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驚くべき演奏を体験した。これは東京のコンサート史上に残る名演奏であったと思うし、首都圏のクラシックファンでこれを聴き逃した方には、地団駄踏んで悔しがって頂こう。フィンランド人指揮者オッコ・カムの指揮するフィンランドのオーケストラ、ラハティ交響楽団が、フィンランドの作曲家シベリウスを演奏した。上記のポスターの通り、3日間で 7曲の交響曲すべてを番号順に演奏し、ヴァイオリン協奏曲を間に挟むという内容。前日のオスモ・ヴァンスカ指揮の読売日本響の記事にも書いたが、シベリウスの生誕 150周年を祝ってのチクルス演奏だ。私はかろうじてその最終回にだけ行くことができたのだ。

会場には、前日読響を指揮してなんとも素晴らしいシベリウスを演奏した指揮者、オスモ・ヴァンスカその人の姿もあった、と思う (そっくりさんを見間違えたのでなければ・・・)。私としては、是非そうであって欲しいのだ。それは、このフィンランドの小都市、ラハティのオーケストラ (創立は 1910年と古いのだが) を世界一のシベリウスを演奏する団体に変えてしまったのは、ほかならぬヴァンスカであるからだ。このヴァンスカとラハティ響のコンビはシベリウス演奏のレコーディングで名を上げ、1999年に初来日して、そのときもシベリウスチクルスを演奏した。私も一部を聴いたが、よい演奏ではあったという記憶はあるものの、詳細は忘れている。そのオケが今回、違う指揮者とともに、今までに聴いたこともないような最上質のシベリウスを東京で鳴り響かせることになろうとは!! その場に、今ではこのオケの桂冠指揮者となっているヴァンスカが居合わせている必要が、やはりあるだろう (そっくりさんだった場合はゴメンナサイ)。

指揮者のオッコ・カムは、私の世代にとってはおなじみというか、むしろ懐かしい人と言ってもよい。第 1回カラヤン指揮者コンクール優勝者として名が知られ、ベルリン・フィルを指揮してシベリウスをドイツ・グラモフォンに録音していた。その後、日フィルを振りに来たり、渡辺暁雄と指揮を分け合って、日本の数都市で行ったヘルシンキ・フィルによる日本初 (だったと思う) の素晴らしいシベリウス・チクルスもあった。ところが最近はメジャー・オーケストラでの活躍はあまり伝えられず、あのラハティ交響楽団の首席指揮者に就任しているとは、今回の来日で知った次第。1946年生まれだから未だ 70になっていない。カラヤン・コンクール優勝は 1969年だというから、彼がまだ 23歳の頃だ。以下は、最近の写真と、若い頃 (あまり若く見えないが 笑) のベルリン・フィルを振ったレコードのジャケット写真。
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つくづく思うのだが、音楽家はその時々の環境によって演奏の充実度や、曲の解釈も変わることがあるのだろう。いろんな巡り合わせで栄枯盛衰が決まって行く。有名だから幸せとは限らず、成功しているからと言って本人が納得しているとも限らない。今日の演奏を聴いて、この指揮者の過去の栄光や、きっと続けていたであろう地道な努力といったものを少し考えてしまった。フィンランドで最も権威のあるオケは、当然首都に所在するヘルシンキ・フィルであろう。実は、シベリウスの 7曲の交響曲中 6曲をこのオケが初演している。ヘルシンキ・フィルは文字通りフィンランドの No. 1 オケである。カラヤンの名を冠した権威あるコンクールで優勝し、世界一のベルリン・フィルと録音もし、フィンランド一のオケの首席指揮者であった (ついでに、もともとはそのオケの楽員でもあった) 人が、60代も後半になって、かつて後輩指揮者が訓練して有名になった小都市の「新興」オケの首席指揮者に就任したということは、人によっては都落ちと見るかもしれない事態だ。フィンランド人のメンタリティーはよく分からないし、就任の経緯も知らないが、プライドが高い指揮者なら嫌がるかもしれないポストだ。だが、そこで最大限の結果を出せば、指揮者にとってもオケにとっても、大変結構なことであって、今回の演奏はまさに余計な雑音や好奇心を忘れさせてくれるものであった。

今回演奏されたシベリウスの交響曲は、以下の 3曲。
 交響曲第 5番変ホ長調作品82
 交響曲第 6番ニ短調作品104
 交響曲第 7番ハ長調作品105

演奏開始前にステージを見ると、これらの交響曲で使用されないはずの、ティンパニ以外の打楽器、具体的には、大太鼓、タンバリン、シンバル、トライアングルがあって。はっはぁこれはアンコール用だなと思ったのだが、タンバリンはともかく、シンバルやトライアングルを使ったシベリウスの作品と言えば、ま、まさか、あの曲か??? 私の予感が当たったか否かについては、また後で。

シベリウスの作風は、初期のロマン派風で平明なものから、徐々に抽象的で凝縮されたものに移って行った。まさに、先に見たモネの画風のようなものだ。実は人生の最後の 30年くらいは一切作品を発表しなかった彼であるが、その沈黙の真意は分からぬものの、交響曲に関して言えば、ある意味では究極のところにまで至ってしまって筆を折ったとも思われる。従ってこれら、最後の 3曲の交響曲は、シベリウス芸術の精華なのである。だが、それはマーラーの晩年のような、人生への惜別という痛々しい様相を呈するのではなく、フィンランドの美しい自然、その神秘的な森と湖のイメージを散りばめたような、繊細で夢幻的な曲になっている。今日の演奏では、5番の冒頭のホルンから、7番の最後で弦が中空に消えて行くまで、まさに音楽の美ということ以外、いかなる雑念も入らない絶美の世界が現出した。音が正確だとか、テンポが適正だとかいう次元ではなく、なんというか、楽譜に書かれた特殊な言語を、もともとその言葉の秘密を知っている人たちが目と目を合わせて、呼吸だけでコミュニケーションを取って、ともに語り続けるような、そんな感じ。あぁこの音はこんな風に鳴るのかと瞠目した瞬間が何度あったことか!! こうして書いていても、言葉の無力を感じる。ラハティ交響楽団、以前のヴァンスカ時代よりもさらに進化しているし、これだけのシベリウス演奏は、世界的に見ても、未だかつてそれほどなされていないだろう。カムは椅子に座っての指揮であったが、丁寧に楽譜を繰りながら、大げさな身振りなく、オケと呼吸を合わせていた。誠に稀有の名演であった。

そして、アンコールが 3曲演奏された。いずれもシベリウスの作品で、まずは、「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦楽合奏が祝祭的でたおやかな演奏を聴かせ、最後に少しティンパニが入る。私にとっては懐かしい曲で、それは、シベリウス自身の指揮の録音を FM からエアチェックしてよく聴いていたからである。2曲目は、「ある情景のための音楽」。ここでタンバリンが登場した。さて、そして 3曲目、私の予感が的中した。シベリウスの若い頃の作品ながら、最もよく知られた曲、「フィンランディア」である。この日初めてカムが暗譜で振る。久しぶりにコンサートで鳥肌が立ちまくった。金管の分厚さも申し分なく、かといって鈍重にはならない。シンバルもトライアングルも、きっちり鳴っている (笑)。弦楽器は、なめらかというよりも、何か中身のしっかり詰まったような音だ。そうだ、これは、木を叩いたような音だ。シルクとか黄金に例えられる弦楽セクションを持つオケはあると思うが、木に例えられるオケとは、フィンランドならではだろう。IKEA の家具か。おっとあれはスウェーデンですな (笑)。ともあれ、この通俗名曲を聴いてこんなに感動したことはない。有名な祈りのようなメロディでは、奏者たちがハミングしているのかと思ったが、そうではない。森にハミングがこだましているような音を、弦楽器が出していたのだ!!

大歓声の中、ふと思い出したことがある。音楽誌のインタビューであったろうか。このオッコ・カムが、「シベリウス以外でお好きな作曲家は?」と訊かれて、「おや、私がいつシベリウスのことを好きだと言いましたか?」と返していたのを読んだことがある。それは、フィンランド人であればなんでもかんでもシベリウスに結び付け、世界のどこに行ってもシベリウスを演奏させられることへのささやかな反抗と皮肉であったのであろう。私もそれはよく理解できて、フィンランドのオケがドイツ物やフランス物を演奏するのを聴いてみたい。いわゆるお国もの偏重はおかしいと思う。だが。だがである。今回のような特別な演奏を聴くと、音楽の根底に位置する、理屈ではない国民性のようなものは、やはり存在するのだなと思った次第。なので、これはこれで、本当に貴重な機会であった。であるがゆえに一層、あれだけの音が出せるオケなら、次回の来日ではドビュッシーかラヴェルなど聴いてみたいものだ。尚、帰宅してから調べて分かったことには、今回の 3回の演奏会では、それぞれ日によって違うアンコール曲が、毎回 3曲ずつ演奏された模様。いやいや、オケの方々、お疲れさまでした。

今日もまた終演後にサイン会があるというので、このコンビによるシベリウス全集を購入し、サインをもらった。これだけのレヴェルの生演奏を聴くと、CD を聴くのがちょっと怖いような。
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このような演奏を作曲者が聴いたら、驚くとともに喜ぶだろうなと思う。彼が早い時期に筆を折った事情について興味があるのだが、よく知らない。なんとなく私の中にイメージがあるのであるが、まずは世の中に出ている本で、機会があれば調べてみようと思う。というわけで、今回は老年のシベリウスの写真でお別れです。
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by yokohama7474 | 2015-11-30 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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以前、ピエタリ・インキネン指揮の日フィルの記事で触れたが、今年はフィンランドの国民的作曲家、ジャン・シベリウス (1865 - 1957) の生誕 150年である。これを受けて東京で活発にシベリウスの演奏があちこちで行われたかというと、実は今年の前半から半ばまではそのようなことになったというイメージがない。だが秋のシーズンに至り、全 7曲の交響曲のチクルス演奏が 2回開催され (ひとつはまだ進行中)、それに加えてこの読響の演奏会と、一気に百花繚乱状態。指揮はいずれもフィンランド人指揮者で、世代を異にする彼ら指揮者のこの三つ巴は大変に興味深い。まずチクルスのひとつは、ハンヌ・リントゥ (1967年生まれ) と新日本フィル、フィンランド放送響の分担。もうひとつは、オッコ・カム (1946年生まれ) 指揮のラハティ交響楽団。リントゥ指揮の演奏会はひとつも聴いていないのでなんとも論評しかねるが、カムとラハティは明日出掛けるので、追って記事にすることになろう。

さて、もうひとりのフィンランド人指揮者、オスモ・ヴァンスカ (1953年生まれ) は読響を指揮して、シベリウスの 7曲の交響曲のうち、3番と 4番を除く 5曲を演奏する。上のポスターでの曲目には 2番が含まれていないが、その曲は既に 11月20・21日に演奏済だ。もう一度この 3人のフィンランド指揮者を生年順に整理しよう。
 オッコ・カム (1946年生まれ) : 1971 - 1977 にフィンランド放送響の音楽監督。2011年より現在までラハティ響の首席指揮者
 オスモ・ヴァンスカ (1953年生まれ) : 1988 - 2008 にラハティ響の首席指揮者
 ハンヌ・リントゥ (1967年生まれ) : 2013年からフィンランド放送響の音楽監督
なんのことはない、2つのオケのポストは、これらの指揮者の間でぐるぐる回っているのだ (笑)。

と書いてから、慌てて訂正しよう。フィンランドは彼ら以外にも多々名指揮者を出している国 (現存者だけでも、セーゲルスタム、サロネン、サラステ、オラモ、マルッキ等々) で、それぞれの個性があるが、今回再確認したことには、このヴァンスカはその中でも、これから巨匠の域に入って行くことは確実だ。素晴らしい指揮者だとは知っていたが、なお進化を続けている。これからも彼のコンサートには可能な限り出掛けたい。
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こういう言い方をしてみようか。クラシックを聴かない人はよく、指揮者が何をやっているのか分からないとおっしゃる。そのような人には、このヴァンスカの演奏を聴いてみて頂きたい。この身ぶりからこんな音が出るのか、ここではこういう表情を強調したいのか、ここのテンポはこのように指示されるのか。そう言ったことが彼の指揮からは大変明瞭に伝わってくるのだ。また、その長身の立ち姿がなんともよい。音楽を体の中に貯めて、オケに対して解き放つような、そんな印象だ。ちゃんと指揮棒を持ち、ヴァイオリンの左右対抗配置も取らない。流行とは関係ないところで、音楽の本質に肉迫することのできる稀有な指揮者である。この人、上記にも名前が出てくる (私が明日、カムの指揮で聴きに行く) フィンランドの地方都市のオケ、ラハティ交響楽団を一躍世界の檜舞台に押し上げた名トレーナーであり、その後も大植英次の後任として名門ミネソタ管弦楽団を最近まで率いていた。読響でも、ベートーヴェンとかニールセンのシリーズをかつて手がけ、いずれも素晴らしかったのである。このオケには今回、3年ぶりの登場。

上記の通り、曲目はすべてシベリウス。

 カレリア組曲作品11
 ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : エリナ・ヴァハラ)
 交響曲第 1番ホ短調作品39

最初の 2曲は、聴いてみると意外に構成上の共通点が多い。いずれも 3つの部分または楽章からなり、開始部は森の雰囲気、中間部は静かで緩やか、最後は行進曲調だ。ヴァンスカの指揮は実に効果的にオケのパートごとの強い音を引き出し、見事の一言だ。ソリストのヴァハラは聞きなれない名前で、もしかしたら室内楽はともかく、ソリストとしては初来日かもしれないが、ヴァンスカの秘蔵っ子のような存在らしい。
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フィンランド人で、母国シベリウスのコンチェルトを弾きますというと、あたかも 1発屋であるかのように思うが、なんのなんの、その歌い回しの細かいニュアンスといい、安定した技術といい、世界クラスの音楽家であることは間違いない。アンコールには「ドウモアリガトウゴザイマス」と挨拶してからバッハのサラバンドを演奏したが、これも気品あふれる名演奏であった。ブラームスあたりも素晴らしく弾くに違いない。

メインの交響曲 1番は、テンポは速めであったが、音響のまとめ方が実に堂に入っており、読響が気持ちよさそうに演奏しているのが伝わってきた。冒頭のクラリネットソロや、結構活躍するティンパニ、いざというところで厚く鳴り響く金管も、目立ち過ぎずにしかも充分な表現力だ。ヴァンスカと読響の相性は非常によいと思う。来週はシベリウス・シリーズの第 2弾で、5番・6番・7番という技術的にも難易度の高い 3曲だ。今から大変楽しみだが、読響はこの指揮者とさらに活動を広げるべきだ。場合によっては、現常任指揮者カンブルランの後釜をお願いするというのはどうでしょうか!! そのためには、できればマーラーとかブルックナーのような大曲をヴァンスカの指揮で聴いてみたいものだ。読響の方、もしご覧になっていれば、よろしくお願いします。シベリウスも賛成してくれよう。
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by yokohama7474 | 2015-11-29 00:20 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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振り返ってみるとこのブログで美術についての記事を書くときに、なぜか日本美術を採り上げることが多いように思う。このブログの趣旨は、東京を中心とする日本でその時々に開かれている文化イヴェントを紹介することにあるので、日本美術の記事が多いということは、たまたま日本美術の展覧会をよく見ているということだ。いかなる文化のジャンルであれ、展覧会やコンサートや劇場上映を離れ、過去の名匠巨匠を採り上げて私なりの独断と偏見で論じてみるのも、まあできないことではないものの、残念ながら時間がありません (笑)。そんな中、ようやくというべきか、王道と呼べる美術展を見てきたので、今回はそれを採り上げよう。印象派を代表する画家、クロード・モネ (1840 - 1926) の展覧会である。

もちろん私はモネのことを嫌いではない。それどころか、「へぇー、美しいねぇ」と思うことも当然ながら多い。しかしながら、では例えば、パリに出掛けた際にジヴェルニーまで足を延ばして彼の旧居を見たことがあるかというと、否である。南仏のシュヴァルの理想宮とか、ノストラダムスの旧居なんかには嬉々として出かけているのに、ジヴェルニーに行ったことがないとは何事か、と正当派美術ファンに怒られるかもしれない。それに対する私の答えは、「だって私ごときが行かなくてもそこには既に多くの観光客が行っているから、いいじゃないですか」というもの。一言で言うと私は混雑が大嫌いで、その性向はしばしば、「皆が好きなもの」にあえてソッポを向くというひねくれた態度となって結実する。あ、但し、エクス・アン・プロヴァンスのセザンヌゆかりの場所には行きましたよ。それは私が、この画家を近代絵画の神と崇めているからだ。ということは、私はモネには同様の尊敬の念を持っていないということか? だとすると、そのことに誤りはないか。今回のような大規模な展覧会によって、既によく知っているつもりの画家についても何か発見が期待される。さて、この展覧会、いかがだっただろうか。

展覧会名にある通り、パリにあるマルモッタン美術館のモネ・コレクションによる展覧会だ。世界最大のモネ・コレクションを持つ美術館だが、正式名称が、マルモッタン・「モネ」・美術館だとは知らなかった。このコレクションはモネの遺族から贈与されたものであるゆえ、その正当性と作品の質という点で、確かにモネに関しては世界一の内容であることは間違いない。今回も、いくつも有名な作品が来ているが、上のポスターにある通り、以下の 2作が目玉になろう。まず、1874年の第 1回印象派展 (このときはその名前の展覧会ではなかったが) に出品され、「印象派」という名称のもととなった、「印象、日の出」という作品。
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それから、1877年の作、「ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅」。
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この展覧会は 9月19日から始まっており、会期は12月13日までと 3ヶ月近くあるため、途中で展示替えがあって、「印象、日の出」は既に展示期間は終わっている。もっともこの展覧会は東京のあと、福岡、京都、新潟を巡回するので、より混雑の少ない環境で改めて鑑賞するという作戦も有効かもしれない。ただ、上のポスターには、「『印象、日の出』、21年ぶりの東京」とあるので、ピンと来て調べてみると、1994年秋に国立西洋美術館で開かれた「1874年 パリ [第 1回印象派展] とその時代」展に出展されていて、ちゃんと図録にも載っているので、私はその時に見ているはずだ。へー、つい最近だと思っていたけど、もう 21年も経っているのか・・・。

ともあれ、これらの印象派を代表する絵について、私がここでとやかく講釈する必要はあるまい。ひとつ言えるのは、「印象、日の出」は、水や空や太陽という自然と、あまり時代と関係のない手漕ぎの舟という要素によってできているので、人間の力も自然の一部として、外部から人の目に入ってくる情景を Impression として表現している柔らかい絵であるのに対し、「サン・ラザール駅」の方は、鉄道という近代の産物がもうもうと蒸気を上げているという、当時の Contemporary な情景を力強く描いているという違いがある。一言で印象派とくくってしまうと、画家たちが描こうとした情景の多様性を単純化しすぎるような気がする。

さて、このような大規模な回顧展のよいところは、代表作だけではなく、その画歴を辿ることで、その画家のメンタリティや発想の根源に関する理解が深まるところだ。モネというと、上記の作品や睡蓮の連作によって、もっぱら風景画家というイメージがあるが、実は家族の肖像なども描いているのだ。今回の展覧会には出ていないが、有名なボストン美術館の「ラ・ジャポネーズ」(先般ジャポニズム展で日本にもやってきた) のモデルとなっている最初の妻カミーユはまた、若くして亡くなっていて、その死の床の様子を生々しく描いた作品もあり、妻の肖像ひとつとっても、喜ばしいもの悲痛なもの、様々の顔を見せるモネである。相当に家族を愛していた人であるようだ。以下は 2枚ともカミーユとの間の子供の肖像画で、左が長男ジャン、右が次男ミシェルだ。
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また、今回初めて知ったことには、もともと彼は若い頃、生地ル・アーヴルでカリカチュアを描いて近隣で評判となり、結構な金稼ぎまでしていたらしい。そこで得た世間の評価が、若いモネをして絵画の道に進む決心をさせたものであるようだ。以下、18歳のときに描いた劇作家と、20歳のとき (既に絵を学ぶためにパリに出てきていた) に描いた俳優のカリカチュア。これがあのモネの手になるものだとは、全く驚きだ。だが、このようなユーモアのセンスは、終生残らないわけがない。
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これらのカリカチュアを見て、「あなたに才能があることはすぐ分かる。しかし、ここに留まらないことを期待する。見ること、そして色彩で描くことを学びなさい。デッサンをしなさい。そして風景画を描きなさい」とアドバイスをした画家がいる。モネの師のひとりとなるウジェーヌ・ブーダンである。私がこの画家の名前を知っているのは、しばらく前に渋谷の Bunkamura で、「ブーダンとオンフルールの画家たち」展を見たからだ。ブーダン自身の絵は少し線が細い感じがするが、屋外の風景を描いて印象派のひとつの源泉となった。ええっと、今その展覧会の図録を引っ張り出してきて見ているが、1996年開催とある。うーむ。ついこの間だと思ったのだが・・・。いずれにせよ、そのブーダンの助言を入れてモネの描いた初期の油絵がこれだ。1862-63年、モネ 22-23年の「女性の頭部」。まだここには、後年の驚くべき風景画家の片鱗は見えないように思う。
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いかなる天才も、先人たちの影響なしには新たな芸術の地平を拓くことはできない。この展覧会には、モネが所蔵していたあれこれの絵画・彫刻作品も展示されている。直接の接点があったかなかったかに関わらず、モネがいかなる芸術を身近に感じているかを知ることは興味深い。師のブーダンや、仲間であった同世代のルノワールとともに、フランスロマン主義の巨星、ドラクロワの作品があるのが面白い。ロマン主義と印象派には、なんらかの水脈があると思うのだが、以下の虎の絵はともかく、海の情景などには、モネの先駆的な要素を見て取ることは容易だろう。
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それから、23歳年下の後輩にあたるシニャックの水彩なども本当に美しいのだが、新印象派と呼ばれることになる後進の感性を、モネはどのように見ていたものであろうか。
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モネがジヴェルニーに邸宅と庭を購入したのは 1890年、50歳の年であったが、それまでには素晴らしい色彩を作りだす手腕を身に着けるとともに、同じ対象でも違う時間帯や違う光の当たり方による様々なモチーフを試すのを常にしていたらしい。以下は 1885年の作品だが、印象派誕生の頃より 10年を経て、より鮮烈なイメージを追い求めているように思われる。
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これは1889年、ジヴェルニー前夜。何やら色彩の密度が増してきたように思われる。
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モネが目に異常を感じ始めたのは 1908年、68歳の頃からだと言われている。その前後から睡蓮の連作に取り組むが、1912年には白内障と診断される。彼はその後もさらに 14年間生き続け、最後まで活発な活動を続ける。ここで私が興味深く感じるのは、視覚に衰えが出てから、彼の絵は一層色彩豊かとなり、色と形の境界さえあやふやになってくることだ。これは 1917 - 19年に描かれた睡蓮。ここでは余白も意図的に残され、あとは色が左右に、また上下にたゆたうばかり。決して情念的ではないが、既に視覚による Impression を超えた世界に入っていることは明らかだ。
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最晩年の作品を見てみよう。以下の 2点はいずれも、1918年から 24年に亘って、白内障の手術による中断を経て描かれた「日本の橋」。彼が何度も描いたジヴェルニーの自宅の庭にある日本風の橋なのだが、さて、色彩の重なりの多寡はあれ、これを風景画としてよいものか。ことによると、抽象画と言った方が説得力があるのではないか。ここまで来ると、Impressionism の対極にあるはずの Expressionism、すなわち表現主義に接近していると言ってもよいだろう。
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ここで私が思い出すのは、モネとはある種全く正反対のタイプの画家、少し年長のギュスタヴ・モローも、晩年は色彩の実験を繰り返し、死後のアトリエからは、ほとんど抽象画と呼ぶべき作品が多く見つかったことだ。彼らの生きた時代は、ヨーロッパが戦争に明け暮れ、そして世界大戦に入って行き、どの国も大きく傷つくという時代。モネもモローも、政治的なメッセージを作品に託すタイプではなく、芸術至上主義と言えるであろうが、晩年に向かって行った世界には驚くほど共通点がある。彼らが見たかった美しい世界は、もはや彼らの内面にしかなかったということか。そうなると、印象派 = Impressionism という言葉の空虚さに思い至る。画家にレッテルを貼って都合よく分類するのはもうやめにしないか。モネの芸術に少しでも迫るなら、印象派などという言葉は邪魔なだけではないか。

この展覧会の最後の部屋には、これら最晩年の作品とともに、モネの遺品が展示されている。パレットやパイプはともかく、この眼鏡が面白い。1923年、死の 3年前にモネは右目の水晶体を取り除く手術を行い、術後には右目だけ青が強く見えるようになり、それを矯正する特殊な眼鏡をかけたらしいのだ。これだけ鋭敏な色彩感覚を持った人がその色彩のバランスを失い、結果として上のような最晩年の作品が生まれたとは、なんとも興味深い。彼の目にはこの色彩がどのように見えていたか、彼にしか分からず、またこの作品を見る現代の我々にとっても、人によって見え方が違うことだろう。
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混雑した会場から出てほっとすると同時に、展示作品を思い返してみて、いかに有名な大画家であっても、その画業を辿ることで新たな発見があるものだと実感した。便利なイメージ以外の画家の本質に、これからも注目して行きたい。あ、印象派の客観的な評価モネ。

by yokohama7474 | 2015-11-28 22:54 | 美術・旅行 | Comments(5)

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このブログでは、度々 30年近く前の私自身の経験や、それに関する書類などが出てくるので、「コイツは一体何なんだ」と思われる方もいらっしゃるものと思う。まあそのような疑問に長々と答えるよりも、シンプルに、文化に関する趣味を続けるには 30年は別に長い時間ではないし、知れば知るほどに自分の無知を知るのだということを申し上げておきたいと思う。なぜに今回こんな話で始めるかというと、今回鑑賞したこの芝居こそ、私の 30年間に亘る悔しさを癒してくれるものであったからだ。あるいは、30年なんて短いものだと思わせてくれるものと言ってもよい。

ピーター・ブルック。今年 90歳の世界的演出家だ。
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前回の記事では 91歳の指揮者、サー・ネヴィル・マリナーを採り上げ、残念ながら来日中止になった 92歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーに触れた。また最近の報道では、9月 5日に伝説の女優、原 節子が 95歳で死去していたことが明らかになった (9・5 に 95 で逝去という偶然。もっとも、60歳の誕生日、すなわち還暦の日に逝った小津 安二郎ほどのインパクトはないが)。90代の芸術家たちそれぞれの生きざま、死にざまを考えることは誠に興味深いが、この世界的演出家の新作は、つい先だって、9月にパリで世界初演されたばかりの舞台の世界ツアーの一環であり、新国立劇場の中劇場で、11月25日 (水) から 29日 (日) まで 6公演が開かれる。これは、ブルックの演出としては日本では最も有名な「マハーバーラタ」(あの有名な古代インドの叙事詩に基づくもの) の続編をなすもので、上記のチラシにも、「あの伝説の舞台から 30年、現代演劇界の巨匠 ピーター・ブルックがふたたび『マハーバーラタ』に挑む」とある。これは一体どういうことか。

今を去ること 30年。1985年、バブルに向かう好景気の日本には、様々な文化的イヴェントが溢れていた。文化面でのひとつの中心はセゾングループで、映画館シネ・ヴィヴァン六本木や CD ショップ WAVE に、芸術書を揃えた書店 アール・ヴィヴァン、また、クリムトの「接吻」を含むウィーン世紀末の大々的展覧会をはじめとして意欲的な企画が目白押しであったセゾン美術館、そして演劇では、パルコ劇場やホテル西洋銀座にあった銀座セゾン劇場など、まさに東京の文化の牽引役であったのだ。その銀座セゾン劇場で、当時から巨匠演出家と言われたピーター・ブルックが、あの「マハーバーラタ」を上演する、しかも、休憩を入れて 9時間にも及ぶ超大作であると知って、絶対に行きたいと思ったのだ。その際にもうひとつ決め手となったことがあって、それは、脚本をあのジャン・クロード・カリエールが書いていることであった。「あの」と言っても知らない人の方が多いとは思うが、スペインのシュールレアリズム映画監督ルイス・ブニュエルの代表作の数々 (「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」とか「欲望のあいまいな対象」とか) の脚本を書いた作家である。当時からブニュエルに強く心酔していた私としては、このことはまさに、この芝居を観なければならない決定的な要因であった。ところが、チケットが取れない!! 当時はインターネットはないので、人気公演は、発売日にダイヤル式の電話で何時間もトライして、ようやくつながったときに売り切れであれば、もうあきらめるしかなかったのだ。ネットオークションも掲示板もなかったのだ (それでも、コンサートの場合は音楽誌に載る「譲ります」コーナーという最後のよりどころはあったが)。この公演もそのような事態に陥り、絶望していたところ、なんという幸運か、学生席は当日発売で、必ず一定数あるというではないか!! そこで私はカリエールが書いたこの芝居の脚本 (もちろん今でも手元にある) を読んでバッチリ予習し、ある日の朝早く、開演時間の何時間も前に、いそいそと劇場に向かったのであるが、そこで発見したのは、徹夜で並んで学生券を求める人々の姿!! 結局そんなわけで、時既に遅し。この芝居を観ることはできずに涙をのんだのである。

その後ピーター・ブルックの演出は、1991年に同じ銀座セゾン劇場でシェイクスピアの「テンペスト」を観ることができ、その簡素な舞台に大変感動した記憶がある。ミランダ役は、その後映画でも活躍した (その頃はまだ文字通りフランス人形のように可愛らしかった) ロマーヌ・ボーランジェ、キャリバンは、フォルカー・シュレンドルフの名作「ブリキの太鼓」で主役の少年を演じたダヴィッド・ベネントであった。

そんなわけで、今回、ピーター・ブルックが 90歳で健在だということも分かり、30年ぶりの「マハーバーラタ」の続編 (しかも脚本には今回もジャン・クロード・カリエールも参加) ということで、気合を入れて見に行くことになったのであるが、今回の上演時間は、なんとわずかに 70分!! これは老巨匠の枯淡の境地であるのだろうか。あらすじとして紹介されている文章を転用しよう。

QUOTE

バラタ家の一族は 2つの勢力に引き裂かれた。
それは 5人兄弟がいるバンダヴァ家と、
ドリタラーシュトラ王の百人の王子がいるカウラヴァ家であった。
どちらも恐ろしい手段を使って戦いを繰り広げ、
ついにバンダヴァ側の勝利で終わった。

戦場となった大地は、何百万もの屍体で覆われていた。
バンダヴァの長兄ユディシュティラは、大量殺戮によって勝者となったものの、
悔恨や罪悪感に苛まれていた・・・。「この勝利は敗北だ」と。
そして、過去の行為に疑問を持ち、自らの責任を解き明かそうとする・・・。

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なるほど、前作の激しい戦闘のあとの世界を描いているわけだ。舞台はこのように質素なもの。
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登場する役者は、男性 3名女性 1名の計 4名。使用言語は英語。そこに、昔からブルックの芝居で音楽を担当する土取 利行 (つちとり としゆき) が、ジャンベという太鼓をひとりで叩いて伴奏するのだ。プログラム (今回の公演用に特別に編集された内容満載の本) に掲載されている役者の写真、それから、ジャンベとはどういう太鼓かというイメージは以下の通り。
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登場人物たちはそれぞれに役柄があるのだが、見ているうちにそれはどうでもよくなってくる。というのも、これは恐らく原典の「マハーバーラタ」に含まれているのであろうか、あれこれの逸話、説話を役者たちが再現するシーンが続いていくからで、誰が誰を演じているのか分からない入れ子構造が次第に明らかになって行くからだ。役者たちは、決して普通の意味で演技力があるという感じもせず、終末観溢れるセリフ、あるいは残虐なシーンを述べるセリフであっても、淡々としたものだ。ただ時折、感情の爆発や激しい動きがないではない。そのような局面で芝居の流れをリードするのは、必ず土取のジャンベであるのだ。古代の神話の世界を扱った演劇で、しかしその世界を操る神のような存在はたったひとつの太鼓であると思われてくる。もともとジャズ奏者の土取は、既に 40年近くブルックの劇団とともに活動しており、1985年の「マハーバーラタ」と今回の「バトルフィールド」の両方に出演している唯一の人物だ。
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70分という短い上演時間であるにもかかわらず、ストーリーが抽象的であるせいか、結構長く感じる。役者たちの簡素な動きの中に、美しいバランスが形成され、見ていてなんとも清澄な気分になる。その一方で、結構笑いを取るシーンや観客を巻き込むシーンもあって、簡素な意外性が観客を飽きさせないのだ。
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そして最後、4名の役者たちはこのように集まって座り、世界を操る神たるジャンベ奏者、土取の方を見る。そうして激しくまた情緒豊かに鳴り響くジャンベの演奏で、全編が終了する。
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この作品を、人類永遠のテーマである平和の尊さであると素朴に決めつけてしまうのは避けたい。ここで描かれているのは、殺戮のあとの世界、単純化してしまった世界の中で、人間だけではなくあらゆる生命がその役割を持っているということではないだろうか。人間同士の戦いの良し悪しというよりももっと高い次元の話だと感じた。そして、それゆえにこの芝居は単純なのだ。すべて偉大なるものは単純である。

上述の通り、劇場で売られている特製プログラムには、様々な関連情報満載だが、せっかくなので、ピーター・ブルック自身の言葉を引いておこう。高齢のために今回、さすがに来日はしていないが、現地パリでの最新インタビューを読むことができるのは嬉しい。

QUOTE

(聞き手の、「あなたの仕事はシンプルだと形容されますね」という問いかけに対し)
私にとってレッテルを貼るというのは、何かを固定してしまうということです。私は人生すべてが動きであると思う。動きには、ゆっくりしたものも素早いものもありますが、すべて音楽のようでしょう。何の動きもない音楽など考えられないし、あるとすれば無音ですよね。音がたった一つだけある瞬間があるとすれば、それはもう音ではない。音とは、何かその前にあるもの、その後にあるものとの間で活かされるものなのです。レッテルを貼るということは、飛び回っている蝶々をつかまえてピンで留めようとするものです。蝶々は死んでしまう。私にとってこれはとても大事なことなのですが、「シンプリシティ」(注 : 単純さ) という言葉を頻繁に耳にし過ぎる。若い人たち、若い演出家たちが、それで「ああ、ピーターのメソッドがわかったぞ!」と思ってしまうのは、とても困ったことだと思います。私は 60年間、70年間を経てこの地点に辿り着いたわけですが、最初の頃は混沌としていましたよ。人生の楽しみ、苦しみ、何もかもを味わいました。ありとあらゆる料理も食べましたし、重い食事、ドイツ料理、日本食、何でも。ほんの少しずつ、自分自身で理解するために。ですから他の人には自分の道筋を通ってほしい。私にとって少なくとも 60年間、あるいはそれ以上の時間がかかったように。

UNQUOTE

うーん。簡単に単純化云々と書いてしまったが、その単純化できる境地に達するまでに、長い時間と人生経験を要した結果であって、誰でも真似できるものではないということだろう。芸術分野でなくとも、我々が生きて行く上で経験するあらゆる分野についてあてはまる、含蓄深い言葉だと思う。あ、それから、30年前に見ることができなかった芝居の敵討ち (?) をしたからと言って喜ぶのはまだ早い。その倍、60年かけて初めて物事が見えてくると、ブルックは語っているのだから (笑)。まだまだ修行が足りません。

さて最後に、とっておきの本をお奨めしておこう。この記事で何度も名前を出した脚本家、ジャン・クロード・カリエールが、あの「薔薇の名前」の原作者ウンベルコ・エーコと対談した、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本だ。もちろんこの本は、今のところ (発行された 2010年時点では) 紙の書物だが、もしかしたら今では電子書籍で読めるかもしれない (笑)。まあしかし、真の知性同士の驚くべき対話に、ページを繰るごとに気持ちが高揚するという経験は、電子書籍でも味わえるものなのだろうか。いずれにせよ、ピーター・ブルックの芝居でも観ようという知性と感性の持ち主の方には、人生における必読の書として強く推薦しておこう。
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by yokohama7474 | 2015-11-28 03:01 | 演劇 | Comments(0)

183歳。なんの数字だかお分かりであろうか。答えは、もともとこの日に共演が予定されていた指揮者とピアニストの年齢の合計だ。むむ、指揮者は 1人だろうから、ピアニストは 2人なのか? そうでないと、数字が大きすぎる。いえいえ、そうではない。指揮者も 1人、ピアニストも 1人。今年 91歳のサー・ネヴィル・マリナーと、92歳のメナヘム・プレスラーとの驚くべき初共演が、ここ東京で予定されていたのだ。残念ながら数週間前にプレスラーの体調不良による来日中止が決定。この日の N 響定期は独奏者を替えて開かれたが、11月28日 (土) に予定されていたリサイタルは中止となった。チケットを買っていた私はその払い戻し金 8,000円を、1回分の飲み代に充てるということに相成ったわけだが、コンサートを聴けなかったのは大変残念だ。さすがにこれだけの高齢だと、頻繁な来日を期待するのは酷かもしれないが、できれば改めて来日して、その滋味深い音楽を聴かせて欲しい。

この日の指揮者、サー・ネヴィル・マリナーは、クラシック・ファンなら知らぬ者はいないであろう有名な存在である。
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もともとロンドンのフィルハーモニア管弦楽団やロンドン交響楽団で第 2ヴァイオリンのトップを弾いていたが、1959年にアカデミー室内管弦楽団 (The Academy of St.-Martin-in-the-Fields) を結成してその指揮者となる。その後、ミネソタ管弦楽団やシュトゥットガルト放送交響楽団などの名門オケ (編成の小さい室内管弦楽団ではなく通常サイズのオーケストラ) を率いるが、アカデミー室内管との活動はその後も継続しており、やはりマリナーと言えばアカデミーという印象が強い。一般の方々でも接点があるとすると、やはり映画「アマデウス」のサントラが、このマリナーとアカデミーのオリジナル演奏であったということではないだろうか。このマリナー、既にサーの称号も得て充分な実績を残しており、その長いキャリアを通して実に膨大なレパートリーを録音してきた。1980年代初頭、未だカラヤンの新譜が続々と出ていた頃に、実はカラヤンよりもマリナーの方が年間の録音点数が多いという記事を見た記憶がある。調べたわけではないが、もしかすると、指揮者として最も多くの録音をして来た人かもしれない。少なくとも、歴史上最も多くの録音をしてきた指揮者のひとりということは間違いない。レコーディング歴の最初の頃の写真はこんな感じ。当時既に 40前後だろうか、決して非常に若い年齢ではないが、なかなかにダンディだ。
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そのマリナーが初めて N 響の指揮台に登場したのは 1979年であったが、その後はしばらく時間が空いたものの、2007年に再び指揮して以来、2010年、2014年に続いて今回ということになる。曲目は以下の通り。

 モーツァルト : ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491 (ピアノ : ゲルハルト・オピッツ)
 ブラームス : 交響曲第 4番ホ短調作品98

実は、もともとプレスラーが弾くはずであったのは同じモーツァルトのピアノ協奏曲でも、17番であったが、代役のオピッツは 24番を弾くこととなった。
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東京というところはすごい街で、プレスラーが来日中止になっても、オピッツのような一流ピアニストがもともと来日中で、平然と 2回のコンサートの代役を務めることができるとは!! これで指揮者とピアニストの年齢の合計は 153。ということはええっと、オピッツは 62歳か (って、分かっていてマリナーの年と足し算しているくせ 笑)。逆さにしても顔になる絵のひげのオジサンのようだと茶化してはいけません。ドイツを代表するピアニストで、以前 NHK ではピアノの教育番組シリーズも持っていたはずだ。この人、ドイツ人だけあって、ベートーヴェンをはじめとするドイツ物に定評があるのだ。私は以前この人の弾く、あろうことかバルトークのコンチェルトを聴いたことがあるが、残念ながら客席からブーの出る、東京では珍しくもかわいそうな事態となってしまったのを目撃して、次は是非ドイツ物を聴きたいと思っていたのだ。もしモーツァルトをドイツ物と言うならの話だが・・・。というのもこの日の演奏、またまた残念なことに、つい1ヶ月半ほど前に聴いて未だに耳に残っているペライアとハイティンクの演奏と同じ曲であったために、正直なところ、あまり印象に残らないものになってしまった。オピッツのタッチは大変きれいなのだが、全体の音楽の流れが平板に聴こえてしまった。24番という短調の曲では、もう少し研ぎ澄まされた感覚が欲しい。音楽を聴くにもめぐり合わせというものがあって、私にとってオピッツはあまりめぐり合わせのよいピアニストではないのかもしれない。だが、アンコールに弾いたシューベルトの 3つのピアノ曲D.946の第 1曲には、遅いテンポでの壮絶な孤独が感じられ、彼の本領を垣間見た気がした。この作品はシューベルト晩年の曲で、彼らしい歌はあるのだが、ちょっと大げさに言えば、地球の終わりにひとりで歌う歌という感じがあって、大変に孤独な作品なのだ。シューベルトはピアノ協奏曲は書いていないので、今度オピッツを聴くときは、ドイツ物のリサイタルにしよう。

さて後半のブラームス。天下の名曲を老巨匠の手で聴くとどうなるか。結果は、残念ながらこれまた平板な印象。ここで私は改めて気づく。前半のコンチェルトも、ことによると指揮の平板さが関係していたのではないか。ここで白状すると、私は最近でこそマリナーの演奏会があればなるべく聴くようにしている。何を隠そう、ニューヨーク在住中にも、カーネギーホールとかエイヴリー・フィッシャー・ホールというマンハッタン内のメジャーなホールでなく、ハドソン川を渡ったニュージャージー州でしか彼のコンサートがないと知ると、わざわざ車で出かけて行ったものだ。だが、彼の膨大な録音を聴いて血沸き肉躍るという経験は、ほとんどしたことがない。いやもちろん、あの世紀の名ピアニスト、アルフレート・ブレンデルの伴奏として録音したモーツァルトのピアノ協奏曲など、大変よい演奏だと思ったものだが、単独のオーケストラの録音では、そのような経験はあまり思い出せない。今回、ブラームスの 4番という、磨き抜かれた音と最上の構成感を必要とする曲においては、時折白熱する部分が出てくると流れがよくなるのだが、N 響という、ドイツ物の演奏では並のドイツのオケよりも実績があるとすら思われるオケを前にして、その白熱を充分に昇華できなかったきらいがある。91歳にして未だに立ってかくしゃくと指揮をするこの名指揮者については、なるべくよい部分を聴きたいと思いながらも、ある意味で多くのクラシックファンの持っているであろう疑問、「なぜマリナーはこれほどの数の録音を残せるほど成功しているのか」という疑問を抱かざるを得ない結果となってしまった。

実は先日、N 響の年間定期会員に配布される CD が送られてきたのだが、ちょうど 1年ほど前に演奏されたマリナー指揮のブラームスの 1番であった。私もこの演奏を聴いたが、細部はあまり覚えていない。いずれにせよ、1番、4番と来て、もしかすると、ブラームスの残る 2曲、3番と 4番も、N 響で演奏してくれるのではないか。
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と書いていて思い出したのだが、去年のマリナーは、レナード・スラトキンの来日中止に伴う代役だったのだ。去年 90歳の彼が、代役で元気に登場。そして今年は 91歳になって、1歳年上のピアニストの来日中止を尻目に元気に登場。この調子で来日を続けて欲しい。「なぜマリナーはこんなに成功しているのか」を考える材料がもっと欲しいので!! 来年 4月には、もともとの手兵であるアカデミー室内管との来日が予定されているので、まずはそこで再会ということになろう。

ところで、もうひとつの感想。N 響をサントリーホールで聴く機会は貴重なのである。というのも、すべて定期会員によって満席になっているからだ。今回久しぶりにサントリーホールでの N 響を聴いた率直な感想として、弦楽器はともかく管楽器の精度やニュアンスの豊かさが、ほかの東京のオケに負けている場面があると感じたことを挙げておこう。関係者の方がご覧になるとお気を悪くされるかもしれないが、長らく日本の No. 1 オケである N 響が、あの巨大な体育館のような NHK ホールをメインの会場としている間に、サントリーホールや、あるいはすみだトリフォニーホールやミューザ川崎を本拠としているオケに追いつかれ、ある場合には追い越されている事態が発生しているのではないか。パーヴォ・ヤルヴィという時代の寵児を首席指揮者に迎えていることをはじめ、その指揮者陣の質や定期会員の数においては未だに他の日本のオケに冠絶する N 響ではあるが、客観的にその響きの精度をライヴァル楽団たちと聴き比べることは必要であろう。定期会員の方には、昔から日本のオケと言えばなんと言っても N 響という前提で聴き続けておられる高齢者が多い (地方からわざわざ聴きに来る人たちも一定数おられるようだ)。将来の高齢者である我々中年世代の動向が、今後のこのオケの主要な聴衆であるわけだが、我々には様々な選択の余地があるということを、こんなネットの海の片隅ではあるが (笑)、率直な思いとして書いておきたいと思う。

by yokohama7474 | 2015-11-28 00:11 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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この展覧会の主人公は久隅 守景 (くすみ もりかげ)。聞いたことないなぁと思われる人も多いかもしれない。では、この絵はどうだろう。
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東京国立博物館が所蔵する「納涼図」。この一見なんの変哲もない、あえて言えば貧乏くさい (笑) 絵が、なんとなんと国宝なのだ。高校の歴史の教科書にも載っていた。この絵を描いた画家の名前が、久隅守景なのだ。これはいささか奇異ではないか。国宝絵画と言えば、雪舟の木が垂直に上る水墨風景とか、宗達の勢いあるポーズの鬼たちとか、光琳の装飾的なカキツバタや梅の重奏とか、等伯のかすんだ靄の中の松とか、こちらが自然と居ずまいを正すような、いわゆる神韻縹緲たる作品であるべきだ。それなのにこの絵ときたら、地面にゴザを敷いて頬杖をつく男と、だらしなくも上半身裸の女、そして二人の子供とおぼしき幼児が、瓢箪の下がった棚の下で涼んでいる様子なのである。

この絵を描いた久隅守景とは、一体どんな人物か。江戸時代前期の画家で、200点程度もの作品が知られているにもかかわらず、その生没年は不明であるらしい。それは彼が自らの作品に年号を入れなかったことに起因するが、実は狩野探幽の優秀な弟子であり、探幽門下四天王のひとりと称されて狩野派の中心にいたわけであるが、のみならず、探幽の姪と結婚するに及んで、師の彼に対する高い評価が極まったことが伺われる。その後、実際に何があったのかは分からないが、一説には息子や娘の不始末の責任を取って狩野派を離れ、地方を流れながら、地元の人々の生活を描く画家になったとも言われている。今日見ることのできる守景の絵の多くが、農村を描いた作品である。これは、日本の画家の歴史を見ても、非常に珍しい例であろうと思われる。まずは、狩野派というより、もっと古い雪舟かなと思うような守景の作品をご紹介しよう。
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それから彼の画風は、架空の厳しい風景というより、ある種理想化されたのどかな田園風景だ。例えば江戸時代に将軍の遊びとして知られた鷹狩り。実際には体のよい地方の視察であったが、地方の人たちはどのように見ていたのか、興味がある。守景の描いた鷹狩りの風景の一コマ。鶴を追いかける鷹を、また鷹匠が追いかけている (笑)。鷹匠という特殊な職業を借りて、ここにはまぎれもないこの時代の一般の人たちの生活が、象徴的に描かれている。「こらこら、待てぇー」という感じで、大変人間的。
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今回の展覧会を見て思うのは、守景の絵の細部の凝りようの凄まじさだ。さすが狩野派の中枢にいるべきであった画家だ。じっくり細部を見れば見るほど、その絵の人間性を感じることができる。路傍の石も人も、その瞬間を生きる尊い存在なのだ。
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この絵はどうだろう。上賀茂神社で催される競馬の神事を描いたものだが、鳥居の下で疲れて寝てしまった男がユーモラスに描かれているが、左隣の男は柄杓に水を汲んで、この男に与えようとしているのか、それとも馬を洗おうとしているのか (笑)。闊達な筆致が、なんとも言い知れない笑いを誘う。
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それから、動物を描いた絵も秀逸だ。これは都鳥図。あの業平の歌、「名にし負わば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」を描いたものであるが、まるで近代絵画であるかのように巧みなデッサンであり、最小限の表現で活き活きとした動物の姿を描き出す守景の名人芸に、驚きを禁じ得ない。
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また、この絵はどうだろう。
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牧谿など、中国の文人画をモデルにしたものだろうか。白猿と黒猿が仲良く身を寄せ合って、さて、何をしているのやら。どうやらこれは、水面に浮かぶ月を猿が取ろうとしているところらしい。白猿の伸ばした左手は、上空の月を指していると解釈されている。それにしてもこの猿たち、なんとも人間くさいと思うのだが、いかがであろうか。もうひとつ私の興味を惹いたのは、この絵だ。
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ほっほぅ。これは舞楽ですな。非常に保存状態がよく、近くで見ると細かい彩色や盛り上がった金泥に目を奪われる。でも面白いのは、全く同じポーズの人たちが 4人並んでいることで、何やら東南アジアの影絵のようでもあり、アンディ・ウォーホルばりの現代絵画のようでもある。江戸時代に伝統を離れてこんな絵を描いた画家は、そうはいないのではないか。

守景には画家になった息子や娘がいるが、この展覧会には、守景の娘にして狩野派随一の女性画家、清原 雪信 (きよはら ゆきのぶ) の作品が結構な数、展示されているのだ。なんでもこの画家の名前は、西鶴の「好色一代男」にも出てくるらしく、当時人気の高い画家であったことが知られる。この雪信の絵がまた、巧いのだ。これは秋草図であるが、「好色一代男」には、雪信が秋の野を描いた贅沢な袷 (あわせ) が出てくるらしく、この題材は彼女の得意なものであったようだ。その写実性から、私は秋田の佐竹 曙山を思い出したものだ。
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このように守景とその周辺の絵画を見てくると、国宝に指定された「納涼図」の貴重さが見えてくる。この時代、庶民の生活をこのように描いた画家はいなかった。「納涼図」で描かれた家族が、守景自身をモデルにしているのか、あるいは全く架空のものであるのか、今となっては知る由もないが、ひとつ確実に言えるのは、この絵に描かれた家族が、まぎれもなく生きて生活しているということだ。その等身大のリアリティこそ、この絵が国宝に指定された所以であろう。この展覧会は 11月29日までで、もうすぐ終わってしまうし、「納涼図」自体は既に展示期間が過ぎているものの、このような特異な画家の展覧会を多くの人に見て頂きたいし、「納涼図」は東京国立博物館で、ガラガラの環境で (笑) 見るチャンスに期待しよう。

by yokohama7474 | 2015-11-25 23:49 | 美術・旅行 | Comments(0)

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去年この映画の宣伝を見たとき、ジョージ・クルーニーが製作・監督・主演を務めた作品で、共演がマット・デイモンやジョン・グッドマンやケイト・ブランシェット、そして題材がナチスが戦時中に押収した美術品の奪回という史実であると知って、これはどうしても見なければと思ったものだ。ところが、封切前になって突然公開中止。前売り券の払い戻しにまで至る事態を見て、一体何事かと残念に思ったのである。もう日本では見ることができないのかと絶望的な思いをしていたところ、飛行機の中のプログラムでこの映画を発見し、狂喜しながらも、一体日本公開に差し障りのある内容がどこにあるのかと、ちょっとドキドキした。見てみると特に不都合な箇所は見当たらず、なぜあのような事態に至ったのか不思議だが、ともあれ今回無事劇場での日本公開が実現して本当によかった (どこかに契約の不備でもあったのだろうか???)。いずれにせよ、劇場で見るところ観客動員もそれなりの成績のようであるし、少なくとも美術に興味のある人々には是非ご覧頂きたい。

あらすじ自体は、その実際の中身の複雑さに比して大変単純だ。第二次大戦末期、ドイツの敗色濃厚となった中、連合国側では、欧州に残された貴重な芸術作品をナチの破壊や強奪から守るというミッションを、7人の男たち (原題の通り、モニュメント・メンと名付けられた) に託す。この 7人は、美術館の学芸員や歴史家や建築家、彫刻家らで、中には老人もいる。どうみても戦闘員ではないその彼らが、文字通り命を賭けて芸術品奪還に向けて危険な戦地に入っていくのだ。そこに絡むのが、占領下のパリで、ゲーリングがこ集めた美術品を保管した美術館の学芸員であるフランス人女性。ナチによって隠された美術品のありかを知っているのかいないのか、そもそも敵なのか味方なのか。史実に基づく物語だ。

戦争末期を描いた映画は、「プライベート・ライアン」や、最近では「フューリー」があった。また、戦争と美術に関するものでは、「ミケランジェロの暗号」という、滅法面白い映画もあった。あ、そうそう、「パリよ、永遠に」という最近の映画は、ナチがパリから退却する際に街の破壊を防いだ勇気ある政府高官や外交官の話を描いた優れた室内劇であった。だがこの映画は、それらのいずれとも異なる。そのユニークさは、戦争末期とはいえ戦地に赴く人たちの出会う過酷な運命を浮き彫りにしながら、人の命と芸術品と、どちらが重いかという命題を突きつけることではないだろうか。もちろんナチは絶対悪として登場するが、ヨーロッパの大国の美術館の展示品の多くは、他国からの戦利品であることを思うと、ヒトラーが生地リンツに建設を予定していた総統美術館構想も、それだけ取ってみれば、他国が非難する権利をどのくらい持っていると言えようか。まあアメリカだけは、武力ではなく金の力で美術品を集めたので、事情は違うという視点もあるにはあるが。いずれにせよ、美しいものが人の心を奪うことは素晴らしいことのはずなのに、その美術品が力づくで強奪されてしまうなどということは、やはり許されることではない。この映画には、その意味で観客をまず味方につけるという前提が存在している。

役者では、この作品のまさに中心人物、ジョージ・クルーニーがまさにいい味出している。1961年生まれだからまだ 54歳だが、メイクのせいもあって、さらに年上に見える。メトロポリタン美術館の学芸員役のマット・デイモンを口説いてモニュメント・メンに引き入れるシーンなど、それぞれの台詞がアメリカらしく乱暴で、それでいて洒落ていて、日本ではこういうことにはならんだろうなぁと思って見てしまう。
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コーエン兄弟の一連の作品を通じて私の好きな俳優、ジョン・グッドマンは、ここでは比較的おとなしい (笑)。それどころか、ふとしたことから命を落とすことになる同僚を最後まで助けようとする、巨体に似合わぬ優しい心を見せるのだ。
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それから、フランス的英語を喋る (笑) ケイト・ブランシェットは、いつもながら達者な演技だ。マット・デイモンとの間にロマンスが生まれかかるが、まあそのあたりも大人の描き方だ。
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さて、7人の男たちが危険の中に入って行く物語というと、もちろん誰しもが思い当たるのは、黒澤明の「七人の侍」だ。だが、この映画の劇的迫力は、さすがに「七人の侍」の域には遠く及ばない。それどころか、厳しい見方をすれば、作品全体を通して演出という点では、もうひとつ物足りないとも言える。なのでここではそれには深入りせず、残りのスペースでは、この映画を取り巻く興味深い事象を書くに留めよう。

まず、ここで出て来る美術品の数々。最近までナチがどのくらいの美術品を強奪したのかはっきりとは分かっていなかったようだが、なんと 500万点以上。ユダヤ人から没収したものは、未だにもとの持ち主が分からないものがあるというニュースを聞いたことがある。なんとも驚くべきだが、今日我々が見ることのできる素晴らしい美術品には、実在のモニュメント・メンが奪回したものが多いということを知ると、なんとも感慨深い。この映画でクローズアップされているのは、いずれもベルギーにある作品で、ひとつがファン・エイク兄弟によるヨーロッパ祭壇画の最高傑作と言われる、ヘントの祭壇画 (1432年作) だ。これは私も見たことがないが、生きているうちになんとしても見たい。劇中では、発見されたときに絵が 1枚足りず、ハラハラするが、それが思わぬところから出て来るのだ。
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もうひとつは、ミケランジェロの作になる、ブルージュにある聖母子像。私はブルージュにも行ったことがなく、ローデンバックの小説「死都ブルージュ」、またそこからヒントを得て作られたコルンゴルトの歌劇「死の都」、それからブルージュを描いたクノップフの絵画「見捨てられた町」などなどが大好きな者としては、これまたいずれ訪れなければならない街。そこに、イタリア以外の教会で唯一のミケランジェロの彫刻があるとは。なんとも心が浄化するような作品だ。作中で、この作品を守ろうとして命を落とすモニュメント・メンの一員の姿が描かれている。命を掛けるに値するなどと軽々しく言いたくはないが、犠牲になった命を慈しむような、素晴らしい聖母子像である。
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さて次に、音楽好きの方に教えたいトリヴィア。本作で占領中のパリでゲーリングの強奪した美術品を管理する親衛隊員、ヴィクトール・シュタールという役が出て来る。映画のプログラムにも載っていないし、ネットで画像検索しても出てこないその役を演じた俳優の名を、私はエンドタイトルでしっかりと見て、ピンと来たのだ。名前は、ユストゥス・フォン・ドホナーニ。これはと思って帰宅後に調べてみるとやはりそうだ、あの巨匠指揮者、クリストフ・フォン・ドホナーニの息子である。ドホナーニと言えば、往年の名ソプラノ、アニヤ・シリア (1960年代には美人ワーグナー歌手として一世を風靡した) と結婚していたことが有名であるが、この俳優はその前の奥さんとの間の子供らしい。

最後に、これも知らないともったいない話。この映画のプログラムを見ていると、マット・デイモン役のモデルになったのは、ジェームズ・ロリマーという当時のメトロポリタン美術館の学芸員で、その後彼は同美術館の館長になったという。むむ? メトロポリタン美術館館長のジェームズ・ロリマー??? 何やら古びた記憶の断片が、脳の底から叫んでいる。そこで心当たりを調べて、ポンと膝を打った。この人の次の代の館長がトマス・ホーヴィングという人で、作家としてフィクションのミステリーや、美術に関するドキュメンタリー物を書いているのだ。フィクションの「名画狩り」もまあまあ面白かったが、なんと言っても、ドキュメンタリーの「ミイラにダンスを踊らせて」や「謎の十字架」が滅法面白い。特に後者は、象牙の十字架を執念で追い求める実話なのだが、大美術館の館長がそんなことをしてもよいのかという犯罪スレスレ (いや、本当に犯罪???) の大冒険をあれこれ繰り広げるのである。私の記憶の奥底に引っかかっていたのは、そこに出て来る彼の前任の鬼館長の名前が、ジョームズ・ロリマーであるということだったのだ!! なるほど、このような戦争中の命がけのプロジェクトに参加した、逞しい人だったから、負けずに逞しいと想像されるホーヴィングにとっても、生き生きと描く対象になったわけだ。それにしても、人間の記憶力は本当に面白い。仕事上で何回会ってもどうしても名前を覚えられない人も多いのに (笑)、何年も前に読んだ本の印象が、全く別の機会にこのような記憶として、面識のない人の名前を浮かび上がらせるとは!! ご参考までにこの本の表紙を以下にアップしておこう。画像を取り込もうとアマゾンにアクセスしたところ、「お客様はこの本を 2007年 5月に購入しました」だと。ははは。さすがコンピューターは記憶が確かですなぁ。
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そんなわけで、いつも以上に脱線しまくりで、あえて映画自体の細かい批評は避けたが、いろいろな意味で見る価値のある映画だとお奨めしておこう。

by yokohama7474 | 2015-11-25 01:35 | 映画 | Comments(0)

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先日亡くなった犬がまだ元気であった頃、我が家は何度か犬連れで那須へ旅行したものである。那須サファリパークで野生動物の車への接近にひぃひぃ言うのも楽しかったが (あ、犬はライオンに食われると危険なので、入り口で預けました 笑)、いろいろ美術館もあって、文化面でも充実した場所である。その那須高原にニキ美術館という美術館があるのは知っていて、ニキ・ド・サンファルの楽しげな作品の写真を見て、いつか行こうと思ってはいたのだが、結局果たせずにいるまま、2011年に閉館してしまったらしい。今、東京六本木の国立新美術館で12月14日まで開かれているニキの展覧会は、2014年にパリのグラン・パレで開かれた大回顧展の日本への巡回展であるが、那須にあったニキ美術館の旧収蔵品 (ニキと親交を持ち、彼女を日本に本格的に紹介した増田静江 (Yoko という愛称で呼ばれた) のコレクション) もかなりの割合を占めている。一体いかなる内容なのか。会場ではこんなキャラクターが宙に浮いて来場者を歓迎してくれる。
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ニキ・ド・サンファル (1930 - 2002) は、フランス人の父とアメリカ人の母の間にパリで生まれ、幼少の頃アメリカに移住した。代表作は、ナナと呼ばれるふくよかな女性像のシリーズで、これだけ見ればなんともかわいらしくポップで、見ている方もなんだか楽しい気分になってくる。
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その美貌を活かし、若い頃はモデルとして活躍したという。
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美術の専門教育は受けていないそうだが、20代前半から精神療法として絵を描き始めた。と、しらっと書いてしまったが、このようなオシャレで華やかな雰囲気の中に、精神を病む要素が一体どこにあったのだろうか。実は私ももともとそのあたりの知識はなく、ニキといえばナナという画一的なイメージを持っていたのであるが、先日 NHK の日曜美術館でこの展覧会の特集を見て、彼女が実父に性的迫害を受けたという事実を知った。そして実際にこの展覧会に足を運び、彼女の芸術の根源的な部分に、明らかに性的なオブセッション (強迫観念) があることを実感し、これまでの無知を恥じたのである。従って彼女の創作活動は、消えることのない憎しみと、悲惨な状況からの脱却という要素によって、女性という存在の社会との関わりをポジ、ネガ双方の点で呵責なく描き出し、そして浄化を求めてもだえ苦しむ自分の姿をさらけ出すということであったと知った。創作活動を始めてからの彼女の写真もいろいろあって、もちろん美人ではあるものの、そう思ってみれば、どこかに必ず影があるようにも見える。社会に向けて何か発信すべき言葉を見つけようとしているのだろうか。
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初期の作品は明らかにジャスパー・ジョーンズの模倣であったり、またジャクソン・ポロックばりの抽象表現主義もある。これらはあまり目にする機会のない貴重な作品だ。ところがジョーンズやポロックと違うところは、いかなる場合でも彼女の興味は人間に向いているということではないだろうか。
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そして一連の呪術的な作品群がある。これはその中でも強烈な印象を与える、1963年に制作された「赤い魔女」。その前、1962年に彼女は射撃絵画という活動を行っていたが、これは、絵の具を入れた容器や彫刻を並べてそれをライフルで撃ち、流れ出た絵の具が作品として残るというもので、冒頭に掲げたポスターの中でライフルを構える彼女の姿は、そのときの様子だ。この頃流行ったハプニングというパフォーマンスアートの一種と呼べる。一転してこの「赤い魔女」は、その毒々しく飛び散る色彩は射撃絵画の余韻を伺わせるものの、胸の中にいる聖母、股間に向けられた黒い手など、聖なるものと俗なるものの混在には、偶然性が入り込む余地がないと思わせる。なんとも痛々しい作品だ。
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そして 60年代半ばからナナのシリーズに入るわけだが、このような経緯を見てしまった鑑賞者には、このような微笑ましい姿に、ただ単にふくよかさだけを見ているわけにはいかない。これは、彼女の心の闇を浄化する地母神のような女神ではないのか。日本の土偶を思わせるところもある。
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展覧会に展示されているニキの作品の多くは、いわゆるアウトサイダーアート、あるいは最近よく使われる言葉では、アール・ブリュットに分類されるべきものだ。アール・ブリュットとは、「生の芸術」という意味であり、画家のジャン・デュビュッフェの命名によるものだ。スイスのローザンヌに、このアール・ブリュット専門の美術館があるが、もちろん私はそこを訪れたことがある (駐車場がなくて苦労した)。一口にアール・ブリュットと言っても様々だが、見る者を不安にさせるような奇妙な形態の対象物が執拗に描かれているケースが多く、鑑賞者は戸惑いながらもそこに表れた、アカデミズムとは無縁のむき出しの精神のシグナルに圧倒されるのが常である。例えばこれなどどうだろう。
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会場では 2箇所、写真撮影が許された場所がある。これはなかなか粋な計らいである。ひとつは、ニキが日本で見た仏像に影響を受けて作った「ブッダ」(1999)。この作品が展示されているコーナーには、様々な宗教的な主題の作品が並んでいるが、瞑想的であると同時にきらびやかなこの巨像の姿は、いかにもニキの作品であると実感する。またもうひとつは、出口手前にある「翼を広げたフクロウの椅子」(1999)。この椅子に座ると、カラフルなヴィジョンが広がるだろうか。
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さて、今回初めて知ったことには、ニキはイタリアのトスカーナ地方に20年以上の歳月をかけて、「タロット・ガーデン」という公園を作っている。これは、ガウディ設計によるバルセロナのグエール公園 (私は 2度訪れたことがある) に刺激を受けたものとのことだが、このタロット・ガーデンの写真を見ると、印象としてこれに近いものは、むしろ南仏ドローム県というところにある、シュヴァルの理想宮だと思う。このシュヴァルの理想宮にも私は実際足を運んだことがあって、たった一人の郵便配達夫が何十年と石を積み上げて作った世界でも類を見ない建築 (?) に言葉を失ったものだ。そちらの建造物には色はないが、このニキのタロット・ガーデンは色彩鮮やかで、その点はグエール公園を思わせるところも確かにある。なんでも、ポリシーによって世界のどのガイドブックにも載っていないそうだが、4月から10月までの間、わずかな時間だけ公開されているという。これは是非行ってみたいものだ。会場で売られていた日本版の写真集を早速購入。この不思議空間への憧れが広がる。
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そんなわけで、これまで一部の作品のイメージしか持ち合わせていなかったニキ・ド・サンファルの全貌に迫ることができるよい機会となった。心の闇を芸術というかたちに昇華して、誰にでもアピールすることに成功した彼女の生き方から学ぶところは多いと思う。彼女のような悲惨な目に遭ったことのない人であっても、彼女の創作を通して、前向きな姿勢で生きるヒントを得られるはず。できれば、那須にあった美術館のように、彼女の作品にまとめて触れられる施設があって欲しいものだ。

by yokohama7474 | 2015-11-23 17:54 | 美術・旅行 | Comments(0)

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この演奏会は、これまでの東京交響楽団とその音楽監督、ジョナサン・ノットの演奏会の中でも、最も凝りに凝った内容を持つものではなかろうか。上のポスターにもあるが、曲目は以下の通り。

 リゲティ : ポエム・サンフォニック (100台のメトロノームのための)
 バッハ (ストコフスキー編) : 甘き死よ来たれ BWV.478
 リヒャルト・シュトラウス : ブルレスケ ニ短調 (ピアノ : エマニュエル・アックス)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 15番イ長調作品141

ポスターに引用されているノットの言葉は、「21世紀に生きる私たちにとって、過去に残された宝石のような作品を集めてみました」というもの。これはどういう意味なのか。それを考えるきっかけは、やはりポスターに記載されている楽団からのメッセージに秘められている。いわく、「リゲティ : ポエム・サンフォニックは開演時間前 (開場時) から演奏が始まっておりますのでぜひお早めにご来場いただき、珍しい演奏をお楽しみ下さい」とのこと。むむ、一体これはどういうことか。

言われる通り、開場時刻にホールに入った人たちが見た光景はこれだ。本当はステージをそのまま写真に撮ろうと思ったのだが、係の女性に撮影禁止と注意されたため、ロビーのモニターを撮影したもの。
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誰もいないステージ上、左右に何やら白い物体がところ狭しと並べられている。これは何かというと、メトロノームであるのだ。1曲目に置かれたリゲティの「ポエム・サンフォニック (100台のメトロノームのための)」(1962年作曲) は、作曲者言うところの「リズムによるひとつのディミヌエンド」である。つまりここでは、文字通り 100台のメトロノームがそれぞれ違った速さに設定されていて、コチコチ音を刻んでいるのだ。当然その音は千差万別で、あたかも滝の音に耳を澄ますと聞こえてくる、細かい流れのぶつかりあいのようだ。そしてこれらのメトロノームはひとつまたひとつと停まって行き、最後には 1台がコットンコットンと時を刻むようになる。その時までには指揮者もオーケストラも舞台上に登場しており、あたかも死に瀕した人物の心臓の鼓動のように響くメトロノームに耳を傾ける。そして、最後のコトッという音とともにメトロノームが静まり返ると、おもむろにバッハの「甘き死よ来たれ」の荘厳なメロディが始まる。その題名は、メトロノームの表す死のイメージにぴったりであり、東京交響楽団の紡ぎ出す音は、静けさがそのまま伸びて行くような絶妙な効果を表している。そしてさらに、バッハの演奏が続いている間にピアニストが登場、そのままリヒャルト・シュトラウスの「ブルレスケ」の演奏に入るという趣向である。その効果は絶大であるが、この 100台ものメトロノームは、コンサート終了後、一体どうするのか。心配ご無用、川崎市内の中学校に寄贈されるそうだ。なんともしゃれたことをする。知恵者ノットの面目躍如だ。

この日ピアノを弾いたのは、現代を代表する大ピアニスト、エマニュエル・アックスだ。
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1949年生まれなので、今年 66歳。まさに油の乗り切った巨匠である。ただ、巨匠然としたところはなく、ご覧頂けるように親しみやすい人柄のようで、先日の内田光子のリサイタルでも客席に姿を現し、休憩時間にはチェロの堤 剛と談笑して、写真撮影したがる人の要請に応じて、肩を組み合ったりしていたものだ。しかしながら、この大らかな外見にもかかわらず、その音楽は透明な水のようになめらかで美しい。今回演奏されたリヒャルト・シュトラウスの「ブルレスケ」は、作曲者 20代の作品で、それほど感動する内容ではないものの、このような達者なピアニストにかかると、素晴らしい表現力を感じることができるから不思議だ。ノット指揮するオケも、切れ味鋭い演奏で、曲の本質をよく表していた。このアックスは、ヨーヨー・マやパールマンともよく共演していて、てっきりアメリカ人かと思いきや、今の国籍はアメリカでも、もともとポーランドの出身らしい。アンコールにはそのポーランドが誇るショパンのワルツ第 3番作品34-2が演奏され、その抒情が人々の胸を打った。素晴らしいピアニストだ。

休憩後のショスタコーヴィチ 15番 (1971年作曲) は、これぞノットの指揮で聴いてみかたった曲だ。ロッシーニの「ウィリアム・テル」やワーグナーの「指環」、「トリスタン」の引用など、聴けば聴くほどに謎めいた曲である。もともと現代音楽の演奏でその名を高めたノットは、非常に見通しのよい音楽作りで、謎は謎のまま、但し緩急を巧みにつけて様々な思いを聴き取ることのできる秀逸な演奏を展開した。本当に東響の演奏能力は大したものだ。これだけ奇妙な曲を説得力をもって演奏するには、各奏者が自分のポジションをよく把握してバトンを渡して行く必要あると思うが、実際にそのリレーがうまく行っているのを聴くと、こちらまで嬉しくなってくるものだ。私はこのショスタコーヴィチの最後の交響曲の神秘的な終結部が大好きだ。弦がたなびく雲のように弱音で響いている中、打楽器がチャコポコチャカポコと、まるで深い霧の中に静かに消えて行くような音楽で、政治に翻弄されたこの作曲者が最後まで外すことのなかった仮面が、霧の中で不気味に微笑んでいる。ここでは、実に 7人の打楽器奏者が同時に、かつ静かに演奏しているのだが、その音のいずれもが必要だ。ノットの指揮のもと、最後までオーケストラはプロの技で応えた。

プログラムにノットのインタビューが掲載されているので、少しご紹介しよう。まずこの演奏会のテーマは、「生と死」であること。しかも、ヨーロッパとは異なり東洋では、生と死は円環を描いてつながっている。そこに細かいリンクを持ち込むこととしたと。そのリンクとは、打楽器。最初のリゲティのメトロノームに始まり、「ブルレスケ」ではティンパニが活躍、そして最後のショスタコーヴィチでは、上述のように、打楽器が最後を看取るのである。ショスタコーヴィチ 15番については、以下のように語っている。

QUOTE

ショスタコーヴィチはもちろん大好きですが、これをうまく演奏するのは大きな挑戦です。これまでに第 4、第 5、第10も指揮していますが、第15番は最も興味をそそりますね。これが彼の最後の交響曲だという作曲家の意識が伝わってきますし、開かれた風景が目の前に広がっていくのです。繊細であり、きわめてパーソナルな部分もある。そもそもこの作品が語ろうとしているものが何であるのかは明確ではありません。- むしろ、これまで経験してきた人生が意味することを確定できない、定義できないというのがこの作品の強みだと思います。

UNQUOTE

なるほど、やはり謎を謎のまま描こうとしていたようだ。それにしても、今回のような特殊なプログラムで、これだけ充実感をもって演奏できる指揮者を、東京にいながらにして頻繁に聴けることはなんという幸せか。外来オケの名曲シリーズも結構だが、このような意欲的なコンサートが、真の意味で東京の文化生活を豊かにしているのである。2026年までこの地位を継続することになっているノット。これからも期待しよう。これからどんな演奏を聴かせてくれるノット。
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by yokohama7474 | 2015-11-23 00:59 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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エコール・ド・パリの一員として、1920年代のパリで活躍した藤田嗣治。だがその後半生は挫折と謎に満ちているのだ。今、「Foujita」という映画 (小栗康平監督、オダギリ・ジョー主演) も公開されており、世界に挑んでいった画家の姿を垣間見ることができる。この展覧会は、これまで並べて展示されたことのない藤田の 14点の戦争画をはじめ、東京国立近代美術館の所蔵する藤田の作品 25点すべてが勢ぞろいする貴重な機会だ (12月13日まで)。因みに、タイトルにある MOMAT とは、東京国立近代美術館のこと。ニューヨークにある有名な近代美術館、MOMA に、Tokyo の T がついたものと覚えればよい。

この展覧会、いかにも藤田らしい乳白色の裸婦や、組んずほぐれつする猫の絵もあるが、まず目を引くのが、藤田がパリで頭角を現す前夜、1918年の作品、「パリ風景」だ。
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この薄暗い感じは、後年の藤田にはないもので、異国の地で成功を望みつつも不安にさいなまれている画家の内面をよく表しているものと思う。

さて、戦争画である。藤田は戦争に従軍してまで戦争のリアリティを感得した稀有な画家だ。一連の戦争画を描いたことによって、戦後は国内で白い目で見られることが多くなり、どうやらその息苦しさを逃れるためにフランスに渡り、帰化したものであろうか。ではその 14点の戦争画を、一部であったりピンボケであったりするものの、私が図録から撮った写真で制作順にご覧頂こう。これは「南昌飛行場の焼打」 (1938 - 39) という作品の部分。
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この明るく繊細な筆致はまぎれもなく藤田のもの。白昼夢のような戦争の一場面を切り取った作品だ。そして次が「武漢進撃」(1938 - 40)。
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この河の様子は、華やかな感じはないものの、あの藤田の乳白色ではないか。空の様子も非常に美的にとらえられている。次は、「哈爾哈 (はるは) 河畔之戦闘」(1941)。それまで日本は日中戦争を戦っていたわけであるが、この年の 12月、とりかえしのつかない太平洋戦争に突入して行くのだ。
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戦争を描いているにもかかわらず、ここでも藤田の絵は繊細さを失っていない。本当の意味での殺し合いの恐怖は、ここからは感じられない。そして次の絵から、その色彩ががらっと変わるのである。「十二月八日の真珠湾」(1942)。
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その名の通り、日本軍の真珠湾奇襲によってアメリカの基地が打撃を受ける様子を描いている。まだこれから迫りくる悲惨さを知らない画家は、俯瞰図によって日本の勝利をキャンバスに残した。だが、ここに見る色彩の抑え具合はいかがであろうか。あたかも、1918年の陰鬱なパリの風景に戻ったようではないか。これから画家は、日本軍が陥って行く泥沼とともに、暗い色調に沈んで行く。これは「シンガポール最後の日 (ブキ・テマ高地)」(1942)。
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ちょっと見えにくいが、シンガポールを攻略する日本軍だ。地べたに這いつくばるその姿は、決して英雄的なものではない。まさに戦場の悲惨なリアリティを描いている。次は、「ソロモン海域に於ける米兵の末路」(1943)。局地戦でかろうじて生き残った米兵であろうか。はしけに乗って漂流しているが、その姿には絶望感が漂い、それを嘲笑うような鮫の背びれが海上に浮かんでいる。
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ヨーロッパには、舟に乗った人たちの絵がいくつもある。まず思い当たるのは、ドラクロワの「ダンテの小舟」だ。また、それに先立つ、海難事故を描いた初めての絵画、ジェリコーの「メデューズ号の筏」だ。藤田の頭の中に、ヨーロッパの伝統から新たな戦争画を描くという発想が生まれているのが分かる。次は、彼の戦争画の最高傑作とされる、「アッツ島の玉砕」(1943) だ。
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この波打つ肉弾戦の真に迫る描写は、なんと凄まじいことか。ここには戦争の英雄もいなければ、自国軍隊の圧倒的勝利という美化された風景もない。空も地面も海も兵士の服も顔も、同じ茶色に染められている。かつて乳白色でパリを唸らせた藤田が、なにやら鬼気迫る迫力で描き出した戦争の真実だ。この島での玉砕は、日本国民を鼓舞する目的で報道されたとのことだが、この藤田の絵を見て勇気を奮い起こした人がいただろうか。私が当時生きていたなら、とにかく戦争にだけは行きたくないと思ったことだろう。これから同じような色調の絵が続く。「○○部隊の死闘 - ニューギニア戦線」(1943)、「血戦ガダルカナル」(1944)、「神兵の救出到る」(1944)、「大柿部隊の奮戦」(1944)、「ブキテマの夜戦」(1944)。
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ここでは、藤田のどのような心境が読み取れるだろうか。恐らくは、戦争画というヨーロッパでは古来確立した絵画の分野で、日本人としてそれまでになかった悲惨な戦争の真実を赤裸々に描くことで、愚かさと尊さの二面性を持つ人間の営みを記録しようという意欲ではないだろうか。あたかも芥川龍之介の「地獄変」のような鬼気迫る芸術家の姿を思い浮かべても不適ではあるまい。そして終戦の年に描かれた最後の 2枚。「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945)、そして「薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す」(1945)だ。
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これが藤田の戦争画のすべて。この記事の冒頭に掲げた写真の通り、藤田作品に限らないこれら戦争画は、ある種の忌まわしい記憶として、この東京国立近代美術館の倉庫に眠り続けている。だが、これらの絵を見て、戦意高揚の御用絵画と思う人はほとんどいないのではないか。戦争という題材を使って藤田は、自らの新しい世界を創ろうとしたことが読み取れるし、そのリアリティには、本能的に人を恐れさせるものがあると思う。これはヨーロッパの戦争画にもまず見られない、藤田独特の世界であると思うのだ。

第二次大戦が終結してから既に 70年だというのに、東アジア地域では未だにその歴史が陰を落としている。今こそ我々は、せめて芸術の分野で第一級の才能がいかなる活動を行ったか、じっくりと見るべきであろう。過去を消すことはできない。だが一方で、消すことのできない過去があるからこそ、未来に思いを馳せることができる。藤田嗣治がいかなる思いを抱いて日本と向き合ったか、ここで詳細を述べることはしないが、何より彼の作品が様々なことを雄弁に物語っている。一人でも多くの方に、この藤田のメッセージを感得して頂きたい。

by yokohama7474 | 2015-11-22 23:41 | 美術・旅行 | Comments(2)