<   2015年 08月 ( 31 )   > この月の画像一覧

松本に来るたび、周囲をいろいろと観光して回っている。この場所は内陸であるにもかかわらず、古代から文明の栄えたところで、縄文時代の遺跡から古墳、古寺まで、興味深い場所が目白押しだ。

もちろん松本のシンボルは、国宝松本城。素晴らしい。
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ただ、今回は少し違った松本をご紹介しよう。この街の奥深さを実感できるはず。では、重要文化財のオンパレード。最初は、筑摩 (つかま) 神社。本殿は 1439年の建立。松本市内最古の建物である。現在は修復中で残念ながら見られないが、深い森の中にあるこの神社の佇まいには、思わず衿を正したくなる。この本殿、いわゆる戦前の旧国宝で、戦後重要文化財になったわけであるが、最近の評価でいきなり重要文化財になった建築物よりも、ずっと以前からその歴史的評価が高いということだ。ちなみに拝殿も 1610年の建立で、県宝に指定されている。
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これが拝殿。
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本殿は修復中だが、旧国宝との碑が立っている。
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この狛犬は明治のものらしいが、苔むして威厳がある。
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と、歴史に思いを馳せていると、こんな張り紙が。おいおい、こんなところでドローンを飛ばしている奴は誰だ!! それとも、まだ誰も飛ばしていないけれど、予防策として貼ってあるだけか???いきなり現代に呼び戻される (笑)。
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さて、気を取り直して、そこから 500m ほど南に進もう。住宅街の中に、もうひとつの重要文化財がある。若宮八幡社本殿だ。ごく小さいものだが、桃山時代の貴重な建築で、1670年に松本城の鎮守社を当地に移築したものと言われている。
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さて、ここから幹線道路に出ると、何やらこんもりとした丘が見える。これこそ、古代の昔からこの地の聖なる場所であったところ、弘法山古墳だ。この名前はもちろん弘法大師に因んだものだろうから、この地にも弘法伝説があるものと見える。
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ここは桜の名所らしく、こんな道を通って行くことになる。桜の頃はさぞや見事だろう。
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おっと、行く手に小高い場所に続く階段が見えてきた。あの先に一体何があるのか。ワクワクする情景だ。
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そして、急にどぉーっと開ける視界。この場所は 1974年に発掘調査が行われ、全長 66m の前方後円墳であることが分かった。被葬者は不明であり、年代にも諸説あるが、ことによると、なんと 3世紀にまで遡る可能性あるとのこと。それにしてもこの展望、素晴らしい。
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実はここには前にも一度来ていて、その時は一点の曇りもない晴天だったので、本当に素晴らしい高揚感を覚えた。古代の王も、この丘から日本アルプスを見晴らしたものであろうか。ふと、この丘自体が人工のものであったらどうしようという妄想にとらわれる。まさかそんなことはないだろうが、それにしてもこの眺めは何か特別なものだ。この内陸部に君臨した王とは、一体どのような人物なのか。ここからほど近い松本市立考古学博物館には、この地域の縄文遺跡やほかの古墳からの出土品と並んで、この弘法山古墳からの出土品も展示されている。発掘調査当時の興奮を伝える新聞記事もある。「信濃の王者、何を秘める」なんて、ロマンがあるなぁ。なにやらワクワク感がずっと続いているのである。
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ところで、このような装身具や鑑が出土しているのに、遺骨はなかったそうだ。もしお宝目当てで盗掘したなら、遺骨には目もくれず、鏡やガラス玉こそ持って行くだろう。なぜに遺骨を持ち去ったのか、大変に興味がある。英雄の骨に神通力があるという伝承でもあったのだろうか。

さて、さらに山に入って行こう。古代からこの地で深い信仰を集めてきた、牛伏寺 (ごふくじ) だ。実に、聖徳太子の創建と伝わるが、このユニークな名前にはユニークな謂れがあるのだ。唐の玄宗皇帝が妻楊貴妃の菩提を弔うため、使いが大般若経を積んで善光寺に向かう途中、この地で牛が伏してしまったという。その際に寺は牛伏寺と名前を変えたとのこと。なんとスケールのデカいこと (笑)。鬱蒼とした山の中、オゾンを胸いっぱいに吸うと、何か神秘的なことが起こりそうな気がしてくるから不思議だ。
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境内も、なんとも言えない清々しさ。石段の下に 2頭の牛の像があり、皆が撫ぜるのであろう、テカテカしている。
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さてこの寺には、貴重な仏像が何体も伝わっている。重要文化財だけで 7体。宝物館で拝見するそのお姿は極めて古様で、平安時代まで遡るであろう。すなわちこの地は、縄文、弥生から古墳時代、さらにそれ以降も、人が生活して信仰を守り続けた、文化豊かな土地なのである。尚、本尊十一面観音 (重要文化財) は秘仏なのであるが、飾ってあった写真を見ると、奈良・法華寺の十一面観音との共通性が気になった。法華寺像の極度の洗練には劣るものの、なかなかの雄作である。確か 2年後に開扉と書いてあったはず。是非見にきたいものだ。
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本堂にあたるのだろうか、大悲閣は、堂々たる建物だが、しめ縄がしてあるあたり、神仏混淆の名残が見受けられる。実際、このような山の中では、自然に対する畏敬の念が生まれ、それは神とも仏ともつかないという感覚が、日本人にあるのである。掛けられた絵馬には、江戸時代のものも見受けられ、人々の信仰が脈々と続いていることが分かる。

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さて、牛伏寺を後にして、さらに少し山の中に行くと、これまた大変ユニークな重要文化財を見ることができる。その名は、「牛伏川 (ごふくがわ) 階段工」。
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これは一体何か。実は寺の横に牛伏川という川が流れていて、数百年前から頻繁に氾濫を起こしていたらしい。それを、フランスの技術を使って段々を作り、治水に成功したというのがこの設備なのだ。これは近代の産業遺産というだけでなく、見た目がなんとも美しいのだ。周りの自然と溶け込んで、四季折々の姿を見せるらしい。豊かで清らかなこの水、それをコントロールする人間の技、その調和が実に素晴らしく、しばし立ち去り難い感動を覚える。重要文化財指定もむべなるかな。
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現地に飾られている、完成当時 (1918年の写真)。うーん、感動的だ。人間ってすごい。
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尚、この牛伏寺川、少し下ったところでダムになっている。この階段工を見たあとでは、これも何やら美しく見える。
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さて、次は日本の民家で重要文化財指定を受けているところを訪ねよう。馬場家住宅。1851年に主屋が建てられ、1859年に付随する建造物が建てられた。馬場家は、もともと甲州の武田の家臣であったが、武田氏滅亡後、この地に移って来たらしい。大変立派な佇まいだ。
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おっと、このポスターは何だ。「武井咲ちゃんも来たよ!」と書いてある。あ、これは、理系ミステリー作家、森 博嗣の「すべては F になる」のドラマ化だ。この作家の小説は幾つか読んでいて、この原作もなかなか面白かったが、へー、こんなところでロケしたわけですな。せっかく歴史に思いを馳せているのに、ちょっと気が散るなぁ (笑)。
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さて、まだもうひと踏ん張り。私がバイブルと崇める山川出版社の県別「歴史散歩」には、このような記述がある。2箇所から抜粋しよう。

QUOTE

金華山の北斜面の地下に、アジア・太平洋戦争末期に名古屋航空機製作所 (現、三菱重工株式会社) が、零式戦闘機を製造するために疎開工場として建設を進めた地下工場跡が未完成のまま残っている。工事は 1945 (昭和 20) 年 4月から敗戦までの 5ヵ月にわたって行われ、強制連行された朝鮮人や日本人が多く動員された。
・・・・・・
弘法山から東へ約 300m くだると、県道松本塩尻線にでる。すぐに右に分かれて中山霊園につうじる道の右斜面一体は、金華山地下の地下工場の延長として建設された半地下工場跡があり、朝鮮人と中国兵捕虜が工事に動員された。

UNQUOTE

実は、以前にもこの 2つの場所を探しに来たことがあった。日本が戦争末期にいよいよ追いやられて切羽詰まった状態で、それでも戦闘機を建造して戦いを続けようという悲痛な思いで切り拓いた場所。しかも、朝鮮人・中国人を多く動員したという、いわば歴史の暗部である。似たような話は、同じ長野県でも松代市に現存する大本営 (天皇を含めた国家の中心機能を、ここの洞窟に移転しようとしたもの) にもあって、そこは一般公開されているので、私も行ったことがある。その点、この松本の戦争遺跡は、そのような管理にはどうやらなっていないらしい。車で、上述の後者の中山地区のそれらしいところを徐行してジロジロ探してみたが、木が深すぎて埒が明かない。こんな情景だ。
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今回も万策尽きたかと思って天を仰いだが、ふと思い立ち、スマホで「松本 半地下工場」と検索したところ、なんと、以下のような松本市のホームページに辿り着いた。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/kurasi/tiiki/jinken/heiwa/sennsouiseki.html

これによると、上記の記述の前者、金華山近くに、里山辺地区に軍事工場の記念碑が立っているという。運転しながらスマホをかざし、散々細い道に迷い込んで試行錯誤しながらも、苦労してついに見つけました。これです。
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この辺り、今は何の変哲もない郊外 (とはいえ、松本市街地から車で 10分か 15分程度) であるが、歴史を考える上で非常に重要な遺跡が、人知れず埋もれていることが分かった。そのような忌まわしい戦争遺跡を、隠蔽することなくホームページで公開している松本市は、さすがに文教都市である。今回の松本訪問では、古代のロマンから始まり、最後は戦争遺跡にまで辿り着いたが、松本で音楽を聴こうという人なら、せっかくの機会に是非このような寄り道をしてみることをお奨めする。人生、寄り道から学ぶことがいかに多いことか。様々な人の営みがあるからこそ、その土地土地の持ち味が生きて、訪れる人を幸せにしたり、思慮深くしたりするのである。ただ座って音楽を聴いているだけでは分からないことが、このような場所に足を実際に運ぶことで、鮮明に見えてくるように思う。

さて、番外編として、都内から松本までドライブする際に通る中央高速に沿った場所にある、山梨県の釈迦堂サービスエリアから歩いて行ける博物館を紹介しよう。このサービスエリアは、縄文時代の遺跡の上にできているらしく、その遺跡からの出土品、実に 5,599点 (これを「約 5,600点」としない実直さが好ましい 笑) が重要文化財に指定されていて、下りのサービスエリアから少し高台に上ると、博物館で出土品の実物を見ることができるのだ。土器だけでなく、夥しい数の土偶も出土している。中央高速の途中で古代に思いを馳せるというのも、なかなかオツなものだと思いますよ!!
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by yokohama7474 | 2015-08-31 01:23 | 美術・旅行 | Comments(0)

この日、2015年 8月29日 (土) の朝、松本市内の某ホテルの殺風景な一室に、一生懸命「から騒ぎ」の脚本を読む一人の男性がいた。しばらく前からこの本を鞄に入れて持ち歩いていたくせに、最初の数十ページ以降全然読み進めることなく、この日の朝になってようやく読む決意を固めたらしい。折しも 8月も既に終わりに近づき、あたかもこの男性が幼少の頃、夏休みの宿題をぎりぎりになるまで放置していたことを想起させる・・・。この男性とは、ほかでもない、この私である。これまでの生涯に亘って一度も優等生であったことのない私にとって、もちろん夏休みの宿題など、最後の数日にまとめてこなすものであったし、オペラ「ベアトリスとベネディクト」の原作、「から騒ぎ」は、鑑賞当日に読むものと相場が決まっている。

いや、多少話を面白くするために言っているのであって、本気で受け取られては困る (苦笑)。その証拠に、この珍しいオペラの CD は、ベルリオーズを得意とした大指揮者、コリン・デイヴィスの録音の中古国内盤を事前にオークションで購入して、ちゃんと日本語対訳と首っ引きで鑑賞し、ばっちり予習済だ。もっとも、それとても、この上演を見に行く 3日前のことだったが・・・。ちなみにこの曲の録音は非常に限られており、バレンボイムがドミンゴを起用したものもあるようだが、既に入手困難だし、唯一は、コリン・デイヴィスが同じロンドン響と行った再録音があるが、もちろん日本語対訳などついていない。そんなわけで、この曲の予習としては、曲自体とその歌詞の日本語対訳、そして原作のシェイクスピアの戯曲と、なんとか事前に触れることができたわけだ。これを称して結果オーライという。

ともあれ、この作品、フランス・ロマン主義を代表する大作曲家エクトル・ベルリオーズ (1803 - 1869) が 1862年に完成させたオペラ・コミーク (台詞付のオペラ) である。実は、彼は晩年の 6年間は作曲活動を行っておらず、これがなんと、この作曲家の最後の作品である。それなのに、序曲を除いては、ほとんど全くと言ってよいほど演奏されないのは、一体どういうことだろうか。小澤は以前ボストンでこの曲を取り上げており、今回は久しぶりにこの 2幕物の全曲を指揮すると発表されたが、残念なことに、8月 1日に入院先の病院で転倒、腰を強打して骨折と診断され、やむなくキャンセルとなった。あーあ、せっかくこんなオリジナルの幟まで作ったのに・・・。
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会場入り口には、こんな張り紙が。
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いや実は、そればかりでない。人知れず主役ソプラノまでが降板だ。しかも、代役の歌手の紹介は、プログラムにも入っていない。
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あっちゃー、大丈夫かねこれ。まつもと市民芸術館は、鰻の寝床のように奥行きがあって、入り口からこんな動く歩道に乗って劇場へ。
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さて、会場に辿り着くと、映像で小澤征爾のメッセージが流れている。なんでも、「この度は私の全く間抜けな骨折で」(ママ) 指揮できなくて残念だ。迷惑かけて申し訳ない。1980 年にこの作品をボストンで取り上げて以来、この松本で、サイトウ・キネン・オーケストラと演奏したかったと語っている。
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不幸中の幸いは、この珍しいオペラを指揮する代役の指揮者が見つかったこと。ギル・ローズ。少なくとも日本における一般的知名度はゼロだが、ボストンで現代の交響曲を採り上げる団体、ボストン・モダン・オーケストラ・プロジェクトを立ち上げた指揮者であるとのこと。タングルウッドで学んだという点で、小澤とも縁がある (指導しているはずだが、このビデオの小澤の発言を聞くと、初対面であったようにも聞こえる 笑)。ともあれ、この珍しいオペラに触れることができる貴重な機会だ。
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今回の演出は、フランスの若手、コム・ドゥ・ベルシーズだが、彼は 2012年にここ松本で、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(山田 和樹指揮、主役イザベラ・カラヤン) の演出をした人だそうだ。私は松本でこの作品が上演された 2回とも見ているが、どちらも素晴らしかった。因みにこのベルシーズ演出の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」は、近々アラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルで演奏される由。そこでの語りは、マリオン・コティヤールだそうな。おっとそう言えば彼女はフランス人だ。

今回の上演、結果的には大変楽しいものであった。若干若さを感じさせるものの、安定した歌唱を聴かせたソリストの歌手たち。とぼけた味わいを含めた盛り上がりを、素晴らしい歌声で作り上げた OMF 合唱団。キビキビした運びとともに、抒情的な音楽に寄り添う柔軟性を見せたオケ。ステージセットはご覧の通り。この作品が保養地バーデンバーデンで書かれたことにちなんで、貴族の屋敷ならいろんなところで見かける温室の中でストーリーが進行する。
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このオペラ、原作と比べると、ごくごく単純化されている。原作では、ベアトリスとベネディクト (原作においてはこの 2人の間で凄まじい舌戦が展開するが、オペラではかなり和らいでいる) を含む 2組の恋愛模様の諸々と、狂言回しからなっていたが、ここでは、タイトルロールの 2名がメインで、あとはつけたしのようなもの。またここでの音楽は、数々の大作で派手な演出を好んだベルリオーズとにしては、大音響を欠いている。その繊細さは、作曲者最後の作品に似つかわしい。それから、ここには本当に耳をぞばだてる必要のある曲がいくつかある。例えば、第 1幕の最後に歌われる女声 2重唱は極めて美しく、オッフェンバックの「ホフマンの舟歌」の先駆であるかのように響く。ここで私は興味を持って調べるのだ。この曲と、「ホフマン物語」の間には、20年近くの差がある。実はその間にフランスで、シェイクスピアを原作とするオペラが、少なくとも 2作書かれている。グノーの代表作「ロメオとジュリエット」(1867年) と、トマの「ハムレット」(1868年。私はかつてジュネーヴでこのオペラを見たことがある) だ。これらの美しい作品は、このベルリオーズの作品の影響を受けて書かれたものではないのか。19世紀後半のパリにおけるシェイクスピア受容がよく分かる。

さて、ここで気づくことがある。このフェスティバルで昨年取り上げられたのは、ヴェルディの最後の作品、「ファルスタッフ」。今年はベルリオーズの最後の作品、「ベアトリスとベネディクト」。こうなると、来年はなんだろうか。まさか、プッチーニ最後の作品、「トゥーランドット」ではあるまいな。来年の演目を心待ちにしよう。

by yokohama7474 | 2015-08-30 23:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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白水 u ブックスには面白い本があれこれあるが、この小田島 雄志訳のシェイクスピア全集、全 37巻を購入してから、随分と時間が経つ。なにせ、西洋音楽や西洋絵画を楽しむには、シェイクスピアは必須なのである。あるいは映画を取ってみても、黒澤の「蜘蛛の巣城」が「マクベス」であるとか、「ウェスト・サイド・ストーリー」が「ロメオとジュリエット」であるとかいう基本形もさることながら、例えば、私が尊敬おくあたわざる女流監督、ジュリー・テイモア (一般にはミュージカル「ライオン・キング」の演出で知られる) が、マイナー作品「タイタス・アンドロニカス」を原作として「タイタス」という映画を撮ったり、あるいは、最近一体どうしてしまったのか分からずに大変残念な大天才、ピーター・グリーナウェイの「プロスペローの本」がもちろん「テンペスト」であったりすることからも、いかにシェークスピアが様々な芸術家の霊感の源泉になったかが分かろうというもの。ここで現代音楽に目を転じ、ベリオの「耳を澄ましている王様」(マゼールが世界初演) がやはり「テンペスト」であるとか、ライマンの「リア王」が大変感動的だとか、そうなってくるとちょっとマニアックなので、この辺でやめておこう。

と言いながら、実は遠い昔に、このシェイクスピア全集の第 1巻、「ヘンリー 6世」第 1部から順番に制覇しようとして、第 1巻すら読み終わることなく、挫折したきりだ。もともと芝居は好きな私であるが、脚本を書物として読むのは、どうも苦手なのだ。舞台で見ると、登場人物の判別は顔や服装や言葉で行うのだが、本になると、それが人物名になっていて、想像力を働かせるのはなかなかに酷である。これは裏を返せば、脚本を読み込めば、その作品のいろんなイメージを想像できるというもの。

この「から騒ぎ」、原題は "Much Ado About Nothing" というらしい。辞書で調べると、確かに "Ado" という言葉は「騒ぎ」「騒動」などとある。今度外人と話すときに使ってみるとするか。"W...What?!" という反応になること請け合い。そもそも日本人がそんなに高級な英語を喋るわけもないと思っているし、まあそれは実際その通りなので。ただ、この本の解説を見ると、この時代の英語では、"Nothing" は "Noting" (気づくこと) とほとんど同じ発音であったとのことで、この芝居のテーマが、「根拠のないこと (Nothing)」に基づく騒ぎであり、同時に「気づくこと (Noting)」によって始まりまた解決するということを意味しているという説もある由。

これを読むと、とどまるところを知らない言葉遊びがなんとも凄まじい。それこそ小田島訳の真骨頂なのであろうし、翻訳の苦心のほどは随所に偲ばれるのだが、実際に日本語で舞台にかかったときには、なかなか厳しいのかもしれない。まあしかし、シェークスピアのひとつの顔が言葉遊びにあることは間違いないだろうから、昔の英語の分からない身としては、このような訳からイマジネーションの翼を伸ばして劇を楽しむのも一興であろう。

それにしても、17世紀に書かれたこの戯曲、なぜにこうも人間の本質を描いているのだろう。誰かに対する信頼は、その信頼にもとるニセの情報によって簡単に覆る。高望み、から元気、有頂天という感情は、悪巧みによって、嫉妬、怒り、後悔、自己嫌悪・・・と、ほかの様々な感情にその座を譲ることとなる。この「から騒ぎ」は、さして長くもないその上演時間で、そのような人間心理をとことん描き出すのだ。そこに狂言回しも加わり、面白いことこの上ない。

ところでシェイクスピアについては、その正体が謎のままであり、そのテーマで何冊も本が出ているし、映画もいくつかある。彼の生地ストラットフォード・アポン・エイボンには 2度訪問したが、そこで目にするものも、詳細は省くが、実に面白い。そもそも英国の歴史的な場所は、ナショナル・トラストかイングリッシュ・ヘリテージが管理しているにも関わらず、ストラットフォード・アポン・エイボンの諸施設は、シェイクスピア協会か何かの管理になっていて、その事実だけで充分な事柄が物語られているのだ。実際英国では、シェイクスピアの生家が本物ではないということで、訴訟にもなったと聞く。また世の中には、なんとかこの空前絶後の劇作家の正体を暴こうと、いくらなんでもこじつけだろうという解釈をしている研究者が山ほどいるらしい。ここではその一端をご紹介しよう。以下の本に掲げられたシェイクスピアの肖像。この絵は、肩のあたりの描き方のぎこちなさから、実は後ろ向きの人物が後頭部に仮面をつけているところを描いていて、「私の正体を暴けるものなら暴いてみなさい」という意味だという説があるのだ!! いやいや、それ、考え過ぎでしょう。私には、ただのヘッタクソな絵にしか見えないのだが (笑)。
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さぁって、なぜ松本で音楽祭を聴いている途中にのんきにこんな本を読んでいるのか、答えはまた次回。

by yokohama7474 | 2015-08-30 00:41 | 書物 | Comments(0)

日本人指揮者として知らぬ者とてない小澤 征爾が総監督として 1992年に始まった、サイトウ・キネン・フェスティバル松本は、今年からずばり、セイジ・オザワ松本フェスティバルとその名を変えることとなった。背景はよく分からないが、小澤が今年で 80歳を迎えるのでひとつの区切りと位置付けられているようだ。フェスティバルの内容を見ると、これまでと何か変わったようには見えないので、何か政治的、あるいは財政的事情があるのかと勘ぐる必要はなく、ただ純粋に、音楽の世界で文字通り体を張った孤独な激闘を続けてきた偉大なるマエストロの名を将来に引き継ぐとともに (あ、もちろんご本人にもまだまだ頑張って頂きたいが)、サイトウって誰だという人はいても、オザワって誰だという人はあまりいないことから、さらなる知名度アップが企図されたという事情もあるのかもしれない。街中にもこんな、Matsumoto の M の字と、山々の姿をかけたとおぼしき青い旗があちこちに見られる。
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私がこの音楽祭に足を運ぶのは、今回が 7回目か 8回目だが、2011年以降は毎年来ている。それは、小澤の指揮に接することができるのは最近ではここと水戸くらいになってきているからであるが、ここに来ても、さて本当に小澤さんは指揮できるのだろかとハラハラドキドキするのが常である。その点今年は、早々にオペラの指揮を断念したことが伝えられ、あきらめがつくと言えば言える (?) のだが、入院中に転倒して骨折と聞くと、なんとも切ない思いを禁じ得ない。一応、9月 6日のブラームス 4番と、9月 1日の80歳記念コンサートでも一部指揮をすることにはなっているようだが、残念ながら私はどちらにも行く予定はない。

さて、今年はお盆明けから天候不順となり、今日も雨が降ったりやんだり。この音楽祭に来て、このような天候であった記憶がない。せっかくのセイジ・オザワ・フェスティバルとしての初回なのに、なんとも気分が盛り上がらない。コンサート会場のキッセイ文化ホール。以前から思うのだが、この屋根の形は、バイロイト祝祭劇場そっくりだ。
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さて、ロビーに面白いもの発見。去年まではなかったような気がするが、もしその記憶が正しいなら、やはり記念すべきオザワフェスティバルの初回だからということであろうか。ひとつは、小澤家のピアノ。よく彼が自分の半生を語るときに出てくる、戦後すぐに兄弟で横浜から立川までリアカーで運んだという、アレだ。
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それから、1959年、ブザンソン指揮者コンクールで優勝したときの賞状と、その時使った指揮棒。
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それ以外にも、Seiji Ozawa Recordings という新レーベルが発足するとのことで、第 1弾、昨年演奏されたベルリオーズの幻想交響曲が、10月の一般発売に先駆けて、しかも割引価格で売っている!! しょうがない。行きがかり上、買うしかないでしょう。
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さらに、"Seiji 50 to 80" と題する写真集。つまり、50歳から80歳までということで、過去30年間のいろんな情景をとらえている。今まで見たことのない写真がいろいろ入っていて、ちょっと高いが買ってしまいました。但し、いつどこで、場合によっては誰とという写真の説明がないので、資料として見たときには大変残念だ。
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例えばこの 2ショットは、バーンスタイン最後の来日のときか。いやいや、1985年、広島平和コンサートのときかな。この征爾浴衣は、ロストロポーヴィチとの共演のときかもしれない。いずれにせよ、小澤のコンサート後にバーンスタインが楽屋を訪れたのだろう。
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これもすごい。スピルバーグ、ジョン・ウィリアムズ、ヨーヨー・マ。場所は間違いなくタングルウッドだろう。私が行った 2002年にも 2006年にも、同じような顔ぶれが揃ったように記憶するが・・・。
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さて、前置きが長くなってしまったが、今回のコンサートについて語ろう。指揮はイタリアの名指揮者、ファビオ・ルイージだ。昨年この音楽祭でヴェルディのオペラ「ファルスタッフ」を指揮し、今年はオーケストラコンサートに登場のこととなった。外国人指揮者の 2年連続出演は、この音楽祭においては初めてのことらしい。
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この人は、ドレスデン州立歌劇場の音楽監督であったとき、同歌劇場の素晴らしいオーケストラ、ドレスデン・シュターツカペレと何度か来日しているが、若干線は細いものの、大変に流れのよい美麗な演奏を聴かせてくれた。リヒャルト・シュトラウスなど、絶品であった。ドレスデンはその後、クリスティアン・ティーレマンを迎え入れることになり、ルイージとの間は何やら険悪になったように見受けられるが、さて、一体何が起こったものか。どんなに才能のある人でも、職場の向き不向きがあるのですね。サラリーマンと、そこはそれほど変わらない (笑)。

今回の曲目は以下の通り。

ハイドン : 交響曲第 82番ハ長調「熊」
マーラー : 交響曲第 5番嬰ハ短調

このハイドンの曲は、いわゆる「パリ・セット」の 6曲の中のナンバリングではいちばん最初の曲 (書かれた順番は今では番号通りでないことが分かっている)。83番の「めんどり」と並んで、ハイドンのユーモアが随所にあふれる、大変楽しい曲だ。終楽章冒頭のテーマが、ボォーンボォーンという低音で、熊の唸り声を思わせることからあだ名がついたもの。一方のマーラーは、このフェスティバルではほとんど取り上げられたことがない (記憶にあるのは 1番のみ。もっとも、夏の音楽祭ではなく、年末年始にシリーズで演奏される計画はあったが、確か 9番と 2番だけで止まってしまったはず)。マーラーの交響曲でも屈指の人気曲だけに、ルイージの手腕に期待がかかる。ハイドンは竹澤恭子、マーラーは豊嶋泰嗣がコンサートマスターだ。

まずハイドンであるが、ルイージらしい流麗な演奏であったと思う。ただ、このホールは響きがよくないせいか、あるいは私の席 (2階席) の問題か、ちょっと管と弦のバランスが悪いようにも思った。弦の細かいニュアンスが聴き取れないと、ハイドンの無類のユーモアのセンスが活きてこないのだ。楽譜に書かれている音符の数の少なさとは裏腹に、なんと難しい音楽だろう!! あとでも書きたいと思うが、このサイトウ・キネン・オーケストラの今後の課題は、一義的にはいかに優秀なメンバーを維持できるかということにあると思っていて、特に管楽器は、もともと日本人だけでは層が薄い点は否めず、当初から外人が多かったところ、フルートの工藤、オーボエの宮本といったオリジナルの中心メンバーが抜けた今、オケのアイデンティティという点からも、チャレンジが今後も続くだろう。寄せ集め方式でなんとかするしかないのであろうが、まずは優秀な奏者が必要だ。その点、今の管楽器の水準は、最近進境著しい日本のオケよりも更に上で、まずは盤石と言えるだろう。例えばこの曲の第 3楽章でのオーボエは、大概の演奏で無残にもひっくり返り、繰り返しこそは汚名挽回と焦った奏者が、またトチって、もうハチャメチャになるということも時折起こるのだが、今日の演奏では安心して聴くことができた。但し、音量が小さかった点だけが不満。

そしてマーラーであるが、大変面白い演奏であった。というのも、かなり情熱を入れ込み、テンポを落として入念に歌いこむ箇所が随所にあるにも関わらず、いかにもルイージらしく、重々しかったり粘りすぎたりすることが全然なかったのである。冒頭のトランペットは、指揮者によっては奏者に任せきりにするケースもあるが、ルイージはきっちり棒を振り、細かい表情づけも行っていた。あるいは、第 2楽章 (最も重苦しい楽章) では、アクセルとブレーキを頻繁に使い分けて、音の線がチラチラ燃えて行くような濃密な音楽になった。それでも、それはバーンスタインらのユダヤ系指揮者のマーラーとは全く異なる、流れのよいマーラーだったのだ。第 3楽章で朗々たるホルンソロを吹いたのは、以前も N 響の演奏会でご紹介した、もとベルリン・フィルのラデク・バボラク。音の張りといい艶といい、まさに超人的。第 4楽章アダージェットでのハープは、吉野直子がいつもながら大変素晴らしく、ポロンポロンという一音一音が、感情という重みを持った雫が垂れるように、意味深く響いていた。終楽章の熱狂と最後の追い込みも、スタイリッシュでいて感動的。終演後の客席はスタンディングオベーションとなった。

ということで、演奏会自体は大成功。聴衆の中には複数の音楽評論家や、東京でのコンサートの常連の顔も見え、このコンサートにかけられた期待の高さを実感できたが (金曜日なので、一般の人は、会社から有給休暇を取ってのコンサートということだから 笑)、それだけ質の高い聴衆をあれだけ沸かせたとは、素晴らしいことだ。

この音楽祭の方向性を考えたとき、ポスト小澤体制は現実のものとして考える必要ある段階に来ており、もしルイージのような才能ある指揮者が主導的な役割を担ってくれれば、高水準の音楽が維持されるに違いない。だが、この演奏会を聴きながら私が改めて逆説的に思ったことは、この音楽祭の本当の意義は、個々の演奏会の質はさておき、やはり小澤とサイトウ・キネンが演奏することにこそあるのではないかということだ。優れた指揮者と優れたオケの顔合わせなら、世界中にいろいろある。昔のように、超名門オケだけでなく、ローカルでも面白い味を持つオケが、相性のよい指揮者とユニークな活動を展開する例も多い。そんな中、弦は多くが日本人 (必ずしも桐朋でなくてもよい?)、管は外人中心というオケが、外国から指揮者を招いて夏の間だけ集まって地方都市で演奏会をすることで、果たしてどれだけ世界に発信することができるだろうか。東京のオケがそれぞれに飛躍的に能力を伸ばしている中、寄せ集めでできることには、やはり限界があるのではないか。もともとこの音楽祭ができたときに小澤がよく言っていた、「斎藤先生はこの箇所をどう教えてくれたっけ」という話ができる、「同じ釜の飯を食った仲間」がやっているからこそ意味があったのであって、その中心が小澤という卓越した存在であることで、ほかにない求心力が生まれていたわけだ。その状況が変わってしまうとき、本当にこの音楽祭の意義を再度考える必要があるだろう。

今から 30年以上昔、TBS がカラヤンとベルリン・フィルの来日の際にシリーズで放送した番組があり、その中で「オーケストラは公園のようなもの。いろんな指揮者が通り過ぎて行ったあとも、公園は残る」という言葉が紹介されていたのを鮮明に覚えている。つまり、メンバーが変わっても、それぞれのオケには引き継がれて行く音の質や伝統というものがあり、いかに優れた指揮者と言えども、それを変えることはできないという意味だ。その点、サイトウ・キネン・オーケストラは、公園ではなくて、座長とともに移動するサーカスのようなものではないか。そのカラヤンの特集番組には、小澤もゲストとして出ていたが、そのことを覚えているであろうか。もし覚えていれば、世界でもユニークなサーカスの座長という役柄を、自らの西洋音楽への挑戦の結論とすることに、どのような思いを抱いているであろう。私自身、これまでこの音楽祭を楽しんできただけに、雨の降る中、車をホテルまで運転しながら、少し複雑な気持ちで、キュッキュッと動くワイパーを見つめていた。

長くなってしまったが、ここで気を取り直して、小澤征爾が 80歳を迎えるに当たって、各界から寄せられた言葉がプログラムに掲載されているので、いくつかピックアップしてみよう。
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こうして見ると、村上春樹はやはり作家だけに、一度書いたものを推敲するのですな。ワープロで書く際には分からない作業です。でも、一度下書きして、推敲してから清書すればよかったのに (笑)。

by yokohama7474 | 2015-08-29 01:46 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ありがとうございます

6月 3日からブログを始めて未だ 3ヶ月足らずなのですが、おかげ様で今日、アクセスが 1,000件を超えました。本当に個人の趣味でくだらないことをあーだこーだと好き勝手に書いているだけですが、文化全般について、いかに自分が無知であるかを思い知る一方で、私とともにいろんなことをご一緒に学んで頂ける方がおられるのだなと、勝手に思っております。すみません。自分勝手な人間なものですから (笑)。

今後もなるべく面白い記事を書いて行きたいと思いますので、お立ち寄りの皆様からの率直なコメントも頂戴したいと思います。いろんな文化領域に、こんな感じで切り込んで行きたいと思っております。
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うーん、そっか。新たに経験する映画について書いている限り、黒澤映画について書く機会はないわけだ。でも、黒澤映画ほど私の魂を揺さぶる映画群も少ないわけで、そのうち、新たなジャンル設定をして、長々と黒澤映画等々について語りたいと思っております。ちなみに、私の ID は Yokohama7474 になっていますが、黒澤 = 三船映画で横浜を舞台にしたものといえば、これですよね。ご存じない方はあまりおられないと思いますが (?)、万が一そのような方がおられれば、是非ご一報下さい。一度きりの人生、この映画を知っていると知らないでは、大きな差がつくということをご説明申し上げます。ま、それはそれとして、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。丈夫で壊れないナショナルシューズのようなブログを目指します!!
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by yokohama7474 | 2015-08-27 23:58 | その他 | Comments(0)

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このブログの初期に、板橋区立美術館で開かれた、画家と戦争にまつわる展覧会をご紹介したが、今名古屋で開かれている同様趣旨の展覧会を覗くことができた。ここでは、戦争の時代を生きた洋画家、日本画家、版画家 14名を取り上げ、その作品の変遷を展望することがテーマとされている。対象となっている画家は以下の通り。なかなかのバラエティだ。
 横山 大観
 藤田 嗣治
 恩地 孝四郎
 北川 民次
 岡 鹿之助
 福沢 一郎
 北脇 昇
 福田 豊四郎
 吉原 治良
 宮本 三郎
 吉岡 堅二
 山口 薫
 香月 泰男
 松本 竣介
と書いていて気づいたが、横山大観と恩地孝四郎は、展示されていなかった。期間中展示替えでもあったのか。それとも展示室を見逃してしまったのだろうか。

全体を見返して思うことには、戦争と自身の創作活動の間に深い関連のある画家とそうでない人がいるということだ。特に、いわゆる戦意発揚のために政府からの委嘱で戦争画に手を染めた画家の場合は、ほかの作品の評価がどうであろうと、戦争画の評価に引きずられているケースがあることに改めて気づかされた。東京国立近代美術館には 153点の戦争画が保管されていて (戦後米軍が接収して、同美術館に無期限貸与されているらしい)、その存在は以前から知られているものの、全貌についてはなかなか知る機会がない。いずれは全作品の展示を期待したいところだ (もちろん、近隣諸国には、その意義について充分説明できるはずだ)。今回の展覧会には、その一部が展示されており、また、写真展示も一部あった。

戦争との関わりという点で特殊な位置にいるのは、藤田 嗣治だ。その繊細な白で、エコール・ド・パリの一員として世界的な名声を博し、今でも絶大な人気を誇るその彼が、実は最も多くの戦争画を描いているのだ。今回展示されている「シンガポール最後の日」。
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ちょっと分かりづらいかもしれないが、この絵に限らず藤田の戦争画は、他の画家にないほど生々しく複雑な構図を取っている。あの瀟洒な雰囲気をかなぐり捨て、血をもって描いているという風情である。藤田はこの戦争画のおかげで戦後は大きな非難を浴び、逃げるようにフランスに帰って、かの国に帰化したのである。ただ、私は以前から思うのであるが、藤田の戦争画に、戦争賛美の要素をどのように見つけるのか、理解に苦しむ。これを見た人は、絶対にこんなところに行って命を捨てたくないと思うのではないだろうか。

一方、藤田の友人で、同じくフランスで活躍していたが、戦争を機に日本に帰ってきた画家がいる。岡 鹿之助。ただこの人の場合は、日本に帰国した以上の戦争との関わりを持たなかった。その静謐な画風は、見る人の心に沁み渡り、ノスタルジックな気分にさせる。私の大好きな「雪の発電所」が展示されていた。
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次に、福沢 一郎を取り上げよう。日本におけるシュールレアリズムの先駆者であり大家だ。1930年作の「よき料理人」の、このしゃれた味わいはどうだろう。
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このシュールレアリズムほど戦争から遠いものはなく、福沢も戦時中は転向を余儀なくされたらしい。だが、戦後すぐ、1946年作の「世相群像」を見ると、焼け跡に生きる人間たちの姿を呵責なく描いているものの、少し崩れたシュールというイメージで、この画家の逞しい精神を垣間見ることができる。
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最後にもうひとり、ナイーヴな作風がよく知られる、松本 竣介を取り上げよう。冒頭に掲げたこの展覧会のポスターになっている自画像、「立てる像」は 1942年、戦時中の作だ。このとき画家は 30歳。何か放心したような表情をしながらも、軽く左の拳を握りしめ、しっかりと両足で地面に立っている。戦局の悪化に不安を抱きながらも、生きて行く意志を静かに見せているのであろうか。彼は横浜の風景を何度も描いていて、以前、この「立てる像」などを所有する神奈川県立近代美術館で開かれた展覧会でその抒情性に打たれた作品に再会した。これも戦時中、1944年頃に描かれた、「Y 市の橋」。Y 市とは横浜市のことだ。静謐な風景であるのに、前のめりになっている男の姿が見る者を不安にさせる絵だ。戦後の 1948年、弱冠 36歳で世を去るこの画家の、ドッペルゲンガーのようにも見える。
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この展覧会に展示されていた作品は、作風は様々あれど、どれひとつとして本当の意味での戦意発揚という要素を前面には出していなかったと思う。日本の場合、マスコミは徹底的に時代に左右されて煽動役となったが、芸術家たちは決して戦争賛美の風潮にはなびかなかったということではないか。平和な時代の我々は、そのことの意味をよく考えてみる必要があるだろう。


by yokohama7474 | 2015-08-26 00:15 | 美術・旅行 | Comments(4)

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恥ずかしながら、ターミネーターシリーズを、ろくに見たことがない。事の発端はこうだ。大学に入ったばかりの頃、周りの映画好きがことごとく、「ターミネーターはいい」と異口同音に言い交していて、生来の天の邪鬼の私は、「そんなに皆が見るなら、オレは見なくてもいいよね」とうそぶいているうち、上映が終了してしまったのである。最初の作品を見ていなければ、その後のシリーズ物を見るのは若干ハードルがある。それでも、いわゆる T2 (「ターミネーター 2」、すなわちシリーズ 2作目) は、飛行機の中で見た。但し、記憶が正しければ、今のようにエコノミーでも各席にモニターがある時代ではなく、個人で旅行に行く際に、エコノミーエリア共有のデッカいスクリーンで、吹き替えで見たはずだ。それでも、その T2 は非常に面白く、シリーズを通しての主人公とおぼしい、サラ・コナーの名前は記憶に貼りついて離れなかった。

いや実際、当時この T2 に登場する T-1000 の液体金属ロボットを見たときには、その映像の凄さに驚愕したものだ。今回も、その当時の驚きをそのままに、むしろ現代の CG 技術からすると素朴に過ぎるのではないかと思われるくらい、T2 を彷彿とさせる液体金属の映像がいろいろ出て来る。演じるのはイ・ビョンホンだ。
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ストーリーは至って単純。未来の時点で人類を絶滅に近い危機に追い込むスカイネット (本作では人格を与えられている) に対する人類の反乱軍は、ジョン・コナーが率いている。それに対してスカイネットは、その人類の反乱のリーダーを存在しないようにするため、過去に殺人機械 (= ターミネーター) を送り込んで、ジョンの母親、サラ・コナーを亡き者にしようというのだ。また、そのサラを守るために人類側から過去に送り込まれるのが、カイル・リースだ。これまでのシリーズのストーリーを調べてみたのだが、基本的にこの路線に沿っていて、新たなキャラクターが強大な力でどちらかの側で突然現れるということはなく、ひたすらこれらの人物が登場しているようだ。これは、シリーズ物としてはひとつの見識だと思う。以前にも書いたが、どうもシリーズ物は、主要キャラクターの人気に依存するあまり、その敵をあれこれ創り出して話をいたずらに複雑にする傾向があるから、どんどんつまらなくなるのだ。このシリーズはその例外と言える。

ただ、本作では、(予告編で明らかにされているので、これから見ようという方にも教えてもよいと思うのだが) その反乱軍の闘士たるジョン・コナーのキャラクターに変化が起きる。私は過去のシリーズを知らないから平気だが (笑)、ずっとこのシリーズのファンの方には、大変なショックではないのか!! 何せこれですからね。どう見ても最初から怪しいだろ、これ。
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もうひとつ、このシリーズの見識は、アーノルド・シュワルツネッガーという稀有なキャラクターに一貫して依拠していることだ (但し、4作目だけは、彼がカリフォルニア州知事に就任したことから、登場していないらしい)。ここでの彼の役柄はロボットである。従って年を取らないはずである。それが、ここでは有機体部分は加齢するという設定になっていて、それゆえに、今現在のシュワルツネッガーの顔が、そのまま活かされることになる。傑作なのは、開始間もない部分で、青年時代の彼と現在の彼が肉弾戦を演じること。
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若い頃の姿は、体型が昔のシュワルツネッガーに似ているモデルの顔の部分だけ CG で合成したとのこと。私はこのシーンを大変に興味深く見た。と言うのも、私の周りの連中が「ターミネーターはいい」と言い合っていた頃、つまり 30年前のノスタルジー (それはつまり、シュワルツネッガー自身にとってもノスタルジックな思い出のはず) を、今の自分自身が吹っ飛ばすシーンであるからだ。但し、そこで現在のシュワルツネッガーが勝利を収めるのは、彼ひとりの力ではなく、サラの銃という助けを借りるおかげなのだ。流れた時への思い。それとは裏腹の、まだまだやるぞという思い。ある意味でとても切ないシーンではないか。シュワルツネッガーがいくつになったかというと、今年68歳だ。68歳?! 老人ではないか。でも、その「老人」としての今をさらけ出してうまく利用している点、好感が持てるというものだ。

一方で、この映画のストーリー自体は、それほど驚くものではない。もちろん、タイムマシン物を見ていると、時々、「これは設定が悪いのか、それともオレの頭が悪いのか」と自問自答するような瞬間があるもので、本作にもそのような瞬間が時々ある。それを除けば、割合にスムーズな展開だと言えるだろう。私の場合は、ストーリーにはあまり重きを置かないので、それはよいのだが、この映画の問題点を挙げるとすれば、役者の質ということになるのではないか。何より、サラ役のエミリア・クラークが物足りない。もっと可憐で逞しい女優もいるような気がする。そんな中、脇役ながら気になる役者がいる。警官のオブライエン役の、J・K・シモンズだ。以下の写真ではいちばん左。
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そう、彼こそは、あの凄まじい作品、"Whiplash" でアカデミー賞助演男優賞を受賞した役者だ。この映画をご覧になった方はお分かりだろう。邦題は「セッション」。
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おおこわ。その彼が、この映画では、冴えないアイルランド系の刑事を演じていて、何か心に残る演技を披露している。

この作品から、また新たなターミネーター 3部作が展開するらしい。願わくば、ほかのシリーズ物の轍を踏まず、シュワちゃんのキャラクターを信じて、よい作品が続きますように。そうなると、私もこれまでの 4作をなんとかして見ないといけない。頑張ろう!!
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"I'll be back." だって。もちろんそうして下さいや。

by yokohama7474 | 2015-08-25 23:13 | 映画 | Comments(0)

この日、渋谷で女性率 98% の演劇を見たあとサントリーホールに向かい、実にハードな現代音楽に接することとなった人間は、果たして何名いたことだろうか (絶対 1名だと思う 笑)。
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前日のハインツ・ホリガーの作品に続く、サントリー芸術財団のサマーフェスティバルの演奏会、大野 和士指揮の東京都交響楽団が日本初演したのは、ドイツの作曲家ベロント・アロイス・ツィンマーマン (1918 - 1970) の、「ある若き詩人のためのレクイエム」だ。B・A・ツィンマーマンと言えば、代表作 "Soldaten" (「兵士たち」) が有名 (???) だが、その作品が若杉 弘によって日本初演された 2008年には私は海外駐在中で、見ることが叶わなかった。この作曲家の作品を生で聴く機会は日本では非常に限られるため、今回の演奏は大変に楽しみであった。音楽評論家 長木 誠司の企画で、「拓かれた声 - 禁じられた 声 ケルン 1968 - 1969」と題されている。
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さて、この大野 和士は、今や世界を股に活躍を続ける指揮者で、私も、東京のみならずニューヨークで、ロンドンで、ブリュッセルで、またリヨンで、追っかけのようにして様々な演奏会やオペラを聴いてきた。一言で表現するならば、日本の指揮者の中で、最も知性と冒険心に富んだ人であり、この種の音楽を彼が指揮するとなると、いかに亀梨芝居のあとと言っても、何はさておき馳せ参じなければならない。しかも、現在絶好調の東京都交響楽団の音楽監督に今年就任したばかりだ。おっと客席には、前日の主役、オーボエ奏者のハインツ・ホリガーもいるではないか。亀梨芝居に負けじと、このコンサートもほぼ満席だ (いや、せってない、せってない)。

B・A・ツィマーマンが 50そこそこで自殺してしまった作曲家であるということは知っており、これまで、録音ではその陰鬱な作品のいくつかを聴いたことがあるので、この作品も聴く前から予想していたが、いやはや普通の作品ではない。現在手に入る数少ないこの曲の CD である、ベルンハルト・コンタルスキー指揮のオランダシンフォニアの録音を事前に入手、数回聴いてみたのであるが、やはりこれ、普通の曲ではない。
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前半はほとんどテープ音楽で、なにやら演説 (明らかにヒトラーのものを含む) や朗読が続き、遠くで「トリスタンとイゾルデ」の愛の死が流れるかと思うと、ジャズバンドがズンドコ生演奏し、第 9が一瞬顔を出したかと思うと、突然ビートルズの「ヘイ、ジュード」が鳴り響く。うむ、これは予習をしようとしまいと関係ないな (笑)、と思って当日は開き直って会場に向かったのだが、いや実に大変な演奏会であった。

演奏者のプレトークというものは、時々、実際の開演時間前にステージで行われることはあるが、今回は、演奏会の一部として、開演後に長木と大野の対談が行われ、その後休憩を挟んでこの曲の演奏という構成であった。さすがにこの 2人の会話は質の高いもので、この曲の概要を誰にでも分かるように説明してくれたのであるが、大野によると、「この曲は 1時間くらいなんですけど、オーケストラが本格的に入るのは最後の 20分だけで、僕はそれまでの 40分、進行役なんですよ」とのこと (実際には、これはまたなんとも大変な進行役だ)。また今回は、非常に意義ある試みとして、曲に登場する様々な言葉 (多国語に亘る上、同時並行で進み、実際に聞き取られることは想定されていない) を日本語字幕として、ステージ正面の巨大なスクリーンに投影したのだ。長木は冗談めかして、「中には、読めるもんなら読んでみろという字幕もありまして」と言っていたが、まさにその通り。言葉の迷宮と言ってもよい。それぞれの意味を考える必要はなく、音響として「体感」するしかない。もともとスピーカーを 8台使用する想定らしいが、この日はそれ以上の数が使われていた。

そもそも、ステージ内外に配置された演奏者を見てびっくりだ。オーケストラにはヴァイオリンとヴィオラがない。ピアノは、正面の 2台にジャズバンドのものを加えて、合計 3台がステージに乗っている (それでいて、それぞれの出番は非常に少ないのだ!!)。マンドリンもある。それから、オルガンも一部に参加する。また合唱団は、ホール正面 (P ブロック)、2階客席入り口側の最も手前 (C ブロック後列)、ステージ左右の席 (RB 及び LB ブロック) という 4ヶ所、要するに十字架型に配置されていて、それぞれに副指揮者がつく。テープに加えてこれだけの音響要素が揃うと、なんとも形容できない濃密な時間、ノスタルジーもあるが、また同時に目くるめくような、あるいは痛いような生々しい感覚が、そこに渦を巻いて発生するのだ。これは本当に、「体験する」音楽であって、「聴く音楽」ではない。CD で聴いても全く意味がない。一種のシアターピースと言ってもよいだろう。作曲者はこの曲を 1969年に書きあげ、翌年自殺した。つまり、このレクイエムは、作曲者自身のレクイエムになったわけだ。その意味を考えるとなんとも重い気分に沈んでしまうのだが、実際に音が鳴っているときには、圧倒される瞬間もあったものの、ミサに参加しているような敬虔な瞬間も存在した。凄まじい表現力を秘めた恐ろしい曲だ。
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そのような曲なので、演奏について云々するのは難しいが、大野はこの壮大な作品を、いつもにも増して強い集中力で率いて、実に素晴らしかった。新国立劇場合唱団も、実に豊かな表現力を聴かせた。この作品の実演には、今後もそうおいそれとは接することがあるとは思えない。いや、かなりの確率で、今回が生涯唯一の経験と言ってもよいだろう。そう思うと、この会場に集まった人々の間には、忘れられない絆ができたとも言えるわけである。ちょっと見にくいかもしれないが、プログラムに掲載されている、過去のこの曲の演奏一覧は以下の通り。あの鬼才指揮者、ミヒャエル・ギーレンが初演者で、彼はその後も各地で繰り返しこの曲を取り上げている。歴史上、今回が 38回目の演奏であるが、欧州以外で取り上げられたのは、ニューヨークのカーネギーホールで 1回あるだけで、アジアではもちろん東京が初めてだ。やはりここでも繰り返そう。恐るべし、東京。
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ふと想像してみた。この演奏会の前に行った芝居の脚本家、寺山 修司がこの曲を聴いたらどう思っただろう。好奇心が強かった彼は、きっとこの作品を気に入ったに違いない。寺山の芝居は 1963年の作。この曲は 1969年の作。全く異なる場所で活躍した 2人の芸術家の、ともに 1960年代 (世界に不安が満ちていた時代だ) の作品に連続して触れたことで、私の中に奇妙な化学反応が起こったのかもしれない。私の残りの生涯の中で、その化学反応がどのように影響して来るか、自分でも楽しみだ。寺山の有名な短歌を引いてみよう。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

この曲の朗読に出てきてもおかしくない歌ではないか。

by yokohama7474 | 2015-08-25 00:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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この作品は、劇作家、詩人であった寺山 修司の没後 30年を経過した 2013年に見つかった未刊行の戯曲 (1963年作) を、蜷川 幸雄が採り上げたものである。上のチラシの写真にあるように、寺山も蜷川も 1935年生まれで、今年生誕 80年を迎える。それにしても、蜷川は有名な演出家だし、寺山の人気は一部で根強いものの、あの 2,000人規模の大ホール、オーチャードホールで、実に 21日間で 24回の上演をするだと? そりゃムチャよ。きっと劇場カラガラよ。と思って会場のトイレに行くと、ほら言わんこっちゃない。1階の何十人も使える広い男性トイレが、ほぼ私の貸切だ。何十回もこのホールに来ているが、こんなことは初めてだ。まあ、ゆったりした気分で用を足せるのは何よりだが、あーあ、こんな集客でどうする!! ・・・と心配する私はなんと愚か者か。この芝居の主役は、今を時めくジャニーズの亀梨 和也なのだ。
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いや私も、まさかこのブログで、亀梨のアップを使おうとは夢にも思っていなかったが (笑)、このブログを愛読頂いている方で、彼を絶対知らないだろうという人も何人かいることから、決意した次第。まあともかくこの芝居は、何の誇張もなく、98%は女性客だ。先のハインツ・ホリガーの演奏会を老若男女と表現したが、この芝居は、老若女だ。凄まじい女性集客力 (かく言う私自身、家人へのサービスでこの観劇に至ったという要素がないわけではない)。ただ。ただである。寺山 修司のアングラ性について、この観客たちは理解しているのか。見てみてびっくり、卒倒するようなことにはならないか。開演前、ソワソワしていたり、ニコニコしていたり、または「なんだか緊張するわぁ」と、あまり根拠がない緊張感 (心配せずとも、亀梨君は君のところには来ないって!!) を口にしていたり、いやそれぞれの女性客の期待感の膨れ上がり方たるや、尋常ではないのだ。特に、1階の最前列に陣取った女性たちは、もうすぐ達成される亀梨との至近距離での邂逅に有頂天で、もはや究極の勝ち組、人生の頂点の風情。並み居る後列の人たちを、憐みと優越感の混じった視線で振り返っていた (やや誇張)。

私にとって寺山も蜷川も、若干微妙なところのある存在だ。寺山の映画は、封切で見た「さらば箱舟」以外にも、代表作である「書を捨てよ街へ出よう」や「田園に死す」も名画座で見たし、彼の前衛映画 (「トマトケチャップ皇帝」とか「一寸法師を記述する試み」とか) は、全作品の市販ビデオを、未だに大切に持っている。また、句集、詩集を含めた著作も何冊か読んでいるし、青森に旅行したときには、当然、寺山修司記念館に足を運んだ。従って、彼の創作活動についてのイメージは明確に持っているのだが、ではそれを好きかと問われると、若干言葉に窮してしまう。グロテスクさや土俗性が、時に本能的な反感を起こすこともある。また、寒い東北の地で母の愛を求める少年像という、ある種の閉塞感に、うんざりすることもあるのである。また、どこかの誰かに、「寺山修司好きですか? えー、私も大好きなんですよー」と明るく話しかける気にならない、そういうタイプの芸術家だと思う。でもまぁ、やっぱり心のどこかに響くものがあるのは事実。
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さて一方の蜷川だが、それほど多くの作品を見たことがあるわけではないし、ほとんどがシェイクスピア劇だが、正直、あまりいい出会いをしていない。最悪だったのはオペラの演出で、小澤征爾の指揮するワーグナーの「さまよえるオランダ人」の演出がひどくて、目の前がクラクラしたのだった (あれ以来オペラは手掛けていないのではなかろうか)。さて、今回、寺山の戯曲という異色作品の演出を、いかに捌くのだろう。

ストーリーは以下の通り。スラム街にマンションができることとなり、その建築現場で朝鮮人の人夫が墜落死してしまうのだが、その死体がマンションのコンクリートに埋められ、事故は隠蔽されてしまう。それを目撃した若い男、賢治は、人夫の埋められた場所の壁にチョークで太陽を描き、コンクリートから死体を取り出そうと周りの人々に訴えても取り合ってもらえず、恋人の弓子 (高畑 充希) との仲もギクシャクする。最後はスラムの人たちの気持ちを動かすことができるが、死体の掘り出しには至らず、弓子が不慮の死を遂げてしまう。スラム街でのマンション建設を政治の道具にする代議士や、日々の生活に退屈する肉感的なその娘などが少し絡んでくるものの、非常に簡単なストーリーだ。おっと忘れていたが、音楽劇の体裁を取っており、今回はなんと松任谷 正隆が全編に曲を書いていて、ジンタ調でがなりたてられるスラム街の人たちの歌から、賢治のもどかしい思いを表すドラマ性のある歌、恋人たちの抒情的なメロディまで、なかなかそつなくこなしていたと思う。

さて、この芝居をどのように受け止めるべきか。私に分からないのは、1963年の寺山の真意がいずこにあったかということだ。もちろん、権威に対する反抗心はあったであろうし、社会の底辺の人たちへの共感もあったに違いない。でも、だからと言って、人知れず葬られた人夫の弔いを本気でしようとする若者、そんな素朴すぎるテーマを描いたのだろうか。少し思い込みかもしれないが、例えば、賢治だけが目撃したその墜落事故も、その人夫の存在自体も、賢治の幻想であったという解釈は成り立たないものだろうか。「靑い種子は太陽のなかにある」というタイトルは、寺山らしい非常に詩的な雰囲気があって、それは何も、正義を貫けとか、勇気をもって巨悪に立ち向かえという社会的なメッセージではなく、人間の生の哀しみを抒情的に描いているだけではないか。なので、私にとっては、そこに人夫の死体が埋められているか否かは重要ではなく、それを巡って賢治の思いが駆け巡っていることこそが重要なのだと思う。その観点から見ると、賢治役の亀梨の演技は、少し単純すぎたように思う。また、これはやむないのかもしれないが、明らかに舞台の発声が充分にできておらず、大声がただの大きな声で、少し枯れかけていた。それに引き替え、弓子役の高畑は、もともと舞台出身とのことらしく、明朗で舞台らしい発声であった。

この作品、封印されてしまった理由は不明だが、寺山自身は、大きな劇場でプロの役者が演じることすらも、あまり想定していなかったのではないだろうか。彼本来の土俗性があまり発揮されていない点、必ずしも「隠れた名作」とまでは言えないであろう。まあそう考えると、普段寺山のことなど全く知らない観客層に、新しい世界への入り口を示すという意味で、このような芝居の意義もあるのかもしれない。あ、すみません、亀梨ファンの方、どうぞお許しを!!


by yokohama7474 | 2015-08-24 00:38 | 演劇 | Comments(0)

世界で最も有名なオーボエ奏者、いや、人類の歴史上最も有名なオーボエ奏者は、誰だろう。もちろん、ハインツ・ホリガーだ。誇張ではない。空前絶後のオーボエ奏者である。
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若い頃の録音のジャケット写真も載せておこう。
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1939年スイス生まれの彼は、今年 76歳。しかしながら、その衰えを知らぬ活動は驚異的だ。夏の恒例のサントリー芸術財団の現代音楽フェスティバルでテーマ作曲家に選ばれたのも、むしろ遅すぎるかもしれない。ホリガーをご存じない方は、いや、オーボエ奏者としてご存じの方も、彼が多くの作品を生み出している作曲家でもあるということを、悪いことは言わない、この瞬間に認識すべきだ。私はかつて、FM で膨大な現代音楽をエアチェックしたが、その中で、ホリガーの作品に相当数接したものだ。その作風は、まあ簡単な言葉を使うと、前衛音楽。決してなじみやすい、思わず口ずさんでしまうような曲ではない。今回のフェスティバルでは、この室内楽の演奏会と、作曲者自身が東京交響楽団を指揮してのオーケストラ演奏会が開かれ、後者では委嘱作世界初演も行われる。

まあそれにしても、もともとマイナーなクラシック音楽の中でも、さらにマイナーな現代音楽のコンサートのはずなのに、大盛況だ。15時20分開場、16時開演なのに、15時10分には、開場を待つ長蛇の列が。
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しかも、聴衆は、私のようなむさいオッサンばかりかと思いきや、老若男女入り乱れ、まさに大盛況。東京恐るべし。作曲家の一柳 慧や、評論家の舩木 篤也の姿も見えた。

作曲家としてのホリガーは、ハンガリー人 (バルトークの弟子) であるシャーンドル・ヴェレーシュと、あの大御所ピエール・ブーレーズに作曲を師事している。そのルーツを本人は大変大事にしていることを、今回は知ることができた。オーボエは古い楽器なので、バロック音楽にはあれこれレパートリーがある。だが、協奏曲はどうか。モーツァルト 。リヒャルト・シュトラウス。・・・一般に知られているのはそれだけだ。そうなると、自然、新しいレパートリーが必要になる。ホリガーがずっと作曲を続けてきたのには、こういう必然性もあるのではないか。

曲目は以下の通り。演奏者は、ホリガー自身のオーボエに加え、ピアノの野平 一郎 (私、大ファンです)、ヴィオラのジュヌヴィエーヴ・シュトロッセ、クァルテット・エクセルシオなど。

ヴェレシュ : ソナチネ ~ オーボエ、クラリネット、ファゴットのための
ホリガー : クインテット ~ ピアノと 4つの管楽器のための
     トリオ ~ オーボエ (イングリッシュホルン)、ヴィオラ、ハープのための
     トレーマ ~ ヴィオラ独奏のための
     インクレシャントム ~ ソプラノと弦楽四重奏のためのルイーザ・ファモスの詩 (日本初演)

今回聴いて思ったことには、ホリガーの作品の成功は、やはり、不世出のオーボエ奏者である彼が自分で演奏することに大いに依拠しているということだ。つまり、どこの誰とも分からない作曲家が同じものを作曲しても、ここまで聴衆にアピールしないであろう。オーボエは、もともと歌う楽器だ。よって、ホリガーの奏するオーボエは、どんな雑な音にまみれた騒がしい状況にあっても、また、それ自体が汚い音を立てているときですら、常に一本の歌になっている。今回の演奏では、前半 3曲に彼自身のオーボエが入り、後半 2曲には入らない予定であったが、来日するはずのソプラノ歌手が来日しなかったので、最後の「インクレシャントム」は、ソプラノパートをホリガーがオーボエで演奏し、また、一部は詩の朗読をした。怪我の功名、なんともお得な演奏会であった (笑)。結果的に唯一、ホリガーのオーボエのない曲目となった、ヴィオラ独奏のための「トレーマ」は、朗々と歌うところは一切なく、終始音がせわしなく動き回っている曲であったが、そのことによって、歌の不在が強く認識され、聴衆はどこかで幻のオーボエの音を希求する、そんな曲ではなかったか。無機的なような音のつながりから、ほの差す日差しのような旋律を感じた。大変印象的であったのは、最後の「インクレシャントム」の後に、ホリガーによる詩の朗読があったことだ。この曲の詩は、スイスの女流詩人、ルイーザ・ファモスの詩によっているが、その詩が書かれているのは、スイスの地方でしか使用されていない、ロマンシュ語なのだ。ホリガーは聴衆の拍手を遮って、英語で、「こんな奇妙な言葉はおなじみがないでしょうから、ちょっと読んでみましょう」と告げ、6つの詩を読んだのだ。内容は非常に内省的かつ、スイスの澄んだ空気を思わせるようなもので、手元の歌詞を見ながら、ホリガーの読む、ドイツ語のようでもありフランス語のようでもありイタリア語のようでもある不思議な言語の響きを味わった。

終演後に、今回のホリガー特集を企画した、日本を代表する作曲家である細川 俊夫が、ホリガー本人とのトークを行った。ホリガーはドイツ語で話したが、話し出すと止まらないタイプで、要点を簡潔にというわけにはいかない。サラリーマンには不向きだ (笑)。いわゆる「絶対音楽」という言葉には否定的であること。ホリガーの知る限り最もひどいドイツ語で、作曲者自身のみが感情移入できる台本を書いたワーグナーの音楽は、感情過多であり、ナチズムに利用されたという苦々しい思い。戦後、ダルムシュタットを中心とする現代音楽の潮流では、その感情過多の否定から始まったこと。今回のフェスティバルで演奏されるベロント・アロイス・ツィンマーマンとシュトックハウゼンについて。特に前者の素晴らしい才能について。この日の曲目の 1曲目、「クィンテット」についての細かい説明。来週初演される新作が、自作の俳句に基づくものであること。そのもととなった日本体験は、武満 徹に多くを負っており、この作品も武満に捧げること。大変興味深い話を聞くことができたが、同時通訳の女性が、ホリガーの長い話を丹念にメモして、丁寧に訳していたのが素晴らしかった。

というわけで、かなり上機嫌のホリガーと握手する細川。いやはや、東京おそるべし。サントリー財団にはこれからも末永く、この意義深い催しを続けて頂きたい。
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by yokohama7474 | 2015-08-23 00:53 | 音楽 (Live) | Comments(0)