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モーツァルト : 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式) パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2017年 9月 9日 NHK ホール

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毎年 9月から11月頃にかけて開催される NHK 音楽祭は今年で 15回を迎えた。この音楽祭は、NHK ホールを舞台に、海外一流のオーケストラと NHK 交響楽団 (通称「N 響」) とが出演する 4 - 5回の演奏会によって成り立っている。正直なところ、ここに出演するオーケストラはいずれも、サントリーホールなどほかの会場でも演奏するし、開催時期も明確に定まっているわけではないので、例えばザルツブルクやルツェルンといった、ヨーロッパで行われている本格的な音楽祭とは少し性格を異にしている。だがそれでも、毎年出演する豪華な顔ぶれには瞠目すべきものがあり、すべての演奏が NHK の FM と BS で放送されるという点では貴重なものである。実はこの音楽祭には毎年テーマがあるのだが、今年のテーマは「人は歌い、奏でつづける」。開かれる 4回の演奏会はいずれも、オペラや声楽曲をそのプログラムとしている。実はちょっとこのテーマに聞き覚えがあるような気がして、意地が悪いようだが、過去のこの音楽祭のテーマを調べてみると、ありましたありました。第 1回、2003年がこれと全く同じテーマであった。だがその内容は違っていて、第 1回の曲目は、オペラの序曲や抜粋、あるいはヴェルディのレクイエムとか、ベートーヴェン 9番、マーラー 3番といったものであったのに対し、今回はオペラ全曲の演奏会形式上演が 2回、加えてワーグナーの「ワルキューレ」の第 1幕というヘヴィー級の曲目、そしてブラームスのドイツ・レクイエムである。今回私が聴くことができたのは、そのオペラ全曲演奏のひとつ。演奏したのは、首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィ率いる N 響である。
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過去このブログでは、このヤルヴィがいかに現代指揮界において重要な存在であるか、また、彼と N 響の共演がいかに高いレヴェルを保っているかについて、何度も触れてきた。実際にこの指揮者は世界でひっぱりだこなのであるが、その多忙な時間のかなりの部分を割いて N 響を指揮しに来日しているのを見ると、東京の音楽界のレヴェル向上にこれからも大きく寄与してくれることは、ほぼ確実なのである。広いレパートリーを誇り、およそ振れない曲などないかのような彼の活動ぶりだが、ちょうど先月のレコード芸術誌で彼の特集を組んでいる中に、彼のレパートリーとして「目立たないのは古典派以前とオペラくらいか」という記述があった。なるほどその通りだが、今回の曲目はまさに古典派のオペラ、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」である。この指揮者は本当にスマートな人で、コアとなるレパートリーは確かにあり、手当たり次第にそれを広げている印象はないのだが、気がつくと広範なレパートリーで聴衆を楽しませてくれるのである。興味深いことに、今年の 12月には東京交響楽団が音楽監督ジョナサン・ノットとともに同じ作品の演奏会形式上演を行う。そちらは、いわゆるダ・ポンテが台本を書いたモーツァルトの 3本のオペラを順番に演奏する 2回目なのであるが、数ヶ月をおいて東京を代表する指揮者とオケが同じ曲を演奏するというのも、聴衆としてはなんとも有り難い機会だと思う。

さて、実はこのヤルヴィ、今年の 5月から 6月にかけて、この「ドン・ジョヴァンニ」でミラノ・スカラ座デビューを果たしたらしい。調べたわけではないが、今回の歌手もそのスカラでの公演と同じ人たちが含まれているのかもしれない。ということは、スカラ座の舞台と同じレヴェルの音楽を東京で聴けるということだ。このオペラには 8人の登場人物が出て来るが、日本人歌手は 2人のみで、残り 6人は海外から来ている。実際のところ私は、6人の海外歌手のひとりも知らなかったが、以下の通り、実に国際的な顔ぶれなのである。
 ドン・ジョヴァンニ : ヴィート・プリアンテ (イタリア)
 騎士長 : アレクサンドル・ツィムバリュク (ロシア)
 ドンナ・アンナ : ジョージア・ジャーマン (米国)
 ドン・オッターヴィオ : ベルナール・リヒター (スイス)
 ドンナ・エルヴィーラ : ローレン・フェイガン (オーストラリア)
 レポレッロ : カイル・ケテルセン (米国)
 マゼット : 久保和範
 ツェルリーナ : 三宅理恵

みな若手歌手のようだが、プログラムに載っている経歴を見ると、名門歌劇場への出演経験ある人ばかり。昔のように大柄な体格の歌手は皆無で、ヴィジュアル面でも大変に洗練されている。ヤルヴィのおかげで、東京にいながらにして世界のオペラ最前線の一旦に触れることができるのである。中でも印象に残った歌手は、ドンナ・エルヴィーラ役のフェイガン、次いでドンナ・アンナ役のジャーマンである。このような人たちだ。写真で見ると姉妹のように似ている。
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特にフェイガンは、声量、表現力とも素晴らしく、ともすればヒステリックに騒ぐだけになりがちなドンナ・エルヴィーラを、感情の豊かな女性として表現した。一方のジャーマン演じるドンナ・アンナの登場シーンには必ず深刻な音楽がつけられていて、ちょっと退屈にもなりかねないところ、今回はその美声で聴衆を圧倒したのである。もちろん、主役を歌ったプリアンテも、悪漢というよりは飄々とした印象のドン・ジョヴァンニで、これはこれで一本筋が通ったもの。従者レポレッロのケテルセンも、洒脱な演技を含めて安定した歌いぶり。そう、今演技について触れたが、今回は演奏会上演と言いながら、歌手の演技は舞台上演なみに細かい。衣装については、貴族と平民は見て分かるように区別され、ドン・ジョヴァンニやドン・オッターヴィオ、騎士長らが燕尾服であるのに対し、レポレッロはジャケットにジーンズ、マゼットとツェルリーナはレストランの従業員風だ。ドンナ・エルヴィーラとドンナ・アンナだけは、きらびやかなコンサート風ドレスであった。舞台前面、左右には白く塗られた横長のベンチがそれぞれ 3つずつ続いて置かれており、登場人物たちは出たり入ったりしながら、時にはそこに座って演技をする。ドン・ジョヴァンニ主従はタブレット端末や携帯電話を使って情報 (あ、もちろんドン・ジョヴァンニがモノにした女性のリスト 笑) を管理し、また、離れたところでもコミュニケーションを取る。なかなかにスピーディかつ簡潔な動きとなっていて大変よかったのだが、ベンチ以外に舞台装置がない分、大変凝った照明を駆使しており、その点も高く評価できると思う (例えば冒頭の衝撃的和音とともに照明は夜の雰囲気の暗い青となり、その後主部に入って音楽が快速に走り出すと、日の出のように赤くなるといった具合)。実は演出を担当していたのは、佐藤美晴という女性演出家。帰宅して調べてみて思い出したことには、今年 5月28日の記事で採り上げた、ピエタリ・インキネン指揮日本フィルによるワーグナーの「ラインの黄金」の演奏会形式でも演出をしていた人だ。今回、終演後のカーテンコールの際に、ヤルヴィに呼ばれて舞台に出てきていて、遠目にはお嬢さんのように見えるが、大学でも教鞭を取っており、各地で実績を積みつつある演出家なのである。
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飽くまで演奏会形式での上演なので、演出とは言っても本格的なものではなく、ただ要領よく音楽を進めるサポートになっていたとも言えるかもしれない。ただ一点、ラストシーンには私は大変に感心した。よく、主人公が騎士長に連れられて地獄に落ちたあと、最後に残りの 6人の歌う教訓的な歌が白々しいという評価があるが、今回のやり方は、「なるほど、その手があったか!!」と思わせる、単純にして意外性のあるもの。これによって終曲の持つニュアンスも変わり、ピリッと締まったと私は思う。このようなやり方が過去の演出にあったのか否かは分からないが、少なくとも私がこれまでの人生で見た「ドン・ジョヴァンニ」では一度もなかった。これは素晴らしいセンスである。ネタバレは避けるが、この上演は 10月22日 (日) の深夜、翌 23日 (月) の午前 0時から NHK の BS プレミアムで放送されるので、ご興味のある方は是非ご覧頂きたい。

さて、そしてヤルヴィ指揮による N 響の音楽は、もう素晴らしいの一言。オペラの演奏会形式上演においては、オーケストラはピットではなくステージに並んでいるわけで、その微妙なニュアンスまで聴き取ることができるし、指揮者の音楽の進め方もよく分かる。また、歌手とオケの物理的距離が近い分、呼吸を合わせることはより容易であるだろうし、場合によっては視線でコミュニケーションもできる。そんなことを再認識させてくれるような充実した演奏であった。音楽のいかなる箇所においても曖昧さのないヤルヴィの指揮は、クリアでありながら、なんとも重層的な音楽を N 響から引き出していて、いつもながらに素晴らしい手腕である。ヤルヴィは明らかにこの作品を自家薬籠中のものにしていて、これまであまり聴くことのできなかった古典派とオペラというレパートリーにおいても、彼の抜きんでた才能が輝くのであるということを思い知るに至った。これは間違いなく国際的に見ても高い水準の公演であった。

考えてみると、いかにヤルヴィが世界で活躍している指揮者であるとはいっても、彼が N 響の公演で使える予算は、もしかすると欧米のケースよりも多いのかもしれない。これまでのキャリアで彼が本拠地とした、または今でもしている都市を考えると、タリンやブレーメンやシンシナティはもちろん、パリやフランクフルトと比べても東京の経済規模は大きいだろう。それゆえにヤルヴィとしても、やりたいことができる喜びはあるのかもしれないと想像する。また、金銭面のみならず、聴衆の質という点でも、ある意味では非常に高いということは言えるはず。但し、本当に大人の文化としてのオーケストラ音楽が広く人々の生活を豊かにするには、まだ少し課題があるかもしれない。歴史あるヨーロッパの都市のように、東京の文化もさらに成熟して行ってほしいと願うものだが、このような素晴らしい演奏を日常的に聴けることが、そのような文化の成熟を実現することを期待したい。そういえば、この NHK 音楽祭においては、毎年必ず N 響が出演しているわけで、考え方によっては、N 響と世界のトップオケとの競争になっているわけである。今後もその競争を楽しみにしたい。
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by yokohama7474 | 2017-09-10 02:19 | 音楽 (Live) | Comments(0)

山田和樹指揮 日本フィル 2017年 9月 8日 サントリーホール

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つい先日、忘れられた日本の作曲家、大澤壽人の作品ばかりによる演奏会で見事な演奏を行った日本フィル (通称「日フィル」) と、その正指揮者を務める山田和樹が、秋からの今シーズン初の定期公演で、またまた意欲的なプログラムを採り上げた。まずはその内容からご紹介することとしよう。
 ブラッハー : パガニーニの主題による変奏曲作品26
 石井眞木 : 遭遇 II 番作品 19 (雅楽 : 東京楽所)
 イベール : 交響組曲「寄港地」
 ドビュッシー : 交響詩「海」

うーん、ちょっと渋すぎるような気がするなぁ・・・(笑)。おかげで客席はそれほど埋まっていない。だが、これはやはり聴く価値が大いにある演奏会なのだ。そもそもこの曲目をどう評価しようか。ごく一般の音楽ファンは、ドビュッシーの「海」にしかなじみがなく、イベールの「寄港地」は題名だけ聞いたことがあるとか、そんな感じであろうか。よくよく曲目構成を見てみると、前半 2曲はドイツ系、後半 2曲はフランス物という区別はできようか。プログラムには、「異なるものの出会い」がこの 4曲に共通するとあるが、賛同できるようなできないような。以下、順番に見て行こう。

まずボリス・ブラッハー (1903 - 1975) である。名前にはなじみがあり、特に今回演奏された「パガニーニの主題による演奏曲」(1947年) は代表作として知られている。最近でこそあまり演奏されないものの、ジョージ・セルやレオポルド・ストコフスキー、フェレンツ・フリッチャイ、あるいはセルジュ・チェリビダッケ、ゲオルク・ショルティという指揮者たちが録音を残している。こうして名前を並べると錚々たるものだが、やはり歴史的な顔ぶれ。それを考えると、本当に最近は演奏されることが少ないのが奇異なほどである。このブラッハーという作曲家、私などは、この曲以外には、息子のコーリア・ブラッハーがベルリン・フィルのコンサートマスターを務めたことがあるがゆえに、名前になじみがあるという感じである。彼の顔写真をあしらった作品集のジャケットはこれだ。指揮は一部でマニアックな人気を誇る (まあ私も好きだが 笑) ヘルベルト・ケーゲルだ。
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今回演奏されたパガニーニの主題による変奏曲は、あの有名なパガニーニの奇想曲第 24番のテーマ (リストやラフマニノフが転用した有名なメロディ) をもとにした変奏曲であり、戦後すぐの東ドイツで書かれた割には、ジャズ的な要素が顕著である点が面白い。ブラッハーの若い頃に活況を呈したベルリンの雰囲気が偲ばれる。今回の山田と日フィルの演奏は、かなりきっちりと各変奏の性格を描き出したもので、オケの性能も充分。面白く聴くことができた。

続く石井眞木 (1936 - 2003) の作品。この作曲家については以前も、今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンにおける井上道義指揮によるシンフォニア・ヴァルソヴィアの演奏で、彼の「モノプリズム」をご紹介したが、今回はまた興味深い曲目。「遭遇 II 番」という曲で、副題は「雅楽とオーケストラのための」。つまりここでは、日本古来の宮廷音楽である雅楽と、西洋音楽が「遭遇」するわけである。実は作曲者石井は、ボリス・ブラッハーの弟子。ここで前半の 2曲にはひとつのつながりがあることが分かる。だがその作風は師とはかなり異なるもの。この石井の作品は、オーケストラのための「ディポール」という曲と雅楽のための「紫響」という曲の同時演奏であり、それらをいかに組み合わせるかは指揮者の意向次第という、いわゆるチャンス・オペレーション (偶然性の音楽) の一種である。今回山田がこの曲を採り上げたには理由があり、実はこの曲、今回演奏しているオケである日フィルの委嘱によって作曲されたものなのだ。このオケの創立者であった名指揮者、渡邉曉雄の提案によって始められた日本の作曲家への委嘱シリーズである「日本フィル・シリーズ」のひとつであり、この「遭遇 II 番」という作品は第 23作。1971年 6月23日の初演である。いわゆる現代音楽の場合、せっかく委嘱による初演がなされても、再演の機会に恵まれないことも多いので、このように、委嘱したオケ自身での再演には大いに意味がある。私は、とりわけこの作品には興味があったのであるが、それは、この曲の初演の前後 (1971年 6月22・23日) に録音されたアナログレコードが手元にあるからだ。これである。
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そう、この曲の世界初演者は、当時 35歳の小澤征爾。このときのオーケストラは分裂前の旧日フィルで、小澤はその首席指揮者であった。だがこのオケは、この曲の初演の翌年、1972年に分裂。小澤は新たに新日本フィルを創設したのだが、その話はここまでにしよう。私が言いたかったのは、日本のオーケストラにも既に長い歴史があり、世界クラスの音楽家たちの活躍の場となって来たことである。山田和樹は現在は 38歳。初演を振った当時の小澤と近い年代だ。こうしてバトンは継承されて行くのである。さてこの「遭遇 II 番」であるが、当時の前衛手法であるトーンクラスターがかなり刺激的な音を立てるし、西洋オケと雅楽は、それほど密に響き合う感じでもない。正直なところ、今聴くとむしろノスタルジックにすら響くこのような当時の「現代音楽」に、衝撃の感動を受けるというところには至らないが、だがこのような曲に真摯に取り組む奏者たち (雅楽は東京楽所 (とうきょうがくそ) である) には心から敬意を表したい。

そして後半。まずはジャック・イベール (1890 - 1962) の「寄港地」である。この曲は、昔は名曲と言われていて、私もクラシックを聴き始めた初期に読んだ本にはよく紹介されていたものだ。ほかにも「ディヴェルティメント」などの洒脱な音楽を書いた人だが、一般的な知名度は決して高いとは言えないだろう。世代としてはラヴェルやドビュッシーより下、都会的なセンスあふれる、いわゆる六人組と同世代である。この肖像写真は、軍人風にも見えるが、軍人はこんな派手な蝶ネクタイはしないか (笑)。
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この「寄港地」という作品、3曲からなっていて、1. ローマ - パレルモ、2. チュニス - ナフタ、3. バレンシアという、船旅の情景を描いた色彩的な曲である。山田と日フィルは、鮮やかにこの曲を演奏してみせ、特に木管の多彩なニュアンスには傾聴すべきものがあった。だが、この曲自体がやはり、それほど上出来とは思われない。というのも、最後に演奏されたのが、天下の名曲、ドビュッシーの「海」であったからで、聴衆は勢い、比較をしてしまうからだ。名曲の名曲たるゆえんを改めて思い知ることとなったわけだが、この「海」での山田と日フィルの演奏は、若干の課題を残していたかもしれない。このコンビなら、さらにクリアに、さらに勢いの良い演奏ができたのではないか。もちろん素晴らしい箇所もあって、例えば第 2曲の後半の弦がうねり上がるさまなどは、この曲の神髄に迫るものだったと思う。その上で、さらに充実した響きを求めたいという気がしたのである。比較の対象が多い名曲であるがゆえの難しさもあるだろう。また、前回のコンサートから今回まで、世界初演曲や普段ほとんど演奏されない曲がいろいろ入っていたので、リハーサルが及ばなかったような事情もあるのかなぁと、勝手に思ってしまいました。

だが、これだけの意欲的な内容を着実に演奏するだけでも、大変なことである。やはり、同じレパートリーの繰り返しだけでは聴衆の確保は難しかろう。演奏する側の絶えざる工夫がないと、日本の音楽界のさらなる発展は見込めない。その点、今回のように客の入りはもうひとつであっても、このような曲目が演奏されているというだけで、東京の文化度が分かろうというものだ。今年マーラー・ツィクルスを完走したあとの、山田と日フィルのコンビの充実ぶりを、これからもしっかりと体験して行きたいものである。
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by yokohama7474 | 2017-09-09 01:44 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ヤツェク・カスプシク指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : ギドン・クレーメル) 2017年 9月 6日 東京芸術劇場

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私はよく思うのであるが、音楽との出会いは、人との出会いにも似て、様々な巡り合わせによって成り立つものである。クラシック音楽の場合、有名な曲でもどうもしっくりこない場合もあれば、あまり聴く機会のない曲に心動かされることもある。演奏家も同じで、高名な音楽家だから常に素晴らしいとは限らず、また、無名な音楽家の演奏が琴線に響くこともある。従って、音楽を聴くときには常に先入観にとらわれないようにしたいものだ。と、のっけから珍しく人生論めいたこと (?) を書いているには訳があって、今回読売日本交響楽団 (通称「読響」) を指揮したヤツェク・カスプシクは、30年以上前のある録音との出会いで強烈な印象を持っていたにもかかわらず、これまで実演を聴く機会が一度もない人であったからだ。大変鮮やかな音で私の心にぐっと迫ってきたその音楽は、ポーランドの現代作曲家クシシトフ・ペンデレツキの交響曲第 2番「クリスマス交響曲」。このカスプシクがポーランド国立放送交響楽団を指揮した、パヴァーヌというマイナーレーベルのアナログレコードで、録音は 1981年。この曲の世界初録音であった。未だに手元にそのレコードがあるので、ジャケットに載っているカスプシクの当時の写真とともにお目にかけよう。
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このカスプシク、1952年生まれだから現在 65歳。ということは、この録音の時には未だ 20代であったわけである。ポーランド人で、1977年にカラヤン指揮者コンクールで 3位入賞し、ベルリン・フィルやバイエルン放送響、パリ管といったオーケストラや、ベルリン・ドイツ・オペラ、リヨン歌劇場、チューリヒ歌劇場などのオペラハウスで指揮棒を取ってきた。中でもポーランド国内での活躍が目立ち、上記のレコードで指揮をしているポーランド放送響、ポーランド国立歌劇場などの音楽監督を歴任し、2013年からは名門ワルシャワ・フィルの音楽監督を務めている。読響とは 1989年以来、実に 28年ぶりの共演であるとのこと。これが現在のカスプシク。
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私が彼の音楽に出会ってから 30数年の間、彼の辿って来た音楽的道程が、きっと音になって現れるであろうとの期待をもってこのコンサートに臨んだのであるが、さらに嬉しいのは、その曲目とソリストだ。
 ヴァインベルク : ヴァイオリン協奏曲ト短調作品67 (日本初演、ヴァイオリン : ギドン・クレーメル)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 4番ハ短調作品43

そう、文字通り現代における世界最高のヴァイオリニストのひとり、ラトヴィア出身のギドン・クレーメルが登場する。1947年生まれなので、今年既に 70歳、真の巨匠である。
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クレーメルについてはこのブログでも、昨年 6月 8日の記事で、若手ピアニスト、リュカ・ドゥバルグとの興味深いデュオをレポートしたが、そこでも彼が採り上げていた作曲家、ポーランド出身でロシアに移ったミエチスワフ・ヴァインベルク (1919 - 1996) の作品を今回も採り上げる。今回は彼のヴァイオリン協奏曲、またこれに先立つ 9月 1日 (金) のやはりカスプシク指揮読響と共演したコンサートでは、「ポーランドのメロディ」という小品を演奏している。さてこのヴァインベルクについては、以前の記事で少しご紹介したが、大変な激動の人生を送った人で、ユダヤ系であったため、1939年のナチ (またしても!!) のポーランド侵攻の際には間一髪国外に逃れたものの、家族・親戚は皆収容所で殺されてしまった。その後ベラルーシの首都ミンスクで音楽を勉強し、ウズベキスタンのタシケントを経て、1943年にモスクワに移住。ショスタコーヴィチと親しく交わるが、ここでもスターリンの反ユダヤ政策という災禍に見舞われて、義父は暗殺され、彼自身も逮捕された。死刑が求刑されたが、スターリンの死 (1953年) によって奇跡的に難を逃れた。これは平和な時代の平和な国にいる我々にはなかなか実感できない凄まじい運命である。まさに独ソの負の歴史に翻弄された作曲家であるが、現代に生きる我々としては、そのような事実は一応知識として持っておきながらも、まずは音楽そのものに耳を傾けてみたい。クレーメルはこの作曲家の昨今のリバイバルに大きな貢献のあった人で、既に何枚かのアルバムも録音しているが、このヴァイオリン協奏曲の録音は、未だないようだ。そしてこの協奏曲は、かつて日本で演奏されたこともない。従って、このような曲のこのような演奏を聴ける東京の聴衆は、非常に恵まれているのである。これがショスタコーヴィチと談笑するヴァインベルク。ショスタコーヴィチは 1903年生まれだからヴァインベルクよりも 13歳上。師弟関係というよりは友人であったようだ。
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この演奏会の前に、別の演奏家によるこのヴァイオリン協奏曲の録音を聴いて予習して行ったが、やはり生で聴くと、曲の推移がよく分かって面白い。1961年にレオニード・コーガンのソロとゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮のモスクワ・フィルによって初演された 30分程度の作品であるが、協奏曲としては変則の 4楽章制を取り、形式感は希薄である。非常に激しい部分と静かな部分が交互に現れるような曲で、ヴァイオリン・ソロとオケが丁々発止やりあうシーンはあまりなく、ソロとオケも、交互に演奏するような印象がある。だが、以前クレーメルがヴァインベルクの無伴奏ソナタ 3番を演奏したときにも思ったが、この作曲家のある種ささくれだった音楽は、クレーメルの持ち味にぴったりである。ただの美音 (いや、もちろんヴァイオリンは美音であるに越したことはないのだが 笑) だけではなく、聴き手の心に強く突き刺さってくるような彼のヴァイオリンは、ヴァインベルクの音楽の本質をクリアなかたちで聴衆に提示する。そしてそれは、未知の音楽に対する扉を開けてくれる、大変素晴らしい体験なのである。ここでのカスプシクの伴奏は、かなり譜面と首っ引きで、特に大きな印象はなかったものの、いわゆる職人的な手腕を持つ指揮者であると思った。コンチェルト終了後クレーメルはアンコールとして、同じヴァインベルクの「24の前奏曲」から第 4番と第 21番を演奏。これもいかにもこの作曲家らしい、静謐さと野蛮さが同居する音楽であった。特に後者は、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第 1番の冒頭と同じメロディが出て来て、興味深かった。

そして後半の曲目、ショスタコーヴィチ 4番である。もちろんこの作曲家は、ポスト・マーラーという観点に基づき、現代のオーケストラのレパートリーにおける重要度が増すにつれ、演奏頻度が上がっている。だが、15曲ある交響曲のすべてがよく演奏されるわけではない。以前誰かが言っていたが、マーラーの場合と違ってショスタコーヴィチは、曲による出来のむらが大きすぎる、あるいはさらに、傑作と言える交響曲は少ない、という考え方もあると思う。私もそれには同感で、特に 2・3・4番にはあまりなじめない。2番と 3番は政治的な要素という特殊性のある短い曲なので、まあよしとして、問題はこの 4番である。巨大な管弦楽を使って、1時間を超える大作になっているが、あまりにもまとまりがなく、ただうるさいだけと感じることが多いのである。それは、これも学生時代に、ハイティンクの録音で初めて聴いて以来の思いであり、実演でも、ニューヨークでゲルギエフとマリインスキー劇場管が、この作曲家の交響曲全 15曲を演奏した際に聴いたことくらいしか思い出せない (芥川也寸志が新交響楽団を指揮して 1986年に行った日本初演も、誘われたが行かなかった)。だが、それゆえに今回は楽しみであったのだ。期待のカスプシクが、私の偏見を取り除いてくれることを望んで。
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そしてこの演奏、大変よかった。まずカスプシクであるが、変わったことは何もしない、ごくごくオーソドックスな指揮ぶりで、見たところ決して器用ではない。だが、その音楽の起伏のダイナミズムと見通しのよさは、やはり非凡である。私が若い頃に感銘を受けた鮮烈な指揮ぶりというものとは少し違ったが、それはやはり、経験を積み重ねてきた彼の音楽が熟しているということだと思う。音楽の進み方には常に強い確信があり、弱音から壮大な音響まで、読響の面々がよく指揮者の意図を音にしていた。ここで強く思ったのは、既にして指揮者陣に非常に恵まれている読響ではあるが、是非このカスプシクと、今後共演を重ねて行って欲しいということ。ポーランド指揮者としての大先輩であったスクロヴァチェフスキは、老年に至っていよいよ充実の音楽を創り出し、この読響の歴史に大きな足跡を刻んだ。65歳というカスプシクの年齢は、まさにそのパターンへの大きな可能性を感じさせるではないか。それにしても、先日のルイージとの共演も記憶に新しいこの読響、実に素晴らしい水準に達している。特に弦楽器パートは、どのセクションもまるで大きなひとつの楽器のような均一性を持ち、奏者ごとにバラバラということは決して起こらない。今日の演奏では木管も金管も打楽器も大変に充実していて、本当に楽しめる演奏であったのだ。尚、今回もコンサートマスターの荻原尚子の素晴らしいリードに感銘を受けた (因みに荻原さんは、妊娠されているようにお見受けした。おめでとうございます!! 胎教がショスタコーヴィチ 4番とはなかなかに豪勢だが、日本ではまだ数少ない、集団におけるリーダーとして働く女性の模範として、頑張ってほしい)。

そう、曲ということに関して言えば、いくつか新しい発見もあった。とりとめのない大音響は依然気になるものの、それはあながちでたらめなものではなく、1935年から 36年という作曲当時の作曲家の内面が現れた結果なのではないか。当時ショスタコーヴィチはオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が酷評されたことで、作曲家としての大きな危機に瀕していた。スターリン体制下でのその状況は、場合によっては命にもかかわる。そんな中、3楽章構成で、両端楽章が極端に膨張し、陰鬱かつ謎めいた音響に満ち、いずれの楽章も弱音で終わるこんな曲を発表すれば、本当に危なかったはずで、結局この曲の初演は、スターリン没後の 1961年 (奇しくも、ヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲初演と同じ年だ!!) まで実現しなかったわけである。そして作曲家は、この後に書いた 5番のシンフォニーで名声を復活させるのであるが、その、一見体制に迎合したかのような第 5交響曲の真価は、今日ではよく知られているように、一筋縄ではいかない。諧謔に満ちたこの作曲家の脳髄には、政治体制を揶揄する反骨精神が常に宿っていたのであろう。今回気づいたことには、この 4番には何ヶ所も、5番と共通する音の素材が使われている。つまり、発表すれば命にもかかわるような危険な存在だった交響曲の素材を、体制にへつらったと見せかけた交響曲に忍び込ませたということである。それから、プログラムで初めて知ったことには、終楽章には数々の過去の名作からの引用があって、それは「魔笛」のパパゲーノのアリア、「ばらの騎士」のワルツ、自作のピアノ協奏曲 1番などである。なるほどそれらはいずれも聞き取れるが、よく耳を澄ますとそれらだけでなく、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」、マーラーの「復活」、チャイコフスキーの「悲愴」なども聞こえてくるではないか!! この引用の手法はもちろん、最後の交響曲である 15番で、謎めいたかたちで登場するが、もっと後の世代のシュニトケなど、このようなショスタコーヴィチの手法にヒントを得て、コラージュ風の作曲をしたのではないかと考えてしまった。このようなことすべて、今回の演奏における読響のサウンドがクリアであったからこそ理解できたものであり、それだけ演奏の質によって受ける印象が変わる難曲と言えるかもしれない。

この曲は 1936年までに書かれていたが、その時点で演奏ができなかったことは上に述べた。これに関して、私が知らなかったエピソードがプログラムに載っているのでご紹介する。1936年 5月にレニングラードを訪問していたドイツの大指揮者オットー・クレンペラーは、ショスタコーヴィチがこの 4番の一部をピアノで弾くのを聴いて、演奏を切望した。だがこの曲にはフルートが 6本使われていて、それだけの人数、優秀な奏者を集めるのは難しい。そこでクレンペラーがフルートの本数を減らすように進言したが、作曲者は頑として受け付けなかったため、演奏は実現しなかったという。もしここでクレンペラーが初演していれば、この曲の運命は変わっていたかもしれない。クレンペラーと言えば、晩年の遅いテンポの重々しいドイツ音楽のイメージがあるが、若い頃は前衛音楽の闘士であった。ショスタコーヴィチの作品としては、交響曲第 9番はライヴ録音が残っているが、5番や 7番や10番など演奏してくれたらさぞ面白かっただろうなぁと思う。

そんなわけで、曲の意義について再考察を迫るような名演であった。そう言えば、以前、マエストロ大植英次と会話した際に、最近のワルシャワ・フィルは大変レヴェルが高いとお聞きした。上記の通り、このカスプシクが音楽監督を務める、ポーランドの No. 1 オーケストラである。来日公演がないものだろうかと思うと、なんと来年 1月、このコンビが来日して、全国 7ヶ所でニューイヤー・コンサートを行う。これは是非聴いてみたい。また今回の会場では、ワルシャワ・フィルの自主制作とおぼしい CD が 3種類売られていたので、早速購入した。ブラームスのピアノ四重奏曲第 1番とバッハの前奏曲とフーガのシェーンベルクによる編曲版、ポーランドの作曲家シマノフスキのスタバト・マーテルや交響曲第 3番、そしてこのヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲 (ソロはグリンゴルツというヴァイオリニスト) と交響曲第 4番というもの。若干マニアックだが、聴きごたえがありそうだ。鮮烈な出会いから 30年以上経過して、私のカスプシク体験はこれから始まるのである。巡り合わせに感謝したい。
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by yokohama7474 | 2017-09-07 02:24 | 音楽 (Live) | Comments(3)

大野和士指揮 東京都交響楽団 (ピアノ : ハオチェン・チャン) 2017年 9月 4日 東京文化会館

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東京都交響楽団 (通称「都響」) の今月の定期の指揮台に立つのは、音楽監督の大野和士。ふと考えてみれば、N 響はパーヴォ・ヤルヴィ、東フィルはアンドレア・バッティストーニ、新日本フィルは上岡敏之と、9月は首席指揮者または音楽監督が登場する楽団が多い。やはり秋のシーズン (再) スタートの大事なタイミングに、それぞれのオケが実力を競い合うということであろうか。そういうことであれば、聴き手としてもうかうかしていられない。それぞれのオケにおいて、どんな顔ぶれでどんな曲目が演奏されるのか、しっかり見届けないと、いや、聴き届けないといけない。

大野は今年 57歳。2008年から務めたリヨン国立歌劇場の音楽監督は既に退任しており、現在のポストはこの都響の音楽監督と、バルセロナ交響楽団の音楽監督。そして来年 9月からは、新国立劇場の芸術監督に就任する。近い将来、東京のオーケストラとオペラの顔は両方この人になるわけだ。私の願いは、この才能あふれる指揮者が日本にだけとどまって、欧米での活動が減ってしまいことがないように、との一点である。だがその一方で、東京にいながらにして彼の指揮を定期的に聴くことができるというのも、東京の音楽ファンの特権とも言える。大野の素晴らしい点は、その知性と冒険心にあり、その凝ったプログラミングから当日の演奏のスリリングさに至るまで、聴き手に多くを期待させる指揮者なのである。
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その大野、今回の演奏では、ちょっとした変化球で攻めてきた。ラフマニノフの 2曲からなる曲目。
 ピアノ協奏曲第 3番ニ短調作品 30 (ピアノ : ハオチェン・チャン)
 交響曲第 3番イ短調作品 44

セルゲイ・ラフマニノフ (1873 - 1943) はもちろん、ロシア生まれの大作曲家であり大ピアニストであるが、彼の作曲家としての業績をいかに評価しようか、私にはちょっと迷うところがあると、以前もこのブログで書いたことがある。70年の生涯は決して短いものではないが、作品番号がつけられた作品はわずかに 45作品と、かなり少ない。もちろん、ピアニストとしての活動に時間を取られたり、米国への移住という経歴による苦労もあるだろう。また、作品解説を読むとしばしば、自信作の評価が低くて精神的に参ってしまうこともあったようだ。このような大男であるが、その神経は細やかであったのだろう。
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以前も書いたが、私にとっての文句なしの彼の傑作は、ピアノ協奏曲第 2番と交響曲第 2番。だが今回の演奏会はそうではなく、それぞれの「第 3番」が演奏された。もちろん、2番 + 2番では一晩の演奏会としては演奏時間が長すぎる一方、3番 + 3番ならちょうどよい。才人大野のラフマニノフは、いかなる成果となったのだろう。尚、ピアノ協奏曲 3番は 1909年の作、交響曲 3番は 1936年の作と、この 2曲の作曲された時期には、かなりの隔たりがある。

まず協奏曲のソリストとして登場したのは、1990年上海生まれのハオチェン・チャン。2009年、ヴァン・クライバーン国際コンクールで史上最年少で優勝した若手である。このように、キリッとしたなかなかの好青年だ。
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彼のピアノは今回初めて聴いたが、大変美しいタッチでクールに音楽を進めるタイプで、若さに任せた暴走もない代わり、韜晦なところもないクリアな演奏を聴かせる人である。この協奏曲は歴史上のピアノ協奏曲で最も難しいという評価もあるぐらいで、技術的なことは私には分からないが、私の思うところ、その情緒の表現にも難易度があるのではないか。つまり、2番のような甘い情緒とロマン性だけではなく、静かな部分からダイナミックに盛り上がる推移に唐突性が見られ、ある一定の雰囲気の持続時間が短いと思う。だが今回の演奏、冒頭のシンプルで印象に残るメロディは実に淡々と、そっけないくらいに弾き進みながら、その後の音楽的情景の移り変わりの中で、いざというときには細部まで神経の行き届いた、跳ねるような美音を繰り出して、一本筋の通った音世界を創り出していた。その個性は独特で、技術のみでもなく、感性のみでもない微妙なバランスには、傾聴に値するものがあったと思う。大野が率いる都響は、いつものように充実した音を縦横に響かせ、これまた見事。聴き手にとっても大変に難しいこの協奏曲を、楽しく聴くことができた。いやもちろん私の中では、2番との比較から、「この流れでなんでこう来るかなぁ」という不思議な感覚が今回も何度も現れ、曲の評価を変えるようなことはなかったが、それでも、これまで数多く聴いてきたこの曲の演奏の中でも、屈指の出来であったことは間違いない。そしてチャンが弾いたアンコールは、なんと全く違った音楽、モーツァルトのピアノ・ソナタ第 10番 K.330 の第 2楽章だ。もちろん大変な名曲であり、天上の音楽のようなその透明な抒情性は、まさにモーツァルトの神髄だが、技術だけではどうしようもないこの曲をチャンは、ラフマニノフの冒頭部分と同じく、淡々と、しかし情緒豊かに演奏して、素晴らしかった。今でもその音が耳に残っているような気がする。

そしてメインの交響曲第 3番である。44 という作品番号から、最後の作品 (作品 45) 「交響的舞曲」のひとつ前の作品であることが分かる。そもそもラフマニノフは、米国に移住して以降、生涯をそこで終えるまでの 25年間に、たったの 6曲しか作曲をしていない。因みにこの交響曲 3番の前、作品番号 43は、有名な「パガニーニの主題による狂詩曲」である。ともあれラフマニノフの 3曲の交響曲と「交響的舞曲」は、今日ではそれなりの知名度があって、録音も数々ある。だがここでも私は、大傑作である交響曲第 2番と比べてほかの曲には、どうものめり込めないことを白状しよう。この 3番も、学生時代にオーマンディとフィラデルフィア管のアナログレコードで初めて聴いて以来のつきあいだが、ハリウッド音楽のような第 1楽章の第 2主題以外は、あまり印象に残らないのである。そんな曲を、譜面台すら置かずに完全に暗譜で情熱をもって指揮をした大野は大したものであったが、ここでもやはり都響の充実した美音が、曲の冗長さを救ったと思う。音の流れは非常にスムーズでありながら、大野の特徴である曲想の対照の強調にも充分な余裕があり、すべてのパートが芯のある音で鳴っていた。これは名演であったと思う。考えてみれば大野と都響は、先にスクリャービンの 3番の交響曲を演奏している。調べてみるとスクリャービンはラフマニノフより 1つ年上の同世代であるだけでなく、モスクワ音楽院での同級生であったようだ。なるほど、この全くタイプの違う作曲家たちは、どのような会話を交わしたのであろうか。因みにスクリャービン 3番は 1904年の作曲。ラフマニノフ 3番とは、曲想も違えば書かれた時代も違うのだが、知性と冒険心に溢れた大野のこと、これらロシアの 20世紀の交響曲を演奏することで、マーラー演奏の次の展開を都響とともに模索しているようにも思えて、大変に興味深い。

このように、私の中で曲の評価が一変するということにはならなかったが、東京で聴くことのできる最高水準の音楽であったことは間違いないだろう。このラフマニノフの 3番は、11月に来日するサイモン・ラトルとベルリン・フィルも演奏する。なんでまたベルリン・フィルがこんな曲を? という思いもあるものの (笑)、それはそれで楽しみにしたいと思っている。

by yokohama7474 | 2017-09-05 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(0)

サントリー財団サマーフェスティバル 2017 忘れられた作曲家 大澤壽人 (山田和樹指揮 日本フィル) 2017年 9月 3日 サントリーホール

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毎年夏に開かれるサントリー芸術財団のサマーフェスティバルは、サントリーホール開場後の 1987年以来開催されて来ており、同時代の音楽を紹介するイヴェントとして大変貴重である。私もこのブログで過去の演奏会を採り上げたこともあるが、今年で 30周年を迎えるこのイヴェントの意義を大いに称えるとともに、継続的な文化活動を行っている主催者 (実はサントリー芸術財団は、このサマーフェスティバル以前から音楽事業に取り組んでいたらしい) には、心からなる敬意を表するものである。今年は 8月いっぱいまでサントリーホールが改修されていたため、9月に入ってからの開催であるが、その内容は実に興味深い。今回このイヴェントのプロデューサーを務めるのは、音楽評論家であり政治思想史研究者でもある、片山杜秀 (もりひで)。1963年生まれで、今年 54歳になる。
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この人の博学ぶりはそれはもう超絶的であり、以前何かの雑誌で書庫 / CD 棚を紹介していたが、その広大さは、もう言語を絶している。従って私はこの人を心から尊敬していて、彼の言うことなら無条件で傾聴する心づもりができているのである。彼の業績でとりわけ顕著なのは、日本の芸術音楽の積極的な紹介である。ナクソス・レーベルでは彼が監修した有名無名の日本人作曲家 CD のシリーズが存在し、私もそのほとんどを購入しているが、そこに添えられた片山の解説の、なんとも詳細かつ熱情に溢れたこと。そんな彼が今回のフェスティバルで企画したのは、「片山杜秀がひらく 日本再発見」というシリーズ。今回が初回で、テーマは「戦前日本のモダニズム」。2回目は「戦後 日本と雅楽」、3回目は「戦後 日本のアジア主義」、4回目は「戦中 日本のリアリズム」。テーマ作曲家にオーストリアのゲオルク・フリードリヒ・ハースを迎えたことと併せ、フェスティバルのすべてのコンサートを聴きたいと思わせる内容だが、さすがにそうも行かない。そんな中、これは絶対聴かなければ!! と思ったのがこの演奏会である。ここでの副題は、「忘れられた作曲家 大澤壽人 (おおざわ ひさと)」。この人の作品は、片山が監修した上記のナクソスの日本人作曲家シリーズに入っていたので、名前は知っているし、CD で作品は聴いたことがあるが、さて、一体どのような人であったのか。大澤は 1906年生まれ、1953年没だから、47年という短い人生であったことになる。
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大澤は神戸の生まれで、関西学院在学中から教会でオルガンを弾くなどして、関西の音楽界では知られた存在であったという。1930年にボストンに留学して、それまで独学であった作曲を本格的に学び、日本人として初めてボストン響 (のメンバーからなるボストン・ポップス・オーケストラ) を指揮した。また、米国に亡命してきたシェーンベルクの講座にも出たという。その後 1934年にはパリに移り、デュカスやナディア・ブーランジェに師事。その自作自演コンサートは、オネゲルやイベールに称賛されたという。1938年に意気揚々と帰国するが、既に戦争に向かってひた走る当時の日本の風潮の中で理解を得られず、今日まで埋もれてしまったのである。そのような大澤の作品、今回演奏されたのは以下の 3曲。
 コントラバス協奏曲 (1934年作、世界初演、コントラバス : 佐野央子)
 ピアノ協奏曲第 3番変イ長調「神風協奏曲」(1938年作、ピアノ : 福間洸太朗)
 交響曲第 1番 (1934年作、世界初演)

なんと、1930年代に作られた 3曲のうち 2曲までが、今回が世界初演なのである!! これはつまり、作曲はしたものの、発表の機会がなく、そのまま死蔵されてきたということである。その世界初演の 2曲はいずれも 1934年の作、つまりは海外在住時のもの。浴びるように当時の先端の音楽を聴き、自ら強い熱意を持ってペンを走らせたものであろう。実のところ、この埋もれていた作曲家を再発見し、再び世に出した功労者は、ほかならぬ片山杜秀なのである。それから今回の演奏のもうひとつの注目は、私がこのブログでも様々なコンサートで採り上げてきた若手指揮者、山田和樹が、日本フィル (通称「日フィル」) を振るということ。国内外の数多い演奏会で極めて多忙であるはずのこの指揮者、このような童顔なので誤解されやすいが、実は大変な努力家なのであろうと思う。
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今回のプログラムには山田のコメントも掲載されていて、それによると、今回の 3曲はいずれも野心作で、ほとばしる才能が楽譜から匂い立ってくる。その音楽の圧力は時にむせかえりそうになるほどに劇的だ。そのエネルギーを注意深く抽出して、大澤の見ようとした世界、行こうとした世界を体現したい、と述べている。コンサートを聴き終えた今、この言葉は本当に重く響く。実際、特に最初のコントラバス協奏曲を除く 2曲にはエネルギーが横溢しており、その力を 21世紀の現代に解き放ったのは、山田と、彼が正指揮者を務める日フィルの力によるところ大であった。このブログでもご紹介した通り、このコンビは足掛け 3年に亘って、マーラーの全交響曲を演奏し、そこには武満徹の作品が組み合わされた。今回の演奏を聴いていると、やはりそのマーラー・ツィクルスを通してこのコンビが獲得した強い絆と、敏感な音楽的感性が、なじみのない曲の真の姿を明らかにしたと実感する。

この大澤の音楽をどのように表現しようか。今回の演奏を通してひとつ思ったのは、ここには、アジアの東の果ての島国で何か新奇なことを成し遂げようという意欲よりも、ただ純粋に、世界の潮流の中で認められる音楽を作り出したいという欲求こそ、大澤の目指したところであったのだろう。多くの日本の作曲家が直面して試行錯誤を続けた (未だに続けている) 東洋人による西洋音楽の創造という悩みは、大澤の作品にはあまり感じられない。ごくまれに東洋風の旋律を耳にすることもあるが、それは飽くまでグローバルな音楽の一側面ということではなかったか。また、日本人作曲家の場合、ドイツ音楽を規範にするところから始まっている一方、フランスで学んだ作曲家も多いため、「この人はドイツ風」「この人はフランス風」というレッテルが存在するが、大澤の場合はその点も軽々と超えていると思う。1930年代にこれだけ自由に世界音楽を目指した作曲家がいたとは、本当に驚きだ。実は私は今回、演奏会に備えてピアノ協奏曲第 3番の CD を再度聴いてみたのだが、先入観による大きな誤解があることが判明した。それは、この曲の副題「神風協奏曲」から、てっきり戦意発揚の音楽だと思っていたのだ。だが聴いてみると、第 2楽章が顕著で、第 3楽章の一部もそうだが、ジャズ風の軽快な音楽が含まれているのである (なので、少しラヴェルのピアノ協奏曲を思わせる部分もある)。調べてみると、この神風とは、戦争末期の特攻隊とは何の関係もなく、当時朝日新聞社が所有していた飛行機、神風号が東京からロンドンまでの飛行を成し遂げたことを祝う内容なのである。この曲のナクソス・レーベルの CD はこんなジャケットだ。
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最初のコントラバス協奏曲は、この楽器を弾いたボストン響の当時の音楽監督、セルゲイ・クーセヴィツキーに献呈されている。曲の内容は、もちろん独奏がコントラバスだから決して派手ではなく、抒情性とモダニズムがミックスしたような印象。ソロを弾いた佐野央子 (なかこ) は、ソリストとしても活動しながら、現在は東京都交響楽団と、山田が音楽監督を務める横浜シンフォニエッタのコントラバス奏者でもある。また、ピアノ協奏曲第 3番でソロを弾いた福間洸太朗は、ベルリン在住の若手で、既にイスラエル・フィルやトゥールーズ・キャピタル管にソリストとして登場しているという。
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私が今回最も楽しんだのは、ピアノ協奏曲であったが、メインの交響曲第 1番も面白かった。作曲後、ボストンの学生オケで初演されようとしたが、学生には難しすぎるという判断で、見送られてしまったらしい。それが今回、作曲から 80年以上経過して、東京で初めて音になったというわけである。3楽章制で、上記の CD の解説には演奏に 1時間を要すると書いてあったが、今回の演奏時間は 45分ほど。それでもこれは相当な大作であり、若干のとりとめのなさは否めないものの、力強い音が奔流のように流れる音楽だ。ここでの山田と日フィルの演奏は細部まで彫琢を尽くし、楽器間の呼吸も絶妙。また、未知の曲を紹介するのだという強い熱意も感じられ、素晴らしかった。終演後、2階席から拍手を送る片山杜秀さんも、嬉しそうでしたよ。

繰り返しだが、世界を飛び回る多忙な生活を送っている山田和樹が、このような特殊なコンサートで指揮を執ったことの意味は、非常に大きい。S 席 4,000円という良心的な価格設定も含め、サントリー音楽財団の企画力と実行力、そして資金力あっての賜物だろう。来年以降も新たな発見を楽しみにしたい。このポスターも既におなじみだ。
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ところで会場では、先行発売と称して、山田と日フィルの武満徹作品集、2枚組の CD を売っていて、指揮者の直筆サインカードつきとのことだったので、早速購入した。内容を見ると、先のマーラー・ツィクルスで演奏された武満作品から、7曲が収められている。入っていないのは、2番とともに演奏された、混成合唱のための「うた」の一部と、それから、第 3番とともに演奏された「3つの映画音楽」だ。理由は分からないが、私としては、前者は聴くことができなかった回であり、後者は大変に好きな曲なので、残念だ。別の機会に CD 化を望みたいものである。
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by yokohama7474 | 2017-09-04 01:07 | 音楽 (Live) | Comments(0)

サントリーホール 2017 リニューアル記念 Re オープニングコンサート ジュゼッペ・サバティーニ指揮 東京交響楽団ほか 2017年 9月 1日 サントリーホール

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さて、9月である。東京でも音楽シーズンが再開する。これから秋にかけて、今年もまた東京の音楽シーンは、それはそれは大変なものになるのであるが、それはおいおい、できる限りこのブログで実況中継させて頂くとして、何よりも東京のクラシックファンにとっての朗報は、サントリーホールのリニューアル・オープンである。このブログでもご紹介した通り、昨年 10月にオープン 30周年を祝ったのち、今年 1月末をもって本格的な演奏会は一旦打ち止めとなり、まる 7ヶ月の間、改修のために閉鎖されていたサントリーホール。もちろん東京にはほかにもよいホールは幾つもあり、ここが休館の間も音楽シーズンは続いて行ったのであるが、やはりこのホールは東京で No. 1 であり、世界的に見ても今や名ホールの仲間入りを果たしていると言ってよいと思う。そう、このようなワインヤード式としては日本初のコンサートホールであったこのサントリーホール、その待ちに待ったリオープンである!!
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今回の演奏会は、通常よりも 1時間早い 18時の開演。例によって台風接近中のため大気が不安定な中、会場に辿り着いてみると、さほど華美すぎないものの、このような垂れ幕と、入り口に据えられた美しい花が、久しぶりの来訪者たちを快く迎え入れてくれる。
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7ヶ月もの改修を経て、サントリーホールはどのように変わったのであろうか。な、なんと、あの複雑なワインヤード形式のホールが、あろうことか、なんとなんと、単純な形状のシューボックス形式に変えられていた!! ・・・という驚愕の出来事は起こらず (驚かれた方、すみません。真面目にやります)、ホールの中は特に変わったところはない。ざっと中を歩いてみて気づいたのは、以前はポスターが貼ってあった 1階と 2階の掲示板が縦長の電光表示になっていて、時間とともに宣伝されるコンサートが変わっていたこと。また、新たに横長のモニタースクリーンが設置されていたこと (今回は、この 11月にボストン交響楽団と来日する、髭を生やしたアンドリス・ネルソンスのインタビュー映像が流れていた)。それから、1階のホワイエからホール自体のドアに向かう数段の階段の左手に、車椅子用のスロープが設置されたこと。そして、一般利用者にはこれが最も影響あるだろうが、2階のトイレが改修されたこと。このホールの 2階は、エスカレーターや階段で上がってきてすぐ右手に女性トイレ、その左隣が男性トイレであったところ、以前の男性トイレの入り口が女性トイレの出口になっており、男性トイレはその奥、RB ブロックの入り口扉の前あたりに新設されている。これにより休憩時間の長蛇の列は男女でうまく分散されることになった。そして私は男性であるからして、もちろん男性トイレを使用したのであるが、恐らく便器の数は増えたものと思われるが、敷地面積は少し減ったようで、若干せせこましい。だがひとつ明らかな改善点があり、それは、列をなす人たちのスペースが手洗い場を邪魔しないことだ。よい工夫である。

さて、トイレの話はこの程度にして (笑)、今回の記念すべきリニューアル・オープンの内容をご紹介しよう。まずメインは、往年の (といってもほんの 10年前まで活躍していた) イタリアの名テノール歌手、ジュゼッペ・サバティーニが指揮をする東京交響楽団 (通称「東響」) による、ロッシーニのミサ・ソレムニス (荘厳ミサ曲)。これは、もともと「小荘厳ミサ曲」と題されたオリジナル編成、つまりは合唱、独唱をピアノ 2台とハルモニウム (オルガンの一種) が伴奏する形態を、作曲者自身が大管弦楽伴奏に編曲したもの。しかも今回は、2013年に出版されたロッシーニ全集版の日本初演である。これがサバティーニ。あの青山の有名レストランのオーナーとは親戚だと以前聞いた記憶があるが、再確認しておりません。尚、サントリーホールとは、かなり以前からホールオペラという試み (セミナーを含む) を率いるなど、深い関係がある。
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私は思うのであるが、この名ホールの再開を記念するコンサートが、このような比較的地味な内容であることに、文化都市としての東京の成熟を見ることができないだろうか。これは、音楽の本当に高度な喜びを見出すことができる、素晴らしい企画である。今回は、ホール入り口からすぐの場所に、サントリーホール館長であるチェリストの堤剛がタキシードを着て立っていて、夫人同伴で、知り合いの来訪者の人たちに丁重な挨拶をしていたのが印象的であった。

さて、ロッシーニの「小荘厳ミサ曲」である。以前もこのブログで触れた記憶があるが、私にとっては、1981年にミラノ・スカラ座が初来日した際に、カルロス・クライバーとクラウディオ・アバド率いるオペラ公演とは別に開かれた、合唱指揮者ロマーノ・ガンドルフィ指揮によるスカラ座管弦楽団の演奏で、初めて耳にした曲。もちろんその頃私は高校生であり、実際のステージに触れることはできなかったが、この曲を含むすべての演目 (アバド指揮のヴェルディのレクイエムも含めて) が FM で生放送され、テレビでも放送されたのである。このロッシーニの曲は、その斬新な音響がまるでストラヴィンスキーのようだという評価を当時耳にしており、興味を持って聴いたところ、確かに、彼のオペラにおけるいわゆる「ロッシーニ・クレッシェンド」の、あの快活な疾走感のある音楽とは全く違う内容であったことに驚いたものだ。それ以来、実演に触れることは久しくなかったはず。だが、CD なら同じガンドルフィ指揮による録音も持っているし、脳髄の奥底で、確か誰かの演奏で生で聴いたはず・・・という思いが疼いている。あたりをつけて調べたところ、すぐに見つけることができたのは、2008年 11月にロンドンのバービカン・ホールで開かれたリッカルド・シャイー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の演奏会のプログラムである。そうでしたそうでした。それは聴きましたよ。ただ、それ以外の実演の記憶はなく、今回は本当に貴重な機会であったのである。ジョアッキーノ・ロッシーニ (1792 - 1868) はイタリア人だが、若くしてオペラの作曲はやめてしまい、晩年はパリに住んだ。さすが美的センス随一の大都会パリというべきか、彼の肖像写真が残っている。
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久しぶりの実演で聴くこの曲は、やはり実に斬新な音で満ちており、快活なロッシーニの音楽とは別物である以上に、いわゆる 19世紀の宗教音楽というイメージからもほど遠い。この曲の管弦楽版の編曲は、ロッシーニ最晩年の 1866年から 1868年にかけて行われ、そしてこの大作曲家は、その完成後間もない 1868年の 11月に死去するのである。管弦楽版編曲の動機が振るっている。「自分の死後、サックス (当時発明されて間もない楽器、サキソフォンの発明者) やベルリオーズが騒々しい編曲をすると困るから」ということ。なるほど、皮肉屋のロッシーニらしい。調べてみるとベルリオーズはロッシーニよりも 11歳下の 1803年生まれ。だがロッシーニ死去の翌年、1869年に世を去っているから、このミサ曲の勝手な編曲をしている時間は、どのみちなかったことにはなるが。

さて今回の演奏は、さすが名歌手サバティーニの指揮だけあって、大変に細かい詩情まで丁寧に描き出した素晴らしいものであったと思う。その流れには常に音楽への情熱が感じられ、これは演奏者のものであると同時に、作曲家のものでもあったと感じることができた。合唱がアカペラで歌う場面も多くあるかと思えば、ソプラノとアルトがオペラ風に抒情的なメロディを歌いあげることもあり、またいくつかの曲の終結部は、なにやらプッツリ切れるなど、90分の演奏時間の中のそこここに、様々な音楽的情景がちりばめられている。皮肉屋ロッシーニが晩年に見ていた世界は、古典派の均整のとれた秩序あるものではなく、このようにいびつで謎めいたものだったのであろう。サバティーニは、上にも名前が出て来たリッカルド・シャイーが 1993年に当時の手兵ボローニャ歌劇場管を指揮してこの曲を録音した際に、そのテノールパートを歌っていたらしい。つまりは自家薬籠中の作品ということになろう。今回はかなり音響のコントロールに神経を使っている様子であったが、東響はその意図をよく汲み取り、広がりのある音で充実した演奏を繰り広げたのである。合唱団は、東京混声合唱団と、このサントリーホールでの育成プログラムのひとつである、サントリーホール・オペラ・アカデミーの共演。相当に鍛錬された声を披露しており、これまた聴きごたえ充分であった。そして、ソリストは以下の通り。
 ソプラノ : 吉田珠代
 アルト : ソニア・プリーナ
 テノール : ジョン・健・ヌッツォ
 バス : ルベン・アモレッティ

それぞれに活躍する多彩な顔ぶれ。特にアルトのソニア・プリーナは、髪形も衣装も個性的で、かつ素晴らしい表現力の声であると思った。
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それから、終盤に登場する、ある種異様なオルガンソロを弾いたのは、イタリアの若手オルガン奏者、ダヴィデ・マリアーノ。実は彼はこのコンサートの前半にも登場していた。そこで彼は、東京佼成ウィンドオーケストラの選抜メンバーである TKWO 祝祭アンサンブルの面々と共演し、ガブリエーリやバッハを演奏。また、オルガン・ソロではヴィドールやデュリュフレといった、この楽器ゆかりの作曲家の曲を演奏していた。また、TKWO 祝祭アンサンブルは、このサントリーホールのリオープンを祝して、上記の曲に加え、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しき青きドナウ」も演奏した。全体としては楽しい演奏であったが、ブラスアンサンブルとしては、さらに鋭くスリリングなやりとりがあってもよかったような気がする。

このように、大変に興味深いコンサートであり、今後このホールで展開する目くるめく音楽の世界に対する期待感を高めることができた。だが、今回少し驚くようなことが、しかも立て続けに 2回起こったので、ここに記しておこう。まず最初のトラブルは、前半のブラスアンサンブルの演奏が終わり、10名のメンバーがカーテンコール時に袖からステージに出て来たときに起こった。ブラスアンサンブルであるから、トランペットやトロンボーンやホルンに加え、チューバ奏者がいるのだが、通常チューバほど重い楽器を持ってステージと楽屋を往復することは少ないだろう。なにせこんなに大きい楽器なのであるから。
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だが今回はその、楽器を持ったままでの移動が、災難を巻き起こした。つまり、ステージに再登場したメンバーのうち、チューバ奏者が歩いている途中でバランスを崩し、かわいそうなことに、ステージに激しく倒れてしまったのである。客席からは悲鳴があがり、拍手もその転倒の際には止まってしまったのであるが、奏者が立ち上がると、励ましの意味を込めて、勢いよく再開した。私は舞台に向かって右側の RA ブロックにいて、その様子がよく見えたのだが、チューバ奏者がバランスを崩し、楽器の重さに引っ張られながらオットットと懸命にバランスを取り戻そうとしたときに、足が滑ってしまったのである。床を見ると、改修前はかなり年季の入った、ある意味ではこのホールの過去 30年の栄光の歴史を示すような、色のくすみやデコボコのある床であったものが、きれいな表面に変えられていた。つまり今回災難に遭われたチューバ奏者の方は、ピカピカツルツルの新しい床に、文字通り足元をすくわれたわけである。だが私は見逃さなかった。この奏者は倒れながらも楽器をかばい、自分の体を床に叩きつけることで、楽器の破損を防いだことを。これぞプロ魂。腕に負傷されていないことを祈ります。

もうひとつのトラブルは休憩時間に起こった。自席でプログラムの解説に目を通していた私は、近くの女性の悲鳴に顔を上げた。すると、ちょうどステージを挟んで反対側の LA ブロックで、初老かと思われる小柄な女性が、なんとなんと、階段を何段も、横になってクルクルともんどり打って転げ落ちるという衝撃的なシーンを目撃したのだ。すぐに周りの人たちや係員が駆け付けたが、女性係員が男性係員を呼びに走って不在になったときには、何やら怒号も飛んでいた。これは本当に危ないことである。これまでに何度となく通っているこのホールにおいて、私はこれまでこのような激しい転倒のシーンは見たことがなかった (横浜みなとみらいホールで、階段で足を滑らせた女性が勢いよく階段を駆け下りることになり、腹で手すりに激突した場面は見たことがあったが)。だが確かによく見ると、LA ブロックと RA ブロックの階段は、かなり急勾配なのである。一定の年齢以上の方は、本当に気を付けて、手すりを持ちながら昇降しなければいけないと改めて思った。転送した女性はしばらくしてスタッフに連れられて自力で歩いて退場されたが、結局、メインのロッシーニは聴けなかったようだ。本当に、大事ないことを祈りばかりである。

このような、コンサートの内容以外で波乱含みのサントリーホールのリオープンであったが、やはり演奏者も聴衆も、くれぐれも事故のない楽しいコンサートにしたいものです。災難に遭われた方々、何卒お大事に。

by yokohama7474 | 2017-09-02 01:26 | 音楽 (Live) | Comments(0)

セイジ・オザワ松本フェスティバル 小澤征爾 / ナタリー・シュトゥッツマン指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2017年 8月27日 キッセイ文化ホール

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ちょうど一週間前にファビオ・ルイージ指揮のマーラー 9番を聴いた松本に舞い戻ることとなった。それは、この音楽祭の総監督の指揮を聴くためだ。別のポスターにはその人の写真 (何年か前のものだが) が出ている。
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以前書いたルイージ指揮の演奏会の記事で触れた通り、今年のセイジ・オザワ松本フェスティバルにおける総監督小澤征爾の出番は非常に限られている。だが、やはり聴けるものなら、なんとかして聴きたい。そう思って足を運んだコンサートの曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : レオノーレ序曲第 3番作品72b
 マーラー : 歌曲集「子供の魔法の角笛」から (ソプラノ : リディア・トイシャー)
       ラインの伝説
       地上の暮らし
       天国の暮らし
       この歌を作ったのは誰?
       きれいなラッパの鳴るところ
       せめてもの慰め
 ドヴォルザーク : 交響曲第 7番ニ短調作品70

実はこのうち小澤が指揮するのは最初のレオノーレ序曲第 3番のみ。15分くらいの曲である。そして、残りのマーラーとドヴォルザークを指揮するのは、ナタリー・シュトゥッツマン。クラシックファンなら知らぬ者とてない、現代最高のアルト歌手のひとりであるが、今回は指揮者として登場。そのことはあとで触れるとして、まずは小澤の指揮について述べることとしたい。

いつもの通り楽団員と同時にステージに登場した小澤は、椅子に座り、チューニングを待って、ペットボトルの水を少し飲むと、小さく唸りながら両腕を振り下ろした。重い和音が鳴り響き、今時のベートーヴェンとしては珍しく大型の、コントラバス 8本編成のオケが動き出した。この音は、昔のドイツの巨匠たちのものとは違って重厚一点張りではなく、小澤が昔から持っているしなやかさをまとっている。だが、小澤の指揮ぶりは、昔よりも身振りが小さくなっていて、その分、オケの自主性で音が鳴るように思われる。気心の知れたサイトウ・キネンの面々であるからこそ、今の小澤の音をよどみなく繰り出して行けるのであろう。小澤は音楽の盛り上がりとともに時に立ち上がっての指揮であり、ここでは間違いなく音が呼吸している。音のヴェールのような静かな導入部から弦楽器が急速にうねり始めるところ、そして蓄えた力が、短い音型の繰り返しの果てに爆発するところ。弦楽器と管楽器が呼応する、その音の動きが人の呼吸と同調しており、そして人の感情と同調している。聴いているうちに私が思い浮かべたのは、この序曲を何度も書き直したベートーヴェンが、頭の中の理想の音を求めて呻吟している姿。そうして、自ら書き上げた音楽に興奮している姿である。誰の指揮であろうと、結局は、音楽そのものの美を表した演奏を聴きたいと思う。ここではオザワセイジという個体を超え、音楽自体の持つ力が縦横無尽に駆け巡っていたと思う。なんと素晴らしい演奏!! そう思って感動しているうちに、オケは最後の凄まじい全力疾走を終えた。客席を振り返る前にまたペットボトルから一口水を飲んだ小澤は、疲労の色を見せながらも満足そうであった。至福の 15分間。尚、この曲では出番のないハープの吉野直子が、ステージ衣装のまま 1階客席真ん中あたりの補助席に座ってこの演奏を聴いていたのが印象的であった。これは今年のリハーサルの様子。
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さて、上記の通り、今回の演奏会でメインのパートを振るナタリー・シュトゥッツマンは、もともとアルト歌手として世界に知られた人。フランス人で、私と同じ 1965年生まれ。指揮を始めたのは 2008年からであるらしく、最近では水戸室内管弦楽団の演奏会でも小澤と指揮を分け合うなどしており、指揮活動を広げているようだ。一流のプロのやっていることであるから、当然指揮の方も相当な才能があっての成果だと期待はできる。だが、実際に聴いてみるまではどのような指揮ぶりであるのか予測できない。
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正直、これまで彼女の指揮を聴いたことがない私としては、やはり彼女はまず第一に歌手。実は今回私は大変な勘違いをしていた。事前に見ていた音楽祭のチラシにおいて、「ナタリー・シュトゥッツマン / 指揮、アルト」と書いてあったと思っていたのだ。つまり、マーラーのオーケストラ伴奏つき歌曲の何曲かを、ソプラノ歌手と歌い分け、同時に指揮もするのだと漠然と思っていたのである。ところが、ふと疑問に思った。どうやって指揮しながらソロを歌うのだろう? 歌うには客席に顔を向ける必要があるが、その場合、後ろ手でオーケストラを指揮するのか??? いやいや、人間である以上、からだの後ろで自由自在に腕を操ることなどできるはずがない。あるいは、オケの方を向きながら歌うのか??? いやいや、そんなことをしたらもったいない。このホールにはステージの後ろに客席はなく、美声を聴くことができるのは、オケの面々だけになってしまうからだ (笑)。そして、綺麗な衣装を着たソプラノのリディア・トイシャーとともに、男性かと見まがうパンツルックでステージに現れたシュトゥッツマンを見て、ようやく気付いた。彼女は後ろ手でオケを指揮したり、誰もいないステージ後方に向かって美声の垂れ流しをしたりはしない。純粋に歌曲の伴奏として、指揮をするのみだ!! まぁ、考えてみれば当たり前なのであるが、私は時々思い込むと全くバカなことを考えてしまうのだ。プログラムをよく見ると、「指揮 : 小澤征爾 (ベートーヴェン)、ナタリー・シュトゥッツマン (マーラー、ドヴォルザーク)」とあって、最初から彼女は指揮に専念することは明らかであった。あぁ勘違い。これがソリスト、ドイツ人ソプラノのトイシャー。
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一昨年のここ松本でのベルリオーズの「ベアトリスとベネディクト」にも出演していたし、2014年の小澤征爾音楽塾の「フィガロの結婚」や、つい先月の佐渡裕指揮による兵庫県立文化センターでの同じ演目でも、スザンナを歌っていたようだ。端麗な容姿で声も美しいが、今回の 6曲のマーラーの「角笛」(うち 1曲は、普通はこの歌曲集には含まれない、交響曲第 4番の終楽章だ) のうち、オケがかなりの音量で鳴る曲では、少し声量が不足しているように思ったし、また、シニカルな歌詞とはちょっとミスマッチな歌唱ではなかったか。その点、アンコールで歌った同じマーラーの「リュッケルトによる 5つの歌」からの「美しさゆえに愛するのなら」は、大変に美しい演奏であった。さてこの「角笛」のオケによる伴奏であるが、私にとってはシュトゥッツマンの指揮初体験にして、そのオケを操る精度の高さに大きな驚きを覚えることとなった。もちろん、歌手が歌曲の伴奏をするのだから、音楽の流れをよく心得ていて当たり前とも思えるが、実際にオケの前で棒を振って (時々柔らかい音を出すときは素手で) 自分のイメージする音を引き出すことは、そう簡単にできるわけもない。オケの反応がすこんぶるよいのは、やはり指揮者の指示が明確であるからだろう。この伴奏だけで、彼女の指揮者としての才能は明らかになった。

そしてメインのドヴォルザーク 7番は、実に鮮やかな名演となったのである。私は昔からこの曲が大好きで、なぜに歴史に残る世界の名曲として広く認定されないのかが不思議なくらいなのであるが、ドヴォルザークの交響曲としては、第 8番及び第 9番「新世界から」に、演奏頻度では大きく水を空けられている。ブラームスの尽力で世に出たこのチェコの作曲家は、その素晴らしいメロディのセンスと、ボヘミアの郷土色をもって、ブラームスとは異なる音世界を創り出したが、当然この極めてドイツ的な先輩作曲家の影響を受けることで、辺境の音楽家から転じて音楽史のメインストリームに乗ることに成功した。よくドヴォルザークの交響曲第 6番がブラームスの 3番に似ていると言われることがあるが、それもさることながら、この 7番の激烈なドラマ性は、ブラームスのピアノ協奏曲第 1番の雰囲気と大変よく似ている。以前も何かの記事で、ブラームスのピアノ協奏曲 1番への私の熱烈な愛を表明したが、同様にこのドヴォルザーク 7番も偏愛しているのである。だが、その愛を感じるには、よい演奏で聴く必要がある。ただ闇雲に情熱だけ先走ってもいけない。激情の中に豊かな詩情と歌心が息づいていなければならない。その点、今回のシュトゥッツマンとサイトウ・キネンの演奏は、すべての音が深い意味を持って鳴り響いていて、まさに人生の諸相を次々と描いて行くかのようであった。オケのクオリティといい、要領を得た指揮といい、この曲のこんな演奏はちょっと聴けるものではないだろう。前半のマーラーでは、まだ自分の勘違いによる若干の落ち込み (?) を感じていた私は、このドヴォルザークを聴くことで、なんとも言えない生きる意欲が沸々と自分の中から湧いて来るのを感じた。これで当分、頑張っていけるような気がする。ドヴォルザーク本人に聴かせたいような演奏であった。
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今や老マエストロとなって一層みごとな音楽を聴かせる小澤と、歌手としての才能を指揮活動に転用することで、名曲に新たな光を当てるシュトゥッツマン。セイジ・オザワ松本フェスティバルの充実ぶりは、まさに音楽の尽きせぬ楽しみを人々に実感させてくれるのである。そして、指揮者シュトゥッツマンの東京登場を期待したい。

by yokohama7474 | 2017-08-28 00:02 | 音楽 (Live) | Comments(2)

サリヴァン : コミック・オペラ「ミカド」(園田隆一郎指揮 / 中村敬一演出) 2017年 8月26日 新国立劇場中劇場

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ギルバート・アンド・サリヴァンと連名で呼ばれる芸術家たちは、日本ではそれほど知名度はないように思われるが、英国及びその影響下にある国々では、ヴィクトリア朝、つまりは 19世紀後半から百数十年経った今でも、かなりの知名度と人気を保っているようだ。今回上演された「ミカド」は、そのギルバート・アンド・サリヴァンの代表作。一般的にはオペレッタ (喜歌劇) とみなされることが多いと思うが、この記事では、今回の上演プログラムの表記を尊重し、コミック・オペラという表現を使っておこう。これが彼らのカリカチュア。
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台本作家のウィリアム・S・ギルバート (1836 - 1911、左の人物) と作曲家のアーサー・サリヴァン (1842 - 1900、右の人物) はコンビを組んで、1871年から 1896年の間に 14のコミック・オペラを制作した。時あたかも大英帝国の繁栄が絶頂を迎えた頃。夏目漱石が留学し、コナン・ドイルがシャーロック・ホームズを奔走させたその頃の首都ロンドンはしかし、その世界をリードする大いなる経済発展の影で一部はスラム化し、衛生は悪化し、貧富の差は拡大。切り裂きジャックを代表とする猟奇犯罪も発生した。その頃に大ヒットとなったギルバート & サリヴァンのコミック・オペラは、恐らくは英国人にとっては、ヴィクトリア朝の繁栄を思い出させるノスタルジックな存在なのであろうか。英国の演奏家による彼らの作品の名曲集 CD はいくつもあるし、私も何枚か持っている。また、ロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラでこの「ミカド」の実演を鑑賞したときは、終演後に品のよい老紳士が、同年代の奥さんと手に手を取り合って、この作品のメロディを口笛で吹いて帰途についていたのを覚えている。その上演前に私が作品を予習したのは、オーストラリアのシドニー・オペラでの上演を録画したものであったし、ある時にはアイルランドのダブリンの、なかなか素晴らしいコンサート・ホールで、ギルバート & サリヴァン名場面の夕べといった類のコンサートを聴いたこともあり、聴衆は皆楽しそうであった。そう、これらの国々では、ギルバート & サリヴァンは未だにポピュラーな存在なのだ。

だが今回、新国立劇場中劇場でこの「ミカド」の上演があると聞いて、ちょっと複雑な気分になった。文字通りこれは日本を舞台にした作品で、ミカドをはじめ、登場人物はすべて日本人だ・・・いや、日本人らしい (笑)。というのも、その名前が、ナンキ・プー、ヤムヤム、ココといった具合で、明らかに日本人の名前ではなく、チョーチョー、スズキ、ヤマドリといった名前とはちょっと違う。いや、そのプッチーニの「蝶々夫人」ですら、作品の中で、日本人の目から見て奇妙な箇所は枚挙にいとまがない。ましてやこの「ミカド」は、見方によっては国辱的とされても仕方ないような面もあり、ヨーロッパ人から見た見知らぬ国ニッポンを舞台にした荒唐無稽な作品であるのだ。だから、ロンドンでの上演なら、「あーあー、バカなことやってるなぁ」と笑って見ていられるが、それを日本人で上演するとなると、一体どういうことになるのだろうか。日本人が奇妙なニッポンを演じるのであろうか。そのような好奇心というか、ほとんど怖いもの見たさが、私をして劇場に足を運ばしめる原動力になったのだ。これは、1885年に行われたこの作品の初演の際の写真。当時のヨーロッパで大流行したジャポニズムのひとつの表れと考えると、分かりやすい。
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今回の上演は、新国立劇場の本年度の「地域招聘オペラ公演」であり、びわ湖ホールのプロダクションをそのまま持って来たものである。滋賀県立びわ湖ホールは、文字通りびわ湖のほとりにあって、本格的なオペラ上演が可能な設備を備えた、私も大好きな劇場 (コンサートも行われる) なのであるが、ホール専属の声楽アンサンブルを持ち、音楽監督沼尻竜介のもとで意欲的な自主公演の数々を開催している。この「ミカド」など、安全志向の地方ホールにありがちな名作路線では、到底演目として考えられないものであろう。上記の通り、国辱的ととられかねない内容であるので、上演にはやはり少しリスクを伴うという面は、ついて回るだろう。因みにこの作品の日本での上演記録を調べてみたところ、日本初演はなんとなんと、終戦からほぼ 1年後、1946年 8月12日に、当時進駐軍用に使用されていたアーニー・パイル劇場 (今の宝塚劇場) でなされている。当然英語での上演であった。ところがその翌年には日本人によって日本語で上演されている。その後は 1955年に長門美保歌劇団が上演。それから長いブランクがあり、1981年に東京文化会館で、やはり長門美保歌劇団が再演。1992年には名古屋の大須で、スーパー一座という団体が上演 (上演リストを見ると、どうやら浅草オペラの演目の復活を中心に行っていた団体のようだ。大須は名古屋の浅草のような場所なのだ)。2001年以降は、ちちぶオペラ実行委員会という団体が、地元秩父や東京で何度か上演している。なぜに秩父かと言えば、この作品の舞台は「ティティブ」という場所で、これはどうやら、秩父からきているらしい。というのも、この「ミカド」初演の前年、自由民権運動の影響下で起きた秩父事件という農民の武装蜂起のことを、作者ギルバートが耳にしたらしいからだ。このように、一般の劇場の通常レパートリーとして定着しているわけではない作品を意欲的に取り上げたびわ湖ホールは、大したものだ。尚、今回の上演は、演出家中村敬一の手になる新たな翻訳を使用した日本語版で、舞台左右に日本語歌詞の、舞台中央上部には原作のものとおぼしい英語の字幕が出るという徹底ぶり。客席には、新国立劇場オペラ部門の芸術監督である飯守泰次郎や、日本の合唱指揮者の大御所であり長老である田中信昭の姿も見え、この公演への注目度が実感された。また、上演前に 10分ほど、演出の中村敬一が作品の背景を説明したが、簡潔にして非常に要領を得た、上質な説明であったと思う。

さて、演目の特殊性から、前置きが長くなってしまっているが、今回の上演はどのようなものであったのか。私としては、様々に工夫を凝らした演出は敢闘賞ものだと思うし、びわ湖ホール専属の若手中心の歌手の皆さんも、それぞれ熱演であったと思うので、貴重な上演機会として求められる水準はクリアして、なかなか楽しめる公演だったと言えるだろう。舞台の写真をいくつかご紹介しよう。衣装はドハデな色使いで、純粋和風とは程遠い、キッチュなニッポンである。女性陣はアキバ系で、歌詞にも「JK」などと出る。もっともそのあとに「(女子高生)」といちいち説明が出ていたのは、高齢者向けの配慮か (笑)。舞台上では、ネット上での日本の観光地案内を模した巨大なヴィジュアル・イメージが展開し、なんとも賑やかだ。
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歌手陣の中でひとり名を挙げるとすると、ティティブの最高権力者ココを演じた迎 肇聡 (むかい ただとし) がなかなかの熱演であった。歌詞も多く動きも多い作品なので、歌手の皆さんは大変であったろが、楽しんで演じておられる様子が伝わってきて、それが何よりよかった。但し、日本語の歌詞が逐一横に出る中での歌唱なので、何度か歌い間違いを発見することとなってしまった。別にそれで揚げ足を取るつもりはなく、むしろ、間違いを発見してしまって申し訳ない気持ちである (笑)。それにしても今回の和訳は、なかなかに凝っている。上に出る英語のオリジナルの内容と時々ざっと比べて鑑賞したが、現代的な用語を積極的に取り入れる一方で、その大略は、もとの歌詞の内容をかなり尊重していることが分かって面白かった。単純なメロディーに終始するので、通常ならとかく音楽に乗りにくい日本語も、かなり耳で追うことができた。また、指揮の園田隆一郎は、2007年にイタリアのシエナでデビューした若手指揮者。名指揮者ジャンルイジ・ジェルメッティ (最近はあまり活動を聞かないが、シエナで教鞭を取っていることは知っていた) の弟子であるそうだ。この作品では強烈な不協和音もなければ情熱的な弦楽器の歌もないので、指揮者の力量を推し量る材料には不足したことは否めないが、最初から最後まで安定した指揮ぶりであった。尚、オーケストラは、大阪に本拠を置く日本センチュリー交響楽団。
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さて、では一体この「ミカド」という作品をいかに評価すべきかを簡単に再検討してこの記事を終えよう。実はこの記事を書くにあたり、調べものをしていたとき、比較的最近の興味深い記事を見つけた。ニューヨークで今年 12月に予定されていたこの作品の上演が、抗議により中止に追い込まれたというのだ。実は米国では過去何度もこの作品への抗議活動が行われているという。

人種のるつぼである米国でこの作品に抗議する人たちにとっては、この作品はアジア人蔑視の最たるものと映り、とても容認できないのだろう。ここでのミカドは、死刑執行に熱心であるという設定でありかなり野蛮である。また、ジョークにしてはちょっと過ぎるとすら思われる死刑を揶揄する歌詞が、かなり長い時間に亘って歌われる。英国人一流のブラックユーモアなのであろうが、正直なところ私も、これは悪趣味だと思う。サリヴァンの音楽は、この作品の場合には、大詰めの軽快なメロディ (第 1幕の終わり近くにも出て来る) を除けば、特に心に残るような気の利いた旋律もない。この曲が書かれた 1885年とは、ワーグナーが死去して 2年経過している頃。こんな単純な音楽は、とても時代の最先端の芸術ではなかったはず。それゆえ、ドイツ、イタリア、フランス等のヨーロッパ主要国の音楽水準と比べて、あるいはヴィクトリア朝に活躍した画家や小説家たちの素晴らしさに比較して、こんな音楽で満足していた英国の聴衆の文化レヴェルを疑問に思う気持ちを、抑えることができないのである。だがここに、英国の文化を読み解く、なんらかのヒントがあるのかもしれない。大都会ロンドンでは、欧州他国の芸術音楽の演奏はもちろん盛んに行いながらも、音楽の創作という観点では、正直当時のこの国はお寒い限り。もちろん、エルガーやホルストのような作曲家を輩出してはいるものの、民衆が最も熱狂した音楽はギルバート・アンド・サリヴァンであったわけだ。そのポジの世界に対し、ネガの世界に目を転じると、切り裂きジャックが跋扈し、架空とはいえシャーロック・ホームズが犯罪者たちと格闘していたのである。そう思うと、サリヴァンのあまりに単純で能天気な旋律に、何か空恐ろしさすら感じる。平明さの向うに一体何があるのか、もっと知ってみたい気がする。まあ、でも、正直なところ、どう聴いてもあまり面白い音楽ではないのであるが (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-08-27 01:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ファビオ・ルイージ指揮 読売日本交響楽団 2017年 8月24日 東京芸術劇場

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つい先日松本でのセイジ・オザワ松本フェスティバルで渾身のマーラー 9番を聴かせてくれたイタリアの名匠ファビオ・ルイージが、東京に登場した。おりしも東京は、8月も終わりに至っての久しぶりの猛暑。まさに上のチラシにあるごとく、ルイージと組んで「最高に熱い夏」を演出するオーケストラは、読売日本交響楽団 (通称「読響」) である。東京を代表するオケのひとつである読響の指揮台には、もちろん様々な名匠巨匠が登場するが、それでもルイージのような世界最高クラスの指揮者を迎えることは貴重な機会であるに違いない。一方のルイージは、サイトウ・キネン・オーケストラ以外に、これまで NHK 交響楽団を指揮したことはあるが、それ以外の東京のオケを指揮するのはこれが初めて。日本の蒸し暑い夏では体調管理も簡単ではなかろうが、4年連続で松本で 8月・9月に指揮をし、以前は札幌の PMF (パシフィック・ミュージック・フェスティバル) の音楽監督として、真夏の東京で指揮をしたこともある。今年 58歳と、まさに指揮者として脂の乗り切った世代であり、今回の共演がなんとも楽しみである。8月は世界のどこのオケも定期シーズンではなく、欧州各地では音楽祭が開かれている頃。読響も今月は、3プログラムによる 4回の演奏会しかなく、今回のものは「読響サマーフェスティバル 2017 ≪ルイージ特別演奏会≫」と題されている。今回の池袋の東京芸術劇場での演奏会のあと、翌 8/25 (金) に横浜みなとみらいホールで同じプログラムが繰り返される。そのルイージと読響の初共演の曲目は以下のようなもの。
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「ドン・ファン」作品20
 ハイドン : 交響曲第 82番ハ長調「熊」
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「英雄の生涯」作品 40 (第 1稿)

うーむ。そう来たかという感じである。R・シュトラウスはルイージ得意のレパートリーであり、2009年に当時の手兵シュターツカペレ・ドレスデンと来日した際にも、今回の 2曲を含むシュトラウスの一連の作品を指揮した。私は大阪のザ・シンフォニーホールで、今回の 2曲に加えて「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を聴いたのだが、その流麗な音のドラマに本当に魅了されてしまったことをよく覚えている。なので、このシュトラウスの代表作 2作は当然期待大なのであるが、注目は真ん中のハイドンである。実はルイージはこの曲を、一昨年のセイジ・オザワ松本フェスティバルで採り上げている。その時の演奏会は私も記事にしたのを覚えていたので今読み返すと、あーあ、厳しいことを書いているなぁ (笑)。いずれにせよ、ハイドンのように音符が少ない曲では、オケの本当の合奏力が勢い試されることとなる。初顔合わせでこの曲となると、これは緊張感があるではないか。プログラムに掲載されているルイージの言葉には、「読響と共演した経験のある友人らからは、大変レベルが高く経験豊かなオーケストラと聞いています。私も好奇心でいっぱいです」とある。さあ来いと言わんばかりのルイージの写真。
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結果として私が思うことには、これは実に瞠目すべき大成功の演奏会であった。世界で活躍する名指揮者との初共演において、文字通りすみからすみまで全員日本人からなるオーケストラが、全く臆することなく実に大人の演奏を展開したという点において、昨今の東京のオケの充実ぶりを象徴するような、素晴らしい機会であったと言えるだろう。まず最初の「ドン・ファン」では、滑り出しは音の重心がちょっと重めかと思ったが、その後展開されていったオケの機動力は大したもの。いつものルイージのアクセルとブレーキが繰り出され、それは時には微妙な差でしかないのだが、音のドラマの描き方が大変に丁寧。読響は、充分な美観を保ちながらそれについて行った。弦楽器の表現力に加え、木管・金管も (本当にごく細部の課題を除けば)、聴いていて身を乗り出したくなるような充実ぶりだ。もちろん、多少お互いに未だ手探りのところはあったかもしれない。だが、忙しく世界を飛び回る指揮者に対して、その意を汲んで実にプロフェッショナルに反応するオケを聴くのは気持ちがよい。ルイージ自身も、相当に手応えを感じた演奏であったのではないか。一方でオケの方も、充実感を得たのだろう、1曲目のカーテンコールから既に、楽団から指揮者への拍手が出るという珍しいことが起こっていた。

続くハイドンは、いわゆる古楽風のアプローチではなく、現代オケによるハイドン。だがその冒頭から流れ出した音には、余計な気負いがなく、過度に滑りすぎることのない堅実さが聴き取られ、フレーズフレーズが新鮮かつ堂々と響いていた。なるほど、これはシュトラウスとは全く別種の音楽であるが、そのスタイルの違いを当然のことのように表現できる点、読響はやはり優れたオーケストラであるのだ。この「熊」の愛称を持つ交響曲を私は大好きで、巧まずしてユーモアが現れた演奏でなければ楽しめないのだが、今回の演奏ではミスもなく、ハイドン特有のユーモアをそこここに聴き取ることができた。これにより、ルイージの課した課題を、読響は余裕でクリアしたものと思いたい。

そして最後の「英雄の生涯」であるが、演奏開始前、ルイージは指揮台からホルン (もちろん、開始早々英雄のテーマを吹く) の方に視線を向け、そうしてヴィオラとチェロ (もちろん、冒頭で低音から駆け上がる) の方を向いて棒を振り下ろした。音の混じり方には、欲を言えばさらなる絶妙さを求めてもよいかもしれないが、そこに音で描かれた英雄の姿には充分な存在感があり、ここでもルイージの微妙なさじ加減について行くオケの技量が発揮された。激しく駆け込むところは激しく、ゆったりと歌うところはゆったりと、その表情の豊かなこと。重量感よりも流麗さに特徴のある演奏であったが、南ドイツ、ミュンヘンの生まれであるシュトラウスの音楽には、アルプスの反対側であるイタリアの風土に近い面もあるので、ルイージのアプローチには充分な説得力がある。前半の「ドン・ファン」よりもさらに色彩豊かに鳴り響く「英雄の生涯」であり、一瞬たりとも退屈することはなかった。この曲で活躍するコンサートマスターのソロ・ヴァイオリンは非常に大事だが、ここでは長原幸太が、コケティッシュというよりも、凄みのある音で全編を彩った。
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この演奏でひとつ特徴的であったのは、第 1稿を使用していたこと。音楽ファンなら先刻ご承知であろうが、この曲の通常の版と第 1稿 (日本でもおなじみであったシュトラウスの権威、ウォルフガンク・サヴァリッシュが世界で初めてこの版を録音した) の違いは、エンディングにある。引退した英雄が生涯の業績を振り返り、緩やかで穏やかな音楽に続き、終結部でファンファーレ調の金管と打楽器の一撃が入って、そして静かに終わるというのが通常版であるが、第 1稿では、その一撃がないまま、静かに音が遠ざかって行く。私は思い出したのだが、そう言えば 2009年のドレスデンとの来日時にも彼は第 1稿で演奏していた。今回のインタビューにおいても、この方が大仰な終わり方ではなく、自分の人生を静かに見つめて振り返る老人の姿を現していて、それが、作曲者が本来望んだものであろうと語っている。なるほど、音を聴いてみると、それも一理あると思う。これがルイージとドレスデンによるこの曲の録音のジャケット。やはり第 1稿である。
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このような大変充実した演奏のあとは、指揮者も楽員も大変満足そうに互いの健闘を称えあうのを見るのも楽しい。ルイージは弦の各パートの首席と握手を交わしたが、コントラバス・セクションまで出向いて握手をし、指揮台に戻って来たとき、ヴィオラ奏者との握手を忘れて指揮台から客席にお辞儀をしてしまった。そのあとに気づいて、ヴィオラ奏者に丁重に詫びながら、がっちり握手をすることで場の雰囲気を和ませているのを見て、この指揮者はきっと楽員から好かれるだろうな、と思った。そしてルイージは、楽員がひきあげたあとも、鳴りやまぬ拍手に応えて舞台に再登場したのである。きっと彼にとっても印象に残る演奏会になったはず。

今回のインタビューの中でルイージは、「華々しい経歴だが、挫折を感じたことは?」という楽団の意地悪な質問 (笑) に対し、「ないですね。私は非常にプラス思考なので。あまり幸せを感じない瞬間もありますが、音楽は私を助け、幸福感や達成感をもたらしてくれる源です」と答えている。なるほど。素晴らしく前向きなマインドの人なのであろう。是非また読響の指揮台に返ってきて、聴衆に幸福感を与えて欲しいものである。

by yokohama7474 | 2017-08-25 00:47 | 音楽 (Live) | Comments(2)

セイジ・オザワ松本フェスティバル ファビオ・ルイージ指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2017年 8月20日 キッセイ文化ホール

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今年もセイジ・オザワ松本フェスティバルの季節がやって来た。総監督の小澤征爾は今年 (毎年のことながら音楽祭期間中の 9月 1日に) 82歳になる。これが今年の音楽祭の記者会見に姿を見せたマエストロ。元気そうに見え、ちょっと安心だ。
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さて、今年のこの音楽祭でのオペラ上演は、メインのサイトウ・キネン・オーケストラによるものはなく、小澤征爾音楽塾オーケストラによるラヴェルの「子供と魔法」のみ。その代わりということだろうか、サイトウ・キネンのオーケストラコンサートが 3種類のプログラムによって 6回開かれる (通常は 2プログラム 4回)。だが、多くの人にとって残念なことには、小澤総監督が指揮する曲目は、ほんの一部。具体的には、B プログラム (8/25、27) におけるベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第 3番と、C プログラム (9/8、10) における内田光子との、やはりベートーヴェンのピアノ協奏曲第 3番。これだけだ。そのせいだろう、今年は例年と異なり、小澤が出演するプログラムでもチケットは即刻完売にはならなかったようである。ちょっと複雑な思いであるが、今後も水戸室内管との第九 (後半のみだが)、小澤征爾音楽塾、そして年明けにはベルリンでベルリン・フィルとの「子供と魔法」ほかのプログラムが控えている。ファンとしては無理せず息長く活動して欲しいので、ここは我慢である。これは今回の会場、キッセイ文化ホールの入り口の飾りつけ。
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だがその一方で、今年のオーケストラ・コンサートでは、3つのプログラムのうちのひとつとして、臨時編成のオケではなかなか取り組みにくい難曲が採り上げられることとなった。それは、マーラーの交響曲第 9番ニ長調。西洋音楽史上でも屈指の、重い内容を持つ大交響曲だ。指揮するのは、2014年以来 4年連続の登場となるイタリアの名指揮者、ファビオ・ルイージである。
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ルイージについては、一昨年、昨年のこの音楽祭での演奏についても書いたし、NHK 交響楽団を指揮した演奏会も採り上げたことがある。ここ松本でのマーラーは、既に 5番、2番と来て今年は 9番。昨年私は「せっかくなのでマーラーをシリーズ化してほしい」と希望表明したが、それが叶って大変に嬉しいのである。しかも曲が 9番とあっては、心して聴く必要がある。これがリハーサル風景。小澤総監督も立ち会っていたわけである。尚、今回のコンサートマスターは、マーラー演奏の輝かしい歴史を持つ東京都交響楽団の矢部達哉、副コンサートマスターは、読売日本交響楽団の小森谷巧であった。
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このブログでは度々ルイージの指揮ぶりを、アクセルとブレーキをうまく踏み分けるという比喩を使って、私の感じるところを表現しようとしてきた。ところが今回は若干勝手が違っていた。つまり、音楽の推進力や、細部の繊細さと雄大な流れの両立がいつもながらに見事な演奏ではあったが、これまでのルイージの演奏で感じたような緩急のテクニックという要素は、ほとんど感じなかったのである。それは、演奏家としても極限の状態で臨むしかないようなこの曲を前にすると、もうアクセルだのブレーキだのと言っていられない、ということだろうか。もちろんクラシックファンなら誰でも知っていることだが、あれだけ声楽や特殊楽器を使って破天荒な構成の交響曲を次々に書くことで、西洋音楽史がそれまで持たなかった新しい音響世界を創り出したマーラーという作曲家が、人生で最後に完成させたこの交響曲では、楽章数は正統的な 4 (まあ、4楽章の構成内容は伝統的なものではないが) であり、また改めてステージを見渡しても、珍奇な楽器はない。ギターやマンドリンやカウベルはおろか、チェレスタすらないのであるから、マーラーとしては極めて保守的な編成なのである。だが、そこで流れて来る音響は、まさに生と死の壮絶なせめぎ合い。ここで語られるのは世界苦ではなく、芸術家個人の死への激しい抗いと、それとは裏腹な甘美な諦念なのであり、そうなってくるともはや、音の強弱や遅い早いで工夫の余地などない。実際今回の演奏は、過度に粘らず、時に楽器が鋭い飛び込みを見せるあたりにルイージの個性は感じられたものの、全体を通して、ただ楽譜に書かれた音を誠実に再現するという音楽家の使命を果たそうという姿勢が強く感じられたのである。もちろん全体を通して非常に見事な演奏であったのだが、私の感想では、出色は後半の 2楽章。第 3楽章の弦楽器群のささくれだった狂気と、同じ弦楽器群が第 4楽章で聴かせた絶美の音の流れの対象には、実に鳥肌を禁じ得ない、ただならぬ切実さがあった。このオーケストラの素晴らしさは、太い音の流れを作り出しながらも、実に敏感に指揮者に反応することであって、特に今年の演奏では、ルイージとの共感、あるいは強い信頼関係というものを随所に感じさせ、それはそれは、実に深く説得力のある音楽であったのだ。これはやはり、世界のどこに出しても通用する音楽であり、松本だけでしか聴くことができないのはもったいない。いやもちろん、この音楽祭が 25年間に亘りこの松本で継続して来たからこそ、このレヴェルがあることは間違いないし、音楽祭を支える市民やヴォランティアの人々の努力が、この極上の音のひとつの要素になっていることも実に尊いことだ。だが、やはり世界に発信することが必要であろうし、世界から多くの人々を迎え入れることが望ましいと思う。これだけの演奏を聴いて、冷静でいられるわけもない私は、この感動をどこに持って行けばよいのか分からず、まずはこのブログでご紹介するわけである (笑)。

このルイージは、来年以降もマーラー演奏を継続してくれるであろうか。そして彼とこの音楽祭との関わりは、今後どうなって行くのであろうか。大変に気になるところである。その一方ルイージは今週、実は東京のステージに登場する。それについてはまたご報告できると思うので、お楽しみに。

ところで、松本駅前のロータリーにこのようなもの発見。小澤の書というものを初めて見たように思う。
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実はこの時計台にはほかにも「岳都」「学都」とあって、それぞれのガクト分野の専門家の書が彫り込まれている。確かに松本では、山、教育、音楽が豊かに人々の暮らしを彩っているように思う。都会の生活に疲れた人間にとっては、ほんの数時間の滞在でも、何か大切なものを与えてくれる街なのである。

by yokohama7474 | 2017-08-20 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)