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今回は、名古屋で開かれている 2つの展覧会を同時にご紹介する。というのも、この 2つの展覧会、内容が重複しているからだ。

まずは、名古屋ボストン美術館の、「ダブルインパクト 明治ニッポンの美」から。
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これは、東京藝術大学と名古屋ボストン美術館の共同企画。明治の日本人が見た西洋美術と、明治に来日した西洋人が驚いた日本美術の展覧会だ。ここ数年、明治の日本の美術工芸についての素晴らしい展覧会が幾つか開かれてきた。今私の手元に図録がある限りでは、2004年 (えっ、もうそんな昔?) に東京国立博物館で開かれた「世紀の祭典 万国博覧会の美術」と、昨年三井記念美術館で開かれた「超絶技巧! 明治工芸の粋」が挙げられる。ともすれば西洋一辺倒になりがちな日本人の美意識であるが、近年になってようやく日本人が日本の美術の価値に気づき、誇りを持てるようになってきているということだろう。実際、この手の展覧会では、驚くような展示品と出会うことが多いのである。

名古屋ボストン美術館は、世界的な東洋美術コレクションを持つ米国ボストン美術館の分館で、年に何度も本館の所蔵品による展覧会を開催している。もちろん東洋美術だけではなく、西洋美術のコレクションも膨大なのだが、なんと言ってもこの美術館、近代日本の美術の父とも言うべき岡倉天心が中国・日本美術部長を務めていたという実績があり、それによってかけがえのないコレクションが出来上がったわけである。
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今回の展覧会で物珍しいものを挙げればきりがないが、まずはこちらから。河鍋暁斎の「蒙古賊船退治之図」。日本が開国寸前の 1863年 (文久 3年) の作品で、鎌倉時代の元寇になぞらえて、西洋からの黒船を一蹴する大和魂を描いているわけだ。うーん、それにしても、爆裂が敵船を吹っ飛ばして、まるでマンガの世界です。もしかして、旭日旗ってこれが起源ではないのかと思えるほどのインパクト。
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それから、これは高橋由一の「浴湯図」(1878年)。実はこれ、師匠にあたる英国人イラストレーターであるチャールズ・ワーグマンの作品の模写である由。日本の集団入浴を珍しがったワーグマンの描いた絵を、集団入浴に慣れた日本人である由一が模写するという入り組んだ関係はどうだろう。
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お次は江戸末期から大正時代にかけて活躍した浮世絵画家、揚州周延 (ようしゅう ちかのぶ) の「梅園唱歌図」(1887年)。この人、中国人かと思いきや、純然たる日本人である。先に取り上げた「江戸の悪」の展覧会でも多く作品が展示されていたし、また、高幡不動にも作品がいくつか展示されていた。明治期にはこのような西洋風の出で立ちをたくさん描いている。
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その他、明治期の洋画、日本画あれこれ展示されていて興味は尽きないが、大変面白いのは、ポスターにもなっているこの絵だ。小林永濯 (こばやし えいたく) の「菅原道真天拝山祈祷の図」。
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菅原道真が天の啓示を受けて、今まさに天神に生まれ変わろうかという場面。からだは背中から押されたようにつま先立ち。両腕は感電状態、杖は放され帽子は宙を舞う。さながら劇画のような表現であり、明治期の日本画壇においては極めて異色を放ったに違いない。

そして、これまたすごいのが、明治期の工芸である。いずれを取っても神品というにふさわしい。この鈴木長吉の「水晶置物」は、1877年に水晶だけがまず、第 2回内国勧業博覧会に出品され、ボストン美術館の依頼で、1902年に竜と波の置物が作られたとのこと。超絶的に美しい!!
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日本が開国による刺激を受け、海外で展示されることを目的として制作された品々には、実際、鬼気迫るものを感じる。その意味で、上記の展覧会に続けて、同じ名古屋のヤマザキマザック美術館で開かれている「世界に挑んだ明治の美 宮川香山とアール・ヌーヴォー」という展覧会を見ることができたのは大変に有意義であった。これは、世界的工作機械メーカーであるヤマザキマザックのコレクションを集めた美術館であり、同社本社ビルの中にあるが、なんというか、本当にヨーロッパの美術館そのままの雰囲気なのだ。それもそのはず、壁紙ひとつ取っても、確かハンガリーだかどこかの欧州の国からの取り寄せの特注品だ。通常展示はこんな雰囲気。名古屋地区の方には、是非一度この美術館を訪問されることをお奨めする。
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初代宮川 香山 (1842 - 1916) は、神業と賞賛された高浮彫で知られる工芸家。ま、無駄なことをグダグタ書くより、その作品をご覧頂きたい。最初のカニのついた鉢は、重要文化財だ。
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なんと素晴らしい。息を呑むとはまさにこのこと。いかにテクノロジーが進歩しても、このような究極の職人技には適わないだろう。願わくばこのような水準のモノ作りの技術を日本人が受け継いでいけますように。この展覧会では、宮川の作品のほかに、ラリックやガレの作品も展示されていて、それはそれで当然美しいのだが、既に世の中でよく知られている。真の驚きは、宮川の作品だ。実は今回、ラリックやガレはヤマザキマザック美術館の収蔵品であったが、宮川の作品の多くは、宮川香山真葛ミュージアムというところの所蔵である。この聞きなれない美術館、京都かどこかかと思って調べたら、なんとなんと、横浜駅近くではないか。それは知らなかった。今度行ってみることにしよう。

さてさて、最後にもう一度、ダブルインパクト展の展示物に戻ろう。今回私の目を引いたナンバーワンは、これだ!!
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この種の置物を自在置物という。江戸時代後期に高石重義という人が作ったもので、ボストン美術館の所蔵。体長 2mで、驚くなかれ、口や手足の関節が動くのみならず、胴体は円筒状のパーツをつなぎ合わせてできており、とぐろを巻くような複雑なポーズも自由自在。これ、すごすぎる。ゾクゾクする。というわけで、調べてみたところ、マリア書房という出版社から自在置物の写真集も出ているし、さらに!! 嬉しいことに海洋堂がこの竜のフィギュアを作っているのですぞ。というわけで、拙宅の混沌の塊のようなフィギュアコーナーに加わってもらうこととしました。2枚目、竜が嬉しそうにのけぞっているのがお分かりでしょうか。
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by yokohama7474 | 2015-07-25 01:18 | 美術・旅行 | Comments(2)

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イギリス 19世紀ロマン派を代表する画家、J・M・W・ターナー (1775 - 1851)。今日、英国が自国の美術作品を展示する美術館である Tate に行くと、この画家だけでこれでもかとばかりの展示がある。その素晴らしい表現は、印象派はおろか、遥か抽象画にまで影響を与えた巨匠である。私にとっても、多分歴史上で 10指に入るくらい、大のお気に入りの画家である。その巨匠ターナーの生涯を描いた映画を見ないくらいなら、長久手古戦場でバーベキューでもしている方がましだ。

なになに、主役を演じるのは、ティモシー・スポールとな。あのハリー・ポッターシリーズでピーター・ペテグリューを演じた役者らしい。おっと、コイツか!!
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えーっ!! ロマン派の巨匠ターナーでしょ。何かの間違いではないのか。紳士の国英国で、歴史に残る数々の傑作をものしたターナーが、こんな風貌であるわけがない。と思って映画を見ると、こんな感じ。
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あっちゃー、これ、一緒じゃん。画家のターナーだよね。ティナ・ターナーじゃないよね???

悪ふざけはこの辺にして、映画についての感想に入ろう。これまで、決して美形でないけれど、痛いような人生を感じさせる画家の伝記映画はいくつかある。例えばフランシス・ベーコン。例えばポロック。例えばバスキア。皆それぞれにいい映画だった。でも、しつこいようだが、今回は精神性あふれる作品を数多く残したターナーだ。醜悪であるわけがない。・・・と思ってちょっと調べてみると、この画家に関しては、個人的な事柄はあまり知られていないらしい。その意味で、呵責ないシーンをあれこれ含むこの映画は、一般に知られたいくつかのエピソードを散りばめつつも、従来のイメージとは異なる、リアルなターナー像に迫った映画と評価できるだろう。

まず、この邦題が意味深だ。「光に愛を求めて」。そう、彼が愛を求めるのは、人間ではなく光なのだ。決して人とコミュニケーションが取れないわけではない。また、女性に対して淡泊というわけでもない。でも、本当の意味で彼の心に巣食っているのは、様々に変幻する光であって、それをとらえるためなら、あらゆる犠牲を惜しまない。それがターナーだ。晩年の代表作のひとつ、「雨、蒸気、速度」(1844) を見てみよう。
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ここでは雨の中を疾走する蒸気機関車が描かれているのだが、雨や蒸気のみならず、速度が描かれているところが、何よりも斬新であるのだ。音楽の世界では、かなり時代も下り、モダニズムの世界に入ってくるが、オネゲルの「パシフィック231」と共通するところがある。それだけターナーの表現が時代を先駆けていたということだろう。

この映画の監督、マイク・リー (スパイク・リーではありません。念のため) は、過去にカンヌのパルムドール受賞の経験もある英国の名匠らしいが、私自身は過去の作品を見たことがない。ただ、この映画のエキセントリックなターナー像を、嫌味なく巧みに描いていると思う。形式的な尊敬を表すではなく、人間ターナーに迫ろうという真摯な態度が伺われる作品だ。

この映画、実在の人物がいろいろ登場する。サー・ジョン・ソーン (ロンドンのホルボーン近くに、邸宅をそのまま美術館として保存している場所があり、この時代に興味ある人には必見だ) や、ライバルであったコンスタブル。また、ヴィクトリア女王とアルバート公も出てくる。そんな中、改めて興味を持ったのは、ジョン・ラスキンだ。美術評論家で、いわばターナーを世に出したこの人は、1819年生まれだから、ターナーより実に 44歳年下。劇中の議論の中で、クロード・ローラン (少し前の時代の風景画家で、当時大変な尊敬を集めた) をラスキンがけなし、ターナーがその意見に反対する場面が興味深かった。もし実際にあんな感じであったなら、ターナーは自分の擁護者であるラスキンに対して、あまり感謝の念もなかったように思われる。それはこれまでの理解と異なるものであった。と思って考えてみると、ラスキンはホイッスラーの作品を貶して裁判沙汰になったはず。件のホイッスラーの作品、「黒と金色のノクターン 落下する花火」(1875) は、いわばターナーの方法をさらに推し進めたような作品だ。
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ターナーを絶賛しながらも、後年 (ターナーの死後) ホイッスラーの作品をこきおろしたラスキンは、一体何を理想としていたのか。この映画の中に出てくる、頭でっかちの生意気な青年、ラスキンは、実際あのような人であったのかもしれない。

このように考察してくると、この映画は、ターナーや彼を巡る歴史的事項について全くイメージのない人が見ると、よく分からないかもしれない。でも、音楽を多用せず、感情的な起伏を過度の演出で見せることも周到に避けた手法は、あたかもターナーの作品に当時の人々が感じたのと同じような斬新さを持っているのではないか。決して美術のドキュメンタリーではなく、人間の持つ不可思議な面を端的に表した作品として、多くの人に鑑賞されることを願ってやまない。

但し、観客は、主演俳優の顔に生理的不快感を持たない人だけになってしまう点、監督も計算済みであろうが・・・。

by yokohama7474 | 2015-07-24 01:46 | 映画 | Comments(3)

北川 民次 (1894 - 1989) のファンである。北川は 1914年に米国に渡ってアート・ステューデンツ・リーグに学び、1921年にメキシコに渡った。1936年に帰国してからは愛知県瀬戸市に居を構え、二科会の会長も務めた日本洋画界の重鎮である。私の場合、彼のメキシコ時代の作品が、かの地の巨匠たち、すなわち、リベラ、シケイロス、オロスコなどの影響を如実に示す力強い作風であるので、もともとこれらメキシコ絵画に大いなる興味を持った高校時代から、北川にも大変な共感を覚えたものだ。今年は彼の生誕 120年。ゆかりの瀬戸市でそれを記念して、110点もの作品が展示されているというので、出かけてみた。私はまた、日本の地方美術館というものが好きで、ガラーンとした中に郷土ゆかりの有名無名の作家の作品が人待ち顔をして並んでいるという雰囲気に、なんとも Intimate な感情を抱いてしまうのだ。
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今回は、この瀬戸市美術館 (北川のアトリエもここに移築されているという) と瀬戸信用金庫の所蔵品の展示であるということ。最も古い作品は 1930年代まで遡るが、ほとんどが 1950年代以降のものだ。それらの中には、地元の風景を描いたリトグラフや壁画などが含まれる。これは、「瀬戸の母子像」という作品。
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また、これは焼き物のまち瀬戸市という土地柄を表す、「陶工たち」という作品。
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彼の造形は、力強い描線によって働く人たちや静物を大きく描くことで、常に生命力の横溢する画面を創り出す。レジェやピカソの影響と、壁画で有名なメキシコの巨匠たちからの影響のミックスと考えれば分かりやすい。その意味で、瀬戸という土地に根を据えて長い人生を送ったこの画家の創作人生を垣間見るには充分な展覧会だ。

だが。だがである。私がこれまでいろいろな美術館や本で見てきて、心から共感している北川 民次の絵画は、残念ながらこの程度のものではない。やはり若い時代、メキシコで描いたものが彼の創作活動の頂点であったと思う。例えば、国立近代美術館の所蔵する 1931年の作品、「ランチェロの唄」はどうだ。
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あるいは、名古屋市美術館所蔵の「トラルパム霊園のお祭り」。1930年の作だ。
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うーん。一見して違いは明らかだ。ただならぬ雰囲気を放つ作品たちだ。残念ながら今回の展覧会では、このレヴェルの作品に巡り合うことはできなかった。まあ、地元密着の美術館の企画として、そのローカル性を楽しむべきだと割り切ればよいのであろう。

さて、その後名古屋市内への移動の途中、長久手古戦場に寄ってみた。歴史上、小牧・長久手の戦いと呼ばれていて、小牧と長久手はすぐ隣接しているのかと思いきや、なんのなんの、この 2つの場所は、直線距離でも多分 30km はあるのではあるまいか。小牧は名古屋の北、長久手は東である。この戦いは、要するに本能寺の変で信長が討たれたあと、清州会議を経て、その後秀吉が天下を取るまでの間の戦いのひとつで、徳川家康・織田信雄連合軍と相対したもの。秀吉は家康に一目置いていたらしいが、この戦いでも徳川・織田を尾張に封じ込めようとしたところ、思いのほか苦戦を強いられ、和議に持ち込んだという経緯がある。ここ長久手では、1584年、徳川軍が豊臣軍に大勝利を収め、秀吉の甥である秀次 (後年、秀頼誕生後、高野山で蟄居の後秀吉から切腹を命じられる、かの仁だ) は敗走したとのこと。そう、日本の覇権を巡る英傑たちの戦い。この長久手には、そのような歴史の重みを感じさせる何かがあるはずだ。炎天下の木洩れ日に、石碑が重々しい。
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古戦場自体は公園になっていて、当時の戦場を縮小して、実際の山を築山で表している。なかなかに面白い試みだ。
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さて、資料館があることを発見。ちょっと覗いてみよう。うーん、随分と古い建物で、昭和も 40年代くらいのものではないのか。と、入口に年期の入った案内図が。
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な、なにー。「長久手古戦場いこいの広場」・・・??? 英傑たちの命を賭けた戦いの場で、あ、あろうことか、「いこい」を感じてしまってよいものだろうか。うーん。ともあれ、資料館の中に入ってみると、なにやらジオラマが。
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戦い当日の兵の動きを解説する、いかにも昭和な雰囲気の男性ナレーターの声が。BGM は、まあいろんなところで聴く羽目になっているが、チャイコフスキーの悲愴交響曲の第 1楽章と第 3楽章です。「年代から考えて、カラヤンの EMI 盤かな」などと、根拠のない推測を独りごちる。その他、甲冑とかほら貝とか采配とかが展示されていたが、何も当日使用されたというものではなく、あくまでイメージ上の演出であった模様。

どうもここは、かつての激戦を思わせるようなものは何もないので (まあ考えてみればそれは無理な話でもある。話に聞く関ヶ原のキッチュな武将人形でも置かない限り)、開き直って、いこいの場所としての再利用が企図されたということか。若干複雑な気持ちを抱いて園内をなおも歩いていると、こんな看板が。
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あー。火縄銃は危ないからダメということですな。了解しました。歴史に思いを馳せるのは、また別の場所でのことと致します。


by yokohama7474 | 2015-07-23 00:58 | 美術・旅行 | Comments(0)

前にご紹介した八王子市の 2つの美術館を訪れるついでに、高幡不動と八王子城址を訪れたので、まとめてご紹介する。

まずは、日野市の高幡不動尊。このあたりは昔親戚が住んでいたので、子供の頃何度か訪れたことがあるのだが、その頃既に仏像に深い興味を持つ妙なガキであった私も、まさかここに素晴らしい仏像があるとはつゆ知らず、今回に至るまで、この寺に一度も足を運んだことがないという恥ずかしい事態に陥ってしまった。平安時代後期、11世紀末頃の作とされる、堂々たる丈六 (立てば 1丈 6尺 = 4.85m あるとされる仏像のサイズ) の不動三尊像。国指定の重要文化財。関東地方にこれだけ古くて巨大な仏像が存在していること自体、奇跡に近い。その雄姿をご覧頂こう。
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この不動様、像高 285.7cm、火炎光背まで入れると 419.8cm というからすごい。なんという力強さ。天災・火災の多いこの国で、また多くの戦乱を越えて、1,000年近くこのような像が失われずに伝えられてきたとはただごとではなく、地元の人たちや、場合によっては権力者の篤い信仰あってのことであろう。なんでも江戸時代に 9将軍家重が江戸でこのお不動さんを拝みたいと言って、実際に江戸で出開帳を行ったことがあり、それによってかなり損傷を受けてしまったとの説明を寺で受けた。ただ、いろいろ調べてみると、記録は限られているものの、その出開帳自体は非常な成功であったとのこと。いわば、お寺の名声のためにお不動さん自身乗り出したということなのでしょう。両脇侍のセイタカ、コンガラ両童子は、いかにも地方作りで素朴である。この三尊像、最近修復を受けているが、もう何年前になるだろうか、東京国立博物館で修復後のこの三尊像にお目にかかったことは何度かあった。その際、「ええっ、あの高幡不動にこんな素晴らしい仏像が・・・」と思ったものである。また、この仏像の素晴らしいところは、堂内に入って間近に拝観できることだ。若いお坊さんがその場で歴史を説明してくれたが、本来なら秘仏として奥深く鎮座して頂くこともできるところ、庶民を救う不動明王の本懐や、歴史の荒波を乗り越えてきた様々なご縁に報いるためにも、間近で拝見できるようにしたとのこと。本当にありがたいことだ。

さて、この高幡不動はほかにもいろいろ見どころがある。立派な五重塔 (古いものではないが) や鳴龍 (日光や京都のいくつかの寺にある、龍の天井画の下で手を叩くと龍の鳴き声のような反響が聞こえる仕掛け) があり、さらには新撰組副長、土方歳三の菩提寺であるそうな。
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日野は新撰組ゆかりの土地とのことで、車で市内に入ったときに、「ようこそ新撰組のふるさとへ」という表記が目に入ったものだ。新撰組関係の記念館等もいくつかあるようなので、また改めて訪れてみたい。

さて、その後訪れた八王子城址は、未だ観光地として整備されているわけでは決してない場所だ。ただ、歴史的には重要な場所である。というのも、これは小田原の北条氏が築いた山城であり、1590年にこの城が陥落したことが秀吉の小田原征伐の決め手となったからだ。すなわち、ここで無念にも散って行った人たちが、結果的に天下統一の礎になったとも言えるわけである。この城を攻めたのは前田利家と上杉景勝。そのとき未だ城は未完成だったと考えられているらしい。山城としては関東屈指の規模を誇り、城下町にあたる根小屋地区、城主北条氏照の館のあった居館地区、戦闘時に要塞となる要害地区等に分かれるが、落城してからそのまま再興されることなく、江戸時代は幕府の管理下にあり、そのまま近代を迎えたらしい。すなわち、かつてここに暮らし、戦った人たちの痕跡は跡形もなく消え失せたあと、全く放置されていたわけだ。未だ発掘が行われていないところもあるらしい。ようやく近年になって、少しずつ整備が進められているものの、本当に、昼なお暗い、鬱蒼とした山の中なのである。訪問者はまず、新しいガイダンス施設に立ち寄ることになる。時間帯が遅くなければ、ボランティアの説明者をお願いすることができる。
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さて、それから山道に入るが、居館地区に至るまでは比較的なだらかだ。一部、橋が架けられている。
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そして居館地区は、発掘された石垣や復元された門、そして、いくつかの建物の址からなっている。
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そして、この御主殿跡からは、数多くの焼き物の破片が出土しているという。中国伝来の焼き物が主とのことで、戦国時代とはいえ、それなりに文化的な生活が偲ばれる。
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まあこのあたりはまだ明るい平地なのでよいのであるが、実は、そのすぐ横に川が流れていて、そこは全く鬱蒼とした森の中で、光は差さず、真夏でもひんやりするような場所なのだ。特に、御主殿の滝という滝は、それほど高低差があるわけでもないのだが、落城時に御主殿にいた武将や婦女子が次々と身を投げたところらしく、川の水は三日三晩赤く染まったという。恐らく江戸時代のものかと思われる慰霊の石碑が立っている。
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そして、本丸があったという山の中に分け入ろうとすると、少し躊躇してしまう。とにかく、段は一応あるものの、ほとんど手つかずの山の中なのだ。神域となっているらしく、いくつか鳥居がある。これ、昔読んだ水木しげるの妖怪漫画の世界ではないですか。そのまま神隠しに遭ってしまいそうだ。そして、石鳥居の裏に記載された建立年は、明治 45年。すなわち大正元年。1912年だ。
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実はこの場所、ネット検索すると、都内有数のパワースポットあるいは心霊スポットという評価がされている様子。凄絶な落城と、その後放置されてきた歴史、そしてこの鬱蒼とした雰囲気には、確かにただならぬものがある。しかしながら、それは裏を返せば、日本人の歴史のひとつの舞台として、訪れる人になんらかの思いを抱かせる場所であり続けているということだ。歴史を学び、ここに来て過去に思いを馳せることで、何か発見があるはずだ。・・・私と家人の場合も、ひとつの経験をした。この城址を流れる川のほとりを歩いていると、苦しそうなうめき声や鬨の声などが川のせせらぎに混じるというネット情報があって、「まさかそんなことあるわけないよね」と言っていると、確かに川の音以外に、ブンブン低い音が混じって聞こえるではないか!! 一瞬ゾッとしたが、・・・それは飛行機の飛ぶ音でした。ま、人間の心理とは、そういう場所で想定しない音を聴くと、想像力で勝手に超常現象と思い込んでしまうのですね。人の無念さに思いを致すのは結構だが、それを心霊現象に結び付けるのは、いささか短絡的ではないでしょうかね。

by yokohama7474 | 2015-07-22 23:15 | 美術・旅行 | Comments(0)

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題名を見て惹かれたのは、戦後の日本における一般的な住居の変遷 (日本家屋から昔懐かしい団地に移行するなど) を連想したからであるが、実際に足を運んでみると、16人の建築家が設計した住居を紹介するという、純粋に現代建築に関する内容であった。よく見ると、この 16人の建築家の名前は上のポスターにも出ているし、写真も掲載されている。いつもながら早とちり、ああ勘違いという奴だ。

まあよい。建築ももちろん私の興味の対象。この小規模な美術館にふさわしい内容を充分楽しんだ。ここで紹介されている丹下健三から安藤忠雄まで、様々なタイプの建築家が設計した住居は、多くが自身または家族のためのものである。まあ実際、建築家たるもの、前衛的な作品を世に問うていながら、住んでいるのがライオンズマンションですとなると、ちぃとばかり具合が悪い。もちろん、コンクリート打ちっぱなしで格好いいけど寒かろうが、バリアフリーを一切無視した細かな階段が多い作りであろうが、外から土足で入り込めようが、建築家たるもの、涼しい顔で、「究極の個人空間において、外部社会におけるパラダイムシフトとの接点を維持しつつも、同時に移り行く四季おりおりの季節感を充分に感じることができるような、いわば癒しの温度を持った住むための機械としての住居」を追求せねばならない。

上記の引用は、誰の言葉でもない。今私が書きながら、適当にでっち上げたものだ (もっとも、「住むための機械」という言葉は、皆さんご存知の通りのコルビジェの有名な言葉だ)。でも、なんだかちょっと、もっともらしいでしょう? いつも不思議に思うのだが、建築家が建築を語る際に使う言葉は、なぜか大変に観念的なものが多い。これはなかなか難しいところがあって、例えば夢窓疎石とか小堀遠州とか、昔の作庭家であれば、何も言辞を弄さずとも、鑑賞する武士や貴族などが、「結構な庭じゃのう」と言えばそれで済んでしまい、一般庶民には無縁な世界であったところ、今日では多くの建築の公共性の観点からも、建築家が何か言わされてしまうという事情があるのだろう。特にコンペで作品を説明するときに、「えー、何も考えずに設計してみました。皆さん楽しんで下さい」というわけにはいきませんからね。理系に分類される極めて実務的分野でありながら、本来は充分に文系的感覚を必要とされる建築家という職業、なかなかに大変だ。あの安藤忠雄ですら、今回の新国立競技場騒ぎを巡っては、世論は厳しいものになってしまっているわけで、本当に因果な商売である。

ともあれ、今回の展覧会、大変にユニークな住居が 16点紹介されていて、興味深いものではあった。建築家自身の語る設計コンセプトや当時の逸話についての映像、設計図、関連資料や写真などが展示されていた。展示物は撮影禁止であったが、それぞれの家の内部を大きな布に印刷した写真が展示されていて、それなら撮影 OK とのことであったので、尊敬する磯崎新の「新宿ホワイトハウス」(1957年) をパチリ。
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しかしそれにしても、上記の繰り返しになるが、芸術の一分野としての建築には、絵画や音楽にない公共性という問題が宿命的について回る。今回の展覧会でも紹介されている黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」など、以前銀座から新橋に向かって歩いているときに偶然発見して、そこにある説明書きにワクワクした経験があるが、実際にはワクワク感は通りすがりの人たちの勝手な思いであって、保存や活用を巡っては大きな問題になっているようだ。以前 NHK の番組で、ここに住んでいる若い建築家がインタビューに答えて、「不便だがいろいろヒントがある」というようなことを語っていたが、でも一般の人は違うだろう。こんな一等地にこんな不便なものがあってもどうしようもないという事情はよく分かる。かといってどこかにそのまま移転というわけにはいかない。いかに建築史上に残る名作と言えども、実用との兼ね合いを果たさなければ、いずれは消えて行く運命にあるということだろうか。ウィキペディアご参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%8A%80%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%AB

ただ今回の展覧会、図録は既に売り切れということで、なかなかの集客力であるようだ。熱心に見学する若い人の姿も多く見られた。「お、建築学科の若者ですか。芸術性と実用性の両立、がんばって下さいね。修辞を弄するのも必要だろうけど、一般の人たちにも分かってもらわないとね」と肩を叩きたくなるのをぐっと我慢して、梅雨明け初日の陽光がそろそろ収まりつつある夕刻の八王子の街に出たものである。ビールを飲むのに公共性は関係ないから、なんともお気楽な立場ではあったものだ。

by yokohama7474 | 2015-07-21 09:20 | 美術・旅行 | Comments(0)

フィレンツェを訪れたことは恥ずかしながら 1回しかないのだが、できればこれからの人生で何度も訪れたい街だ。何の誇張でもなく、街全体がそのまま美術館。人はシニョーリア広場に立って、未だにこの街の市庁舎として機能しているパラッツォ・ヴェッキオ (ヴェッキオ宮殿) を見上げるとき、そこに威風堂々と立つダヴィデ像が摸刻と知りながらも、ルネサンスの遺産が今に生きていることに、心震えるものである。さて、この宮殿の中に以前、もはや伝説となっている 2つの壁画があった。私も現地訪問時にそのことを知り、失われたその壁画のダイナミズムに思いを致したものである。その壁画とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの手になる「アンギアーリの戦い」と、ミケランジェロによる「カスチーナの戦い」だ。今回の展覧会は、その謎に迫ろうというもの。東京、八王子市にある東京富士美術館での開催だ。
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パラッツォ・ヴェッキオの中の、500人広間。現在の様子は以下の通り。ルネサンスの画家の伝記を残したことで知られるジョルジョ・ヴァザーリの手による大壁画があるが、かつてはこのどこかに、2大巨匠の壁画があったわけだ。最近のイタリア政府の発表では、レオナルドの「アンギアーリの戦い」」(1440年に起こったフィレンツェ軍とミラノ軍の歴史的な戦いを描く) は、現在の壁画の下に塗り込められているらしいとのこと。
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ダ・ヴィンチの天才ぶりには既にあらゆる言辞が呈されており、絵画に限っても、残された完成作の少なさと、どの作品でも一様に保たれている最高の水準によって際立っている。そのダ・ヴィンチの幻の壁画の手がかりを探すことになる今回の展示において、目玉は以下の絵画だ。
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これは、アンギアーリの戦いを題材とする壁画において中心的な場面をなす、「軍旗争奪」の板絵だ。作者不詳であるが、レオナルドの失われたオリジナルを彷彿とさせる作品だ。もともとナポリのドーリア・ダングリ・コレクションにあったことから、「タヴォラ・ドーリア」(タヴォラとは板絵の意味らしい) と呼ばれる。戦後行方不明になっていたらしいが、ドイツで発見。1992年に東京富士美術館の所有となり、2012年にはイタリア政府に寄贈されたということだ。従って今回の展覧会が、まずこの美術館で開かれることには大いに意味があるわけだ。これが都内の中心地での開催なら、押すな押すなの大混雑であったろが、八王子ということで、大変よい環境で鑑賞できた (因みに、今後は京都と仙台に巡回)。

それにしてもこの絵、なんという迫力であろうか。レオナルドの現存絵画には、このような息を呑む迫力を持ったものはない。なんでもオリジナルの壁面は、特殊技法を使ったゆえに、制作途中で絵の具が溶けてしまい、完成しなかったが、数十年はそのまま残されていたという。この軍旗争奪のシーンは、実はこの板絵以外にも模写がいくつかあって、今回の展覧会でも並べられている。だが、この板絵には、ほかと違う不思議な迫力があるとしか言いようがない。一度見たら忘れられないものだ。実は今回の展覧会を機に、東京藝術大学が立体模型を作成した。以下のようなものであるが、これは確かに複雑極まりない。もし仮に現実にこのような形態がありうるとしたら、ものすごい力と力がぶつかり合って、ある一瞬に静止する時にのみ、奇跡のように立ち現れるものだろう。肉眼で捉えることは無理であろうし、連続性があってはじめて成り立つ、完全なる 3次元の造形だ。永遠に凝固した一瞬だ。あー、フィギュアにして売り出してくれないかなぁ。ちょっと高くても絶対買って、毎日飽きもせず眺めたい。
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さて、一方のミケランジェロである。こちらの題材は、1364年のフィレンツェ対ピサの戦い、「カッシナの戦い」の最中にアルノ川で水浴びをしていたフィレンツェ軍が敵襲の報を受けて戦闘準備に入る場面だ。彼の得意とする筋肉隆々たる群像であったが、完成に至る前に彼はローマに呼ばれてしまい (1505年)、その後メディチ家の追放によって、壁に下絵が描かれたままで放置されたとのこと。今回展示されているのは、オリジナルの下絵に基づいて 1542年に作成した油彩画として残存する唯一の例で、アリストーティレ・ダ・ザンガッロという画家の手になるもの (但し、大きさはオリジナルの数分の一であろう)。
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うーん、これまた、いかにもミケランジェロらしい、力強さと、これでもかという多様なポーズにしびれる作品だ。これもやはり、一度見たら忘れないヴィジュアルイメージである。

人間性の謳歌を特徴とするルネサンス芸術であるが、この時代、イタリアという国はなく、同じ言語、同じ宗教を共有するイタリア人たちは、時に争い、時に同盟関係を結んで、大変な緊張関係にあったわけである。カトリックの威厳も宗教改革によって根底から揺らいでいたことを思うと、貴族、王族を含む当時の人々は、日々、誠に不安定な思いで生活していたことであろう。この時代、マキャヴェリは「君主論」を著したが、理想の君主に見立てたのは、チェーザレ・ボルジアであった。実はレオナルドも、一時期チェーザレ・ボルジアに軍事顧問としての売り込みをかけ、マキャヴェリと行動をともにするようなこともあったらしい。もっとも彼は晩年フランス国王フランソワ 1世の庇護を受け、彼のもとで亡くなるわけであり、最後まで手元に置いていたのが「モナ・リザ」であったことを思うと、激しい争いに同道するという経験に疲弊していたのであろうか。一方のミケランジェロは、政治的な活動にも身を投じた、もう少し闘争的な人間であったと思う。これら対照的な巨匠が、ここに一対の壁画を残しておいてくれれば、人類の大きな遺産となったであろうに。歴史とはままならぬものである。ただ、失われたからこそ、永遠に人々の思いを掻き立てるロマンがあるわけで、残された断片から想像力の翼を広げることができるのも、後生の人間の特権と言えるだろう。

by yokohama7474 | 2015-07-21 01:22 | 美術・旅行 | Comments(0)

フィンランドの女流画家、ヘレン・シャルフベック (1862 - 1946) の、日本初の回顧展である。東京藝術大学の付属美術館では、通常古美術や日本の作品が展示されることが多いのであるが、今回は珍しくも欧州の画家である。
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いろんな展覧会に行けば行くほど自分の無知と向き合うことになるのだが、それでも、これまで未知であった画家についてのなんらかのイメージを持つに至ると、少なくとも無限の無知の少しの部分が既知になるわけで、それはなんとも素晴らしいことだ。いろんな巡り合わせの中での経験と知識の蓄積が、自分の人生を豊かにしてくれることは間違いない。今回はそんなことを改めて思わせる、心に残る展覧会であった。

シャルフベックの人生は淡々としたもので、世界の歴史と切り結ぶ勇敢な行為もなければ、美術界を震撼させた新表現の開発もない。フィンランドという、長らく帝政ロシアの支配下にあった欧州の最果ての国のひとつにおいて、結婚もせずに母親と暮らした女性。容貌からは、理智の光を目に湛えながらも、大変おとなしい性格の女性というイメージが浮かんでくる。ただ、会場で解説を読んでいるうちに、いろいろな画家からの影響を受けたのみならず、生前から国際的に認められた画家でもあったことが分かってくる。以下のポスターで使用されている作品は、「回復期」と題された 1888年の作品。彼女はこのときわずか 26歳であるが、この作品がパリのサロンに出展されると、フィンランド芸術協会が買い取りを決め、翌年のパリ万博での銅メダル取得によって、彼女は国際的な名声を得たとのこと。
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面白いことには、この穏やかで微笑ましい、例えば米国のノーマン・ロックウェルすら思わせる作品が、実は失恋の大きな痛手 (フランス滞在時に英国人芸術家と婚約したにも関わらず、それが破棄された事件) から回復して行く自分を描いたとされているらしい。この画面から、そのような悲壮感を伺うことは難しい。ということは、大変に意志の強い人であり、また自分をある程度客観的に見ることができる人であったのではないだろうか。

シャルフベックは、3歳のときに階段から落ちて左腰に怪我を負い、一生杖を手放せない人であったとのこと。そのようなハンディキャップはしばしば人に一見内向的、だが実は意志の強い性格をもたらすものである。女流画家で、やはり事故でハンディキャップを負い、それを創作活動の原動力にした人として、すぐに思い出すのがフリーダ・カーロであるが、彼女が激しさを剥き出しにした闘争の人生を送ったのに対して、シャルフベックの穏やかさは全く対照的である。メキシコとフィンランドの風土の違いもあろう。だがそれ以上に、画家としてのメンタリティの違いであると思う。

さてこのシャルフベック、作風の変遷を辿ると面白い。初期の頃の作風は、私にはやはり、ロシアの 19世紀の絵画にいちばん似ていると思われる。例えばこの、「雪の中の負傷兵」という作品。今にもチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」の「レンスキーのアリア」が聴こえてきそうではないか。ご存じない向きは、往年の名テノール、ニコライ・ゲッダの歌う映像をどうぞ。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2
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しかしその後シャルフベックの作風は、控えめながらもあれこれと変わって行く。一目見て分かる、ゴーギャン風、ホイッスラー風、ルオー風、シャヴァンヌ風、ルドン風、セザンヌ風・・・。だが、最も重要なことは、いかなるスタイルを取っても彼女の本質は変わらないことだ。この展覧会の副題にある、魂のまなざし、いささか大げさに響くかもしれないが、この言葉は本当によくこの画家の本質を見抜いているものだと思う。彼女の生きた時代 (因みに、フィンランド最大の芸術家で国民的作曲家シベリウスは 1865年生まれなので、彼女と同世代だ) は、帝政ロシアからの独立や世界大戦のあった時代。世界が火花を散らし、殺し合っていた頃、彼女は常に変わらぬ視線で人や風景を眺め、その無垢な視線に映るものを描いたのだ。本展覧会の会場を歩いていてそのことに気づくと、なんとも心に深いものが沸いてくる。声高に叫ばずとも、ひとつのメッセージを世界に発し続けた画家の姿が、ここにある。

但し、シャルフベックに全く社交性がなかったかと言えば、決してそうではなかったようだ。若い頃にはフランスのポン・タヴァンにいたという。これは、ゴーギャンを中心とする芸術活動が行われた場所。また、英国コーンウォール半島のセント・アイヴズにもいたらしい。ここはヴァージニア・ウルフが幼少期を過ごした場所であり、後年はバーナード・リーチや濱田庄司が移り住んだ芸術家村だ。シャルフベックは、そのような芸術家が集まる場所で貪欲に様々な表現を吸収したであろうし、また、後年フィンランドの片田舎に閉じこもった頃にも、パリから最先端の芸術雑誌を取り寄せて研究していたらしい。一見穏やかな作風の裏に、常にたゆまぬ努力があったということだろう。

最後に、この画家のもうひとつの側面に触れておこう。さて、以下の絵は誰の手になるものか。
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そんなの簡単だ、上がヴェラスケスで下がホルバインだろうって? 実はこの 2点とも、シャルフベックが 1894年にウィーンに滞在した際に模写したもの。なんと達者ではないか。この技術の素地があるから、いろんなスタイルを試してみることができたのだろう。ところで調べてみると、ウィーンの美術史美術館は、この 3年前、1891年に一般公開したばかりだ。クリムトを中心としてウィーン分離派が設立されるのは、これより 3年後、1897年のこと。また、うたかたの恋で有名なオーストリア皇太子のマイヤーリンクでの情死は、5年前の 1898年だ。そんな風雲急を告げるウィーンの政治・文化情勢の中にシャルフベックを置いてみるのも、なかなかに楽しい。その魂のまなざしは、混沌とした大ハプスブルクの首都で、一体何を見ていたものであろか。

by yokohama7474 | 2015-07-20 23:50 | 美術・旅行 | Comments(0)

西洋の都市の中で、フィレンツェとかヴェネツィアとか、渋い例ではシエナなどという都市を特集した展覧会は、かつて日本で開かれているが、それらイタリアの諸都市以外に、どこが対象になりうるだろうか。もちろん、ウィーンとかパリとかロンドンなら、いろんな切り口で紹介できよう。でも、ボルドーを紹介するという今回の企画は、おっとそれがあったかと思わせるような意外性があって面白い。というのも、ワインに関する展示以外に何があるのか? と思ってしまうからだ。そういう人たちには、このポスターにおけるドラクロワの絵画をご覧頂こう。この荒れ狂うけものの強烈な印象に、興味を惹かれることであろう。よくワインに、「けものの匂い」という形容があるが、そう。ボルドーとけものの関係やいかに。
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さて、展覧会は、25,000年前の原始的な彫刻から始まる。これは、「角を持つヴィーナス」と名付けられている。
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ボルドーの属するアキテーヌ地方は、フランス南西部に位置し、スペインと隣接している。すぐ西側は大西洋に面しており、そこに注ぐジロンド川 (世界史で、フランス革命の主要な党派にジロンド派というのがあると習いましたね)、さらにはその上流ガロンヌ川が、ボルドーにワイン栽培に必要な水分と土壌を与えたわけであるが、どうやらその遥か以前に人類は、この地域の洞窟のあちこちに暮らし、生きた記録を残したようだ。スペインのアルタミラ洞窟と並んで壁画で有名なラスコー洞窟も、同じアキテーヌ地方に位置している。まあそれにしても、この造形の発想の豊かなこと。人間はなぜ、自分たちの似姿や狩りの様子を描いたのだろう。繰り返される日々の中で、動物にはない自覚を持って、何かを「記録」しようとした、その意志こそが、ただの無機物に「歴史」を刻んだわけである。何やら胸がドキドキする話ではないか。

さて、古代ローマによるガリア征服後、この地は地中海と大西洋を結ぶ中継地として発展したらしい。そして、早くからワイン生産がなされ、なんと、1世紀 (!!) からボルドーはワインの一大生産地として知られていたという。恐れ入りました。また、中世以降は、聖地サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼の経由地としても栄えたらしい。

世界史上、経済でも文化でもよい。ボルドー出身の著名人には誰がいるか。恥ずかしながら、私自身はこの問いには答えられなかった。だが、3M といって、モンテーニュ、モンテスキュー、モーリヤックが 3大ボルドー出身者であるそうな。ほかにも、画家ではドラクロワ、ルドン、マルケがボルドー出身。また、ゴヤも、晩年にスペインから亡命してこの地に住んでいたらしい。ワインを産する土地には、やはり豊かな文化の水脈があるのだろう。

ポスターになっているドラクロワの「ライオン狩り」は、実は、よく構図の分からない絵だ。全体像はこんな感じ。
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真ん中の馬が切れているのがお分かりになるだろうか。実はこの絵、1855年に完成したものの、1870年に火災に遭ってしまい、上部を失ってしまった。だが、名作には当時から人々にインスピレーションを与える力があるものらしく (この点、追って記事をアップ予定の、ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」にも共通する)、幸いにも、模写が残っている。これを見ると、ライオン狩り全体の構図がよく分かり、円熟期のドラクロワらしい、動きと色彩に満ちた素晴らしい作品であったことが分かるのだ。
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そして、これを描いた画家の名前は、オディロン・ルドン。世紀末象徴主義を代表する、あのルドンだ。ルドンのイメージはロマン主義者のドラクロワとは随分と異なるが、この作品、完全に原作の動きの特徴がとらえられているにもかかわらず、独特の幻想的な色彩感は、まぎれもないルドンなのである。後世の人間は、様々な画家をつい○○派という整理をして単純に分類してしまいがちだが、画家それぞれの個性は、別に○○派に合わせて絵画に表れているのではない。それぞれの見た世界をそれぞれの方法で再構築しているわけで、このルドンによるドラクロワの模写は、全く個性の異なる 2人の天才が、期せずして違う方法で世界の見方を教えてくれるという稀有な例ではあるまいか。

展覧会ではその他、昔日のボルドーの繁栄の様子を伺うことのできる遺品があれこれ展示されていて、興味が尽きなかった。以前インドに旅行に行った際に食事で同席した初老の女性がボルドー出身と聞き、「じゃあ、子供の頃からワイン飲んで育ったんですね」と軽口 (私の悪い癖です・・・) を叩いたところ、真面目な顔で否定されたことを思い出すが、ボルドーでワイン生産が盛んであるのには、古来より脈々と流れる文化的な背景があればこそということを今回実感した。私自身は一度出張でボルドーに行ったことがあって、滞在が週末を越えたので、ワイン畑ごと世界遺産になっているサンテ・ミリオンなど訪ねて大変楽しかったが、実は、そのように構えなくても、平日のランチの際、とある世界的企業の系列の工場の社員食堂にて、蛇口のついた横倒し状態の樽からほぼ全員がワインをグラスに注いでいるのを見て、彼らの日常生活の豊かさを思い知ったものだ。もちろん彼らは、午後も普通に働くのだ。オイオイ大丈夫かと言ってはいけない。それがフランスなのだ。ましてや場所がボルドーだ。ワイン飲まないわけにいかんでしょう。私自身、ワインについて体系的に勉強したわけではなく、けものの匂いとボルドーの関係を明確には説明できないが (笑)、まあともかく、太古の昔から人間とともにあり、文化の発展にも寄与し、また、ただ単に酩酊によるよい気分と仕事の効率(?)を人々にもたらしてきたワインを、とにかく楽しもうではありませんか。というわけで、我が家の安物のワインセラーから引っ張り出した高級ボルドー、これから飲みますよ。
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by yokohama7474 | 2015-07-20 00:42 | 美術・旅行 | Comments(0)

日本で初めて、チャイコフスキーの 3大交響曲が 1回のコンサートで演奏される!! つまり、

交響曲第 4番ヘ短調作品36
交響曲第 5番ホ短調作品64
交響曲第 6番ロ短調作品74「悲愴」

である。いずれも演奏時間 45分から 50分に至る大交響曲で、普通ならコンサートのメインに置かれる大人気曲だ。なので、今回のコンサートは、いわばメインコースを 3皿並べてタップリ楽しもうというものだ。演奏する側も聴く方も、要求される技術も体力も精神力も、尋常なものではない。しかも、指揮者もオーケストラも、本場ロシアから招聘。一体誰のアイデアだか知らないが、メチャクチャというか大サービスというか、とにかく、日本初の試みである。今回、池袋での演奏に出掛けてみたのだが、そのときに目にしたポスターが以下の通りだ。
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な、なに?! 完売??? 東京には、よほどチャイコフスキーが好きかよほどド M か、またはその両方という人たちが大勢いるということだろう。ああなんと嘆かわしい。・・・自分もその一人なのだが。

事前に、「あれってゲテモノでしょう」という指摘があり、それはそれで一理ある考えながら、私には期待があった。なぜなら、ロシア国立交響楽団である。あの爆演巨匠、エフゲニ・スヴェトラーノフが鍛え上げたオケだ。このポリャンスキーなる指揮者は知らないが、チラシには、「ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ以来の爆演型指揮者、ヴァレリー・ポリャンスキー初登場!」とある。うーん、超絶の天才ムラヴィンスキーを爆演型と定義してしまうのには抵抗あるが、なにせ、上記のポスターのような風貌である。いかにもロシア的パワーに満ちた力演が期待できそうだ。

実際に会場でプログラムを読んで知ったことには、このオケは、スヴェトラーノフが音楽監督を務めていたオケとは別物で、どういう配慮のなさか、同じ日本語名がつけられた別物と分かった。その正体は、ソヴィエト国立文化省交響楽団だ。あの名匠ゲンナジ・ロジェストヴェンスキーのために結成された、ソ連末期には最高水準と謳われた、あのオケであった。日本にもショスタコーヴィチやブルックナーの録音が紹介されていた。ということは、誤解はあったというものの、やはり一流である。ソ連崩壊後の 25年、ロシアの音楽界の状況を外部から知るのは困難で、実際に来日での実演や録音で接することがないと、そのレヴェルは分からない。以前このブログでも、この 1ヶ月半ほどの間に主要なロシアの演奏家がことごとく来日しているとご紹介したが (ご紹介が漏れているものもあって、例えばつい先日まで日本にいた、ミハイル・プレトニョフ率いるロシア・ナショナル・オーケストラも無視できない存在だ)、その中にこの一流 (であるべき) オケが、まさかゲテモノまがいの爆演を売り物に殴り込みをかけていようとは。全く東京という街は油断できないのだ。

このポリャンスキーという指揮者、今回が初来日のようだが、1949年生まれというから、今年 66歳。うーん、確かに見るからに爆演指揮者という感じですな。
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もともと合唱指揮者であったが、このオケがソ連崩壊後に合唱団併設として改組された 1992年、師匠であるロジェストヴェンスキーの要請で音楽監督に就任したとのこと。このロジェストヴェンスキーは、さすがに高齢となってあまり来日しなくなったが、日本でも読響の名誉指揮者としておなじみ。ビン底メガネに、御茶ノ水博士のような、空白の中央部を除いたモジャモジャ頭、指揮台を使わずに床に立ったまま長い指揮棒をブンブン振り回し、ときに愛嬌たっぷりな仕草で聴衆を煙に巻く。まさに鬼才というにふさわしい存在。その意味で、このポリャンスキーとロジェストヴェンスキーの見た目上の共通点は唯一、指揮台を使わないことだけだ。私の見るところ、このポリャンスキーは、外見に似合わず繊細な人で、音楽における感情を大事にしながらも、プロフェッショナルであらんという思いが克己心にもなり足枷にもなるタイプだ。従って、コマーシャリズムには乗りにくいだろう。今回の演奏でも、4番の冒頭が始まったときに聴かれたのは、爆演指揮者に期待する金管の野放図な咆哮ではなく、非常に慎重にコントロールされたハーモニーであった。ところが、聴き進むうちに、ここぞという時にテンポを大きく落としたり、アッチェランドをかけたりする場面もに出くわすことになり、その瞬間には確かに爆演型という形容もあてはまるなと思う。これはこれで、指揮者の切実な感情を反映した演奏であったと思う。どのシンフォニーも、極上の音で魂の震える感動があるということではなかったものの、少なくとも、非常に誠実な音楽を聴くことができたと思う。特に、単なる爆演型と一線を画すのは、弱音部のニュアンスだ。大きな盛り上がりのあとの弱音部が大変美しく、どの曲でもその点に新鮮な響きを感じることができた。そして最後、「悲愴」がまさに死んで行くように終わったあと、ガックリとうなだれていた首を上げると、聴衆の拍手に全く応えることなく、そのまま舞台の袖に引き上げたのが印象的であった。それは、作曲者自身が「レクイエムのようなもの」と呼んだこの曲の終楽章を、鎮魂の音楽として表現したという意図であったのか、それとも、もう聴衆に構っていられないほど疲れ切って、一刻も早く舞台から引き上げたかったのか、どちらだろうか。もしかして後者の事情によるものではないかと思えたのは、それほど終演後の指揮者が憔悴しきって見えたからだ。満場の大喝采はスタンディング・オベーションに続き、最近はあまり見られなくなった、指揮者だけ舞台に呼び戻されるというシーンを久しぶりに見ることになったが、指揮者がそれによってエネルギーを回復してくれたことを祈る。聴衆は、演奏そのものに大感動したというよりは、(もちろん名演ではあったと思うが) やはりこの無茶な内容のコンサートを振り終えた指揮者に対するねぎらいを表したかったものと思われる。

そのように考えるには理由がある。今回の日本ツアー、7月 9日から 27日までの 19日間、全国で 14回のコンサートが組まれている。これだけでもハードであるのに、このチャイコスフキーの 3曲を演奏するのは、実に以下の 10回!!

 7/12  横浜
 7/13  武蔵野
 7/15  盛岡
 7/17  新潟
 7/18  東京
 7/19  名古屋
 7/20  大阪
 7/24  福岡
 7/26  鳥取
 7/27  金沢

うーん、大丈夫だろうか。今回の憔悴ぶりが少し気がかりだ。

会場では、HMV の出店がポリャンスキーの CD が販売していて、このチャイコフスキーの 3大交響曲の CD は会場限定とのことだったので、購入した。
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帰宅して HMV のサイトで調べると、この指揮者はシャンドスレーベルに、ロシアもの (シュニトケやグバイドゥリーナを含む) や、あるいはシマノフスキ、ドヴォルザークなどのスラヴ系を数多く録音していることが分かったが、確かに、このチャイコフスキーの 3大交響曲は見当たらない。今回の会場に集った人たちはこの CD を聴き返して、あの無謀な試みの中で感じた興奮を反芻することだろう。なかなかない経験をさせてもらった。


by yokohama7474 | 2015-07-19 23:29 | 音楽 (Live) | Comments(0)

予告犯 (中村義洋監督)

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最近の邦画は、マンガを原作とするものが多いらしい。また、インターネットを使った犯罪や、個人で社会に挑戦するような内容も多いような気がする。この映画は、まさにそれらの要素をすべて兼ね備えたものである。

面白い映画であると思う。新聞紙を頭に被り、ネット上で犯罪を予告する犯人。それを血眼で負う警察。この犯人が狙うのは、社会を欺いた者や他人を馬鹿にした者などで、いわば社会悪と戦う犯人像がこれでもかと示されるのである。そしてこの犯人が画面に向かって指差す、その指のかたちが、なんともカッコいいのである。
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つまり、手の甲を縦にするのではなく横にして、かつ、人差し指以外の 3本の指は、きっちり握るのではなく、ゆるやかだ。普段何気なく人を差すときに、普通こうはしないだろう。その点に、なんらかの意志の力でメッセージを発している犯人像が垣間見える気がする。何か心に痛みを負った犯人であろうと思わせるのだ。実際、内容が分かってみると、大変に Emotional なメッセージが込められた映画なのである。犯人同士が和んでいる映像は、演技を越えたリアリティがあって、実際に撮影現場はこのようなよい雰囲気であったのだろうと思われるものがある。冷静になってストーリーを思い返してみると、極めてヒューマンな感情に満たされた映画であると思う。

主犯格の生田斗真は、「脳男」でもいい味を出していたが、その特徴的な鼻筋にただならぬ雰囲気があって、この映画の主人公には適役だと思う。その一方、彼を追いつめる役柄の戸田恵梨香は、背伸びして根性で社会と相対して来たという設定にはまずまずのリアリティはあるものの、欲を言えば、もう少し根の優しい部分をちらりと見せる複雑さがあれば、もっとよかったのではないか。

日本という経済大国は、しかし様々な矛盾に満ちていて、弱者はひたすら叩かれる。そこから這い上がる者もいるが、いつまでもくすぶる者もいる。この映画では弱者の弱者たるゆえんを結構仮借なく描いてはいるものの、それが重苦しくならない点、スタイリッシュな演出と言えるだろう。深刻な内容である割には、主人公の真の優しさを描くことで、決して後味が悪くない仕上がりになっている。きっとこれからも、この映画の幾つかのシーンを思い出して、前向きに生きて行こうと思う、そういう力を持った映画である。

by yokohama7474 | 2015-07-18 00:16 | 映画 | Comments(0)