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私にとってティム・バートンは、現存する映画監督の中では指折りのお気に入りのひとり。彼の映画に必ず出てくる内気な、だけど自分の世界を持つキャラクターが監督自身の投影であると理解しながら、実はしたたかに映画の商業的成功も可能にする手腕を持つ点に、いつも感心するのである。2010年に彼が監督した「アリス・イン・ワンダーランド」もそのような作品のひとつであった。ただ、いきなりの賛辞保留で恐縮だが、もともとルイス・キャロルの創造したアリスという、既によく知られたキャラクターを利用することの意義に若干ならぬ疑問を抱いたことも事実。加えて、その後も様々な映画で大活躍している主役のミア・ワシコウスカが、当時既にアリス役にしては年が行っていることに、どうしても納得が行かなかったものである。そして今回、6年を経て公開される2作目も、その主役に加え、ジョニー・デップ、アン・ハサウェイ、ヘレナ・ボナム=カーターらの主要出演者も軒並みそのままに製作された。これはそのミア・ワシコウスカをフィーチャーした英語のポスター。
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この映画の予告編を見たときに、「あぁ、2作目か。まあ、ティム・バートンだから一応見ないとなぁ」と思ったものであるが、その後判明したことには、これはティム・バートンの監督作ではないのである!! 彼の次回監督作は、日本でも既に予告編を上映しているが、「ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち」という作品。うーん、そちらに注力するあまり、このアリス第2作の監督は手掛けなかったものであろうか。一応本作の製作者には名を連ねているものの、やはり監督でなければ細部の趣味性には口を出すことはできまい。結論を急いでしまうと、その時点でこの映画の内容は多かれ少なかれ決まってしまったものであろうと思われる。やはり私は、監督としてのティム・バートンには敬意を表するが、残念ながら、製作に関わった作品すべてに敬意を表するわけには行かないのだ。ティムさん、聴いていますか???
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今回の映画では、いきなり荒波の航海シーンで始まるが、そこではアリスが船長なのである。これってルイス・キャロルのイメージのどこかにあるものであろうか。アリスの人生航路ということか?責任者出て来ーい(笑)。そうなのだ、ここではティム・バートンはもはや責任者ではないのだ!! 既に忘れている前作のあらすじを紐解くと、どうやら貿易商の父の遺志を継いでアリスが船に乗るところまで描かれていたようだ。そうでしたかね。調べてみると、前作も本作も、脚本家は同じリンダ・ウールヴァートンという人で、もしかすると最初から連続したストーリーを構想していたのかもしれない。まあそれはよいのだが、この作品における問題は、「なぜアリスが船乗りか」「なぜ彼女はアンダーランド = ワンダーランドに戻って行くのか」「なぜ彼女はマッド・ハッターにそれほど感情移入するのか」「彼女は何を求めて時間旅行するのか」「彼女はなぜ世界全体の存続に直接影響するクロノスフィアの扱い方を知っているのか」等々、この映画のストーリーの根幹に関わる点の数々が、説得力のある形では全く描かれていないことではないか。つまり、見ていてハラハラドキドキの感情移入ができないもどかしさから、最後まで抜け出ることができないのである。そもそも原題は、「鏡を通り抜けるアリス」という意味なのに、邦題は「時間の旅」などと置き換えているが、なぜにアリスが時間の旅に出かける必要があるのか、申し訳ないが私にはさっぱり分からない。それなのにマッドハッター役を喜々として演じるジョニー・デップ。
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繰り返しだが、ここでティム・バートンが監督を務めていないことが、決定的にこの映画の性格を決めてしまった。なぜだろう。私が思うに、カット割りが細かすぎるのではないか。頻繁な短い切り返しは、もともと想像力を羽ばたかせるに充分な説得力のないストーリー展開に、さらにうるさいほど余計な説明性を加えてしまっていないだろうか。普通の映像がほとんどなく、コンピューターによって作られた映像の果てしない連続によって著しく情報量が多くなっているこの映画では、過剰でいながら説得力のないカット割りは、イマジネーションを阻害すること甚だしい。少々ウンザリである。加えて、すっかり性格女優としての貫禄を身に着けた、ティム・バートンの私生活におけるもと伴侶、ヘレナ・ボナム=カーターの演技も過剰気味。それから、顔がデカい。あ、それは役柄なのだが、ちょっとうるさい(笑)。まだ可愛らしかった「フランケンシュタイン」の頃が懐かしい。
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そして、未だ美貌衰えぬ(と思って調べたら、未だ33歳と若い)アン・ハサウェイ。演劇好きなら誰もが知る、シェイクスピアの妻の名前だが、これは本名であるようだ。
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この映画での新顔としては、怪優サシャ・バロン・コーエンがいるが、彼の演技はここではそれほど印象的ではない。それよりもむしろこの映画の価値として挙げられるのは、アラン・リックマンの遺作であるという点であろう。と言っても、本人が役者として演じているのではなく、CGキャラクターの声の出演なのであるが。アブソレムという、アリスを導く蛾である。
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プログラムで彼がこの役の声を受け持っているのを見て、果たして彼の遺作であるのか否か知りたくなったのであるが、本編終了後のメインキャストのアニメーションによる紹介(正直、あまり面白くない)のあと、長いエンドタイトルに入る前に、「我々の友人アラン・リックマンに捧ぐ」という献辞が目に入り、少し心が安らかになった(?)気がしたものだ。やはり一般には「ハリー・ポッター」シリーズで知られているであろうが、その声を聴くだけで独特の奥深さを感じさせる俳優であった。
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まあ、あれこれ文句は言っているものの、ティム・バートンの次回作における挽回を期待するという意味においては、なかなか突っ込みどころ満載の映画ではあったと思います。

by yokohama7474 | 2016-07-30 23:52 | 映画 | Comments(0)

井上章一著 : 京都ぎらい

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京都のイメージにぴったりの抹茶色のカバーに、デカデカと「京都ぎらい」と題名が書いてあり、しかも、「新書大賞2016 第1位」と謳い文句が出ている本が積んであるのは、書店を覗くといやでも目に付くものである。しかも副題が「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」と、これまた刺激的。ここで「全部」という漢字ではなく、「ぜんぶ」とひらがなになっているあたりも、いかにも京都らしい柔らかさがあって、これはどうやら、京都人が自らの故郷を非難する本であろうと察しがつく。なんと言っても日本でいちばんの観光地であり、昨今では海外から旅行者の人気の的である京都に関して、一体何がそんなに問題であるのか。

実は私がこの本を手に取った理由は、キャッチーなこの装丁だけではなく、この著者の名に覚えがあったからだ。井上章一。この本における肩書は、「国際日本文化研究センター教授」とある。この教育機関のことはよく知らないが、調べてみると、哲学者の梅原猛が初代所長、心理学者の河合隼雄が第 2代所長を務めた機関で、日本文化の研究に携わる錚々たる研究者たちが顔を揃えているようだ。この井上氏は1955年京都府生まれ。京都大学工学部建築学科及び同大学院修士課程修了。もともとは建築の専門家であるが、これまでの著書には「現代の建築家」という専門そのままの本もあれば、「霊柩車の誕生」「美人論」から、果ては「阪神タイガースの正体」という本まで含まれる、熱狂的タイガースファンであるらしい。実は私は以前この人の著作を1冊読んでいて、それは「つくられた桂離宮神話」という本なのである。さらに言えばその本を読む前に、2冊ほど関連する別の本を読んでいた。今本棚からそれら3冊を出して来よう。
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桂離宮は、ほぼ同時期、17世紀前半に造営された日光東照宮の極めて高い装飾性との対照において、その簡素な精神性に日本美の極を見るとする論調が歴史的に主流である。この井上氏の著作では、その論調を作り出したドイツの建築家ブルーノ・タウトに異を唱え、そのタウトの考察が戦時体制においてナショナリズムの高揚に利用されたということが述べられている。私自身は、ブルーノ・タウトの名前と桂離宮神格化については、30年以上前、高校生の頃に読んだ、それこそ梅原猛の著作で知ったのだが、桂離宮を初めて参観したのはそれから10年以上経ってからだった。一方で、その頃には既にモダニズム建築に対する興味も芽生え、また外国人から見た日本文化にも興味があったので、自然にタウトの著作に親しむこととなった。そうなると今度はそのアンチテーゼとしての井上氏の本に興味が沸いた、という順番であったわけである。そうして読んだ井上氏の言説を、大変面白いと思ったのであった。実証的な論の展開は大方忘れてしまったが、あとがきに紹介されたエピソードが面白くてよく覚えている。引用しよう。

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私は、桂離宮の良さがわからないと、正直にまず書いた。無理解を前提にしながら、仕事をすすめてきたのである。この態度は、しかし多くの同業者から、つぎのように批判されてきた。
「桂離宮がわからないようなやつに、建築史を研究する資格なんかない」
「桂離宮を語るのなら、美の本質に肉薄すべきだ。それをないがしろにするのは、邪道である」
いまでも、「井上です」と自己紹介をしたときに、からまれることがある。「君か、桂離宮がわからんなどという暴言をはくのは」、と。
UNQUOTE

著作を世に問うに当たって、これほど正直に自らの立場を明確にできるとは、大変勇気のいることである。世の中には常識というものもあれば良識というものもある。実はそれらと、先入観、集団への帰属意識、他人から白眼視されることへの恐怖、といったものとの距離は、意外と近い場合もある。私はこの井上氏の「つくられた桂離宮神話」を読んで、やはり何事も自分の直感を大事にすべきであること、そしてごく自然な感性で物を見ること(つまり、他人がよいと言うからよいのではなく、自分がよいと思うからよいのだという素直な信念)を学んだのであった。もちろん、私自身が桂離宮を美しいと思うか否かとは別問題として(笑)。
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そんな中、久しぶりにこの著作家の本を読んでみたのだが、この語り口には覚えがある。いや、この本の方が格段に口語的で読みやすい。誰でもが読み通せるだけの平易な内容であるがゆえに、新書大賞なるものを受賞するのもむべなるかな。内容は要するに、洛西の嵯峨という京都「府」出身の自分が、実際に京都の中心である洛中生まれの人々から見れば「郊外」の生まれとしてしか扱われないことへの積年の恨みに端を発し、京都というこの複雑な土地柄における坊主と姫の歴史的関係(?)、訪問者を歓迎するために庭園を発達させた寺院の歴史的機能、初期の江戸幕府の寺院復興への貢献、足利尊氏の天龍寺創建は後醍醐天皇の霊魂の鎮魂のためである等々、聖俗取り混ぜたとりとめない京都論が展開する。ここに記載されている場所にイメージのある人なら、なるほどなるほどと思う箇所が多々あることだろう。また、引用されている実際の会話にかなり笑いを誘われることであろう。タブーを恐れずに歯に衣着せぬ論調の箇所もあり、さすが件の井上氏、勇気があるなぁと思ってしまうこと請け合いだ。このような飄々としたお方。
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一方、このような本の中には、笑いながらも日本人のイヤな部分が見えてくることも事実。ここに書かれたことを知らず、ただ純粋に京都に日本の歴史を感じ、桂離宮に簡素な日本美の極を感じていた方が、実は幸せかもしれない(笑)。読書経験をいかに実生活に活かすかは、読んだ人次第ということだろう。

by yokohama7474 | 2016-07-28 22:42 | 書物 | Comments(2)

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7月も最終週に入り、そろそろ音楽シーズンも終わりかと思いきや、昨日まではチョン・ミョンフンが東京フィルで情念一杯の「蝶々夫人」を採り上げていたことは既にご紹介済であり、それに加えて、まだこの顔合わせ、アラン・ギルバートと東京都交響楽団のコンサートが残っていたとは!! 実は昨日、私が今年の1月に書いたこのコンビの前回の演奏会の記事に何十もアクセスがあって、どうしたことかと思いきや、私が昨日オーチャードホールでプッチーニの抒情に溺れていたちょうどその頃、サントリーホールではこのコンビのマーラーが鳴り響いていたわけである。昨日の演奏についての論評を知りたくて検索した結果、既に古新聞となった1月の、しかもやたら長い記事(笑)に辿り着いた方々には、大変申し訳ありませんでした。

アラン・ギルバートは日系アメリカ人で、天下のニューヨーク・フィルの音楽監督だ。つまりは昨日の記事の主人公、チョン・ミョンフンと同クラスの世界一流のステイタスを誇る指揮者である。東京はついに、このクラスの指揮者が同じ日に別の在京オケを振るような高い水準の音楽都市になったということである。この点はなんらの誇張もなく、事実と認識されたい。
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あ、それから、前回の記事で私が憤りを表明しておいた淋しい客席の入りであるが、今回はほぼ満席であったので、その点では大変嬉しかった(笑)。さてそれでは、そのギルバートが今回、東京都交響楽団(通称「都響」)との三度目の共演に選んだ曲目は何であったか。
 モーツァルト : 交響曲第25番ト短調K.183
 マーラー : 交響曲第5番嬰ハ短調

周知の通り、モーツァルトが生涯で書いた50曲ほどの「交響曲」というジャンルにおいて、短調の曲はたった2曲しかない。この25番と、それから有名な40番。どちらもト短調である。そして、その40番の方は、偶然ながらつい先日、7月21日にチョン・ミョンフンと東京フィルが演奏している。ついでながらチョンと東フィルは、今日のメイン曲目であるマーラー5番も、今年2月26日に演奏しているのである。いずれも人気曲なので、たまたまそういうことになっているだけであろうが、東京で鳴り響いている音楽の質の高さを、再度強調する理由づけにはなるだろう。また今日は、ギルバートと親しい友人である指揮者の大友直人の姿も客席にあった。これは今年の1月、大友が音楽監督を務める群馬交響楽団にギルバートが客演したときの様子。
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さて、私見ではニューヨーク・フィルは未だに世界でも最もプロフェッショナルなスーパー・オーケストラのひとつなのであるが、そこの音楽監督を務めるとなると、多様なレパートリーへの順応性が求められるに違いない。従って、ギルバートのレパートリーとしてモーツァルトがどの程度中核をなすものか分からないが、当然素晴らしい演奏を聴きたいし、実際私が以前ニューヨークで聴いた彼のハイドンなどは、小股の切れ上がったなかなかの秀演であった。今日のモーツァルトはどうであっただろう。正直私はここでは、手放しの絶賛は留保しておこうと思う。この曲らしい疾走感のある演奏ではあったが、弦を主体とするアンサンブルの、より精緻かつ有機的な音の絡みを聴きたかった気がするからだ。管楽器も、今の都響なら、もっともっとニュアンス豊かに演奏できるのではないだろうか。何もギルバートが大柄だから音楽もおおざっぱと言う気は毛頭ないが、期待が強かったせいか、全体的に平板なような気がしてしまったのである。うーん、聴き手の立場から気楽に発言するのは気が引けるが、音楽とは本当に難しいものである。

音楽ファンは先刻ご承知の通り、日本のオケはマーラーの演奏頻度が高く、中でも都響は、歴代のシェフにマーラーを得意とする指揮者が多かったこともあり、そのマーラー演奏には定評がある。若杉弘、ガリー・ベルティーニ、エリアフ・インバルのもとで何度もマーラーの交響曲全曲演奏に取り組んで来た実績は、他の在京オケと比較しても冠絶している。特にインバルとの最新のマーラー・ツィクルスはすべて録音され、音楽評論家も(先般亡くなった辛口評論家、宇野功芳ですら)唸る名演揃いであった。その意味で、都響は間違いなく日本を代表する世界的なマーラー・オーケストラである。だが、ちょっと待て。歴史的背景を含めた世界有数のマーラー・オーケストラを挙げるとするなら、ギルバートが音楽監督を務めるニューヨーク・フィルは必ずその筆頭に挙げられる存在だ。なにせ、作曲者自身、作曲者の弟子であるブルーノ・ワルター、そして20世紀にマーラー・リヴァイヴァルを成し遂げた立役者レナード・バーンスタイン、それから、やはり20世紀の最高のマーラー解釈者となったピエール・ブーレーズらが歴代の音楽監督を務めているわけであるからだ。そう思うと、19世紀以来の歴史における世界有数のマーラー・オーケストラの音楽監督が、21世紀に世界に認められる実績を作った日本のマーラー・オーケストラを指揮するこの機会に、興奮を禁じ得ないのである。これは1910年、死の前年にニューヨークを歩くマーラーの姿。
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さて、この曲の冒頭のソロトランペットのファンファーレは、指揮者によってきっちり振る人と、キューだけ出して奏者に任せる人がいるが、今回のギルバートは前者。ソロとはいえ、細かい表情づけを目指したものと思われた。だがしかし、ファンファーレの後のトゥッティが、意外と決まらない。それに続く葬送行進曲は、テンポはしっかりしているものの、どういうわけか、あまりギリギリと心に迫ってくる感じがない。マーラーには独特の音楽との一体感が必要であると私は思っていて、以前同じ曲でチョン・ミョンフンの熱演にごくわずかな違和感を覚えたのも同じ感覚なのであるが、今日のギルバートも、例えば同じオケでインバルが何度も聴かせてくれた、あたかもマーラー自身が呼吸をしているような一種の夢幻的な感覚(オケが鳴るとか鳴らないとは違う感覚)までは、残念ながら感じることはできなかった。部分部分には、都響の素晴らしいソノリティに耳が刺激される瞬間もあったものの、マーラーの表現している、したたかな演技をも含んだ世界苦は、なかなか立ち現れて来なかったと思う(もちろん私の主観なので、違う感想を持たれた方も大勢おられよう)。第2楽章、第3楽章も、素晴らしい音が鳴ったときもあれば、第3楽章のホルン合奏の一部のように、あまりキレイでない音が鳴ったときもあり、正直なところ、もうひとつ乗り切れないと思っていたのだが、音楽とは面白いものだ。第4楽章アダージェットの後半、弦楽器が大きな盛り上がりを見せる場面で、突然私の胸に何かがググっと迫ったのである。そして音楽はそれから終楽章のロンドに入り、きれいごとでは済まされないオケの献身的かつ攻撃的な演奏によって、ついに大きな視野が開けた気がしたのである。終わってみれば素晴らしい感動。本当にライヴは面白い。聴く側の体調や心理的な面も影響しているだろうが、私としては今日の演奏は、あのアダージェットの最後の部分で何かが変わったように思われたのであった。鳴っていた音楽の印象としては、例えば同じマーラーのクック編曲による第10番全曲版の終結部に出て来る、あの世界の終わりのような絶美の弦の上昇シーンが、早くも5番に立ち現れたようなイメージであった。今でもあの音が耳に残っている。

実は今日のプログラムを読むと、曲目解説の箇所にわざわざ、「今回の演奏では、アラン・ギルバートとニューヨーク・フィルのボウイングを使用します」と書いてある。ボウイングとは、弦楽器の弓の上げ下げのこと。よくコンサートマスターが決めると聞くが、ここでわざわざこの断り書きを入れた理由は、これまでこの曲の演奏で都響が採用してきたボウイングとは違うものだったのだろう。それも演奏には何らかの影響があったかもしれない。それから、これは大変面白いのだが、ステージに向かって右側の席にいた私には、ハープ奏者を斜め横から見ることになったのだが、その横顔が、どうも日本を代表する世界的ハーピスト、吉野直子に似ているような気がして仕方なかったのだ。もちろん都響にも専属のハーピストはいるだろうし、さすがにここに吉野直子が登場するのは変だと思っていたのだが(サイトウ・キネンの演奏会ではあるまいし)、プログラムのメンバー表を見ると、なんとハープ奏者名の記載はないのだ。だが、ソリストを招聘しているとの記載もない。そこで帰宅してから都響のフェイスブックを見たところ、なんとなんと、やっぱり本当に吉野直子なのであった!! これは驚きだ。でもなんでプログラムに記載がないのだろうか。世界的名手に失礼ではないか?!
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まあそんなわけで、図らずも東京のコンサート事情の侮れなさを再認識する結果となったが、以前も書いた通り、ニューヨーク・フィルを退任したあとのアラン・ギルバートには、少しでも多く来日の機会を作ってもらって、都響との関係を深めてもらいたいものだ。余談だが、彼の後任として2018年からニューヨーク・フィルの音楽監督に就任するのは、オランダ人のヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。もともとヴァイオリニストで、オランダの名門、コンセルトヘボウ管のコンサートマスターだ(記憶違いでなければ、バーンスタインがこのオケを指揮したベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の録音でソロを弾いているのが彼であったと思う)。現在はダラス交響楽団の音楽監督という、正直それほどメジャーではないポストにいるので、天下のニューヨーク・フィルに栄転とは、ギルバート抜擢時に続く、これまたビックリの大抜擢なのであるが、実は私は彼の生演奏を一度だけ聴いたことがあって、それはロンドン・フィルを指揮した、やはりここでもマーラー5番!!だったのだ。それは実に鳥肌立つような個性的かつ壮絶な演奏で、これはすごい指揮者だぞと思ったものである。その意味では、ニューヨークの音楽界は今後、この小柄な怪人指揮者によって刺激的になるものと思う。東京も負けてはいられませんね!!
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by yokohama7474 | 2016-07-25 23:31 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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東京フィルハーモニー交響楽団(通称「東フィル」)の今月の指揮台には当代一流の名指揮者チョン・ミョンフンが立つことは、既に7/21(木)の演奏会の記事でご紹介した。その際にはあえて詳細は記さずにいたのだが、今回チョンが2度に亘って指揮した作品は、プッチーニのあの名作オペラ「蝶々夫人」だ。東フィルは今月のチョンの演奏会を1枚のチラシにまとめているが、前回同様、今回も完売御礼だ。チョンはオペラの経歴も豊富な指揮者であるが、日本で彼のオペラを聴く機会は存外に少ない。3年前には、ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場を率いて「オテロ」を上演したりもしているが、その後彼のオペラを日本で聴くことができたであろうか。会場には今回のリハーサルの写真も展示されており、現在のチョンと東フィルの充実ぶりを知る身には、期待感満点なのである。
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今回のプログラムには、今年3月のフェニーチェ歌劇場によるチョンのインタビューが記載されている。

QUOTE
私たちが偉大な作曲家の作品を演奏するとき、すべては楽譜に書かれていて、われわれ音楽家は、そのメッセンジャーにすぎません。私にとって「蝶々夫人」はまだほとんど学生の頃に手掛けた初めてのオペラで、人生のほとんどをこの作品とともに過ごしてきました。しかし、それでも、楽譜からすべてを引き出すことは、常に真剣に取り組むべき困難な仕事なのです。
UNQUOTE

というわけで困難な仕事に真剣に取り組むチョンであるが、オペラの全曲を演奏するのに、オーチャードホールの舞台には譜面台はなく、暗譜による演奏だ。魂を削って音楽するようなチョンが人生のほとんどを過ごしてきたというこの作品。一体どんな演奏になるのか。
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オペラを演奏会形式で聴くことには独特の意味がある。その最大のものは、作曲家が工夫を凝らして書いたオーケストラパートをよく聴くことができることである。プッチーニは1858年生まれ。マーラーよりほんの2年、リヒャルト・シュトラウスより6年上であるだけで、これら後期ロマン派の作曲家たちと完全に同世代である。実に精緻に書かれたオーケストラパートは、まさに音楽を聴く醍醐味に溢れている。凄まじい表現力。
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うーん。それにしても素晴らしい。何かというと、今回の演奏、指揮者だけでなく、すべての独唱者から合唱団に至るまで、全員が暗譜である。ということは、本当にそのままオペラの舞台に乗せてもよいような公演であるのだ。このような演奏が素晴らしくないわけがない。今回主役の蝶々さんを歌うのは、韓国出身のヴィットリア・イェオ。
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往年の名ソプラノ、ライナ・カバイヴァンスカの弟子であり、イタリアで研鑽を積んでいる。昨年はムーティ指揮の「エルナーニ」でザルツブルク音楽祭にもデビューしているという。対するピンカートンは、1991年生まれ、弱冠25歳のイタリア人、ヴィンチェンツォ・コスタンツォ。
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こんなに若いテノールではあるが、バッティストーニがジェノヴァで「マクベス」を振ったときに主役を務め、このピンカートン役も既にフィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリでも歌っているのである。これはリハーサルのときの一コマ。
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だが正直なところ、このコスタンツィオの声は綺麗ではあったものの、もうひとつ突き抜けたところがなく、能天気さを発散すべきピンカートンとしては課題が残ったと思う。その反面、タイトルロールのイェオは強い声で終始一貫して素晴らしい出来であった。この蝶々夫人、ヨーロッパ人から見た日本女性の小柄で一途な面を誇張して表していると思うが、この役柄を歌うには、ただ可愛らしいだけでは全く話にならず、緊張感溢れるリリコ・スピントでなければ。その点でイェオの声は見事であった。このオペラを代表するアリア「ある晴れた日に」は、情念だけでなく、背筋が伸びるような矜持をたたえた歌として、傾聴に値するものであった。後半に向けて会場ではハンカチを手にする人の姿が増えて行ったものだ。

うん、ここでもう一度思い出そう。この音楽の素晴らしいこと。チョンはいつものことながら指揮棒を鋭く空間に突き刺したり、グルグルと円を描いたり、ドンと足を踏み鳴らして音を煽ったり。そして東フィルの素晴らしい演奏能力が彼の身振りを音に化して解き放つのだ。なんという高水準の音楽。もともとこのオケのコンサートマスターを長らく務めた荒井英治をゲストコンサートマスターに迎えたオケは、甘く切ない思いから命を絶つ決意の思いまで、余すところなく表現した。本当に素晴らしい。
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そして大変印象に残ったのが、シャープレスを演じた甲斐栄次郎だ。二期会所属なので、その名をよく目にするが、なんと2003年から10年に亘ってウィーン国立歌劇場専属であったという。この作品では領事シャープレスが上手でないと全体が締まらないのであるが、甲斐の歌唱は申し分のないもので、今日会場で流された涙のある部分は、彼の巧みな歌唱によるものであったと言えるのではないか。
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今回の上演は演奏会形式なので、演技は最小限なのであるが、男性陣が皆タキシードであるのに引き替え、女性陣はそれぞれの衣装を身に着けていた。と言ってもこのオペラに出てくる女性は3人のみ。主役の蝶々夫人以外には、侍女のスズキと、米国女性ケイトだけだ。このうちケイトは出番も少なく、西洋のドレスであったが、蝶々夫人とスズキは東洋風の衣装。だが、髪型を含めて完全に日本風ではなく、いわば汎東アジア風とでも言おうか。この作品はたまたま日本が舞台になっているものの、そこで表現された人間の感情は普遍的なもの。音の大伽藍さながらに鳴り響くクライマックスでの蝶々夫人の姿は、西洋でも東洋でもない、人間の生きる姿そのものであった。

チョンの指揮する東フィルの演奏、前回に続き今回も瞠目すべきものとなった。また9月に来日してベートーヴェンを聴かせてくれるチョンには、もっともっと東京の指揮台に立ってもらえることを期待しよう。駒鳥が巣を作るまで待っています!!
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by yokohama7474 | 2016-07-24 23:04 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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このブログでも過去に何度か触れているが、新日本フィルハーモニー交響楽団(「新日本フィル」)は、新たなシーズン、つまりは今年の9月から、上岡敏之(かみおか としゆき)を新音楽監督に迎える。2013年に前音楽監督クリスティアン・アルミンクが退任してから3年の空白はあったものの、その間にインゴ・メッツマッハーやダニエル・ハーディングのもとで充実した演奏活動を繰り広げたこのオケが、遂に才能ある新音楽監督を迎えて新たな時代に入って行く、そんな期待が高まるのである。これは、音楽監督就任発表の記者会見時の写真。彼にしても、日本で手にする最初のポスト?ではないだろうか。
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今回の曲目は以下の通り。
 シャブリエ : 狂詩曲「スペイン」
 ビゼー : 「アルルの女」第1組曲
 リムスキー=コルサコフ : スペイン奇想曲作品34
 ラヴェル : スペイン狂詩曲
 ラヴェル : ボレロ

うぉー、これはなんと楽しい。既に夏休みに入っているということで、誰もが楽しめるポピュラーな曲目で、秋からのシーズンに先立つ肩慣らしを行うという、そういった位置づけであろう。上のポスターにもある通り、「真夏のスペイン・ラプソディー」である。あ、もちろん、ラプソディは、私自身もこのブログのタイトルに使っているくらいなので思い入れがあり、私の人生これすなわちラプソディのようなものなのであるが(笑)、この言葉は日本語では「狂詩曲」。思いつくまま気の向くままに奏でられる曲のことを指し、まさに話題が二転三転ととりとめない、このブログにはぴったりだと思っているのである。これらの曲も、何々の第何番何々調という作品ではなく、気ままに楽しめる曲ばかり。ただ、上記の曲目を見て、「へぇー、狂詩曲スペインと、スペイン狂詩曲があるのか」と思う方もおられるかもしれない。そうなのである。南欧スペインは、他のヨーロッパ諸国から見ると、以前イスラム教徒の支配下にあったこともあり、陽光溢れるエキゾチックな国。ここに並んだフランスやロシアの作曲家が、勝手気ままにスペインをイメージして書いた名曲の数々だ。なので、狂詩曲スペインとスペイン狂詩曲は、違う曲なのであります。但し、正確には「アルルの女」だけは舞台はスペインではなく南仏。同じビゼーの曲では、歌劇「カルメン」はスペインのゼヴィリアが舞台となっている。ただ、ここで2曲目に「カルメン」を入れてしまうと、ちょっとうるさすぎる(?)との配慮だろうか、「アルルの女」の2つある組曲のうち、派手に盛り上がる有名な「ファランドール」を終曲とする第2組曲ではなく、穏やかな曲も含む第1組曲を採り上げて、変化を持たせようという意図ではないだろうか。また、ファリャとかロドリーゴとか、あるいはクリストバル・ハルフテル(ちとマイナーか?笑)のようなスペインの作曲家による作品は含んでおらず、いわゆる「スペイン情緒」のある名曲に絞っているようだ。

このオケは開演前にホールのホワイエで曲目解説をしたり、場合によっては楽員が室内楽を演奏するなどして、聴衆を飽きさせない工夫を以前からしているが、今回も、スペインという国について、また今回の曲目についてのレクチャーがあった。スペイン人のクラリネット奏者(後半の曲目に登場)が喋り、楽団のインテンダント(いわゆる運営責任者)として、最近一般からの公募で選ばれた井上貴彦氏(確か会計士出身の方と記憶)が通訳方々、周辺の話をされていた。
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さて今回の演奏であるが、両者未だに探り合いという感じも残ったものの、まずは指揮者とオケの個性がうまく調和した演奏であったと思う。上岡の指揮の特色は、昨年暮れの読響を指揮した第九でも触れたが、全く彼独自の音楽観に基づいた音色やテンポを身上とする。場合によっては一般的な演奏とはかなり異なることもあり、実際に聴いてみるまで分からない、スリリングな指揮者だ。今回のようなポピュラーな曲目でも、手抜きは一切なし。時にオケとの間に距離を感じさせる瞬間もあったように思うが、それこそが指揮者とオケの顔合わせの妙である。最初からすべてうまく行くようでは面白くない。そもそも、上岡がこれまで日本で披露して来たレパートリーは、やはりドイツのたたき上げ指揮者という彼の経歴からして、どうしてもドイツ物が多かった。そして実際、9月以降の新シーズンの定期演奏会で彼の振る曲目を見ても、ほとんどドイツ物である。その意味ではこのスペイン・ラプソディ・プログラムは若干異色。だが今後の新日本フィルの活動を占うには、このような曲目での充実が欲しいところである。
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前半の3曲は、とにかく明るく楽しく鳴ってもらえればそれでよく、爆発的な演奏には至らなかったものの、安心して聴くことができた。課題はやはり、後半のラヴェルではなかったか。オケの技術的水準には不満はないが、時折もっと立体的に響いて欲しい瞬間があったように思う。そもそも前半と後半を比べてみると、ラヴェルが求める音の精妙さは、それはそれは大変なレヴェルのものであることが、よく分かる。もちろん彼がシャブリエやビゼーやR=コルサコフよりも後の世代であることにもよるが、このクリスタルのような繊細な音の景色は、まさに天才が創り出した業であり、その再現には細心の注意と大胆さが必要だ。例えば「スペイン狂詩曲」の冒頭は、聴こえるか聴こえないかという弱音が棚引いているのだが、ここで上岡が要求した最弱音をオケはかなりがんばって実現していたものの、このコンビがこれから関係を進めて行けば、より精緻なものになって行くと思う。ボレロも、冒頭の小太鼓を弱音のピツィカートで伴奏する弦の一部が、指揮者の要求するニュアンスを出していて見事ではあったものの、もっともっと神秘的に響くようになって行って欲しいという将来への期待を抱かせた。もちろん曲が進むにつれ、熱狂は徐々に沸き起こり、音楽への没入は感動的なものではあったが、それだけに、今後このコンビが切り拓いて行ってくれるであろう長い道のりにも思いを馳せることになった。

そしてアンコールに、「アルルの女」の「ファランドール」が演奏された。推進力のある切れ味よい演奏で、真夏のスペイン・ラプソディは幕を閉じた。なるほど、そういう趣向でしたか。

会場には、このオケのコンサートマスターである崔 文洙と上岡のコンビで録音したCDが売られていた。ここでは上岡は指揮者ではなくピアニストとして、バッハとシューマンのヴァイオリン・ソナタの伴奏をしている。上岡のピアノは本格的で、何年も前に、あろうことか、歴史上で最も難しいと言われるラフマニノフの3番のコンチェルトのソリストを務めたこともあり、チケットは完売で私はそれを聴けなかったが、いつか彼のコンチェルトも聴いてみたい。また、崔は最高のコンサートマスターであり、素晴らしいヴァイオリニストなので、このような共演(デュオリサイタルも開いたことがあるようだ)によっても、オケと音楽監督の関係は深まって行くものと期待される。
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私は新日本フィルの新シーズンの会員にはなっていないが、面白そうなコンサートがいくつもあるので、適宜選んで聴きに行きたいと思う。上岡さん、期待していますよ!!

by yokohama7474 | 2016-07-24 02:00 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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1960年代ロンドン。人々がビートルズに熱狂した時代。ジェームズ・ボンドが活躍した冷戦の時代。今やノスタルジーをもって語ることしかできないそんな時代のロンドンで、双子のギャングが幅を利かせていた。この映画はその双子のギャングを主人公としている。兄のレジナルド(レジー)は切れ者でカリスマ的。演じるのはトム・ハーディだ。
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そして弟のロナルド(ロン)はカミングアウトした同性愛者で、カッとなると手の付けられない乱暴者だ。演じるのはトム・ハーディだ。
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あ、あれっ。私は今、何か変なことを言ってしまっただろうか。この兄弟、双子とはいえ別々の人物であり、このような共演シーンもあるというのに、演じるのは同じトム・ハーディだというのか。同姓同名か?
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いやいや、そんなわけはなくて、ここで私が一人でボケとツッコミをやらずとも(笑)、今や飛ぶ鳥を落とす勢い、このブログでも過去の出演作を大絶賛してきた絶好調のトム・ハーディが、一人二役でとことん双子のギャングを演じてみせるのだ。まずこの点がこの映画の最大の売りであることは間違いない。この二人の「共演」シーンには、取っ組み合いの喧嘩まであるという念の入り用だ。トム・ハーディの役作りは明確で、まずレジーを演じるときには、ある意味快活で、表情自体をめまぐるしく替え、恋人の前ともなると、時にはこのような笑顔も見せる。もちろん、獣のように豹変する瞬間はかなり怖いが。
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一方のロンを演じるときには一貫して陰気で、口の中に詰め物をしているのであろう、顎の線にシャープさがないし、モゴモゴと不明瞭に喋り、口を開いても下顎の歯がほとんど見えない。彼はこのままの表情で平然と殺人を犯すのだ。
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このような対照が全編にこの映画独特の色合いを醸し出しており、それは見事なものだ。時代の空気が伝わってくる。実在のクレイ兄弟はこんな感じで、まあこの種の映画では、必ずしも本物ソックリな映像を作ることが重要だとは思わないが、多分演じている役者たちが、実物に近いことによってリアリティを出したいという心理的効果はあるだろう。うーん、確かにこの実物、今回のトム・ハーディの役作りと近い雰囲気がある。本当に双子でも顎の線が違いますな(笑)。ただ、強いて言うとレジーは実物の方がさらに線が細いようにも見える。
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一人二役も、今日技術的にはそれほど難しくないだろうが、本作の撮影方法を調べてみると、ごく素朴な方法がメインであったことが分かる。つまり、双子が共演するシーンでは、トム・ハーディのそっくりさんを代役に立てて芝居をしたとのことだ。だが、その代役はただのそっくりさんではない。ジェイコブ・トマリというスタントマンで、「マッドマックス 怒りのデスロード」や「レヴェナント 蘇りし者」でもハーディのスタントを務めたとのこと。ハーディは様々なインタビューでこのスタントマンをジェイコブと名前で呼んで感謝の意を表明しているらしい。うーん、男っぽい。
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レジーの恋人フランシスを演じるのは、オーストラリア出身のエミリー・ブラウニング。決して素晴らしい美形というわけではないが、なかなかに表情豊かであり、等身大の女性を自然に演じてみせた。
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彼女はどこかで見たことあると思ったら、ザック・スナイダー監督の佳作「エンジェルウォーズ」の主役でした。そうでしたそうでした。昔「ゴーストシップ」にも子役で出ていたらしいが、それは覚えていない。あ、あと、「ポンペイ」か。なるほど。こんな感じでした。
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その他の出演者ではデイヴィッド・シューリスが最も知名度が高いとは思うが、私としてはやはり、あの「キングスマン」で颯爽と主役を務めたタロン・エガートンの姿を見ることができて嬉しい。ただ、ロンの愛人役という役どころだが・・・。
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そんなことで、役者陣の充実は大したもの。あとは、時代の裏側を駆け抜けた双子のギャングを巡る物語が、どういった現代的な意味を持ちうるかということであるが、この点については若干課題が残ったのではないか。これは「ゴッドファーザー」でもなければ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でもない。特徴的であるのは、一人称で物語を語るのがレジーの恋人のフランシスであるということ。これによって特にレジーの人間的内面を描くことはできたと思うものの、ギャング同士の抗争の中で、いかに二人が策略や蛮勇をもってのし上がって行ったかという点の迫力には、いささか不足していたように思う。もちろん抗争のシーンや警察を手玉に取るシーンも少しはあるが、物語を大きくうねらせるようなものではなかった。社会の激動の中で、彼らが何を見てどこを目指して活動したのかを、さらに実感をもって感じられればよかったのにと思う。この作品の脚本・監督を務めるブライアン・ヘルゲランドは、あの素晴らしい「L.A.コンフィデンシャル」とか「ミスティック・リバー」、「ボーン・スプレマシー」等の脚本を書いた人らしいので、もうひとつ、ひねりが欲しかったという気がする。

ところでこれは、カラーで残っている実際のクレイ兄弟とフランシスの写真。上のモノクロの写真もそうだが、どうも彼らは自らを被写体として意識しているのではないだろうか。まるで映画のワンシーンのような写真である。
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事実は小説よりも奇なり。最近の映画は実話に基づくものが多く、それはそれでよいのだが、純然たるフィクションが荒唐無稽になりすぎて、想像力の翼を気持ちよく広げることができない場合が多い。それゆえに、この映画のような事実に基づくもの、しかも実在の人物たちがそれなりの情報を残してくれている場合には、時代と正面から切り結ぶようなリアルな社会性が欲しいと、私は考えるのであります。

by yokohama7474 | 2016-07-24 00:27 | 映画 | Comments(0)

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最近の街の話題は、なんと言ってもポケモンGOであろう。日本先行かと思いきや、米国で開発されたゲームで、他国に続いて日本でもつい昨日、7/22(金)から配信開始となった。私はゲームをしない人間なのであるが、その理由は、きっとゲームにはまったら最後、仕事も家庭も放り出してのめり込んでしまうことを恐れるからである(笑)。ただ、報道で見るところのこのゲーム、スマホやタブレットを通して見る現実の風景の中にポケモンが現れ、それを捕獲するもののようだが、私としては幸か不幸か、それほど遊興心を煽られるようなことにはなっていない。というのも、古今東西の歴史的な場所や文化的イヴェントにわが身を置くだけで、残りの人生すべてを費やしても時間が足りないという思いに満たされているからで、架空の動物を捕まえる遊びには、私の心は正直なところ、さほど動かないのである。

だが、もし現代の街中に、アドルフ・ヒトラーがいたらどうしよう。これはちょっと見てみたいし、おそるおそる蹴ってみたり、冗談でハイル・ヒトラーの敬礼をして自尊心をくすぐってみたり、同盟国日本のことをどのくらい知っていたかについて日本語で問いかけてみたい。だがそれは、私の生きている時代も場所も、ヒトラーが生きていたところから遠く離れているから言えることだ。現代ドイツにおいては未だに、ヒトラーの存在がいかに複雑な影を投げかけていることか。本当に深いところは私には知る由もない。ただ、2008年、ということは終戦後60年以上経過したつい最近オープンしたばかりのベルリンのマダム・タッソー蝋人形館において、展示されたヒトラーの蝋人形の首が、早々にして執拗に何度も折られたという事件を聞いたときに、未だ消えることのない歴史の闇に震撼としたものだ。だがこの映画はあろうことか、お膝元のドイツにおいて現代にタイムスリップした本物のヒトラーが、物まね芸人として絶大な人気を博するという話。なんという大胆な企画。原題の"Er Ist Wieder Da"は、第2外国語がドイツ語であった私にとっては簡単だ。「彼がまたそこにいる」という意味だ(なんでもネットで調べられる便利な時代になったものだ 笑)。もともと小説としてベストセラーになったものの映画化である。これはヒトラーが現代に甦る瞬間。
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クラシック音楽を愛する者として、戦時中のドイツの音楽界の状況に多大な興味を持たないわけにはいかないので、その点からヒトラーの行状に対して思うところは多々ある。昨年の夏にはバイロイト音楽祭に参加し、ナチス党大会の会場であったニュルンベルクにも出かけた者として、フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターやエーリヒ・クライバーやカラヤンやチェリビダッケの当時の行動に大きな興味を持つ者として、ヒトラーと音楽というテーマについては生涯研究して行きたいと考えている。だが、この映画の冒頭に流れる音楽がバリバリのドイツ音楽であるワーグナーやベートーヴェンではなく、イタリア音楽のロッシーニであるという皮肉は、なかなか面白いと思ったものだ。「泥棒かささぎ」序曲。この疾走感と愉悦感溢れる音楽ほど、ナチスドイツのイメージから遠いものもないだろう。だがこの後、映画の本編においては、数々の非ドイツ系音楽の断片が感性を刺激することとなったのだ。例えば、イギリス音楽であるエルガーの威風堂々第4番(あの有名な第1番ではない)。あるいは、フランス音楽であるオッフェンバックの「ホフマンの舟歌」(あの有名なメロディではなく、その前の序奏の部分だけ)。そして極め付けは、ドキュメンタリー風のラストシーンで流れる痛ましい音楽、イギリス音楽であるパーセルの「メアリー女王のための葬送音楽」だ。これらの音楽の組み合わせがこの映画に複雑な陰影を与えているし、「泥棒かささぎ」と「メアリー女王のための葬送音楽」が使われているとなると、映画好きには常識のこととして、もちろんあのスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」を連想することとなる。終末観と諧謔味。ヒトラーが起こした人類史上最大の悲劇は、もう笑うしかないという喜劇にも簡単に転じうる。その人間社会の危うさをうまく表現した音楽の使用法になっている。
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だが、私には分からない。果たしてヒトラーを笑いのネタにしてもよいものか。なるほど映画の歴史においてヒトラーは、未だ実際に勢いのあった1940年、早くもチャップリンがパロディ化しているし(ところでチャップリンの誕生日はヒトラーとわずか4日違いだということをご存知か。これは運命のいたずらとしか考えようがない)、その後も、例えばスピルバーグは「シンドラーのリスト」ではシリアスに、「レイダース」ではコミカルに非難しているように、ありとあらゆる映画でナチスは排撃されてきている。だがしかし、彼が実際に行ったことは人類史上稀に見る極悪非道なこと。その彼が現代のベルリンを闊歩するという発想自体、危険極まりない。この映画のしたたかなところは、そのような危うさを逆手にとって、ソックリ芸人としてのヒトラーを街に出してゲリラで人々の反応を見るという試みに結実する。親し気に挨拶する人。腹を抱えて笑う人。興味なさげに通り過ぎる人。中指を高らかに立ててののしる人。本気で怒りだす人。これが人々の率直な反応である。それというのも、このヒトラー役の役者、オリヴァー・マスッチの存在感、あえて言うならば、そのリアルな「ヒトラーぶり」が凄まじいからだ。
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現代ドイツの政治動向には詳しくないが、この映画においてはメルケル首相もあざけりの対象であり、ネオナチを含む怪しげな人々が沢山出てくる。そして驚くべきは、このヒトラー役の役者が、実際に演説をしたり、政党の党首と議論したりするシーンが、大変なリアリティを伴ってあれこれ出てくるのである。うーん、ヒトラー役に本当に何かが憑りついているように思えてくるのは、一体どういうことか。そして、笑いはいとも簡単に背筋も凍る人間の残虐さを思い知らせる要素となる。ラストに向けてヒトラーが観客に投げかける事実は、「ヒトラーは選挙で合法的に政権を取得した」ということだ。ナチスの残虐性は、人間社会の本質的な残虐性ということであり、その背筋を凍らせる危うさに、今度は笑うしかなくなってしまう。

この映画は、現実と虚構の入り子構造でできている。その意味では特殊な映画であって、決してテンポよい巧妙な演出とは思わない。だが、そのような演出であっても、題材によってこれだけの問題作ができてしまうのだ。ここには得体の知れない魔術がある。ヒトラー役を演じたオリヴァー・マスッチの言葉を借りよう。

QUOTE
いい映画には、心を掻き乱す瞬間があると思う。笑えるけれど、その笑いが凍りつく瞬間が何度もあるんだ。
UNQUOTE

上で何枚もヒトラー役の写真を掲げてきたこのマスッチの素顔はこれだ。
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な、なんだ。ヒトラーに生き写しかと思いきや、全然違う顔ではないか(笑)。再びマスッチの言葉を引用しよう。

QUOTE
(街中で撮影した際)僕がメイクをして衣装をつけた役者だということを完全に忘れている人たちもいて、彼らは真剣に僕に話しかけてきた。彼らとの会話で、人がいかに騙されやすいか、そして人がいかに歴史から多くを学んでいないかがわかったんだ。
UNQUOTE

このようにして人間の歴史は行きつ戻りつするのだと思う。今日、移民問題やテロで揺れるヨーロッパに、もしヒトラーが再び現れたら何が起こるのだろう。それを考えると、ポケモンGOで街をほっつき歩く人々の生活は、平和なものなのだと思うのである。願わくば人々がゲームに夢中になるあまり、トラブルに巻き込まれないように。これは独裁者の扇動ではないので、自分の身は自分で守りましょう。

by yokohama7474 | 2016-07-23 22:01 | 映画 | Comments(0)

前日の石山寺と安土城址探訪の疲れもあったが、琵琶湖周辺の歴史を求める旅の2日目も、ボヤボヤしてはいられない。この日の目玉はふたつ。まずひとつは、これまで行きたくてなかなか行けなかった、琵琶湖の北端に近い場所にある竹生島 (ちくぶじま)。もうひとつは、これは過去何度も訪れているのだが、とある理由があって彦根城に行きたい。そしてそのついでに彦根近辺の寺や、石田三成の居城であった佐和山城址を見て回りたい。これはまたかなりの強行軍である。実は、大津近辺のホテルから朝、車で出発しようとして、早くも「しまった」と思ったのだ。竹生島に行くための船便を探すと、ほとんどは湖東の長浜か、湖西の今津というところから出ている。西側にはあまり観光の対象となるものはないので、乗るならやはり、秀吉が初めて城を構えた地、長浜からであろう。ネットで「竹生島 クルーズ」で検索すると出てくる琵琶湖汽船の運航図は以下の通りだ。やはり、長浜と今津からしか運航されていない。
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だが、大津から長浜までの距離は優に 60kmを越える。長浜9時発の便には間に合わない。その次は10時15分発で、今度は少し時間を持て余してしまう。どうしよう・・・と悩んだ私の頭に、ガイドブックのうちのひとつに書いてあった竹生島への生き方、つまり「長浜または彦根から船」という箇所が浮かぶ。長浜だけでなく、彦根からもあるはず。彦根なら大津から少しは近いし、その後の観光も効率的だ。調べてみると、彦根からだと9時45分発の船がある。これは好都合!! やはりいかなる場合にも捨て目を効かせて、プランBを考えておくことが重要だ。ということで走り出したのだが、それにしても琵琶湖は広い。大津から彦根まで、あれだけ高速道路で北上しても、まだ半分くらいなのだから・・・。

さて、辿り着いた彦根港の観光船乗り場。朝からそれなりに人数が集まっている。竹生島以外に、多景島 (たけしま) にも船が出ている。
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そして、いざ憧れの竹生島へ!! 船は波を切って爽快に湖の上を進んで行く。海の上ではないので揺れはほとんどなく、船酔いすることもない。船内は冷房も効いていて快適だ。
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ここで竹生島について少しご紹介しよう。周囲2kmほどの小ささだが、古くからの霊場として知られている島だ。
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この島には大別して3つの顔がある。まずひとつは、水の神であり技芸の神である弁天様を祀っていて、日本三弁天のひとつである(ほかのふたつは、安芸の宮島と、江の島)。次に、観音信仰の対象として、西国三十三か所の札所ともなっている。そして最後に、秀吉ゆかりの建造物を移築して来ており、寺と神社の双方に国宝の桃山建築を持つという極めて稀な例であるということだ。現地に宿はなく、船で往復すると半日がかりなので、これまで訪れることができないでいたのだ。さて、彦根から船に乗ること40分。島の南東にただ一か所だけある桟橋に到着。この島のほかの箇所はすべて切り立った岸壁になっているのである。桟橋を降りると、もう何十年も変わっていないような土産物屋が何軒かあって、その先に神社仏閣へと続く石段がすぐに現れる。
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狭い島であり、石段もかなりの急こう配で、登って行くのにはかなり骨が折れる。しかしながら、前日の安土城址での拷問のような石段を経験した身としては、余裕とまでは行かないが、まあ大丈夫だ。そうして石段を登り切ったところに見えてきた弁天堂。古く平安時代から弁天信仰の対象となってきた神聖な場所である。明治の神仏分離後は、一応所属としては宝厳寺に所属しているが、弁天は、もともとインドの神が日本に入り、水を対象とした自然崇拝と結びついたもので、神社に祀られても何の違和感もない。この建物は戦時中に完成しているようだが、その物資不足の困難な時代と、島の最奥部というハンディを思うと、大変な規模の労作である。
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弁天堂前から少し石段を上るとそこには、平成12年にできたばかりだが、なかなか立派な朱塗りの三重塔があり、宝物殿がある。琵琶湖の見晴らしもなかなか爽快だ。
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さてそれから少し石段を下り、宝厳寺の観音堂へ。この堂は重要文化財だが、そこへの入り口として立っているのが、初対面を楽しみにしていた唐門(国宝)だ。しかしながら、残念ながらこの門は現在改修中で、華麗な外観を見ることはできない。
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やむなく、その外観の写真を公式サイトから拝借して来よう。この唐門は、秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部と言われ、現存する秀吉の大阪城の唯一の遺構であるらしい。その後京都東山の豊国廟の門となったが、秀頼の命によって1603年にこの竹生島に移築されてきており、観音堂本体はその時に桃山様式で建造されたようだ。
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かなり色あせてしまってはいるものの、観音堂ともども、もとは絢爛豪華な桃山建築であって、その名残は今でも充分に味わえる。改修中の薄暗い中でも、このような装飾を間近で見ることができたのは大きな喜びだ。
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そして、ここから都久夫須麻(つくぶすま)神社へ続く回廊があり、それは一説に秀吉の御座船の材を利用したものと言われ、舟廊下と呼ばれて重要文化財に指定されている。外から見ると舞台作りになっているのだが、この空間構成にはほれぼれする。絶対に改修工事が終わってから再訪する必要ありだ。
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そうして都久夫須麻神社の本殿に到達するのだが、これまた見事な桃山建築で、国宝だ。これも豊国廟からの移築で、一説にはもともと伏見城の遺構であるともいう。やはり秀頼が移築したもの。これを見ると、日光東照宮は日本美術における突然変異ではなく、桃山建築からの流れであると考えたくなる。ただ、桃山建築の遺構が少ないゆえに、そのような流れが見えにくだけなのではないか。
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この本殿の前からは青い空と湖が美しい。かわらけ投げを楽しんでしまいました。湖に面した鳥居あたりに落ちて、そのまま野ざらしになっても環境には影響ないのだろう。
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さて、島内散策時間は70分。決められた帰りの船に乗って、12時15分頃に彦根に帰着。近江牛の昼食を取って午後の観光への体力回復を目指し、そうして向かった先は、石田三成の居城であった佐和山城址。大河ドラマ「真田丸」の影響もあって三成に興味ありと唱える家人が、どうしても行ってみたいと主張するので、その意見を尊重したものだ。だが、関ケ原後に彦根にやって来た井伊直政とその息子直継が、三成の「お古」を嫌い、この場所からほんの数km離れた場所に彦根城を新たに建造するために、佐和山城の石垣や木材を根こそぎ持って行ってしまったため、現在では何も残っていない。山の中腹に城址を示す看板があり、麓に天守閣の模型が飾られているのみ。土塁が残っているところも少しあるそうだが、そちらへは行くことができなかった。尚、これから触れる龍潭寺の境内から裏山を通って天守閣跡に達するハイキングコースは整備されているらしいが、かなり荒れた古い墓地の中を延々と登って行くことから始める必要あり、若干気分が滅入ったこともあって、今回は断念した。
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ここで面白い場所を発見。大洞(おおほら)弁材天堂とも呼ばれる長寿院というお寺である。龍潭寺からさらに少し山の中に入ったところにある。もともとは彦根城の鬼門除け(東北の方向を守護)として1695年に、彦根藩第4代藩主、井伊直興によって創建されたもの。道理で、寺の門からは彦根城が正面に見える。
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ここは純然たる寺とは若干様相を異にしており、門にいるのは仁王ではなく毘沙門天と堅牢地神、その裏には白虎が2匹。門の上には大黒天が実に4,000体祀られているという。
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そして重要文化財に指定されている弁天堂の装飾の華麗なこと。この寺を創建した第4代藩主、直興は、5代綱吉将軍の時代、1688(元禄元)年に日光東照宮の修復のための総奉行を命じられて現地へ赴いている。従ってこの寺の装飾は、直接日光の影響を受けて作られたものなのであろう。
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堂内の写真撮影は禁止となっているので撮れなかったが、相当に護摩を焚いていると見えて、内部はかなり煤けてしまっている。だがそれが堂内になんとも凄まじい空気を作り出していた。また、非常に珍しいことに、手前の礼拝用スペースから数段の階段を一旦下がって、その奥にいまします本尊、弁財天像安置場所を仰ぎ見るような構造になっている。外からの写真で分かる通り、2棟の建物がつながったような形式で、神社風ではあるが、なんともいえない独特の神秘的な雰囲気が醸し出されていた。
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また、隣に建つ阿弥陀堂は県指定の文化財であり、これもまた装飾性豊かなもの。中には入れないが、内陣中央には眠り猫のような彫刻があるらしい。
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境内には係の人の姿も見えず、閑散とした感じであったが、ちょっとほかにない雰囲気の、忘れられない場所でした。さてそれから麓の龍潭寺(りょうたんじ)へ。鬱蒼とした森の中に存在しているような印象だ。
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この寺は近江随一の禅の道場であったらしく、多くの学僧を擁し、また多くの造園家を世に出したとのこと。実際にこの寺の方丈の南には枯山水の、書院東庭には池泉回遊式の庭があり、それぞれに美しい。京都さながらの雰囲気である。
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方丈の襖絵56面を手掛けたのは、芭蕉の門人として蕉門十哲に数えられた森川許六(きょりく)の手になるもの。絵の方も狩野安信に学んだとのことで、俳人の余技の域を越えている。
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ところで石田三成の墓所はどこにあるかご存知だろうか。私も知らなかった、というより、徳川時代に墓所を作ることなどとてもできなかったろうと思うのだが、実は京都の名刹、大徳寺の三玄院という塔頭にあるらしい。調べてみると、拝観謝絶の寺(大寺院の塔頭には結構多い。第3の曜変天目茶碗を所有する龍光院も、やはり大徳寺の塔頭で、非公開寺院だ)であり、三成の墓所に詣でることはできないらしい。だがこの龍潭寺で珍しい写真を発見。三成の墓を明治41年に改葬した際に撮られた頭蓋骨。歴史の冷酷さを感じる。
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この龍潭寺からほど近いところにある清凉寺は、井伊氏の菩提寺。初代直政の死後にその墓所として創建されたが、もともとは石田三成の家臣、嶋左近の屋敷跡とも言われる。三成に「過ぎたるものが二つあり。嶋の左近に佐和山の城」と謳われるほどの人物であったという。三成が三顧の礼をもって家臣に迎えたということらしいが、それにしても三成も、散々揶揄されるのは気の毒だ。敗者なのでやむないのであろうが・・・。と思って嶋左近のことを調べてみると、なんとなんと、滋賀県の誇るゆるキャラ、ひこにゃんの引き立て役(?)キャラクターで、「しまさこにゃん」なるものの存在を発見。これがこの2人(?)のツーショット。むむむ。滋賀県恐るべし。ちなみに、「いしだみつにゃん」というゆるキャラもいるらしいので、興味のある方は検索されてみては。私はまだこの記事に書くべきことがあるので、先に進みます。それにしても、しまさこにゃん・・・。滋賀県の子供たちは、嶋左近の名前が親しいものなのだろうか・・・。
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ええっと、清凉寺の話でした。このような立派なお寺である。ちょっと暑かったこともあり、井伊家の墓所がどこにあるかまでは調べることはできなかった。
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そろそろ彦根城に向かった方がいいんじゃないの、という声が聞こえるようですが、まだまだ。彦根の歴史遺産は非常に奥深いのです。というわけで、これも前から行きたかった天寧寺に向かうこととした。ここで有名なのは五百羅漢。
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以前、目黒の五百羅漢寺をこのブログでもご紹介したが、ここにあるものはそれよりも時代が降り、また寸法も小さいものの、実際に500体の羅漢と釈迦、十大弟子が並んでいるのは壮観としか言いようがない。この寺の開基には悲しい逸話がある。井伊家第13代直中(あの直弼の父だ)の時代、男子禁制のはずの藩の下屋敷の腰元が妊娠。問い質しても父親の名を絶対に口にしなかったため、死罪となった。だがその後判明したことには、姦通相手はわが長男、直清であった。つまり直中は自らの初孫の命を摘んでしまったことになる。1828年、この母子の菩提を弔うためにこの寺が創建され、京都の仏師、駒井朝運にこれらの羅漢像を刻ませたとのこと。今調べてみると、この直清は長男ではあったものの、病弱であったため14歳で廃嫡され、1811年に20歳で死去している。彼の行状についての資料はないが、一体どのような人物であったのか。ちなみに藩主の地位は、その後直中の三男、直亮が継ぐが、実に十四男という順位であった直弼は、のちにこの直亮の養子となることで、次の藩主の地位に就くのである。

天寧寺はこのように、井伊家の内部的な事情と関わる存在であるゆえ、直中以降の各藩主から愛されたようであるし、井伊直弼が大老として桜田門外で斃れたあと、血染めの遺品を目立たぬように持ち帰り、四斗樽の中に詰めて埋め、そこにこの供養塔を建てたという。
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そもそも井伊家は、初代直政が、徳川四天王のひとりとして、交通の要所である近江の国にやって来てから明治維新まで一度の転封もなく、直弼の前にも幕府の大老職を5人も出している名家である。その居城である彦根城が日本を代表する城として残ったことは本当に意義深い。城を訪れる前に彦根と井伊家の歴史に触れられる場所を訪れたからこそ、その感慨は深いものがあった。彦根城博物館には、国宝彦根屏風という名品があるものの、通常は毎年春に公開されるようで、今回は見ることは叶わなかった。だが、重文に指定された数々の井伊直弼の遺品が大変興味深かった。和歌をしたためているのはまあ常識的だが、戒名を自分でつけたりもしている。彼の墓所は豪徳寺にあるようだが、この戒名、使われているのだろうか。
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「ほっとけや」というご本人の声が聞こえるような気もしますが(笑)。
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さあそして、夕刻に近づいて爽やかに晴れ渡った空をバックに、ついに今再びの彦根城へ。
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旅先で歴史に触れ、帰宅してから歴史に想いを募らせることもある。家人は谷崎潤一郎の「盲目物語」を取り出し、その舞台が竹生島であることを再確認してから読み返し始めた。今回一緒であった兄は、渋谷の映画館の特集でかかっていた溝口健二の「西鶴一代女」の冒頭のシーンで、田中絹代がふらふらと入り込むのが天寧寺であることを発見。そうして私はというと、昨年、永田町から日比谷方面にブラブラ歩いている際に発見した井伊家の屋敷跡の井戸のことを思い出していた。これは、車で通りかかっても絶対に分からないのであるが、また、普通ここを歩いて移動する人なんてまずいないのであるが(笑)、内堀通りが湾曲している国会前の交差点のあたり、このこんもりした森が、江戸時代後期の井伊家上屋敷跡である。ここから振り返ってみると、桜田門は本当に目と鼻の先だ。ほんの数百m。でも命を取られるときは、移動距離が何百kmだろうと何百mだろうと関係ない。雪の降る安政7(1860)年のあの日、井伊直弼は、ほんの数百m先の江戸城に、ついに生きては辿り着けなかったのである。
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この井伊家の屋敷はもともと加藤清正の屋敷であったらしく、その屋敷内に昔清正が掘らせたという「桜の井」という名の井戸が、今もポツネンと残っている。
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都内の真ん中で、ほんのわずか、歴史の残り香を嗅いだ瞬間、神秘的な気分を味わった。我々の日常に一瞬だけ風穴が開き、そして何事もなかったかのようにいつもの時間が戻ってくる。

ここで私は白状しなければならない。なぜ今回彦根城に行きたかったのか。もちろん、井伊直弼の具現する日本の近代化の悲劇に想いを馳せるという意図もあった。だが、より直接的な理由は、我が家のガラクタ「世界遺産」コーナーに展示してあるガジェットの中で、国宝の城としては、姫路城、松本城、犬山城はあるのに、彦根城は未だなかったのである!! もちろん、最近国宝に昇格した松江城のガジェットもないが、以前未だ重文の頃に行ったきりなので、また次回訪問時に買えばよいと考えている。ところが彦根城は、昨年行ったばかりなのに、ガジェットを買い忘れてしまったのだ!! そんなわけで、今回無事、土産物屋が閉まる直前になんとかゲットすることができ、ほっと一安心だ。
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お、そこで軽蔑したような目で見ているのは誰だ。ま、まさか、いしだみつにゃん・・・???
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by yokohama7474 | 2016-07-23 02:14 | 美術・旅行 | Comments(0)

琵琶湖が日本最大の湖であるとは誰もが知るところ。水あり山あり歴史ありの素晴らしい場所である。だが、特に首都圏からは少し距離があることもあってか、週末を過ごすリゾートとして大人気かと言えば、どうもそうではないように思う。今回と次回の記事では、そのような風潮に一石を投じるべく(?)、歴史探訪の観点から琵琶湖周辺の興味尽きないスポットをご紹介しよう。まず、これが滋賀県の地図。その面積の約4割を琵琶湖が占める。今回私が旅したのは、南端の大津市に始まり、東側を北上したところにある近江八幡市と彦根市。そして彦根から船に乗って、湖の北端に近い場所にある竹生島 (赤丸をつけたあたり) にまで足を延ばした。山登りやマリンスポーツは今回は楽しんでいないが(笑)、歴史好きにはたまらない場所であることをお分かり頂けるような記事にするつもりです。
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さて、子供の頃からのお寺好きであった私にとってこの地域は、これまでにも何度も訪れているなじみの場所である。だが今回、ここを再訪することを思い立った直接の理由は、本屋でこの本を見かけたことだ。
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昨今の仏像ブーム(?)を反映して、最近は雑誌の類でもかなりマニアックな内容の非常に美しい特集記事を目にすることがあるが、さしずめこれなどはその代表ではないだろうか。エイ出版社という出版社は最近仏像関連の本をあれこれ出しているが、この「超保存版」はまた大変凝った作りになっている。なにせ、「勅封秘仏 三十三年に一度特別公開!」である。これを見たら誰しも絶対行きたくなるではないか。いや少なくとも私は、33年後に生きているか否か分からない。これを逃してなるものかと、新幹線に飛び乗ったのである。

琵琶湖の南端近く、京都から遠からぬ場所にある石山寺には、これまでに4度ほど訪れているが、西国三十三か所の霊場としても知られ、由緒ある大変素晴らしいお寺である。月見の名所としても有名であり、紫式部が源氏物語の構想を練ったところでもある。現地に辿り着くと、件のご本尊の特別開扉についての各種表示が見られる。
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ここには「日本唯一の勅封秘仏」とあるが、つまりは天皇の許可がないと開扉できないという意味だ。なにせ33年に一度、本当に貴重な機会なのであるが、今回は上のポスターにある通り、3月から12月までと長い期間に亘って公開して頂けるのがありがたい。過去には将軍や天皇の要請で開扉したり、最近でも寺の記念行事などで開扉されるケースがあって、実際には33年待たずとも拝観機会がある可能性はあるが、まあ、だからと言って一般庶民が「拝観したいんです」と声を上げれば見せて頂けるものではないので、この機会にあらゆる善男善女に現地に足を運んで頂きたい。このご本尊如意輪観音、もともとは天平時代に塑像 (いわば粘土) で作られたものが焼失したので、平安時代後期に再度木造で作られたのが現在の像であるとされる。国宝に指定されている本堂は 1096年の再建であるので、このご本尊もその頃の作と考えるのが妥当であろう。藤原時代の優雅さもありながら、天平時代のオリジナルの彫像の古風な雰囲気を伝えるために、細身ではなく、大柄な手足で造形されたのではないかとの説があるらしい。美麗というよりは親しみやすく頼もしい観音様だ。オリジナルの造形は、岩盤の上に座っておられる点にも表れている。1000年の時を越え、色彩も鮮明に残っている。
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また興味深いことに、2002年に石山寺開基1250年を記念してご本尊が公開された際に奈良国立博物館による調査が行われ、ご本尊の胎内から4体の古い小金銅仏が発見されたとのこと。また、天平時代の最初のご本尊のわずかに残された足先の部分も、今回本堂内にて見ることができる。長い寺の歴史を語る生き証人たちだ。
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なおこの本堂には、紫式部が実際に籠って「源氏物語」の構想を練ったという部屋が残されていて、そのイメージが沸くような人形が展示してある。
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そしてこの寺の特徴的な風景はと言えば、寺名の由来となったこの積み上がった硅灰石だ。これは石灰岩が高音マグマで熱変性したもので、その峩々とした奇岩の風景には何か神秘的なものを感じる。
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硅灰石の上に建つのは日本最古の多宝塔。源頼朝の発願により1194年に建てられたとされ、国宝である。ただ古いというだけでなく、その姿の美しいこと。方形の初層の安定感に対し、思い切って絞り込んだ円形の第2層の対比が顕著である。
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さて、石山寺を後にして向かったのは、湖南三山と呼ばれる寺のうち、常楽寺と長寿寺である。比叡山の影響下に仏教文化の花開いたこのあたりでは、当然のように天台宗の寺が多いが、信長の焼き討ちもあったものの、結構山奥にある大きなお堂を持つ寺が今日にまで残っているケースが多く、なんともありがたいことである。それらは多くの場合国宝に指定された本堂や、ある場合には三重塔を持ち、重要文化財の貴重な仏像を伝えている。琵琶湖の東岸にある湖東三山が、紅葉の名所としてもかなり知られているが、比較的最近になって「湖南三山」という名称で3ヶ寺を売り出そうという動きが見られる。3ヶ寺のうち善水寺は少し離れていて、私はたまたま去年も訪れているので今回はパスし、常楽寺(西寺)と長寿寺(東寺)の2ヶ所を訪れることとした。

常楽寺には素晴らしく堂々たる本堂と三重塔があり、ともに国宝。
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本堂の中には重要文化財の二十八部衆が立ち並び、壮観である。等身大の半分くらいだが、明らかに三十三間堂の二十八部衆(こちらは等身大)の造形をコピーしている。滋賀県の天台寺院でよく見られる古色蒼然とした佇まいに、襟を正したくなる。
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だが悲しいことに、檀上には2ヶ所、空いている空間がある。それらはかつて盗難に遭ってしまい、未だに戻って来ていない仏像たちだ。実際には3体が盗まれたそうだが、阿修羅像1体だけはその後戻ってきたらしい。仏像の盗難は一時期かなり頻繁に発生していたが、これら一群の仏像は、幾星霜を経て守られてきた一か所にすべて揃ってこそ意味がある。常楽寺の失われた2体も、早く発見されることを祈りたい。この寺は住職おひとりで管理されているとのことで、今ではセキュリティも厳しく設定されているが、その設備や注意書きを目にするだけで、何やら悲しい思いにとらわれてしまう。

一方の長寿寺であるが、こちらの本堂も国宝。常楽寺のものよりも小ぶりであるが、年代は少し遡るだろう。内部には重文の釈迦如来と阿弥陀如来が安置されている。またここで珍しいのは、池の中の小島に建てられた弁天堂。室町時代のもので重文だが、このような庶民信仰の対象がこのようなかたちで残っているのは貴重であろう。
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それから、本堂裏手の収蔵庫には丈六(釈迦の身長1丈6尺=4.85mを基準としたサイズで、座像の場合はその半分、8尺=2.43m前後の高さの仏像を指す)の阿弥陀如来が安置されている。堂々たる体躯の藤原仏である。
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長寿寺のすぐ横に隣接する白山神社にも重文建造物がある。室町時代に建てられた拝殿。奥の高いところにある本殿を礼拝する場所であるが、壁面が格子だけでできている。祭礼時には人々がここに集まったり、舞を奉納したりするのであろうか。週末でも観光客に乱されることのない清澄な空気が漂っている。
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さてここから向かったのは、安土である。言わずとしれた、織田信長の安土城があった場所である。だが実は私はこの場所を未だかつて訪れたことがない。というのも、歴史の荒波の中でわずか3年で灰と化してしまった安土城はその痕跡すらもなく、その地に足を運んでも意味がないと長らく思い込んできたからだ。だが近年発掘が進み、もともと信長が築いた空前絶後の城がいかなるものであったのか、一部の復元とともに理解できるようになっているらしい。というわけで、近江八幡市へ北上した。CGによる安土城天主閣のイメージはこんな感じだ。城郭の建物の上に、夢殿のような朱塗りの柱を持つ六角堂とその上の金色の最上層がスポッと差し込まれたような極めてユニークなもの。さてこの在りし日の姿をどこまで偲ぶことができるものか。
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まず立ち寄ったのは、JR安土駅の前にある安土城郭資料館。銭湯ではありませんよ(笑)。
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ここには1/20スケールで復元された安土城の模型があるのだが、最初に安土城に関するビデオ上映を見たのち、この模型が真っ二つに分かれて、詳細に復元された城の中をじっくりと見ることができるのだ!!
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この城の上層部2階分は、別の場所で実物大模型で復元されているので追ってご紹介するが、ここでの見ものは、その下の層の作り。なんと吹き抜けになっていて、下の方には宝塔が据え付けられている。これはすごい。まさに意表をつくアイデアである。
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カメラを近づければ、建物の中の光景も追体験することができる。この模型は非常に精巧にできていて、壁画もすべてそれらしく描かれている。あっ、上層部からひとりドヤ顔で下を覗いているのは、信長公その人ではないですか!! この模型、いつまで見ていても見飽きない。
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だが、あまりグズグズしているわけにはいかない。とにかく現地に行ってみよう。安土城址。写真ではただ荒れ果てた石段が山の中に登って行く風景だけである。まあ全く何もないところだろうから、日差しも出て暑くなってきたことでもあり、ちょっと立ち寄るだけにして、在りし日の天下の名城に想いを馳せるとするか。おっと見えてきましたよ、それらしきところが。
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だが、ここから少し登って行くとそこには料金所があり、500円を払ってその先に上がって行くことを知った。ここで私に何かが憑りついた。この壮絶な歴史の舞台にせっかく来たのであるから、山の頂上にある天守閣跡まで踏破せよ。そんな声が聞こえたのである。いや、なにも500円払ったから惜しくなったわけではありませんよ(笑)。ともかく私は、このような石段をダッシュで駆け上り始めたのだ。
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このあと訪れた「安土城天主 信長の館」でのビデオ上映で初めて知ったのだが、これは山の中腹まで続く大手道と呼ばれる道で、このようなイメージであったようだ。
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大手道の両側には家臣たちが居を並べていたという。登り始めて間もないところに、右側に前田利家屋敷跡、左側に羽柴秀吉屋敷跡がある。だが、百万石大名も天下人の太閤様も、ここには何の痕跡も残しておらず、ただの空き地である。
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驚くのは、この石段のところどころに、ほかの場所から持ってきた路傍の石仏とおぼしい石が見つかることだ。それだけ急いであらゆる石材をかき集めてきたということなのか。それとも、仏教の古い権威に立ち向かった信長の、確信犯的悪魔的所業であるのか。滋賀県教育委員会の説明書きでは、「本来は信仰の対象となっていたものですが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存しています」とのこと。
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直線の大手道が中腹で終わり、そこからまた果てしない登りが。全身から汗が噴き出てくるが、ここまで来れば頂上まで行くしかない。
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息を切らせて平らな場所に辿り着く。おっとこれは天守閣跡か? いやいや、信長の廟所とある。こんなものがあるとは知らなかった。だがこれはきっとさして古いものではないだろう。詣でる人が全くいないように見える。
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あ、少し先に数段の石段があって、向こうから光が差している。あの場所こそ、天守閣の跡地に違いない!!
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果たしてそうであった。かつて信長も見渡したであろう眺め。汗まみれの登頂であるが、歴史の大きなロマンを感じるためには、この汗も気にならない。・・・せっかく入場料500円払ったし。
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ところで私はここまであえて「天守閣」という普通の城に使われる用語を使ってきているが、実は安土城に限っては「天主」の言葉を使うらしい。この言葉は文字通り、デウスつまり神のことであり、バテレン文化の花開いたこの城にはふさわしいように響くし、自らが神になることをもくろんでいたと言われる信長にもふさわしいのであるが、「天守閣」の方が一般的な用語であるので、引き続きそれを使用のこととする。

そして汗だくのまま車に乗って目指したのが、「安土城天主 信長の館」である。ここには、1992年にスペインのセヴィリアで開かれた万国博覧会の際に復元された安土城の天守閣の上層部の原寸大模型が保存されている。これは一見の価値ありだ。わずか3年しかこの地上に存在せず、永遠に失われてしまった特別な空間を、ここへ来れば体感することができるのだ。現地の、あのきつい山道を歩いてきたあとであれば一層、このきらきらしさが心に迫るはず。
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ここではCGで当時の様子を疑似体験することもできるし、信長が徳川家康をもてなした際の献立を再現してあるなど、興味は尽きない。

ところで、昔日本史の授業で、「コレジオ」「セミナリヨ」という言葉を習ったものだ。前者はもちろんCollegeという意味で、高等教育を行う場所。後者はSeminarで、こちらは初頭教育を行う場所だ。安土では文化施設にこのような名前をつけている。これ、安土以外でつけるとちょっと違和感ある名前ですけどね(笑)。
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信長が作らせた当時のセミナリヨの跡があるというので探してみた。住宅街と農地の間にあって大変分かりにくいが、いつもは方向音痴で鳴る家人が、細い道で迷いそうになったときに「絶対こっちだ」と言い張るのでその通りに行ってみると、ありましたありました。やはり神のお導きがあったものと見える。
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全く何もない場所だが、かつてここで日本で初めて讃美歌が、つまりは日本で初めて西洋音楽が流れたのかと思うと、大変に感慨深い。実は安土一体は以前は琵琶湖の内海であって、城の近辺も湿地帯であったとのことだが、このあたりに来ると、今は川になっている箇所がその名残であると分かる。このセミナリヨのあった場所には石垣が組んであるので、物資を船でここまで運んでくるようなこともあったのかもしれない。それもまた、永遠に失われた風景だ。
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実はほかにも、安土城跡の横で法灯をつないできた摠見寺(その三重塔は、今回訪れた湖南の長寿寺からもともと移築してきたものだ)や、浄土宗の浄厳院、近江源氏ゆかりの沙沙貴神社(ささきじんじゃ、全国の佐々木姓の発祥の地であるとか)など、今回訪問できなかった名所が数々ある。また近江八幡市には、近江商人ゆかりの地や伝道師で建築家でもあったウィリアム・メレル・ヴォーリズの旧跡等、ほかにも見どころが盛りだくさんだ。近江観光、まだまだ奥が深い。

こうして充実感を覚えながらも今後の課題を胸に秘め、その日は大津まで戻って一泊したのでありました。

by yokohama7474 | 2016-07-22 14:50 | 美術・旅行 | Comments(0)

東京フィル(通称「東フィル」)の今月の指揮台には、同楽団の桂冠名誉指揮者、チョン・ミョンフンが立つ。既に7月の後半で夏季とはいえ、東京の音楽シーンは未だ活発かつ、暑い、いや、熱いのである。会場入り口に貼ってあるポスターはこんな感じ。アンディー・ウォーホルではありません(笑)。
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今回のチョンと東フィルの演奏会は合計4回。うち純然たる演奏会は、今日と、それから7月27日(水)にこのオケとしては珍しくミューザ川崎で開かれるものの2回。残りの2回は、オペラの演奏会形式上演だ。今回の演奏曲目は以下の通り。
 モーツァルト : 交響曲第40番ト短調K.550
 チャイコフスキー : 交響曲第4番ヘ短調作品36

モーツァルトとチャイコフスキーとは、若干取り合わせが悪そうにも思えるが、数年前に老巨匠ヘルベルト・ブロムシュテットが N 響を指揮してモーツァルトの3大交響曲(39~41番)と、チャイコフスキーの同じく3大交響曲(4~6番)を組み合わせた3回の定期演奏会を開いたこともある。この40番と4番という組み合わせは、そのときのN響の演奏会とは違っているが、実際に聴いてみると意外に座りがよいので驚いた。そして結果的には、現在のこのコンビがなしうる最高の成果とも思われるような、誠に素晴らしい演奏会となったのである。
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まずモーツァルトであるが、ドラマティックな音楽を身上とするチョンのレパートリーとしては、中心的な存在とはあまり考えられず、いかなる演奏になるのか大変興味があった。ただ、私のこれまでのチョンによるモーツァルト演奏は、自らピアノを弾きながら指揮した軽井沢でのピアノ協奏曲第23番だけであったが、(以前の記事でも少し触れたが)そのときは指が充分に回らずに本番中に一度オケを停めるというアクシデントがあったにもかからわず、全体としては大変美しい演奏であったので、今回も期待はあった。そして今回、冒頭のリズムの刻みからあの憂いを帯びたテーマが動き始めた瞬間、あぁなんと美しい音楽だろうと実感し、早くも演奏の水準の高さに聴き惚れることとなったのだ。東フィルの各楽器からは大変ニュアンス豊かな音が出ており、お互いの音に反応して表情を変えて行く。チョンはその音の流れを抑えすぎることなくリードし、節目節目では、ぐいっと水をかき分けるような動作で静と動を反転させる。昨今のモーツァルト演奏では、古楽の影響を無視することはできず、多くの演奏が透明感かつ歯切れの良さを重視して、音楽があまり情緒的に響かないように苦慮しているように思われる。しかるに今回のチョンと東フィルの演奏では、全楽章で繰り返し指示を守る点には原典主義の姿勢を感じさせたものの、ヴァイオリンの対抗配置は取ることはなく、何よりも音楽が雄弁で多彩、やせ細ったモーツァルトとは一線を画すものであった。聴いて行くうち、このような40番をどこかで以前に聴いたような気がしてきた。・・・そうだ。チョンの師匠であるカルロ・マリア・ジュリーニである。
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チョンのジュリーニへの深い尊敬は以前から様々な場で明らかにされているが(また、師がワーグナー演奏を生涯頑なに拒んだ点については、批判的な意見を隠さない)、音を聴いてそれを実感したことは、これまでにあまりなかったような気がする。ただ今回、もちろんテンポは晩年のジュリーニのように遅くないものの、音楽の練り方や進み方に共通するものを感じたので、帰宅して早速CDを取り出し、ところどころ聴き比べてみた。ジュリーニの40番には、壮年期のニュー・フィルハーモニア管を指揮したものと、晩年になってベルリン・フィルと録音したものがある。若い頃のジュリーニは、指揮棒を振り回すブンブンいう音が録音に入っているとまで言われた熱血的な指揮者で、晩年の深い音楽になじみのある日本の聴衆にとっては若干意外感があるが、この2種のジュリーニの録音を比べてみると、もちろんテンポは全く違うものの、意外と音の表情づけには近いものがあるように思う。そしてやはり、今回のチョンの演奏とも共通する、何かヒューマンなものがそこに一貫して通っている。もしかしたらチョン本人にはそんな意識はないかもしれないが、音楽とは人間の奏でるもの。師から弟子へ伝達されることが、時を超えて立ち現れることがあっても不思議ではない。ここで例によって話は飛ぶが(笑)、これはジュリーニが1982年にロサンゼルス・フィルと来日したときに私がもらったサイン。書き終えたあと、しっかりと目を見て微笑んでくれた巨匠の澄んだ瞳を、今でも忘れない。
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これを掲載したには意味がある。ジュリーニは1914年生まれだから、このとき68歳。現在のチョンは、既に63歳。ということは、この1982年時点の師匠と現在の弟子は、かなり近い年代ということになる。実はチョンはこのロス・フィルでジュリーニのアシスタントであったので、このときも随行していた可能性もあるのかもしれないと、勝手に考えてみるのも楽しい。このときジュリーニが日本で演奏したモーツァルトの交響曲は、第36番「リンツ」であった。第1楽章の提示部の反復で、同じ音楽なのに表情が微妙に変わったのを聴いて驚いたことを、今でも鮮烈に覚えている。そう、それと同じ感覚を覚えたのが、今回のチョンの演奏であったのだ。素晴らしいのは、これが外来のオケではなく、東京のオケによって達成されていることだ。この30年の進歩は、それだけ顕著であるということだ。

さて、後半のチャイコフスキー4番も、指揮者も暗譜なら、オケも技術的な傷の全くない堂々たる演奏で、聴衆を完全に打ちのめした。舞台に向かって左手にホルン、右手にその他の金管を並べ、その間には木管が並ぶ配置であり、冒頭からこの配置が強烈なコントラスト効果を発揮。左側から聴こえる冒頭のホルンのファンファーレは、よくあるようにブカブカとただデカい音で鳴り響くというのではなく、フレーズの中に実に細かいニュアンスの変化があって、最初から音楽の流れに深みがある。それに続いて右側から聴こえるトランペットやトロンボーンは、輝かしさを伴いながらも運命の過酷さを強調する。その後の沈黙の重さ。そしてそれから始まる音の奔流は凄まじい。弦楽器は、いかに音楽が熱を帯びようとも、乱暴に弾き飛ばすことは皆無で、チョンが体を揺すって扇動すればそれにのりかかり、一転して制止すれば見事に歩調を緩め、弱音の緊張感に万感の思いを込め、そしてまた息の長い盛り上がりの末に力を開放する。実に見事であった。第2楽章のうら悲しさ、第3楽章の諧謔と中間部の愉悦感、そして終楽章の嵐まで、この曲はもちろんロシア情緒を随所に含んでいるが、その感情のうねりには、東アジア人である我々にも大いに共感できる部分がある。聴いているうちに、この演奏は東アジア地区の音楽の特性を充分に発揮しているのではないかとも思えてきた。西洋音楽を演奏する韓国人指揮者と日本人楽団員たち。そこにはもちろんクリアすべきグローバルな水準があるわけであるが、音の個性という点では、ユーラシア大陸の東の端で西洋音楽が独自の鳴り方をしていても、何ら不思議ではない。いやそれどころか、そのような個性は、この地域の音楽家たちのたゆまぬ努力の賜物なのではないか。そう思うと、大団円で鳥肌立ちながらも、チョンと東フィルが、あるいは東アジアにおける音楽表現が、何か新たな次元に到達しつつあるのではないかという感動に駆られたものだ。

調べてみると、チョンは既に、15年務めたフランス放送フィルの音楽監督の座を降りている(後任は、最近あまり名前を聞かなくなったミッコ・フランク)。また、ソウル・フィルの音楽監督も、オケの内部問題に嫌気がさしたとやらで昨年辞任。そうすると今は、自ら結成したアジア・フィルと、首席客演指揮者を務めるシュターツカペレ・ドレスデンくらいしかポストがないということか。であれば、是非是非、東フィルを頻繁に指揮して欲しい。このオケはちょうど今、音楽監督不在の状態であり、楽団としても当然今後の運営を考えていることだろうが、チョン・ミョンフンとの関係が熟成して来ていることは確実で、今回のような素晴らしい演奏会を重ねて行けば、本当に東アジアからクラシックの新たな潮流を起こすことも夢ではないと思うが、いかがであろうか。

最後にひとつ疑問を。冒頭に掲げたポスターのように、今回は完売御礼であったはずが、会場にはところどころまとまって、かなりの数の空席があった。あれは一体どういうことなのであろうか。あの空席の数だけ、素晴らしい演奏を聴くことができる人がまだいたはずであると思うと、残念だ。演奏家たちの熱演に報いるためにも、なんとかして欲しいものだと思う。

by yokohama7474 | 2016-07-22 01:19 | 音楽 (Live) | Comments(0)