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この演奏会が開かれた 1月16日 (土) の午後。都内では、ダニエル・ハーディング指揮の新日本フィルと、トゥガン・ソヒエフ指揮の NHK 交響楽団の演奏会があった。いずれも世界に轟く名声を誇る指揮者。前者の演奏会は、同じ内容のものを前日 1月15日 (金) に聴くことができた。では、私が常々絶賛しているソヒエフの演奏会に行くべきではないのか。若干の迷いはあったものの、最終的にはそのチケットは売却することとし、選んだのがこのコンサートだ。ハンガリー生まれのイスラエルの指揮者、モーツェ・アツモンが神奈川フィルを振る。
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私のこの選択について説明しよう。まず、神奈川フィルはその名の通り、神奈川に本拠地を置くプロのオーケストラだ。1970年の設立と比較的新しく、私自身もこれまで、すぐに思い出せるところでは、若杉弘がマーラーの「巨人」を指揮した演奏会と、映画音楽の大家ジェリー・ゴールドスミスが自作を指揮した演奏会しか聴いた記憶がない。CD では、ハンス・マルティン・シュナイト (あのカール・リヒターが設立したミュンヘン・バッハ管弦楽団を引き継いだ人だ) のハイドン「天地創造」など持っているが、それほど親しく接しているオケではない。だが、普段東京の主要 7オーケストラと海外オケ、国内外オペラをフォローするだけで既に時間的にも体力的にも限界であるところ、今回だけはなんとかして久しぶりにこのオケを聴きたいと思ったのだ。その理由は今回の指揮者、モーシェ・アツモン。1931年生まれで、現在実に 84歳。指揮界の大スターというわけではないが、世界を舞台に活躍して来た名匠だ。日本では以前、名古屋フィルの音楽監督も務めていて、それなりの知名度はあるかとも思いつつ、今回の演奏会は、どうだろうか、客席は 6割程度しか埋まっておらず、ちょっと淋しい。やはり、大人気の指揮者とは言い難いのだ。ではなぜ私が、若手の超有望株、ソヒエフよりもこの人を選んだかというと、明確な理由がある。私が初めて聴いたオーケストラコンサートの指揮者が彼であったからだ。

アツモンは 1978年から 5年間、東京都交響楽団 (都響) の首席指揮者を務めていた。私が単身東京に出てきたのは中学 1年、つまり満 13歳になる年、1978年であったので、ちょうどその頃、この指揮者は東京に頻繁に滞在して都響を振っていたはず。そんな時代、中学 1年か 2年のとき、とある日曜日に上野で何か美術展を見たあと、東京文化会館の横を通りかかったときに、都響のファミリーコンサートが開かれているのを知り、思いつきでそれを聴いたのが、私にとっての最初のオーケストラの生体験になったのである。メインは、当時私が唯一全曲を知っていた交響曲、ドヴォルザークの「新世界」、その前に花房晴美 (最近名前をあまり聴かないが、調べてみると、昨年11月、美智子妃殿下が彼女のコンサートに出掛けたとある) がソリストを務めたグリークのピアノ協奏曲、そして最初に何かの序曲があった。ウェーバーの「魔弾の射手」であったろうか・・・。さすがにこのときのプログラムは実家のどこかに眠っているのか、今手元にはなく、正確な日時と曲目は判明しない。だが、日曜の午後の東京文化会館の様子ははっきりと瞼に残っていて、それ以来モーシェ・アツモンの名は、私にとっては親しいものになったのだ。

しかしながら、実のところ私は、アツモンのよき聴き手というわけではなかった。ウィーン・フィルやベルリン・フィル (あのクラウス・テンシュテットがキャンセルした超大作マーラー 8番を代役で振るなど、目覚ましい活躍を見せた) を指揮した実績はあっても、超一流のオケのシェフを務めたという話を聞いたことがないし、何より音楽が手堅く職人的で、ハラハラドキドキという感じにならないというイメージがあったからだ。それから随分時間は経過したが、私は今でも相変わらずアツモンの真価を知らない人間だ。年を取るにつれ、ノスタルジーと加齢臭が日常生活の敵ということになってくるが (笑)、今回、神奈川フィルという渋いところでアツモンを久しぶりに聴けるとなると、やはり今後ますます聴くチャンスのある若手指揮者よりもこちらを選ぼうという気になったのである。今回の曲目は王道を行っており、ブラームス 2曲で、
 ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 交響曲第 2番ニ長調作品73
である。これは楽団が公開しているリハーサル風景。この写真でも想像できようが、実際に舞台に登場したアツモンは、とても 84歳には見えないしっかりした足取りであり、全く何の問題もなく立って指揮をする。最近の 80代は昔の 60代くらいのイメージではないか。
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今回ソリストを務めたのは、1984年生まれのヴァイオリニスト、佐藤俊介だ。ジュリアード音楽院であの伝説的名教師、ドロシー・ディレイ (パールマンや五嶋みどり、その他大勢の名ヴァイオリニストを育てた人) について学んだほか、古楽のスペシャリストでもある由。古楽器オーケストラ、コンチェルト・ケルンのコンサートマスターであり、2013年からはアムステルダム音楽院古楽科教授も務めているという。その経歴を裏付けるように、今回の演奏はヴィブラートが少ない古楽風のスタイルではあったが、不思議なことに、ヴァイオリンの音にはある種のロマン性が漂っていて、かなり情緒的な面も見受けられた。一般的なヴァイオリニストが目指す美麗な音のブラームスとは一線を画すものであり、独自の歌い回しに情熱が加わって、なかなかにユニークな演奏であった。カデンツァも今までに聴いたことのないものであったが、基本的には曲の素材を用いたもので、決して前衛的なものではなかった。ひょっとすると自作のカデンツァであったのかもしれない。アツモンの指揮も要領を得たもので、初顔合わせとなる神奈川フィルをうまくコントロールしていたと思う。第 2楽章のオーボエソロも美しく、充実した演奏であった。佐藤はアンコールにバッハの無伴奏ソナタの 2番からアンダンテ楽章を弾いた。この曲は諏訪内晶子などもよくアンコールで弾き、場合によっては音程もテンポもすっきり行かないこともあるのだが、この日の佐藤は、古楽の専門家としての顔も充分に見せ、古雅で安定した演奏であった。

メインのブラームス 2番は、ブラームス的な重さというよりは、この作曲家にしては珍しくイタリア的な歌が必要になる曲である。この日の神奈川フィル、なかなかの熱演であり、決して東京のメジャーオケに負けない内容であったと思う。だがしかし、数限りない一流の演奏に触れることができる中、もう一歩突き抜けた音を聴きたかった気もする。いやもちろん、昨年ニューヨークで聴いたネルソンスとボストン響のこの曲の演奏のようなレヴェルはさすがに酷であるとは思う。だが、多分、もう少しお互いの音を聴きあうことができるのではないかという気もしたし、より緊密なアンサンブルから自然に熱が発するようになればもっとよいなと思った次第。もちろん、曲の歩みに連れて場面場面で移り変わるオケの主役がそれぞれに全体に貢献していたとは思うが、それぞれの音の糸がより合わさってウネウネと伸びて行くようになればさらなる高みが見えてくるものと思う。

84歳にして全く体力の衰えも見せずに指揮を終えたアツモンは、それは実に大したものである。その職人技には完全に脱帽だ。だが、正直なところは、私がそれまでに持っていた彼のイメージが変わるというところにまでは達しなかった。うむ。彼はまだ 84歳 (笑)。今後のさらなる円熟に期待するとともに、私にクラシック音楽という途方もない奥行きを持つ趣味を与えてくれたことに、心から感謝しよう。私の手元には、1995年に発行された都響の 30年史があって、パラパラとめくっていると、1980年にアツモンがベートーヴェン・チクルスを開いたとある。画像検索すると、このようなポスターが出てきた (交響曲以外に、ラドゥ・ルプーとピアノ協奏曲も全曲演奏したようだ)。35年前のアツモン。変わらないなぁ。その職人性で、日本の音楽界にこれからも貢献をお願いします。
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by yokohama7474 | 2016-01-17 01:12 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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英国の名指揮者、現在 40歳のダニエル・ハーディングが指揮する新日本フィルの演奏を、このブログでも過去に 2回採り上げており、特にマーラーの「復活」交響曲の素晴らしい演奏には大絶賛を惜しまなかった。このオケのシーズンは 9月からで、現在の 2015年 9月からのシーズンにおいてハーディングは 3演目を指揮する。最初が、ブルックナー 7番をメインにするもので、その演奏会は先に採り上げた。2つめが今回の、英国 20世紀最大の作曲家ベンジャミン・ブリテン (1913 - 1976) による戦争レクイエム作品66、そして次は 7月に超大作マーラー 8番が 3回演奏されるということになる。いずれもごまかしのきかない大作ばかりであり、このオケとの共同作業にかけるハーディングの意気込みが伝わってくるようではないか。

さて、今回演奏されたブリテンの戦争レクイエムであるが、それなりの有名曲ではありながら、頻繁に演奏されて誰もが知っている曲とは言えない。私の場合はたまたま、1985年に小澤征爾がこの曲を今回と同じ新日本フィルで採り上げたとき、当時は私もまだ若く真面目であったので、その頃国内盤で唯一出ていたサイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の CD を、歌詞と首っ引きで何度も繰り返し聴いて予習した。そのおかげで、今でもかなり親しい曲なのである。今手元に、そのときの演奏会のプログラム (当時小澤がパリでフランス国立管を指揮したいくつかの演奏会の大成功ぶりを伝える寄稿も掲載されている・・・ちょっとノスタルジックな気分になりますね) と、作曲家の林光が朝日新聞に書いた批評の切り抜きもあるが、まあ、20年も 30年も前のことばかり書いていては老人のようだと言われてしまいそうなので (笑)、今回は素通りしよう。ただ、興味をもって過去のこの曲の日本での演奏を調べると、「日本の交響楽団定期演奏会記録 1927 - 1981」という大部な資料には、この曲の演奏記録は見当たらない。そうすると上記の 1985年の小澤の演奏が日本初演かと思いきや、そうではなく、なんと世界初演からわずか 3年後の 1965年に、デイヴィッド・ウィルコックス指揮の読売日本交響楽団が日本初演していた (定期演奏会ではない場での演奏であったわけだ)。

この曲の特色はなんといっても、通常のレクイエム (死者のためのミサ曲) で使用されるラテン語の典礼文に加え、第一次大戦において 25歳で戦死した英国の詩人、ウィルフレッド・オーウェンのなんとも悲惨でブラックで深遠な詩を挿入していることだ。これがオーウェンの肖像。
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オーウェンの詩はもちろん英語で書かれていて、テノールとバリトンの 2人の男性歌手によって歌われ、またその部分だけ、メインのオーケストラとは異なる別働隊の小規模オケが伴奏する。一方、合唱団とソプラノ歌手はラテン語の典礼文を歌い、そこに、別の場所に陣取った児童合唱も加わる。神への敬虔な祈りと、人間の醜い殺し合いへの恐怖、怒り、諦念が終始交錯する、一種特殊な作品である。それだけに鮮烈な反戦意識を感じさせるが、この曲は反戦というきれいごとじみた言葉ではつくせない、本当にやるせなくなるような絶望感に満たされていると私は思う。オーウェンの詩を少し抜粋してみようか。

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* 「永遠の安息 (レクイエム・エテルナム)」に挿入される歌詞の一部
  畜生のように死す者たちに何の弔いの鐘があろう?
  ただ残忍な銃器の怒りだけ。
  ただ小銃のガダダダという速射音だけが
  急いた祈りをバタバタと唱えられるばかりだ。

* 「怒りの日 (デュイス・イレエ)」に挿入される歌詞の一部
  戦場で、僕らは死のほうへごく親しげに歩み寄っていった、
  いっしょに腰を下ろして食事をした。冷んやりして感じがよかった、
  やつが僕らの手に飯盒を落としたって大目にみてやった。
  僕らはやつの吐息に緑の濁った臭気を嗅いだ、

* 「われを解き放ちたまえ (リベラ・メ)」に挿入される歌詞の一部
  「ぼくはね、君が殺した敵兵なのだ、わが友よ。
   この暗闇でも君とわかった。だって君はそんな嫌そうな顔をしていた
   きのうぼくを激しく刺しぬいて殺したときも。
   ぼくはかわしたよ。でも、両手がひどく嫌って言うことをきかなかった。」

UNQUOTE

これらが唐突に、ピーヒャラ鳴る別働隊オケの伴奏でミサ曲に割り込んでくるのだ。やはり何度聴いても衝撃的な曲だ。ただ、最後は男性歌手たちの歌も、「さあ、そろそろぼくたちも眠ろう・・・」という言葉に変わって行き、死の暗喩としての眠りに沈んで行く。そして聖と俗はひとつに溶け合い、生死の境は曖昧になり、人間の営みの愚かさと生命の尊さを聴衆の心に刻みつけて、静かに静かに終わるのだ。

ハーディングは今回も鮮やかにオーケストラと合唱を率いて、集中力の高い見事な演奏を聴かせた。
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彼の指揮のよいところは、もったいぶったところがなく、奇をてらうところもない、非常に素直な感性であると思う。既にブルックナーで見た通り、彼ほどの才能であっても、すべての作品を常に完璧に演奏するわけではない。だが、音楽の上っ面だけではなく、この曲のように仮借ない厳しさを持つ音楽の場合には、その深淵に迫ろうという意志が感じられて、好感を覚えるのだ。曲想の移り変わりの激しい曲なので、さらに緊張感が欲しい場面もあったようにも聴こえたが、大詰め、リベラ・メの盛り上がりには鬼気迫るものがあり、その後の静かに音楽が終息して行くところは実に感動的であった。最後の音が消えてから拍手が起こるまで、優に 30秒はあっただろう。物音ひとつしない、敬虔な時間が流れていた。彼には声楽付の大曲が向いているのであろうか。きっと合唱団 (栗友会合唱団) も歌いやすかったのではないか。尚、児童合唱 (東京少年少女合唱隊) は、客席 3階後方で歌っていて、副指揮者が振っていたように見えた。終演後にステージに現れた少年少女の格好は、修道士のような長くて白いローブをまとっていたたが、ステージに立たずに緊張感を維持するため、多少なりとも宗教性をもって臨んだものであろうか。

独唱者も大変充実していた。まず、テノールのイアン・ボストリッジは、英国を代表する名歌手であり、オペラよりもリートで活躍しているというイメージだ。
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彼の声は表現力が豊かで、このような曲においては、何かぞっとするような深淵を覗かせてくれるような歌唱ぶりだ。私の勝手なイメージだが、特定のタイプの英国人芸術家には、ある種のデーモン的要素を内に抱えている人がいて、時折その表現に、抜き差しならない激しいものがある。例えば最近亡くなったデイヴィッド・ボウイや、これも奇しくも同世代でつい最近なくなった俳優のアラン・リックマンなど。あるいは、今活躍している俳優で言うと、ベネディクト・カンバーバッチ。このボストリッジもそのようなタイプではなかろうか。

バリトンはノルウェイのアウドゥン・イヴェルセン。ボストリッジほど有名な歌手ではないが、なかなかの歌唱であった。
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素晴らしかったのは、ロシア人ソプラノ、アルビナ・シャギムラトヴァ。私も忘れていたが、昨年 9月、このブログでも採り上げた、英国ロイヤル・オペラ来日公演の「ドン・ジョヴァンニ」で、ドンナ・アンナを歌っていた人だ。ロシア人らしい迫力ある歌声で、この大作において男性歌手陣とは違う祈りの形を深々と歌い上げた。その歌の内容ゆえか、男性陣が指揮者の横に位置したのに対し、彼女だけはステージ後方、オルガンの前での歌唱となった。
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この曲が 1962年に英国コヴェントリーの大聖堂で初演されたとき、作曲者ブリテンは、3人の独唱者を、イギリス、ドイツ、ソ連という敵味方に分かれた 3国から集めようとした。イギリスからは私生活においてもパートナーであったピーター・ピアーズ、ドイツは 20世紀最高のバリトン、ディートリヒ・フィッシャーディースカウ、そしてソ連からはガリーナ・ヴィシネフスカヤ (チェリスト / 指揮者であったロストロポーヴィチの夫人) が予定されたが、冷戦さなかのことであったので国の許可が下りず、ヘザー・ハーパー (イギリス人、といっても北アイルランド出身だ) が歌った。今回の演奏ではバリトンこそドイツ人ではないが、やはり 3ヶ国から集まった歌手たちが、ここ東京で戦争の惨禍と向かい合ったわけである。なんでも、ハーディングの母親はこの世界初演を体験したらしい。人の運命は様々だが、その女性の息子が遠い極東の地で自国の名作を指揮しているという不思議。いつの時代、どこの場所でも戦争がなくならないことへの絶望感に対し、音楽の力が少しでもそれを和らげるとすれば、このような優れた演奏の体験こそが必要であると思う次第である。

by yokohama7474 | 2016-01-16 01:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)

成人の日にあたる 1月11日 (月)、1 並びの縁起のよい日に、稲城市に出掛けることとした。稲城市ってどこよ? と思われる向きもあるかと思うが、そうですね。私もそう思いました (笑)。稲城市は東京の西部。実は我が家からは多摩川を遡った上流にあたる。こんな位置だが、これは分かる人には分かるが、分からない人にはさっぱり分からない地図でしょうな。
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なぜ、今までの人生で縁もゆかりもなかった稲城に初めて行ったかというと、昨年の 10月に星になった我が家の愛犬、メスのビーグル、ルルの遺骨がこの地に埋葬されているからだ。個別の墓を作ることはしなかったが、ここの集団墓地に合祀されているので、一度お参りしようと思ったもの。ルルのかたちはこの世からなくなってしまったものの、我々夫婦のすぐ横に今でもいると感じているので、感傷的になることなく墓参りすることとした。・・・まあ、やはり哀しいのですがね・・・。

ともあれ、この稲城の地に素晴らしい仏像が何体かあることを知り、この機会に拝観することとした。まず最初は、常楽寺である。遠く奈良時代、実に行基菩薩の開創と伝わる古刹である。現在では天台宗であり、街中にあるが、なかなか立派な門構えだ。
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実はこの寺、調べてみると、あの仮面ライダーで、カマキリ男のアジトとしてロケされた土地であるという。うわー、これ、私が子供の頃の話ですよ。行基菩薩の頃よりは時代は降るものの (笑)、相当昔の話である。この門はその撮影当時はまだなかったようですな。
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幼い頃の思い出はそれとして、ここで拝観すべきは、東京都指定文化財の仏像だ。江戸時代、化政期 (19世紀初頭) に編纂された、新編武蔵風土記稿の中に、行基が阿弥陀三尊を自ら刻んだと記されているらしく、まあ、行基の時代に日本に阿弥陀信仰があったか否かはともかく、古くから土地の人たちに親しまれ、崇められた仏像が、大切に保管されているということだろう。以下が阿弥陀堂。観光寺ではないので普段は閉まっているが、事前にお寺に連絡をしておき、お堂を開けてもらった。多摩川三十三霊場の札所のひとつになっているらしい。
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ご本尊の阿弥陀如来はさすがに行基の時代、つまり奈良時代には遡らないが、平安時代末期、12世紀半ばの作とされていて、関東の仏像としては異例に古いものだ。大きさはいわゆる半丈六で、さほど大きくはないし、同時代の中央の、例えば定朝様の洗練された仏像には彫刻技術は及ばない。だが、造形的に無理はないし、間近でご尊顔を拝するとわずかに朱が残っていて長い歴史を感じさせ、その佇まいはなんとも神々しいのだ。この関東の地で大事に守られてきた仏さまであることがひしひしと感じられ、人々の素朴な信仰心を実感することができる。
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さすがに堂内の写真撮影ははばかられたので、お堂の扉を開け放った様子だけ外から撮影した。堂内は天台宗に典型的な内陣と外陣がはっきり分かれた形態であるが、冬の澄んだ空気が、この世と聖なる空間との境界を曖昧にする中、自然光に照らされた阿弥陀三尊の佇まいには、本当に心が洗われる気がする。尚この寺にはもう一体、江戸時代の閻魔大王像が東京都指定文化財となっている。カマキリ男も、しゃれた場所をアジトにしたものだ (笑)。
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さて、稲城の仏像めぐり、その次に向かったのは、よみうりランドである (実際には敷地が稲城市と川崎市にまたがっているようだが)。えっ、これは単なる遊園地ではないのか?! そんなところに仏像があるわけないよね!? 確かに、入り口を入ってすぐのこのような景色からは、仏像のことを連想することすら不可能だ。ここのキャラクター、ランドドッグが出迎えてくれ、後ろに見えるのは、ここの名物であるバンデット (Bandit --- 英語で悪漢とかならず者という意味。昔、「バンデット Q」という映画もありました) というジェットコースターのレールである。
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だが、少し進むと、あっ、あれはなんだ!!
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複雑に絡まるバンデットのレールの向うに、何やらアジアの仏塔 (パゴダ) が見えるではないか。ちょっと行ってみよう。どれどれ、園内の地図によると、あー、これだ。見えにくいが、左の端、バンデットのレールの奥、現在地表示の上の方に、「聖地公園」という緑色に塗られた場所がある。でも、何の説明もないので、とにかく行ってみるしかない。
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アシカショーをやっている場所を右手に見て、この看板に従って進んで行く。
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ええっと、何やら全く人影が見えない、閑散とした場所になってきたぞ。この細い道を、バーベキューハウスを通り過ぎて行くらしい。
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バンデットの絡み合ったレールの横や下を通り、若者たちが絶叫を挙げているのを聞きながら歩いて行くと、動物たちの慰霊碑というものがある。今回はもともと我が家の亡き愛犬の墓参りなので、このような石碑に心を動かされる。少し行くと滝まである。実はこのあたり、夏には蛍を見ることができるとか。
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さらに進んで行くと、あっ、見えてきました。これは多宝塔である。こじんまりしているものの、なかなかシャープな形である。17世紀の建造で、もとは兵庫県加古郡の無量寿院という寺にあったものらしい。この多宝塔の本当にすぐ上を、遊園地から京王線のよみうりランド前駅まで運行されているゴンドラが通っていて、ちょっとびっくりする。

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さて、この先に進む前に、この場所が何であるかをご説明しよう。この聖地公園は、1964年のよみうりランド開園時からここに存在し、もともとのコンセプトである「娯楽・宗教・文化・スポーツ」に基づいてここに作られたものであるようだ。読売新聞の社主であった正力松太郎という巨人が、このような一見ミスマッチな構成を考えたものであろうか。もちろん昭和の時代に入っても、いろいろな古美術の収集とか歴史的建造物の移設の例はあれこれある。だがなんと言ってもここが面白いのは、寺ではなく遊園地の中におきざりにされたようなこの雰囲気と、そこに収められている仏像の素晴らしさなのだ。まず、平安時代初期、9世紀前半に作られた聖観音像。
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入り口に鍵のかかったお堂の外から、「あなたを広くインターネットでご紹介するからお許し下さい」と心の中で念じて撮影したもの。というのも、この仏像は明らかに古く、また明らかに一流の仏師の手になるもので、堂々たる国の重要文化財なのだ。見事な衣文の処理や、左足に重心をかけた姿勢など、奈良時代末期から平安時代初期の特徴が顕著だ。まさほとんど人のやってくることのない遊園地の片隅に、これだけの仏像があろうとは・・・。堂の前に掲げてある説明版によると、京都の長岡京市に今も存在する楊谷寺 (ようこくじ) にもともとあったものだという。千年以上も前にこの仏像を彫った仏師は、その数奇な運命を知ったらきっと驚愕するであろう。

もう一体にはさらに驚きだ。このような六角円堂に入ってみる。
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これは、1301年作の妙見菩薩像。やはり国指定の重要文化財である。妙見菩薩とは、中国の星宿思想における北極星を神聖化したもので、このように彫刻で表されるのは珍しく、重要文化財に指定されている彫刻は全国でもこの一体である。制作年がはっきり分かるのは、銘があるからのようだが、もともとは伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとのこと。鎌倉時代の仏像らしく写実的で、その存在感が素晴らしいが、その一方で、なんとも言えない神秘性があるのだ。柵に覆われてはいるものの、堂内に入ってぐるりを回って至近距離で拝観できるので、飽きることなく何周もぐるぐる回ってしまった。このような小さなお堂で一人淋しく佇んでおられるのはもったいない。是非多くの人々に見て頂きたい。

実はこの妙見堂の横に小さな小屋があって、そこに管理人のような女性がいたので、堂内に入ってもよいことを確認させてもらったが、調子に乗って、先の聖観音像も堂内で拝観したいと申し出ると、快く鍵を開けて頂いた。近くで拝観すると、お顔に浮き出た年輪が絶妙の気品を漂わせていて、やはり素晴らしい仏像であることが分かった。「宣伝していないのでほとんど人は来ませんね」と淡々と語る管理人さんの口ぶりが印象に残ったが、やはりもったいない話である。

また、釈迦の舎利と髪 (それぞれ、スリランカとバングラディシュから贈られたもの) を安置するパゴダ = 仏塔の中にも入れて頂いた。これが入口すぐのところから見えていた建物だ。
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仏舎利と釈迦の遺髪は、それぞれ金色の容器に収められてガラスケースに入っているが、管理人さんによると、掃除のときに開けてみると、中には本当に骨と髪が入っていたとのこと。DNA 鑑定できるわけではないので、真実として釈迦のものか否かは分からず、多分に宗教心によって評価が左右されるものと思うが、多くの人に、実に尊いと思わせるものであることは確かだろう。

さてこの聖地公園、ほかにも面白いものがまだまだある。これは、八祖師像。日本の仏教八宗の開祖、つまり、最澄、空海、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、良忍の彫像。いわば日本仏教のオールスターだ。さすが読売、往年のジャイアンツのメンバーのようですな。
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これは聖門という名のついた門。もともと京都御所にあったものを、石庭で有名な龍安寺を経てここに移築されたらしい。
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ここは神社ではないのだが、このような狛犬も、なんとも雰囲気になじんでいるのだ。
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さらに、ウッドオパール (木の化石がオパール化したもの) や、遠くインカ帝国の国宝も。
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以前この場所は水族館であったらしく、そこで昭和天皇が詠んだ歌。当時の侍従長、入江相政の揮毫になるもの。
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とこのように素晴らしい文化的な空間である聖地公園。特に 2体の仏像は素晴らしく、たまたまこの地の近くに眠ることになった亡き愛犬のことをよろしくお願いしますと祈りを捧げて、すがすがしい気分で遊園地に戻ったのであるが、途中でまたまた注意を惹く看板に出くわし、神聖さとギャグの混在に目が白黒だ。まず、ジェットコースター「バンデット」のレールの下に見えたのがこれ。
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いやいや、「デッド」はまずいでしょ (笑)。ゾンビじゃないんだから。バン「デット」。「デット」ですよ。と思うと次はこれだ。
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手前には「遊園地に入ることはできません」とあるのに、奥には「遊園地はこちらです」とある (笑)。どっちなんだよー。いや、正解は遊園地につながっているのだが。

こうなるとそのまま帰るのも惜しくなり、観覧車に乗ってみました。かなり高くまで上り、少し怖くなるくらいであったが、慣れてくるとなかなかに気持ちがよい。遠く新宿の高層ビル群が見える。
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初めて来た稲毛市。なかなかに味わい深い場所でした。ご縁をくれた亡き愛犬、ルルに感謝!!

by yokohama7474 | 2016-01-14 22:41 | 美術・旅行 | Comments(0)

年明け、今月の N 響の定期には 2人の指揮者が登場する。3つの定期プログラムのうち 2つは、北オセチア出身のトゥガン・ソヒエフ (1977年生まれ)。そしてもう 1つは、山田和樹 (1979年生まれ) が指揮をする。ともに 30代で現在華々しく活躍を続けている俊英だ。もしかすると、クラシックをあまりご存じない方は、日本人指揮者が日本のオケを指揮するのは当たり前のことではないかと思われるかもしれないが、昨今の東京のオケの競争状況からは、なかなかそういうことにはならない。実際のところ、日本人指揮者で日本のオケの指揮台に登場する人は、まさに選ばれた人たちだけであるのだ。そんな中、若い世代を代表する山田は、既にスイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者であり、同じく首席客演指揮者を務めるモンテカルロ・フィルでは、今年音楽監督に就任するなど、既に欧州、特にフランス語圏で活躍の場を広げている。日本でも既に日フィルの正指揮者であるが、実は今回が N 響定期演奏会へのデビューなのである。
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曲目が面白い。
 ビゼー : 小組曲「こどもの遊び」作品22
 ドビュッシー (カプレ編) : バレエ音楽「おもちゃ箱」(語り : 松嶋菜々子)
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「ペトルーシュカ」1911年版

なるほど、フランス語圏での活躍について上で触れたが、これは完全にフランスプログラムだ (ストラヴィンスキーはロシア人だが、この曲はパリで書かれたもの)。加えて、子供や人形というテーマで一貫している。ところがさらに興味を惹くのは、山田が定期公演以外の N 響の演奏会にデビューしたのは 2012年 6月のオーチャードホール公演で、そのときは交響曲第 5番を含むオール・ベートーヴェン・プログラムであったのだ。しばらく前まで N 響といえばドイツ物というイメージがあり、今の首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィはその点を高く評価しているが、デュトワが音楽監督であった時代以降、このオケの柔軟性は大きく広がったわけであり、山田がまずドイツ物のど真ん中、ベートーヴェンのしかも 5番に続いてこのオケを指揮するのにフランス物を採り上げるとは、まさにオケのレパートリーの広さと真っ向勝負ということである。調べてみると山田は、2010年から 2012年までは N 響の副指揮者を務めていたらしいので、実はこのオケのことは充分知り尽くしているのであろう。

1曲目のビゼーの「こども遊び」は、あの「アルルの女」(1872) と「カルメン」(1873 - 74) の間に書かれた曲で、12分ほどの短い曲。もともとピアノ連弾用として書いた曲の 1部を、自分の子供が生まれた年に管弦楽に編曲したものらしい。大変かわいらしい曲ではあるのだが、「アルルの女」「カルメン」という天下の 2大超有名曲の前に影は薄く、私自身も中学生のときにバレンボイムのレコードで聴いて以来、この曲を知ってはいても、それほど面白いと思ったことはない。ところが今回の山田の演奏では、時として聴こえるビゼーの 2大超有名曲に近い響きに、若干驚いてしまった。いわば、それら超有名曲からドラマ性を若干緩くしたような曲なのだ。もちろん、ドラマ性のないビゼーなんてビゼーではないという見方もあろうが、少なくとも、若くして逝ってしまったこの天才作曲家のメンタリティの奥深さに気づかされるような、丁寧で透明感のある演奏であった。

2曲目のドビュッシーの「おもちゃ箱」も、決してポピュラーな曲ではない。ドビュッシーは娘のシュシュのためにいくつか曲を書いているが、これもそのひとつで、1913年にピアノ曲として作曲が開始された。ところが、パリでは 1913年に何が起こったか。そう、楽壇に衝撃を与えたディアギレフ率いるロシアバレエ団による、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演 (指揮 : ピエール・モントゥー) だ。ところがその 2週間前、ドビュッシーも同じロシアバレエ団の公演、同じモントゥーの指揮で、バレエ「遊戯」を初演しているのだ (以前、デュトワが「パリ 1913年」と題する N 響の演奏会でこれらをともに採り上げたのを思い出す)。この「遊戯」、私はあまり面白い曲とは思わないのだが、ドビュッシーにとっては自信作であったところ、「春の祭典」の陰に隠れてさっぱり評価されず、「おもちゃ箱」の作曲もストップしてしまう。その後作曲を再開したものの、彼は 1918年に亡くなってしまうので、未完に終わったこの曲を、友人のアンドレ・カプレ (ポーの「赤き死の仮面」の音楽化で多少は歴史に名を残している) が補作して 1919年に初演された。ところで「遊戯」とか「おもちゃ箱」とか、何やら似たような題名だが、前者はテニスの試合と男女の恋の駆け引きを表し、後者は全く子供のおとぎ話なので、内容はかなり違います (笑)。この「おもちゃ箱」には語りが入り、それを今回は女優の松嶋菜々子が担当した。
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私は芸能通ではないので、彼女の最近の活動には明るくないが、まあ一般常識から言うと (?)、主演映画やドラマが目白押しということでもないようだ。ベテラン女優というと失礼かもしれないが、既に 2児の母でもあり、この作品のように子供に童話を読んで聞かせるような語りにはぴったりというところか。その立ち姿はすらりと美しく、さすがに女優さんである。但しこの作品の語りは、兵隊と人形と道化師が何をしたというような内容で、息詰まる場面や驚愕の場面があるわけではなく、ただ淡々と優しく語りをこなせばそれでよいので、まあ、特にこのような有名女優を起用せずともよかったかもしれない。山田の指揮は的確で、キビキビと音楽は進んで行ったが、いかんせん、正直なところあまり面白い曲でもないので、気が付いたら終わっていたような印象。

やはりこの日の期待は、メインの「ペトルーシュカ」だ。ストラヴィンスキーの 3大バレエの中でも最もきらびやかで楽しい曲だが、演奏は「春の祭典」よりも難しいとも言われている。俊英山田和樹の手腕の見せ所であろう。これは初演のときに主役を演じた伝説のダンサー、ニジンスキーと、作曲者のストラヴィンスキーの写真。
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山田の指揮は期待にたがわぬ鮮やかなもので、それに応じる N 響も、高い集中力を持って素晴らしい音色を聴かせてくれた。この指揮者の門出を祝うかのような貢献ぶりで、大団円に向けた箇所では、弦楽器群はまるでブラームスの交響曲を弾くかのように全身で演奏した。耳で聴いて分かるミスは金管に 2か所ほどあったが、この曲の場合、どんな世界一流のオケでもそのくらいはご愛敬。曲全体を通して輝かしさがあれば、少しくらいのミスは問題ないと言えるだろう。また、この曲で重要なパートを弾くピアニストは、プログラムに名前が記載されていないので、N 響所属の方のようだが、この前のドビュッシーでもこのストラヴィンスキーでも、大変鮮やかで切れのよい演奏であった。終演後、楽団員も晴れ晴れとした表情に見えたが、それは指揮者との相性とか、個々の楽員の出来という点で、この日の演奏が上々のものであったことによるのであろう。カーテンコールのときには楽団から指揮者に花束贈呈もあり、楽団としても、この期待の俊英との今後の活動を望んでいるものと思われた。聴き終わって大変に気持ちのよい演奏会であった。

さて、この山田和樹、今年最初の 3ヶ月の予定では、なんと言っても日フィルとのマーラー・ツィクルスがある。前座に武満徹の曲を置いて、3年がかりで番号順にマーラーの交響曲を演奏して行くが、今年の 1・2・3月には 4・5・6番が演奏される。私の場合、どの日もほかのコンサートとバッティングしてしまったが、ほかのコンサートのチケットをすべて売って、この 3回を聴きに行くこととした。それ以外にも、3月には自ら結成した横浜シンフォニエッタとメンデルスゾーンの「聖パウロ」、6月には英国のバーミンガム市交響楽団との演奏会など、いろいろ聴く機会があるようだ。旬の指揮者を多彩な曲目で聴ける喜びはひとしおで、これも東京の音楽界を彩る特色と言えるだろう。

ところでコンサートとは直接関係ないが、曲目が「ペトルーシュカ」ということで、会場ではこの曲の代表的な演奏として、ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管のドイツ・グラモフォンの CD (カップリングは「春の祭典」) が売られていて、そこに「追悼 ピエール・ブーレーズ」という文字を発見。既に高齢なのでいずれはと思っていたが、今年 1月 5日に亡くなったことをそれまで知らなかったので、心の中で合掌した。20世紀の音楽界をいろんな意味で充実したものにした作曲家・指揮者である。追悼の意を込めて、その CD のジャケットをここに掲げておく。もし、この曲を今まで聴いたことがないが、興味を持ったという方がおられれば、まずはこの CD を買い求めることをお奨めしておこう。
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by yokohama7474 | 2016-01-12 23:19 | 音楽 (Live) | Comments(2)

2016年の初詣は、既に元日に芝の増上寺詣でで済ませたことは記事で採り上げた通りだが、今回、神奈川県立近代美術館 (カマキン) の最後の展覧会に出向いた機会に、隣接する鶴岡八幡宮に詣でることとした。以前鎌倉からほど遠からぬところに住んでいた頃、大晦日の深夜に初詣としてここに来たことがあったが、さすがに関東有数の初詣スポット、押すな押すなの大変な人出で、多くの警備員たちが長いロープで人の列を時折切りながら、少しずつ前に進めていたものであった。今回は 1月も既に 9日目。それほどの混雑ではないが、ただそれでも、本殿に続く石段の上で人が右往左往しようものなら危ないことこの上ないので、石段下でロープによる人数制限がなされている。それゆえ、時間帯によって以下のような光景の違いが現れる。昔読んだ心理学の本に、同じ風景でも、沢山人がいるときといないときで印象が違うということから人間の感覚の狂いが生じると書いてあったが、うーむ、ちょっとシュールです。
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いやそれにしても、日本人は初詣が好きだ。日本の悪いところをあれこれ考える機会も多い私だが、こういうときには「善男善女」の一群として、おとなしく警備員たちの指示に従う日本人は、充分に公共の精神のある人たちだなと思う。この日は天気もよく、朱塗りの門が青空を背景として本当に清々しい。
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大銀杏はが倒壊してしまってからもうすぐ 6年だが、若木がすくすくと育ってきていて、何やら勇気づけられるものがある。今後この木の成長が人々の心の支えになって行くことだろう。神社のサイトにも説明がある。

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https://www.hachimangu.or.jp/about/guidance/ooicho.html

面白かったのは警備員の人たちの服装だ。男女ともに、ドデかい腕章のついた赤くて長い派手なマントに帽子 (男は黒、女は赤) をかぶり、軍隊調というかコスプレ風というか、多くの人たちを颯爽と捌く姿がなかなかカッコイイ。
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さて、今年も商売繁盛を祈念して (ん? もしかして神様間違えてる???)、鎌倉国宝館へ。ここへは多分 15年かそれ以上行っておらず、久しぶりにちょっと覗いてみたいと思ったのだ。すると、あっ、こんなポスターが。
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昨年の記事で大絶賛とともにご紹介した、上野の森美術館で開かれているシカゴのコレクションによる「肉筆浮世絵展」(1月17日まで) の向こうを張った展覧会ということか。これはますます楽しみだ。国宝館に入ってみると、右側には平常展示の仏像の数々が展示され、左側ではこの肉筆浮世絵の展覧会が開かれている。仏像コーナーでは、近年修理された薬師三尊とその眷属である十二神将がなんとも存在感を放っている。これはもともと辻薬師堂という鎌倉市内の小さなお堂にあったものを鎌倉市が管理しているもの。頼朝が創建した東光寺の境内にあったお堂と言われているらしい。本尊の薬師如来は平安時代の作。十二神将は 8体が鎌倉時代、4体が江戸時代のもの。等身大よりは一回り小さく、出来栄えも第一級とは言い難いが、揃って黒光りしており、なかなかの迫力である。運慶が鎌倉で彫ったと伝えられる大倉薬師堂というところにあった十二神将の早い頃の模刻とも言われているらしい。
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また、この国宝館の顔とも言える、円応寺の初江王、明月院の上杉重房像などとも久しぶりの再会だ。鎌倉時代の彫刻の特徴は、その人間的なこと。特に武士の都であったここ鎌倉では、神韻縹渺たる如来像よりも、荒々しさ、あるいは人間くささがふさわしい。
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さて、一方の「肉筆浮世絵の美」展であるが、これは、氏家武雄というコレクターの蒐集品で、昭和 49年に鎌倉市との協力によってここ鎌倉国宝館を所在地とする財団法人となり、平成 24年に公益財団法人に移行したとのこと。氏家は昭和初期に製薬会社を設立して財をなし、国内の美術品が海外流出することに心を痛め、40年かけて肉筆浮世絵をコレクションしたとのこと。その昭和 49年に日経新聞に掲載されたのが以下の記事。日経には今でもこのコーナーがあり、時に驚くような執念を実らせる人の話が載っていて面白い。
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氏家コレクションは全部で 60点弱のようだが、今回の展覧会では 37展が展示されている。上野の森美術館でも見た菱川師宣、懐月堂派や宮川長春、一笑師弟、京都の西川祐信 (すけのぶ)、そして歌麿に加え、多くの北斎 (またはその周辺) が含まれていて、見応えは充分だ。ただ、上野の森美術館の LED を使用した鮮やかな色彩を見てしまうと、通常のライトでの展観では満足できないところもあり、その点は少々残念だ。以下、菱川師宣の「桜下遊女と禿図」、そして宮川長春の「美人立姿図」。
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美人画だけでなく、様々な当時の風俗を描いた作品がここでも誠に楽しい。これは、奥村政信の「当流遊色絵巻」。いやなんとも楽しそうに踊っている。
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上述の通り、北斎が幾つも展示されているが、全部が全部本人が描いているようには正直思われない。だが、なんでもこなしたこの天才画家の凄さを垣間見ることができる。これは「酔余美人図」。酔った遊女のしどけない姿態であるが、色っぽいのに下品な感じが全然しない。真っ赤な盃を見て、「あちきを酔わせるなんてひどいでありんす」などとつぶやいているのだろうか。
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これは「蛸図」。北斎の蛸と言えば、有名な春画 (私は行けなかったが、先般開催されて話題になった春画展にも出ていたらしいし、新藤兼人監督の昔の映画「北斎漫画」というのもあった) があるが、これはタコの表情を正面から描いたシンプルなもの。だが、巧まずしてユーモラスな感じが漂っている。「ええっと、ボク、何か悪いことしましたっけ」とトボけているようでもある (笑)。
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かと思うとこの「桜に鷲図」の峻厳さと力強さはどうだ。このとき北斎実に 83歳。おそるべき生命力だ。
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そんなわけで、短い時間ながら新春の鎌倉を満喫した。小町通りで少し買い物もしたが、そこはまさに人の海になっていた。ただ、普段は混雑が大嫌いな私も、天気のよい新春の一日の散策では、人波に揉まれながらも穏やかな気分であった。それはやはり、この鎌倉という街が持つ懐の深さということなのではないだろうか。次回はお寺回りをしに来よう。

by yokohama7474 | 2016-01-11 18:52 | 美術・旅行 | Comments(0)

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鎌倉、鶴岡八幡宮の境内にある神奈川県立近代美術館。主として日本の近現代美術のコレクションとそのユニークな特別展で知られ、「カマキン」の愛称で親しまれて来た。そのカマキンが閉館することになったと聞いたのは昨年のことであったろうか。かつてここで見たあれこれの展覧会を懐かしく思い出すが、なんでも、神奈川県から貸与されている土地の期限が来るということらしい。この美術館は既に何年も前に葉山に新しい建物を開館していて、そちらで面白い展覧会もあれこれ開かれているので、美術館の活動はそちらで継続するものの、このカマキンの方は建物の老朽化が主要因で閉館されることになったものであろうか。大変淋しいことである。この美術館、設計はコルビジェの弟子である坂倉順三 (1901 - 1969)。
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この美術館の開館は、実に 1951年。まだ戦後 6年しか経っていないこの時期に、日本最初の近代美術館としてオープンしたわけである。その歴史的意義は計り知れない。上の看板にご注目。英語のみならず、フランス語とドイツ語で館名が記載されていて、当時における先進性を表している。そのカマキンの閉館を記念する展覧会のシリーズが昨年から開かれていて、今はその Part 3。私が行った日も、この美術館との別れを惜しむ人たちで混雑していた。今後永久になくなってしまう光景を写真に収めたのでご覧に入れよう。2016年 1月 9日。今月末で閉館するので、残り 23日というわけだ。
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また、前庭の屋外彫刻や、隣接する池の佇まいも、この美術館ならではだ。たまたま写っている子供たちすら、屋外彫刻の一部かとすら思えてくる (笑)。なおこの池は、鶴岡八幡宮の境内にある源氏池と平家池のうち、平家池なのだそうだ。
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中庭にはイサム・ノグチ (北大路魯山人の影響を受けて、当時の妻である山口淑子とともにこのあたりに工房を開いたらしい) の彫刻があり、また、今回特別公開として、以前学芸員室であった中 3階も公開されている。その狭い部屋は今では何もないガランとした空間で、説明のヴィデオが流れているが、印象的なのは、この部屋から、今は喫茶室「ピナコテカ」(絵画館という意味だろう) となっているスペースにある田中岑の「女の一生」という壁画 (1957年作) を見下ろすことができるということだ。この壁画や数々の彫刻は今後どうなるのだろう。
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この美術館の光景として誰もが忘れられないのは、平家池の反射である。先日の日曜美術館での特集でも、鶴田真由がこのゆらぎの写真を撮っていたが、まあ、ここに来れば誰でもそのような感興が沸こうというもの。
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それから、この美術館には、水の上の通路を渡って行く離れのような新館がある。池に面した壁が全面ガラス張りで非常に日当たりがよく、池からの反射もあるので、大変気持ちがよい場所だが、眩しすぎて、展覧会のときはよくブラインドが下がっていた。ところが、以下のような表示があって、既に入れないようになっていた。これなども、この美術館が閉館せざるを得ない理由のひとつであろうか。何度もこの地に遊んだ人間としては、本当に淋しい限りである。
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今回の展覧会の展示物はこの美術館の所蔵品ばかりであり、松本竣介や古賀春江や福沢一郎の作品で、私が昨年既にこのブログでご紹介したものも多く含んでいる。そんな中から一点だけご紹介しておこう。川端康成から寄贈された、古賀春江の「窓外の化粧」。私はこの絵が大好きなのである。
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また会場には、この美術館の設計にかかわる資料や、開館間もない頃の展覧会に関する資料も展示されており、興味は尽きない。そして出口近くには、このような一般のファンからのメッセージが貼られていて、またまた淋しさを募らせるのである (涙)。
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この美術館から徒歩 5分ちょっとのところに別館もある。こちらは本館ほど古くなく、まだまだ現役として使えそうである。ただ、ちょっと小さい建物なので、展示できる作品数に限りがあるのが難点ではある。今は最終展のうち、主として工芸を展示している。今後はどうなってしまうのだろうか。
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65年間の使命を終えて閉館するカマキン。本当に、日本の近現代美術に大きな貢献を果たした美術館である。私たちはその最後をしっかりと瞼に焼き付けて、日本の近現代美術の面白さを後世に伝えて行こうではないか。さようならカマキン。


by yokohama7474 | 2016-01-11 00:57 | 美術・旅行 | Comments(0)

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本年最初のコンサートである。年初の記事にも書いた通り、今年は何やら幸先のよいスタートで、気分もそれなりに盛り上がっている。そのような状態で聴きに行くには最適の指揮者、私の敬愛する大植 英次が、なんと初めて日本フィルを振る。これを聴かずして何を聴くか。ただ、上のチラシは翌日のサントリーホールでのコンサートのもの。今回、この顔合わせでは同じ曲目の演奏会が 3日連続で開かれる。1/8 (金) は大宮のソニックホールで、私の聴いたこの 1/9 (土) は横浜みなとみらいホールで、そして翌 1/10 (日) はサントリーホールである。チラシにある通り、2016 New Year Concert ということだが、曲目は以下の通り。
 ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲集「四季」作品 8 (ヴァイオリン : 木野雅之)
 ドヴォルザーク : 交響曲第 9番ホ短調作品95「新世界より」

2曲とも、クラシックを聴く人なら誰でも知っている天下の名曲。しかも、明るく爽やかに始まり 1年を通した人間の生活を描く「四季」と、ヨーロッパから新天地アメリカに渡った作曲者が郷愁と新たな土地の音楽を絶妙に混淆した「新世界」。ともに新たな年の始まりにふさわしい。特に「新世界」は最近、年末の第九ほどではないにせよ、新年の曲目として演奏頻度が増えている。今年もこの日フィル以外に東響、読響、新日フィルが年初に採り上げる。その「新世界」に関して、プログラムには、「大植がこだわった独自の解釈でお贈りいたします。普段聴きなれた『新世界より』とどう違うのか?? 独自の感性が光る大植マジックをどうぞご堪能下さい」とある。一体どのような解釈なのか。まさか、第 2楽章と第 3楽章の順番がひっくり返っていたり、第 2楽章の有名な「家路」のメロディをイングリッシュホルンではなくただのホルンで吹くといったことではあるまいな (笑)?! ワクワクして後半を待つことにしよう。

さて前半の「四季」であるが、大植自身がチェンバロを弾いての演奏。ソロは、このオーケストラの顔とも言うべきコンサートマスター、木野雅之だ。実に素晴らしいヴァイオリニストで、私も彼がポーランドで録音したシベリウスとチャイコフスキーのコンチェルトの CD を所持している。今引っ張り出して確認すると、これは 1991年の録音。木野 28歳のデビュー盤である。
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さすがにこのジャケットと比べるとかなり貫録の出てきた木野であるが、今回久しぶりに彼のソロを聴いて思ったのは、ヴァイオリンの技巧性を表面に押し立てるのではなく、飽くまでもオケの代表としての役割に徹した弾き方となっていることであった。その中で、例えば「夏」の第 2楽章とか「冬」の第 1楽章とか、疾走する音の流れは見事な一体感を感じさせる一方で、緩徐楽章では、正直なところオケの中の弦の音の混じり合いに、わずかばかり不揃いな感じもところどころあったように思う。ただこの演奏は、このバロック音楽の超有名曲に相対して、虚弱な原典主義と違う方法で人間を取り巻くドラマを現出していたように思う。それは大植の指揮の目指すところでもあったのではないか。自らチェンバロを弾く指揮者が、しかしチェンバロの出番のないところではのんきに椅子に座っているわけには行かずに、大きく身を乗り出して指揮する情景を見ていると、音楽の様式とか書かれた時代に過度にとらわれる場合のある昨今の古楽偏重の傾向が、なんとも脆弱なものに見えてきてしまう。そう、大植はペダルを最大限利用して、音楽の振幅を描き出す。あ、すみません。チェンバロにペダルはありませんでしたね (笑)。でも彼が情熱のあまり床を思わず踏み鳴らす足音が、まさに想像力のペダルとして、音楽の表現力を強いものにしていたと思う。ここには、単なる音の面白さだけではなく、ヴィヴァルディが描き出そうとした人間の生活がヴィヴィッドに再現されていて、味わい深い演奏であった。

さて期待の「新世界」であるが、第 2楽章と第 3楽章の順番も普通だったし、「家路」のテーマはちゃんとイングリッシュ・ホルンで安心した (笑)。ただ、その演奏の個性は既に第 1楽章の冒頭で明らかであった。普通よりも遅めのテンポで始まり、静かな弦、ホルンの信号、繊細な木管と来て、弦楽合奏がズシンと鳴り、ティンパニがとどめを刺す。その凹凸、緩急、強弱が極端で、大きなドラマが動き出す様子が克明に描かれた。それ以上に個性的だったのが第 4楽章。多くの演奏ではここは第 3楽章があたかも徐々に停車する汽車のように終結すると、そのまま続く準備運動としての短い序奏 (つまり、ジョソウはジョソウでも、助走だ) を経て、快速に汽車は滑り出すのであるが、ここでの大植の演奏は、第 4楽章冒頭部は助走ではなく、しこを踏むような感じで大地を揺るがせ、それからは怒涛のつっぱりの嵐とでもたとえようか。なんともスケールの大きい表現であり、その彫りの深さに情念すら覗かせる演奏であった。
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私はいつもこのマエストロの指揮に接すると元気をもらうのであるが、今回もやはり、その全力投球ぶりがオケの中から熱を生み出す様子が見て取れて、素晴らしかった。そのからだの動きから、どのような音を引き出したいのかが明確に伝わって来る。今回は日フィルとの初顔合わせということで、もしかするとお互い様子を見合うような瞬間もあったのかもしれないが、前半のソロを終えて何食わぬ顔で (?) コンサートマスター席に戻っている木野雅之が、大きな身振りで指揮をサポートしていたと思う。もし私なりに考えつく課題があるとすると、(これは上のヴィヴァルディについても書いた通り) 時折ヴァイオリンの中でも少し音の質が不揃いに聴こえるときがあったことと、それから、これはホールの問題かもしれないが、管楽器、特に金管がなぜか大きく響かない場面があったことくらいだろうか。だがそうであったとしても、この何百回聴いたか分からない曲の演奏としては、大変に充実したものであったことは間違いない。

これは横浜での定期演奏会であるから、アンコールはないものと思ったら、なんと、「アメイジング・グレイス」が演奏された。最初は木野のヴァイオリン・ソロで、それから節が繰り返されるごとに、弦楽四重奏になり、弦の各声部の半分の奏者による合奏になり、そして全体の弦楽合奏へと、あたかも讃美歌が人々の間に歌い継がれて行くような感動的な広がりを聴くことができた。世界ではあれこれ物騒なことが起こっていて不安を煽るが、年のはじめにあたって、音楽を通した平和への祈りを耳にした聴衆は、とりあえず前向きな思いで生きて行くことができるだろう。

さて、この演奏会は横浜定期の今シーズンの最終回であったらしく、会場にはこのような貼り紙が。
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新年早々ファイナルパーティとは若干奇異な感じもするが (笑)、例年、シリーズの最終回は 1月で、新シーズンは 3月開始となる模様だ。まず日フィルの理事長から、現在のオケの状況 (ようやく債務超過を脱したとのこと・・・オーケストラの運営は本当に大変なことなのだ) や、創立 60周年を迎える今年の予定 (ラザレフ指揮の特別演奏会、山田和樹指揮の「カルメン」など) などが報告された。その後、今日大活躍のコンサートマスター木野雅之と、アシスタント・コンサート・マスターの千葉清加 (さやか) が登場、3曲の小品をデュオで演奏した。
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ピンボケですみません。この千葉さんは本当はこんな艶やかな方。千葉県出身の千葉さんなので、もしかして千葉氏の末裔なのでしょうか。
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さてこのパーティはまだまだ続き、なんとなんと、マエストロ大植までが次に登場したのだ。これもピンボケで恐縮だが、何やらマントを羽織っての登場。
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これは、彼の師匠であるあのレナード・バーンスタインが、そのまた師匠であるセルゲイ・クーセヴィツキーから譲られたマントであるとのこと。大変貴重なものだ。また、バーンスタインが最後の演奏会 (CD にもなっているボストン響とのベートーヴェン 7番) で使った指揮棒も、遺族から大植に送られたそうだ。ここでマエストロは軽妙なトークで会場の人々を大いに沸かせたが、特に面白かったのは、今回日フィルを初めて指揮したわけだが、自身、1972年から75年まで、このオケの定期会員であったと告白 (?) したことだ。1972年と言えば、ちょうど旧日フィルが、文化放送、フジテレビのサポート打ち切りによって争議となり、現在の日フィルと新日フィルに別れた年だ。当時大植は高校生だと思うが、世界的な指揮者となった今、多感な時期に聴いていたオケを初めて指揮した気分はいかばかりであったろう。さて、その後マエストロはマントを脱いでこのような恰好に。ご自分のデザイン (?) だそうだ。
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ここに開かれている楽譜は何であろうか。これは、彼がドヴォルザークの子孫 (チェコから亡命して英国マンチェスターに住んでいるという) から譲られた、世界で 20冊しかないというドヴォルザークの「新世界」の自筆楽譜の印刷版であるらしい。実は、先に書いた第 1楽章や第 4楽章の大きなテンポの揺れは、この自筆譜の指示によるものであるとのこと。もちろん有名曲であるがゆえに、すべて自筆譜に従って新たに演奏することは現実的な制約もあることから、自筆譜の指示を一部取り入れて演奏したということであるらしい。このようなお話しを面白おかしくするマエストロは、なんとも言えず場の雰囲気を作ってしまう人で、さすがに一流の指揮者である。実はこの後、少しマエストロと言葉を交わす幸運に恵まれたのだが、今後のヨーロッパでの予定のひとつとして、ワルシャワ・フィルを挙げておられた。3月 4日と 5日、曲目は、三浦文彰のソロでブリテンのヴァイオリン協奏曲と、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」、そしてもう 1曲、作曲者外山雄三の名前だけがクレジットされているが、あの定番「管弦楽のためのラプソディ」なのか、違う曲なのか。ま、このブロクを書いている者としては、ラプソディであればいいなと、勝手に思ってしまいますが (笑)。
http://filharmonia.pl/koncerty-i-bilety_en/repertuar_en/symphonic-concert12

さて今回、バーンスタインのマントを見ることができて、大変に興奮した。なぜならばレナード・バーンスタインこそ、私にとってはまさに最大の音楽家であるからだ。またまた自分についての大昔のことを思い出してしまうのだが、1986年にレコード会社ポリドールが募集した、バーンスタインについてのエッセイに応募したところ、佳作に選ばれて、直筆サインの入った本とポスターを獲得したからだ。実は直筆サインは、既にその前年のイスラエル・フィルとの来日時に終演後楽屋前におしかけ、目の前で本人に書いてもらっていたが、この佳作入選によって入手したサインは、もっときっちりしたもので、本当に嬉しかった。
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この本を久しぶりに引っ張り出してきてパラパラ見ていると、バーンスタイン作の詩というのが見つかった。1977年、アレクサンドラ・フォン・マライゼという画家の「静寂」という画集の序文として書かれたもの。少し長いが、年初にあたって思いを新たにするため、ここに全文記載しておこう。実は、手前味噌ながら、佳作入選した私のエッセイは (詳細は忘れているが、全体のコンセプトは明確に覚えている)、バーンスタインの内部にあるであろう静寂と孤独に焦点を当てたものであったので、私にとっては大変に共感できる、感動的な詩なのである。

QUOTE

 静寂は、我々の行動の
 最も内的な形である。
 深い安らぎの瞬間に
 あらゆる思いと
 感情と力が生まれ、ついには
 行動という名の栄光を得る。

 感情に満ちた現実生活は
 夢の中で生気を取り戻し、
 我々の細胞は
 眠りの中で活発に再生する。
 瞑想の中で最高のものに至り、
 祈りの中で最もはるかな所に至る。

 静寂の中で、誰もが
 大いなる力を手にする。
 経験から放たれ、
 敵意を忘れ、詩人は
 最も天使に似たものとなる。

 だが、静寂は深遠な規律を求め、
 人はそれを手に入れなければならない。
 だからこそその規律は、我々にとって
 貴重な宝よりも価値がある。

UNQUOTE

最後は1985年の師弟の肖像で締めくくろう。
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by yokohama7474 | 2016-01-10 03:21 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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英国、リヴァプール。それなりに有名な都市ではあるが、実際に出掛けたことはない。音楽の面では、ロイヤル・リヴァプール・フィルというオケがあるが、特別に興味をそそるような活動をしているとは言い難い。指揮者サー・サイモン・ラトルの出身地ではあるが、でもこの地で彼が何か大きな実績を残したわけではない。美術の面では、特に何の話題もないだろう。サッカーに関しては、チームが 2つあるらしいとは聞いても、その方面に熱狂的な思い入れがあるわけではない私には、そうですかで終わってしまう。というわけで結局この街は、「ビートルズの街」ということでまとめてしまうのが妥当であると思うわけである。

ところが、街の歴史を調べてみると、産業革命時にはマンチェスターで生産された綿織物がこの街の港から出荷され、19世紀末にはロンドンに次ぐ英国第二の都市であったらしいのだ。それゆえ、海港都市としての姿をとどめた地域は世界遺産に登録されているらしい。この展覧会で展示されているのは、そんなリヴァプールの国立美術館の所蔵品のみからなる 19世紀の英国絵画。実は「リヴァプール国立美術館」の名称は、市内及び郊外の 7つの美術館・博物館の総称で、この展覧会には、その中の 3つの施設から作品が集められている。既に新潟、名古屋での展覧を終え、東京の後には山口に巡回して終了する。

一般の美術ファンにとって、「ラファエル前派」という名称はどの程度親しいものであろうか。少なくとも 30年くらい前からは、かなり頻繁にこの周辺の画家たちの展覧会が開かれていて、私が行ったものだけでも、5つや 6つにとどまらない。私の場合は世紀末芸術や象徴主義への興味からの自然な展開で、若い頃からこの流派に大いなる興味が沸いたのであるが、これだけ頻繁に展覧会が開かれるということは、日本でも愛好家が多いのであろうか。この流派、英語では Pre-Raphaelite、つまりルネサンスの巨匠ラファエロよりも前のスタイルの芸術に戻ろうという意味なのであるが、恥ずかしい話、私が以前から疑問なのは、これを日本語でどう発音すべきかなのだ。「前派」を「琳派」のように発音して、通して「ラファエルゼンパ」と「ゼ」にアクセントを置いて読むのが普通であると思うが、言葉の意味を考えれば、「ラファエルゼン・(ッを入れる感じで間を置き) パ」と「パ」にアクセントを置いて発音すべきとも思われる。どちらが正しいのだろうか。

などと考える間もなく、会場に足を踏み入れるとそこは、19世紀英国絵画の一大潮流を示す作品群に圧倒される場所である。好みの問題は多少あるかもしれないが (例えばまるで少女漫画のようでいやだとか)、ほとんどの人たちが美しいと思うであろう絵画が集められている。それにしても、いつも思うことには、個々の画家の個性の違いは多少あれども、驚くほど絵画のスタイルが似た画家たちが集まったものだ。時代の感性とも言うべきものがここには確かにある。今回は初めて名前を聞く画家にも素晴らしい作品があり、ラファエル前派の広がりに改めて驚かされた。もっとも展覧会の英名は "Pre-Raphaelite and Romantic Painting" で、厳密な意味でのラファエル前派 (1848年結成、数年で実質解消) より後の世代までカバーしている。ただそれでも、最も新しい作品でも 1910年代の作なので、たかだか半世紀強の期間に描かれた作品ばかりということになる。英国近代画家の 2大巨頭であるコンスタブルとターナーはいずれも 19世紀半ばで世を去っており、英国絵画史は世代交代が明確だ。

展覧会は、ジョン・エヴァレット・ミレイ (1829 - 1896) の作品で始まる。テイトが所蔵する代表作「オフィーリア」でつとに有名な画家であるが、ここでは若い頃のものを中心に、比較的穏やかな耽美性を持つ作品が並んでいる。これは 1859年の「春」(林檎の花咲く頃) という作品。ラファエル前派がしばしば取り上げた神話的題材ではなく、身近な親戚たちを描いたものらしいが、右端の横たわった女性の上に鎌がかかっているなど、それぞれの人たちの今後の運命を暗示する描き方をしているとのこと。なるほど運命ですか。まさにラファエル前派好みの題材だ。
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そしてこれが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1828 - 1882) の「シビラ・パルミフェラ」(1865 - 1870)。いやーもう、ロセッティの真似をしているのかと思われるくらいロセッティしている (笑)。勝利を表すヤシの葉を手に持った巫女の姿だが、後ろの柱にご注目。左側が目隠しされたキューピッドで愛を、右側がドクロで死を意味しているという。前回の「アンジェリカの微笑み」についての記事でも触れた、西洋文明が大好きな愛と死のテーマである。
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今回初めて知った画家、ローレンス・アルマ・タデマ (1836 - 1912) は、素晴らしい描写力と色彩感覚を持っている。未完の水彩画を含む 5点が展示されているが、以下は「お気に入りの詩人」(1888)。大理石の感じや、二人の女性の髪の色や衣装の質感の違いもさることながら、私が驚嘆したのは、左端から覗く外の風景だ。英国ではあり得ない南国の陽光だが、それによって隅々まで照らされた柱の彫刻の細かさに目がくらむ。ほとんどシュールと言ってもよいくらいだ。
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フレデリック・レイトン (1830 - 1896) は当時高い地位を占めた画家であるが、日本ではあまり知名度が高いとは言えないだろう。だが、私は以前から大好きで、ロンドンの西のはずれにある彼の旧居は、私が同地に駐在中は改修のため閉鎖されているのを残念に思っていたところ、最近出かけたときには既に再公開が始まっていて、大変興味深く拝見した。ここでは 2点ご紹介しよう。まずこれは、「プサマテー」(1879 - 1880)。ギリシャ神話に題材を採っているが、映画好きの方なら、「バートン・フィンク」のシュールなラストシーンを思い出しませんか。こんな肖像画、前代未聞であったろう。
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そしてこれは、「ペルセウスとアンドロメダ」(1891)。これはよく知られたギリシャ神話のエピソードだが、この龍の口から吐き出される炎のリアルさやしっぽの実在感はどうだ。また、ペルセウスは薄く描かれていて、まるでアンドロメダの心の中に現れた幻のようではないか。また、不自然なまでに黒い影を画面のど真ん中にかけている龍の翼が、その感覚を強めている。ここではないどこかの風景。
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ほかにも美しい作品が目白押しで、目移りしてしまうが、これなども珍しい画家の渾身の傑作と言えるだろう。アーサー・ハッカー (1858 - 1919) の、「ペラジアとフィラモン」(1887)。歴史小説の一場面を描いたもので、贅沢な暮らしをしていた女性が荒野で死に行くところを、修道僧である兄が見守るところ。女性の半裸体はなまめかしいが、最近のハリウッドにでも出てきそうな兄の姿が対照的に不気味で、異様なコントラストをなしている。右奥では、ハゲタカが女性の死を待っている。
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さて次は、ちょっとびっくりな作品をご紹介しよう。
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なにこれ、写真じゃん、と思われた方。違います。ウィリアム・ヘンリー・ハント (1790 - 1864) の、「卵のあるツグミの巣とプリムラの籠」。1850 - 60年頃に描かれた水彩画で、今回の展覧会の出展作でも最も古いもののひとつ。まるで、千葉にある現代日本の写実絵画専門美術館、ホキ美術館に置いてもよいような作品ではないか!! 野田弘志も真っ青だ。

会場にはフレデリック・ワッツの有名な「希望」という作品のスケッチもある。これはレイトンに贈られて、彼が終生大事にしていたものだそうだ。うーん、やはり、ここではないどこかに、安らぎを与えてくれる希望が存在する。この時代の英国は、現実世界では世界の先頭を走りながらも矛盾を抱えていたことを思うと、なんとも痛々しい絵であると思う。
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さてここで、真打ち登場。エドワード・バーン・ジョーンズ (1833 - 1898) だ。彼個人の展覧会も数年前に三菱一号館美術館で開かれたし、イメージとしてはまさにラファエル前派の中心人物なのだが、厳密にはそうではなく、少し後の世代になるようだ。だが、画家を流派で分けて納得するのはあまり好きではない。その画家の持ち味に虚心坦懐に向き合いたい。この「フレジオレットを吹く天使」は 1878年の作品。これぞ、私が最初の方に書いた通り、少女漫画と紙一重の美しい絵画作品と評価できるだろう。このイメージは明らかにフレスコ画。ラファエロ以前の作品を洗練したような効果がある。
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それから、同じバーン・ジョーンズで、驚いたのがこれだ。「スポンサ・デ・リバノ (レバノンの花嫁)」(1891)。旧約聖書の「雅歌」に取材したこの作品は幅 1.5m、高さ 3m を超える大作で、立派な額縁に入っているのだが、なんと驚いたことに、水彩画なのである。これよみがしに巻き上がり絡み合う北風と南風の擬人像の衣が、見る者を現実から引き離す。妙に白いユリの花も、何か白昼夢のようだ。水彩でこれだけの力強くドラマチックな雰囲気を出せるとは、恐ろしい技量ではないか。
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さて最後に、ラファエル前派の正統的な後継者ともいえる、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1849 - 1917) の、「デカメロン」(1916)。本展のポスターにも使われている作品だ。ここまで来ると既に第一次世界大戦が始まっているにもかかわらず、中世の作家ボッカッチョの物語に題材を採った美麗な作品だ。原作の中のどの話を描いているかは明らかにされていないようだが、その色彩や構成感は見事である。うっとりと男の話に耳を傾ける女性たちの魂は、肉体を地上に置いたまま、まさにここではないどこかに旅しているようですらある。
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ほかにもまだまだ美しい作品が展示されており、見応えは充分だ。ただ、見ているうちに、これらの画家たちの活躍した 19世紀半ばから後半、お隣のフランスではいかに視覚の革命が起こっていたかを思うと、その歴然たる差にクラクラする思いだ。第一回印象派展は 1874年。そして、キュビズムの元祖と言われるピカソの「アビニョンの娘たち」が描かれたのは 1907年。この展覧会の出展作は、パリで起こった激動の近代美術の一連の革命と同時代の作ばかり。もちろん、パリが先鋭的過ぎたのであろうが、歴史の爬行性は実に興味深い。

それにしても、リヴァプールという一都市にこれだけの貴重な作品群が残っていることには大きな意義がある。いつの日にか現地を訪ね、ビートルズ以外の街の売り物を見てみたいと思う。

by yokohama7474 | 2016-01-07 01:03 | 美術・旅行 | Comments(2)

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昨年の 4月、実に 106歳で亡くなったポルトガルの巨匠監督、マノエル・デ・オリヴェイラの 2011年の作品である。この監督が日本に紹介されたのは、1990年前半くらいであったであろうか、私の世代の芸術映画好きなら避けては通れない存在、というよりも、崇拝者模倣者追随者 (髭だけマネするとか 笑) を多く生んだ、かの蓮實 重彦 (はすみ しげひこ) の功績であった。この方、フランス文学者であり文芸評論家であり映画評論家であり草野球のプレイヤーであり、後には (これはびっくりだったが) 東京大学総長にまで登りつめた人物である。ここで詳述は避けるが、私にとっても大変に影響を与えて下さった方。だが蓮實先生と呼ぶのではなく、仲間とともに「ハスミ」と呼び捨てにするのが、我々世代の彼への屈折したリスペクトの表現であったと言ってもよいだろう。因みに「ヒコ」の字は旧字体でないと本人が怒るのだと、中学 1年のときのクラス担任の現国教師が、蓮實の初期の代表作「反=日本語論」を教材として使用したときに言っていたのを昨日のことのように覚えているが、この映画のプログラムに寄せている文章の名前表記には、通常の「彦」が使用されており、さすがの硬骨漢ハスミ先生も、今年 80歳というお年になり、少しは丸くなられたのかと思ってしまうが、その一方で、飛行機の機内誌でさくらんぼの宣伝に出ているのなどを見ると、笑ってよいのか否か、複雑な気持ちになるのである。ハスミ節健在ということか。

おっと、映画の紹介前に雑談が長くなってしまっているが、私自身のオリヴェイラの映画との出会いはあまり幸運なものではなく、昔ヴィデオで「神曲」「アブラハム溪谷」「メフィストの誘い」などを録画して見ようとしたが、ちょっと見るとどうも面白くなくて、なかなか自宅での鑑賞が続かなかったのだ。ハスミ先生には、お前には映画を語る資格などないとお叱りを受けるだろうが、それでも本当のことだから仕方ない。「コロンブス 永遠の海」などは劇場で見たような気がするのだが、さっぱり思い出せない。それどころか、これは劇場で見たことをはっきり覚えている「リスボン物語」がてっきりこの監督の作品かと思いきや、それはヴィム・ヴェンダース (この人もハスミが熱心に日本に紹介したのだが) 監督で、オリヴェイラは特別出演しているだけであった。これは 2008年、オリヴェイラ 100歳の頃の写真。元気そうだなぁ。
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さて、そろそろこの映画について語ろう。いや実に素晴らしい。現実と幻想の境が曖昧となり、人間の感情の錯綜があり得ない現象を引き起こすのだが、それを描くオリヴェイラの手腕は自然そのもの。ある意味魔術的な作品と言ってもよいだろう。ストーリーは単純で、アンジェリカという若い女性が亡くなり、その死に顔を写真に撮ったイザクというユダヤ人のアマチュア写真家が彼女の魅力に憑りつかれるというもの。これはその「出会い」のシーン。この映画を通して言えることだが、室内でも恐らくは実際に天井や床に備え付けられている照明以外を使わずに撮影しているように思われる。つまり、薄暗い室内のシーンは本当に薄暗く、多くの場合には逆光になったりもするのだが、空は南欧のイメージとは異なる曇天ばかりだ。また、音楽が使用されているシーンも本当に限定的だ。
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そういう映画は陰湿な内容かというとさにあらず。上のポスターにあるアンジェリカの表情をご覧頂きたい。まさに微笑みを浮かべており、映画の中では、まずイザクが覗くファインダー (いつの設定であるかの明示はないが、デジカメではなくフィルム式カメラである--- 尚、このオリヴェイラ自身による脚本の構想は 1950年代に遡るという) の中で、彼女はぱっちりと目を開けて微笑むのだ。そして、イザクの魂はアンジェリカの (今も近辺に漂っているらしい) 魂と同調を始める。このようなモノクロの幻想的なシーンもある。これは、スーパーマンやスパイダーマンが彼女を抱きかかえて宙を飛ぶのとは大違い (笑)。本来飛ぶ力などないはずの男が、憧れの女性と魂の同調を起こすことで初めて生まれるシーンなのである。ある種甘美でありながら、でも実はかなり危ない精神の均衡状態であると言えよう。ワーグナーを俟たずともヨーロッパ文明において時折見られる「愛と死」の観念が感じられる。
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前回の歌舞伎の記事で、亡くなった遊女夕霧の亡霊と踊る男の話を書いたが、設定はかなり異なるものの、このようなヨーロッパの愛と死の観念も、日本の情念も、共通する部分はあるのではないか。明らかな共通点は、このような超常現象の中で当事者たちは本当に恍惚としていることだ。主人公イザク (オリヴェイラの孫が演じている) は実際、アンジェリカに入れあげるにつれ、下宿での奇行が目立つようになり、いわば現実の中に暮らすことが困難となって、ひたすらアンジェリカとの夢の世界に漂って行くのである。プログラムに記載されているオリヴェイラのインタビューによると、もともとこの脚本が構想された 1950年代には当然ながらユダヤ人虐殺の記憶が生々しく残っていたので、主人公イザクはそこからくる精神的苦痛から逃れることを求めていて、アンジェリカがその苦痛から解放してやるのだとのこと。

だが私がこの映画を思い出すときに気づくのは、森羅万象に息づく命を、監督が実に自然に映像として形象化していることだ。あるシーンでは、床の上を歩いて来た猫が、壁際の高いところにぶら下がったかごの中の小鳥を見て狙いを定め、座り込んで静止するが、しっぽはゆっくりと左右に振られている。役者たちが台詞を終えて退場しても、カメラはその情景を捉え続ける。すると屋外から犬の吠える声が聞こえて、猫は一瞬それに反応して視線を外に向けるが、すぐに小鳥に興味を戻し、またしばらく静止した後、やがてあきらめて動き出すのだ。すべてが計算づくの映像ではなく、即興性あるシーンであろうが、その場面には人工的な照明も音楽も何もなく、ただ過ぎて行く時間だけが淡々と描かれている。またあるシーンでは、金魚鉢に大きく映る金魚であり、ほかのシーンでは幻想の中を飛び回り、現実世界では命を落としてしまう小鳥なのだ。ここではオリヴェイラが命を司る神のような存在なのだと言ってもよいと思う。

イザクの撮影対象にはほかに、ブドウ畑で働く農夫たちがある。実はこの映画の撮影地、ポルトガルのドウロ川上流 (同じ川の河口にあるのがオリヴェイラの出身地ポルト) はポートワインの産地で、「アルト・ドウロ・ワイン生産地域」として世界遺産に登録されているらしい。ここでは農夫たちが素朴な歌を歌い、昔ながらの方法で畑を耕している。アンジェリカの象徴する甘美な死の世界とは対照的な、無骨な生きる力の世界がここにある。この映画での限定的な音楽使用については前述したが、実は 2種類の音楽が使われている (上記の飛行シーンのような、金属的な効果音の使用は別として)。ひとつがこの農民の歌。もうひとつは全く対照的に、ポルトガルの偉大な女流ピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスの弾くショパンのピアノ・ソナタ第 3番と、マズルカ作品 59-1 だ。オリジナル録音ではなく CD 使用であろうが (エンドタイトルの「協力」の最初に彼女の名前があったので)、よく知られるようにこのピアニストは本当にピュアで繊細な音を奏でる人で、この映画の抒情性の多くを、「沈黙」とこの人のピアノが分け合って貢献していると言えるだろう。
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イザクが写真を現像して部屋の中に干しているときにも、アンジェリカの優しい死に顔と、農夫たちの逞しい姿とが入り混じっていて、この対照性において森羅万象に潜む様々な力が表現されているように思う。

このように、ポピュラーなタイプの映画作品に慣れた人にはとっつきにくいところがあると思うが、芸術性という点では極めて高いレヴェルにある映画で、これを 101歳で撮ってしまった監督に、今更のように深い尊敬を覚える。全国で 5館でしか上映していない (東京では Bunkamura ル・シネマ、大阪では梅田リーブル、名古屋では名演小劇場と、いずれも芸術系ミニシアターだ) 点、少し不便だが、映画によって芸術を体験できる機会はどんどん減っているので、私としてはお奨めしておきたい。

プログラムに掲載されているオリヴェイラのインタビューには興味深い発言がいろいろあるが、この映画の一面である鬼気迫る雰囲気と共通する発言を引用しよう。101歳でこんなことを喋れる頭脳って一体・・・。

QUOTE

絶対的な愛とは両性具有になりたいと望むこと。ふたつの存在がひとつになりたいと切望すること。不可能な欲望だが、それが真実だ。この映画ではすべてが暴力的だ。非常に暴力的な映画で、私の戦争映画よりもずっと暴力的だ。戦争映画は多少計算された暴力を描いているからね。この映画はリアルであり、人を殺す。個人、つまり人物が殺す。映画を撮る行為・・・撮影そのものが暴力的なんだ。監督は殺人者のようだと、かつて私は言ったことがある。そして殺人者が殺人をやめられないように、監督は映画撮影をやめられない。

UNQUOTE

なんとも物騒な発言で、私が上で繰り返したこの映画の静謐さが嘘のように思えてしまうではないか (笑)。でも、何やら分かる気がする。ハスミ先生、さくらんぼの宣伝も結構ですが、オリヴェイラ監督の紹介も引き続きお願いします!!
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by yokohama7474 | 2016-01-05 01:00 | 映画 | Comments(0)

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新年の過ごし方には、人によって家族によって、また年によっていろいろあろうが、時には歌舞伎など見に行くのも楽しいものである。様々な劇場で新年 2日か 3日から歌舞伎がかかっており、都内では歌舞伎座以外でも新橋演舞場や浅草公会堂で、新年ゆかりの演目が並んでおり、和服にキツネの襟巻 (?) などオシャレに巻いたご婦人などが縦横に闊歩している姿も艶やかで、新年ならではのワクワク感があるものだ。というわけで、今年は歌舞伎座の初春大歌舞伎の初日に出掛けてみることとした。この劇場が建て替わってから 3年近く経っているわけだが、実は未だ今の劇場で観劇したことがなかったので、これはいかんということもあって、2016年の最初の成果をここに求めたという意味合いもある (笑)。人間やはり、どんな小さなことでもよいから達成感を味わうことで進歩して行くものであります。劇場はこのような雰囲気。
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プログラムは昼の部と夜の部で異なっており、私が見たのは 16時30分からの夜の部。豪華役者陣による 4演目だ。歌舞伎の常だが、途中休憩を挟むものの上演時間は非常に長く、終演は 21時を回っていた。また、入場も開演の 20分前と、かなり慌ただしい。その代わり、通常の劇場と違って場内で飲食自由というのが歌舞伎のよいところである。途中、普段食べない人形焼など頬ばりながら見る歌舞伎は、新年の賑わいいっぱいだ。

夜の部の最初の演目は、「猩々 (しょうじょう)」。これは長唄をバックに主として踊りによって演じられるもので、上演時間 20分程度。猩々とは現代語ではヒヒであり、もちろん猿の一種だ。今年の干支に因んだ選択なのであろうが、猩々はもともと、中国の古典「山海経」(2500年ほど前から編纂され、徐々に加筆されていった世界最古の地理書だが、多くの妖怪や神の紹介を含んでいる) に出てくる怪物で、人の顔と足を持ち、言葉を解し、酒を好み、魔除けとして信仰の対象にもなる。もともと能の演目としてもよく知られている。そのイメージはこの人形のような感じ。
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今回の舞台では 2匹の猩々が出てきて、中村梅玉と中村橋之助が演じた。台詞なしに息の合った軽妙な舞を披露した。橋之助は私と同い年でなんとなく親近感があるが、今年八代目中村芝翫 (しかん) を襲名することになっている。ところでこの後の演目の幕間で場内を歩いていると、この橋之助が 3人の子供たちとともに、南野陽子のインタビューを受けているのを発見。どうやら NHK Eテレで生放送していたらしい。全然知らなかったが、あとで調べてみると、この歌舞伎座と大阪の松竹座 (市川中車ら出演) とを結んで放送していたのですな。

2つめの演目は「二条城の清正」から、「二条城大広間の場」と「淀川御座船の場」。これは、関ヶ原合戦と大坂の陣の間、慶長 16 (1611) 年に豊臣秀頼が加藤清正らに伴われて京都の二条城で徳川家康と面会したという史実をもとにしたもの。昭和 8 (1933) 年、吉田絃次郎という作家によって書かれた作品だ。この作家、現在では忘れられた名前だが、調べてみると、230冊以上の著作を残し、嵐寛寿郎主演の映画化作品もあり、また早稲田の教授としてあの井伏鱒二を教えているという。なるほど、江戸時代の古典に比べて、秀頼が清正に目で問いかけるシーンなど、演劇としての芸の細かさを要求される台本だ。ここで秀頼を演じているのは、市川染五郎の長男、松本金太郎 10歳。そして清正を演じているのが、その祖父にあたる松本幸四郎だ。
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実はこの日の後の演目には染五郎も出ているので、三代に亘って同じ舞台に出ていることになる。もちろん世襲制の歌舞伎界であるから、そのようなこともままあるのかもしれないが、それにしてもすごいことではありませんか。以下の写真は、2013年の10月、国立劇場での三世代そろい踏み。金太郎の左にいるもう少し背の高い子は、市川中車 (香川照之) の息子、市川團子。
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それにしてもこの芝居の中での秀頼は、かなり多くの台詞を喋る必要がある。これを 10歳で務めるとは大変なことだと思ったら、プログラムでの幸四郎のインタビューによると、彼自身も染五郎も過去に演じてきた役柄であるとのこと。昭和の「新しい」作品ですら、既にしてこれだけの歴史があるのである。改めて歌舞伎の伝統を実感することができる。それにしてもこの金太郎、素顔も可愛らしい少年だが、舞台におけるその立ち姿や声の出し方も、子供らしさを感じさせながら堂々たるもので、私がヨボヨボになった頃に、「いやぁー、10歳の金太郎の秀頼を見たよ」と言って自慢する日が来るのかもしれない (笑)。舞台上では、年を取ってからも青年や若い遊女の役などは演じることはできるが、この役の場合には本当の少年しか演じることができないので、文字通り期間限定の役ということになろう。

ところでこの芝居、内容は、家康からの招待を受けて二条城を訪れた秀頼と、そのお供をした清正の行動を描いたもの。前半の「二条城大広間」は、幼いながらも礼節をわきまえ、しかも老獪な家康と堂々と渡り合う秀頼と、武骨ながら才気煥発、狙われている若君を機知と度胸で守ろうとする清正の姿が、その後の豊臣の運命を知っている観客に、ある種の感情移入を促すのである (日本人のメンタリティにある判官びいきという奴だ)。ただ正直なところ、あまりに動きが少なくて、見ていてハラハラドキドキとまでは行かないのが残念。後半の「淀川御座船の場」は、二条城から大阪に船で帰る主従の姿を描く。秀頼の成長を思って涙する清正に、ずっと達者でいて欲しいと声をかける秀頼。感動的な場面であるが、演じているのが実際の祖父と孫であることを知っている観客たちは、そこでもまた感情移入を避けることができず、かくして場内にはすすり泣きの声が聞かれるという次第。幸四郎はこの場面について、「温かい心の通い合う佳い場面だと思います。ここでの秀頼は芯の通った若者で、金太郎にはこれからの歌舞伎役者としての姿勢を学んでほしいと思っています」と語っている。残念がなら舞台の写真がないので、加藤清正の肖像画でお茶を濁します。あしからず。
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ところで史実を調べてみると、清正は、この京都での家康 - 秀頼会談のあと、熊本に帰る船の上で発病し、到着後数ヶ月で亡くなったとのこと。家康による毒殺説まであるらしい。ほぅ、そうするとこの芝居の船のシーンは、秀頼の願いも、それに号泣して応える清正の意気込みも虚しいということになり、見る者の心を一層揺さぶりますねぇ。また、この台本が書かれた昭和 8 (1933) 年はどんな年だったのだろうか。既に日中戦争は始まっていて、満州国はその前年に建国宣言がなされている。この 1933年、日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立から戦争の泥沼にはまって行くことになる、そういう時代だ。この芝居の中で秀吉の朝鮮出兵について家康が意見を求め、清正が、もう一度あれば自ら先陣を切って明まで攻め入ると答えるシーンがあるが、台本が書かれた時代背景を考えると、何やら深読みしてしまいたくなる。それから、これも大いに脱線になってしまうが、文芸評論家、小林秀雄の作品を年代順に掲載した新潮社の全集を少しずつ読み進んでいるので、試みに 1933年に書かれた文章を見てみると、例えばこんなものがある。「谷崎潤一郎氏の『春琴抄』(「中央公論」) --- を面白く読んだ。特に心を動かされたわけでもないし、深く考えさせられたというのでもない、面白く読んだというのは消極的な意味なのだが、ともかく読んでいる間ちっとも気が散らなかった。ほんといえば私にはそれだけでも充分である」(5月 3日、報知新聞)。激動の時代の文芸のあり方をあれこれ考えさせられる興味深い内容だ。

さて、3つめの演目は、「廓文章 (くるわぶんしょう)」、通称「吉田屋」である。1678年、22歳 (または 27歳) で世を去った大坂新町の名妓、夕霧太夫の死を悼み、早くも死の翌月に上演された「夕霧名残の正月」以降、「夕霧狂言」と呼ばれる系統の作品が多く作られた。西鶴も「好色一代男」で夕霧を絶賛しているという (1682年の刊行なので、夕霧の死後数年後の評判という生々しい記録だ)。1712年に近松門左衛門が浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡 (ゆうぎりあわのなると)」を書き、その上巻を脚色したのがこの「廓文章」だそうだ。上方で流行した、いわゆる歌舞伎の和事 (わごと) の代表作。主役の藤屋伊左衛門は、大坂でも指折りの豪商の若旦那でありながら、夕霧に入れあげて多額の借金を背負い、みすぼらしい身なり (紙衣 (かみこ) 姿と言われる) で登場する。演じるのは中村鴈治郎。この役の初演を演じたのは初代坂田藤十郎だが、今の鴈治郎は、人間国宝、4代目坂田藤十郎と扇千景の息子。昨年の鴈治郎襲名披露でも演じたらしいが、きっと思い入れのある役だろう。これが昨年の襲名時のポスター。今回も同じ衣装で登場した。
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私はこの芝居を初めて見たが、育ちのよいボンボンの雰囲気が必要な役なので難しいだろうと思う。その点鴈治郎は、仕草になんとも言えない憎めなさがあり、客席から笑いも取っていて、なかなかに面白かった。だが、この芝居の主役は、相手方の夕霧が舞台に登場すると一変してしまうのだ!! 玉三郎だ。
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私はこの人が普段しゃべっている映像などを見ると、少し品のいい男性というふうに思うのだが、ひとたび女形として舞台に立つと、本当にきれいでびっくりしてしまう。正直、この人を見てしまうと、ほかの女形がかわいそうなくらいだ (笑)。この夕霧は何度も演じているらしく、まあその所作の洗練されたこと。客席からは、はぁ~っとため息が漏れ続けた。いやいや、先月見た和太鼓集団、鼓童の芸術監督などの副業 (? にしてはハードな仕事ですな) も務めながら、本業ではいよいよ輝きを増しているとは驚くばかりだ。年を調べてびっくり。もう 65歳なのだ!! ええっと、ちゅうことはですよ、誰とは言わないが、私の会社のあの役員やこの役員よりも年上ということか!! びっくりびっくり。

ところで、上でご紹介した、夕霧没の翌月演じられた「夕霧名残の正月」では、同じ伊左衛門と夕霧の逢瀬が描かれるが、実はそこで伊左衛門と一緒に踊る夕霧は亡霊であったという設定だったらしい。つまり、実在の夕霧が亡くなってすぐに、その人の亡霊を舞台に登場させたということだ。世界の演劇史上にそのようなことはほかにもあるだろうか。江戸時代の日本の文化の成熟度を示す例ではないだろうと思う。

さて、この日最後の演目は、「雪暮夜入谷畦道 (ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」、通称「直侍 (なおざむらい)」。この直侍とは、主人公、片岡直次郎のことらしい。明治に入ってから数々の歌舞伎をものした河竹黙阿弥による大作「天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな)」の一部である。尚、河内山宗俊 (こうちやまそうしゅん) もこの作品の重要な登場人物のひとりで、部分上演の場合は、直次郎、宗俊、いずれかが主人公の幕を上演するのが通例らしく、今回は直次郎だ。その直次郎を演じるのは、市川染五郎。
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歌舞伎役者にもいろいろあるが、彼はスキッとした顔立ちで、本当に歌舞伎役者らしい雰囲気を持っていると思う。今回演じる直次郎は、宗俊と同じく、実在の人物を黙阿弥が脚色して、ゆすりたかりを生業とする小悪党に仕立て上げたもの。実在の直次郎もそのような人物で、最後は獄死しているらしいが、もともとは旗本の家の出身ということで、舞台でもただのヤクザ者ではなく、どことなく漂う生まれのよさが求められよう。染五郎は、少し線の細さはあるものの、過剰にならない演技でなかなかの迫力を出していたと思う。この芝居は、なじみの吉原の遊女、三千歳 (みちとせ) が病に臥せっている入谷を通りかかった直次郎が、そば屋で彼女の噂を聞き、人目を忍んで逢いに行くが、仲間の讒言で追っ手に踏み込まれてしまい、三千歳に、「もうこの世では逢えないぜ」と言い放って逃亡するという筋。正直、これだけではあまり面白いストーリーにはならないが、雪の夜道を歩く人たちの姿やそばを食う姿などに、なんとも言えないリアリティと詩情があって、なぜか懐かしいような感じを覚えるのが素晴らしい。黙阿弥が歌舞伎を書いたのは幕末の本当に最後の頃から、明治の半ばにかけての大きな歴史の転換期。だがその歌舞伎作品は (すべてであるか否かは知らないが、少なくともほとんどが) 同時代ではなく、過去である江戸時代の設定であろう。だが、今回の芝居などを見ると、ただ単に懐古的な内容なのではなく、近代演劇としてのリアリティと歌舞伎の様式美をみごとに両立させているのが分かる。400年に亘る歌舞伎のレパートリーとしては、黙阿弥作品はやはり欠かせないものであろう。

そんなわけで、非常に盛りだくさんな初春歌舞伎であり、初めての新生歌舞伎座での観劇を充分楽しんだのだが、あえて苦言を三つ呈したい。

ひとつは、歌舞伎では毎度のことながら、開演前の時間が短いこと。昼の部と夜の部が近すぎるから、慌ただしいことこの上ない。プログラムに掲載されている解説やあらすじを読むのがぎりぎりになってしまうし、せっかくショップにあれこれのグッズを売っているのに、あれでは売れ行きも伸びないのではないか。幕間にはトイレや食事の時間も必要だし、夜の会は終演後には売店は閉まってしまっている。従って、開場時刻を早めるべきだ。日本のオペラの上演では開演 1時間前に開場することも珍しくなく、その間に観客はくつろいで上演に備えることができる。歌舞伎もできればそのくらいの時間が欲しい。

ふたつめ。上記とも関連するが、通し狂言ならいざしらず、このような部分的な上演の場合には、上演時間 4時間半超はちょっと長すぎるのではないか。特に今回は、動きの少ない演目が多く、退屈する瞬間があったことも否めない。また、3演目目と 4演目目は、登場する男のキャラクターこそ違え、女に入れ込んでいて、その女が病に臥せっている (いた) という点は共通しているなど、あまり対照的なものにはなっていない。もう少し刈り込んで全体の上演時間を減らし、演目のバランスにも留意してはいかがか。

みっつめ。これがいちばん本質的だが、大変残念なことに、役者の声が客席まで充分届いて来ない。私は大枚はたいて 1階16列目の 1等席を購入、楽しみにでかけたのだが、舞台からそれほど遠くなかったにもかかわらず、これまでの歌舞伎鑑賞体験の中で初めて、役者の声を聴き取るのに苦労した。これはいかなる理由によるものか。音楽ファンとしての経験から勝手に想像すると、天井が高いか形がよくなくて、声の反響が充分ではないからではないか。従って、天井に反響板を設置することで改善するのではないだろうか。音楽ホールでも、東京芸術劇場や東京オペラシティコンサートホールは、できた頃よりも確実に音響がよくなっている。スタッフの地道な努力による改善補修がなされたものと理解する。歌舞伎座も同様の改善をして頂くよう、切にお願いする。

新旧の素晴らしい役者たちが舞台を盛り上げている (もちろん、三味線、鼓の方々や謡の方々、裏方の方々まで含めた関係者の努力の賜物である) 現在、鑑賞環境をよりよくすることで、さらにこの素晴らしい伝統文化を充実したものにできると思う。この空間が、今後も喝采で満たされ続けるよう、鑑賞者側からも率直な思いを書き連ねます。
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by yokohama7474 | 2016-01-03 15:22 | 演劇 | Comments(0)