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このブログで何度か賞賛の言葉を書いている若手指揮者のホープ、山田和樹が日本フィル (通称「日フィル」) とともに 3年がかりで取り組んでいるマーラー・ツィクルスも、今回が第 5回となった。会場となる渋谷の Bunkamura には、入り口にこのような大きなのぼりが掲げられ、宣伝にも力が入っている。そのおかげか、今回の演奏会のチケットは完売だ。
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先月の第 4番の記事でも書いた通り、このシリーズではマーラーの交響曲の前に武満徹の作品が必ず演奏される。今回の曲目は以下の通り。
 武満徹 : ア・ストリング・アラウンド・オータム (ヴィオラ : 赤坂智子)
 マーラー : 交響曲第 5番嬰ハ短調
おっと、マーラーの 5番といえば、つい昨日もチョン・ミョンフン指揮東京フィルの演奏を聴いて、記事を書いたばかり。連日のマーラー 5番体験となる。これは興味深い比較になるだろう。

山田はしばしば演奏前に自ら聴衆に対して曲目解説をしていて、このマーラー・ツィクルスでも毎回そうなのである。今回も開演 30分前に燕尾服で登場。マイク片手にユーモラスな語り口で喋り始めた。まず武満の曲に関しては、この曲の初演が 1989年にパリで行われた際にヴィオラ独奏を務めた、日本が世界に誇るヴィオリスト、今井信子の名が言及され、今日のソリスト赤坂智子は今井の弟子であると説明された。
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赤坂はスイスのジュネーヴ在住であり (今調べて分かったことには、今井もジュネーヴ音楽院で教授を務めている)、同地に所在するスイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者を務める山田とは同地で面識を得たとのこと。そしてマーラー 5番の解説に入ると、たまたま武満の曲で使用するためにピアノが置いてあるのを見つけ、それを弾きながらの熱の入った講師ぶりだ。山田いわく、9曲からなるこのシリーズの今回が折り返し地点で、先月の 4番のときとはまた違った緊張感があるとのこと。この曲は、周知の通り、マーラーがウィーンの音楽監督に就任し、妻アルマと結婚した頃に書かれており、ウィーンへの思い、結婚への思い等々がないまぜになっている。第 1楽章の葬送行進曲は、ユダヤ人作曲家 = 指揮者としてマーラーの先輩にあたるメンデルスゾーンの有名な結婚行進曲に倣いながら、ダダダ・ダーンというベートーヴェン由来の「運命」の主題を織り交ぜて作られているとの説明には、聴衆の誰もが興味を持って聞き入ったことだろう。前回もそうであったが、今回も途中でスタッフが舞台の下にやってきて、そろそろ終わりですよとの合図 (今回は手紙形式だったが 笑) を送り、山田も渋々説明を切り上げる。

武満の「ア・ストリング・アラウンド・オータム」は、フランス革命 200周年を記念して 1989年にケント・ナガノ指揮パリ管弦楽団によって初演された。ストリングとは弦のことで、秋の雰囲気の中、ヴィオラ独奏がオーケストラと美しく溶け合い、また反撥しあう曲だ。「ドビュッシーとメシアンを生んだフランスのひとびと」に捧げられている一方で、詩人大岡信の「秋をたたむ紐」(紐も、英語では string なので、題名は掛け詞なのだろう)のイメージに基づいている。武満らしい叙情を、赤坂のヴィオラと山田 / 日フィルが繊細に描き出していた。

そしてメインのマーラー 5番であるが、山田の指揮は緻密にして柔軟。あの瞬間この瞬間に、これぞまさにマーラーという音が鳴っており、昨日のチョンの指揮に感じた違和感は、ここにはいささかもない。例えば第 1楽章で、同じ音型の繰り返しの中、2回目にはヴィオラが加わってドキッとする場面。第 2楽章で深刻な盛り上がりのあと、ティンパニの弱音での連打をバックにチェロが静かに呻吟する場面。第 3楽章で、その後の最終楽章のクライマックスで出てくるコラールが鳴り、でもそれがここでは崩れ落ちて行く場面。第 4楽章で、弦がずり上がって芳香を放つように宙に消えて行く場面。第 5楽章で、先の第 4楽章アダージェットのテーマがテンポを速めて切れ切れに出てくる、喜びの中に焦燥感と切実感のある場面。若干戯画的と言ってもよいような明快な山田の指揮は、その見通しのよさによって、リアルなマーラー像を描き出していたと思う。まだ 30代の山田が、恐らくはこれまでの聴き手としての豊富なマーラー体験を反映させたとおぼしき語法を駆使しているのを見ると、大げさなマーラーが過去のものとも思われてくる。だがもちろん、そこには山田なりの個性が充分に現れており、第 1楽章のテンポは通常より遅めだったし、第 4楽章に至っては、ほとんど止まってしまうように思われるほどゆっくりなテンポであった。また、開演前の解説でも説明していた通り、この曲は第 1・第 2楽章が第 1部。第 3楽章が第 2部。第 4・第 5楽章が第 3部という三部構成であり、第 1部の終わりと第 2部の終わりでは指揮棒を指揮台に置いて、区切りをはっきりさせるのみならず、オケにも毎回チューニングをさせる周到さだ。こんなことをした指揮者は見たことがない。

それにしてもこの指揮者、体の動きと出てくる音の一体感が素晴らしい。童顔ながら大変奥の深い懐を持っているのである。次回のツィクルス、来月の第 6番も楽しみだ。
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ところで私の手元には、ウィーンで購入した "The Mahler Album" という英語版の写真集がある。編集は、マーラー・ファンにはおなじみであろう、あのギルバート・キャプランだ。そう、マーラーの第 2交響曲「復活」に入れあげて、自費で様々なオーケストラ (ウィーン・フィルを含む!!) でこの曲を指揮・録音しているあのオジサンだ。この写真集、35年来のマーラー・ファンである私でも見たことがない写真が満載で、なんとも興味深いのであるが、その中から 1枚を紹介しよう。1903年、ということはこの第 5交響曲初演の翌年にマーラーがバーゼルで「復活」を指揮したときの写真で、当時結婚後 1年しか経っていない妻アルマとの、現在知られている最初のツーショットだ。
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マーラーよりも19歳年下であったアルマについては、様々な資料や論評もあり、結局のところ愛妻であったのか恐妻であったのか、評価は分かれるであろうが、マーラーにとってのミューズであったことには間違いはなかろう。だが、この写真、当時 24歳であったはずのアルマの表情はどうだろう。あんまりミューズという感じはしないなぁ (笑)。年表を見ると、この年に次女アンナ・ユスティーネが生まれているので、このアルマのお腹は妊娠中ということを表しているようだ。それもあってアルマはあまり愉快な気分ではなかったのかもしれない。一方のマーラーの深刻な表情はどうだ。たった 1枚の写真だが、マーラーの生涯と数々の作品を思うと、ここからいろいろな想像が沸こうというもの。幸せの絶頂から彼の人生はどのようになって行くのか。山田のマーラー・ツィクルスとともに探訪して行こう。


by yokohama7474 | 2016-02-27 22:52 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の桂冠名誉指揮者であり、世界でもトップクラスの名指揮者であるチョン・ミョンフンが、その東フィルの指揮台に戻ってきて、しかもピアノまで弾くという。昨年末に東フィルとソウル・フィルの合同演奏会で第九を演奏したようだが、それは聴くことはできなかった。その後チョンがソウル・フィルの音楽監督を辞任したというニュースも入って来たが、今回東フィルの指揮台で聴くことができて何より。同じ曲目で 3回の演奏会が開かれ、チケットはほぼ完売。しかもメインは天下の大人気曲、マーラーの交響曲第 5番嬰ハ短調、そしてその前座としてモーツァルトのピアノ協奏曲第 23番イ長調K.488の弾き振りまでしてくれるのだ。何を隠そう、彼はもともとピアニストで、1974年のチャイコフスキー・コンクールのピアノ部門第 2位 (ちなみに 1位はソ連のアンドレイ・ガヴリーロフであったが、今調べてびっくりしたことには、現代最高のピアニストのひとり、アンドラーシュ・シフはなんとそのとき 4位だったのだ!!)。なので彼のピアノは、指揮者の余技というレヴェルを優に超えている。ところが、会場に着いて目にしたのはこの通知だ。
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指の故障とあらば仕方ない。だが実は私には、少し思い当たる節がある。既に昨年のゴールデン・ウィーク (当時はまだこのブログを開設していなかったので記事は書いていないが) に、チョンと東フィルのコンビによるこのコンチェルトを聴いているのだ。軽井沢の大賀ホールでの演奏。これは約 750席と中規模の、だが素晴らしい響きのホールで、この演奏も実に素晴らしかったのだが、途中で信じられない事態が出来した。軽やかに奏でられていたチョンのピアノがちょっともつれたかと思うと、彼はオケを止め、"That's no good. Sorry." と言って、また演奏を再開したのだ。"no good" はいわゆる NG のことで、日本語にすると、「すみません、今のナシ」ということだ。私も大概いろんなコンサートを聴いてきたが、そのような事態に遭遇したのはこの時きりだ。この小さいホールだったからまだ聴衆との距離が近くて、そのようなことができたのであろうが、2000人を収容するサントリーホールではなんとか乗り切るしかないと思う。今回のキャンセルは純粋に指の故障であるかもしれないものの、いかなる名演奏家も人の子、昨年のトラブルがトラウマになっているようなこともないとは言えまい。考え過ぎかもしれないが、プロが演奏会前に指を故障することって本当にあるのだろうか、と思ってしまいます。

そして、代役として登場したのは、まだ 20歳の若いピアニスト、小林愛実 (あいみ)。
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私は彼女の名前を知らなかったが、9歳でデビュー、14歳で EMI から CD も出していて、いわゆる天才少女としてキャリアをスタートさせている。昨年、チョ・ソンジンが優勝したショパン・コンクールでの最終予選に、日本人として 10年ぶりに残ったとのことで、惜しくも入賞は逃したものの、その際にはマスコミの注目を集めていたようだ。YouTube ではそのときの彼女のインタビューも見ることができるが、実に悔しそうだ。もちろん、演奏家はある種のアスリートのようなもので、他人に負けることは大きな屈辱だろう。だが、月並みながらその悔しさをバネに頑張ることこそが肝要だろう。なにせあのシフですら、チャイコスフキーコンクールで 4位だったのだ!! さて今日の演奏、私の感想は、「若いピアニストにはモーツァルトは難しいのだろうな」というもの。もちろん、約一週間前に、バレンボイムが同じ曲を弾き振りするのを聴いたばかり。これはさすがに分が悪かろう。いつもながら聴く方は気楽に批評できて、演奏者の方々には申し訳ないのだが、小林の音色にはまだ練れたものがなく、ちょっと素直すぎると言ってしまいたくなる。一回一回の打鍵が可能にする無限の表現の世界に遊ぶという境地でないと、このような曲の愉悦感は本当に現れて来ない。私がそれを実感したのは、彼女がアンコールで弾いたショパンのノクターン 20番嬰ハ短調を聴いたときだ。あの名画「戦場のピアニスト」で演奏されていた曲だ。ここでの小林の演奏は、本当に深いロマン性を感じさせるもので、じっくりと聴き入るに値する素晴らしい演奏だった。なので今の彼女にとっては、モーツァルトよりもショパンに適性ありと言えるように思う。もちろん、若いピアニストのこと、これから様々な可能性が拓けることであろう。自分の感性に合った曲を弾いて行ってもらいたい。ところでこのアンコール、嬰ハ短調という珍しい調性であるが、実は後半のメインの曲目、マーラー 5番と同じ調性であるのだ。そこまで考えてアンコールを選曲したのか否かは分からないが。

さて、そのマーラー 5番である。ここで私は白状しなければならない。これまでにチョンの指揮するこの曲を実演で 2回聴いている。最初は 1995年にフィルハーモニア管弦楽団との来日公演で。2度目は 1997年に彼が自ら設立したアジア・フィルの旗揚げ公演で。そして、どちらも結果はかなり残念なものだったのである。特にフィルハーモニアとの演奏は、音楽評論家の金子建志が「チョンの才能の全否定まで考えざるを得ない」という衝撃 (!!) の酷評をしたことをよく覚えているが、私もそれには大いに同感したものである。アジア・フィルの場合には、現在はいざ知らず、当時のメンバーの演奏水準には、この曲は難しすぎたのだと整理したが、フィルハーモニアほどの一流オケとの演奏で、なぜにそんな惨憺たる結果になったのか。今演奏内容の詳細を思い出すことはできないが、覚えているのは、いわゆるマーラーらしい音の流れ (うまく説明できないが・・・) がなく、「ここはこう鳴って欲しい」というマーラーサウンドへの適性に問題ありと判断したことである。だが、それから既に 20年前後の時が経った。円熟のマエストロのマーラーやいかに。
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終わってみれば、大変な熱演であった。最近の演奏会では、大きな音で終わる曲でも、しばらく余韻を置いてから拍手が起こるものだが、今回は、日本が元気だったバブル期を思い出させるような (笑)、「ギャオー」とすら聴こえる熱烈ブラヴォーが、最後の和音とともに沸き起こったのである。私の隣の席には初老の品のよい方が座っていて、演奏中はおとなしく聴いておられたが、終演後の拍手の中、トランペットが起立すると何度か、口に手をあてて別人のように「ブ~ラヴォォォォ~~~!!!!」と大きな雄叫びを挙げておられて、びっくりしてしまったものだ。これは尋常ならざる客席の反応と言ってよいだろう。私も、特に第 2楽章で音楽が明らかに熱を帯びてきたのを聴いて、これはかなりの高みに達する演奏になるだろうと思ったし、それから特筆大書すべきは、第 1楽章冒頭のトランペットや第 3楽章冒頭のホルンが、「よっしゃ!!」と膝を打ちたくなるほど完璧であったことである。そう、今思い出してみても、いくつかの場面では、弦楽器の情念の唸りが、凄まじい表現力を伴ってのた打ち回っていたことに興奮する。・・・だが。やはり私の中には、なんとも説明できない違和感があるのだ。チョンの演奏では、同時に鳴り響いている数々の楽器がくっきりと際立って聴こえることが少ない。張りつめた鋭さと、自然な呼吸による緩急、それらの要素の対照がマーラーをマーラーたらしめるところ、あえて言えば平面的な流れに終わってしまっている感がつきまとっていて、多分これが私の違和感の理由であろう。つまりマーラーが表現したかった世界苦は、ある種の職人気質によって実現する「作られた分裂」とでも言うべき音楽的情景を必要としていて、チョンのような真っ向からの描き方には、要するに屈折が足りないのではないだろうか。そう考えると、彼のアプローチは 20年前と変わっておらず、少なくとも私が考える最高のマーラーとは、やはりちょっと違うのである。もちろん、繰り返しになるが、素晴らしい部分も多々あったし、オケの奮闘ぶりには目を見張るものがあったので、今回の演奏を凡庸とか失敗とか言うつもりは毛頭ない。終演後にホールから出る人たちは、口々に素晴らしかったスゴかったと喋っており、一人の若者などは、「今までに聴いたマーラーの中で最高だよ」と興奮して誰かに電話していた。だが私としては、1987年にザルツブルクでバーンスタイン指揮のウィーン・フィルでこの曲の演奏を聴いてさぁ、などと若者に自慢するイヤなオヤジにはなりたくないが、そもそもこの作曲家の、特にこの曲にのめり込む過程で聴いてきた名演の数々の「マイ殿堂」に今回の演奏を加えることはないと思う。

マーラーは本当に一筋縄ではいかない作曲家である。「そうかな、今日の演奏、よかったじゃないか」などとうそぶきそうな肖像ですがね。
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by yokohama7474 | 2016-02-27 01:51 | 音楽 (Live) | Comments(5)

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2000年から始まった小澤征爾音楽塾は、指揮者の小澤征爾の教育にかける情熱を具体的なかたちで世に問う活動である。オーディションで選ばれた若者たちがオーケストラと合唱団を務め、世界一流の歌手たちを招いて、日本数ヶ所でオペラを上演する。小澤自身がカラヤンから学んだという、「オペラとオーケストラは車輪の両輪」という理念に基づき、日常的にオペラに親しむ環境を日本に根付かせるということが大きな目的となっている。ただ、2009年以降はオペラだけではなくオーケストラだけの演奏会もこの音楽塾の名前のもとで行われていて、今調べてみると、今回を含めて 17のプロジェクトのうち、オペラが (小澤自身が病気等の理由により指揮できなかったものも含め) 13、オーケストラ演奏会が 4という内訳になっている。ところが、今回は「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト XIV (14)」となっていて、抜けている 1プロジェクトが何であるのか判然としない。ともあれ、13 が正だとすると、そのうちの実に 3プロジェクトが、この「こうもり」なのである。因みにほかの演目は以下の通り。
 モーツァルト : フィガロの結婚 (2回)
 モーツァルト : コシ・ファン・トゥッテ
 モーツァルト : ドン・ジョヴァンニ
 プッチーニ : ラ・ボエーム
 ロッシーニ : セヴィリアの理髪師
 ビゼー : カルメン
 フンパーディンク : ヘンゼルとグレーテル
 プッチーニ : 蝶々夫人
 ラヴェル : 子供と魔法

すぐに分かる通り、ここにはヴェルディもワーグナーもない。概して非常に親しみやすい演目ばかりである。オペラの普及にはちょうどよい作品が選ばれているようだ。それから、オーケストラのメンバーはオーディションで選ばれていることは上述の通りだが、今回のプログラムに記載されている過去の参加者には、その後活躍している人たちの名前も見える。例えば、ヴァイオリンでは、大阪フィルのコンサートマスターから最近読響に移った長原幸太や、ウィーンで活躍する白井圭。チェロでは若手のホープ、宮田大などである。自身、恩師からの教育への深い感謝の念を抱き続けるとともに、若者の教育に情熱を注ぐ小澤の試みは、今後の日本のクラシック音楽の屋台骨を形成していくのかもしれない。
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それにしても驚くのは、この「こうもり」というオペレッタが、これほど頻繁にこの音楽塾の演目に上がっていることだ。言うまでもなくこれは19世紀後半に活躍したワルツ王ヨハン・シュトラウスの傑作オペレッタ。大変面白い名作ではあるが、いかにもウィーンの雰囲気に満ち満ちていて、日本人の日常感覚と近いものとは言い難い。また、小澤がいかにこの世界最高峰のオペラハウスの音楽監督であったとはいえ、現地でこのオペレッタを指揮したことはないはず。それだけ、ある種特殊な演目だと思うのである。加えて、このウィーンのオペレッタという奴にはドイツ語のセリフが入り、これがなかなかに厄介だ。私自身の経験では、ウィーンでは 3回この演目を見ていて、オペレッタの総本山、フォルクス・オーパーでも見たし、定番である大晦日の国立歌劇場での上演も見たが、ひとつの大きな問題が常に存在する。ドイツ語を解さない聴衆のひとりとしては、周りが皆笑っているのに、それについて行けない疎外感があるのだ。日本でこのオペレッタをどのように上演すれば楽しめるのであろうか。尚、今回はスポンサーのロームの本拠地である京都で 2回、名古屋と東京で各 1回の、計 4回の上演である。

小澤は既に 80歳を迎え、先の闘病生活の影響もあってか、ここ数年は舞台に立ってもフルにオーケストラコンサートや、ましてや今回のような正味 2時間を超えるオペラやオペレッタを通して指揮する体力はないらしく、指揮する時間はごく限られている。今回も、村上寿昭という 1974年生まれの指揮者と、場面によって交代しての指揮である。この村上という指揮者、桐朋学園在学中から小澤のアシスタントとして活動しており、現在ではリンツやハノーファーの歌劇場で指揮を取っているらしい。そうすると、今回の起用は、ドイツ語圏での活躍から、ドイツ語オペレッタへの適性が見込まれたものだろうか。
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このような、小澤とほかの指揮者が指揮を分け合うオペラ上演は、この小澤征爾音楽塾の 2014年の「フィガロの結婚」で既に目にしたが、そのときは、小澤ともう一人の指揮者が、全く交代で指揮をしたので、一人が指揮しているときにはもう一人は舞台の袖に引っ込んでいたと記憶する。だが今回は、序曲を指揮した後小澤は指揮台のすぐ右手の椅子に座ってその場に残り、村上の指揮の間もオーケストラを睥睨し、また場合によってはリズムに体を揺らして反応していた。小澤が指揮したのは、序曲・終曲を含む全体の半分か4割程度であり、概して村上は激しくテンポの速い部分、小澤は抒情的でテンポの緩やかな部分を中心にしていたように思われた。ただ、指揮者の役割とは、実際に指揮台に立って指示を出す以前の音楽作りに既に存在している。その意味では、指揮はせずとも演奏中最初から最後までその場にとどまった小澤の意向が、音楽の隅々にまで行き渡っていたものと思われる。

この小澤征爾音楽塾や、その前にシリーズ化されていたヘネシーオペラといった、小澤が日本で指揮するオペラにおいて、演出家はデイヴィッド・ニースが起用されるケースがほとんどであった。過去 2回の「こうもり」上演 (2003年、2008年) はいずれも彼の手による、しかし異なる演出であったようだが、今回はまたそれら 2回とはまた違い、メトロポリタン歌劇場の装置を使った古典的なオットー・シェンクの演出を踏襲している。出演している歌手陣は、とりわけ有名というわけではないが、それぞれに世界の主要な歌劇場で歌っている国外の名歌手ばかり。先に記事を書いた二期会の公演とはそこが異なっており、あのやり方もこのやり方も成り立たせてしまう日本の音楽界の懐の深さに、改めて感慨を抱く。
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歌手の中で印象に残ったのは、まずはファルケ博士役のザッカリー・ネルソン。あたかもオッフェンバックの「ホフマン物語」の敵役のような、ある種の悪魔性をたたえたファルケで、舞台に出てきた瞬間に雰囲気を作ってしまうバリトンだ。米国人で、サンタフェ・オペラに頻繁に出演しているほか、ドレスデン・シュターツオーパーにも脇役で何度も出ているらしい。アイゼンシュタイン役のアドリアン・エレートはオーストリア人。バイロイトで「マイスタジンガー」のベックメッサー、ウィーンで「ラインの黄金」のローゲ、ほかドイツ語圏を中心に活躍。東京の新国立劇場では、「ドン・ジョヴァンニ」の主役や、このアイゼンシュタインも歌っている。ロザリンデ役のタマラ・ウィルソンは米国人の恰幅のよいソプラノで、メトロポリタン歌劇場に「アイーダ」の主役で昨シーズンデビューしたらしい。アデーレ役のアナ・クリスティーは、例のグラミー賞を取った小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによるラヴェルの「子供と魔法」にも出ていたし、2008年の小澤征爾音楽塾の「こうもり」公演で既に同じ役を演じている。オルロフスキー公役のマリー・ルノルマンはフランス人メゾソプラノ。やはりサイトウ・キネンの「子供と魔法」にも出ていたし、バロック・オペラなどにも出演している。なんとも多彩な顔ぶれではないか。そして「こうもり」と言えば、第 3幕の刑務所の場面に出てくる看守フロッシュが狂言回しとして重要である。この役は歌わずにセリフを喋るだけなので、俳優が演じるのが通例だと思うが、上記で述べた通り、ドイツ語圏で見るときには、何やらアドリブでおかしいことを言っているらしいのに、周りの笑いについて行けない疎外感がある。その点日本での上演では安心だ。日本人俳優が日本語でしゃべるからだ。ここでは個性派俳優、笹野高史が演じていて、なんともおかしい。山田洋二監督作品がメインの活躍の舞台であるようで、私はそこにはほとんど縁がないのだが、「プリンセス・トヨトミ」の演技など、大変鮮烈であった。体で芸のできる役者である。例えばこのオペレッタでも、酔っぱらってムーンウォークを披露したり、またイーダとオルガを名乗る姉妹が登場したときに「なに、飯田さんがおるが?」などとダジャレをかましてくれると、やはり腹を抱えて笑うことになるのである。
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このような充実した顔ぶれで、賑やかな舞台が実現した。第 2幕の舞踏会の場面では、ガラコンサートのような趣向が取られるケースもあるが、ここでは、ロザリンデ扮するところのハンガリーの伯爵夫人によるチャルダーシュのあと、ポルカ「ハンガリー万歳」が演奏され (曲名を知らない人はその流れが分からないだろうが、まあ、別に曲名が分からずとも楽しめるのも事実)、その後には定番のポルカ「雷鳴と電光」の演奏もあった。もちろん、カルロス・クライバーの指揮ではないから、鳥肌立つような演奏を期待してはならない。村上のきっちりとした指揮が、堅実な音楽を作っていた。

全体を通して、ウィーン風という情緒があったか否かというと、それは少し違う気がする。あの退廃的で享楽的なウィーンの響きはそこにはなく、丁寧に描かれて行く音の流れに重点が置かれていた。まあそれが「こうもり」の本質かと言えば、ウィーンという街の毒をよく知っている人の中には異論は多々あるような気もするが、でも多くの人が楽しめる舞台であればそれには大きな意味があるし、何より若者たちが苦労しながらも楽しんで演奏するなら、それは日本の日常にはない経験だ。小澤征爾という名前のみがこの頻度でこれだけの内容の舞台を可能にしているのが現実であるが、演奏する側も鑑賞する側も、例えば 30年前の状態と比較すれば、オペラへの親しみという点では変わってきていることは確かで、それを受け継いで行くことで、日本は今後成熟国家としての様相を呈して行くこともできるかもしれない。・・・そう信じよう。

ところで、ワルツ王ヨハン・シュトラウスに関して私の好きな逸話がある。この「こうもり」も、ドタバタ騒ぎの後、シャンパンを飲んで浮世を忘れようという内容だが、ヨハン・シュトラウスの活躍した 19世紀後半のウィーンでは、実際にこのような享楽的な舞踏会が夜ごと行われていたのであろう。その主役のひとりとして大変な人気を誇ったこの作曲者が、大騒ぎがハネて賑やかな場所がガランとしてしまった宴の後に、朝まで残ってひとり静かに曲想を練っていたことがままあったということだ。どんな天才にも苦労の時間があり、でもその苦労を人前で見せることなく、孤独感に向かい合いながら人知れず芸術を作り出したその姿に感動する。その意味では小澤という指揮者も、ボストン時代にはパーティがあろうと何があろうと、翌日早朝には起きて孤独なスコアの勉強を続けていたという。人なつっこい笑顔の裏の壮絶な努力こそ、いかなる天才にとっても必要不可欠なものなのであろう。
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by yokohama7474 | 2016-02-27 00:00 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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最近 TOHO シネマズに行くと、MX4D という表示をよく目にするのみならず、劇場の予告編で、LiLiCo とかいうちょっと賑やかな女性が「スゴかったー」などと言いながら喜んでいる宣伝が流れ、一体どういうものか見てみたくなった。そこで選んだのがこの映画。3D メガネ持参でも通常の鑑賞料金よりも 1,500円を余分に払い、好奇心いっぱいで劇場に向かったのである。劇場では、身長 100cm以下の子供は入れないとか、地面にモノを置けないのでカバンはロッカーに預けて下さいとか、鑑賞中に椅子が揺れて飲み物がこぼれるかもしれないから注意して下さいとか、なにやら物々しい。実際に経験してみると、要するに画面に合わせて (?) 椅子は揺れるわ、ライトは目を射るわ、風は吹くわ、匂いはするわ、煙は出るわ、マッサージマシンのように背中をグイグイ押されるわで、見終わったらちょっと船酔いに近い状態になってしまった。ただ、私の持論からすると、これは映画を見る際の本質的な鑑賞態度とは縁のないアトラクションで、場合によっては煩わしいことこの上ない。例えば、映画の本筋と全然関係ない、脇役が滑って転ぶようなシーンで椅子が振動すると、見ている方はドキッとするが、さて、映画の作り手はそのような反応を望んでいるだろうか。そもそも、どのシーンでどのような効果を出すかについて、監督の了解を取っているのであろうか。そうでないとすると、ちょっと問題ではないだろうか・・・。まあ別に肩肘張るつもりはないが、この MX4D があるから人々が映画を見たいと思うかというと、多分そうではないであろう。そういえば私が子供の頃、「大地震」という映画があって、劇場が振動するということで話題になった記憶がある。テーマ曲のレコードも持っていた。今調べてみると (便利な時代になったものです)、「センサラウンド」という音響システムで、低周波の音波で観客に振動の感覚を与えるものだったらしい。だからこの MX4D とは根本的に異なっている。この設備を劇場に据え付けるのにいくらかかるのか知らないが、さて、そのコストを回収するところまで人々の興味を引き続けるか否か。

というわけで、映画自体について語ろう。まずはタイトルだが、オデッセイとは Odyssey、つまり、ホメロスの叙事詩から転じて、長い旅程を意味するあの言葉であろう (有名なところでは、「2001年宇宙の旅」は "2001 A Space Odyssey" である)。しかし、原題は、"The Martian"、つまり「火星人」である。しかも a ではなく the がついているということは、「あの」火星人、つまり、劇中で火星に取り残されたマット・デイモン演じるマーク・ワトニーその人のことを差しているのであろう。
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だがしかし、邦題を「火星人」にすると、「マーズ・アタック」のような映画と勘違いされるかもしれない (笑)。なのでこの「オデッセイ」という邦題にも苦労が偲ばれるが、でも内容を見ると決してよい題名とは思われない。なぜなら、オデッセイという言葉にふさわしいのは、長い試練の旅路であるところ、確かに彼の救出の際の長い旅路は描かれるものの、この映画の本質は、旅路以前に、遠い火星に一人取り残された男の、まさにその火星におけるサバイバル劇であるからだ。原作の小説は「火星の人」という題になっているようだが、そのままでもよかったのではないだろうか。
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なんでもこの映画の原作はネット上で発表された小説で、作者のアンディ・ウィアーは、もともとプログラマーだそうだ。この映画でリアルに描かれている通り、この小説では、火星に一人取り残された男のサバイバルとその救出劇を、あたかもドキュメンタリーのように詳細に描写したことが受け、それがハリウッドの目にとまったものであるらしい。この時代になると、主人公がサバイバルすべき場所は、どこかの未開の土地とか戦争が行われている場所ではなく、生命そのものがほとんど存在しない、隣の惑星なのである。実際この映画では、細部に至る隅々までが大変リアルに描かれていて、これは最近本当にあった話なのではないかと錯覚しそうになるくらいだ。まあそれにしても、主人公の生存能力は大したもので、手元にあるものを活用して植物を育て、水を作り、通信手段を発見し、メッセージを伝える方法を発展させ、移動手段を考案し、火星脱出のために乗り物に加工をし、そして最後には仲間のもとへと帰るために、宇宙空間で大きな賭けに出るのである。いや実際、優れた人物が窮地に追い込まれたとき、このような才覚と努力で道を切り拓いて行くことは人類の歴史でも繰り返されて来たことであると思う。そう考えると、ひょっとしてこの映画のメッセージは、火星に生物がいて (要するに火星人 = Martian だ)、彼らが何もないところから工夫して地球に辿り着くこともありうる、つまり、人類の勇気と叡智が、火星人にも影響を及ぼすこともありうる、ということなのかもしれない。そうすると続編は、マーク・ワトニーのサバイバルを真似た火星人たちが大量に地球にやって来るという展開なのかも・・・ちょっと違うか (笑)。これは火星でジャガイモの栽培に成功したワトニー。
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だが、この映画のリアリティは、実は適度な誇張によって成立している部分がある。例えば、ワトニーがジャガイモを育てるには、人の排泄物を肥料として使うのであるが、そのシーンでマット・デイモンは、両方の鼻の穴に詰め物をしている。これは、極限的な状況において発現する意外なユーモアと解してもよいが、私の見るところ、映画的誇張である。つまり、音を遮るなら耳栓は大いに意味があるが、臭いから鼻に栓をするという事態があるだろうか。音は物理的反応だが匂いは化学的反応である。そして鼻と口はつながっていて、呼吸に必要な器官である。だから、臭いときに人はどうするかというと、息を止めるのであって、それが最も有効的な手段だ。でも、画面上で登場人物が鼻に栓をしていると、なんとなくそれらしく見えるのである。さすが熟練のリドリー・スコット監督だ。あ、それから、ワトニーが自分で手術するシーンが出てくるが、この監督の「プロメテウス」の同様シーンのエグさを思うと、随分とかわいいものだ (笑)。

それから面白いのは、この究極のサバイバル劇においても、ワトニーとその仲間たちとの交信では、下品なまでのユーモアが常に存在していることだ。もちろん人にもよるが、確かに欧米人のユーモアの感覚は日本人とは異なっていて、危機的な状況を笑い飛ばす勇気には、見習うべきところがあると思う。なので私はビジネスの場では、なるべく下品なユーモアで外人に対抗すべく心掛けているのだ (笑)。これがワトニーと同僚のクルーたちだが、左から二番目、船長のルイスを演じるジェシカ・ジャスティン。先般も「クリムゾン・ピーク」での彼女の演技に触れたが、その映画よりも、やはり「ゼロ・ダーク・サーティ」とかこの映画のような精悍な役がよく合っている。
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このように興味深い点はいろいろある映画だが、全体としての出来は、うーん、実はそれほど素晴らしいとは正直思わない。それはやはり、数年前に公開された「ゼロ・グラビティ」(原題は "Gravity" で、Zero がつかないこちらの題の方がずっといい) と比較するからだろう。あの映画では、本当に地球の有難さ、つまりは重力の有難さが最後にぐぐーっと来たもので、それには、ジョージ・クルーニーの演じた役のような、やはり極限でもユーモアを忘れない、でも広大な宇宙の彼方に消えていってしまう存在が欠かせない。どんなに能力の高い人間も、宇宙の中では一個のチリに過ぎないという冷徹な事実が描かれていたからこそ、サンドラ・ブロックの最後の生還が感動的であったのだ。人間は希望を持つ生き物なので、そのような高い能力の人間は、実は宇宙空間でも生き残ってまた宇宙船に帰ってくると考えたいが、もちろん現実にはそんなことは起こりはしないのだ。でもそれだからこそ、生き残った生命がいとおしいのだ。それに比べるとこの映画は、大いなる知恵とちょっとの勇気があれば、宇宙の中でも人間の存在意義があるという描かれ方になっていて、ちょっときれいごとのような気がするのである。

この映画の監督、リドリー・スコットは既に 78歳。イギリス人で、サーの称号までもらっている。私としては、初期の「エイリアン」「ブレードランナー」が忘れられないので、やはり今でもかなり頻繁に公開される新作は、毎回どうしても見たいと思うのだが、本当に内容の良し悪しは、作品によって大きく違っている。近作の「悪の法則」も「エクソダス : 神と王」も、がっかりな内容であった。それらに比べればこの作品はまだ楽しめた方だが、上記の初期の 2作や、あるいは「ブラックレイン」「ハンニバル」のような独特の耽美性からは程遠く、いい年して、相変わらず作風の定まらない監督だ (笑)。しかしまあ、フィルモグラフィに一作でも素晴らしい作品があれば、常にその監督への興味は存在するもの。リドリー・スコットのオデッセイ、まだまだ続いて行くことであろう。
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by yokohama7474 | 2016-02-24 00:23 | 映画 | Comments(0)

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東京におけるクラシック音楽の活発さには、このブログでは主としてオーケストラの面から触れているが、もちろんオペラにも見るべきものが多々ある。通常、どんな大都会でも、その土地のオペラハウスの上演がオペラ公演の中心であるところ、東京では、新国立劇場以外に二期会や藤原歌劇団があり、東京室内歌劇場のような通な組織もあり、日生劇場のような公演を主催する劇場もあり、小澤征爾音楽塾のような継続的な活動もあり、それ以外にも単発の企画もあって、そしてとどめとばかりに、世界のオペラハウスが、超一流もそうでないところもわんさか引っ越し公演を行う。こんな街は、間違いなく世界でも東京だけだ。もちろん、オペラハウスはあれども専属オーケストラがないという課題もあるが、換言すれば東京のオペラ上演には様々な柔軟性があるとも言えるだろう。今回のこの上演も、そのような東京におけるオペラの在り方を示すひとつの成功例であると思う。

二期会と言えばワーグナーのイメージが強いが、イタリアオペラももちろん採り上げていて、この「イル・トロヴァトーレ」は 20年ぶりの上演だそうだが、なんといっても指揮者が若手のホープ、1987年イタリア生まれのアンドレア・バッティストーニであることは最大の注目点であろう。実は彼は二期会で継続的にヴェルディを採り上げていて、2012年の「ナブッコ」(彼の初来日であったらしい)、2015年の「リゴレット」に続く今回が 3作目である。
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このブログでも既に、彼が首席客演指揮者を務める東京フィルとの演奏会をご紹介したが、今回のオーケストラはなんと、東京都交響楽団 (通称「都響」) である。確認したところ、過去の「ナブッコ」「リゴレット」は東フィルとの共演であったので、都響とは今回 (コンサートを入れても) 初めての顔合わせではないだろうか。インバル体制から大野和士体制に移行し、大変な好調を保っているこのオケのイタリアペラ公演とは、なかなかに興味深い。

今回の作品、「イル・トロヴァトーレ」はヴェルディ中期の名作で、「リゴレット」と「椿姫」の間に書かれている。スペインを舞台に、主要登場人物 4名がそれぞれのたぎる情熱をもって、愛憎交わる複雑な (ようでいて実は単純な?) 関係を演じる作品だ。有名な合唱曲やテノールのアリアもあり、聴きごたえは充分。但し、ストーリーはなんとも荒唐無稽なところがあり、あくまでイタリアオペラのひとつの典型として楽しむ必要がある。例えばここでは (その後のヴェルディ作品の幾つかでも類似キャラクターが出て来るが) 呪術性をもったジプシー女が重要な役柄を演じるが、彼女は他人の子を焼き殺そうとして、誤って自分の子を焼き殺してしまうのである。おいおい、いくらなんでもそれは不注意ではないかい (笑)。題名のトロヴァトーレとは吟遊詩人のことで、主人公のマンリーコを指す。中世ヨーロッパに存在していたという、各地を巡りながら詩を歌う人たち。神秘的な雰囲気をまとうこの吟遊詩人が、ここでは馬上試合で優勝して女官レオノーラの気持ちをわしづかみにし、でも彼は実はジプシーの子で、いやでも実は実は・・・という設定になっていて、少々ややこしい。

今回の公演は、パルマ王立歌劇場、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場との提携公演。膨大な金がかかるオペラの世界では、複数の劇場による共同制作は全く珍しくないが、世界の名だたる劇場と、座付きではなくオペラ上演というソフトを提供する団体である二期会とが共同で制作するとは興味深い。それだけ二期会の存在が世界でも認められているということだろう。演出のロレンツォ・マリアーニは、かつてクラウディオ・アバドとも何度も協働した実績があり、最近までパレルモ・マッシモ劇場 (そうそう、そうです。あの「ゴッドファーザー パート 3」のロケで使われた、シチリアのあの劇場です!!) の芸術監督であったとのこと。
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今回の演奏、見事の一言である。バッティストーニの、強く旋律を歌わせる能力は知っていたが、今回は特に都響が相手ということで、芯のある音がゴブラン織りのように紡ぎ出され、非常に雄弁なオーケストラパートとなった。普段イタリア・オペラを頻繁に演奏しているとは言い難い都響であるが、大変素晴らしいカンタービレで、歌手に鋭敏に反応していた。これだけの演奏をされると、正直、東フィルの関係者も気が気ではないだろう (笑)。でも、それこそ上で述べた東京でのオペラ上演の柔軟性だ。ほかのオケもこの演奏から刺激を受けることを期待しよう。

そして歌手陣。私が見たのは 4回の公演の最終日で、全員日本人キャストであったが、その出来の素晴らしさには心から拍手を送りたい。マンリーコ役の小原啓楼、ルーナ伯爵役の成田博之、レオノーラ役の松井敦子、アズチェーナ役の中島郁子、いずれも深い感情表現を自然な演技とともに展開して、世界のどこに出しても恥ずかしくない舞台であったと思う。もちろん、早いテンポのイタリア語にはさらに改善の余地もあろうし、コロラトゥーラの磨き上げが必要な部分もあろう。だが、オペラはアンサンブルによって活きるもの。少々の不備など、いかなる世界的な歌劇場でも起こる。日本は特殊なのであろうか、全員同じ国の人たちで、これだけ見事な演奏ができる国は、一体世界にどのくらいあるだろう。バッティストーニも、この極東の島国でこれだけイタリアオペラの神髄を実現できることに驚いているのではなかろうか。

今回の舞台は大変シンプルなもの。大道具はほぼ皆無で、古いスペインの城や馬上試合 (?) の風景を描いたタペストリー風の緞帳が舞台手前にあり、舞台奥に大きな月が浮かんでいて、その月の位置や色が変わるくらいがせいぜいである。よって、コスト面ではかなり優秀な舞台だろう (笑)。歌手にしてみれば、逃げも隠れもできない以上、余計な演技も必要なく、開き直って歌で聴かせるしかないわけで、実はこのような演出の意味は大きいのではないか。舞台の写真を幾つか掲載しておこう。なかなかに幻想的である。
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最後に、二期会の機関誌に掲載されているバッティストーニのこの作品についての発言から、一部抜粋しよう。

QUOTE

前作「リゴレット」がオペラの歴史を大きく前進させたのにくらべると、「イル・トロヴァトーレ」は後退しています。(中略) 「イル・トロヴァトーレ」は伝統的なベルカントの作品だといえます。だから、装飾音など典型的なベルカントを表現しながら、声を美しく聴かせるように書かれたフレーズを、もっと感情がこもった、表情に富んだものにしなければなりません。(中略) (ヴェルディは) 大変な読書家で、同時代の劇作家や小説家の作品をかたっぱしから読み直し、夜の雰囲気の、幻想的ですこし恐ろしい世界を見つけました。あの味わいは当時の流行そのもの。血が流れるオペラですが、そこにヴェルディは、ベルカントの名残をはち切れんばかりに込めたんですね。

UNQUOTE

これはなかなか的を得た発言である。確かにこの作品にはちょっと粗削りな点もあって、その弱点を克服するため、ヴェルディ以前のベルカント・オペラの様式に従いながらも、声の美しさだけでなく深い感情を込めることで、文学的なロマン性につなげようという意図と理解した。そうすると上の写真のような簡素な舞台から発する幻想性が、この作品には適していると言ってもよいだろう。今回の上演の勝利は、歌手、指揮者、オーケストラ、演出、それからもちろん合唱やら照明やら、あまり仕事がなかった (笑) 美術やらの、総合的な力によるものと思う。このような質の高い舞台は、4回だけの上演ではもったいない。高校生や大学生にもっと見てもらえないだろうか。文化会館は 4階、5階が音響も非常によくて私は好きなのだが、今回のチケット代は、ちょっとした飲み代程度。普段オペラを見ないサラリーマンも、一度新橋の赤ちょうちんを我慢して、このようなものを試しに見に行かれてはいかがであろうか。見てみると面白いものですよ。マエストロ・バッティストーニも、"Come on!!" とおっしゃっております。
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by yokohama7474 | 2016-02-22 00:38 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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途中歯抜けながらもここまでその成り行きを見守ってきた、日本では前代未聞のバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンのブルックナー・ツィクルスの、今日が最終回。曲目は以下の通りである。
 モーツァルト : ピアノ協奏曲第 23番イ長調K.488 (ピアノ : ダニエル・バレンボイム)
 ブルックナー : 交響曲第 9番ニ短調

これまでの恒例に従い、ちょうどこの時期に N 響との演奏会のために日本に来ている同オケの首席指揮者、パーヴォ・ヤルヴィが客席にいるか否かが、まぁしつこくて申し訳ありませんが (笑)、演奏開始前の今日の興味のひとつであったが、今日のチケットは 9回のツィクルスでもどうやら最初に売り切れたようで、当日券の販売はなし。それどころか、会場前には「チケット求む」の札を下げた人が数名並ぶという異例の事態と相成った。そのせいかどうか、会場にはどう見渡してもヤルヴィの姿はない。実は後で調べて分かったことには、私は前回の記事で、「ヤルヴィと N 響の演奏会は終了した」と書いたが、ところがどっこい、今日 2月20日 (土) は大阪で、明日 2月21日 (日) は福岡で演奏会があるのだ。なるほど、ではここにいるわけもない。その代わりと言うべきか、客席で見出したのは、やはりブルックナーとマーラーで世界にその名を轟かせるイスラエルの名指揮者、エリアフ・インバルだ。インバルについては昨年末の第九で少し書いたが、以前のフランクフルト放送交響楽団の音楽監督 (つまり、その点ではパーヴォ・ヤルヴィの先輩だ) として、また、もと東京都交響楽団のプリンシパル・コンダクターとして、日本でもおなじみの巨匠だ。ただ、彼が次回都響に登場するのは 3月後半。なぜに今この時期に日本にいるのか。実はこのシリーズの最初の方から、いかにもユダヤ人らしい鷲鼻の人が客席にいるのは分かっていて、インバルに似ているなぁと思っていたが、少し小柄で表情が柔和、そして色白であることから、インバルではないだろうと思っていたのだ。だが、前回の記事にコメントを頂いたことから今回は 1階客席をよく見ていたところ、うん、少なくとも今回はインバルに間違いない。1階 7列目の左ブロックに座っていた。これまで私が別人と断定していた人と同一人物であるか否かは判然としない。どなたか確信おありの方、是非お知らせ下さい。
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雑談はこのくらいにして、今日の演奏について少し語ろう。まず最初のモーツァルトだが、やはり今回も自由闊達、オケとの親密さがなんとも素晴らしい演奏であった。そもそもこの 23番は、終楽章がヤマハ・クラヴィノーヴァの TV CM で以前使われていたことから分かる通り、万人が浮き浮きするような天下の名曲なのであって、そこに流れるような音楽がある限り、人々を幸せにする、本当に特別な曲なのだ。やはりバレンボイムが弾き振りをするモーツァルトのピアノ協奏曲には、軽薄でないドラマ性と音楽の愉悦感が隅々まで行き渡っている。この後ブルックナーが控えていることすら忘れさせてくれる素晴らしい時間であった。特に第 2楽章から切れ目なく続けられた第 3楽章の素晴らしさ!! そして演奏後、聴衆の拍手に応えてバレンボイムのソロ・ピアノでアンコールが演奏された。これまでに、ブルックナー 6番の前座で演奏された協奏曲第 22番だけは聴けなかったが、それ以外のこのシリーズではアンコールは初めてである。演奏されたのは、同じモーツァルトの傑作、ピアノ・ソナタ第 10番ハ長調 K.330 の第 2楽章だ。この曲は 18世紀の典型的な貴族の音楽ではなく、忙しい日常の中で過ごせるほんの短い休息の間に響く音楽という体の、緩やかで情緒豊かな曲なのである。バレンボイムの大きな表情をつけながらも静謐な演奏は、現代人の心に沁み渡って行くようだ。このアンコールが終わったあと、私は先のピアノ協奏曲第 23番の例も思いながら、どうにも我慢できず、勝手に心の中で続きの第 3楽章を口ずさんでいたのであるが、なんということ、すぐにまたバレンボイムはピアノの前に座り、その第 3楽章を淡々と弾き始めたのであった!! そこには協奏曲の演奏から続く音楽の流れがあって、今自分はここでこれを弾かなければという思いで奏されたものであると感じた。

そして、未完ながらもブルックナーの白鳥の歌である第 9交響曲だ。全 9回のシリーズを締めくくるにふさわしい、ブルックナーの交響曲としても前作第 8番に並ぶ、いや、見方によってはそれを凌ぐような深遠な曲である。第 8番と同じく、ベートーヴェンの第 9に倣ってか、スケルツォ楽章が第 3楽章ではなく第 2楽章に来ている。しかもそのスケルツォは、今までのブルックナーの交響曲と異なり、中間部 (トリオ) が主部よりも急速なのだ。おぉ、この点もベートーヴェンの第 9と同じではないか。加えて、自分がこの曲を完成させずに死んだら、宗教曲テ・デウムを終楽章の代わりに演奏してくれと言った作曲者の思いは、ここでもやはりベートーヴェンの第 9に飛んで行っていたのではないか。それにしても、緩徐楽章が第 3楽章でよかった。もしこれがスケルツォだったら、曲の終わりにならないではないか (笑)。この緩徐楽章、7番や 8番のそれと同様、深い情緒に満たされた音楽なのだが、私の思うところ、前 2作に比べてドラマ性がより高く、ここで作曲者はこの世への別れを告げている、つまり、この楽章が最後になっても聴衆に満足を与えるように作られたものではないか。
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今回のバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの演奏、大変素晴らしいものであったとは思う。だが、前日の第 8番同様、この特別なシンフォニーの演奏には、やはり何かもっと特別なものが欲しかったのも事実である。各パートの音は充実したものであったし、ドラマティックな展開も聴き手に強く訴えて来た。だが、一体なんだろうか。ここで私は感動の涙を流すことはないのだ。私が生演奏で経験したこの曲の演奏では、例えばあのギュンター・ヴァントと北ドイツ放送響の奇跡的なものとか、あるいは終楽章でフルートが天空に舞い上がって行方不明になってしまった (?) スクロヴァチェフスキ指揮の読響によるものもあった。比較の対象のレヴェルが高すぎるという気もするが、今や 73歳の巨匠であるバレンボイムに望むものは、やはりそのようなレヴェルであると言うしかない。いやもちろん、最後の和音がやんだとき、ここまでの 9曲の連続演奏の気が遠くなるような音の密度を思い出して感動したことは事実。また、ブルックナーという特殊な作曲家についての理解が深まったのも事実。だが、魂が震えるほどの感動はなかった。その意味で、バレンボイムが奏でた「9曲のブルックナー」を、「究極のブルックナー」と呼びかえるのは差し控えておこう。音楽の奥深さを改めて思い知る。

終演後の指揮者インバルの様子を見ると、ほとんど拍手をしていない。時折思い出したように、神社の柏手のようにパン・パンと手を叩き、それっきりだ (笑)。そして私は目撃したのだ。インバルの後ろの列にいた人が、あろうことかフラッシュをたいて舞台上のバレンボイムの写真を撮ったことを。それを見た係員の女性が猛ダッシュでその場所に直行したが、いかんせん、既にカメラは仕舞われていて、誰が「犯人」であったのか分からない。そこで係の女性は何をしたか。何やら怪しい外人で、満場の大喝采の中、ひとり拍手もしていないユダヤ人に向かって、厳しく注意したのだ!!!! おぉー、天下の巨匠エリアフ・インバルに無実の罪を着せてしまう東京。本人は、きっと注意の言葉が聞こえなかったのだろう、何やら怪訝な顔つきで係員をポカンと見ている (笑)。インバルにとってはイスラエルの後輩にあたるバレンボイムがステージ上で輝かしい賞賛を浴びている中、濡れ衣によって非難されてしまうことの理不尽さを噛み締めたことであろう。

さてここで、今回のツィクルスを終えるにあたって、バレンボイムの音楽を巡るひとつの言説をご紹介しよう。彼は若い頃、天才チェリスト、英国人のジャクリーヌ・デュ・プレと結婚したが、デュ・プレが多発性硬化症を発症し (結局彼女は 1987年に 42歳の若さで死んでしまうのだが)、闘病生活を行っている最中に別の女性と暮らし始め、病床のデュ・プレに冷淡であったとして、未だにロンドンでは人気が低いと聞く。
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私もデュ・プレの残された録音はほとんど聴いたが、いやそれはもう、凄まじいものである。そして、彼女の病気との格闘を描いた映画が、名女優エミリー・ワトソンを主演に迎えた「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」(1998年) である。
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この映画の中にはバレンボイム役の俳優も出てきて、病気を抱えるデュ・プレとのなんとも生々しい夫婦間の距離が描かれるのであるが、多分、名誉棄損で訴えられないギリギリのところまで法的な確認をしたのであろうと思われるほど、その状況はリアルに描かれている。そしてこの映画には、デュ・プレがバレンボイムに向かって放つ、以下のような言葉がある。「あなたの演奏を聴いて涙を流す人がいるかしら」--- これは本当に仮借ない言葉だ。バレンボイムは若い頃から優秀な音楽家であった。だが、その音楽に身も世もないくらい感動した経験を持つ人が、どのくらいいるだろう。私がこれまでに読んだ彼の本には、「音楽に生きる」という自伝 (今出ている改訂版ではなく初版) と、それから、West East Divan Orchestra を一緒に作ったパレスティナ人のエドワード・サイードとの対談集「音楽と社会」があるが、いずれもかなり硬派な本である。特に前者は、バレンボイムのこれまでの音楽人生が語られていて興味深く、あのフルトヴェングラーと一緒に写った写真 (背中を向けている少年がバレンボイム。右が彼の父親) なども掲載されている。
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この自伝には、これまでに出会った優れた音楽家の思い出があれこれ綴られており、細君であったデュ・プレにも触れられている。ところが、普通なら若くして逝った天才に対する敬意を払い、英国人の彼女がけなげにもユダヤ教に改宗してまで、ユダヤ人バレンボイムについて行こうとしたことを感傷的に書いてもよいのに、そのあたりについては一切触れられていない。ただ単に、優れた音楽家としてのデュ・プレにだけ言及があるのだ。このあたりが、上述の通り、英国で未だに彼が恨まれている理由のひとつであろう。

だが、私の数々のバレンボイム経験に基づいて言うと、そんな彼の演奏を聴いて涙が出そうになったことが一度だけある。それは、ニューヨーク在住時にかの地のカーネギー・ホールで聴いた、バッハの平均律クラヴィア曲集の連続演奏会であった。そのとき私は、デュ・プレの呪いの一言が溶解したと思ったものだ。願わくばいつの日にか指揮の分野で、彼の音楽に涙する日が来ることを祈ろう。

いずれにせよ、この 9回の連続演奏会は大変な快挙である。この後、シュターツカペレ・ベルリンは、バレンボイムではなくダーヴィト・アフカムという指揮者のもと、金沢、広島、福岡を回るようだ。この指揮者については知識がないが、インドの血をひく若手のホープである由。オケにとっては引き続き大変な行程が続くが、もうひとふんばり頑張って下さい。現代楽壇のドン、マエストロ・バレンボイムについては、また次の機会を楽しみにしたいと思う。
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by yokohama7474 | 2016-02-20 23:37 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー・ツィクルスもいよいよ第 8回。私としては、出張のために第 6回と第 7回を泣く泣くあきらめた後の再会で、曲は、ブルックナーの交響曲第 8番ハ短調だ。その内容の深遠さを知っている者としては、身震いするほどの期待感が走る。このコンビは前日、一旦東京を離れて川崎のミューザ (これも素晴らしいホールだ) で同じ曲を既に演奏しており、この日が日本での 2回目の 8番の演奏ということになる。

この曲はブルックナーが完成した最後の交響曲であり、演奏時間も全 9曲の中でも最も長い、80分前後である。この曲にはいろいろ特徴があるが、ひとつは、それまでの交響曲では、第 2楽章が緩徐楽章、第 3楽章がスケルツォであったところ、それをひっくり返していること。これはベートーヴェンの第 9と同じ順番だ。楽器編成では、この前の第 7番でも使われていたワーグナー・チューバと、それからなんと言ってもハープの使用が特徴的だ。そして曲想は、本当に深い深い神秘的な森のようでもあり、死を前にした人間の恐れと神への憧れを表すようでもある。暗さ、巨大さ、そして天から差して来る厳かな光。何度聴いてもすごい曲だ。以前、1月23日の記事で、ポーランド出身の 92歳の巨匠、スタニスラフ・スクロヴェチェフスキが読売日本響を指揮したこの曲の演奏を採り上げたが、それはまさに「究極のブルックナー」の形容にふわさしいものであった。そもそも演奏の内容以前に、曲としてこの形容を冠することができるのは、ブルックナーの交響曲の中でも、この 8番と、そして未完の 9番だけだろう。つまりバレンボイムのブルックナー・ツィクルスは遂に、最後の高峰に辿り着きつつあるわけだ。

演奏開始前に客席を見ると、満席ではなく、ところどころに空席がある。そして、今回このツィクルスを何度も聴きに来ている NHK 交響楽団の首席指揮者、パーヴォ・ヤルヴィは今日も来るのか。彼の一連の N 響とのコンサートは前日で終了しているはず。だが見回してもいつもの 1階席には彼の姿は見えない。もう日本を離れてしまったのか・・・。と、間もなく開演という頃、ステージに向かって左側、LA ブロックにふらっと現れたのは、ほかならぬヤルヴィではないか! その席は通常 B 席くらいのランクで、決して招待客が座るような場所ではない。まさか、自腹で当日券を買ったのだろうか。ひょっとして、お忍びで来ているのに、ヤルヴィがいたヤルヴィがいたとしつこく騒ぐブログがあるから、あまり目立たない席を関係者に取らせたのであろうか。・・・ブルックナーの深遠な世界に入る前の、なんとも下世話な勘繰りであった (笑)。

そして楽員が登場し、チューニングが始まり、指揮者が登場して、いよいよ大作第 8交響曲が重々しく開始した。それからの 80分間を、いかに形容すればよいだろう。もちろん、レヴェルの高い演奏であったとは思う。だが、先の 5番で示された超絶的なレヴェルとは言えないような気がする。弦のうねりや木管の繊細さも、今日はなぜか今一つと感じた。金管はかなり鳴っていたし、場面場面では凄まじい音の奔流を聴くことができる、このコンビの本領発揮と思われるシーンもあったが、でもやはり、タメが少なく、持続した音の高揚感を欠いていたと言っては言い過ぎだろうか。実は、聴いているうちに思い当たったのは、やはり先日のスクロヴァチェフスキの壮絶な演奏が耳の奥に残っていて、知らず知らずのうちにそれと比べてしまっているのであった。これはいかにバレンボイムといえども分が悪い。そしてそれをもう少し考えながら聴いて行くうち、この曲の特性に思い当たった。それは、録音史上、この曲で至高の演奏をした指揮者たちは、ほとんどが高齢で、人生の最後に差し掛かった時期であったということだ。思いつくまま列挙する。
 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル (1963年 = 指揮者 75歳 = 死の 2年前)
 カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィル (1963年 = 指揮者 80歳 = 死の 4年前)
 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管 (1969年 = 指揮者 72歳 = 死の 1年前)
 ルドルフ・ケンペ指揮チューリヒ・トーンハレ管 (1971年 = 指揮者 61歳 = 死の 5年前)
 オイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン (1976年 = 指揮者 74歳 = 死の 11年前)
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル (1988年 = 指揮者 80歳 = 死の 1年前)
 セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル (リスボンでの演奏、1994年 = 指揮者 82歳 = 死の 2年前) 
 ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィル (2001年 = 指揮者 89歳 = 死の 1年前)
もちろん、上記の例でもヨッフムは晩年の演奏とは言えないし、ほかにも、ハイティンク指揮のコンセルトヘボウやウィーン・フィル、またジュリーニ指揮ウィーン・フィルなどは、素晴らしい演奏でありながら「晩年の法則」からは外れている。だがしかし、上記の名演リストを眺めているうちに漂ってくる、いわく言い難い、何か特別な雰囲気がこの曲にはあって、今回のバレンボイムの演奏には、その「何か特別な雰囲気」が足りなかったような気がしてならない。

ひとつ気になったのは、バレンボイムの唸り声だ。指揮者が唸ることは別に珍しくはないのだが、1回から 5回まで私が聴いてきた今回のツィクルスでは、そのような場面はほとんどなかった。それが今回は、冒頭からかなり力んでいたために、ついつい唸り声が出てしまったものではないか。第 1楽章の最後の方では、なんでもない弦のパッセージを丁寧に、若干ギクシャクしたリズムで振っていて、何か不自然であったし、また指揮中に時々咳をする場面もあり、深い深い呼吸を必要とするブルックナー演奏にとってはよくないなぁと思っていると、第 2楽章では今度は客席からびっくりするような大きな咳がかなり長いこと続いて、そのような流れの中、少し会場全体の集中力が落ちて行ったような気がするのだ。

もうひとつ、私のこだわりポイントとしては、あの超絶的に美しい第 3楽章アダージョの頂点でシンバルが鳴り、一瞬すべての音が止まってから弦が深く切り込むその間に、ハープがポロポロと響くシーンである。そこでハープがよく聴こえない演奏は、デリカシーがないと思ってしまうのだ (昔、確かクルト・マズアとゲヴァントハウスの録音を同じ理由でけなしていた批評を見た記憶がある)。今回、残念ながらハープはほとんど聴こえなかった。バレンボイムは、私が以前記事でも書いた、第 4番のリハーサルの後の聴衆への語りかけで、この第 8番でハース版を使用する理由を、「ノヴァーク版はアダージョ楽章にカットがあって、それは何か尊いものを求めて延々と彷徨い歩くようなこの楽章の趣旨に合わないから」と説明していた。それはよく分かるのだが、では、長い曲折を経て神の栄光に辿り着いた瞬間、天からの閃光のようにハープに響いて欲しいと思わないのだろうか。

このように、この極めて特殊な大作の演奏としては、既に我々が聴いてきた超名演の数々を凌ぐものにはならかったように思う。拍手も、5番のときにようにはすぐさまスタンディング・オヴェイションとはならず、そしてあの、5番のときに率先してスタンディング・オヴェイションをしたパーヴォ・ヤルヴィは、今回は拍手もそこそこに、席を立って帰ってしまったのであった (じろじろ見てしまって申し訳ありませんが)。

ブルックナー 8番。この厄介なる巨大なシンフォニー。ここで思い出す異色の演奏がある。1988年、ズービン・メータがイスラエル・フィルを指揮した来日公演だ。まだ学生であった私はその日、40度近い熱が出て朦朧としており、まさに這うようにサントリーホールに辿り着いたのであるが、その時の演奏は、枯れたところの全くない、いかにもメータらしく、音がパンパンに張った演奏であったのだ。熱に浮かされながらも私は、この曲に精神性を求める聴き手には、かなり俗っぽく響いているなぁと思って聴いていたのだが、曲が進むうちにそのスーパー・マッチョなブルックナーがなかなかの説得力を持って来て、高熱の中でも最後まで飽きることがなかったのである。終演後、楽員も徐々にステージから三々五々消えて行く頃、私も熱っぽい頭で帰ろうとすると、客席で何やら舞台に向かって叫んでいる男性がいる。どうやら、「神聖なブルックナーの交響曲を冒瀆するようなひどい演奏しやがって」という内容であるようだ。私がこれまでに行ったコンサートでも、このような事態に遭遇するのはそのときが最初で、それきり一度もない。係員につまみ出されたらしいその男性は、ホワイエでずっと「ふざけんなー」と叫んでいたが、そこには聴衆の人だかりができ、中には論戦を挑む人もいて、「そんなこと言うなら、皆の意見を聞こうじゃないかよ。今日のメータさんの演奏、よかったと思う人、手を挙げて下さい。ほら、いっぱいいるじゃないか!!」などと、こちらも大声でがなりたてていた。私は朦朧としながらも、こんな議論を惹起するブルックナー 8番という曲の持つ神秘性に思いを致し、シンネリムッツリした演奏と正反対を目指したメータの勇気に感服したものだ。メータとバレンボイムは、10代からの親友で、バレンボイム 70歳記念演奏会からのショットがこれらである。
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さて、このツィクルスも残すところあと 1回。パーヴォ・ヤルヴィが来るか否かをしっかりチェックしながらも (笑)、バレンボイムという指揮者 = ピアニストの本質、ブルックナーという特異な作曲家の本質に、真剣に耳をそばだてたいと思う。

by yokohama7474 | 2016-02-20 02:16 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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今日の東京は朝から大荒れ。川沿いに住む我が家は、吹きすさぶ春一番の強風と横殴りの雨が直撃し、まさに戦争の最前線の様相だ。しかし昼前には天気は持ち直し、最高気温 23度という、この季節にしては異常な高温。いながらにして自然の猛威を体感した私は、いつものヘラヘラした感じではなく、いささか神妙な面持ちで通いなれたサントリーホールに向かったのであった。

今回の曲目は、ブルックナーの交響曲第 5番変ロ長調ただ 1曲。昨日バレンボイム自身が語っていた通り、ブルックナーの交響曲の中でも偉容を誇る大作だ。今回のツィクルスで初めて、前座にモーツァルトのピアノ協奏曲が演奏されることもなく、ブルックナー 1曲だけだ。因みにこの 9曲のツィクルスでブルックナーの交響曲だけの演奏は、この 5番に加え、7番と 8番だ。さぁそのような大作が日曜日に演奏されるというのに、なんたること、会場はそこここに空席が。初回、交響曲第 1番とどっこいどっこいかと思われる入りの悪さだ。これは一体どうしたことか。まさか朝の嵐で鉄道が停まっているとか、あるいは今日がヴァレンタイン・デーであることが関係しているのではあるまいな。まぁ、オッサン度の高いコンサートだけに、後者はあり得ないわけであるが・・・。だがここで私は高らかに申し上げよう。この日の 5番こそ、日本のブルックナー演奏史に残る大変な名演であったことを。東京にいるクラシックファンでこれを聴かなかった人は、申し訳ないが今すぐ懺悔して頂き、一生ブルックナーとは縁がない生活を送ることを覚悟頂いた方がよいのではないか。

冗談はともかく、明らかにこれまでの 4回のどの演奏をも凌ぐ凄まじさは、そうそう体験できるものではない。まず演奏前に舞台を見回すと、弦楽器の編成こそ最初から変わらない 16型 (コントラバス 8本) だが、いわゆる倍管と言って、木管が各 4本。金管も昨日までの倍である。そしてティンパニまでが 2対。この大編成が終楽章であの乾坤一擲のクライマックスを演出するかと思うと、見るだけで興奮して来る。昔、88歳にしてこの曲でシカゴ交響楽団にデビューした朝比奈隆が、金管を倍増しようとしたところ、楽員から、自分たちが普通の倍の音を出すから大丈夫だと言われたというエピソードがあったが、当時そのシカゴ響の音楽監督であったバレンボイムが 70代にして演奏するブルックナー 5番は、さていかなる演奏になるのだろうか。プログラムに載っているバレンボイムの言葉には、以下のようなものがある。「日本にも、すばらしいブルックナー指揮者がいましたね。朝比奈隆。私が音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団で、ブルックナーを振りました (注 : 5番のあとに 9番も振っている)。私は残念ながらそこには立ち会えなかったのですが、録音などから多くを学びました。思うに彼は、ブルックナー演奏に不可欠な大きなラインというものをどう表現するべきか、独自につかんでいたのだと思います」--- なるほど、今や現代を代表するブルックナー指揮者であるバレンボイムも、朝比奈から学んでいたとは、なかなかに興味深い話である。演奏前に客席を見ると、第 2回にも聴きに来ていた指揮者パーヴォ・ヤルヴィの姿が。前回は付き添いの日本人女性がいたが、今回は単独での登場だ。今日は確かに N 響との演奏会の谷間。私がこのブログでも採り上げた通り、彼はつい先日、手兵 N 響でこのブルックナー 5番を採り上げたばかり。それから、考えてみればバレンボイムとヤルヴィは、パリ管弦楽団の音楽監督として先輩・後輩の仲。果たして今回の演奏をどう聴くだろうか。これこれ、私が聴きに来ていることはくれぐれも内密に頼むよってか。
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この曲の冒頭は、静かな低弦のピツィカートに乗って、雲の流れのようなヴァイオリンが漂って行くのであるが、そこに立ち現われる神秘性は、並大抵のものではなく、早くも名演の予感。この第 1楽章のバレンボイムは、今回のツィクルスで初めてと思われる (そしてツィクルスの残りでも二度と出てこないと思われる) オケに対する大きな煽りを見せた。テンポは速いが、先のヤルヴィと N 響のような軽さはなく、重いのだ。指揮者があまりに煽り立てるので、珍しくオケが崩壊寸前になるような場面もあり、その緊張感は尋常ではない。まさに音の炸裂である。アダージョの第 2楽章は、一転して深い呼吸が支配する陰鬱な世界。正直なところ、先のヤルヴィ / N 響では聴けなかったような深遠な音世界が広がっていて、私がこれまでに聴いたこの曲の演奏の中でも出色の出来だったと言ってもよいだろう。第 3楽章スケルツォも、小気味よい鳴りが最初から最後まで続き、そして終楽章に入って行く。ベートーヴェンの第九に倣ったと言われる、先行楽章からのテーマの再現 (でも、いつも不思議なのだが、なぜスケルツォ楽章の回顧はないのだろうか) に、飛び跳ねるクラリネットが絡みつき、それからド迫力の二重フーガが始まるのだが、その入りのチェロの音は、汚いまでの鋭い切り込みだ。そして到来する、倍管の全金管楽器が参加する 3回のファンファーレ。弦、木管、打楽器が沈黙する中、金管だけが壮大なテーマを奏で、そのあとを、まるでバッハの受難曲のイエスの言葉を飾るような弦楽器の威厳とともに伸びて行く音が続く。ここでブルックナーは明らかに神の出現を自ら体感しているのであろう。だがその神は、ただ威厳を持って中空に存在しているのではなく、凄まじい音のドラマを巻き起こすのだ。鳥肌立つ巨大な音響で曲が終わった瞬間、聴衆は皆、今日の春一番のごとき音の威力で客席にはりつけられ、身動きできないかのようだ。そして沸き起こる拍手とブラヴォー。最初から数名の人たちがスタンディング・オベイションをし、そしてその中のひとりが、ほかならぬパーヴォ・ヤルヴィである!! 彼は自身のこの曲の演奏と今日の演奏との比較を、どのように行ったのであろうか。

昨日の 4番の演奏はほとんど満員の聴衆から、指揮者をひとりで呼び戻すだけの拍手が沸いたが、今日は比較的少ない聴衆から、当然のように同じ現象が発生した。いや、今日の演奏の凄まじさを反映して、舞台の回りに押し寄せた聴衆の数は昨日とは比較にならないほど多く、拍手を受けるバレンボイムもこの表情だ。
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このシリーズの記事で、バレンボイムの過去の演奏についてあれこれ書きたいと思っていたが、毎回ブルックナーの勢いに圧倒されて、どうもそんな気になれない。だが今回は少し古い話題を披露しよう。未だゲオルク・ショルティが音楽監督であった時代のシカゴ交響楽団の来日演奏会において、ショルティとバレンボイムが指揮を分け合ったことがある。1986年のことだ。今からちょうど 30年前。ショルティの演奏会後、楽屋からそのショルティが出てくるのを待っていると、その日は自分の出番ではなかったバレンボイムが出てきたので、どさくさまぎれにサインをもらったことがある。いかにもうるさそうに書いてくれたサインはこれ。でもちゃんと名前を読み取ることができる。
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このシカゴ響のプログラムに載っている当時の CD の宣伝はこれだ。私にとっては別になんということはない、なじみのあるバレンボイムの写真だが、当時を知らない若い人にはちょっとしたタイムスリップの感覚かもしれない (笑)。
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そんなわけで、「9曲のブルックナー」の途中で既に「究極のブルックナー」を体験してしまったわけであるが、残念なことに私は明日から海外出張で、第 6回と第 7回を聴くことができない。だが、締めくくりの第 8回、第 9回には幸いにして行くことができるので、またそのレポートで皆様と再会のことと致します。

by yokohama7474 | 2016-02-14 23:44 | 音楽 (Live) | Comments(3)

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さて、バレンボイムとベルリン・シュターツカペレによるブルックナーの交響曲シリーズも、4回目となった。まだ半分まで来ていないが、これからいよいよ面白くなるところだ。このシリーズの初回の記事で、この試みはもしかしたら世界初かもしれないと書いたが、このシリーズのプログラムによると、既にウィーンで一度実行されているらしい。

今回の曲目は以下の通り。
 モーツァルト : ピアノ協奏曲第 26番ニ長調「戴冠式」K.537 (ピアノ : ダニエル・バレンボイム)
 ブルックナー : 交響曲第 4番変ホ長調「ロマンティック」

この組み合わせはなかなか面白い。モーツァルトの 20番台のピアノ協奏曲の中で (いい曲ではあるのだがなぜか)、この 26番は多分最も演奏頻度が低いと思う。一方ブルックナーの 4番は、恐らくは彼の交響曲の中では最も親しみやすく、演奏頻度も高い。かく言う私も、中学生のときに最初に聴いたブルックナーは、この 4番であった。人気曲目に土曜日とあって、会場は今回のツィクルスで初めて、ほぼ満席だ。

実はこの日、このツィクルスをシリーズ券で買っている人を対象に、リハーサルが公開された。演奏会本番は 14時から、ホールの開場は 13時30分からであるところ、リハーサルは 12時30分から 13時30分までだ。いつもそんな直前にリハーサルをしているのか、いつもたった 1時間しかリハーサルをしないのか、そのあたりは不明だが、会場にはこの壮大なツィクルスを通しで買っている同志の人たちが大集合。まぁその、チケット代がいくらしたかとはっきり書くと家人から睨まれるのでぼかして書くしかないが、普通の人がちょっとした海外旅行に行こうかと思うくらいの金額にはなっている。そんな代金を払ってシリーズで聴くモノ好き、いや同好の人たちはどのくらいいるかというと、恐らく 150人程度であったろうか。サントリーホール 1階客席の真ん中より後ろに適宜着席せよとの係の指示。なにせブルックナーを 9曲通しで聴こうなどという輩には、妙齢の女性など数えるほどしかおらず、見事にオジサンの集合となりました (笑)。あ、もちろん私を含めての話だが。でもしょうがないね、それは。

バレンボイムのリハーサルは初めて目にするが、大変に要領がよい。最初の 25分程度がブルックナー、そのあとやはり 25分程度モーツァルトで、自分が確認したい箇所をオケに告げて、短ければ数十秒、長くても 2 - 3分演奏してはどんどん次へ進んで行く。ブルックナーは第 1楽章冒頭から演奏されたが、ホルンのソロが見事に決まると、楽員たちは足踏みして拍手。その後第 2楽章、第 3楽章、第 4楽章と、ほんの一部ずつが演奏され、ある場合には音のニュアンスが違うのか、指揮者が音形を歌ってみせて、何度もやり直しをすることもあった。特にリズムの強調などに力点が置かれていたように思う。モーツァルトも同様の進め方であったが、第 2楽章は飛ばされていた。指揮台の手すりにはタオルが掛けられ、足元には水が置いてあったが、バレンボイムはどちらにも触ることすらなかった。そして、2曲のリハーサルが終わったとき、面白いことが起こったのだ。バレンボイムは、照明がかなり落とされた客席を見て、何やら我々の方を睨んだと思うと、なんとなんと、エイヤとばかりにステージから客席に飛び降りたのだ (今調べると、サントリーホールのステージの高さは 80cm)。そしてツカツカとこちらの方にやってくる。ひえーっ、一体何が起こるのかと見ていると、「皆さんブルックナーのシンフォニーを全部聴くんですよね。英語大丈夫ですか」と尋ねる。彼は滑舌のよくない人で、英語もあまり明晰とは言えないが、私の隣の人が「イエス」と答えた。それにもかかわらず (笑)、マエストロは日本人通訳を呼んで、ドイツ語での演説になったのである。いわく、「ブルックナーの音楽は作曲順に聴いて行くことに大きな意味がある。作曲技法や構造の発展を辿ることができる。よくブルックナーは同じ曲をいくつも書いたと言われるが、それは真実ではなく、よく聴くと 1曲ずつ全く異なる。1番と 2番はちょっと似ているかもしれないが、2番から 3番へは大きなステップであり、今日演奏する 4番はまた全然違う曲だ。明日演奏する 5番は、ブルックナーの交響曲の中でも最も大きな構造を持っている。そのように、続けて聴いて行くことに意味がある」とのこと。また、質問はないかとの問いかけに、3人の人たちが日本語、英語 (香港からわざわざ来られたらしい)、ドイツ語での質問をされた。ブルックナー演奏について回る版の問題と、第 0番を演奏しないのかという質問。版について語る中で大変印象深かったのは、版の選択をすれば演奏者はそれに対して責任を持たないといけないという発言であった。つまり、音楽家たるもの、自分の信念に応じて演奏する版の選択をする「自由」があると言うのではなく、その版を選ぶ「責任」があるというのだ。そこから彼の政治信念と思われる話につながったが、いわく、人と人の対話であれば、一人が喋っていれば相手は黙っているしかないが、音楽の場合には、音が鳴っているその間にも、鳴っている音に対して「そうそう」「違うなぁ」ということを自分の中で決めて行くことができる。換言すると、違う意見が同時に存在するのを認めるのが音楽だというのだ。明らかにこれは、彼が今情熱を注いでいる、ユダヤ人とパレスティナ人の若者を集めた West East Divan Orchestra (略して "WE DO") の理念であろう。版の問題に関連して、原理主義はどこにでもあるが、本質的なことから外れることがあると語っていた。また、0番の演奏はしないが、日本人の使う "No" だと、将来的な演奏に含みを持たせた (?) ようにも思われた。こんな感じでリラックスして喋っていて、スタッフが「そろそろお時間です」と言いに来るということとなった。大変貴重な機会であった。
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さて、演奏については、長々と書くのはやめよう。モーツァルトは、これまでの曲にも増して粒立ちのよい音で美しく響き、ときにはロマン性を漂わせることすらあった。この曲には祝典的な要素があるが、それに加えて、ほかのピアノ協奏曲よりもオペラを思わせる瞬間が多いように思う。このオケはオペラハウスのオケなのである。独奏者とオーケストラの親密な会話が、200年以上を経てもなお活き活きと響くことに、改めて感動した。

メインのブルックナー。惜しむらくは冒頭のホルンが、リハーサルでは完璧だったのに本番では少しかすれてしまって、今回のツィクルスでの初の (?) ミスかとも思われたが、その後も全曲を通して存在するホルンが活躍する箇所では、全く危なげない素晴らしい音色であった。上記に記したバレンボイムの言葉の通り、私自身もこの連続演奏会を通してブルックナーの作曲技法の進展と、それゆえにこそ初期の作品にも愛すべきところがあると改めて実感しているが、この 4番で、作曲者は未知の世界に飛び出したのだとはっきり分かる。序奏から主部に入るとき、いい演奏では、まるで航空機からの俯瞰撮影で森にぐっと迫って行くような感覚を覚えるが、今回は、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの来日公演以来の強い飛翔感に、鳥肌立つ思いであった。そして、今回から登場したチューバ奏者は、楽器をそのまま飲み込めるのではないかと思われるくらいの巨漢であり、大音響で鳴り響く箇所では、なんの遠慮会釈もなく (そりゃそうですな 笑) 豪快に吹き、ひとつのマッスとしてのオーケストラが、風船のように膨らんで行くような錯覚すら覚えた。弦楽器のニュアンスも相変わらず最高で、とにかく譜面が隅から隅まで音になりきったという感じであった。この曲の終楽章は、ブルックナーの終楽章としては最もドラマティックであると思うが、大音響で終結部に至ったとき、この音響はブルックナーとしてもそれまで書いたことのない、音の大伽藍であると感じ入ったものだ。終演後、オケが引き上げたあとに、一旦拍手がやみかけたが、数人がずっと拍手を継続し、それが広がって行って再び大きな拍手となり、バレンボイムは単独で姿を見せた。今回のツィクルスでは今回が初めてである。

さて、これまで触れて来なかったが、今回のツィクルスでは、2人のコンサートマスターが交代でトップを務めている。これまでのところ、奇数番号は中年の男性、偶数番号は若い女性だ。この若い女性の方は東洋系で、どこかで見たことあると最初に思ったのだが、すぐに気が付いた。あっ!! 彼女は有希・マヌエラ・ヤンケではないか。
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「ヤンケ」と言っても大阪出身ではない (笑)。父がドイツ人、母が日本人のハーフで、ソリストとしても活躍している。私が一瞬分からなかったのも、確か彼女はこのオケではなく、もうひとつのドイツの歌劇場オーケストラの雄、ドレスデン・シュターツカペレのコンサートマスターではなかったか。でも今回のメンバー表には彼女の名前がちゃんと載っており、帰宅して調べてみると、昨年からこのベルリン・シュターツカペレのコンマスに就任した由。素晴らしいヴァイオリニストだ。

さて、ツィクルスはいよいよ半ばへ。体力の要ることだが、この指揮者とこのオケなら、これからさらに白熱する演奏を期待できるだろう。

by yokohama7474 | 2016-02-14 02:20 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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前回の恩地孝四郎展の記事の冒頭に、東京国立近代美術館 (自称 MOMAT) の正面に掲げられていた看板の写真を掲載したが、その看板にこの展覧会の表示も含まれていたのだが、恩地孝四郎展と同じ 2月28日まで、この自称 (しつこいな) MOMAT で開かれている。これは非常に興味深い展覧会なので、もし恩地孝四郎展に出掛ける方がおられたら、ついでにご覧になることをお奨めする。何が興味深いかというと、二つの点を挙げることができる。ひとつは、恩地が代表する大正から昭和のモダニズムの時代、ツーリズムがいかに喧伝されていたのか。もうひとつは、外国からの観光客が急増している現代の日本が、これから 2020年のオリンピックに向けて、あるいはその先にいかなることを考えるべきなのかについてのヒントである。過去と現在をつなぐ、極めてヴィヴィッドな展覧会なのだ。

展示品は主に日本人のユーラシア大陸旅行と、外国人の日本旅行を盛り上げるポスターの類によってなっている。1910年代、大正初期の国内時刻表の展示に始まり、すぐに目に入るのは、1920年代には早くも満鉄 (南満州鉄道) によるユーラシア大陸の旅行の宣伝が始まっている様子である。日露戦争後のポーツマス条約によってロシアから割譲された長春から大連までの鉄道が、満鉄の基礎になっている。考えてみれば日本人は、あの平和な江戸時代に富士講やお伊勢参りなどで国内旅行を楽しんでいた民族だ。戦勝気分もあって、ちょっと海を越えて旅行でもしてみようと思ったものだろうか。このポスターの下の方には、今で言うとさながら宇都宮 - 東京 - 横浜というように (?)、東京 - 大阪 - 下関 - 釜山 - 京城 - 平壌 、そして哈爾濱 (ハルピン) や旅順までの経路が記載されている。何日かかったのだろう。「朝鮮へ満州へ」って言われても、そんなに長く会社休めないって (笑)。
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これはさらに前、1911年頃の満鉄の宣伝で、英語表示だが和服の女性を美しく描いている。ということは、ヨーロッパから鉄道と船を乗り継いで日本にやってくる人たち向けのものだということだろうか。なんとも気の長い話である。
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展覧会にはさらに、大連ヤマトホテルや奉天ヤマトホテルの宣伝チラシが飾られていて興味深い。またこれは、町田隆要という人のデザインによる、1918 - 19年頃の大阪商船株式会社 (現在の商船三井の前身らしい) のポスター。図録を見ても解説がないが、ここで旗を振っているのは明らかに、日本の神たる天照大神であろう。そして彼女の乗る五頭の馬は、満州国の掲げた五族協和を表しているに違いない。満州国についての客観的評価が定まっているとはとても思えず、なかなかに簡単な問題ではないにせよ、スローガンとしてはダイナミックなものだと思う。
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そしてこれは、同じデザイナーによる同じ会社のポスターで、横綱太刀山を描いた 1917年頃のもの。この力士、調べてみると 1877年生まれなので、えっ?! なんとこのとき 40歳。確かにそのくらいの年に見えるし、この翌年には引退している。幕内通算 195勝 27敗で、史上最強の力士とも謳われているらしい。足元をよく見るとアメリカ大陸とヨーロッパにまたがっている。すごいスケールではないか。
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先の記事で恩地孝四郎が芸術面での西洋の先進的な表現をいち早く取り入れていることに感嘆したが、この時代、日本のクリエーターのデザインは驚くほど斬新だ。これは作者不詳であるが、1917年の東洋汽船のポスター。今見るとキッチュな感じもするが、アールデコの雰囲気もあって面白い。
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そしてさらに、日本郵船が、今でも使われている NYK の会社名をあしらったこのポスター。1932年と若干時代は下り、デザインもジョスタ・ゲオルギー・ヘミングという西洋人だ。これなど、私の大好きなあのポスターの巨人、カッサンドルを彷彿とさせるではないか。ご存じない方のために彼の代表作の画像を挙げておく。まさに 1930年代を彩る感性だ。
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この流れにおける当時の日本のポスターの最高傑作も展示されている。里見宗次の「Japan (車窓風景)」、1937年の作である。一時期このポスターはいろいろな展覧会で見ることができて、見るたびにワクワクしたものだ。久しぶりの再会に、心の中で日の丸が踊る。
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これも有名なデザイナー、杉浦非水の 1916年の作品。外国人に対して日本の魅力をうまく簡略化して伝えていると思う。
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これは 1939年の日本の観光マップ。「日本文化を知る 1ヶ月の旅」ということだ。大きな地図は東京近郊だが、右上には北海道の大雪山が紹介されている。うーん、その時代、どのくらいの数の外国人がこれを見て日本を回ったのだろうか。
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さて、この展覧会にはほかにも、様々なイメージをもって日本を PR するポスターや資料が展示されているが、たった一点、本物の人物の写真をあしらったポスターがある。原弘 (ひろむ) という、その後大きな実績を残したデザイナーの 1936年の作品。
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誰あろう、これは昨年大往生した、原節子ではないか!! 調べてみると彼女のデビューは前年の 1935年、15歳のときだ。このポスターが作られた 1936年には、天才と謳われた山中貞雄の「河内山宗俊」(今年の新春歌舞伎の記事参照) に出演している。原との因縁浅からぬ小津安二郎の畏友であったが、1938年、28歳の若さで戦地で病死する。彼の「人情紙風船」は私も大好きだが、この「河内山宗俊」は見たことがない。原はこの後、日独合作映画「新しき土」に出演し、シベリア鉄道を使ってベルリンにまで行っているので、このポスターもそのような時代の流れと関係があるのかもしれない。

この展覧会を見ていると、日本人の外国人誘致という点では、既に 100年も前からやっていることが未だに続いているような気もするが、実際のところ、本当に日本人が外国人に自分たちのよさを分かってもらおうとしているか否か、時々疑問に思うこともある。ドナルド・キーンが言うように、日本人は自分たちが特殊だと思いすぎているのかもしれない。まあ理屈はともかく、モダニズム時代の興味深い表現の数々を楽しむだけでも意義の大きい展覧会だ。

by yokohama7474 | 2016-02-14 01:05 | 美術・旅行 | Comments(0)