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ドイツ、ニュルンベルク その 1 : ゲルマン国立博物館、カイザーブルク、デューラーの家、フラウエン教会、聖ロレンツォ教会、聖セバルドゥス教会等

バイロイトからどこかに観光に出かけるとすると、ニュルンベルクとバンベルクが筆頭候補になるだろう。今日はオペラがないので、ニュルンベルクに出かけてみることにした。

ニュルンベルクと言えば、音楽好きならもちろん、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタジンガー」を思い出すであろうし、現代史の舞台としては、ナチの大規模な党大会と、戦後にナチが裁かれたニュルンベルク裁判といったところであろうか。そんなことから、中世の雰囲気とか職人の街というイメージと、ナチの暴力的イメージが交錯するのだが、ワーグナーのオペラがその双方に接点を持っている。つまり、本来は喜劇である「マイスタジンガー」には国粋的要素があり、ヒトラーの大のお気に入りでもあったことから、戦時中のドイツでは戦意高揚のために盛んに演奏されたわけで、そのことが今に至っても、この作品の演奏に複雑な要素を加えているわけだ。ともあれ、どんなところか行ってみましょう。

バイロイトからニュルンベルクは、通常なら列車で 1時間くらいで到着するようであるが、なんでも一部が不通になっているとかで、Pegnitz という駅でバスに乗り換え、1時間半くらいかかることとなった。とはいえ、朝のバイロイト駅は心地よい。駅から、丘の上の祝祭劇場が見えます。途中バス利用になるにも関わらず、ドイツ国鉄の時刻表では、1分単位で細かい到着時刻が設定されていて、「ほーさすがドイツ人。正確な運行をするんだねぇ」と思うと、始発のはずの列車の出発がいきなり 2分遅れて、まあやはりそんなもんでしょうと、ちょっと安心する (笑)。まあ、そのくらいの遅れは大勢に影響ないって。
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さて、ニュルンベルクに到着。駅から見える風景はこんな感じ。ほう、やはり中世そのままという感じですな。歩き出すと、城壁も見ることができます。
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普通の人はここから正面を入って、中世職人広場というところを通るらしいが、私はそれを見逃した。なぜなら、地図でオペラハウスの位置を見ると、駅の左側になっていたので、どんなところか見てやろうと思って、そちらを回ったからである。まっさか、「マイスタジンガー」専門の劇場ではないでしょうなぁ。あっはっは・・・と心の中で笑いながら辿り着いたのは、こんな建物だ。
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おお、これは明らかに 100年は経っている。素晴らしい建物だ。中に入って今シーズンの冊子を探すと、なんと、バレエや演劇も含めて紹介する 200ページくらいのもので、スタイリッシュな写真も沢山入っている。Marcus Bosch という指揮者が音楽監督らしい。ちょっと聴いてみたいと思った。ヨーロッパのちょっとした都市にはどこでもオペラハウスがあって、国際的知名度に関わらず、地元の人たちに充実した時間を与えているのだと思うと、やはりヨーロッパの文化における層の厚みを思う。

そして、次に訪れたゲルマン国立博物館が、その広さと展示物の多さに、これまたびっくり仰天。フラッシュを使わなければ写真 OK とのことだったので、たくさん撮影したが、例えば以下の地球儀は、1520年にバンベルクで作製されたもの。ドイツ人が大航海時代に世界を飛び回ったとは理解していないので (カトリックの反宗教改革がその原動力であったはずなので)、伝聞や書物による情報に基づいているのだろうが、やはりドイツ人侮りがたしですな。とはいえ、日本 (ちゃんと Zipang と書いてある) がこの、明太子みたいな形の土地であると言われると、ちょっと複雑だなぁ。ちなみに、左側には中国があるが、日本の回りは太平洋で、右側に見える大陸は、どうやら南米らしい。トホホ。
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ゲルマンと銘打っているだけあり、絵画もドイツ作品中心の堂々たるコレクションだ。もちろん同地出身のデューラーもいろいろあるが、私の大好きな画家たち、アルトドルファー、クラナッハ父子、ハンス・バルデュンク・グリーン等々、よだれものだ。
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また、もともとあった教会に隣接して博物館を建てたのであろう。その教会スペースにも、所狭しと宗教美術が。ドイツには素晴らしい木彫りの彫刻が多いが、ここでも圧倒的な存在感だ。
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うーん、広い室内を歩き回り、面白すぎてクラクラして来たのでそろそろ帰ろうかと思ったら、"Monster" という特別展が開かれているのを発見。このポスター、世紀末ミュンヘンの天才、フランツ・フォン・シュトゥックだ。これまた私にとってど真ん中の画家。
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詳細は省略するが、この展覧会はなかなかに貴重な妖怪変化の画像を集めたもので、妖怪・お化け・怪獣には目のない私としては、当然ながら図録の購入となる。それが厚さ 5cm は優にあろうかという大部な本で、重いのなんのって。でもしょうがない。その後この重い本を抱えて今日一日中、ニュルンベルク中をほっつき歩くという拷問を自らに課した私でありました・・・。

最初のうちはまだよかったのである。毎日 12時からパフォーマンスが始まるというフラウエン教会の仕掛け時計など無邪気に見入る。神聖ローマ皇帝カール 4世の周りを、7人の選帝侯がぐるぐる回る。
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そして昼食には、もちろんニュルンベルク名物のソーセージとビールに〆のエスプレッソ。ソーセージのこんがりと焼けるいい匂いにつられて入ったが、う、うまい!! 加えて、〆て17ユーロと、極めてリーゾナブル!!
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と、上機嫌になったのもつかのま。さて、それからが午後の試練だ。神聖ローマ皇帝の居城、カイザーブルク。12世紀から築かれ始め、15 - 16世紀に現在の形になったとされる、必見の歴史的場所だ。でも、坂道を延々と上らなくてはならない。うぉぉ、あそこまで行くのか。展覧会の図録は重く、気温は実に 35度だ。き、きつい・・・。
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ここでひるんでなるものか。ということで、気合を入れてむしろ大きめなストライドを取って、なんとか現地に辿り着き、このカイザーブルクの中世そのままの雰囲気を、結局は存分に楽しむことができた。二重構造のチャペル。
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深さ 50m の深い井戸。なんでも 14世紀からその存在が記録に見えるという信じられない遺構。30分おきにガイドの案内つきでしか入場できないが、水差しの水を井戸に注いで、数秒後にやっと水面に落ちるバシャッという音が聞こえる。また、ろうそくを入れた金属のトレイにカメラがついていて、水面ギリギリまで下ろし、その映像を見るというデモンストレーションもあり。
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そして最後は、塔である。エレベーターがあってくれという願いも空しく、木製の階段しかないことを知り、とにかく気合で頂上まで上ったのだ。もちろん、重い図録を持ったままだ。ここに上るとニュルンベルクが一望でき、また、戦時中爆撃で瓦礫と化した街の写真と現在の情景を比較できる。なんでもこの街は、戦時中に 90% の建物が破壊されたらしく、今見る中世そのままのように見える街並みは、実は根気強く復元されたものなのだ。戦争をしかけた国とはいえ、やはりすべての国民に悲劇が襲ったと思うと、なんとも痛々しい思いがする。
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カイザーブルクを後にし、水をガブガブ飲みながら、デューラーの家へ。内部はそれらしく復元されていて、当時から成功していたこの画家の存在感を感じることができる。1階にコインロッカーがあり、内部見学中は一旦、重い図録から解放される。
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それから、この街には素晴らしい教会が多い。ちょうど午後には光が堂内に差して来て、異教徒でも自然と敬虔な思いになるものだ。これらの教会も復元されたものであることを知り、なんとも痛ましい気持ちになるが、それだけに一層、この神々しさが心に沁みるのである。暑さと展覧会の図録の重さで、既に朦朧としていた私にとって、しばしの甦りの時間となった。心が洗われるとはまさにこのこと。
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もう一度街中を見てみる。なんとも風情のある中世の街並だ。これを復元した人たちの誇りが充分伝わって来る気がする。
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何本も水を飲んで歩き続けたが、既に足は棒、図録は (しつこいなぁ) 重い。でもダメだ。まだどうしても行かなくてはならない場所が・・・。ぜぃぜぃぜぃ。

次回に続く。ちなみに、件の図録、こんな感じです。こんなの持って炎天下を歩き回るバカは、そうはいないと思う。
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by yokohama7474 | 2015-08-12 06:29 | 美術・旅行 | Comments(0)

バイロイト音楽祭 ワーグナー : 楽劇「ワルキューレ」(指揮 : キリル・ペトレンコ / 演出 : フランク・カストルフ) 2015年 8月10日 バイロイト祝祭劇場

バイロイト音楽祭の 2日目、楽劇「ワルキューレ」を聴きに行った。この「指環」4部作においては、最初の「ラインの黄金」は序夜と題されていて、いわばプロローグだ。この「ワルキューレ」が第 1夜と名付けられている。「ラインの黄金」は休憩なしで一挙に演奏されるので、幕間の時間がなかったが、今日はたっぷりあったので、劇場の周りをほっつき歩いてみた。まずはそれをご紹介する。

劇場正面に向かって左手から見たところ。平土間席の左側に座る観客は、こちらの入口から入る。
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そして、中に入ると以下のような劇場内へのドアがずらりと並んでいるのが見える。数列でひとつのドアを使うようになっているので、通常のホールのように、全員が正面から入ってそこから自分の席に近いドアを探すのと違って、大変分かりやすく、実は横一列の席配置で通路がなくとも、機能的に出入りできるようになっているのだ。
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劇場内には、1876年にこの「指環」4部作の初演によってこの劇場のこけら落としがなされたことを記念する石碑がある。重厚な歴史を感じることができる。
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バルコニーに上ってみると、ここが丘の上であることが分かる。また、劇場の左右には、ワーグナー、そして妻コジマの胸像が飾られており、すぐ裏手にも、気持ちのよい芝生の丘陵地が続く。
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ただ、劇場の建物自体は、決して豪華堅牢ではない。どういうことか、一部にはぐるりに足場が組んであり、外壁を模したビニールでそれが覆われている。改修作業の一環であろうか。
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長いオペラなので、1時間近い休憩が 2度入る。MET やコヴェントガーデン、また日本でも歌舞伎などがそうだが、開演前に予約しておくと、幕間に食事を採ることができる。Steigenberger とあるが、有名ホテルの経営ということか。
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因みに私も今日はこれを試してみた。水にチキン料理 1品 (以下写真ご参照) にエスプレッソをつけて、チップも含めると実に 55ユーロ。7,500円くらいか。はっはっは。もう行きません。あんまりうまくなかったし・・・。
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さて、そろそろ本題のオペラに入ろう。結論から申し上げれば、「ラインの黄金」ほどひどい演出ではなかったものの、相変わらず映像の多用によって音楽の邪魔をしている場面がある。一方で、ペトレンコの指揮は大変に冴えていて、オケは雄弁に鳴っていた。その意味では、ペトレンコの本領発揮と言ってよい演奏だったと思う。

この曲、凄まじい嵐の音楽で始まり、傷つき疲れ果ててよろめきながら登場するジークムントが、「このかまどが誰のものであろうと、私はここで休まねばならない」と歌って倒れ込むのであるが、この大げさな表現が面白くて、好きなのである。「かまど」を「テーブル」とか「風呂」とか「トイレ」に換えると、家族内で場所争いをするご家庭においては、使い勝手がよく諍いを避けられる、応用の効くフレーズではなかろうか。昨今のこのオペラの上演においては、ト書きに忠実で、本当にかまどがしつらえてある (笑) 昔ながらの演出は MET くらいしかないだろうが、この「かまど」に代わるものが何かによって、その演出の前衛度を測ることができる。今日の演奏では、「農家の麦わら」。うーむ、決して遠すぎず、悪くないではないですか。幕が開いたときに目に入るのは、農家のサイロのような、また物見の塔のような木造建造物で、その薄暗い感じがこの作品に相応しく、「ラインの黄金」に辟易していた観客を、まずは安心 (?) させる。
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ここでジークムントを演じているのは、今回の一連の上演で初めて接する有名歌手、現代屈指のヘルデン・テノール、ヨハン・ボータである。特に MET でこの人をよく聴いたものだが、まあその、一部有識者の間で、「ハイ、ボータのボの字をブに換えて」という歌が流行ったとか流行らないとか (ウソウソ)。要するに恰幅がよすぎて一般的な人気はイマイチなのである。しかしながら、今回久しぶりにその姿に接して、ちょっと痩せたようにも思い、何よりもあの美声が健在であるのを確認できたのは嬉しいことであった。
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というわけで、始まりはまずまずなのだが、すぐに演出家のいたずら心が騒ぎ出す。よく見ると、舞台上の大きな鳥かごの中には、ダチョウの仲間のような鳥の本物が入っていて、大丈夫かと見ていると、案の定、バタバタと羽ばたいて、金網に頭をぶつけてあきらめるというハプニングがあった。また、帰宅したフンディングの槍の先には生首がついているし、舞台前景の手押し車のようなものの中に入っているのは、血まみれの死体ではないのか。このように、悪趣味に動揺していると、また始まった。映像の投影である。今回は布をスクリーンに、モノクロの映像だ。せっかくブータ、いやボータが地響きのような声でヴェルズンクの悩みを歌っているのに、あるいは、兄妹の愛を高らかに歌い上げているのに、関係ない映像を出されると、興ざめなこと甚だしい。

また、第 2幕のヴォータンは、もじゃもじゃ髭がマルクスを思わせる。
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プログラムには、19世紀ロシアのアナーキスト、バクーニンの言葉が引用されているが、ではマルクスでなくバクーニンなのか??? バクーニンは、1848年ドレスデンの蜂起でワーグナーと一時行動をともにしたことで知られている。いずれにせよ、このオペラの演出の趣旨は、どうやら革命にあるらしい。1幕で農家であった舞台は、3幕では工場になっており、革命後のロシアを思わせる。それをより明確に表すのは、例によって邪魔であること著しい舞台上の映像であって、何やら富国強兵を是とする初期のロシア映画が映写される。ジガ・ヴェルトフだろうか。また、これは今回用の撮影であろうが、何やらエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」のパロディらしい映像もある。さて、この演出家は一体観客に何を求めているのか。革命の顛末について考えろということか。でもそれは、何もワーグナーのドラマの中で考えずとも、別個に考えればよい。せっかくの音楽の邪魔をしてまで、今ここでどうしても考える必要のあることなのか。

というわけで、またもや映像にイライラしながらも、最後にはこのように実際の炎が出て、部分的には意外と堅実 (?) な面も見られた演出となった。
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歌手は、ヨハン・ボータのほかには、ジークリンデを歌ったアニヤ・カンペがよかった。昨日と同じくヴォータンを歌ったウォルフガンク・コッホは、例えばファルク・シュトゥルックマンのような圧倒的な存在感はないが手堅く歌っていて、この 2演目で要求される歌と演技の内容に鑑みれば立派な出来であった。終演後にブーが出てしまったのは気の毒だ。

そして、最大の聴きどころは、ペトレンコの指揮。考えてみればこの「ワルキューレ」は、4作の中で最も Emotional なシーンが多い。つまり、登場人物同士が細やかな情を通わせるシーンが多いのだ (ジークムントとジークリンデ、ヴォータンとブリュンヒルデがもちろん中心だが、ブリュンヒルデのジークムント、ジークリンデ兄妹への同情も重要な要素だし、また実はフリッカもフンディングの願いを無下にできないという思いがあり、9人のワルキューレたちの間にも仲間意識が強い)。ペトレンコの指揮は、ときにテンポを落としてえぐるような表情づけをするなど、渦巻く Emotion を濃厚な密度で描いていた。演出にあれだけ足を引っ張られながらも (笑)、強い牽引力を発揮していた点、大変なものだと思った。
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明日は休演で、あさって12日に「ジークフリート」、その後「トリスタン」上演を挟んで「神々の黄昏」と、重量級の音の攻撃に耐えなくてはならない。ド M 道、いよいよクライマックスへ!! これが誰の演出であっても、私はここで聴かねばならない。

by yokohama7474 | 2015-08-11 08:20 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ドイツ、バイロイト フランツ・リストの墓

世界のいろんなところで、墓探しをすることがままある。もちろん、芸術家の墓である。ニューヨーク在住時には、ブルックリンまで行って、何の手がかりもなしにバーンスタインの墓を苦労して見つけたし、スイスの田舎町ロシニエールでは、孤高の画家バルチュスの回顧展に出かけるついでに、カウベルののどかな響きの中、何の案内も出ていない彼の墓を自力で探り当てた。もちろん、ウィーンやパリといったお墓のメッカ (?) では、芸術家の墓探しにそれなりの時間をかけているのである。正直、祖先の墓に詣でるよりも、縁もゆかりもない異国人の墓に詣でる機会の方が多いかもしれず、祖先には全く申し開きようもないのだが、自分がこの世に生を受けたのもご先祖様のおかげという感謝の心を忘れないことに免じて、どうか許して下さい。

西洋人の墓の場合は土葬も多いわけで、英語で遺体を意味する "Remains" なんていう粋な (?) 言葉もあるくらいだ。この言葉、なんともよい響きではないですか。できれば座右の銘にしたいくらいだ (もちろんウソです)。キリスト教の教義に則って、最後の審判の日まで肉体の残留物を取っておくという発想は、なかなか日本人にはないものだが、かつてこの世で天才的能力を発揮した人の墓の前に立つとき、その人の肉体は朽ち果てて土に帰っているにもかかわらず、その人を記憶するモニュメントとしての墓が、要するに人間代々の心の中の残留物、Remains として、肉体にはない新たな価値を持っていることを感じられるから素晴らしいのだ。

先般の記事で、作曲家フランツ・リストの墓がバイロイトにあると聞いたことを書いた。そこで、炎暑の中ホテルから歩いて、その墓地に行ってみたのである。場所は、市街地から西側、Ramada Hotel 近くの Erlanger Strasse に面した、Stadtfriedhof (市立霊園ということか)。フランツ・リスト博物館のオバチャンのアドバイスに従い、メインの入口ではなく、墓地の教会のすぐ横にある小さな入口から入り、すぐ左手を見ると、写真で見覚えのあるチャペルが。
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中には、大変シンプルなリストの墓が。
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大変綺麗に保たれているので、定期的に掃除をする人がいるのであろう。周りを見ると、こんな感じ。バイロイトの街の人たちが、現世の苦しみから解放され、なんとも穏やかな眠りについておられる。今日は月曜日だが、墓参りに来ている地元の人たちもちらほら見かけた。
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気候の違いもあり、日本の墓はこんなにからっとしていない。たまにはヨーロッパで、違う人種の人たちの Remains に思いを馳せるのも、悪くない。

by yokohama7474 | 2015-08-11 06:33 | 美術・旅行 | Comments(0)

バイロイト音楽祭 ワーグナー : 楽劇「ラインの黄金」(指揮 : キリル・ペトレンコ / 演出 : フランク・カストルフ) 2015年 8月 9日 バイロイト祝祭劇場

さて、今回は初のド M 音楽祭、もといバイロイト音楽祭で、「ニーゲルングの指環」4部作と「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞するわけであるが、今年何かを絶対見たいと思ったわけでもなく、ただ、久しくヨーロッパの夏の音楽祭に出かけていないので、たまにはいいじゃない、くらいの感覚であった。なにせこのバイロイト、以前の記事でも書いた通り、暑い中でワーグナーの重くて暗くて長い作品を聴かなくてはならず、ちょっと敬遠気分もあったのだが、曲がりなりにも西洋音楽を愛する人間としては、まあ一度くらいは行っておきたいと思ったものである・・・。いや失礼、実際のところは、バイロイトに大変来たかったのである。正直に告白すると、ド M の仲間入りをしたかったのである!! 悔しいが、ワーグナーの毒に相当イカれてしまっている私である。

まず、劇場について。座席表を見て頂こう。
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平土間席に、本当に通路がない!! 60席くらい隙間のない横並びだ。ネットから拾ってきた画像で、実際のイメージをご紹介する。座席が木製の跳ね上げ式で、クッションがない (実際にはお尻の部分には薄いクッションがあるが、背中は剥き出しの木)。また、冷房設備がないため、実際暑い夏には、演奏途中で気分が悪くなるお年寄りなどがいて、病人を運び出すために、その列の人たちは大変なことになるわけだ。
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また、この劇場のもうひとつの特徴は、オーケストラピットが舞台の真下に位置していて、客席からは、オケはおろか、指揮者の姿すら見えない。これはワーグナー自身による設計で、大音響のオーケストラが歌手の声をかき消してしまわないようにとの配慮である。これも拾ってきた画像だが、オケピットはこんな感じ。本当に穴倉の中でオケは演奏するのである。
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さて、この劇場は、市の中心地から少し離れた丘の上に立っていて、鉄道では近くまでアクセスできない。従って、それぞれのホテルから送迎バスが出ている。私の泊っているところからは、なぜか行きは無料、帰りは 3.5 ユーロと有料のバスに乗る。大規模都市ではないので、ホテルの数も限られているのであろう、終演後のバスの数は、せいぜい 6 - 7台といった程度。以前に比べればそれでもホテルの数は増えたというが、ハイシーズンはこの夏の間だけであろから、大都市圏のようなことにはならず、ホテルの確保は簡単ではないようだ。

さて、ホテルからバスに乗ること 10分弱。見えてきました、祝祭劇場。以下は私自身が写したもので、丘の上に立つ祝祭劇場の雄姿と、開演前を知らせるバルコニーからのファンファーレ。各作品の中の短いテーマが演奏されるが、15分前に 1回、10分前に 2回、5分前に 3回鳴らされる。これを聴いて聴衆たちは席に着き始めるのである。
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さて、ではいよいよ客席に向かおう。実は入場はそれなりに機能的にできていて、開演 15分前に扉が開くと、各列に応じて指定される左右の入口から入って行く。まだ奥の席が空いているときには自席で立ってその人たちを待つことになる。とはいえせいぜい 15分なので、それほど苦にはならない。そして、その列の左右いずれかの半分が埋まったと見れば、順々に座って行くのである。そうしてすべての列が着席したと見ると、係の女性がそれぞれの列の横にあるドアを閉め、カーテンをシャーッと閉めるのだ。例えてみれば、遊園地のアトラクションでショーが始まる前に部屋に閉じ込められる、そんな感じ。ところで今回、木の椅子に座るのにクッションを持参した方がよいとの代理店の Suggestion があった。「100円ショップで売っているような奴で結構なんで」と言われたので、その通り100円ショップでクッションとそれを入れる小さな手提げ袋を買って持って行ったのである。実は、100円のものだとクッションが薄すぎたので、奮発して 150円の豪華版 (?) にしたのであるが、さて当日現地で、タキシードを着ている手前、あまりいそいそすることなく、少し顎を突き出し気取った様子でおもむろにクッションを出したところ、なんとなんと、思い切り、「150円」という派手な札がブラブラ下がっているのを発見!! 「ちきしょう、札を取ったはずなのに、なんだよ! 周りの人に、150円ってバレるじゃないか!!」と心の中で舌打ちし、もちろん何食わぬ顔で、ほかの席から見えないようにその札をむしり取りました (笑)。

さて、今回の「指環」4部作であるが、このプロダクションとしては 3年目となる、ドイツのフランク・カストルフの演出、ロシアのキリル・ペトレンコの指揮によるものだ。歌手には私の知った名前は一人もないが、当然バイロイトで「指環」を歌うくらいだから、皆実力者なのだろう。今回、私がこの旅行を決めてから、このペトレンコに関して大きなニュースがあった。世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルの次期音楽監督就任が決定したのである。
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1972年生まれなので、既に 40 を越えていて、バイエルン州立歌劇場の音楽監督という要職にあるとはいえ、ほかの候補者に比べて知名度が低いことは誰の目にも明らかであったので、このニュースは驚きをもって世界を駆け巡った。私自身、彼だけはないだろうと思っていたので、やはり大変に驚いたものだが、今回こうして初めて生でペトレンコを聴けることは大きな幸運だ。

さてさて、このプロダクションであるが、私自身は事前のイメージなく体験したのであるが、どうやら過去 2年間、酷評に晒されてきたらしい。確かに、見てみてビックリ。私も大概いろんな演出で、特にワーグナーの場合、現代的ないわゆる「読み替え」演出なるものを見て来たが、これはその中でも超ド級である。これまで、バイロイトについての本を読み、ヴァーンフリート荘に出かけて、19世紀から第二次世界大戦中あたりのイメージに浸っていたところ、いきなり冷や水を浴びせかけられたような気分である。一言でまとめてしまうと、その設定の俗っぽさはまだよいとしても、スクリーンによる映像も使ってこれだけうるさく演出されると、観客が音楽に集中することができず、あのワーグナーの変幻極める音楽が、ただの BGM に貶められてしまうのだ。これは前衛的と言って許されるものではなく、音楽への冒涜としか言いようがない。ほかでもないこのバイロイトで、しかも由緒正しき「指環」で、こんなにひどい演出が続けられていること自体、大変な驚きと嘆きを感じさせるのだ。そんなにやりたいなら、ワーグナーを BGM とした映画でも撮ればよいのだ。

もう少し詳細を見てみよう。まず舞台は、1950 - 60年代頃とおぼしき、アメリカのさびれきったモーテル ("Golden Motel") と、それに隣接するガソリンスタンド。いや、"WIFI HERE!" という看板があるということは、その頃にできた汚いモーテルで起こる現代の話という設定か。こんな感じである。
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冒頭、ラインの乙女たちが泳ぐシーンは、場末の娼婦然とした 3人の乙女たちが、洗濯して干してあるいろとりどりのビキニのトップとボトムを取り入れながら、プールでパシャパシャやっていると、いかにもやさぐれた労働者風情のアルベリヒが彼女らに言い寄り始めるという展開となる。舞台上の本来の情景に加え、安っぽい建物の上に設置されたオーロラ・ビジョン (?) で、舞台で進行中の劇のアップや、建物の中等、違うところで起きている情景、また、事前に撮影してある映像 (アルベリヒが大蛇になったりカエルになるところなど)、はたまた、最近映画でよくある、登場人物がストップモーションとなってカメラがその間を動き回る映像 (古くは、「ソード・フィッシュ」の爆発の場面や、最近では、「X-Men」の最新の作品で、動きが極端に早い超能力者がピストルの弾道を変えるシーンなどで使われていた) が、のべつまくなしに映される。出てくる登場人物という登場人物が全員、やくざ者か変態だ。以下、ラインの乙女たち、ファフナーとファゾルトの巨人兄弟、そしてドタバタ劇の様子を、プログラム掲載の写真から。
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ヴォータンは何の威厳もない、下品なピンクのジャケットのオヤジで (しかも登場シーンでは眠りについているはずが、あろうことか、ここではフローラとベッドで激しくイタしているのである!!)、ラインの乙女が物干しに残しておいた真紅のビキニのボトムをねじって眼帯にするなど、言語道断の暴挙に出る。ローゲは上下とも赤のスキンヘッド、ミーメは全身キンキラのお笑い芸人、フローはどう見ても出がらしのクリストファー・ウォーケンだし、ドンナーはルパン三世の次元を情けなくしたような様相だ。要するにコイツら全員、崇高さのカケラもないのだ!!

加えて演出家は、もともとの設定にない小細工をいろいろと始める。例えばラインの乙女たちは、アルベリヒに黄金を取られるのを黙って見ていて、その「犯行」を、すぐにヴォータンに電話で知らせているのみならず、残りの話の展開においても、このモーテルの中を出たり入ったり。明らかに、アルベリヒを誘惑して罠にはめ、黄金を盗ませて、それをヴォータンが強奪できる手筈を整える役柄だ。また、ヴォータンとローゲが地下のニーベルハイムに降りて行った際、台本では苦労してアルベリヒを捕まえるわけであるが、この演出では、既にアルベリヒもミーメも、最初から囚われの身で出て来るのだ。その他、ガソリンスタンドのチビの店主が、歌わない役として出てきて、暴行を受けたり店を壊されたり無視されたり、散々ひどい目に遭った挙句、最後はガソリンスタンドの店舗の中で、ほかの一群とともに、ゾンビ踊り (???) を始めるのである。また、上部スクリーンにだけ投影される (しかもモーテルの看板が邪魔になってよく見えない)、謎の殺人事件も起こる。おいおいおい、一体なんなのだこれは。大詰めの、ヴァルハラ城への神々の入場は私の大好きな曲で (学生時代にムシャクチャすることがあると、よく大学の近くの名曲喫茶に行ってはこれをリクエストして発奮していたものである)、どの演出でも、最後にカタルシスを与えてくれる雄大な情景に感動するのであるが、この演出では、城は影も形もない。一体なんなのだ。何がしたいのだ、この演出家は!!

そんなわけで、まあ不愉快な演出であって、ろくに音楽も聴けなかったのであるが、ただ退屈だけはしなかった。ひとつ言えるのは、これは歌手たちにとっては大変な困難を伴う演出であったろう。ただ歌うだけでも大変な曲に、カメラ用の演技も含めて、始終舞台を駆けずり回らなくてはいけない。その点には最大限の敬意を表そう。
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音楽に集中できなかったとはいえ、ペトレンコの指揮は、確かによく鳴っていたと思う。通常の劇場と違ってオケの音は蓋がされている分、音量も音色も少しまろやかにはなっていたが、それでも、大詰めの盛り上がりはビンビン響いてきて、舞台には出てこない、自分だけのヴァルハラ城を勝手に夢想してしまったものである。なんでも、このプロダクションは 5年契約であるところ、ペトレンコは 3年経過の今年で降板して、残る 2年は、マレク・ヤノフスキが指揮するらしい。途中降板の理由は、自分が音楽監督を務めるミュンヘン・オペラのオープニングとも関連した体力的な問題との説明になっているようだが、実際には、この演出に対する不満ではないのか。こんな邪魔をされると、いかに精力的に音楽を鳴らしても空しいだけである。

終演後、すぐにブーイングが出て、それを一部のブラボーが打ち消した。その後、歌手でブーを受けた人はいなかったから、明らかに演出に対するブーであったわけだ。最も大きい拍手を集めたのはペトレンコであり、さもありなんと思ったものだ。こんなところで才能を浪費することはない。ベルリン・フィル就任に向けて、毎日指揮の素振り100回でもした方が、よっぽどましだ。
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と、ここまで長々と演出のことを悪しざまに書いてきたが、冷静になって考えてみれば、この演出家、なんという勇気であろう。世界の注目を集めるバイロイトでの指環は、まさに世界のひのき舞台。そこでここまで思い切ったこと、つまり、観客のほとんどが不快感を覚えるであろうことをやってしまう勇気は並大抵のことではない。少しでも、「ああ、これはちょっとマズいかな」と思うと、こんなことはできないはずである。いやはや、その勇気を何か建設的なことに使うよう、家族の人たちは進言してあげてはいかがか。ただスキャンダラスなものを作るのが目的なら、それこそ超絶のド S。このド M 集団のバイロイトの観客に対するアンチテーゼということなのだろうか・・・???

ところでこの演奏、日本人の姿が目立った。20人や 30人ではない。50人は優に超えていたであろう。皆さん楽しそうで何よりだが、このようなヨーロッパの格式あるイヴェントでは、やはり盛装がマストであるところ、かなりの人たちが通常の背広であった。断言する。これはやはり、間違っている。若い人たちも何人もいて、あまり経済的に余裕がないのかもしれないが、どのみちバイロイトまで大変なお金をかけて来ているわけであるから、あとほんの数万円、衣装にかけるべきであった。Aoki でも青山でもいい、今はフォーマルもそれほど無理ない値段で買える。私自身は、毎年ブラックタイのイヴェントがあるのでタキシードを数年前に購入したが、何を隠そう、Aoki での購入だ。ちなみにクッションは 150円だ!! 音楽を聴くということは、ただ純粋に音楽を楽しめばよいというものではない。それは、野蛮人の発想だ。郷に入っては郷に従え。この素晴らしい音楽を生んだヨーロッパ文明への敬意が必要だ。このブログをご覧の方で、ヨーロッパの音楽祭に参加予定の方がおられれば、是非このことを肝に銘じて頂きたい。

by yokohama7474 | 2015-08-10 17:13 | 音楽 (Live) | Comments(6)

ドイツ、バイロイト ワーグナー旧居 (ヴァーンフリート荘)、フランツ・リスト博物館、ジャン・パウル博物館等

前回からの続き。

ふと目が覚める。うーん、ここはどこだ。目をこすってみる。何やら案内板が。
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ん、なになに。"eu" はドイツ語では「オイ」と発音するんだよね。ええっと・・・バイ、ロイ、ス、いや、ト???? バイロイトだって?! は? Wahnfried? ヴァーンフリートって、あのワーグナーの住んでいた家だよね? どこに? えっ、目の前???
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ええーっ、これって本物のヴァーンフリートではありませんか!! いやー、やっぱり人間、強く望めば叶うのですな。あれほど来たかったバイロイトのヴァーンフリートに、本当に来てしまいました。こうなればしょうがない。早速、中に入ってみよう。
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当たり前だが、これまで映画や、ここで撮影されたコンサートの映像で見たものと同じだ。これが、昔ワーグナーとその妻コジマ (リストの娘) が暮らし、それから代々受け継がれてきた、ワーグナーの聖地なのだ。佇まいそのものは質素と言ってもよい。このサロンには、古い蔵書もズラリとそのまま展示してあり、例えばベートヴェンの作品全集 (楽譜なのだろう) もある。ワーグナー自身が見ていたものかどうかは分からないが、とにかくここにあるということは、その可能性もあるわけで、なんともゾクゾクする。
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前回の記事で扱った本を読んで、ワーグナー自身及び、バイロイト音楽祭に関係するその子孫に関しては、膨大な量の史料が残っていることを知った。19世紀の作曲家で、ここまで情報量の多い人は、ほかにいるだろうかという気がする (いや、20世紀の作曲家でもここまで多い人はいないのでは?)。そして、ワーグナーの作品もさることながら、この街の歴史を少し知った上でこの建物に入ると、額縁に収まった巨匠作曲家ワーグナーでなく、人間ワーグナーの存在感というものを、ひしひしと感じるのだ。併設の資料館にも興味深い展示品が目白押しだが、例えば、ワーグナーとコジマの日常品も大切に保管され、展示されている。
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これらを着て、ものを書いたり喋ったりし、ここで人類史上まれに見る意義深い文化生活を送っていた人たちが、この旧居の庭に、今は 2人で眠っている。ちょうどシーズン中なので観光客は比較的多いし、いろんな国のワーグナー協会から花が贈られるらしいが、でもまあ、その激動の人生を思えば、ひっそりと眠っているという言葉がぴったりくるようだ。
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また、過去のバイロイト音楽祭についての資料もふんだんだ。音楽祭が 1876年に始まって以来約 140年。途中資金難や戦争による中断もあり、3年ごとに休演するのが恒例の時代もあったが、いずれにせよ大変長い歴史だ。その長い歴史の中で、音楽祭に登場したすべての指揮者の写真が飾ってあり、興味は尽きない。常連として何度も登場した人もいれば、たった 1回のみの人もいる (我が国唯一の出演指揮者、大植英次もそのひとり)。実際に数えてみたら、75人だ。へーこの人がと思う指揮者もあれば、当然いてもよさそうなのにいない指揮者もいる。一部分、写真を撮ってみた。先日読響との演奏会をご紹介したスキンヘッドの怪人指揮者、デニス・ラッセル・デイヴィスも出演している。中断の真ん中、カラヤンの下だ。意外に目が可愛いのです。
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このヴァーンフリート荘は、1874年に建てられており、建物前の胸像はルートヴィヒ 2世だが、それも建設当時からあったことが写真によって判明する。ほかに興味深い写真は、例えば以下のもの。1945年、戦争末期にバイロイトも連合国軍の爆撃を受け、2/3 くらい破損してしまったとのことで、その痛々しい情景 (無邪気にバク転している少女の存在が余計無常感をそそる) と、連合国軍兵士 (アメリカ人だろう) が、爆撃によるものとおぼしき埃の積もったピアノを困惑気味にチェックしている (?) ところ。こういう時代を超えて、音楽祭は継続して来たのだ。
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ところでバイロイトという街、どこにあるのか、場所を確認しておこう。南ドイツ、バイエルン州の北東、ほとんどチェコとの国境に近いところに位置している。
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ある本によると、この街は、「そのままボヘミアの森に続いている」。そこで私はハタと気づいたのだ。ナチスドイツが当時のチェコスロヴァキアから奪い取った土地、ズデーテン地方 (ドイツ語圏) は、もうこのバイロイトからは目と鼻の先だ。
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ヒトラーは 1920年代からバイロイトに入り浸っており、1930年代前半の、権力を掌握する際どい過程でも、このヴァーンフリートにしばしば突然現れ、深夜や明け方までワーグナー家の面々とくつろいで過ごしたという。すなわち、ここは早くから、現実離れをした神聖な芸術だけが語られ、用意され、演奏される場所では決してなく、人々が血を流し涙を流す、のっぴきならない現実の舞台のすぐ近くに存在していたということだ。戦後の非ナチ化は険しい道のりだったが、それから 70年経った今でも、戦争と文化が危険な一線を越えてしまった時代は、まだ過去のものにはなっていない。

まあ、重い話はさておき、街歩きを続けよう。実は、あまりガイドブックには紹介されていないようだが、このヴァーンフリート荘のすぐ隣に、もうひとりの大作曲家で、ワーグナーの妻コジマの父でもある、フランツ・リストが亡くなった家があり、彼の博物館になっている。この人、作曲家としては、ピアノ作品以外にはあまり傑作は多くないものの、ロマン主義の時代を彩った悪魔的なピアニストとしてだけでも、充分に歴史に名を刻んだであろう。若い頃から沢山肖像画が残っていることから、その選ばれた人生が偲ばれる。以下、10代の肖像画 (利発そう! ハンガリー生まれなので、名前の表記が、日本人のように姓・名の順になっている)、20代の肖像画 (めっちゃイケメン!!)、そしてデスマスク (おー、しわくちゃの爺さんだ!!!) をご覧頂き、どんな特別な人間も、時の流れからは自由でないことをお感じ下さい。
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この博物館の受付のオバチャンにいくつか質問していると、実はリストはこのバイロイトで亡くなったことが分かった。1876年、75歳のときで、折しも音楽祭開催中の夏季のことだったという。そして、遺言で、音楽とは関係のない静かで質素な環境に埋葬して欲しいと言ったらしく、バイロイトの市立霊園に葬られたそうな。見せられた墓の写真では、チャペルが付随しているようで、通常人に比べれば質素ではないかもしれないが、他の多くの一般人と一緒に眠っているあたり、選ばれた者ゆえの潔さを感じてしまう。バイロイト滞在中に墓所を訪れる予定。

さてさて、実はもうひとつ隠れた博物館が数軒先にある。それは、ジャン・パウル博物館。
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ジャン・パウル (1763 - 1825) と言っても、誰それ、と思う人がほとんどであろうし、私自身も著作を読んだことはない。でも、ひとつ名前を知っている書物がある。それは、「巨人」という作品 (邦訳も出ているが、かなり分厚い本だ)。クラシックファンの方はピンと来るだろう。あのマーラーが、交響曲第 1番「巨人」の霊感を得た書物だ。そのジャン・パウル、ここバイロイトでは深く尊敬されているらしい。別の場所に、こんな石碑もある。
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そして、私自身も最近知ったばかりの、とっておきの逸話をご紹介しよう。このジャン・パウルが、奇しくもワーグナーが生まれたその年、1813年に、よりにもよってこのバイロイトで、驚くべきことに以下のような文章をものしているのだ。

QUOTE
これまで太陽神アポロは、右手に詩の才能を、左手に音楽の才能を携えて、その才能を互いに遠く離れ離れに立っている人間に向かって、常にそれぞれ別々に投げ与えていたが、正真正銘のオペラの台本が書け、同時に台本に相応しい音楽を作曲できる人物の到来を、つい今この瞬間に至るも、我々は変わらず待ち焦がれているのだ。
UNQUOTE

これはまさにワーグナーのことではないか!! ワーグナーの生まれた年に、ワーグナーが生涯その芸術を永劫に刻むことになる土地で、こんなことを予言した人物がいたとは、誠に驚きである。

余談ながら、このジャン・パウル博物館は、イギリス出身の著述家、ヒューストン・ステュアート・チェンバレンが住んでいた邸宅であるらしい。このチェンバレン、ワーグナーのコジマとの間の二女であるエーファと結婚した、ワーグナー一家のメンバーであるが、著しい人種論者で、反ユダヤ思想という点で、ヒトラーにも相当影響を与えたらしい。例のヴィニフレート・ワーグナーの伝記にも何度も登場するが、ここにも歴史の重要な一コマが存在するのだ。もしチェンバレンがエーファと結婚せず、またヒトラーが若いゴロツキの頃からバイロイトを頻繁に訪れていなかったら・・・と考えても詮無いことではあるが。今は全く異なる文学者、ジャン・パウルを記念する博物館として、チェンバレンがここに生きたということすら忘れられようとしている。

このバイロイトという街、今ではこじんまりとした佇まいだが、かつてはブランデンブルク辺境伯の宮廷が置かれていて、フリードリヒ大王の姉が嫁いで来たという歴史もあって、バロックやロココの建物が残っている。その筆頭が、世界遺産、辺境伯オペラハウスで、大変豪華な内装で知られているが、現在は 2018年まで保存改修中。残念ながら、外見と、付設の博物館の展示品のイメージのみしか体験できなかった。
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また、街中を歩いていて、旧市庁舎の奥にある文化博物館で、私のお気に入り (という表現には語弊があるが、要するに常に気になるという意味) の画家、ゲオルゲ・グロッス (1893 - 1959) の作品展を発見。飛び上がって喜び、早速鑑賞。
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このグロッスは、1920年代、30年代に、戦争の恐ろしさと貧富の差、都市にあふれる社会の底辺の人々を、皮肉にも軽妙なタッチで描いた画家。最近はジョージ・グロスとアメリカ式に呼ばれることも多いようだが、彼自身が米国に帰化したか否かは関係ない。その創作の絶頂期の活躍場所と描いている情景がドイツである以上、絶対にゲオルゲ・グロッスであるべきだ。今回の展覧会も、まさにグロッスらしい、おぞましくも哀しいブラックユーモアにあふれた作品のオンパレード。このような、全く予期せぬ展覧会との出会いもまた、楽しい。

さてさて、バイロイトでまだ訪れるべき場所はあるものの、夜のオペラに備えて一旦宿に帰ることとした。目抜き通り、マクシミリアン通りは、戦後は車道になっていたたようだが、今では石畳に戻され、歩行者用の道。今日は日曜なので、店も大方閉まっており、なんとも穏やかな雰囲気。観光客でもっているはずの街にしては、土産物屋もあまり見かけないし (ワーグナー饅頭とかワーグナー煎餅なんてありそうだと思ったが、どうやらなさそうだ)、日曜だから休むというのも商売っ気ないなぁ・・・。まあそれも、昔戦争で大きな荒波に揉まれた街の、今は大人の表情ということか。
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街には、犬を連れた人々ものんびり歩いている。また、ヴァーンフリートのワーグナー博物館の展示品にも、往年の名テノール、ラウリッツ・メルヒオールが 1931年にバイロイトでタンホイザーとジークフリートを歌ったときの写真として、多くの猟犬と戯れている微笑ましいシーンが見られた。いつの時代も、犬は人をホッとさせるものですな。特にビーグル (笑)。
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ああそういえば、先にご紹介した本を読んだ記憶だが、この写真が撮られた 1931年とは、このバイロイト音楽祭で唯一、トスカニーニとフルトヴェングラーが両方指揮台に立った年ではなかったか。本には、こんなポスターが掲載されている。そういう演奏を聴けた人たちは、なんという至福を味わったことだろうか。
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by yokohama7474 | 2015-08-10 09:30 | 美術・旅行 | Comments(0)

ブリギッテ・ハーマン著 ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯 上 戦前編

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私は学生時代から、第 2次世界大戦中のドイツの音楽界の動向には大変興味を持っていて、生涯勉強して行きたいと考えているのであるが、今般、とある人に薦められ、この大部な書物を読むこととした。上下 2巻で 750ページ近いのだが、面白すぎてページを繰るのももどかしく、あっという間に上巻を読み終えてしまった。

まず、基本中の基本を押さえておこう。リヒャルト・ワーグナー (1813 - 1883) は、ドイツロマン主義の大作曲家。一部、器楽曲も残しているものの、その生涯をほとんどオペラに費やした。こういう顔だ。
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一般にも、「ワルキューレの騎行」という曲が、その暴力性と、金管が炸裂するド迫力でよく知られている。それは実は、楽劇「ワルキューレ」の第 3幕への前奏曲なのだ。ほう、ではどんな曲か、ちょっと全曲でも聴いてみようかな、と思った方。覚悟はよろしいか。この「ワルキューレ」を含む 4部作、「ニーベルングの指環」は、上演に 4日間を要し、演奏時間は実に 15~16時間に及ぶのですぞ。それぞれの作品 1本が、平均的なイタリアオペラの倍くらいの長さだ。泣けども喚けども、4日間劇場に缶詰になり、鬱陶しく仰々しいドイツ語で、いつ果てるともない音響の渦に呑み込まれる。それって拷問に近いと思いませんか。

ところがその拷問に、身悶えして喜ぶ変人が、世界に何万人、何十万人、もしかしたら何百万人といるのだ。上記 4部作を含むワーグナーの主要 10作品 (ちなみに列挙すると、「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」、「ローエングリン」、「トリスタンとイゾルデ」、「ニュルンベルクのマイスタジンガー」、「ニーベルングの指環」 (= 「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」の 4作)、そして「パルシファル」だ) は、世界のオペラハウスにおいて、なくてはならない重要レパートリーだ。しかもこの広い世界には、あろうことか、この重くて長くて暗いワーグナーのオペラだけを、よりによってワーグナーだけを、しかも真夏に演奏するという特殊な音楽祭があるらしい。信じられますか。その劇場は、19世紀に建てられ、冷房もなければ椅子のクッションもない、また、客席に通路もないところらしい。そんなところに出かけて行く人たちは、筋金入りのド M に違いない。そのド M の集まる音楽祭を、バイロイト音楽祭という。

そもそもワーグナーが他の作曲家と異なるのは、すべての作品に自分で歌詞を書いたこと。つまり、詩人であり音楽家であるということであって、自らの世界観を妥協なく作品に投影できたわけである。そして題材は、北欧・ゲルマンの神話や伝説。英雄、贖罪、浄化、神聖性、自己犠牲というキーワードが散りばめられた作品群だ。まあドイツの人たちがそのような作品に入れ込むのは、なんとなく分かる。でも、その人の作品だけを演奏する音楽祭があるとはどういうことか。

ここで登場するのが、有名なバイエルン国王、ルートヴィヒ 2世だ。ヴィスコンティの有名な作品を含め、その生涯が何度も映画化されており、また、日本人にも大人気のノイシュヴァンシュタイン城を建てた王様だ。

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この王様は、中世の英雄譚などの夢物語に溺れるのが好きな人で、ワーグナーの作品群にぞっこんほれ込み、ついにはそのパトロンを買って出る。それによって完成したのが、バイロイト祝祭劇場で、1876年のこけら落としが、この「指環」4部作の連続上演であったわけだ。

さてさて、本の中身になかなか辿り着かないが、この本は、その作曲者ワーグナー自身が創設したバイロイト音楽祭が継承されて行く中で、いかなる歴史があったのかということを、圧倒的な量の史料を駆使して克明に描いている。題名になっているヴィニフレート・ワーグナーとは、大作曲家ワーグナーの長男、その名もジークフリートという人がいたのだが、その奥さんだ。英国から年の離れた旦那のところに嫁入りして来て、最初はおしとやかなお嬢さんであったものが、ドイツの第 1次大戦における敗戦から、第 2次大戦に突き進む激動の時代に、どのように変貌し、どのようにこの音楽祭を維持して行ったかがよく分かる。例えて言えば、「ゴッドファーザー」の 1作目、ただの真面目な学生であった三男のアル・パチーノが、マフィア同士の争いの中で、血の気の多い長男、優柔不断な次男を差し置いて、家族を守ろうとしているうちに頭角を現して次のボスになるという、あのストーリーを彷彿とさせるものがある。歴史とは、様々な巡り合わせやある種の必然の積み重ねによって、少しずつ起こる変化が、いつのまにやら激流になる、そのような流れであると言えると思うが、ここに描かれたのは、天才、凡才、策略家、お人よし、ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、様々入り乱れて歴史の歯車がミシミシと回る様子である。そのまま映画にもできるような、凄まじい内容だ。

とまあ、書物の内容はともかく、一度そのバイロイト音楽祭に行ってみたい。おー、行ってみたいぞぉ・・・と心の中で叫んでいるのでありました。

次回に続く。


by yokohama7474 | 2015-08-09 07:14 | 書物 | Comments(0)

ワレリー・ゲルギエフ指揮 PMF オーケストラ (ピアノ : ドミトリー・マスレエフ) 2015年 8月 4日 サントリーホール

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全く、毎日うだるような暑さだが、今年から PMF の芸術監督を務めるゲルギエフが東京でコンサートを開くとなれば、バテたからだに (二日酔いという説もあるが・・・) 鞭打って、出掛けねばなるまい。PMF とは、Pacific Music Festival のこと。1990年に故レナード・バーンスタインの提唱により、札幌で始まった夏の音楽祭。環太平洋地域の若い音楽家がオーディションで選ばれ、一流の音楽家のもとで研鑽を積み、その成果を演奏会で発表するというもの。私も初回の横浜公演 (バーンスタインがキャンセルして佐渡裕が指揮をした) を聴いたし、1997年には札幌まで聴きに行き、それ以外にも東京で聴いたことが何度かあるが、25年を経てますます活発なフェスティヴァルとして盛況であるのは、なんともご同慶の至り。しかも、歴代芸術監督はまさに錚々たる面々だ。今年から芸術監督に就任したロシアの鬼才ゲルギエフは、相変わらず世界で最も多忙な指揮者のひとり。よくもまあこんな指揮者を確保できたものである。

さて、今回のもうひとつの話題は、去る 7月に行われた世界有数のコンクールであるチャイコフスキーコンクールのピアノ部門の優勝者、ドミトリー・マスレエフ 27歳の登場である。こんな若者だ。年よりもさらに若く見えますな。
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実は今知ったのだが、今回のチャイコフスキーコンクールは、モスクワだけでなくサンクト・ペテルブルクと 2ヶ所で開催され、その組織委員会の共同委員長がゲルギエフであったらしい。彼は先のソチ冬季オリンピックでも、開会式で五輪旗を運ぶロシアの要人のうちの1人であったので、あらゆる意味でロシアの中での発言力が抜きんでているのだろう。今回のチャイコフスキーコンクールでも、審査員の豪華な顔ぶれを見てびっくり。まさにゲルギエフ渾身の人選だったのであろう。中でも、ピアノ界の人間国宝、91歳のメナヘム・プレスラーが名を連ねているのがすごい。この優勝者のマスレエフは、プレスラーのお眼鏡にも適ったということか。因みに、今年はヴァイオリン部門では 1位なしだったらしい。

さて今回の曲目は以下の通り。

ロッシーニ : 歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品18
ショスタコーヴィチ : 交響曲第10番ホ短調作品93

実は曲目は二転三転していて、独奏者がチャイコフスキーコンクール優勝者であることは決まっていたものの、最初はベートーヴェンの「皇帝」が予定されていて、それがラフマニノフに代わり、またロッシーニの序曲が加わったが、最初は「セミラーミデ」だったらしい。ともあれこのプログラム、普通のコンサートより演奏時間が長めである。

一言で言うとこの若いメンバー (世界 24ヶ国・地域から 85名が選抜) からなるオーケストラは、弦には深い味わいはないがキレがあり (ビールの表現のようだネ)、管には精妙さはないが勢いがあるという感じ。まず若さの特権があって、そこにゲルギエフがさすがのカリスマぶりを吹き込むことで、なかなか面白い演奏会になった。

最初の「ウィリアム・テル」は、冒頭のチェロにいきなり不満。でも、曲が進むうちに、妙に乗ってくる演奏であった。指揮棒を持たないゲルギエフの右手が、痙攣したクラゲのようにヒラヒラフニャフニャ揺らめいて (うーん、我ながら言い得て妙だ 笑)、ギャロップを導き出していた。

ラフマニノフは、もう聴き飽きたような甘い情緒を湛えた曲なのであるが、このピアニスト、あまりその点を強調しない。打鍵の正確さ、粒立ちのよさも、いまひとつ。でもなんというかこう、幅の広い銀色の布を広げたように、派手さはないけど存在感のある音で、ある瞬間には、ぞっとするような劇性を表すのである。例えばカデンツァは自由度が高く、時折、これはこのピアニストが即興で弾いているのではないかと錯覚するような感覚があった。かなりユニークで、通常のチャイコフスキーコンクール優勝者の正当派的イメージとはちょっと異なる。やはり、プレスナーのような異才が選んだピアニストということなのであろうか。アンコールには、チャイコフスキーの小品と、ラフマニノフが編曲したメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のスケルツォを演奏したが、やはり、超絶技巧ではなく味わいで聴かせる演奏であった。さて、今後どのように進化して行くことであろうか。

メインのショスタコーヴィチ10番は、若いオケが指揮者に必死に食らいついて行く演奏で、技術上の細かい傷は散見されたものの、なにより音楽の勢いで聴かせてしまった。ゲルギエフのエネルギーは相変わらず凄い。この人、あまりに働きすぎのため、一回一回の演奏会での仕上がりが心配になることがあって、バッチリ準備した完璧な、あるいはここぞとばかり鳴り響く乾坤一擲の壮絶な演奏というよりは、次々とこなして行かなくてはならない一連の仕事のひとつという演奏に出会うこともままある。ただ不思議なのは、それでもこの指揮者がまた聴きたくなるのだ。ショスタコーヴィチの交響曲は、このブログでも過去何度か触れているが、精神の極限を表す奇怪な世界を含んでいる。この 10番でも、最初から最後まで狂気のごとく荒れ狂う第 2楽章や、激烈な盛り上がりの間に現れる、ポッカリと空に浮かんで微動だにしない雲のようなホルンのパッセージが不気味な第 3楽章等々、音楽の奇景とも言うべき場面に事欠かないが、それほど深く彫琢を施しているわけでもないのに、ゲルギエフの音楽は極めて鮮烈だ。指揮者の持ち味とは不思議なものである。

このゲルギエフ、明日は東京交響楽団との演奏会、10月にはまたまた新しい手兵であるミュンヘン・フィルと来日。また、来年には「本命」の手兵、マリインスキー歌劇場の引っ越し公演が予定されている。この短い、つまようじのような独特の指揮棒 (今日の後半で使用していたのは、これよりももうちょっと長かったと思う) で、彼だけの音楽を奏で続けて欲しい。
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by yokohama7474 | 2015-08-05 00:26 | 音楽 (Live) | Comments(0)

エドワード・ガードナー指揮 東京都交響楽団 2015年 8月 2日 東京芸術劇場

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エドワード・ガードナーは、1974年生まれの英国の指揮者。イングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督だ。このオペラハウスは、原典主義の今時珍しい、すべて英語で上演する劇場なのだ。私がロンドンに住んでいた時には、もともと英語の作品である「ピーター・グライムズ」(ブリテン) や、「キャンディード」(バーンスタイン) しか見なかったが、いずれも素晴らしい演奏であった。その後プロムスのラスト・コンサートを指揮するなど、本国ではかなり人気のある指揮者である。その彼が都響に客演する。それは聴くしかないでしょう。
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これは、都響の「作曲家の肖像」と題されたシリーズ。その名の通り、通常はひとりの作曲家の作品を取り上げるのだが、今回は上の写真の通り、「イギリス」になっている。察するに、夏休みということで、ホルストの「惑星」をプログラムに据えたものの、同じ作曲者の作品で前座に演奏する適当な作品がなかったため、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」を組み合わせたのではないか。私も、この素晴らしい「惑星」の作曲者が、ほかにも何か面白い曲を作っているのだろうと思って、あれこれ聴いてみたが、ダメだ。本当に「惑星」だけの一発屋だ (苦笑)。彼の故郷であるチェルトナムは、人気のコッツウォルズ地方にある。私も一度訪れたが、温泉地の中に偉大な「惑星」の作曲者の像が立っている。おっと、なんと左手に指揮棒を持っている。これは珍しい。
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さてさて、相変わらずの寄り道はこのくらいにして、このコンサートである。いやはや、大変に素晴らしいものであった。都響の演奏能力は今や、驚くべき高みに達している。最初のブリテンの曲は、教育素材として作られただけでなく、「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」の副題が示す通り、バロックの壮麗さを発展させたような目まぐるしい曲である。都響の各セクションが、軽々とそれぞれの妙技を披露して圧巻である。

さて、メインの「惑星」であるが、つい先週、デニス・ラッセル・デイヴィスの指揮する読響の演奏をご紹介したばかりだ。あまり生で聴く機会はないので、この連チャンは嬉しい。今回のガードナーの演奏は、若さあふれる情熱的な指揮。壮絶な「火星」から始まったのだが、特筆すべきは、2曲目の「水星」だ。1曲目との著しい対象をなすこの曲が、大きく深呼吸するような豊かさを持って響きのを聴くのは、また格別な歓びであった。もちろんそれ以降も、曲想による描き分けの顕著な演奏であり、実に充実した演奏会であった。終演後の指揮者の満足した表情は、全く嘘のないものに違いない。自国が誇りとする作品を演奏しに極東まで来たところ、その作品を完璧に音にするオーケストラと出会ったわけだから。うーん。ホルスト恐るべし。一発屋であっても、こんな曲を生み出した英国は、彼を誇りに思ってよい。今日のガードナーも、その誇りを心から感じていたと思う。

ところで今回の演奏会で、都響の創立 50周年を記念したのぼりが展示されていた。オーケストラにとって 50年は、ただの通過点。石原都政で辛酸をなめたことで大きく飛躍したこのオケの、今後のさらなる発展を祈ります!!
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by yokohama7474 | 2015-08-02 22:53 | 音楽 (Live) | Comments(0)

青鬼 Version2.0 (前川 英章監督)

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青鬼は、ゲームのキャラクターらしい。私には全く縁のない世界ではあるが、1作目が結構面白かったので、今回も見逃してはなるものかと、頑張って見に行った。一緒に見た連中は、ほとんど高校生だったようで、後ろの男子は、「おれ、ガチ怖ぇんだけど」と言っていたし、隣の女子は、「これってさー、ゲームやったけど、メッチャ速くねー」と言っていた。これこれ、日本語を喋りなさいよ。

さてこの青鬼、1作目では、AKB48 のメンバーで、例のノコギリ事件で被害者となった入山 杏奈がなかなかによかったのである。
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事件後の対応は立派だと思ったし、そのプロ根性に脱帽したものだ。さて、今回の作品、Ver 2.0 とはもちろん、ヴァージョンアップしたということなのだが、うーん、残念ながら前作よりは質は下がったとしか言いようがない。低予算はよいのだが、屋外も室内も関係ない、この汚い画像はどうだ。もう少し丁寧に作るべきだろう。また、今回新たに登場する、フワッティなるキャラクター。
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これ、どうですか。ふなっしーと、NHK のどーもくんの合体を青くしただけではないか。
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あーあ。こうして偉大な初代が堕落して行くのか。

by yokohama7474 | 2015-08-02 21:42 | 映画 | Comments(0)

画鬼 暁斎 三菱一号館美術館

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幕末から明治にかけて活躍した絵師、河鍋 暁斎 (かわなべ きょうさい 1831 - 1889) の展覧会であるが、ひとつひねりがあって、近代日本で様々な洋風建築を設計した英国人建築家、ジョサイア・コンドル (1852 - 1920) との関係に焦点を当てている。それは、近代都市東京を彩った初期の建築である、オリジナルの三菱一号館の設計者がコンドルであって、この三菱一号館美術館は、それの忠実な復元であるという由緒によるものだ。なかなかに気が利いている。

暁斎は、随分以前から私の興味を惹いてやまない画家なのであるが、その理由は、まさにその狂気をはらんだかのような迫真の筆に圧倒されるからである。この展覧会でも使われている「画鬼」という称号 (?) は自らによるものであるらしく、まさに鬼気迫る創作態度は、画を描く鬼と呼ぶにふさわしい。本人の面構えも、以下のごとく、期待を裏切らないものだ。バクモンの太田がしなびたような顔 (?) だ。
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ともあれ、その筆致の凄まじいこと。今回の出品作の中では、例えばこの「文昌星之図」はどうだろう。自由闊達な筆遣いが大変な勢いを感じさせる。
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但し、この暁斎という画家、あまりに多くのジャンルで多くの作品を手掛けた、ある意味では濫造したがゆえに、いまひとつ全体像が見えにくいという評価になっていて、実際その通りであると思う。本人は狩野派としての自覚があったとのことだが、浮世絵や、今回ひっそりと (?) 展示されている春画を含めて、世間の要望があれこれあって、それに貪欲に応えて行った面もあるのかもしれない。考えてみれば、同時代の画家として、狩野芳崖 (1828年生まれ) や橋本雅邦 (1835年生まれ) がいるが、これらの画家たちには重要文化財指定の作品がある (代表作は、狩野芳崖の有名な「悲母観音」だ)。一方、暁斎よりも後の世代、日本美術院創設後の画家たち、横山大観 (1868年生まれ) や菱田春草 (1874年生まれ) にも重要文化財があれこれある。それに引き替え、暁斎はどうだろう。重要文化財指定など、あるのだろうか。調べてみたところ、実は暁斎にも重要文化財指定の作品がどうやら一点あるらしい。それは、「北海道人樹下午睡図」というもの。但しこれは、モデルが探検家、松浦武四郎ということで、北海道開拓史との関係での価値が評価されての指定であろうと思う。このような絵である (今回の展覧会には出展されません)。
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私の場合、1989年に太田記念美術館での暁斎展を見て大いに魅せられ、1994年には大英博物館でも、"Demon of Painting / The Art of Kawanabe Kyosai" という展覧会を見て、暁斎の大ファンになったのである。手元で大事にしている大英博物館での展覧会の図録は以下の通り。表紙になっているのは、劇場の緞帳として百鬼夜行を即興的に描いたものの一部。どうです、なんとも暁斎らしい勢いがあるではありませんか (今回の展覧会には出展されません)。
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あえて今回の出展作でないものの写真を掲載するには意味があって、上述の通り、今回の展覧会は、建築家コンドルとの関係がひとつの目玉になっているゆえ、本来の暁斎の天衣無縫な作風の作品は、それほど多くないからだ。もちろん、コンドルとの関係も興味津々。コンドルの代表作として今日に残るのは、神田のニコライ堂や旧岩崎邸だろうか。だが、本当の彼の代表作は、鹿鳴館であり、上野の帝国博物館であったはずだ。帝国博物館、今の東京国立博物館は、既に重要文化財だが、もともとは関東大震災の前にコンドルの壮大な建物が存在していた。
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また今回、東大が保存する鹿鳴館の階段を初めて見ることができた。おー、なんという浪漫。
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そして、なんとも気持ちが高まるのは、この英国人コンドルが、暁斎に弟子入りしたことだ。当時のあらゆる人が、先進国からの使者として崇めたであろうコンドル。そのコンドルが暁斎に弟子入りして絵が学んだことの意義を、今一度考えてみたい。西洋のものが万能であるわけではない。各地域、各場所に素晴らしい文化があり、それは、それぞれの土地の人たちが意識しないと分からないものなのかもしれない。暁斎に弟子入りしたコンドルの作品を見てみよう。これが西洋人の手になるものだと分かるだろうか。
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こうして見てくると、暁斎の狂気をはらんだ芸術は、実は世界的に価値のあるものであったことが分かる。権威主義とは無縁の生涯を送った暁斎。その生き様を、もう一度しっかり見直し、自分だけの暁斎を心の中で育みたい。

by yokohama7474 | 2015-08-02 21:11 | 美術・旅行 | Comments(0)