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このブログでも何度かその素晴らしい才能を称えてきたヴァイオリニスト、庄司紗矢香は、世界各地での活動に加えて日本でも、これまで数々の名指揮者、名門オーケストラとの協奏曲演奏をはじめとして、イタリアの俊英ピアニスト、ジャン・ルカ・カシオリとのベートーヴェンを中心とした 3度のデュオ・ツアー、90歳を越えてピュアな音楽を奏で続ける奇跡のピアニスト、メナヘム・プレスラーとの共演、また音楽祭ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンへの頻繁な登場、加えて水戸を拠点に室内楽を行う新ダヴィッド同盟の結成等々、実に多彩な活躍ぶりを見せてきた。が、今回は一味違う。恐らくは彼女にとって初めてであると思うが、無伴奏 (つまり、通常ヴァイオリンにはピアノの伴奏がつくのにそれがなく、全くのひとりで弾くということ) でのリサイタルである。スケジュールを調べると、5月26日 (木) の北海道 美深 (びふか) に始まり、川口、横浜、名古屋、広島、松江、そして 6月 7日 (火) の東京 (紀尾井ホール) まで全国 7ヶ所でのツアーで、今回はその 3回目、横浜の神奈川県立音楽堂での演奏である。

この神奈川県立音楽堂は、「木のホール」としても知られる中型ホール (収容人数 1,106名)。1954年に建てられた古いホールであるが、数々の名演奏家がその舞台に立っていて、ステージも客席も壁はすべて木でできているので、なんとも落ち着いた気分で鑑賞できる。今調べて知ったのだが、設計は、コルビジェの弟子で、東京文化会館を設計した前川國男だ。ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールを参考にしたらしい。うーん、正直私はこの県立音楽堂、雰囲気の割に実際の音響は今イチだと思ってきたが、よりにもよって英国のパサパサのパンのような、あのデッドな響きのホールを参考にしていたとは・・・(笑)。ともあれ、無伴奏ヴァイオリンを聴くには最適の空間ではあると思うので、今回の演奏が楽しみであった。
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その無伴奏リサイタルで庄司が選んだ曲目は、以下のようなもの。
 バッハ : 前奏曲とフーガ ト短調BWV.542 (ジャン = フレデリック・ヌーブルジェ編曲)
 バルトーク : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117
 細川俊夫 : ヴァイオリン独奏のための「エクスタシス」(脱自)
 バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第 2番 ニ短調BWV.1004

振り返って考えると、これはまさに驚異的な集中力とスタミナを要する曲目であり、弾き通すだけでも並みのヴァイオリニストではつとまるまい。加えて、ここには庄司ならではの強烈な個性がはっきりと表れていて、音楽をするということ、さらには生きるということのひとつのかたちを、彼女の持つ技能と感情を最大限に駆使して聴衆の前に示して見せたと思う。誠に恐るべきヴァイオリニストであると再認識するとともに、今後の彼女の活動においても大きなステップとなるのではないだろうか。あらそうかしら、と言わんばかりにも見えますが (笑)。
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最初のバッハの前奏曲とフーガでは、若干気合が入り過ぎという感じがしないでもなかったが、いつもながらに小柄なからだから発される大きな音に、早速圧倒されることとなった。昨日ムローヴァのクールなバッハの断片を聴いたわけだが、庄司のバッハはそれとは異なる、もっと温かみのある人間的かつ、あえて言えば大らかなもの。もちろん、それは生ぬるいという意味では全くなく、バッハらしい峻厳さは随所に聴くことができた。

2曲目のバルトークは、私も初演者であるメニューインの録音をはじめ、いくつかの演奏を聴いてきているが、実に恐ろしい曲である。第二次世界大戦中、母国ハンガリーを離れて米国に移住して困窮していた作曲者が晩年に (同僚音楽家の気遣いによる) 委嘱を受けて書いた作品のひとつ。民族性を感じさせる部分もあれば、夜の闇の恐ろしさを思わせる部分もあり、よく分からない狂乱もある。彼の弦楽四重奏曲もなかなかの難物だが、この曲はひとりで弾くだけに一層ハードル高く、めくるめく動きを表現するだけでも至難の業だろう。
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庄司の感性からすると恐らく、バルトークは好きな作曲家なのであろうと推測する。ひとつの例として、2013年にインバル指揮の東京都交響楽団でバルトークの 2番のコンチェルトを弾いたとき、後半の曲目、歌劇「青ひげ公の城」を聴きに客席に入ってきて、終演後は盛んに拍手しているのを見たことがある。バルトークの音楽の強い表現力が、庄司の情念と響き合う面があるのではないだろうか。今日の演奏では、まさに最初から最後まで強い集中力で完璧な音の乱舞が聴かれたが、第 2楽章では休符の部分で静止することなく、無音部分のリズムを全身で刻み、ほとんど足音が響き渡りそうなくらいであった。唖然とするテクニックはもちろんのこと、それを超える表現力に圧倒される 25分であった。

さて、休憩後に演奏されたのは、現存日本作曲家として最も高い国際的名声を持つ細川俊夫が、今回のツアーで世界初演されるべく、庄司のために書いた曲である。Extasis という題名は「脱自」と訳され、プログラムに記載された作曲者の言によると、自分の枠を超越すること、日常的存在そのものの枠を超出しようという欲求であるとのこと。細川は音楽の初源的な姿はシャーマニズムにあると考え、庄司の演奏に巫女の姿を見る。そしてこの曲において、「ヴァイオリンの音は、奏者 (巫女) によって空間へ、虚空へ向かって描かれ投げかけられる東洋のカリグラフィー (書) の線のような形態を持つ」。いわゆる現代音楽に縁のない方にとってはチンプンカンプンかもしれないが (笑)、大体昨今の芸術音楽の作曲者自身による解説には、このような題目が含まれている。だが、ここでの細川の説明はまだ分かりやすい方だ。この解説を読んでこの曲 (20分弱だったか?) を聴いた人は、なるほどと納得したことだろう。これは当日のリハーサルから。今回の演奏で細川は、聴衆の中で演奏を見守り、演奏後には舞台に上って挨拶していた。
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この曲にはヴァイオリンが朗々と歌う部分はほとんどない。演奏開始前、しばし精神集中を行った後に庄司が放ったのは、そっと入ってから急激に切り込むような鋭い音型。そして静止。まるで尺八のような、厳しくささくれだった音が続く。それから、ハチが飛ぶように無窮動風に動いたり、左手のピチカートだけで緊張感を持続したりして、まさにシャーマニズムを思わせる音楽が流れて行った。私は細川の音楽を、確か最初の作品集 CD であった「うつろひ」からあれこれ聴いてきたが、修業の地であるドイツ仕込みの重厚さを、柔軟な感性でうまく中和させて、漂うような作品を書いている彼には、武満徹とは異なる日本の新たな芸術音楽を創り出してほしいと思っている。今回のように、一流の演奏者からインスピレーションを受けて作曲することは、作曲家自身の引き出しを増やすことにもなろう。

そして最後に演奏されたのは、バッハのパルティータ第 2番。言わずとしれた、終曲があの有名なシャコンヌである、あの曲だ。ここで庄司は、それまで使用していた譜面台を脇にどけ、暗譜で堂々たる演奏を始めた。テンポは速めだが音量は大きく、常に深い呼吸を伴っている。やはりこれは人間的な血の通ったバッハである。楽章間の休みももどかしい様子で聴き手をグイグイと引っ張って行く演奏を聴いているうちに、胸が熱くなってきた。神に捧げる音楽ということではなく、あくまで人間の生きる力を表す音楽が、私を感動させたものと思う。また、これまでの曲目があった後でのクライマックスとしてのシャコンヌ演奏であったがゆえに、一層その思いが強かったのだろう。音楽のシャーマニズムには教義も作法もない。ただ、そこにいる人々に対して、音楽の力を伝えるだけだ。通常のピアノ伴奏つきリサイタルや協奏曲の演奏では、ソリストの息づかいが聞こえることはほとんどないが、小規模な会場での無伴奏リサイタルとあって、ここでは庄司の音楽への没入を示す強い呼吸音を何度か耳にすることができ、鳥肌立つ思いであった。

すべてを弾き終えた後の彼女の表情は、ちょっとこれまで見たことのないようなもの。いつものにこやかな笑いを浮かべてはいるものの、怒っているような、ほっとしたような、様々な表情が短い時間に彼女の顔を通り過ぎて行き、また、涙を流しているようにも見える瞬間もあった。そして、全身全霊での演奏に、さすがに今回はアンコールの演奏はないだろうと思ったら、やはりそうであった。終演後にはサイン会があったが、何やらそんなのんきな会に出るのが申し訳なく、私は足早に会場を後にしたのである。

実はこの日、この会場からほんの数 km しか離れていない横浜みなとみらいホールでは、この公演に 1時間先立つ 14時から、庄司の盟友であるピアノの小菅優と、また、同門であるヴァイオリンの樫本大進が、チェリストのクライディオ・ボルケスとのトリオでベートーヴェンのピアノ三重奏曲の演奏していた。これら若き俊英たちが、終演後、横浜で合流して互いの労をねぎらい合ってくつろぐ、などということもあってもよいだろう (それとも、スケジュール多忙で、すぐに移動なのだろうか?)。巫女の憑依現象から日常に戻るには、このような風景が必要であろう。お疲れ様です!!
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by yokohama7474 | 2016-05-30 00:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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これは、別項で採り上げたカラビッツ指揮 読響の演奏会を聴きに池袋の東京芸術劇場に出向いた際に、ホール横のギャラリースペースで開催されていた展覧会が目に留まったもの。私の場合、街を歩くときには常に面白いものはないかどうかジロジロ見ることにしていて、その習慣のおかげでいろいろ拾い物をして来たと思っている (あ、決して地面に落ちている金を拾って歩いているわけではありませんよ 笑)。骨董の世界では、このように屋外で常に探求心を持って価値あるものを探すことを、「捨て目を利かせる」というらしい。うーん、いい言葉である。この展覧会は、捨て目が利いて、遠くから様子を覗いた時点で、これは見る価値があるだろうとピンと来たというわけだ。実際、たった 5日間だけしか公開されない素晴らしい仏画の数々を無料で見ることのできた充実感は、この上ない (あ、決してタダだからよかったと言っているわけではありませんよ 笑)。

田中墨外 (ぼくがい 1877 - 1957) は、明治日本画の巨星、橋本雅邦の弟子で、日本古来の装飾方法である截金 (きりかね) を復活させて終生仏画の制作に取り組んだ画家である。彼の名前は、私もこれまで全く聞いたことがなかったし、ネット検索してもほとんど情報がない。このような容貌であったらしい。昔の芸術家らしい一徹さを伺わせる表情ではないか。そして展覧会の趣旨も、何か襟を正したくなるようなものだ。
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展示されている作品群は 30点ほどであろうか、ライティングの効果もあって、その神韻縹緲たる出来栄えにまさに立ちすくむ思いを抱かせる。そもそも日本古来の仏画の繊細さ、優美さ、ある場合には力強さには、仰天するしかないのであって、古くは奈良時代、平安時代から鎌倉・室町に至るまで、海外に流出したものを含めて仏画の逸品は数多い。だが、江戸時代に至っては仏教美術自体が彫刻も絵画も需要が減ってしまい、水準が下がって行ってしまったのである。従い、墨外が活躍を始めた明治時代には、截金という技法自体がほぼ廃れてしまっていたのではないか。截金とは、金や銀やプラチナの薄い箔を細かく切り、それを貼って文様を表す技術。たとえば仏像に施されるこのような装飾だ。
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この技法によって、ほとけの荘厳さが増すことは間違いなく、今でも古い仏像の一部に截金が残っているのを見ると、それだけで感動してしまう。墨外の作品では、あたかも中世の仏教絵画が明治・大正・昭和の時代に蘇生したかのような印象を覚える。以下、それぞれの制作年は定かではないが (昭和?)、私が感動した作品をいくつかご紹介する。

これは十三仏画。十三仏とは、江戸時代になってから成立した仏の組み合わせで、もともとは死後の過程をつかさどる十王に対する本地仏ということらしい。肌色で目立っているのはいずれも如来で 5体。地味な 7体は菩薩で、唯一明王としてノミネート (?) されている不動明王は緑色だ。
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これは阿弥陀如来。全身截金。繊細かつ美麗である。
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虚空蔵菩薩。もし平安時代の仏画を制作された直後に見れば、こんな感じだったのではないか。
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十一面観音。水瓶から花がすっと空中に伸びているのが独特だ。
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不動明王。これは有名な青不動 (京都・青蓮院蔵の国宝) からヒントを得たものであろう。
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孔雀明王。高野山にある快慶作の彫刻が有名だ。
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この展覧会では、截金を使用した仏画だけではなく、水墨画でほとけを描いたもの、風景を描いたもの等も展示されている。それらはさすがに第一級の日本画に比べれば若干見劣りするところがあるかもしれない。だが、截金作品で切り詰めた墨外の神経を和らげるような効果があったのではないかと、勝手に想像したくなる。例としてひとつ、太陽の赤などに少しだけ色彩を使用した蓬莱山図の写真を掲載しておこう。
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この墨外、作品が絵画の本質を失うのを恐れて、「絵を売らない」という信条に徹した人らしい (あ、それゆえに今回の展覧会も入場無料なのであろうか)。生計はどのように立てていたのかといった下世話なことはこの際気にせず (?)、彼の作品の世界に浸ることは実に幸せな経験だ。会場に説明が貼ってあり、また私が購入した小冊子 (絵葉書16枚付きで 1,000円とリーズナブル) にも記載されていることには、昭和 12年には護国寺月光殿や日本橋三越本店で墨外の仏画作品が展示されたとのことで、その時に専門家から高い評価を得ている。中には、私が若冲展の記事でその名前を引用した美術史家、野間清六 (当時東京帝室博物館 美術課長) の言葉もあり、興味深い。

これらの墨外の作品群は初公開とあるが、どこが所蔵しているのであろうか。これだけのものであれば、どこかの美術館で一括保存・公開してもらえれば、宣伝次第で集客は可能であると思う。それにしても、鑑賞者側も、捨て目を利かせることでいろいろな巡り合わせの機会があるもの。今後も捨て目を利かせ続けたい。そのためには、どんなに日常生活が忙しくとも、それだけの気持ちの余裕を持たないといけないという自分への戒めでもある。あ、もちろん、入場有料の場合は代金をお支払いします!!

by yokohama7474 | 2016-05-29 10:51 | 美術・旅行 | Comments(0)

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2週間ほど前にベルリン・フィルという極上のオケを楽しみ、またその極上レヴェルならではの悩みにも思いを馳せたのち、日常のコンサートライフが帰ってきた。週末の午後、池袋の東京芸術劇場で聴く読売日本交響楽団 (通称「読響」)。上のポスターで見る通り、同じ曲目での 3回の演奏会の 1回目であるが、指揮者よりもヴァイオリニストの方が大きく扱われていて、しかもヴァイオリンの女王云々とある。なので、今回のソリストからご紹介しよう。あえてここでは、若い頃の録音のジャケットを使ってみる。
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1959年ロシア生まれのムローヴァは今年 57歳。若い頃から知っていると愕然とする年とも言えようが、音楽家としてはこれからいよいよ油が乗ってくる年代とも言えるだろう。ロシアの巨匠レオニード・コーガンに学び、1980年にシベリウスコンクールで優勝、1982年にはチャイコフスキーコンクールでも優勝。そして 1983年、電撃的に米国に亡命した。若い頃は本当に清楚なお嬢さん風であったが、その大人しそうなお嬢さんが亡命という冒険的手段に出て西側に移ってきたことも、マスコミの興味を惹いたものだ。そしてある時期からは、都会的なスタイルを追求してきていると言えるだろう。もちろん未だに世界第一級のヴァイオリン奏者だが、「ヴァイオリンの女王」とのコピーには少し違和感がある。その称号は、音の分厚さや堂々たる佇まいによって、アンネ・ゾフィー・ムターに捧げるのがふさわしかろう。私が前回ムローヴァの演奏を聴いたのは 2008年ロンドンにて。バックは確かダニエル・ハーディング指揮ロンドン交響楽団だったと思うが、曲はプロコフィエフの 2番のコンチェルトであった。彼女の生まれ故郷の作曲家の作品なのに、舞台上で譜面を見ながらの演奏であったのに少々がっかりしたものの、演奏は大変に緊張感のある素晴らしいものであった。それ以来随分時間が空いてしまったが、今回はリサイタルはないようで、この読響との協演のために来日した模様。

曲目は以下の通り。
 ベルリオーズ : 序曲「ローマの謝肉祭」作品9
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲二短調作品47
 プロコフィエフ : バレエ音楽「ロメオとジュリエット」から 7曲
   モンタギュー家とキャピュレット家、少女ジュリエット、
   ロメオとジュリエット、タイボルトの死、
   僧ローレンス、踊り、ジュリエットの墓の前のロメオ

指揮を務めるのは、1976年生まれのウクライナ人、キリル・カラビッツ。
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現在はボーンマス交響楽団の首席指揮者であり、今年の秋からはワイマール国民歌劇場の音楽監督に就任するとのこと。ボーンマス交響楽団と言えば英国の名門で、かつてサー・チャールズ・グローブスや、コンスタンティン・シルヴェストリ、フィンランドの名匠パーヴォ・ベルグルンドらがそのシェフのポストにあった。あのサイモン・ラトルもキャリアの初期にこのオケとマーラー 10番のクック全曲盤を録音している。
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そのような活躍の場を得ているこのカラビッツ、現在ヨーロッパで期待の指揮者のひとりとのこと。それを納得することには、コンサートの冒頭、「ローマの謝肉祭」序曲から、指揮者のイキのよさが炸裂だ。ヴァイオリンの左右対抗配置は取らず、ちゃんと指揮棒を持って譜面を見ながら演奏する。その指揮ぶりはかなり細かいが、ある場面では中声部のヴィオラに強い表現を求め、オケの多重的な音を巧みに引き出していた。なるほどこれなら活躍の場を広げて行くはずだ。読響も大変によく鳴っている。

そしてムローヴァが登場し、シベリウスのコンチェルトを弾いた。ここでもカラビッツは細心の注意を払って冒頭のデリケートな弦の音を紡ぎだす。ソロが入る場面にはどの演奏でも緊張感が漲るものだが、ムローヴァのヴァイオリンには情緒的な雰囲気は皆無。ただまっすぐに北欧の寒気を感じさせるような音を伸ばして行く。あ、そうだ。これがムローヴァの音。多くのヴァイオリニストが苛烈な情熱を込めて弾くフレーズを、むしろ淡々とこなして行くのだが、そのクールさの裏に揺るぎない確信と真実の情熱を感じる。繰り返しだが、「女王」という称号は似つかわしくない。彼女はどこにも君臨していない。ただ自分の内なる情熱に正直なだけである。そしてアンコールで演奏されたバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第 1番の第 1楽章。そこには孤高の音楽があった。私の個人的な思い出は、1994年に、今はもう閉鎖されてしまった御茶ノ水のカザルス・ホールで彼女がバッハの無伴奏のうち 2曲を弾いたこと。その日は雪が降っていて、聴衆は皆大変な思いをして会場に集ったわけであり、そこで聴くムローヴァの音楽は、ホールの外を舞う雪のようにクールなのに、なぜか心が熱くなった記憶がある。耳の奥底のどこかに凍りついて残っていたその音が、久々に聴くムローヴァの演奏によって解凍されたように思い、大変に感動した。

そして後半の「ロメオとジュリエット」も、大変に鮮烈な演奏。まさに上り坂にある若手指揮者の放つ活力がオケに輝きを与えていた。このカラビッツはレコーディングでもプロコフィエフを連続して取り上げているらしく、今回の読響との協演でも、もうひとつのプログラムでは彼の交響曲第 5番をメインに据えている。今回の演奏を聴くと、プロコフィエフとの相性のよさをよく分かるような気がする。例えば冒頭の「モンタギュー家とキャピュレット家」では、衝撃的な不協和音の後、弱音でたなびく弦楽器が強烈なコントラストをなしているが、カラビッツは長く伸びる和音に膨らみを持たせることで、その後の弦とのコントラストを巧みに表現していたと思う。オケの出来もなかなか素晴らしく、カラビッツの伸びる音の要求によく答えていた。但し、アンコールの「3つのオレンジへの恋」の行進曲を含めて、早いテンポの個所の木管楽器にさらなる精度があれば完璧だったのに、と思ってしまったことも事実。でもそのような課題の発見が、ベルリン・フィルを聴くのとは異なる、東京でのオケの将来性を含めた楽しみ方であると前向きにとらえよう。

終演後にはサイン会があったので参加した。ここでもベルリン・フィルの演奏会とは異なり、CD を買わずともサイン会に参加できるのだ (笑)。くつろいだ雰囲気であった。
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このようなイキのよい指揮者も聴け、女王とは呼ばないが (しつこいな 笑) 現代を代表するヴァイオリニストも聴ける東京は、やはり侮れませんよこれは。

by yokohama7474 | 2016-05-28 23:40 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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1か月少し前、4月19日に記事を書いた「バットマン vs スーパーマン」では、率直な感想として「失敗作」と冷酷に切り捨ててしまった私であるが、またまた似たような映画である。今度は、いわゆるヒーローの集合体である「アベンジャーズ」の主要メンバーであるアイアンマンとキャプテン・アメリカが戦い、それに伴って他のアベンジャーズメンバーたちがそれぞれの側に分かれて戦い、加えてスパイダーマンの参戦までが噂されている・・・という触れ込みで、予告編でも確かにそんな内容のようであった (ちなみに "Civil War" とは当然ながら「内戦」という意味)。ヒーロー物も既にネタ切れとなり、ヒーロー同士を戦わせるといういわば禁じ手に頼るしかないところまで来てしまっているということか・・・。だが、先の「バットマン vs スーパーマン」同様、その禁断の戦いに大変興味を惹かれた私は、まんまと作り手の策略にはまり、やはりこの映画をどうしても見たいと思ったのである。そもそもマーヴェル・コミックのアベンジャー・シリーズは、一連のキャラクターの映画化自体が比較的最近のことでもあり、私はそれほど沢山のシリーズを見ているわけではない。また、登場人物がやたら多い (笑) この映画に、若干の戸惑いを覚えることは事実。だが、結果としてこの映画の内容は、「バットマン vs スーパーマン」よりも数段よく考えられていて、実に面白い!! 「ヒーロー対決もの」という新たな (?) ジャンルを設定するとするならば、この 2作の軍配は明らかにこちらに上がるであろう。これがこの映画の主要キャラクターたち 10人。
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そもそもなぜにヒーローたちが戦い合うかというと、実はこの映画と「バットマン vs スーパーマン」とには設定に共通点があって、それは、悪と戦う過程でどうしても建物破壊等で罪のない人々を犠牲にしてしまうことが世間の非難を浴び、それがヒーローたちを悩ませるということだ。でもそれって、何十年もこの世界では、やむないこととして暗黙裏に認められていたことではなかったか。私なども幼少の頃、怪獣ものを夢中になって見ていたが、あれだけ派手に建物を壊せば犠牲者も出るだろうし、誰がどうやって補償するのだろうかと、子供心に不思議に思ったものであった (笑)。まあともあれ、21世紀のヒーローたちは、そんな単純な社会に住んでいるわけではなく、自分たちの正義の戦いに巻き込まれて犠牲となる罪なき人々への慚愧の念に堪えないのである。時代とともに進歩するヒーローたちの内面。そんなわけで、アイアンマンのトニー・スタークとキャプテン・アメリカのスティーブ・ロジャーズが、何やら深刻な議論をするに至る。自分たちの行いは間違っていて、既に戦いをやめるべきときに来ているのか、それともこれからも戦い続けるべきなのか。
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そもそもこの議論がある時点で、「バットマン vs スーパーマン」との差異が生まれる。あちらは、一方が勝手に一方を憎むところに端を発しており、戦いの説得力がなかったのである。この映画においては、議論を尽くしても埋まらない溝は、最終的にはこのようなシーンによる双方の能力の限界に臨む解決が図られることになる。バリバリと命を削る音が聞こえるようだ。
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実際にこのシーンは映画の最終段階で出てくるもので、いわば歌舞伎の見栄のように両者のポーズも決まっており、様式美の観点からもこの映画の質の高さを評価することができる (って、本当か?)。カッコいいので、別の角度でもう 1枚。この "Devided we fall" は、そのままでは文章になっていないので調べてみると、"United we stand, devided we fall." という米国の標語の後半部分であるらしい。つまり、「団結すれば立つ。分裂すれば倒れる」という国是である。寄り合い所帯で国ができたアメリカらしい言葉だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/United_we_stand,_divided_we_fall
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実際この映画の中では、キャプテン・アメリカとアイアンマンそれぞれの考えに同意するアベンジャーメンバーの超人 (や人工知能) たちが対立し、実際に戦う場面が出てくるが、そのようなシーンにもあまり終末感はなく、ユーモアが感じられるシーンもあり、その点でも、救いようのない暗さを抱えた「バットマン vs スーパーマン」と異なるのである。そして、上に書いた通り「参戦が噂されて」いたスパイダーマンは、まぁこれは隠す意味もあまりないと思うのでバラしてしまうと、そうなのだ。参戦するのである。これはキャプテン・アメリカの盾を奪ったところ。
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実はもうひとり、乞われて参戦するキャラクターがいる。それはアントマン。私はこのキャラクターが主人公の映画を、劇場ではなく飛行機でしか見ることができなかったが、なかなか面白かった。まさかここにも出てくるとは。これはアイアンマンのスーツの上に立つアントマン。
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さて、この 2人の活躍ぶりを比べると、アントマンに軍配が上がるだろう。なにせ彼は、本来のキャラクターの持ち味とは異なる、この上なく突飛な作戦で敵を翻弄するのだから。このシーンはネタバレしたくないのでこれ以上の言及は避けるが、私はこのシーンには腹を抱えて笑ってしまったのである。その点スパイダーマンは、既に単体で映画もあれこれあるわけで、ヒーロー像が確立している分、あまり奇想天外なことはさせられないと思うが、ここではあえて既成のものとは異なるイメージ (例えばびっくりなメイおばさん・・・ネット情報では次回作につながっているとか) を作り出すことで、なんというか、「まだ若く経験の少ないヒーロー」として、今後の成長が課題という描き方がされていた。これはこれでひとつの見識であろうと思う。あ、それから、本作を劇場でご覧になる方は、エンドタイトルの最後まで席にいるように。スパイダーマン関連情報があります。

それにしてもこの映画、本当にキャラクターが次々と沸いてきて (?) 困る。アフリカの国の若き王子が、父王を殺され、王位を継ぎながらもこんなコスチュームで暴れまわって父の敵討ちを目指すのだ。名前はブラックパンサー。なかなか精悍であるが、スーツさえ着れば超人的能力が発揮されるという設定はいかがなものか。いやしくも一国の王。スーツを着て活動中に万一のことがあったら国民はどうなる (笑)。
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まあそんなこんなで、突っ込みどころ満載の映画なのであるが、あといくつか話題にしたいことがある。まずひとつは、作品中で洗脳によって悪役にされてしまうウィンター・ソルジャーに詰問するテロ対策センターの職員 (役名 エヴェレット・ロス) が、先に映画「アイヒマン・ショー」の記事で触れた、「ホビット」のバルボ・ビギンズじゃないや、ビルボ・バギンズ役、そして BBC のシャーロック・ホームズ物のワトソン役で知られるマーティン・フリーマン。映画のプログラムには彼の紹介は載っていないが、ちゃんとエンドタイトルで確認したから間違いない。
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それから、次は日本で知っている人は多分そういないし、もしかしたら私だけかも、と思ってしまうネタがひとつ。いや、まぁここで自慢するに値するかは別問題である (笑)。「だから?」と言われればエヘヘと笑うしかないくらいどうでもよいことだ。だが、お伝えしよう。ここでスパイダーマンの正体、ピーター・パーカーを演じているのはトム・ホランドというイギリスの若手俳優。
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この映画での彼の演技は、正直今一つだと思ったのであるが、来年公開のスパイダーマンの新作、「スパイダーマン / ホームカミング」でも主役を務めると聞いて、そのファミリーネームになじみがあるなと思いながら何の気なしに Wikipedia で経歴を調べると、2008年にロンドンでミュージカル「ビリー・エリオット」の主役を務めている。そのとき分かったのだ。まさに 2008年、ロンドンのある大手弁護士事務所のそれなりにえらいホランドさんという弁護士と結構密にやりとりしていて、その彼から、「うちの甥っ子が今度ある舞台で主役に立つことになってね」と聞いたのだ。おぉー!!! 甥っ子さん、こんなに出世したのですね。今や天下のスパイダーマンだ!!! おじさん、鼻高々だろう。

この映画の監督はアンソニーとジョーのルッソ兄弟。アベンジャー・シリーズでは「キャプテン・アメリカ / ウィンター・ソルジャー」を監督していて、2018年、19年に予定されているアベンジャー・シリーズの新作 2作も連続して監督を務めることになっている。これは期待できると思う。そもそも今回のこの映画、アベンジャーズの構成員として重きをなしているはずのソーとハルクが出ていない。さて、どんどん増殖するこのシリーズにおけるこの 2人の今後のかかわりやいかに。
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by yokohama7474 | 2016-05-28 22:10 | 映画 | Comments(0)

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既にこのブログで触れた通り、GW 中に東京都美術館の若冲展に行った際、あまりの混雑に辟易して東京国立博物館 (通称「東博」) にダイバート (?) して、先に記事をアップした黒田清輝展と、それからこの展覧会の 2つを見たのである。別に負け惜しみで言うわけではないが、どちらも行きたいと思っていた展覧会であったのだが、見終って、いずれもその内容の充実ぶりに圧倒されたのだ。その意味では、立て続けにこれらの展覧会を経験できたのも若冲さんのおかげ。感謝しないといけませんな。ところで黒田清輝展はもう終わってしまったが、この「黄金のアフガニスタン」展は 6月19日まで開催中。なので、このブログをご覧頂く方で本展に興味をお持ちの向きは、是非お出かけになることをお薦めする。

まずこの展覧会で珍しいのは、東博の中でも普段あまり使われることのない建物、表慶館での開催ということだ。
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この表慶館、1900 (明治 33) 年に、時の皇太子、のちの大正天皇のご成婚を記念して計画され、片山 東熊 (とうくま) の設定により 1909年に完成した建物で、この東博の本館と並んで重要文化財に指定されている。片山東熊と言えば、最近一般公開が始まって話題の (そしてこちらは国宝!! の) 赤坂迎賓館の設計者として有名である。内部は絢爛豪華というわけではないにせよ、さすが由緒ある建物だけあって、こんな感じで大変優雅である。
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今回ここで展示されているのは、アフガニスタンの遺跡で発掘された貴重な文物の数々。首都カブールにあるアフガニスタン国立博物館の所蔵品だ。さてこのアフガニスタン、まず地理的な位置を確認しておこう。広大な中国の西、中東の手前の中央アジア地域の国である。この地図はアジアだけなので、ヨーロッパの国々は描かれていないが、まさにユーラシア大陸のど真ん中であることが分かる。
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上記の地図からも分かる通り、この国は古くからの文明の十字路であり、多重的な歴史を持つが、近年ではタリバンによる実効支配やアメリカによる空爆・侵攻により、世界有数の紛争地帯となったことは記憶に新しい。また文化面においては、世界遺産に指定されていたバーミャンの大仏 2体が、タリバンによって完全に破壊されてしまったことはなんとも痛々しい事態として世界に衝撃を与えた。私は子供の頃からこのバーミャンにはいつか行ってみたいという夢を持っていたので、2001年の大仏破壊には本当に深いショックを受けたものだ。それ以前にイスラム教徒によって顔を削られていたとはいえ、それがまた残った部分の尊さを増していたとも言える。しかるに完全に破壊されてしまうとなると、これはもう全く取返しのつかない最悪の事態。未だに私の心は痛んだままだ。これが在りし日の大仏のうちの 1体。
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以前 (2008 - 9年頃)、私が仕事でつきあいのあったドイツ人は、その頃はアフリカの会社の社長を務めていたが、その前にはアフガニスタンの会社でやはり社長だったという。危なくなかったのかと尋ねたところ、平然とした顔で、「ホテルで打ち合わせしていたら、すぐ近所で爆弾が爆発して皆大騒ぎだったよ」と言っていた。その人は特別にふてぶてしかったのであるが (笑)、実際問題、シャレにならない命の危険が常に存在したそのような国の戦乱の中、文化財を守るということはいかに困難であることか。実はこの展覧会、「守りぬかれたシルクロードの秘宝」という副題がついているが、その意味は、戦乱の中で破壊や散逸の危機に見舞われ、実際にそのような事態が起こる中、学芸員たちが命の危険を冒してまで安全な場所に保管したことによって、なんとか守られた貴重な文化財を展示しているということである。実に貴重な展覧会なのだ。

この展覧会をご紹介する前に書いておきたい私の常日頃の持論がある。アジアの端に暮らす我々は、往々にしてアジアとヨーロッパの文化は全く異なるものと思いがちだが、意外と共通点が多いのだ。それは当然すぎるほど当然なことで、ユーラシア大陸は一続きであって、アジアとヨーロッパの間では古くから人々の盛んな往来があったわけだから、地域を越えて共有しているものや、地域間の影響関係は当然にある。但し、気候や民族性、周辺国との関係、そして宗教的な面での違いが、地域・国による差異を生み出し、時の流れとともにそれぞれの文明の発展によってその差異が広がってきたわけである。なので、文明の源流を辿ると、そこには多くの新鮮な発見があるものだ。この展覧会はまさにそのような機会なのである。

展覧会は 5部構成で、以下のようになっている。第 5部以外は遺跡の名前である。栄えた時代の順番になっているようだ。
1. テペ・フロール
2. アイ・ハヌム
3. ティリヤ・テペ
4. ベグラム
5. アフガニスタン流出文化財

まず第 1部のテペ・フロールは、1966年に農民たちが多数の金銀器を発見した遺跡。だが、正式な発掘調査ではなかったので出土品の管理もほとんどできなかったらしく、この遺跡の実態はほとんど分からないという。だが、この幾何学文脚付杯 (紀元前 2100 - 2000年頃) などの模様から、メソポタミア文明とインダス文明の交流が知られるという。うーむ、4000年前の人類の文明のダイナミズム。
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第 2部で紹介される遺跡、アイ・ハヌムは、紀元前 323年にアレクサンダー大王が死去したあと、その後継者を名乗る軍人たちに帝国が分割された頃にできたギリシャ人の都市であるとのこと。この地域は当時バクトリアと呼ばれており、このアイ・ハヌムはその中心都市のひとつであったらしい。神殿は、バビロンやアケメネス朝ペルシャといった西アジアの宮殿の様式を持っており、行政・居住区画と中庭が複合的に連なっていたが、興味深いことに、ギリシャ様式も取り入れらていて、コリント式の柱頭を持つ列柱が使われ、ギリシャ語が使われていた。その柱頭とギリシャ語刻銘付石碑台座。
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また、このキュベーレ女神円盤 (紀元前 3世紀) は非常に興味深い。ライオンが曳く車に乗っている女神キュベーレ (冠をかぶっている) は地中海世界に起源を持つ図像。その隣で車を御している翼のある女神は勝利の女神ニケであり、これはギリシャのもの。左端で日傘を持っているのは神官で、これは西アジア風。この小さい円盤の中に多様な文化の混じり合いがあるのだ。
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こんな可愛らしいヘラクレス像もある (紀元前 150年頃)。
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それから、日時計も発掘されていて、紀元前のこの土地の文明度に驚かされるのだ。
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第 3部、ティリヤ・テペは直径 100m、高さ 3 - 4mほどの遺丘 (これをテペと呼ぶらしい)。拝火教神殿や 6つの墳墓が発掘されている。この展覧会ではこれら墳墓からの発掘品の数々が並べられており、その多くは金細工であって圧巻だ。ひとつひとつ見て行くと本当に興味が尽きない。すごいのはこのドラゴン人物文ペンダント。金、トルコ石、ラピスラズリ、ガーネット、カーネリアン、真珠からなる。これも 1世紀のものというから恐れ入る。
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これは戦士像留金具。西洋でもない東洋でもない。なにか文明の根源といった印象の意匠である。
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靴留金具。複雑な作りだし、この人物の表情がなんともよいではないか。「あらよっ、怪獣に車を曳かせてます」という感じ。
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この牡羊像も素晴らしい。角を強調しているようだが、その表情は何かもの言いたげだ。「旦那、私は車は曳きませんぜ」ってか。
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これは短剣三本入鞘。スキタイ風というか、遊牧民の手になる雰囲気があるが、黄金地にトルコ石に卍模様に龍と、アジア的でもあり、中世ヨーロッパ的でもある。まさに文明の混交の産物ではないか。
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このアフロディーテの飾り板はどうだろう。なんとも強い表情だ。これは 6号墓の副葬品であるが、被葬者は 20歳前後の若い女性で、これは胸の中央に置かれていたもの。ほかにもキューピッドの耳飾りや女神のペンダントとオシャレだが、面白いのは胸の上にはさらに、中国・前漢時代の鏡が置かれていたそうだ。まさに文明の十字路!!
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そしてこの人物のかぶっていた冠がこれ。私はこれを見て、「あっ、これは古代韓国の冠だ!!」と声をあげてしまった。慶州あたりの古墳から出てきたものとそっくりではないか。
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今、この展覧会の図録を見てみると、奈良の藤ノ木古墳から出土した冠との類似が説明されている。その藤ノ木古墳の冠を復元したものがこれだ。もちろんこの展覧会には出品されていないが、まさに文明の伝播を実感する類似ではないか。
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と、興味尽きないティリア・テペの発掘品に感嘆の声をあげつつ、次の第 4部、ベグラムのコーナーに入ると、これはまた全く異なる内容で驚くのだ。年代を見てみると、ティリア・テペと同じ 1世紀となっているが、こちらは明らかにインド風であるのだ。例えばこれは、象牙製の「マカラの上に立つ女性像」。一種異様な生々しさで、その生命力に身震いする。
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これも象牙製の「門下に立つ女性の装飾板」。インドのサンチーの大塔の彫刻を思わせるではないか。そうか、この時代、既に仏教は生まれていて、インドから北西にも伝播していたのだな。なんというダイナミズムか!!
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そしてアフガニスタンの遺跡で侮れないのは、同じベグラムからの出土品から、全くヨーロッパ風のものもあるということだ。これは、「エロスとプシュケーのメダイヨン」。なんというリアルさ。ルネサンスのデラ・ロッビアを思わせるというと言い過ぎかもしれないが、これを作った人は天才であったろう。
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面白いのはこれだ。
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これは「魚装飾付円形盤」で、青銅の円盤の上に魚が浮き彫りのようになっている。実はこれは可動式で、紐が貫通して円盤の下につながっており、そこに重りがついていたらしい。円盤を回すとその重りによって魚が動くという楽しい仕掛け。会場には復元した円盤が置いてあり、実際に動かしてみることができる。考えてみれば、アフガニスタンは内陸の国で、海など見たことのない人がほとんどであっただろう。2000年前の人間の想像力に脱帽だ。

第 5部では戦乱の時代にアフガニスタンから流出してしまった文化財なのであるが、なんと、わが国に不法に入ってきたものであるようだ。よく知られているように、日本画家の故・平山郁夫は、この事態を嘆き、「流出文化財保護日本委員会」を設立してそのような文化財の収集・保護に努めた。そして 102点の文化財が近くアフガニスタンに返還されることになり、この展覧会ではそのうち 15点が展示されている。このような大理石のゼウスの足が、その痛々しい歴史を語っているが、そのゆるぎない存在感はどうだ。
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このように、アフガニスタンという国の歴史を物語る、素晴らしく多様性に富んだ貴重な文化財、東洋と西洋の混じり合う独特の美の世界を堪能する貴重な機会であった。人間の歴史においては、いかに栄えた文明でも、戦乱や経済の浮沈によって、残るもの消えるもの、様々だ。だが、このユーラシア大陸の巨大な文明の力は、何千年経っても命枯れることなく、脈々と保たれている。形あるものはいつか滅びるとは言うけれど、人々の努力によってその命が長らえることもあるのだ。世界で起こっている悲惨な現実を前にしても、せめてそのような思いを、なるべく忘れたくないものである。

by yokohama7474 | 2016-05-28 02:31 | 美術・旅行 | Comments(0)

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たまたま昨日、スウェーデンの人たちと夕食を取っていて、スカンディナヴィアの国々の歴史・文化と東アジアのそれらについてとりとめのない会話を続けていたところ、強いて言えば二つの発見があった。ひとつは、このブログで 5月 7日に記事を書いた映画「獣は月夜に夢を見る」の原題が、ノルウェイ語でもスウェーデン語でもなくデンマーク語であること (ま、どうでもよいと言えばどうでもよいが 笑)。もうひとつは、彼らスウェーデン人が山や川で感じる自然との一体感は、ほかの国民には分からないと思っていたところ、日本人とはシェアできるような気がすると発言したことだ。我々にしてみれば、厳しい北欧の自然の中で暮らす彼らは、何かスピリチュアルなものを感じる感性に富んでいて、騒々しい都会に暮らす日本人とは全く違う哲学的な人種だと思いがちだが、実は日本も非常に豊かな自然に恵まれた国だということだろう。

なぜそんなことを冒頭に書いているかというと、この映画には自然の優しさと厳しさ、またそこに生きることの素晴らしさと残酷さが、痛いと感じられるまでに描かれているからだ。そもそも、先に発表されたアカデミー賞でレオナルド・ディカプリオが念願の主演男優賞に輝いたことや、監督賞 (なんと 2年連続!!)、撮影賞まで受賞したこと、それから坂本龍一が音楽を担当したことで、日本でもこの映画に対する期待が高まったはずであった。だが、封切り後未だ 1ヶ月も経過していないはずなのに、既に各地のシネコンではどこも 1日に 1回だけの上映という若干淋しい事態。一体何がいけないのだろうか。そう不思議に思って劇場に向かったのだ。
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タイトルの Revenant とは聞き慣れない言葉だが、幽霊とか、長い不在の後に戻ってきた人という意味らしい。なので、副題の「蘇えりし者」とはそのものズバリの意訳なのである。そしてこの映画の内容も、極めて単純。単純すぎてネタバレにはならないと思うので書いてしまうと、アメリカの西部開拓時代、仲間とともに狩りをして獲物の毛皮を持ち帰るハンターの一隊のひとりが、クマに襲われて瀕死の重傷を負う。そして彼が意識はあるがとても動けない状態のときに、仲間のひとりが彼の息子を殺してしまい、本人も、そのまま死ぬだろうと見越されて放置される。しかし男は凄まじい執念で動き出し、過酷な環境を壮絶に生き抜き、そしてついに敵を追い詰め、復讐を果たすという話。実在したヒュー・グラスという猟師が経験した想像を絶する実話をもとにしているらしい。Wikipedia にもこの人物の項目があるが、それを見る限りは、息子を殺されたというくだりは創作のようである。作り手側に、復讐の理由づけに補強が欲しいという意図が働いたということだろう。

いやそれにしても仮借ない映画である。冒頭のシーンでは川がサラサラと流れており、そこで水を飲むシカともども、ゆるぎない自然の営みをひしひしと感じざるを得ない。そう、いきなり冒頭にして、人間と自然の関係を考えずにはいられないのだ。そしてやってくる悲劇。まるでスピルバーグの「プライベート・ライアン」の冒頭シーンのように背筋が寒くなる。そしてこの感覚が、2時間半を超える長丁場の中で何度も訪れるのだ。けだし、恐るべき映画である。レオ様の雄たけび。
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驚くべきシーンがいくつもあるのであるが、特に瞠目すべきは主人公がクマ (グリズリー) に襲われるシーン。こんな感じなので、まるで自分がクマに襲われているように感じる。このクマの前では、カメラでさえその息で曇ってしまうのだ (笑)。うおー、一体どのように撮影しているのか。CG にしては出来過ぎ。
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そして不屈の主人公は、このクマの死骸から採った毛皮を身にまとって、およそ人間業を越えたサバイバルゲームに身を投じる。彼の命を危うくしたクマがその死後、毛皮となって彼の命を守るというこの皮肉。それぞ自然界の掟。
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レオ様、という呼び方は既に過去のものなのだろうか。ディ・カプリオのここでの演技はまさに鬼気迫るもの。いやもちろん、これまでの彼の主演映画、とりわけ最近の「ジャンゴ」や「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」でも体を張った演技に痛く感動していたが、この映画における彼の演技はまさに神がかり的。しかも撮影はすべて屋外で自然光でなされたというから驚きだ。今時のハリウッドのトップスターともなると、このくらいやらないといけないのであろう。頭が下がります。

イニャリトゥの演出もまさに仮借ないもので、私がこれまでに見た彼の映画、「21グラム」や「バードマン」に比べても、かなり進化していると思う。彼は 1963年生まれなので、今年まだ 53歳。これからどんな映画を撮るのか、末恐ろしい。
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この映画にはまだまだ素晴らしい Surprise がある。主人公の敵役を演じるのは、昨今大活躍のトム・ハーディだ。
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「マッドマックス」の新シリーズで主役を張るかと思うと、このブログでもご紹介した「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」や「チャイルド 44 森に消えた子供たち」のような渋い作品ではまた全く違った顔を見せる。このような悪役を以前演じているのか否か知らないが、いやー、観客が主人公に感情移入するためのにっくき敵役を嬉々として演じている。それから私のイチオシは、まだ若いジム・ブリンジャーを演じるウィル・ポールター。
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彼の顔は一目見たら忘れまい。「メイズランナー」で仕切りたがり屋を演じていた彼だ。そうそう、眉の吊り上がったこのユニークな顔 (笑)。カッコいい主役は無理かもしれないが、今後の活躍が期待される。
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それから、本作の音楽について少し述べておこう。上述の通り、日本では坂本龍一の名前ばかり喧伝されているが、実際には 3人の名前が音楽担当としてクレジットされている。これは、彼がアカデミー作曲賞を受賞した「ラスト・エンペラー」のケースと同じ。いや、「ラスト・エンペラー」の場合は様々な音楽が使われていて (ヨハン・シュトラウスの皇帝円舞曲も含め)、加えてメインテーマがはっきりくっきり流れていた。しかるにこの映画において情緒的な音楽 (バーバーの「弦楽のためのアダージョ」を思わせるものであった) が鳴り響いたのは、教会のシーンと、それからラストの決闘の後のシーンくらいではないか。それ以外は音楽と呼ぶよりも音響と呼びたい感じであった (まるで耳鳴りのような高い音をバックに弦楽器がミニマル風の音楽を奏でる感じは、私の好みである)。プログラムによると、美術は映画監督タルコフスキーの初期の作品「アンドレイ・ルブリョフ」を参考にしたということだが、いやいや、あちらはロシアの話。こちらはアメリカの話。所詮歴史が違うでしょ (笑)。でもまあ、この教会のシーンは心に残る。ところで、エンド・タイトルを見ていると、音楽の箇所でシアトル交響楽団の名前がクレジットされていた。
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そして我々が迷い込む迷宮は、必ずやアリアドネの糸によって脱出のヒントが与えられるであろう。だが、人間が他の動物に生のままかぶりつく様子を見ると、なんとも言えないすさんだ気持ちになる。おぉ、これぞゾンビ映画のひとつの秘訣である。この映画は決してゾンビ映画ではないが (笑)、人間も動物である以上、生き残るためにはほかの動物の命を取るしかないわけだ。その仮借ない描写から、人間の本質を考えさせられる。そのことと関連しているか否か知らないが、昨今のハリウッド映画のエンド・タイトルで出て来る、「この映画では動物は傷ついていません」という歌い文句が見当たらなかったのである。

というわけで、この映画が絶賛の嵐で家族連れ満載、というわけにならなかった理由が少し分かりましたよ。だが、これは絶対に見るべき価値のある映画。この映画がアカデミー賞 3部門を受賞したことで、私もちょっとアカデミー賞を見直す気になったものだ (笑)。イニャリトゥ監督とディ・カプリオの今後の活躍に大いに期待しよう。これぞサバイバルのガッツポーズ。
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by yokohama7474 | 2016-05-25 00:34 | 映画 | Comments(2)

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以前書いた若冲展の記事で、GW 中に最初に同展をトライした際にあまりの混雑のために諦めて、この黒田清輝展と、アフガンの黄金展を東京国立博物館で見たことに触れた。報道によるとその後も若冲展の混雑ぶりは悪化の一途を辿っているとのことで、最近では実に 320分待ち (!!) ということもあるらしい。なんとも凄まじいことになっているが、その若冲展も残すところあと 2日間。合計で一体何万人があの展覧会に足を運ぶことになるのだろう。

その一方、この黒田清輝展は既に会期が終了してしまった展覧会であって、ご覧頂く方の役にはあまり立たないかもしれないが、内容は大変に素晴らしくまた意義深い展覧会であったので、忘れることのないよう、自分としてもここに記事を書いておきたい。昨年 9月 3日の記事で上野について書いたときに、現在では東京国立博物館の付属施設となっている黒田記念館をご紹介した。この黒田記念館は現在改修中であり、今回の展覧会は、その改修時期を利用して黒田記念館所蔵の作品も多く並べるという目的もあるのかもしれない。
http://culturemk.exblog.jp/23628176

上のポスターに、「教科書で見た。でもそれだけじゃない」というコピーが掲載されているが、このポスターにあしらわれている 2点、「読書」と「湖畔」、時に重要文化財に指定されている後者は、近代日本を代表する洋画として必ず美術の教科書に載っている。少し記憶のよい人なら、黒田の作風が「外光派」と呼ばれたなどという知識もあるだろう。これが私が訪れた GW 中の朝の景色だが、なんという偶然か。外光派の作品のポスターが、外光を誇示するかのような木洩れ日を浴びているではないか!! これを見ることができるのは朝の時間帯だけであり、展覧会を見たあとには既に太陽の角度が変わっていて、全く情緒のない、ただのポスターになっていた。満員だった若冲展のおかげで、貴重なショットを撮ることができました (笑)。
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さて、黒田清輝 (1866 - 1924) は鹿児島出身。本名は「きよてる」だが画家としては「せいき」と名乗ったらしい。幼時から絵の心得は多少あったようだが、18歳で法律を学ぶためにフランスに渡り、そこで絵画を志すことを決めたという。彼の生年 1866年は大政奉還の前年。なので彼はまさに明治の第一世代として西洋文化に貪欲に取り組んだわけであるが、この展覧会でその画業を回顧して行くと、日本の近代化の黎明期に早くも西洋美術の中心地であるパリで認められた日本人がいたことに驚き、また、それゆえに時代の激動 (政治、経済のみならず芸術面での潮流も含め) の中で様々な苦労を余儀なくされたことにも思い至ることとなった。もちろん、画家として、後には貴族院議員として尊敬された人であり、様々な人々に慕われ尊敬されたであろうし、画家としての表現意欲は終生衰えなかったとも思われる。いずれにせよ、いくつか模範的な作品があるということだけで有名で、彼の業績全体がその価値にふさわしいほど知られていないとすると、今回の展覧会の意義は非常に大きいものだと思うのだ。

上述のように黒田は、渡仏してから絵画の道に本格的に目覚めたようで、この展覧会でも、養父にあてて画家としてやっていく決意を述べた書簡が展示されていた。彼の場合、育ちがよくて見かけにも鷹揚さがあるせいか、異国でかの地の芸術に身を投じるという緊張感はもちろん感じられても、必要以上に悲壮な雰囲気はないように思う。やはり新たなことを学ぶには、柔軟性がある人の方が適性があるということではないでしょうかね。これが渡欧から 5年後、1889年の自画像。多少の不安はあれど、基本的には自信に満ちているような。
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実はこの構図や半逆光の描き方には、レンブラントの影響が指摘されている。これは前年、1888年に黒田が模写したレンブラントの「トゥルプ博士の解剖講義」。ハーグのマウリッツハウス美術館の所蔵である。古いカトリックの絵画を学ぶよりも、実証主義的なプロテスタント地域の絵画を学ぶことに興味があったのかもしれない。
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黒田が滞在した頃、1880年代から 90年代のパリと言えば、ロマン主義と新古典主義の並立から、象徴主義や印象派が生まれつつある頃。フランス独特の、保守性を重んじるアカデミック絵画と実験的な前衛性とのせめぎあいの時代と言ってよいだろう。世紀をまたぐと、主としてフランス人以外の人たちが活躍したエコール・ド・パリの時代になるわけだが、それに先立つ数十年前だから、東洋人が活躍することのハードルは想像以上に高かったのではないか。しかし彼は画家ラファエル・コランに弟子入りして、貪欲に西洋絵画を吸収して行く。緻密なデッサンから、このような人物像を描いたり、アトリエの情景を描いている。これらは室内で描かれているので「外光派」となる前夜の習作たちだが、構成力とか色彩の自在さは、何やら日本人離れしていないだろうか。
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そして、戸外に出て描いたこの 1891年作の「落葉」はどうだ。空気を描こうとする画家の清新の気が伝わってくる。そして黒田はこの年、ついに「読書」でサロン初入選を果たすのだ。
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実は「読書」のモデルになったのは当時黒田が恋仲となった肉屋の娘、マリア・ビヨーという女性。「読書」の翌年、1892年に描かれたこの「婦人像 (厨房)」もやはりマリアがモデルになっている。どこか憂愁をたたえた表情であるが、この異国の男性のことをどんなふうに見ていたのだろう。
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これは仲間 (日本人画家の久米桂一郎を含む) とともに撮られた、その頃の黒田の写真。裕福な生まれということもあるのか、その後の時代の、例えば佐伯祐三のような命を削る異国生活の様子に比べると、何かのびのびしているように見える。それゆえにこれほど早く西洋絵画の技術を自家薬籠中のものとできたとも言えるのではないだろうか。もちろん、才能、努力、巡り合わせ、いろんな要素が噛み合って画家の個性が作られて行くわけだが。
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そして黒田は 1893年に帰国。日本で美術教育活動に身を投じる。だが、いかにパリでサロンに入選するという実績を残したとはいえ、当時弱冠 28歳。まだまだ若手というべき年齢である。私はこの展覧会を見ていて、若くして西洋絵画の先駆者としての宿命を負った黒田の意気込みと苦労に思いを馳せてみた。美術にも流行り廃りがあり、黒田の生きた時代にはフォーヴィズムもキュービズムも既に生まれていたわけで、日本で最先端ともてはやされても、決して世界の最先端でないことは本人がよく分かっていたことだろう。また、例えば彼が終生日本でトラブルに巻き込まれた裸体画というジャンルも、日本の伝統と西洋の伝統との違いによるものだけに、笑うに笑えない落胆を味わったことだろう。だが、このあと見るように、彼はやはり画家として非常に自由で幸福であったとも、一方で言えると思う。

彼が帰国して間もない頃に手掛けた「舞妓」。水の上という想定において似て非なる題材の「湖畔」と並んで重要文化財に指定されている名品だ。印象派に強い影響を与えた日本の画家が、その印象派の本場から帰ってきて、まるで逆ジャポニズムのように手掛けた作品である。題材がどうのというより、この鮮やかな色彩に魅せられるではないか。日本の洋画家に多い「デロリ」感をほとんど感じさせない点に、黒田の非凡さを感じるが、いかがであろうか。
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これは1896年の「大磯鴫立庵 (しぎたつあん)」。この鴫立庵とは、もちろん西行の歌に因むものであるが、実はこの西行の有名な歌が読まれたのは神奈川県の大磯あたりと言われており、1664 (寛文 4) 年に西行を偲んで建てられた庵 (俳諧道場) であるらしい。今調べてみたら、おぉなんと、現存するではないか。私は俳句など詠めるわけもなく、せいぜいがサラリーマン川柳どまりであるが (笑)、一度ここを見に行ってみたいものだ。と、例によって脱線しておりますが、この絵はまるでフォーヴィズム。いやー、萬鉄五郎の作品かと思ってしまいました。でもよく見ると、上の舞妓の着物の柄が少し進化したような具合で、黒田の画家としての飽くなき挑戦心をひしひしと感じる。
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この「昼寝」(1894年) もその流れにあり、一層高まる表現意欲を感じる。ここまで来ると、上の舞妓さんの顔と着物の色彩がそれぞれ入れ替わったようだ (笑)。明らかに滞欧時代の作品から先へ進んでいる。
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実は同じような題材で後年、1903年に黒田が描いたのがこの作品、「野辺」である。これが同じ画家の作品と思われるであろうか。なんとも実在感のある艶めかしいヌードである。
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実はこの展覧会には彼の師匠であったコランや、彼が心酔したミレーやピュヴィス・ド・シャヴァンヌなどの作品も展示されているのだが、コランの「フロレアル (花月)」(1886年) と比較すると、もちろん画家としての資質や文化的背景の違いを否定することはできないにせよ、明らかな影響関係が感じられる。黒田は、色彩の冒険を経て、師の作風へのノスタルジーに戻って行ったのかもしれない。
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一方、それに数年先立つ 1899年に、黒田のもうひとつの代表作が生まれている。これも重要文化財に指定されている三幅絵、「智・感・情」である。
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これは不思議な絵であり、また、「湖畔」「読書」で知られる外光派としての黒田清輝とは全く異なる雰囲気の作品である。私は初めてこの絵を知った学生時代に、加山又造の作品かと思ったくらいである。とても 19世紀末、明治の世の作品とは思えないモダンさがある。専門家の間でもこの絵が何を表しているのか定説はないと聞いた。だが、この当時の日本人としてはありえないようなプロポーションに、近代人としての日本人の顔が乗り、それぞれに全く異なるポーズを取っている点、誰しも神秘性を感じるであろう。日本でヌード展示がわいせつか否かという話題を巡ってスキャンダルに巻き込まれた黒田が、精神性の高いヌードを描いて総決算としたと考えたくなる。

その一方で、彼の生きた時代との直接のかかわりあいを示すスケッチブックが展示されていたのも興味深い。1894年、彼は従軍画家として中国に赴いている。そう、日清戦争だ。およそ戦争との関わりを感じさせない黒田でも、そのようなことに身を投じたという点、平和な時代に生きる我々には想像しがたいが、こんな丸焦げの死体などもスケッチしているのだ。ちなみに黒田に現地取材を依頼したのは日本の新聞社ではなくフランスの新聞社であったようである。いずれにせよ、時代の激動をこの静かなスケッチから知ることができる。
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黒田はまた、国を代表する画家として、国家的な事業にも参画している。1914年に完成した東京駅の帝室用玄関の壁画を描いているのだ。第二次大戦で焼失してしまい、今は残された数枚のモノクロ写真から当時を忍ぶしかないが、以下は日本の産業を描いた場面で、上が「運輸及造船」、下が「水難救助・漁業」である。これはまた、モダニストとしての黒田の一面を示す貴重な例ではないか。
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言うまでもなく黒田が滞在していた頃のパリでは、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌがパンテオン等の壁画を描いて盛名を誇っていた (私も大好きな画家で、昨年 6月のパリの記事でも少しそれを紹介した)。この展覧会でも、「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」(1875年頃) という作品が展示されていた。神話的風景を描いたピュヴィス・ド・シャヴァンヌとは随分異なる壁画を黒田は描いたことになる。
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黒田は、教育活動に加えてこのような国家的事業への参画を行い、帝国美術院院長を務め、1920年には貴族院議員に就任するなど、公務が多忙となって、後年は大きな作品を描くことができない環境になったようだ。最終的には 58歳の誕生日を迎えずして亡くなってしまったのだが、激務が命を縮めたという事情もあるのかもしれない。そんな黒田の晩年の小さな作品たちがいろいろと展示されていて興味深かったが、特に私が面白いと思って見入ってしまったのは、6点並んだ雲のシリーズだ。大きさは 26cm × 34.5cm で、1914年から 1921年にかけて描かれている。朝に夕に、時間があるときに空を眺めて、さささっと筆を走らせたものであろうか。千変万化する雲の表情に、黒田は何を思ったのであろうか。
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あるいは、この「案山子」(1920年) の佇まいはどうだろう。実は案山子を描いた大作を本人はもくろんでいたらしいのだが、それは果たすことができなかった。でもこの案山子、やはり悲壮感を感じさせることなく、飄々としながらなんとも味わい深いものだと思う。
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そして、これが絶筆の「梅林」(1924年)。前年に狭心症の発作を起こして療養していた黒田が、病室の窓から見える梅を描いていたものであるらしい。体力の限界を示す荒いタッチではあるが、生きようとする意志は最後まであったように思われる。それゆえにこそ、黒田が命を絞って描いた梅の絵に、静かに心を揺さぶられる。
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このように、まさに「教科書で見た。でも、それだけじゃない」画家、黒田清輝の充実した画家人生とじっくり向かい合うことができる貴重な機会であった。そして、画家の生涯の最後まで来て振り返ってみるとき、去年 9月の上野の記事でもご紹介した、この素晴らしい作品が瞼の裏に浮かび上がって来る。1892年作の「赤髪の少女」。異国の青年画家が描いたこのフランスの少女の後ろ姿は、永遠にその美しい背中を向けたまま、なんとも言えない詩情をたたえて我々に語り掛ける。きっと黒田は天国で、若き日を思い出してこの少女の正面をキャンパスに描いているのではないだろうか。
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by yokohama7474 | 2016-05-22 23:56 | 美術・旅行 | Comments(0)

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人気指揮者 佐渡 裕は、昨年 9月にウィーンに本拠を持つトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任した。1年も経たないうちに日本に「凱旋公演」を行うことができるというのはさすがである。上のチラシの通り、日本人が大好きな「ウィーン」を前面に立てた広告宣伝であるが、音楽の街ウィーンには、世界に冠絶したウィーン・フィルがあって、ウィーン交響楽団があって、さらには 1969年に設立されたウィーン放送交響楽団 (もとオーストリア放送交響楽団) があり、そして最後にこのトーンキュンストラー管弦楽団が来る。もちろん、ウィーン・フィル以外の順位は人によって違うと思うし、私自身も上記の順番に 100% 賛成というわけではない。だが、音楽ファン一般の評価はこの順番であろうと思うのだ。

そもそも名前が、「トーンキュンストラー」などというよく分からないものなので損をしている。「トーン」は「音」。「キュンストラー」は「芸術家」。つまりは「音の芸術家」という意味だ。なんとも分かりやすいではないか。私の世代では、N 響にもよくやって来た指揮者、ハインツ・ワルベルクが音楽監督であったというイメージがあるかもしれない。その後も、ファビオ・ルイジやクリスティアン・ヤルヴィ (父親のネーメ・ヤルヴィとともにちょうど来日中のはず) らが音楽監督を務めている。1907年設立なので、既に 110年近い歴史があるのだ。だが、残念ながらレコーディング・メディアではその演奏に親しめる機会は非常に限られていた。ある意味、「名のみ高い」という感じのオケだ。そう言えば、佐渡が以前に主席指揮者を務めたパリのコンセール・ラムルー管弦楽団も、似たようなイメージのオケである。佐渡の持つエネルギーが、この老舗オケに新たな活力を与えることができれば、こんなに素晴らしいことはない。本拠地であるウィーン楽友協会でのオケの写真は以下の通り。おっとこれは「トーンキュンストラー」の綴りの最初の「T」の字を一文字で作っているようだ。
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今回の佐渡の凱旋ツアー、スケジュールを見てみると大変過密だ。5月13日から 29日の間の 17日間に 14公演。しかも、福井に始まり、富山、新潟、長岡、名古屋、川崎、東京、もう一回東京、浜松、また名古屋、大津、大阪、西宮と、大変な強行軍だ。今回の川崎は 7回目の公演と、ちょうど折り返し地点である。会場を入るとそこには、なんとジャズピアニストの山下 洋輔からの花輪が。
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今回の日本ツアーは 2種類のプログラムからなっているが、今回は以下の通り。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲二長調作品61 (ヴァイオリン : レイ・チェン)
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「英雄の生涯」作品40

演奏開始前に指揮者がマイク片手に舞台に出てきて、自分とウィーンとのかかわりについて話をした。その内容は、このブログでも今年 3月 7日の記事として書いた、東京フィルのリハーサルの際に聞いた内容とほぼ同じ。バーンスタインの弟子になってニューヨークで指揮者修行ができるかと思いきや、そのバーンスタインの指示で片道切符を持ってウィーンに移ったとのこと。これが若い頃のマエストロ佐渡。あまり変わらないようでいて、やはり若いですな。
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さて今回の演奏会、実に素晴らしいものとなった。このオケを生で初めて聴いたが、佐渡の開放的な音楽性との相性はかなりよいように思われる。まず最初の曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、成功していない演奏では、妙に静かな感じになるものだが、今回は最初から最後まで大変雄弁な演奏になった。その主役はヴァイオリニストのレイ・チェン。1989年台湾生まれだから、今年未だ 27歳だ。
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15歳でカーティス音楽院入学。2008年にメニューイン・コンクールで優勝したのち、2009年には難関エリーザベト王妃コンクールに史上最年少で優勝と、輝かしいキャリアだ。そして実際その音を聴いてみると、クリアかつ力強いもので、いささかも弛緩する瞬間がない。とにかく 45分を超える全曲を雄弁に語り続ける演奏で、なんとも素晴らしい。このヴァイオリニスト、これからが楽しみである。オケの方は正直、冒頭のティンパニの後に続く木管には多少課題を感じたものの、弦楽器は最初から深い音を奏でて、それからあとの音楽的情景を決定したと思う。これは素晴らしく力のあるオケであり、ソリスト、指揮者とともに輝かしい音楽を奏でたのだ。

後半の R・シュトラウスの「英雄の生涯」も、パワー全開の素晴らしい演奏。最初の弦のうねりからして気合充分で、この絢爛豪華、光彩陸離たる交響詩へのワクワクするような旅立ちであった。音楽は終始一貫して輝かしく、何か大きなものを描写するようなこの曲の神髄を堪能することができた。コンサートマスターの女性、リーケ・デ・ヴィンケルのソロ・ヴァイオリンも、オケそのものとの演奏同じく、気合みなぎるもの。何度か、気合が入りすぎて技術的におっと危ないという箇所もあったが (笑)、全体の中では些細なこと。これだけ高いモチベーションを持って演奏すれば、これからも個々の演奏の質はさらに上がって行くものと思う。その意味で、佐渡の持ち味とよくあったオケであり、今後の活動の成果に本当に期待が高まる。
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アンコールは 2曲。最初がヨハン・シュトラウスの「ピツィカート・ポルカ」だ。言うまでもなく、純然たるウィーンの音楽。ここで佐渡は指揮台に立たず、オケの中に入らんばかりの近い位置で、指揮棒を持たずに指揮をした。オケの反応は素晴らしく、自在なテンポ設定によくついて行っていた。ただ、佐渡が半分客席の方に体を傾けて指揮すると、何を勘違いしたのか、一部の聴衆が手拍子を始め、マエストロもびっくりした表情を浮かべていた (笑)。だが、この客席との一体感が佐渡の真骨頂であり、大変にほほえましい情景であったと言えるだろう。そして 2曲目のアンコールは、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」の演奏会用組曲のクライマックスであるワルツ。なるほど、ウィーンと、今日の演奏会のメイン曲目の作曲家である R・シュトラウスを組み合わせるとそうなるわけだ (それから、最近発売されたこのコンビでの初録音 CD が、「英雄の生涯」とこの「ばらの騎士」組曲なのだ)。このノリのよい演奏を聴きながら私は、佐渡の師匠であるバーンスタインが果たして「英雄の生涯」を録音していたか否かを考えていた。うーん、バーンスタインの「英雄の生涯」とは、聞いたことがないな。そもそもヨーロッパでの彼の R・シュトラウス録音は、フランス国立管との「サロメ」の 7つのヴェールの踊りくらいではないか。あ、もちろん、ウィーンで録音した「ばらの騎士」全曲は素晴らしい名盤だが・・・。そして帰宅して調べたところ、やはりバーンスタインによる「英雄の生涯」の録音はなく、ニューヨーク・フィルと行った R・シュトラウス録音も、「ツァラトゥストラ」「ドン・ファン」「ティル」「ドン・キホーテ」しかない。そうすると今日の佐渡の演奏は、もしウィーンでバーンスタインが「英雄の生涯」を指揮していたら・・・という想像を満たすものではなかったか。

そんな充実感満点のコンサートであったが、演奏終了後、階段を下りてロビーに出ると、既に指揮者はそこにいて、熊本地震の募金集めを行っていた。箱を持って立っているマエストロの前に聴衆の列ができて、順番にお金を入れてどんどん進んで行くというもの。このような感じで、聴衆とのスキンシップが図られた。
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指揮者とはひとりでは音を出さない音楽家。ゆえに、共演するオーケストラとのめぐり合わせが重要になってくる。そのめぐり合わせのご縁まで含めて指揮者の能力だとすると、マエストロ佐渡は今後いよいよその能力を発揮することであろう。

by yokohama7474 | 2016-05-21 22:37 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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以前このブログの記事でも何度か触れた通り、私はゾンビ映画ファンである。それは、遠くはジョージ・A・ロメロの感動の名作、未だに思い出すのも恐ろしく切ない "Dawn of the Dead" (日本公開名はその名もずばり「ゾンビ」) から、ブラピ主演の「ワールド・ウォーX」、そして今なら触れてもよいだろう「メイズ・ランナー2」、あるいは、いかにマイナーであろうと世界がひれ伏すべき傑作 (?)、「ゾンビ大陸アフリカン」まで。ゾンビ映画の鉄則は、原因不明の病原菌によって死者が動き出すこと、ゾンビによってひとたび噛まれようものなら、自らも命を落としてしまい、ゾンビとして蘇生すること。そのゾンビを倒すには、頭部を完全に破壊する必要あること。うーむ、こうやって書いていても、ゾンビ映画の持つ独特の絶望感に胸がうずく。それはそうだろう。つい先刻まで、仲間として勇気と知恵をもってともに命を懸けていた者が一旦ゾンビになるや、話しても通じない、ただの低能殺人マシンに成り下がってしまうのだから。おー、本当に怖いぞこれは。

そしてこの映画。これまでの日本映画でここまで仮借ないゾンビ映画があっただろうか。あらゆる意味で、見ていて座席でポンと膝を打つ、いわば句読点のしっかりした (?) ゾンビ映画。その登場を純粋に喜びたい。原作のマンガは読んだことがないが、本作は映画として立派に完結しており、次回作をにおわせて終わる点は致し方ないか (「進撃の巨人」と同じく、なにせ未だ連載中だから) と思いつつ、もしそうならこの水準を落とさないようにご留意願いたい。但しここでは「ゾンビ」という言葉は使われず、「ZQN = ゾキュン」という用語が使われている。これが原作のゾキュンの皆様。
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ここで使われているコネタについて触れるときりがない。だが、あえていくつかのシーンを思い出してみよう。主演の大泉洋が、自分の職場であるマンガの制作現場で見る光景。その前に恐ろしい経験をした彼がそこにたどり着いたとき、それに先立つ同じ場所でのシーンと同様、テレビがニュースを伝えている。いつもと同じ、ごくありふれた日常風景。だが、それが一気に非日常の世界へ転がり落ちる恐怖。塚地 武雅 (つかじ むが) 演じるところの職場の先輩の屈折したリアリティはどうだ。真面目に懸命に身を守っていたはずなのに、いつの間にか、完全にそれ以上の快楽を覚えるようになっている。そして自分自身を結論づけるのが早いこと (笑)。これこれ、こういう人、いますよね。
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それから、いよいよパンデミックが起こって街でゾキュンがあふれ返るシーンのリアルさ。このシーンが面白いのは、ゾンビの列がぐにょぐにょ歩いて来るのではなく、横から斜めから飛びかかってきて、誰が人間なのかゾンビなのか分からない点。道はまだまだ空いているスペースが多いのだが、いつ攻められて噛みつかれるか、分かったものではないのだ。この瞬間に倒されるのがたまたま他人であっても、次の瞬間は自分かもしれない。こんなリアルな恐怖はそうそうないだろう。
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そうして主人公が知り合う女子高校生を演じるのが、今や若手女優としては飛ぶ鳥を落とす勢いの有村架純だ。彼女としては異例の役柄だと思うが、いやー、これは大抜擢だと思う。壊れそうでいて実は強そうなこのキャラクターを自然な演技で通した彼女は、なかなかの大物であると思う。上のポスターで使われている、長澤まさみ (彼女もがんばっていて素晴らしい!!) とのこの写真。
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それから、この写真。いずれも映画本編では正確にはちょっと違う様子の映像になるのだが、ネット上で画像検索しても、映画そのままの写真はほとんど出てこない。であれば、ここで彼女の役柄がどうのこうのと言うのはやめよう。でも、ええっと、猫とはどういう関係???

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有村の大物ぶりが表れた発言がプログラムのインタビューに載っている。撮影は 2年前とのことで、当時を振り返って述べているのだが、素晴らしく率直な言葉ではないか!!

QUOTE
ある意味、あの時期しかない顔つきだったり、表現だったりがこの映画のときにはあったと思います。でもそれはあくまで、自分の中で感じていることであって、観る方にしてみたら「下手だな」と思われるかもしれませんが。
UNQUOTE

そしてなんと言っても、主演の大泉洋がとてもよい。主人公のキャラクターを巧まずして演じており、救いのない内容でありながら、何度もとハハハと笑わざるを得ないシーンが生きているのは、ひとえに大泉の演技によるものだと思う。ユー アー ア ヒーローですよ本当に。

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主人公たちが立てこもるのはアウトレットである。なるほど、そもそも、映画「ゾンビ」の舞台はショッピングモールであったので、句読点のしっかりしたゾンビ映画でのこの場所の選択には、大いに納得だ。常日頃は多くの人であふれ、平和な雰囲気に満たされた場所であるべきアウトレットが、寂れ荒れ果て、ゾンビの巣窟になっている。でもどこかに人間が生き抜くための食糧が備蓄されている。これぞゾンビ映画でしょう。あ、それからロレックスを使ったネタも面白く、声をあげて笑ってしまいました。

主人公たちが危機に陥り、この男が宙に舞う場面で鳴り響くのは、ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の声」だ。
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うーん、いいぞいいぞこのシーン。深刻な場面に能天気な音楽。これぞ黒澤明が生み出した、極めて効果的な悲劇性の表現である。拍手拍手。

この映画には多くの韓国スタッフ (とエキストラ?) の貢献があったようだ。ZQN との戦いの舞台となる場所は、韓国で閉鎖した実際のアウトレットでロケしたという。なるほど。私も、「JSA」「シュリ」以降、数々の韓国映画の素晴らしさに、まさに瞠目して来た人間であるが、最近の動向はよく分からない。でもこの映画の成功には欠かせない要素を担ったということであろう。そうなると、韓国版ゾンビ映画も見たくなりますなぁ。

もちろん人にはそれぞれ好みがあるし、どう転んでもこの映画は文部省特選にはならないだろうが (笑)、私としては、見どころ満載、見ごたえ充分の映画を堪能したと、手放しで絶賛しておきたい。この映画を撮った佐藤信介監督は 1970年広島出身で、これまで「GANTZ」シリーズ、「図書館戦争」シリーズや「万能鑑定士 Q モナリザの瞳」などを撮っている。次回作は、予告編と本屋に積んであった原作を見て、私も面白そうだと思った「デスノート Light up the NEW World」。公開は今年 10月とまだ先だが、ちょっと期待してしまいます。こんな真面目そうな方だ。
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願わくば、明日の朝起きたら世界で感染症が蔓延していて、この人の新作を見られないということがありませんように。う、うわー、く、来るなー。
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by yokohama7474 | 2016-05-17 00:46 | 映画 | Comments(0)

若冲展 東京都美術館

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今年の日本の美術展中、最大の話題であるのみならず、これまでに日本で開かれてきた数えきれない美術展の中でも、かなり上位に位置するであろう展覧会だ。伊藤若冲 (1716 - 1800) の生誕 300年を記念して東京、上野の東京都美術館で開かれているこの展覧会、なにせ会期が約 1ヶ月、おまけに地方巡回なしということで、大変な大混雑となっている。これから行かれる方のために参考情報として書いておくと、とある GW 中の一日、朝 9時30分開館の前に現地に行こうと思い、9時前に到着したときに見たのはこんな光景。
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最初は、隣の上野動物園に並ぶ人の列かと思ったが、係の人がしきりと若冲展若冲展と言っている。現地をご存じの方はお分かりの通り、これは美術館自体の門の前。未だ開館どころか開門の前から長蛇の列だ。しかも、チケットを既に持っている人の列の方が、その場で買う人の列よりも長い。私と家人はそこで決断した。今日はやめて、また出直そう。・・・ということで、近くの東京国立博物館 (東博) で開催中の黒田清輝展と、アフガンの黄金展を見たのである。いやもちろん、言い訳するわけではないが、これらの展覧会ももともと見たかったのだ。実際、我々と同じように若冲展に入るのをあきらめて流れてきた人たちが多くて、東博としてはその恩恵にあずかったと皮肉を言うのも大人げない話だが (笑)、東博の係員までが、「こちらは若冲展の会場ではないので、お気を付け下さい」と列に声をかけていたのが面白かった。若冲展、恐るべし。因みにこの 2つの展覧会の記事も、追って書きますのでお楽しみに。

その数日後、今度は午前中雨の予報。これは人出が少なかろうと勢い込んで、同じような時間帯に会場に辿り着くと、なんのことはない、同じような長さの列ができていて、しかも天気予報に反して、朝からピーカンの晴天だ (笑)。だがやむなし、前回購入済であったチケットを握りしめ、今回は意を決して長い列に並んだのであった。あぁ、それにしても若冲はつくづく罪な人だ。ジリジリと暑くなりつつある晴天下で並んでいる 30分以上の間に、親子で家族で恋人で、何やら口論を始める人たちがいる。チケットをどっちが持っただの、荷物をロッカーに入れるだの入れないだの、まあそれはこの混雑、ケンカしたくもなりますわな。これは門を入ってから美術館の入口に至るまでの列の様子。ほら、あそこのカップルがケンカしているの、分かりますか (いやいや、してないって)。
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そして、結局入場前の待ち時間は 30分程度であったろうか、若冲の迫真の美と、気の抜けた柔らかさの双方を堪能して出て来ると、このような表示が。
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うーん、そうするとやはり、朝いちで並んだのは正解だったということになる。もちろん、平日や夕方の混雑具合は分からないが・・・。

そんな罪な人、若冲とは一体誰なのか。江戸時代中期、京都の青物問屋に生まれ、商人として裕福に暮らしていたが、40歳のときに家督を弟に譲り、絵を描き始めた。つまり、ちゃんとした絵師のもとで修業を積んだわけでは、どうやらないらしい。また、優秀な弟子を大勢育てたというわけでもなく (一応、伊藤若演という、息子とも言われる弟子がいたようではあるが・・・)、そもそも妻帯もしなかったようで、動植物をつぶさに観察しては絵を描く、天涯孤独の変わり者であったのだろう。その意味で、江戸絵画における大御所と見られてきた円山応挙や由緒正しい狩野派とは全く違うわけだ。また、琳派を生み出した尾形光琳も商人であったが、その華麗な作風は早くから日本美のひとつの典型と見られてきた。その意味で若冲は日本絵画史の異端であって、しかもせいぜいここ 15年くらいの間に急速に支持者を増やしたと言える。今回のこの混雑も、NHK が BS も含めて数年前に作成した若冲についての番組を、これでもかこれでもかと再放送したことや、びっくりするほど様々に出版されている彼の画集の賑やかさによるところもあるのだろう。

若冲の生きた時代のイメージを持つのにちょうどよい情報がある。彼が生まれたちょうど今から 300年前、1716年はまた、尾形光琳の没年である。そしてまた、与謝蕪村が生まれたのもこの年だ (昨年サントリー美術館で開かれた「若冲と蕪村」展は、この同い年の画家を比較する興味深い展覧会であった)。江戸絵画の代表のように長らく見られている (いた?) 円山応挙は 17歳年下。若冲と同じく奇想の画家として知られる曽我蕭白は 14歳年下だ。葛飾北斎となるとはるか 44歳下ということになる。若冲が生きたのは、江戸幕府開幕から 100年を経て、幕藩体制の強固な基盤は既に築かれ、天下泰平元禄の世を過ぎ、8代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われた時代。

今私の手元に、たまたま一冊の本がある。野間清六という美術史家 (1902 - 1966) が昭和 28年 (1953年) に著した「日本の絵画」という、シミだらけの古い本である。裏の方に鉛筆で「初版」と書き込みがあるが、いつどこで買ったものか記憶がない。ただ、野間の名前は聞いたことがあったし、終戦間もない日本で自分たちの歴史を振り返るような内容なら面白いかと思って、きっとネットオークションで適当に何かほかの古本とまとめて買ったのであろう。それをパラパラと見てみると、口絵写真 (もちろん白黒だ) には、玉虫厨子の捨身飼虎図や正倉院御物、また仏画などのほか、先に私も記事で取り上げた信貴山縁起絵巻や鳥獣戯画、雪舟、等伯、光琳、大雅、応挙、そのあとは明治に入り、狩野芳崖や橋本雅邦、菱田春草から、大観、栖鳳、古径、そして最後が安田靫彦だ!! つい最近展覧会を取り上げたばかりの靫彦は当時 44歳。既にして画壇で大きな存在であったのだろう。しかし、この本を振ろうが叩こうがひっくり返そうが、若冲のジャの字も出てこない。今日、これほど異常なまでの大人気を誇る画家が、当時は歴史上の存在としてもほとんど認識されていなかったのだろう。これは、現在知られる唯一の若冲の肖像画。死後まもなく描かれたものかと思いきや、明治になってから、言い伝えられている彼の風貌をもとに描かれたもの。そのようなことからも、死後長く忘れられた画家であったことが分かる。
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昨今あふれ返る若冲の画集を私も何冊か持っているが、世の中の一致した評価では、若冲の名が一般に知れ渡ったのは、2000年に京都国立博物館で開かれた大規模な若冲展であるとのこと。私は残念ながらそれには行っていないが、記憶を頼りに手元の展覧会の図録を探すと、1997年に静岡県立美術館で開かれた「異彩の江戸美術・仮想の楽園」と題された展覧会のものが出てきた。今では有名になったが、このような巨象の姿を何やらモザイク状に表したこの作品のポスターをどこかで目にして、その異様さに打たれ、どうしても見たくなって静岡まで車を飛ばして見に行ったのだ。若冲作品だけでも 20点以上展示されていたが、会場はガラガラであった。
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この展覧会では、この静岡県立美術館自身が所有している作品と、それに類似したプライス・コレクションの作品とが並置されていた。上記はプライス・コレクションのもので、静岡県立美術館のものは以下の通り (今回の東京都美術館での展覧会には出品されていません)。似ているけれど、動物の柄や姿勢や表情に、ちょっと違うところもある。
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このように私自身としては、2000年の京博での展覧会より以前に、まとまった数の代表的な若冲作品を見る機会があったのであるが、やはり本格的にこの画家について興味を持ったのは、辻 惟雄 (のぶお) の有名な「奇想の系譜」を文庫版で読んでからだ。この本の初版は 1970年出版であるが、私が持っているのは 2004年発行の、ちくま学芸文庫。だが、これを読んだときには私の興味はむしろ岩佐又兵衛や曽我蕭白にあって、若冲が目的で読んだわけではなかった。そうなのだ。若冲がいかにすごい画家であるかを知るのは、少しのちになって、御物である「動植綵絵」を知ることによってなのである。上記の静岡県立美術館での展覧会にも動植綵絵のシリーズから数点は出品されていたが、今回の東京都美術館での展覧会の最大のポイントは、この動植綵絵全 30幅と、そして本来一具であった釈迦三尊画像が一堂に会していることである。この動植綵絵、若冲が家業の青物問屋の家督を弟に譲って引退してから数年後から約 10年に亘って書き続けられたもので、動物や植物を様々な構図で描いており、まさに極限の芸術だ。使っている絵具の質がよいため、今でも驚くほど鮮烈な色彩が維持されている。これは若冲が自発的に描いて京都の相国寺に寄進したものらしく、釈迦のまなざしのもとにある、生きとし生けるものの命を描いたものだ。動植綵絵 30幅は、明治の廃仏毀釈の嵐を乗り越えるため、相国寺から皇室が買い上げたために散逸を免れた。これは本当に意義深いことである。また、釈迦三尊画像は相国寺に残ったが、今回はこれらすべてが一堂に会する貴重な機会なのだ。釈迦三尊は、このように中国風の表現。
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そして以下は、展覧会の図録から撮影したものであるが、動植綵絵自体の素晴らしさは、まず実物を見ること、そしてあまたある出版物で細部を見ること、等々によって実感できるので、ここではただ、贅言を避けて写真を羅列するにとどめよう。ざっと数えてみたところ、30幅のうち鶏が 8幅と多いのは、彼が自宅でじっと観察する機会が最も多かったのが鶏だということだろうか (?)。本当に信じられない観察眼であり、信じられない技法である。そのあたりについては、NHK の番組の数々で詳しく紹介されていた。
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繰り返しだが、見ているうちに、様々に息づく命に圧倒され、世界に満ちているこれらの動植物の命が、本当に尊いものに思われてくる。従って、この展覧会の大きな意義はまず第一に、この動植綵絵すべてが揃っていることだとは言えようが、出品数全 80点もの中には、ほかにも興味深いものが沢山ある。絢爛たる極彩色の作品だけでなく、とぼけた味わいの水墨画や、スタイリッシュなデザインなど、この画家のアイデアとそれを実現する技術の幅の広さには、つくづく脱帽である。例えばこれなど、どうだろう。三十六歌仙図屏風 (全12幅のうち 3幅) だが、まるで現代の (昭和の時代の?) マンガのようではないか。右端の人物は口に筆をくわえて、掛け軸に文字を書いている。これ、黒鉄ヒロシとか、あるいは手塚治虫みたいではないですか。あ、手塚治虫のマンガでは、口にくわえてはいないものの、この絵の筆のような蝋燭が頭の後ろに立つことがあるでしょう。あれです。
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これは「玄圃瑶華 (げんぽようか)」という版画であるが、このモノクロの美学は、まるでビアズレーのよう。もちろん、19世紀末には日本の版画は大量にヨーロッパに入っていたので、ジャポニズムの一形態とは言えるだろう。でも、もし、当時誰も見向きもしなかった若冲からビアズレーが影響を受けたとすると、こんなに面白いことはない。
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それからこれも面白い。石灯籠図屏風であるが、その点描は、はるか 100年ほどあとの新印象主義の点描を思わせる。
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そしてこれは伏見人形図。これはさしづめ、コロンビアのフェルナンド・ボテロの作品かと見まがうくらいだ。
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このように、動植綵絵という空前絶後の傑作とともに、若冲の驚くほど多彩な作品の数々を堪能できる機会であるので、会社の有給休暇を取るなり、残された最後の週末に開館前に並ぶなり、美術の好きな人なら、あらゆる手段でこの展覧会にお出かけ頂きたい。会期は 5月 24日まで。あと一週間です。い、急げー!! って言っているようにはとても思えないね、この象さんは。
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by yokohama7474 | 2016-05-16 00:43 | 美術・旅行 | Comments(0)