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ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン交響楽団 (ピアノ : マレイ・ペライア、ソプラノ : アンナ・ルチア・リヒター) 2015年 9月28日 サントリーホール

昨日 N 響との協演を聴いたブロムシュテットは今年 88歳、そして今日ロンドン交響楽団との来日公演の初日を聴きに行ったベルナルト・ハイティンクは、今年 86歳。そのキャリアから言えば、現役指揮者でも最高の存在。もちろん、その音楽は世界中のファンから慕われている。
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つい先日まで、英国ロイヤル・オペラが来日中だったが、入れ替わりに英国を代表するロンドン交響楽団が来日しているわけである。今年は日本と英国の間に何か記念すべきことでもあったのだろうか。まさか、映画「キングスマン」公開記念ではあるまいな (笑)。

さて、このハイティンクはオランダ人の指揮者で、同国を代表する世界最高のオーケストラのひとつ、アムステルダム・(現在は王立) コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を、60年代から80年代まで 25年間務め、その間もロンドン・フィルの首席を兼任しながらベルリン・フィル、ウィーン・フィルを定期的に指揮し続け、英国ロイヤル・オペラの音楽監督も務めるかと思うと、これまた世界最強オーケストラコレクション (?)、ドレスデン・シュターツカペレ、シカゴ交響楽団の首席も務めた。加えて、ボストン交響楽団からは名誉指揮者の称号を得ている。改めて見てみると、すごいキャリアだ。現存指揮者ならずとも、もしかしたら歴史上最高かもしれない (ベームはどのくらい米国で活躍しましたか? カラヤンはどのくらいの数のオケを定期的に指揮しましたか? マゼールはひとつのポストに長期的に留まったことがありますか? ムーティは欧州一流オケのシェフを務めたことがありますか? ヤンソンスはオペラハウスの音楽監督を務めたことがありますか? )。また、一時期、全集魔という言葉もあった通り、膨大なレパートリーの交響曲を録音しているのだ。ただ、この華麗なキャリアに比して、カリスマ性という意味では、実はそれほどでもないのが不思議と言えば不思議。ある意味、あまりにとんがった個性の持ち主なら、これだけの一流どころに受け入れられることはないのかもしれない。

実は私にとってはこの指揮者、尊敬はするものの、もうひとつ熱狂的に支持しようというところまで行かない存在であるのだ。ひとつには、日本にある時期なかなか来なかったという理由が挙げられる。今回のプログラムに、このハイティンクの過去の来日公演の一覧が掲載されており、大変興味深いので、ご紹介する。まず、コンセルトヘボウとの初来日 (1962年) から第 2回来日 (1968年)。
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そして、1969年にもうひとつの手兵、ロンドン・フィルと来日。それから 5年後の 1974年に、コンセルトヘボウとの 3回目の来日。
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そして、1977年にコンセルトヘボウと 4回目の来日。この頃まではかなり頻繁に来日していると言ってよい。
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ところが、次の来日は 15年後の 1992年、しかもオーケストラではなく、オペラハウスの引っ越し公演だ。もちろん、英国ロイヤル・オペラだ。私が本格的にコンサートに通うようになったのは 1980年代だから、その頃、ハイティンクは充実した録音が続けて発売されるのに、実演を聴くことができない指揮者だった。音楽雑誌などを見ると、「若い頃に来日しても低い評価しか得られなかったので、日本が嫌いになったのだ」という論調が支配的であった。ところが、1997年以降はこんな感じで、急速に来日機会が増えた。今回を含めて18年間に 6回の来日は、有名指揮者としても多い方だろう。
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さて、このような歴史を経てきたハイティンクと日本であるが、私個人としては、ニューヨークやロンドンで彼の指揮に触れても、それほど大感動する機会がなく、80年代で「円熟」と言われ始めた頃の音楽そのままだな、という思いを抱いて来た。ところが今回、かなり違う世界を体験させてもらったのだ。昨日のブロムシュテットと共通するが、本当の円熟とは、これほど力が抜けた融通無碍なものなのか!! という素晴らしい感動である。

曲目の紹介を忘れていた。
 モーツァルト : ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491 (ピアノ : マレイ・ペライア)
 マーラー : 交響曲第4番ト長調 (ソプラノ : アンナ・ルチア・リヒター)

マレイ・ペライアは、1947年生まれなので、今年 68歳。ニューヨーク生まれのユダヤ系ピアニストだ。
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彼は英名高き名ピアニストで、録音も数々あるにもかかわらず、なぜかこれまで実演に接する機会がなかったが、知識として知っていた通り、大変リリカルな素晴らしいピアニストであることが確認できた。以前の記事でも触れたことがあるが、モーツァルトの時代の器楽曲で短調は非常に例外的。ピアノ協奏曲では、この 24番と 20番の 2曲のみだ。20番の方が少し劇的色合いが強いと思うが、それはつまり、24番の方がうまく聴かせるのが難しいとも言えると思う。今日の演奏では、ピアノもオケもピンと張りつめた緊張感の中、ある意味で大変静かな演奏がなされた。つまり、劇的な音楽を聴かせようという野心のない音楽。自然のまま淡々と流れ、そこに充分な感情も込められた音楽。これはなかなかできるものではない。ハイティンクの指揮のもと、ロンドン交響楽団は、特有の分厚い層の音を出していて、決して爽やかとは言えなかったが、これみよがしのパッションに頼るのではなく、大変に誠実な伴奏であったと思う。演奏後の拍手はいつもながら (私はこれがいやなのだが) アンコールをおねだりする長いものになったが、結局アンコールはなし。そこあたりの清々しさも、今回はよかったと思う。

さて、後半のマーラーであるが、これがちょっとないほどの名演奏であった。正直なところ、マーラーの交響曲でも、5番とか 6番なら是非とも聴きたいが、彼の交響曲中最も穏やかなこの 4番には、あまり食指が動かなかったのである。ところが、今この円熟のハイティンクを聴く曲としては最適であったとは、聴いてみて初めて分かったのだ。まず、テンポが終始緩やかで、冒頭、鈴とフルートでシャンシャンやってから弦が主題を歌い出すところで、ぐっと音楽が粘る。昔聴いたメンゲルベルクの録音の強烈なポルタメントとまでは行かないが、老齢のみが可能にする音楽の懐を感じさせる。その後もオケの各パートは実に丁寧に指揮について行き、楽団員の指揮者に対する尊敬がそのまま音に表れていた。その感動的なこと!! これは私が今まで聴いてきたハイティンクとは一味違う。滋味深いという言葉がぴったりで、聴きながら胸が熱くなったり、ワクワクしたり、深い情緒に浸ったり、まさにこの曲の持つ様々な要素が、力まずして耳に入ってくる。帰宅してから彼がベルリン・フィルを指揮した CD (1992年録音) を少し聴いてみたが、やはり今回、その録音よりもテンポはかなり遅くなっていることが確認できた。86歳にしてさらなる円熟!! 今回ハイティンクは、指揮台にストゥールを置き、座って指揮するには安定が悪いなと思ったら、楽章の間にちょっと腰かけるだけに使い、演奏中は一度も座ることがなかった。ただ、指揮者の顔がはっきり見える場所で聴いていたので、やはり楽章を追うごとに疲れは明らかに目に見えた。指揮者という音楽家の不思議なところは、そのような老いが、むしろ音楽を沸き立たせる力になることだ。この力こそが、派手なカリスマとはまた異なる、本当の音楽家のみに許される特権なのであろうし、これができるからハイティンクは世界の一流オーケストラから慕われるのだなぁと実感した。

このマーラーの 4番の終楽章ではソプラノ独唱が入り、「天上の生活」を歌うのだが、その独唱はドイツの若手ソプラノ、アンナ・ルチア・リヒター。
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先月にはルツェルン祝祭管弦楽団と、同じハイティンクの指揮のもと、このマーラー 4番を歌ったとのことで、落ち着いた様子で清浄な歌を聴かせてくれた。音楽を語るのに容姿のことを言うのは邪道とのお叱りもあるかもしれないが、でもやはり、天上の生活なのだから、天上から落ちて来そうな体重の歌手が歌うよりは、まぁ、それは、ねぇ (笑)。実際彼女の歌は、ただ清らかというだけでなく、後半では情念すら感じさせるようなものに昇華していた。素晴らしい才能だと思う。終演後、聴衆の拍手に応えて、指揮台に置いてある譜面を指差し、そして天を指差した。「(自分の貢献ではなく) 天上を描いたこのスコアが素晴らしいのですよ」という謙遜か。

同じ演奏家を何度も聴くことで得られる変化の楽しみもあれば、新しい演奏家によって与えられる新鮮な楽しみもある。今回の演奏会は、その一音一音に、様々な楽しみを見出すことができる貴重な体験であった。

by yokohama7474 | 2015-09-29 00:14 | 音楽 (Live) | Comments(2)

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : ティル・フェルナー) 2015年 9月27日 NHK ホール

今年も巨匠ブロムシュテットが N 響を指揮する季節がやって来た。この大指揮者は 1927年生まれなので、今年実に実に 88歳 (!!!!) ということになる。未だに立って指揮をする。
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今回の曲目はオール・ベートーヴェンで、
 交響曲第 2番イ長調作品36
 ピアノ協奏曲第 5番変ホ長調作品73「皇帝」(ピアノ : ティル・フェルナー)
である。先週の曲目は同じくベートーヴェンの交響曲 1番・3番であった。こうなると、来年は 4・5・6番、再来年は 7・8・9番と、3年で全 9曲を踏破して欲しいものであるが、さていかがなものであろうか。

ブロムシュテットが N 響でベートーヴェンを振るのは 5年ぶりとのことであったので、5年前、2010年 4月のプログラムを見てみると、そのとき (指揮者は既に 83歳の高齢であった) は、
A プログラム : マーラー 9番
B プログラム : ブルックナー 5番
C プログラム : ベートーヴェン ピアノ協奏曲 5番「皇帝」(ピアノ : ルドルフ・ブフビンダー)、交響曲 3番「英雄」

うっへー、これはすごい。そうすると、さすが北欧の長命指揮者と言えども、この 5年で少しは軽めの曲目に移行したということか (笑)。因みに私は 5年前はすべてのプログラムを聴いたが、今回は残念ながらこの 1回だけであった。

さて、感想は「素晴らしい」の一言。もともと私はこの指揮者がドレスデンの音楽監督であったときに素晴らしい録音 (モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー・・・) を耳にして以来、基本的には変わらないと思っていて、タングルウッドで聴いたボストン響を指揮した「英雄」も、名古屋で聴いたチェコ・フィルとのブルックナー 8番も、年齢を感じさせないものの、1980年代から同じ演奏を続けていると整理していた。で、今回の演奏であるが、無理やりそのように整理しようとすればできるだろう。でも、何かが違うのだ。音の緊密さとでもいったものが、より融通無碍になっている。これぞまさに澄み切った老巨匠の境地。それを見事に音にした N 響の高い能力。第 2楽章では、別に感傷的な音楽が流れているわけでもなんでもないのに、何やら胸が締め付けられる思いがして、自分でも不思議であった。人間の営みは、昨日と今日、今日と明日で、寸分違わないように思われることもあるが、実はその日その日、何か違う要素が存在していて、ふとそれに気づく瞬間こそ、あ、自分は生きているんだと実感できる瞬間であると思う。この演奏会は、昨日あったような今日や、今日あるような明日に対して、さながら「時よとまれ。そなたは美しい」というファウストの言葉を投げかけたくなるような瞬間に満ちていた。ブロムシュテットほど悪魔的なもののイメージから遠い芸術家はいない。だが、その透徹した音楽の高みはついに、通常人が遥か仰ぎ見るような次元に達してしまった。

ピアノのティル・フェルナーは、あの不世出のピアニスト、アルフレート・ブレンデル (未だ存命だが既に引退してしまった) の弟子で、どこかの記事で、ブレンデルの衣鉢を継ぐ唯一のピアニストと表現されていた。今回初めて実演に接してみて、その言葉が分かるような気がした。1972年ウィーン生まれ。既に 40を超えているものの、かなり若く見える。
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この「皇帝」というコンチェルトは、とにかく派手な始まり方をするので、腕に覚えのピアニストはかなり力任せに鍵盤を叩く傾向があり、それはそれでワクワクするものもあるのだが、今日のフェルナーの演奏は、正確に淡々と弾かれ、熱狂することはない。だがしかし、師匠ゆずりの粒立ちのよいタッチには、熱狂は必要ないのだ。このピアニストしか持ち合わせていない言語で、隅々までクリアなベートーヴェンが紡ぎ出された。このような演奏を聴くと、自らの音楽性に充分な信頼を置いて公衆の面前で演奏をするという、音楽家が生業としている作業が、本当に至難の作業であることが分かる。こちらはただ座って聴いているだけなので、まあお気楽なものだが、せめて演奏家の克己心の数分の一でも、音楽に対する純粋な気持ちを持ちたいものだと痛切に思う。

終演後 NHK ホールから出ると、秋の青空が広がっており、いい季節だなとひとりごちた。今日は中秋の名月で、夜自宅でバルコニーに出てみると、雲が多いものの、その切れ間からぽっかり満月が覗いていた。川の上に反射して輝くという風流な景色にまでは行かなかったものの、なんとも季節感があって、しみじみしたものだ。このような情緒豊かな季節に、今日のような極上の音楽は誠にふさわしいと思いながら、また来年、ブロムシュテットのかくしゃくたる指揮姿に接することができますようにと心の中でつぶやいて、アルコール分を存分に摂取した中秋の名月の夜でした。
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by yokohama7474 | 2015-09-28 00:02 | 音楽 (Live) | Comments(0)

唐画 (からえ) もん - 知られざる大坂の異才 武禅に閬苑、若冲も 千葉市美術館

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千葉市美術館は、日本美術専門美術館である。開館記念展の大歌麿展の衝撃は未だに新鮮だが、早いもので、もう開館 20年だという。なんとまぁ。もちろん、開館展以外にもこれまで何度もここに足を運び、貴重な展覧会を見てきた。ここでの展覧会の多くには、その価値があるからである。そして今般開催中の展覧会は、題して、「唐画 (からえ) もん - 武禅に閬苑、若冲も」となっている。副題として、「知られざる大坂の異才」とあり、ポスターには、蛙が「大坂から、めっちゃすごいん来たで!」と言っている吹き出しがある。・・・。ううーん、のっけから恐縮ながら、もう少しうまい宣伝ができなかったものか。「からえもん」という言葉はもともとあるわけではなく、この展覧会のために作られたようだ。この言葉を歴史に定着させようという意図からだろうか、それとも、まさかとは思うが、「ドラえもん」「ほりえもん」からの連想か??? いずれにせよ、別に柔らかくする必要はないように思う。「知られざる大坂 唐画の鬼才たち~ めっちゃええもん来てるやん」とかなんとかでどうしていけなかったのか。率直なところ、私自身、この題名の不必要な柔らかさによって、今回は見に行くのをやめようかと思った。なので、本当に危ないところであった。こんな面白い展覧会を見逃しそうだったわけだから。

大阪ではなく大坂と記述するだけで、既に江戸時代を扱っていることは明白だ。では、その大坂のどのような画家の作品が集められているのか。墨江 武禅 (すみのえ ぶぜん 1734 - 1806) と、林 閬苑 (はやし ろうえん 生没年不詳、1770 - 1780 頃活動) が中心だ。江戸時代中期の大阪で、狩野派が大勢を占める中、中国に由来する画題や表現を使った唐画師 (からえし) が活躍したらしく、この 2人がその代表として選ばれたもの。彼らの名前は私も聞いたことがなかったし、一般的には全くの無名であろう。それがゆえに、「からえもん」などという奇妙な造語を作るのでなく、内容が分かる展覧会名にすべきであったと思うものだ。

メインの 2名の作品。ほとんどが個人蔵である。ということは、美術館が購入するような Name Value がないということであろうか。ただ、師匠や同門筋の作品も揃えて見てみると、誠に見応え充分で興味は尽きない。例えばこの、武禅の「夏季美人図」を見てみよう。この女性、舞台の書き割りの中にいるのか? いや、そうではあるまい。画家はどうしても、背景とそこからそよそよ吹き入ってくる夏の風を描きたかったのではないか。
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武禅は山水図もいろいろ描いていて、水墨画もあるが、このような蕪村風の緻密で繊細な作品もある。「青緑山水渓流游回図」。大変きれいな絵である。
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また興味深いのは、光の描き方についてのあれこれの実験的な手法を試みていることだ。この「山家夕景図」では、塗残しの部分が雨を表し、傘を差した人物の持つ行燈には灯がともっている。
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面白いことに、洋風の絵も描いている。「花鳥図」。洋画の手本があったという説もあるらしい。
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さらに、この武禅という画家、当時流行った「点景盤」の作者としても第一人者であったらしい。点景盤とは、盆栽のように鉢の中にミニチュアの山水を模した石や植物を作り込むこと。武禅の名前は、この点景盤作者として当時の番付の筆頭に位置づけられている。このような画帖に様々なパターンを自ら記している。
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これらを見るだけで、江戸時代中期の大阪の多様性ある文化を偲ぶことができる。これまで一般に名が知られていない理由をもう少し知りたいものだ。

さて、もう 1人の林 閬苑は、一層個性的だ。生没年不詳ながら、40歳にもならずに死去したとのこと。生涯はよく分からないらしいが、人知れず今日まで伝来した作品の大胆さを見ると、一部の町人に熱狂的に支持されたようなことがあったのだろうか。まず、これは「奇岩図」。こんな描きかけのような作品に落款を付してある大胆さ。アヴァンギャルドだ。
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これも滅法面白い。「漁夫図」と題されているが、一気に描かれたとおぼしい斜めの二本の線は橋である。なんとスタイリッシュなこと。
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これは戯画調の「蹴鞠図」。蹴鞠をしていて、どうやらやんごとなき人が顔面で鞠をキャッチしたらしい。200年以上前に描かれた、今日のマンガにも通じるセンスに脱帽だ。
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もちろん閬苑は、まともな作品もあれこれ残している。だが、ともするとどこかにいたずら気が表れるのだ。これは、1780年の「睡起未顔粧之図」。中国絵画風に丸窓の向こうの情景を描いているが、題名の通り、寝起きで未だ化粧をしていない女性たちの姿だ。
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このように見てくると、江戸とも京とも違う、大阪ならではの感覚がはっきりあるように思う。ただ単に美麗な風景を描くだけでは飽き足らず、何かちょっとひねったことをしないではいられない浪速魂。いやはや、これまで知られていなかったのがもったいない。繰り返しだが、唐画だからどうということではなく、未だよく知られていない大阪の画家たちの作品を一堂に集めた貴重な展覧会であるという点を強調できなかったものか。尚、この千葉市美術館の展覧では、同館所蔵の若冲等々も加え、非常に充実した内容となっていた。千葉で 10月18日まで開かれた後、大阪歴史博物館で 10月31日から 12月13日まで開催される。

もうひとつ。千葉市美術館では、この展覧会と同時開催ということで、「田中一村と東山魁夷」という所蔵作品展が開かれている。およそイメージのかけ離れたこの 2人、たまたま千葉県人という点だけが共通かと思いきや、ともに 1926年に東京美術学校日本画科に入学した同期であったとのこと。ところが田中はすぐに退学、その後奄美大島で孤独・無名ながら独自性溢れる画風を確立。片や東山は国民的画家へと登りつめて行く。私自身がどちらを好きかはここでは書かないでおこう。だが、なかなかに面白い展覧会だ。
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さてさて、今回の展覧会とは直接関係ないものの、千葉には中世から近代に至る、興味深い建造物がいろいろあるのだ。またいつか改めてご紹介したいとは思うが、まずは手っ取り早く (?)、千葉市美術館の入っているビル (千葉市中央区役所も入っている) の 1階は、もともとの歴史的建造物を現代の建物で覆った構造になっている。建物の名は、旧川崎銀行千葉支店。1927年に竣工したネオ・ルネッサンス様式。今の建物は、「さや堂」と名付けられている。あいにく今日は貸切で撮影が行われていたが、普段は中に入ってレトロな気分に浸ることができる。
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侮りがたし、千葉。

by yokohama7474 | 2015-09-27 23:03 | 美術・旅行 | Comments(0)

ハーゲン・クァルテット 2015年 9月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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このブログをご覧の方には核使用、いや、隠しようもないが、いやいや、もとより隠す気など毛頭ないが、いわゆるクラシック音楽を愛好する私ではあるものの、興味の中心はまずオーケストラ、次いでオペラ、そして現代曲なのである。リートなどの声楽曲、室内楽、器楽曲は、常識レヴェルでは聴いてはいるものの、身も世も忘れて没頭するところまで行っていない。・・・まあなんであれ、別に身も世も忘れる必要などないのだが、趣味というものは時として一般の人たちの常識を超えてしまうもの。そういう意味では、例えばこの室内楽への関わりなど、趣味という領域にも至っていない、恥ずかしい素人レヴェルなのである。

能書きはともかく、今回足を運んだのは、現代を代表する弦楽四重奏団 (クァルテット)、ハーゲン・クァルテットだ。ザルツブルク出身の兄弟姉妹が始めた若手クァルテットだ・・・と書いてみてから調べてびっくり。このクァルテット、1981年にロッケンハウス音楽祭で賞を取って本格活動を開始したというから、もう 35年くらいの歴史があって、とても「若手」とは呼べないのだ。そういえば私が初めて彼らを聴いたのは、クレーメルが中心となったロッケンハウスのライヴ録音だった。一聴して、その鮮やかで勢いのある音に魅了されたものである。ただ、今まで、個別メンバーがオーケストラをバックに協奏曲を弾いたのを聴いたことはあるが、クァルテットとしては今回が初めて生で聴く機会である。本当に室内楽素人は困ったものだ。

今回の曲目は以下の通り。
 ハイドン : 弦楽四重奏曲第 58番ハ長調作品54-2
 モーツァルト : 弦楽四重奏曲第 21番「プロシア王第 1番」ニ長調 K.575
 ベートーヴェン : 弦楽四重奏曲第 14番嬰ハ短調作品131

見事、ウィーン古典派で統一されている。室内楽素人の私としては、ベートーヴェンはともかく、ハイドンとモーツァルトについては予習をする必要があった。ハイドンに関しては、もう随分前に交響曲全集、ピアノソナタ全集と並んで弦楽四重奏曲全集も購入しており、それぞれ CD 33枚組、12枚組、22枚組であるが、一応全部聴いてはいる。だが、ハイドンの 74曲ある弦楽四重奏曲 (番号は 83番まであるが欠番がある) を全部記憶するわけにもいかず (笑)、今回の演奏に備えて CD 棚をガサガサあさり、第 58番を探し出して聴いた。全く、こんなに沢山の曲を書きやがって、ハイドンは本当に迷惑な人である。

ともあれ、このハーゲン・クァルテット、各自の音色の均一感が際立っている。オリジナルメンバーから第 2ヴァイオリンが変わっているとはいえ、ほかの 3人は血を分けたきょうだいであり、後から入った第 2ヴァイオリンのライナー・シュミットも、ほかのメンバーと同じザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミーの出身であって、その意味では共通する音楽的バックグラウンドを持っているがゆえに、弦楽四重奏団としての均一性が実現されているのであろう。実際、ソリストたちが集まって室内楽を演奏することもあるが、例えば旋律を弾く第 1ヴァイオリンの技量はその方が高いことがあっても、必ずしも統制の取れた演奏になるとは限らないのが音楽の面白いところ。

今回の 3曲、意識的か否かは分からないが、少しユニークな共通点があって、それは、曲の起承転結がありきたりではない面があること。いずれも「おっとこれで終わりかい」という終結部を持っている。ハーゲンの演奏だと、ある意味で曲の曲折を経ながらも常に均一な音が流れて行くため、どこで終わってもおかしくないと言うと語弊はあるものの、なるほど弦楽四重奏の極意とはこれかと、室内楽素人としては痛く感心したものだ。

それにしても、3曲続けて聴くと、ベートーヴェンの後期のクァルテットがいかに独特で深い内容を持つか、改めて感じる。これまで東京クァルテットや、カーネギーホールでの連続演奏会で聴いたエマーソンクァルテットでもベートーヴェンの弦楽四重奏体験をして、唸ったことがあるが、これはまさに深い森に分け入って行くような音楽だ。特にこの 14番 (以前もご紹介した通り、バーンスタインがウィーン・フィルと弦楽合奏版の録音を残している) は、切れ目なしに演奏される 7楽章によって成り立っており、しかも、弦楽器の特殊奏法であるスル・ポンティチェロ (楽器の駒に非常に近い部分を擦って軋んだ音を出す奏法) が音楽史上初めて使われている。ベートーヴェンという永遠の前衛の闘士の顔には、険しさ、優しさ、諧謔等々、いろんな表情が混ざり合っているのだ。

今回のハーゲンの来日では、室内楽ホールでの演奏会がメインで、今回のような大ホールでの公演はほかにない (特にトッパンホールでは 4日連続でモーツァルトを採り上げる)。このコンサートが実現した背景は、このクァルテットの出身地であるザルツブルク市と川崎市が姉妹都市であることである。ホールにはこのような展示コーナーもあって、川崎とザルツブルクがこれまでに様々な交流を果たしてきたことが分かる。
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ザルツブルクは、アルプスに近い風光明媚な避暑地で、モーツァルトの生地でもあり、欧州の富裕層がきらびやかに集まる世界有数の音楽祭が開かれる街。それに対して川崎市は・・・となるとちょっと難しいが、まあ、近年は音楽都市を標榜している川崎市としては、ザルツブルクとの姉妹都市とは、なんともゴージャスだ。実際、以前ジョナサン・ノットと東京交響楽団についての記事で触れた通り、このミューザという素晴らしいホールで生まれる音楽が、地元の人々に支持されており、市として音楽教育も盛んにしているということなので、姉妹都市である意味は大いにあるだろう。東日本大震災でこのホールが大きな損傷を受けたとき、ザルツブルクからも温かい援助があったと聞く。いわば今回のハーゲンクァルテットは 2つの都市を結ぶ親善大使。私のような室内楽素人 (そろそろしつこくなってきましたね) でも恩恵にあずかることができて、本当に有難いことであった。今後も実りある関係が続きますように。

by yokohama7474 | 2015-09-27 00:35 | 音楽 (Live) | Comments(0)

オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男 東京都現代美術館

ブラジル。昔日本からも多くの人々が移民したとはいえ、物理的に地球の反対側である。どういうところなのかイメージのない人も多いに違いない。サンバの国。サッカーの国。新興国で、貧富の差が激しくて治安も悪く、三度のメシより大事かと思えるサッカーのワールドカップの開催への反対運動もあった国。そんなところに文化があるものだろうか。と思われる方。この国の得体の知れない底力を感じることのできる展覧会がこれだ。オスカー・ニーマイヤー、1907年に生まれ、2012年に実に 105歳の誕生日の直前に亡くなった世界的建築家の日本初の回顧展だ。
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私はブラジルには一度だけ出張で行ったことがある。サンパウロに 3泊ほどしたのだが、ビジネス面でのこの国の勢いや、個々人の能力の高さを肌で実感し、心底驚いた。若いビジネスマンでも、堂々たる英語で自分の理念を自分の言葉で語ることができ、のみならず、自らの属する組織の弱点までも客観的に説明できる。これは日本人的な「恥ずかしいことを避け」「会社の方針を全面に打ち立て」「英語を使うときにはあらかじめ書かれた原稿を読む」というビジネス習慣とは完全に別物だ。もちろん、ブラジルにも問題は多々あろう。だが、今後 10年 20年を見たとき、短期的な浮き沈みは当然あるにせよ、この国が発展して行くことは間違いなく、振り返って日本の現状を考えると暗い気分になるのであった。

ともあれ、この展覧会の副題にある、「ブラジルの世界遺産をつくった男」とはいかなる意味か。その前に質問。ブラジルの首都はどこか。そんなのサンパウロに決まっているでしょ。あ、リオかな? いやいや、リオはカーニバルなんてやっている能天気な街だから、やっぱりサンパウロ。・・・と答える人が多いのではないかと思うが、答えはブラジリア。実は、もともとの首都はリオ・デ・ジャネイロ。しかし、それは入植者であるポルトガル人の決めた首都だ。ブラジルが 1889年に独立した際、独自の首都を持とうという運動が起こり、2年後の 1891年に制定された憲法に、新首都を「ブラジリア」とすると謳われたのであった。ところがその後測量の見直しや資金難のため、首都移転は難航。ようやく 1955年に至って、ブラジル中央部に広がる標高 1,200m の乾燥した大草原地帯に首都を建設すると発表され、当のブラジル国民たちが驚愕したという。1956年に就任したクビチェック大統領が剛腕を振るい、公約通り 1960年に新首都ブラジリアへの遷都がなされた。この全く新たな人工の首都の建設に当たっては、ルシオ・コスタの総合プランに基づいて、弟子のオスカー・ニーマイヤーが個々の建物を設計した。そして、遷都後わずか 27年の 1987年に、世界遺産に登録されたのだ。これは世界広しと言えども、ちょっとほかに例のないことだろう。
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ブラジリアの街のかたちを上から見ると、こんなふうだ。何かに似ていないか。そう、航空機だ。そういえば、ブラジルにはエンブラエルという航空機メーカーがあるらしい。業界をよく知る知人によると、なかなかに立派な会社だそうだ。この国は、空を飛ぶことに何か執念を燃やす理由でもあるのだろうか。
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これが国会議事堂。お椀を上向きにしたり下向きにしたり、その大胆な曲線と、真ん中の直線とのコントラストが誠に鮮やかだ。
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そしてこれが大聖堂。ここでもその曲線の個性が際立っている。
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今回の展覧会では、図録が制作されていない代わりに、会場でほとんどの展示物の写真撮影が許されている。そこで、このブラジリアの数々の建物の設計がどのような過程でなされたかの一端を、展示物の写真から感じて頂きたい。
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見てきた通り、この建築家を特徴づけるのはなんといっても曲線なのだが、会場の入り口には、ニーマイヤーが愛用した曲線のチェアと写真の数々、また、いかにも彼らしい言葉を見ることができる。
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そして、自ら設計した自宅の模型も展示されている。プールサイドに突き出ている大きな岩は、もともとそこにあったものらしい。
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それから、冒頭のポスターに使われている強烈な印象の建物であるが、これはリオ郊外のニテロイ現代美術館。上から見るとオタマジャクシのようだが、実は切り立った崖の上に、海に面して建っている。会場に展示されていた模型と、横から見た写真は以下の通り。なんなのだこれは。まるでサンダーバードの基地のようではないか (笑)。
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この一度見たら絶対忘れない建築、ニーマイヤーという天才建築家の中で、どのように醸成されたアイデアなのであろうか。会場には素案が展示されている。
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な、なんじゃこりゃ。極めて単純だ。私でも描けるとは言わないが、本当に概略の素案だ。頭の中の閃きが、このように実際に公共性のある建築物になるとは、なんという素晴らしいことであろう。実はこの建築、1996年竣工。ということは、建築家 89歳のときの作ということだ!! 恐れ入りました。

さて今回の展覧会、実は特筆事項がもうひとつ。ニーマイヤーを尊敬する日本を代表する世界的建築家が、会場構成を行っているのだ。その名は SANAA (Sejima and Nishizawa and Associates)。妹島 和世 (せじま かずよ) と西沢 立衛 (にしざわ りゅうえ) のユニットだ。もともとこの東京都現代美術館は、現代美術を展示できるような広いスペースがあって気持ちのよい場所なのだが、今回はこの曲線の数々を観覧者が思い思いに楽しめるように工夫されている。極め付けは、会場出口近くに設置された、イビラブエラ公園 (サンパウロ。ニーマイヤーが 1954年に設計) という公園の巨大なジオラマを作り、観覧者は靴を脱いでその上を歩くことができるという趣向だ。
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建築は、芸術の一分野ではあっても、公共性があり、人によって実際に使われる存在だ。従って、建築家の独りよがりでは、いかなる建築も長年に亘って愛されたり評価されることはないであろう。その意味で、ニーマイヤーの足跡から、ブラジルという国のありようが伝わってくる気がする。わずか 5年で何もない場所にこのような壮大な近代都市を作り出したブラジル。彼らを突き動かすメンタリティはどこから来ているのか。ブラジル人が、半分裸の派手な格好で尻を振って踊っているだけと思っている方がおられたら、即刻その先入観を捨て、このようなシンプルな発想で世界に衝撃を与えた建築家がいたということを、よく考えてみて頂きたい。航空産業の発展も、この国ならではの要因がどこかにあるに違いない。

by yokohama7474 | 2015-09-26 23:16 | 美術・旅行 | Comments(2)

ウィーン美術史美術館蔵 風景画の誕生 Bunkamura ザ・ミュージアム

ウィーン美術史美術館。美術ファンなら誰しも一度は行ったことがあるだろう。栄光の大帝国、ハプスブルク家のコレクションだ。私も、1987年に最初に訪れて以来、5 - 6回ほどだろうか、足を運んでいる。全く同じ外見の自然史博物館と向い合せに建っていて、その中間に女帝マリア・テレジアの堂々たる銅像がある。ウィーンの数多い観光名所の中でも、特に有名な場所のひとつである。
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今般、渋谷の Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されているのは、この美術館の持つ膨大なコレクションから、風景画をテーマとした展覧会だ。風景画と言っても、印象派のような近代の作品ではもちろんなく、16-17世紀のイタリア、オランダ、フランドル絵画を中心としたもので、宗教画の背景として風景を描いたものや、月々の暦とともに人の生活を描いたものが大半を占める。また、ロイスダールやカナレットら、いわゆる風景画家として知られている人たちの作品もある。

ヨアヒム・パティニール (1480 頃 - 1524) という画家をご存じだろうか。初期フランドル派の画家で、彼が風景画を最初に描いた画家だと言われているらしい。私は、まさにこの美術史美術館や、マドリッドのプラド美術館でも、大好きなボスの絵のそばにこの画家の作品が展示されていることから、その名前のみは知っていたのだが、最初の風景画家とは知らなかった。興味深いのは、あのドイツの巨匠アルブレヒト・デューラー (1471 - 1528) が、1520 - 1521年のネーデルランド旅行の途上でこのパティニールに会ったことを日記に記していて、「良き風景画家」と呼んでいること。デューラーはその際にパティニールの結婚式に列席し、のみならずこの画家の肖像画まで描いているほどの友情関係にあったようだ。そのパティニールの、「聖カタリナの車輪の奇跡」という作品が今回出展されているが、これはパティニールの初期の作品で、制作は 1515年以前、歴史上でもごく初期の風景画と認定されている。
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一見して明らかなように、この絵は、近代以降の作品に慣れた我々が「風景画」と聞いて想像するようなものとは全く異なり、その本質は宗教画である。聖カタリナはローマ時代の殉教者で、車輪のついた拷問器具によって処刑されようとした際に、神が天使を放ってその拷問器具を破壊したという。この絵の右真ん中あたり、燃えているのが拷問器具で、その左で手を合わせているのがカテリーナだ。それ以外にも殉教説話に関係するいくつのシーンが描かれているものの、この絵の大部分は、確かに風景を描いている。これをもって、本来の題材と風景の地位が逆転しているということになる。

考えてみれば、宗教画の場合、受胎告知であれ東方三博士の礼拝であれエジプトへの逃避であれ、あるいはヨハネとかヒエロニムスとかいう聖人を描くにしても、風景を描くことは必須である。「モナリザ」のような肖像画でも、後ろに風景が描かれている。しかしながら、ここで「風景画」と定義されている絵画は、恐らくはその後オランダを中心とするプロテスタント地域で宗教画を離れて世俗の風景が描かれるようになり、発展していったことをもって、その源流とみなしうるという点が特色なのではなかろうか。もちろん、本展にはイタリアやドイツの作品も出展されていて、一口に「風景画」とは言っても、結構な多様性を見ることができる。

これはイタリアのフランチェスコ・アルバーニ工房による「悔悛するマグダラのマリア」(1640年頃)。ここで見られるマグダラのマリアの心象風景のような険しい岩山は、画家の故郷ボローニャの風景がモデルであるらしい。この風景の荒々しさと対照的な天使たちの愛らしさが印象的で、この画家は17世紀当時、ヨーロッパ中で名声を博したという。
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これはドイツのヨハン・ハインリヒ・シェーンフェルトの「大洪水」(1634 - 1635年頃)。もちろんノアの箱舟が題材だが、その箱舟は画面の右端中央の奥に小さく描かれる、波間に漂う白い舟がそれだ。ここではその舟に向かう筏の周りに集う人々の絶望感が感じられる (前景左の方には、仰向けの死者も見える)。それから、中央奥に見える灰色のマントで自らを覆った人物が妙に気にかかる。同じドイツでも遥か後年、ロマン主義のカスパル・ダヴィッド・フリードリヒすら先取りするような神秘性のある作品だ。
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その他興味深いのは、毎月の情景を描いて、そこに各月の星座を入れる、月暦画と呼ばれるシリーズ。以下に掲げるのはレアンドロ・バッサーノというイタリアの画家の作品 (1580 - 1585年頃)。なんともヘタウマっちゅうかストレートにヘタクソっちゅうか (?)、独特の強いタッチだが、16世紀の人々の暮らしぶりが手に取るように分かるのが面白い。これは 1月。雪が舞い、焚火で足を温めている人たちがいる。星座はみずがめ座。
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これは 5月。バターやチーズを作っているところ。星座はふたご座。
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それから、上にも書いたように私はヒエロニムス・ボス (1450 頃 - 1516) が大好きで、その好みは中学生の頃にまで遡るのだが、その理由はひとえに、その異常なまでの幻想性だ。今回も、いわゆる普通の風景ではない異様な風景を描いた作品がいくつか出展されているのが嬉しい。ボス自身の作品はないものの、模倣者の作品が幾つかある。これは、「楽園図」。パーツパーツは見事にボス流。全体の構図から狂気じみたものが立ち昇って来ない点が、模倣者の限界か。でも、何やらだまし絵風に顔が浮かび上がるのではないかと、目を細めて見てしまったりするのが楽しい。
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さて、ボスとくれば、若干時代は下がるものの、並び称される大画家はブリューゲル (1525年頃? - 1569年) だ。ウィーン美術史美術館は世界最大のブリューゲルコレクションで知られるが、残念ながら今回、その子や孫の作品はいくつか来ているものの、大ピーター・ブリューゲルその人の作品はゼロ。これはなんとしても惜しい。なぜなら、最初に挙げたパティニールの作品のように、風景の中に本来のメインの情景が小さく描きこまれているタイプの作品として、恐らく最高のものが彼の手によって制作されているからだ。この絵である。あ、念のため、今回の展覧会には来ていないが、あまりに素晴らしいのでここでご紹介するものだ。
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ご存じの方も多いと思う。これは「イカロスの墜落のある風景」。例の、翼をつけて空を飛んだイカロスが、慢心のあまり太陽に近づきすぎて翼が溶け、海に墜落したという有名な逸話である。でも、イカロスは一体どこに? 右側、帆船の手前にごくごく小さく、水面でばたつく足が 1本半くらい見えているが、これがそうなのだ。手前に大きく描かれている牛車を押している男は、イカロス個人の悲劇とは全く関係しないところで、黙々と自分の仕事を続けている。いや、実は彼こそが、この悲劇を陰で目論んだ何者かであるのだろうか。そうであっても構わない。普通の昼下がり。のどかな海とゆったり流れる時間。イカロスを襲った悲劇を敢えて小さく描くことで、その悲劇性が強調されている。

さて、出展されていない絵について長々と書いたのは、正直なところ、この種の展覧会にはやはりこのような目玉作品が欲しいところであった。実際にウィーンに出掛けて行けば、今回の出展作に足を停めて見るなどということはほとんどないであろう。なので、風景画という独特の観点は評価できても、並んでいる作品の質という点では、大変残念な展覧会であったと言わざるを得ない。

まあ、それはそれでよいとしよう。やはりブリューゲルに出会うには、こちらがウィーンに出掛けて行くしかない。しゃーないなー。

by yokohama7474 | 2015-09-26 11:06 | 美術・旅行 | Comments(0)

オリヴァー・ナッセン指揮 東京都響 (ヴァイオリン : リーラ・ジョセフォウィッツ) 2015年 9月24日 東京文化会館

今日も東京文化会館はほぼ満員だ。それもそのはず、あのオリヴァー・ナッセンが東京都交響楽団を指揮するのだから。あの、誰もが知る大巨匠、オリヴァー・ナッセンだ。
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えっ、知らない? ではなぜ、今日の演奏会はこんなに混んでいるのだ? 因みに曲目も極めてスタンダードな、誰もが知る以下のようなものだ。

 ミヤスコフスキー : 交響曲第10番ヘ短調作品30
 ナッセン : ヴァイオリン協奏曲作品30
 ムソルグスキー (ストコフスキー編) : 組曲「展覧会の絵」

えっ、どれも知らない? 「展覧会の絵」の編曲はラヴェルだろうって? うーん。

・・・もちろん冗談である。英国人で主に作曲家として知られるナッセンであるが、新橋であろうと渋谷であろうと自由が丘であろうと、道行く一般の方々 100人に訊いて、知っている人はよくて 1人か 2人だろう。また、これらの曲目のひとつでも実際に訊いたことのある人は、やはり同じくらいの率ではないか。私の疑問は、それなのになぜこの演奏会が、かくも盛況なのかということなのだ。もしかして東京は、知らないうちに世界ナンバーワンの教養大国 (?) になったのか???

オリヴァー・ナッセンは 1952年生まれのスコットランド人だ (ということは、昨日行われた日本とのワールドカップラグビーの試合を日本で見たのかもしれない)。ご覧の通り大きい体で大らかに見えるが、書く作品はいわゆる現代音楽である。「かいじゅうたちのいるところ」という童話を原作とするオペラで一応知られてはいるものの、まあ一般の知名度は高いとは言えないだろう。私は、よくロンドン・シンフォニエッタとの演奏を FM で聴いたものだし、アナログ時代から彼のディスクを買う機会もあり、例えば 1998年にサイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団と来日してマーラー 7番を演奏したとき、前座でナッセンの交響曲第 3番が日本初演されたが、そのときも手元にある自作自演のアナログレコードで曲を予習して行った記憶がある。また、何かのシンポジウムで武満徹 (ナッセンとは親しい友人だったはず) たちと一緒に登壇し、質問は何であったか覚えていないが、「僕自身が子供だからね。あっはっは」と陽気に笑っていたことを思い出す。作品が大好きというわけではないのだが、その外見と作る音楽のギャップを楽しみたい、そんな作曲家 / 指揮者である。今回のポスターは以下の通り。
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左上の赤い部分に、この演奏会の意義が記されている。
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とのこと。20年前の都響のプログラムを調べてみたが、私自身はそのときの演奏を聴いた形跡はない。だが、なぜだか気になるオリヴァー・ナッセン。もともと大きな人だったが、さらに大型化しており、膝でも悪いのか、杖をついて舞台に登場、座って指揮をする。面白いのは、その杖を指揮台の後ろの柵にひっかけ、指差し確認してからよっこらしょとスツールに腰かけるのだ。これが指揮台の写真だが、杖をかけるところ (柵の横棒の2本目、左寄り) に灰色のラバーが巻かれているのがお分かりになるだろうか。
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今日の 1曲目は、ロシアの作曲家で、実に 27曲もの交響曲を書いたニコライ・ミヤスコフスキー (1881 - 1950) の、交響曲第 10番 (1927年完成)。この作曲家、ひとえにその交響曲の数の多さから、オーケストラ・ファンの中ではそれなりの知名度がある。でも、実際にその作品に接する機会は非常に稀だ。でも私自身は、何を隠そう、何年も前から16枚組のミヤスコスフキー交響曲全集を持っているのだ。しかも指揮があのエフゲニ・スヴェトラーノフ。なかなかにマニアックだ。だが、加えて何を隠そう、今回のコンサートの予習のために初めてボックスを開け、まずこの第 10番を聴いてみた次第 (笑)。これを機会に、少しずつ聴いて行きたい。で、この曲は、20分ほどの手頃な長さだが、上の写真の解説にある通り、プーシキン原作の叙事詩「青銅の騎士」と、ベヌアという画家の挿絵から霊感を得て書かれた曲。ナッセンの言によると、「まるでチャイコフスキーがシェーンベルクの時代まで生きていたかのようです。・・・この曲はまさに、革命後のロシア 1920年代に花開いたモダニズムの短くも魅力的な時代の所産であり、驚くべきサウンドを聴かせてくれます!」とのこと。なるほど言い得て妙だ。ロシア・アバンギャルドは、私が生涯をかけて研究して行きたいテーマのひとつ。モソロフという面白い作曲家もいたし、絵画でもフィロノフとかマレーヴィチとか、詩人ではマヤコフスキーとか、もちろん演劇のメイエルホリドとか、いろいろ興味あるが、ここでは省略する。今回のミヤスコフスキーの 10番、正直、曲としてはそれほど面白いとは思えない。だが、冒頭の低弦をはじめとする都響の相変わらずの充実ぶりには驚嘆した。

2曲目はナッセンのヴァイオリン協奏曲を、カナダの女流、リーラ・ジョセフォウィッツが弾いた。
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ニューヨークで彼女の演奏するプロコフィエフの 2番のコンチェルトなど聴いたことを思い出すが、非常に鋭い現代的タッチで演奏する人だ。その意味では、このナッセンのコンチェルトにはふわさしい演奏家である。2001年の同時多発テロ後に書かれた曲で、中間部には哀歌が含まれるが、ナッセンの作る叙情は決して感傷的にはならず、美しいのだが、その時間はあまり長続きしないのだ。全体として、ある意味スタイリッシュなテイストに貫かれた曲だが、ワクワクドキドキという感じにはならない。ジョセフォヴィッツは全く難なく演奏をこなし、アンコールには、サロネン (こちらは超一級の指揮者として知られるが、作曲活動もずっと続けている) の、「学ばざる笑い」という無窮動風の曲を、これまた見事に弾きこなしていた。

さて、後半の曲目は、ムソルグスキーのピアノ曲を原曲とする有名な「展覧会の絵」だが、普通演奏されるラヴェルの編曲ではなく、往年の名指揮者、レオポルド・ストコスフキーの編曲によるものだ。ストコフスキーは、有名曲にあれこれ手を加えて派手な演奏効果を狙ったとして、異端視されることもあるが、私は結構好きで、マイナーな放送録音からの CD など、せっせと集めている。この「展覧会の絵」の編曲は、自分で指揮した録音もあり、また、今日の指揮者ナッセンがクリーヴランド管と録音している。あ、調べてみると、最近では若手のホープ、山田和樹も録音していますね。この編曲の特色は、ラヴェルの行ったキラキラしたフランス風の華麗な音への昇華ではなく、オリジナルのロシア性を強調するもの。なので、「テュイルリーの公園にて」と「リモージュの市場」というフランスの光景を表した曲は省かれている。また、ラヴェル版では冒頭、トランペットが朗々とプロムナードのテーマを吹いて颯爽と始まるところ、この編曲では弦楽合奏だ。その他、いろいろ興味深い相違点やまた共通点もあるが、正直申し上げて、ラヴェル版が耳になじんだ身には、さほど面白いとも思えない。もちろん、ストコフスキー自身の録音も聴いていてよく知っているが、なるほどと思う場面もある反面、「どうやってラヴェルと違うことをしてやろうか」という意地に、若干辟易する。しかしながら、今日の演奏でひとつの発見が。終曲の最終和音、これってマーラーの「復活」へのオマージュではないのか。ストコフスキーは声楽付の大曲を得意としていて、マーラーではこの 2番「復活」や 8番、またシェーンベルクの「グレの歌」などを早くから手掛けていた。ストコフスキーの志向する音楽のイメージが、少し広がったような気がする。それから、ここでは都響の金管にびっくり!! 素晴らしい音で鳴っていましたよ。恐らくは指揮者が演奏の出来に満足したせいであろう、「卵の殻をつけた雛の踊り」が、急遽アンコールとして演奏された。

とまあ、長々と書いているが、今日の 3曲、奇しくも「曲としてはあまり面白くない」が共通点になってしまった (笑)。それにもかかわらず、なんとも後味のよいコンサートであったのは、ひとえにナッセンの人柄と、それに都響の充実した音のおかげであろう。実は帰り道の電車でふと見ると、都響のあるセクションの首席奏者の方が乗っているではないか!! 私は、先週土曜日の名誉の負傷によって未だ早くは歩くことはできず、また、途中で小腹が減ってオヤジの集う立ち食いそば屋に寄ったりなどしたが、それにしても、舞台から下りて着替えた演奏家が聴衆と同じ電車に乗るとは、なんとも素早いこと (笑)。でも、あのような壮麗な演奏に参加しておいて、何事もなかったかのように郊外の私鉄電車で家路につくなんて、格好いいなぁ。同じ沿線であることも分かったし、引き続き都響のマニアックなプログラムに期待が止まりません!!

by yokohama7474 | 2015-09-25 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)

赤坂大歌舞伎 操り三番叟 / お染の七役 (中村勘九郎、中村七之助ほか出演) 2015年 9月23日 赤坂 ACT シアター

このブログをご覧の方なら先刻ご承知のことかと思うが、世界の都市で、ミシュランの星付きレストランが最も多く存在するのはどこか。パリ ? ニューヨーク ? ロンドン ? いえいえ、東京なのです。それもそのはず、ここ東京には、フレンチやイタリアンやスペインバルに加え、中華や各種エスニック、そして、すき焼きから寿司に至る和食の店がゴマンとあるからだ。それは文化面でも同じこと。ただ単に、オーケストラコンサートや舞台での芝居の上演、しかも質を考慮に入れるということなら、東京はロンドンに及びもつかないが、伝統芸能を数に入れれば、間違いなく東京は世界一の舞台芸術の街だ。そう、能や歌舞伎、文楽の公演が目白押し。中でも歌舞伎は、近年の相次ぐ名優の死去にも関わらず、相変わらず盛況に見える。最近、日本のオーケストラの演奏会に足を運ぶ必要があって時間的に余裕がないとはいえ (いやいや、誰にも強制されたわけではなく、自分で勝手に行っているわけだが 笑)、年に数回は日本の伝統芸能を見たい。そんなわけで、赤坂 TBS 本社に隣接した赤坂 ACT シアターで興行中の、赤坂大歌舞伎を覗いてみた。
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この赤坂大歌舞伎、2008年に、故中村勘三郎の発案で始まったらしい。勘三郎が 2012年に世を去ってからは、2013年、今年 2015年と、二人の息子、勘九郎と七之助が中心となって継続されている。私は歌舞伎マニアでは全然ないが、勘三郎は、コクーン歌舞伎を始めたときの「東海道四谷怪談」や、ニューヨークでの平成中村座「夏祭浪速鑑」など、忘れられない舞台に何度か接していて、志半ばにして逝ったこの名優の無念に思いを馳せることがままある。勘九郎、七之助の兄弟は、彼の血を受け継いで活発な活動を行っていて嬉しい限りだが、まだまだ清濁併せ呑む迫力には及ばないように思う。いやしかし、このような伝統と格式とは違う新たな舞台での活動が、芸の引き出しを増やして行くことはまず確かなことであろう。上のポスターの右側、勘九郎の額には、くっきりと「赤坂」の文字が。
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今回、赤坂 ACT シアターには初めて足を運んだ。こんな感じのモダンな外見だが、敷地内には、べっ甲や根付けや彫り細工など、江戸時代以来の伝統工芸の店が軒を連ねて、芝居へのワクワク感を否が応にも盛り上げる。
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今回の出し物は 2演目。最初が、長唄囃子連中、「操り三番叟 (あやつりさんばそう)」。メインが、「東海道四谷怪談」で知られる四世 鶴屋 南北 (1755 - 1829) の、「於染久松色読販 (おそめひさまつうきなのよみうり)」、通称「お染の七役」だ。
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最初の「操り三番叟」の主役は兄の勘九郎。もともと祝いの場で舞われる儀式舞踊「三番叟」が様々な形態に発展したうちのひとつで、見せ場は、等身大の人形、三番叟が後見の手によって活発に踊り出す場面。操り人形さながらの動作で派手に舞う勘九郎の技は見事だ。これはコミカルで軽々とした動きでないと観客は楽しめなが、これだけ動ければ非の打ちどころがない。しかも黄色い靴下を履いているあたりがモダンだ (笑)。
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「お染の七役」は、上演時間正味 2時間15分。ストーリーは若干複雑で、何組ものカップルや横恋慕や悪人の悪巧みやとぼけた丁稚や大立ち回りが出てくる。登場人物も多くて、ストーリーを追うのがなかなか骨だが、実はその必要はそれほどない。というのも、七之助演じる 7役の早変わりを楽しんでいるだけでも充分だからだ。この戯曲、もともと大阪で実際に起こった質屋の娘、お染と奉公人、久松との心中事件が題材になっていて、1813 年の初演時 (なんと、200年以上前か!!) に大当たりを取ったらしい。正式な題名よりも、「お染の七役」で知られているのが、主役のお染役の役者がほかにも 6つの役を演じ、合計 7つの役になるからだ。しかもこの 7人には、お染本人とその恋人 久松、さらには久松の許嫁 お光、また久松の姉 竹川、その他、芸者あり、質屋の後家あり、やさぐれた悪女ありと、なんとも凄まじいバラエティ。立ち姿や声色もたちどころにして変える必要のある難役だ。しかも冒頭の方では、ひとつの役で舞台から去った数秒後には全く違う恰好で出てくるのだから恐れ入る。また大詰めでは、なんと寄り添うカップルを一人で演じる !! という離れ業。
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そんなわけでこの兄弟、清濁併せ呑む存在目指して、これからまだまだ芸域を広げて行くであろう。鑑賞する我々も、日本人ならではの特権を味わいつつ、東京にはこんなにすごい伝統芸能があるということを誇りに思おう。ミシュランの演劇編ってできないものだろうか。

by yokohama7474 | 2015-09-23 23:42 | 演劇 | Comments(0)

キングスマン (マシュー・ヴォーン監督 / 原題 : Kingsman The Secret Service)

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予告編を見てピンと来た映画は、極力見に行くことにしている。予感が外れることももちろんあるが、今回は大当たりだ。「キングスマン」、間違いなく今年見た映画の中で最高の一本だ!! 近々もう一度見に行ってしまうかもしれない。

ロンドンで高級オーダーメイド紳士服店が並ぶ場所、サヴィル・ロウ (Savile Row)。日本語の「背広」の語源になったというこの場所は、私も仕事で何度か行ったことがある。お客さんのオフィスがそこにあるからだ (私の仕事はアパレルではないのだが・・・)。どんなところかと思いきや、ロンドンではどこにでもある、狭い一方通行の道だ。
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映画の設定は、ここに並ぶ仕立て屋のうちの 1軒、キングスマンという店が、実はスパイ機関の本部になっているというもの。面白いのはこのスパイ機関、国には属しておらず、独立系だということだ。英国の誇る MI-6 所属のジェームズ・ボンドやそのパロディとしてのオースティン・パワーズ、または「Mr. ビーン」のローワン・アトキンソン演じるジョニー・イングリッシュは皆、国家あってのスパイであったが、21世紀の国際秩序においては、新たなスパイ・キャラクターは、豊富な資金を持つ個人であるという設定の方が面白い。対する敵は、これまた国家の範疇には収まらない、ゲリラ活動や IT テロだ。スパイではないが、バットマンもそのような発想でできており、そのシリーズで執事役を当たり役としているマイケル・ケインが、ここでもいかにも彼らしい役柄で出ているのを見ると、何やら信頼できそうな気がするのだ (笑)。
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何より、あの名優コリン・ファースが、きっちりとした着こなしでアクションに挑み、眼鏡をかけて傘を振り回している姿をチラリと予告編で見せるのがよい。ハリウッド流の単純なアクションものではなく、英国風の何か屈折したものがありそうだ。
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映画が始まってすぐに、「あ、これはやっぱりいける」と確信した。中東を舞台にしたミッションが描かれるのだが、旧型のラジカセのアップからカメラが引くと、地上戦闘員が攻撃を受け、さらにアジトになっている古い砦の爆撃へとずぅーっとカメラが昇って行き、爆撃によって砕け散る建物の破片がタイトルになって行くという、そのテンポ感が只者でない。すぐに似ている作風を頭の中で探すと、あったあった、私の大好きなガイ・リッチーだ。あとになって分かったことには、この映画の監督、マシュー・ヴォーン (やはり英国の振付師、マシュー・ボーンとは別人) は、「ロック、ストック & トゥー・スモーキング・バレルズ」や「スナッチ」といったリッチーの傑作のプロデューサーであるとのこと。「レイヤー・ケーキ」という作品でリッチーが監督を降りてしまったのでしょうがなく自分で監督し、それが好評だったのがきっかけでメガホンを取るようになった由。この映画は全く知らないが、調べてみると、主演がなんと、ダニエル・クレイグだ。その後、「キック・アス」という作品を監督していて、これは記憶にあるが、大して見たいと思わなかった。それから、「X-MEN ファースト・ジェネレーション」の脚本・監督、同じく「フューチャー & パスト」の製作・原案をこなしている。こうして見てくると、恐らくこの「キングスマン」は、これまでの作品とは一線を画した、彼自身にとっても新境地なのではないか。

とにかく、大変面白いのだ。若い主人公エグジー (今回が映画デビューとなるタロン・エガートン) がスパイとして逞しく成長して行くというストーリーなのだが、普通、お上品な男が、闘いの場で野生に目覚めるというパターンになるはずが、この映画では全く逆。まず、成長前がこれ。
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そして、成長後がこれだ。
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バッチリ決めた英国紳士が、並み居る敵をバッタバッタとなぎ倒す、そのギャップが面白い。このような方法を取る場合、作品にリズム感がなかったり、小ネタが不発であったりとかの状況で、見るも無残な企画倒れになるリスクがあるのだが、この映画は、まさに目の覚めるようなアイデアと表現方法、そして役者の呼吸で、大変見事だ。今、書きながら映画を思い出して、笑ってしまったり、爽快感を味わっている自分が何やら不気味である (笑)。実際、荒唐無稽なアイデアに対して観客が抵抗感を示すか示さないかは、細部の積み重ねによって決まるのだ。その意味で、いや全く見事な映画だ。

特筆すべき見事なシーンは 2つ。ひとつは、コリン・ファースが暴れる教会の場面。もうひとつは、主人公たちが敵 (これが IT 起業家にして悪党のサミュエル・L・ジャクソンなのだ!!) の本拠地で絶対絶命となり、主人公の教官 (最近いろんな映画、例えば「裏切りのサーカス」や「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密」で印象に残る演技連発の名バイプレイヤー、マーク・ストロング) の案で一か八かの勝負に出るシーン。前者は、あえて言うならば、殺戮シーンとして映画史に残るであろう (この映画が R15 指定になった一因もこのシーンだろう)。完璧に作られたリアリティに圧倒される。後者は、これはただ、腹を抱えて笑おう。エルガー作曲による行進曲威風堂々第 1番、英国の第 2国歌と言われる中間部の流れるシーンだ。劇場で手を叩きたくなるほどの素晴らしいシーンに、久しぶりに会った。

その他、出演者もいろいろ多彩であるが、例えば、敵役のサミュエル・L・ジャクソンの秘書兼用心棒 (?) 役のソフィア・ブテラはどうだろう。
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最近パラリンピックもメジャーとなり、足の不自由な選手の走りや跳躍も日常のものとなったが、このガゼルというキャラクターは、通常なら人の機能を補うべき義足によって、一般人を遥かに超える殺傷能力を持つ。この逆説がまさにこの映画にぴったりだ。演じるのは、世界的なダンサーであり、ナイキのブランド・アンバサダーであるソフィア・ブテラ。
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まあ、このようなイキのよいキャストが組めるというのも、この監督の実力のひとつなのであろう。あ、そうだそうだ、よいキャストと言えば、ひとり気になる役者が出ている。この人だ。
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アーノルド教授という役名で、途中で殺されてしまう脇役だ。さて、この俳優の名は? 誰あろう、マーク・ハミル。ほかでもない、「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカーだ。同じような角度の写真で、面影があると言えばあるような。
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さてさて。既に予告編の上映も始まっているスター・ウォーズの新作、「フォースの覚醒」(日米同時12月18日公開) でルーク・スカイオォーカー役に復帰とのこと。予告編では既に、ハリソン・フォードがチューバッカとともにハン・ソロ役として姿を見せているが、彼らに加え、レイア姫のキャリー・フィッシャーも出演するらしい。いやはや、どうなることやら。

話が例によって脱線してしまったが、この「キングスマン」、私の見たのはシルバーウィーク中のレイトショーだったが、かなりの混雑であった。映画の観客層の通ぶりを測るには、終映後のエンドタイトルでどのくらい人が出て行くかを見れば大体分かるが、この映画の場合、案の定、ほとんどの人が出て行かなかったのだ。さすが、日本も捨てたものではない。プログラムによると、本作の好評により、次回作の噂も出ているとか。私としては、それは若干の不安材料だ。だって、次回作でしゃあしゃあとコリン・ファースが出てくると、ちょっと興醒めですよね。なので、まずこの作品はこの作品として、一旦完結としたい。いやお見事。

by yokohama7474 | 2015-09-23 22:20 | 映画 | Comments(0)

大植 英次指揮 東京フィル 2015年 9月21日 オーチャードホール

今月の東京フィルの演奏会では、既にご紹介したイタリアの若手、アンドレア・バッティストーニに加えて、大植 英次が指揮台に立った。
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大植は 1956年生まれだから、今年 59歳ということになる。気力溢れる指揮ぶりにいつも圧倒されるが、既に還暦近しと思うと、少し複雑だ。3年前に大阪フィルの音楽監督を辞任してからは、東京のオケにも時折登場するようになったが、この東京フィルの指揮台にも何度も立っている。特にこの楽団でポストを有しているわけではないようだが、2014年 3月の、楽団創立 100周年を記念してのワールド・ツアーの指揮者として、ニューヨーク、マドリッド、パリ、ロンドン、シンガポール、バンコクで公演したとのこと。今回の演奏会では、その際のプログラムのひとつである、ブラームスの 2曲の交響曲、第 3番ヘ長調作品90 と、第 4番ホ短調作品98 という、逃げも隠れもできない曲目が採り上げられた。会場に展示してあるポスターがこれだ。写真はニューヨーク公演の模様である。大植にとってニューヨークは、かつて名門ミネソタ管の音楽監督として何度も訪れ、高い評価を得た街。きっと期するところ大であったことだろう。
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さてこのブラームス、表現意欲という点では申し分ない演奏であったと思う。大植らしく、大きな感情のうねりにまかせて時にテンポを煽り、3番も 4番も、第 1楽章の大詰めではオーケストラの空中分解寸前というところまで追い込みをかけて、それがなんともスリリングであった。特に 4番は、充分に燃焼しないと作為的に聴こえてしまうところ、オケの集中力に助けられて、充実した音が鳴っていたと思う。その一方、改めて思うことには、ブラームスの交響曲ほど、音色の美しさを求める音楽はない。演奏の質が高まれば高まるほど、さらに緊密で艶のある音が聴きたくなる。日本のオケ全体の底上げがされて、もはや欧米のそこそこのオケのレヴェルを超えてしまっているのは素晴らしいが、これからはさらに、音の密度が求められて行くものと思う。それには優れた指揮者の力が必要である。このブログで時折触れている通り、西洋人のエラい指揮者につき従っている時代は過ぎ、ともに音楽を作り上げて行くパートナーとしての指揮者こそが必要で、その中には同胞人もいるべきだ。大植のような指揮者こそ、これからの日本のオケのさらなる向上に必要な人であると思う。ただその一方で、日本の箱庭に閉じこもるのではなく、欧米での活躍も続けて欲しい。

さてこの大植 英次、よく知られている通り、稀代の名指揮者レナード・バーンスタインの晩年の弟子にあたるが、その実質的な日本デビューについて少し書いてみたい。1990年、バーンスタイン最後の来日の際、札幌で PMF (Pacific Music Festival) が初めて開催され、御大バーンスタインは、そこでの学生の指導と、一連のロンドン交響楽団との演奏会を行う予定であった。札幌でのシューマン 2番のリハーサルの情景と本番は、感動的な映像ソフトとして永遠に残されているが、まさに死を直前にした巨匠の健康状態が、思わぬ副産物を生み出したということを、25年経った今、つくづく思う。ひとつは PMF 音楽祭の継続で、今年のゲルギエフ指揮による演奏会は、以前このブログでも取り上げた。もうひとつは、この大植 英次と、それから佐渡 裕が活躍の場を得たということだ。大植は当時全くの無名であったが (その 5年前、バーンスタインが企画・参加した広島平和コンサートでも指揮していたことを後で知った)、バーンスタインがロンドン響を指揮したサントリーホールでの演奏会で、2曲目に置かれた自作の「ウエストサイド物語」のシンフォニック・ダンスが、当日突然大植の指揮に変更されたのだ。よく覚えているが、その場には天皇・皇后両陛下も臨席され、バブル期のことでもあるから (笑)、巨匠の演奏に聴衆の期待が盛り上がっていたところ、突然の指揮者交代、しかも名前を聞いたこともない日本人の登場に、会場はあからさまに落胆の雰囲気が支配した。ところがその演奏たるや、まさに瞠目すべき素晴らしいもので、そのリズム感やダイナミックな盛り上げは、その後の大植の活躍を思うと当然であったのであろうが、大変に驚いたものである。それは 1990年 7月10日のこと。その後バーンスタインはタングルウッド音楽祭でボストン響とベートーヴェン 7番等を演奏した後、10月 3日に死去したので、まさに巨匠の人生最後の日々であったわけだ。ところが、そのときの報道においては、主催者側の不手際を責める論調が支配的で、代役を立派に果たした大植のことに触れた記事を見た記憶がない。それゆえ、世界の片隅の川沿いの住居からの発信ではあるが、ここで当時の新聞記事をお見せすることで、歴史的検証をしてみたい。バーンスタインは本当に死に瀕しており、大植は素晴らしい演奏をしたのに、それらに触れた記事がないことは嘆かわしい。以来私は、マスコミの言うことをうのみにせず、自分の耳と価値観で、あらゆる芸術に接しようと心を決めたのであった。

たまたまスキャナーが故障しており、新聞の切り抜きを写真に撮って掲載するので、見にくいかもしれないが、何卒ご容赦を。これは、大植の代役の翌日、7月11日の朝日新聞の記事。一応大植の名前はあるが、騒動を揶揄するようなトーンである。
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これは 7月15日の日経新聞の記事。ここには「日本の若手指揮者」としか書いていない。
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次は 7月18日の朝日。本文の中に大植の名前も見えるが、「バーンスタイン騒ぎ」という見出しの語る通り、この代役の件や曲目変更の件、そもそもチケット代が高い件などをあげつらい、おもしろおかしく書いている。肝心の大植の演奏がどうだったかについては一切記述なし。
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最後は、8月 2日の日経。主催者側が近く新聞にお詫び広告を掲載することになったとある。野村證券がスポンサーであったので、当時よく話題になった「メセナ」の先行きに不安が示されている。実際に起こったことは、その後日本はバブル崩壊を経験し、苦難の道を歩むことで、確かに日本の企業の文化支援は全体的に減少したが、野村證券はウィーン・フィルの来日の継続的なスポンサーシップなど、特筆に値する「メセナ」を行った。
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もちろん、予言者ではない普通の人間のしていること、結果論で語ることは慎みたいが、大きなプレッシャーの中で見事な演奏を成し遂げた大植のことを一顧だにしないマスコミは、視野が狭いとの批判を受けてしかるべきであろう。なので、音楽を聴くときには、何よりも自分の感性を信じることこそが大切であり、私にとっての大植英次は、その象徴のような存在であるのだ。


by yokohama7474 | 2015-09-23 09:55 | 音楽 (Live) | Comments(8)