<   2015年 09月 ( 36 )   > この月の画像一覧

e0345320_23461074.jpg
もしクラシックにあまり興味がない人でも、名前を覚えておいて欲しい指揮者がいる。山田 和樹。1979年生まれなので、今年 36歳ということになる。その活躍ぶりにはまさに目を見張るものがあり、今後ますます活動の幅を広げて行くことが期待されるし、何より、小難しいことを言わず、でも同時に通も唸らせるようなマニアックなことも、その童顔で文字通り涼しい顔でやってのける、そんな逸材だ。覚えておいてきっと損はないと思う。

日本フィルの正指揮者として彼が今回取り組んだのは、別宮 貞雄 (1922 - 2012) の交響曲第 1番。このオーケストラの意義ある活動のひとつとしてよく知られているのが、初代音楽監督であった渡邉 暁雄の提唱によって始まった日本フィル・シリーズである。これは現代音楽作曲家にオーケストラ曲を委嘱するというもので、1958年以降既に 39作に及ぶ新作を委嘱、初演してきた。そして今このオケが取り組んでいるのは、過去の初演作の再演である。現代音楽、特にオーケストラ曲は、初演に漕ぎ着けるだけでも大変であるのに、再演されるという機会はほとんどないのが実情である。集客の点でリスクを抱えながらも、そのような意義深い活動を地道に行っているこのオケの姿勢は、高く評価されるべきであると思う。委嘱作の再演はこれが 9作目である由。

今回のプログラムは実に凝っている。メインの別宮 貞雄の作品に至るまで、まず、作曲者が学んだフランスのダリウス・ミヨーの代表作のひとつ、バレエ音楽「世界の創造」作品 81 を置き、そこで登場する 23歳の若きサックス奏者、上野 耕平にソロを受け持ってもらうべく、イベールのアルト・サクソフォンと 11の楽器のための室内小協奏曲を加え、そして、別宮が終生尊敬したベートーヴェンの交響曲第 1番ハ長調作品21を持ってきたというもの。

私は特に熱心な別宮のファンではないが、その交響曲の CD は Fontec レーベルのものを何枚か持っていて、今回も、交響曲第 1番は手元にあるだろうと思って調べたところ、3番、4番、5番の 3曲だ。おっとー、1番はないか。と思ってあとでよくよく考えたら、NAXOS の日本の作曲家シリーズで持っていましたよ。交響曲 1番と 2番。これで、この作曲家の交響曲はすべて手元で聴けるということになる。
e0345320_00064491.jpg
別宮は、東大の理学部物理学科を卒業後、同じ大学の文学部美学科を再度卒業したという異色の学歴を持つ。パリ音楽院でダリウス・ミヨーやオリヴィエ・メシアンに学ぶ。これは貴重な、師ミヨーとのツー・ショット。
e0345320_00023001.jpg
詳細は省略するが、私はミヨーの音楽が大好きで、特に今日演奏される「世界の創造」は、学生時代に毎日のように聴いていた頃がある、思い出の曲だ。こういう機会に実演で聴くことができて、本当に嬉しい。また、イベールの洒脱味も独特のもので、若い上野のソロで活きのいい演奏を聴くと、なんともワクワクして来るのである。

メインの別宮の交響曲は、非常な熱演であった。作風は、最初の楽章はショーソンの交響曲風かと思ったが、抒情的に歌うところもあった。「なげき」と題された第 3楽章は、なかなかあなどれない深さと厳しさを持つ曲であったし、終楽章は、(山田がプレトークで語った通り) ショスタコーヴィチ風だ。山田は、常にめりはりをはっきりさせた明確な音楽を紡いで行く。過去の作品を継承する責任感と同時に、音楽を奏でる歓びにあふれる演奏であった。
e0345320_00172713.jpg
さて、この日の真の驚きは、ベートーヴェンである。21世紀のベートーヴェンは、小編成でキビキビと演奏されるのが通例。もし大規模オケで思い入れたっぷりにテンポを揺らそうものなら、指揮者の知性が疑われるような時代である。それを山田は、コントラバス 8本、管楽器は通常の倍の大編成でやってのけたのだ。実際、今までの人生で私自身、この曲をこれまでに何百回聴いてきたか分からないが、こんなに個性的な演奏にはついぞお目にかかったことはない。第 1楽章では、提示部を反復しつつも、ベートーヴェン特有の畳み掛ける音型を強調し、管の絡み合いと弦の推進力が絶妙。第 2楽章では、なんとなんと、冒頭の第 2ヴァイオリンがソロで始まって、その後ヴィオラ、チェロもソロとなり、木管との掛け合いの後、第 1ヴァイオリンが入るところで初めて合奏になっていた。そのような版の楽譜があるのであろうか。はたまた、音楽の展開を効果的にするための独自の変更か。いずれにせよ、これまで聴いたことがない!! (終演後に第 2ヴァイオリンの首席奏者を立たせていた) 第 3楽章は比較的スムーズであったが、やはり弦と管の掛け合いが顕著。そして、とどめの驚愕は第 4楽章だ。冒頭の和音が延々と延ばされ、まるで第九の "vor Gooooooot!!" のフェルマータかと思った (笑)。それから主部に入って音楽が走り続けるまで、音が止まってしまうくらいテンポを落とすのだ。言ってみれば昔の指揮者の芝居がかった音楽のようでもあるが、でもそこには不必要な音の粘りはなく、どんなにいじっても不潔な感じがしないのだ。これぞ指揮者の能力の見せどころ。山田の手腕はまさに天才的だ!!

この人、現在 3年がかりで進行中のマーラー・シリーズでもそうなのであるが、演奏前にプレ・トークをすることが多い。今回は珍しい作品が多いこともあり、ひとりで舞台に出てきて、20分くらい楽しそうに喋ってくれた (ステージマネージャーが舞台まで巻きを入れに来たくらい 笑)。このベートーヴェンについては、嬉しそうに、「大きい編成でやります」と言っていた。なんでも、4番のシンフォニーのベートーヴェンによる演奏のパート譜が残っていて、場面によって大編成で演奏したことがそれによって分かるという。確かに、同時代の楽器の性能の限界をもどかしく思っていたであろうベートーヴェンが、現代の進化したオケの大音響を聴くと、手を打って喜ぶかもしれない。原典ばやりの昨今、自分がよいと信じる方法で音楽を奏でることができるこの指揮者、本当に素晴らしいと思う。

プレ・トーク終了時に慌ててカメラを向けたが、去り際のこんな写真しか撮れなかった。まあでも、このプログラムを生で聴くことができた記念として、ご覧の皆様ともシェアさせて頂きます。山田 和樹、是非名前を覚えて頂きたい。
e0345320_00371489.jpg

by yokohama7474 | 2015-09-06 00:38 | 音楽 (Live) | Comments(0)

e0345320_22195447.jpg
日本でエジプトの展覧会を開くと、魔法のように人が集まるという。確かに、物心ついて、中学生のときに東京国立博物館で見た大エジプト展は、大変な混雑ぶりと、金色の分厚いハードカバーの図録だけ覚えていて、中身はさっぱり覚えておりません (笑)。その後も何度かその種の展覧会に足を運んだが、古代エジプトの神髄が、あの巨大建築にある以上、所詮は外国に持って来られるだけの内容で、血沸き肉躍るという内容にはなかなかなりようがなく、それならば大英博物館のエジプトコーナーをふらついた方がましかもしれない。

大変残念ながら、50 にもなって、未だエジプトに行ったことがない。いや、正確には、カイロに出張で訪れたことは 1度だけあって、午前 2時頃に到着し、同じ日の午前 11時頃には面談を済ませて同地を離れるという強行スケジュールであったため、文字通り空港とホテルの往復だけだった。覚えているのは、せっかく両替したエジプト・ポンドを空港の免税店で使おうと思ったら、「ここではそんなマイナーな通貨は使えない」と断られたことだ。おいおい、空港が国際的な企業の経営になるのは分かるけど、現地通貨くらい使わせて下さいよ・・・(笑)。

古代にあれだけの文明を築いたエジプトも、ここ長らく政治的には安定せず、一時期までは本当に観光客の安全も確保されにくい状況だったはず。最近はどうなのだろうか。スフィンクスが世界 3大ガッカリのひとつだとしても、やはり実際に見てからガッカリしたいものだ。
e0345320_23333126.jpg
無駄口はそのくらいにして、この展覧会についての記述に入ろう。題名が示す通り、クレオパトラをはじめとする古代エジプトの王妃または女王にスポットを当てた、若干毛色の変わった展覧会である。NHK BS で特集番組を組んでいたこともあってか、場内はかなりの混雑であった。古代エジプト学は最近でも進歩を続けているようで、最新の発見が様々なことを明らかにしているらしい。また、日本の調査団もかなり活躍している模様だ。この展覧会のひとつの主眼は、ほかの古代文明と異なりエジプトでは、王妃や女王がかなりの権限を持っていたことを示すことにある。

新王国時代、第 18王朝のハトシェプスト女王 (在位 B.C.1479頃 - B.C.1458頃) は、実際にファラオとして君臨した。父はトトメス 1世、夫はトトメス 2世。義理の息子トトメス 3世を差し置いて王座につき、その後トトメス 3世に追いやられたと見られている。注意を引くのは、彼女が男装していたということだ。今回の展覧会には来ていないが、こんな、体を褐色に塗ってひげをはやした彫像が残っている。
e0345320_22505736.jpg
また、この有名なハトシェプスト葬祭殿を築いたことでも知られる。あ、同様に今回の展覧会には来ていません (当たり前だって 笑)。
e0345320_22531078.jpg
また、ティイという王妃がいる。彼女はあのツタンカーメンの祖母にあたり、アメンホテプ 3世 (在位 B.C.1386年? - 1349年?) の妃だ。息子のアメンポテプ 4世が宗教改革を起こし、太陽神アテンを崇める世界初の一神教を信奉し、それまでのテーベからアマルナに首都を遷都した。つまりこのティイの生きた時代は、大きな動きが起こっていたわけである。興味深いのは、このミイラの DNA 鑑定で、息子アメンホテプ 4世及び、孫であるツタンカーメンとの比較の結果、ティイに間違いないという結果が最近出ているとのこと。髪もあれば、未だに 3,500年前の表情が残っている点、実に驚異的だ。あ、すみません。このミイラも、展覧会には出品されていません。私が謝ることではないのだが。
e0345320_23003434.jpg
そして最後はクレオパトラだ。パスカルの「パンセ」で、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていた」と書かれているのは有名な話。だが、今回出展されているこの彫刻はどうだ。鼻の先が欠けているではないか!! これなら、世界の歴史を変える心配はないから、安心して見ていられる (笑)。どうせ適当にクレオパトラと称されているだけと思った方。心しなさい。制作年代はクレオパトラの治世と見られており、所蔵しているのはあのヴァチカン美術館なのですぞ。その信憑性を疑うとは、恐れ多い。
e0345320_23084853.jpg
NHK の番組によると、最近の研究、例えば同時代のコインの肖像などからクレオパトラが絶世の美女であったとは限らないという説が有力になっているらしい。彼女がローマの有力者を次々虜にしたのは、美貌よりもむしろ、その知性や語学力、またコミュニケーション能力によるものであったと考えられているとのこと。まあそれはきっとそうなのでしょうが、一応古代のロマンというものもありますからね。真実が分かるのが必ずしもよいとは限らないという考えも、一部はあってもよいのでは、と思ってしまう。尚、クレオパトラの君臨したアレクサンドリアの宮殿は、大昔の地震で海の底に沈んでしまったらしく、最近盛んに発掘されているし、数年間にパシフィコ横浜で、「海のエジプト展」という展覧会もあった。一応足を運んだが、ありえないくらいの大混雑で、最初から最後までイライラし通しであったことしか覚えていない。このような映像には心躍るものを感じるのだが。あ、これも今回の出品作ではありません。
e0345320_23171246.jpg
ところでお気づきになっただろうか。この記事、肝心の展覧会に飾られている作品をほとんど紹介していない。というのも、残念ながらワクワクドキドキできる展示品が、あまり多くないからだ。もちろん、ひとつひとつの展示品の中には、じっくり見れば興味尽きないものもいろいろある。だが、歴史のダイナミズムを感じるには、やはり現地の雰囲気を知りたいし、まさにこれはすごいというレヴェルのものをもっともっと見たいと思う。それってないものねだりなのだろうか・・・。

ところで、上野で美術館めぐりをするときに困るのは、昼食の場所なのである。各美術館にそれなりに食事できるところはあるものの、昼時は混雑して大変なのだ。そういう人に朗報だ。東京国立博物館の敷地内に、このような屋台 (?) 発見。そんなに混んでいないし、たこ焼きは結構いけましたぞ。これで上野の美術館めぐりも怖くない!!
e0345320_23285993.jpg


by yokohama7474 | 2015-09-05 23:31 | 美術・旅行 | Comments(0)

e0345320_09144213.jpg
二科会は昨年設立 100年を迎え、それを記念したこの展覧会が、東京、大阪、久留米で開催されることとなった。二科会の主催する二科展は、現在でも日展と並んで一般にも名前の知られた公募美術展であり、よく芸能人の作品が入選したとかで話題になっている。私自身は、何展がどうのということはあまり興味がなく、古い作品であれ新しい作品であれ、自分が面白いか否かという点でしか見ないのでお気楽なものだが、人のいるところ流派があり派閥があり対立があるわけで、政治家はもとより、医者だろうが弁護士だろうが学者だろうが、はたまた芸術家であっても多かれ少なかれ、少なくとも日本ではそのような集団との関わり方が常に問題になるということになっているようだ。

ともあれ、上のポスターに名前が並んでいるような画家たちは、二科会の会員であったか否かは (よしんば会長であったとしても)、今となってはあまり重要なことではなく、その作品を坦懐に見ることだけが唯一のアプローチの方法と言うしかないだろう。少なくともここで言えることは、まさにポスターの謳い文句は誇張でもなんでもなく、伝説的な画家たちの名前がズラリと並んでいて、少なくとも日本の洋画史を辿る上では、二科会について知識があろうがなかろうが、なんとも楽しい展覧会だ。過去 100年の出品作から、96人、132作品が展示されている。ざっと数えてみたところ、96人のうち、私の知っている名前はせいぜい 40人ほどであろうか。その意味では、新たな画家との出会いの場にもなったと言える。

以前、岸田 劉生 (本展でも彫刻を含めて 3作が出品されている) のでろり論について、日本画側からその類似性を考えたが、日本の初期の洋画には、どうしてもその、でろり感がついて回るように思う。今回も会場を歩きながらそのようなことを思っていたが、ふと目に飛び込んで来た作品の色彩の軽やかさにハッとしたのだ。
e0345320_09451672.jpg
これは、カジミエシュ・ジェレニェフスキというポーランド人画家 (1888 - 1931) の、「春」という作品。1920年の作で、東京藝術大学の所蔵となっている。実は二科展には早くから外国人の出品も時折あり、ピカソやマティスという大家の作品も出品された例がある。もっともそれらは、これら大家と知遇を得た二科会の会員が依頼して作品を送ってもらったという経緯によるものであり、彼らがわざわざ日本にやってきて出品したわけではない。それに引き替え、このジェレニェフスキは、1918年に来日し、有島 生馬、石井 柏亭らの勧誘により、1924年に二科会の会友に、1931年には会員となっている。もっとも、会員になった年は、彼が死去 (ナポリでの客死) した年なので、たまたま会員になった後に死去したのか、死去したから会員にされたのか、判然としない。ともあれ、今となっては無名なこの画家の持っている色彩の自然な明るさは、やはり日本の空気の中ではなかなか生まれて来ないものだと思うが、いかがだろうか。

ところが、実は日本の画家にも、ヨーロッパ人に負けない明るい色彩の持ち主がいた!! 坂本 繁二郎 (1882 - 1969) だ。本展では 4点が出展されている。有名な馬の絵も 1点あるが、ここでは牛の絵 (「海岸の牛」1914年 --- 100年以上前だ!) と、女性の肖像画 (「帽子を持てる女」1923年) を紹介しよう。ところでこの画家、作品の繊細さと、同郷同年生まれで名前の漢字も一文字共通している、青木 繁からの連想で、なんとなく早死にしたのかと思ってしまうが、85歳の天寿を全うしている。晩年の作品はよく知らないが、少なくともこれら若い頃の作品を見る限り、日本人離れした (嫌いな言葉だ・・・どの民族が描いたかなど関係なく、絵画として優れているという意味で、この言葉を使おう) 才能であると思う。
e0345320_11321213.jpg
e0345320_11330038.jpg
日本人離れという意味では、佐伯 祐三 (1898 - 1928、よく知られているようにパリで客死) などもやはりそのように評価できるだろう。また、長谷川 利行 (1891 - 1940、最後は三河島の路上でのたれ死に) の感性も、アカデミズムとは無縁の生命力を持つ。このような画家たちも出展した二科会という公募展の広がりを実感することができる。以下、佐伯の「新聞屋」(1927) と、長谷川の「酒売り場」(同じく 1927)。
e0345320_11432372.jpg
e0345320_11433407.jpg
また、画家の広がりという点で、これまた意外な 2人を紹介しておこう。このブログによくコメントをくれる旧友、杜の都さんに敬意を表して、藤田 嗣治の異色作、「町芸人」(1932、平野政吉美術財団蔵・・・戦争画に取り組む以前に既に繊細さをかなぐり捨てた作風に、一般的に流布した藤田のイメージとは異なるものを読み取ろう) と、杜の都さんがコメントで触れていた、松本 竣介の「画家の像」(1941、宮城県立美術館像・・・名古屋で見た「立てる像」と似ている面もありながら、色使いが違い、またこちらは家族と一緒である点に何か意味がありそうだ)。
e0345320_11535766.jpg
e0345320_11543873.jpg
また、今回初めて知った画家もいろいろあったが、1点選ぶならこれだ。吉井 淳二 (1904 - 2004) の「舟をつくる」(1968)。鹿児島の画家で、この作品も名門ラ・サール学園の所蔵である。1989年に文化勲章を受けているので、今まで知らなかった私が無知なのだろう。この作品、あたかも天平彫刻のような確信に満ちたモデリングで、誇張することなく生命の力を巧まずして表現していて、素晴らしい。
e0345320_11581128.jpg
さて、最後にやはり、「お、こんなところで」と思わせてくれた、大御所の絵に触れておこう。ほかならぬ安井 曾太郎 (1888 - 1955) だ。「玉蟲先生像」(1934)。英文学者、玉蟲 一郎一 (たまむし いちろういち・・・なんという個性的な名前!!) の肖像である。なんだかほっとしますね。大御所が安泰でいて初めて、若手が暴れる素地ができるのだと、改めて思った次第。
e0345320_12032950.jpg

by yokohama7474 | 2015-09-05 12:03 | 美術・旅行 | Comments(4)

e0345320_23361417.jpg
酷暑の季節から一変して、鬱陶しい雨が続いて肌寒いかと思うと、気まぐれのように日差しが少し戻り、そしてまた雨へと移る最近の気候には、本当に気が滅入る。まあ既に 9月なので、炎暑の夏は過ぎているわけだが、何やらひんやりする怪談噺やホラー映画等、もう少し楽しみたかったような気がする。そんなわけで、この展覧会には早く出かけないといかんと思いつつ、ぎりぎり 8月の終わりの肌寒い日 (笑) に行くことになったので、ちょっと残念なことになってしまったが、やむなしとしよう。

題名で明らかな通り、これは幽霊画の展覧会である。既に多くの方がご存じであろう、初代三遊亭圓朝 (1839 - 1900) が収集した幽霊画コレクションが東京・谷中の全生庵というお寺に所蔵されていて、これはその圓朝コレクションを中心とした展覧会である。もともとは 2011年の夏に開催予定であったところ、東日本大震災の発生によって延期となり、ようやく今年開催の運びとなったものだという。さしもの幽霊たちも、現実に起こった悲惨な大規模天災の前に、出番を差し控える必要があったわけである。幽霊が人を怖がらせるには、人間の側にもある一定の平安がないといけないのだろう。

さて、初代三遊亭圓朝は、幕末から明治にかけて活躍した落語家であるが、ちょうど彼の活躍した時代は、社会の急激な変化の中で、人々の価値観も大きな変化を余儀なくされた頃。言文一致運動で知られる二葉亭四迷が「浮草」を書く際に、圓朝の落語を参照にしたというから、まさに現代の日本語の基礎を作った人ということになる。もっとも、その圓朝が昨今の若者の日本語を聞いても、同じ言葉とは分からないかもしれないが (笑)。これは、鏑木 清方描くところの圓朝像 (国立近代美術館所蔵)。重要文化財指定で、今回の展覧会の図録に載っているが、私が行ったときには展示されていなかった。明治のプロフェッショナルの頑固さと品格をうまく表現した素晴らしい作品ではないか。今回の展覧会には、圓朝愛用の湯呑やパイプ、湯タンポ等も展示されており、かつて生きた名人の息吹を感じることができて興味深い。
e0345320_00010081.jpg
圓朝は人情噺と怪談噺を得意にしており、この幽霊画コレクションは、後者の百物語に因んで百幅の幽霊画を収集し始めたものとかつては言われていたらしい。ところが、実際にコレクションとして残っている 50作品の中には、圓朝の死後加えられたものもあることが近年になって分かってきたとのこと。私が行ったこの日には、確か 24作品が展示されていた。幽霊画と言えば、足のない白装束のイメージがあり、それを最初に描いたのが円山 応挙であるというのが定説である。このパターンの絵が、圓朝コレクションにもある。
e0345320_00450428.jpg
私には応挙はどうも、優等生的な作品が多いイメージがあり、あまり好きな方ではないのだが (弟子の蘆雪の方が好みだ)、正直、幽霊画においても、これはあまりインパクトのある方ではない。圓朝コレクションには、本当に怖い絵が幾つかある。例えばこれなどどうだろう。伊藤 晴雨の「怪談乳房榎図」。凄まじい怨念が張りつめている。伊藤 晴雨は、いわゆる「責め絵」で知られる (いや、一般の人は知らないだろうが 笑) 画家で、随分以前に芸術新潮で特集していたのを興味深く読んだものだ。凄惨なのだが、どこかに人間味があるように思われる。分からない人もおいでかもしれないが・・・。
e0345320_00483776.jpg
あるいは、圓朝関連の本の表紙になっている、この「夫婦幽霊図」はどうだ。作者不詳だそうだが、お願いだからそんな目で見ないでよと言いたくなる怨念が描かれている。
e0345320_00544225.jpg
この展覧会では、この圓朝コレクションだけではなく、浮世絵に描かれた幽霊や、その他の幽霊画 (これには、落合芳幾や河鍋暁斎や月岡芳年のこわーい作品も含まれる) がまだまだ展示されており、見ているうちに段々寒ーくなってくる (クソっ、炎暑だったらなぁ・・・)。暁斎の幽霊画二点。おーこわ。センス抜群ですな。
e0345320_01100554.jpg
e0345320_01102103.jpg
そんな中、珍しい展示物がある。これだ。
e0345320_01022678.jpg
このグロテスクな面は、落語家二代目 柳亭 左龍 (1859 - 1914) が「四谷怪談」上演時に実際に使用したものである由。この落語家はよほどお客を驚かす名人であったのか、恐ろしい場面で、この仮面をかぶった弟子を客席に出したらしい。これはビックリでしょう。高座の語り口にビクビクしていると、突然こんな顔のお化けが客席を徘徊すると、それは怖かったはず。客席からのヒーヒーいう悲鳴が聞こえるようだ。よく見るとあまり精巧にできていないのも、返って味わい深い。これらはいわば舞台の小道具で、使い捨てに近いものなので、よくぞまあ現在まで残ったものだ。早稲田演劇博物館の所蔵。

さて、美術館を出ようとすると、この圓朝ゆかりの寺、全生庵で幽霊画展が開かれているとの案内が。ここ芸大から谷中は目と鼻の先。随分以前に一度行ったことはあるが、久しぶりに行ってみるとするか。炎暑ではないことを残念だなどと言っていたものの、今となってはこの薄曇りが幸いして、歩いても行けるではないか。これぞ超自然の存在のお導きというものか。

さて全生庵に着いてみると、お、やってるやってる。幽霊画展。
e0345320_01154474.jpg
e0345320_01161682.jpg
中に入って数えてみると、そこには 26点が。ということは、先に見た 24点と併せて、全 50点を鑑賞したこととなる。まあ縁起物ですからね、よかったよかった。邪悪な霊の絵を見ることが、逆に邪悪なものを祓ってくれるのではないか、と勝手な納得をし、全 50点を収めた画集を購入。今後落ち込んだらそれでも見て気勢を上げることにしよう。

本堂の裏には墓地が広がり、巨大な観音像が立っている。8月のギラギラした日差しが・・・映っていませんが、まあ、雨が降っているわけではなく、過ごしやすい天気ではありました。
e0345320_01194368.jpg
これが圓朝の墓。さほど大きくないが、先の肖像画を思わせる、きっちりした佇まいだ。
e0345320_01203395.jpg
そしてこの寺にはもうひとつ、偉人の墓所がある。幕末の三舟のひとり、山岡 鉄舟だ。と言いながら何をした人やら、恥ずかしながらあまり知らないので調べてみると、幕臣で、江戸無血開城の前に、駿府で西郷 隆盛と単独会見するなどの貢献があったらしい。維新後は静岡県や茨城県で要職にあり (前者においては清水 次郎長と懇意だったらしい)、また、明治天皇に侍従として仕えたとのこと。実はこの全生庵は、維新に殉じた人たちの菩提を弔うため、この鉄舟が建立したものである由。なるほど、寺にとっては開祖に当たるわけだ。通りでこのような立派な墓が残っているわけだ。
e0345320_01293318.jpg
幕末・明治の動乱で人心は疲弊したであろうが、近代に至って時が経つにつれ、都会は賑やかになって闇が減り、日常生活においても合理的な考え方が発展して行っただろう。その一方で、科学や近代文明では説明できない不思議な現象への興味や畏れが根強くあったことから、怪談噺や幽霊画が人気を博したものであろうか。それは、人間の営みがかたちを変えながらも、実は心理的要因には不変のものがあったということであろう。墓の下の圓朝は、自分のコレクションの幽霊画を見て怖がっている現代の人々に、「もっと怖がれ。それが人間であることの証だぞ」と諭しているのかもしれない。


by yokohama7474 | 2015-09-05 01:36 | 美術・旅行 | Comments(0)

上野公園。誰もが知る東京の名所だ。西郷さん、上野動物園・・・ええっと、それから???? 東京に住んでいる人でも、この場所の特殊性や見るべき場所を充分に知っている人はあまりいないと思う。先日、このエリアにある美術館を 3軒回ったので、追って記事をアップするが、その前にまず、上野公園について少し書いてみたい。その価値がある場所だからだ。

江戸幕府は風水を重んじて首都である江戸を設計した。その発想に基づくと、東北 (艮 = 丑寅 = うしとら) は鬼門の方角で、不吉であるため、何らかの守り神を置く必要があった。それゆえ、三代将軍家光の時代 (寛永年間) に、江戸城の鬼門の方角にあたるこの場所に、東叡山 寛永寺が設立された。寛永寺の江戸における格式は、増上寺と並んで極めて高く、その境内が現在の上野公園である。東叡山とは、東の比叡山ということ。比叡山は、言わずとしれた、伝教大師最澄が開いた天台宗の総本山で、寛永寺も天台宗なのである。なぜ天台宗なのか。それは、この寺を開いた僧、いや、江戸幕府の基礎を築くのに大きな貢献のあった僧、天海僧正が天台宗の僧侶であったからだ。
e0345320_22240343.jpg
この天海、1643年に 107歳で没したと言われているが、実際のところはその前半生は謎に包まれているらしい。それゆえ、ご存じの方も多いと思うが、あの本能寺の変で謀反により織田 信長を滅ぼした明智 光秀と同一人物であるという説も、かなり流布している。その前提は、本能寺の変の黒幕が家康であったということだ。それについてはいろいろ本も出ているし、ネットでも情報がいろいろあるので、ここでは省略する。ひとつ注意しなければならないのは、「天海」で検索すると、天海祐希が出て来てしまうことだ (笑)。

ともあれ、謎の僧、天海が開いた寛永寺は、幕末の動乱で焼失する。よく知られている通り、幕府側の彰義隊がここに立てこもり、明治新政府軍に壊滅させられた、いわゆる上野戦争だ。この戦争で討ち死にした彰義隊の若者たちは、政府に楯突いた逆賊であって、その死骸も長らく放置されていたという。今ではそのようなことを想像することも難しいが、上野の山の桜は、その死骸から養分を吸収して大きく育ったというふうに言われることもある。真偽のほどは定かではないものの、桜の花と死のイメージは日本人の感覚の中で不可分であるとも言える。梶井基次郎の「桜の樹の下には」が、その美学を端的に表している。

寛永寺境内が公園となったのは、上野戦争のわずか 5年後、1873年のこと。その後皇室の管理となり、1924年に東京市に払い下げられたため、正式名称は「上野恩賜公園」なのである。このような歴史を反映して、公園内には様々な歴史的建造物や遺跡が点在している。ただ、桜をはじめとして木々の緑が深く、見通しの悪いところが多いので、なかなかその全容がつかみにくいためだろう、そのような歴史的建造物が、その価値に比して、それほど知られていないのが残念だ。まず、是非お奨めしたいのが、上野東照宮だ。
e0345320_22570005.jpg
東照宮と言えば日光が有名だが、要するに家康を祀る神社はこの名前を持っているわけで、全国にはいろいろな東照宮がある。ここ上野東照宮に重要文化財の本殿があるのをご存じだろうか。恥ずかしながら、文化財マニアの私も数年前まで知らなかったので、あるとき行ってみたところ、修復中で見ることができなかった。最近修復が完了したと聞いていたため、今回、改めて行ってみることに。参道には全国の大名から寄進された大きな石灯篭がずらりと並んで壮観だ。
e0345320_23001417.jpg
ふと右を見上げると、これも重要文化財に指定されている五重塔が見える。今は上野動物園の域内に立っている。
e0345320_23010657.jpg
さて、いよいよ本殿に到着すると、なんともきらきらしい、素晴らしい建物ではないか!! 拝観料 500円を払って間近まで近づいてみる。内部は非公開であるものの、綺麗に修復された非常にカラフルな建物であり、彫刻もなかなかに凝っていて、しばし立ち去り難い印象を覚える。都心にこれだけの素晴らしい建物があることを、多くの人に知らしめたいものだ。
e0345320_23032540.jpg
e0345320_23035814.jpg
e0345320_23041607.jpg
e0345320_23043202.jpg
e0345320_23045633.jpg
もうひとつの重要文化財は清水観音堂だ。広重が浮世絵で描いた「月の松」が最近復元され、なかなかに見事な景色だ。
e0345320_23104065.jpg
e0345320_23105588.jpg
それから、見逃してはならないのは、上野大仏だ。17世紀半ばに作られたが、度重なる災害によって、今や顔面のみとなってしまった。「これ以上落ちようがない」ということで、受験生が合格祈願に訪れるという。私も最初見たときには、ちょっと不気味な感じもしたが、今ではなんとも愛おしい思いを抱くようになった。現地には往年の全身のお姿の写真も展示されていて、何か心温まるものがある。
e0345320_23150225.jpg
e0345320_23152549.jpg
さて、それ以外にもこまめに探せば面白い場所はいくつもあるが、是非ご紹介しておきたいのが、天海の遺髪を収めた石造の塔である。上野の森美術館の正面あたりにある。天海の波乱万丈の生涯を考えると、深い緑に囲まれたこの場所に、その霊力が未だに残っているような気がする。
e0345320_23254224.jpg
さて、美術館回りの前に、今年の 1月 2日にオープンしたばかりの、美術好きなら見逃せない場所をご紹介しよう。東京国立博物館の一部となっている (但し敷地は外で、東京芸大の方角に進んだ右側にある)、黒田記念館だ。この黒田とは、残念ながら (?) 黒田長政でも黒田官兵衛でもなく、明治を代表する洋画家で、「湖畔」や「読書」で知られる黒田清輝 (1866 - 1924) だ。この黒田記念館は、画家の遺言に基づき、美術の奨励事業に役立てるべく、1928年に建てられたもの。その組織は東京文化財研究所となり、近隣に移転したが、このレトロな黒田記念館は、岡田信一郎の設計になる貴重な建物として保存され、改修工事を経て、現在では黒田清輝の作品を展示している。この建築家、7月26日の記事でご紹介した通り、大阪、中之島の中央公会堂の基本的な設計をした人だ。調べてみると、既に取り壊された大阪高島屋や旧歌舞伎座、また、鳩山会館や、極め付けは重要文化財の明治生命ビルの設計者なのである。
e0345320_23404978.jpg
階段もこんなレトロな感じ。
e0345320_23425453.jpg
黒田清輝記念室は 2階にある。入口には、高村光太郎の手になる黒田の胸像があり、入ってみると、彼の作品と並んで、画家が使用したイーゼルなどが展示されている。
e0345320_23461205.jpg
e0345320_23470422.jpg
展示されている作品はさほど多くないが、驚くほど美しい作品に出会うことができる。上の写真でも奥に見えている、「赤髪の少女」(1892) の存在感はどうだ!! 全く惚れ惚れとしてしまうほど美しい。西洋絵画でも、女性の後ろ姿を描いた作品は多いとは思えず、海外に門戸を開いた明治の日本の洋画家として西洋文明を貪欲に吸収するだけでなく、自らの個性を確立しようという姿勢が見える。原点は常に偉大なのだということを、改めて実感した。
e0345320_23494425.jpg
さて、黒田について調べてみると、なんと、福岡藩主黒田家の遠縁に当たるとのこと。なので、思い付きでその名を書いた長政や官兵衛の子孫筋にあたるわけで、しかも、貴族院議員にもなった立派な人らしい。大変お見それしました。画家というと、その多くは貧乏でハングリー精神に富み、激しい芸術活動の末にのたれ死ぬようなイメージがあるが、日本における西洋美術のごく初期にこれだけのレヴェルを達成した人が、そのような精神的なゆとりの中で生きていたと知って、その人生の充実ぶりを想像した。57歳で死去しているので、より長生きすれば、さらに新たな世界を創り出したのかもしれないが、それは言っても詮無いこと。せめて、このような新しく生まれ変わった施設で過去の芸術を堪能できることを喜ぼう。

by yokohama7474 | 2015-09-03 00:03 | 美術・旅行 | Comments(0)

e0345320_21515762.jpg
いろんな映画を楽しみたいといつも思っているのであるが、時折、「IMAX 3Dで見たいなぁ」という思いに無条件で駆られることがある。それはいわば、「ああ、たこ焼き食いてぇなぁ」とか、「思いっきり生ビールをゴクゴク飲みてぇなぁ」という欲求 (おー、なんとささやかな!!) と似たものがある。言ってみればそれは、21世紀の先進国に生きる人間としては、当然許されてしかるべき範囲の娯楽と言えよう。

まあ、理屈はどうでもよいのだが、ある週末、矢も楯もたまらず IMAX 3D が見たくなり、躊躇なく選んだのがこの作品であった。ジュラシック・パークシリーズはこれまでの 3作品をいずれも見ているが、やはり最初の作品が忘れがたい。DNA から恐竜を再生するという、現実的可能性は別としても、少なくとももっともらしい設定がシンプルでよかったし、2作目も含めて、スピルバーグ自身が監督すると、単に恐竜が動いているシーンでも、何かが違うと思ったものだ。まあこれはひいきの引き倒しかもしれないが。

今回の作品では、設定はこれまでのものを引き継ぎ、以前事故のあったジュラシック・パークは廃園となっているものの、同じ場所にこのジュラシック・ワールドができていて、新たな経営者のもと、合理的経営と新奇なもので観客を喜ばせる方針で成功しているというもの。ところが、観客を怖がらせる凶暴な恐竜を作り出すために複数の生物の DNA をかけあわせたハイブリッドな生き物が、その知性を駆使して大暴れするというストーリー。至って単純である。全世界で記録的な大ヒットとなっている。まさに、IMAX 3D での「究極の映画体験」にふさわしい!!

・・・と多くの人は言うのだろうか。正直私は、この映画にそれほど驚かなかったし、要約してしまうと、「スピルバーグ以外の監督では見たくないなぁ」という感想を持ったのだ。そもそも、ストーリーを大して気にしない私が、この映画のストーリーには不満がいっぱいだ。これからご覧になる方のためにネタばれは避けるが、例えば、
・脱走するインドミナス・レックスが生体反応を消すことができる能力が、他の実在の生物から来たものであれば、なぜそれまでに同様の事態が起こっていないのか。意図的に生命反応を消すことができるとすると、そんな生物、どこにいるのか。
・そもそも、リスクに敏感で論理的なアメリカ人がやっているのに、恐竜が脱走したときのプラン B、プラン C がないことなどあり得ない。
・女性が全速力で走り回るのに、ハイヒールが壊れない。そんなことってあり????
・兵器として飼育中のラプターは、対インドミナス・レックスの切り札に使われるほど強いのか。敏捷ではあっても、体格が違いすぎる。
・ましてや、真打ちとして登場する恐竜は、インドミナス・レックスの敵ではないはず。そもそも、この恐竜の登場にはなんら意外性がない (メカ・インドミナス・レックスでも出て来るのか、あるいは主人公の女性が新開発のインドミナス・レックス・スーツに身を包んで自ら肉弾戦を戦うのかと思った)。
・主人公の女性は、相当な責任を追っているはず。騒動が終結したあと、親戚と一緒にぼぅっと座っていてもよいものか。経営者と一緒に不祥事の説明をすべく記者会見に臨み、「申し訳、(一息おいて) ございませんでした」と頭を下げるべきではないのか (あ、それは日本独特の光景か 笑)。

ただ、評価すべき点もある。まず、コイツはなかなかのキャラクターだった。
e0345320_22582374.jpg
また、細かいところで、思春期の子供の心理がそれとなく描かれていたところもよかった。長男がほかのグループの女の子をジロジロ盗み見るところ、あるいは、次男が両親の離婚可能性について泣きながら語るときのつれない反応。また、叔母のクレアを追って現れたオーウェンのことを、「あれ、誰?」と無遠慮に訊く場面。ただ、この種の映画ではもっとこの子供たちが知恵を使って窮地を脱する場面を設定すべきではないのか。ここでの子供たちは、(車を運転したりはするものの) ひたすら逃げ回り、物陰に避難するばかりで、強大な敵に一泡吹かせるシーンは、全くなかった。昨今の映画としては、もうひとつひねりがなかったと言うしかないだろう。

俳優に関して言うと、オーウェン役のクリス・プラットは、なかなか精悍でよかった。
e0345320_23074655.jpg
一方、クレア役のブライス・ダラス・ハワードは、大変申し訳ないが、あまりぱっとしない。第 1作のローラ・ダーンをちょっと思い出させる、なんとなくマイナーな雰囲気を持った女優さんだ。
e0345320_23105266.jpg
調べてみて分かったことには、この人、あのインド人監督 (すみません、どうしても名前を覚えられない。あの、「シックスセンス」の監督) の「レディ・イン・ザ・ウォーター」の主役だったのだ。あーそういえばこんな顔でしたねー。当時、「あんまりキレイじゃないなぁ」と思った記憶が。
e0345320_23140162.jpg
さらに調べてみてなおビックリ。この人、あの有名な監督、ロン・ハワードの娘なのだ。そういえばローラ・ダーンの父親も俳優だったが、知名度からすれば数段こちらの方が上だ。おみそれしました。

改めてこの映画での恐竜の格闘シーンを思い出すと、どこかで見た感覚が甦る。考えてみて分かったのだ。それは、昨年公開されたハリウッド版「ゴジラ」だ。あの映画は結構面白いと思ったが、怪獣に対する感覚が日米で違うのだなとも思ったものだ。西洋人の考える異形の生き物は、基本的に恐竜から来ているというのが正しいところか。
e0345320_23192292.jpg
最後にもうひとつ、くだらない気づき事項。ラプターを飼育しているスタッフの中の黒人は、悪態をつくときに、アメリカ人が使う s で始まる汚い言葉ではなく、「メルド!!」と言っていた。これ、フランス語だ (あ、意味は同様に汚いはずです 笑)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%89_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E)
ということは、この人はアフリカから来た人という設定なのだろうか。舞台は中米コスタリカだが、アメリカ以外から従業員を集めているということなのか、と、どうでもいいことを考えてしまった。コスタリカと言えば、東京オリンピックのエンブレム盗作事件で騒がれているデザイナーが、以前コスタリカ国立博物館のロゴからも盗作して、名古屋の東山動物園のロゴをデザインした疑いありと、今日報じられている。
e0345320_23265671.jpg
うーん、このくらい許してあげてもいいような気もするし、偶然の一致の可能性もあると思うが・・・。それにしても、誰がこの類似に気づいたのか。名古屋在住でお子さんを東山動物園に連れて行こうと思った人が、やはり家族で「ジュラシック・ワールド」を見てコスタリカに興味を持ち、旅行に行こうと思ってあれこれ調べると、あれ、どこかで見たマークが・・・と気づいたものであろうか。もしそうなら、この 21世紀に先進国に生きる人間としては、漫然と IMAX 3D を眺めているのではなく、思わぬもの同士のつながりに思いを馳せながら、心して映画を見るべきということだろう。まあそれにしても、東山動物園とコスタリカ国立博物館・・・。もしこれが盗作であるならば (その真否は私には分からないが)、まさかその 2つのつながりに気づかれようとは、夢にも思わなかっただろうなぁ・・・。



by yokohama7474 | 2015-09-01 23:43 | 映画 | Comments(2)