カテゴリ:音楽 (Live)( 285 )

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先月、新宿文化センターでのヴェルディのレクイエムの演奏で、燃えるイタリア音楽を聴かせてくれた東京フィル (通称「東フィル」) とその首席指揮者、アンドレア・バッティストーニが今回取り組んだのは、ロシア音楽。以下のような、正統派のポピュラーな曲目である。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品 18 (ピアノ : 松田華音)
 チャイコフスキー : 交響曲第 6番ロ短調作品 74「悲愴」

以前読んだバッティストーニのインタビューで、ロシア音楽はイタリア音楽との共通点が多いという発言があった。なるほど、ヨーロッパの北と南で、気候や人々のメンタリティは全く異なるものの、ドイツ音楽を西洋音楽の中心とすると、それとは異なる持ち味で発展した音楽という点に、まず共通点の土壌があるだろう。もう少し具体的に言うと、弦楽器のアンサンブルが中心の伝統的なドイツ音楽に比して、ロシア音楽もイタリア音楽も、(そしてフランス音楽も) 木管楽器の個性が際立つケースが多いということは言えるだろう。まあもちろん、物事には例外が常に存在していて、決めつけはよくないのであるが、少なくともこれまで東フィルであまりドイツ音楽を指揮していないバッティストーニは、今後のスケジュールを見ても、ドイツ物は皆無である。1987年生まれ、今年 30歳になる指揮界の若手のホープは、今現在彼の能力を最もよく発揮できる音楽に渾身の力で取り組んでいるのだと思う。

さて、今回ラフマニノフのコンチェルトを弾いたのは、若い指揮者バッティストーニよりもさらに若い日本人ピアニスト。1996年生まれというから、現在未だ 20歳という若さの、松田華音 (かのん)。
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この若さであるからまだ学生なのであろうが、その経歴は実にユニーク。4歳でピアノを始め、2002年、6歳のときにモスクワに渡り、名門 (であるらしい) モスクワ市立グネーシン記念音楽学校ピアノ科に第一位で入学、そして 2014年に首席で卒業。同年、日本人初となるロシア政府特別奨学生としてモスクワ音楽院に入学。同年ドイツ・グラモフォンから CD デビュー。これまでにメジャーなコンクールの優勝歴はないようだが、既にして世界に認められる実力を持っていることになる。ネット検索すると、彼女自身や、また彼女の母の、ブログやインタビューなどが見つかるが、日本では天才少女は何かと注目の的になり、本質的な音楽以外の面で雑音が多くなってしまうので、幼時から海外に暮らしたことは大変に賢明であったと思う。このような子供の頃の写真から、未だそれほど変わっていない (?) ようにも見える。8歳のときから協奏曲を弾いているというから、恐れ入る。
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今回のラフマニノフ、実に堂々と自分の音楽を主張した演奏だったと思う。よく知られたようにこの曲の冒頭は静かなピアノ・ソロで始まるが、一音一音確かめるように始まった音楽は、オケの参加とともに大きく羽ばたき、大変にロマン性豊か。抒情性香る第 2楽章も透明なタッチで、情緒に流れすぎない、芯の強い音楽が聴かれた。第 3楽章は大きな盛り上がりを持つが、ここでも自在に鍵盤の上を舞っているかのような華麗さが大変に印象的。ガンガンと技巧的に弾くタイプではなく、音楽の美しさを充分に表現するタイプであると思った。バッティストーニの伴奏も実にメリハリの効いたもので、松田のピアノとともに、ラフマニノフ独特の抒情を、幅広く展開して行く美しい音楽として繰り出してみせた。全体的に感傷というよりも爽やかさを感じることのできる演奏で、好感を持つことができたのである。音楽家にとって、若いということはよいことか悪いことかは一概には言えず、その時その時で自らの感興に正直な音楽を奏でることによってのみ、その音楽が聴き手の心に届くのだと思う。その意味で、この日の演奏は若い音楽家たちの「今」を克明に刻印したものであったろう。松田のステージマナーは既にしっかりしたものであると思ったが、アンコールは演奏せず。このあたりも、聴衆に媚びることがなくてよかったのではないか。

さて後半の「悲愴」であるが、これも一言で感想をまとめると、今のバッティストーニの音楽をはっきりと打ち出した演奏であったと思う。極めてエネルギッシュで、時に唸り声をあげながらの指揮であったので、オケとしても必死にならざるを得ない。その時その時の音楽的情景を、渾身の力で描き出していた。イタリア的なよく歌う演奏という紋切型の表現は避けよう。ただひたすら音楽の推進力とうねりを求めた熱演であったと思う。但し、この指揮者であれば、もっともっと壮絶な演奏も可能ではないだろうか。オケの編成はスコア通りの 2管編成であったが、弦の規模はコントラバスが 8本ではなく 6本であり、この点は若干不思議な気もした。いずれにせよ、若い日の演奏と年を経てからの演奏では、また違った持ち味が出てくるであろうから、この日の演奏をしっかりと記憶しておいて、今後のバッティストーニの指揮の変化を追って行くこととしたい。それは実にワクワクする経験になるものと思う。ところでこの演奏で、音楽都市東京にあるまじき 2つのアクシデントが起こったので、ここに記録しておく。まず最初は、第 3楽章が轟音で終結したとき、客席からパラパラと拍手があったこと。聴衆が保守的でノリノリのニューヨークでの演奏会ではあるまいし (笑)、これはあまりよくない。と言いながらも、実は私はこの現象が結構好きなのである。それだけ聴衆が第 3楽章の音楽の勢いに圧倒されたことを示すからだ。チャイコフスキーの場合、この「悲愴」の第 3楽章だけでなく、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第 1番のそれぞれ第 1楽章の終わりで拍手が起こることがあり、実は結構それを楽しんでいるのである。だが、もうひとつのアクシデントは頂けない。終楽章、この世のものならぬ哀しみから諦観に移って行く際に、一度だけゴーンとドラが鳴り、この交響曲の神髄が聴かれるちょうどその時、相次いで 2ヶ所からアラームの音が聴こえたのである!! これは許しがたい愚行であり、実に情けないことだ。時報かと思って腕時計を見ると、16時45分。あれは一体何だったのだろうか。東京の聴衆として実に情けない。幸いなことに、演奏自体は集中力が途切れることなく最後まで続き、心臓の鼓動が止まるような終結部のあと、指揮者が徐々に腕を縮めて首をうなだれる間、完全な沈黙が支配した。

東京で聴くことのできる指揮者とオケの組み合わせの中でも、このコンビにはさらに強烈な音楽を期待したい。次は 5月、「春の祭典」の演奏を心待ちにしよう。
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by yokohama7474 | 2017-03-13 00:11 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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この日、3月11日はもちろん、東日本大震災からまる 6年後。このコンサートのチラシには、「あの日を思う。」とあって、当然ながらすべての日本人はあの日のことを忘れられるわけもなく生きているわけであるが、改めて 3・11がまた巡り来たことについては、大きな感慨を抱くのである。ただ、実はこの演奏会、もうひとつの演奏会とセットになっている。つまり、3/13 (月) に行われるエリアフ・インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のコンサートと合わせて、「すみだ平和祈念コンサート 2017 - すみだ×ベルリン」と題されているのである。いずれもマーラーの交響曲、今回が第 6番、インバル指揮の方では第 5番が演奏されるのであるが、実はこれらのコンサートは、東日本大震災だけではなく、もうひとつの「あの日」、つまり 1945年 3月10日の、いわゆる東京大空襲をも偲ぶものなのである。その空襲では下町一帯が火の海と化し、今回の会場、すみだトリフォニーホールのある錦糸町界隈でも多くの犠牲者が出たということだ。このふたつの惨事は、ひとつは未曾有の天災、もうひとつは戦争という人災であって、その種類は異なるものの、多くの人の命が奪われたという点では共通しており、今生きている我々としては、人間の命のはかなさと、それゆえに生きている時間の尊さを実感する機会になるという点でも、それらの惨事を思い出すことには大きな意義がある。また、これらはすみだトリフォニーホール開館 20周年のイヴェントの一環でもある。小澤征爾指揮新日本フィルによるマーラー 3番でこのホールがオープンしたことをつい最近のことのように覚えているが、もう 20年になるのか・・・。まさに光陰矢の如し。せっかくなのでその時のプログラムの表紙と、機関誌「トリフォニー」創刊号に掲載された小澤のインタビューの写真を掲げておこう。
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さて今回、このホールを本拠地とする新日本フィルが、現在の音楽監督、上岡敏之 (かみおか としゆき) とともに取り組んだのは、マーラーの交響曲第 6番イ短調「悲劇的」。震災を偲ぶにはあまりにも生々しいというか、最後が明るい勝利ではなく、まさに破局で終わる曲であるので、犠牲者の追悼には適当でないような気も正直するのであるが、指揮者上岡によると、「魂を慰めるコンサートであるより、今を生き、明日への希望を見出す人へのメッセージとしたい」とのこと。この曲の中で示された人間の内面の葛藤や、悲劇的な運命に抗う力、そして絶望の彼方に見えることもある希望の表出に主眼が置かれた選曲ということであろうか。
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このブログでも過去に何度かこのコンビの演奏を採り上げ、期待が大きいがゆえに時に今後の課題として留保したくなる点も、私なりに感じるところを正直に記して来た。今回の演奏も、大変素晴らしい部分と、もっとこのように鳴って欲しいと思う部分がないまぜになった内容であったと思う。まず、客席から舞台を見上げると、ステージ奥のオルガンに向かって左側の高いところに、カウベルと縦に吊るした何本かの銀色の鐘が目に入った。以前も横浜でのこのコンビの「ツァラトゥストラ」の演奏の際に、やはり吊るすタイプの鐘がオルガン横に陣取っていたことを書いたが (昨年 9月12日の記事ご参照)、ここでも舞台からわざわざ外れての演奏で、これらの楽器の音を際立たせるという意図であろうかと思われた (実際、演奏の度にスポットライトが当てられていた)。ちなみにカウベルとは読んで字のごとく、牛の首につける鈴のことで、大小様々のサイズがある。スイスに行くと本当に牛の首につけられているし、お土産の定番でもある。
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こんなものを楽器として交響曲に使った人は、もちろんマーラーが最初である。今思いつく限りでは、オーケストラでカウベルを使う曲としては、この曲以外には同じマーラーの 7番と、これはそのものズバリ、アルプスの情景を描いたリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」くらいである。マーラー 6番がウィーンで初演された 1907年に描かれたカリカチュアがこれである。この曲で使われた打楽器の多さを揶揄しており、異様な風体のマーラーが、「警笛ラッパを忘れた! これでもう 1曲、交響曲が書ける!!」と言っているというもの。この曲の音響の斬新さに対する当時の人たちの戸惑いを、ユーモラスに表現している。
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今回の演奏であるが、まさに「悲劇的な」冒頭、低弦がザッザッザッザッとリズムを刻むところは、テンポは若干遅めながら軽めの音で、多くの演奏で聴かれる、地獄への行進のような壮絶な絶望感は感じられなかった。今にして思えば、全曲に亘る上岡の設計は、この曲の異様なまでの禍々しさや強烈な威圧感を強調するのではなく、とにかく美麗な音でアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりすることで、様々な人間的な思いを描き出すということだったのであろうか。各楽器は大変丁寧にパートを演奏し、特に弦楽器はメリハリが効いていてよく鳴っている。その一方、課題も数々あり、例えば開始後ほどなくして聴かれるトランペットの叫びは、どんな名門オケでも、多くの演奏で大抵音が外れてしまうのであるが、残念ながら今回もしかり (だが、提示部の反復により同じ箇所が再度出て来たときには、なんとかクリアしていた)。もちろん、部分的なミスをあげつらうつもりはないが、概して今回の演奏での金管パートは、張り裂けるような強烈さを欠いていたと思うが、いかがであろうか。木管は、もともとこのオケは昔からレヴェルが高いのであるが、うーん、今回の演奏では緊密さや鮮烈さに、もう一歩の課題を残したか。この曲の第 2楽章と第 3楽章の順番は作曲者自身最後まで迷っていたらしいが、以前は第 2楽章がスケルツォ、第 3楽章がアンダンテという順番が通常であったところ、最近ではその逆がポピュラーになりつつあり、今回もそうであった。私は個人的には、スケルツォ - アンダンテの順番を絶対的に支持する派であるが、まあ、アンダンテ - スケルツォが作曲者の意向により近いのなら、やむないか。今回の演奏では、第 2楽章アンダンテの後半の盛り上がりでの弦楽器の深い情緒が大変に印象的。また、その場所ではカウベルがしきりに響くのであるが、オルガン横の高いところのものではなく、舞台上から聴こえた。サイズの小さいものであったのだろうか。マーラーの破天荒な発想で、平和な風景が歪んで行く悲劇性がよく描かれた箇所である。第 3楽章スケルツォでも、弦楽器の各パートの表現力に感嘆。ティンパニも上手い。そして終楽章、30分に及ぼうという阿鼻叫喚の音響地獄である。昔の日本のオケの演奏では、この楽章の途中で明らかにエネルギー切れを起こすことが多かったが、それを思うと今回は見事な推進力が保たれていた点、素晴らしい。だがその一方で、本当に胸が苦しくなるような瞬間には、あまりお目にかかれなかったきらいがある。つまり、オケの表現力が限界に達して「悲劇的」になることはなく (笑)、それゆえに、悶え苦しむ音楽の本当の怖さにはもう一歩迫り切れないようにも思ったと言ったら、語弊があるだろうか。全体を通して上岡の指揮は、上述の通り、かなりアクセルとブレーキの踏み替えが見られ、即興的に見えながらも音楽の核心に迫ろうという意欲が感じられるもの。その意味では、素晴らしい瞬間も多々あったものの、恐らくは指揮者とオケの関係がさらに練れてくれば、より一層息の合った演奏が期待されるものと思う。

アンコールが演奏されたのであるが、それは、マーラーの第 5交響曲の第 4楽章アダージェットである。この交響曲は、まさに大震災当日、2011年 3月11日に同じトリフォニーホールで、ダニエル・ハーディングのもと、この新日本フィルが演奏した曲。聴衆はたったの 100人ほどであったらしく、ハーディングはそのことを深く心に刻むことで、その後このオケや東京の音楽界との絆を強くしたものだ (NHK のドキュメンタリーにもなった)。ちなみに私はその日、アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルの演奏を聴きにサントリーホールに行く予定であったが、交通機関のマヒで果たせなかった。そちらもやはり、ごく少数の聴衆の前で演奏がされたようである。ともあれ今回のアンコールは、もちろんその日のことを思い出すための選曲であったのであろう。メインの 6番でも終始好調であった新日本フィルの弦が、焦らすように遅いテンポになったり、感情のままに早いテンポになったりする上岡の指揮によくついて行って、実に感動的な名演となった。

そんなわけで、今回もこのコンビへの期待と課題が交錯する思いで会場を後にしたが、以前より (それこそトリフォニーホールがオープンした 20年前より) はるかに向上したオケの表現力を、才能ある日本人指揮者がいかに面白く育てて行くかという点で、やはりこのコンビからは目が離せないと思う。今回の会場は満席ではなかったので、さらに宣伝が必要だろう。是非是非、次回を期待!!
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by yokohama7474 | 2017-03-12 01:24 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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相変わらずポピュラー名曲を中心としたレパートリーで活発な指揮活動を繰り広げる小林研一郎、通称コバケンが、名誉桂冠指揮者を務める日本フィル (通称「日フィル」) の定期公演に登場した。来月 77歳という年になると気づいて驚くが、その指揮ぶりは「炎のコバケン」の異名にふさわしく依然エネルギッシュなもので、そのストレートなメッセージは多くの人を魅了する。なので今回のコンサートも、完売御礼である。その曲目は以下の通り。
 チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第 1番変ロ長調作品 23 (ピアノ : 金子三勇士)
 チャイコフスキー : 交響曲「マンフレッド」作品 58

もちろんチャイコフスキーは小林のレパートリーの中核をなすものであり、前半のピアノ協奏曲第 1番の伴奏を手掛ける機会も多い。だが後半の「マンフレッド」は、日フィルでは実に 24年ぶりに採り上げる曲とのことだ。ただ、小林は既にロンドン・フィルやチェコ・フィルとこの曲を録音していて、本人としては自家薬籠中のレパートリーなのであろう。上に掲げたポスターでも、「コバケンの隠れた十八番」とある。同じチャイコフスキーの交響曲でも、後期 3大交響曲 (4・5・6番) とは一味違ったプログラムだ。

今回ピアノを弾いた金子三勇士 (みゆし) は、1989年生まれの若手ピアニスト。父は日本人、母はハンガリー人で、6歳で単身ハンガリーに渡ってピアノを学び始めたという。その後リスト音楽院で研鑽を積み、2006年に卒業して帰国、2010年にはデビュー・アルバムを発表している。私は以前彼の弾くリストのコンチェルトを聴いたことがあるが、力と美を兼ね備えた素晴らしい音楽を奏でるピアニストある。
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ハンガリーと言えば、周知の通り小林にとっても非常に縁の深い国である。1974年にブダペスト国際指揮者コンクールに優勝して以来、日本と並ぶ主たる活躍の場にしてきたと言っても過言ではなく、ハンガリー国立交響楽団の音楽監督を務めてかの地でも高い人気を持ち、民間人として最高位の勲章も授与されている。従ってこの指揮者とソリストは、ハンガリーつながりということになる。だがここではリストとかバルトークというハンガリーの作曲家の曲ではなく、天下の名曲、チャイコフスキーの協奏曲。このコンビでは既にレコーディングもある曲だ。演奏は期待に違わぬ優れたものであったが、そこにこの若いピアニストの個性が聴かれるのが嬉しい。例えば冒頭のオケの導入に続くピアノの入りでは、若手はともすれば力任せになりがちなところ、実にしなやかで情感豊か。鍵盤に指を叩きつけるのではなく、一音一音を丁寧に紡ぎ出す印象だ。日フィルは弦も管も好調で、オケが音楽を引っ張って行くように思われたが、音楽が進むにつれ、ピアノとオケの双方向の会話が聴かれ、実に気持ちがよい。もちろん音楽が熱を帯びる部分でのピアノの表現力にも不足はなく、終楽章のコーダに入る部分の雪崩のような箇所も、迫力充分。私が上で何の気なしに書いた「力と美を兼ね備えた」という表現が、このピアノにはふさわしい。そしてアンコールを自分で紹介するには、「僕が小学生のとき、小林マエストロに初めてお会いして、聴いて頂いた曲です」との説明で、リストの有名な「愛の夢」第 3番を弾いた。感情に耽溺するのではなく、少し抑制を効かせて知的に音楽をコントロールしながらも、響きには強靭なものがあったと思う。今後ますます楽しみなピアニストだ。

メインの「マンフレッド」交響曲であるが、これはバイロンの詩をもとにした標題音楽で、ベルリオーズの幻想交響曲になぞらえる人もいるが、同じベルリオーズなら、やはりバイロンの詩に基づく「イタリアのハロルド」に近いと言った方がよいかもしれない。だが、超有名曲である 4・5・6番に比べると、歴史的に見ても、あるいは最近の実演においても、その演奏頻度は格段に落ちる。歴史的には、この曲をレパートリーとした大指揮者としてトスカニーニが挙げられ (4番・5番はレパートリーから外していたにもかかわらず・・・)、それ以外にはオーマンディがいた。ほかに、チャイコフスキーの交響曲全集を録音した人ではハイティンクやマゼールがこの曲までカバーし、またロストロポーヴィチをはじめとするロシアの指揮者たちは当然採り上げているものの、やはり依然として多くの指揮者が好んで採り上げる人気の高い曲とは、とても言い難い。だが私はこの曲の劇的な第 1楽章が、ふるいつきたいくらい好きだし、第 4楽章の迫力も捨てがたい。とはいえ、第 2・3楽章はどうも印象が薄く、このあたりが不人気の理由かなと思ったりもする。今回コバケンは、前半のコンチェルトでは譜面台に楽譜を置いて全く開かずに指揮したが、この「マンフレッド」では譜面台すら置かずに暗譜での指揮であった。その身振りを見ていると、曲のツボを知り抜いていることは明らかで、出したい音がどんどん出てくるようにすら思われた。やはりオケの力は常に高く保たれ、荒れ狂ったり、押しつぶされたような悲痛な叫びをあげる金管や、鮮やかに駆け抜ける木管、纏綿たる情緒を奏でるつややかな弦、炸裂する打楽器など、聴いていて飽きることがない。上記のようにもともと内容に弱さのある第 2・第 3楽章でも、迷うことのない音楽の進みが聴かれ、例えば第 2楽章スケルツォで弦が無窮動的な動きからゆったりした流れに移行する箇所など、まるで光琳の描く川の曲線のような鮮やかな美しさ。ラストにだけ使われるオルガンも、音の広がりがあってよかった。ここ東京芸術劇場のオルガンは、クラシックな外見のものとモダンなものとを、回転させて切り替えることができるが、今回はこのようなモダンなもの。少ない出番だが存在感を示したオルガンであった。
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終演後に小林は楽員たちの間に入って嬉しそうに順々に握手を交わして歩き、そして客席に向かっていつものように呼び掛けた。普段サントリーホールで開かれている定期演奏会が、同ホール改修による閉鎖のために違うホールになったにもかかわらず、大勢の聴衆がやって来たことへの感謝。その聴衆のおかげで、日フィルとしても滅多に聴けないほどの雄渾な演奏をしてくれた、と語った。そして、「そういうことなので、ちょっと今日はアンコールは・・・」と述べて、客席を笑わせたのであった。

帰り道、私はバイロンのことを考えていた。この放蕩の貴族詩人のロマン的作品をじっくり読んだことがないのが残念であるが、その雰囲気は私の感性に深く訴えて来る。随分以前に見たケン・ラッセル監督の「ゴシック」で描かれた怪奇性や、スイスのモントルーを訪れた時に見たシヨン城の淋しい雰囲気が、まさにバイロンを巡る言説を彩るにふさわしく、また、このマンフレッド交響曲も (それからもちろん、シューマンの「マンフレッド」序曲も)、すべてバイロンという人の存在が持つロマン性の残滓かと思われる。コバケンの健康的な情熱とはちょっと異なる不健康な情熱を求めて、今度バイロンの著作を紐解きたいと思っている。
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by yokohama7474 | 2017-03-05 01:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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スティーヴ・ライヒは、ミニマル・ミュージック第 1世代の作曲家としてつとにその名が知られている・・・かな。うーん。一般的な知名度は恐らく高くはないものの、アートや現代音楽に興味のある人にとっては重要な名前であると言った方が正確であろう。そのライヒは 1936年生まれの米国人で、現在 80歳。彼の生誕 80年を祝うコンサートが昨年から世界 20以上の国で 400回以上予定されているらしく、これはそのひとつ。この作曲家はそれだけ偉大な存在であり、間違いなく音楽史に残る存在であるということを、最初に確認しておこう。
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だが、3月 1日・2日と東京初初台の東京オペラシティコンサートホールで 2回開かれたこのコンサート、日本においてライヒはそれほどポピュラーとは思えないので、チケット購入は期日が近くなってからでもよいだろうと高をくくっていたところ、なんのことはない、すぐにチケットは完売。二次マーケットでの入手にもかなりの苦労を要する状態となった。東京の文化度をなめてはいけないと、改めて思い知った次第。実際、今回の演奏会は大入り満席で、入り口で「チケット求む」の紙を持って佇む人の姿も。過去にも 2008年、2012年と、このホールでライヒの演奏が開かれており、作曲者自身も演奏に参加しているようだが、いずれもこんなに盛況だったのだろうか。

さて、ミニマル・ミュージックとは一体何か。もちろんこの便利な時代であるから、ネットで検索すればゲップが出るほどの情報が手に入るが、要するに、短い (ミニマルな) 音型を繰り返しながら微妙に変化させて行くパターンの現代音楽のこと。言葉を知らない人でも、その例を実際に耳にすればすぐに理解できると思う。いわゆる難解で高尚で理屈っぽい現代音楽ではなく、耳に心地よいものが大半である。私の感覚では、スティーヴ・ライヒはテリー・ライリーと並んでこの分野の開拓者。調べてみると、ラ・モンテ・ヤングやフィリップ・グラスも併せて皆同世代 (1930年代半ばから後半生まれ) なのであるが、ヤングは少し前衛の色が濃すぎ、グラスは逆に映画音楽などで少し大衆性も持ち合わせている。それに対して、あくまでスタイリッシュなライヒと、早くから宗教性を帯びてトランス状態に真骨頂を見出すライリーは、私にとってはミニマルの元祖たるにふさわしい存在だ。あれこれの現代音楽を渉猟している私 (もちろんその道のマニアの方々には及びもつかないものの) であるが、定期的にミニマルに戻って来たいと思うし、その時にやはり最も信頼したいのがこの 2人、特にライヒなのである。主要作品の CD もかなり持っている。既に 80歳と知って改めて驚くが、今回この演奏家のために来日してくれたことは、大変ありがたい。今回演奏された曲目は以下の通り。メインに据えられ、コンサートのタイトルにもなっている「テヒリーム」の前に、サウンド & ヴィジュアル・ライターの前島秀国によるライヒ本人へのインタビューがあった (通訳付き)。
 クラッピング・ミュージック (1972年) : スティーヴ・ライヒ & コリン・カリー
 マレット・カルテット (2009年) : コリン・カリー・グループ
 カルテット (2013年、日本初演) : コリン・カリー・グループ
 テヒリーム (1981年) : コリン・カリー指揮 コリン・カリー・グループ、シナジー・ヴォーカルズ

ミニマル・ミュージック、とりわけライヒの音楽を描写するとすると、どうなるであろうか。催眠的であり、静謐であり、孤独であり、無機的であり、機械的であり、スタイリッシュであり、都会的であり、モダンであり、詩的であり、単純であり、リズミカルであり、輻輳的であり・・・。その手拍子はフラメンコのように進み、そのマリンバはガムランのように響き、その歌唱はコンピューターのように鳴る。どこをとってもミニマルでありライヒである。この紛れもない個性が、いかに強く聴衆に語り掛けることか。このような曲の演奏に際して、演奏家はもちろんかなり神経を使う必要はあるであろうが、ここで求められているのは超絶技巧というものとは少し違っていて、単純な音型を淡々とこなして行くべき姿勢である。それにはこの種の音楽への慣れも必要であろうかと思う。今回演奏したコリン・カリー・グループは、打楽器奏者コリン・カリーのもと、2006年にロンドンの BBC プロムスでライヒの 70歳を祝うため、彼の「ドラミング」を演奏する際に結成されたとのこと。現在では打楽器だけではなく、今回の「テヒリーム」も演奏できるような弦楽器、管楽器のメンバーも揃えている。
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すなわち、ライヒの強い信頼を受ける楽団だ。時代を問わず作曲家には、やはり信頼できる演奏家が間近にいるか否かは、充実した作曲活動を行うための極めて大きな要素となることだろう。これはライヒと話すカリー。
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そして、メインの「テヘリーム」で共演したシナジー・ヴォーカルズの方は、ライヒ生誕 60周年を記念して 1996年にやはりロンドンで演奏された今回と同じ「テヘリーム」のために結成された 4人組。今回ステージでライヒ自身が語ったことには、リーダーのミカエラ・ハスラムの声に惚れ込み、演奏後に「すみません。私は幸せな結婚生活を送っている者ですが、それでも電話番号を教えてくれませんか」と言い寄った (?) とのこと。確かに今回も正確無比な歌唱であった。
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この「テヘリーム」とは、ヘブライ語で「詩編」のことであり、歌詞はすべて詩編から採られている。ユダヤ人であるライヒは、自らのルーツにつながるこの種の作品を数々手掛けてきており、上で彼の音楽を無機的とか機械的とか書いたが、ここには大いなる逆説があって、歴史や信仰といった人間的なものへのライヒの強い関心が窺える。ホロコーストを題材とした「ディファレント・トレインズ」や、イスラエルとアラブの祖アブラハムを埋葬した洞窟を題材にした「ザ・ケイヴ」などと、創作の原点は同じであろう。決して耳で聴いてそのような理由で感動する情緒的な音楽ではないが、情緒的なものを情緒性以外の手段で表現する点に、ライヒの音楽の真骨頂がある。今回のポスターにあしらわれているのはヘブライ語で、こんな感じの文字なのである。なにやらライヒの音楽と、イメージが近くないだろうか。
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中間の 2曲は典型的なライヒのミニマルで、ただただそこに浸っていたいと感じる。ところでミニマルのひとつの特徴は、起伏なく続いた音楽が突然切れる点にあるが、これは、もちろんサティの「家具の音楽」などに原点があるということはできようが、先日ミハイル・プレトニョフ指揮の東京フィルで聴いたストラヴィンスキーのロシア風スケルツォも、その終結部分には共通する部分があって面白い。1920年代から発達したモダニズムの感性がなければ、ミニマルは生まれなかったのではないか。それから、最初の「クラッピング・ミュージック」は日本語では「手拍子の音楽」とも訳され、2人で手拍子を叩くだけのシンプルな音楽。演奏時間約 3分。プログラムに載せられた作曲者自身の解説によると、第 1奏者は同じパターンを叩き続けるのに対し、第 2奏者は最初は同じパターンを叩くが、唐突に 1拍ずつ先行し、最後に至ってまたもとに戻るという構成になっている。リズムがずれているので、2人が同じパターンを叩いているとは分からないだろうとあるが、いや確かに全然分かりません (笑)。知らない方はこの動画をどうぞ。向かって右が作曲者のライヒです。これ、最後の着地が決まると気持ちいいでしょうねぇ (笑)。年末の余興でやったら面白いだろうなぁ。今から練習しようかな。それとも音楽学校の人たちの忘年会では、そのような余興も既にあるのかもしれない。
https://youtu.be/lesDb9GsQm4

今回ステージ上で行われたライヒ本人のインタビューでは、会場の東京オペラシティコンサートホールを、モダン建築でありながら日本の古寺のようでもあり、見た目も音響も素晴らしいと褒めた。そして昨年ロンドンで初演された「パルス」「ランナー」といった新作が簡単に紹介され、また、現在作曲中という「20の独奏者とオーケストラのための音楽」なる曲は、バロック時代のコンチェルト・グロッソ (合奏協奏曲) から発想したものであることや、また、ドイツの大アーティストであるゲルハルト・リヒターとの共作 (空間の隙間を音楽にあてはめるというような作業らしい) に取り組んでいることを明かした。「彼は私より何歳か年上だから、早くしないとね」と淡々と言っていたが、調べてみるとリヒターは既に 85歳。是非このコラボは完成させて欲しい。これが作品を前にしたリヒター。
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さて、今回の演奏、最後の「テヒリーム」が終わると満員の客席はすぐにほぼ総立ちのスタンディング・オベーションとなった。これはかなり珍しいこと。もちろん、今回の聴衆は通常のクラシック音楽の聴衆とは若干異なっていて、カラフルな頭もあれば長い髭もあり、奇抜な帽子や変わった眼鏡など、個性的な方々 (笑) も沢山おられた一方で、私のような平凡なサラリーマンらしき人も大勢いて、不思議なアマルガムであったのだが、要するに皆、スティーヴ・ライヒが好きなのだ。もって回ったところのない音楽なので、聴く人もストレートに反応したくなる。そんなライヒの音楽と、そしてライヒその人に、東京の聴衆は最大限の敬意を表した。そういうことなら、例えば一週間ぶっ通しのライヒ特集でも組んでくれればよかったのになぁと思いつつ、今度はまた 85歳のライヒに日本で会えることを心待ちにしている。

最後に蛇足。ちょうど 10年前のライヒ生誕 70年の際には私はニューヨークに住んでいた。ニューヨークはライヒのホームタウンであり、あれこれ記念演奏会があった。引っ張り出してきたカーネギーホールのプログラムに載っていた宣伝がこれだ。この写真は、この記事の冒頭に掲げたものと同じであるが、今回ステージで実物を見たライヒと比べると、やはり若いなぁ。
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私が行ったのは、"Music Making : Steve Reich" と題されたコンサートと、それから、これらとは別にリンカーン・センター主催で行われた大作「ザ・ケイヴ」の上演。
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この「ザ・ケイヴ」の上演会場は、私の住んでいた場所から数ブロックしか離れていない大学の講堂であったので、週末にブラブラ歩いて行った記憶がある。ここでは音楽だけではなく映像も使用されるが、それは妻の映像作家ベリル・コロットの制作になるもの。終演後には彼ら夫妻を囲んだ座談会があって、確か通路のようなところに皆立ったまま、この作品の制作について語る夫妻に耳を傾けていたと記憶する。ニューヨークらしい気取らない雰囲気で、今となっては懐かしい思い出だ。実は米国人と話すと、ライヒのことを「ライク」と発音する。それはバッハのことを英語で「バック」と発音するのと同じであるのだが、どうもなじめない。ただ、ライヒという発音は逆にドイツ語そのままで、ドイツ系ユダヤ移民の家系に生まれたとはいえ、ライヒは米国人であるから、それもおかしいといえばおかしい。本人は「ライシュ」と発音するらしいが、これはもしかするとヘブライ語風の発音なのだろうか。ともあれ、スティーヴ・ライヒという名前の響きはすっきりとして、彼の音楽にふさわしいと思うので、その発音で通すのがやはりよいと思います。ブラヴォー、スティーヴ!!

by yokohama7474 | 2017-03-03 01:38 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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今回、東京フィルハーモニー (通称「東フィル」) の指揮台に立つのは、ロシアの名指揮者、1957年生まれのミハイル・プレトニョフ。もともとはスーパーなピアニストであるが、1990年にロシア初の私設オーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団を組織して自ら音楽監督に就任。指揮者としても活発な活動を継続しており、現在はこの東フィルの特別客演指揮者でもある。そのプレトニョフが今回指揮した曲目は以下の通り。
 ストラヴィンスキー : ロシア風スケルツォ
 プロコフィエフ : 交響的協奏曲 (チェロ協奏曲第 2番ホ短調) 作品125 (チェロ : アンドレイ・イオニーツァ)
 ストラヴィンスキー : バレエ組曲「火の鳥」(1945年版)

なるほどこれは、ロシア・プログラムだ。だがその中身は一味違っている。私はこのプレトニョフを、余人をもって替え難い大変な才人と思っているのだが、この演奏会では、その才人ぶりが見事に発揮されていた一方で、全体の仕上がりにはいささか課題も残ることになったように思う。
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最初の「ロシア風スケルツォ」は 4分程度の短い曲で、録音では大曲とのカップリングでしばしばお目にかかるが、実演での演奏は比較的珍しい。第二次大戦中、米国に暮らしていたストラヴィンスキーに、ポール・ホワイトマン (ガーシュインにあの「ラプソディ・イン・ブルー」を委嘱したバンドリーダー) が依頼して書かれている。この作曲家の軽音楽好みを表していてなかなかに楽しい曲なのであり、「ペトルーシュカ」を思わせる箇所もある。今回のプレトニョフは、最初に舞台に登場したときからなぜか疲れているというか、少し老けたようにも思われたが、音楽が鳴り出すとなかなかに楽しい流れを作り出していた。だが、この曲の唐突な終わり方に客席は戸惑いを隠せず、今日のコンサートのどこかに、その戸惑いの余韻もあったかもしれない。

2曲目のプロコフィエフの曲は、内容はチェロ協奏曲なのであるが、オーケストラがかなり複雑な音響を鳴らすため、交響的協奏曲という題名で呼ばれる。この作曲家のチェロ協奏曲第 2番なのであるが、実は、チェロ協奏曲第 1番の改作。なるほどそう言えば、ショスタコーヴィチの 2曲のチェロ協奏曲はそれぞれ一定頻度で演奏されるが、プロコフィエフのチェロ協奏曲は、この交響的協奏曲はともかく、第 1番はかなりマイナーである。もっともこのプロコフィエフという作曲家、交響曲第 4
番も、改訂によって作品 47と作品 127 の 2種類が生まれており、別の作品として認識されている。この交響的協奏曲は、20世紀後半の偉大なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの助言によって第 1番の協奏曲が大規模に改作されたものであるが、そのロストロポーヴィチは後年、小澤征爾指揮ロンドン交響楽団と共に録音している。素晴らしい名盤である。
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今回独奏チェロを弾いたのは、1994年ルーマニア生まれのチェリスト、アンドレイ・イオニーツァ。未だ 20代前半という若さである。2015年にチャイコフスキー・コンクールで優勝した実績の持ち主。
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この世代のチェリストにしてみれば、ロストロポーヴィチはまさに神のごとき存在であろうが、それに臆せずに曲の神髄に切り込んで行く姿が勇ましい。最初から最後まで激しく弾き続けることが求められるこの曲で、その伸びたり縮んだりする自在なチェロを縦横無尽に響かせて見事であった。時折、音が濁っても構わないという強い姿勢も見せながら、進んで行く音のドラマを劇的に表現してのけた点、若さの特権と言うべきか。そして面白かったのはアンコールだ。2曲いずれも本人の口から曲名が説明されたが、1曲目は珍しくグルジアの作曲家、スルハン・ツィンツァーゼ (1925 - 1992) の「チョングリ」という作品。ほんの数分の短い曲だが、全編弓を使わずにピツィカート主体で演奏される、抒情的かつ民俗的な曲。調べてみると、昨年この同じオーチャード・ホールで女優指揮者アランドラ・デ・ラ・パーラ指揮の NHK 交響楽団 (昨年 2月 2日の記事参照) と共演したやはり若手チェリストのナレク・アフナジャリャン (アルメニア出身。今日のソリストイオニーツァの前の回、2011年のチャイコフスキー・コンクール優勝者) も、以前この「チョングリ」を日本でアンコールとして弾いたこともあるようだ。アンコールの 2曲目は一転してスタンダードなバッハの無伴奏チェロ組曲第 3番からのブーレ。ここでイオニーツァは、模範的な正確なバッハというより、感興に満ちた自由な音の奔走を聴かせてくれた。ここでも再び同じ言葉を使うが、誠に若さの特権とも言うべきその音楽の自在さは、これから一体どこに向かって行くのか楽しみである。

さて後半は、ストラヴィンスキーの代表作のひとつ、バレエ音楽「火の鳥」である。だがここで演奏されたのは、普段なかなか耳にすることのない 1945年版。この曲の組曲には 3種類あり、これ以外には 1911年版と、最もポピュラーな 1919年版がある。その 1919年版と、今回演奏された 1945年版の、耳で分かる違いは以下の 3点だ。
・曲数が 5曲多い。それは「火の鳥のヴァリアシオン」と「ロンド」の間に入る 10分間ほど。
・序奏において 1919年版で響くチェレスタが、ここではピアノになっている。
・終曲で弦が朗々と歌う音型が短く切れている。
そういえば昔テレビで見た、作曲者自身が来日して NHK 交響楽団を指揮した「火の鳥」の映像では、終曲で弦の音が短く切れていた。調べてみるとそれは、やはり今回と同じ 1945年版。その演奏は 1959年のもので、今では DVD で見ることもできる。
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今回のプレトニョフと東フィルの演奏、一定の水準にはもちろん達していたものの、オケにはほんの少しミスもあり、音質はクリアではあっても、最大限の自在な流れがあったかというと、残念ながら少し違ったような気がする。プレトニョフがこの「火の鳥」を演奏するときはいつもこの珍しい版を使うらしく、譜面台に楽譜を置いたまま開くことなく暗譜で全曲を指揮する姿には確信は感じられたものの、オケの締め方が少し弱かったようにも思った。前述の通り、気のせいか少し元気がないようにも見えたプレトニョフであったが、彼ならさらに切れのよい音が可能であったはず。10月に予定されている彼の次の来日はを楽しみにしよう。ただ、次回もまたしてもロシア物が予定されているが、少し違うレパートリー、例えばブラームスの交響曲など振ってもらったらいかがであろうか。きっと面白いはず。

by yokohama7474 | 2017-02-26 22:25 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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昨年の 10月 30日の記事で、ポーランドの名指揮者アントニ・ヴィト指揮の読売日本交響楽団の素晴らしい演奏会について書いた。それはフランスの名匠ミシェル・プラッソンの代役としてフランス音楽を指揮したものであったが、今回新日本フィルの指揮台に立って彼が披露したのは、母国ポーランドの音楽ばかり。結論から言ってしまうと、これは実に素晴らしい演奏会であり、東京の音楽水準の高さをまざまざと見せつけるとともに、今年 73歳になるこのヴィトという指揮者が、これからいよいよさらなる高みに達して行くであろうことを予感するに充分なものであった。
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ポーランドの指揮者というと、もちろん先般 93歳で亡くなった巨匠スタニスラフ・スクロヴァチェフスキを思い浮かべるが、彼は後年の活躍の場を米国・英国・ドイツなどに求め、米国籍を取得した人。その点このヴィトは、音楽監督のポストはもっぱら母国ポーランドで持っており、その分、国際的な活躍の割には知名度が低いと言えるかもしれない。ポーランドにはほかにも (作曲家として高名なクシシュトフ・ペンデレツキに加え)、カジミエシュ・コルト (1930年生まれ)、イェジー・マクシミウク (1936年生まれ)、ヤーツェク・カスプシク (1952年生まれ) などが現在でも存命または依然活躍中で、私もそれぞれに思い入れがある。あ、若手では将来有望なクシシュトフ・ウルバンスキ (1982年生まれ) もいる (彼は来月、旧北ドイツ放送楽団、現 NDR エルプ・フィルを率いて来日するが、私は残念ながら出張のため、聴くことはできない)。

さて今回新日本フィルに初登場したヴィトが指揮したポーランド・プログラムとはいかなるものであったのか。
 スタニスラフ・モニューシュコ (1819 - 1872) : 歌劇「パリア」序曲
 ショパン (1810 - 1849) : ピアノ協奏曲第 1番ホ短調作品 11 (ピアノ : クシシュトフ・ヤブウォンスキ)
 カロル・シマノフスキ (1882 - 1937) : 交響曲第 2番変ロ長調作品 19

なるほど、ショパンの協奏曲以外は、あまり演奏されない曲である。だがこの 2曲を堂々たる暗譜で指揮したヴィトの演奏によって、これらの曲の魅力は大全開であった。

最初の曲の作曲者、モニューシュコは、ポーランドの国民楽派を起こした存在で、母国ではショパンと並び称されているとのこと。今回舞台に現れたヴィトが、聴衆の拍手が鳴りやまないうちに振り返りざま指揮棒を振り下ろし、見事な音響が勢いよく流れ出したのを目撃して、以前 FM で耳にした、カルロス・クライバーがウィーン・フィルを指揮した「英雄の生涯」を思い出したものだ。とにかく音の広がりが素晴らしく、新日本フィルも技術的に完璧な演奏を繰り広げたのである。私も初めて聴く曲であったが、大変にドラマティックな曲で、聴きごたえ充分。ヴィトはワルシャワ・フィルとともにこの作曲家のバレエ音楽集と序曲集をナクソス・レーベルに録音している。この機会に聴いてみようと思う。これがモニューシュコの肖像。
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次にショパンのコンチェルトを弾いたのは、これもやはりポーランド人のクシシュトフ・ヤブウォンスキ。1965年生まれだから私と同い年。1985年、第 11回ショパン・コンクール 3位であるが、面白いのはこの時の入賞者の顔ぶれだ。1位 スタニスラフ・ブーニン、2位 マルク・ラフォレ、4位 小山実稚恵、5位 ジャン・マルク・ルイサダ。今日でも活躍している人たちが多いのである。
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彼が弾いたショパンの協奏曲は何が素晴らしかったかというと、この作曲者若書きのロマン溢れる名作を、いささかの感傷性もなく、完璧なタッチで弾き切ったことである。この曲の冒頭はオーケストラによる序奏が長くて、ピアニストが集中力を維持するのは大変であると思うが、いざピアノが登場となると、叩きつけるように激しく音楽を奏でるピアニストが多い。だが今回のヤブウォンスキは、むしろ切ないようなきれいな音で始めたのである。そして千変万化のその音色は、曲本来の持ち味を充分に出し切っていたと思う。静謐な第 2楽章も、やはりロマン的な情緒を抑えつつ、非常にピュアな音に終始した。それでいて、最初の長い節回しが終わって次に進む箇所では、音の質量が明らかに増していて、その巧みな音響設計に魅了された。第 3楽章では笑みを浮かべ、走りすぎることなく一定のテンポを守りつつ、自由な音を奏でていた。アンコールももちろんショパンで、ワルツ第 2番とノクターン第 20番。後者はあの名作映画「戦場のピアニスト」で使われていた曲だ。ここでもヤブウォンスキのピアノは淡々としながら情感あふれる、瞠目すべきものであった。私は何度かワルシャワを訪れたことがあるが、彼の心臓が埋め込まれている教会で、その激しくも短い人生に思いを致したものであった。その真実の姿は、力任せでもなく耽溺することもない演奏により、ここ東京で明らかにされたと考えたい。これはドラクロワ描くところの 28歳のショパン。
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そしてメインのシマノフスキ 2番。この作曲者の作品としてなじみがあるのは、2曲のヴァイオリン協奏曲や、ヴァイオリンとピアノのための「神話」である。交響曲もそれなりに聴いたことはあるが、この 2番を生演奏で聴くのは初めてだ。この曲は、ハンガリーの名指揮者アンタル・ドラティが晩年にデトロイト交響楽団と行った一連の優れた録音のひとつ (第 3番「夜の歌」とのカップリング) であるので、今回久しぶりにその CD を引っ張り出して予習して行った。2楽章からなる 35分くらいの曲で、今回のプログラムでは「ワーグナーを思わせる」とあるが、私の印象ではむしろロシアのスクリャービンに似ていると思う。このスクリャービンはシマノフスキの 10歳上、1872年生まれ。後年神秘主義にはまって行くが、初期のピアノ曲など聴いていると、まるでショパンのようである。ショパンの音楽から影響を受けたスクリャービンが、ポーランドの作曲家としてその後輩にあたるシマノフスキに影響を与えたとすると、大変面白いことである。ともあれ今回のヴィトと新日本フィルの演奏は、やはり技術的な課題はすべてクリアした名演であり、ウネウネと続く曲想を抉り出すように暗譜で指揮したヴィトは、まるで手の先から光線が出ているようにすら思われた。こんな演奏はそう滅多に聴けるものではないだろう。ダンディな作曲者シマノフスキも、自分の音楽が極東の地でこれだけクリアな音で鳴っているのを聴くと、満足するのではないか。
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そんなわけで、これから指揮者として真の円熟を迎えるであろうアントニ・ヴィトの音楽を、また早く東京で聴きたいものである。今日の東京は、このように地平線から雲がモクモク沸いてくるような不思議な天気であったが、ポーランド音楽の神髄を聴いた後では、こんな風景に神秘性を感じるのを抑えることはできなかった。まぁでも、電線が汚いなぁ (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-02-26 01:21 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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しばらく出張に出ていたので、井上道義と大阪フィルによる東京公演 (ショスタコーヴィチの 11番・12番!!) を聴けなかったし、パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 響による横浜公演 (マーラー 6番!!) も聴き逃してしまった。また、政府の方針によって始まったプレミアム・フライデーなるものの初回も経験できなかった。だが、出張の行先はロンドン。空いている夜があれば積極的に文化イヴェントを狙いに行くことが可能な大都市である。というわけで、なんとか見に行くことができた公演がこれ。イタリアの作曲家フレンチェスコ・チレア (1866 - 1950) によるオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」である。このオペラ、もちろん無名作品というわけでは全然なく、むしろ音楽ファンにはよく知られた作品と言ってもよいのだが、一般の人には恐らく全く知られていないし、何より私自身も、生で見るのは確か今回が初めてである。アリア「私は芸術のしもべ」(この曲の邦題にはいくつものヴァイエーションがあって、定着したものはないようだが) は知っているが、これがフランスの女優を主人公にした物語ということや、作曲者チレアの作品としてはほぼ唯一今日でも上演される機会に恵まれる作品であるということ以上のイメージはなかった。確か日本では、1970年代のイタリア歌劇団の来日公演の演目としても含まれていたはずと思い、調べてみると、1976年、カバリエ、コッソット、カレーラスという豪華メンバーで上演されていて、これが日本初演であったようだ。ほかには 1993年にボローニャ歌劇場の来日公演で、フレーニ、またもやコッソット、そしてP・ドヴォルスキーという顔ぶれでも上演されている。だが、来日する歌劇場の演目としてはそれほどポピュラーなものではないことは確かであろう。

作曲者チレアは、「道化師」のレオンカヴァッロより 9歳下、プッチーニより 8歳下、「カヴァレリア・ルスティカーナ」のマスカーニより 3歳下、「アンドレア・シェニエ」のジョルダーノより 1歳上。ヴェルディ以降のイタリア・オペラの主要な作曲家はこの世代、1850 - 60年代生まれに固まっているわけであるが、多くの作品が今も演奏されるのはただひとりプッチーニだけであって、ほかの作曲家は、上に記したそれぞれ 1作ずつによって歴史に名を留めているに等しい状況である。その意味ではこのチレアも、この「アドリアーナ・ルクヴルール」1作によってその名を残していると言って過言ではないだろう (ほかには、カレーラスがアリアを歌うことのある「アルルの女」という作品もあるが、全曲はほとんど演奏されない)。調べてみるとこのチレア、1950年まで生きたにもかかわらず、最後のオペラ作品は、この「アドリアーナ・ルクヴルール」の次の作品で、トスカニーニが 1907年に初演した「グローリア」という作品であり、現存するオペラ作品はたったの 5つ。寡作家であったのである。
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この「アドリアーナ・ルクヴルール」は 1902年に初演された作品で、伝統的なオペラの優美さとは異なる、激しい人々の生きざまを描くヴェリズモ・オペラに近い作品と位置付けられる。ただ、流れる音楽を聴いていて連想するのは、ほかのヴェリズモ・オペラというよりは、フランスのマスネの作品ではないだろうか。多彩な旋律美がここにはあって、退廃的とは言わないまでも、美麗ではある。フランスに実在した女優アドリエンヌ・ルクヴルール (1694 - 1730、オペラではイタリア語の発音で、ファーストネームがアドリアーナになる) をモデルにしており、オペラの設定通り、ザクセン伯モーリッツ (オペラではやはりイタリア語でマウリツィオ) という人と恋に落ち、ブイヨン公爵夫人に毒殺されたという説が本当にあるらしい。大変興味深いことに、このオペラの主要登場人物 3名にはいずれも生前に描かれた肖像画がある。つまり、いずれも当時から有名な (まあ、ルクヴルール以外は貴族だからある意味当然かもしれないが) 人たちだったのである。そのような人物が実名で登場するオペラは、あまりないのではないか。以下、順にアドリエンヌ・ルクヴルール、ザクセン伯モーリッツ、ブイヨン公爵夫人。
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そしてこのオペラの初演時のポスターはこれだ。この時代の雰囲気がよく出ている。モダニズムの香り。
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このように、17世紀フランス絶対王政期の宮廷での確執を、20世紀初頭のイタリアにおけるドラマ的感性で美麗に描いたオペラということになる。ラストで女性の主人公が死んで行くという点では、「椿姫」や「ボエーム」と同じだが、ひとつ大きく異なる点は、主人公が病気ではなく (あるいは「蝶々夫人」や「トスカ」のような自殺でもなく) 殺害されるということだ。その場には犯人は登場せず、通常のオペラにはあまり例のない終わり方なのであるが、不思議とカタルシスが不足する感覚はない。それはやはり音楽がよく書けているからではないか。脇役も多くて、多少ストーリーが無用に込み入っている感はあるものの、やはりなかなかの名作であると思う。

今回ロイヤル・オペラで鑑賞したものと同じプロダクションが、既に映像作品として市場に出ている。2010年の収録で、主演はルーマニア出身の名ソプラノ、アンジェラ・ゲオルギュー (私と誕生日が数週間違い)。共演はヨナス・カウフマンとオリガ・ボロディナで、指揮は英国人マーク・エルダーである。
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今回はその再演ということで 7回上演があるが、そのうち 5回が同じゲオルギューで、残りの 2回は、今回ロイヤル・オペラ・デビューとなったアルメニア人の若い歌手。その名は、Hrachuhī Bassēnz。うーん、上についているチョンのかたちが正しいのか否かもよく分からないが (笑)、フラシュヒ・バセンスとでも読むのであろうか。YouTube には彼女の歌う映像が幾つか見つかるが、名前の発音までは分かりません (笑)。ともあれ、その若い歌手が出演する上演を鑑賞することとなった。
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対するザクセン伯マウリツィオは、米国人の Brian Jagde。この姓の発音は、「ジャッジ」でよいのであろうか。彼は既にピンカートン役でロイヤル・オペラにはデビューしているようだが、やはり若い歌手。
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そしてブイヨン公爵夫人は、ウズベキスタン出身の Ksenia Dudnikova。うーん、これはクセニア・ダドニコワと発音するのでしょうか。彼女も今回がロイヤル・オペラ・デビュー。
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このようにフレッシュな面々が顔を揃える公演であり、まさに欧州の最前線で活躍する歌手たちを聴くには絶好の機会であった。結果的にはこの 3人、それぞれに優れた歌唱であったとは言えると思うが、ひとつには、ルクヴルール役は有名なアリア以外には意外と低い声で歌う部分が多く、あまり華麗な響き方にはならない。主役の華麗さはあまり出てこない点、このオペラがヴェリズモ的と言われるゆえんであろうか。マウリツィオ役は、舞台映えが今ひとつ。ブイヨン公爵夫人役は、強い声の持ち主であり、この 3人の中では最も印象に残った。そして今回指揮を取ったのは、イスラエル出身のダニエル・オーレン。1955年生まれなので、既に今年 62歳になる。オーレンの指揮は大変丁寧で、好感の持てるものではあったが、いかんせん、このオペラハウスのオーケストラは (以前も書いたが)、残念ながらやはり力不足。
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演出のデイヴィッド・マクヴィカーはスコットランド出身で、現在世界各地で活躍中。東京の新国立劇場でも、2010年から 2011年にかけて上演された、大野和士が渾身の指揮を聴かせた「トリスタンとイゾルデ」を手掛けている。決して奇をてらうことのないオーソドックスな演出であるが、4幕からなるこのオペラの各幕で共通して登場する建物の構造は、ルクヴルールの栄光と軌を一にするように、舞台の裏になったり表になったり、あるいは骨組みだけになったりするのである。
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さてここでいくつか、この公演に関連するトリヴィアを披露しよう。まず、主役のバセンスがアルメニア出身であることは上に書いたが、同国の首都はエレヴァン。私はその都市に出張で行ったことがあるのだが (日本人でここに出張する人は珍しいだろう 笑)、プログラムに掲載されているこのバセンスの経歴を見てみると、彼女が卒業した学校はコミタス (Komitas) 音楽院とある。また彼女は、アルメニア政府からコミタス・メダルを授与されたとある。コミタス・・・。おぉっ、その人物を主人公とした映画を私は見たことがある。1869年生まれ (つまりチレアと同世代の人)、1935年没。修道士であり作曲家であったアルメニア音楽の父と呼ばれる人。彼を描いた映画、その名もずばり「コミタス」は、1949年アゼルバイジャン生まれの映画監督、ドン・アスカリアンの 1988年の作品。彼のもうひとつの作品「アヴェティック」(1992年) も私は見ているが、いずれもタルコフスキーとの共通性を感じさせる神秘的な映画。だがこの「コミタス」、このような手作り感満載のプログラムしか作られなかったのである。
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それから、この「アドリアーナ・ルクヴルール」に登場するザクセン伯マウリツィオのモデルである実在のザクセン伯モーリスは、ポーランド王の息子。そしてこの人の曾孫が、あの有名なジョルジュ・サンドなのである。この後に記事を書く予定だが、今日聴いた新日本フィルのポーランド・プログラムでショパンとその恋人ジョルジュ・サンドに思いを馳せたばかり。ポーランドの生んだ最大の文化人であるショパンの恋人の祖先が、ポーランド王の子孫であったとは。うーん、歴史の綾って面白い。これがジョルジュ・サンドの肖像。
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最後のネタは、このオペラの中でルクヴルールがその台詞を語る、ラシーヌの悲劇「フェードル」である。この演劇の初演は失敗であったようだが、それは一世代上のフランスの悲劇作家、コルネイユの後援者の画策によるものであったらしい。そしてその後援者とはほかでもない、このオペラでルクヴルールの敵役であるブイヨン公爵夫人なのである!! これはラシーヌの肖像画。
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そんなわけで、絶対王政時代のフランスの豊かな文化と、現代において多くのオペラ歌手を輩出しているロシア・CIS 地域の豊穣さがミックスした、得難いオペラ体験となったのである。

by yokohama7474 | 2017-02-25 23:44 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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金沢は私のお気に入りの街のひとつで、これまで何度も訪れている。加賀百万石前田家の城下町で、街には独特の気品がある。兼六園はもちろん素晴らしいし、地方の美術館としては異例の人気を誇る 21世紀美術館も大いに見る価値ありだ。また、泉鏡花と室生犀星というおよそ対照的な作家を輩出し、鈴木大拙と西田幾多郎という日本有数の思想家たちが同級生として勉強した街。これだけ文化の香り高い街に本拠を置くこのオーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) は、1988年に岩城宏之を音楽監督に迎えて活動を開始した室内管弦楽団である。当初より名門レーベル、ドイツ・グラモフォンと契約するなど、その能力は高く評価されてきた (現在では自らのレーベルを持ち、良心的な価格で数々の面白い録音を世に問うている)。この文化都市にこのユニークなオケが存在している意味は、限りなく大きい。また、いわゆる室内管弦楽団の活動にありがちな古典派のレパートリー偏重ではなく、コンポーザー・イン・レジデンスと称する制度があり、常に現代の作曲家に活動の機会を与えていることも特筆される。すなわち、古典から現代音楽までを広くカバーするのみならず、新たな音楽を作り出す意欲を持った、高水準の楽団なのである。今回私が東京から日帰りで聴きに行ったこの演奏会など、まさにこのオケらしい意欲的な試みとして評価できるし、ともすれば東京だけが文化・経済の中心になりがちなこの国において、改めてこのオケの存在価値を実感することができる機会となった。実のところ、以前鈴木大拙の「日本的霊性」についての記事を書いた際、「近く金沢に行って、この鈴木大拙と、西田幾多郎の記念館に行きたい」と述べたが、種明かしをするとそれは、この演奏会のチケットをその時既に買っていたからである。だが、安藤忠雄の設計になる西田幾多郎の記念館は街中から少し離れていて、アクセスが若干不便。レンタカーを借りようと思ったが、天気予報によると雪が降って荒れ模様とのこと。そんなわけで今回は泣く泣く、2つの記念館は諦めて、この演奏会だけに行くことにした。もっとも行ってみれば天気は穏やかで、金沢滞在時間の短縮が、ちょっと悔やまれましたが (笑)。

数年前、ラ・フォル・ジュルネ金沢をやはり日帰りで聴きに行ったときには、羽田から小松まで飛行機に乗り、そこからバスで金沢に移動した記憶がある。だが今や北陸新幹線はこの金沢まで開通しており、2時間半も乗れば着いてしまうのだ。新幹線「かがやき」に乗ると、東京を出ると大宮、長野、富山にだけ停まって、そして終点金沢だ。これは便利である。車窓から外を見ると、なんと埼玉県から富士山がかなりきれいに見える。
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もちろん新幹線に乗って行くうちに、長野県に入るとこんな景色になるのであるが (笑)。
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そして到着した金沢駅はこのようなモダンな装い。人が多くて大変に賑わっている。
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今回の演奏会の会場であり、OEK の本拠地である石川県立音楽堂は、この金沢駅に文字通り隣接。徒歩 1分である。これは交通至便と言ってよいだろう。現在の音楽監督、井上道義の顔をあしらった大きな宣伝が掲げられている。
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演奏に先立って、音楽ジャーナリストの潮 博恵 (うしお ひろえ) が舞台に登場して解説を行った。この方、私は存じ上げなかったのだが、1990年に当時のさくら銀行 (現三井住友銀行) に入行し、総合職として 10年間、法人向け融資・為替業務を行っていたという。銀行退職後には法律の勉強をして行政書士となり、現在でもご主人とともに合同会社うしお事務所という事務所で経営コンサルタント業務を手掛けておられるらしい。その一方、もともと大学では音楽学を専攻しており、国内外のオーケストラ、オペラ、音楽祭などの運営の実態を研究してきたとのことで、2012年にはマイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団についての著作を発表。それがきっかけで OEK を取材することとなり、その成果はやはり著作として世に問うておられる。私は常々、クラシック音楽というものが閉ざされた一部マニアのためのものではなく、実社会とのつながりの中でこそ生きてくると考えているので、今回知った潮さんの活動を大変興味深く感じている。尚、この日の解説の中で言及されたことには、今回の演奏会は、「世界における我が国オーケストラのポジション」という、文化庁による事業の一環として、国外からも評論家を招いてその演奏を鑑賞してもらい、2/21 (火) には大阪でシンポジウムが開かれる (既に終わってしまったが) とのこと。日本オーケストラ連盟のサイトで関連情報を見ることができるが、米・英・墺・仏・そして日本の評論家が 5つの楽団のコンサートを鑑賞したらしい。それは、① ヤルヴィ指揮 NHK 響、② 秋山和慶指揮 広島響、③ リュウ・シャオチャ指揮 九州響、④ 井上道義指揮 大阪フィル、⑤ このマルク・ミンコフスキ指揮 OEK の 5つである。このような文化庁の事業も不勉強にしてこれまで知らなかったが、近年進境著しい日本のオケの現状を国外にも知らしめるための手段として、非常に有効であると思う。本当はこのブログなども、英語で書けば海外発信できるのであるが・・・。

ともあれ、前置きが長くなったが、演奏である。2015年12月16日の記事で、東京都響を指揮したその演奏を大絶賛した指揮者、マルク・ミンコフスキ (1962年生まれのフランス人) に対する大きな期待があったからこそ、私はこの演奏会をわざわざ金沢まで聴きに行ったのだ。そしてその期待は、充分満たされたのである。現在この OEK のゲスト・プリンシパル・コンダクターの地位にあるミンコフスキ。
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もともとバロックを中心とした古楽の分野で名を挙げた人であるので、このようなロッシーニの歌劇には適性があると思っていたが、いやその自由自在な指揮ぶりから沸き立つ本当のロッシーニの音は本当に楽しく、そう滅多に聴けるものではない。もちろん OEK の個々の奏者のレヴェルが高いということも大きな成功要因であると思うが、ミンコフスキが何か魔術的な手腕で、全体の流れをぎゅっと決めてしまったような響き方であった。その上で、個々の場面での細かいニュアンスが見事に表現された。すなわちオーケストラパートは、この軽妙なロッシーニのオペラ・ブッファの演奏として、まず完璧と言ってよいほどの出来であった。

歌手陣は、世界の歌劇場に出演経験を持つ伸び盛りの若手歌手たちが中心で、国際的な顔ぶれだ。アルマヴィーヴァ伯爵は米国のデイヴィッド・ポーティロ。ロジーナはイタリアのレセーナ・マルフィ。フィガロはポーランドのアンジェイ・フィロンチク。バルトロはイタリアのカルロ・レポーレ。このうち圧巻であったのはバルトロ役のレポーレで、調べてみると昨年のリッカルド・ムーティ指揮のウィーン国立歌劇場来日公演の「フィガロの結婚」でやはりバルトロ役を演じていた。因みに「フィガロの結婚」はこの「セヴィリアの理髪師」の後日譚にあたる物語で、主要登場人物は同じであるが (ここで誠実にロジーナを口説く青年である伯爵は、後年やはり誠実に (?)、今度は配下の女性でフィガロの妻となるスザンナを口説くのである 笑)、このバルトロ (とバジーリオ) は、2作に同じ名前で登場し、その性格設定は似ているが、同一人物とするにはちょっと無理がある。だが、堂々たる声で笑いを取らなくてはならない、なかなかの難役という意味では 2作に共通する。今回のレポーレの歌唱は見事であった。それ以外の歌手たちもそれぞれ役柄に必要とされる個性を備えていて、聴きごたえは充分。ただフィガロ役のフィロンチクは、もっと声量があればよかったと思う。その他、バジーリオを歌ったやはり若い後藤春馬をはじめ、日本人歌手たちも大健闘。また、東京藝大出身者を中心にこの日のために結成された合唱団も (作品自体に合唱の見せ場がさほどあるわけではないが) 万全の出来であった。
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それから、演奏会形式とはいえ、細かい演技もそれなりにつけられていたが、演出は 1960年生まれのイヴァン・アレクサンダーという演出家の手になるもの。
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フランス人であり、その活動は主として母国であるので、ミンコフスキとは旧知の仲であるのだろうか。ジャーナリストでもあるらしく、ということは知性派であろうから、何か奇抜なことをするかもしれないと思ったが、演奏会形式という制限もあってか、作品の邪魔をするような過剰な演出は周到に避けられていた。舞台の奥 (オケの後ろ) や客席まで活用した、動きの多い演奏会であったとは言えるかもしれない。
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そんなわけで私は今、今後の OEK の演奏会と合わせて、いずれ金沢を再訪し、今度こそ鈴木大拙・西田幾多郎の両記念館に出かけることを画策し始めている。また、ミンコフスキのコンサートであれば曲目を問わず聴く価値ありと再認識したので、7月に都響を振りに来る (メインはブルックナー 3番) のを聴き逃さないようにしないと、と気を引き締めているところであります。それから、日本のオケの真価を世界に知らしめる活動には、今後にも期待したい。海外から日本のオケを聴くためのツアーがどっとやって来るような事態になると、チケット確保の観点からはちょっと困りますがね。ま、現時点では考えすぎかもしれないが、それだけの価値はあると思いますよ、実際。

by yokohama7474 | 2017-02-25 01:15 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) が、首席指揮者であり世界的にも有望なイタリアの若手指揮者、1987年生まれのアンドレア・バッティストーニの指揮で演奏したのは、ジュゼッペ・ヴェルディの「レクイエム (死者のためのミサ曲)」である。これを聴かずしてなんとしよう。ただ会場が若干珍しくて、新宿文化センターなのである。このホールにはかなり以前、小澤征爾指揮新日本フィルによるマーラーの 7番のコンサートを聴きに来たことは覚えているが、実際に足を運ぶのはそれ以来なのではないだろうか。因みにそのコンサートは、手元にプログラムを引っ張り出してきて確認したところ、1988年のこと。今回の指揮者バッティストーニが未だ 1歳の赤ん坊であった頃だ (笑)。堀口大井という人 (定期会員と書いてあるが、一般の人だったのだろうか) によるメチャクチャ詳細な曲目解説が、実に 11ページに亘って掲載されていたのも懐かしい。これが新宿文化センター。ホールとしては決して悪い音響ではないし、オルガンもある立派なホールだ。
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私はこの会場に辿り着くまで、このホールの選択はひとえに、サントリーホールが改修中であることが原因とばかり思っていた。ところがそうではなくて、このコンサートは、新宿区成立 70周年を記念するものなのである。そのひとつの象徴が合唱団で、新宿文化センター合唱団という名称を持つが、それはほかでもない、今回の公演のために一般公募によって結成された 270名の合唱団。昨年 7月から練習を重ねてきたという (合唱指導は山神健志)。なるほど道理で、合唱団メンバーの家族友人知人の皆さんが客席に多くいたわけで、メンバーが入って来たときに舞台に向かって手を振る人もいたし、私の周りでも、「あ、いたいた、右から○人目」などと言っている人もいた。おかげでチケットは完売御礼。そして、舞台に居並ぶオケと合唱団、そして独唱者はすべて日本人で、指揮者のバッティストーニのみが外国人という事態にあいなった。開演前に会場アナウンスで、新宿区長も鑑賞に訪れていることが告げられ、スポットライトが当てられて区長の紹介がされたが、スピーチの類はなく、すぐに演奏に入って行ったのは一見識であった。ちなみに、このような記念の機会には、通常はもう少し祝典的な曲 (典型例はベートーヴェンの第 9番であろう) が選ばれるのが普通であり、死者のためのミサ曲とは一見ふさわしくないようだが、後で述べるように、この曲に刻まれているのは、あらゆる人間の生と死のドラマなのである。都内でも有数の活発な人の動きを持つ新宿区にて、過去にここに生きた人、そして今生きている人、これから生きて行く人、すべての人のドラマが一般市民による合唱団によって歌い上げられるのだと思うと、大変意義深い演奏会なのである。

私はバッティストーニの才能を極めて高く評価する者であるが、過去にこのブログでも何度か採り上げた通り、すべての演奏を大絶賛というわけでもない。だが今回は、結論から先に言ってしまうと、大変に感動的なコンサートとなり、この曲の偉大さ、ひいては (月並みな表現だが) 音楽の素晴らしさをつくづく実感することとなった。そもそもこのヴェルディのレクイエムは、クラシック好きの人にとってはもちろんよく知る曲であろうが、このブログはクラシックに造詣のない方にも読んでもらいたいと思って書いている。その私は、ここで強く主張しよう。もしあなたがこの曲を知らないとすると、それは人生にとっての大きな損失。是非是非、いかなる手段でもよいからこの曲を聴き、何度も鑑賞を繰り返し、その偉大さを心の深いところで享受して欲しい。西洋音楽の頂点のひとつであるから。これが偉大なるオペラ作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの肖像。
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と書いてはいるが、この曲の冒頭の神秘性は、録音では決して真価が分からない。墓の底から湧き上がるようなかすかな低弦、そしてピアニッシモによる呟きのような合唱。こうして書いているだけでも、ゾクゾクしてきてしまうのである (笑)。今回の演奏でも、この冒頭の弱音はことさらに神秘的であり、この日の演奏を生で聴いた人だけが実感できた金縛りの瞬間と言えるだろう。そしてこの演奏においては、バッティストーニの指導力云々よりもむしろ、オケ、独唱、合唱すべての人々がこの上ない自発性を発揮して成し遂げた充実感を感じることとなった。実に彫琢豊かな演奏で、曲の個々の部分が持つ持ち味と深みを充分に表しており、合唱団の人たち (かなり年輩の方も多く含まれていた) にとっても、きっと生涯忘れられない経験になったことだろう。独唱の 4人は、ソプラノの安藤赴美子 (つい先頃まで新国立劇場で、名匠フィリップ・オーギャン指揮のもと、「蝶々夫人」の主役を歌っていた)、メゾソプラノの山下牧子 (深い声で常に安定感を示した。彼女も新国立劇場の「蝶々夫人」でスズキを歌っていたのである)、テノールの村上敏明 (予定された歌手がインフルエンザにかかり、急遽代役で登場したにもかかわらず、実に美しい高音を聴かせた)、バスの妻屋秀和 (いつもの通りの強い表現力)。いずれも素晴らしい出来であったが、中でもソプラノの安藤は、最終曲「リベラ・メ」の冒頭のソロでは、ついに楽譜を持つ片手を離して、体を屈しながら、深い感情を込めた歌唱を聴かせた。そうなのだ、この曲は古今のレクイエムの中でも最もドラマティックでありオペラティックな曲。人間のドラマこそが曲の命であり、感情の赴くままに自由なテンポ設定をする指揮者にオケも食らいついて行き、なんとも生々しい人生のドラマが展開した。繰り返しだが、これは全員の勝利であり、現代の東京で実現できる音楽の水準の高さを示すものであったろう。主演後のバッティストーニも、実に嬉しそうにしていた。
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今回バッティストーニと東フィルによるほかの演奏会に心当たりがなかったので、帰宅してから調べると、この「レクイエム」と、翌日に静岡県磐田市で演奏会を開くのみ。たった 2回の演奏会のためだけに来日したのだろうか。彼はまた 3月に東フィルの指揮台に戻ってくるが、イタリア指揮界若手三羽烏のひとりとされる人であるから、世界が彼を待っているはず。日本に長く滞在する可能性は低いのではないか。実は演奏中にふと気づいたことには、やはりこの三羽烏の一人とされるダニエーレ・ルスティオーニも、ちょうど今来日中のはず。二期会の「トスカ」と、それから東京都交響楽団とのコンサートもあるはず。残念ながら今回私はいずれにも足を運ぶことはできないが、昨年 6月の東京交響楽団との演奏会を記事として採り上げた。
http://culturemk.exblog.jp/24489238/

ちょうど同じ時期にイタリア三羽烏のうち二人までが東京に滞在しているとは、東京はやはりなかなかだと思っていたのであるが、実は、この演奏会終了時、充足した思いで会場を出ようと通路を出口方面に歩いていると、客席に白人がいるのが見えた。・・・な、なんとそれは、そのルスティオーニその人ではないか!! 一瞬ジロジロ見てしまったが、自分でも驚いたことに、考える間もなく彼に話しかけてしまったのである。
 私「マエストロ・ルスティオーニですか?」
 彼「(ちょっと戸惑って) は、はい」
 私「今日はどうでしたか。彼はあなたのライバルですよね?」
 彼「(やや気色ばんで) ライバルじゃない。同僚です!!」
 私「(丁重にお辞儀して) そうですか。では、『トスカ』がんばって下さい」
 彼 (無言で笑ってうなずく)

その後楽屋に向かう風情であり、そんなところで一般人からあれこれ言われたくないのはよく分かるので、自分の無遠慮さを申し訳なく思ったが、実は、後で調べて分かったことには、彼はこの日 14時から東京文化会館で二期会の「トスカ」を指揮していたのである!! このバッティスティーニのコンサートは 18時からであったから、ルスティオーニは、オペラを振ったあとすぐに上野から新宿に移動したに違いない。やはり二人は親しい友人なのであろう。すると、バッティスティーニも二期会の「トスカ」を見たのかもしれない。これがルスティオーニ。バッティストーニよりも 4歳年上である。
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ところで今回のプログラムに、バッティストーニの以下のような言葉が掲載されている。

QUOTE
ヴェルディの「レクイエム」には、イタリア人と神との関係が反映されています。イタリア人の「祈り」は、とても個人的なものなのです。自分と「神」との対話。私は神にこう尋ねる、とか、私はこのようなことが起こらないように願う、とか。だからこの「レクイエム」は、とても個人的で、人間的な作品なのです。
UNQUOTE

なるほどよく分かる。では今回、ひとりのイタリア人のもと、何百人もの日本人が成し遂げた演奏を、バッティストーニは、そして「同僚」のルスティオーニは、どのように感じたであろうか。そして、今後の音楽界を担うイタリア三羽烏のうちの二人までが集う、新宿文化センター。なんとも素晴らしい出来事ではありませんか!!二人して新宿界隈に飲みに行ったのでしょうかね (笑)。

by yokohama7474 | 2017-02-19 01:55 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に立つのは、首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。このブログでは再三ご紹介している通り、エストニア出身で、今や世界の指揮界で引っ張りだこの名指揮者。先週末に続いて私が今回聴くことができたのは以下のプログラム。
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲二短調作品 47 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 10番ホ短調作品 93

なるほど、ヤルヴィが先週採り上げたシベリウスの交響曲第 2番は 1901年の作で作品番号 43。同じ作曲家のこのヴァイオリン協奏曲はそのしばらく後、1904年の作で作品番号 47。但し現在演奏されるヴァージョンは、改訂を経て翌年 1905年に初演されたもの。この改訂初演のときのオーケストラはなんと、リヒャルト・シュトラウス指揮のベルリン・フィルである。西洋音楽史上で最も愛好されるヴァイオリン協奏曲のひとつになっている名曲だ。ソロを弾いたのは名実ともに日本を代表するヴァイオリニスト、諏訪内晶子。
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もちろんこの曲などは彼女にとっては目をつぶっていても弾ける曲なのであろうが、今回の演奏は彼女の新境地すら思わせる、大変に素晴らしいものであった。冒頭の静かな湖面の波紋を思わせる繊細な弦楽合奏のさざ波に乗って歌い出すソロ・ヴァイオリンは、強い集中力というよりも余裕を感じさせるもので、既にして諏訪内の音楽が尋常ならざる高みに達していることを思わせた。全曲を通して、完璧なテクニックが耳につくというよりは、時に音程すら危うくなるくらいの強い表現力を持って音楽を進めて行く様子に、終始圧倒されたのである。正直なところ、ひと昔前までは彼女の演奏には出来不出来がそれなりにあったように思う。だが今では、そのヴァイオリンは常に何かを語り続けるのである。我々は今後ともそれを傾聴しよう。彼女は今回も、アンコールとしておなじみのバッハの無伴奏ソナタ 2番からアンダンテを弾いたが、それはやはり確固たる自信に満ちた音楽であり、聴き手の心にストレートに響くものであった。ところで、諏訪内が音楽監督を務める「国際音楽祭 NIPPON」も今年が 5回目の開催。5月と 7月に東京と名古屋で意欲的なコンサートの数々が開かれ、最後は東日本大震災の被災地である岩手県久慈市でのチャリティコンサートで締めくくられる。きっと強い音楽で聴衆を勇気づけてくれることであろう。
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後半に演奏されたショスタコーヴィチの 10番は、1953年、スターリンの死後すぐに書かれた、この作曲家らしい屈折した難曲であるが、ここでも好調のヤルヴィと N 響のコンビが、聴きごたえ充分の演奏を展開した。改めて感じるのは、ヤルヴィの指揮の見通しのよさである。この交響曲を書いた作曲者の複雑な真意が何であるにせよ、このように個々の音楽的情景が揺るぎないクリアさをたたえた演奏によって純粋な音のドラマが立ち上がる様に立ち会うのは、なかなかに得難い体験なのである。彼は決して爆演系の指揮者ではなく、いかに音楽が熱狂しようとも、常に長い腕で冷静に音の流れを統御しているのだ。それでいて、音自体の迫力に不足することは決してない。沼の底から魑魅魍魎が浮かび上がるような冒頭から、なぜとも知れぬ熱狂が宙に舞い上がって行くエンディングまで、移り変わる情景に、人が生きる苦しみと喜びがにじみ出ている。この曲が作曲者自身を象徴する音型 (D-S-C-H) によって成り立っていることは以前から知られているし、不気味な第 3楽章が恋人を象徴しているらしいことも、もはや定説であろう。だが今回のプログラムによると、この曲は彼のいわゆる「戦争三部作」の掉尾を飾るものとして書かれたことが近年判明しているらしい。ショスタコーヴィチの戦争三部作とは、いわずとしれた交響曲第 7・8・9番であるが、このうち戦後に彼の交響曲として初めて発表された第 9番だけは、人を食ったような小規模でふざけた曲なのである。作曲者の中では、その第 9番の特殊性は充分認識されていたわけで、重厚な音が跋扈する (その一方でピッコロなどの高音の活用も大変に印象的な) この第 10番こそが、戦争三部作の 3作目であったとは、なかなか面白い。これからも新資料の発見によって評価が変わって行くであろうショスタコーヴィチ。
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今回の堂々たる演奏により、私にとってのヤルヴィと N 響は、これからも必聴のコンビであることを再確認したが、ひとつ残念なことがある。N 響は従来、3通りのプログラムによる定期演奏会のうち 1つはサントリーホールで開いているのであるが、同ホールは現在改修のために閉鎖中。このホールを本拠地とするほかのオケは、異なる会場を確保して定期演奏会を継続するのであるが、どういうわけかこの N 響だけは、サントリーホールシリーズは単に中止となり、つまりはこれから 9月定期までは、定期演奏会のプログラムは 2種類となるのである。だが今回ヤルヴィは、サントリー定期の代わりとして、ほかの会場で 2回のコンサートを開く。会場は横浜みなとみらいホール。曲目は極めて意欲的で、武満徹の弦楽のためのレクイエムと、マーラー 6番。しかも途中休憩なしに一気に演奏されるのだ。これがそのコンサートのポスター。聴きたい聴きたい!!
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だがここで問題がひとつ。横浜で平日のコンサートは東京勤務の人たちにとってはつらい。加えて、2/23 (木) は 15時開始だ。これはなかなかに厳しい。そもそも私は来週出張のため、これらのコンサートには行けないのだが、それにしてもこれは大変残念なこと。なんとかならなかったのであろうか・・・。

by yokohama7474 | 2017-02-18 23:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)