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藤原歌劇団 ロッシーニ作曲 歌劇「ランスへの旅」2015年 7月 5日 日生劇場

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以前からの念願叶って、ロッシーニのオペラ「ランスへの旅」を初めて生で見ることができた (演出は松本 重孝、管弦楽はアルベルト・ゼッダ指揮の東京フィル、歌手は全員、藤原歌劇団所属の日本人)。感想を簡潔に申し上げれば、「素晴らしかった」「大変感動した」ということになろう。おー、なんと簡潔な。ただ、私が上記のような簡潔な感想に至った経緯を説明すると、結局いつものように長い記事になるのだが (笑)、まあそれは宿命的にやむを得ないことと申し上げるしかない。NHK が収録していたので、このブログをご覧の方もいずれ放送でご覧になるとよい。但し、放送では私が覚えたような感動は得られないかもしれない。それは、総合芸術であるオペラは常に実際の舞台に接してはじめて、その本来の魅力を体感できるからであるが、もうひとつ、考えるべきポイントがある。一般の方々はオペラという古い芸術様式を、既に過去のものとして鑑賞すべきものと思われるかもしれないが、存外この芸術分野の命は長くて、演奏家にとっても鑑賞者にとっても、時の流れとともに活きた芸術として実感される瞬間があるものだ。それはやはり、生の舞台だけが伝えうる感覚なのかもしれないのである。以下、なるべく噛み砕いてこのあたりについて書いてみたい。

まず、このプロジェクト、演奏主体は藤原歌劇団だが、それ以外に、日生劇場、東京フィル、大阪国際フェスティバル、フェスティバルホール、ザ・カレッジ・オペラハウスの共同制作となっている。その理由は、他のオペラにはないほど多くの登場人物が出てくることであろう。しかも、ただ出てくるだけではなく、超絶技巧に次ぐ超絶技巧。歌手は全員一流のソリストである必要がある。膨大な資金が必要である。世界のオペラハウスでは共同制作が増えているが、このように日本人のキャストと演出家によるプロジェクトを、劇場 (日本の場合は、専属演奏者を持たないハコである) までも巻き込んで進めることには大きな意義があると思う。

今回、東京では日生劇場が会場になっている。著名な建築家、村野藤吾の設計になる 1963年建造の劇場。古びたとはいえ、真珠を抱いた海底を思わせる内装がユニークで、なんともいい雰囲気があり、一度来たら忘れられない。また、今日は 3回の演奏の最後であったので、「本日千穐楽」と、古めかしい表示が入口に出ているのも楽しい。この劇場では時々オペラを上演しているが、どの席でも音響がよいので、安心してチケットを購入できる。
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さて、このオペラについてである。まず題名だが、ランスとは、フランスの歴代国王が戴冠式を行った場所。このオペラでは、フランス国王シャルル10世の戴冠式に向かおうとしている欧州各国の人たちが主人公だ。ところがこのオペラでは、結局誰もランスには旅しないのである!! 一体どういうことなのか。また、上述の通り、数多くのソリストを必要とするという異常な事態はなぜ発生したのか。それから、作品自体、ロッシーニの作品として超有名というわけではない。それはなぜなのか。

そもそもこの作品は、イタリアで人気歌劇作曲家となったロッシーニが、パリで一旗揚げるために書いた曲。1825年、この都市でイタリアオペラのイタリア語での演奏を公認された唯一の劇場、イタリア劇場の総監督に前年に任命されたばかりの作曲家は、フランス革命後の王政復古によって王座についたルイ 18世を継いだシャルル10世の戴冠を讃えるためにこのオペラを書いた。いわば、国王の戴冠という慶事を祝うための特別興行としてこのオペラは作曲され、その当時の名歌手をずらりと揃えた陣容が可能となったため、普通のオペラではほんの数曲しかない見せ場に匹敵する超絶技巧を駆使したアリアを、名歌手が入れ替わり立ち代り歌うという豪華な内容となった。初演は戴冠式のわずか 2週間後、その当時から大反響であったが (スタンダールが批評を残しているらしい)、作曲者はこの作品を特殊な機会音楽と考えたらしく、数回の演奏後自ら封印、楽譜は回収されてしまった。その後一部は「オリー伯爵」というフランス語のオペラに転用されたが、「ランスへの旅」の全曲は幻の作品となってしまう。その復元が始まったのは実に初演から 150年を経た 1970年代。複数の場所から発見された断片が繋ぎ合わされ、なんとか演奏できる形とされた。そのかたちでの初演は 1984年、あのクラウディオ・アバドがペーザロ (ロッシーニの生地) でのオペラ・フェスティヴァルで、ヨーロッパ室内管弦楽団を指揮して行った。その後アバドは、スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルという、自らが率いたそれぞれの団体でこの曲を演奏。まさに蘇演の立役者となった。日本にも、1989年に、ウィーン国立歌劇場の来日公演で、ずらりと名歌手を揃えてアバドはこの曲を持って来て、大きな話題になったが、当時まだオペラにあまりのめりこんでいなかった私は、それを敬遠した記憶がある。

フランス郊外の「黄金の百合亭」という宿屋に泊った欧州各国 (ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、ポーランド、スペイン、スイス) の上流階級や軍隊の人々。その間で、片思いあり、惹かれ合いながら意地を張って険悪なカップルあり、女性を巡る男同士の対決あり、また、女性の嫉妬もあり、とまあ、複雑な人間模様が展開する。但し、慶事用という作品の性格もあってか、例えば「セヴィリアの理髪師」のようなエゲつなくも滑稽な人間の本性を描くところには及んでおらず、さほど劇的なことは起こらず、とにかく美しい歌を聴かせるためにとりあえず歌詞がついていると言っても過言ではない (実際、作曲者はこの曲をカンタータとすら呼んでいる)。復元作だけに、未だ失われたままの部分もあるのであろう、ストーリーを深く追っても意味がない。なにしろ、メインの配役だけでも 14人。この声の饗宴はなんとも贅沢だ。また、この作品の面白い点は、自らが自らの祝典性をネタにしていることだ。すなわち、結局馬車の手配ができずにランスに行くことができなくなった登場人物は、代わりに、首都パリでシャルル 10世の戴冠を記念した一連の祝祭行事があることを知り、嬉々としてそれに参加することに決めるのだが、何を隠そう、このオペラ自体が、実際にパリでのそのような祝祭行事の一環として初演されたわけである。初演を見た観客たちは、登場人物と同様、この現実とオペラの設定との交差に大はしゃぎだったのではないか。尚、フランス国王万歳で全曲が終わる前には、登場人物がそれぞれの出身国の音楽を歌うシーンがあり、欧州の団結が謳われるのである。19世紀前半、まだまだ混乱と戦闘が続いて行く時代に、このような理想が打ち出されたケースは稀であるに違いない。

さて、演奏批評に辿り着く前に既に長文を書き散らしてしまったが、今回の演奏の要諦は 2つであると考える。1つは、このイタリア語の洪水を華麗なるアンサンブルで見事に再現した日本人の歌手たち。そしてもう 1つは、私はこちらが演奏の根本的な原動力になったと考えるが、イタリア・オペラの巨匠、アルベルト・ゼッダの、異様に生命力溢れる指揮だ。ゼッダは 1928年生まれというから、今年実に 87歳。
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年齢を全く感じさせない、情熱的でありながらきめ細かい指揮。東京フィルが、丁寧なリズムを正確に刻みつつ、時には柔らかく、時には強い推進力を持って、この珠玉の作品を自由自在に演奏し、歌手を絶妙にリードしているのを聴いて、心が熱くなった。特に、第 1部の最後の 14重唱 (!! 音楽史上ほかに例があるだろうか) では、危うく涙腺が緩みそうになるくらいの感動を覚えた。歌手陣も、若干の個人差は見受けられたものの、プロンプターボックスもない舞台で、全員何の危うげもなく歌い通した。もし 1人名前を挙げるなら、フォルヴィル伯爵夫人役の片岡 暁恵の完璧なコロラトゥーラは絶品で、満場の喝采を浴びていた。私は思うのであるが、欧州も含めた世界の中で、自国民だけでこの難曲をこのレヴェルで演奏できる国が、一体どのくらいあるだろうか。しかもそれが、ロッシーニなどその存在を知っていたかどうかも怪しい (笑)、欧州から遥か彼方の極東の島国なのである。我々はこれを誇りにしてよいであろう。

冒頭に、オペラには、演奏家にとっても鑑賞者にとっても、時の流れとともに活きた芸術として実感される瞬間があると書いた。その例を挙げてみよう。本作品には、コロンナというローマの女流詩人が登場するが、その保護を受けている若い女性が、デリアというギリシャ人孤児なのである。ドン・プロフォンドという登場人物が、この 2人に手紙を渡すシーンがある。そこでの歌詞は、"La cose vannot bene..." となっており、あ、すみません、イタリア語は分かりませんが (笑)、今日の字幕では「あなたの祖国は大丈夫」というような感じだったと思うが、デリアが何人だか、演出だけでは分からないところ、アバド版の CD の対訳には、「ギリシャでは事はうまく行っているから・・・」となっていて、さてどういう意味なんだろうということになる。そこで調べてみると目から鱗。ギリシャはこの作品が初演された頃、ちょうどオスマン・トルコからの独立戦争を戦っていたのだ。相手はもちろん異教徒。欧州メンバーとしては応援するしかない。恐らくこの作品の設定は、欧州文明の源であるギリシャは、今や孤児となっており、その後継者ローマが発展させた文明を牽引する諸国がそれを応援している、ということなのではないか。

さて、ここで私は思うのだ。もし今日の字幕が、「ギリシャでは事はうまく行っているから」と出たら、2015年に生きる我々は何を連想するか。言うまでもなく、現在のギリシャ情勢だ。今日 7月 5日は国民投票の日だ。EU 脱退可能性も日々大きくなっている・・・なるほどこのオペラ、初演されたときにはその頃の人たちの思い (ギリシャ独立戦争への支持) があり、また、この作品が復元された 1970年代、80年代ではまた別の思い (EC による欧州統合) を抱かない人はいなかっただろう (初演を担当したヨーロッパ室内管は、もともと EC ユース・オーケストラで、アバドが手塩にかけた欧州各国の若者たちだ)。そして今日、戦争ではないが、経済で深刻な問題を抱えているギリシャと欧州。

そう思うと、また違う情景が見えてくる。この曲の初演を見た人たちは、ロシア革命も冷戦も、ナチズムも世界大戦も、まだ経験していなかった。矛盾を孕みつつも、それぞれが近代国家として発展して行く過程であったわけで、世界全体のひずみにまでは思いは至っていなかったであろう。その時代に書かれた音楽を、21世紀の我々が聴く。永遠などという言葉は簡単には口にしたくないが、1825年の人々も、2015年の我々も、置かれた環境は違えど、同じ音楽に耳を傾けて感動する。それこそが、音楽の持てる、時代を超えた力ではないか。これこそが、冒頭の「素晴らしかった」「大変感動した」という簡潔な感想の源である。ふーっ、長い説明。

そうそう、演出について語らなかったが、少し背景での動きが懲りすぎの感もあったものの、それを除けば、安心して見ていられた。大団円では、登場人物の出身国以外の国の旗がいくつか入場して来たが、目を凝らして見ると、そこにはギリシャの旗もトルコの旗も確かに含まれていた。言葉で明確に表されてはいなかったものの、戦争をするギリシャもトルコも、地球における隣人なのであるというメッセージと捉えたい。

by yokohama7474 | 2015-07-06 00:18 | 音楽 (Live) | Comments(0)

セミヨン・ビシュコフ指揮 紀尾井シンフォニエッタ東京 (ヴァイリン : ライナー・ホーネック、チェロ : マキシミリアン・ホルヌング) 2015年 7月 4日 紀尾井ホール

室内管弦楽団である紀尾井シンフォニエッタ東京が、第 100回定期に招聘したのは、セミヨン・ビシュコフ。パリ管、ケルン放送交響楽団の音楽監督を歴任した名匠だ。このクラスの指揮者を呼ぶのは、金銭的にもスケジュールでもなかなか大変だと思うが、東京では彼の演奏会はほかにないので、この演奏会のために来日したのであろう。と書いて思い出したが、来週のロ短調ミサも、ビシュコフ指揮と当初発表されたが、その後トレヴァー・ピノックに変更になっている (豪華な変更と言うべきであろう)。
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曲目は、
モーツァルト : 歌劇「フィガロの結婚」K.492序曲
ブラームス : ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
ベートーヴェン : 交響曲第 7番イ長調作品92
というもの。ビシュコフなら、ベートーヴェン 7番でコントラバスを 10本並べてズンドコやりそうだが、驚くなかれ、この演奏会では、たったの 2本!! 古楽の影響で編成の小型化が進んでいるベートーヴェンの演奏にしても、これは小さい。ビシュコフ、新境地か?!

結果的には、いつもの爆演志向のビシュコフを聴くことができた。指揮棒は使わず、各楽章の提示部は反復するなど、最近はやりの原典主義も伺えたが、ヴァイオリンは対抗配置にはせず、ノン・ヴィブラートも採用していなかった。まあ基本は昔ながらのベートーヴェンを小編成でやったということで、指揮ぶりを見ていても、いつもの荒々しいビシュコフだ。そして事実、オケもよく鳴っていて、紀尾井ホールという小さなホールだからこそであろうか、これだけの小編成とは思えない迫力を現出していた。但し、このオケは弦に比べて管のレヴェルにはより一層改善の余地があるものと思う。

ブラームスのドッペル・コンチェルトでは、ホルヌングという若手チェリスト (1986年生まれのドイツ人。先ごろまでバイエルン放送響の首席) が、ほれぼれするような深い音色で聴衆を魅了した。ライナー・ホーネックは、もちろんウィーン・フィルのコンサートマスターのひとりであり、この紀尾井シンフォニエッタをはじめとして各地で指揮活動も展開している才人だが、私の印象では、「ひとりウィーン・フィル」とも言えるキュッヘルを除いては、ウィーン・フィルのコンマスがソリストとして隔絶しているという事実はない。なので、ひとえにホルヌングを聴くべき演奏であった。

ところで今日のコンサートマスターは、これもバイエルン放送響から来ている、アントン・バラホフスキーというロシア人であった。プログラムに「客演」との記載はないので、この紀尾井シンフォニエッタのコンマスも兼ねているのであろう。それから、コントラバス 2本と述べたが、これがなんと、河原 泰則 (若杉弘の時代からビシュコフの時代まで、ケルン放送響に在籍) と吉田 秀 (現在 N 響首席) であった。日本を代表する豪華コンビだ。終演後、ビシュコフが楽員と握手をして回る際に、河原と二言三言、言葉を交わしていたのが印象的であった。

紀尾井シンフォニエッタには、今後さらにユニークな活動を期待したいところ。

by yokohama7474 | 2015-07-05 01:07 | 音楽 (Live) | Comments(0)

速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち 世田谷美術館

重要文化財の代表作、「炎舞」で広く知られる速水 御舟 (はやみ ぎょしゅう)。わずか 40歳にして世を去った天才日本画家の展覧会を、世田谷美術館で見た。

広大な砧公園の一角にある世田谷美術館は、その良質な企画もさることながら、深い緑に抱かれた佇まいが、とても都内とは思えない。訪れるたびに気持ちがワクワクする美術館だ。
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速水御舟は 1895年に生まれ、1934年に死去した日本画家である。日本近代美術史上のビッグネームではあるものの、「炎舞」のイメージがあまりにも強く、画業の全体像を理解できる機会はあまり多くない。今回の展覧会の意義は、その御舟自身の画家としての表現力の幅の広さに加え、その周辺の、より知名度の低い画家たちとの間に、大きな影響を受けたり与えたりという関係があったことを理解することができるという点にあった。まず、今回の展覧会に出展されてはいないが、有名な「炎舞」を見ておこう。
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蛾の羽がチリチリ焼ける音が聞こえるようなこの絵から想像されるこの画家の持ち味は、「鋭敏な天才的感覚」「内省的」「人物画への無関心」「人間心理の闇への興味」というものであろうか。私は以前山種美術館でこの作品に触れた際、相対する人間をその場に縛り付けるような異様な迫力に言葉を失ったものである (尚、ちょうど今、山種美術館でこの作品が公開されている。http://www.yamatane-museum.jp/2015/07/hayami.html)。

上記の感想のうちの幾つかは、今回の展覧会でも再確認された。例えば、会場の入り口近くに展示されていた、この「菊花図」はどうだろう。
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この花は、ただの花ではない。まるでそこに佇んでこちらの様子を伺っているかのような生々しい存在感があるのだ。岸田劉生が唱えた、有名な「でろり」とした感覚が、ここには間違いなくある。そう思って調べてみると、劉生が生きたのは 1891年から 1929年。生没年とも、御舟とほぼ重なるわけである。日本画家と洋画家の違いはあれど、美のとらえ方に共通したものがあったということだろう。ただ、それだけではなく、時代の雰囲気というものが関係しているとも思われる。1999年に千葉市美術館で開かれた「甲斐庄 楠音 (かいのしょう ただおと) と大正期の画家たち」という忘れられない展覧会があって、そこには、異色の日本画家、甲斐庄楠音とその周辺の画家の、まさにでろり感覚炸裂!!の作品が多く展示されていて、今でも思い出すと身震いするくらい、強烈な印象を受けたものだ。その展覧会の図録をひっぱり出してみて、今回の展覧会で取り上げられている画家の作品がなかったかどうか調べたが、残念ながら画家の重なりはなかった。それは、楠音が京都の人であって、御舟一派とは接点がなかったことによるものであろうか。ただ、調べてみてびっくり。この楠音は、生年が 1894年。やはり御舟と同世代だ。そうすると、やはり彼らの活躍した大正時代に、活躍の舞台が東京であれ京都であれ、芸術家が何か人の心の闇を表現したくなる空気があったということだろう。一般的にはモダニズムのイメージの強い大正期であるが、なかなか単純に割り切れない時代だったということだろう。ここでは参考までに、楠音の作品をひとつ挙げておく。岩井志麻子のデビュー作、「ぼっけえ、きょうてえ」の表紙に使われた、「横櫛」という作品である。本も怖かったが、この絵も本当に怖い。
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さて、話が横櫛ならぬ横道ばかりになってしまっているが、少なくとも御舟のひとつの特色は、このようなでろり感であることは確かである。しかし、どうだろう。楠音の強烈なでろり感に比較すると、御舟の作品のすっきりとスマートなこと。楠音の作品は、時代の特殊性を纏っているが、御舟の作品は、時代を超えた普遍性を持っている。今回の収穫のひとつは、御舟の周辺で、このような「普遍的なでろり感」を持った画家がほかにもいたということだ。まず、ライバルであった小茂田 青樹 (おもだ せいじゅ)。御舟と比較するとさすがに見劣りするものの、きっちりとした情緒あふれる日本画らしい作品もあれば、内からのでろり衝動を明確に表したものもあり、優れた画家である。ところが、奇しくもこの画家も 1891年生まれの 1933年没と、やはり御舟と同世代で若くして亡くなっている。何か因縁を感じてしまう。下の絵は、「ポンポンダリア」という作品。
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それから、これも日本美術史上のビッグネームである、今村 紫紅が御舟の兄弟子であるとは知らなかった。しかも、この画家も、わずか 35歳で世を去っており、本当に因縁を感じる。その他印象に残ったのは、御舟の弟子である高橋 周桑と、吉田 善彦。いずれも、「何かが宿る風景」の画家と言えるのではないか。ヨーロッパの絵画で言えば、カスパル・ダヴィッド・フリードリヒやセガンティーニとの共通点を見出すことができる。高橋描くこの桜の絵は、セガンティーニの「悪しき母親たち」の日本版でなくてなんであろう!!
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御舟とその周辺の画家に関し、その「でろり性」を中心に論じてきたが、忘れてはならないことは、御舟の芸風の広さである。長生きすれば、あらゆる面で日本画の可能性を切り拓いて行ったに違いない。下の絵は、イタリアで描いた「オルヴェートにて」という作品。どうですかこれ。清水登之さながらの、ユーモアとモダニズムと、優しい視線を感じます。
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見応えいっぱいの展覧会を出て、空腹である自分を発見。美術館の中にある「ジャルダン」というフランス料理店で昼食を取ることとした。この美術館には何十回も来ているのに、このレストラン (結構有名らしい) には初めて入る。砧公園でホットドッグを食らうよりはずっと高級で文化的だ。そして出てきたサラダには、なにやら黄色いニンジンや、周囲が紫のニンジンが。その名もずばり、キニンジンとムラサキニンジンという種類だとのこと。へー、変わってるなぁ。しゃれた食事を紹介するような今風のブログではないので、いささか不本意ではあるが、「こういうネタもあった方がいい」という家人のアドバイスに従い、サラダの写真を載せることにします。でろりのデトックスにどうぞ。
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by yokohama7474 | 2015-07-05 00:24 | 美術・旅行 | Comments(0)