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先月 1作目を見た実写版「進撃の巨人」、今回はその続編 (現時点での完結編???)、「エンド・オブ・ザ・ワールド」である。見てみると、実際にこれは最初の映画の純然たる続きであって、本来ならまとめて 1編とすべき内容だ。一言で言ってしまえば、正体大暴露大会と、特撮怪獣映画への接近。その先に見えるのは、「これは連載マンガなのだ」という、映画好きにとっては軽い失望だ。

私は幼少の頃からそれほどマンガが好きであったわけではないが、それでもジャンプとかチャンピオンとか、ある場合にはサンデーまでも毎週読んでいた時期がある。その経験上、連載マンガは続けば続くほど、「実はこうでした」「本当はああでした」という設定に遭遇することになることがままあることを知っていて、それが私をマンガから遠ざけた一因にもなっている。最初は普通のスポ根ものだったものが、途中から宇宙の生成に関わる気宇壮大な物語になることもある (笑)。もちろん、「あしたのジョー」のような例外的な古典もあるわけだが、出版社側も読者の興味を惹きつけ続けるために、作者にいろいろと要求するのだろうな、と想像してみたりもする。

現在も連載中の「進撃の巨人」を読んだことがない私としては、純粋に映画としてこの作品を評価するしかないのだが、第 1作に出てきた巨人たちのヴィジュアル面での強いインパクトが、この作品では失われている。それもそのはず、この作品では、巨人たちに襲われる一般市民は登場せず、政府の一部の人たちと、巨人の打倒及び、巨人たちが外界から入ってくる壁の穴を塞ぐ使命を帯びた人たちだけが登場するからだ。もともと謎に満ちた巨人の出現は既に過去のものとなり、ストーリーは、「実は」「実は」のオンパレードに入って行くことになるのだ。そしてその「実は」は、正直に言おう。ちっとも面白くない。そのひとつの理由は、閉ざされた世界の秘密に関してどうのこうのと言われても、リアリティが全くないし、今実際に世界で起こっていることの方が、よっぽど "the end of the world" にふさわしい。この映画の設定から、例えば日本が置かれた実際の位置の比喩と見るのも不可能ではないかもしれないが、そんな説教はこの映画で聞きたくないよという人がほとんどだろう (笑)。

この映画の中で、大昔のものとして出てくるジュークボックス (あ、現在でも既に大昔のものですね 笑) から流れてくる音楽は、確かにいろいろなところで耳にしたことがあるオールディーズだ。スキーター・デイヴィスの歌う、"The End of the World"、邦題は「この世の果てまで」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=b0cPsOa0Lfc
この曲は 1963年のヒット曲らしいが、雰囲気としては、昔デイヴィッド・リンチが使った「ブルー・ベルベット」のようなシュールな不気味さもあり、映画の中ではそれなりに効果も出ていた。だが、歌詞を見てみると、「なぜ太陽は昇り続けるの、なぜ波は岸に寄せるの、なぜ鳥は歌い続けるの、なぜ星は輝くの・・・。世界の終りが来たことを知らないの?」と来るところまではよいのだが、その後、「あなたはもう私を愛していないのに」とか「あなたの愛を失ってしまったのに」と来るのだ。要するに失恋の歌である。簡単に言ってみれば、「オマエにはもう飽きた。失せろ」と男から蹴りを入れられた女が、「ガビーン」とばかり、世界が真っ白になる、そういう状況を歌っているのである。飽くまで個人的な状況だ (笑)。とすると、この映画での使い方は、いかにも大仰だと言うしかないだろう。加えて、エンディングのテーマが SEKAI NO OWARI によるものだ。芸能界に疎い私でも、このバンドの名前くらいは知っているが、まさか彼らの曲を聴いて、本当に世界が終わることを考える人は、あまりいないのではないかと思う。特にこの日本では。

原作の諫山創が語るところによると、昔の東宝怪獣映画、「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966) が本作品のイメージのひとつの源泉になっている由。1作目ではそれを感じることはなかったが、この 2作目ではよく分かる。これ以上言うとネタバレになる (もっとも、原作を読んでいる人には既にネタはばれているのだろうが) のでやめておくが、この怪獣映画感覚、嫌いではないが、どうしても子供っぽくなってしまう点は難点だ。
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だが、日本には怪獣映画の伝統があるわけであって、技術の保存伝承は必要だ。伊勢神宮が式年遷宮を継続してきたのと同じである (ま、ちょい大げさですかね)。本作のプログラムには、メイキング情報もあれこれ載っていて、こんな詳しい冊子をどの映画に対しても作ってしまうのは絶対日本人だけだと確信するが、技術伝承の観点からは意義深いことだ。
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あたかも諫山少年が大昔の怪獣映画を見てワクワクしたように、今の、あるいは将来の子供が「進撃の巨人を見て影響を受けました」という時代がきっと来るであろう。それまで世界が終わっていませんように。

by yokohama7474 | 2015-09-22 20:03 | 映画 | Comments(0)

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尾高忠明の指揮するチャイコフスキーの交響曲は、約 2ヶ月前に東京フィルとの「悲愴」を聴いて、このブログでもご紹介したが、今回は読響との 4番である。私はこの指揮者が英国の BBC ウェールズ響の音楽監督であった時代に、生演奏に接するのではなく録音を通してその音楽性に打たれたことがきっかけで、英国で音楽雑誌に付録としてついている特典 CD を集めてみたりして、いろいろと聴いてきた。大変に真摯な姿勢で音楽に取り組んでいる点に感銘を受けるし、過度に暴力的になることのない、ある意味での中庸の美徳を備えながら、ここぞというときにオーケストラを全開に鳴らせてみせるその手腕に、いつも敬意を抱いているものである。日本人指揮者として今、最も脂の乗った存在であり、生演奏を聴く機会があれば、なるべく聴きに行きたいと思っている。今回の曲目は以下の通り。

 リャードフ : 魔法にかけられた湖作品62
 モーツァルト : ヴァイオリン協奏曲第 5番イ長調K.219「トルコ風」(ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 チャイコフスキー : 交響曲第 4番ヘ短調作品36

ロシア物の間にモーツァルトのコンチェルトが入っているというのは若干異色だが、ここで今さらチャイコフスキーのコンチェルトが入ると変わり映えしないし、かといってグラズノフのコンチェルトだと全体が渋すぎる。なので、陰鬱なロシア音楽の間に清澄なモーツァルトを挟むというのは一案だ。諏訪内のモーツァルトをこれまでに聴いた記憶もないし。

順番に書いて行こう。最初のリャードフ (1855 - 1914) 作曲の「魔法にかけられた湖」は、名前はそれなりに有名な作品だが、どういうわけか、録音でも実演でも、あまり接する機会がない。演奏時間 6分ほどの短い曲で、神秘的な湖の情景を描いた作品だ。なんでも、シンデレラの説話をめぐるオペラの一場面として書かれたものであるらしい。結局そのオペラは完成せず、この断片的な曲のみがかろうじて歴史に残ったというわけだ。指揮棒を使わずに指揮する尾高は、微妙なニュアンスを表現して素晴らしいものがあった。彼の英国での活躍を知っているせいか、英国の音楽、例えばディーリアスとか、一部はブリテンの「ピーター・グライムズ」の海の間奏曲を思わせるような音が鳴っていた。ドイツ音楽からの距離という点で、あながち無意味な連想ではないと思う。

モーツァルトのコンチェルトは、上記の通りロシア物の間の一服の清涼剤という位置づけだが、これもまた充実感溢れる演奏となった。諏訪内は、まあこれまでに散々聴いてきているが、素晴らしいときとそうでないときの落差が激しく、その日その場所で実際に聴いてみるまでは分からないのだ。どちらかというとロマン派から現代音楽に適性があるかと思っていたのだが、今回のモーツァルトは、その美音が純粋に鳴り響いて、艶のある音楽となっていた。これなら、モーツァルトのほかのコンチェルトも是非採り上げて欲しい。音楽のことばかりでなく、諏訪内さんの写真を見たいという人のために、しょうがないなぁ、上記ポスターに使われている写真の全体を載せておきます。サービスサービス (笑)。あ、でも、音楽は別に容姿云々で決まるものではありません。念のため。
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そして、メインのチャイコフスキー 4番。尾高は譜面台にスコアの最初のページを開いて置いていたが、結局一度もページをめくることはなかった。このようなポピュラー名曲は、暗譜で指揮して当たり前という気もするが、最近の原典流行りの中で、暗譜は指揮者の自己顕示とみなされる傾向があるのを苦々しく思う私は、指揮者がレパートリーによって譜面を見たり暗譜で振ったりということはあってもよいと考えるので、今回の尾高の姿勢を好ましく感じたものである。指揮棒は使っていなかったが、ビートを強く刻むときもあれば情念たっぷりの旋律を引き出すときもあり、弦のピチカートを流して行くときもあるかと思うと爆発的大音響を沸き立たせることもある。聴きどころ満載のこの交響曲の魅力を存分に表現しきった名演であった。読響も素晴らしい鳴りっぷりで、金管の咆哮、木管の掛け合い、弦のうねりまで、表現力抜群だ。いわゆるロシア的な音とは少し違うかもしれないが、これだけの名曲になると、なにも特別にロシア的である必要もない。書いてある音が表現力豊かになれば、人の心に響く音楽になるのだ。楽員も指揮者も全員日本人のこの演奏を、ロシアの人たちに聴かせてみたいと思った。

そして、意外なことにアンコールが演奏された。同じチャイコフスキーの、「弦楽のためのエレジー イワン・サマーリンの思い出に」という曲だ。これまで聴いたことのない珍しい曲だが、これも尾高は暗譜で表情豊かに演奏した。帰宅して調べると、演劇俳優であったイワン・サマーリンの 50歳の誕生日に演奏すべく 1884年に書かれたとのこと。サマーリンは 1887年になくなり、作曲家はこれをサマーリンの思い出に捧げる曲として、1891年に作曲した劇付随音楽「ハムレット」の第 4幕間奏曲にも転用した由。誕生祝いに書かれた割には暗い曲なのはどうしたことか分からぬが、チャイコフスキーらしい情緒あふれる佳品である。こんなメジャーな作曲家の作品でも、まだまだ知らないものがあるのだなぁと、いつもの通り自らの無知を恥じた次第。

尾高忠明、今年 68歳。これからますます期待である。マエストロの写真を見たい方に、サービスサービス。
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by yokohama7474 | 2015-09-22 11:59 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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上の写真を見て、おっと思わない人はあまりいないに違いない。展覧会のチラシを撮影したものなので、折り返し部分が少し光って見えにくいかもしれないが、狼が群れをなして空中を飛び、見えない何かにぶつかってすごすごと引き上げている。見えない何かとは、透明のガラスの壁。反対側からの様子はこんな感じだ。
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この言い知れない異様な迫力は一体なんだろう。1957年中国福建省に生まれ、現在ニューヨーク在住のアーティスト、蔡 國強の作品で、英語で "Head On"、日本語で「壁撞き」と題された作品だ。
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この人、火薬を使った作品を作る人だと言えば、お分かりになる方もおられるのではないだろうか。世界的な名声を博しているアーティストで、北京オリンピックの開会式と閉会式のヴィジュアルディレクターも務め、花火を使用してセレモニーを盛り上げた人だ。私も、この人の名前を見て 3秒後に、「ああ、あの花火の」と思い当たった次第で、別に熱狂的なファンではないが、会場の横浜美術館の雰囲気には結構合うのではないかと期待して出かけた。

美術館の建物に入ると、そのロビーに巨大な作品が展示されている。これだけなら入場料金を払う必要もなく見ることができ、お得だ (笑)。おまけに写真撮影も OK。
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これは「夜桜」と題された、今回の展覧会用に新たに制作された作品。実に縦 8m、横 24m という超大作だ。かがり火に浮かび上がる大輪の桜と、その枝の間から覗くミミズク。大変抒情的なテーマだが、同時に見る者に迫ってくる迫力も持ち合わせている。この独特の巨大なモノクロの押し花のような独特の模様は、いかに作成されたものであるか。展覧会の図録から関連個所を拾ってみよう。まず、スタッフ (横浜学生や市民たちらしい) とともに下絵を描く。
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そしてその上に火薬を撒き、火をつける!!
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つまり、この作品に相対する人々が目にするものは、炎を上げパチパチと音を立ててから静まった火薬の活動の痕跡であるのだ。力強い生命力と同時に、そこはかとない寂寥感を感じるのはどうしたことか。日本人にとっては、例えば線香花火を楽しんだあとのような感覚と言ってもよいだろう。まあ、線香花火は上の写真のようには派手に煙を出すことはないので、たとえを変えると、夏の華やかな花火大会を終えて暗い土手を帰路につくような感覚か。

火薬を使った蔡のパレットは意外に多彩で、上記作品以外にも、なんと春画をモチーフにしたカラフルな新作「人生四季」や、天井からぶら下がった長い朝顔の化石のような「朝顔」が会場に展示されているほか、制作風景や過去のパフォーマンスの記録映像、作者のインタビュー (日本に 9年間暮らして創作活動を行ったことがあるので日本語を喋る)、等々に触れることができる。私がことのほか美しいと思ったのは、磁器タイルを素材とする「春夏秋冬」という作品。このモノクロームの色彩 (とあえて呼ぼう) も火薬が作りだしたもので、そこには「燃える」という時間の経過が確実にあるゆえ、その時間の経過自体が結晶化したようなイメージがある。うーん、しばしその前で佇んでしまうほど美しい。
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さて、このような流れにおいては、冒頭の狼群は、彼にしては異色の作品であるようにも思われる。2006年にベルリンでの展覧会用に制作されたものであるそうで、狼の数は 99匹、ドイツ銀行が所蔵している。狼たちが突き当たる見えないガラス壁は、ベルリンの壁を表しているらしく、その実際の高さ 3mと同じ高さで作られた由。壁の消失は冷戦時代の終結を印象付ける記念碑的イメージとなったものの、その後のドイツ統一の過程で、旧東西両国民の間の見えない壁の存在が様々に意識されるようになったという皮肉。この作品にはそのような政治的なメッセージがあったようではあるが、その後世界各地で展覧される度にガラス壁は毎度新調され、高さもまちまち。狼たちの配置も変わるらしい。ベルリンでの展示の写真があったので掲載させて頂こう。これはまた、火ではなくて水が勢いよく一直線に流れるような群れの様子ではないか。
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ところが、これも図録の解説によると、作者本人に確認したわけではないが、もしかするとこの作品の想像力の源泉となったかもしれない絵が日本にあるという。それは、あの奇想の画家、曽我 蕭白 (1730 - 1781) の「石橋 (しゃっきょうず)」だ。こちらは唐獅子だが、確かにワンサと群れて石橋をよじ登っている。蕭白らしい、破天荒な構図である。もし蔡がこの絵に発想を得たとすると、特にベルリンの壁と関連づけた社会的なメッセージと取らずとも、人間を含む生き物の習性と生命力を表現したということではないか。
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さてこの展覧会、「帰去来」という副題がついている。これは言うまでもなく、陶淵明の詩から採られたものであるが、中国から日本を経てニューヨークに渡り、国際的な地位を築いた画家が、今また日本を舞台に自然との調和という観点から制作するという姿勢の表れと解説されている。特に、日本では福島に滞在したこともあり、災害からの復興という思いも強くあるようだ。自然の力との共存という意味で、このアーティストのメッセージは力強く響く。

さて、この美術館は平常展示もなかなかに見応えがあるのだが、ちょうど蔡の展覧会と合せて 10月18日まで、「戦争と美術」、「岡倉天心と日本美術院の作家たち」、そして「ポール・ジャクレーと新版画」という 3つの館蔵コレクション展が開催されている。
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戦争画展示も、これまでこのブログで何度か触れてきたような内外の画家たちの作品がいろいろあって興味は尽きないが、それよりも、上の写真の右下をご覧頂こう。これがポール・ジャクレーだ。一般にはあまり知られていない名前かもしれないが、1896年生まれのフランス人で、4歳のときに来日して以来日本で育ち、版画家となった。私は 2003年でここ横浜美術館で開かれた彼の展覧会で、大変な衝撃を受けた。日本的要素はあるが、なんとも異様な版画の数々で、怪しい魅力満載だ。詳細は省くので、ご興味おありの方は、是非 10月18日までに横浜美術館で実物をご覧下さい。上のポスターに出ている作品はこれだ。怪しいでしょう???
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ジャクレーが出たところで、じゃ、くれで、いや、これで、失礼します。

by yokohama7474 | 2015-09-22 01:07 | 美術・旅行 | Comments(0)

2日前に英国ロイヤル・オペラの来日公演でヴェルディ作曲の歌劇「マクベス」を見たばかりだが、なんの因果か、今日は演劇の「マクベス」を見ることに。「NINAGAWA マクベス」、その題名で明らかな通り、日本を代表する演出家、蜷川 幸雄の手になるものだ。蜷川は今年 80歳。最近の写真では、酸素を鼻から入れており、灰皿を投げて芝居に情熱を傾けて来た人としては、なんとも弱々しく見えてしまう。
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だが、その活動は大変に活発だ。私自身、つい 1ヶ月ほど前に、寺山修司脚本による「靑い種子は太陽の中にある」を見たばかり。今回、17年ぶりにこの「マクベス」の再演が行われるそうだが、今後も、「海辺のカフカ」の世界巡演を含め、あれこれ予定が目白押しである様子。実は私にとっては高校の大先輩でもあるのだが、このなんとも頑固な面構えの爺さん、まだまだ衰えを知らないようだ。

さて、上記の通り、この演出は 17年ぶりの再演。ポスターには、「仏壇マクベス集大成」とあるが、一体どういうことか。
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それは、この舞台が巨大な仏壇になっており、冒頭で 2人の老婆がヨタヨタと舞台に上ってきて、その大きな扉を開くことから始まるからだ。この写真は、美術担当の妹尾河童作成による模型。
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この演出、1980年に初演されて以来、1998年まで、国内に加えてアムステルダム、エディンバラ、ロンドン、オタワ、ニューヨーク、シンガポールという海外でも上演されてきた。マクベス役は、平 幹二朗、津嘉山 正種、北大路 欣也と変わっているが、マクベス夫人役はこれまで一貫して栗原 小巻であった。今回の上演では、市村 正親と田中 裕子のコンビによる。

蜷川のシェイクスピア演出では、舞台が日本に置き換えられ、歌舞伎をはじめとする日本固有の芸能が取り入れられることで知られる。この「マクベス」は、その意味では蜷川の面目躍如と言ってよいであろう。老婆が仏壇を開けるときには、大音響で日本の梵鐘の音が鳴り響き、否が応でも不気味な怨念の世界に引き込まれる。蜷川自身の言によると、実家で仏壇に線香をあげていたとき、仏壇を開けて位牌と対話するということは、シェイクスピアの作品が自分たちの物語になるということだと直感したらしい。それは、「日本人がシェイクスピアをやる意味が見つかった」ということであったとのこと。私自身はこの考えに、賛同半分、疑問半分だ。それは、日本風の衣装を纏った瞬間に、それは演劇以外の何物か (日本の文化のデロリ性) を負ってしまうということで、その感覚は、西洋式生活を送る現代の日本人自身にとっても決して日常の身近なことではなく、いわゆる日本人自身にとってのエキゾチックジャパーン!ということになるであろうからだ。従って、このような演出が海外で受けまくるのは想像に難くない。問題は、虚心坦懐に見てこの舞台が人の心を動かすか否かという点だ。

と、なにやら否定的なことを書きながら、私は確信するのだが、この演出、滅法面白い!! それはすなわち、シェイクスピアの戯曲がそれだけ多様性を受け入れるということであろうと思う。実際、ここで展開する人間たちのドラマは、別に中世のスコットランドで起こらなくても、江戸時代の日本でも現在の日本でも、いや世界のどこの時代のいかなる場所でも起こり得ることだからだ。見れば見るほど、恐ろしい普遍性だ。ちょっと想像してみてもらいたい。もしあなたの上司があなたに胸襟を開き、あなたのことを誉めそやしたら、その上司がいなくなった暁には自分が後任になるという野心を抱くことは、全く普通のことではなかろうか。殺人を犯すことは極端な事態であって、そこまで至る人はほとんどいないわけであるが、ちょっと魔がさすということくらいなら、人間誰でもあるものではないか。そうだ、先に歌劇「マクベス」に関して、主人公が悪漢と書いたが、原作では決してそうではなく、英雄的な活躍をした人間が、ふとした出来心で転落して行くという、人間の弱さがここに示されているのだ。悪女の代名詞のように言われるマクベス夫人にしても、見方を変えれば、旦那の出世のために献身的な努力をするけなげな妻ということになる。単純な悪が描かれているのではない点、400年の時を超えてシェイクスピア劇がその生命を保っている理由であろう。その人間洞察の深さ。

主役の市村正親と田中裕子は、いずれもさすがの演技だ。舞台における演技のなんたるかを知悉している。それから、私が大きな感銘を受けたのが、マクダフ役の吉田 鋼太郎だ。この役がしっかりするか否かで、全体の印象が随分と違うはず。ここでは、まさに堂に入った舞台での発声で、ときに軽快な他者への信頼感を表すと思えばまた主君を質す勇気を示し、また、妻子を失った断腸の思いを振り絞る。素晴らしい。
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蜷川の演出は、理屈っぽいこねくり回しは皆無で、大変ストレートに観客に迫ってくる。ただ、欧米の演出家であれば、もう少し自分の演出を知的な言葉で語るはずで、正直その点だけが、日本を代表する演出家としては物足りない気がする。それから、音楽の使い方。一般によく知られた曲のイメージにかなり依拠している点が気になった。ここで使われている名曲とは、フォーレのレクイエム ニ短調作品48、ブラームスの弦楽六重奏曲第 1番 変ロ長調作品18、そしてバーバーの弦楽のためのアダージョだ。それぞれに文句なしの名曲であるゆえ、舞台での効果も抜群ではあったが、既に出来上がっているイメージに頼っている点には、冒険心の欠如が感じられるような気がして、少し残念であった。

ところで、蜷川演出の「マクベス」を見るのはこれが初めてではない。2002年、ニューヨークのブルックリンで、唐沢 寿明と大竹 しのぶのコンビで見ているのだ。それはやはり舞台を日本に置き換えたものではあったが、今回の仏壇マクベスとは異なるものであった。プログラムを引っ張り出してきた。なるほど、これは埼玉の彩の国で進行中のシェイクスピア・シリーズにおける演出で、仏壇マクベスとは別物であったようだ。
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あ、それから、スコットランドを旅行した時に、コーダー城に行ったこともある。マクベスが王になる前に領主になった地域の城だ。マクベスは実在の人物であったようだが、このコーダー城は戯曲とは実際は全く無関係らしい。それでも世界中のシェイクスピアファンがこの地をひっきりなしに訪れるのだ。
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ともあれ、蜷川が日本の演劇を大変面白くしてくれたのは紛れもない事実。今後も変わらぬ活躍を期待しよう。

by yokohama7474 | 2015-09-21 00:06 | 演劇 | Comments(0)

6月 3日にブログを開始し、8月27日に訪問者が 1,000人を越えたのですが、今日 9月20日には、ついに 2,000人を越えました。ええっと、最初の 1,000人まで 85日、次の 1,000人まで 24日ということになります。まあ、記事の数がどんどん増えて行くわけなので、アクセスが加速度的に増えて行くのは道理ではありますが、それだけ多くの人たちにご覧頂いていると思うと、柄にもなくちょっと緊張します。

こんな感じから
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こんな感じまで
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いやー、ありガとう。

by yokohama7474 | 2015-09-20 23:06 | その他 | Comments(0)

以前、大田区の名所である池上本門寺と、一年に数日だけ一般公開される庭園、松濤園についてご紹介したが、実は松濤園の受付 (朗峰会館という建物) で、大田観光協会なる社団法人が発行している「大田区まち歩き News」というものが目に留まった。何の気なしにめくってみると、大田区内の街歩きツアーのあれこれが紹介されている。これは面白そうだぞと家人と意気投合し、今回、「六郷用水を中心に歴史が見えるまち歩き」なるシリーズのうち、「六郷用水と映画の街蒲田」なるツアーに申し込むことにした。忘れないうちに書いておくと、もしこのようなツアーにご興味がおありの向きは、以下のサイトでチェックされるとよい。都内の方にとっては、超安・近・短の面白い旅となること請け合い。
http://www.o-2.jp/machiaruki/

東京以外にお住まいの方は、「おおたく」というと、「太田区」と勘違いされることが多いと思う。正解は、テンのない「大田区」だ。その理由は簡単。区内の 2大繁華街 (?)、大森と蒲田をくっつけでできた名前であるからだ。それさえ覚えれば、もう間違えることはないでしょう。これであなたも、どこから攻められても大丈夫な、筋金いりの大田区通!! それから、もうひとつ覚えておきたいのは、蒲田駅には 2つあって、ひとつは JR 蒲田駅、もうひとつは京浜急行蒲田駅であることだ。この 2駅は直線距離で 1km 弱離れていて、なんとか 2駅間を結ぶ「蒲蒲線」ができないかと検討されてきており、確か東京オリンピックに向けての整備案にもあったと思うが、どうなったのだろう。京急蒲田駅周辺は近年高架となり、踏切渋滞の解消と羽田空港へのアクセスのよさが実現されているが、JR 蒲田駅周辺もそれにまけじと再開発継続中である。

さて、今回のツアーは、JR 蒲田駅東口ロータリーに集合し、約 3.5km の道のりを 2時間くらいかけて歩こうというもの。さてここには、大田区通なら知っておかねばならない彫像がある。そう。モヤイ像だ。「えっ?! モヤイ像って渋谷じゃないの?」と驚くなかれ。渋谷にあるものと同じようなモヤイ像がどっしりと存在していて、説明板もある。なんでも、渋谷のものと同じく大島から送られたもので、もともと対になっていたもう 1体は、今では青森にあるらしい。この正面の顔の前になぜか空き缶が置いてあるのが、蒲田らしいと言えば蒲田らしい (笑)。
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この像、両サイドに顔があって、裏の顔はこんな感じ。これは女性ではないか。雌雄一体のようだ。ではモヤイには性別はないか、または両性具有、ヘルマフロディットかまたはアンドロギュノスということか (難しいって)。
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このような昭和の雰囲気と気合のあふれる解説も、なんともいい感じだ。「人々よ、蒲田でモヤい合おう!!」ということだ。「Why not ! モヤイもっと!!」という感じになるではないか。
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ふと見ると周囲にはいくつかの彫刻が。職人の街大田区を象徴するような力強い彫刻がこれだ。「躍進工業蒲田」とある。力強い職人が、全裸で歯車を抱えている・・・が、なぜか不自然さが。おっと、これ、本当に男か? 股間が不自然ではないか。ここにも両性具有?? いやいや、「進撃の巨人」か (笑)。
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さて、まだツアーが始まってもいないのに早くも寄り道しているのは私たちくらいで、集合場所には既に 3人の案内の人たちと、10名弱の参加者の人たちが。案内の方々は大田区の職員さんだろうか、あるいは、定年後の趣味でボランティアをなさっているのだろうか。いずれにせよ、各自が同時通訳のときにかけるようなイヤホンを配られ、説明者が喋ると、少し離れていても説明が聞こえるという気配り。これがもし、「大田区を歩こう会」などと気の利いたつもりの面白くないしゃれを入れた旗が立ち、ワッペンをつけさせられ、化粧の濃いベテランの女性ガイドが白手袋をつけ、大きなスピーカーを使って裏声で説明してくれる、といったアレンジだったら、その場で帰ろうかと思っていた。なんとも大人なツアーである。

いよいよ出発前の説明となった。まずはこの蒲田駅東口の再開発の説明から入るが、実は数日前にここで大規模な映画のロケが行われたとのこと。それは東宝が来年公開予定で撮影中の、新作ゴジラ映画だというではないか!! 確か前作でもうゴジラはやりませんと宣言したはずだが、ハリウッド版があまりに恐竜じみているのでまた日本で作ることになったのか?! 調べてみると、脚本・総監督 : 庵野 秀明、監督 : 樋口 真嗣という期待できるコンビである。
http://www.oricon.co.jp/special/47834/
それにしても、なぜゴジラは蒲田にやってくるのか。昔たくさんあったキャバレーも、もうほとんどないと案内の人が言っていたから、キャバレー目当てではなさそうだ。多分、羽田に上陸して都心に進むときの、蒲田はただの通り道というのが妥当な推測ではないだろうか。あるいは、モヤイ像がモヤい合ってゴジラと対決?! いずれにせよ、楽しみだ。あ、それから樋口監督、労働者の彫像に、自らの監督作「進撃の巨人」との共通性を見出したことだろう。

ところで、私の手元には、昔の大田区の写真集が何冊かあるのだが、そこに何枚か、蒲田駅の写真があるのでご紹介しよう。最初が昭和10年。なかなか立派な駅舎ではないか。もともと蒲田駅の開業は明治 37年。あとで説明する菖蒲園の開園がきっかけになったともいい、当初の利用者は 1日数人だったが、大正 9年に年間 130万人、昭和 7年には 1,370万人に急増した由。
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しかしながら、この地区は戦争で焼け野原になってしまった。昭和 30年代のバラック駅舎がこれだ。
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そして、今回待ち合わせ場所になった東口ロータリー。昭和 32年の撮影。何やら想像できる気がする。左の三和銀行は、つい先日まで三菱東京 UFJ 銀行だった (今は、斜め向かいあたりにあったみずほ銀行が、再開発取り壊しのためここに移転)。この蒲田駅東口は、GHQ が羽田空港拡張のための資材置き場にしていたため、この頃まで開発が遅れたが、その用地を逆に利用して、映画館が続々誕生したということらしい。蒲田といえば映画だが、それは松竹撮影所があったからというのが無理のないイメージであるところ、実は、松竹は昭和 11年に大船に移転しているので、興業の世界で戦後蒲田が賑わった理由は、撮影所があったからではなく、職人さんやサラリーマンが沢山いて、庶民の娯楽が発達したということらしい。
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さて、前置きが長すぎるが、そろそろツアーに参加しよう。今回のルートは以下の地図の破線である。
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今回探訪する蒲田は、大別すると以下の 3つ。
・古代から近世までの蒲田
・六郷用水が通る蒲田
・映画の街としての蒲田

なじみのない方にご説明すると、六郷用水とは、多摩川の水を今の狛江市で取水し、それを六郷領と呼ばれた現在の大田区地域に水路網を張り巡らせたもの。1590年に江戸に入り、この六郷領が広大な平地であるにもかかわらず水利の悪い土地であることに気づいた徳川家康が、小泉次大夫に命じ、14年かけて作られた。これによりこの地域は稲作地帯へと変貌したが、その後工場の進出により灌漑用水としての役目を終え、生活排水路となり、暗渠となっていったもの。現在でも大田区の街を歩くと、もと六郷用水が通っていた場所があちこちにあって、ブラタモリではないが、過去の土地の歴史が分かると、なんとも興味深いものがいろいろ見えてくるのだ。このあたりの昔の様子は以下の通り、呑川 (のみかわ) と六郷用水の中に重要施設が点在しているのが分かる。
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蒲田駅から歩いてほんの数分、現在の「あやめ橋」のあたりに、明治35年 (1902年)、菖蒲園ができた。一説によると、そこに人を呼ぶために住民の運動が起きて、今の蒲田駅が開業したとのこと。上の地図でも分かる通り、この菖蒲園、かなり大きなものだったようで、敷地は一万坪。大正時代まで人気のスポットであったらしい。現在のあやめ橋の欄干には菖蒲の模様が刻まれているが、昔日の様子を想像するのは難しい。
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古い絵葉書だろうか。白黒に着色した菖蒲園の様子。人の顔が、今の日本人と違っている!!
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菖蒲園跡から東邦医大通りに入る。その突き当りに現在、東邦大学医療センターがあるが、その前身は帝国女子医専といって、NHK の朝ドラ「梅ちゃん先生」で主人公が通う大学のモデルになっているそうだ。まあ、堀北真希のような学生がいたかどうかは知りません (笑)。

東邦医大通りから少し右に入ると、左手に薭田神社 (ひえたじんじゃ) が見える。この神社の歴史は恐ろしく古く、社伝によれば、709年に僧行基が刻んだ神像が神社のもととなっており、10世紀に編纂された「延喜式」にその名が記載されているらしい。「薭田」という字が転じて「蒲田」という地名になったという説が有力であるとのことで、まさにこの土地の歴史の始まりがここにあるようだ。
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すぐ先に円頓寺という寺がある。小田原北条氏の家臣、行方 (なめかた) 氏ゆかりの寺。行方 弾正の供養塔があるとのことだが、門は開いていないので、由緒を書いた石碑を撮影 (すみません、読めません)。
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それから大通りである第一京浜 (旧東海道) へ。そこには昔梅園があり、梅屋敷と呼ばれていた。今でも京浜急行に梅屋敷という駅があるが、その謂れは知らなかった。今は小さな公園になっているが、江戸時代は名所として知られ、広重の「江戸名所図会」にも採り上げられているらしい。東海道に面してはいるが、江戸の中心からは遠く離れているので、幕末の志士たちが会合を開いたこともしばしばあったとのこと。また、明治天皇もこの地が大層お気に入りで、何度も立ち寄ったそうだ。この場所、何度も車で通りすぎたことがあるが、このような歴史ある場所の名残が存在するとは、全く気付かなかった。無知とは嘆かわしいことだ。
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昔の梅屋敷の様子はこんな感じであったらしい。
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さて、ここまででも充分興味深く、歴史の残り香を求めてキョロキョロしていたのだが、トイレ休憩の際にアクシデント。冒頭に掲げた地図を見ながら、歩いてきた道を思い出し、過去に思いを馳せていると、突然右足太ももに強い衝撃が!! あまりの痛さにもんどりうって、何が起きたのかと思って振り返ってみると、自転車が入らないように半円形の金属の柵 (ちょうど腿くらいの高さ) がいくつか地面に設置されているところを、ちょうど夢中になって地図を目の前に開いてスタコラ歩いていたためにその存在に気づかず、速度を落とすことなくそのまま激突したというわけ。目を白黒させて右足を抑える私を見て、家人は私がいつもの悪ふざけをしているものと思ったらしいが、これは痛かった。私はせっかちな性格で、歩くのが早いのだ。一方、金属の柵は、通行するものをなんであれ妨害するのが役目だから、ちょうど視界の全面を地図に占拠されているアホな男に容赦せず、全力でぶつかったというわけだ・・・。

こうしてツアー後半戦は、名誉の負傷とともに継続することと相成った。実際地図を (ほかにぶつからないように注意しながら) 再度見てみると、まだ半分しか来ていない。ほかの年輩の参加者の方々はお元気そうだ。なんとか足を引きずりながらついて行くしかない。

キネマ通り。これは撮影所とは関係なく、キネマ館という映画館が昔あったことによるそうだ。ほっほう、文字がさかさまだが、「キネマのびっくり市 プレゼントセール」か。なんとも昭和な感じがよい。「キネマを逆から読むと寝巻だな」、などと関係ないことを考えて、足の痛みを忘れるという悲痛な努力をする私。実は、キネマを逆から読むと、「招き」であって「寝巻」ではないのだが・・・。
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呑川のほとりに立つ北野神社。その名の通り天神様を祀っているようだが、大雨だかで上流から他の神社の御神体が二度も流れついたゆえ、「神様はよほどここがお好きなのだろう」ということで建てられたそうな。「神様、北野神社にきたのか」と、またまた救いがたいダジャレで痛みを忘れようとする私。
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次は夫婦橋。かつて呑川に堰が設けられて、六郷用水が分水されていたため、橋が旧東海道に二本並んでいたため、このような名前がついた。その夫婦橋の親柱 (橋の四隅の柱) が 2箇所に分かれて保存されている。これは、すぐ近くの公園に設置されたもの。この公園は、昭和まで使われていた舟揚場で、やはり過去へのノスタルジーを掻き立てる。
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ここで京急蒲田駅の反対側に出る。来るときに通った菖蒲園の、呑川の反対側に出ると、目立たないところに、蒲田橋という、今は存在しない橋の親柱が。昭和初期のもので、橋がなくなって無用の長物となったとき、老朽化したこの親柱は破棄される運命にあったが、有志の方々の努力で、今の場所に設置することができたという。昔の蒲田の中心地はこの橋のあたりであったらしく、その歴史を未来に留めたいという思いが、困難を可能にしたわけである。過ぎた時間に思いを馳せると、足の痛みも少しは和らぐ・・・気がする。
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さて、残りは映画に関する過去の痕跡めぐりだ。先にも書いたが、JR 蒲田駅東口近辺は、戦後 GHQ の資材置き場になっていたため、開発が遅れたが、その代わりに土地が沢山あったので、昭和 30年代に映画館が立ち並び、浅草、新宿と並ぶ映画館の多さを誇ったという。逆川 (さかさかわ) という支流の近くに、ミスタウン映画街というものがあったらしい。面白いのは、松竹の撮影所は既に戦前にこの場所にはなくなっていたにもかかわらず、人々の頭の中に、蒲田と映画を結びつけたのは、ひとつにはやはりその撮影所であったのではないか。昔のミスタウン街とは、今の相鉄ホテルの裏側 (?) あたりだったらしいが、そのあたりに大変面白いものが残っている。このような遊興施設。
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中に入って左の階段を数段降り、振り返ってみると・・・。
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なんとなんと。これ、知っている人に教えてもらわないと、絶対に辿り着けない (笑)。なぜこのように、外から絶対見えないところに立っているのか。この記念柱は、昭和 42年に建てられ、文字を揮毫したのは、松竹の大プロデューサー、城戸四郎 (1894 - 1977) だ。なんとも味わい深い。

さて、名誉の負傷を負いながらのツアーも、ようやく最終目的地が見えてきた。昔の松竹撮影所跡には、今、アプリコという大田区のコンサートホールが立っている。そのホールでコンサートを聴いたことはあるが、そこに、撮影所の正面に架かっていた小さな橋の跡が残されていようとは。その橋とは、松竹橋。この写真の手前に写っているのがそれだ。
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まず、アプリコ前に、映画「キネマの天地」の撮影用に作られた松竹橋のレプリカがある。
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そして、アプリコに入り、コンサートホールに向かって左手の入り口近くに、なんと本物の橋の名残が。しばらく前まで行方不明であったものを、鎌倉の個人が所有していることが分かり、大田区に寄付されたとか。私が神のごとく尊敬する小津安二郎 (1903 - 1963) も、この橋を何度も通ったのだ。感無量。
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このアプリコの地下 1階には、撮影所のジオラマが展示されている。サイレントのときはよかったが、トーキーで撮影と同時に録音するようになると、蒲田地区の工業発展につれ、雑音が入る環境となってしまったため、昭和 11年に大船に移転したとのこと。
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ここでツアーは終了。後半は足を引きずりながらであったとはいえ、大変に面白い 2時間の散策であった。歴史には諸相あり、人々が集まる聖なる場所や遊興の場所、用水路、なんでもない路地、巨大施設、古くから営業を続ける店・・・。それぞれに人々の暮らしの痕跡があるから面白い。このような企画を続けている大田区には最大限の敬意を表し、もしかして東京 23区のそれぞれに同じようなツアーがあるとすると、その土地土地の過去の記憶を辿ることで、東京の全体像も見えてくるのではないかと夢想した。実際にほかの区については調べていないものの、そのうち調べてみたいと思っている。そして、いくら夢中になっても、地図で視界の全部を覆ってしまうことだけはするまいと、腫れ上がった右足太ももをさすりながら、ひとりうなずいている次第である。

by yokohama7474 | 2015-09-20 02:44 | 旅行 | Comments(0)

昨日の記事で少し触れた通り、今日はパッパーノとロイヤル・オペラ管弦楽団は、モーツァルトのレクイエム ニ短調K.626 をメインとする特別演奏会に臨んだ。これは、会員制で一連のコンサートをセットで企画する都民劇場音楽サークル (会場は常に上野の東京文化会館) の公演のひとつで、こんなモノクロのチラシしか制作されなかった模様。チケットの売れ行きやいかにと思って行ってみると、土曜ということもあってか、完売。コンサートだから、オペラほど高くはないとはいえ、チケットは依然安くはなく、日本の音楽ファンには懐に打撃の日々だ (涙)。
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これはなかなかに興味深い企画で、後半にレクイエム、前半には同じモーツァルトのアリアが並ぶというもの。モーツァルトはオペラから独立したオーケストラ伴奏のアリアを 60曲ほど作曲していて、その一部は演奏会用であり、また一部は自作または他人のオペラへの挿入曲だ。それぞれにモーツァルト作品番号 (分類した研究者の名前を取って「ケッヘル」番号と言われ、K のあとの数字で示される) がつけられている。今回はその中から 6曲が選ばれ、来日公演の「ドン・ジョヴァンニ」に出演した歌手たちによって歌われるというもの。詳細曲目と、「ドン・ジョヴァンニ」におけるや役柄は以下の通り。

・アリア「あなたは今は忠実ね」K.217 (ソプラノ : ユリア・レージネヴァ = ツェルリーナ役)
・演奏会用アリア「このうるわしい御手と瞳のために K.612 (バス・バリトン : イルデブランド・ダルカンジェロ = ドン・ジョヴァンニ役)
・レチタティーヴォとアリア「わが美しき恋人よ、さようなら」~「とどまって下さい、いとしい人よ」K.528 (ソプラノ : アルビナ・シャギムラトヴァ = ドンナ・アンナ役)
・レチタティーヴォとアリア「憐れな男よ! 夢なのか、それともうつつなのか?」~「あたり吹くそよ風よ」K.431 (425b) (テノール : ロランド・ビリャゾン = ドン・オッターヴィオ役)
・レチタティーヴォとアリア「このようにあなたは裏切るのか」~「苦く酷い後悔よ」K.432 (421a) (バス・バリトン : イルデブランド・ダルカンジェロ = ドン・ジョヴァンニ役)
・レチタティーヴォとアリア「どうしてあなたが忘れられるだろうか」~「心配しなくともよいのです。愛する人よ」K.505 (メゾ・ソプラノ : ジョイス・ディドナート = ドンナ・エルヴィーラ役)

歌詞の大意を見てみると、「ドン・ジョヴァンニ」でのそれぞれの歌手の役柄と共通点のある雰囲気で、その意味ではこのコンサート、「ドン・ジョヴァンニ」の補完という位置づけで聴くことができ、それが演奏者側の意図であると思われる。そして興味深いことに、それぞれの歌手の歌唱が、私が「ドン・ジョヴァンニ」に接して持った感想とぴったり一致するのだ!! やはり世界の檜舞台に立つ歌手たちともなると、よくも悪しくも歌い方にスタイルがあって、たまたま遠い日本の公演であっても、一度聴くと持ち味が大体分かるものだな、と勝手に合点した次第。でも、やはり生で聴くといろいろなことが分かるものだ。

ところで、ここで最大の落胆は、ビリャゾンだ。
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前にも書いた通り、もともとあの 3大テノールの後釜として世界から注目を集めていた人。本来ならこんなところで One of them であってはいけないと思うのだ。今日の演奏では、最初の方は「あぁ、モーツァルトなのにイタリア・オペラみたいな歌い方しているなぁ」とは思ったものの、危なげない歌いぶりだったのである。それが、途中からテンポが少し怪しくなったと思うと、高音が出なくなってしまったのだ。その後は、なんというか、音響器具のヴォリュームを絞ったような感じになってしまい、最後まで歌い終えたものの、見るからに本人も不甲斐ない様子で、カーテンコールでも舞台の端っこに出てきたところで引っ込んでしまった。・・・すると、後半、レクイエムが始まる前にスタッフが出てきて言うことには、「ロランド・ビリャゾンはここ数日、喉の感染と戦ってきましたが、充分回復せず、後半のレクイエム出演はキャンセルせざるを得ません」とのこと。そして急遽代役として出たのが、前日の「マクベス」でマルカムを歌った、サミュエル・サッカーだ。そう、私が、「あなた、ところで誰ですか」と質問できない雰囲気と軽口を叩いた、あの役を歌った歌手だ。オペラハウスでは歌手の急な降板はままあることだが、ツアー中のしかもオーケストラコンサートとなると、なかなかないのではないか。素晴らしい代役に敬意を表して、彼の経歴をここに掲げておこう。それはそれとして、ビリャゾン、少し心配である。
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このレクイエム、パッパーノの鮮烈な音楽作りがよく表れた名演奏であった。概して早めのキビキビしたテンポで、「ディエス・イレエ」とか「レックス・トレメンデ」などの大きな音響の箇所では特に、音を引きずることなく切れ味のある迫力を追求していた。オーケストラも、以前の記事で、「それほど水準が高くない」というようなまたまた失礼なことを書いてしまっているが、今日は前半のアリアの伴奏も含めて、弦楽器を中心に、ニュアンスに富んだ美しい演奏を聴かせてくれた。ただ、冒頭のファゴットは、小さな音を出そうとして弱い音になってしまっていたし、「トゥーバ・ミルム」のトロンボーンも、(まあここは無傷の演奏の方が少ないくらいかもしれないが) ちょっと音を外しており、惜しまれた。とはいえ、独唱陣も含め、熱すべきところは熱し、抑えるべきところは抑えた、よい演奏ではあったと思う。願わくば、連日のオペラ演奏の中で命を失っている舞台上の登場人物たちの魂の安らかならんことを。実はこの演奏、「マクベス」の舞台装置を置いたままで行われたのであるが、通常のコンサートと異なり、舞台の後ろがセットで完全に塞がれたため、それが反響板の役割を果たし、普段のこのホールのデッドな響きよりも格段によく鳴っていた。以前の記事で NHK ホールの音響をなんとかしないといけないと書いたが、このやり方、参考になるのではないか。おーい、NHK の関係者の方、読んでいますかー。

ところで、会場のロビーで面白いものを発見。1979年に英国ロイヤル・オペラが初めて来日公演を行ったときの寄せ書きだ。
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さすがに私もその頃はまだオペラを全然知らなかったのであるが、これを見て一目瞭然なのは、私が大いに尊敬する名指揮者、故コリン・デイヴィスが音楽監督であった時代だということ。最上部中央、"The Royal Opera" のロゴのすぐ下にあるのが彼のサインだ。その頃の彼はこんな年恰好か。
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彼のサイン、まあ、見ればもちろんそれと確認できるが、私には確認以上に懐かしさがある。というのは、昔実際にサインをもらったことがあるからだ。では、その秘蔵のサインをお見せしよう。1984年、バイエルン放送交響楽団との来日時のもの。プログラムを差し出すと、デカデカとサインしてくれるかと思いきや、まるで契約書にサインするように丁寧に小さくペンを動かし、私の目を見てニッコリ笑ってくれたのだ。素晴らしい人格者だった。
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さて、この1979年のサインであるが、ほかに分かるのはヘザー・ハーパーとトーマス・アレン、レオーナ・ミッチェルくらいか。当時のプログラムがその場に展示されているので開いてみると、そのときの演目は、「トスカ」、「魔笛」と、ブリテンの「ピーター・グライムズ」というラインナップ。あ、「トスカ」はなんと、ホセ・カレーラスとモンセラ・カバリエの共演だ (この 2人、体格も年齢もかなり違うようにも思うが 笑)。この 2つのビッグネームは、ここのサインボードには見当たらないように思うが、ふと思い出すと、そうだそうだ、このメンバーの「トスカ」には録音が存在し、私も持っている。帰宅して CD を引っ張り出して調べると、それは 1976年の録音。来日 3年前である。

改めて考えると、この 35年以上前の来日と比べて、今回のロイヤル・オペラの来日公演は、残念ながら規模も華やかさも負けているというしかないだろう。演出への金のかけ方、企業の協賛金、そして歌手の存在感・・・。いずれも昔日のレヴェルから落ちてしまっているのではないだろうか。これはひとりロイヤル・オペラに限ったことではなく、ほかの一流歌劇場も同様だろう。そもそもオペラなんぞという金食い虫が芸術の一分野として残っていること自体に、かなりの無理がある。世界経済の様相が変貌しつつあるとすると、これから 10年後、20年後は、オペラはどのようになって行くのか。不安はいろいろあるが、せめて私は、まず自分にできることとして、懐の続く限りチケットを買って、文化と経済に貢献し続ける (?) 所存である。

by yokohama7474 | 2015-09-20 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)

今回の英国ロイヤル・オペラ・ハウスの引っ越し公演、「ドン・ジョヴァンニ」は既に鑑賞し、今回はヴェルディの「マクベス」だ。
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このオペラ、もちろんシェイクスピアの有名な戯曲を原作としている。先の記事で、ヴェルディ「中期の」傑作と書いたが、調べてみると、彼の書いた全オペラ 32作のうちの第 10作。もし中期の傑作を「リゴレット」とか「椿姫」とするなら、この作品は未だ初期に分類されるべきかもしれない。言うまでもなく、シェイクスピアは演劇の王様であり、ヴェルディも、この「マクベス」以外に「オテロ」「ファルスタッフ」という晩年の名作の原作をシェイクスピアに求めたほか、「リア王」のオペラ化を長らく検討していたという。ヴェルディが「マクベス」の次に書いた「群盗」はシラーの原作だが、普通の人はそんなのシラーんがなという感じであるのに対し、シェイクスピア作品はもともと段違いに知名度が高い。その分、原作とのイメージの乖離は世間から許されないという制約もあるように思う。本作に関してヴェルディは、原作を自らイタリア語の自由な散文に翻訳し、それをもとに、多くの作品でヴェルディに台本を提供したピアーヴェが手を入れた。大変な入れ込みようだ。

そんなわけで、このオペラのストーリーは、原作をほぼ忠実に辿る。しかしながら、当然音楽に乗せるための時間の制約があるので、原作よりも簡略化された箇所がある。なかでも混乱をきたすのは (正直に白状すると私自身が混乱してきたのは)、マクベスの盟友バンクォーの息子が将来の王になるという魔女の予言をマクベスが恐れるなら、最後に彼を倒して王になるのは当然バンクォーの息子だと誰しも思うはず。ところが、バンクォーの息子は幼い少年であるにもかかわらず、最後に凱歌を挙げるのは、立派なオッサンなのである。むむむ・・・と思って原作を引っ張り出してみると、このオッサンはバンクォーの息子ではなく、マクベスが最初に殺した当時の王、ダンカンの息子、マルカムなのだ。原作ではダンカンもマルカムもあれこれ台詞があって、それぞれの人物像についてイメージが沸くようにできているが、オペラではダンカンは一切歌わないし (この演出のように、出演は専ら死体の状態だけで!! という例もある)、マルカムは歌うものの、「おりゃー、マクベスをやっつけるぞー」という威勢のよい歌だけなので、見る側の「あ、あなた、ところで誰ですか」という質問を受け付けない雰囲気なのである (笑)。

まあともあれ、若書きながら随所にユニークな作曲術が生きる、ヴェルディの傑作だ。主役を歌うのはバリトンのサイモン・キーンリーサイド。今回のロイヤル・オペラの来日歌手のうち、テノールのロランド・ビリャソンと彼だけが、いわゆる有名歌手だ。
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後半はさすがの貫録で、特に、第 4幕にあるマクベスの唯一のアリアや、大詰めで死んで行くところのモノローグなど、演劇的にも優れていると思ったが、残念ながら前半、特に小さい声量で歌う部分には少し不安定なものを感じた。1959年生まれ、今年 56歳なので、異国の地に長逗留しての上演は、ちょっときついのかもしれない。

マクベス夫人は、ウクライナ出身のリュドミラ・モナスティルスカ (やっぱり長い名前・・・)。今回のロイヤル・オペラの来日歌手陣を見ていると、ロシア・CIS 出身が多く、それだけ人材豊富なのだろうが、同時に人件費面でも劇場側にメリットがあるのか・・・と余計なことまで考えてしまう。ともかくこんな感じの貫録で、この役には適性があるといえるだろう。
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強い声で表現力は充分だと思ったが、ただ、欲を言えば、4幕の長いアリア (これは 19世紀前半に流行った、女性歌手が狂乱する、いわゆる「狂乱の場」の一種である) など、もっと純粋に声の魅力だけで聴かせて欲しいという気もした。狂乱の場を、私は狂乱していますという感じで歌うのは、映画的リアリズムの弊害ではないだろうか。オペラは形式の芸術。リアリティなど二の次三の次。何より美しい声が聴きたい。

少し演出について語りたい。この演出家、フィリダ・ロイドは、もともと演劇出身の女流演出家で、ミュージカル「マンマ・ミーア!」を演出し (ブロードウェイで見ましたよ)、その映画化でも監督をしている (こちらは飛行機の中で見たけど、半分くらい酔っぱらって寝ていました) ほか、英国内を中心にオペラの演出も手掛けているらしい (イングリッシュ・ナショナル・オペラでワーグナーの「指環」を演出したとあるが、えぇー、あれを全部英語で上演したのか???)。映画監督作品にはもうひとつ、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(見たかったのに、劇場で見逃した!) がある。今回の演出では、先の「ドン・ジョヴァンニ」とも一脈通じるような美術の簡潔さや、閉鎖空間の有効利用などが見受けられ、ここでもまた、コスト効率性が追求されたのでは、と思ってしまった。以下の写真のような枠組みがグルグル回り、ダンカンの死の床にもなり、マクベスの戴冠の場ともなり、最後は彼の死に場所にもなる。何か呵責ない運命的なものを感じる。
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また、英国人には大変残酷な習性があるが、この演出でも、コーダーの領主、スコットランド王、いずれも痛々しい死体が出てきて (どちらも人形だと思うが)、なんとも悪趣味なのだが、そこにも呵責ない力を感じることになる。その一方で、第 3幕の後半では幻の子供たちが現れ、第 4幕冒頭では戦争で荒廃したスコットランドを嘆く人々が出てきて、情緒的な面で観客を動揺させるのだ。なかなかにツボを得た演出だ。

さて、もうひとつの賞賛の的は、今回もパッパーノだ。このオペラ、ヴェルディの若書きなので、粗削りなところがあれこれあり、大変に抒情的な面と、ゴツゴツした響きとの共存がとてもユニークで、きっと演奏は容易ではないに違いない。例えば、大詰めのマルカムの凱歌は、勇ましい歌詞の割には、短調で書かれていて、なんとも荒涼とした感じがする。私が過去にこの作品を見たときには、いつもその感を拭えず、なんとカタルシスのない終わり方かと思ったものだが、今回はまた特にその感が強い。上に掲げたマクベスの戴冠の写真にも写っているが、この演出では、赤い帽子をかぶった魔女がところどころで黒子的に物語を先導するのである (上の場面では、王冠をマクベスに手渡す)。そしてラストシーン、マクベスの死体がこのジャングルジムのような枠組にさらされ、そこに魔女たちがよじ登って終わるのだ。それを見て、「あーなんと爽やか!!」と思う人はいないと思いますねぇ。でもパッパーノの音楽はそれを力で乗り越える。コヴェントガーデンのオケが最大限の力を発揮して、魔女が操る人間の運命に対して、堂々と挑戦状を叩きつけるのだ。安穏と見ているだけでは済まない、実にヴィヴィッドな音楽だ。
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改めて気づくことには、今回のロイヤル・オペラ来日公演の 2演目、「ドン・ジョヴァンニ」と「マクベス」は、両方とも悪漢に関する物語だ。どちらも決して爽やかには終わらない、後味の悪い作品だ。この 2作ばかり続けて演奏し、しかも天気がずっと雨だから、オケのメンバーも相当鬱屈した思いがあるのではないか。・・・おっと、雨に関してはロンドンの人たちは関係ないかな。いやいや、今週降ったような激しい雨はロンドンではほとんどないから、やはり鬱屈はあるだろう。そんな中、明日はオーケストラコンサートでモーツァルトのレクイエムが採り上げられる。楽員たち自身の精神の浄化につながる演奏会を期待。また、私自身に関して言えば、2日後には全く違う「マクベス」を鑑賞する呵責ない運命にある。また記事をアップするので、乞うご期待。

by yokohama7474 | 2015-09-19 01:31 | 音楽 (Live) | Comments(0)

どこかで読んだのだが、日本人ほど自国論が好きな国民はいないそうである。確かにその種の本はいろいろあって、ベストセラーも多く、また自分自身や、自分の周辺を考えてみれば、日本人の発想や社会のシステム、組織の意思決定方法等々につき、欧米やアジア各国との比較において、いろいろな議論をすることが多い。その理由はいろいろ思い当たることもあるが、人によって意見は様々。議論しているうちに、なぜ我々は日本人論を戦わせるのかという方向になることもある。こうなってくると、「日本人論」ではなく「日本人がなぜ日本人論が好きか論」になってしまい、厄介なので深入りしないが (笑)、まあ興味深いことではある。

今回読み終えたのは、「地球日本史」という 3冊シリーズのうちの 2冊目、「鎖国は本当にあったのか」という題名のついたもの。因みに 1冊目は「日本とヨーロッパの同時勃興」と題されており、これは数ヶ月前に読んだ。3冊目の「江戸時代が可能にした明治維新」も購入済だが、読まずに積んだままになっている本の多さに鑑みて、実際に手に取るのは少し先になるであろう。
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大体私はいい加減な人間であって、古本屋で 1冊目を手に取り、面白そうだと思ったので、買ってきてそのままにしており、随分と時間が経ってから、全く別の古本屋で 2冊目が売られているのを知って、「あ、シリーズ物だったのか」と初めて気づいて購入。そうなってくると 3冊目も購入しようと思い、ネットで古本を購入。つまり私の手元で仲良く並んでいる 3兄弟は、生まれも育ちも別々な者同士が、縁あって集まってきたというわけだ。

さて、このシリーズはもともと産経新聞の連載をまとめたもの。ドイツ文学者で評論家の西尾幹二が責任編集となっているが、様々な分野から総勢 30名程度だろうか、専門の執筆者を集めている。この西尾幹二は、一般的には保守の論客と言われていると理解しており、私はこれまで、大部な「国民の歴史」なども、シリーズの「国民の芸術」とともに、その前提で面白く読んだことがあるが、それよりもなによりも、最初に彼の著作を読んだのは、いや、読まされたのは、中学生のとき学校の国語の教材であった「ヨーロッパの個人主義」だ。今でも探せばその本は本棚の奥から多分出て来ると思うが、ヨーロッパのことなど何も知らなかった当時の私にとっては、この簡潔な題名が大変印象的で、漠然としたヨーロッパのイメージ作りの基礎となったように思う。今調べてみると、その著作は 1969年のもの。この「地球日本史」シリーズは 1998年からの刊行であるから、その間に 30年近い時間が経過している。地球日本史というからには、日本の歴史的事象を地球規模で見て、それがいかに同時代の世界において優れたものであったかを、手を変え品を変えて主張しているのが本書である。

著作家にはそれぞれの立場があり、読む側としては本を選ぶ権利があるのであるから、ちゃんとどういう立場の人が発言しているのかを念頭に置いて読むことが肝要であると私は思っている。歴史認識については特にそうで、それは何も日本に限ったことではなく、アメリカでもヨーロッパでもアジアでも同じであろう。書かれていることを真摯に考えることだけでなく、それ以外の可能性も常に念頭に置いておかないと、あらぬ方向に自分自身の考えを導いてしまう恐れがあると、私は思う。また、書かれた時代という要素も大きい。本書は前世紀に書かれたものであるゆえ、世界の秩序とか、新興国の状況、またインターネット社会という観点からは、多少なりとも Out of Date な面があることは否めない。

この本には、各項目の筆者についての短い紹介が載っていて、皆さん立派な学者さんだが、いかんせん、年齢層はびっくりするほど高い。生年は軒並み 1930年代か 1940年代、中には 1920 年代の人すらいる!! (今日現在未だ存命であるか否かは調べておりません) その意味でこの本は、気鋭の若手学者が通説に挑むということではなく、酸いも甘いも知り尽くしたベテラン学者の方々が、ふがいない若手学者に喝を入れるといった風情だ (笑)。

ただ、ひとつひとつの項目を見てみると、素人目にもいささか乱暴な議論が多いと思う。まあ、学術書ではないので、それでもよいのかもしれないが、本当にこれらの主張を通したいなら、きっちりとした学問的議論も必要なのではないだろうか。と言いつつも、本当に面白い議論があれこれ入っていて、興味は尽きない。ごく一部を以下のご紹介する。

・日本は 17-18 世紀、ちょうどヨーロッパが「世界史」の体現者として振る舞い始めたほぼ同時期に、世界的レベルでの先端を行く「有力文明」の一つに達していた。その意味で、奇しくもユーラシア大陸の東の端と西の端が同時に世界を引っ張った。
・ヨーロッパ人はアジアに来て、銀の流通量に驚いた。16世紀の最大の銀の供給源は日本であった。当時世界一の経済大国であったスペインは、植民地で産する金銀の量に依拠しており、そのために略奪を働いた。その点日本は、自国内で産する銀によって、スペインをも凌ぐ世界一の経済大国であった。
・秀吉の朝鮮出兵は、征服欲によるものではなく、拡大する西欧への対抗措置としての東アジア経営を考えてのものであった。
・16世紀後半の日本は、世界最大の鉄砲の生産・使用国になっており、ヨーロッパのどの国にもまさる軍事大国であった。しかるに日本はその後の江戸時代に、鉄砲の制限・縮小に向かって行ってしまった。

まだまだあるが、このあたりでやめておこう。私はこれらのポイントについての検証を行う能力はないので、それらが正しいか否かを論じる立場にはない。ただ、日本人が正しく自分たちの歴史を知って、評価すべきは評価し、批判すべきは批判するという態度は、国際社会の中でしかるべき責任を果たすために必要であるように思う。その観点から、この本に学ぶところは多い。あ、でも、どさくさまぎれに、写楽は北斎であったという説も入っているが、それは鵜呑みにしないようにしよう (笑)。


by yokohama7474 | 2015-09-17 01:42 | 書物 | Comments(4)

英国のロイヤル・オペラ (所在地の名を取ってコヴェント・ガーデンともいう) が、5年ぶり 5度目の来日中である。今回の演目は、この「ドン・ジョヴァンニ」(東京で 3回、兵庫で 1回) と、ヴェルディ中期の傑作「マクベス」(東京で 4回) だ。昨日の「マクベス」による幕開けに続き、今日が「ドン・ジョヴァンニ」の初日。ちょうど昨日の午後、広上 淳一の指揮で N 響の定期演奏会がこの NHK ホールで開かれたので、その終了後に舞台がしつらえられたのであろう。ホールの入り口には、このような装飾が。
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海外オペラの引っ越し公演には莫大な費用がかかり、もちろんチケット代だけで賄えるわけもないので、企業からの寄付金が絶対不可欠なのであるが、日本も好況の片鱗が見えたかと思うと暗雲が立ち込めるという状況が続いているので、なかなかこの規模のオペラハウスの引っ越し公演は、難しくなってきているのではないだろうか。それでも、行ってみると大概満席になっていて、喋っている来場者たちの会話に耳を傾けてみても、なかなかのオペラ通が沢山集っていることが分かる。ヨーロッパでオペラを見る楽しみは、その劇場にいる瞬間だけではなく、その前後にもあるわけで、この巨大な体育館のような NHK ホールで見るオペラの味気無さには毎度毎度、忸怩たる思いを抱くのであるが、まあそれでも、ヨーロッパから中身がやってくること自体は、大いに意味のあることであり、なるべく足を運びたいと思う。

さて、コヴェント・ガーデンでの「ドン・ジョヴァンニ」は、1962年以降、6つのプロダクションが制作されており、私は今回そのうちの 3つめのプロダクションを見ることになる。1992年に現地で見た、ヨハネス・シャーフの演出 (ハイティンク指揮、トーマス・アレン主演。尚、同じ年の日本公演でも同じプロダクションが上演された)。2007年にやはり現地で見た、フランチェスカ・ザンベッロの演出 (パッパーノ指揮、アーウィン・シュロット主演。このウルグアイ出身のバリトン歌手は、あのスーパー・ソプラノ、アンナ・ネトレプコとその後結婚するのだが、私が見た日、ネトレプコはドンナ・アンナ役で出演していたにもかかわらず、第 1幕終了時に降板して代理が歌ったのをよく覚えている。もしかして妊娠していたのか?!)。今回のプロダクションは、昨年初演されたばかりの新しいもの。演出家のカスパー・ホルテンは、1973年コペンハーゲン生まれのデンマーク人で、2000年から2011年までデンマーク王立歌劇場の芸術監督を務めたとのこと。指揮のアントニオ・パッパーノは、2002年からこのオペラハウスの音楽監督を務める名指揮者だ。両親はイタリア人だが英国で生まれている。知らないうちに Sir の称号をもらっていたようだ。今や名実ともに英国を代表するイタリア人指揮者だ (?)。正直言うとこのコヴェントガーデン、格式の高いオペラハウスの中では、オーケストラが必ずしも上質とは言えないのだが、私の経験では、このパッパーノが指揮するときだけは、いい音で鳴るのである。
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今回の主役は、イルデブランド・ダルカンジェロ。日本での知名度は高くないが、この「ドン・ジョヴァンニ」は当たり役のようで、ザルツブルク音楽祭でエッシェンバッハが指揮した演奏の DVD もあれば、ネゼ・セガン指揮のマーラー・チェンバー・オーケストラの CD でも歌っている。確かに今日の演奏でも、歌い込んだ、危なげのない感じは分かったが、さて、何か新たなドン・ジョヴァンニ像に気づかせてくれる次元まで達していたかといえば、ちょっとクエスチョン・マーク。ただ、この容貌なので、この役のイメージには合っているとは言えそうだ。
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ほかの歌手では、ドンナ・アンナのアルビナ・シャギムラトヴァ (ひえー、長くて覚えられないよ。ウズベキスタン出身)、ドンナ・エルヴィラのジョイス・ディドナート (アメリカ出身) はなかなかに表現力があると思ったが、ツェルリーナのユリア・レージネヴァ (ロシア出身) だけは、声は出ているものの、およそ可憐なツェルリーナ的ではなく、何やら情念が感じられる歌いぶりで、私としてはちょっと敬遠させて頂きたい。それから、忘れてはならないのが、ドン・オッターヴィオのロランド・ビリャゾン (メキシコ出身) だ。
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もともと、偉大なる 3大テノールに続く存在として大きく期待を集めた歌手であったが、その彼が、ドン・オッターヴィオという、このオペラで最も存在感の希薄な役柄を歌うとは、実に嘆かわしい!! 小柄ながらドミンゴに似た声質の彼の舞台は、かつて MET やこのコヴェントガーデンで何度も接したものだが、確か声帯にポリープができたとかで療養していた期間があるので、少し芸風が小さくなってしまったのか。今回の舞台では、声は確かにヴィリャゾンの声で、大きな不満もないと言えばないのだが、やはり本来であれば王道を行くべき人。このような役を歌っていると、それに慣れてしまうのではないか。是非、テノールの大役での活躍を期待したい。

さて、今回の演出は、大変に凝ったものであった。舞台には 2階建ての建物が 3棟、密着して建っているが、両端が離れて、真ん中の部分が回転するようにできている。それですべてのシーンを賄うという点では、経済的かもしれない。ユニークなのは、この建物自体がスクリーンのようになり、そこに様々な色や文字 (ドン・ジョヴァンニの女性リストであるらしい)、また模様などが表れ、意表を突く。
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プログラムに記載されている演出家のメモによると、ドン・ジョヴァンニは想像力豊かな人物であるがゆえに、自らの悪行に恐れをなしており、妄想を抱いたり、彼が征服した女性たちを幽霊として幻視したりする。以下のシーンではドン・ジョヴァンニの独白が歌われるが、そのイメージはなかなかに強烈だ。
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この映像は決して音楽を邪魔することはなく、演出としては嫌味なしに見ることができた。もし議論の余地があるとすると、やはり最後のシーンではないか。ここでは騎士長はドン・ジョヴァンニを地獄に引きずり込むことはなく、閉ざされた壁を前にドン・ジョヴァンニはひとり取り残されてうずくまってしまい、そのまま舞台に残っている。そして、ほかの登場人物たちのアンサンブルによる最後の曲は、舞台の真ん中にドン・ジョヴァンニを残したまま、両袖で歌われるのだ。これについて演出家は、ドン・ジョヴァンニのような人間にとって究極の罰は孤独であって、舞台にひとり取り残されたドン・ジョヴァンニを見せる方が、地獄の炎を赤々と示すよりもずっと意味のあることだと語っている。なるほど一理ある解釈だが、いずれにせよ、終曲で周りの人たちが能天気に歌うように音楽ができている以上 (これも世の中では評判悪いのだが)、ちょっと無理があるような気がする。このあたりがオペラ演出の難しいところである。

さて、最後にパッパーノだが、自らフォルテピアノ (チェンバロより一歩ピアノに近づいた楽器) を弾きながらの指揮で、特に早い場面での音楽の煽りが充実していた。オケの編成はコントラバス 2本の小さなものであったが、迫力に不足する場面は特になかった。本当に優美な音が出ていたかといえば、その点は若干不足があったかもしれないが、モーツァルトでもこの作品にはデモーニッシュな雰囲気が必要であるので、その点はまあよいのではないだろうか。

総じて、なかなかに楽しめた公演であった。


by yokohama7474 | 2015-09-14 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)