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ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香) 2017年12月 6日 サントリーホール

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この 2ヶ月ほどというもの、日本は、中でも東京は、相次ぐ世界トップクラスの指揮者とオーケストラの襲来に見舞われていて、このブログでも、それがいかなる襲来であったのか、なるべくヴィヴィッドにお伝えすべく、頑張って記事を書いてきた。そして、そのオーケストラ来日ラッシュの掉尾を飾るのが、ロシアを代表するこのコンビ、ワレリー・ゲルギエフと、彼が 1988年以来音楽監督・そして芸術監督を務めてきたサンクト・ペテルブルクにあるマリインスキー歌劇場のオーケストラである。ゲルギエフは言うまでもなく現代最高の指揮者の一人であり、その超人的な活躍は、64歳になった今でも衰えることがないどころか、ますます活発化しているようにも見える。これまでもロッテルダム・フィルやロンドン響、そして現在でもミュンヘン・フィルを率いる傍ら、このマリインスキーでは既に 30年近い関係を築き上げて来たのは、なんとも素晴らしいことである。多忙な指揮者は世界を飛び回るのが宿命であるが、このゲルギエフの場合は、世界を飛び回りながらもひとつの歌劇場・オケと関係を深めているわけで、優に普通の指揮者 2人分か 3人分の活動を展開していると言ってもよいと思う。
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このゲルギエフとマリインスキーは既に何度も日本を訪れていて、オペラの引っ越し公演もあればオケだけの場合もあるが、今回はオケだけである。だがその日程がすごい。今ここに書き出してみよう。
 12/1 (金) 熊本
 12/2 (土) 広島
 12/3 (日) 大阪
 12/4 (月) 高松
 12/5 (火) 武蔵野
 12/6 (水) 東京
 12/7 (木) 松戸
 12/9 (土) 所沢
 12/10 (日) 東京 (13時と 18時の 2回)

うーむ。10日間の間に、首都圏と西日本で 10回のコンサートと、大変な過密スケジュール。そしてまたそのプログラムがすごい。通常のツァーでは 2種類か 3種類のプログラムを回して行くものだが、彼らの場合、実に驚くべきことに、全 10回の内容がすべて異なるのである!! もちろん、曲の重複はあって、10日間全く違った曲を演奏し続けるわけではさすがにないが、それにしても、同じ順番での数曲の演奏のを繰り返すのと、組み合わせが毎回毎回違うというのとでは、オケにかかる負担もかなり違うだろうと思うのである。曲目はロシア物とフランス物がメインで、チャイコフスキー 5番、プロコフィエフ 6番、ラフマニノフ 2番に交響的舞曲、あるいはそのラフマニノフの全 4曲のピアノ協奏曲 (12/10 の 2回の演奏会で走破する) や、幻想交響曲、「展覧会の絵」に加え、牧神の午後への前奏曲、デュティユーの「メタボール」、ワーグナー「パルシファル」前奏曲などの小品もある。ソリストも、ピアノのデニス・マツーエフと松田華音、ヴァイオリンの庄司紗矢香と、実に忙しい日本ツアーなのである。今回私が聴いたのは、以下のようなプログラム。
 リムスキー=コルサコフ : 組曲「金鶏」
 ショスタコーヴィチ : ヴァイオリン協奏曲第 1番イ短調作品77 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 ベルリオーズ : 幻想交響曲作品14a

ううーん。これ、演奏時間長すぎではないですか。ショスタコーヴィチとベルリオーズだけでも一晩のプログラムとしては充分である。上に書いたような過密スケジュールで、しかもそれぞれのコンサートの中身がこれほど濃いというのも、このコンビの特徴である。実際、通常は 19時に開演すると 21時頃終わることがほとんどであるところ、今回の終了は 21時45分。そもそも後半の幻想交響曲が始まったのが 20時45分頃だったから、通常のコンサートではほぼ終了時刻に近かったわけだ (笑)。

さて、ヴァイオリンを左右対抗配置にし、指揮台を使わず、つまようじのような短い指揮棒で指揮をしたゲルギエフについて語ってもよいのだが、やはりまず書いておきたいのは、ヴァイオリン・ソロを弾いた庄司紗矢香である。このブログではこれまでも散々その才能をたたえてきたわけであるが、私の見るところ、この人はやはり飛び抜けたものを持っている。10代から活躍し、30代半ばに至った今でも、遠目には小柄なお嬢さんのようであるが、その音楽の強烈な表現力や、彼女の活動自体の充実ぶりには目を見張るものがある。
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同じサンクト・ペテルブルクのオケでも、彼女の場合はもう一方の雄であるユーリ・テミルカーノフとサンクト・ペテルブルク・フィルとの関係が深いと理解していて、確か日本ではゲルギエフ / マリインスキーとの共演は初めてであろう。そして今回の曲は、ショスタコーヴィチの 1番のコンチェルト。もう 10年以上前になるだろう、シャルル・デュトワ指揮の N 響をバックに庄司はこの曲を演奏していたし、また、2012年のラ・フォル・ジュルネでは、ドミトリ・リス指揮ウラル・フィルの伴奏で演奏し、同じメンバーでのレコーディングもある。この曲には極めて陰鬱な箇所と、退廃的な諧謔味に溢れた箇所とが存在していて、つまりは誰もが聴いて楽しくなるような曲ではない。実は今回のツアーの曲目を見てみると、庄司が登場するのは、この日以外には大阪、松戸、所沢で、曲はいずれもポピュラーなチャイコフスキーのコンチェルトであって、ショスタコーヴィチの演奏はこの日だけである。つまりはこのショスタコーヴィチ、東京の聴衆のための演奏であったわけだ。そしてそのヴァイオリンのただならぬ表現力は、聴衆を圧倒した。この曲の陰鬱な箇所は、あえて言えばロシア的な暗さが必要だし、諧謔味のある個所は、水際立った鮮やかな技術が必要だ。その両方をこれだけ説得力をもって演奏できるヴァイオリニストが、世界にどのくらいいるであろうか。何より庄司のヴァイオリンは、深く音楽に入って行って、その強い集中力で音楽と一体と化すような特質を持つが、今回の演奏でも、作曲者の深い心の闇に臆せず踏み入って行く、その真摯な態度が、聴衆に感銘を与えたものと思う。アンコールで演奏されたバッハの無伴奏パルティータ第 2番からのサラバンドも、やはり彼女らしく、美音に甘んじない厳しい音楽で、舞台の袖で立ったまま聴いていたゲルギエフも、感慨深げに見えた。ところで大阪公演後には、こんな写真が撮られている。庄司は最近安藤忠雄設計の直島の美術館で演奏したりして、この大阪出身の、元ボクサーで現在は巨匠建築家である偉大な人物と、親交を深めているようだ。そういえば、私も早く、国立新美術館での安藤忠雄展の記事をアップせねば・・・。
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そして、最初の「金鶏」組曲と最後の幻想交響曲であるが、近年のマリインスキーの充実ぶりを実感させる高い水準の演奏で、大いに楽しんだ。「金鶏」組曲は、同名のオペラからの 4曲によって成るものだが、作曲者自身の手によるものではなく、それほど演奏頻度の高い曲ではない。だが、ここでの演奏は完全に自家薬籠中のものであり、冒頭に登場する金鶏の鳴き声を模したトランペットの叫びからして実に見事。木管楽器のニュアンスや、チェロを中心とする弦の音の充実した響きも素晴らしい。唐突な曲想の変化や東洋的な響きも、ゲルギエフの精力的な指揮にぴったりついて行くオケのキャパシティによって、常に緊張感を持って表現されていた。そしてメインの幻想交響曲がまた、千変万化の刺激的な演奏。第 1楽章の提示部の反復はなく、うねるような勢いが印象的であったし、第 2楽章では珍しくコルネット (トランペットの親戚 ? のような金管楽器) 入りの版を使用していた。そうそう、このコルネットの登場で、金管パートをじっと見ることになったのだが、この曲では第 2楽章も、それから第 3楽章も、ホルンを除く金管楽器は全く沈黙し、最後の第 4・第 5楽章の狂乱に備えることに気がついた。この演奏では、そのように見通しがよい一方で、時折細かいテンポの揺れもあって、聴衆を飽きさせない工夫がされていた。つまりは、ただ幻想と狂気をやみくもに描き出すのではなく、そこには周到な演出上の計算があるということだろう。プログラムに掲載されたゲルギエフのインタビューで彼は、この幻想交響曲を、「即興を許してくれる作品」と表現し、ベルリオーズの作品は「いつも予期しないことが展開して、リズムの変化や音楽的なアイデアが次々に出てくる。現代音楽に近い閃きがあるのです」と語っている。なるほど、今回の演奏でもそれが分かったような気がする。

長いコンサートが終わって演奏されたアンコールは、ストラヴィンスキーの「火の鳥」から、子守歌と終曲。もちろんポピュラーな曲であるが、アンコールとして演奏されるのは比較的珍しい。昔クラウディオ・アバドがこの部分をアンコールで演奏したのを放送で聴いたことがあって、その時は子守歌が静かに始まったと記憶するのだが、今回はその前の「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の強烈な終結音から入って、聴衆をびっくりさせた (笑)。まあしかし、これだけの長丁場をこなしながらも、またこのように技術的にも感情的にも強い集中が必要な曲を演奏して、ゲルギエフとマリインスキーは実に隙がない。

このように、怒涛の来日オケラッシュの掉尾を飾るにふさわしい演奏会を堪能した。本当はラフマニノフのピアノ・コンチェルト 4連発も聴きに行きたいが、既に別の予定が入っていて、それは果たせない。だがまた数年後には彼らは日本にやってきて、聴衆の度肝を抜いてくれることだろう。またその時を楽しみにしよう。次は、そうだなぁ、ちょっと趣向を変えて、モーツァルトの全交響曲連続演奏なんて、いかがですかね。
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by yokohama7474 | 2017-12-08 00:01 | 音楽 (Live) | Comments(4)  

フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団 2017年12月 3日 サントリーホール

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ウィーン国立歌劇場の次期音楽監督に内定しているスイスの指揮者、43歳のフィリップ・ジョルダンが率いるウィーン交響楽団の来日公演も、これが最終日。11/26 (日) の横浜公演を皮切りにちょうど一週間、12/3 (日) のこの公演までの 8日間の間に 7公演をこなすというハードスケジュール。順番に言うと、横浜 - 福岡 - 名古屋 - 福井 - (1日休んで) 東京 - 西宮 - 東京という具合で、先の記事でご紹介した 12/1 (金) のサントリーホールの公演の翌日、12/2 (土) の 14時には西宮で公演、そして何食わぬ顔でその翌日、ここでご紹介する 12/3 (日) の 14時からのサントリーホールでの最終公演に臨んだわけである。そしてこの日の曲目は、まさに名曲プログラム。
 ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67
 ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68

以前の記事に書いた通り、今や世界で最も期待される若手指揮者のひとりであるジョルダンを聴くには、まるでハンバーグやカレーライスのようなポピュラーな曲だけではなく、少しは骨のある曲を聴きたいという思いもありながら、だがしかし、そのハンバーグやカレーライスにおいて、演奏家のテンペラメントははっきり分かるはずではないか。そう自分に言い聞かせて、会場であるサントリーホールに向かったところ、大入り満員の大盛況。ともあれハンバーグやカレーライスは多くの人の好物なのであろう。かく言う私もそうであり、実際にその日の昼食はハンバーグだったのである (笑)。
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席についてステージを見渡すと、この日のプログラム 2曲のいずれにも使われないはずの、小太鼓と大太鼓、しかも後者にはシンバルの片方がつけられているのが分かった。ということは、アンコールはまた、あれなのであろうか (その時にはトライアングルは見えなかった)。それから、ふと気づいたことには、今回ジョルダンとウィーン響が東京公演で採り上げた 4曲には共通点がある。それは、いずれも最後の 2つの楽章が続けて演奏されるということだ。メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトは全 3楽章がそもそも続けて演奏されるし、ベートーヴェンの 5番は第 3楽章から第 4楽章にかけては切れ目がない。そして、マーラーとブラームスのそれぞれの第 1交響曲では、多くの演奏で第 3楽章と第 4楽章は切れ目なしに演奏されるのだ。

だがこの日のベートーヴェン 5番は、演奏自体には奇をてらった要素は皆無であるくせに、どの楽章間でもほとんど休止を取らなかったことに驚いた。よく第 1楽章を駆け抜けたあと、指揮者が楽員の熱演を労いながら第 2楽章の準備をするものだが、この日の演奏ではそうはならず、すべての音は一続きになっていた。ヴァイオリンは左右対抗配置で (これは今回の 2回の演奏会で終始一貫していた)、コントラバス 6本の、この曲にしては標準編成での演奏。以前の記事でご紹介した通り、このコンビによるこの交響曲の CD は、今回日本ツアー用に先行発売されており、それを聴いて予習して行った私には、なるほどジョルダンのイメージするベートーヴェンの 5番の純音楽的な性質はこういうものかと、その持ち味を充分に堪能することができたのである。前回の記事での感想と重複するが、情緒に溺れることのない、疾走感のある演奏で、曲想の変転の中でも、タメを作って大見得を切ることはほとんどない。陳腐な表現だが、現代風のベートーヴェンと言ってよいだろう。その響きの現代性は、ウィーン・フィルとは異なる個性を持つウィーン響にはふさわしく、なるほどハンバーグの調理方法にも時代による変遷があるのだなと思い知った次第。ちなみに今回の演奏では、第 3楽章ではかなり演奏が進んでから、冒頭から繰り返しを敢行していた。因みにこのジョルダン、もうひとつの手兵であるパリ・オペラ座管弦楽団を指揮して、既にベートーヴェンの交響曲全集の映像を世に問うている。いずれ見てみたいものだと思っている。
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そして後半のブラームス 1番。ここではコントラバス 8本と、この曲のドラマ性を反映した充分な弦楽器のサイズであった。ここでも演奏スタイルは同じで、タメを作らずにスムーズに流れる音楽であり、大変美しい。このブログで何度も唱えている通り、まずはオケの音が上質でないと成功しないブラームスの交響曲の演奏としては、まずはそれだけでも聴く価値は充分にありだ。そして、前回のマーラー「巨人」の演奏でいささか物足りなく思った音の軽さも、ここではさほど感じられず、迫力と美感に満ちたブラームスであった。伝統的なドイツの重々しい音楽というイメージとも異なり、まさに今、我々が聴くべき価値のある素晴らしい演奏であったと思う。

そしてアンコールは、まずお決まりのブラームスのハンガリー舞曲 5番。ここではトライアングルが登場し、テンポをほぼ保ちながらも、後半にはほんの少し追い込みをかける方法が成功していた。そしてアンコールの 2曲目は、前回と同じ、ヨハン・シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。なるほどこれで小太鼓は登場した。だが未だ、大太鼓とシンバルが登場していない。もちろんそこでの期待はまた「雷鳴と電光」であり、楽員たちも譜面を閉じたり開いたりして、3曲目のアンコールがあるのか否か判然としないようであったが、結局 3曲目はなく、今回のジョルダンとウィーン響の日本ツアーは、これにて幕を閉じたのである。これは今回の来日に際して、オケの楽団長と並んでいるジョルダンの写真。初来日のコンビにしては多くの聴衆を集め、まずは大成功であったろう。
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私にとってのジョルダンは、ある演奏で圧倒的な思いをするという出会いがあったわけではなく、オペラを何本か見るうちにその能力を実感したという、いわば自然に視野に入ってきた人。父アルミンへの思い入れもあって、私としては注目の指揮者であったが、初めて聴いてから早 15年、彼はこれから大輪の花を咲かせようとしている。次に聴く際にはハンバーグやカレーライスでない曲を期待したいが、その前に、もうすぐ公開される映画で、ジョルダンの仕事ぶりを見てみたい。それは、パリ・オペラ座の活動に関するドキュメンタリー映画、「新世紀、パリ・オペラ座」である。予告編でもジョルダンが出て来るシーンがあり、その真剣さが彼らしいと思う。12/9 (土) から Bunkamura ル・シネマで上映である。楽しみにしたい。
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by yokohama7474 | 2017-12-04 01:04 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 (ホルン : ジャーマン・ホルンサウンド) 2017年12月 2日 サントリーホール

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しばらくぶりに、英国の名指揮者ジョナサン・ノットが、音楽監督を務める東京交響楽団 (通称「東響」) を指揮するのを聴いた。東京のオケのシェフの中でも、ノットはその登場頻度、プログラムの凝り方、演奏会本番でのその献身ぶり、オケの発展に向けて込められたその熱意、いずれもトップクラスであると思う。その彼が今回用意したのも、それはそれは興味深い曲目である。
 リゲティ : ハンブルク協奏曲 --- ホルンと室内アンサンブルのための (ホルン : クリストフ・エス)
 シューマン : 4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック (ホルン : ジャーマン・ホルンサウンド)
 ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ホ長調作品55「英雄」

手元にあったはずのチラシが見当たらず、やむなく上にはノットの写真を掲げているのだが、そのチラシには、「音楽監督ノットのホルン大集合」とあったはず。そう、ここでは、ホルンが活躍する曲が集められているのである。そして今回は、ドイツ人のホルン奏者 4人組、ジャーマン・ホルンサウンドがシューマンにおけるソロ (と言ってよいのかな、4人でも 笑) を吹く。
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この 4人組はもともと、シュトゥットガルトでクリスチャン・ランバートという教授に教わった同窓生であるらしい。リーダーとおぼしきクリストフ・エスは現在バンベルク交響楽団の首席ホルン奏者。バンベルクと言えば、昨年までノットが首席指揮者を務めていたオケであるから、そのつながりもあるのだろうか。

さて、よくドイツ人にとってホルンは、森の狩りに使われた楽器ということで、自分たちのルーツのように考えていると言われる。実際、ウェーバーの「魔弾の射手」が典型で、ワーグナーやブルックナーにおいてもホルンは極めて重要だ。だからドイツ人が集まったホルンのグループの存在には納得が行く。問題はレパートリーで、当然新規開拓も行っているようだが、このシューマンのコンツェルトシュテュックなどはさしずめ、名刺代わりの手慣れたレパートリーということなのだろうか。この曲、随分以前にクラウス・テンシュテットがベルリン・フィルを振った録音があったので、それで何度か聴いたことはあるが、決して頻繁に演奏される曲ではないので、この機会は貴重である。先にこの曲の感想を書いてしまうと、このグループの技術が完璧で水際立っていたかと言えば、残念ながら若干の技術的な課題は残ったような気がするが、いかにもシューマンらしい情熱と抒情を併せ持つこの曲を久しぶりに聴くには、なかなか豪勢な感じであった。また、アンコールとして、ブルックナーの「4本のホルンのための3つのコラール」よりアンダンテが演奏された。これは抒情的なよい演奏だった。ちなみにこれが、コンツェルトシュテュックの入ったテンシュテット盤のジャケット。懐かしいですな。
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順番が逆になったが、最初のジェルジ・リゲティ (1923 - 2006) の曲は、ハンブルク協奏曲という名前がついたホルン協奏曲。このコンサートにでかける数日前、我が家にこの曲の CD があったかなぁと思って、グラモフォンのリゲティ作品集 4枚組を調べたが、入っていない。だが、テルデックの「リゲティ・プロジェクト」というシリーズの 4作目に、入っていましたよ!! こんなジャケットである。
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実はこの CD ではジョナサン・ノットも演奏者として参加しているが、このハンブルク協奏曲を指揮しているのはラインベルト・デ・レーウ (私のお気に入りの指揮者でありピアニストであり作曲家) であって、ノットは別の曲 (レクイエム) を指揮している。ともあれ、この CD のおかげで、15分ほどのこの作品の予習をすることができたのだが、これは短い 7つの楽章からなる曲で、リゲティ特有の浮遊感と懐かしさをたたえている。耳障りは悪くなく、時にヴァイオリン協奏曲のオカリナなどを思い出したりする。民俗的と言い切ってしまうのも少し違和感があるが、少なくとも西ヨーロッパの正統的な音楽とは趣きが異なっていて、まさにリゲティの音楽としか言いようがない。ここでは独奏ホルンは 1本だけ (但し、通常のものと、バルブのない古いものとの持ち替え) であるので、ソロはひとりだけで、それがクリストフ・エスだ。多彩な音を見事に繰り出していたが、なかなか大変なことである (笑)。ノットは小規模なオケを、指揮棒を使わずに素手で指揮して、丁寧なバックをつけていた。
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さて、メインの「エロイカ」であるが、この曲におけるホルンの聴きどころというと、もちろん第 3楽章スケルツォのトリオである。まさかこの部分だけ、ジャーマン・ホルンサウンドがソロ (?) で吹くのだろうか、しかも、楽譜の指定は 3名なのに 4名で演奏するのだろうか、などとあらぬことを考えていたが (笑)、もちろんそんなことにはならず、東響のメンバーによる演奏であった。さてこの「エロイカ」、大変に興味深い演奏であった。ヴァイオリンの左右対抗配置はいつもの通りだが、コントラバス 5本、チェロ 6本の小さめな弦の編成である。だが、その規模のオケを率いてノットが唸りながら最初に引き出した 2つの和音は、充分に重量感のあるもの。そしてそこから流れ出した音楽は、流れがよいことはよいのだが、かなり強いアクセントが時折入り、非常に表現力の強いもので、弦のヴィブラートも、過剰にならない範囲でかかっていた。実際、音楽が熱してくると若干テンポが速まる場面もあり、そこには感情の昂りによる即興性まで感じられ、小股の切れ上がった小綺麗な演奏というイメージとは遠い。そして、随所でティンパニが轟音を響かせ、聴き手の耳にストレートに力強さを印象づけたのである。第 3楽章と第 4楽章を続けて演奏したのはまず一般的として、第 1楽章と第 2楽章もほとんど続けて演奏していた点、ノットの意図は、個々の部分の強調ではなく、全体の大きな流れを作り出すことではなかったか。東響はその意図をよく汲んで、素晴らしく説得力のある感動的な演奏を展開した。終演後のノットは大変嬉しそうで、普段彼がほとんどやらない、個々の奏者を起立させて聴衆の拍手に応えることをやっていた。きっと彼自身としても会心の演奏になったのだろう。ただ私の思うところ、ここにあと、音の芯のようなものが加われば、もう言うことなしなのだが・・・。今回の「エロイカ」の演奏は東京で 1回だけで、あとは新潟でしか演奏されないが、オクタヴィオレーベルがライヴ録音していたらしいので、いずれ録音でその成果を広く世に問うことになるだろう。

ノットと東響は、現代曲でも古典でも何でもござれであり、縦横無尽に説得力のある音楽を奏でる素地が出来つつあるように思う。実はこのコンビ、一週間を置いて、また大きなチャレンジをすることになる。それに対する期待感が、徐々に募って来ている私である。ご存じない方も、一体どんな試みなのか、楽しみにお待ち頂きたいと思う。

by yokohama7474 | 2017-12-03 02:05 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

ディエゴ・マテウス指揮 読売日本交響楽団 (ドラムス : ピーター・アースキン) 2017年12月 2日 東京芸術劇場

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つい一週間ほど前まで、メシアンの超大作「アッシジの聖フランチェスコ」の日本初演に全力で取り組んでいた読売日本交響楽団 (通称「読響」) が、がらっと異なるタイプの曲を演奏する。しかもその中には、またしても日本初演の曲が含まれているのだ。このような読響の適応能力には、実に感嘆すべきものがある。しかも今回指揮台に立つのは、これが読響のとの初共演になる1984年生まれの若干 33歳、ヴェネズエラ出身のディエゴ・マティウスだというのだから恐れ入る。まずはこの指揮者の紹介から行くとしようか。ヴェネズエラには既に、36歳にして世界中で若き巨匠の名を欲しいままにしている驚くべき指揮者がいて、その名はグスタヴォ・ドゥダメル。エル・システマという、ヴェネズエラで行われている音楽教育 (非行少年少女の更正目的を含んでいる) の驚異的な成果を体現するドゥダメルは、郷土の革命家の名を冠したシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの音楽監督として活躍を続けているが、その補佐を務めているのがこのディエゴ・マテウスである。
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ドゥダメルに比べるとまだまだ知名度は低いかもしれないが、2008年にクラウディオ・アバドが創設したモーツァルト管弦楽団の首席客演指揮者となったことをはじめ、既に名門ヴェネツィアのフェニーチェ劇場の音楽監督を務める (2011年から 2015年まで) など、国際的な活動を展開している。日本でも既に 2年前に NHK 交響楽団の定期公演に登場しているし、2011年にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本 (現・セイジ・オザワ・松本フェスティバル) でも指揮をしている。だが私はこれまで彼の指揮を実演で聴いたことがなかったので、今回は是非にと思って会場に足を運んだのである。そのユニークな曲目は以下の通り。
 バーンスタイン : 「キャンディード」序曲
 ターネジ : ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演、ドラムス独奏 : ピーター・アースキン)
 ガーシュウィン : パリのアメリカ人
 ラヴェル : ボレロ

このプログラムの特色は、そのカラフルな色彩感と、ノリのよさと言ってよいだろう。それゆえ、神秘的なメシアンの超大作との隔たりは著しいのであるが、この演奏会は実に充実して、また楽しいものであり、結果的に私は、東京の音楽界の懐の深さを実感することとなった。ほぼ満員の入りの会場は、満足感でいっぱいという感じのコンサートであった。

今回の目玉は、英国を代表する現代音楽の作曲家であるマーク=アンソニー・タネジ (1960年生まれ) の、なんとドラムス協奏曲。タネジはサイモン・ラトルと近く、代表作「3人の怒れる教皇」などで知られ、日本でも時折作品が演奏されている。私は残念ながらどうしても行けなくて涙を呑んだが、昨年、サントリーホール 30周年を記念する「Hibiki」という彼の新作を大野和士が初演したのも記憶に新しい。
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だがこのドラムス協奏曲は、いささか異色である。2013年に、今回ソロを叩くピーター・アースキンのために作曲されたもの。このアースキン、恥ずかしながら私は知らなかったが、今年 73歳の、ドラム界のレジェンドらしい。
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その名はこの私でも聞いたことのあるフュージョンバンド、ウェザー・リポートのもとメンバーで、過去 8回ものグラミー賞ノミネートを受けているらしい。作曲者タネジとは親しい関係であるらしく、今回演奏されたドラムス協奏曲には、そのものズバリ、「アースキン」という彼自身の名前がついているだけでなく、日本人の奥さん (ムツコさんで、ムッツィーとの愛称で呼ばれる) や、娘と息子 (マヤとタイチ) の名前が入った楽章があるなど、完全にこの人のために書かれた曲なのである。タネジの作品がいつもそうであるわけではないが、ここでは極めて平明な音楽が展開し、またその表情は様々で、大変楽しめる内容である。特に終楽章「フーガの熱狂」では、オケの打楽器メンバー 3名との打楽器対決があり、まるで太鼓集団、鼓童 (以前記事を書いたことがある) のパフォーマンスを見ているかのようであった。やはりこの太鼓というもの、人間の奥深いところに訴えかけると見え、30分間の演奏において、何度かぐっと気持ちが燃え上がるような気分を味わったものだ。もちろんアースキンの水際立った技術は大変なもので、あのタネジが曲を進呈するのもよく分かる。そしてマテウスの指揮も大変にツボを得た着実なもので、オケの人たちも、あれなら慣れない曲でも演奏しやすかったのではないか。

そしてほかの 3曲、「キャンディード」序曲、パリのアメリカ人、ボレロも、真面目に演奏された楽しい曲たちであり、オケの技量、指揮者のリードとも、安心して聴いていられるものであった (ただ、ボレロの中で昔から難所と言われるあの長い金管楽器だけは、冒頭にちょっとミスがあったが、集中力が切れることはなかった)。ボレロ以外は曲想の変化も激しく、ノリがないと成功しない反面、逆説的なようだが、真面目に演奏しないと、上っ面をなぜただけになってしまって、楽しめない。今回コンサートマスターを務めた特別客演コンサートマスターの日下紗矢子以下、読響の面々は、真剣な面持ちで、大変に楽しくて上質な時間を作り出したのであった。マテウスの指揮は、先輩であるドゥダメルとそっくりであるが (そしてそのドゥダメルは、大先輩アバドの指揮ぶりとそっくりと言われることもあるが)、同じ教育を受けているので、当然と言えば当然だろう。聴くべきはそこから出て来る音楽であって、私の思うところ、やはり彼は大変な才人である。奇をてらったところはどこにもなく、だが彼の導き出す音楽の、なんと活き活きしていること。相当にまじめな人なのであると思う。ラテンな音楽家は情熱一辺倒かと思うとそうではなく、多彩なパレットを持った人である。読響との相性もよさそうだし、次は是非大曲を聴いてみたいものだ。
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ところで今回のプログラムに、山田和樹がこの読響の 2人目の首席客演指揮者に就任したとの記載がある。山田が既に抱えているポストの数を考えると、本当に時間が取れるのだろうかと心配にもなってくるが、もちろん彼も世界的な観点から見ても若手指揮者の有望株。読響の活動がますます充実するのは素晴らしいことだ。考えてみれば、大変充実した演奏活動を展開してきた常任指揮者シルヴァン・カンブルランの任期も来シーズンで終わり。読響としても、ポスト・カンブルラン体制を用意する必要がある時期にきているだろう。一体誰が後任になるのだろう。山田と、もうひとり、ドイツ人のコルネリウス・マイスター (近日中に読響の指揮台に帰ってくる) の 2人の首席客演指揮者は当然候補であろうが、私としては、山田には当面海外をメインに活動して欲しいものだと勝手に希望している。今回のマイスターは、ただ 1公演を指揮するだけなのが、何やら怪しくはないか。1公演だけのためにわざわざ来日するでしょうかね。何か、ほかに日本で用事があるのでは。例えば契約にサインするとか・・・とは、なんの根拠もない私の勝手な妄想だが、そういうことがあっても面白いと思う。いずれにせよカンブルランの後任人事が楽しみである。

最後に少し蛇足。この演奏会のあった 12/2 (土) の日経新聞の文化欄で、山田和樹の読響首席客演指揮者就任に触れ、それに関連して、日本のオケが複数の指揮者を立てて活動して行くことが多くなったと解説している。実は私はこの論説には大いに違和感があって、それはなぜというなら、例として挙がっているオケの数が少ないし、ひしめき合う東京の有力オケの数々を差し置いて、地方のオケに言及していることは、全体の傾向を見るには不適だと思うからだ (地方オケを軽んじているわけではありません、念のため)。世界のどのオケも、シェフ指揮者がひとりで切り盛りするわけでないことは、歴史的に見ても別に新しいことでもなんでもないし、朝比奈やカラヤンの例は、世界的に見ても歴史的に見ても、かなり例外的。また、ほかの都市と同じく東京のオケでも、シェフ指揮者の関わりは様々なパターンがある。このブログでご紹介している通り、実際に東京のオーケストラの競争は、世界でも稀に見るような、面白い内容をもたらし始めていて、そこには、カリスマ性のある指揮者の貢献もあれば、複数の指揮者陣で盛り上げているケースもあるのである。複数指揮者制云々より、私の見るクラシック音楽界のいちばんの問題は、やはり聴衆に若年層が少ないことではないか。「アッシジの聖フランチェスコ」の記事にも書いたが、そのような伝統的でない曲目や、今回のように小難しさのない曲目の場合には、やはり若い人たちに聴いて欲しいところ。その解決には、一体どうすればよいのだろう。少々厄介なのは、若い人たちが来なくとも、客席はそれなりに満席になっていることであって、日本の少子高齢化がこんなところにも表れているのかなぁ・・・と考えてしまうのであった。若者よ、こんなに面白いクラシックコンサートに足を運んでみませんか?

by yokohama7474 | 2017-12-03 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団 (ヴァイオリン : 樫本大進) 2017年12月 1日 サントリーホール

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早いもので、もう 12月。2017年も残すところあと 1ヶ月となった。だが、東京の音楽界には未だ熱気がこもっていて、そのひとつの要因は今回の指揮者とオーケストラの組み合わせである。1974年生まれ、現在 43歳の気鋭の指揮者、スイス人のフィリップ・ジョルダンと、ウィーンにおいて 1世紀以上に亘り独自の地歩を築いてきたウィーン交響楽団である。ジョルダンはなんと言っても、2020年から文字通り世界最高峰のオペラハウス、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが予定されていることで、世界楽壇の期待を集めているわけであるが、2014年からこのウィーン響の首席指揮者を務めている。調べてみると、2007年に PMF (パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル) のために札幌に来たことはあるようだが、東京にはこれが初の登場になるようだ。このような精悍な顔つきの指揮者である。
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現代の音楽界には、親子二代で指揮者という例がかなりあるが、このジョルダンもそうである。父は、今は亡きアルミン・ジョルダン (1932 - 2006)。名門スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者として名を上げた人で、私は実演を聴いたこともあるし、録音や FM のエアチェックで数々の演奏に親しみ、かなり尊敬していた指揮者である。
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アルミンの息子、今や世界で引っ張りだこの若手指揮者となったこのフィリップ・ジョルダンについては、私は若干特殊な接し方をして来た。これまでに私が聴くことのできた彼の演奏は以下の通り。
 2002年12月19日 : ヨハン・シュトラウス「こうもり」 メトロポリタン歌劇場
 2008年 6月21日 : リヒャルト・シュトラウス「カプリッチョ」 ウィーン国立歌劇場
 2013年 6月18日 : ワーグナー「ラインの黄金」 パリ・オペラ座バスティーユ

つまり、いずれもオペラばかり。実は 2002年の「こうもり」は、「今回はジョルダンという指揮者が MET にデビューするんだけど、父親も指揮者らしい」という情報を聞いて、「まさか、アルミン・ジョルダンの息子じゃないだろうから、人違いでしょ」と答えたものであった。いや、何かを知っているわけではなかったのだが、なんとなく、上に写真を掲げたような、哲学的風貌のアルミン・ジョルダンに指揮者の息子がいるというイメージがなかったからで、ましてや、当時 20代の颯爽とした指揮者 (今でも颯爽としているくらいだから当時はいかばかりであったか想像できよう 笑) が、あのジョルダンの息子とは、信じられなかった。だから、彼が本当にアルミン・ジョルダンの息子であると知って驚いたものだ。その後数年おきに彼の指揮に接し、また、パリ・オペラ座の音楽監督に就任したときには、やはり頭角を現したなと思ったものだし、実際にパリで聴いた「ラインの黄金」は、大変に美しく集中力の高い演奏であったのを覚えている。だが今回はオーケストラ・コンサート。一体どのような演奏になるのか楽しみである。曲目は以下の通り。
 メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 (ヴァイオリン : 樫本大進)
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」

なるほど、冒険を避けた名曲プログラムである。実は今回、12/3 (日) にもまたサントリーホールで演奏会があり、その日の曲目も、いわゆる名曲路線であって、正直なところ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのジョルダンを聴くのには、少々面白みを欠くような気がしないでもない。だが、いかにウィーン国立歌劇場の次期音楽監督とはいえ、初めての東京への登場、招聘側も安全を見たのかもしれない (チケットを売り出したときには確か未だウィーンへの就任は発表されていなかったと思う)。ともあれ、名曲を名曲として楽しみたい。

今回のソリストは、2010年から天下のベルリン・フィルのコンサートマスターを務める、樫本大進。1996年にロン=ティボー国際コンクールで史上最年少で優勝してから既に 20年以上が経過したが、未だ 38歳である。
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先にレポートしたサイモン・ラトルとベルリン・フィルの来日公演では、2プログラムともコンサートマスターを務めた樫本は、恐らくそのまま日本に残ったのであろう、ここではソリストとして登場である。私は彼を若い時に聴いたとき、ある種老成した、落ち着いた音楽を奏でる人であると思ったのであるが、ベルリン・フィルのコンマスという重責を立派に果たし続けるうち、かなり積極性を身に着けてきたような気がする。今回の曲目はメンデルスゾーンのコンチェルトという甘美な曲であるが、彼はただ甘美であることに腐心するのではなく、独特の艶やかな音でしっかりと一本筋の通った音楽を聴かせてくれたと思う。時に走りすぎかなと思うような瞬間もあったかもしれないが、彼の場合には、人為的な感じがなく、音楽の流れを追う中での表現としての必然性を感じたものである。曲の美観を存分に掘り下げた演奏であったと思うが、またジョルダンの指揮が大変丁寧で流れのよいもので、ウィーン響の音もクリアで大変美しく、素晴らしいものであった。樫本がアンコールで弾いたのは、バッハの無伴奏パルティータ 3番の第 3曲「ルール」という、アンコールピースとしては比較的珍しいものであったが、ここでも強い意志に裏打ちされた独特の美観が聴き物であった。しかしながら、このアンコールの演奏中ずっと、会場内で何やら鳥のさえずりのような音が響いていた。携帯電話の呼び出し音だったのだろうか。ホール内は電波が入らないはずなので、若干奇異な気がしたのだが、いずれにせよ、聴衆としてのマナーは充分守りたいものだ。

後半の「巨人」は、私が初めて聴くジョルダンの指揮する交響曲であった。結論から申し上げれば、これもまた大変流れがよく美しい演奏であったことは間違いない。ただ惜しむらくは、音が常に軽めであって、最後の大団円 (ホルンのみ起立し、終結部では再度着席) までは、腹の底に響き渡る音はあまり聴かれなかった点、マーラーの演奏としてはもうひとつ迫力を欠いた感は否めない。特に先般、ネルソンスとボストン響という特上の音で聴いてから日が浅いこともあり、その点でも若干分が悪いということになってしまった。だが、前半のメンデルスゾーンの伴奏から続くこのコンサートに、私が過去にオペラで聴いた彼の指揮を思い合わせると、何かジョルダンの個性を理解できたような気がする。決して爆裂的ではなく、感情に強く訴える音楽ではないが、細部にまで目が行き届き、滑らかな流れを維持する美しい音楽。そういえば、この「巨人」でも随所で木管楽器などにキューを飛ばしてその部分を強調していた。このウィーン響は、長い伝統を持つ名オーケストラではあるが、同じ街に本拠地を置くウィーン・フィル (もちろん、歌劇場のオーケストラのメンバーからなる) とは違って、一音一音のしたたるような芳醇さという特色はあまりなく、より近代的で美麗な音を出す。その意味でジョルダンの感性には合っているように思う。だがその一方で、アンコールで演奏されたヨハン・シュトラウスの 2曲のポルカ、つまり「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と「雷鳴と電光」は、あえて言ってしまえば、もしウィーン・フィルだったらもっと面白いかなぁと夢想させるものだったと言うと、語弊があるだろうか。面白いのは、「雷鳴と電光」で、トランペットのひとりとピッコロのひとりは、譜面を閉じて演奏していた。彼らの街、ウィーンの音楽であるから、暗譜で充分演奏できるということだったのだろうか。

このコンビの演奏は、今後も期待を込めて聴いて行きたいものだが、昨年にはベートーヴェンの交響曲ツィクルスを演奏したらしく、録音も 2020年までにかけてリリースするという。現在出ているのは 1番・3番のみであるが、会場先行ということで、第 2弾の 4番・5番も収めた 2枚組を売っていたので購入した。これはプログラムに掲載されている宣伝。
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また、終演後にはサイン会が開かれ、活況を呈していた。私のもらったサインはこのように控えめなもので、彼の丁寧な音楽を思わせる。
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フィリップ・ジョルダン。これからの進化を見て行きたい指揮者である。

by yokohama7474 | 2017-12-02 03:03 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール

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これから私が語り始めるのは、フランスの名指揮者シルヴァン・カンブルランが、自ら常任指揮者を務める読売日本交響楽団 (通称「読響」) を指揮して行った、オリヴィエ・メシアン (1908 - 1992) の超大作オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」の全曲日本初演についてである。最初に言ってしまうと、ここで読響は間違いなく楽団史上屈指の大イヴェントを成功させたばかりか、日本のオーケストラ史上に残る大きな業績を打ち立てたのである。しかもそれが、名だたる世界の名オーケストラがひっきりなしにやってくる時期の東京でとなると、やはりその意義には最大限の敬意を表する必要がある。東京の音楽文化のレヴェルを、我々自身が再認識する素晴らしいきっかけとなった演奏会であった。

今回の演奏会は、サントリーホールで 11/19 (日) と、その一週間後の 11/26 (日) の 2回、そして、このプロジェクトを共同企画したびわ湖ホールで 11/23 (木・祝) にと、合計 3回開かれた。私が聴いたのはその最後のものであったが、通常の公演よりも高い価格設定であったにもかかわらず、東京公演は 2つとも完売で、このような珍しい曲目に対する東京の聴衆の好奇心がそれだけからも伺いしれて、実に興味深い。この日の演奏は、14時に開始して、35分の休憩を 2回挟んで、終了は 19時40分。実に 5時間半を超える大スペクタクルであった。ではまず、この曲について簡単に触れ、私自身の思い入れ (以前も書いたことがあり、繰り返しで恐縮なるも) についても少し語らせて頂く。これが 11/19 のサントリーホールでの演奏風景。
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メシアンはもちろん、フランス 20世紀を代表する真に偉大な作曲家であり、敬虔なカトリシズムに依拠し、しばしば鳥たちの声を題材として、神秘的な曲の数々を書いた人。このオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」は、12世紀から 13世紀にかけてイタリアのアッシジで活躍し、鳥の声を解したという聖人で、キリストと同じ箇所に傷 (聖痕 = スティグマ) を受けたという伝説のある聖フランチェスコを主人公とした、メシアン唯一のオペラである。1983年11月にパリ・オペラ座で世界初演されたのであるが、その時に指揮を取ったのが、ほかならぬ小澤征爾であった。当時そのことはかなりのニュースになって、この正味 4時間半を超える超大作を小澤が全曲暗譜で指揮したとか、そもそもメシアンは作曲の過程で小澤の音を常に念頭に置いていたとか、あるいは、宗教的な題材を扱うならなぜキリスト本人についての作品を書かないのかと質問を受けたメシアンが、「それは恐れ多い」と答えたとか、様々な情報があった。実は、その世界初演において小澤が指揮をする様子を映した鬼気迫る動画が、我が家のアーカイブのどこかにあるはずなので探してみたが、残念ながら見つけることができなかった。だがこの作品の世界初演は、明らかに偉大なる音楽史の 1ページであり、小澤という音楽家の記した歴史的な足取りであることは間違いない。その時のライヴ録音は、今や入手困難になっているようなので、ここで私が所有するセットの写真を掲載しておく。4枚組 CD が、写真下部にある灰色の紙ケースに入っている。
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その小澤はまた 1986年 3月に新日本フィルを指揮して、目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、この作品の一部 (全曲 8景のうち 3景) をオラトリオとして日本初演している。実はこのコンサート、私のこれまでのコンサート歴において未だに 5指に入る、まさに鳥肌ものの超名演であり、正直なところ、私が今でもクラシックコンサートに足繁く通うのは、この日の演奏会で音楽の素晴らしさを実感したから、と言っても過言ではないくらい、私にとっては重要な出来事であったのだ。カーテンコール時に、真っ赤に紅潮した作曲者メシアンが、ステージで小澤を抱擁しているところを、若い私も紅潮しながら呆然と見ていたことを、鮮明に覚えている。そのときの新聞記事から、メシアン、彼の夫人であるイヴォンヌ・ロリオ、そして小澤の写真。当日のプログラムと、サイン会もなかったのに、興奮した私が会場でメシアンにボールペンを渡してプログラムに無理矢理書いてもらったサイン。
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実は私は幸運にも、このとき以外にも 2回、この作品の実演に触れる機会があった。ひとつは 1999年11月マドリッドにて、アントニ・ヴィト指揮スペイン国立管弦楽団による抜粋版の演奏。もうひとつは 2008年 9月ロンドンのプロムスにて、インゴ・メッツマッハー指揮のハーグ・フィルで、このときは演奏会形式ながら全曲の演奏であった。そして今回も、演奏会形式ではあるがこの超大作が、カンブルランと読響によって全曲日本初演されるという歴史的な場に立ち会うことができたのである。今回のプログラムに、この演奏会に寄せる小澤征爾のコメントが載っていて、それは、「自分が敬愛する作曲家メシアン先生が唯一作曲したオペラの指揮を私に任せてくれたことを今でも懐かしく思い出します。今回、日本で全曲が演奏されると聞いて、とても嬉しいです」というシンプルなものだが、小澤らしくてよいではないか。

さて、今回はいつも以上に前置きが長いが (笑)、それはこの演奏会の意義を再確認しておきたかったからである。読響の常任指揮者を務めるカンブルランは、現代音楽も得意にしていて、このメシアンも、既にトゥーランガリラ交響曲や「彼方の閃光」などの大作を読響で指揮している。そして彼は、1992年にパリ・オペラ座で再演されて以来何度もこの作品を手掛けており、世界で最も多くこの作品を指揮した実績のある人なのである。
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そのことは、彼の指揮ぶりを見ていてよく分かった。この作品、上述の通りワーグナーの大作並の演奏時間を持つのであるが、実は内容は決してとっつきにくくもしんねりむっつりもしておらず、ワーグナーほどの重量感や冗長感もない。何度も何度も出て来る主人公聖フランチェスコのテーマや、炸裂しては沈黙するオーケストラ、百花繚乱の鳥の声、そして、ひたすら木琴類 (シロフォン、シロリンバ、マリンバ) が複雑なリズムで鳴りまくる箇所が、不思議な陶酔感を醸し出すのであるが、カンブルランは木琴類だけが鳴り渡る数分間でも、休むことなく強い集中力をもって指揮棒で空間を切り裂くという正確な指揮を続け、それはそれは圧巻である。よい意味での職人性を持つ彼の指揮は、過たず作品の本質を突き、ただひたすら核心に向かってひた進む。この作品で 3台も使われている電子楽器オンドマルトノは、ステージ奥のオルガン横、そして左右、ホールの真ん中あたりに位置しており、何度も何度も奇妙な音響を立ち昇らせるが、あたかもそれが何かの典礼のようにも聞こえてくる。そしてもちろん、大団円での想像を絶する大音響では、まるで音の勢いが爆風さながらにホール全体を揺らすような圧力を持ち、キリスト教徒ではない我々の前にも、あたかも神が顕現したかのようなヴィジョンを見せてくれた。まるで 4時間半が一連の壁画であるような演奏であったと言ってもよい。この作品は 3幕、8景でできていて、その内容は以下の通り。
 第 1幕
  第 1景 : 十字架
  第 2景 : 賛歌
  第 3景 : 重い皮膚病患者への接吻
 第 2幕
  第 4景 : 旅する天使
  第 5景 : 音楽を奏でる天使
  第 6景 : 鳥たちへの説教
 第 3幕
  第 7景 : 聖痕
  第 8景 : 死と再生

それぞれの場においては、聖フランチェスコの独白や弟子たちとの対話、また、重い皮膚病患者の接吻による治癒という奇跡や、旅人を装って弟子たちと会話する天使、そして、聖フランチェスコが聖痕を受ける場面と、最後に天に召される場面などが出てくる。つまり、物語として一貫性のあるものではなく、それぞれのシーンにおける神秘性や法悦性が曲の重点なのであり、オペラと言いながらも、序曲もなければ重唱やアリアもない。それゆえ、下手をすれば単調になる恐れのある作品だが、ひたすら強い集中力によって統率するカンブルランに、その手兵である読響が充分すぎるくらいの反応を示すことで、大変説得力のある演奏になったことを、とにかく喜びたい。それから、新国立劇場合唱団とびわ湖ホール声楽アンサンブルによる合唱も、過酷な長丁場の要所要所を素晴らしい内容でこなしており、最大限の敬意を表したい。歌手陣では、主役の聖フランチェスコを歌ったヴァンサン・ル・テクシエ (バリトン) は安定した出来であったし、天使役のエメーケ・バラート (ソプラノ) は、高音部の力強さがあればもっとよかったが、非常に美しい歌唱。それから、重い皮膚病を患う人を歌ったペーター・ブロンダー (テノール) は、その表現から「指環」のミーメを思わせたが、実際にバレンボイムの指揮でその役を歌った実績があるという。さらに、少ない出番ながら、兄弟エリアを歌ったジャン=ノエル・ブリアン (テノール) は張りのある美声で印象的だったし、兄弟ベルナルド役の妻屋秀和 (バス) も、日本を代表するバス歌手として貫禄充分であった。これはリハーサル風景。
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このような曲が演奏される 2回のコンサートが完売になる東京は、やはり本当に文化的な街である。我々は、今回の演奏の成功に惜しみない拍手を送るとともに、それを享受できる東京の文化的状況を誇りに思いたい。だが、最後にひとつだけ、気になることを書いてみよう。それは、聴衆の年齢層である。そもそも東京は、欧米のほかの大都市に比べて、クラシックのコンサートにやってくる聴衆の年齢層が若いという評価であったはずだ。それが今回、かなり年齢層が高いことに気がついた (私などは、もしかしたら平均年齢以下かもしれないと思われるほど・・・ちょっと誇張かな 笑)。これは若干奇異ではないか。しばらく前までなら、このような伝統的でない曲目のコンサートには、ちょっとユニークな服装をした若者も、少しは姿を見せていたように思う。全身黒づくめで血圧の低そうな女性とか、「オレのロック魂がメシアンの鳥たちと鳴きかわすぜ」とうそぶくロッカーとかが、本来会場にいるべきではなかったか。これからますます高齢化社会となり、コンサート会場で若者の姿を見ることが減って行くことになるのだろうか。それはクラシック音楽の将来にとっては、あまりよくないことだと思うのである。だからといって私に今すぐ何ができるわけでもないが、今回のような特別な曲の特別な演奏は、別に黒づくめやロッカーでなくてもよい、普通の若者にもっと聴いて欲しかった。31年前の私も、そんな若者であったわけで、若き日の感動が一生残るという意味では、それはかけがえのない経験であるはずなのだ。この記事を読まれる若い方々 (どのくらいおられるのか正直全く分からないが) には、是非この言葉を参考にして頂きたいものだと考えております。

by yokohama7474 | 2017-11-27 23:04 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

秋山和慶指揮 東京交響楽団 (ヴァイオリン : 佐藤玲果) 2017年11月25日 東京オペラシティコンサートホール

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このところしばらくは、贅沢この上ない世界最高クラスのオーケストラをとっかえひっかえ聴いてきたわけであるが、さて、それだけで本当によいのであろうか。もちろん、世界のトップオケの演奏には必ず何か発見があるもの。だがしかし、21世紀の東京に暮らす身としては、やはり「おらが街の」オーケストラもじっくり聴いてみたい。それこそが、東京が世界に発信できるはずの価値あるものであるべきだからだ。ただ問題は、この東京における「おらが街の」オーケストラは、フル編成のものだけで実に 9団体も存在するのだ!! これは間違いなく世界一であろうし、しかもそれぞれが独自の指揮者陣によって高度な活動を展開しているわけであるから、東京でおらが街のオケをフォローするだけでも、それはなかなかに大変なことなのである。だが、このコンサートなどはさしずめ、私のような人間にとっては必聴のものだ。なぜなら、私の敬愛する、今年 76歳になる巨匠、秋山和慶が、長年天塩にかけた東京交響楽団 (通称「東響」) を指揮して、何やら面白いプログラムを演奏するというのだ。どのくらい面白いかというと、このくらい面白いのだ。
 ロッシーニ : 歌劇「ウィリアム・テル」序曲
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : 佐藤玲果)
 オッフェンバック : 喜歌劇「天国と地獄」序曲
 サティ (ケネディ編) : スポーツと気晴らし
 マルティヌー : ハーフ・タイム
 オネゲル : 交響的運動第 2番「ラグビー」

どうです、面白いでしょう? 上のチラシにある通り、このコンサートのテーマは「スポーツと音楽」。つまり、運動会で使われる曲や、スポーツそのものをテーマにした曲を集めてあるのである。私なりにもう少し分析を加えると、前半と後半、それぞれの冒頭に、「ウィリアム・テル」序曲と「天国と地獄」序曲を配したのは、この 2曲の作りが似ているからである。そして、前半では 20世紀初頭に書かれたシベリウスのコンチェルト (終楽章がまるで運動会のような曲)、後半ではやはり 20世紀初頭、1910 - 20年代のパリに因む曲なのである。大変に考え抜かれたプログラムであり、さすが名伯楽秋山の面目躍如たるものがある。
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いや実際、この演奏会の楽しかったことと言ったら!! 「ウィリアム・テル」序曲とか「天国と地獄」序曲といった曲は、あれこれ出て来るソロが巧くなくてはならず、そして何より、オケのメンバーが真面目に、かつ楽しく演奏しないといけない。今回はまさにそのような、真面目かつ楽しい演奏であったのだが、オケにおける最大の功労者はこの人だろう。
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2013年からこの東響のコンサートマスターを務める、水谷晃。1986年生まれというから、今年 31歳。実は既に 2010年に、群馬交響楽団に国内最年少のコンマスとして入団している。東響には長らく大谷康子という素晴らしいコンマスがいたが、彼女が退団しても、このように素晴らしいコンマスが後を継ぐのだから、東京のオケは侮れない。今回のコンサートにおいて水谷は、終始笑顔を絶やさずにオケをリードし、「天国と地獄」における自身のソロも完璧な出来。実に心強い。もともと日本人は顔の表情があまり豊かでない人が多いが、この水谷の演奏から、これから日本人に必要な資質を学びたいと思う。それから、このオケのオーボエのレヴェルは、以前音楽監督ジョナサン・ノットの指揮する「コジ・ファン・トゥッテ」の演奏会の記事でも書いたが、それはそれは素晴らしいもの。2人の若い女性首席奏者がいて、その名は荒絵理子と荒木奏美 (今回のトップは後者)。アラアラコンビだが、全くアラアラと思うほど、その演奏は素晴らしい。今後東響の演奏を聴く機会のある方は、是非オーボエに注目して頂きたい。
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そこに加わったのが、秋山の絶賛を得てソリストとして登場した、ヴァイオリンの佐藤玲果。1999年生まれで、現在東京藝術大学音楽学部附属音楽高校の 3年生。
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ステージマナーも初々しい佐藤は、シベリウス初期の傑作であるヴァイオリン協奏曲を弾いたのだが、やはり、フレッシュな音楽家の演奏はいいものだと思わせる内容であった。技術的には申し分なく、伸び伸びと弾いているところに好感が持てた。もちろんこの曲にも陰影があり、その表現は、佐藤が今後経験を積むにつれ、さらに深いものになって行くだろう。

そして、このコンサートの醍醐味は、なんと言っても最後の 3曲。いずれもスポーツに関係する曲だ。サティの「スポーツと気晴らし」はもともとピアノ曲で、この作曲家のファンである私は、高橋アキの録音でそれなりに聴いてきたが、ここではトーマス・ケネディ (1953 - 2007) の編曲による、全 21曲から 14曲を抜粋して曲順を入れ替えたヴァージョンでの演奏。14曲もありながら、演奏時間はわずか 10分ほど。いかにもサティらしい、皮肉でとぼけた味わいの曲で、まあそもそもサティとスポーツほど遠いイメージもないように思うが、この曲の中では、男性打楽器奏者が細長い木の棒をゴルフのクラブ代わりにしてスウィングし、その後膝の上で真っ二つにするというパフォーマンスもあり、生演奏ならではの面白みがあった。次のマルティヌーの曲は、名前はそれなりに知られているが、実際に演奏されることはかなり稀な作品。マルティヌーはもちろんチェコの作曲家であるが、1920年代にパリで学び、洒脱なモダニズムを身に着けた。この「ハーフ・タイム」はまさにその頃、1924年の作。彼はサッカー・ファンであり、ハーフ・タイム中の観客の喧騒や、サッカー選手の身のこなしを音楽にしたという。冒頭からいきなり、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を思わせるような、色彩が明滅する面白い曲。これもわずか 10分弱の短い曲であるが、秋山と東響の演奏は、その持ち味を充分に出したもので、マルティヌーという作曲家をもっと知りたいと思ったことであった。そして最後はオネゲルの「ラグビー」である。これは交響的運動第 2番 (という訳が正しいのか否かよく分からない。なぜなら英語の "Movement" は、日本語では「運動」であると同時に、音楽における「楽章」でもあるからだ) と題されている。では、その交響的運動第 1番は何かというと、有名な「パシフィック 231」。疾走する機関車を描写しながら、実はバッハのコラール前奏曲へのオマージュでもあるこの作品に比べて、この「ラグビー」の知名度は若干低い。録音もあまり多くなく、私はジャン・マルティノンの録音でしか聴いたことがない。また、チューリヒ・トーンハレ管が、当時の音楽監督であった若杉弘と来日した際に聴いた記憶があって、調べてみるとそれは 1990年のこと。気がつけば随分前のことだが、多分生演奏でこの曲を聴くのはそれ以来だろう。ここでも秋山と東響の演奏は切れもあり愉悦感もありで、素晴らしい。曲自体も、ラグビーの運動性を描写していて派手であるが、よく見ると打楽器が全く使われていない。これは意外であった。ラグビーのイメージ写真を掲載しよう。
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そして、どうやらアンコールがありそうだったので期待して見ていると、打楽器奏者がゾロゾロ入ってきて、始まったのは、あの有名なカバレフスキーの「道化師」から「ギャロップ」だ。誰でも聴いたことのある賑やかな曲で、コンサートの締めくくりを大いに盛り上げた。改めてこの秋山という指揮者の活動の多様性を思う。やはり、東京の文化を実感するには、来日オケを聴いているばかりではなく、このようなおらが街のオケの意欲的な試みを体験する必要があるだろう。会場では、今回の曲目とは全く異なる曲、ベートーヴェンの第九の新譜 CD を売っていたので購入した。昨年の年末のライヴ録音である (私もその演奏を生で聴いた)。このコンビの第九の録音は以前もあったと思うが、また新たに期すところがあるのだろう。今後もこのコンビは極力聴いて行くことにしたい。
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by yokohama7474 | 2017-11-27 00:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル (ピアノ : ユジャ・ワン) 2017年11月24日 サントリーホール

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サイモン・ラトル & ベルリン・フィル、最終章。いよいよ東京での演奏会である。11/24 (金)、25 (土) の 2回、サントリーホールで開催されるこのコンビのコンサートは、今年の数々の一流オケの来日の中でも、最もチケット争奪戦の激しかったもの。会場前には、「チケット求む」の紙を持って佇む人の姿が、どうだろう、6 - 7人はいただろうか。ただ、その方法ではなかなかチケットをゲットするのは難しかろう。その一方で会場には、「招待券受付」という窓口があって、スポンサーである TDK の関係者や得意先の方々は、そちらを利用したのであろう。もちろん、オーケストラコンサートにとって、スポンサーは不可欠な存在で、そのスポンサーが招待券を配布することには全く問題がない。だが、一方で純粋に音楽を聴きたくてもチケットが手に入らない人と、必ずしも音楽に興味がなくとも招待されたから会場に赴くという人とがいるだろうことは、なんとも皮肉なことではある。かく言う私も、なんとか最安席を 2次マーケットで (もちろん定価で買えるわけはない) 入手した口なので、純粋にこのコンサートを聴きたかった人たちの気持ちはよく分かる。いや、正確には今回、当日券をゲットできるかもしれないチャンスがあったのだ。その経緯は以下の通りだ。前回の記事で書いた通り、もともとこのコンサートのソリストとして予定されていたピアニスト、ラン・ランは来日中止となり、その代役としてユジャ・ワンが登場することとなった。そこで主催者は、ラン・ランのキャンセルによるチケットの払い戻しを認め、そこで返されたチケットを、当日希望者に抽選で販売するという策に出たのである。これはかなり良心的なことではあると思うのだが、ラン・ランなら聴きたいがユジャ・ワンには興味がないからチケットを払い戻すという判断をした人がどのくらいいたのか、大変興味があるのである。それにしても、この左手首が腱鞘炎とは・・・。やはりラン・ランも人間だったのである (笑)。
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この日の曲目は以下の通り。
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「ドン・ファン」作品20
 バルトーク : ピアノ協奏曲第 2番 (ピアノ : ユジャ・ワン)
 ブラームス : 交響曲第 4番ホ短調作品98

なるほど、前日は真ん中に現代曲を置いたロシア音楽プロ、今回は真ん中に協奏曲を置いたドイツ音楽プロである。さて、それが関係しているのか、コンサートが始まる前に舞台を見渡して気づいたことには、前日の川崎でのコンサートはそうではなかったのに、今回は、ヴァイオリンが左右対抗配置になっているのである!! つまり、前日は指揮者の左手から右回りに、第 1ヴァイオリン、第 2ヴァイオリン、チェロ、そして指揮者の右側がヴィオラ、その奥がコントラバスであったのに対し、今回は第 2ヴァイオリンとヴィオラの位置が入れ替わっていたのである。うーん、今回の曲目で、ブラームス 4番の第 1楽章あたりにはヴァイオリンが交互に歌う箇所もあるから対抗配置が効果的ともいえ、またバルトークのコンチェルトの第 1楽章では弦楽器が完全に沈黙するので、対抗配置であろうとなかろうと関係ない部分もあるので、前日と違う配置でも問題ないという判断だろうか。そう思って彼らの演奏風景の写真を見てみると、ヴァイオリンが対抗配置になっているものも、そうでないものもある。また、ヴィオラとチェロの位置が逆のときもある。やはり、ホールの特性やメインの曲目によって、配置を替えているということだろうか。
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ともあれ、音楽を聴いてみよう。最初の「ドン・ファン」はもちろん天下の名曲で、このような高性能のオケによるコンサートのオープニングには最適なのであるが、プログラムに掲載されているラトルのインタビューによると、この曲は自分がベルリン・フィルの首席に着任した頃に採り上げ、今回は久しぶりだが、カラヤン (この曲を得意とした) の死後、あまりこのオケで演奏されていなかったという。なるほど。だがやはりベルリン・フィルほどこの曲を演奏するのに相応しいオケもちょっとないだろう。いきなり突風のように吹き抜ける弦楽器はまさに一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルだし、オーボエのソロ (今日はマイヤーではなかったが) も実に繊細。ラトルの指揮はいつもの通り、グイグイ進めるところと抒情的に歌うところを微妙に (決して強引にではなく) 色分けして、曲の持ち味を最大限に引き出すもの。ほんのわずか、ホルンに不揃いの箇所があったようにも聞こえたが、それを除けば、まずは完璧の出来である。

そして 2曲目にユジャ・ワン登場だ。この驚異のピアニストについてはこのブログでは以前散々書いているので、詳細は省くが、次にその演奏を日本で聴けるのは来年 3月のニューヨーク・フィルの来日まで待つ必要あると思っていた私のような人間にとっては、もちろんラン・ランも聴きたかったが、その代役をユジャ・ワンが務めるという事態に、まさに快哉を叫びたくなる。彼女のベルリン・フィル・デビューは 2015年 5月。パーヴォ・ヤルヴィの指揮でプロコフィエフの 2番のコンチェルトを弾いた。今回は野性味の強いバルトークのコンチェルトであるだけに、期待が高まる。これは、楽団のサイトから拝借した、日本公演に先立つ中国ツアーにおける武漢でのリハーサルと本番の模様。あっ、この衣装は今回のものと同じものではないか。
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今回のバルトーク、私の席からは残念なことにピアノの音が聴こえにくく、全体としてちょっとオケの音量が大きかったような気がする。だが、ユジャ・ワンの超絶的な腕の動きを見ていると、ピアノを打楽器として使っているようなこの曲の本質が見えてくるような気がした。前述の通り、第 1楽章は弦楽器は一切登場せず、オケは打楽器と管楽器だけなのであるが、第 2楽章に入ると、遠い夕焼けに溶けて行く景色のような微妙な色合いが、弦楽合奏によって示される。美しい瞬間だが、まるでアイヴズの「宵闇のセントラルパーク」の冒頭のような浮遊感や神秘性があり、ベルリン・フィルの弦の音は実に素晴らしい。この楽章では今度は金管楽器が登場しない。第 3楽章は慌ただしく変転する音楽で、ここでは様々な楽器が鳴り響く。そんな多彩な音楽的情景の中を泳いで行くユジャのピアノは、もちろん技術的に完璧であるだけでなく、確固たる自信を感じさせるもの。ただ惜しむらくは、打鍵の強さがもっとあれば、私のような安い席の聴衆にまで、その強い音楽が届いたのに、と思う。そして、演奏終了後はラトルとともに何度か舞台に登場したが、ラトルが舞台奥のハープ奏者の席 (ここが空いていたのは、「ドン・ファン」ではハープは使われたが、バルトークでは使われなかったからだ) に座って舞台上の一聴衆となり、アンコールとしてラフマニノフのヴォカリーズが演奏された。冒頭はちょっとコントロールしすぎで流れが悪いように思ったが、その後は抒情性をよく表現していた。そして 2曲目は、指揮者とコンサートマスター (今日も樫本大進) の方に、「まだ時間大丈夫かしら」という物問いたげな視線を向け、「まっ、やっちゃいますか」とばかり弾き出したのは、昨年のリサイタルのアンコールでも弾いた、プロコフィエフの 7番のソナタの終楽章。これはいつもと変わらぬ完璧な演奏で、ラトルもしきりに拍手をしていた。

そしてメインのブラームス 4番は、言うまでもなく天下の名曲。この晩秋の雰囲気に相応しい、人間の孤独と暗い情熱を感じさせる曲である。ここでもラトルとベルリン・フィルは素晴らしい演奏を展開した。いつもの通り、弦楽器はからだ全体で分厚い音を出し、木管はクリア、金管は輝かしい。冒頭のため息のような音型はなかなかに情感豊かに演奏され、全曲の至るところで纏綿たる情緒が歌われた。だがそこはラトルで、決して重くなりすぎることはなく、なんというか、あまり凹凸のない平らな地面をグイグイ力強く進んで行って、気がつくと地面は摩擦で熱を帯びているという印象。これはなかなか言葉にしにくいのだが、私がいつも感じるラトルの音楽の特性だ。つまり、極端な緩急はつけず、また、鳴っている音たちの広がりや、その深さ高さというよりも、むしろ強固な平面としてのつながりを思わせる音作り、という印象なのである。このスタイルは、いかなる音楽にも対処できるので、ラトルの音楽が情緒的すぎたり、無味乾燥であることはまずない。それはもちろん見事な演奏なのである。だが、前日のラフマニノフの演奏について少し書いた通り、時にそれは、鳴っている音の圧力は感じても、心底感動する音楽にならない、ということはないだろうか。世界最高の指揮者と世界最高のオケのコンビをこんな風に書くと、気分を害される方もおられると思うが、1985年のフィルハーモニアとの初来日に始まり、バーミンガム市響、ウィーン・フィル、そしてベルリン・フィルとの組み合わせを日本で聴き、ロンドンでも、オペラや、古楽オケとの共演を聴いたこともあるこのラトルという指揮者の過去の印象から、どうも私にはその印象が抜けないのだ。過去の演奏でとりわけ心に残っているのは、東京オペラシティで聴いたバーミンガムとのマーラー 7番で、それは、大変熱心に練習をするオケを、波に乗る若手指揮者が強力に統率したという演奏だった。その時に持つこととなった、平面が摩擦でチリチリ燃え始め、ついにはそこで音楽が牙を剥くという印象は、今も変わらない。変わったのは、もとから世界一流のオケが相手であるということであり、ひたすら完璧を目指すことによって、逆に新たな境地が見えなくなるというジレンマが生じたことではないか。それを避けるため、あの手この手で曲目に工夫を凝らしてきたラトルであり、彼なりの進化は当然見て取れるものの、ベルリン・フィルとのコンビではもうこの先はないほどの境地に達してしまい、今後の展望が見えにくくなってしまったのではないか・・・。今回のブラームスを聴きながら、彼の過去の演奏も思い出し、少し複雑な気分を味わうこととなったのである。ただこれは、私の思い入れゆえの評価かもしれず、前日のラフマニノフ同様、今回のブラームスを名演と呼ぶことに、私は躊躇しない。その一方で、来年 9月にラトルが新たな手兵であるロンドン交響楽団を引き連れて来日する際、同じブラームス 4番を演奏するということが、私の中の大きな期待になっている。同じ曲を選んだことに何か意味があるのだろうか。自分の耳で確かめたい。...と書いた後に気づいたことには、それは間違いで、その演奏会、来年 9月29日(土) のメインは、ブラームス 4番ではなく、正しくはシベリウス 5番であること発見。演奏会の長さとしても、曲の座りとしてもその方が適当であろうから、最初の発表は、もしかすると誤りであったのかもしれない。大変失礼しました。

今回もラトルは日本語で、「ミナサン、ドウモアリガトウゴザイマス」と客席に呼び掛けたが、今回はそれ以上のコメントはなく、曲目紹介だけでアンコールが始まった。ドヴォルザークのスラヴ舞曲作品72-2。スローで抒情的な曲で、ブラームスの人間悲劇のあと、これは恰好のデザートとなった。この曲はちょうど、打楽器としてはティンパニ以外にはトライアングルしか使われておらず、ブラームス 4番のあとに演奏するにはちょうどよい編成であった。

東京公演はもう 1回、11/25 (土) にサントリーホールで開かれる。曲目は、既に川崎で聴いたものと同じなので、私は聴きに行かないが、ラトルとベルリン・フィルの最終章を、多くの聴衆が堪能することだろう。そして、オケ、指揮者それぞれの次のステップを期待しよう。たまたま上で、ラトルのバーミンガム時代のことに触れたので、青年指揮者ラトルへの多少のノスタルジーを持って、その頃に録音されたシベリウス 2番 (1984年) のジャケットを掲載して、この記事を終わりにしよう。
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by yokohama7474 | 2017-11-25 02:04 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル 2017年11月23日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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さて。以前、ロイヤル・コンセルトヘボウ管の記事で予告した、アレの到来である。アレとはもちろん、クラシックファンには説明の必要もない。だがこのブログは、そうでない方々にも読んで頂ける内容を目指している関係上、改めて申し上げよう。世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルの来日である。これはこの秋の一流オケの連続襲来の中でも、間違いなくクライマックスをなすもの (だが誤解なきよう、この後にも大注目の来日オケが複数公演を控えている)。チラシを見ると、「ラトル & ベルリン・フィル、最終章。」とある。「アウトレイジ」ではあるまいし、一体何が最終章なのか。もちろんそれは、英国リヴァプールに 1955年に生まれた今年 62歳になる名指揮者、サー・サイモン・ラトルが 2002年以来続けてきたベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督の地位を、来年 2018年で退任するためである。今回の日本での演奏会は、川崎で 1回、東京で 2回の計 3回。ほかのオケよりもさらに高いその値段にもかかわらず、チケットは発売と同時に完売。今年注目度 No.1 のコンサートであることは間違いない。そうそう、これは今回のコンサートとは関係ないのだが、やはり書いておかねばならないのは、11/24 (金) のサントリーホール公演では現在最高のピアニストのひとり、日本でも大人気のラン・ランがソリストとして登場する予定であったが、左腕の腱鞘炎が完治しないために来日を断念。その代役は・・・実は私は、数百年前のことにはいろいろ興味があるくせに、何事によらず最新情報には疎い人間で、今回のコンサート会場でプログラムを買うまで知らなかったのだが、11/1 の時点で既に発表されていた情報によると、その代役の名は・・・なんとユジャ・ワンなのである!! ラン・ランの代役でユジャ・ワンとは、たまたま二人とも中国人と言っても何の意味もなく、とにかくすごいことになった。これについてはまた次の記事で書くことになろう。
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まずはこの日の曲目から。
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
 陳銀淑 (チン・ウンスク) : ChorósChordón(日本初演)
 ラフマニノフ : 交響曲第 3番イ短調作品44

技術的にも音楽的にも、なんという難易度の高いプログラムだろう。オーケストラ音楽もこの時代になると、誰もが知るスタンダードな名曲ばかり繰り返し演奏していては刺激がない。ラトルが以前から展開してきた、クラシック音楽の新たな地平を切り拓く活動は、今でも変わらないし、今後も変わらないだろう。もちろん賛否両論であることは自身百も承知であろう。だがそれにしてもこのプログラム、私のような人間にとってはもう、よだれが出るほど興味深いものだ!!

今回は会場であるミューザ川崎 (ラトルのお気に入りのホールである) で、本番前の最終リハーサルに立ち会うことができたので、その様子をまず書こう。本番開始は 17時であったところ、リハーサルは 15時から約 1時間とのことであった。ホールの 2階 CB ブロックと 3階 Cブロックが開放され、自由席での見学となった。ラフな格好で思い思いに練習するメンバーであったが、この日の曲目であった「ペトルーシュカ」以外に、なぜか R・シュトラウスの作品の断片が聴こえてきた。サントリーホールでの公演曲目になっている「ドン・ファン」はまだ分かるとしても、家庭交響曲やホルン協奏曲第 1番など。あ、後者を吹いていたのはホルンです。やはりホルン奏者にとってはシュトラウスは、ちょっと吹きたくなるレパートリーなのだろうか (笑)。ラトルは 14時52分頃に登場。T-シャツ姿だと腹が堂々としていて、若い頃からこの指揮者を聴いてきた身としては、若干複雑な感情だ。彼は譜面台に乗っていた大きな木の板と、その上に置いてあったスコアを自らどけたのだが、もちろんそんな台を必要とする大きなスコアは、今日のチン・ウンスクの曲だろう。きっと午前中にもリハーサルがあって、その曲を練習したのだろう。楽員ほぼ全員が揃い、思い思いの音をさらっている中、14時58分にコンサートマスターの樫本大進が登場。その後 3人の女性スタッフが入れ代わりに恐らくは Housekeeping 事項を楽員に伝え(最初の挨拶は「メリークリスマス!」)、そしてリハーサルが始まった。結果的に、ラフマニノフ 3番を 40分、「ペトルーシュカ」を 10分練習して、15時50分頃の終了となったのだが、我々が座った場所はステージから遠いので、ラトルの指示はほとんど聞こえない。ただ、指示は英語で行っていて、練習番号のみドイツ語であったようだ。ラフマニノフは冒頭からだったが、最初にクラリネットとホルンが弱音で演奏したあとに弦楽器がダーッと入る箇所で、ヴァイオリン奏者たちはすり足をして、わざと床をざぁーっと鳴らし、そのドラマティックな音の雪崩れ込みをユーモラスに、また余裕をもって表現した。非常にまじめなイメージのベルリン・フィルであるが、リハーサルではこんな楽しげなこともあるのは面白い。その後ラトルはかなり頻繁にオケを停め、弦楽合奏の表情などに注文をつけていた。極めてロマンティックでハリウッド風の第 2主題を何度もやり直していたのが印象的であった。第 2楽章は主として中間部のマーチ風の部分、第 3楽章も途中から終結部までをさらった。そして、続く「ペトルーシュカ」は、ほんの数か所を確かめるように練習したのみで終了した (オーボエのアルブレヒト・マイヤーがラトルに対して英語で、ある部分のテンポについて質問していた)。それにしても、そこで響いてくる音は、我々のよく知っているベルリン・フィル・サウンドとしか言いようがなく、重みと輝きをもった、情報量の多いもの。リハーサルだけでも、既にしてかなりのごちそうだ。

そしてコンサート本体である。最近は有名オケのコンサートでも空席が目立つことは珍しくないが、そこはやはりベルリン・フィル。今回はぎっしり満席だ。そして、ラトルが譜面台も置かずに暗譜で指揮して始まった「ペトルーシュカ」。その立ち上がりは極めて安定していて、エマニュエル・パユのフルートが自在に歌う。このパユをはじめとして、今回の演奏での木管ソロは、かなり濃厚な表情づけをしていて、その音は決して重いとか流れが悪いというわけではないものの、もしかすると、もっと鋭い音響のストラヴィンスキーを好む人もいるかもしれないなと思ったが、だがいずれにせよ、この天下の難曲をこれほど易々とこなしていくスーパーオーケストラは、そうそうあるものではないだろう。音の輝き、推進力、各場面の描き方の明晰さ、それらはいずれも申し分なく、普通のオケならしばしば悲惨なことになる (笑) 何か所かの難所でのトランペットも、全く不安のない、実に見事なもの。本当に素晴らしい。

休憩後の最初に演奏されたチン・ウンスクの曲は、今月ベルリンで世界初演されたばかり。チンは 1961年生まれの韓国の女流作曲家で、ハンブルクにてジェルジ・リゲティに師事した。世界的な創作活動を行っており、私の場合は、以前放送を録画した (例によって視聴はできていないが・・・) ケント・ナガノの指揮によるオペラ「不思議の国のアリス」によって、その名は知識の中にあった。だが、作品を聴くのは今回が初めてだ。
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プログラムに掲載されたラトルのインタビューによると、これはベルリン・フィルが何人かの作曲家に委嘱している「タパス・シリーズ」のひとつ。このシリーズ名は、スペイン料理のタパスのような小品という意味らしい。現代音楽の普及のためには、これはなかなか面白い発想である。今回の作品の題名はギリシャ語で「弦の踊り」という意味で、演奏時間 10分ほど。題名通り、弦楽器が、より合わさった粗いひも (Strings) のようにウネウネと進む一方、木管や金管、それから打楽器もかなり刺激的な音響を作り出す。だが、決してしんねりむっつりした曲ではなく、難解さはあまりないどころか、美しい瞬間が何度も訪れる。打楽器奏者は紙をクシャクシャにすることまで求められるが、きっと演奏していて楽しいのではないだろうか。ラトル自身、「ペトルーシュカ」と共通性のある音響を持つと述べている通り、コンサートの流れとしては決して悪くない。

メインのラフマニノフであるが、これもまあ、なんともハイカロリーの美音が惜しげもなく流れる名演で、一言で要約すると圧倒的であった。繰り返しだが、これぞベルリン・フィルの音であり、そのアンサンブルは堅く深い。リハーサルを聴いていたせいか、各テーマの歌い方に強い集中力を感じ、決してすべての部分が上出来とは言えないこの作品を、聴衆を全く飽きさせることなく流して行くのを聴くだけでも、これは稀有な体験と言わねばならない。ラトルによると、今回のツアー (日本に来る前に、香港、中国、韓国を回ってきたようだ) や、それに先立つ本拠地での今シーズンでは、このオケがこれまであまり採り上げていない曲を中心に選曲したという。なるほど、ラフマニノフ 3番をこのオケがそれほど頻繁に演奏してきたことはない (ロリン・マゼールによる素晴らしい録音からかなり時間が経っているし)。それにもかかわらず、曲の隅から隅まで神経の行き届いた演奏を軽々とこなすオケの能力は驚異的だ。ただ、強いてネガティヴな点を探すとすると、これだけできれば、完璧すぎて演奏にスリルがないとも言える。もっと言うと、実は私がこれまでもこのコンビで時折感じてきたことだが、感嘆はするが、場合によってはそれほど感動しないという困った面があるようにも思う。もしかするとその点が、ラトルがベルリン・フィルを離れることを決意したひとつの理由ではないかとも思ってしまうのだが、いかがなものだろうか。

だが、私は今回のラフマニノフに「感動しなかった」と言う気は毛頭ない。これは実に素晴らしい演奏で、まさに傾聴に値するものであった。そんなことを考えていると、ラトルが早々に聴衆の拍手を遮り、「ミナサン、ドウモアリガトウゴザイマス」と日本語で挨拶。それから英語で、「素晴らしい聴衆、素晴らしいホール。(そのあと、私の席からはよく聞こえなかったが、"in the World" と言っていたので、その前に来るのは "The best" か "One of the best" しかないだろう) これは音楽を演奏せずにはいられません」と告げて演奏したアンコールはなんと、プッチーニの「マノン・レスコー」間奏曲である。ラトルのプッチーニとは珍しいが、これはすごかった。洗練された音質が、情念の世界にまで昇華していた。そうだ、ラトルはもともと優等生でもなんでもなく、時に牙をむくような音楽をする人。そのことを久しぶりに思い出したような気がした。もちろん、この驚異的に美しい曲を、ベルリン・フィルは過去に録音している。これはカラヤンの全アルバムの中でも屈指の名盤と言われているもの。EMI の再録音もよいが、私としてはこの DG 盤こそ、オーケストラ音楽の奇跡のひとつと思っている。そんなことも思い出させる素晴らしいアンコールであった。
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実は今回、ある CD セットを購入すれば、終演後にコンサートマスターの樫本大進と、ホルンの首席であるシュテファン・ドールのサインがもらえるほか、ポスターやポロシャツなど、様々な特典があるという表示があった。
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その対象とは、ベルリン・フィルの演奏になる新発売のセット (CD 4枚、ブルーレイ 2枚) で、ジョン・アダムズの作品集だ。私がこの作曲家のファンであることは以前も書いたし、アラン・ギルバート指揮東京都響による彼の近作「シェヘラザード 2」の日本初演もレポートした。ベルリン・フィルは昨シーズン、このアダムズをアーティスト・イン・レジデンス (いわば座付き作曲家) に迎えたので、このセットはそれを記念して、ベルリン・フィルが演奏したアダムズ作品を集めている。作曲者自身の指揮もあれば、もちろんラトル、それから上記のアラン・ギルバート、グスタヴォ・ドゥダメル、それから、このオケの次期首席指揮者キリル・ペトレンコとの初の録音も含まれている豪華版だ。
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内容に注目しながらも、お値段はちと高いので、未だ購入はしていなかったが、この際購入してサイン会に出ようと決意、そしてゲットしたのがこのサインである。
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ジョン・アダムズ・エディションの値段を書くと、家人から怒られてしまいそうなので、ここでは明らかにしませんが (笑)、ベルリン・フィルの今をより深く知るため、コンサートの補完として最適のセットであろうと確信しております。さて、明日 (もう日が替わって、正しくは今日だが) はもう 1回ラトルとベルリン・フィルを、しかもユジャ・ワンとの共演を聴くことができる。なんとも楽しみなことである。

by yokohama7474 | 2017-11-24 01:31 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (ヴァイオリン : フランク・ペーター・ツィンマーマン) 2017年11月20日 サントリーホール

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前日の川崎公演に続く、オランダの名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と、昨年からその新たな首席指揮者の任にあるイタリアの名指揮者ダニエレ・ガッティによるコンサートである。今回サントリーホールでは、上のチラシにあるように 2回のコンサートが開かれる。そのうち 11/21 (火) の曲目は、既にご紹介した 11/19 (日) の川崎での曲目と同じなのである。実は前回の記事に少し書いた通り、今回のコンセルトヘボウの来日公演の 2つのプログラムは、かなりシンプルなものになっているのだが、今回の曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61 (ヴァイオリン : フランク・ペーター・ツィンマーマン)
 ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68

名曲で真っ向勝負とも取れるし、ちょっと冒険心を欠くかなぁとも思われる。あるいは、未だ新しいコンビゆえに冒険を避けるという意図もあるのだろうかとも考えてしまう。だが、前日の川崎でのコンサートは、曲目のシンプルさなどどうでもよくなってしまうような、上質な演奏を聴かせてくれた。課題は集客である。前回の記事には書かなかったが、川崎公演は日曜日であるにもかかわらず、かなり空席が目立つ淋しい入りであった。そして今回、月曜日のサントリーホールはどうだったかというと、これが当日券の販売もない満席ぶり。まずはほっとしたのである。これがこのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の本拠地、その名もコンセルトヘボウ。英語でいう「コンサートホール」という、そのものズバリのシンプルなホールである。私の実感するところ、ヨーロッパ文化のひとつの頂点をなすと言ってもよい素晴らしいホール。
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さてこの演奏会でソロを務めたヴァイオリニストは、ドイツの中堅、フランク・ペーター・ツィンマーマン。私と同じ 1965年の生まれで、今年 52歳。1983年に若杉弘指揮のケルン放送響のソリストとして初来日してから既に 34年。常に世界の一線で活躍してきたヴァイオリニストであるが、いつまでも童顔というか、若々しさを保っている人である。
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同世代のドイツのヴァイオリニストでは、1歳下のクリスティアン・テツラフがいるが、以前このブログでもご紹介した通り、テツラフが寄らば斬るぞという雰囲気の禁欲的なイメージであるとすると、このツィンマーマンはもう少し親しみやすいキャラクターであり、超絶技巧を売り物にせず、飽くまでヒューマンな温かみを感じさせる人である。今回のベートーヴェンの演奏でも、そのことを再度認識することとなった。この曲はヴァイオリンソロの登場までが結構長いためか、あるいはモーツァルトのコンチェルトと同じく、書かれた時代の演奏スタイルを反映してか、ソリストがオケのヴァイオリンのパートを一緒に弾くことがある。今回はまさにそうで、ツィマーマンは冒頭からごく自然に、楽員たちとともに音楽に入って行った。このコンチェルトにおいては、このような冒頭の流れが重要で、コンチェルトとしては異例に長い作品だけに、冒頭に乗れないと、そのまま改善のきっかけを失う例もある。そのような場合、大抵は「妙に静かなベートーヴェン」になってしまうというのが私の経験則なのであるが、今回は最後までそのような妙な静かさは到来せず、相変わらず統一感のある絶妙の音色で一貫したコンセルトヘボウの美しい音を堪能することができた。さすがこのソリストとこのオケ (そういえば、前日ソロを弾いたチェロのタチアナ・ヴァシリエヴァも、今日はオケの一員として楽しそうに弾いていた)、そしてこの指揮者である。ガッティに関して言えば、冒頭のティンパニへの指示から、かなり丁寧な指揮ぶりで、音像の明確なイメージが常にある様子であった。時にファゴットやチェロの旋律がよく響くこともあり、この曲の持ち味を充分に引き出していたと思う。ツィンマーマンはアンコールとして、バッハの無伴奏ソナタ第 2番の終楽章を弾いた。運動性のある音楽だが、やはり彼のヴァイオリンは、ここでも温かい人間性を感じさせるものであった。

さて、メインは天下の名曲ブラームス 1番である。一言でいうと、これもまたこのコンビらしい、きめ細かくまた美しい音楽であったが、私としては最高の名演と評価するには若干の躊躇あり、という気がした。ここでガッティが目指したものは、やはりオケの音質の高さと、それを取りまとめて自らが作り出す流れであったと思う。このブログで何度も書いている通り、ブラームスの交響曲は、まず何よりも極めて洗練された質の高い音でないと成功しないのだが、その点では今回の演奏は、やはり素晴らしい出来ではある。だが一方で、飽くまで私の好みだが、作曲者が 20年間艱難辛苦を乗り越えて書いたこの曲においては、やはりどこかで、野蛮なまでの生命力が欲しいところ。その点には少し物足りないかなという気がしたのである。例えば弦楽器の編成であるが、前日のマーラーがコントラバス 7本、チェロ 10本であったのに対し、この日のブラームスは、コントラバス 6本にチェロ 8本。つまりブラームスはマーラーよりも早い時代という整理であって、ことさらにこの曲の重量感を強調する意図はなかったのだろう。それから、この曲は第 3楽章と第 4楽章が続けて演奏されることが多く、それによって、短い休息から一気にクライマックスに雪崩れ込むというイメージができるのだが、今回の演奏ではその箇所では明確に演奏を切り、その代わり、第 2楽章から第 3楽章に入る部分をつなげていた。これは珍しいが、第 2楽章の抒情を、第 3楽章の気軽な雰囲気で中和しようということか。それから、第 1楽章提示部の反復はなかった。これらを考え合わせると、やはりガッティの求めたものは、劇的な音楽よりも流れのよい音楽であったように思う。その点、どのパートも隅々まで美しさに満ちたオーケストラは、彼の目指す音楽を見事に音にしていたとは考えられる。音楽とは、様々な表現があるから面白く、どの演奏家も同じなら、わざわざ聴きに行く価値がない。今回の私の印象も、またこのコンビの今後の演奏を体験する中で、また変わって行く可能性もあるかもしれない。そして、今回もアンコールはなし。これはもしかすると、昔のカラヤンよろしく、ガッティのポリシーなのかもしれない。
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終演後、サイン会があるというので参加した。なんでも、高円宮 (宮様ご自身は既に亡くなっているので、今では久子妃殿下のことをこう呼ぶのだろうか。オランダ王室とは仲がよいらしい) が表敬訪問されているとのことで、少し時間がかかるとのスタッフの説明であったが、それほどひどく待たされることなく指揮者が登場した。プログラムにこのようにサインをもらい、今後のこのコンビの演奏への期待を高めたのである。
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さて、海外一流オーケストラ来襲シリーズが続いているが、次の音楽の記事は、いよいよアレである。私もアレが本当に楽しみだが、アレの記事をアップするまで、音楽好きの方も、是非、このブログの映画とか美術の記事をお楽しみ下さい。よろしくお願いします。

by yokohama7474 | 2017-11-21 00:59 | 音楽 (Live) | Comments(2)