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誰もが知る名探偵、シャーロック・ホームズ。英国の作家サー・アーサー・コナン・ドイル (1859 - 1930) が生み出したこのキャラクターは、21世紀の今日に至るも大人気で、ガイ・リッチーがロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウを起用したシリーズがあるし、また最近、あの怪優ベネディクト・カンバーバッチ主演のテレビシリーズの映画化 (見たかったのに、気が付いたら上映終了していた!) もあった。そんな中で本作はかなりの異色作と言えるだろう。93歳になり、養蜂を趣味として田舎で引退生活を送るホームズ。彼が (ドイルのオリジナルシリーズには存在しない) 未解決の最後の事件を抱えており、そのトラウマに苦しんでいるという設定。普通ホームズと言えばロンドン、ベーカー街にある架空の住居にあるこの表示のように、鹿撃ち帽にパイプというイメージで知られる。
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ところがこの映画ではそれはワトソンの創作で、パイプは吸わないし、出かけるときは上のポスターのようにシルクハットをかぶっているという設定。この映画の原作は 2005年に出版されたミッチ・カリンという作家によるもの。従来にはない新たなホームズ像を描こうとしているようだ。

ここで主役のホームズを演じるのは、英国の名優、サー・イアン・マッケラン。今年 77歳になるベテランだが、一般的にはなんと言っても、「X-Men」シリーズのマグニートー役と、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのガンダルフ役でよく知られた顔だ。
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私はこの役者さんの顔がなんとも好きだし、ホームズ物も好き (熱狂的シャーロッキアンというわけではないが) なので、これは是非見たいと思って劇場に出掛けたものであった。だが残念なことに、映画の出来自体には少しばかり失望した。まず、従来と違うホームズ像を描き出すには、なるほどその設定は面白いねと思わせる何かがないといけないと思うのだが、さて、その点はどうだろう。要するに、主人公がホームズである必要があるかという疑問にどう答えるかということ。私には結局その疑問は解けずに終わってしまった。超人的推理能力は、93歳であろうと 103歳であろうと、ホームズならもっとあるはずだ。ラスト近く、傷ついた少年の母の批判をおさえつける推理というのが出てくるが、「えっ、それですか」と言いたくなるほどあっけないものだ。それから、この作品では日本とのかかわりが出てくるが、その必然性もあまり感じない。終戦直後の広島などという、かなり大胆なシーンもあるのであるが、さて、そこまで極端な設定が果たして必要であったか。エンドタイトルを見ると、実際に日本で撮影したシーンもあるようで、日本人スタッフの名前も多くあったが、ここで描かれている日本には、音楽の使い方を含めてリアリティがない。もちろん映画であるから、別に本当の日本を描く必要があるとも思わない。問題は、その描き方が映画の中でどこまで必然性があるかということなのだ。日本人であるべき登場人物の何人かが、どこからどう見てもほかのアジア人であるのはご愛嬌として (予算の問題もあるだろうから)、なぜにホームズが日本に来る必要があって、また日本がホームズにとってどういう意味があるのか、この映画からひしひしと感じられるものは何もない。因みに、原作者ミッチ・カリンは日本に住んでいたこともあるらしく、そうであれば、この作品における日本の描き方に違和感を感じたのではないだろうか。また、日本の俳優としては真田広之が頑張っているが、いつものことながら、「英語を喋る日本人 = 異文化に属してその異文化を体現するが、一応言葉でコミュニケーションできる人」という設定であって、ある意味で特殊な役であると言うしかない。
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この映画で真に見るべき演技は、家政婦の息子でホームズを慕う少年ロジャー役を演じたマイロ・パーカーであろう。
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2002年生まれながら、これが 3本目の出演映画で、次回作はなんとティム・バートンの新作であるそうな。決して美形ではなく、むしろ癖の強い顔立ちだが、自分がその場面でどのような感情を演じるべきかをよく分かっているようだ。映画のプログラムにインタビューが載っていて、そのコメントが面白い。

QUOTE

ロジャーとホームズは時々言い合いになるけど、二人は本当に親友だと言えると思う。僕が好きなのは、二人の友情の育み方。映画のはじめの方ではホームズはロジャーを煙たがっているけど、映画を通して絆ができていって、最後には親友になる。それがすごくいい。

UNQUOTE

撮影当時 13歳の少年の言葉と思えるだろうか。日本語では 10代の少年はこういうモノの言い方はしないだろう。それこそ日本と英国の文化の違いということだろうか。

誤解ないように申し添えると、カイル・マッケランの演技自体に不満があるわけではない。60代の回想シーンのホームズと、90代のホームズとの演じ分けもさすがであり、彼ならではの独特のユーモアも漂っていて、それは見る価値があるだろう。
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監督のビル・コンドンはアメリカ人で、同じイアン・マッケラン主演の「ゴッド・アンド・モンスター」(古典的ホラー映画「フランケンシュタイン」を監督したジェームズ・ホエールの生涯を描いた 1998年の映画) で脚本・監督を担当してアカデミー脚本賞を受賞。ほかにも、ビヨンセが出演した「ドリームガールズ」などの監督作がある。今回の作品はそれなりに丁寧な作りであるとは思うが、上に書いたような設定のそもそも論においては、残念ながら演出で脚本の欠点をカバーとまでは行っていないように思う。

最近では昔ながらのキャラクターを再利用するケースが増えていて、それだけ新しいキャラクターの創造にはリスクが伴うということだと思うが、作り手には、そのキャラクターが従来持っているイメージとどのように対峙するかを真剣に考える態度が求められる。なるほどこれならキャラクター流用の意味があるな!! と思える映画に出会うことを期待したい。

by yokohama7474 | 2016-03-31 22:58 | 映画 | Comments(0)

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水戸市の水戸芸術館を本拠地とする水戸室内管弦楽団は、1990年に設立された、日本を代表する室内管弦楽団である。メンバーは一流のソリストや内外のオケの楽員が中心で、サイトウ・キネン・オーケストラとも重複するメインメンバーも多い。なので、この言い方には語弊はあるかもしれないが、この水戸室内管弦楽団はミニ・サイトウ・キネンと考えれば、さほど間違っていないであろう。小澤征爾はこのオケとは設立時から深い関係を保って来たが、水戸芸術館の初代館長は彼の恩師の音楽評論家、吉田秀和。今小澤は同館の第 2代館長であり、同時にこのオケの芸術監督でもある。今回は第 95回定期演奏家の東京公演である。

小澤は病を克服してからここ数年、このオケとベートーヴェンの交響曲を演奏、録音してきており、既に 2・4・7・8番がリリースされている。今回は第 5番。一般に「運命」というあだ名で知られるが、最近では大仰なこのあだ名ではなく、ただ単に 5番と呼ばれることも多い。今回のポスターやプログラムもそうなっていて、私としては大いに同感だ。もともと小澤の指揮するベートーヴェンは、昔ながらの重々しいドイツ風ではなく、非常にすっきりとしたスタイルであって、それ自体の賛否は以前からあるものの、既に齢 80、自らの信じる道を進んで来た信念の人であるから、純音楽的に鳴ってくれるはずであり、大仰なあだ名は不要であろう。このベートーヴェン・シリーズ、私は 2014年 5月に水戸まで 7番を聴きに行ったが、その際には予想通り、集中力とオケとの呼吸が素晴らしいと思ったものである。

さて今回の演奏会、曲目は以下の通り。前半の 2曲は指揮者なし。後半のベートーヴェンのみ小澤の指揮。最近の小澤の演奏会では、最初から最後まで振り通すことが体力的に難しいらしく、残念だがやむを得ない。
 シベリウス : 悲しきワルツ (劇音楽「クオレマ」作品44から)
 モーツァルト : クラリネット協奏曲イ長調K.622 (クラリネット : リカルド・モラレス)
 ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67

会場に入ると 1階ロビーに何やら献花台がある。
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これは、先ごろ 74歳で逝った水戸室内管弦楽団のティンパニ奏者、ローランド・アルトマンの死を悼むもの。彼は 1975年からウィーン・フィルの首席ティンパニだった人らしい。そしてこのような告知が。
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開演前、ホール内の照明が落とされ、オケのメンバーとともに小澤が入って来る。このときに残念だったのは、客席から盛んな拍手が起こったことだ。もちろん、上の「お知らせ」には、「演奏終了時の拍手はご遠慮ください」とはあっても、「演奏者入場時の拍手はご遠慮ください」とはない。また、この告知を見逃した聴衆もいただろう。だがそれにしても、照明が落とされて、演奏家が聴衆に挨拶せずに舞台に入ってくる場合に、盛大に拍手するのは常識的にいかがなものか。あるいは館内放送で説明すべきであったろうか。ともあれ、ここで演奏されたのは、サイトウ・キネンのテーマとも言われる (斎藤秀雄が厳しく指導した曲である)、モーツァルトのディヴェルティメント K.136 の第 2楽章。小澤は通常でもこの曲を極めて遅いテンポで演奏するが、今回は追悼演奏であり、さらに感情移入が深い。彼は以前、この種の機会にはほぼ毎回、バッハの G 線上のアリアを演奏していたが、いずれにせよ、彼がよく口にする「音楽による (宗教ではない) 祈り」は、曲のスタイルを超えて胸を打つものだ。

そして、指揮者なしで演奏された 2曲。最初のシベリウスの「悲しきワルツ」は、よくアンコールで演奏される小品であり、カラヤンの愛奏曲でもあった。低弦のピツィカートで静かに始まり、滑らかなメロディに移行して、その後加速する部分もあるので、指揮者なしで演奏するのはかなり難しいと思う。だがさすが水戸室内管、この曲でコンサートマスターを務めた竹澤恭子 (世界一流のソリストである!!) のもと、よく息のあった美しい演奏であった。最初の曲から追悼の雰囲気が、少し変形しながら続いているような感じ。次に演奏されたモーツァルトのクラリネット協奏曲は、作曲者晩年の傑作であり、この曲の第 2楽章も、あまりに美しすぎて追悼の音楽 (あるいは天国の音楽) にふわさしいと言ってよいだろう。ソリストは、このオケのクラリネット奏者であるリカルド・モラレス。本職は名門フィラデルフィア管の首席クラリネットだ。正直なところ、超絶技巧を聴かせるタイプではなく (またもちろんこの曲には超絶技巧は必要ないわけだが 笑)、びっくりする音楽ではなかったが、安心して聴くことができた。
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そして後半のベートーヴェン 5番。休憩終了時にふと 1階席の数列前を見ると、いつも見かける小澤ファミリー (夫人と、征良、征悦の姉弟) が後半から臨席だ。そして、実はホールに入った瞬間から SP の存在に気づいていたので、誰か VIP がおいでになることは分かっていたが、皇太子夫妻かと思いきや、なんと、天皇・皇后両陛下が、やはり後半の小澤の指揮だけを聴きに来られたのだ。何年かに一度はこのようなことがあるので特に驚かないし、いつも客席総立ちで両陛下に拍手を送ることになるのも、何やら一体感が醸成され、穏やかな気分にもなるので、大変結構なことである。以前ロンドンでチャールズ皇太子とカミラ妃臨席のコンサートがあったときには、あのひねくれものの英国人たちも一応全員立っていましたからね (笑)。日本なら当然こうなるでしょう。

小澤はこのオケを指揮するときは以前からそうなのだろう、指揮台がない。そして、なぜだか使わない譜面台が置いてあって、そこには何も乗っていない。指揮中に座れるように、座面が横長で足がしっかりした椅子が置いてあり、その横にはパイプ椅子。その横長の椅子は結局使われず、終始立っての指揮であったが、楽章の間 (第 3楽章と第 4楽章は続けて演奏されたので、使用回数は 2回だけだったが) には小澤はパイプ椅子にどっかり座り、ヴィオラの店村眞積からペットボトル入りの水を受け取ってゴクゴクやるのである。今の彼にとって、指揮をするとはそれだけの重労働なのであろう。
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小澤はこのベートーヴェン 5番を過去 3回録音している。キャリアの初期に RCA にシカゴ響と。活動全盛期にテラークにボストン響と。そして、旧フィリップスに全集の一環としてサイトウ・キネンと。私はもちろんすべて所持しているが、今回の演奏に先立ち、その最初の 2枚を CD 棚から久しぶりに取り出して事前に聴いていた。今回の生演奏まで含めた結論としては、いずれの演奏も、テンポを含めた演奏スタイルには大きな変化はないと思う。ただ今回の演奏は、コントラバス 2本という、室内管弦楽団でもとりわけ小さいサイズの編成であり、自然、管が浮き出る効果があるので、響きが新鮮である一方、やはりこの曲の鬼気迫る音の畳みかけという点では、多少の不満があることは否めない。弦はどこを取っても美しくてニュアンスたっぷり。だが半面、最近の古楽器演奏などで耳にする鋭い切り込みはあまり聴かれず、現代におけるベートーヴェン演奏の難しさを思い知るのである。だがもちろん、この半世紀、世界のトップで活躍して来た大家が、流行に右顧左眄する必要はなく、彼の信じるベートーヴェン像に敬意をもって聴き入るべきだと思う。ひとつ言えることは、小澤の身振りがそのまま音になっていたように感じたことで、これは彼の全盛期の指揮ぶりと同じである。私には何よりそれが嬉しかった。終演後、すぐにスタンディングオヴェーションが始まり、両陛下を含む聴衆全員がまさに総立ち。小澤は楽員全員と握手を交わし、オケはすぐに退場した (両陛下の警備上の問題もあったのかもしれない)。このような情景は、まさに小澤の演奏ならではであろう。

小澤は、4月初旬には久しぶりにベルリン・フィルの指揮台に復帰し、これもまたベートーヴェンの、「エグモント」序曲と合唱幻想曲を指揮する。私は彼が前回ベルリン・フィルを振った 2009年 5月のメンデルスゾーンの「エリア」は現地で聴いたが、今回はベルリンまで飛んで行くことはできない。だが今回の調子なら、ベルリンの聴衆たちに楽しんでもらえるだろう。この小澤という人、もちろん自分には大変厳しい芸術家だが、その人当たりのよさに、天性のピュアな精神を見ることができる点、ほかの指揮者たちと違うのだ。今回のプログラムに、亡くなったティンパニ奏者ローランド・アルトマンへの追悼の言葉が掲載されているのでご紹介しよう。

QUOTE

ローランはまっすぐの人だった。音楽に対しても私達友人に対しても。
そしてやさしい人だった。
ウィーンで家族テニスによんでくれ、ロッテ (夫人) の手料理。想い出がたくさんつまってる。
元気でニコニコしてたのに何と悲しいことか。

UNQUOTE

なんという真実の想いに溢れた、心に沁みる言葉であろう。素朴で飾らないこの言葉、いわゆる日本的なエラい人には到底無理な、透明な感性であると思う。ちなみに、「まっすぐの人」という表現は原文のままで、「まっすぐな」ではない。

最後にもうひとつ。たまたまこのコンサートを聴いた日の昼間に、あるカメラ会社のショールームを通りかかったところ、昭和を彩った様々な文化人・芸能人の写真が展示されていて、その中に若い頃の小澤の姿を発見。1963年だから、実に今から 53年前。
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ちょうどバーンスタインの下でニューヨーク・フィルの副指揮者をしていた頃であろう。まだ 20代の若者である。実はこの表紙に使われた同じ写真が別に展示されていて、こちらでは背景を見ることができる。
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これは明らかにカーネギーホール。聴衆の姿はなく、また、燕尾服は着ているものの、音楽をするときの彼の集中した動きのある姿勢には見えないから (笑)、コンサートでないのはもちろんリハーサルでもなく、この撮影用の特別なセッションであったのだろう。時の流れは様々なものを変えて行くが、変わらないものもあるものだ。これからも小澤征爾の情熱を感じ続けて行きたい。

by yokohama7474 | 2016-03-30 01:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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ひとつ前の記事で、出光美術館で開かれていた勝川春章の展覧会をご紹介した。その記事では、2つの展覧会が東京で開かれていたと書いたが、もうひとつがこれだ。東京原宿にある浮世絵専門美術館、太田記念美術館でのものだ。上のチラシに「北斎の師匠、写楽のルーツ」とある通り、ここでは主として役者絵の版画を描いた春章が紹介され、弟子の北斎がいかにそのキャリアを始めて、またそこから脱して行ったか、あるいは写楽のあの奇抜な役者の大首絵にどのようにつながって行ったかを辿ることができる。従い、肉筆浮世絵に特化した出光美術館の展覧会とは異なる春章を見ることができて、両方を見ることに大きな意義がある。但し、この美術館の難点は展示スペースが狭いことで、今回のように、期間中の前期と後期でほぼ全作品が入れ替わるということになってしまう。正直なところ、同じ美術館に二度通うのはなかなか簡単ではない。せっかくの充実した内容の展覧会であれば、なんとかしてもう少し大きいスペースで一度に見ることができないものであろうか。展覧会の図録を眺めていると、「ああ、前期に来ればこれを見ることができたのか」と、悔しい思いを抱くことになってしまう。

今回の展覧会の中心は上記の通り役者を描いた版画で、ほかの題材には相撲もある。さてそれはどういうことか。ズバリ、女性を描くことができない題材ということだ!! なんということ、前の記事で美人画家としての春章を絶賛したばかりなのに、この展覧会ではそれを見ることは叶わないのだ (笑)。そのことは取りも直さず、春章という画家の幅を知るということでもあり、概して初期は役者絵、後期に肉筆美人画に移って行ったというキャリアの変遷を知ることにもなる。先入観を持たずに見てみよう。

まずこれは、土左衛門伝吉という役柄を演じる三代目松本幸四郎。1768年、春章の最初期の業績であるようだ。しかしこの顔、なんともリアルで面白い。そういえば現在の幸四郎 (九代目) にも似ているような気がしてくる。
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これは 1770年頃の、二代目坂田半五郎と三代目大谷広次。配役は未詳のようだが、いかにも役者絵らしい舞台でのけれんみと、人の動きのリアルさをともに感じさせる素晴らしい表現ではないか。
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これは「九代目中村羽左衛門の佐々木忠臣荒岡源太照門」。この衣装は有名な「暫」であろう。これはまた、静の中に威厳を感じさせる出来であるが、そのデザイン性にこそ春章の力量が出ているのではないか。センスが光るとでも言おうか。
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これはまた面白い。三代目大谷広右衛門を描いたもので、どうやら役者の大首絵のルーツのようなものらしい。左側に版元による説明があって、「切り抜くと扇子に貼れます」などと書いてあるようだ。うーん、扇子に貼れるとは、ここでも「センス」が光る (笑)。このようなものは消耗品なので、なかなかこのようなかたちでは残っていないはずだ。それにしてもこの顔も実に表情豊か。春章の持つ幅広い表現力を改めて思い知る。
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これもなんとユニーク。「楽屋の五代目市川団十郎」(1781 - 89頃)。当時の人たちも、ただ舞台を見るだけではなく、役者の人柄とか舞台裏の情景に興味があったということだろう。隈取をしたままキセルを吸って、拍子木と台本を持ったスタッフと何やら打ち合わせか。灰のリアルな表現に、やはり春章のこだわりが見えて面白い。
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あっ、これは私も舞台を見たことがあるので、分かる。「義経千本桜」の佐藤忠信 (正体はキツネ) だ。演じるのは初代中村仲蔵。1787年の作品だが、調べてみるとこの歌舞伎の初演は 1747年。初演後既に 40年経っているというか、未だ 40年しか経っていないというか、そういうタイミングで描かれたもの。そして 200年以上経った今でも同じ演目が同じような演出で演じられているとは、なんとすごいことか。ヨーロッパの場合、オペラではいわゆる「読み替え演出」が盛んで (まあ、一時期よりは減っているのかもしれないが)、例えて言えば、佐藤忠信が背広を着たサラリーマンで、鼓を見ても聞いてもびくともしないような演出をしているわけだ。伝統を重んじる日本の文化には、この限りにおいてはよい面が多いであろう。
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これも面白い。「深川八景」から「三十三間堂夕照」(1770 - 72 頃)。なに、深川と言えば江戸のあの深川であろう。三十三間堂といえば、それは京都に決まっている。実は、今まで知らなかったのであるが、江戸時代に深川の富岡八幡宮の東側に、やはり三十三間堂という建物があり、本家と同じように、長い建物に沿って矢をいる通し矢が催されていたらしい。尚、ここでは通り過ぎる美女に目を奪われた男二人組が描かれていて、ユーモラスだ。版画になると、彫り師、刷り師との共同作業なので、春章の肉筆画の繊細さは薄れているし、ちょっと色の数が少ないので、作品として一流とは言い難いが、でもあれこれ春章を見てくると、これもアリかという気がしてくるのである。
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尚、私が撮った写真ではないが、この三十三間堂の跡地にはこのような碑が立っているらしい。一度行ってみたい。
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さて、展覧会にはこの後、前回の記事で肉筆画でも共作をご紹介した北尾重政との連作があったりして、そこでは春章得意の美人画を見ることができる。これは共作ではなく春章の単独作品だが、前回の記事での共作は福禄寿と二美人。ここでは恵比寿と一人の美人だ。この二人の間に会話があるのかどうか分からないが、もしかするとここでもこの福の神は不可視の存在で、話しかけられている女性の方は、それに気づいていないのかもしれない。
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さて私が見た後期の会期では、美人画はほとんどなかったと記憶するが、図録を見るといくつか掲載されている。前期での展示であったのであろう。残念だが、春章の美人画は出光美術館で沢山見たので、やむなしと諦める。その一方、出光美術館にはなかったジャンルの作品群がここにはある。相撲絵だ。春章が相撲絵を手掛けたのは、天明年間 (1781 - 89) からで、それまでの役者絵や武者絵の経験を活かしてのこと。ここでも彼は、それまでになかった写実性をもって相撲の世界を活き活きと描き出した。これは、「小野川喜三郎 谷風梶之助 行事 木村庄之助」。いやー、なんともリアルだ。歌舞伎同様、今日でも変わらない江戸時代の相撲という娯楽の姿を彷彿とさせる。
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これは、「江都勧進大相撲浮絵土俵入後正面之図」。東方力士たちの土俵入りが終わって退場し、代わって西方力士たちが土俵入りするところ。浮絵とは、遠近法を使って奥行きのある画面で描かれた絵のこと。両側の桟敷にぎっしり詰まった観客たちの様子がよく描かれている。江戸時代中期、相撲が庶民の人気に支えられていたことが、春章の持つテクニックによって見事に記録されている。
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これは武者絵の一種で、「堀川夜討之図浮絵二枚続」。京都堀川にいる源義経の討伐を頼朝に命じられた武士 (土佐坊昌俊) の機先を制して、弁慶が昌俊の屋敷を訪れてその昌俊を連れてきた場面。これも浮絵の手法で描かれているが、廊下の奥の方の表現は、前回の記事で見た春章晩年の大作「美人鑑賞図」を思わせる。人物のドラマの背景として、このような技術が大いに活きている。
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そして展覧会は、写楽らの役者大首絵の展示を経て、その副題のごとく、春章の弟子であった葛飾北斎の足跡を辿ることになる。これは「初代中村仲蔵」(1783)。足元にある銘には、「春朗画」とある。春章に弟子入りした北斎の最初の号である。20代半ばの北斎が、この時点で師匠の切り拓いた役者絵を模倣するところから始めたことが、この展覧会の流れからよく分かる。
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北斎はまさに万能の画家であったと思うが、彼の興味の本質に、写実ということがある。それは人物よりも、風景や構造物を正確に描くという点に端的に現れている。これはまた浮絵で、「東叡山中堂之図」。上野の寛永寺を描いているが、手前の堂と堂を結ぶ回廊のかたちの面白さや、後ろの中堂がその回廊によって遮られていることの意外性を楽しんでいるようだ。これこそが、後年富嶽三十六景などで驚くべき景色の数々を描いた北斎の、ひとつの原点ではないか。
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これも浮絵で、「浦島龍宮入宮之図」。それほど手の込んだ版画ではないが、師匠よりもきっちりとした遠近法に北斎の冴えを感じることができる。
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形の面白さをさらに大きな視点で描いた、「江都両国橋夕涼花火之図」。ここでは群衆も夜空も、そこに散る花火も、再構築された現実に情緒というフレーバーがまぶされて、大変にリアリティがある。さすが天才絵師である。
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このように、出光美術館の展覧会とは違った切り口で春章の画業と、その弟子である北斎に与えた影響を知ることができる貴重な機会となった。繰り返しで恐縮なるも、このように展覧会をご紹介しながらも、既にその展覧会が終了してしまっていることは誠に申し訳ないのであるが、また 10年後、春章生誕 300年のときに、きっとご参考になると思います (笑)。それまで皆様、お元気で!!

by yokohama7474 | 2016-03-29 08:00 | 美術・旅行 | Comments(0)

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江戸時代中期の画家、勝川春章 (かつかわ しゅんしょう、1726 - 1792)。はて、あまり聞いたことがないなという人も多いことであろう。私自身、聞いたことがないとは言わないが、それほど親しい名前でもない。思い出すのは、あの葛飾北斎 (1760 - 1849) が若い頃に勝川春朗と名乗ったことだ。そう、この春章は北斎の師匠にあたる。だが、そのような評価だけでは実にもったいない美人画の名手であり、また歌舞伎役者を描いて、浮世絵の世界で後の写楽にまでつながる道を拓いた人とも言われる。実は今年は春章の生誕 290年。東京で今、この春章についての 2つの展覧会が開催されており、それを両方見ることで、この画家の全体像にかなり迫ることができるのだ。・・・と書いておいて申し訳ないが、このブログでは時々、記事を書いたときには既にその展覧会は終了してしまっていることがある。実は今回も・・・。同じ 3/27 (日) に両方とも会期終了。しかも展覧会の巡回もない。従ってこの記事をお読み頂く方で、未だ春章のことをよくご存じない方は、来るべき生誕 300年まであと 10年 (ちと気の長い話だが)、楽しみに待って頂きたい。

この展覧会の会場は出光美術館。今年開館 50周年で、今後所蔵名品をずらりと並べる展覧会を予定中であるが、その前にこの春章展である。春章と周辺の肉筆画を集めた展覧会で、私としては、昨年以来、肉筆浮世絵の展覧会に何度も出かけていることになる。一種のブームなのかもしれない。展示作品 70点の大半はこの美術館自身の所蔵になるものだが、その目玉はなんと言っても、上のポスターに掲げられている「美人鑑賞図」である。春章最晩年に描かれ、絶筆の可能性もあるというこの作品は、全体をぱっと見て誰しも惹かれるであろうし、その細部をまじまじと眺め入ってはため息をつく、そのような素晴らしい作品だ。保存状態も素晴らしく、まさにほれぼれするような出来である。舞台は柳沢吉保の庭園として造営された駒込の六義園 (りくぎえん。今日でも立派に維持・保存されている)。11人の女性が、なにやらおめでたい雰囲気の中、掛け軸や香炉などを取り出して眺めているところ。
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細部の写真を 2枚、お目にかけよう。なんと美しい!! これは中央あたり。
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これは右の奥。ずっと向こうの方まで続く廊下は、全体の中での完璧な遠近法によるとは言えないものの、画家の高い技術を示している。
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ところが最近の研究で、この作品が鳥文斎栄之 (ちょうぶんさい えいし、1756 - 1829) による三枚続きの錦絵 (つまり肉筆画ではなく版画) 「福神の軸を見る美人」に酷似していることが判明した。これはシカゴ美術館の所蔵品。少し小さいが、全体の構図がそっくりなのがお分かり頂けるだろうか。
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実はこの展覧会の構成は、最初にこのことをドーンと紹介して、それから春章の登場前の作品群に戻ってから、春章の画業を辿り、最後に春章の後継者としてまたこの鳥文斎栄之の作品が出てくる。そこで私は腑に落ちない気分でもう一度展覧会の最初のコーナーに戻ったのであった。もしこの栄之が春章の後継者であるなら、なぜ春章がこの晩年の大作で自分より若い後継者から構図を借りる必要があったのか。上にそれぞれの画家の生没年を記載したが、栄之は春章よりも実に 30歳年下。全く一世代若いのだ。そのような若手の作品に倣った理由は恐らく、栄之の、もともと旗本の出身というやんごとなき身分に、春章が敬意を表したという事情もあるらしい。この春章の作品は、六義園を作った柳沢吉保の孫にあたる柳沢信鴻 (のぶとき) の古稀を祝うために描かれたという説が有力で、栄之の作品よりも人物を増やし、より華やかな雰囲気に仕上げられている。晩年に至って若手に倣いながらも、その若手を遥かに凌駕するとは、大した技量ではないか。

当時、このような遠近法を取り入れた室内の情景が描かれることはままあったらしく、この展覧会でも、趣向は異なるがこのような 18世紀半ばの作品が展示されている。作者不詳ではあるものの、何やら広間をぶち抜きにして、それぞれの間でくつろいでいる、楽しそうな絵だ。手前から二つめには、小さな人物が踊っているのを屈んで見ている人がいるが、これはからくり人形であろうか。
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これは少し遡る江戸時代初期、17世紀前半の「邸内遊楽図屏風」。戦国時代を越えて泰平の世となり、人々も解放感があったのだろうか。いやなんとも楽しそうに踊っている。仲間に入れて欲しい (笑)。
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このような踊りの習俗などから発展して、ひとりひとりを描く立姿の美人図などが発生して来たものであろうか。これも作者不詳だが、17世紀中期の「立姿美人図」。左を懐手にして、なんとも粋ではないですかい。
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そして、あの「見返り美人」で有名な菱川師宣の「二美人図」(17世紀後期)。彼をもって、世俗の情景を描く、いわゆる浮世絵画家の嚆矢とする。下ぶくれの顔は決して美しいとは言えないものの、やはり左を懐手にするなど、粋な様子である。硯と紙が用意されていて、これから恋文でもしたためるところであろうか。
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これは、宮川長春の作品 (18世紀前期)。昨年のシカゴ・ウェストン・コレクションの肉筆浮世絵展でも宮川派の作品があれこれ紹介されていたように、美人画の流れを作った人だ。これなど、帯の結び方にもアクセントがあり、堂々たる実在感だ。この宮川長春の弟子、春水に学んだのが、今回の主人公、勝川春章。江戸時代の日本美術のひとつの大きな流れと見てもよいだろう。
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そして春章登場。これは明和年間 (1764 - 72) に描かれた「遊女と禿 (かむろ) 図」。現存する春章の肉筆画でも最も古いもののひとつと言われているらしい。そう思って見てみると、確かに線がちょっと硬いようにも見える。だが、左の硯で墨をすっている禿など、上の師宣と比べると動作がリアルに見える。
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これは面白い絵で、春章と、宋紫石、北尾重政の三人が合作した「福禄寿と二美人図」。
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真ん中の福禄寿が宋紫石 (1715 - 1786)、左の女性が北尾重政 (1739 - 1820) 、右の女性が春章の手になるものだ。後ろの福禄寿は薄い線で描かれているので、不可視ということか。巻物の上に描かれているのは対極図という、中国の思想で陰陽を表す図形。北尾重政と春章は何度か合作をものしており、お互い影響関係があった模様。でも重政は春章よりも 13歳年下。この春章という人、若い画家からも積極的に学ぶ姿勢を持った謙虚な人であったのかと、勝手に想像してみる。

さてここから、春章の描いた美人図をいくつかご紹介する。画家が円熟の境地に達した頃の傑作ばかり。これは「柳下納涼美人図」(1783 - 87頃)。はだけた胸元が艶やかだが、夏の宵に吹きすぎる風を感じることができるではないか。
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一方こちらは、「雪中傘持美人図」(1787- 88 頃)。降る雪、積もった雪、傘で溶ける雪のそれぞれの質感が描き分けられていることに驚嘆する。近代日本の美人画の名手、伊東深水は、美人画の名手として春章を真っ先に挙げていたそうだが、このあたりの作品を見るとさもありなんと思う。
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かと思うとこれなどは、群像図として後年の「美人鑑賞図」につながるものがあるかもしれない。「青楼遊宴図」。遊郭での和やかな雰囲気の宴会の様子か。人物たちの表情の活き活きとしたこと。
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ここからの三連幅「雪月花図」は、少し趣向が異なる。この展覧会の副題にある通り、みやびな世界を描いているのだ。これまで見てきたような浮世絵の特色としての活き活きとした庶民の生活の描写とは異なって、中世の王朝文化への憧れを表している。これは、そのような嗜好を持つ教養豊かな階級からの依頼を受けて描いたものであろうか。春賞の画家としての技量に心底感嘆する。
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これは「婦人風俗十二か月」から「端午」。子供の可愛らしさ、母親の慈悲深い表情に加え、幟に描かれた鍾馗などは、弟子の北斎を思わせるような鋭い筆使いだ。
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これは「活花美人図」。美人図のヴァリエーションではあるが、アヤメを活ける丁寧な様子に情緒を感じる。
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会場にはほかにも春章の素晴らしい美人図が盛りだくさんだが、展覧会の最後の方には、彼の後輩・弟子筋にあたる画家たちの作品が並んでいる。まずこれは、例の鳥文斎栄之の「朝顔美人図」(1795)。洗練された描きぶりだが、顔も体も伸びており、あたかも西洋絵画がルネサンスからマニエリズムに移行したことを想起させるような作品だ。
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これは、喜多川歌麿 (1753? - 1806) の「更衣美人図」(19世紀前期)。さすがに生々しさが違う。
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そして、春章の弟子、葛飾北斎による「月下歩行美人図」(19世紀前期)。なんでもできてしまう天才が、着物の装飾性の強調から形の面白さに遊ぶ境地に入っているように見える。
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このように、勝川春章の画業は、それまでの歴史を受け継ぎ、流行にも乗りながら、その表現は、次の世代の偉大なる才能たちへと受け継がれ、発展して行ったことが理解できた。大変に内容の濃い展覧会であった。さあ、これをご覧になった方は、10年後の春章生誕 100年に向けて、気持ちの準備を始めようではありませんか!!

by yokohama7474 | 2016-03-28 21:35 | 美術・旅行 | Comments(0)

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別項で採り上げた渋谷の Bunkamura オーチャードホールでの山田和樹のマーラー・ツィクルスが 17時15分頃に終了して後、駆け足で会場を出て、コンビニでおにぎりを買ってタクシーに乗り込み、サントリーホールへ。18時開演だからコンサート中にハラが減ることは必至。タクシー内で軽い食事を済ませ、食事の時間をセーブすることとした。というのも、今回の指揮者、ロシア人のドミトリー・キタエンコには思い入れがあって、開演に遅れることは避けたかったからだ。
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キタエンコは1940年生まれだから、今年 76歳になる。現代を代表する大巨匠とまでは認識されていないかもしれないが、間違いなく世界の一線で活躍してきた実績のある名指揮者である。このブログでは、私自身の昔の経験等において、全く個人的な思い入れであれこれ語って来ているが、この指揮者の場合にも、今を遡ること 35年の1981年に、当時音楽監督を務めていたモスクワ・フィルとともに来日したのを聴いたのだ。それが私の最初のキタエンコ体験であったのだが、その時のチャイコフスキーの 5番・6番に大変感動し、以来、気になる指揮者になったのだ。とは言うものの、それ以降、モスクワ・フィル自体を聴いていないし、キタエンコの実演に接したのも、前回 2013年に同じ東京響を指揮した演奏会のみである。熱狂的ファンと言うのはおこがましい。だが、その 1981年の来日は、特別なイヴェントで、なぜならば、もともと予定されていた天下のカリスマ指揮者エフゲニ・ムラヴィンスキーとレニングラード・フィル (現サンクト・ペテルブルク・フィル) の来日が中止され、その代わりとしてこのキタエンコと、もうひとりのロシアの名匠、ユーリ・シモノフを指揮者としたモスクワ・フィルが来日したのである。私の場合は、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルは二度に亘る来日中止のために結局一度も聴くことができなかったのであるが、そのうちの一回がこれで、当時特別な存在であったオケと指揮者の代わりにやって来た別のオケと知らない名前の指揮者 (因みに、相次ぐキャンセルによって招聘元の音楽事務所が倒産したのだ!!) が、いわゆる泥臭く乱暴なロシア風でもなく、もちろん唯一無二のムラヴィンスキーのスタイルの模倣でもなく、堅実で説得力ある音楽を繰り広げた点に感動したのである。以下、当時のプログラムから。見た目もあまり変わっていないように思えるのがすごい。35年前ですからね。但し、急な代役でプログラムの印刷に時間がなかったのか、当時のソ連当局の事務能力が低かったのか、鮮明なキタエンコの写真が一枚もない(笑)。
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なので、キタエンコはムラヴィンスキーのような究極のカリスマ性とは正反対の指揮者だと最初から理解しているのだが、このブログで何度か唱えてきた通り、このような職人性を持つ指揮者は、70代後半からが面白いケースが多い。従って、キタエンコはこれから聴くべき指揮者なのである。私の手元にある「日本のオーケストラを指揮した世界のマエストロ列伝」という本によると、初来日は 1972年、ソヴィエト国立交響楽団と。同じ年に NHK 響を指揮している。その他、日本のオケとしてはこの東響に加えて読響、京都市響、オーケストラアンサンブル金沢を指揮しているとある。ここには記載はないが、群馬交響楽団に客演した演奏を昔ヴィデオに録画したこともある。そのように、既に日本にはおなじみの指揮者なのである。

今回の曲目は以下の通り、すべてロシア物。
 チャイコフスキー : 歌劇「エフゲニ・オネーギン」からポロネーズ
 チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35 (ヴァイオリン : 成田達輝)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 5番ニ短調作品47

最初の「オネーギン」のポロネーズは、景気のよい短い曲だけに、序曲代わりに採り上げられることも多い。確かに、いきなり協奏曲よりも、1曲何か入った方がよい。ここでは東響の充実した音が自由に動いて、申し分のない迫力だ。コンビニおにぎりをタクシーの中で詰め込んで来たおかげで、落ち着いた気分で鑑賞できるのも嬉しい (笑)。

2曲目のコンチェルトのソロは、成田達輝 (たつき)。1992年 3月生まれなので、まだ 24歳になったばかりの、本当に若手のヴァイオリニストだ。
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経歴を見てみると、2010年にロン = ティボーコンクールで 2位、2012年にエリーザベト王妃コンクールでやはり 2位とある。音楽家にとってコンクールは登竜門であることは確実とは言え、若い頃から頭角を現している人は、そこに出るタイミングには微妙なものがある。もちろん、2位でも充分すごいが、やはり音楽家たるもの、人によっては、2位ではなかなかプライドが許すまい。出演年齢が若すぎたのか。かといって、既に演奏家として歩み出しているのに、これから例えばほかのコンクールで優勝を目指そうと思っても、今度はリスクが大きくて、気持ちの負担が大きくなってしまう (神尾真由子のように、演奏家として充分キャリアを積んでからのチャイコフスキーコンクール優勝という例外的な存在もいるものの)。ともあれ、今回の演奏を聴いていると、若手にありがちな技術でバリバリ弾くという感じよりもむしろ、沈着に自分の音楽を追い求める姿勢を感じ、好感が持てた。アンコールのバッハの無伴奏ソナタ 3番のラルゴも、そんな彼にぴったりの深みのある音で、大変よかったと思う。ただ、たまたま今日放送のテレビ番組「題名のない音楽会」で、ピアニストの (これも若手のホープ) 萩原麻未との協演で彼が弾いていたのは、米国のウィリアム・クロール (1901 - 1980) の「バンジョーとフィドル」という曲で、これはまた全然違った活気のある演奏。この多様性には期待できるように思う。

メインはショスタコーヴィチの名作、交響曲第 5番。ここでも東響の音にはずしりと実感があり、素晴らしい充実度だ。キタエンコの指揮は彼らしく奇をてらうことのない正当派ぶり。常に安心感を持って、曲の本質を考えながら聴くことができた。とはいえ、この曲ほどその「本質」が複雑な曲はあるまい。社会主義リアリズムという謳い文句があって、国の方針に合わないと最悪の場合は命まで取られてしまった時代に、このシニカルな「国民的作曲家」はいかなるメッセージを放ち続けたのか。その点について書きだすときりがないが、悲劇的で緊張感に締め付けられる第 1楽章、マーラーにも匹敵する皮肉が寒気を覚えさせるスケルツォの第 2楽章、哀惜感が白い霧のように立ち込める沈鬱な第 3楽章、そして、作られたものであるか否かは別として、比類ない高揚感に満たされた第 4楽章。キタエンコの指揮は、35年前のあの日、未だ少年であった私の前で鳴っていたオケの音を思い出させるものであった。いろいろなことが遷り変わって行く。でも一方で、変わらないものもあるのだ。特に感傷的になる必要はないだろう。なぜならキタエンコは、これからも日本で素晴らしい音楽を聴かせてくれるであろうからだ。

プログラムに、1957年 1月の東響プログラムに掲載された作曲家芥川也寸志による、モスクワでのショスタコーヴィチとの面談についての記事が採録されている。
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ここには、ショスタコーヴィチの変人ぶりを伺わせるエピソードが満載であるが、好きな外国の曲はなんですかとの芥川の質問に、レスピーギの「ローマの泉」、ミヨーのフランス組曲、ガーシュウィンの「ポギーとベス」、あるいはブリテンの作品などと答えているのが面白い。いずれも明るかったりジャズの影響プンプンだったり同性愛であったりで、当時のソ連での発言としてはなかなか大胆ではないか。上の写真でも楽しそうに見える。その一方、以下は 1942年、件のムラヴィンスキーとの写真。ムラヴィンスキーは今回演奏された交響曲第 5番をはじめとしてショスタコーヴィチの数々の作品を初演したが、バリバリの党員であり、作曲者の意図と彼の演奏の間にはギャップがあることもあっただろう。お互い神経質な感じだ (笑)。
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終演後サイン会があるというので行ってみると、指揮者キタエンコだけではなく、ソリストの成田、そして、これは大変惜しむべきことなのであるが、21年間に亘ってこのオケのコンサートマスターとして優れた実績を残してきた大谷康子が今月いっぱいで引退するというので、彼女も合わせて 3人でのサイン会という豪華版である。キタエンコのサインは、彼のプロコフィエフ全集の CD にもらった。いかにも彼らしい控えめなサイン。
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そして成田のサイン。とても若者とは思えない、繊細なものである。見えますか (笑)?
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そして最後が大谷。どんな難曲でも笑顔を絶やさずオケをリードして来た彼女らしく、大きくて分かりやすいサインではないか。
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この大谷さんは、4月からは BS ジャパンの毎週水曜日 23時30分からの番組でレギュラーとなるらしい。長らくの重責お疲れ様でした。その才能をこれからも活かし続けて下さい!!
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by yokohama7474 | 2016-03-27 22:27 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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若手指揮者、山田和樹が新境地を開きながら進めている、Bunkamura オーチャードホールを会場とした日本フィルとのマーラー・ツィクルスも、今回が 6回目となる。これが今年の 3回の演奏会の締めくくりだ。このツィクルス、毎回ほぼ満員の盛況で、オケにとっても指揮者にとっても、大変やりがいのあることだろう。ただ、演奏内容は毎回毎回試練の連続。日本を代表する作曲家である武満徹の作品を必ず 1曲演奏してから、マーラーの交響曲を演奏するわけで、簡単な内容など一度もない。今回の曲目は以下の通り。
 
 武満徹 : ノスタルジア - アンドレイ・タルコフスキーの追憶に - (ヴァイオリン : 扇谷泰朋)
 マーラー : 交響曲第 6番イ短調「悲劇的」

恒例の指揮者によるプレトークが演奏前にあったが、今回は (私の勘違いでなければ、今まではなかったような気がするのだが) 舞台裏で管楽器がマーラーの練習をしているのが聞こえる中でのトークであった。山田いわく、このシリーズでマーラーと組み合わせる武満の作品は、これまではなるべく明るめのものを選んできた。しかしながら今回は、メインが「悲劇的」ということで、自然とこの暗めの作品を選ぶこととなったと。映画マニアであった武満は、不世出の天才映画監督、ロシアのアンドレイ・タルコスフキーの死を悼み、タルコフスキー自身の作品に因んで「ノスタルジア」という作品を書いた。この作品は、ヴァイオリンのソロと小編成の弦楽合奏によって演奏され、タルコフスキーの作品のイメージである水や霧を弦楽器で表現し、ソロはオケから浮き立ったりオケに溶け込んだりする。15分ほどの短い曲で、初演の際にはなんとあのユーディ・メニューインがソロ・ヴァイオリンを弾いたとのこと。

武満のこの作品はもちろん知ってはいるものの、私にとっては、タルコフスキーに対する思い入れのために、冷静に聴くのが難しい曲でもある。以前、ボッティチェリ展についての記事の中でもこの「ノスタルジア」について少し触れたが、私がこれまでに見た映画の中で、どんな気分のときでも生涯ベスト 5には必ず入るどころか、多くの場合はベスト 1に位置するであろう奇跡の作品。
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この映画が日本で公開されたのは 1984年。劇場は、今は亡くなってしまったセゾン(西武) 系の芸術派映画の殿堂、六本木シネ・ヴィヴァンであった。上記の写真は、公開当時のプログラムの表紙である。そして、シネ・ヴィヴァンのプログラムと言えば、映画全編の採録シナリオと並んで、必ず武満徹と、当時東大の助教授でフランス文学者兼映画評論家であった蓮實重彦の対談が載っていたものだ。毎回毎回、両者の圧倒的な知識と美的感覚に驚嘆しながら読んだものである。
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せっかくなので、対話の内容を一部見て頂こう。
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あ、武満がこの作品に出ている女優について、「ボッティチェリの絵にあるような顔」と言っているではないか!! 先に私の書いたボッティチェリ展の記事では、全く同じことを、実際に私自身が長らく持っている感想として書いたのであるが、武満先生も同意見であったとは、意外な喜びだ。ちなみにその女優、こんな顔だ。
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さて、例によって快調に脱線しているが (笑)、今回の武満作品の演奏において山田は指揮台を使わず、楽員と同じ高さの地面での指揮であった。このような小編成であるがゆえの配慮であろう。なんとも繊細な音の織物を聴くことができた。

メインはマーラーの 6番「悲劇的」。山田はプレトークでこの曲についての基本的な事柄の説明を行った。作曲者の幸せな時代に書かれたにもかかわらず、その後マーラー自身を襲う悲劇 (子供の死や夫人の不倫という家庭内の悲劇、ウィーンを追われるという社会的悲劇、そして自身の死) を予知したかのような悲劇的な内容。第 2楽章と第 3楽章の順番が指揮者によって異なることとか、終楽章のハンマーストロークが 2回だろうか 3回だろうかといった事柄が話された。まあこの曲、数ある古今のシンフォニーの中でも、それはもう仮借なく激しい音の渦であり、容赦なく襲いかかるクライマックスの連続にオケの面々こそが「悲劇的」な目に遭う (?) 曲だ。私は山田の一連のマーラーを聴いていて、いつも素晴らしいとは思うのであるが、会場がオーチャードホールという、デッドではないがちょっと音が上に抜けて行くタイプのホールであることもあってか、凝縮して推進するマッシブな音の流れという点にわずかな課題を感じることがある。だが、以前の 5番の記事でも書いたが、彼の世代は既に録音・実演を通して様々な一流のマーラー演奏を体験しているはずで、そのような体験が彼の志向する音楽の根底にあることで、トータルに見た演奏水準が髙いレヴェルで保たれているように思う。つまり、聴衆が思い描くマーラー像を、あたかも木から彫像を掘り出す彫刻家のように正確に描き出していて、その説得力はさすがのものだ。クラシックの演奏にも流行はあり、別に山田が流行を追っているという気はサラサラないが、多くの人たちの共感を呼ぶマーラー像を巧まずして描けるがゆえに、毎回多くの人たちがこのシリーズに詰めかけるのであろう。今回の演奏、第 1楽章はかなりの快速テンポで始まり、移り変わる音楽的情景は非常にスマートに響く。第 2楽章はスケルツォ (私は絶対この順番を支持する) で、ここでもオケの好調は継続。腹の底にズンズン来るという感じには少し不足したが、これは上述の通りホールのアコースティックも関係していよう。第 3楽章のアンダンテは、この楽章ならではの孤独感を、過度の悲壮感なく美しく現出していたが、後半の絞り出すような盛り上がりには鬼気迫るものがあった。そして最後の第 4楽章。30分間に亘ってジェットコースターに乗っているようなドラマティックな音楽だ。昔の日本のオケだと、途中で息切れして崩壊状態になることもあったが、さすが、21世紀も 15年経過すると、もうこの曲も特別な存在ではなくなっている。熱を帯びた音の奔流が圧倒的だ。山田は基本的にいかなるときでも冷静さを失うことがない指揮者であると私は見ているが、このときばかりは音の飛沫に目を閉じながら、かなり天空高く飛んでいたように見えた。プレトークで山田が謎かけをしたハンマーストロークは、通常通り 2回であった。ご存じない方のために説明すると、この曲の終楽章では、木製のハンマーをぶっ叩く箇所があって、大変ユニークなのである (後の世代では、アルバン・ベルクがそれに倣っている)。この写真は違う演奏のものだが、イメージはお分かり頂けよう。
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マーラーはこの曲にハンマーストロークを 3回入れていたところ、3回目の打撃が決定的な死を招くのを恐れて 2回に減らしたと言われている。このくらい壮絶な曲になると、その思いも分かるような気がするなぁ。今回のハンマーは舞台中央のいちばん奥に陣取り、若い打楽器奏者がそれを思い切り振り上げてドーンと振り下ろしたのであるが、1階の私の席から見ると、この曲で大活躍の外国人ティンパニ奏者のすぐ後ろでハンマーが振り上げられ、ティンパニ奏者の脳天に落ちてくるのではないかとハラハラした (笑)。

演奏後の演奏者たちも会心の笑顔。また来年、残る 3曲のマーラー演奏に期待が膨らむが、拍手もそこそこに私は会場を後にする必要があったのだ。その理由はコンサートのハシゴ。追って記事を書くが、この演奏の終了が 17時15分頃。そして 18時から数 km 離れたサントリーホールで、ドミトリ・キタエンコ指揮東京響のコンサートが始まるのだ。実は休憩時間に年輩の男性と中年女性が、「私はこのあとサントリーでね」「えっ、私もです」という会話をしており、ああほかにもそういう人がいるのかと思っていたが、演奏終了後には慌てて席を立つ人たちが普段より多いように思われた。この東京では、クラシックコンサートのハシゴをする人がそれだけいるということか。驚きの中、私も遅れまじと、アタフタと会場を後にしたのであった。

by yokohama7474 | 2016-03-27 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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いわゆる古典的な推理小説の名作の中に、「赤毛のレドメイン家」という作品がある。私は子供の頃、古今の推理小説 (という言葉自体、今では死語になってしまったが、この場合はやはり、「ミステリー」などというよそよそしい呼び方はそぐわない) についての本をそれなりに読んでおり、その中でこの作品の名を知ったのである。特に、江戸川乱歩が激賞しているとのことで、興味を惹かれたのであった。ところが、今に至るもその「赤毛のレドメイン家」を読んだことがない。にもかかわらず、ある日書店でこの本が陳列されており、「『赤毛のレドメイン家』のフィルポッツが贈る長編推理小説」とあるのを見て、迷わず購入したのだ。帯にはデカデカと「名著復活 入手困難だった名作をお届けします」とあって、これがまた好奇心を激しく刺激。東京創元社復刊フェアに乗ってみようと思ったわけである。実は同じシリーズの復刊で、アーネスト・ブラマ作の「マックス・カラドスの事件簿」は既にこのブログでも採り上げた。さすが創元推理文庫。食指をそそる復刊だ。

イーデン・フィルポッツ (1862 - 1960、長生きだ!!) は英国人で、これは 1931年の作品。とある海岸で発見された溺死体が失踪したバンジョー弾きの格好をしていたところから物語は始まる。その謎に、警察署長のニュートン・フォーブズの友人である医師のメレディス (苗字の記載はない) が迫るというストーリー。作品はメレディスの一人称で語られる。冒頭部分については、実は上の描写は正しくなく、メレディスとその友人の刑務所長とが犯罪論をかわすシーンから始まっていて、その後物語の展開に入って行くのである。そして読者は、メレディスが正規の捜査権限を一切持たないままに、事件の謎に迫って行く過程を辿ることになる。真相は最後の 30ページ以降で明らかになるが、まあそれなりになるほどという感じではあるものの、うーん、驚いてひっくり返るというほどのものでもない。その一方、冒頭に出てきた犯罪論の続きが物語の合間合間に何度も延々と出てきて、正直なところ、ストーリーの流れをその度に分断し、鬱陶しいことこの上ない。当時の英国では、このようなペースで時間が流れていたのであろうか。約 300ページの本で、それほど分厚いわけではないものの、そのストーリー展開の遅さに、現代人である私は終始イライラし、時には 1ページを読む間に、残りの何百ページのことを考えて憂鬱になったこともある。そんなわけで、読み始めてから読む終わるまで、結局数ヶ月を要してしまった。通勤のカバンの中には大概入っていたし、出張にも携えて行ったが、実際に手に取って読む気になかなかなれず、なんとも遅々たる歩みであったわけだ。

そんなわけで、残念ながら推薦に値する作品とは思えず、読み終えたときの解放感のみがせめてもの救い (?) となってしまった。この本の解説によると、フィルポッツの名前は、上記の「赤毛のレドメイン家」によって日本では知られているものの、米国や、あるいは本国英国でも、現在ではほとんどその名を見ることはないという。だが、彼は十代の頃のアガサ・クリスティの隣に住んでいて、彼女の書いた小説について適切に助言を行ったらしい。なので、きっと頭のよい人で、小説のプロット作りにはそれなりのものがあったのだろうが、いかなる理由でか、余分な要素を沢山小説に盛り込んで、その小説自体を台無しにしてしまった・・・??? 残念なことだ。かくなる上は、名作と評判高い「赤毛のレドメイン家」を読んで、その真価に迫ることにしたい。尚、この作品を絶賛した江戸川乱歩は、その翻案を書いたという。その作品は「緑衣の鬼」だ。おー、子供の頃全巻読んだポプラ社の少年探偵団シリーズにも入っていた、あれだ。
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ただ、便利な時代になったもので、このシリーズでもこのあたり (第 34巻) になると、乱歩のオリジナルではなく、別の作家が子供用に書き直したものであったことが分かる。もちろん私は、大人用の版でもこの作品を読んでいるが、内容はよく覚えていない。「赤毛のレドメイン家」と併せて、このブログでまた感想を書ける日がくるかもしれない。

by yokohama7474 | 2016-03-26 00:53 | 書物 | Comments(0)

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この演奏会、上のポスターで見る通り、コーロ・ヌオーヴォという合唱団の演奏会である。団体名は「新しい合唱団」とでもいう意味だろうか。1974年に設立されたアマチュア合唱団だ。恥ずかしながら、これまでこの団体を聴いたことがない。だが、チラシを見て私の目がキラリ。それはもちろん、あの若手のホープ、山田和樹が指揮をするからだ。気を付けていないと見過ごしてしまうような地味なチラシ。本拠をベルリンに置き、内外の大オケを振る多忙な毎日を送っている彼が、日本でアマチュア合唱団と共演するとは、なんとも素晴らしいことではないか。これは聴きに行かねば。
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まず、今回の会場だが、東京藝術大学奏楽堂とある。わざわざ「大学構内」と注記されているのには理由があって、上野にある奏楽堂と言えば、この日本最古のホールとして重要文化財に指定されているあの建物を思い出すからだ。だがその奏楽堂は、現在補修工事で閉鎖中。
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写真を撮っていると、初老のご婦人が寄ってきて、「あのぅ、奏楽堂はどこですかね」と訊いてこられる。実は私はまだ、芸大の構内にあるという奏楽堂には行ったことがないのだ。だが、知ったかぶりをして、「あ、大学構内なので、この先を右ですよ」などとお教えし、自分もいそいそとそちらに急ぐ (追い抜かないように苦労しました 笑)。すると、見えてきました。今の奏楽堂が。大きな木の向うに見える、大変立派な建物である。未だ開場時刻前だというのに、数百人の列ができているではないか!! 今回の演奏会は全席自由席なので、少しでも早く乗り込んでよい席をゲットしようという人々の列であろうか。
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中に入ってみると、何やらヨーロッパの教会のような石と木の匂い。掲げられている表示によると、1998年竣工、収容人員 1,100名とある。大変落ち着いた雰囲気であり、ステージ奥に据え付けられたパイプオルガンの巨大さにびっくり!! ステージも広く、なかなか素晴らしいホールである。
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さて、今回のプログラム冊子には、この合唱団コーロ・ヌオーヴォの、今回を含めて 57回の全演奏会の曲目、指揮者、会場が記載されている。創設時から常任指揮者であった佐藤功太郎 (2006年に死去) が大半を指揮しており、会場は石橋メモリアルホールが多い。山田和樹は今回初の登場となるが、面白いのは今回のオケである。横浜シンフォニエッタ。山田が芸大在学中の 1998年、学内で結成した TOMATO フィルハーモニー (うーむ、どういういわれなのだろう。テニスサークルまがいの名前だ) が改称したもので、現在では横浜に本拠地を置くプロのオーケストラである。山田にとっては、気心の知れた仲間ということになろうか。世界で活躍するようになっても、昔の仲間との演奏を忘れないあたりが、妙な背伸びのない彼らしくて、好感が持てるではないか。そして今回の曲目はこれだ。

 メンデルスゾーン : オラトリオ「聖パウロ」

メンデスルゾーンは 2曲の大曲オラトリオを書いていて、ひとつはこの「聖パウロ」、もうひとつは「エリア」である。後者の方が有名で、日本ではサヴァリッシュが N 響で、記憶にある限りでは 2度特別な機会に演奏し、録音もなされたので、少しは知られているであろう。一方の前者は、2時間 15分を要する全曲が演奏されることはかなり少なく、私も随分以前に、秋山和慶指揮の 1回だけしか生で聴いた記憶がない。だがこれはメンデルスゾーンらしい、本当に素晴らしい曲なのだ。以前は輸入盤を聴いて予習をしたものだが、幸い今では対訳付の国内盤 CD も、クルト・マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管のものが再発されていて、今回はその CD で改めて曲の予習をして行った。キリストの生涯を辿る受難曲よりも若干話は分かりにくいものの、音楽の平明さには、本当に心が洗われる思いがする。昨日書いた、大田区にある蓮花寺に関する記事に、実は「予告」(?) としてパウロの話を潜ませておいたが、彼はキリスト教初期の聖人。但し、ユダヤ人で、もともとキリスト教を攻撃する立場にいたところ、ある日キリストの声を聞いて、馬から落ちて落馬して (あ、同じでした 笑)、改心して敬虔なキリスト者となり、最後は殉教するという激動の生涯を送った人。有名なカラヴァッジョの「パウロの改心」で、イメージを持って頂こう。私はこの絵を見にローマの教会を訪れたが、昼休みで扉が閉まっていて、イライラしながら午後に教会に戻り、入ったら暗くてさらにイライラし、そして小銭を機械に入れて照明が灯り、この絵が浮き上がったときの衝撃は、一生忘れないだろう。パウロさながら、閃光に目がくらんだような気がしたものだ。尚、これは祭壇画なので、修復等の特別な理由がない限り、実物を見るには現地に赴くしかない。国立西洋美術館のカラヴァッジョ展に行っても、残念ながらこれを見ることはかないません。
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繰り返しになるが、このメンデルスゾーンの「聖パウロ」は、音楽の流れは非常に平明で、本当に美しい。でも、その美しい曲を美しく演奏することは、並大抵のことではないだろう。今回の演奏では、ホールの響きも大変に美しく、オケが合唱の歌う音楽にぴったりと寄り添って、最初から最後まで、実にスムーズかつ、繰り返しで恐縮ながら、本当に美しかった!! パウロがキリストの声を聞く場面では、多少おどろおどろしい音響にはなるものの、その底には何やら一貫した神々しさがある。実際、山田が指揮棒をビリビリ震わせると、弦が敏感に反応して、多少キッチュな雰囲気を出したかと思うと、その後の合唱の広がりには、いかな聖者であっても人間であることを思わせる鷹揚さがあったのだ。人間の視点と神の視点が無理なく入れ替わるさまに、大変高度な音楽性を感じることができた。メンデスルゾーンの葬式でも歌われたという第 16曲コラール「目覚めよと我らに呼ばわる物見らの声」。メンデスルゾーンがロンドンを訪問した際、当時 23歳の新郎新婦であったヴィクトリア女王とアルバート公が、作曲者自身のオルガン伴奏で歌ったという第 40曲「死に至るまで忠実であれ」。素晴らしい曲ではないか。

そもそも音楽を聴いて、「ああ素晴らしい曲だ」と聴衆が思うなら、その演奏は成功しているということだと思う。山田は、合唱団の人が持っているような分厚くて青い色のスコアを抱えて舞台に登場。それをめくりながらの指揮ではあったものの、ほとんど見ている気配はなく、完全に曲の細部まで自家薬籠中のものにしているように思われた。圧巻の指揮力であったと言ってよいだろう。よく考えてみると、彼が日本で持つ数々のタイトルのうちのひとつは、東京混声合唱団の音楽監督であって、合唱指揮には既に充分な経験があるのである。そして、今回初めて知ったことには、この横浜シンフォニエッタのコンサートマスターが、実はこのコーロ・ヌオーヴォの合唱指揮者を兼ねているのだ。長岡 聡季 (さとき)。
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山田の指揮に加え、今回の彼の貢献は絶大であった。合唱団の歌にオケがぴったり寄り添って行くのも道理である。合唱指揮者がコンマス、つまりオケのリーダーなのであるから!! 横浜シンフォニエッタ以外にも、神奈川フィルや群馬交響楽団 (ともにこのブログでも採り上げた団体だ) で客演コンサートマスターを務めることもある一方、いわゆる古楽のオケ、バッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラクラシカなどでも演奏歴があるという。これから注目することとしよう。

独唱陣も、パウロを演じた日本を代表するバス小森輝彦や、テノールの松原友、アルトの志村美土里、そしてソプラノの山田英津子はいずれも素晴らしかった。特に山田さんは、このような方。
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そもそもキリスト教のオラトリオを聴くのに、容姿がどうのという下世話なことは言ってはなりませぬ。と思いながらも、神に許しを乞いながら (?)、帰宅してからどのような人か調べてみると、なんとなんと、あの往年の大指揮者、山田一雄の長女だそうだ!! 日本の洋楽の黎明期から意欲的な演奏活動を繰り広げ、今でも絶大な人気を持つ情熱型の指揮者で、私も大ファンである。そう、20世紀において「ヤマカズ」と呼ばれたのは彼であった。21世紀の今、同じあだ名は山田和樹に受け継がれている。ここでも、日本における洋楽演奏の歴史が確実に流れているのである。
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そんなわけで、様々な発見に満ちた充実の演奏会を満喫した。私は思うのであるが、ライプツィヒであれどこであれ、ドイツの人たちにこの演奏を聴いてもらいたい。きっと驚愕するのではないか。オケも合唱も指揮者も全員、ヨーロッパから遠く離れた日本の音楽家たちであり、聴衆も恐らくほぼ全員日本人。そこで鳴っているドイツの音楽が、どれだけ真実に満ちているか。このような演奏は、普遍性を持つ音楽の力がいかなるものであるかを、改めて私たちに教えてくれるのである。

by yokohama7474 | 2016-03-21 23:35 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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別項のコンサートや展覧会と並んで、これも日伊国交樹立 150年を祝う行事の一環として開かれている展覧会だ。誰もが知るレオナルド・ダ・ヴィンチの数少ないオリジナル絵画作品を日本にいながらにして見ることは、もちろんそうそうあるものではないゆえ、貴重な機会と言うことはできる。だが、行く前からなんとなくそんな予感はしていたのだが、この展覧会は一点豪華主義で、ポスターになっている、スコットランドのエディンバラにある Scotish National Gallarey に委託されている「糸巻きの聖母」だけが目玉作品で、ほかにはダ・ヴィンチのデッサンの断片や手稿、後世の画家の模写などなどが並んでいるのみだ。その意味で、同じ日伊国交樹立150年を記念して東京都美術館で開かれているボッティチェリ展の圧倒的な厚みとは、残念ながらかなり異なる内容になってしまっている。

午後の早い時刻に会場の江戸東京博物館に到着すると、入場券の購入に 20分待ち。さらには、この「糸巻きの聖母」を間近に見るためには、会場内で 1時間ほど並ぶ必要があるという。これは小さい作品なので、確かに間近でつぶさに眺めることができればそれに越したことはないが、数m の距離でよければ、列の横から見ることができるので、それをもってよしとした。実際、その距離を隔てて見ても、周りに展示されている後世の画家によるダ・ヴィンチの模写とは、もうまるでモノが違うことは一目瞭然。その神韻縹渺たる作品のオーラを感じられれば、それだけで会場に足を運んだ甲斐があるというものだ。

ダ・ヴィンチが生涯何を求めてどのような行動を取ったかについては、大変な量の書物を日本語で読むことができ、解剖図や機械の設計図、また、謎めいた鏡文字などについても、その気になれば様々な解説を目にすることができる。なので、それはそれとして、別途勉強の機会を見つけようではないか。

by yokohama7474 | 2016-03-21 11:09 | 美術・旅行 | Comments(2)

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もう随分以前のことになる。バブルの頃だったかと思う。ある画商が、これから人気が出て値段の上がる画家として、ジョルジョ・モランディ (1890 - 1964) を挙げていた。私がこの画家を知ったのはその発言によってであった。一言で要約すれば、二度の世界大戦を経験した激動の時代に生きていながら、ひたすら瓶や容器などの物言わぬ静物を描き続けた人。その執拗な繰り返しに、何やらただならぬ雰囲気がある。
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彼はイタリア人。ボローニャを故郷とし、その 74年の生涯で故郷を離れたことがなかったという。普通画家なら、せめてイタリア国内のあれこれの美術を研究し、研鑽を積むものではないか。いやもちろんモランディとても、過去の巨匠を研究するため、ローマやヴェネツィアやフィレンツェやミラノを訪れてはいる。だが、彼はそれらの土地に居を構えたことはないし、時代の潮流には徹頭徹尾無関心で、自分のスタイルを異常なまでに貫いたのであった。ただセザンヌのことは大変尊敬していたらしい。そうだ。私はセザンヌを近代絵画の神と崇める人間であり、このモランディには並々ならぬ興味を抱いてきた一因はそこにある。なので、この展覧会は大変楽しみであった。今年は日伊国交樹立 150年だが、このモランディ展はそれとは関係ない模様。うーん、ここでも国と国の関係などという些事 (?) に興味のないモランディらしい取扱いだ (笑)。

この展覧会で最も早い時期の作品は、1919年。モランディ 29歳だ。この年号を見て思うのは、第一次大戦終了直後ということ。人類が経験した前代未聞の大惨事。さぞや若い画家の魂に深い傷跡を残したことであろう。
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えっ、これ? なんともきっちりした静物画で、世界の悲劇とここまで無縁でよいのだろうか (笑)。これは、確かにセザンヌの影響が見て取れるが、もう少し線がきっちりとしており、対象物とのある種の距離において、既にモランディの個性の刻印がはっきり捺されている。結局初期の頃から、彼の静物画探索は始まっていたのである。だが面白いのは真ん中にあるガラスの瓶だ。この後モランティが試行錯誤を続けて行くうちに、このような瓶そのものの色は失われて行き、白なら白に塗りつぶされることになるのだ。
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1930年代から 1950年代にかけて、同じような構図の作品をいくつも描いているが、この長い首の白い瓶は、もともと透明なガラスの瓶であるが、画家が乳白色の顔料を満たして色をつけたらしい。透明を避け、ただモノとモノの関係性にのみ心を砕いて、彼の静物画制作は続いて行った。それにしてもこの静謐さはどうだろう。何の変哲もないものであるが、でもそこには何かがあるのを感じる。いわば、神が宿ると言ってもよい作品群であろうと思う。描く対象の配列は異なれど、必ず影は左から右に向かって描かれているのも、何やら不思議な不変の節理を思わせる。
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もう少し複雑な構図 (?) のものもある。やはりここでも、モノがそこにある実在感とでもいうものが漂っている。ここには何らの人間的な要素や比喩の入り込む隙もない。明らかにセザンヌの静物画とは異なる領域である。セザンヌの場合、世界を再構築するような達観した視線があるが、モランディの場合は、ただ忍耐強く、瓶や容器の並び方から日常とは違う世界を見ているように思われる。
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彼は、かたちの面白さを追求していたのであろうか。このようなデッサンを見ると、隙間なく接した容器たちが、ひとつの塊のように思われる。ということは、上で見た静物画とは、少し趣を異にしていると言えるであろう。まぁ、多様性があるとまでは言えないが (笑)。
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それから面白かったのは、このような、隙間を遊びの要素としてしまう試みだ。ふと気づくと、制作年は 1950年代から 60年代。おっと、知らない間に第二次世界大戦も終わってしまっているではないか。
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このような長い瓶を描いた作品もある。瓶にこだわった映画監督には小津安二郎がいるが、彼の芸術はモランディの美学に通じるところがあるように思う。もちろん、小津がモランディを知っていたとはとても思えず、共通するメンタリティの芸術家であるというだけなのであるが。
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さて、今回の展覧会で興味深かったのは、モランディの手になる風景画である。1920年代から 60年代までに亘る期間の作品がいくつか展示されている。なるほどここでも、「世界は円錐、円筒、球に還元される」と唱えたセザンヌの影響があるように思われる。だが、静物画と同様、あたかも自らが神であるがごとく世界を再構築したセザンヌとは異なり、モランディの場合は、じっと飽くことなく世界を見て、そのありように思いを馳せているようだ。換言すれば、彼の風景画は、大きな静物画と呼んでもよいのではないだろうか。うーんでも、やっぱり素晴らしいなぁ。できるものなら一点くらい自分の手元に置いて、飽かず眺めていたい。
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もうひとつ特殊分野がある。花の絵である。これらはモランディが知人に贈ることを目的として描いたものであるらしく、禁欲的に静物画を描き続けた画家の、意外な一面を見せてくれる。心なしか、静物画を描くときよりは少しリラックスしたようにも見えるが、いかがであろうか。それにしても、こんな絵をもらった人は嬉しかっただろうなぁ。
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情報に溢れ、知らないところでストレスを溜めてしまいがちな現代の我々には、時にはモランディの作品のように上質な静謐さに触れることが必要なのだと思う。実は冒頭に掲げたポスターに使われている作品は 1955年作の静物画であるが、これはあの故ルチアーノ・パヴァロッティのコレクションであるそうだ。現在ではボローニャのモランディ美術館に寄託されているらしい。あの黄金の声の持ち主が、この絵を見て心の平安を感じたと想像してみるのも楽しいことだ。まさか、画商の推薦で、投機目的で購入したわけではない、と信じたい(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-03-21 10:41 | 美術・旅行 | Comments(2)