン・エコーという合唱団が 1975年に果たしていて、その後も 1978年、86年に再演されているとのこと。また、今回の指揮者井上道義自身、1994年に京都市交響楽団を指揮して一度演奏しているらしいが、私はそのいずれも体験していない。ただ曲自体はよく知っていて、大学に入った頃に何かの本で、「ロックバンドも入った型破りなミサ」であるということを知り、大学在学中には、初演と相前後して録音された作曲者自身による演奏に随分と親しむこととなった。特に冒頭間近の「シンプル・ソング」は今でも時々ふと口ずさむ、私にとっては長年に亘るお気に入りの曲 (2016年 6月 4日の映画「グランドフィナーレ」の記事ご参照)。もちろん、このミサの全曲を通して聴いてみて、さながら「アンチ・ミサ」とも言うべき内容に、大きな衝撃を受けたことは言うまでもない。そう、このミサは、まさに型破りで、通常のラテン語のミサ曲の歌詞を使いながらも、バーンスタインの自作の英語の歌詞も様々な歌手によって歌われ、ロックやブルースなどがあちこちに登場し、バレエや児童合唱もという曲なのである。冒頭に掲げたチラシに「これはオペラかミュージカルか」とある通り、通常のミサ曲の範疇に入る曲ではない。もっとも、「オペラかミュージカルか」という題目は、バーンスタインのほかの作品、例えば「ウェストサイド物語」や「キャンディード」についても言われることである。だがこの曲はキリスト教の典礼であるべきミサであって、そのような宗教曲に対して、あろうことかオペラかミュージカルかという同じ疑問が呈されること自体が異常なのである。作曲者自身はこの曲を「歌い手、演奏家そして舞踊手のための劇場用作品」と銘打っており、1971年 9月にワシントン DC のジョン・F・ケネディ・センターのオープニング記念として初演されたもの。実際に舞台に接してみて実感するのは、これは予算的にも内容的にも、上演至難な作品である。2,700人収容の大阪のフェスティバルホールはほぼ満席の大盛況で、多くのファンの関心を引いたことが分かる。尚、Youtube では、今回指揮のみならず演出も請け負った井上道義のインタビューや、大変興味深い熱心なリハーサル風景なども見ることができる。
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要するにこの曲のどこが衝撃的かと言うと、本来は神を称える曲であるべきミサの中に、神への信仰に疑問を抱く人々があれこれ出てきて、不信心な、だが生活感のこもった率直な歌や、なんともだらしない歌や、あろうことか卑猥な歌まで歌ったりして、ミサを執り行おうとする司祭の邪魔だてをする。そしてその司祭自身、最後にはなんたることか儀式用の杯を床に投げて粉々に砕き、祭壇の覆いもはがしてしまい、床に転がって神への不信を呟くのである。この曲の真価を理解するには、芸術家バーンスタインを知る必要があり、また当時の社会情勢を知る必要があるだろう。1971年と言えば、ニクソン政権下、米国はヴェトナム戦争の真っただ中。ヒッピー文化真っ盛りである。私の手元の自作自演 CD から、初演当時の舞台の写真 (ジャケット写真を含む) を何枚かご紹介する。時代の雰囲気が明らかであろう。
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この曲は 17曲から成り、上演時間は正味 2時間もあるのだが、今回の演奏では、第 9曲の後に 20分の休憩が置かれた。開始部分ではオケのチューニングの音すら聴こえず、一旦完全に暗転したかと思うと、照らされたスポットライトの中、司祭役のバリトンの大山大輔が登場して、ジュークボックスにコインを入れる。そうすると、テープに録音された 4人の独唱者による「キリエ・エレイソン」(これを含むテープの部分は、もしかすると初演時と同じ古い録音なのかなと思ったが、さてどうだろう) が、それぞれに全く違った調子で流れ始める。そのあと司祭がギターを持って「シンプルソング」を歌うのであるが、ふと気づくと指揮者の井上は、そのときにはオーケストラ・ピットの中で指揮をしている。そのあと行進曲とともに木管・金管奏者が入ってきて、ピット内ではなく、ステージ左右に陣取る。また、ロックバンドとブルースバンドもその奥、ステージ上に配されている。私の席からはピットの中は見えなかったが、そこにはつまり、弦楽器奏者と打楽器奏者しかいなかったということになる。井上自身による演出はなかなかに凝ったものであり、曲の持つ特殊性をかなり明確に出す大胆なものであったといえようが、さすがに指揮者自身による演出だけあって、音楽的に無意味な行為は何もない。それに輪をかけたのが日本語字幕。これも井上自身によるもので、かなり砕けていながら語感もよいもの。例えば原詞で "no no no!!" とある部分には「何なのののの」という具合。私は以前、もう 15年以上前だが、井上の指揮する東京交響楽団でオルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴いた際、同じように井上自身担当した訳詞を見ていて、そのときも音楽の流れと語感に乗っ取った、面白いものであったことを思い出した。いやそれにしても、リズム感といい抒情といい、井上の指揮はまさに自由自在。この曲の真価を引き出してみせる見事な統率ぶりであった。

歌手ではもちろん、司祭を演じた大山大輔が最大の功労者であろう。昨年のミューザ川崎でのジルヴェスター・コンサートでは、井上とよいコンビで客席を沸かせていたが、ここでも堂々たる歌唱。ただ、オペラ的発声を求められない箇所がほとんどであり、時にはもっと遊びがあってもと思うこともあったが、最後の場面の熱唱には大いに感服させられた。ラテン語で英語で、時には日本語で、あるいはヘブライ語まで、歌に語りにと、縦横無尽である。
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さて、この曲に多く登場する歌手たちは、二期会や藤原歌劇団の人たちが多かったが、驚くのは、小川里美や小林沙羅といった、このブログでも過去に何度か名前に触れている日本一流のソリストも、いわゆるストリート・コーラスの一員であるという贅沢さ。このようなリハーサル風景で、その贅沢な布陣による熱心な準備状況が理解されよう。実際、大変複雑な構成を持つこの曲のアンサンブルは、実に見事であった。そういえば、今回舞台に立った歌手の皆さんは、ソリストであれ合唱団であれ児童合唱であれ、全員が暗譜。演奏会形式ではなく、完全にオペラ的な上演であったとも言える。
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因みに今回の上演は、ラテン語の典礼文以外には基本的にはほぼ英語であったが、一部は日本語での語りや歌唱もあった。語りの部分は確かに日本語の方がよいだろうが、歌についてはどうだったろうか。原文歌詞を再チェックしていないのだが、英語ではかなり韻を踏んでいる部分があるはずで、そのような箇所は意味だけ同じ日本語にしても面白くないので、日本語にしてみたということかと想像している。それほど不自然でない感じで言葉の切り替えがなされており、日本での、そして大阪での演奏ということで、歌詞が大阪弁でも大いに結構なのである (笑)。ところで、井上自身による字幕で、「連祷 レント リタニ」という部分があって、きっと多くの方にとっては ??? であったと思うが、そのネタについては、やはり井上道義が指揮をした演奏会についての、この記事をご参照下さい。
http://culturemk.exblog.jp/25242824/

それから、大阪フィルハーモニー合唱団によるコーラスも見事なら、キッズコール OSAKA による児童合唱も見事。ボーイソプラノの込山直樹も、あれだけの大舞台をよくぞ緊張せずに歌い通したものだと思う。終演後のカーテンコールでは、まず最初にマエストロ井上がピットの中を奥に進み、ステージ下に辿り着くと客席の方を向き、よっこらしょとステージに腰かけるかたちとなったと思うと、斜め後ろにでんぐり返しをするような恰好でステージ上に身を置いて、すっくと立ち上がったのである!! 既に 70歳とはいえ、もともとバレエダンサーであった人であるから、それほどは驚かないが、それにしても尊大な指揮者なら、そんなことをしないだろう。そして歌手の挨拶が一巡した際、なぜか肝心の井上の姿が見えないと思ったら、なんと、コンサートマスターの崔文洙以下、大フィルの弦楽器と打楽器のメンバー全員をステージ上に誘導しているところだった (笑)。このあたりもこの指揮者の持ち味が出て、充実した公演に花を添える楽しいパフォーマンスであった。あ、それから、今回の公演には、バーンスタイン晩年の愛弟子である佐渡裕の名が、「ミュージック・パートナー」としてクレジットされている。このように、リハーサルにも参加していたようだ。
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さて、最後にもう少し、この作品について語りたい。この演出を見て明らかであるのは、主役の司祭はバーンスタインその人だということだろう。彼は最初の方ではスコアを見ながら何やら書き込みをしているし、音楽に合わせて指揮もしている。民衆の前で説教するのは、あたかも学生や聴衆の前でレクチャーするがごとくであり、そして最後、祭壇の覆いが取れてしまうと、そこにはピアノが現れるのである。作曲者であり指揮者であり教育者でありピアニストであったバーンスタインの姿を想像することは容易であった。私もきっと、この曲を書いたときの彼には、司祭と自分を一体化して考えるという気持ちが働いていたのではないかと思う。帰宅してから、手元にある何冊かのバーンスタインの伝記を引っ張り出してみて、このミサについての記述をざっと見てみたが、ジョーン・パイザーの「レナード・バーンスタイン」という本には、「この作品がバーンスタイン自身を題材にしていることに気がつけば、多くの謎が氷解する」という記述があって興味深かった。1987年に書かれたこのパイザーの本は、バーンスタインの同性愛癖について暴露する内容を含むもので、当時大変センセーショナルな話題になったものだが、私は 1990年 (つまりバーンスタインの没年) に日本版が出たときにすぐに買って読んだ。内容には確かに衝撃的な部分もあったが、あまりにも巨大なバーンスタインという芸術家の本質に迫る、渾身の伝記であると思ったものだ。今回は図らずもそのことを再確認することとなった。
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ここでの司祭がバーンスタイン自身の似姿であるという前提に基づいて考えると、強く再認識できることがあった。よく、「彼はマーラーと自分を重ねていたが、指揮者としては最高の存在でも、作曲家としてはマーラーのような偉大な存在ではなかった」ということが言われるが、果たしてそうであろうか。マーラーは、世紀末ウィーンの文化の中で、世界苦を抱きながら新奇な音響を開拓した。一方でバーンスタインは、米国という、軍事や経済で世界をリードしながらも歴史の浅い国において、その米国ならではの音楽を創ろうとしたのではないか。巨大オケをドラマティックに使って、あるいは前衛の流れに乗って、新奇な曲を書こうとすればきっと彼にはできたであろう。だが彼が創作したかった世界はそんなものではなく、米国という、多くの人々が暮らすつぎはぎの国における、理念であったり正義感であったり、平易さへの指向であったり大衆性の許容であったり、あるいは現実への絶望感であったのではないか。彼の音楽にはどれも、ヨーロッパ音楽の模倣はない。ひとつの特徴は例えば、この「ミサ」における「シンプル・ソング」。ここにはガーシュウィンやコープランドや、あるいはバーバーやウィリアム・シューマンに共通する情緒と静謐さがある。これは紛れもなくアメリカ音楽であるのだ。そのことの意義は、今後ますます認識されるのではないだろうか。それから、ひとつの切り口として、この「ミサ」と奇妙な共通点のある曲を 2曲挙げたい。ひとつは、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」である。それはもちろん、ラテン語の歌詞と英語の歌詞の混淆、あるいはバンダの活用という点が最大の理由であるが、作曲者の同性愛指向という点でも奇妙なつながりがある。バーンスタインの生涯最後のコンサートには、そのブリテンの「ピーター・グライムズ」からの 4つの海の間奏曲が入っていたことも、何か不思議な縁を感じさせるのである。もうひとつの曲は、シェーンベルクの「モーゼとアロン」である。このオペラは第 3幕が未完成に終わったが、第 2幕の終盤には「黄金の子牛の踊り」があり、人々の熱狂がある。この「ミサ」の終盤における人々の狂乱と、どこか似ていないか。「ミサ」のその場面は、「アニュス・デイ」、つまり「神の子羊」であって、子牛と子羊という点も面白い (笑)。よく考えてみると、バーンスタインが指揮したシェーンベルクの作品は、聴いたことがない。同じユダヤ系であっても、その音楽作りの美学は大きく異なっていたわけである (十二音音楽を評価しないのは分かるが、初期の「浄夜」など、当然演奏してしかるべきだったと思うが)。だが、ウィーンに生まれて後年米国に移住したシェーンベルクと、米国に生まれて後年指揮活動の中心をウィーンに置いたバーンスタインとは、奇妙なコントラストを成しているではないか。両方とも、ただの偶然であるかもしれないが、歴史には時折、奇妙な偶然というものがある。そのような偶然を通じて、これらの歴史的作曲家の間に存在する共通点と相違点を認識するのは、大変意味のあることだと思うのである。

などと、想像の翼はこれからもまだまだ広がって行くものと思うが、ともかく今回の上演は、いずれまた是非再演を期待したい。今回は第 55回大阪国際フェスティバルの一環としての公演であったので、同フェスティバルの主催者である朝日新聞 / 朝日放送が、かなり資金援助しているのだろう。実は「ミサ」の中で司祭が、アドリブで人の名前を挙げて神の加護を願う場面があるのだが、今回は確か「大フィルさん、朝日さん、大植さん、ミッチーさん」と言っていた (笑)。・・・と書いてから思ったのだが、この流れだと、「朝日さん」と聞こえたのはもしかして「朝比奈さん」だったのか??? つまり、朝比奈、大植、井上 (ミッチー) とは、歴代の大フィルの音楽監督であるからだ。・・・まあともあれ、神のご加護によりさらなるスポンサーが見つかり、東京でも再演となることを祈っております。"Let us pray!!"

by yokohama7474 | 2017-07-16 03:10 | 音楽 (Live) | Comments(0)

マルク・ミンコフスキ指揮 東京都交響楽団 2017年 7月10日 東京文化会館

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今回東京都交響楽団 (通称「都響」) の指揮台に立ったのは、1962年生まれのフランス人指揮者、マルク・ミンコフスキ。このブログでも、前回同じ都響を指揮した際の演奏会と、金沢で指揮をしたロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の演奏会形式上演を絶賛した。このミンコフスキ、私のイメージでは古楽の指揮者として名を上げた人だが、その経歴はウィーン・フィルやベルリン・フィルの指揮を含め、現代楽器の通常オケでも活発な活動を展開しているのである。この都響との共演は今回で 3回目。前回の演奏会は 2015年12月16日付の記事で採り上げたが、その前、つまりは最初の顔合わせのときにも私は聴いていて、いずれの機会においても、この人が現代を代表する素晴らしい指揮者であると実感したものであるのだが、今回またそこに新たな感動が加わった。この演奏会でミンコフスキと都響が採り上げた曲目は以下の通り。
 ハイドン : 交響曲第 102番変ホ長調
 ブルックナー : 交響曲第 3番ニ短調 (ノヴァーク 1873年初稿版)

一言、この人はすごい指揮者である。このような天才の演奏を、今の都響のような練れた音を出すオケで聴くことができるとは、東京の聴衆は本当に恵まれている。だが奇妙なことに、ミンコフスキと都響の共演は今回はこの演奏会 1度きり。もしかするとミンコフスキはどこかの地方オケでも振りに行くのかと思って全国のコンサート予定を調べてみたが、ほかのコンサートは発見できなかった。ということは、本当にこの 1回のコンサートを振るためだけに来日したものであろうか。もしそうなら、都響を気に入っていなければ実現しないこと。演奏後の彼の動作を見ていると、相当にこのオケを高く評価している様子が伺える。大変相性のよいコンビであると思う。
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最初のハイドンでは当然、古楽的なアプローチが聴かれるかと思いきや、ヴァイオリンの左右対抗配置はいつものようにあったものの、冒頭の序奏の部分から弦楽器はヴィブラートをかけて演奏している。いやその音の実に見事なこと!! このような演奏を耳にすると、演奏スタイルなど大した問題ではなく、要するに、よい音楽とそうでない音楽があるだけだと思う。序奏の最後にフルートが響いて鮮やかな主部に入ると音楽は一層充実度を増し、音楽はさらにその先へ。その演奏の素晴らしさは、思い出しても身震いするほどだ。そうして、全休止のあとまたフルートがオケを始動する。その呼吸の素晴らしいこと。正直、聴いているうちに私は何か空恐ろしい感じすらして来た。この曲はハイドン円熟期の傑作のひとつで、いわゆるロンドン・セットという最後の 12曲の交響曲のうちでも、最後から 3番目のもの。あだ名がついていないため、あまり知名度が高くないかもしれない。しかし、疾走感とユーモアに溢れた、いかにもハイドンらしい曲であり、オケにとっては水際立った技術を披露するにはうってつけだが、うまく流れないとかなり悲惨なことになりかねない。ここで私が思い出すのは、この都響のいわば「中興の祖」ともいうべき実績を残した指揮者、若杉弘が、1986年に都響の音楽監督に就任したときに、オケのレパートリーにとってのハイドンの交響曲の大事さを強調していたことだ。その若杉自身も時折ハイドンを採り上げていたが、正直なところ、当時の都響と今の都響とではあらゆる点で違いがある。そう思うと、過去 30年のこのオケの進化には目覚ましいものがあることに改めて思い至る。隅々まで清冽な音で全曲を振り終えたミンコフスキは、まずはフルート、そして木管奏者たち、加えて金管奏者たちまで起立させた。また、見事なソロを聴かせたチェロ奏者にも最大限の敬意を表していたのである。

休憩後のブルックナーは、前回彼が採り上げた第 0番に続き、今回は第 3番。しかも、珍しい初稿による演奏だ。ブルックナーの版の問題は非常に複雑で、正直、私もよく理解していない。だがこの曲の場合には、初稿、第 2稿、第 3稿とあるものの、多くは第 3稿による演奏で、初稿は (第 4番、第 8番の初稿と並んで) ほとんど演奏されないものと整理している。その珍しい初稿によってブルックナー全集を初めて録音したのが、現在この都響の桂冠指揮者であるエリアフ・インバルだ。私も学生時代にこのインバルの録音を衝撃をもって聴いた口だが、この 3番の場合、そもそも曲想に野性的な面があるため、その聴き慣れない版ゆえの衝撃もひとしおであったのを覚えている。こんなジャケットであった。
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そのインバルは日本では、1989年にベルリン放送交響楽団 (現在のベルリン・ドイツ交響楽団) を指揮してこの 3番の初稿を実演で披露し、私も聴きに行ったものである。その後彼は都響でも同じ版を演奏したはずだが (1997年)、そのようなインバルの努力にもかかわらず、この曲のこの版は、日本ではそれほどポピュラーになることなく今日に至っている。録音では、ロジェストヴェンスキー、ティントナー、そして先日読響を指揮したシモーネ・ヤングらによるものがあるが、多分世界的にも未だポピュラーとは言えないだろう。ブルックナー・ファンは既にご存知の通り、この曲は「ワーグナー」交響曲と呼ばれることがあり、それは、ブルックナーが憧れのワーグナーに初めて会ったときに 2番と 3番のスコアを見せ、「トランペットで始まる方」、つまりこの 3番がよいと誉められたため、感激したブルックナーはこの曲をワーグナーに献呈したことによる。私は個人的には、あの尊大なワーグナーが本当に当時無名のブルックナーの交響曲のスコア 2曲に目を通したか否かは疑問に思わないではないのだが (笑)、いずれにせよ、このことによってブルックナーが受けた刺激により、音楽史は、前代未聞の神秘性に入って行くブルックナーの後年の交響曲を得るに至ったとは言えるのではないか。これが、バイロイトにおけるこの 2人の作曲家の出会いをシルエットで描いたもの。
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それから、この第 3交響曲に関しては、初演 (第 2稿による) の際にブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮したものの、多くの聴衆は理解できずに演奏の途中で帰ってしまったが、最後まで残って拍手を送ったのが、当時ウィーンでブルックナーの弟子であったグスタフ・マーラーであったというのも、有名な逸話である。さてこの初稿、私も今回久々に耳にしたが、後の版では削除されてしまったワーグナー作品の引用があるという。なるほど、確かに「ワルキューレ」や「タンホイザー」に近い音響を確認することはできたが、これはそのままの引用ではなく、いわばオマージュのようなものだろう。よく指摘されるように、ワーグナーとブルックナーは、その創作指向は (分厚い音を鳴らす以外には) 共通点はほとんどなく、ワーグナーは交響曲をほとんど書かなかったが、ブルックナーはオペラを 1曲も書かなかった。だから私はこの曲が「ワーグナー」と呼ばれることをあまり意味あるとは思っていない。それよりも、この曲でブルックナーがまさに音楽史において前代未聞の境地に入っていったこと、それこそが意味あることだと思うのである。従って、初稿によってこの曲を聴くと、その突然の全休止や、とりとめなく響く頻繁な楽想の変化、そして聖なるものと俗なるものの混在に、実に野性的なものを感じるのである。後年に至っての改編により、音響が整理された第 3稿が、私にとっては大いに耳に馴染みがあるので、この初稿を聴いてみると、メロディや曲の大まかな流れには後の版とほぼ同じであるのに、細部のメリハリや展開の説得力においては、不満が多いという印象が正直なところ。だがそれゆえにこそ、今回のようなミンコフスキと都響のような、隅々まで充分に音が鳴った演奏で聴くことで、ブルックナー本来の音楽というものに迫ることができるのだと思う。オケ全体による大音響の爆発力から、そこに浮かぶ木管の呼吸のよさ、また、後の稿にはない弦楽器の細かい音型の掛け合いに至るまで、どの場面にも演奏家たちの明確な意志が見える。そして終楽章の大詰め、後年の版ではさらに周到に設計されたクライマックスが、ここでは意外とあっさり終わるまで、ミンコフスキはそのずんぐりむっくりしたブルックナーそっくりの体型で必死に棒を振り、全身全霊をもってこの曲を終えたのである。そうして私は、上記の初演のときのエピソードを思い返していた。当時はウィーン・フィルでさえ、オケの技量は曲の真価を明らかにするには充分ではなく、また楽員の曲への理解も浅かったであろう。それに比べて、150年近く経過した今、極東の街に響くこの曲の初稿が、これだけのクオリティを持ち、またそれを聴いた聴衆たちも大喝采を送っている。これは文化の伝播であり進展である。恐らくミンコフスキも、これまでの 3回の都響との共演で、そのことを実感しているのではないか。であれば、今後も是非頻繁に来日し、その素晴らしい手腕を聴かせて欲しいものである。マルク・ミンコフスキ。文化に関心のある方々には覚えて頂きたい名前である。
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by yokohama7474 | 2017-07-11 01:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル (映像演出 : 束芋) 2017年 7月 5日 浜離宮朝日ホール

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前回の記事で名古屋での演奏会をご紹介した、諏訪内晶子とボリス・ベレゾフスキーのデュオ・リサイタルは、同じ内容の演奏会がこの日、7/5 (水) には東京オペラシティで開かれている。だが私にはその演奏会に行けない理由があった。ほかでもない、この記事でご紹介する浜離宮朝日ホールでの演奏会に出かける必要があったからだ。実はこの記事のタイトルには、通常のピアノ・リサイタルであるかのように書いてしまったが、上に掲げたチラシのタイトルには、手書きの文字で「ロジェ × 束芋」とある。これは一体どういう意味か。もちろんご存じの方も多いと思うが、一応説明しておこう。まず、ロジェとは、ピアニストのパスカル・ロジェ。1951年生まれのフランス人で、今年 66歳。
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この人はフランス音楽の数々の録音で名を成したピアニストで、私の世代にとっては、同時代にフランス音楽の素晴らしさを教えてもらったシャルル・デュトワとモントリオール交響楽団のバックでラヴェルのピアノ協奏曲を録音したりしていたことが忘れられない。もちろんフランス音楽以外も素晴らしい演奏をするに違いないが、だが彼の弾くドビュッシーやラヴェルは、現代のピアニストでも抜きんでて素晴らしいという実感がある。今回はこのロジェが、そのフランス音楽を中心とした曲を弾くのである。これが第一の注目点。

そして、次の注目点は、この人だ。
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この人の名前は、束芋 (たばいも)。なんじゃそれと思われる方は、現代美術に興味のない方だけであろう。1975年生まれの彼女は、既に日本を代表する美術家であり、世界にもその名を知られた存在。そのユニークな名前は彼女の本名、田端綾子から来ている。同じ予備校に彼女と彼女の姉がいたので、ある友人が二人を区別するために、姉を「タバアネ = 田端の姉」、妹を「タバイモ = 田端の妹」と呼んだことがきっかけであるらしい。一度聞いたら忘れないタバイモ = 田端さんの妹の作品を私が初めて知ったのはいつのことだったろうか。今履歴を調べてみると、1999年に京都造形芸術大学の卒業制作として発表したアニメーションを含むインスタレーション、「にっぽんの台所」が出世作であるとのこと。私はこの作品をよく覚えているが、それは多分テレビで見たのが最初であったろうか。どこかノスタルジックに見える高度成長期以来の日本の日常の風景に、匿名的な人物たちが溶け込んでいて、無機的な効果音が流れている。だが時にその内容はドキッとするほど生々しく過激であるので、一度見たら忘れないであろう。そして 2001年、彼女は第 1回の横浜トリエンナーレにも映像作品を出品して話題となった。これもよく覚えている。今手元にそのときの図録を持って来て、彼女の作品の写真を掲載してみよう。
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それ以来私にとって束芋は、現代日本アートを考える上で欠かせない存在になったのであるが、なかなか個展に接する機会がない。唯一の機会は、2009年から 2010年にかけて横浜美術館で開かれた「束芋 断面の世代」展である。この頃彼女は朝日新聞で、吉田修一の「惡人」という連載小説に挿絵を提供しており、その原画がこの展覧会に出品されていた。これが図録の表紙である。
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というわけで、今回浜離宮朝日ホールでは、ロジェの弾くピアノに合わせて束芋の映像が流れるという。これに出掛けないわけにいかない理由が、上記にてお分かり頂けたであろうか。実はこれは、既に 2012年に上演されたものの再演であるらしい。前回の上演について全く知らなかった無知を天に詫びて、万難を排して聴きに行ったのである。なお、ポスターの「ロジェ × 束芋」の文字は、束芋自身の書になるらしい。

今回の上演でロジェが弾いた曲は 19曲。途中休憩なしで、上演時間は 70分。まず会場に入った聴衆の目に映ったのはこのような光景である。舞台の後ろに大きなスクリーンがあって、舞台上のピアノとピアニスト用の椅子がそこに映っている。だが、光源がどこにあるのかよく分からない。最新の照明技術によるものであろうか。
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そして、会場の照明がほぼ完全に落とされ、暗闇の中、ロジェが入場して来る。暗闇のせいで、聴衆はそれに対して拍手するきっかけを持たされておらず、それを尻目にロジェは静かに椅子に座って、ピアノを弾き始める。そして聴衆は不思議なことに気づく。既にピアニストが椅子に座っているのに、舞台奥のスクリーン上にはその影は映らないのだ!! そう、後ろのスクリーンの映像は、舞台上のピアノではなく、完全に独立した映像であったのである!! これは実に鮮やかな始まりではないか。

さて私が常々思っていることには、音楽と映像の融合と口で言うのは易しいが、なかなか成功例にお目にかからないということである。このブログでも、舞台上の映像が音楽を邪魔したオペラのケースなどに触れたことが何度かあるが、人間にとって最も強烈な感覚である視覚と、大変繊細な感覚である聴覚とは、なかなか相互作用を生じないというのが私の持論なのである。だが、今回の上演の素晴らしいところは、映像が音楽を邪魔することなく、しかも冒頭の例のような意外性もあって、70分連続の演奏に見事な色を添えた点であろう。また、中には、曲の間じゅう一切投影映像なしということもあって、これこそ束芋のアーティストとしての非凡なところであると、膝を打ちたくなったものである。さて、今回ロジェの弾いた曲の一覧を、若干面倒ではあるものの、ここに記載してみよう。

 ドビュッシー : 「版画」より「パゴダ」、「前奏曲集第 1巻」より「帆」「野を渡る風」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」
 サティ : グノシェンヌ第 5番
 ラヴェル : 「鏡」より「悲しい鳥たち」
 ドビュッシー : 「映像第 2巻」より「そして月は荒れた寺院に落ちる」「金色の魚」、「ベルガマスク組曲」より「月の光」
 吉松隆 : 「プレイアデス舞曲集第 1巻」より「水によせる間奏曲」、「第 6巻」より「小さな春への前奏曲」
 サティ : グノシェンヌ第 2番
 吉松隆 : 「プレイアデス舞曲集第 6巻」より「けだるい夏へのロマンス」、「第 4巻」より「間奏曲の記憶」、「第 5巻」より「真夜中のノエル」、「第 7巻」より「静止した夢のパヴァーヌ」
 サティ : ジムノペディ第 1番
 ドビュッシー : 「版画」より「雨の庭」

どうだろう。繊細な情景描写と、キリリと冴えわたった感覚と、時空を超えた浮遊感と、ひたすら透明な抒情・・・それらがつづれ織りのような音で表現されることが期待される曲目ではないか。ここで、ドビュッシーやラヴェルやサティは知っているが、吉松隆って誰? と思う方もおられるかもしれない。このブログでも言及したことがあると記憶するが、彼は理屈抜きで大変美しい音楽を書く珍しい現代音楽作曲家であり、このプレイアデス舞曲集などは、ストレス過多の人たちのヒーリング用には最適の、素晴らしい音楽なのである。私にとっては田部京子の素晴らしい 2枚の初録音 CD が長年の愛聴盤であり、そこではこの舞曲集の第 1巻から第 9巻までと、その他吉松の小品が収められている。1枚目の方のジャケットをここに掲げておくので、ご存じない方は是非一聴を。尚、私は知らなかったが、ロジェもまた、この吉松作品を録音しているようだ。
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今回のロジェの演奏は実に素晴らしいもので、場合によってはかなり暗い中での演奏となったハンディを微塵も感じさせない堂々たるもの。その音は常にクリアかつ多彩なニュアンスに富んでいて、その一方で、これみよがしな表情は皆無で、むしろそっけないと言ってもよいくらいの場面に何度も遭遇した。これぞまさにフランス音楽の粋である。選ばれたフランスの曲は有名作品が多いが、吉松作品もその中で全く違和感なく収まっており、日本人としては誇らしい限り。これぞまさに文化の香り。東京ではこのように刺激に満ちた音楽 / 美術イヴェントに出会うことができるのである。

束芋の映像は、上述の通り、音楽を邪魔しないバランスの取れたものであったが、その分彼女特有のとぼけた毒というべき味わいには、若干欠けたようにも思う。だがこれは、音楽との融合という観点からはむしろ賢明な選択であったと思う。今ざっと曲目を見返してみて思うのは、以下のような点。
1. ドビュッシー、ラヴェルは、ほぼ題名に忠実な視覚的イメージを利用 (それゆえ、個々の曲名を知らない人にはちょっとつらいかも)。だがもちろん抽象化や幻想的な描き方はあった。
2. サティと吉松には視覚的なイメージがない、または少ないので、具体性のない、いわば模様のパターンを多く活用したイメージ。
3. 双方の系統において、束芋特有の、窓を伝う雨水や、モクモクと動く雲、葉や鳥の落下、水中の泡、複雑に絡み合った根、突然開く花や、脈打つ心臓・・・と言ったイメージ群がほどよく調和。

この中で、例えば有名な「月の光」は、スクリーンに青い照明を当てるのみで、一切の映像はなし。またもう 1曲、グノシェンヌ 5番であったろうか、そちらに至っては、照明自体も白で、全くの無であった。繰り返しだが、これぞ束芋の本領発揮と、拍手を送りたい。以下は、ほかのサイトから借用して来た演奏シーンのいくつか。少しはイメージが伝わるだろうか。ちょっと分かりにくいかなぁ。
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終演後には束芋もステージに登場し、嬉しそうに拍手を受けていた。これはゲネプロのときの 2人の写真のようだ。ロジェの T シャツに注目。
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終演後にサイン会があったので、ロジェの CD を購入して参加。但し、CD ジャケットに適当なスペースがなかったので、プログラムにサインしてもらうこととした。名ピアニストは、ステージを離れてもファンに対して非常に礼儀正しい紳士なのである。ただこのサイン、とても字には見えないんですけどね (笑)。

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滅多にない内容の素晴らしいコンサート、堪能しました。またこのコンビで、新たなコラボの試みを行ってもらえないだろうか。例えば、武満徹。それから、メシアンの大曲ピアノ作品。もしくは全然違う、プロコフィエフとかバルトークのピアノ曲なんて面白いかもしれません!!


by yokohama7474 | 2017-07-06 01:00 | 音楽 (Live) | Comments(3)

諏訪内晶子 & ボリス・ベレゾフスキー デュオ・リサイタル 2017年 7月 4日 名古屋・三井住友海上しらかわホール

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1990年のチャイコフスキー国際コンクールでの優勝をきっかけに世界に羽ばたいたヴォイオリニスト、諏訪内晶子。彼女の最近の活躍ぶりの一端はこのブログでも何度か紹介して来たが、実はそれらは、一度室内楽があった以外はすべて協奏曲でのオーケストラでの共演であった。その後冷静に考えてみて、私が海外で聴いた彼女の演奏を含めても、なんたることか、リサイタルには一度も行ったことがない。それに気づいた私は、この「国際音楽祭 NIPPON」の一環として開かれるリサイタルに足を運ぼうと思ったのであるが、東京での公演はちょっと都合が悪い (その理由はほどなくしてこのブログ上で明らかにされるであろう・・・?)。そこでカレンダーとにらめっこし、たまたまこの名古屋でのリサイタルには行けることが判明したので、そのようにしたのである。会場の三井住友海上しらかわホールは、700席ほどの中型ホール。ヴァイオリンリサイタルを聴くにはちょうどよいサイズで、響きも素晴らしい。

さてこの「国際音楽祭 NIPPON」であるが、先だってのサロネン指揮フィルハーモニア管の演奏会の記事でも少し触れた通り、2012年に諏訪内が自ら芸術監督として始めた企画であり、初回はそのサロネン指揮フィルハーモニアの伴奏でサロネン自作のヴァイオリン協奏曲の日本初演が行われた。今年は第 5回 (2012年以降、2015年を除く毎年の開催)。今回は 5月に 3回、7月に 5回の演奏会が東京と名古屋で開かれ、震災復興支援の関係で岩手県久慈市でもチャリティー・コンサートが開かれるほか、チェロとヴァイオリンのマスター・クラスも開かれるという、大変に盛り沢山な内容である。そもそもこの音楽祭には 4つの柱があって、それは「イントロダクション・エデュケーション」(同時代の作品と若い演奏家の紹介)、「コラボレーション with アート」(音楽以外の芸術分野との交流)、「トップ・クオリティ」(もちろん演奏される音楽の質)、「チャリティ・ハート」(被災地や病院への貢献)。いずれも大変意義深いことであり、強く支持したい。
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演奏会が開かれる場所として名古屋が多い理由も、会場で購入したプログラムで判明した。それは、音楽祭の実行委員長を豊田自動織機の会長が務めているほか、スポンサーにはトヨタ本体や豊田通商の名前が並ぶ。もちろんこれだけの内容の音楽祭であるから、企業のスポンサーシップは必須であり、名古屋の盟主であるトヨタグループがこのように文化イヴェントをサポートしながらも、会社名を大々的に謳わない点に、会社の品格を感じることができる。

さて今回のリサイタル、注目のひとつは伴奏者である。ロシアの名ピアニスト、ボリス・ベレゾフスキー。実は彼は諏訪内と同じ 1990年のチャイコスフキーコンクールのピアノ部門の優勝者。この 2人はいわば「同期」として、一時期はデュオを組んでいたが、このところは共演しておらず、今回が実に 15年ぶりのデュオ。久しぶりとはいえ、息の合った演奏が期待される。せっかくなので、ベレゾフスキーの写真は若い頃のものを使おう。今はかなり貫禄が出て来ている彼であるが (笑)。
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そんな二人が採り上げた曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン・ソナタ第 5番ヘ長調作品24「春」
 ヤナーチェク : ヴァイオリン・ソナタ
 藤倉大 : Pitter-Patter (委嘱作品、世界初演)
 リヒャルト・シュトラウス : ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18

うーん、なかなかひねりが効いている。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタで最もポピュラーな「スプリング・ソナタ」で始まるものの、モラヴィアの東方的な響きを聴かせるヤナーチェク、今活発な活動を続ける作曲家、藤倉大の新作に、秘曲とまでは言わないが、管弦楽の大家の R・シュトラウス若書きのヴァイオリン・ソナタ。なんとも多彩ではないか。

最初の「スプリング・ソナタ」は、この曲目の流れからするとむしろ当然かもしれないが、ただ明るく晴れ晴れした表情の演奏ではなかった。さほど歌い込むことはあえてせず、その代わりに強い推進力と深い陰影のある音楽であったと思う。第 1楽章でピアノが駆け上がる箇所では、いびつなほどテンポが煽られ、聴いている者に不安すら感じさせながら、ヴァイオリンがまたテンポを取り戻すという演出が聴かれ、ある種の即興性を感じることともなった。諏訪内のヴァイオリンは、非常に艶やかであり、また音量も大きいので、音楽のひだを巧まずして表現できるし、また退廃的な雰囲気までも出すことができる。その点においての出色はやはり、2曲目のヤナーチェクであったろう。私はこの作曲家の創り出す響き (管弦楽曲であれ室内楽であれ器楽曲であれ声楽曲であれオペラであれ) の神秘性に深く魅了されている人間であるので、今回の演奏の冒頭から最後まで続いた、美麗一辺倒ではない一連の独特な節回しに、まさにこの作曲家の神髄を聴く思いであった。ヤナーチェクはこんな人。どこか得体の知れない感じがしませんか (笑)。
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休憩後は作曲家の藤倉大がステージに登場。この作曲家については、先般の「ボンクリ」の記事をはじめ、このブログでも何度も言及しているが、今年 40歳の、日本を代表する作曲家である。これは今回の記者会見の様子であろうか。
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後半の演奏前のステージ上で、主催者側の人とおぼしき女性のインタビュー形式で、この国際音楽祭 NIPPON の委嘱によって書かれ、このコンサートで世界初演された「Pitter-Patter」という曲について語られた。まず曲の名前は英語でも日本語でもそのまま「ピタパタ」という意味で、子供が水たまりで遊ぶようなイメージとのこと。作曲に要した期間は 4ヶ月くらいなるも、その間に作業が停滞すると、別の曲にかかったりして作曲を進めたという。藤倉いわく、ちょうど学生の試験勉強でひとつの科目で息詰まったら別の科目に取り掛かるようなもので、「日本の受験勉強が初めて実生活で役に立ちました・・・冗談です」という発言もあって、学生時代の試験において一夜漬けの王者であった私自身の経験に鑑みても、大変分かりやすい説明だ (笑)。実演 1時間ほど前の最後のリハーサルでも、諏訪内から細部の演奏方法について「これがいいですか? それともこうした方がいい?」と訊かれると、どちらも素晴らしかったので、「どちらでもよいです」と答えたことなどがユーモラスに語られた。また、音楽とは、作る人、演奏する人、企画する人、聴く人が揃ってはじめて可能になるもの。今回のような演奏者と一緒に曲を作る経験は非常にためになったとコメントしていた。さて、この曲自体は、演奏時間10分程であったろうか、確かに冒頭、長い音で歌い出すヴァイオリンに対し、ピアノは右手だけでピロピロ旋回するような音を奏でている。その後何度か音楽的情景は変化するが、藤倉の曲は理屈っぽくないのがよい。音の変化を聴いているだけで充分楽しめるのである。また、最後の 3分間ほどはピアノが沈黙してヴァイオリンだけになる。作曲者は舞台上で、「これ、僕も書いていて変な音楽だなぁと思ったんですけど」ととぼけていたが、プログラムに寄せたコメントには、「後半だけでアンコールとしてソロ・ヴァイオリンで弾けるようにした」とあり、実はなかなかにしたたかな試みである。そのうち諏訪内は、協奏曲のあとのアンコールにこの曲の後半だけ弾くようになるのではないか。

最後のシュトラウスのソナタは、この作曲家らしい華麗な響きを持つ佳曲で、ここでも諏訪内の充実した音が非常に安定した響きを発していた。ベレゾフスキーは技術の誇示をすることもなく、きっちり伴奏していたが、だがここでも上述の即興性を感じさせる要素もあり、実に大人な内容の高度な演奏であったと思う。

そして演奏されたアンコールは、実に 5曲!!
 マスネ : タイスの瞑想曲
 ピーター・ウォーロック (シゲティ編) : カプリオール組曲からバス・ダンス (Basse Danse)
 クライスラー : シンコペーション
 リヒャルト・ホイベルガー (クライスラー編) : 喜歌劇「舞踏会」から「真夜中の鐘」
 ドヴォルザーク (クライスラー編) : わが母の教え給いし歌

ここで諏訪内とベレゾフスキーは大変に打ち解けた雰囲気で次々とアンコールを演奏し、途中で諏訪内が曲目を紹介するシーンもあった (彼女が舞台で口を開いたのを初めて聞いた)。これだけ性格の異なる曲を次々と完璧にこなして行くのは大変なこと。ヴァイオリンの素晴らしさを実感できる瞬間を味わわせてもらった。

このように大変充実したデュオ・リサイタルであったのだが、実はこの日の名古屋は台風の接近によって、コンサート開始時は大雨であったのである。だが終わってみると既に雨はやんでいて、気分も上々だ。そのような気象の偶然も音楽会の体験の一部であり、私としてはこのようなコンサートを可能にしたスポンサー企業の方々に、心から御礼申し上げたいのである!!

by yokohama7474 | 2017-07-05 00:03 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ミヒャエル・ザンデルリンク指揮 ドレスデン・フィル (ピアノ : 小川典子) 2017年 7月 2日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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ドイツの古都ドレスデンに本拠を持つドレスデン・フィルが、現在の首席指揮者であるミヒャエル・ザンデルリンクとともに来日している。このドレスデンには、クラシック・ファンなら知らぬものとてないシュターツカペレ・ドレスデン (ドレスデン国立歌劇場のオーケストラ) という超名門オケがあるせいで、このドレスデン・フィルはその陰に隠れてしまっている感がなきにしもあらず。だが実は私も恥ずかしながら今回初めて知ったことには、このオケの設立はなんと 1870年。既に 150年近い歴史がある。これは大変なことだ。もっとも上には上があるもので、件のシュターツカペレ・ドレスデンの設立は実に 1548年!! こちらは 450年を超えるという長い歴史があるわけで、世界最古のオケのひとつ (実は、デンマーク王立管が、1448年設立ということで、さらに百年遡るらしいが)。ともあれ、歴史が長いからよいというものでもなく、オケの歴史に栄枯盛衰はつきもの。今現在我々が聴くことのできるこのオケの持ち味を楽しむ機会であってほしいと思って、会場のミューザ川崎シンフォニーホールに足を運んだのである。

このオーケストラ、以前もフランスの名指揮者ミシェル・プラッソンの指揮での来日公演を聴いたことがあるし、録音ではヘルベルト・ケーゲルやラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの指揮であれこれ聴いたことがある。旧東独という渋い音色のイメージはそこそこあるが、現代的な柔軟性もあるオケという印象だ。今回のスケジュールを見てみると、6/24 から 7/5 までの 12日間で、名古屋、所沢、武蔵野、長野、東京、大阪、川崎、もう一度東京、そして最後は浜松と、9回のコンサートが開かれる。関東と中部、関西地方だけであるが、来日オケの地方公演も貴重な機会であるので、なかなかの健闘であると思う。曲目を見ると、メインの 1曲であるショスタコーヴィチ 5番を除くとすべてドイツ物で、まあドイツのオケで指揮者もドイツ人なので、それもよいのであるが、先日のブリュッセル・フィルのように短い現代曲をひとつくらい入れる冒険があってもよかったようにも思う。ともあれこの日の曲目は以下の通り。
 ウェーバー : 歌劇「オイリアンテ」序曲
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第 5番変ホ長調作品73「皇帝」(ピアノ : 小川典子)
 ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68

昔ながらの、序曲、協奏曲、交響曲という構成であるが、その曲目の保守性にもかかわらず、そこには現代ならではの演奏の工夫があったことを追って述べよう。まず、指揮者のミヒャエル・ザンデルリンクとは何者か。
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1967年、東ベルリン生まれのドイツ人で、今年 50歳。もともとチェリストとして活動を開始したが、2001年に指揮に転身した。もちろんこの苗字を携えて音楽稼業を営む以上、このような表現を避けることはできないであろうが、往年の大指揮者クルト・ザンデルリンク (1912 - 2011) の息子である。この指揮者がいかに偉大であったかについて、知っている人は知っているだろうし、知らない人に説明するのはなかなか難しい (笑)。私自身は結局、彼の実演に接する機会を得られなかったが、生前から FM 放送や非正規盤 CD を含む数々のライヴ録音 (あるいは、Wowwow がベルリン・フィルの定期演奏会を放送していた頃に見たショスタコーヴィチ 8番など) に接して瞠目し、深く尊敬するに至った指揮者である。実のところ、彼の名前が偉大過ぎて、同じ苗字の (つまりは息子の) 指揮者たちによる実演や録音を、今回に至るまで聴いたことがなかったのである。つまり、このミヒャエルに加え、彼から見れば異母兄で長男のトーマス・ザンデルリンク (1942年生まれ)、同じ母を持つ兄のシュテファン・ザンデルリンク (1964年生まれ) たちだ。なので今回の演奏会は、食わず嫌い返上の意味もあったのである。

さてコンサート開始時に舞台を見ると、既に 2曲目の協奏曲に備えて、ピアノがステージに出ている。最近東京のオケでは、1曲目が短い序曲で 2曲目がピアノ協奏曲であっても、ピアノが最初から舞台に出ていることは少ないと思う。だがこれはコンサートの進行上、非常に効率的なことである。また、弦楽器の配置を見ると、指揮者のすぐ左手に第 1ヴァイオリンは当然として、その隣はチェロで、これら楽器の奥、つまりステージ下手側にコントラバス。チェロの右がヴィオラで、指揮者のすぐ右手が第 2ヴァイオリン。最近増えてきた対抗配置である。コントラバスを見ると 6本で、使われていない楽器はステージに置いていない。つまり、そのままブラームスもわずか 6本でやるのか??? と思えたのであるが、これについてはまた追って。それから、ティンパニが 2種類置いてあり、ひとつは太鼓 2台によるもの。それが前半のウェーバーとベートーヴェンで使用された。もうひとつは太鼓 4台によるもので、後半のブラームスではそちらが使われた。つまり、レパートリーによってスタイルを変えて演奏しているのである。

最初の「オイリアンテ」序曲は勢いよく始まり、ヴァイオリンが艶やかなよい音を聴かせてくれる。オケ全体のレヴェルとしては驚くほど高いというわけではないが、やはりそこはドイツのオケ。音楽の流れに自然な説得力がある。大変気持ちのよい演奏で、最初からブラヴォーが飛んだ。

そして次のベートーヴェンに移るときに見ていると、ここでトランペットは、ピストンのない、いわゆるバロック・トランペットのような古そうな楽器が使用されることとなった。これ、同じようなことをどこかで書いたと思ったら、5月21日の記事で、サロネン指揮フィルハーモニア管の演奏会をご紹介したときであった。上記のティンパニといいトランペットといい、通常オケであっても、古典派から初期ロマン派を演奏する際には古いタイプの楽器で演奏するというのが、世界の潮流なのであろうか。だが、様式とか使用楽器は、言ってみれば副次的なこと。音楽を楽しむことこそが大事である。ここでベートーヴェンの「皇帝」を弾いたのは、日本を代表するピアニストのひとり、日本と英国を拠点として活躍する小川典子。
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彼女は BIS というレーベルから録音を出しており、ドビュッシーが絶賛されたり、ワーグナーによるベートーヴェン第九のソロ・ピアノ編曲版なども大変面白い演奏であった。この華やかな「皇帝」などは、きっと彼女に合った音楽だろうと予想して聴いてみると、案の定、その音量が大きく音色の美しいピアノは、あえてミスタッチも恐れない強い表現力によって、推進力に満ち、愉悦感に富んだ音楽を紡ぎ出した。実際、ときにはもう少し音量を抑えた方がよいと思えた箇所もあったが、ホールの音響効果も関係しているのか、聴いているうちにすっかりその音楽に引き込まれてしまった。ザンデルリンクの指揮もオケを煽り立てることなくきっちりと音を組み立てており、「皇帝」らしい「皇帝」を聴くことができたという充実感を覚えたものである。そしてアンコールとして弾かれたのは、ブラームス晩年の 6つの小品作品118 の第 2曲、間奏曲。いかにもブラームスらしい諦観まじりの情緒が深々と伝わって来た。尚、非常に珍しいことに、この演奏のあと、20分間の休憩時間にロビーにて小川のサイン会が開かれた。ステージ衣装のまま出て来て、多くの人たちと歓談しながらのなごやかなサイン会であったが、調べてみると彼女は川崎市出身であるようだ。きっと旧交を温める機会になったことであろう。
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そして、後半のブラームス 1番に入る前に舞台を見渡して驚いた。前半でステージに向かって左手、つまり下手側にあった 6本のコントラバスは、ここでは上手側に移動しており、本数は 8本に増加している。その後入場して来た弦楽器奏者の配置を見ると、指揮者のすぐ左から右回りに、第 1ヴァイオリン、第 2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラで、指揮者の右側、ヴィオラとチェロの後ろにコントラバスである。つまり、第 1ヴァイオリン以外のすべての弦楽器セクションが、前半の場所から移動したことになる!! ここではっきり見て取れる指揮者の意図はやはり、曲の書かれた時代にふさわしいスタイルで演奏するということであろう。あ、それから、ステージ正面奥に、金属の棒にトライアングルが固定されているのが見えた。ブラームスの 1番にはトライアングルは登場しない。ということは、なるほど、アンコールは本命のあの曲で決まりだな、と考えていると、滔々とした流れに乗って、ブラームスの第 1交響曲の演奏が始まった。このブラームスは、ここでも弦の表現力に多くを負っていて、大変に安定した出来であったと評価できる。長身のザンデルリンクの指揮はバランスよく颯爽としていて、過度に重量感を引きずらない、停滞感のないスッキリとした演奏だ。ただ惜しむらくは、このオケの木管には時折抜けの悪さを感じることがあって (特にフルート、ときにはこの曲で重要なオーボエですら)、これだけ緻密に書かれたブラームスの曲の神髄までは、残念ながら感じられない瞬間があった。そう思ってオケの面々を見ると、なんとこのオケは、木管と金管の全員が男性、しかも結構年配の方もおられる。もちろん年配にはベテランの味があるし、男性ばかりで悪いと言う気は毛頭ないが、結果的にはさらに緻密な木管アンサンブルがあれば、音楽の表現力が格段に増したことだろうと思われる。ひとつ言えることは、ドイツのオケだからドイツ的に、というほど物事は単純ではなく、ドイツ音楽にもいろいろあること、そしてザンデルリンクとドレスデン・フィルの目指すところは、その「いろいろある」音楽を、最適のかたちで聴衆に届けるということだということだ。そして案の定アンコールに定番のブラームスのハンガリー舞曲第 5番が演奏されると、そこではシンフォニーとはまた違った野性味が聴かれ、なるほど、ドイツ音楽もいろいろあるな、と納得したことだ。

このドレスデン・フィルの本拠地、クルトゥーアパラスト (文化宮殿) には、今年の 4月に新しいコンサートホールが完成したばかりらしく、今後のミヒャエル・サンデルリンクとドレスデン・フィルはこの場所でさらに音楽を練り上げて行くことになる。
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私がドレスデンを訪れたのはこれまでに一度だけで、オペラハウス (ゼンパーオーパー) でオペラとシュターツカペレによる演奏会を聴いた。もちろんそれは忘れがたい思い出であるが、この近代的なホールでこのドレスデン・フィルによるドイツ物以外、例えばロシア物やフランス物などを聴いてみたいものだなぁと思う。よいホールは指揮者を育て、オケを育てる。最近パリでもハンブルクでも、そしてこのドレスデンでもこのような素晴らしいホールができたことで、それぞれの街の音楽文化は一層彩り華やかになるだろう。オーケストラは地元の誇り。ヨーロッパの伝統と新しい活動が、地元の人たちに文化の奥深さを語り続けることだろう。エルベ川沿いのフレンツェと呼ばれる美しい古都ドレスデンに、遠く東京の川沿いの住居から、そんな思いを馳せる日曜の夜でありました。

by yokohama7474 | 2017-07-03 01:02 | 音楽 (Live) | Comments(2)