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文京シビックホールは、後楽園の近く、春日駅の上にあるビルの中に入っているのだが、このビル、何を隠そう、文京区役所も入っているのだ。今でこそ東京都の南端の川沿いに住んでいるとは言え、私もかつては文京区民。このあたりは庭のようなものなのである。このホールでは、国内外の素晴らしい演奏家のコンサートが時折開かれるが、今回はまたテミルカーノフとその手兵、サンクト・ペテルブルグ・フィルの演奏会。このコンビは確か前回、2014年の来日でもこのホールでマーラーの「復活」を演奏したはずで、その曲目は日本ツアーで唯一このホールで演奏されたと記憶する (残念ながら聴けなかったが)。さて今回のコンサートも、それぞれの曲はほかのホールでも演奏されているが、この組み合わせはツアー唯一のもの。こんな曲目だ。
 リムスキー・コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35
 チャイコフスキー : 交響曲第 6番ロ短調作品74「悲愴」

いずれも、コンサートのメインで演奏されるべき、ロシア音楽の、いや、西洋音楽の傑作を並べた贅沢な演奏会。この 2曲に共通するのは、いずれも弱音で終わることだ。今回のサンクト・ペテルブルグ・フィルの日本ツアーは今日が最終日。弱音で終わるにしても、オケとしても気合の入るところだろう。それから面白いのは、つい前日ヤネック・ネゼ = セガンとフィラデルフィア管弦楽団の素晴らしい演奏で、「シェエラザード」を聴いたばかり。あちらが米国の真に国際的なオーケストラの演奏なら、こちらはご当地ロシアのオーケストラによる演奏である。つい先ごろ、6月 3日の記事でもこのコンビの演奏を採り上げたが、今年 78歳になる老巨匠が、ソ連崩壊直前の 1988年から 30年近く天塩にかけてきたオケの真価を、再度ここで聴くことになるだろう。
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予想通りと言うべきか、「シェエラザード」はニュアンス満点の名演。ロシアのオケとは言え、このサンクト・ペテルブルグ・フィルだけは昔から別格。いわゆるロシア的な泥臭さが皆無な演奏である。いつもながら安心して聴くことのできるテミルカーノフの演奏に、満員の聴衆も圧倒されっぱなしだ。細部がどうのこうのと語る気にはなれないのが、この演奏の一貫性を表していよう。もちろん、ロシア的なイメージの強烈な音を聴くこともできたが、その雰囲気は、これまでこの国が輩出して来た多くの指揮者とは、テミルカーノフはちょっと違う。大音響で吹っ飛んでしまいがちな抒情的な部分を、彼はいつも大変丁寧に描き出すのだ。その点では、6月 2日に聴いたこのコンビによるショスタコーヴィチ 7番の演奏とも通じ合う部分がある。ある意味での完成形と言ってもよいと思う。終曲の船が難破するシーンでは、通常よりもティンパニが派手に活躍していたが、さっと荒波が引いて、最後の静かなヴァイオリン・ソロに移行する際の潔さ。こういう音楽ができる人は、あらゆる人生の諸相を見てきたにもかかわらず淡々とした、大変な人格者に違いない (ちょっと思い込みが過ぎるかな? 笑)。前日同じ曲を指揮したネゼ = セガンと同様、テミルカーノフも途中で汗を拭いたのだが、そのハンカチはここでは内ポケットにしまわれることなく、軽く畳んで指揮台に置かれた。このあたり、ネゼ = セガンの倍近く生きているテミルカーノフの円熟が巧まずして表れていた (?)。

そして、チャイコフスキーの天下の名曲、「悲愴」である。ここで渦巻く大音響は、常に万感の思い (優しさ、憧れ、情熱、絶望、克己心、諦念・・・) とともにある。第 1楽章前半の緩やかな流れは、来るべき悲劇を予感して間然するところがない。平明でありながら、なんと深い音楽であることか。作曲者自身、自らの音楽を同じ国の後輩音楽家たちがかくも見事に音にしようとは考えなかったのではないか。この肖像、髭を除けばなんとなくテミルカーノフの顔に似ていないか。ただ、現在 77歳のテミルカーノフに対し、チャイコフスキーは 53歳の若さで没している。とてもそんな年には見えないが・・・。
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ここ東京では、「悲愴」の第 3楽章の盛り上がりのあとでも、場違いな拍手が起こることはない。曲をよく知っているのだ (あ、当たり前か 笑)。そして死の淵をのぞき込むような終楽章。なんら奇をてらったことはしないが、一音一音の、魂をすりつぶすような鳴り方がすごい。これぞ音楽の力であろう。ただ、この指揮者の場合、感傷が皆無であるのがまた素晴らしい。激情的音楽を激情的に演奏するのもよいのだが、このような小さな身振りでごく自然な流れを音楽から引き出す指揮はなかなかないだろう。改めて音楽の説得力を実感する。そしてまるで心臓が鼓動を停めるように全曲が終わると、指揮者はごく短い時間で彼岸から現生に戻ってくる。だが、演奏後に振り返ったテミルカーノフの表情は暗い。客席からの喝采に会釈しながらも、終始何か人生を達観したような表情をしていた。私は今聴いたばかりの「悲愴」を心の中で反芻する。淡々とした中に万感の思いを込めた演奏に、涙こそ出ないものの、胸が熱くなるのを禁じ得ない。オケの様子を見ていると、何かアンコールを用意していたように見えたが、テミルカーノフは数度舞台に現れただけで早めにオケを解散させ、結局アンコールはなかった。それから彼は二回、単独で舞台に呼び戻されたが、その表情は哲学者のように見えたものだ。

コンサートを聴き終えて外に出ると、空はまだ明るく、後楽園遊園地の観覧車やジェットコースターと青空の対比がシュールである。
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人間の営みには悲劇がついて回る。だがチャイコフスキーが生涯の最後に描き出した世界では、その悲劇すら浄化されるように思われる。複雑に絡み合う観覧車とジェットコースターを見上げながら私は、「悲愴」の最終楽章を口ずさんでいた。ちょっと寂しいような爽やかなような。テミルカーノフの次回の来日を心待ちにしよう。

by yokohama7474 | 2016-06-05 23:13 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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米国東海岸、ペンシルヴァニア州のフィラデルフィアは、アメリカ合衆国が建国された後、一時期首都となった街である。つまり米国でも最も古い土地のひとつということになるが、この地を本拠地とするフィラデルフィア管弦楽団は、古くから米国を代表するオーケストラのひとつとみなされてきた。ご存知の方も多いと思うが、米国のオケでいわゆる「ビッグ 5」とは、アルファベット順に、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ニューヨーク・フィル、そしてこのフィラデルフィア管弦楽団だ。かつて黄金期を築いたユージン・オーマンディ時代からたびたび日本を訪れており、現在の音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンとは 2年前にも来日している。実はこのオケ、リーマンショック後の不景気に直面して、2011年に会社更生法 (Chapter 11) を申請した経緯がある。平たく言えば倒産である。このオケの輝かしい実績を思うと、これは本当に衝撃的であったが、1年半で見事更生を果たし、ネゼ = セガンを新音楽監督として新たな時代に突入したわけである。

指揮者ヤニック・ネゼ = セガンは 1975年生まれ。現在最も活躍している若手指揮者のひとりであるが、今回のコンサート会場であるミューザ川崎シンフォニーホールには、このような貼り紙が。
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ほうなるほど。ジェームズ・レヴァインがついにメトロポリタン歌劇場 (MET) の音楽監督を辞任するというニュースは先般報道されていたが、ファビオ・ルイージが後任になるものとばかり思っていた。彼は MET の首席指揮者だが、音楽監督ではないわけだ。欧州の超名門、ドレスデン国立歌劇場でも、クリスティアン・ティーレマンが選ばれて袂を別ったルイージであるが、素晴らしい指揮者なのに、もうひとつ恵まれていない。セイジ・オザワ・フェスティバル松本では、今後なにかあるのだろうか・・・。

ルイージの話題はさておき、このネゼ = セガンである。私がロンドンに駐在していた頃には、ロンドン・フィルの首席客演指揮者で、聴こうと思えばチャンスはあったはずだが、結局実演に触れることはなかった。そもそも、この珍しい名前は、一体何人だよ??? と思ったものだ。答えはカナダ人。モントリオールの生まれである。
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私が彼の実演に接したのは、2013年のロッテルダム・フィルとの来日時だけである。その時の印象は、瞬発力のある職人的な指揮というもので、優秀な指揮者であることは分かったが、非常に小柄であることも含め、一部の宣伝文句にあるような「現代のカリスマ」という印象は、正直受けなかった。だが今回のフィラデルフィアとの公演で、そのイメージは一新だ。もちろん指揮者には職人性は不可欠だが、この指揮者には楽員を盛り立てる能力があり、その手腕は恐らくオペラでも発揮されるのではないだろうか。今回の演奏、素晴らしい出来であった。

曲目は以下の通り。
 シベリウス : 交響詩「フィンランディア」作品26
 プロコフィエフ : ヴァイオリン協奏曲第 1番ニ長調作品19 (ヴァイオリン : 五嶋 龍)
 リムスキー・コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35

会場にはまた、指揮者とソリストのサイン入りのこんなポスターが。サインが小さくてよく見えないかもしれませんが (笑)。
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一般的な観点からは、この演奏会の目玉は、人気者である五嶋 龍の登場であろう。彼が出演すると若い女性が殺到して、なかなかチケットが取れないという先入観があり、これまで実演で彼のヴァイオリンを聴く機会に恵まれなかったので、今回はその点でも楽しみである。だが、意外なことにホールにはかなり空席がある。1階席など、半分くらいの入りではなかったか。サントリーホールではこうはならないのかもしれないが・・・。

この演奏会の充実は、最初の「フィンランディア」冒頭の金管の輝かしい音の膨らみで、早くも明らかになった。木管が静かに唱和するのも大変にニュアンス豊か。そして弦の合奏が切り込んで来たときには、鳥肌が立ったものだ。これはあの素晴らしいフィラデルフィア・サウンドではないか!! そこで私が気付いたことには、今回の曲目の最初と最後は、古きよきこのオケの全盛時、オーマンディが好んで演奏した天下の名曲。ネゼ = セガンの目指すところは、やはりこのオケの伝統の復活ではないか。ただもちろん、今回のツアーの他の日には、武満があったりベートーヴェンの弦楽四重奏曲の弦楽合奏版があったりして、この指揮者独自の色を加えてもいるわけだが。

そういえば、2曲目の作曲家、プロコフィエフもオーマンディ得意のレパートリー。五嶋 龍のつややかなヴァイオリンを支えるオケは万全だ。
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この五嶋龍、子供の頃は五嶋みどりの弟として、実は姉にも匹敵する天才少年としてもてはやされたものだが、今年で 28歳になる。フジテレビが毎年成長過程を放送していたのを何度か見たが、その素直な性格とあっけらかんとした自己表現に、天才少年らしい天衣無縫さを感じたものである。だが、天才少年とはいわば人間とは別種の生き物。今や大人の人間としてヴァイオリンを弾く彼は、芸術家としての真価を問われている。今回のプロコフィエフは彼らしい大変素直な美しい演奏であったが、さらに皮肉のスパイスが効いていればもっとよかったかなぁと、少し思った。だがいずれにせよ、たまたま日本人であるだけで、彼は真の国際人。おまけに、プログラム記載の経歴で知ったのだが、なんとハーバード大学で物理を専攻していたのだ!! 物事を多面的に見るため、音楽バカにならない選択をしたということだろう。単なる音楽家にとどまらず、同時代に生きる人々に影響を与えて行ってほしいものだ。

そしてメインの「シェエラザード」であるが、これまた豪快さと細部のニュアンスに富んだ、強烈な演奏。曲の隅々に至るまで、指揮者とオケの信頼関係が明確に伝わってくる名演であった。早めのテンポで始まったものの、木管が纏綿と歌う箇所ではテンポを緩めてじっくりと音を響かせており、実に見事なメリハリであった。このオケの顔ぶれを見ると、木管を中心に、かなりベテランが多い。ということは、長くここで演奏している奏者が多いのだろう。それゆえに、オケの輝かしい伝統がからだに沁みついており、そこにこの若手指揮者が霊感を吹き込んでいるものと見えた。フィラデルフィア、新たな黄金期を形成中ではないだろうか。ところでこれが、昔懐かしい、オーマンディとこのオケによる「シェエラザード」のジャケット。この曲の主題であるアラビアン・ナイトの世界であるが、今はこんなジャケットはちょっと恥ずかしいでしょうね (笑)。
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白熱の演奏が終了すると、指揮者もオケも会心の笑顔だ。客席の一部ではスタンディング・オベーションも。ホールに集った者だけが共有できる充実感だ。そしてネゼ = セガンは花束を持って再登場し、東洋人と見えるピッコロ奏者のところへ。あとで分かったことには、この人は時任和夫という日本人で、1981年からこのオケで演奏してきたらしい。今回のツァーで引退ということだろうか。実は翌 6月 5日 (日) が彼らのツァーの最終日なのだが、その曲目を眺めると、どうやらピッコロは使われていないようだ。なので、今回がこのツァーでの最後のお勤めということになったのだろう。
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そして指揮者は「ドウモアリガトウゴザイマス」と客席に挨拶。「アンコール」という発音も、見事に日本語風。だがその後の「グラズノフ、プチ・アダージョ」という説明がよく通じず、客席からは「ん?」という声が漏れた。演奏されたのは、グラズノフのバレエ音楽「四季」の中の「秋」から、小アダージョ。非常に美しいメロディで、聴いていてちょっとプッチーニを連想するところもある(プチ・プッチーニ?)。あのように情緒豊かな演奏ができるネゼ = セガンなら、きっと MET で振るオペラも、充実したものになるのではないか。あ、それから、この人、かなり几帳面な性格のようだ。というのも、「シェエラザード」の演奏中、懐からハンカチを取り出し、汗を拭いたあと、丁寧に折り畳んでから、内ポケットにしまったからだ。あ、もちろん楽章と楽章の間でのことである(笑)。このような仕草からも、コンサートの雰囲気は形成されるものである。

そんなわけで、老舗オケが苦難を乗り越えて新たな時代に入っていることが実感できて、大変嬉しい思いをしたことである。今後ネゼ = セガンはやはり注目だ。ハンカチをきっちり畳んでの熱演、また期待します。
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by yokohama7474 | 2016-06-05 02:55 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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実はこの展覧会、週末に都内で少し空いた時間に見たものであるが、それは開催初日の 4月23日。その後、あっという間に 1ヶ月半が経ってしまった。だが私には計算があったのだ。鳴っては消えて行く音たちを追想するコンサートや、細部に作り手のこだわりを感じることもある映画、そして、鑑賞して行くうちに特定の画家の画歴にある感情を覚えることのある美術展などは、極力記憶が鮮明なうちに記事を書いた方がよい。ところがこの展覧会は一風変わっていて、展示されている美術作品は様々な作者によるもので、作られた時代も様々。個々の作品から感じるインパクトは当然あるものの、作品群の連続によって何か感情の流れが生まれるという性質のものではない。それもそのはず、これは、文豪 川端康成が集めた美術コレクションを中心とした展覧会であるからだ。なので鑑賞後に時間が経過してもそれほど影響はなく、しかも開催期間が 2ヶ月近くあるので、今から記事を書いてもまだ幾分は、これから鑑賞される方々の参考にはなるだろう。と、記事のアップが遅れた言い訳にこんなにスペースを使ってしまっております (笑)。

副題に、「知識も理屈もなく、私はただ見てゐる」とあるが、なんとも昔の文人らしい、カッコをつけた言い分ではありませんか。知識もあり、こねようと思えば理屈もこねられる人であるから、このようなキザな物言いが様になるのだろう。改めて、こういう文人が輝いていた時代は遥か過去になってしまったなぁと思う。まあ実際、川端ほどの鋭敏な感性で美術品を見ると、凡人がいかにがんばっても見えないものが見えるのであろうと思う。タイトルの「伝統とモダニズム」とは、まさに川端文学の神髄ではないか。
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3月13日の鎌倉に関する記事で、同地の覚園寺にある薬師如来を、自殺前日の川端が熱心に拝みに来ていたことをご紹介したが、恐らく彼の心の中には、純粋な美に対する憧れがあって、自分の鑑賞する対象が有名であるとか人気があるということは全くどうでもよく、自分の感性の赴くままに対象への思い入れを深める人であったのだと思う。この展覧会に並んだ彼の旧蔵美術品を見ていると、美との潔い対峙に、何か襟を正すべき思いを抱かざるを得ない。展覧会は、川端が所蔵した「現代美術」で始まる。最初は草間彌生だが、彼女の作品はよく知られているので割愛し、これをご紹介しよう。
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マーク・ロスコ? いえいえ違います。村上肥出男の「カモメ」という 1970年の作品。この画家は 1933年生まれで、未だ現存であるようだが、一般には全く知られていない名前である。もちろん私も知らなかった。ゴッホに憧れて単独で絵を学んだ画家であるが、肉体労働の傍ら絵を描き続け、銀座の路上で絵を売っていたところを彫刻家の本郷新に見出されたとのこと。その後パリでも賞を取るなどして活躍したが、1997年に自宅アトリエが全焼したことで精神に異常をきたし、今でも病院で療養生活を送っているらしい。川端は 1963年の文章 (「週刊日記」) で村上に言及している。当時村上は 30歳。なんの偏見もなく美に相対する川端の態度に恐れ入る。

もうひとつ、無名画家の作品。ベル・串田 (1913 - 1994) の「センチメンタル・ジャーニー - 神とともに」(1967年作)。
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同じ題名で 3作あるらしいが、1968年に銀座の日動サロンでこの画家の展覧会が開かれた際、そこを訪れた川端は、「この絵にはロマンがある。マチエールがとてもいい。私の書斎に飾っておきたい」と激賞した。その場では非売品ということで願いは叶わなかったが、数ヶ月後、画家自身から、ノーベル賞受賞記念として贈呈されたという。

それから、川端が高く評価した画家としては、なんといっても古賀春江 (念のため、男性です) の名を挙げないわけにはいかない。4歳年上の古賀と川端は、お互いの芸術に関して意気投合する仲であった。だがその交流は 2年しか続かず、古賀の 38歳での死をもって永遠に途絶えてしまった。川端が所蔵していた古賀の作品と言えば、このブログでも 1月11日のカマキンに関する記事でご紹介した代表作「窓外の化粧」が有名であるが、今回の展覧会では、古賀の小品が 10点ばかり展示されている。これは「煙火 (はなび)」(1927年) と、シュールな「海の幻想」(制作年不詳)。いかにも古賀らしいメルヘンが横溢しているではないか。
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それから、歴代の日本画家の中でも抜群の人気を誇る、東山魁夷の作品が多く並んでいる。私がこの画家がどうも苦手なのであるが、だがしかし思い出してみると、川端作品の新潮文庫の装丁はこの画家が手掛けていることが多かった。これは画家がやはりノーベル賞受賞記念で川端に贈呈した「北山初雪」(1968年)。情緒はありますね。
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さて川端と言えば、後年のいかにも日本的な作品を連想する人が多いかもしれないが、もともとはかなりのモダニストであるのだ。これは未だ旧制中学時代、1916年に 17歳の川端が描いた有名な自画像。痩せていたせいだろう、「するめ」とあだ名されていたらしく、これはまさに、するめ的自画像。
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上京して一高生 (と言っても分からない人がいるだろうか。第一高等学校、今日の東京大学だ) となった川端は、カフェの女給、伊藤初代と恋仲になる。文豪の内面が形成されるにあたって、この恋愛は重要なものであったようだ。最近も伊藤初代との書簡などの新発見があったと読んだ記憶がある。この展覧会でも、川端が初代にあてた手紙が展示されている。以下の写真から見ることができるだけでも、何やら恥ずかしくなるような初恋の煩悶 (笑)。未来の文豪をして「恋しくって恋しくって」と言わせしめた伊藤初代とは、大変なミューズであったのだろう。
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若い頃のモダニズムの川端も、興味尽きない。横光利一の親友として新感覚派をなし、衣笠貞之助のアヴァンギャルド映画「狂った一頁」に原作を提供した彼の顔も、また真実のものである。私も随分以前に「浅草紅團」を読んでその先鋭的なモダニズムに舌を巻いたものだが、当時の浅草の雰囲気を伝える見世物小屋のチラシなども、この展覧会には展示されている。
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さて展覧会後半は、落ち着いた (?) 川端の姿に触れることとなる。彼の収集した日本とアジアの古美術品の数々である。これは鎌倉時代の聖徳太子像。いわゆる太子の五歳像と言われるものだ。なかなかの優品ではないか。
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これはガンダーラ仏の仏頭。現在のアフガニスタンのハッダという遺跡から発掘されたものらしい。川端はこの仏頭を、自宅を訪ねてくる西洋人たちに見せ、古代の東西文化交流のシンボルとして紹介したという。うーむ、私が常々唱えているユーラシア大陸の文明の伝播のダイナミズムを川端も唱えていたとは、誠に勇気づけられる逸話である。
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日本の絵画に関しては、かなり枯れた趣味であったようだ。この写真は、土門拳の撮影になる川端の肖像。何やら熱心に台の裏に書かれた文章を読んでいる。
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実はこれ、与謝蕪村が制作した文台 (ぶんだい) なのである。蕪村は、京都の嵯峨野にあった大きな桐の木から文台を 3つ作ったが、そのうちのひとつを自分で愛用していたところ、弟子が欲しがるので譲ったという意味の文章が書いてあるらしい。実はこの写真に写っていても所在が判明していなかったところ、2009年になって鎌倉の川端邸から発見されたとのこと。この蕪村の書はどうだろう。堂々としてしかも洒脱ではないか。
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そして、川端が所蔵していた国宝が 2点、展示されている。ひとつは、与謝蕪村と池大雅の共作になる「十便十宜図」(十便は山中の営みを、十宜は季節・時間・天候の変化による楽しみを描く)。実は上の写真で川端の左右に無造作に置かれているのが、2冊で構成されるこの作品である。左の方では、すぐ近くに煙草が置かれている。あー、国宝を前に、一体なんちゅう危ないことを!! でもこの無頓着さがまた川端らしくもある (笑)。この「十便十宜図」、蕪村と大雅のコラボとなれば、楽しくないわけがない。以下は大雅の手になる十便のひとつ、「釣便 (ちょうべん)」。風流ですのぉ。
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川端所蔵のもうひとつの国宝は、浦上玉堂の「凍雲篩雪図」(とううんしせず)。
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玉堂の作品については、追ってアップ予定の出光美術館の「美の祝典 II」でも触れるが、なんともモワーッとしたものである。蕪村・大雅と同じく、文人画というか南画というか、独特の時代の感性をたたえている。この作品をまじまじと眺めてみて私は、日本人の芸術感の、曖昧ながらも闊達な自由さに改めて思い至ったのである。かつて日本人はかくも自由であったのだ。現代の我々は、ここから学ぶところが多いであろう。この作品、川端が購入した 2年後の 1952年に国宝に指定され、川端の眼力を証明するものとなっている。

さて展覧会の最後のコーナーは、川端が様々な文学者と交わした書簡である。それぞれに興味深いが、ここでは文句なしの第一級の文人 4人を紹介しよう。まずは谷崎潤一郎の新発見の書簡。谷崎は川端よりも 13歳年上だ。さすが、こんな達筆なのである。どんな耽美的な内容かと思いきや、京都に転居したこととか、「蓼喰ふ虫」の印税がどうのとある。ちょっと興ざめかな (笑)。
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そして次は坂口安吾の、これも新発見の書簡。坂口は川端よりも 7歳年下だ。さて、どんな破天荒な、堕落についての不連続な議論かと思いきや、川端から送られた犬 (コリー) が無事到着し、最初はグッタリして痙攣していたが、医者の到着前にケロリとして今はハシャイでいるという内容。うーむ、ここでも文学の書簡とはちょっと違いますな (笑)。写真のコリーは飽くまでイメージです。
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それから、最強の文学者登場。ほかならぬ三島由紀夫だ。川端よりも 26歳年下。よし、さすがにここでは、日本の伝統美についての命をかけた議論がなされているに違いない・・・。と思って見てみると、下田に行っただの、関西や九州に行くだの、またまた、全く文学と関係ない話題じゃないの!! まあしかしその失望は、随分前に読んだ川端と三島の書簡集で経験済だ。
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そして最後は誰あろう。太宰治。川端より 10歳年下だ。太宰が第一回の芥川賞を巡って川端と対立関係となってしまったこと (川端の「作者目下の生活に厭な雲ありて」という言葉の辛辣さ!!) は文学史上有名な逸話であり、その頃太宰が川端に送った手紙の実物というものも以前見たことがある。「刺す。そうも思った」という直筆の恐ろしい文章に、なんとも言えない情念を感じて忘れがたい。ここで展示されているのは、その憎悪が生まれる前の、芥川賞を熱望する内容の書簡。いかにも太宰らしい書きぶりの一部をご紹介する。
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このように、様々な文学者から慕われ尊敬された川端であったが、最後は自ら死を選んだのである。その内面は凡人には計り知れないが、ある意味、常に冷静に、自らの立ち位置をわきまえていた人ではなかったか。ここでは川端作品に対する私の思いを書き連ねることはしないが、最後に、彼自身による書をご紹介しよう。ノーベル賞のスピーチとも関係している内容だ。
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今の日本人は、少しでも川端の美意識に近づいたであろうか。この展覧会で見られる様々な「美」に、誰しもが彼の透徹した視線を感じるであろう。そしていつの日か「美しい日本」と冷静に呟けるよう、少しでも物事を見ては考えるというきっかけを与えてくれる展覧会であると思う。

by yokohama7474 | 2016-06-05 01:09 | 美術・旅行 | Comments(2)

ブログ開設一周年

おかげさまで、昨日 2016年 6月 3日をもって、このブログの開設一周年を迎えました。ええっと、今年はうるう年なので、1年が 366日。それに昨日当日を加えて 367日間の間に書いた記事の数が 324。そのうち「その他」に分類した記事が 9つあるので、このブログの本来の趣旨である文化探訪に関する記事は 315ということになる。367日に 315本の記事。平均すると、約 1.16日に 1本。まあほぼ毎日に近いペースで記事を書いてきたことになる。私のことをご存じない方は、もしかしたら引退して時間のたっぷりある人間だと思われるかもしれないが、なんのことはない、出張もあれば残業もあれば接待も飲み会もある普通のサラリーマンなので、その生活の中、このペースで記事を書き続けたことは、まずまずのことかな、と思います。実際、ブログを書く前にも文化生活という意味では同じようなペースでコンサートや美術館や映画に出かけていたものの、慌ただしい生活にまみれて、見たり聴いたりしたことをすぐに忘れてしまうようなこともあって、それはいかんと思ったことが、そもそもブログを始めようかと思い立ったきっかけである。ただ、それほど悲壮な決意を持って始めたわけでもなんでもなく、ちょっとやってみようかな、くらいの軽い気持ちであった。実はそれは今でも変わっていなくて、多少仕事の要領をよくするとか、調べものをするとか、睡眠時間を減らすということは仕方なくやっているが、青息吐息で決死の記事を書いているわけではなく、まあ、かなりの場合、酔っぱらって気楽にやっているのである。書いているうちにうたた寝してしまっているのに、目覚めると文章が進んでいることもあります。不思議です (笑)。ほとんどシュールレアリストによる自動筆記 (オートマティスム) のようである。実際どの記事も、書き始めるまで何を書くか決めておらず、まあそれは即興的にやっているので、書くことがあまり心理的な負担にはなっていないのでしょうな。
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やって行くうちに気付いたのは、記事の蓄積が増えると、過去の記事へのアクセスによって、訪問者数が加速度的に増えるということ。一度書いた記事は消さないわけだから、これは当然のことだ。ただ、それにしても、最初は訪問者 1,000人、2,000人で喜び緊張していたものが、1年経過してみると、累計訪問者数 28,312人という数字に至っており、ちょっとびっくりだ。中でも、ベルリン・フィル 4連発と若冲展の記事を書いたあと、今年の 5月16日には、excite ブログ中のアクセス数順位で、「音楽」カテゴリーでは 1510ブログ中 6位、「アート・デザイン」カテゴリーでは 1693ブログ中、実に 3位になったことは、全く信じられない思いであった。一応は、自分が見たり聴いたりしたことから感じた事柄を率直に記すことで、少しでも文化の諸相に近づきたいし、また、特に東京という大都会で起こっている文化イヴェントの意義を紹介したいという思いに駆られているので、アクセスが多いことは大変励みになります。

ふと気まぐれに思いついて始めたブログなので、またいつ、ふいとやめてしまうか分かりませんが、当面は続ける所存ですので、またお立ち寄り頂ければ幸いです。いろんなものを見ては記録する。この広目天像のような態度で、様々な文化と切り結びます!!
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by yokohama7474 | 2016-06-04 01:37 | その他 | Comments(0)

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スクリーンの中のスターを見ている観客たちは、そのスターがいつまでも輝いていて欲しいと思うもの。だが、いかなるスターとて人間。年を取れば少なくとも外見上の美は衰えて行くし、いつかは死んでしまうわけだ。時の不可逆性。そんな当たり前のことを思う瞬間は、しかし日常生活では決して多くない。それだからこそ、映画における仮想世界を経験して、現実を補う必要がある。例えばロバート・デ・ニーロとかアル・パチーノといった長く活躍している名優たちは最近、なんらかのかたちで老いを表現する役柄を演じることが増えてきたし、今後も増えて行くだろう。彼らはまた、老いたスターとしての何か新しい発見を見せてくれるに違いない。

この映画における大きなテーマは、間違いなく「老い」である。だが、原題は "Youth" = 若さという、真逆の意味の言葉だ。邦題の「グランドフィナーレ」は、人生の終局で鳴り響く何か素晴らしいものというイメージであり、上記のポスターのようなゴージャスな色合いにはそれなりに合ってはいる。だが、老年を扱っているのに若さという逆説の面白さは、この邦題では残念ながらどこかに吹き飛んでしまっている。ここで老いに向かい合う俳優は、「バットマン」シリーズの執事役や、このブログでも大絶賛した「キングスマン」での名演技も記憶に新しい、マイケル・ケイン。1933年生まれなので、既に今年 83歳という高齢だ。
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彼が演じるのは、引退した英国の作曲家 = 指揮者。英国人指揮者でこのカールした銀髪となると、外見上のモデルは当然コリン・デイヴィスだろう。こうして横顔で比べると、同一人物にすら見えるくらい、そっくりだ (笑)。
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そして、マイケル・ケイン演じるフレッド・バリンジャーは、作中で有名作品とされている「シンプル・ソング」の作曲者とされている。この曲は劇中で少年のへたくそな練習によって断片的に聴かれるが、クライマックスのまさにグランドフィナーレで、満を持して全曲が演奏される。ん? 指揮者が作曲した「シンプル・ソング」だと? それは言うまでもなく、レナード・バーンスタインの問題作「ミサ曲」に出てくるあの「シンプル・ソング」にヒントを得ているに違いない。そして劇中で演奏されるこの曲、バーンスタインの作風、とりわけ「キャンディード」(「クーネーゴォーンデー・・・」と歌うあの静謐なメロディ) を思わせる。
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まあそんなわけで、クラシック音楽ファンにとっては細部の興味もあれこれあるのだが、やはりどうしてもここで書いておかなくてはならないのは、最後のグランドフィナーレのシーンで予告もなしに登場する二人の音楽家。まずは背中を向けているこの女性ヴァイオリニスト。
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映画の中では何度も正面からの映像が出てくるが、ネット上の画像検索ではそれは見当たらない。誰あろう、これはあのヴィクトリア・ムローヴァだ。つい最近、5月28日の記事で、キリル・カラビッツ指揮 読売日本交響楽団との協演について書いたばかりで、まさかこの映画に出ているとは全く知らなかったので、大変びっくりだ。あ、こちらを振り返った (笑)。
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それからもうひとり。この派手な衣装の東洋人のオバチャンは誰だ。
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答えは韓国の生んだ世界的ソプラノ、スミ・ジョーだ。最近の活躍はそれほど聞かなくなったが、かつてカラヤンに可愛がられ、1989年に彼がザルツブルクで振るはずであったヴェルディの「仮面舞踏会」(カラヤンの死去によりショルティが代わりに指揮) でオスカルを演じていた。また、「カラヤン・イン・ザルツブルク」という記録映画では、バッハのロ短調ミサ曲をカラヤンとともに練習するシーンが見られた。そしてご満悦のカラヤンは、彼女にこう問うたのである。
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とまあ、映画の記事なのに音楽のことばかり書いている私は、全くふざけた男である。では汚名挽回のため (?)、少し映画について触れてみよう。一言で言って、これは素晴らしい映画。ここで脚本・監督を務めているのは、1970年生まれとまだ若いイタリア人、パオロ・ソレンティーノ。そのブラックな笑いと静かな人生賛歌の巧まざる共存は、いかなる人でも (そう、音楽に興味のない人でも!) 惹きつけられるに違いない。面白いシーンを挙げると枚挙にいとまがないのだ。
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舞台はスイスの高級リゾートであるのだが、このような美しい風景を散歩する登場人物たちは、人生を生きる意味とか、世界の平和とか、自然の偉大さと言った高尚な話題に触れることなく、2人の男の場合、前立腺肥大による排尿困難の話や、昔取り合った女性とその後関係を持ったとか持たないとかいうバカ話に終始し、父と娘の場合は、娘が、夫が愛人を作って離婚話を持ち出していることへの憤りをあらわにすると、父はその理由を知っているが言いたくないともったいぶるのだ (笑)。
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でも私はこれらのシーンに大変心を動かされた。身近な悩みやバカ話が、本当に人間が生きていることの証なのである。この雄大な自然の中でちっぽけな人間の営みがあることが、この上なく尊いもののように思われてくる。もちろんそのように感じられるのは、役者がよいからだ。まず、上記の「男 2人」の一方はもちろんマイケル・ケインだが、もう 1人は、久しぶりに見るハーヴェイ・カイテル。
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私はこの人のチョイ悪ぶりが好きなのだが、この映画でも基本は昔と変わらぬ感じが出ていて、安心 (?) した。ただ、年を取ることで昔より渋みが増したとは言ってもよいかもしれない。そして、マイケル・ケインの娘役は、レイチェル・ワイズ。
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この映画での彼女は、本当によい。上の写真のシーンでは、ずっとアップの長回しで、父親の昔の素行の悪さと母親の苦労について語って行くうちに涙が出てくるという設定だが、そのセリフ回しのリアルさ、ひとつひとつ発する言葉の美しさ、そして何よりも、感情の動きをコントロールして解き放つ感じが、本当によい。これだけできれば、もう「ハムナプトラ」のヒロイン役を演じる必要はないだろう!!

そして、登場シーンは少ないが強烈な印象を残すジェーン・フォンダ。もう 80近いが、老齢のリアリティをうまく演技に転嫁している。
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大自然のもと、ここで登場人物たちが向き合うのは、ほとんどが過去の幻影と、現在の苦悩が変形したヴィジョンである。またこのリゾートに集っているのは、かつて世界を席巻したが今は別人のように太ってしまったサッカー選手 (誰もがマラドーナを連想してしまうだろう)、毎日全く言葉を交わすことなく食事をともにする夫婦、ロボット物で有名になったがそれからの飛躍を求めてもがく俳優、自らの美を誇るミス・ユニバース、そして、命ないもののようにプールに並ぶ、物言わぬ人々。
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それぞれの人に謎めいた要素があり、映画はその謎の断片を取り上げては無責任に放り出す。だがなぜかその無責任さが心地よいのだ。きっともう一度見ると、また違った発見があるに違いない。

上のプールの写真でもそうだが、この映画でのひとつのイメージは水である。ヴェネツィアのサン・マルコ寺院やフェニーチェ劇場が水浸しになり、思い出の女がその中を通り抜けて行く。そして主人公の中のヴェネツィアは、自らがかつて親交を持ち、死後同地に葬られた大作曲家、ストラヴィンスキーの思い出にもつながって行くという設定になっている。劇中で使われるストラヴィンスキーの音楽はただ一か所、曲は「火の鳥」だ。子守歌から終曲に入ろうとする静かな部分だが、いつまで経っても終曲に入らず、同じ部分を繰り返している (笑)。作曲者が聴いたら怒るかもしれない。これも老いた肖像。
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そんなわけで、最後はまた音楽関係の話に戻って来てしまったが (笑)、繰り返して申し上げると、音楽の知識のない人でも充分楽しめる、大人の映画だ。記事を書きながら、ここで触れることのできなかったシーンもあれこれ頭の中に甦ってきて、大変楽しい。これを見ておけば、いつか来る人生のグランドフィナーレにおいても、"Youth" = 若さを持ってそれに対することができるような気がする。老後の平安のためにも、お薦めしておきます。

by yokohama7474 | 2016-06-04 00:32 | 映画 | Comments(0)

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昨年 6月、このブログを始めてまだ間もない頃に、ロシアの名指揮者ユーリ・テミルカーノフが読売日本交響楽団を指揮した 3回の演奏会を採り上げた。そして彼は今、1988年以降音楽監督を務めるサンクト・ペテルブルグ・フィルと来日している。このコンビはこのところ 2- 3年に一度は日本に来ているが、ソ連時代には「レニングラード・フィル」として不世出の鬼才エフゲニー・ムラヴィンスキーの薫陶を受けたオケと、その表現力の深さでは現代屈指と言ってもよい 77歳の巨匠テミルカーノフの、長く続く蜜月ぶりを、日本にいながらにして聴けるとは幸運なことだ。今回の来日では、ピアノのチョ・ソンジン、ヴァイオリンの諏訪内晶子を主たるソリストとして全国で 7回のコンサートを開く。但しそのうち 2回は、昭和女子大と聖徳大学の学内公演だ。これらの大学のホールは随分以前には来日オケの演奏会場として使われていた時代もあったが、その後便利な場所に優れたホールがあれこれできたせいで、最近ではあまり使われなくなっているのが実情ではある。なので、今日び、こんな素晴らしい演奏家の学内公演があるとは、学生さんたちはこれまた幸運なことだ。
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ロシアのオケの常として、曲目はどうしてもロシア音楽中心になってしまうのはある程度やむを得ないが、本当はベートーヴェンとかブラームスとか、あるいはブルックナー、マーラーなど採り上げて欲しいところ。今回は特にどのプログラムもすべてロシアの作品で、少々がっかりと言うと語弊があるだろうか。だがそんな中で、今回の曲目は最も私の食指をそそるもの。
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 7番ハ長調作品60「レニングラード」

この曲は演奏時間 80分を要する大曲であるが、私は 2003年にもこの同じ演奏者によるこの曲の演奏を同じサントリーホールで聴いていて、それが大変に強烈なものであったのだ。今でも、あの演奏の終楽章の大団円において、灼熱の音楽がマグマのように噴き上げながら熱を放射するのを聴いた興奮は忘れられない。あれは何かを記念したコンサートだったと思って当時のプログラムを見てみると、サンクト・ペテルブルグ建都 300年祭であった。あの素晴らしい演奏の再現を求めて、私はこの今回このコンサートに足を運んだのである。だがしかし、今回のプログラムに寄稿されている東条 碩夫 (とうじょう ひろお、最近のコンサートで最も頻繁にお見掛けする音楽評論家だ) の文章によると、1994年にも東京芸術劇場で同じコンビの演奏があって、そちらはもっとすごい演奏であったとのこと。それは知らなかった。

ともあれ、そのような期待を抱いて入ったサントリーホールは、あろうことか空席がかなり目立つ状態。残念なことである。たまたま 2003年に聴いたときと同じような場所の席に座って大編成のオケを見渡すと、トランペット、ホルン、トロンボーンに打楽器と、日本人のエキストラの顔が見える。また、NHK が演奏を映像収録していた。これは彼らの本拠地での写真。
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さて演奏であるが、やはり凄かった。特に金管が鳴り出すともう耳が痛いくらいで、しかも昔ながらのロシア風と言うべきか、朗々とつややかに響くというよりも、なんというのか、強いアクセントで鋭く耳に入ってくるので、その迫力たるや凄まじいものであるのだ。分厚い弦も多様な音を繰り出して圧巻であったし、木管楽器の自発性も瞠目すべきもの。テミルカーノフはいつも指揮棒を持たずに丁寧に譜面を見て指揮するのであるが、職人性に依拠しながら、音楽の大きな流れを作り出すことに長けている。既に 70代後半に入っているとは言え、80分の大作でこれだけ骨太の音楽を引き出せるのは本当に大したもので、4楽章を一気に聴かせ切った感がある。だがその上で、13年前に聴いた演奏との比較を試みると、実は今回はむしろ、細部のニュアンスにこだわったきめ細かい演奏なのではないかという気がするのである。例えば第 1楽章の「戦争の主題」による壮大な盛り上がりが終わったあとの脱力感とか、第 2楽章の冒頭の中間色の弦の進行とか、第 3楽章で延々と 2本のフルートが絡み合う箇所の深い表情とか (終演後、指揮者は、コンサートマスターの次にソロ・フルート奏者に起立を促して、さもありなんと思ったものだ)、その他、クラリネットやファゴットのソロになんとも言えない彫りの深さを感じる瞬間があった。その分、全曲のクライマックスで音楽はまたもや灼熱と化したとは言っても、音の温度の高さよりも、その表面の色使いの多彩さにこそ聴くべきものがあったと言いたい。もともと、同じロシアの先輩であったスヴェトラーノフのような爆演タイプの指揮者ではないので、これはテミルカーノフの円熟と言えるのであろう。その意味では、なかなか聴けない練達の音楽であったと言ってよいと思う。尚、これだけの大曲なので、アンコールは演奏されなかった。

さて、少しこの曲について触れておきたい。この交響曲は第二次世界大戦中、1941年 9月から約 900日に亘ってドイツ軍がレニングラード (現在のサンクト・ペテルブルグ) を包囲した際に、戦火の中で書かれたシンフォニーである。ショスタコーヴィチ自身はこの非常時に国のために戦いたいとの意思を表明したようであるが、さすがに徴用はされず、音楽院の消防隊に配属されたそうだ。このジャケット写真はそのときのものであろうか。
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私は 2013年に初めてサンクト・ペテルブルグを訪れ、エルミタージュ美術館を含む各地の観光では非常に感銘を受けたが、ガイドが説明してくれるレニングラード包囲の頃の惨憺たる状況に衝撃を受け、帰国してから、スターリンの評伝と、それから、マイケル・ジョーンズという人の書いた「レニングラード封鎖」という本を読んだ。そして、そこに描かれた凄まじい地獄絵図に言葉を失ったのである。
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いかに戦時下とはいえ、このような異常事態 (レングラード包囲戦のみならず、独ソ戦全般) における敵同士であったドイツ人とロシア人は、もう未来永劫憎しみ合ってもおかしくないと思われるほどだ。餓死せずに生き残るだけで人々が精いっぱいであったとき、未だドイツの包囲下であった 1942年 3月にこの交響曲は初演されている。その後西側でもトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーらが競って取り上げた。今私の手元には、前二者の指揮による当時の録音の CD があり、加えて興味深いのは、戦後の 1946年、チェリビダッケがベルリン・フィルを指揮した CD もあるのである。ロシア人と凄絶に殺し合ったドイツ人が、戦後すぐにこの曲を演奏したとき、演奏者も聴き手も、いかなる感情を抱いたであろうか。それを考えると、人間の持つ恐ろしさと素晴らしさを、ともに感じてしまうのである。この曲の初演に関しては、ひのまどかの「戦火のシンフォニー」という本も手元にあるが、未だ読んでいない。歴史的事実に興味はあるのだが、読むにはかなり精神力を要するであろう。

そんなわけで、前項のマヤコフスキーと併せ、ソ連時代の芸術家の苦闘に思いを馳せてみた。そんな過去を当事者として持つロシア人たちが演奏するショスタコーヴィチは、やはり傾聴に値するとも言えるが、ただこの平和な時代には、曲そのものの持つ生命力に虚心坦懐に耳を傾けることが大切であろうとも、一方では思うのである。時は流れても、音楽は残る。なんという素晴らしいことか。

by yokohama7474 | 2016-06-03 01:02 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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ウラディーミル・マヤコスフキー (1893 - 1930) はロシア・アヴァンギャルドを代表する詩人である。この本はそのマヤコフスキーによる短い戯曲を収めたもの。最近でこそ東京でロシア・アヴァンギャルドや構成主義の展覧会はあまり多くないものの、1980年代以降、何度も興味深い展覧会が開かれてきた。ロシアにおいて両世界大戦間に花開いた前衛活動の時代は、そのままロシア革命とスターリン時代の間。巨大な帝政が転覆して誕生した世界最初の共産党国家として、内外の戦闘において、また粛清によって多くの血がロシアで流されたという痛ましい歴史があるわけだが、文化・芸術の面では刺激に満ちた時代となった。ロシア・アヴァンギャルドの雰囲気を示す作家として、パーヴェル・フィローノフ (1883 - 1941) の作品のイメージを紹介しよう。これは、我が家の書棚から引っ張り出して来た、1990年にパリのポンピドゥー・センターで見た展覧会のカタログ。私にとっては、生まれて初めて訪れたパリで、ロシア・アヴァンギャルドの代表として名前を知っていたこの画家の展覧会を見ることができた喜びは未だに忘れ難いものだ。今手元に充分な資料がないが、確か私はフィローノフの名前を、「世界最初の抽象画家のひとり」として認識していた。
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さてこのフィローノフ、1913年にこの戯曲「悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー」(表記は冒頭に掲げた小笠原豊樹訳による土曜社のヤマコフスキー叢書に従う) がサンクト・ペテルブルクで初演されたとき、その舞台美術を担当したという。主役は当時 20歳のマヤコフスキー自身。その他の俳優は公募で集めた素人ばかりであったという。1913年ということは、未だ帝政時代であるが、既に胎動している前衛芸術の様子を偲ぶことができる。

この戯曲、本でさっと読んだ限りでは、一体何が進行しているのかあまり想像できないようなものであるが (笑)、それゆえにこそ、本当にロシア・アヴァンギャルドの雰囲気がいっぱいで、わけもなく嬉しくなってきてしまう。なにせ本文の最初の部分を開くと、こんな感じなのである。
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このプロローグでのマヤコフスキー自身の口上を少し引用してみよう。

QUOTE
きみたちにわかるかな、
なぜぼくが
嘲りの嵐のなか、
平然と、
自分の魂を大皿に載せて
モダンな食事の席へ運ぶのか。
広場のほっぺたの無精髭を伝い
無用の涙となって流れる、
このぼくは、
恐らく
最後の詩人なのだろう。
UNQUOTE

すっとぼけたイラストのイメージとは異なり、詩の内容は、シニカルなようで意外と情緒的であるのがお分かりであろう。私はこれまでマヤコフスキーの作品には断片的にしか触れてこなかったので、このようなイメージと内実のギャップに興味を抱くとともに、この詩人のナイーブな内面に好感を抱くに至った。このイラストは、「乾いた黒猫の群を連れている老人」という登場人物のセリフ、「さあ、こするんだ! 乾いた黒猫を、こすれや、こすれ!」という部分に添えられたもの (笑)。
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私の知識では、この詩人は若くして自殺したとの整理になっているが、いろいろと調べてみると、ピストルで頭を撃ち抜いて発見されたものの、今では他殺という説もかなり有力になってきているようだ。没年は 1930年。スターリン時代であり、秘密警察の関与があってもおかしくない時代である。時代を駆け抜けた天才詩人に、一体何があったのか。
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この土曜社のマヤコフスキー叢書は、2014年 5月から、全 15巻の予定で刊行中。「背骨のフルート」「南京虫」「風呂」等、彼の一連の作品を読んでみたい。ロシアの芸術の理解への道程にはなるだろうと思います。

by yokohama7474 | 2016-06-02 23:11 | 書物 | Comments(0)

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東京・初台の新国立劇場は、このワーグナーの「ローエングリン」とはゆかりがある。1997年にオープンした際の演目のひとつがこれであったのだ (こけら落としは團伊玖磨の「建 (TAKERU)」、そしてもうひとつのオープン記念演目はヴェルディの「アイーダ」)。このときの「ローエングリン」は私も見たが、日本におけるワーグナー演奏の立役者である若杉弘の指揮、作曲者の孫にあたるウォルフガンク・ワーグナーの演出であった。それから 19年。このオペラハウスには課題は未だあれこれあれど、この劇場でオペラを常打ちしているということ自体に、私は大きな意味があると思っている。東京は世界でも恐らく唯一、夥しい数の世界のオペラハウスの引っ越し公演が次から次へと行われている街。そんな中で、ちゃんと専門のオペラハウスがあって、ドイツ・イタリアの名作オペラだけではなく、日本の作品、フランスの若干マニアックな作品等々、非常によく考えられた多彩なプログラムを継続して上演していることは、日本の文化度の高さを示す事実として誇ってもよいと思う。

この「ローエングリン」、新国立劇場では、2012年には早くも新たな演出で上演されたが、今回上演されているのはその再演である。この劇場ではどの演目も、会場で販売されているプログラムに、その演目のこの劇場での過去の上演記録が掲載されている。設立 20年弱にしてこの意気込みは、大変興味深い。これがこの先 50年、100年と続いて行くと、どんどんデータが蓄積して行くわけであって、ただ外からやってくる演奏を有り難がるだけではない、ここから発信するオペラも重要性なのであると認識されるであろうから、大変結構なことではないか。
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今回は 5回の上演であるが、週末公演は完売だし、そもそも他のコンサートとのダブりもあって、半分あきらめかけていたのだが、たまたまネットで安い席 (この劇場では最安値席のコストパフォーマンスは非常によいのだ!!) が売りに出ていたのと、やはりたまたま、別件で有給休暇を取る必要あったので、この平日の 17時からという公演に出かけることとした。あまり「たまたま」を連発すると、あらぬ疑いをかけられるので、このへんにしておきましょう (笑)。

今回の上演、2012年に比べると、主役は同じクラウス・フロリアン・フォークト。指揮は、前回のペーター・シュナイダー (ワーグナーには大変実績のある指揮者である) から、現在の新国立劇場音楽監督、かつてワーグナーの聖地バイロイト音楽祭で修業し、やはりワーグナーを中核レパートリーとする飯守 泰次郎に変わっている。
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このブログでもワーグナーについてはいろいろ採り上げてきているが、彼の主要作品 10作のうち、「楽劇」と名付ける前の初期の 3作、すなわち、「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」そしてこの「ローエングリン」は、後期の超ヘヴィー級の作品群に比べると、なんともチョロいと思いがちであるが、今回の演奏は 17時に開演し、40分間の休憩を 2回挟んで、終演は 22時過ぎ。上演時間は、たっぷり 5時間である!! なんのことはない。ワーグナーにチョロいことなど、なにひとつとしてないのである。ご存知ない方のためにごくごく簡単にストーリーを述べると、ブラバント公国 (主として今のベルギー域内) の姫であるエルザのもとに、白鳥に乗った騎士がやって来て、彼女の窮地を救う。2人は結婚するのだが、騎士はエルザに対し、自分の氏素性を尋ねないことを結婚の条件とする。しかしながら、敵方のそそのかしもあり、遂にその禁を破って騎士の正体を知りたがるエルザに対して、騎士は自分を聖杯騎士団、パルシファルの息子であるローエングリンだと名乗って、いずこともなく去って行く、というもの。・・・えっ、それだけ? それで 5時間もかかるの ??? と思う方は、ワーグナーとのご縁のないと推測されるので、無理してこの曲を聴かれることもないと思う (笑)。でも、聴いてみればそれはそれで、なかなかの感動ではありますよ。有名な結婚行進曲もあり、それに先立つ第 3幕への前奏曲は、元気がないときに聴くと効果抜群の、天下の名曲です。

今回改めて思ったのは、ワーグナーでこれほど合唱が重要な作品は、ほかにないということだ。もちろん「オランダ人」でも「タンホイザー」でも「マイスタジンガー」でも、合唱は重要だ。でもこの「ローエングリン」では、いわばギリシャ悲劇のコロスのような役回りも合唱が担っていて、登場人物たちの感情やドラマのうねりを表すには欠かせない存在なのである。今回の演奏におけるオケ (東京フィル) と合唱は、決してすべての部分が完璧とは言わないが、職人的で安定感のある飯守の指揮のもと、大きなドラマの線を描き出したという点で、明らかに日本のワーグナー演奏の水準が高まっているという事実を示していた。19年前のオープニング公演よりも、劇の進行の中で白熱して行く音楽の説得力は格段に増していたと、つくづく思う。当時は二期会の合唱団が歌っていたが、今回はもちろんこの新国立劇場専属の合唱団。最近ではオペラ以外でも、在京のオケの演奏会に出演することも多く、素晴らしい存在感を誇っている。合唱指揮を担当する三澤洋史は、1999年から 2003年までバイロイト祝祭音楽祭で合唱指導のスタッフを務めた実績の持ち主。
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主役を務めるクラウス・フロリアン・フォークトはドイツ人で、もともとハンブルク・フィルのホルン奏者であったが声楽家に転向したという変わり種。現在を代表するヘルデン・テノール (英雄的テノール) である。容姿もこんな感じで、なかなか精悍だ。
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ただ彼の歌い方は、静かな部分はファルセット (裏声) 気味で、それはそれで美しいのだが、いわゆるヘルデン・テノールという印象とは少し異なるような気がする。もちろん、第 3幕の夫婦喧嘩のシーン (?) などでは激しい部分もあるので、表現力の幅は聴き取ることができた。今回の公演のチラシによると、来年秋のバイエルン国立歌劇場来日公演 (指揮は、同歌劇場の音楽監督で、次期ベルリン・フィル音楽監督であるキリル・ペトレンコ) で、タンホイザーを歌うらしい。

実は今回の歌手陣、フォークト以外はそれほど驚くような出来ではなかったような気がする。オルトルート役のペトラ・ラングは随分以前にバイロイトの FM 放送でその名前を毎年のように聞いていて、もうかなりのベテランだと思うが、表現力は一貫して強いものの、ほんのわずかだが、時折声に不安定な要素があったように思う。エルザのマヌエラ・ウールも、頑張ってはいたが圧倒的な出来とも思えなかった。小柄で黒っぽい髪なので、遠目には日本人のようにも見え、逆に、日本人でもこのくらい歌える人はいると思う。

だがこの演奏、上記の通り、トータルとしての演奏水準はかなり高かったと思うのだ。それには演出も関係していよう。プログラムに載っている演出家の言葉によると、舞台上にあれこれ乗せるのではなく、「舞台で人間の感情を表現するには、感情の広がりを見せるための空間が必要」と述べている。よって、セットは極めてシンプル。ローエングリンの最初の登場シーンは、白鳥に乗って出てくるのではなく、白鳥の翼を背負って空から降りてくるのだ。はいはい、感情の広がりを見せるための空間を舞台上に空けて空けて。
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そして後ろの壁面の升目のようなところにいろいろな照明と映像投影がなされ、これが舞台の単調化を防いでいて、大変工夫されていると思った。これも第 1幕から。
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非常に印象的だったのは、第 2幕の幕切れである。この幕では、上から巨大な金属のコイルのようなものが下りてきて、エルザにすっぽり覆いかぶさったりするのだが、最後のシーン、エルザにはその小型版コイルのようなものが被せられ、結婚式に向かって鮮やかな赤いカーペットの上を歩き出すのだが、彼女はそこでつまずいて倒れてしまう。そこに、あの不吉な「禁問の動機」が鳴り響くのだ。うーん。オケも渾身の音で鳴っていて素晴らしく、総合芸術としてのオペラの力を感じる瞬間でしたね。
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この話、まるで日本の鶴の恩返しのように、禁忌を扱っている点が面白い。なぜに名前を知られると霊力がなくなってしまうのか分からないが、民俗学的には、何か説明がつくのでしょうな。でも、やはり演出家がプログラムに寄せた文章に面白いことが書いてあって、それは、エルザが危機から救われた後、素性を知らない人と結婚しなければならない状況に陥ったことは苦しかっただろうということ。「素性の全く判らない男から結婚を申し込まれ、『名前も問うてはならない』と命じられ、それを応諾しなければならないのですから。彼女が特に弱いわけではなく、同じ立場に置かれたら世の中の女性の 99%が同じ質問をするでしょう」とのこと。ははは、その通りですな。なので第 3幕前半、ローエングリンとエルザの 2人の会話において、エルザの細かい仕草などにリアリティがあったのは、演出家のきめ細かい指示によるものであることは明らかだ。ミュンヘン生まれのこのマティアス・フォン・シュテークマンという演出家、新国立劇場ではほかにも「さまよえるオランダ人」「魔弾の射手」を演出しているほか、2013年にはバイロイトでワーグナー生誕 200年記念として行われたティーレマン指揮の「リエンツィ」の演出も手掛けたという。ドイツでは一時期、なんでもかんでも「読み替え」と称して音楽の妨げとなるような饒舌な現代風演出が多かったが、彼のような新世代が新たな潮流を作り出して行くのだろう。
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そのような発見に満ちた「ローエングリン」を堪能した。たまたま会社を休んだ日に見ることができてよかった!! (笑)

by yokohama7474 | 2016-06-02 01:28 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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世の流れとはいえ、最近街の本屋がめっきり減ってしまったことに、時折本当に残念な思いを抱くことがある。机に向かって、またあるときには掌の中で、あらゆる分野に亘る必要な情報が簡単に得られる時代。自分自身その恩恵に深く預かっているにもかかわらず、あー、もっと時間の流れが遅くて、目の前にあることだけを考えて暮らして行ければなぁと嘆きたくなることもある。だが、そんな時代でも、都会であれば大きな書店は存在していて、新刊書を手に取ってみることができる。そんなわけで私は今でも本屋をブラブラするのが大好きなのであるが、昨年のある日、美術書コーナーでこのような本を見つけ、どうにも気になって手にとってみた。
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この手の「出会い」は、やはり直感的なもの。これまで聞いたこともなかった髙島 野十郎 (やじゅうろう) という画家の展覧会が昨年から始まっていて、この本はその展覧会の図録であることを、こうして知った。展覧会は全国数か所を巡回する。既に福岡県立美術館での会期を終え、現在、6月 5日 (日) まで目黒区美術館で開催中。そのあとは足利と福岡県筑後市に巡回する。福岡県で 2回開催されるのは、この画家 (1890 - 1975) が同県の久留米市の生まれだからであろう。東京での会期があとわずかになるまで記事をアップしなかったことに多少の罪悪感はあるものの、いやいや、最後の週末が残っている。もしこの記事をご覧になってこの画家に興味をお持ちの向きは、急いで今週末の予定を調整して下さい (笑)。

目黒区美術館は、山手通りの裏手、田道 (でんどう) という交差点からほど近い場所にある。この田道という地名は一風変わっていて、由来には諸説あるがよく分からないらしい。この辺り、麻布・青山方面と目黒不動を結ぶ古い道であるとのことで、美術館の近くにもこのような江戸時代中期の庚申塔 (こうしんとう) が残っていて、ここが東京 23区内であることを忘れさせる。
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そして美術館に掲げられた展覧会のポスター。
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さて髙島野十郎は上述の通り、福岡県久留米市の生まれ。実家は裕福な酒造家である。少年時代から絵を描くことに熱中していたようであるが、東京美術学校 (現在の東京藝術大学美術学部) への進学を希望するも、父親に反対されて果たせなかったという。兄が詩人で、同郷の天才画家、青木繁 (1882年生まれだから野十郎よりも 8歳年上) の親友であったらしいが、その兄が家業を継がなかったことに父が懲りたことが影響しているとのこと。野十郎はやむなく名古屋の第八高等学校から東京帝大農学部水産学科に進学。結局そこを首席 (!) で卒業するが、数年は助手を務めながらも絵画への情熱絶ちがたく、兄弟らの援助で欧州に渡って絵画修行をした。つまり、専門教育を受けることなく、独学で絵画の道を究めようとした人である。風貌 (1952年撮影なので、62歳のとき) はこのように、知的な雰囲気を伴っている。
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これから彼の絵を見て行くが、題材は、一部の自画像や恩師の肖像を除けば、ほとんどが風景画と静物画である。作品すべてが最高の出来というわけではないが、風景の中に宿る神秘的なものを感じさせる、大変心に残る作品が多い。人は誰でも孤独と向き合う瞬間があるものだが、髙島の絵には、そのような瞬間にふと浮かぶ心象風景のような要素があると思う。その特性は若い頃から顕著で、これは中学時代の「蓮華」。髙島は仏教に深い興味を抱いていたというが、ここでも既に仏教的なイメージが明らかだ。
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しかし、上述のような進路の葛藤もあり、大学時代にはこのような痛々しい自画像 (「傷を負った自画像」1914 - 16年頃) を描いている。その表情は虚ろで、首や足から血を流している姿には、若さの煩悶を感じるが、一方で手の血管などは丁寧に描いており、冷静に自らの内面を見つめる視線もあると言えるように思う。
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それから 10年弱経過してからの自画像が、この「りんごを手にした自画像」(1923) だ。ここには岸田劉生風の「デロリ」感があるが、その節くれだった手やヨレヨレの袈裟の意味するところは何であろうか。いずれにせよ、上の自画像と異なる点は、その睨み付けるような視線である。画家として立って行く決意表明かとも思われる。
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静物画を多く描いた髙島にとって、リンゴは重要なモチーフであった。この「椿とリンゴ」(1918) は、近年発見された、制作年の明確な髙島の最初期の作品。3つ並んだリンゴにもそれぞれ個性があり、上から椿がまるで話しかけているように見える。つまり、モノの色や形の純粋性を追求するよりも、静かに秘められたドラマを表現したいタイプの画家だったのではないでしょうかね。
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静物画では、ポスターになっているこの「百合とヴァイオリン」(1921 - 26) でも、有機的な曲線を描く百合と、人工物として計算された曲線を持つヴァイオリンとの出会いが、なにやらいわくありげだ (笑)。決して明るくもユーモラスでもないが、見ていて何か心に迫るものがある絵だと思う。
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このような対象への視線は、風景画にもはっきりと表れている。これは 1921年の「早春」。競い合うように天に伸びる 2本の木。
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彼がヨーロッパに渡ったのは 1929年。渡欧期の作品群を見ていると、強烈な生命力を表現するというよりは、何か心穏やかに憧れのヨーロッパの風景を楽しんでいるように見える。このあたり、やはり育ちのよさもあるのだろうか。以下、「セーヌ河畔」と「石畳の道」(ともに1930 - 33)。
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また彼は、日本各地を旅して写生をした。その作品には、何の変哲もない田園風景もあれば、フリードリヒ風の「神が宿る風景」と言いたくなるものもある。これは「山の秋」(1942)。戦争中の作品ではあるが、世の中の激動とは無縁の創作姿勢がよく伺える。
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同じ秋の風景でも、これは少し怖いような絵だ。「秋の花々」(1953)。ここには多少、アウトサイダーアートにも通じる妙なリアリティがあって、心に残る。ヘンリー・ダーガーを思い出すと言うと、少し言い過ぎだろうか。もしくは、そうだ、リチャード・ダッドにも少しばかり似ていないか。うーん、やっぱりちょっ言い過ぎか (笑)。
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こんな絵になると、少し普通に見える (笑)。「寧楽の春」(1953)。一見して明らかな通り、薬師寺東塔を描いたものだ。でも、手前の花が塔を隠してしまっていますねぇ。髙島はほかにも法隆寺五重塔や法起寺三重塔、そして同じ薬師寺三重東塔も、きれいに塔だけを描いた作品もあり、ここでは何か違った表現を試みたのだろうか。
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これも気に入った。「御苑の大樹」(1948年)。新宿御苑の風景だ。木の生命力は髙島らしいが、彼にしては珍しく、人物を描いているのが面白い。木の下でピクニック (?) を楽しんでいる人たちが何やら楽し気だ。まぁ、本当に小さくしか描いていないけれど (笑)。
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これは秩父の長瀞渓谷を描いた「流」(1957年)。本当の構図はもう少し右側にも岩があって、全体としては安定感のある絵であるが、右側を少し削って図録から撮影しました。いびつで申し訳ありません。でも、この水の流れのリアリティは、樹木を描いたものとはまた少し違っていて面白いことはお分かり頂けよう。画家によると、岸辺に立って何日も川を眺め続けると、いつしか川の水が止まって、逆に周囲の巌が流れるように見えてきた、その経験を描いたものという。
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この展覧会には静物画も沢山出品されているが、いずれも彼らしくモノ言いたげな作品ばかりだ。以下は「さくらんぼ」(1957年) と、「からすうり」(1948年以降)。いずれも空間配置は絶妙だが、それ以上に対象物の不思議な実在感が、なんとも印象に深く残る。一度見たら忘れないだろう。
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さて、最後に髙島の創作のひとつの頂点をなす題材をご紹介する。展覧会では、「太陽、月、蝋燭」と題されたコーナーである。上でご紹介した図録の表紙も月の絵であるが、髙島は同様の構図を繰り返し描いている。これは同じ題材の別作品、「満月」(1963年頃)。
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太陽を描くと、まるでゴッホのようだが、あれほど狂おしい情熱を秘めたものではなく、もう少し静かに心に沁みる作品である。これは「田園太陽」(1956年)。
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そして圧巻は、20ほどもずらりと並べられた、小ぶりな蝋燭の絵の数々。この蝋燭の作品は、個展で発表されることなく、友人や知人に贈答されたものだという。よってこの展覧会に並んでいる蝋燭の作品は皆、制作年不詳とある。夜、これをひとりで見つめていると、静かな瞑想の世界に入っていけるような気がする。薄暗がりで揺らめく炎を繰り返し描き続けた髙島の内面の厳しさを思い知る。
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このように、私にとってこれまで未知であった画家の作品にまとめて触れることで、大変有意義な体験となった。髙島野十郎、その絵の表現力に一度でも打たれた者は、決してそれを忘れ去ることはできないであろう。なので、東京在住でまだこの展覧会をご覧になっていない方、今週末のスケジュール調整、お薦めしますよ!!

by yokohama7474 | 2016-06-01 00:52 | 美術・旅行 | Comments(0)