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スター・ウォーズ / フォースの覚醒 (J.J. エイブラムス監督 / 原題 : Star Wars The Force Awakens)

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これは世間で言うところの常識であろうが念のために書いておくと、スター・ウォーズは全 9作構成になっていて、1977年に製作された最初のものは、エピソード 4。「新たなる希望」という副題が後になってつけられた。最初の三部作はエピソード 4・5・6。それからエピソード 1・2・3 の順に製作されてきた。直近の製作になるエピソード 3 は 2005年の作。なんでも、エピソード 1~3 はアナキン三部作、4~6 はルーク三部作、そしてこれから始まる 7~9 はレイ三部作だそうだ。レイとは、上のポスターで真ん中左側にいる若い女性。彼女がこれからの主人公ということになる。今回のエピソード 7は昨年、2015年公開だから、最初の作品から既に 38年。前回の作品、エピソード 3 からでも 10年の期間を経たことになる。実に息の長いシリーズである。私は特に熱狂的なスター・ウォーズ・ファンということでもないけれども、もちろんすべてのシリーズを見てきている。また随分以前だが、このシリーズの美術に関連する展覧会にも出かけたことがあって、もとはといえばジョージ・ルーカスというひとりのクリエーターの頭の中の構想が、何百人、何千人という作業者の手を経て映画になり、それが世界何億人の人たちに発信されているのだということを考えるとクラクラしたものだ。今回の作品の世間の評価がどうなのかはよく知らないが、私の回りの人たちの中には、これを天下の名作と思っている人はいなさそうだ。劇場は充分混雑してはいるが、正月映画として「妖怪ウォッチ」に興行成績が負けてしまったと聞いたが、さて、その中身やいかに。

私の期待の第一は、監督が J.J. エイブラムスであるという点であった。現在進行中の「スタートレック」シリーズもよいが、スピルバーグ製作による「スーパー 8」がファンタジーあふれる素晴らしい作品であったからだ。スター・ウォーズ・シリーズの新作ともなると、世間の期待も大きなプレッシャーになり、知名度による動員もあらかじめ相当見込めるとはいえ、いわば成功して当たり前。もし面白くなかったら大変なことになる。今回の脚本は、監督自身と、それから、「シルバラード」等の映画が封切られたときには名監督と評価されたローレンス・カスダンも名を連ねている。

多分この映画に不満を覚える人は、以前のシリーズを見ていれば、「なんだ、前のと同じじゃん」と思う人であろうし、以前のシリーズを知らないなら、「クライマックスのサスペンスが最近の映画にしてはイマイチ」という人なのではないだろうか。だが、私としては、だからこそこの映画は評価に値すると考えたい。例えば、3-CPO と R2-D2 がほとんど出てこない代わりに、BB-8 というロボット (劇中ではドロイドと呼ばれる) が出て来て、観客を楽しませてくれる。下のボールの部分が転がり、上部の顔のような部分は水平に保たれているという構造。CG ではなく実際にそのような動きをするものを作ったらしい。これが人の会話に様々反応し、なんとも可愛らしいのだ。
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それから、酒場のシーンを中心にワサワサ出て来るクリーチャーたちは、これも CG 全盛時代に、あの昔ながらの手作り感満載だ。
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それから、主人公たちの乗り物。レイが颯爽と砂漠の中を走り抜けるこのアイスキャンディのような乗り物も、第 1作の乗り物からしてそうであったように、停まっているときも自然に宙に浮いていて、懐かしささえ覚える。
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そのように、明らかに作り手の意図は、昔ながらのスター・ウォーズの世界、あるいは第 1作のエピソード 4 への回帰にあるように思う。正直、アナキン三部作と呼ばれるらしい、エピソードの 1から 3は、あまり面白くなかった。アミダラ姫を演じたナタリー・ポートマンがどこかのインタビューで、CG や合成が多くて、撮影のときに完成作を想像もできず、実際に作品を見たときに、「行っていない旅行の写真に自分が写っている感じだった」と語っていたが、いやいや、それはよく分かる。もちろんこの作品も CG・合成満載であるが、クローン大戦が起こるわけでなし、役者の体が大きな実在感を持っている。

題材に関しても、過去を思い出させる要素が様々ある。黒いマスクをかぶって声のこもった悪役。繰り返される親子の確執。引き離された家族。目覚めていくフォース。そして大詰めは、巨大な敵の要塞を攻撃するシーンで、これはデススター破壊と同じではないか。だが、これって何かちょっとほっとしませんか。例えば最近のスーパーマンシリーズを考えてみよう。力の強い者同士が殴り合うシーンをリアルに表現しようとすると、地面は砕けビルは壊れ、うるさいことこの上ない。X-Men やアベンジャーズも、なんだかよく分からない強敵が現れ、どうやって地球を危機に陥れるかを考えることに作り手が汲々としている様子が伺える。その点スター・ウォーズ・シリーズなら、原点に戻るという選択肢があるのだ。これは、エピソード 4 でハン・ソロとチューバッカが乗っていたミレニアム・ファルコン。本作ではレイが、「長年放置されているおんぼろ船」として脱出に利用する。カッコいいじゃないですか。なんとも効率的な廃品利用であり、技術の伝承だ (笑)。
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その一方で、第 1作から 40年近い時の流れを感じる点も多々ある。象徴的なのは主人公たち。レイア、ルーク、ハン・ソロという 3人はいずれも白人であった。今回新たに出て来るキャラクターの中心 3人は、女性、黒人、ヒスパニック。レイアは勇敢に戦う女性ではあったかもしれないが、男性を励まし、ついて行く女性であった。だが今回の主役レイは、男に手を引かれると引きはがし、自らバッタバッタと敵をなぎ倒すのだ。まあ、マスクに隠れて顔の見えない帝国軍側の兵士も、こうなると実は女性が多いのかもしれないが (笑)。演じるデイジー・リドリーは 1992年生まれの英国人。これが本格的な映画デビューのようだ。新時代のフォース覚醒にふさわしい素晴らしい女優ではないか。
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この、女性、黒人、ヒスパニックが救うアメリカ合衆国、あ、違った、共和国であるが、しかし、第 1作と決定的に違うのは、そのエンディングだ。今でも明確に覚えている、祝祭感覚あふれるあのエピソード 4の華やかで和やかなラストシーンと異なり、今回の勝利には笑顔はない。犠牲になった命への哀悼と、まだまだ続く戦いへの緊張感が支配しているのだ。これこそ、1977年時点の米国 (ソ連崩壊も、湾岸戦争も、9・11 テロも、黒人大統領も、IS の台頭も知らない米国) と 2015年時点の米国の明らかな差ではないか。この映画にはその時々の米国の在り方が、如実に反映されているのだ。

またこの映画の美点は、以前の 3人、レイア・オーガナ役のキャリー・フィッシャー、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミル、ハン・ソロ役のハリソン・フォードが揃って出演していることだ。その間に過ぎ去った時間をそれぞれリアルに顔に刻印して。ハリソン・フォードは近年自家用飛行機の墜落事故に遭っており、ヒヤリとしたが、皆健在でよかった。もっともこの 3人のうちで立派にハリウッドのトップ俳優としてキャリアを築いたのは彼だけなのであるが、そのキャリアに恥じない、とても 73歳には見えない素晴らしいハン・ソロぶりであった。マーク・ハミルの場合は、以前「キングスマン」の記事でも紹介した通り、なんとも老けた感じになってしまって、この映画にはもう出られないのかと思っていた。しかしながら、本当に最後の最後、孤島に隠遁するルーク・スカイウォーカーとしてほんの少しだけ登場するのだ。こんな感じ。なるほどこれはこれで、悪くはない。よく見ると面影があるし。
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それにしても、ほんの数カットにしか出てこないのに、この映画のエンドタイトルで、彼の名前は役者として 2番目に登場するのはいかがなものか。効率的なギャラの稼ぎ方である (笑)。そういえばエンドタイトルでもうひとり、驚きの役者名を発見。マックス・フォン・シドー。実に 86歳のスウェーデンの名優だ。往年のベルイマン映画で歴史に名をとどめる伝説的俳優だが、あの「エクソシスト」のときですらお爺さんだと思ったのに、まだご健在とは!! ロア・サン・テッカという役で少しだけ出ていて、正直なところ私も見終ったあとで彼と気づいた次第。これは本作のワールドプレミエのときの写真だ。帝国軍の兵士と一緒とは、天国のベルイマン監督が見たら腰を抜かすんじゃないかな (笑)。
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さてさて、このようにこの作品は過去に学び、原点の偉大さに敬意を払いながらも周到に現代の要素を取り入れているのであるが、嬉しかったのは音楽だ。ここでは、ジョン・ウィリアムズの手になるあのメインテーマが高らかに使われていることに加え、音楽担当者として彼の名前がクレジットされているので、実際に新たに作曲したものも入っているのだろう。実は、「ブリッジ・オブ・スパイ」では当然盟友スピルバーグと組んで音楽を担当するはずであったのが、体調不良で果たせなかったとのこと。もしかすると、本作で疲れ切ってしまったのかもしれない。彼も既に 83歳。映画音楽というハードワークに耐えるだけの体力維持がなかなか難しいのかもしれないが、是非、まだまだ頑張って欲しいものである。
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では最後に、音楽ファンの方々にとっておきのネタをご提供しよう。これはウィキにも、映画のプログラムにも書いていないことだ。これだけの規模の映画では、エンドタイトルに目を凝らすのも大変なのだが、ひとつ目に入った情報がある。この映画の音楽は、作曲は上記のジョン・ウィリアムズ。そして劇中に使われている演奏を指揮しているのは、作曲者自身と、もうひとり知らない名前があった。フーン知らないなと思った次の瞬間、その下に、Special Guest Conductor というタイトルで、あっと驚くある有名指揮者の名が登場。それはこの人だ。
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なんと、今をときめくあの天才指揮者、グスタヴォ・ドゥダメルではないか!! 一体どの部分の音楽を指揮しているのか知らないが、Special Guest ということは、場合によってはメインテーマだったりするかもしれない。もしかするとこの役目は、彼が今、ハリウッドのおひざ元 LA のロサンゼルス・フィルの音楽監督であることと関係しているのだろうか。そういえば、第 1作が封切られたときに同じロス・フィルの音楽監督であったズービン・メータ (今年 80歳) は、サントラとは別に、ロス・フィルとともにこの曲のテーマを録音していたものだ。その意味でもこの作品は原点回帰、そして世代交代を意識した製作態度を通しているように思う。どんな天才鬼才も、年は取って行く。だが、あらゆるかたちでその経験や技術が伝承されているところに文化のよさがある。素晴らしいことではないか。

by yokohama7474 | 2016-01-31 23:15 | 映画 | Comments(0)

山田和樹指揮 日本フィル マーラー・ツィクルス 第 4回 2016年 1月30日 Bunkamura オーチャードホール

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このブログでは過去に何度か、期待の若手指揮者、山田和樹について採り上げてきたが、その彼の真価を問うべきシリーズが今年も始まった。3年かけてマーラーの番号付交響曲を作曲順に演奏するツィクルスだ。昨年の第 1期では 1・2・3 番が演奏され、今回から 3ヶ月に亘って開かれる第 2期では 4・5・6番が演奏される。第 1期は「創生」と名付けられていたが、この第 2期は「深化」となっており、来年開かれる第 3期は、「昇華」である。私は去年も今年も通し券を買っているが、実は去年の 3回の演奏会のうち、第 2番「復活」は出張のために聴けなかった。であるからこそ、今年の 3回はなんとしても全部聴きたい。でも、音楽過密都市東京のことである。今回の 3回はいずれも、なかなかに諦めがたいほかのコンサートや舞台上演とバッティングしているのだ。苦渋の決断ではあったが、コバケン、パーヴォ・ヤルヴィ、小澤征爾をすべて諦めて山田和樹にかけることにした。山田さん、もしこれをご覧になっていれば、このような私の意気込みを是非ご理解下さい (笑)。

さて、東京では過去にも様々な一流演奏家によるマーラー・ツィクルスが開かれてきているが、その中でも最も過激であったのは、東京芸術劇場のこけら落としとして 1990年に行われた、ジュゼッペ・シノポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団によるもので、これはほぼ 2週間のうちに、「大地の歌」、第 10番のアダージョを含む全交響曲のみならず、歌曲のすべてとカンタータ「嘆きの歌」を演奏するという恐るべきものであった。なんちゅう無茶をしたものか。その過労もあってか、医者でもあり古代エジプト研究者でもあった稀代の名指揮者シノポリは、2001年、ベルリン・ドイツ・オペラで歌劇「アイーダ」を指揮しているまっ最中、轟音とともに指揮台に倒れ、54歳で帰らぬ人となったのだ。マーラーを演奏するとは、かくも命がけのことなのである。ちなみに、このツィクルスの「大地の歌」の回では、アルトを歌った名歌手ワルトラウト・マイヤーとの関係が当時噂されていたダニエル・バレンボイムが、客席で譜面を見ながら演奏に聴き入っていたことを鮮明に覚えている。

さて今回のツィクルスであるが、上記の通り 3年がかりの無理のないスケジュールで行われ、まだ 36歳と若い山田のことであるから、安心して下さい。はいてます、じゃなくて、ハイテンションで行くことであろう。このツィクルスの特徴は、マーラーの交響曲の前座として、必ず武満 徹 (たけみつ とおる) の音楽が演奏されることだ。我々の世代にとっては説明の必要ない、名実ともに日本最高の作曲家であったが、最近の若い人にとっては新たな発見があるのかもしれない。山田自身、1996年に逝去した武満との直接の面識はなかったことであろう。
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武満についてあれやこれやを書き始めるときりがないので、材料をひとつだけに絞ろう。実は、先日のアラン・ギルバート指揮の東京都響の演奏会で少し触れた、1988年のハインツ・レークナー指揮読売日本響のプログラムに掲載されている、音楽評論家 向坂正久による武満のインタビューだ。マーラーについてどう思うか訊かれた武満は、「全然関心なかった」と答えている。ニューヨークの友人から、ブルーノ・ワルター指揮の「大地の歌」を薦められて聴いてみて少し関心が生まれ、実は彼の作品とマーラーの作品を同じ演奏会で演奏するケースが多いことに気付いたらしい。そして彼の評価は、マーラーは「好きなところもあるし、そうでないところもありますが、ヨーロッパ文化の根深さのようなものを感じますね」と答えている。いかにも独学の教養人らしい回答ではないか。

さて、例によって長い寄り道はこのあたりにして、今回の演奏会について触れよう。今回、メインはマーラーの交響曲第 4番ト長調。その前に演奏されるのは、武満の 1992年の作品、「系図 - 若い人たちのための音楽詩 -」である。私はこの作品には、同じ年の小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによる日本初演の演奏のテレビ放送によって初めて触れたが、実はニューヨーク・フィルの創立 150周年として委嘱され、レナード・スラトキン指揮によって世界初演されたとのこと。武満とニューヨーク・フィルと言えば、創立 125周年の際に書かれた代表作「ノヴェンバー・ステップス」が有名だが、その 25年後にも委嘱されたとは知らなかった。この曲、詩人谷川俊太郎 (武満の親しい友人であった) が書いた全編ひらがなの詩 (「わたし」が家族のそれぞれを描写する内容だが、柔らかな雰囲気の中にかなり毒を含んでいる) を作曲者が自由に組み合わせて使用している。題名にある通り、「若い人」が語りをする。このシリーズでは指揮者の山田自身が毎回開演前に舞台に登場してプレ・トークを行うのであるが、それによると、この語り手をどうするか大変悩んだとのこと。「有名な女優さんを使う手もありますが」と言っていて、それはこのブログでも採り上げた、今月の N 響定期における松嶋菜々子を差しているのかと勝手に想像した。結局、選択はひょんなことからなされた。山田が飛行機の中である映画を見て気に入った女優がいたが、この曲で想定されている 10代半ばよりは少し年齢が上らしい。だが山田はネットで調べて、この女優には、やはり女優の妹がいることを発見。現在 15歳の彼女に白羽の矢が立ったのだ。彼女の名前は上白石 萌歌 (かみしらいし もか)。
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彼女の姉は、上白石 萌音 (もね)。あの周防正行監督の「舞妓はレディ」の主役である。山田が機内で見た映画とは、きっとこれであろう。私は昔から周防監督の大ファンなのであるが、最近は作品を撮らない期間が長くて、それにしびれを切らすあまり (?)、この最新作を見損ねてしまった。まあそれはよいとして、この 15歳の女優さん、大変立派なことを成し遂げた。手元で何も見ることなく、全編暗記で語りを通したのだ。それはそれは堂々たるステージマナーで、にこやかな微笑みが会場全体に行き渡るような、すばらしい語りであった。今後が楽しみである。ただ、意地の悪いことを言えば、一箇所、「箸」を「端」と発音してしまっていた。細かくてすみません。山田と日フィルは、大変ニュアンス豊かな演奏で彼女に対して万全のサポートを提供した。

さて、メインのマーラー 4番であるが、これは彼の全交響曲の中でも、最も穏やかな曲である。楽器編成も、印象的な鈴の使用がある一方で、金管にはトロンボーンとチューバを欠いている。ただ、穏やかで美しい一方でシニカルな面もあり、そこはそれ、腐ってもマーラー (?) である。私のように長らくクラシック音楽を聴き続けてくると、有名曲の持ち味は勝手に自分の中で整理ができてしまうのであるが、今回、山田のプレトークでいくつか発見があった。まず、今回の武満とマーラーの組み合わせのテーマは、「子供」であると。なるほど、ここでもまた、先の N 響との演奏会 (明確に子供の遊びをテーマにしていた) との連続性が伺える。この指揮者、自身が子供のような童顔でありながら、なかなかの曲者だ (笑)。それから、この曲の冒頭で現れる鈴の音が道化師の前口上だというのだ。その鈴は、ソプラノ独唱の入る終楽章で再び戻ってきて、そこで歌われる天国の生活を揶揄する効果を持つ。うんなるほど、この曲のシニカルな部分は (第 2楽章の死神のヴァイオリンを第一の例として) 知っているつもりであったが、全編がパロディになっているのか。「天国の生活」の対照は、歌曲集「子供の不思議な角笛」に含まれている「浮世の生活」であるということも、今回言われてみて初めて気が付いた。なるほどなるほど。プログラムに掲載されている解説には、この曲 (1901年初演) が書かれた頃のマーラーはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したてであり、この曲にはウィーンへの皮肉が含まれているとある。第 1楽章開始部のテーマは優雅なウィーン舞曲であるが、その後の展開で、この地の上流社会の中に「天国の生活」が紛れ込む。第 2楽章はオーストリアの舞曲レントラーに死神がまといつく。第 3楽章は宗教的雰囲気と孤独感の中から、天国への扉が開かれる。そして第 4楽章で歌われる天国の生活には、シャンシャンと鈴が鳴り、不気味さを伴う。なるほど、ウィーンへの屈折した思いが横溢しているわけだ。武満言うところの、ヨーロッパ文化の根深さであろうか。

今回の日フィルの演奏は大変に安らかで美しいものであり、必ずしも毒々しい皮肉を想起させるものではなかったが、山田の指揮のもと、かなり細かい表情づけが成功していたように思う。目を引いたのは、ホルン、トランペット、ティンパニに、これまでのこのオケの演奏会で見覚えのない外人が揃っていたことだ。再三指摘している通り、これからの日本のオケの課題は金管であって、その意味では今回の試み (?) は大変面白い。また、ソプラノ独唱は小林沙羅によるものであったが、若干表情をつけすぎのきらいはあったものの、大変に美しい声であった。先に野田秀樹演出、井上道義指揮の「フィガロの結婚」でのスザンナ役を務めており、生のステージを見逃した私は、年末の BS 放送で見て大変楽しんだが、その勢いが続いているような歌唱であった。
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というわけで、大変充実したコンサートであったわけだが、オマケが 2つ。ひとつは、2月19日発売の CD、昨年のツィクルスからの第 2番「復活」が、会場限定で特別先行発売されていたこと。上述の通り、昨年私が聴けなかった公演で、これをラッキーと言わずしてどうする。しかも直筆サイン色紙入りということで、ミーハーな私は早速ゲットしました。
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もうひとつは、これも会場限定で、来年の第 3ツィクルス (交響曲第 7・8・9番) の先行予約だ。終演後に受付開始されたのだが、驚くべきことに、早めに会場から抜け出たつもりだったが、優に 100人は超えるであろう人たちが列をなす大盛況であったのだ。ともあれ、無事チケットを入手してから日程を見てみて再度びっくり。第 3ツィクルスは、2017年 5月、6月、7月の 3回だ。うへー、そりゃまた随分先の話。まあでも、直前になってチケット入手に奔走する必要がなくなって一安心。待ちくたびれてしびれを切らすあまり、期日をうっかり忘れないようにしないといけませんな (笑)。新・ヤマカズ人気、おそるべし!!
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by yokohama7474 | 2016-01-31 00:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ブリッジ・オブ・スパイ (スティーヴン・スピルバーグ監督 / 原題 : Bridge of Spies)

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スピルバーグの名前は現代映画界においてヒットを約束する魔法の呪文であり、製作作品ではなく彼自身が監督した作品は、ロングラン間違いなしと思っていた。この映画の封切は 1月 8日 (金)。まだ 3週間しか経っていない。まだ全然大丈夫だと思っていたある日、私がよく行くシネコンでは、あろうことか 2月 4日 (木) で上映終了とあり、慌てて見に行く羽目になったのである。もちろん、映画好きたるもの、スピルバーグの新作を封切で見逃すようなことはあってはならないのだ。

実際に見てみて、あまりヒットしない理由もなんとなく分かるような気がした。それにはいくつかの理由があるので、以下で考えてみたいと思う。まず、予告編では、「普通の人に重要な使命が与えられた。さあどうする?」というイメージで宣伝されていた。ところが、トム・ハンクス演じる実在の弁護士ジム・ドノヴァンはいかなる意味でも凡庸な人ではない。日本はともかく、米国では明らかに最も重要な職業である弁護士であり、しかも凄腕であり、第二次大戦後のドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判では検察官を務めた実績もあるのだ。だから「普通の人」云々はこの際忘れよう。次の理由。これはスパイを題材にした映画である。最近のスパイ映画はこのブログでも採り上げてきたが、「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」「キングスマン」「コードネーム U.N.C.L.E.」「007 スペクター」に比べてこの映画の娯楽的要素はいかがか。1950 - 60 年代に実際に起こった事件をもとにしたこの映画、人間ドラマではあっても、決して超絶的な能力を持っているスパイの映画ではない。この点においてのみ、主役のジム・ドノヴァンを普通の人と呼んでもよい。そして第 3の理由。日本ではスピルバーグは未だ子供向けの映画の監督だと思われているのではないか。だが普通に映画の好きな人なら、この監督が随分以前から娯楽作品とシリアス作品との両方を撮ってきたことを知っているはず。
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そして彼の撮るシリアス映画は、どれひとつとして現代と切り結ばないものはない。この映画もそのひとつで、ユダヤ人であるスピルバーグが戦後のドイツ分裂を扱っている点に、既に歴史的な価値が生じている。だからこの映画は、面白いとか面白くないとかいうレヴェルで見てはならない、人類の宝なのだ。加えて脚本があのジョエルとイーサンのコーエン兄弟だ。これまたユダヤ人の兄弟だが、私の見るところ、スピルバーグと同レヴェルの、現在を代表する最高の映画監督である。
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それからもうひとつの課題は邦題だ。そこには表れていないが、上に見る通り、原題は "Bridge of Spies" と、「スパイ」という語が複数形なのだ。この映画のクライマックス、お互いの人質を交換するシーンはベルリンの西の郊外に実在する橋、グリーニッケ橋が舞台となっているので、その橋が題名になっているとの解釈は可能だ。だが私には、これは Double Meaning であると思われる。主役のジム・ドノヴァンこそが、スパイとスパイをつなぐ橋になっているのだろう。上に掲げた日本語のチラシでは、「オブ」の上下に赤い線が引かれているが、英語版では以下の通り、"i" (アイ) の文字が二つ、赤くなっている。これこそ、「I = 私 = ドノヴァン」が橋渡し役であるという意味でなくてなんであろう。そして、2箇所の赤は二人という意味で、コーエン兄弟の象徴でもあるのだろう。
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そんなわけで、この映画が一般受けしない理由はそれなりに分かった。では私自身の評価はというと、グッと親指を立てるのだ。まずはそのリアリティ。映画の性格上、英語のみならず、ドイツ語、ロシア語が出てくるが、それらには字幕が出てこない。誰のアイデアかは分からないが、この時代特有の緊張感ある敵愾心を表すには、効果的な手段である。それから、時間の経過の描き方。漫然とスクリーンを見ていただけでは、この映画の中で何年時間が経ったのか分からないが、数年を経た交渉であったことを、これから私が証明しよう。

まず冒頭の設定が 1957年であることが明らかにされる。米国でソ連のスパイとして逮捕されるルドルフ・アベルが、彼の弁護士を務めることになったジム・ドノヴァンと相対する場面でラジオから音楽が流れている。恥を忍んで言えば、最初私も、緩やかな弦楽合奏を聴いて、それが何の曲であるか分からなかった。だが、ピアノソロが入ってきたところではっきりした。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第 2番だ。この曲は作曲者が息子マクシム (その後指揮者となり、父の最後の交響曲、第 15番を初演する。最近の活動ぶりは聞かないが、未だ現存のはず) のために書いた、軽やかでパロディ感覚あふれる曲だ。その初演はまさに 1957年。映画の中でアベルとドノヴァンがショスタコーヴィチについて会話を交わす。この楽しい協奏曲を私は大好きで、バーンスタインが弾き振りした CD で過去 25年以上楽しんできた。実はこの年、ショスタコーヴィチは交響曲第 11番も作曲、初演している。スターリンの死後書かれた謎めいた第 10番のあと、11番と 12番は、ロシア近代の歴史を題材としている。この映画で描かれているシーンでは、この壁画的な大交響曲でなく、優しく穏やかな協奏曲の緩徐楽章を使用することで、この 2人の間の交流が巧まずして立ち現われる。
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もうひとつ私が注目したシーンは、トム・ハンクスが東ベルリンの電話ボックスから妻に電話するシーン。カメラがパンするうち、どうやら映画館らしい建物が映るが、そこにはっきり読み取れる「スパルタカス」の文字。この題名は、ハチャトゥリアンのバレエ音楽にも存在するが、映画である以上は、あのスタンリー・キューブリックの初期の作品、カーク・ダグラスが取り仕切って撮影されたというあの映画しかありえない。調べてみるとこの映画の公開は 1960年。アメリカ映画が東ベルリンで上映されていたのか否か分からないが、ここでは明らかに時間の経過が表されているのだ。

この映画で描かれる執念は凄まじい。トム・ハンクス演じる主役は、巧みな交渉術で、米国政府の思惑を超えた次元での解決策を実現する。ビジネスマンたるもの、これを見習わずしてどうするか。愛とか平和とか、そんなぬるま湯では御しきれない、非常時に試されるその人の真価である。映画の最後に、実在のドノヴァン弁護士が、この映画の時代のすぐ 2年後、1962年にキューバに囚われた米国の人質を解放するため、カストロ議長との交渉に当たり、結果的に 9,700人 (!) を超える人々を助け出したという実績が説明される。これは並大抵のことではない。この映画のラストシーンは、雪のベルリンの橋の上で人質交換を無事終えてはるばる自宅に帰ってきたドノヴァン弁護士が、ベッドの上に倒れ込んで眠っているわけであるが、私がここに見るのは、仮想の死としての眠りである。ドノヴァンは 1970年、54歳の若さで死亡している。これが過労死でなくてなんであろう。

もうひとつ、印象に残ったシーンを書いておこう。トム・ハンクスがベルリンの列車の窓から見る残酷な風景。建設後まもないベルリンの壁を越えようとして東側の兵士に無残にも撃ち殺される市民たち。それに対してニューヨークのブルックリンでは、子供たちが自由に柵を越えている。平和が尊いことは言うまでもない。だが私が心震えるのは、戦後 70年を経た現代、東西ドイツ合併が果たされてからでも四半世紀を経た今でも、ベルリンを訪れると、壁こそもはや存在せず、銃殺は起こらないものの、この映画で描かれているのと大差ない、寒々とした風景を列車から見ることになるのだ。戦争の爪痕は、70年程度の時間では治癒しない。全く人類という奴はとんでもない大馬鹿者の集合だ。
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またこの映画の冒頭まもない箇所では、スピルバーグとしては珍しい、実際の場所でのゲリラ風撮影が、ニューヨークの地下鉄を舞台に展開する。このあたりにも、彼の真摯な思いが結実した映画であるとの思いを抱く。2つの大国が世界の秩序を二分する時代は過去のものとなったが、いつの時代にも異質なもの同士の架け橋は必要なのだ。この映画からはそのようなメッセージこそを受け取ろうではないか。
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by yokohama7474 | 2016-01-30 23:05 | 映画 | Comments(0)

始皇帝と大兵馬俑 東京国立博物館

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世界に残る遺跡の中には、想像を絶するスケールのものが幾つもあり、この世に生を受けた限りは、そのような驚くべき遺跡をできるだけ見て回りたいと思ってはいるものの、未だ訪れたことのない遺跡の数を思うだに、絶望的な思いに囚われるのである。この秦始皇帝の兵馬俑坑 (兵士や馬の彫像が地中に埋まっている遺跡という意味だろう) などはさしずめその代表であろう。記録には一切残っておらず、1974年にたまたま発見されたというこの空前絶後の墳墓。現在でも発掘・調査が続いており、まさに世界の驚異のひとつだ。正直なところ、こんな規模の遺品が 2,200年ほど地中に眠っていたということを信じろという方が無理という気すらする。
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私は残念ながら現地に行ったことはないが、中国国宝展の類には必ず兵馬俑は出品されているし、1994年に世田谷美術館で開かれた「秦の始皇帝とその時代展」、2004年に上野の森美術館で開かれた「大兵馬俑展」で、まさに驚天動地の彫像の数々に間近に接したことをよく覚えている。今回東京国立博物館で開催されているこの展覧会、果たして過去の同様展覧会を凌ぐような内容であるのだろうか。ある日曜日の朝、東京国立博物館が開館する 9時30分過ぎに会場に急ぐ。寒いが、このような看板と空の蒼の対象がなんとも心地よい。
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これは、博物館内の古い建物、表慶館。扉を開けている期間は短いが、4月開催予定のアフガニスタンの黄金展の垂れ幕が早くも下がっている。
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さて、開館後間もない時刻に入ったものの、会場は既に大混雑。小さな展示品を見るにはかなりの忍耐を要し、残念ながらその種の忍耐を持ち合わせていない私としては、勢い、人垣越しの鑑賞であったり、たまたま列の切れ目に控えめに割り込んだり (?) することで、一通りの展示品を楽しむことができた。以下、図録から撮影した今回の出品物に沿って展覧会を概観したいと思う。

そもそも、秦始皇帝とはいかなる人物か。私はいつも分かりやすく整理しているのだが、あの広大な中国の全土を掌握したのは、まずこの始皇帝が初。そして次に同じ版図を確保するのは、遥か時代を降った毛沢東なのだ。すなわち、歴代王朝、隋・唐・宋・元・明・清の領土は現在の中国より狭く、また秦始皇帝が制圧した領土よりも狭いのだ。今手元で世界史年表を開いてみると、始皇帝の統治は紀元前 221年から 210年のわずか 11年。世界で同時代人を探してみると、紀元前 247年生まれとされるカルタゴ (現在のチュニジア) の将軍ハンニバル、あの第 2次ポエニ戦争で象を連れたアルプス越えという奇策でローマを苦しめた英雄が近い。つまりその時代、ユーラシア大陸の東の方では春秋戦国時代で中国周辺での小国たちの争いが継続し、西の方ではローマ帝国が周辺各国と戦いを繰り返していたわけだ。その双方はお互いの存在を知らなかったのであろうか。尚、日本語で一口に皇帝というが、この始皇帝が中国初の皇帝の座について 200年ほど経ってからようやく、ローマ帝国にも初代皇帝アウグストゥスが現れる。ということは、始皇帝は人類初の皇帝ということではないか。このような英雄的な肖像は、イメージにぴったりだ。
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さて今回の展覧会、「『永遠』を守るための軍団、参上」というコピーがついてはいるものの、実は兵馬俑が展示のメインというわけではなく、秦がいかにして大国にのし上がったか、過去のいかなる王朝に倣ったか、周辺民族とどのように融合したか、また始皇帝の築いた首都咸陽 (かんよう) とはどのような場所だったのか、といったテーマをかなり丁寧に辿って行く。

もともと秦国は紀元前 8世紀 (古いなぁ~) に、以前の王朝、殷を継いだ周王朝が分裂してできた西周 (せいしゅう。ちなみに明治日本の元勲は、同じ字を書いて「にし あまね」と読むが、ここでは無関係 笑) の後継者との位置づけであるらしい。以下の写真はいずれも青銅の鐘だが、左が西周のもの、右が秦のもの。一見したところそっくりではないか。
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これは玉の胸飾り。西周時代のもの (紀元前 10 - 9世紀!!) で、貴石が実に 297個使用されているという。始皇帝の登場する遥か以前に、既にこれだけの文明がこの地にあったということになる。
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秦は周辺各国と盛んな交流があったらしく、これは楚からもたらされた、紀元前 6世紀の玉の飾り物。なにやら古代インカにも通じるユニークな造形だ。展覧会にはこれ以外にも、秦にもたらされた他国の文物があれこれ展示されている。
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そして秦の文化は独自の洗練を果たす。この動物形容器は紀元前 5 - 3世紀のものらしいが、注ぎ口になっている動物のユーモラスな味わいと、蓋の上でにらみ合うガマと犬の間の抜けた感じがなんとも面白い。こんな時代にこのようなユーモアの精神を持って実用的な容器を作った陶工とは、一体どんな人だったのであろうか。
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秦はまた、北方の草原の民とも交流した。この剣は実に紀元前 8 - 9世紀のもの。草原地帯に栄えたスキタイ文化を思わせるものがある。玉の剣に金の鞘である。いやー、ちょっと信じがたい古さですな。
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とまあ、シコウ帝登場前のシコウ錯誤があったのち、いよいよ英雄登場と相成るわけであるが、まあその施策の思い切ったこと。高校の世界史でも、度量衡の統一、貨幣制度、焚書坑儒などの始皇帝の事績を習うわけだが、例えばこの分銅。驚くなかれ、始皇帝と二世皇帝の時代のもので、当時の単位で 1鈞 (キン) という単位の重さらしい。ここに刻まれた銘文に「始皇帝」の文字もあるという。リアルタイムだ。
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貨幣鋳造の方はこれだ。実際に始皇帝の時代の銅貨である。この円形に四角い穴という形状は日本に渡来し、和同開珎以降の貨幣のモデルとなった。なにやら急に不安になって、現在日本の五十円玉と五円玉を確認したところ、穴は四角ではなく丸でした (笑)。
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それから面白いのは、当時の公文書だ。紙ではなく木に文章が記されており、削れば改ざんは容易ということで、重要文書は紐や糸で縛ってハンコで封印したという。このハンコ、実際に土で作ったものがいくつも発掘されているらしいが、2,000年以上経った現代日本の一部の会社では未だに、このハンコという奴がなんらかのお墨付きになっているという事実もあるらしい (笑)。
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本展覧会によると、始皇帝の時代の首都、咸陽は最近発掘が進んで、様々なことが分かってきたらしい。例えばこれは水道管。この時代、人工物で水を制御するということを考えただけでもすごいことだ。
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これは、咸陽の宮殿の壁面を飾っていたであろう壁画だ。2頭立ての馬車。素朴ながらスピード感を感じさせる立派な芸術作品である。
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そしていよいよ兵馬俑の展示に移って行くわけであるが、その前に、始皇帝の兵馬俑坑に先立つ人物像がいくつか展示されている。兵馬俑に先立つこと 100年程度のようだが、その小ささ (高さ 22cm) といい素朴な表現と言い、かなりの差がある。そうすると、シコウ帝の時代に人々のシコウも活発になったということであろうか。
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そして兵馬俑の一群。全部で 8,000体とも言われる等身大の彫像は、ひとつひとつ表情が異なっており、実在の軍隊をモデルにしているとも言われる。でも私は思うのだ。絶大な権力を持った始皇帝のこと。自らの威信を示すためには、彫像ではなく実際の生贄を数千とは言わずとも数百地中に埋めることもできたはず。それがなされていないのは、皇帝の権力が早くも傾いていたのか、はたまた軍団の中に知恵者がいて、実際の人間をうまく彫像に変えることに首尾よく成功したのか。記録が何もないのなら仕方ない。想像力の翼を思う存分広げることにしよう。これは将軍の像。将軍と認識できる像は、兵馬俑坑広しと言えども、10体程度しか発掘されていないという。
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これは馬であるが、その写実性に驚くばかり。左の鬣から一房垂れているが、これは兵士がつかめるようにという工夫であったとの説もあるらしい。右側に回って見てみたが、そちら側には房はなかった。
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それから、様々なポーズの彫像と、それらがそもそも備えていたとおぼしい武具などの再現図は以下の通り。いちばん最後のものは雑技俑 (ざつぎよう) と呼ばれていて、力士風の巨体が何やら芸をしているところらしい。顔は失われているものの、そのリアルなこと、鳥肌立つばかり。
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さて、会場出口近くには兵馬俑のレプリカ群像が置いてあり、そこで自由に写真撮影ができる。はいはい、押さないで押さないで。
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ところでひとつ驚くべきことがある。これらの大軍団の彫刻は、どうやら往時はリアルに色がついていたらしく、中には彩色ありの状態で発掘されるものもある模様。いやホント、出来すぎとすら思えてくる。
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この展覧会で再認識したのは、兵馬俑は国際親善大使の役割を果たしていて、多少の混雑でも頑張って見たいと思わせる展覧会なのである。様々なグッズも売っていて、私は兵馬俑チョコと、2体の兵馬俑フィギュアをゲット。後者は例によって拙宅のフィギュアコーナーの仲間入りだ。
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大変充実した展覧会で、きっと日本初の展示品が多いだろうと思ったのだが、帰宅して 1994年及び 2004年の展覧会の図録を引っ張り出して見てみると、実は今回の展示品のうちのかなりの数が、既に過去に日本で展示されていると分かった (笑)。兵馬俑はかなりはっきり記憶があれども、それ以外の小さい展示品を覚えておくのはなかなかハードルが高い。これを教訓として、一回一回の展覧会鑑賞を、もっと心して行おうと自分に言い聞かせた。

by yokohama7474 | 2016-01-28 00:31 | 美術・旅行 | Comments(0)

アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団 2016年 1月26日 サントリーホール

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まず、憤りの言葉から始めよう。この指揮者がこの曲目でこのオケを振るのに、当日券が残っているばかりでなく、会場のサントリーホールには空席がチラホラ。これは一体どうしたことか。東京都交響楽団、通称都響は東京都のオーケストラなので、チケットの値段はほかのオケよりも安い。大雪で交通が麻痺しているわけでもない。東京の聴衆は少しはモノが分かっていると思っていたが・・・。

まず、もしこの記事をご覧になる方で知識がないといけない (そんなことはありえないとは思うが) ので書いておくと、この日の指揮者アラン・ギルバートは 1967年生まれの 48歳。鳴く子も黙る世界の名門オーケストラ、天下のニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督だ。なに? 名前と違って日本人みたいに見える? もちろんです。彼の母は日本人。しかもただの日本人ではない。このニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者で、サイトウキネンでも弾いていた建部洋子だ。そして父は、やはり同じオケのヴァイオリン奏者であった、マイケル・ギルバート。これがご両親。
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かくしてアラン・タケシ・ギルバートは、日本人の黒い瞳と黒い髪に、アメリカ人の大きな体格を併せ持つバイブリッドな人間としてニューヨークに生を受けたわけだ。
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もちろん、音楽家の能力に日本人もアメリカ人もない。一言で断言すると、彼は現代屈指の名指揮者であって、私が彼のコンサートに行きたいと強く思う理由は、それ以外にはないのだ。思い返せばあれは 2004年。彼が当時の手兵、ストックホルム・フィルを率いて来日した際に、ブルックナー 4番をメインに据えたコンサートを聴いて、驚愕したのだ。これぞ、伸び盛りの指揮者と歴史ある名門オケとの実りある共同作業であると思った。そして、私がニューヨークに暮らしていた 2007年頃、音楽監督ロリン・マゼールの後任として彼の名が出たときに、もしそれが実現すれば大変な英断だと思ったものだが、実際にそうなってビックリ。聴衆の質は低いし、ホールの音響も最低のニューヨーク・フィルだが、経営陣の目は確かだと感服したのである。それから 7年目に入っているが、昔と違ってメジャー・オーケストラといえども新譜が定期的に発売されるわけではない。このコンビの実力は、インターネット配信を除けば、実際に現地に行くか日本公演を待つしか、知るチャンスがない。なんと嘆かわしいことか・・・。

そんなわけで、彼が 2011年に都響に初登壇したときにも当然聴きに行ったが、今回も期待大。2つのプログラムで 3回のコンサートが開かれるが、今回の曲目は以下の通り。
 武満徹 : トゥイル・バイ・トワイライト (モートン・フェルドマンの追憶に)
 シベリウス : 交響詩「エン・サガ (伝説)」作品9
 ワーグナー (ギルバート編) : 指環の旅 楽劇「ニーベルングの指環」より
これらの曲目の間に共通点はあるか。ひとつある。いずれも弱音で終わること。それ以外には、さて、どうだろう。都響の作成したチラシには、「はるかな物語の世界」とある。うーん。シベリウスとワーグナーはともかく、武満はどうだろう。

ともあれ、1曲ずつ取り上げて行こう。最初の武満の曲は、米国の現代作曲家モートン・フェルドマンの死を悼んで 1988年に書かれたもの。フェルドマンは武満やジョン・ケージの親しい友人でもあったが、ちょうどこのギルバートのように大きな体をした、でも極めて繊細な音楽を書く人であった。私は結構好きで、この人の作品の CD を片手以上は持っている。この曲、Twill by Twilight だが、Twill とは綾織りのこと。Twilight はもちろん、薄暮である。日没後の弱り行く光を反射する綾織りとでもいったイメージだろうか。12分ほどの、いかにも武満らしい、そしてフェルドマンを追悼するのにふさわしい繊細で美しい曲だが、編成は大オーケストラで、意外と多彩な音があちこちで聴かれるのだ。都響の高い演奏能力がギルバートの要求に応えて非常に濃密な時間を紡ぎ出し、見事な演奏であった。演奏終了後の拍手に応えてギルバートは、大きな譜面 (それだけ声部が多いということだろう) を高々と掲げてみせた。ところで私は、この曲の世界初演を聴いている。1988年。ついこの間のことのようにはっきり覚えているが、もう 28年も経つのか・・・。ハインツ・レークナー指揮の読売日本響の演奏で、メインの曲目はマーラーの 9番であった。ちなみにこのマーラーは、情緒の全然ない快速テンポの演奏で、がっかりしたのを覚えている。当時のプログラムを載せておこう。武満のインタビューも掲載されており、興味深いことがいろいろ書いてあるが、長くなるので省略します。あるいは、別の記事で触れることもあるかもしれない。
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2曲目のシベリウスも、私の大好きな曲だ。シベリウスのまだ初期の頃の、ロマン性あふれる作品。フィンランドの伝説から想を得ているが、具体的な題材は明らかではなく、飽くまでも北欧伝説の雰囲気を味わうべき作品だ。木管の絡みといい弦のうねりやソロといい、細かいニュアンスと同時に、滔々と流れて行く力が必要な曲だ。また、頂点では前のめるほどの情熱も必要になる。ギルバートは指揮棒を持たずに両手でしっかりテンポを作りながら、的確な指示でそれぞれの楽器の特性を引き出しつつ、次へ次へと進む音楽的情景を描き出した。力むと空回りしかねない曲を、堅実にかつ巧みに再現していて、そして気がつくとそこには神秘の森から流れる歌が聞こえてくる、そんな演奏であった。この曲はフルトヴェングラーもレパートリーにしていたし、カラヤンも好きな曲であった。両者ともに、暗い北欧的情緒への共感があったのだろう。時々聴いてみたくなる曲だ。

3曲目がまた飛び切りの御馳走だ。ワーグナーの「指環」全 4部作からの抜粋である。これはギルバート自身の編曲ではあるが、実は往年の名指揮者エーリヒ・ラインスドルフの版を下敷きにしているらしい。ラインスドルフは、あまり派手な存在ではなかったが、その職人的手腕は信頼に値し、私は今でも復刻 CD をせっせと集めているほか (モーツァルトの交響曲全集なんかも録音していますから油断なりません)、昔 FM で米国の名門オケの数々を指揮したライヴを聴きまくったものである (ブルックナー 3番など、独自の版で演奏していてびっくりしたものだ)。ともあれこの「指環」抜粋、いささかユニークである。普通、録音であれば、大体が以下のような曲が選ばれる。
 1作目の「ラインの黄金」からは冒頭のライン川の場面と、最後の「ヴァルハラ城への神々の入場」
 2作目の「ワルキューレ」からは「ワルキューレの騎行」と最後の「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」
 3作目の「ジークフリート」からは「森のささやき」
 4作目の「神々の黄昏」からは「夜明け」「ジークフリートのラインへの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「終曲」
ところが、これを全部演奏すると、コンサート 1回分くらいの分量になってしまう。今回は演奏時間 50分ほどで、これら全部はカバーできない。そこで、なかなか大胆な構成となった。それは、
・「ラインの黄金」からの音楽はなし。
・長い歌が入る部分もなし。但し、いくつか本来歌の入る箇所をオケだけで演奏する部分あり。
・「神々の黄昏」は、上記を全部入れる。結果的に、この抜粋の半分くらいは「神々の黄昏」の音楽。
というもの。かくして、いきなり冒頭が、「ワルキューレの騎行」でド派手に始まることとなった!!これはなかなか意表をついていて面白い。曲と曲のつなぎはよく工夫されていて、それぞれの抜粋曲が終わって次の曲に移るのではなく、50分間切れ目なしに演奏されることになった。さて、この演奏には、私としてはもうひとつ納得いかない部分があった。ワーグナー (やブルックナー) のようなハイカロリーの曲になると、どうしても日本のオケの金管楽器に限界を感じてしまうのだ。よくハモって鳴っている箇所もあるが、腹の底にズシンと来るような炸裂するブラスを聴きたいものだ。弦楽器の多彩なニュアンスと力強さ、また木管楽器の軽快さや表情豊かなメロディの歌い方に比較すると、どの日本のオケも、次の課題は金管楽器だろうという気がする。もちろん、このワーグナーにおいても、さすが都響と思わせる箇所はいくつもあったし、ギルバートは相変わらず明確な指揮でオケをリードしていたが、究極の音のドラマというレヴェルにまではもうひとつ達していなかったように思う。ただ。ただである。このブログで、昨年のバイロイトの記事をはじめ、ワーグナーは長くて鬱陶しくてド S だ、それを大好きな日本人はド M だと散々罵倒しながらも、実際にワーグナーの音楽が鳴っているのを聴くと、やはりどうしても全曲が聴きたくて、ウズウズしてきてしまうのである (笑)。なんちゅう危険な音楽だろうか。こらこら、そんな青い目で見るなって。
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そんなわけで、アラン・ギルバートと都響との 2度目の顔合わせは、実に盛り沢山な内容となった。ギルバートはニューヨーク・フィルのポストを 2017年に降りると発表したようだが、指揮者として新たなステップに挑もうということなのかもしれない。その中に、日本での活動を増やすことも計画されているのだろうか。もしそうなら、その大きな体で、金管楽器をトコトン鍛え上げてもらい、日本のオケを名実ともに世界のトップクラスに導いて欲しい。そうなると、東京は世界の楽都とみなされるようになり、今回のようなコンサートは空席がひとつもない状況になるのではないでしょうか。

by yokohama7474 | 2016-01-27 00:44 | 音楽 (Live) | Comments(2)

フランス組曲 (原題 : Suite Française / ソウル・ディブ監督)

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音楽好きの方はこの題名を見て、当然バッハの音楽との関連を思うことであろう。バッハには、イギリス組曲とかフランス組曲という鍵盤楽器のための組曲があるからだが、この映画はそれとは一切関係がない。その証拠に、原題がフランス語である。むむ。バッハはドイツ人で、その作品の題名はドイツ語だ。フランス語で綴られたフランス組曲とは一体いかなるものか。一方、原作を通してこの映画をご存じの方もおられよう。私の場合は、原作が書店に並んでいるのを見て、また、同じ作者、イレーヌ・ネミロフスキーのほかの作品も翻訳がきれいな装丁で出ているのを見て、まずは興味を惹かれたものだ。そしてどこかの記事で、この作者がユダヤ人女性で、戦時中の 1942年にアウシュヴィッツ収容所で亡くなっていることを知り、また、この「フランス組曲」の原作は、彼女の死後 60年以上トランクの中に眠っていた未完の作品を、娘たちが 2004年に発表して世界的なベストセラーになったのだということを知った。上のポスターにもそのようなことが書いてある。この映画を見る人のほとんどが、そのような予備知識を持って見ることになるだろう。それではストーリーはいかなるものか。第二次世界大戦の初期である1940年、ドイツ軍占領下のフランスで、ドイツ人兵士に恋するフランスの人妻の話。これだけでは月並みなメロドラマのようだ。でも、私の中の勘が呟くのだ。この映画は見ておいた方がよいと。

これは、実に呵責なく人間の本質を描いた作品である。ここで描かれる恋愛は、平常時の安穏なものではなく、明日の命をも知れない人たちの、生きる意味を求めての切実なものであり、何の比喩でもなく、命がけのものだ。もちろん、恋愛だけでなく、他人へのいたわりや共存への希求、あるいは社会的なつながりの中での処世術や裏切り、レジスタンスへの熱意、嫉妬、怒り、恐怖、またその反証としての自尊心等々の人間の感情が様々に渦巻くさまが描かれている。原作を読んではいないが、プログラムの解説によると、ストーリーは原作の後半をかなり忠実に辿っているらしい。そうすると、この作家が描いているものは、当時実際に起こっていた世界大戦に翻弄される人々の生々しい姿である。実際にドイツ軍に占領されているフランスで、ドイツ軍兵士に恋するフランス女性を描くということは、どういうことか。後世の人間が想像力でストーリーを作ったものではなく、リアルタイムで戦争の時代を描いていることは大きな驚きだ。現代の我々は、その後連合国軍がドイツ軍を壊滅させてパリを解放したことを知っている。しかし、原作者のネミロフスキーがこれを書いていたとき、いや彼女がその生を終えるときでさえ、その後の世界が一体どうなるのか、誰にも皆目分かっていなかったわけだ。そのような時代にこれだけ深い人間描写ができたことに心底驚く。ナチに捕まる直前の彼女は、以下のようなメモを残しているらしい。

QUOTE

決して忘れてはならないのは、いつか戦争は終わり、歴史的な箇所のすべてが色あせる、ということだ。1952年の読者も 2052年の読者も同じように引きつけることのできる出来事や争点を、なるべくふんだんに盛り込まないといけない。

UNQUOTE

やはり、彼女の視線は目の前の悲惨な出来事を超えて、人間の真実の姿に向けられていたのだ。また上記のメモは、ただ単なる夢物語としての決意表明ではなく、小説執筆に関する極めて実務的な視点での発言であるように思う。感傷のない透徹した思いに、ただ感嘆する。ネミロフスキーのこの写真がいつ頃のものか分からないが、1903年ウクライナ生まれで、ロシア革命時にフランスに移住。既に 1920年代から人気のある作家だったという。
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さてこの映画は、そのようなネミロフスキーの原作の精神をかなり忠実に再現しながら、随所に細かい気配りのある名作となった。劇中、もちろん敵がドイツ人であることは明示されるものの、普通の映画なら頻出するはずのナチの鉤十字が画面に出て来る場所は、もし私の記憶が正しければ、処刑の場面の俯瞰ショットだけだ。もちろん戦時下の恋は描かれているものの、物語は意外な展開を見せ、後半はまさに息詰まるサスペンスとなって行くなど、ただの恋物語ではない。上述のように、人それぞれに様々な感情にさいなまれて必死に生きる姿には、凄まじいリアリティがあるのだ。戦争という存在が人の真実を暴くためのひとつの大きな装置になっていて、その装置を使って人間の行動を冷静に書き留めるネミロフスキーのペンが、現実を超えたドラマを創り出している。映画化にあたっては、その点が充分認識されていると思う。

主役の恋人たちの描き方にも細心の注意が払われている。占領地の名家の嫁で、戦役中の夫の留守を義母とともに守っているリュシルと、その家に宿泊所と書斎を求めて住みつくが、リュシルとその義母に対して非常に礼儀正しいドイツ人中尉、ブルーノ。
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二人が恋仲になってからのショットがこれだが、もちろん物理的な距離が近くなっているのは当然として (笑)、注目すべきはリュシルの髪型である。リュシルはこの映画の中で、自分に目覚めた瞬間から、それまで束ねていた髪を下ろすのだ。
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そして彼女は様々な誤解を受けながらも、危険を冒して人の命を守る。だが彼女の守る命は、敵方であるブルーノにとっては、奪うべきものなのだ。この映画の描写の細かい点は、例えばブルーノが徹夜で山狩りをした翌日のシーンでは、うっすらと無精ひげが疲れとともに彼の顔を覆っているあたりにも表れている。このようなリアリティの積み重ねが、原作の本質を逃さずに映画全体にリアリティをもたらしている。この映画は全編、フランスとベルギーでのロケで撮影されているとのこと。また、今時珍しい 35mm フィルムによる撮影だそうだ。このリアリティの創出には、そういった点も貢献しているに違いない。

つまりこの映画は、原作の素晴らしさを映画に置き換える才能をもった監督の手に委ねられたのである。1968年生まれの英国人監督、ソウル・ディブの名前は初めて聞くが、ドキュメンタリー出身で、劇映画ではキーラ・ナイトレイ主演の「ある公爵夫人の生涯」という作品を 2008年に撮っている。原題 "the Duchess (公爵夫人)" というこの映画のポスターは、当時ロンドンに住んでいた私はしょっちゅう目にしたものの、作品は見ていない。これがその撮影風景だ。
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この「フランス組曲」においては、特になじみの俳優は出ていないが、主役のリュシルを演じたミシェル・ウィリアムズは、「ブロークバック・マウンテン」でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた実績があり、同作品で共演したあの故ヒース・レジャーと一時婚約して、娘を設けているとのこと。正直、とびきりの美人とは思えないが、繊細な役柄を誠実に演じている。
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相手のブルーノ役はベルギー人のマティアス・スーナールツ。かなり逞しい感じだが、戦争前は作曲家という役柄設定が、意外性のある優しさ (?) を見せる結果となっている。彼の弾くオリジナル曲が、「フランス組曲」だ。自分の書斎に忍び込んだリュシルを叱り飛ばすシーンがあるが、彼女が軍の秘密を知ることを恐れるのでなく、彼女の夫についての悪い情報を知ることを恐れてのこと、つまり、リュシルを思いやってのことであると分かる。職務に忠実であろうとしながら、人間的な思いを一貫して持っているという複雑な人間像が描かれている。
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もうひとり、リュシルの義母、アンジェリエ夫人役のクリスティン・スコット・トーマスの抑えた演技も素晴らしい。厳格な姑でありながら、後半にはこちらも意外性ある優しさ (笑) を見せる。少しマドンナを思わせるシャープな顔だちだが、気品も備わっている。
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ところでこの映画、原作は当然フランス語であるが、劇中では英語がベースとなっていて、フランス語はラジオ放送とか街に貼ってある宣伝とかに限られている。また、ドイツ人同士はドイツ語で喋っている。この点はスタッフが協議しての決定とのことだが、全体の雰囲気からすると、本当はフランス語をベースにして欲しかったような気もする。もちろん、役者の能力の問題もあるし興行の容易さの問題もあるので、現実的な判断ということだろうが。

それから、原作は未完のままであるので、この作品の結末も、語りで終わっている。それは、現代から過去を見ての主人公の語りであり、物語の本当の終結を告げるものではない。だが、それはそれでよいのではないだろうか。ネミロフスキー自身の言葉にある通り、どんな悲惨な戦争にもいつかは終わりは到来し、その一方で、人間の文化活動の持つ力は、世代を超えて生き残って行くものであるから。ネミロフスキーが戦争の終結を知っていても知らなくても、彼女の描く人間像は、既に充分描きつくされているのだ。

一時期はシネコンでも上映されていたこの作品、今では東京では TOHO シャンテでのみ上映中だ。だが、私の見たときにはかなりの混雑であった。もしこれをただのメロドラマだと勘違いしている方がおられたら、是非だまされたと思って劇場に足を運んでみることをお奨めする。様々な予備知識を一旦忘れて、映画の流れに身を委ねればよいと思う。

by yokohama7474 | 2016-01-24 23:47 | 映画 | Comments(0)

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 読売日本交響楽団 2016年 1月23日 東京オペラシティコンサートホール

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このところほぼ一週間、ヨーロッパに出張していた。その間に日本で聴きたいコンサートもあったが、出張とあっては致し方ない。新聞等で大々的に宣伝を打っていたリッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団の 2回の来日公演や、トゥガン・ソヒエフ指揮の NHK 交響楽団の演奏会は (1/24 (日) の名古屋公演を除いては) 終わってしまった。いや正確には、ソヒエフと N 響の演奏会は、1/23 (土) 14時から横浜みなとみらいホールにて開かれる。だが、私はそれには行けないのだ。なぜなら、多分今年のコンサートの中で、いや、私が生涯に聴くコンサートの中でも特別な演奏会が、初台の東京オペラシティで同じ時間帯に開かれるからだ。上のポスターにある通り、現在実に 92歳の巨匠、ポーランド生まれのスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮の読売日本交響楽団による演奏会だ。曲目は、人類が生んだ交響楽作品の中でも、深遠さにおいて並ぶもののない、ブルックナー作曲交響曲第 8番ハ短調である。

指揮のスクロヴァチェフスキーは 1923年生まれ。2007年から 2010年まで、この読響の常任指揮者を務め、現在では名誉桂冠指揮者の地位にある。ここ数年、年を経るごとに貴重になる彼の指揮する読響の演奏会は極力聴くようにしているが、92歳にしてこの極東の地で 90分の超大作を指揮するとは、これは誰がなんと言おうと特別な機会である。ここ東京ではかつても、数々の指揮者が老年にブルックナー演奏で強烈な印象を残している。私が聴いたものでは、ロヴロ・フォン・マタチッチと N 響の 8番、オイゲン・ヨッフムとコンセルトヘボウの 7番 (その前のバンベルク響との 8番も聴いた)、セルジュ・チェリビダッケとミュンヘン・フィルの複数回の来日における 3・4・5・7・8・9番、ギュンター・ヴァントと北ドイツ放送響の 9番、そして朝比奈隆が大フィル、新日本フィル、N 響等を指揮した数々の演奏会。今回のスクロヴァチェフスキと読響の 8番も、その流れの中で間違いなく伝説となるものだろう。上のポスターに謳い文句があれこれ記されているが、これは誇張ではない。人間のなせる業として、これはまさに奇跡に近い。
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その長い名前から、米国では「ミスター S」の愛称で親しまれたこの指揮者を、私は何十年も前から知っていて、自分がまだ幼い頃の年代のレコード芸術誌を他人から譲ってもらって熱心に読んでいた頃、この愛称を頻繁に目にしたものだ。未だミネアポリス交響楽団と名乗っていた今のミネソタ管弦楽団を指揮したマーキュリーレーベルの数々の録音が、私のスクロヴァチェフスキ経験の始まりだった。その後、読響の指揮台に立つようになってから日本での盛名が始まり、ザールブリュッケン放送響 (合併を経た現在の名称はザールブリュッケン・カイザーラウステン・ドイツ放送フィルハーモニー・・・長い!!) を指揮した素晴らしく引き締まったブルックナー全集は絶賛の的であったし、そのオケと 2003年、2011年に来日したときにもブルックナーを演奏した。もちろん読響の常任時代もブルックナーは中核レパートリーであった。だが人間は宿命的に老いる。壮年期にいかに精力的であっても、老年期に入れば気力体力は衰える一方であるはずだ。今や実に 92歳になったスクロヴァチェフスキの演奏やいかに。

私はこの指揮者は基本的に、感傷とは無縁の職人的指揮者と思っているのだが、この日私が目の当たりにしたのは、究極の職人芸が究極の芸術となる瞬間であった。前回聴いた 2014年10月よりもさらにやせ衰えたその姿がステージに表れたとき、そのおぼつかない足取りに思わず目をつぶってしまった。だが、マエストロは誰の力も借りずにひとりで指揮台まで辿り着き、そして、指揮台に置いた譜面を開くことすらなく、その音楽を 90分間に亘って立ったまま奏で続けたのである。感傷はない。だが、聴いている方の Emotion が激しく突き動かされるとは、一体どうしたことだろう。全曲の流れを思い出してみる。第 1楽章と第 2楽章はアタッカで続けて演奏されたが、特に最強部におけるオケの力は凄まじく、この年でこんな音を出せる指揮者が、歴史上そうそういたとは思えないし、今後もそうそう現れるとは思えない。そして、およそ人類の書いた最も深遠な音楽と言ってもよい緩徐楽章アダージョの第 3楽章は、さながら強い意志を持った音の大河である。読響の弦楽器の面々は、全身全霊でマエストロの身振りを音に変換し、普段の演奏会では埋蔵されている力まで、輝きを持って解き放たれたのである。第 4楽章の長い長い騎馬隊の道のりも、まさに命を削って音に変えるがごときマエストロの両手の動きによって、あたかも音の断崖絶壁のようにそそり立ったのだ。力溢れる若い頃にはできない、別の種類の力がここには漲っていた。92年の生涯の年輪が奔流のように特別な音の空間を作り出していた。そして大音響で全曲が終了したとき、マエストロが指揮棒を構えている間に凄まじい沈黙が会場を支配したのはもちろん、指揮棒が下りてからもオケの方が金縛り状態。誰かがブラヴォーを叫び、1人 2人と追随しても、まだオケは動けず、そして会場の全員が再び沈黙に沈んだのであった。ようやく現実が戻ってきてからはまさに万来の拍手。

オケに全くミスがなかったわけではない。特にホルンとワーグナー・チューバに、緊張のためかとおぼしきごく小さな傷があった。また、木管もすべての箇所で万感のニュアンスが出ていたわけではない。もともとデッドな響きのこのホールが、全体として鳴り響いたかというと、未だ課題はあったかもしれない。だがしかし、そんなことはどうでもよいのだ。弦楽器の素晴らしい貢献もあり、究極の職人、スクロヴァチェフスキでなければ鳴らせない音が鳴ったこと。これこそがこの演奏の大変な価値である。この会場に居合わせた人たちは、今後もこの演奏を思い出すたびに、上のポスターにある、「同時代に生き、その音楽を聴ける (た) 喜び」を実感することであろう。

オケが全員退場したあとも拍手は鳴りやまず、聴衆のほぼ全員がマエストロの偉業をたたえた。そしてスクロヴァチェフスキは 2度、ひとりで舞台に登場したのである。ステージ近くの自席から離れ、客席後方から撮った写真がこれだ。2度目の登場だが、聴衆がまだかなり多く残っている。こんなことはそうそうあるものではない。
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老いをものともせず、むしろ自分の経験を糧として気炎を吐く指揮者の生き様に、改めて思いを馳せる。90代で活躍している指揮者には、このスクロヴァチェフスキ以外にも、英国人のサー・ネヴィル・マリナーがいる。マリナーも今年 4月に来日予定であるが、実はこの 2人には共通点がある。それは、米国の名門オーケストラ、ミネソタ管弦楽団の音楽監督だ。そうすると、彼らの後任として 1995年から 2002年までこのオケを率いた大植英次にも、同様に 90代まで活躍して欲しいものだ。芸術家の生涯には、いいときも悪いときもあるだろう。でも昔朝比奈隆 (彼も大フィルにおける大植の前任者だ) が言ったように、長生きすると何かいいことがある。一般人にとっても、このような驚くべき経験があれば、きっと人生いいことあるさと思いたくなる。調子いい奴と言われようが (笑)、そういう思いも大切ではないか。尚、今回の演奏会は 2回開かれ、初回の東京芸術劇場のものは NHK が録画したらしいので、放送を心待ちにしよう。

by yokohama7474 | 2016-01-23 23:42 | 音楽 (Live) | Comments(6)

スペインの彫刻家 フリオ・ゴンサレス展 世田谷美術館

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スペイン、バルセロナ出身の彫刻家、フリオ・ゴンサレス (1876 - 1942) の日本初の本格的回顧展である。世田谷美術館での展示には、副題に「ピカソに鉄彫刻を教えた男」とあって、まあ毎度のことながら、知名度のない芸術家の展覧会に人を集めるために、有名芸術家の名を利用しなければならない主催者側の苦心が偲ばれる。既に長崎、岩手を巡回、1月31日までの世田谷美術館の会期のあとは三重に巡回する。私自身もこの彫刻家について何を知っているわけでもない。ただ、この彫刻のイメージには親しみが持てると感じ、ピカソに鉄彫刻を教えた男ならば間違いあるまい (笑) と思って出掛けたのである。金曜の夕方の館内は森閑として人の姿もほとんどなく、並べられた約 100点の作品と親しく対峙するよい機会となった。作品の大半はスペイン、ヴァレンシアの現代美術館の所有であるという。

まずこの芸術家の生没年に注目しよう。1876年生まれということはピカソより 5歳年上。19世紀末から 20世紀初頭にかけてヨーロッパの芸術活動にモダニズムの波が起こる時期に青年期を過ごし、スペインが内戦を経た後、1942年という第二次世界大戦中の時期に没している。ただ、早くも 20代でパリに移住しており、まさにこのモダニズムの中心都市で活動していたようだ。亡くなったのもドイツ軍が占領中のパリ。まさに 20世紀前半の激動の時代の人である。解説には、ブランクーシ、ジャコメッティと並んで 20世紀の彫刻の展開に決定的な影響を与えた人物とある。この 2者に比べて知名度は高くないが、いかなる芸術家であったのか。作品を見てみよう。
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ゴンサレスは金細工師の息子として生まれ、10代の頃から父親の工房で働いて金属加工の腕を磨いたという。これは 1890 - 1900年頃 (ということは、14 歳から 24歳までの間ということだ) の作品で、鉄と真鍮で菊を作ったもの。彼が若くして素晴らしい技術を持っていたことが分かるではないか。怪しいまでに美しい。そういえばバルセロナでは既にその頃、ガウディのグエール邸などで鉄が使われていて、このような感覚は時代の最先端であったのかもしれない。
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ゴンサレスの年譜を見ていると、1908年頃 (22歳頃)、作曲家エドガー・ヴァレーズと親しくなるとある。ヴァレーズは 1883年パリ生まれなので、ゴンザレスよりも 7歳年下。つまり当時はまだ少年だったわけだ。ヴァレーズの代表作である「アメリカ」「アルカナ」「アンテグラル」等の作品の大部分は 1920年代の作であり、若い頃の作品はほとんど残っていない。ゴンサレスの影響は定かではないものの、この 2人の芸術家の後年のメンタリティには通じるところがあるのが面白い。

ただゴンサレス自身は最初から彫刻家を目指したわけではなく、ある時期までは自分のことをあくまでも画家であると考えていたらしい。この展覧会には本格的な絵画作品は展示されていないが、彫刻の中にもそのヒントがあるように思われる。例えば 1910年頃のこの「首をかしげて立つ裸婦」を見ると、ドガの描く女性像を彷彿とさせるところがある。芸術の中心地パリの空気を充分に吸っていることが想像される。
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そして 1914年頃のこの「恋人たち」は、これはどう見てもロダンの模倣だろう。ロマン主義的な濃厚さが感じられる。だがどうだろう。後年のモダニズムの作品のイメージから逆行して想像力を働かせながらこの作品を見ると、個体同士の絡み合いによって空間が埋めて行かれるイメージが、破片と破片の溶接によって空間を「埋める」のではなく「作り出す」というイメージに移行さえすれば、もうそこにはモダニスト、ゴンサレスは遠くないように思うのだが、いかがだろうか。
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ゴンサレスは1918年頃、自動車会社ルノーの下請会社で溶接工見習いの臨時職に就いたこともあるが、それは芸術的探究心とともに、生活をするための差し迫った現実的手段という意味合いでもあったらしい。だがその職によってゴンサレスは、酵素アセチレン溶接のプロセスを学ぶことができ、数年後に新しいタイプの金属彫刻を実験制作し始めた際の有効な技術となった。ゴンサレスはピカソとは実は 1900年頃、つまりは 20代から親交があったようで、1902年にピカソがバルセロナで描いたゴンサレスの水彩画がこちら。個人所蔵になるもので、この展覧会に出展されているわけではなく、図録に載っているこのモノクロの写真しか見つけることができなかったが、当時まだ19歳のピカソが 24歳のゴンサレスを描いた貴重なものだ。でもこれ、40歳くらいに見えるなぁ。
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ピカソとは1908年から 1921年頃までは一旦没交渉になっているが、1928年になってピカソの方からゴンサレスに再度連絡を取り、鉄の溶接技術について教えを乞うている。なるほど、何の誇張でもなく、ピカソに鉄の彫刻を教えた男というわけだ。これは 1930年の作品、「アルルカン / ピエロ、あるいはコロンビーヌ」。イタリアの演劇、コメディア・デラルテの登場人物を羅列した題名だが、よく知られている通り、この頃のピカソも同様の題名で作品を制作していた。ただ前衛性という意味では、ピカソよりもゴンサレスの方が上ではないか。
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これは 1932年の作品、「光輪のある頭部」。シンプルでモダン、また原始美術を思わせるような造形であるが、同時に宗教性を漂わせた素晴らしい作品。人類が当時未だ持ち得ていなかった新たな表現へと入って行く勇気ある芸術家の姿が、目に見えるようだ。
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1935年頃の作品、「立つ人 (大)」。彫刻のスタイルが完全に完成したように見える。これならブランクーシにもジャコメッティにもひけを取らないと思う。
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ところがこれから後、1936年に始まるスペイン内戦の時代、軽やかで同時代の人間社会の営みから自由であるかに見えたゴンサレスの創作活動にも、祖国の悲劇がにじみ出てくるようになる。その1936年のデッサン、「横たわる人物」。抽象性が小気味よいとも見えるものの、鉄の彫刻と違ってなにやら生々しい人間の姿が浮かび上がってくるようでもある。
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これは 1938年の自画像。何気ないデッサンではあるが、その瞳には陰りがこもっているように見える。
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展覧会場には、この後の晩年のゴンサレスの心の叫びが聞こえるような作品がいくつか並んでいる。これは 1942年頃、つまり彼の最晩年のブロンズの作品、「差し上げられた右手 no.1」。決して絶望的な作品ではなく、宙に向かって広げられた右手は、中空の何かをつかもうとする生命力を持っている。晩年は材料不足により彫刻を思うように作ることもできなかったというゴンサレスの、これは永遠に届かない希望の結晶だ。現代の人間が見ても、大変に勇気づけられる力を持っていると思う。
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この展覧会は、未知なのに既知のように錯覚を抱かせるこの彫刻家の生き様を、残された作品を通して淡々と、だが生々しく伝えてくれる。冷たく見えるモダニズムの裏で息づく人間性が、内戦も世界大戦も超えて、永遠の命を保っているようだ。

by yokohama7474 | 2016-01-23 22:09 | 美術・旅行 | Comments(4)

勅使川原三郎 佐東利穂子 青い目の男 2016年 1月22日 カラス・アパタラス

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現代日本を代表する前衛舞踏家の勅使川原 三郎 (てしがわら さぶろう) の名は、一般的にはどのくらいポピュラーなものであるか知らないが、私にとってはもう 30年近く前から、まさに第一級の芸術家なのである。学生時代の 1988年に友人から、NHK で放送された彼のダンス「夜の思想」(モデルの山口小夜子をフィーチャー) がすごいと聞き、彼からヴィデオテープを借りてダビングしたのがそもそもの始まりで、その衝撃的なビデオは、DVD にコピーして未だに手元にある。・・・と自慢したが、なんという便利な時代か。今や youtube で全編見ることができるではないか!! ご興味おありの向きは、是非検索を。ともあれ、無機的、無性別、あるいはあたかも生命体と無生命体との垣根を自由に飛び越えるようなこのダンスは、何かそれまでに見たことのない異様なものとして映ったが、空間を切り裂いてあたかも彫刻を刻むような、ある場合には痙攣的な激しい動きが、同時に神秘的な美しさをも湛えていて、その画像に釘づけになったものだ。それから、騒音をバックに激しく踊るかと思うと静かな音楽でスローな動きに転じるという転換も素晴らしく、レハールの「金と銀」という、それまで能天気なワルツだと思っていたものが、実は大変に毒と退廃を含んだ音楽であることを気づかせてくれた。それ以来、銀座で天王洲で、あるいはニューヨークのブルックリンで彼のパフォーマンスを見てきたが、それでも熱烈なファンと言えるほどの回数は実際の舞台に接していないことを残念に思っていた。最近彼のダンスを見たのは、2010年 5月、渋谷のシアターコクーンでの「オブセッション」という舞台で、既に 5年半以上経過している。そんな昨年 12月のある日、既にこのブログでも採り上げた、神奈川県立近代美術館 鎌倉 (カマキン) に行った際に、上の写真のようなハガキ大の案内が置いてあるのを見て、今回は久しぶりに見ないといけないと思ったのであった。

久しぶりに見たいといけない理由も、上の写真にある。「原作 ブルーノ・シュルツ」。おー、そういえば勅使川原は、最近このポーランドの作家の作品へのオマージュを捧げていると聞いたことがある。芸術映画ファンにはおなじみの名前であろう。クエイ兄弟の傑作人形アニメ短編映画、「ストリート・オブ・クロコダイル」の原作者だ。
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この映画が日本に紹介されたとき (やはり私の学生時代だ) の衝撃は忘れられない。そして、聞きなれないブルーノ・シュルツという名前。1892年に生まれ 1942年に路上でナチによって銃殺されたこの作家の日本への紹介は、この映画の公開のあと、集英社の「世界の文学」シリーズ第 12巻、「ドイツIII、中欧、東欧、イタリア」が最初だったと記憶する。今書棚から手元にこの本を引っ張り出してくると、発行は 1989年とある。ちょうどベルリンの壁が崩壊した年で、世界の秩序の転換期。美術需要の面では、19世紀末芸術がブームになっていた頃だ。上記の通り、勅使川原の名前が知られるようになってきたのもこの頃。バブル時代の日本の文化シーンに、そのような退廃的前衛性がよく合ったということか。

ブルーノ・シュルツはもともと美術を志したらしいが、このような、上目使いのなんともひねくれた自画像を描いている。20世紀末の私は、ここに表れている 19世紀末の雰囲気 (例えばオーストリアの画家クービンを思い出さないか) から、彼の心の奥の闇を嗅ぎつけ、そこに多大な興味を抱いたわけだ。ユダヤ人としてナチに路上で銃殺されたという最期も、何やら運命的な雰囲気が濃厚ではないか。
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さて、例によって長い前置きになっているが (笑)、「ストリート・オブ・クロコダイル」のイメージを通じて、私には早くから、勅使川原とシュルツの間には芸術上の類似性があるという感覚が強くあり、それゆえに、カマキンで見つけたこの公演の案内に感覚を大いに刺激され、強く背中を押されたのであった。

ところが、今回の上演会場は、「カラス・アパラタス B2 ホール」とあり、どうも聞いたことがない。カラスというのは、彼が率いるグループ、KARAS のことであろうが、アパラタスってなんだろう。荻窪駅から徒歩 3分とあるが、私にとってはなじみのない土地だ。ともあれ、駅から少し歩くとすずらん通りという商店街があり、勅使川原三郎とすずらん通りかぁ、どうにもそぐわないなぁとひとりごちながら歩いて行くと、お、ありましたありました。普通の町並みの一角のマンション。隣は庶民的な食堂だ。
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このステージ、料金が非常に良心的だ。前売り 2,500円。当日 3,000円。こんな安い値段で世界的舞踏家のステージを見てしまってよいのだろうか。入り口で受付を済ませると、マンションの地下に行けと案内されるが、壁には勅使川原のこれまでの国内外のステージのポスターが貼ってあって、なかなかにオシャレである。
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地下 1階のスタジオ (練習場?) に場所に通されて、そこで地下 2階の劇場が会場するまで待つ。我が家にもあるような芸術に関する日本書・洋書の本棚や、KARAS に因むのであろう、カラスのはく製などがある。三々五々、老若男女の観客が集まってくる。
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さて、開演 10分前に、さらにもうひとつ下の階の小さな劇場に通される。そこは黒一色の空間で、何のセットもない狭い舞台に、40名程度しか収容しない客席があるだけだ。なんとも閉ざされた空間だが、舞台と客席との距離が限りなく近く、舞台上で起こることに観客も他人ではいられない環境だ。

舞台は全くの暗闇から始まるが、最初は、KARAS の代表的なメンバーで、最近は勅使川原とデュオで出演しているらしい (2010年に見た「オブセッション」もそうだった) 佐東 利穂子と、どうやら若手有望株らしい鰐口 枝里が激しいダンスを踊るところから始まる。このステージを通して、美術は皆無。照明も何種類かのトップライトがあるのみだ。音楽はもちろん録音で、ほぼ全編流れ続け、そこにシュルツの短編「夢の共和国」の朗読の、やはり録音が重なる。 あとで分かったことだが、読んでいるのは佐東自身である。
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正直、以前の KARAS の舞台を思い出すと、集団で「勅使川原風」ダンスを踊るのが少し痛々しい気がしたものだ。つまり、勅使川原の踊りはそれほど突出していて、いかにほかのダンサーたちが同じような動作をしても、体のキレはもちろん、関節のひとつひとつ、筋肉のひとつひとつが織りなす動きの残像が全く段違いであったのだ。最近は群舞よりも少人数での活動が中心なら、その方がよいように思う。ここで見る佐東のダンスは、もちろん勅使川原風とは言えるものの、男女の性差は当然踊りに反映しているし、その表現力の点でも、勅使川原自身とはまた違った鋭さが備わっている。このデュオは、あるときは反発しあい、あるときは同調しあい、ダンス自体にストーリー性があろうがなかろうが、激しく空間にその動きの軌跡を刻んで行く。踊り手の息遣いまではっきり聴き取れるこの劇場は、大ホールにはない緊密さを観客に感じさせてくれる。非常に貴重な経験である。
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シュルツの作品は、上述の集英社の世界の文学シリーズで訳出された短編集「肉桂色の店」(「ストリート・オブ・クロコダイル」の原作を含む) だけでなく、その後平凡社ライブラリー (良書を多く含んでいるシリーズだ) のひとつとして、彼の全小説が 2005年に発売されている。今回の公演に備えて、原作である「夢の共和国」を読もうと思い、シュルツ全小説を購入しようとしたのだが、既に版元品切れで、Amazon の中古で最も安いものでも 5,000円 (定価 1,900円のところ) はする。まあしかし、やむない。大枚 5,000円払ってその本を購入した。「夢の共和国」は、たかだか 10ページほどの小編、いや掌編と言うべきだろうが、抽象的で幻想的言辞に覆われてはいるが、どうやら作者が幼時に抱いた夢想、大人たちの支配を離れた子供たちの共和国を描いているようだ。青い目の男とは、その子供たちの夢想を現実のものとする指導者のようだが、その真意は明確には描かれていない。1936年の作品で、未だ第二次世界大戦は始まっていないが、全体のトーンはメルヘン的というよりも荒涼としており、無機的な感じがして、その点で勅使川原のダンスには合っていると言えよう。今手元で本を開き、この日の朗読を思い出してみると、「ワルシャワ」というような具体的な地名への言及のある箇所は飛ばされているが、全体の半分くらいは読まれていたのではないだろうか。記憶の限りでは、朗読の流れは小説の順番のままであった。ダンスの動きはときに小説のシーンを描写し、ときに抽象化していたと思う。個別の動きの解釈を試みる必要はないと思うが、言葉に呼応したその動作の流れを感じる必要はあるだろう。シュルツの原作から印象深い箇所を引用するときりがないが、作品の終結部を以下に転載しよう。決して子供の夢想というイメージではなく、人類の指導者というイメージかもしれない。

QUOTE

人間の生む作品は、いったん完成すると、それ自体のなかに閉じ籠り、自然と断絶し、自らの原則の上に安定するという特性を有する。藍色の目の男の作品は、宇宙の大いなる結びつきから抜け出さず、却ってそこに根ざし、ケンタウロスのような半人半獣となり、自然の大いなる周期に縛られ、未完成でいながら成長をつづける。藍色の目の男は万人を継続へ、建造へ、共同制作へと呼びかける --- われわれはひとり残らず天性の夢想家であり、牙を徴 (しるし) とする種族の兄弟、天性の建築家ではないかと ---

UNQUOTE

使用音楽だが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第 2番の第 2楽章と、ドヴォルザークの「新世界から」の第 2楽章という、ともによく知られた緩徐楽章が繰り返し使われていた。上述した「金と銀」のときのような衝撃はなかったが、それでも、特にラフマニノフには、この曲独特の限りない抒情を、ロマン性のないところで身体表現するという点に、「甘ったるいラフマニノフ」とは違う面を感じることができた。またドヴォルザークの方は、私の聞き間違えではなければ、指揮者のかすかな唸り声と、ほんのわずかの聴衆の咳が入っていたように思う。とするとライヴ録音。この曲のライヴで有名なのは、それこそソ連が崩壊したあとにラファエル・クーベリックがチェコ・フィルを指揮したもの。全くのドス勘であるが、もし使用 CD がその演奏なら、日本にシュルツが紹介された前後の時期の録音ということになり、勝手にその組み合わせの妙を夢想しております (笑)。

さて、このような狭い場所での上演の特権と言うべきか、1時間ほどのパフォーマンス終了後、勅使川原と佐東が舞台上で喋るというサービスまでついていた。勅使川原によると、これは昨年両国のシアターχ (カイ) で上演したものの再演で、最近取り組んでいるブルーノ・シュルツ・シリーズのひとつ。このカラス・アパラタスではなるべく多くの回数の上演を続けたくて、今年も年明けから、シューベルトのピアノ・ソナタを使用した演目と、今回の「青い目の男」を踊っていて、とても忙しい (数えてみると、1月 7日から 23日の 17日間に 13回公演がある)。そこで急に佐東にマイクが渡され、予期していなかったらしくびっくりしていたが、そのわりには非常によいことを喋っていた。つまり、このカラス・アパラタスを本拠にして 3年、細々とだけれども自分たちのやりたいことを独立独歩でできるようになった。シュルツの「夢の共和国」を読むと、この劇場を作り上げる過程とオーバーラップしてしまうと。そしてまた勅使川原が引き取って言うには、人間の細胞が日々死んで行きながらまた新たな細胞が生まれて人間という存在が続いて行くなら、自分たちが死んでもそこには何かが残るはず。このシュルツの作品はそんなことを教えてくれる。青い目の男というには、何も目が物理的に青いヨーロッパ人のことではなく、自分たちのように黒い目であっても、青空を見上げればそこに反射して青くなる、そんなイメージなのではないかと。・・・いいことおっしゃるじゃないですか。

この勅使川原、もともと年齢不詳なイメージだが、実に 62歳。えっ、ということは、私の会社のあの役員や、定年退職したあの方よりも年上ということか (笑)。実は上演を見ながら、昔の彼の、ズドンと倒れては無重力のように起き上がる動きが延々続いたパフォーマンスを思い出して、今回はそのような動きがないことから、まあやむないことだけれど、どんな天才ダンサーでも年を取るのだなと思っていたものだから (無常感とは言わないまでも、時の流れを感じるという思い)、時の流れについての彼の上記の発言にポンと膝を打ったのであった。スピーチ終了後は二人とも笑顔で観客の送り出しをしていて、なんとも親近感の持てるステージであった。その一方で、やはり若い頃のダンスが懐かしいという思いも、なかなかに消し難いものがある。久しぶりに引っ張り出してきた彼の 1994年の公演、「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH NOIJECT」(分かる人にはすぐ分かるように、宮沢賢治に材を採ったもの) のプログラムからの写真を掲載しておこう。
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怪しいまでの前衛性で、とても終演後に笑顔で観客に話しかける雰囲気ではない (笑)。でも、まさに古い細胞は死に、新しい細胞が生まれて、人は時を過ごして行くもの。若い力とは異なる武器が、今の彼にはあるはずだし、彼のような天才ではない我々凡人でも、通り過ぎる時を顔に刻んで、青空を仰いで生きて行こうではないか。
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お、青い目の男ならぬ、青いジャンパーの男ですね。今後も応援していますよ、勅使川原さん!!


by yokohama7474 | 2016-01-23 02:13 | 演劇 | Comments(0)

秋山和慶指揮 東京交響楽団 (トランペット : マティアス・ヘフス、ピアノ : 小曽根真) 2016年 1月16日 サントリーホール

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私の週末の生活としては決して珍しいことではないのだが、この日はコンサートのダブルヘッダーで、横浜みなとみらいホールからサントリーホールに移動し、またまた私の敬愛する秋山和慶指揮の東京交響楽団 (東響) の演奏会だ。上のチラシにある通り、「日本指揮界の至宝 秋山和慶による ≪リズムは踊る≫」という内容。私はこの曲目を見たとき、ケルシェックという作曲家は知らないな、まさかクルシェネクとかケックランのタイポではないだろうしな、とは思ったが、それ以外は私のある面の好みにぴったりの曲たちで、もちろんマエストロ秋山の指揮ということでもあり、即チケットを購入した。

昨年末、28日と 29日に第九の演奏会を指揮したあと、秋山と東響は、大晦日に川崎でミュージカルナンバーを含むジルヴェスターコンサート、年明け、9日には恒例の「新世界」その他のニューイヤーコンサート、そして 16日にこの盛りだくさんのコンサートと、年末年始、非常に精力的な活動である。この演奏会は、一言でいうと、重々しいクラシックとは一線を画した、いわば軽音楽 (という言葉はまだ存在しますかね?) に分類されるべき内容を含んでいる点に特徴がある。順番に見て行こう。

まず最初は、ドイツの作曲家、パウル・ヒンデミット (1895 - 1963) の「ラグタイム」という 4分ほどの曲。1921年の作で、ジャズの雰囲気を持ちながら、大編成のオーケストラが愉快でゆがんだ旋律を不器用に奏でる珍曲。「バッハが 1920年代に生きていたらどんな曲をつくるだろうか」と自問自答して作曲したものらしい。大変珍しい曲なのだが、実は私はよく知っている曲なのだ。というのも、もともと 1920年代に関する興味は非常に高く、この曲も、ゲルト・アルブレヒトが 1987年に発見してベルリンで世界初演した演奏が、歌劇「ヌシュヌシ」などとともにFM で放送されたときにエアチェックし、何度も聴いていたからだ。そのカセットテープも、探せば出てくるはずだ。うーん、さすが秋山と東響。クレイジーな響きに潜むどこか典雅な感覚が、ヒンデミットにぴったりだ。
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2曲目は、ドイツの現代作曲家、ヴォルフ・ケルシェック (1969 - ) の、「トランペット・ダンス」という曲。ソロを吹くのはやはりドイツ人の、マティアス・ヘフス。19歳でハンブルク州立歌劇場管の首席トランペットに就任、ソリスト、ハンブルク音楽大学の教授、またブラス・アンサンブル、ジャーマン・ブラスのメンバーとして、世界の第一線で活躍している。
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この曲、協奏曲なのに、演奏開始時には指揮者しか出てこない。開始後数分経ってからようやく、ステージドアから演奏しながらトランペットが登場するのだ。ヘフスの技術はなんとも素晴らしく、もう舞台の袖から登場しただけで、その音が耳をとらえて離さないのだ。曲自体も、いわゆる現代音楽的前衛性は皆無で、その気の利いたあの手この手の曲想の変化が、聴衆を飽きさせない。全 4楽章からなり、順に、1. オープニング「冒険」、2.「何が望みだったのか」タンゴ、3. 優雅だが悲しいワルツ、4. バルカンの子供たちの踊り。作曲者ケルシェックは現在ハンブルク大学でジャズを教えているとのことで、ヘフスとは職場仲間ということになる。ドイツ人と言えば思弁的で、現代音楽も小難しいものばかりと思いがちだが、あのブラームスを輩出したハンブルクでこのような音楽が生まれているとは知らなかった。

休憩後の 3曲目は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第 1番ハ短調作品35。ピアノ独奏の伴奏は、弦楽合奏とソロ・トランペットだ。ここでもヘフスがトランペットを吹き、ピアノは人気のジャズピアニスト、小曽根 真 (おぞね まこと)。
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私は彼のピアノを一度生で聴いたことがあるが、正直そのときにはあまり感心しなかった。曲が確かガーシュウィンだったか、ジャズでもなければクラシックでもないという中途半端さを感じたのを覚えている。だが今回のショスタコーヴィチは素晴らしい出来で、まさに天才的なきらめきを見せてくれた。高音の切れも素晴らしいし、疾走感もある一方、沈滞する部分も充分な表現力で、これだけのショスタコーヴィチ演奏はそうそう聴けるとは思えない。また、秋山も例によって全く危なげなしに伴奏をこなし、ともにプロフェッショナルの技だ。ピアノは舞台下手、トランペットのヘフスは上手に座り、ちょうどピアニストとトランペッターが目と目で合図できるような位置での演奏であった。小曽根はアンコールとして自作の "My Witch's Blue" という曲を弾いたが、これまた、ちょっと進んでは悩んで立ち止まるがまた動きだし、そうするともう止まらないという感じのしゃれた曲で、小曽根の真骨頂である。ちょうど今日 (1/17) の深夜、NHK BS で、彼が昨年の大みそかにアラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルと共演したコンサートが放送されるので、楽しみだ。

そして最後を締めくくったのは、同じショスタコーヴィチのジャズ組曲第 2番。1950年代にソ連の国立ジャズ・オーケストラのために、過去の自作の映画音楽なども転用しながら書かれた曲。政治に翻弄され、生来のシニカルな要素に死神が乗り移ったかのような作風になって行ったショスタコーヴィチの、ある一面を如実に表す曲である。この曲は日本には、リッカルド・シャイー指揮のコンセルトヘボウ管の録音 (1991年) によって紹介されたが、なんと言ってもあの、スタンリー・キューブリックの遺作、「アイズ・ワイド・シャット」で使われたワルツを含むという点、文化に興味のある人なら当然ご承知であろう。いやーあの映画 (原作はウィーン世紀末を代表する作家、シュニッツラーだ) の怪しい雰囲気に、冒頭からこのワルツのけだるさは本当によく合っていた。また邦題も原題そのままというのがよいではないか。「両目をぱっちり閉めて」ではどうもしまらない。もちろん、「福島県では井戸をすぐに掘ることができる」という意味と間違えられるリスクはあったわけだが、幸いにしてそのような誤解は聞いたことがない。ええっと、「会津は、井戸シャッと」・・・。ともあれ、この曲も演奏会で聴くことはほとんどない。だが、私は実は過去に一度だけ演奏会で聴いている。10年以上前に、モスクワのチャイコフスキー記念コンサートホールでのことだ。そのとき、表示がキリル文字ばかりで詳細がよく分からず、何やら 1曲ずつ解説つきでロシアの曲が演奏されていったのだが、この曲だけは「おおー!!」と思い、ノリノリの演奏を楽しんだ。ホテルのコンシェルジュから、指揮者は「ポンキン」という人だと聞かされたが、どういう人か不明であった。今検索してみると、あ、ありますね。わけの分からない雨後の竹の子のようなロシアのオケ事情について解説したサイトに、確かに名前が出ている。だが、この人のオケはもう存在しないかもしれないとのこと。それに比べて秋山 / 東響の正当性たるや、比較にもならない。このノリノリの曲も真剣に、しかも音楽の楽しみを鮮やかに描き出したこの演奏、そうそう聴けるものではないだろう。

そんなわけで、一歩間違えばゲテモノコンサートになりかねないリスクのある演奏会であったが、今回も盤石の秋山。本当に日本の音楽界にとって至宝といってよい存在だ。実は前回の記事で彼の古いアナログ録音を紹介したせいで、同様のレコードをこのところオークションで買い漁っている。ここでは割愛するが、面白いものもあるので、いつか機会あれば、そのコレクションをご紹介したいと考えている。次回の秋山のコンサートも既にチケットを購入しているので、その記事を書く日まで、お楽しみに。でもこの方、いくらてっちゃんといったって、天下のマエストロがそんなサービスすることないでしょう。困ったお方です。
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by yokohama7474 | 2016-01-17 02:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)