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小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 2015 演奏会 2015年 7月31日 東京オペラシティコンサートホール

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最近では小澤征爾の生演奏を聴くのが大層難しくなってきており、35年来のファンとしては淋しい限りなのであるが、今回は彼が数年前から若手音楽家の育成の場のひとつとして力を入れている、国際室内楽アカデミー奥志賀の、東京での演奏会の一部で指揮をするとのことで、楽しみにしていた。上記のポスターの現地写真、見て下さいよ。一度でもタングルウッドに行ったことのある方なら、「なんとそっくり」と声を挙げそうな、爽やかな空気と若者の活気に満ちた素晴らしい環境ではないですか。自然の中で若者たちが研鑽を積み、経験豊かなマエストロが、厳しくも人間味豊かな指導をする。その成果やいかに。・・・ところが、そんな私の期待を打ち砕く立て看板が会場入り口に。
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これを見て、「えー、残念」と絶句する人。「想定内想定内」と軽くかわして入場する人。気づかずに素通りする人。もとより多くの人にとって小澤という存在は未だ別格であり、話題性抜群。私自身、彼の健康問題にはなんともハラハラしてしまうのであるが、1ヶ月後には松本で万全の態勢で臨むべく大事を取っているのであろうと考え、今日の音楽を楽しむことにする。なにせ、サイトウ・キネン・フェスティバル松本は、今年からセイジオザワ松本フェスティバルに改名するのだ。80歳の誕生日には特別コンサートも控えており、まずはそちらを優先してもらうしかないでしょう。

さて、このアカデミーは、日本及びアジア地区で選抜された若者 20数名が 10日間ほど合宿し、マエストロ小澤以外にも講師を迎えて室内楽の研鑽を積むというもの。今回の演奏会は、いわばその総仕上げ。前半では 6組のクァルテットが順次登場して、様々な弦楽四重奏曲 (ベートーヴェン、メンデルスゾーン、バーバー、シューマン、ブラームス) の 1つの楽章をそれぞれ演奏。休憩を挟んで、メンバー全員による弦楽合奏を小澤が指揮して、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第 16番ヘ長調作品135の第 3楽章 (弦楽オーケストラ版)、グリークのホルベルク組曲から第 1、4、5楽章が演奏される予定となっていた。今回、小澤のキャンセルにより、上記の看板にある通り、ベートーヴェンの演奏は取りやめとなり、グリークだけが指揮者なしで演奏された。

まず前半の、6組の学生たちによるクァルテットであるが、大変に充実した演奏で、どれも楽しむことができた。小澤が常々口にしている、音楽の基本は室内楽であって、その神髄は、お互いの音を聴きあうこと、呼吸を合わせることだという主張を力強く吸収した様子が伺えた。ひとりひとりの技量なりメンタリティーには多少の差を感じることは当然あったが、どれも例外なく楽しい演奏であったことは間違いない。

さて後半の曲目。今回聴くことができなかったベートーヴェンは、彼の最後の弦楽四重奏曲の緩徐楽章で、その深い情緒は指揮者なしでは難しいとの判断によるものであろう。この曲の弦楽合奏版は、小澤の師匠のひとり、レナード・バーンスタインがウィーン・フィルと録音した美しい演奏が有名だが、そのバーンスタインにベートーヴェンの弦楽四重奏曲の弦楽合奏での演奏についてヒントを与えたのは、師にあたるギリシャの巨匠、ディミトリ・ミトロプーロスだ。ただ、ミトロプーロスが演奏したのは 14番の四重奏曲であって、16番の弦楽合奏版を演奏したのは、実はトスカニーニであった。録音では第 2楽章と第 3楽章が残されているだけだと思うが、全曲も演奏したのであろうか。ともあれ、この 16番の第 3楽章は、マーラー 3番のあの超絶的に美しい終楽章に明らかに影響を与えた、深い情緒を湛えた音楽だ。マーラーは、ミトロプーロスとバーンスタインをつなぐもう一本の線だが、トスカニーニはマーラーは一切演奏しなかっただけに、興味は尽きない。このトスカニーニの CD を引っ張り出して来て、今度聴いてみることにしよう。ともあれ、これまで小澤がこの曲を指揮したことは聴いたことがなく、今回のキャンセルは、その意味では返す返すも残念だ。バーンスタインの録音のジャケット。雰囲気ありますな。
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今回指揮者なしで演奏されたグリークのホルベルク組曲 (「ホルベアの時代から」) は、やはり超有名指揮者で、もうひとりの小澤の師匠が録音している。ほかならぬカラヤンだ。こんなジャケットだった。
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バロックを模したような親しみやすい音楽。この曲の演奏の前に、コンサートミストレスの会田 莉凡 (リボンと読むのだそうだ!!) がマイクを持って聴衆に語ったところでは、小澤は 7月24日 (ちょうど一週間前だ) から奥志賀で指導に入り、この曲の各楽章の性格について学生たちと語り合いながら、練習を重ねて行ったそうだ。それによると第 4楽章は「祈り」。「小澤先生の一日も早い回復を祈って演奏します」と語り、大きな拍手を得ていた。そして披露された演奏は、いささかも迷いのない素晴らしい演奏で、多少の先入観もあるかもしれないが、「小澤の音」が聴けたと思う。早い部分での集中力、軽やかな部分での力の抜け具合、几帳面なリズムの刻み、盛り上がりの後に宙に跳ね上がるように余韻を残して切れ込む音。いずれも、ずっと聴いてきたこの指揮者の音だ。若者たちは、吸収力という若さの特権を活かし、一週間でマエストロから学んだことを実に見事にここで音にしたのだと思う。指揮者の仕事は、既にコンサート前に終わっていたのだ!!

コンサート後、奥志賀での講師であった原田 禎夫 (あの東京クヮルテットのチェロ奏者。前半でも病気の学生に代わって自ら弦楽四重奏のチェロパートを弾いていた) や、堀 伝 (もと N 響コンサートマスター) が舞台に上がってともに拍手に応えていた。このうち堀はプログラムに講師として記載されていないので、もしかすると小澤の体調不良を受けたピンチヒッターとして急遽講師を務めたものであろうか。最後に、ホルベルク組曲の第 1楽章がアンコールとして演奏され、聴衆の温かい拍手が続いていた。

このコンサートで本当によかったのは、ただ「小澤征爾」というビッグネームに惹かれて集まった人たちがいたとしても、学生たちによって奏でられる音楽に耳を傾けて、結局はそれを楽しんだということである。音楽は、ましてや指揮という活動は、一人ではできない。演奏者と、それに反応する聴衆の思いがひとつになって音楽を作るのだということを実感させてもらった。また、音楽家の系譜は、指導者から弟子に伝承され、その積み重なりが歴史になるのだということも。そして今回の場合、そこにいないのに学生たちにこの音を鳴らせた大きな原動力は、小澤という指導者 = 指揮者の存在であったと言えるだろう。素晴らしいことだ。松本ではお元気な姿を期待していますよ。
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by yokohama7474 | 2015-08-01 00:02 | 音楽 (Live) | Comments(0)