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ジャングル・ブック (ジョン・ファヴロー監督 / 原題 : The Jungle Book)

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「ジャングル・ブック」と言えばディズニーの古いアニメが有名であるが、この映画は、同じディズニーによる最新の実写版。この映画の予告編を見たとき、先端CG技術を駆使した映像に、きっと何か新しい発見があるに違いないと興味を持った。昔のアニメは見ていないが、ここで描かれる野生の少年と動物たちの交流や対立は、普段忘れていることを思い出させてくれるに違いない。

この「ジャングル・ブック」の同名の原作は、英国の作家ラドヤード・キプリングが1894年に発表した短編小説集である。私はこの作家の名前を覚えていて、それはなぜというに、昔サイモン・ラトルが、確か当時の手兵であるバーミンガム市交響楽団との演奏会で、シャルル・ケクランというフランスの作曲家による交響詩「ジャングル・ブック」という作品を演奏したFM放送を聴いた際に、原作者の名前を聞いたからである。要するに「キプリング」に「ケクラン」という似たような響きが耳に残ったというわけなのであるが、調べてみると実はこのキプリング、1907年に41歳でノーベル文学賞を、史上最年少かつ英国人としては初めて受賞したという大作家なのである。生まれはインドのムンバイで、この「ジャングル・ブック」が書かれた背景はそのような点にもあるのであろう。見る人にはすぐに分かることだが、この映画におけるジャングルでは、ライオンではなくトラが王者なのであって、アフリカではなくインドのジャングルが舞台なのである。

ストーリーは至って簡単。ジャングルの中でクロヒョウに見つけられ、狼に育てられた人間の子供モーグリが、人間世界に戻るべきか否かで迷いながら、自分をつけ狙う敵と戦うという話。
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だからこの映画に登場する人間は、このモーグリ少年だけなのである。だが、ほとんどの動物は言葉を喋り、感情も個性もある。非現実的な設定ではあるものの、これが大人も楽しめるエンターテインメントとして成立しているのは、それら動物たちの「人間的な」(?)感情の描写と、それを可能にしている高度なCG技術のおかげである。要するにCGというものは手段にしか過ぎないので、それを使っていかなる世界を描けるかが映画の成否を分けるところ、この映画の作り手はその点においてかなりの手腕を持っており、「へぇー、どうやってこの映像を作るんだろう」という驚きはいつしか、主人公たちへの感情移入へと変わって行くのである。なかなかよい映画だと思う。

主役のモーグリは、全く演技経験のない2003年生まれのニール・セディという少年が2,000人の候補者の中から選ばれて演じた。走り方や飛び方はなかなかに野性的で、ごく自然な少年の感情も表現できていたので、見ていて好感が持てる。そして、沢山出てくる動物たちは、多くの名優たちがその声を演じている。まず、モーグリの師匠役にあたるクロヒョウのバギーラは、ベン・キングズレー。未だにあの「ガンジー」の、という形容詞で呼ぶのがしっくり来るが、様々な映画で活躍中だ。
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また、気のいいクマのバルーの声は、ビル・マーレイ。昔の「ゴースト・バスターズ」や、近年(でもないか)の「ロスト・イン・トランスレーション」の演技が忘れがたい。
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森の中でモーグリに父の死の真相を教えながら、彼を一飲みにしてしまおうとする大蛇カーの声は、スカーレット・ヨハンソン。ワンシーンのみの登場ながら、彼女らしい色気と多彩な表現力を見せて、いや、聞かせてくれる。
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それから、密林の中に大サル帝国を築いているキング・ルーイの声はクリストファー・ウォーケン。私はこの人の癖のある人相が大好きなので、最近出演作を見ることが少ないのを淋しく思っている。声だけでなく、本当は顔も出して欲しかったところだが・・・。この写真の髪型など、キング・ルーイそっくりではないか(笑)。
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と、このように豪華俳優陣は声だけなのであるが、やはりその点でも人選に手抜きがないがゆえに、動物たちのキャラクターが活きているのであろうと思う。それにしても、本当に動物たちの動きは驚異的によくできていて、ちょっとした仕草にもいちいちリアリティがあって引き込まれる。映画のプログラムに、撮影方法の一部が紹介されているが、例えば川でモーグリがバルーの腹に乗って移動する場面。ブルーバックのスタジオにプールを作り、モーグリはバルーの腹を模した毛の塊のようなものの上に乗っており、劇中でバルーの顔が来るあたりに監督がいて、それに向かって演技したらしい。これが撮影風景。
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完成したシーンはこんな感じ。なんと見事な。
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こうは書いたものの、大柄な監督さんが水に入って熱血指導したからと言って、よいシーンができるとは限るまい。回りの風景や水の動きなど、気が遠くなるような膨大な作業を多くのスタッフがこなしたに違いない。そして、ひとつひとつのシーンの出来もさることながら、全体を通してクリアなメッセージが観客に伝わるようにしなければならない。これはいかに技術が進歩しても、容易なことではないだろう。ちなみに監督のジョン・ファヴローは、「アイアンマン」シリーズや「カウボーイ&エイリアン」(変な映画だった)などを監督し、「アベンジャー」シリーズの製作総指揮も務めているとのこと。

このように、大変楽しめる映画なのであるが、重い問題提起もなされている。主人公モーグリは、狼たちとジャングルで暮らして行きたいと思っているものの、最後に人間としての戦いをする、つまり道具を使い火を使うことで、危機を脱するのだ。1894年に発表された原作にどこまで描かれているのか知らないが、その時代、近代文明の矛盾が表れて、未開の地への憧れも生まれることになった19世紀末ヨーロッパにおいては、人間だけが持つ力を強調することは、支持と反感をともに巻き起こすことであったに違いない。人間だけが兵器を作り、兵器を使って戦争をする。19世紀から戦争ばかり繰り返していた人類は、20世紀に入ってからはついに、大規模な戦争を繰り広げることになるのである。それこそは、この地球上で人間だけが行うことであったのだ。実はこの映画では、言葉を喋らない動物が二種類登場する。ひとつは、崇拝すべき森の賢者たち、象である。そしてもうひとつは、これは最も人間に近いはずの、サルの群れである。他を超越した存在と、自分たちは他を超越していると思っている存在、ということであろうか。別に深読みする必要もないだろうが、ただCGの見事さだけに感嘆するのではなく、なにか私たちの深層心理に働きかける要素を感じるべきであると思う。あ、でもこの絵では、象はとても超越した存在には見えないなぁ・・・(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-08-28 14:47 | 映画 | Comments(0)

武満徹の「ジェモー(双子座)」 タン・ドゥン / 三ツ橋敬子指揮 東京フィル 2016年8月26日 サントリーホール

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前項でご紹介したサントリー芸術財団主催によるサマーフェスティバルでは、様々な現代音楽が演奏されるのであるが、このコンサートもその一環で開催されたものである。だが、チラシや当日のプログラムにはあまりそのことは強調されておらず、「サントリーホール30周年記念 国際作曲委嘱作品再演シリーズ」と銘打たれていて、この方がより分かりやすく、またその意義が明確になると思う。というのも、まずは東京におけるクラシック音楽の殿堂として認知されているサントリーホールは、今年オープン30周年。
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このホールがオープンしたときには様々な演奏会が開かれたものであるが、いかにも文化サポート企業サントリーらしく、ただ人気の楽団や指揮者を招聘するのみではなく、国際作曲委嘱シリーズという企画も始められた。これは世界的な名声を持つ現代作曲家にオーケストラ作品の新作を委嘱するもので、過去30年間に38の作品がこのシリーズで世界初演された(今年のサーリアホで39作品目)。今回のタン・ドゥン指揮の演奏会は、このシリーズで初演された作品の再演がメインの目的である。現代音楽の場合、予算的な制約や集客の問題もあり、せっかくの意欲作も、なかなか再演の機会に恵まれないものであろうが、その意味でもサントリーが再演までも企画するということには、音楽文化の発展という観点で、多大なる意義がある。因みに30年前、サントリーホールがオープンした際に立て続けに新作が演奏されたときの小冊子がこれだ。もし現代音楽に知識のない方がおられれば、それぞれの作曲家についてWikiででも調べて頂いて(30年前にはそんなものはなかったから、便利な時代になったものだ)、これがいかにすごいイヴェントであったかについて認識を持って頂きたい。
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ちなみに、それぞれの演奏会の数日前には作品について語る各作曲家のレクチャーがあって、私はこの5回シリーズのうち、最後のブソッティを除く4回のレクチャーに足を運んだ。以下は、そのレクチャーでもらったジョン・ケージ(演奏会の4日前の日付入り)とユン・イサンのサイン。後者に至っては、「○○様」と、私の名前をこの上に書いてもらっている。お宝なのである。
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今回の演奏会の意義として最後に挙げられるのは、これが武満徹(たけみつ とおる)の没後20周年を記念するものでもあるという点だ。武満はもちろん、日本の作曲家として最も世界に知られた名前であり、音楽史に名を留める人物であることは間違いない。上の写真にある通り、この国際作曲委嘱シリーズの最初の監修者も彼であった。
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今回メインの指揮を務めるタン・ドゥン(譚盾)は、1957年中国生まれだが、ニューヨークのコロンビア大学で学んだ国際的作曲家である。一般的な知名度がどの程度あるか分からないが、現代音楽の分野ではもはや大家であり、彼がかかわった映画「グリーン・デスティニー」や「HERO」などを見た人は、その音楽を一度聴けば忘れられないであろう。また、香港の中国返還式典や北京オリンピックでも音楽を提供していた。彼の作品は純粋な西洋音楽ではなく、常に東洋的な雰囲気を持ち、人の声はもとより、動物の鳴き声を模した笛や、あるいは水の音などを駆使して、原初的、神秘的でヒーリング効果のある不思議な音楽である。もともと理詰めでできている西洋音楽もこの時代になると、極言すれば袋小路に迷い込むような状態を避けされないところ、このタン・ドゥンのような人の活動が新たな血を西洋音楽に注ぎ込んでいると言えると思う。
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さて、そのタン・ドゥンが東京フィルを指揮するこの演奏会の曲目は以下の通り。
 武満徹 : ジェモー(双子座) オーボエ独奏、トロンボーン独奏、2つのオーケストラ、2人の指揮者のための(1971-86年作)
 タン・ドゥン : オーケストラル・シアターII : Re(1992年作)
 武満徹 : ウォーター・ドリーミング フルートとオーケストラのための(1987年作)
 タン・ドゥン : 3つの音符の交響詩(2010)

面白いのは、上記の通り、サントリー国際作曲委嘱シリーズ最初の初演作である武満の「ジェモー」だけでなく、タン・ドゥン自身の「オーケストラル・シアターII : Re」も、このシリーズで初演された作品の再演であるのだ。かつてここで産声を上げた作品が、この場所で再び演奏されるわけである。ちなみに、これら2作品ではいずれも2人の指揮者が必要とされており、ここでは日本の女流指揮者、三ツ橋敬子が2人目の指揮者を務めた。
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さて、メイン曲目である武満の「ジェモー」が最初に演奏されたわけだが、これはなかなか聴くことのできない作品だ。というのも、2つのオケと2人の指揮者が必要であるからで、初演の際には、井上道義と新日本フィル、尾高忠明と東京フィルが演奏した。今回は、その後合併を経て大所帯となった東京フィルだけによる演奏。だが2群のオケは全く別々に配置され、別々の演奏をする。よって2人の指揮者は本当にほぼ対等な働きをするわけで、どちらか一人がメインでほかのひとりが補助的な役目というわけではない。その点三ツ橋はタン・ドゥンの指揮ぶりを見ながら呼吸を合わせてオケをよくリードし、素晴らしいかじ取り役であったと思う。私は思うのだが、この種の音楽を楽しむには規制概念は必要なく、五感を敏感にして、入ってくる情報に身を任せるべきであろう。たとえば、この2人の指揮者がともに指揮棒を持たずに大きな円をそれぞれに描いているのを見ているだけで、何か前衛パフォーマンスのような気がして、その思いは、まさにこの曲が演奏される場でしか抱くことができないものなのだ。この曲は、武満の精神的な師であった瀧口修三の詩に基づく4つの部分から成っていて、例えば若杉弘指揮のこの作品のCDには内容についての細かい解説が載っているが、それらに過度に捉えられる必要はないと思う。これに関し、以下のような実例もある。実は家人もこのコンサートに一瞬興味を持ち、この「ジェモー」がどんな曲であるか聴いてみたいというので、その若杉指揮のCDを渡すと、がんばって予習したらしいのであるが、残念ながら、解説に書いてある曲の内容を一生懸命追おうとして四苦八苦し、「えぇっと、今どこだ」と調べてみると、実は知らない間に既にこの曲は終了し、次の曲に入ってしまっていたというのだ(笑)。そんなわけで家人はコンサート行きをあきらめたのであるが、実演で聴けば何か感じることができたであろうに、もったいないことだ。ここで私がひとつ覚えている30年前の逸話をご紹介すると、作曲者武満その人がレクチャーにおいてこの曲について語った言葉の中に、「たまにはフォルテッシモでドーンと終わる曲を書きたいと思って、最後に大きな音にしたんだけども、年のせいか(注:当時武満は56歳)、最近どうも愚痴っぽくなっていて、その後にやっぱりちょっと音を足してしまいました」というものがあった。もちろん冗談として笑いながらの発言であったが、今回、終結部間近で三ツ橋が拳を握りしめて大きな音を引き出しているのを見ると、ここに武満が込めた思いが炸裂しているのだなと、感動したものだ。これが当時のプログラム。
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コンサートはここで休憩に入り、後半にはタン・ドゥンの2曲と武満の小品が1曲演奏された。タン・ドゥンは自作の演奏前にはマイクを持って登場し、曲について自らの言葉で語ってくれた。「オーケストラル・シアターII : Re」は、1992年にこのサントリーホールで初演されたが、その時に客席に座っていた武満(Toru-sanと表現)が、まるで今でもまだそこにいるかのように感じるのだと、もはやこの世にいない武満を、感傷的になることなく、親し気に追想した。この曲は、彼の用語では"Ritual"(儀式 --- ブーレーズにこのタイトルの作品がありますね)であり、宗教的雰囲気は伴っているが、それはどこの場所いつの時代というわけではなく、音楽による儀式なのであるということを、説教くさくもなく、また深刻さもない語り口で、穏やかに喋った。武満とタン・ドゥンの音楽には、共通点もあるものの、相違点の方が多いと思う。だがこの2人の間には親交があったのだ。東アジアの音楽創作における、偉大なる交差と称してよいだろう。ちなみに英語で喋るタン・ドゥンの説明を通訳したのは三ツ橋敬子であった。その喋り方だけでも聡明な女性であることは明白ではあったが、いかんせん、プロの通訳者ではないので、長い発言になると、途中で少し抜けてしまっていた。だがそんなことはどうでもよくて、実はこの「オーケストラル・シアターII : Re」のメインの指揮は彼女に託されたのである。この曲、木管楽器はステージからすっぽりいなくなって、ホール内、客席の各所にぐるりと配置される。そこで、客席の方を向いて指揮する指揮者が必要で、それを作曲者タン・ドゥン自身が受け持った。またこの曲では聴衆も、「Re=レ」の音でハミングさせたれたり、「ホン・ミ・ラ・ガ・イ・ゴ」と唱えさせられたり、結構無茶ぶり(笑)があるのだが、その部分の指揮も作曲者の担当。半ばいやいやながら参加させられたわけだが、やってみるとなかなか神秘的な雰囲気が出ていた。それから、冒頭の部分は三ツ橋が棒を振ってもオケが反応しないと思ったら、楽員は楽器を弾かずにハミングしていたのだ!! こういうときに楽員は、歌えというスコアの指示に従わないとならず、一方の指揮者は、棒を振るだけでいいので不公平だよなと思っていると、なんとなんと、次は指揮者までが大きな声で何事か("Silence!!"とか)叫ぶことになり、なるほど演奏者全員と聴衆まで巻き込んだ容赦ない(?)一大シアター・ピースなのだなと実感した。狂騒的な部分と瞑想的な部分のギャップが激しく、まさにSilenceが支配する静かな部分は、本当に長い長い時間、金縛りにあったように無音に耳を澄ませるという感覚に満たされ、誠に神秘的な体験であった。もっとも、しーんとした神秘の沈黙が空気を支配する中で、私の腹がグゥ~ッと鳴り、つられて隣のオジサンもグググ~ッと腹を鳴らせて、その沈黙に対抗したことも付記しておこう(笑)。武満の著作にも、「音、沈黙と測りあえるほどに」というものがあるが、腹が鳴るのは生きている以上致し方ない。沈黙と測りあえるほどに説得力のある生の証だ。

残りの武満の「ウォーター・ドリーミング」とタン・ドゥンの「3つの音符の交響詩」も充実した演奏で、終演の21時30分まで、この2人の異なる作曲家の作品を堪能することができた。但し、客の入りは悪く、全体で半分くらいの入りであったろうか(ステージ裏のPブロックは使用せず)。私が座ったステージ右手の席はB席で、なんとたったの2,000円!!前日のコンサートも安いと思ったが、これだけの大規模な演奏会でこの値段とは、本当に申し訳ないくらいだ。それでもこれしかお客が入らないとは淋しい限り。この日の聴衆の中には、日本の作曲界の大御所である湯浅譲二(もう87歳で、久しぶりにお見掛けしたがお元気そうだった)の姿や、中堅の星である権代敦彦の派手な衣装での登場も見受けられ、聴衆のレヴェルは非常に高かったことは明白。これだけ意義深い演奏会なので、できればもっともっと多くの人たちに会場に足を運んでもらいたいものだ。もっとも、「湯浅譲二がいたよ」と話すと、「あ、あの、たけしの映画に音楽書いてる人でしょ!!」と反応する家人のような人には、もう少し予備知識を持ってもらう必要あるが、でも、そういう人でも、2,000円払ってこの演奏会を経験すると、人生豊かになると思います。ちなみに北野武の映画に音楽を提供しているのは久石譲。その名前を知っているだけでも、まあ、偉いとほめてやるべきなのでしょうが・・・。家人からは、「そのような人の啓蒙のために、世帯主が2,000円を追加で出資すべきである」との主張がなされており、それもまあ、一理あるとは思います。来年から実行しよう。


by yokohama7474 | 2016-08-28 11:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)

サントリー芸術財団 サマーフェスティバル2016 板倉康明指揮 東京シンフォニエッタ (ヴァイオリン : 神尾真由子) 2016年8月25日 サントリーホールブルーローズ

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年間を通して実に様々なコンサートが数多く開かれている東京であるが、8月のこの時期はさすがにシーズンオフで、めぼしいコンサートはほとんどない。だが、ここに毎年東京のこの時期を彩る非常に重要な音楽イヴェントがある。それは、サントリー芸術財団のサマーフェスティバルだ。このサマーフェスティバルという、ビアガーデンでも連想しそうな浮き浮きするような名前(?)と、上記のような親しみやすげなポスターから、どんなポピュラーな曲目が演奏されるのかと思いきや、全くそうではなく、非常にハードな現代音楽の祭典なのである。去年もこのフェスティバルから、大野和士指揮によるB・A・ツィンマーマンの大作の日本初演や、テーマ作曲家であったハインツ・ホリガーの演奏会を採り上げた。今年も、現代音楽のシリーズもの、サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ、そして芥川作曲賞先行演奏会という3種類8回のコンサートが開かれる。本当は今年のテーマ作曲家、フィンランドの女流であるカイヤ・サーリアホの作品を聴きたかったが、2回のコンサートのうち1回は既に終了。もう1回は出張のために行けないことが確定しているため、涙を呑んで諦めた。その代わりと言ってはなんだが、なかなかに興味深いコンサートに2回行くことにして、今回がその1回目。

ここで改めて述べておきたいのは、サントリーという会社の音楽文化への多大な貢献だ。サントリーホールという、今や世界有数の名ホールの名を確立した素晴らしいホールを持ち、そしてこの、一般的には全く人気のないであろう現代音楽の祭典を、もう何年も続けて来ているわけである。バブルの頃にメセナという言葉が流行ったこともあったし、もちろんサントリー以外にも文化に投資をしている会社は数々あれど、ここまで主体的に芸術的な試みを続けている会社も、ちょっとないのではないか。一音楽ファンとして、この場を借りてこのフェスティバルの関係者の方々に、心からの賛辞を呈しておきたい。

そしてこの日、少し早めの時刻に会場のサントリーホールに足を運ぶと、何やら長蛇の列ができている。サントリーホールのウェブサイトによると、確かこの日、大ホールでは関係者による催しがあるとのみ記載されていて、詳細は不明であった。一体何があるのだろうと思い、会場のポスターを見てびっくり。
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なんということ、製パン会社のヤマザキが貸し切りで、あの秋山和慶指揮の東京交響楽団の演奏会を開いている!! しかもピアノはあの辻井伸行だ。この後、東京交響楽団のウェブサイトも調べてみたが、この前後に同様の演奏会はなく、この日限りであった模様。これは全く素晴らしいことだ。ポスターが「ヤマザキ」で改行して「サマー」となっているが、まさか「ヤマザキ様」ではあるまい。きっと社員の福利厚生イヴェントなのであろう。これが聴けるなら、ヤマザキに転職しようかと思いました(笑)。

だが、私が聴くのはこの大ホールのコンサートではなく、小ホールの方だ。サントリーホールの小ホールは、今の名称はブルーローズと言って、その入り口にはその名の通り、このような青いバラが飾られている。プリザーブド・フラワーだろうか。
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この名称の由来について、サントリーホールのウェブサイトに以下の解説がある。

QUOTE
英語のBlue Roseは不可能の代名詞とされてきましたが、サントリーがバイオ技術によって2004年に新品種「青いバラ」を開発。この小ホールは、多くのアーティストの皆さまに新たな挑戦の舞台として活用して欲しいという思いから「ブルーローズ」と名づけられました。
UNQUOTE

ふーむ。素晴らしいではないか。一流の音楽を奏でることは、技術において、また表現の深い部分において、常に高いハードルに挑戦すること。まさにブルーローズを追い求める闘いである。その意味では、かなりハードな内容の今日のコンサートに、ブルーローズを発見したい。

このコンサートは、板倉康明指揮の東京シンフォニエッタによるもの。曲目は板倉の企画によるものであるが、この人は指揮者というよりもクラリネット奏者として知っている。だが、1945年以降の音楽だけを演奏する現代音楽演奏団体の東京シンフォニエッタの音楽監督を2001年から務めているので、もう15年のコンビということだ。
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曲目を紹介しよう。
 ピエール・ブーレーズ(1925-2016) : デリーヴ I (1964年作)
 オリヴィエ・メシアン(1908-1992) : 7つの俳諧 (1962年作)
 ベネト・カサブランカス(1956- ) : 6つの注釈 --- セース・ノーテボームのテクストに寄せて (2010年作、日本初演)
 ジェルジ・リゲティ(1923-2006) : ヴァイオリン協奏曲 (1990年作、92年改訂) (ヴァイオリン : 神尾真由子)

3曲目の作曲家以外はよく知られた現代音楽の大家ばかりで、今回は人気ヴァイオリニスト神尾真由子の出演もあってか、収容人員400名のブルーローズはほぼ満員。会場には、作曲家の細川俊夫や、この翌日別のコンサート(これについては別途記事をアップ予定)に出演する指揮者の三ツ橋敬子の姿も見られ、活況を呈していた。

さて、コンサート前半に演奏された2曲は、フランスの現代音楽を代表するメシアン - ブーレーズ師弟の作品であった。これらはいずれも1960年代、いわゆる前衛が前衛でありえた時代の作品だ。面白いことに、もっと最近に書かれた後半の2曲には、時にドビュッシーやラヴェルの残像が垣間見える瞬間があるのに、それは一種の先祖返りであって、半世紀前、前衛の時代の音楽は、過去の遺産への挑戦とも言うべきとんがり方をしており、耳には刺激的に響く。また、メシアンとブーレーズという現代音楽の巨人たち2人は、性格も作曲家としての個性もまるで異なるのに、これらの作品においては、時にブーレーズ作品の中にメシアンを感じ、またメシアン作品の中にブーレーズを感じることができるように思われる。いかに創作態度がとんがっていても、人間の創造は全くStand Aloneではなく、やはり継続性や流行があるということだろうか。2曲目に演奏されたメシアンの「7つの俳諧」は変化に富んだ面白い曲で、作曲者が日本を訪れたときの印象を音にしたものであるが、1964年にドネーヌ・ミュジカルを指揮してこの曲を世界初演したのはほかならぬピエール・ブーレーズであるのだ。初演のメンバーでその頃録音されたのがこの曲の世界初録音。そしてブーレーズは1990年代にクリーヴランド管弦楽団を指揮してこの曲を再録音している。よほど気に入った曲であったのだろう。これがその師弟の写真。
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板倉は指揮棒も指揮台も使わず、大きな身振りで明確に小編成のオケに指示を出していた。現代音楽を積極的に採り上げた岩城宏之もそうであったが、この種の複雑な音楽を演奏する際には、分かりやすい身振りである必要があるのかもしれない。東京シンフォニエッタと、その専属ピアニストである藤原亜美の演奏は鮮やかなものではあったが、欲を言うなら、一音一音がもっとよく響くホールで聴きたかったなぁという思いも抱いたものである。

3曲目の作品は、スペインのカサブランカスという作曲家の作品の日本初演。この作曲家、私も今回初めて知ったが、NAXOSレーベルには既に多くの作品が録音されているようだ。中には「3つの俳句」という作品もあり、上記の「7つの俳諧」のパロディかと思ってしまいました(笑)。こんな方である。
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この「6つの注釈」は、オランダの作家セース・ノーテボームの「サンティアゴへの道」という作品に基づいて書かれたもの。奏者はたったの5人で、10分程度の短い曲だ。だが、曲によって音色や曲調はかなり異なり、聴いていて飽きることがない。世の中にはまだまだ知らない作曲家や知らない曲が沢山あるなぁ、と改めて感じた次第。ところでこのノーテボームという作家もなじみがないが、1933年生まれだから既に83歳。各地を旅行してそれを題材にしていることが多いようだ。この作品のインスピレーションのもととなった「サンティアゴの道」のサンティアゴは、もちろんあの有名な巡礼地、サンティアゴ・デ・コンポステラであろう。会場で配布されたプログラムにこの小説からの抜粋が含まれていて(演奏によっては朗読してもよいという作曲者の指示があるらしい)、そこにはセルバンテスやスルバランというスペインの芸術家の名前が見られる。調べてみると、日本を題材とした「木犀!/日本紀行」という本も書いていて、面白そうなので購入することとした。この本は、今Amazonでは取り寄せになっているが、すみません、在庫の最後の1冊は私が購入しました(笑)。

さてこの演奏会、やはりなんといってもクライマックスは、最後のリゲティのヴァイオリン協奏曲であった。リゲティはハンガリーの作曲家で、作風はいささか難解かもしれないが、よく聴くと民族的な要素もある。楽しい音楽はあまり書かなかった人だが、その音楽の表現力は素晴らしい。
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このヴァイオリン協奏曲は、1990年に一旦3楽章で発表されたものの、1992年に改変されて5楽章となった。私は随分以前、FMからのエアチェックで3楽章版で最初にこの曲を知ったが、なんといっても忘れられないのは、1998年にクリスティアン・テツラフのソロ、エサ・ペッカ・サロネンが、未だ音楽監督に就任する前のフィルハーモニア管を振って伴奏した日本公演だ。激しく切り込むヴァイオリンに、時々聴こえてくる懐かしいようなオカリナの音。強烈な印象を受けたものである。演奏頻度はさほど多くないので、実演に接することは貴重なチャンスである。おまけに今回は日本の若手ヴァイオリニストとしては疑いなくトップを争うひとり、神尾真由子の独奏である。
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彼女は10代の頃から演奏活動を続けていたが、2007年、21歳のときにチャイコフスキーコンクールで優勝し、さらにその名声を高めた。既に演奏家として活動しながらコンクールを受けるというのは、もし成績がよくなければ名声に傷がつくというリスクもあったわけで、相当自信もあったであろうし、強い精神力を持つ人なのであろう。そのヴァイオリンは極めてEmotionalで、とことん歌い込むもの。あまりリゲティのコンチェルトとはイメージが合わないかと思ったが、ふたを開けてみればなんのことはない。実に見事な演奏であった。つまりここでも彼女の情念的かつ力強いヴァイオリンはそのままで、曲の新たな魅力まで引き出して見せてくれたように思う。今年30歳。表現者としてこれから様々な挑戦を重ねて行くことであろうが、その中で沢山のブルーローズを手にして行くことだろう。ただ、演奏とは直接関係ないが、興味深いシーンがあった。演奏開始前にスタッフがステージの準備をしていたとき、10cm四方くらいの金属製かと思われる板を、ヴァイオリニストが演奏するあたりの位置においた。薄いものだが、ごくわずかな傾斜があって、ステージ奥側が低くなっている。色は黒っぽいが、上の面だけ白く塗ってある。見ているとその板を、神尾が演奏中に何度も軽く踏んでいたのである。あれは一体何であったのか。何かのおまじない? 謎である。終演後にサイン会があったので、訊いてみればよかった。
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このように、大変充実した演奏会であったが、全席自由3,000円はあまりにも安い。涙が出るほど安い。これもサントリー芸術財団のパトロネージュによるものであろう。来年以降もこの充実したフェスティバル、可能な限り聴きに行きたい。

by yokohama7474 | 2016-08-27 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(0)

長野県松本市 松本城、旧開智学校、旧松本高等学校、松本市美術館、なわて通り、中町通り

ここ数年、8月後半には音楽祭を聴くために松本を訪問しており、その度に松本の近隣を観光するものの、通常の松本観光の中心である松本城やその裏手にある旧開智学校等には、久しく足を運んでいなかった。それらメジャーな場所は以前に観光しているので、長野において未だ自分の知らない面白い場所を探訪したいと考えたがゆえである。だが、このブログでも既に姫路城と彦根城を採り上げた。城シリーズではないが、自然な流れとして、このあたりで松本城を記事にしてみようか。そう思い立ったのである。そして松本市街に遊んだ一日は、様々に新たな発見に満ちた充実の一日となった。やはりここは懐の深い街である。

音楽祭期間中ということで、街中にはセイジ・オザワ松本フェスティバルの看板も見える。ザルツブルクのようだと言うと言い過ぎかもしれないが、音楽祭が街の風物詩になっているとは、素晴らしいことだ。
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そして私のこの日の松本散策は、この場所から始まった。
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な、なんだこれは。松本にはもうひとつ城があるのか??? 実はこれ、松本城の正面に続く道沿いにある古本屋さんなのだ。このミニ松本城、建てるのも結構費用がかかったであろうが、維持管理も大変に違いない。だがこの堂々とした佇まいはどうだろう。建てられてから少なくとも数十年は経っていよう。古本屋好きの私としては、ここを素通りするなんてできっこない。入り口の様子。
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店内を見てみると、場所柄を反映して山の本が多く、また、格調高い文学書や歴史・地理などの専門書が並んでいる。横光利一や、地元出身の臼井吉見の本など手に取って見てみたのだが、正直、お値段はなかなかの水準で、また次回と自分に言い聞かせて店を出た。

そして、いよいよ松本城だ。
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戦国時代に信濃国の守護であった小笠原氏の命により、深志城として建造されたのが最初と言われる。その城はその後落城し、再建された。今の城の築城年代には諸説あるようだが、戦国時代か、あるいは遅くとも大坂の役の頃、1615年前後に建てられたとされる。日本に5つしかない国宝城郭のひとつで、まさに日本をを代表する城である。スタイリッシュな黒を身に纏い、均整の取れたこの美しい姿。
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ところがさすが人気の観光地、私が訪れた10時30分頃には既に天守閣への入場制限がなされていて、30分待ちとのこと。とはいえ、いろいろな気配りがなされている。入場を待つ人たちはテントの下のロングベンチに腰かけることになる。これで日差しもよけられ、足も疲れないので30分くらいは大丈夫だ。また、待ち時間に城の説明の紙が配られたり、昔の城主とお姫様の恰好をした人たちが出て来て愛嬌をふりまいたりしている。
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これらの心配りに穏やかな気持ちで待っていると、お、目の前に興味深いもの発見。松によく似たコウヤマキの幼木であるが、あの松本にとって重要な人物のお手植えである!!1992年に当時のサイトウ・キネン・フェスティバルが最初に開催されたときにマエストロ小澤が植樹したものであろう。これは、もし混雑がなくてそのまま天守閣に入っていれば気づかなかったもの。旅先では、このような偶然も楽しいものだ。どんなときも常にキョロキョロしていよう(笑)。
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さて天守閣の中というものは、存外どの城も同じようなもので、火縄銃やほかの城の写真など飾ってあっても、あまり面白くない。だが、やはり400年前の、今は何もない空間には何か不思議な重みがあるのも事実。寺社建築ではないので、滑らかに磨かれることもない、削り痕も生々しく荒々しい柱に、この城が送ってきた長い年月を感じる。
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このように立派な松本城であるが、もちろん明治の激動期を乗り越えてその秀麗な姿が現代に残っているのは偶然でもなんでもなく、他の古い城と同様、必死に城を守った人たちがいたからである。これは城内に展示されている明治35年(1902年)頃の写真。明治の大修理の直前とのことだが、今にも崩れ落ちそうだ。
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尚この城には、3代将軍家光を迎えるために増築されたと言われる箇所がある。天守閣正面の向かって左側の突き出た赤い手すりのある部分、月見櫓である。内部に入るとよく分かるが、ここは三方を開け放つことができるようになっている。この場所で実際に月でも眺めると、風流だろうなぁ。戦乱の時代から平和の時代に移り変わった象徴のような部分に思われて、なにかよい気分になる。
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さて、松本城域内には松本市立博物館があり、夏ということもあってだろう、戦争に関する展覧会を開催していた。その中にひとつ、最近発見された中国に従軍した兵士の記録があって、そこで見つけたこの落書き。「馬じゃあるまいし こんなに背わせてと不平言った頃」とある。戦中に書かれたものであれば、これは上官に見つかったら大変である。でも人間の正直な心情が表れた、よい遺品ではないか。いかに戦争中であっても、人間の思いはただがむしゃらな自己犠牲だけではいられまい。私ももしその時代に生きて従軍していれば、多分ふざけてこんなことをして、上官にこっぴどく殴られていたかもしれない(笑)。平和のありがたみを噛みしめよう。
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次に向かったのは、日本で最初期にできた小学校である、重要文化財、旧開智学校である。
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一昨日、佐久市についての記事で、同市にあるやはり重要文化財の旧中込学校が、日本に現存する最古の学校建築であると述べたが、この両者の竣工時期の差はわずかに数ヶ月。この開智学校は1876年4月の完成。今から実に140年も前である。もともとほかの場所にあったものをここに移築して来て、彩色や細部の彫刻には復元された箇所も多いようだし、現在残っている校舎は当時のものの数分の一のようだが、いやそれにしても、昔の小学校はなんともモダンで鮮やかで、しかも東洋風の意匠も取り入れられているユニークなものだろう。近代教育の黎明期にここで学んだ人たちは、来るべき新しい時代に胸を躍らせたことであろう。現在は通行禁止になっている廻り階段も面白いし、校舎の端にあって2階に続く階段は、人々の往来によって、いい感じにすり減っている。2階の講堂も、なんとも懐かしい雰囲気を漂わせている。
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それから、明治天皇ご夫妻がここに滞在されたこともあるとのこと。当時は神様だから、両陛下が滞在された部屋は、その後も使わずにそのままにしてあったのだろうか。
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興味深いのは、この学校を設計した立石清重(たていし せいじゅう)の写真だ。なんとも昔の日本人の顔であるが、この方、地元の大工さんであるそうだ。ということはこの学校は、西洋人が上から目線で作ったものではなく、日本人の日本人による日本人のための施設であったわけだ。素晴らしいことではないか。松本という土地柄がこの学校の建築を可能にしたのである。
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この旧開智学校のすぐ正面に、現在の開智小学校がある。建物上部の八角形の部屋は、旧開智学校の上部の鐘楼のかたちを模しているのだろうか。さすが、140年前に開校した学校は、今でも進取の精神を脈々と伝えているのである。
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尚、旧開智学校のすぐ隣に、旧司祭館という建物がある。1889年にフランス人司祭が作らせたアーリーアメリカン調の建物。ちょっと軽井沢風というべきか。こじんまりしているがシャレた建物で、復元に際しては、暖炉も使える状態にしたらしい。松本市、いちいちやることが気が利いている!!
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さて次に向かったのは、これも松本を代表する教育施設の遺構、旧松本高等学校である。現在でも市民の文化活動などに使われていて、一般公開されているのはごく一部であるが、1919年に完成した本館と講堂が重要文化財に指定されている。なおこの一帯はあがたの森公園という名称の、大変美しい公園になっている。ここにもセイジ・オザワ松本フェスティバルの旗がたなびいている。
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旧制高校と言えばバンカラなイメージがあるが、現代では失われてしまった風情がこの建物には漂っている。内部を見学できるのは、復元された校長室と教室だ。文教都市松本の面目躍如たるものがある。その時代に生きていなかったのに、懐かしいのはなぜだろう。
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この旧制高校の建物のすぐ横には旧制高校記念館という小さな博物館があり、旧制松本高校出身の北杜夫に関する資料などが展示されているが、以前見たことがあるので今回はパス。公園を少し奥に進むと、おぉなんとそこは素晴らしく整備された日本庭園だ。真夏の日差しは強かったものの、公園の木陰に入ると涼しく、そこのベンチに座ってしばしうたたねするという、最高の贅沢を楽しんだ。その間も、旧制高校の建物の中で練習する市民合唱団とおぼしき人々の歌声が遠くから流れてきて、夢幻的であることこの上ない。なんと心地よい。
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昼寝から覚めて次に向かったのは、松本市美術館。山岳画の展覧会を開催していて、それも足早に見たが(最近展覧会が日本を巡回しているらしい吉田博という画家の作品もいくつかあった)、それよりも松本と言えばやはり草間彌生である。1929年にこの地に生まれ、早くから世界的アーティストとして成功。未だに現役で活躍中だ。美術館の入り口には彼女の手になる巨大な作品が。
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平常展示の中にも彼女の作品コーナーがあって、大規模なインスタレーションをいくつか体験できて楽しい。また、一部のコーナーでは作品の写真撮影も可能とのことで、遠慮せずに何枚か撮らせて頂きました。
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ニョキニョキキラキラの不思議なヤヨイワールドのほかにも、地元に関連した多様な作品を見ることができるこの美術館、広々としていてなんとも気持ちがよい。

さて、この日の夕方にはファビオ・ルイージ指揮サイトウ・キネン・オーケストラの「復活」の演奏会が控えていたので、このあたりで観光は終えて、残る時間でしばらく街を歩きたいと思った。お目当ては、古い町並みが残っているという中町通りである。その前にまず、四柱神社(天照大神等4人の神様をご神体とする)にお参りする。ここはやはり明治天皇の御座所であったらしい。それほど古い神社ではないが、落ち着いた佇まいだ。
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この近辺に流れているのは、女鳥羽(めとば)川。ちょっと金沢の犀川を思い出す風情ではないか。
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上の写真の左側、川に沿って建物が軒を並べているが、これがなわて通り。なんとも庶民的な通りで、思わずたこ焼きを買い食いしてしまいました・・・。
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この通りから女鳥羽川を渡った反対側に、中町通りがある。蔵が立ち並ぶ風情ある通りだ。次回はこのあたりのよさげな飲み屋でちょいと一杯と行きたいものだ。
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そんなわけで、今回の長野滞在もあれこれ発見に満ちたものとなった。まだまだ訪れていない素晴らしい場所があるに違いない。夏の音楽祭の時期を中心に、またこの地域を探訪する機会を楽しみにしよう。

by yokohama7474 | 2016-08-24 23:42 | 美術・旅行 | Comments(0)

長野県 高山村/小布施町 高山村歴史民俗資料館、一茶館、北斎館、岩松院、浄光寺

長野の旅。海は見えないが、雄大な日本アルプスの山々の眺望や数々の歴史遺産を楽しむ旅だ。昨日の記事に引き続き、車窓からの雄大な浅間山の写真から始めよう。あっ、ここでは前項の写真と異なり、邪魔な電線は写っていないではないか。最初からトリミングすればよかった(笑)。
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さて私はこの日、松本から一旦万座温泉に移動、そこで家族と合流したのだが、この機会にどうしても行きたい場所があった。その場所の名は、小布施町(おぶせちょう)。8月17日付の大妖怪展の記事で、高井鴻山の妖怪画を紹介しながら、「小布施に行きたい」と呟いた私であったが、思ったらすぐに実行すべし。たまたま松本に行く用があるからと言って、小布施はそこからさらに何十kmも、あるいは100kmも北上した場所で、決して近くはない。だが高速道路が完備しているので、その気さえあれば余裕で日帰りできる場所なのである。

だが、小布施に行く途中に少し寄り道をした。高山村という村である。そこで目にしたこの表示。
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なに、福島正則といえば、秀吉の子飼いの部下ではないか。こんな長野の山の中で荼毘に付されているのか???荼毘に付されたということは、当然ながらこの地で亡くなったということである。ということで、車に乗ったままこの火葬の地を探したのであったが、残念なことに見つけることができなかった。よく地方のマイナーな観光スポットにはある話だが、少し離れた場所にはやたら沢山案内板が出ているのに、近くに行くと途端にその数が減ってしまうという、あのパターンだ(笑)。実はこの近くには、福島正則の屋敷跡というのもあって、後で本で知ったところによると、一部当時の遺構が残っているという。残念ながら、そちらも時間の関係で見ることができなかった。また改めて探しに行きたいと思う。だが、本当にあの福島正則がここにいたのだろうか。この謎が後になってきれいに氷解しようとは、このときは未だ知る由もない私であった。
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さて、しばらく行くと、このように面白そうな看板を発見。字がかすれて読みにくいが、高山村歴史民俗資料館だ。
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なになに、「必見! 7000年前の湯倉人骨」とある。この湯倉というのは、その下に「湯倉の洞窟遺跡」とあるので、洞窟の名前であることが分かる。だがそれにしても、「湯倉人骨」と、ひとつながりの名詞にしてしまうというのは、それだけ歴史的な価値が世間で認められているのか、あるいは世間の評価とは関係なく、自分たちが自信満々でそのように謳っているのだろうか。興味津々だ。高山村の歴史民俗資料館はこのような建物。おぉ、これはモダンな建築だ。誰が見ても、ル・コルビュジェのロンシャンの教会を思い出すではないか!! 先に、群馬県立近代美術館が磯崎新の設計と知らずに眺めていた愚か者の私である。ここでも誰か高名な建築家の作品と遭遇したのかも・・・と思って後日調べたが、どこにも設計者の名前は見当たらない。でも、なかなかスタイリッシュな建築であると思う。
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我々が近づいて行くと、炎天下の資料館の前で何やら清掃作業を行っていた男性が、作業を停めて案内して下さった。ご多忙のところ、誠に恐縮でした。これが高山村全体の模型。敷地の2/3が山だそうである。さすが信州。
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そして、必見の湯倉洞窟に関する資料が展示されている。見よこの墨痕鮮やかな達筆を。
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高山村に存在するこの洞窟は縄文時代初期、7,000年ほど前のものとされており、学術的に非常に重要な遺跡と認定されているとのこと。食料とされた様々な動物の骨や土器のほか、石を抱いて埋葬された女性の骨が良好な保存状態で発掘されたとのこと。ここに展示されている人骨は複製だが、雰囲気は大変よく分かる。石を抱いているのは、いかなる意味があるのだろうか。
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なるほど、太古の昔からこの地には人間の営みがあったわけである。この資料館にはその他、既に窯が閉鎖されてしまった藤沢焼という磁器についてや、このあたりの昔の暮らしについての展示がある。そんな中、私の目を引いたのは、このキリスト教禁止の高札。慶応4年とあるので、1868年、すなわち明治元年のものだ。そんな時代でもキリスト教が邪宗門という扱いとして、わざわざ高札まで出されているのは面白い。山深い信濃には品格の高い社寺が多くて、それらへの人々の信仰が篤いことと関係しているのだろうか。
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さて、この高山村、ほかにも見逃せない場所がある。それは、一茶ゆかりの里 一茶館。そう、あの小林一茶ゆかりの地に建てられた資料館だ。これも非常にモダンな建築である。設計者は、今度は判明したのだが(笑)、岡田新一。調べてみると、なんとあの最高裁判所を設計した人だ。また、以前コンサートを聴いた、東京藝術大学の新しい奏楽堂もこの人の設計。その他多くの公共建築を手掛けている。
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小林一茶(1763-1828)が信濃の人であるという知識はなんとなくあったものの、一般に知られている俳句以上に一茶について何か知っているわけではない。ましてや、この場所が一茶といかなる由縁のある場所であるのか、全く知識がなかった。館内の説明によると、一茶は47歳のときにこの高山村の俳人、久保田春耕を訪ね、その父である久保田兎園の自宅の離れ家を逗留先として提供される。それがきっかけで一茶は、65歳で他界するまでこの地を頻繁に訪れ、20人ほどの門人に俳諧指導を行ったとのこと。そのため、これらの家には一茶直筆の遺品の数々が残されたとのこと。一茶が晩年を過ごした家(火事で焼け出されたので小さな土蔵に住んでいたらしい)などは野尻湖近くに残されており、そちらにも資料館が建っているようだが、この高山村の資料館はそれに劣らず貴重な場所である。館内には一茶の生涯をアニメ風に紹介するビデオも流れており、その飄々とした庶民的温かさを感じさせる作風とは裏腹に、幼時から親族との死別を様々に経験して来た気の毒な境遇の人であることを知った。それゆえに、館内に展示されている様々な書や絵画に、この人独特の生きる力を感じる。
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またこの場所には、一茶がしばしば逗留したという離れ家がそのまま残っている。そう思って見るせいか、大変風流だし、この手の建物にしては珍しく中に入れるので、本当に一茶たちの息吹きを感じることができるようだ。
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このように、借り切って句会もできるようだ。なんと風流な。でも飲酒は禁止ですか。ま、やむないですが・・・(笑)。
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さて、それから本来の目的地であった小布施町へ。この町が有名なのは、あの葛飾北斎(1760?-1849)が老年に至ってから何度も江戸からやって来て、大規模な作品を含めた多くの肉筆画を残したことによるのである。私は随分以前に一度行っているが、今回久しぶりに再訪して、観光地としてよく整備されていることに驚いた。

北斎は言うまでもなく日本美術史上最大の画家のひとり。その画業の幅広く力強いこと、ほかに類を見ないし、見る人の度肝を抜くような大胆な視覚イメージを数々創り出した天才である。彼の人生で特筆すべきは、数えで90歳という、当時としては異例の長寿を全うしたことであるが、誠に驚くべきことに、この小布施に初めてやってきたのは既に83歳!!それから江戸との間を何度か往復しながら、足掛け4年をこの小布施で過ごしたという。しかも江戸と小布施の往復は徒歩であったらしい(確か、片道4泊?だったかと聞いた)。うーん、現代、高速道路を車で行くだけでも充分遠く感じるのに、どうすれば老体でこの道を歩いて往復できるのか。超人である。
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そしてここにもうひとりの重要な登場人物がいる。小布施の豪商で、儒学者でもあり、自らも絵をよくした高井鴻山(たかい こうざん、1806-1883)である。彼こそが北斎をこの地に呼び寄せた張本人である。
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江戸時代も末期に近づき、かつては盤石であった幕藩体制が揺らいでいた頃、絶好のパトロンを得た北斎は、この山深い小布施の地で、いかなる作品を残したのか。これが小布施に残された北斎の肉筆画を所有・管理する美術館、北斎館である。つい最近リニューアルオープンしたばかりらしい。道理で中は非常にきれいだ。
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ここではちょうど、安藤広重の東海道五十三次のすべてが展示されていた。実は広重の作品に先立って北斎が同じ東海道をテーマとして発表した連作も数種類展示されている。だがここでは、北斎の作品は明らかに単なるガイドブック代わりで、なんとも手抜きの仕事ぶりであり、広重の傑作には及びもつかない。なので、広重の絵を見て「ほぅー」と唸りながら足を進めることになるのだが、そのうち、なぜに北斎館で広重に感嘆しているのか分からなくなって来た(笑)。だがその後、かなりの数の北斎の肉筆画の展示に大満足。これは「富士越龍」。絶筆に近いと思われる、88歳のときの作品だ。素晴らしすぎる。神韻縹緲たるとは、まさにこのような作品に使うのであろう。
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だがここの目玉は、なんといっても、北斎が二基の祭屋台に描いた天井画である。
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1基には龍と鳳凰、もう1基には男浪と女浪。ここでは鳳凰と女浪をご紹介する。因みに男浪・女浪(おなみ、めなみ)は、北斎のデザインに基づいて、高井鴻山が彩色したと伝わっているらしい。いずれも、人を呑み込まんばかりの生命力だ。
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さて、この北斎館のすぐ近くには、その高井鴻山の旧居が現存しているのだが、残念ながら現在リニューアル工事のため閉館中。残念だが、開き直って、また将来小布施に来る理由ができて有り難い!! と思うことにしよう。せめてここでは、先の「大妖怪展」の記事から、鴻山の妖怪画を採録して渇を癒すこととします。
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小布施で北斎の作品を鑑賞するのに必須の場所が、もうひとつある。岩松院(がんしょういん)というお寺だ。北斎はこの寺の本堂に、実に畳21枚分もある天井画を描いているのである。このようなこじんまりとした佇まいの、曹洞宗のお寺である。
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ここに北斎が描いたのは、八方睨みの鳳凰、つまり、天井下のどの位置から見ても自分の方を見ているような巨大な鳳凰の絵である。
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鴻山が提供した潤沢な資金のおかげで大変質のよい絵の具を使うことができ、そのために、描かれてから170年を経ても、大変鮮やかな色彩が見事に残っている。やはり優れた芸術が生まれるには、経済的な余裕が必要な場合が多い。もちろん、カネがあるだけではダメなのであり、鴻山と北斎のようなパトロンと芸術家の関係は理想ではないか。

実はこの岩松院、この巨大な天井画だけでなく、実はほかにも見どころがあるのだ。まず本堂に向かって右手にある、蛙合戦(かわずがっせん)の池。
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随分と草深くて分かりにくいかもしれないが、さほど大きくない池である。春には多くの蛙がここで産卵するため、あたかも合戦の様相を呈するという。江戸時代に、この場所で蛙合戦を見ながら俳句を詠んだ人がいた。もうお分かりであろう。「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」。そう、あの小林一茶である。この句は、一茶54歳のときに授かった病弱な長男、千太郎への激励の意味で読まれたらしいが、千太郎は生後1ヶ月足らずで他界。その後一茶はできた子供のすべてと、ついには妻まで失ってしまうのだ。

岩松院の本堂にはまた、福島正則の遺品も展示されている。それもそのはず、彼の遺骨はこの寺に葬られているのだ。そうするとやはり、途中で通りかかった荼毘の地というのは本当だったのである!!本堂に向かって左手奥には霊廟がある。行ってみると、古い石塔を覆うように小さな堂がその周りに建てられたものだということが分かる。
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福島正則は、関ヶ原の後、その功績によって50万石弱の広島藩の藩主となったが、江戸時代に入ってから城の改修をしたところ、幕府のお咎めを受け、石高わずか4万5000石の信濃の地に転封されたという。やはりもともと豊臣の中心的な家臣ということで、徳川から疎んじられたものであろうか。武将の運命も人様々である。だが、死後400年近く経っても、終焉の地でこれだけ手厚く祀られていることは、素晴らしいことではないか。

岩松院には多くの観光客が訪れるが、文化財好きはここだけで満足してはいけない。ほんの数百m歩いたところに、観光客があまり訪れない、だが絶対お薦めの寺があるのだ。その名は浄光寺。地名を取って雁田薬師とも呼ばれる。仁王門のところから見上げるとこんな感じ。鬱蒼とした山の雰囲気だが、寺の名前の通り、心が浄化されるような気がする。
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このお寺が面白いのは、仁王門で案内用のスイッチを押すと、境内何ヶ所かに設置されたスピーカーから録音された音声が流れ始め、この寺の歴史や文化財についての説明をしてくれるのだ。それがかなり長いので、門から本堂までえっちらおっちら登って行っても、また先の方にある別のスピーカーで説明を聞けて、移動時間を大変効率的に活用できる。私も全国いろんなお寺に詣でてきたが、このような効率的なアイデアは初めてだ(笑)。

そして石段の先に見えてくるのは、重要文化財の薬師堂。1408年の建立である。檜皮葺で、ギュッと上部を絞ったプロポーションがなんとも洗練されている。この山の中、静かに風雪に耐えてきた建物である。きっとこの景色、600年間変わっていないのではないか。あっ、よく見ると後ろに避雷針が立っていますね。あれだけは600年も経っていないと思う(笑)。
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このように、それほど多くの人が訪れないものの、本当に素晴らしい文化財は、日本のあちこちにある。そのすべてが、本当に貴重な歴史の遺産である。我々が21世紀の社会を生きて行くためにも、歴史に学び気持ちをリフレッシュすることは必要なことである。

川沿いのラプソディ長野編、次回は松本の街歩きです。乞うご期待。

by yokohama7474 | 2016-08-24 00:26 | 美術・旅行 | Comments(0)

長野県佐久市 龍岡城五稜郭跡、新海三社神社

前項でご紹介した群馬県立近代美術館での鴻池朋子展を見たあと、長野県に入り、同県東部に位置する佐久市を訪れることとした。長野県の地図やガイドブックを見ていると、ここには山や川(海はありませんが 笑)といった豊かな自然だけではなく、数々の興味深い歴史遺産が存在していることに気づく。強烈な個性を持つカリスマ領主がいて文化を奨励したというイメージではないが、諏訪大社や善光寺という全国でもほかに例のないユニークな社寺がある上、太平洋側と日本海側を結ぶ交通の要所でもあり、古くから文化が連綿と続いてきた場所である。近代に入ってからも教育に力を入れ、その流れが今日も息づく。それゆえ、長野県には何度行っても新しい発見があって楽しいのだ。今回私がこの佐久市を選んだのは、ここに五稜郭があると本で読んだからだ。な、なに?五稜郭と言えば、幕末に榎本武揚が立てこもった、あの五稜郭ではないのか。あれは函館であって、長野県ではないはず。一体どういうことだろう。いぶかしみながら現地に到着した私の目には、このような表示が映った。
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そうなのだ。五稜郭とは要するに五角形の星型城塞のことを言うのであって、それは函館とこの佐久の龍岡城と、日本に二か所存在したわけである。駐車場の脇に「五稜郭であいの館」という休憩所があって、そこに少し資料が展示してある。往年の様子を復元した模型も見ることができて、大変に興味深い。
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この城を建てたのは、三河奥殿藩主の松平乗謨(のりかた)。なぜ三河の殿様がここ信濃の地に城を建てたかというと、この龍岡という土地も奥殿藩の領地であって、実は領地面積はこちらの方が三河より大きかったという。江戸時代も押し詰まった1863年、幕府から信州への移転と陣屋(いわゆる本格的な城郭ではない)の建設について許可を得た松平乗謨は、西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいたため、この五稜郭を作ることにしたとのこと。1867年4月に御殿などの完成を見たが、ここで時間切れ。時代は明治へと移って行ったのである。なので、「日本で作られた最後の城」であるらしい。なるほど、昭和以降には古い城の復元はあったし、マニアックな趣味人が個人で小さな城を作った例も私は知っているが(笑)、本物の殿様が作らせた本物の城となると、なるほどこれが最後なのだろう。因みに函館の五稜郭の竣工は1864年、完成は1866年なので、この龍岡城はほぼ同時代の建造。立派なものだ。
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往時の遺構はほとんど見ることができないが、その鋭い角度から一見してすぐ分かる堀だけは、かなりの部分が残っていて、なんとも情緒がある。
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入り口にある古い説明板にも、地元の人の誇りが感じられる。青く塗られた部分が堀の現存する箇所であろう。全体の半分以上である。
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城の敷地内に入ってみると、なんとそこは小学校。ちょうど夏休みなので閑散としていたが、ここで学ぶ子供たちは、いやでも歴史に敏感にならざるを得ない。さすが教育熱心な長野県。城址の有効な活用方法を知っている。でも、堀に囲まれていると、少し圧迫感があるかな(笑)。
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なんでもこの学校の校章は、星型城郭であるそうだ。なるほど。あっ、よく見ると、鳥小屋まで五角形だ!!(笑)
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実はこの場所には当時の遺構がひとつだけ残っており、それは台所と称する単純ながら比較的大きな櫓なのであるが、この日は日差しが強く、時間も限られていたので、校庭を横切ってその建物を見に行くことはしなかった。このような建物で、予約すれば内部の見学もできるという。また次回トライしたい。
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尚、この龍岡城五稜郭を築城した松平乗謨は明治の世になって大給 恒(おぎゅう ゆずる)と改名し、日本赤十字の前身である博愛社の設立に尽力したという。進取の気鋭に富んだ立派な人であったのだろう。
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さてこの龍岡城五稜郭からほんの数百メートル進んだところにも、文化財好きには見逃せない素晴らしい場所がある。新海三社神社(しんかいさんじゃじんじゃ)。佐久地方の総社であり、古来、源頼朝や武田信玄といった武将たちの信仰を受けた由緒正しき神社である。境内は森閑として訪れる人も少なく、心の底まで澄んで行くような思いに囚われる。
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ここには2棟の重要文化財の建造物がある。まず、東本社社殿。小ぶりだがなんともかたちのよい建築で、室町時代のものとされている。
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そしてその真後ろに聳えるのが、三重塔だ。神社に三重塔とは奇異にも思われるが、日本は明治まで神仏混交であり、神社と仏閣の明確な区別がない場所が多かったし、いわゆる神宮寺というものが存在した。だが明治の神仏分離、廃仏毀釈の嵐の中で、多くの文化財が失われたと聞く。この三重塔は神社の宝庫として利用されたので、破壊を免れたのだそうだ。村の人たちの素朴な信仰が貴重な文化財保存の原動力になったのだろう。これも室町時代の建築で、美しいかたちをしている。
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そして正面からこの二つの堂塔を見るとこんな感じ。何百年もコンビを組んで来た歴史の生き証人だ。
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本当に心が洗われるような場所なのだが、近隣には「ラジオ体操 朝6:30から 場所 : 新海三社神社」と手書きの貼り紙がしてあったりして、地元の人々から親しまれている神社なのだなと思う。夏の早朝、オゾンを胸いっぱいに吸い込んで室町時代の建築の前でラジオ体操をする。素晴らしいではないか。

と、このような素晴らしい場所を2ヶ所訪れた後、私は松本に移動したのだが、実は本当はこの場所でほかに見たいものもあったのだ。佐久市にあるもうひとつの重要文化財、旧中込学校校舎である。調べてみるとここは1875年末の竣工なので、あの有名な松本の旧開智学校よりも数ヶ月早く、現存する日本最古の小学校であるらしい。学制発布が1872年なので、これらの学校は本当にその直後にできているわけで、日本の近代教育の本当に最初期の遺産である。このあたりにも長野県の高い教育レヴェルが見て取れる。そのほかにも、やはり重要文化財指定の、六地蔵を刻んだ石灯篭や、境内で発掘された武田信玄の遺骨を埋めた墓所がある(その真贋を争って国との間で訴訟沙汰にもなったという!)寺など、佐久市にはまだまだ興味深い場所がいっぱいだ。また日を改めてそれらの場所も巡ってみたい。あ、それから、佐久市には、「日本で最も海から遠い場所」というのがある。看板の写真は撮りそこねたが、海から遠く離れた山の中、歴史が息づくのが佐久市なのである。

高速道路に向かう私たちの現前に、浅間山がその雄大な姿を現す。様々な人間の営みは、このような雄大な景色のもとで展開されてきたのだ。でもちょっと、電線が邪魔だなぁ(笑)。長野の旅は続きます。
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by yokohama7474 | 2016-08-22 23:10 | 美術・旅行 | Comments(0)

鴻池朋子展 根源的暴力 Vol.2 あたらしいほね 群馬県立近代美術館

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別項で採り上げた演奏会を聴きに松本まで出向く際、これも毎度恒例のことなのであるが、せっかくだからどこかほかの場所にも寄って行こうと思い立った。そしてまず最初の行き先として決めたのは、高崎市にある群馬県立近代美術館。そこで開かれている鴻池朋子(こうのいけともこ)の個展を見たいと思ったものだ。鴻池は1960年秋田生まれ。現在国際的にも注目を集めているアーティストである。
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私は2009年に東京オペラシティで開かれた彼女の個展、「インタートラベラー」を見て、その独特の世界、つまり、一種不気味かつ呪術的でありながらも、決して難解でない旺盛な生命力の表現に、大変興味を持ったものであった。その後個展に接する機会はなかったが、ちょうど去年、神奈川県民ホールのギャラリーで鴻池の新しい個展が開かれているのを知った。だが残念なことに、そのときには出かけていくタイミングがなくて結局見逃してしまい、残念な思いをしていた。ところが最近調べて分かったことには、群馬県立近代美術館で現在開催中である。しかも、よく見ると副題が、横浜ではただの「根源的暴力」であったものが、今回はそこに「Vol.2 あたらしいほね」と加わっている。ということは、横浜での展覧会からも少し追加・変更があるのかもしれない。いずれにせよ、会期は8/28(日)までで、今回を逃したら次はいつ個展を見られるか分からない。というわけで、高崎まで出かけることとした。

群馬県立近代美術館は、高崎市の中心からは南に外れた場所にある。群馬県立公園・群馬の森という広大な緑地の中だ。すぐ隣にはつい先月リニューアルオープンした群馬県立歴史博物館がある。駐車場から美術館に向かう道は、このように緑と水が気持ちよく整備されている。また展覧会の看板も戸外に立っていて、色彩の乱舞で被写体が何であるのか判別しがたいが(笑)、一体なんだろうと思わせてくれて、よいではないか。
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この美術館がいつできたものか予備知識なく訪問したが、非常にモダンかつ広大な建物であり、大変に贅沢な展示空間を持っている。このような現代アートに接するには最適の場所であろうと思う。日本の地方には、立派な美術館を持っているところが多いが、ここはまた素晴らしい美術館だ。これがコンクリート打ちっぱなしの内部の様子。奥の段には既にして鴻池の作品が並んでいるが(ここまでは無料観覧できてしまいます 笑)、展覧会場は左の壁の奥に入ったところである。
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この展覧会で嬉しいのは、フラッシュなしであれば展示作品の写真撮影が可能であること。以前、村上隆の展覧会の記事でも書いたが、ネット社会の現代においては、芸術作品といえどもイメージの複製や、場合によっては一定の加工を避けられない。であれば、オリジナリティの尊重方法に対する考え方を変え、鑑賞者が芸術作品の写真を撮影して、自らの感性でアートを反復して楽しむことを認める方が、アーティスト自身にとっても得策なのではないだろうか。と勝手に整理して、写真をパチパチ撮らせて頂いたので、せめて鴻池芸術の一端でも、この記事でお楽しみ頂ければと思う。

2009年に見た展覧会の記憶で、鴻池の創り出す世界の不思議な魅力には、ある程度のイメージがあった。そこでは動物が闊歩し、大地がその存在感を示し、生きとし生けるものの持つ命が、時にはグロテスクなかたちを取りながらも、躍動しているのである。今回も会場に入ってすぐにそのイメージが立ち上がってくる。そこにはアーティスト自身の言葉もあちこちに展示されていて興味深い。まず、「ゆっくりと停止」という文章だ。

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もし仮に再び元に戻ったとしても
同じものではいられない
四年半前のある日 地球の振動を感じた私の体は
そうつぶやいてゆっくりと制作を停止していった
あれもこれも違うと全感覚が否定しはじめたからだ
しばらくすると 私の目はなにも見なくなり
手はまるで描かなくなった
元の生活をトレースするには
まったく違う体になってしまったのだ
これには驚いた
UNQUOTE

ここで述べられているのは言うまでもなく、2011年の東日本大震災の際にアーティストを襲った無力感であろう。今回の展覧会には、この散文に対する補遺というべき文章が展示されていて、昨年の横浜の展覧会からも展示内容が変化していることが明記されている。またこれは、アーティストが自身の言葉で語る最上の作品解説である。
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今回展示されている作品には、つなぎ合わせた牛革を使用したものが多い。それについての理由等も作者自身の言葉で説明されていたが、私の見るところ、上の鴻池の文章の最後にある「美術館の本性とは狩りのような場」という言葉が、革という有機物のイメージとぴったりで、いつも死と隣り合わせの生が巧まずして表現されていると思う。牛革に魚を描いてしまうこの生々しい感性。
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これは地球の奥から覗いている不思議な顔。2009年の展覧会でも、銀色に輝く大きな顔があったのを思い出す。目も鼻も口もあり、ということはつまり生命を示す「表情」が出てくるべきものが「顔」であるのに、この顔の無表情なこと。地震という、自らにとってはほんのちょっとした活動によって、人間に甚大な損害を見舞った地球の、茫然とした表情であろうか。
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彼女の創り出す空間はこのように、決して暗い情緒的なものではない。だがそこにはまぎれもなく、何か人間の根源的なものに訴えかける不思議な力があるのだ。狼をはじめとする動物たちは彼女のメジャーなモチーフであるが、これらのイメージは「可愛い」と言いうる一方で、死んでいるのか眠っているのか分からない点、仮想の死を生きているという逆説的言辞で形容したくなる。
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彼女自身、冒頭の言葉の中でインスタレーション触れているが、会場ではプロジェクターによって壁に映される冬の映像や、テント状の空間の中に投影される狐らしき動物の影絵などが、ノスタルジックな思いを誘う。
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そしてメインの大きな展示室には、このような巨大な垂れ幕状の作品が。これも牛革を利用した巨大キャンバスである。ここで描かれた毒々しい生命活動は、圧倒的な力で見る者に迫ってくる。
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この展示室にはほかにもいくつも中規模の作品が並ぶ。本物の鳥の羽の塊を大量に使ったり、巨大な和服をかたどった牛革キャンバスに、滝のような、あるいは血管のような模様を描いたり。素晴らしいヴィジョンに圧倒される。
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そして最後の展示室には、鉛筆で描いたデッサンや版画が並び、小型鴻池ワールドを展開する。実在の動物であれ空想の動物であれ、いずれも確かな存在感に溢れている。展覧会全体のタイトルである「根源的暴力」とは、最初は地震のことかと思ったが、ここまで展覧会を見てくると、生きることそのことも意味しているのではないかと思われてくる。動物は生きるためにほかの命を奪うが、それこそ根源的暴力。人間世界ではそうはなっていないものの、彼女の作品を通して鑑賞者は、人間もその一部をなしているこの世界に存在する「根源的暴力」の恐ろしさと尊さに気づくのである。
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このように鴻池ワールドを堪能したわけであるが、どの作品も強烈な存在感があるのに、不快感を抱かせることがない。説教臭さも皆無である。従って今後彼女の一般的な知名度は上がって行くものと期待しよう。次の個展が待ち遠しい。

ところで東京に戻ってから、なんの気なしに手に取った一冊の本に、面白い情報を偶然見つけた。手に取ったのは、書棚に積んであって未だ読んでいない、磯崎新の建築談義シリーズ全12巻のうちの1冊。イタリア、マントヴァのパラッツォ・デル・テについての巻。私はこの宮殿にあるジュリオ・ロマーノの壁画が大好きで、実際に現地を訪れたこともあるのだが、このシリーズの面白いところは、建築家の磯崎新が、様々な建築と、それに関連することしないことに言及してその博識ぶりを発揮することなのである。この巻の冒頭では、なぜかリチャード・マイヤーという建築家との交流の話になって、そのマイヤーがある公共建築を手掛けていたとき、自分もやはり公共建築を手掛けていたとある。その公共建築こそ、ほかならぬ群馬県立近代美術館なのである!!1974年、実に40年以上前の作品だが、とてもそうとは思えないモダンさである。恐れ入りました。今後地方の美術館を訪れるときには設計者をちゃんと調べることとしよう。
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by yokohama7474 | 2016-08-21 22:24 | 美術・旅行 | Comments(0)

ハイ・ライズ (ベン・ウィートリー監督 / 原題 : High-Rise)

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先般、公開中の映画をざっと調べているときに、この映画のタイトルが目に入った。おぉこれは、J・G・バラード原作の、あの「ハイ・ライズ」ではないか。原作そのままの題名にしてくれてよかった。もしそうでなければ、見逃していたかもしれない。しかも、主演はトム・ヒドルストンにジェレミー・アイアンズ。これは必見だろうと思ったのだが、映画館の予告編やチラシでは、この映画を見た記憶がない。調べてみると、あろうことか、全国で5つの劇場でしか上映されておらず、東京でも単独館上映である。まあ今時J・G・バラードだなどと喜ぶ人もほとんどいないということだろうか。8/6(土)に公開されたので未だ二週間しか経っていないが、危ない危ない、この手の映画には早く行っておくに限ると思って出かけてみたところ、あにはからんやかなりの混雑。もちろん、上映している劇場が小さいせいもあるが、東京の文化度をなめてはいけない。願わくは、もう少し上映を継続して欲しいものだ。

なぜ私がこの映画の原作を知っているかというと、もう随分前に読んだからだ。なぜ読んだかというと、答えは簡単。同じ作家の原作による「クラッシュ」を鬼才デイヴィッド・クローネンバーグが映画化したのを見て(当時、「裸のランチ」「M・バタフライ」と問題作を立て続けに世に問うていた)、この奇妙な作品世界を作り出したJ・G・バラードとはどんな作家だろうと思い、購入したのがこちらのハヤカワ文庫。もうかれこれ20年くらい前になるわけである。
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今調べてみると、J・G・バラード(この呼び方が響きがよくて好きだが、本名はジェームズ・グレアム・バラードだそうだ。意外と普通の名前 笑)は、1930年生まれで2009年没なので、「クラッシュ」が映画化されたときには未だ現存作家であったわけだ。「クラッシュ」は、自動車の破壊に性的興奮を覚える人たちの話で、笑えるような恐ろしいような内容。でも、機械に淫するある種のモダニズムをあのようなかたちで表現する点、なんともユニークだと思ったものであった。そしてこの「ハイ・ライズ」は、上記のような超高層マンションにおいて上層階と下層階で対立・紛争が起きるという、これまたシュールな内容で、この原作を読んだときのなんとも言えない居心地の悪さは、絶対に忘れない。細部にリアリティがあるものの、全体が夢の中の話のようである。実は、前項で「都市と都市」という作品を採り上げた1972年生まれの小説家チャイナ・ミエヴィルも、尊敬する作家のひとりとして同じ英国のJ・G・バラードを挙げており、なるほどと理解できる反面、私の個人的な感覚では、やはりバラードの研ぎ澄まされた簡潔さの方が、饒舌なミエヴィルよりも数段上であると思うのだが、いかがなものだろうか。

この小説の発表は1975年。当時でもニューヨークとか香港には超高層マンションは既にあったと思うが、バラードの出身国である英国には、ロンドンですら未だにそれほど高いビルは存在しないし、ましてや住居となると、ほとんど(全く?)ないのではないか。従ってここで描かれる超高層マンションの生活は、何やら近未来じみたまさにSF的な設定であり、それゆえに、生活の場として人々が毎日出入りする場所でありながら、上層階と下層階で違う世界が混在する不思議な場所としての超高層マンションは、シュールな感覚に満たされている。そのような原作のシュールさを、よく映像化していると思う。尚、ここで描かれている時代設定は、車の外見からも、原作が描かれた1970年代のようだ。従ってインターネットも携帯電話も、ここには登場しない。

私が劇場に行ったときには、特典でポストカードがもらえたのだが、そのデザインはこれだ。
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主人公、医師ロバート・ラングを演じるのはトム・ヒドルストン。このブログでも、彼の出演作「クリムゾン・ピーク」をご紹介したし、「マイティー・ソー」シリーズの悪役ロキでも知られるし、ジム・ジャームッシュの近作「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」でも忘れられない演技を披露していた。1981年生まれなので今年35歳。これから様々な役を演じてますます映画を面白くしてくれる逸材であろうと思う。プログラムの紹介欄を見て知ったが、彼は貴族の血筋を引いていて、しかもケンブリッジを首席で卒業しているという!! ご覧の通り引き締まったからだで、オバサマたちの視線を釘づけという感じであろう。だがその一方で、巧まざるユーモアも表現できるし、段々歯車が狂って行く閉鎖社会の中で、その狂気を楽しむかのような達観した態度が、医師ラングの演技としては万全だ。
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一方、このマンションを設計した建築家アンソニー・ロイヤルを演じるのは、今や英国の宝の域に近づきつつある、ジェレミー・アイアンズだ。
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この人も幅広い役を演じているが、以前のカフカ役や「ロリータ」(1997)での演技などから、不思議でシュールなキャラクターを演じる才能はよく知られている。バットマンの執事役よりは、よっぽどこちらの方が似合っている。もちろん1948年生まれだから既に70近い年齢に至ってはいるものの、端正な顔立ちと贅肉のない痩躯は変わりなく、役者の中にも、こんな風に年を取ることのできる人はそうはいないだろう。

この映画には、女優もあれこれ出てはいるものの、正直なところ、あまり印象には残らない。もともと女性の描き方にあまり興味のない原作であり、演出であると言ってしまうと言い過ぎだろうか。そもそも、顔も誰が誰だか時々分からないこともあり、後半で女たちが共同で作業するような部分にも、何か新しい展開というイメージはない。実際この映画は、ストーリーテリングとしてはちょっといかがなものかという点もあり、多くの人が難解で退屈と思うであろうが、それにはこのような女優の使い方も影響しているかもしれない。原作から外れたキャラクターの想像には、作り手はあまり興味がないのかもしれない。

ただ、この映画で提示されるヴィジュアル・イメージは、なかなかに面白い。1970年代の設定ということで、マンションのあちこちも何かガッチリ大柄にできているように思われる。上の写真でもある通り、テラスは荒い模様の石でできていて、ロンドンに実際にあるバービカン・センター(ロンドン交響楽団の本拠地であるホールや劇場、ギャラリー等のある場所だが、居住棟もある)を思い出したものである。なのでこの映画は、ストーリー展開が何を意味しているとか、登場人物たちの行動原理はこうだろうとか、英国の階級社会がどうできているとかいうことはあまり考えずに、シュールな雰囲気とビジュアルを楽しめばそれでよいのではなかろうか。下手にストーリーを深読みすると、大変退屈になるものと思いますよ(笑)。こんなシーンでは、感性が試されるような気がする。
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この映画の監督、ベン・ウィートリーは私にはなじみのない名前だが、1972年生まれで、最近活躍が目立つ英国の監督であるとのこと。また、製作のジェレミー・トーマスは聞いたことのある名前だと思ったが、「戦場のメリークリスマス」や、「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」「魅せられて」等のベルトルッチ作品、また「クラッシュ」を含むクローネンバーグ作品や、上で触れた、トム・ヒドルストン出演のジム・ジャームッシュの「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」も製作している。大製作者ではないか。
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最後に、この映画に関連する音楽と美術について。冒頭すぐに髭を生やしたラングがサヴァイヴァル生活を送る様子に使われているのは、バッハのブランデンブルク協奏曲第4番。リコーダーが明るく楽しく、凄惨な状況とのギャップを強調する。この音楽は終結部近くでも、同じ場面に回帰するときにも使われていた。それから、建築家ロイヤルの住まうペントハウスには様々な美術品が展示されていて、詳細映像は出てこないが、ひとつは明らかだ。壁面を飾る大作は、ゴヤの「黒い絵」の中の「魔女の夜宴」である。
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この作品はプラド美術館に収蔵されているので、ここで出てくるのは当然複製ということになるが、ラングが「あれって美術館にある絵だよね」と言うセリフがあり、その意図はよく分からない(ほら、だからストーリーを考えてはいけないと言ったでしょう 笑)。もっともその言葉は、エレベーターのすぐ左にかかっていた作品について出たもののようでもあった。そちらはよく見えなかったが、マックス・エルンストではなかったろうか。もし再度この映画を見ることがあれば、再確認しよう。

J・G・バラードの作品世界に久しぶりに触れることができたことはなかなか楽しかったが、今回調べて初めて知ったことを恥を忍んで告白すると、実はスピルバーグが映画化した「太陽の帝国」の原作もバラードなのだ!! 自伝的な小説らしい。なるほど、なかなか一筋縄ではいかない作家である。短編集でも買って読んでみたくなった。
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by yokohama7474 | 2016-08-21 01:17 | 映画 | Comments(0)

チャイナ・ミエヴィル著 : 都市と都市

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一風変わった小説を読んだ。1972年英国出身のチャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」という2009年に発表された小説だ。原題はそのまま、"The City & The City" であり、このハヤカワ文庫の翻訳(日暮雅道訳)で、500ページを超える大部な作品である。裏に記載されているあらすじの最後の部分には、「ディック - カフカ的世界を構築し、ヒューゴ賞、世界幻想文学大賞をはじめ、SF/ファンタジー主要各賞を独占した驚愕の小説」とあるし、上の写真の帯の部分には、「カズオ・イシグロ絶賛!」とある。フィリップ・K・ディックは言うまでもなくSF界の永遠のカリスマだし、カフカはもちろん20世紀初頭の不条理小説の大家として世界文学史上に堂々と名を留めている。これら作家の作り出す世界は私も大好きだし、それに加えてブッカー賞を受賞した現役作家として飛ぶ鳥を落とす勢いのカズオ・イシグロまで絶賛と来ると、これは読まずにはいられないでしょう、やはり。これがミエヴェルの写真。うーん、このスキンヘッドにマッチョな体つきには、なにやらただならぬ雰囲気を感じてしまうが、結構フレンドリーな方らしいです。
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この小説の設定は大変にユニークで、それは、東欧あたりに存在するという設定の二つの都市国家、ベジェルとウル・コーマが舞台となっていて、この二つの都市国家は同じ場所に存在しているのだが、言語や政治・経済が異なっていて、それぞれの住民は相手の国のことを見てはいけない(見えても見えないふりをする)ルールになっていて、もしそれを破ると、「ブリーチ」(Breach、つまり義務を守らないという言葉そのものだろう)と呼ばれる超法規的警察権力によって処罰されるというもの。このように書いていてもさっぱり訳が分からないが(笑)、設定について詳細な説明はない。まさに不条理の世界そのものだ。物語は、ベジェルで米国人女子大生の殺害死体が発見され、同国の警官であるティアドール・ボルルが、ウル・コーマにも乗り込んでその謎に迫るというもの。ストーリーテリングのトーンはハードボイルド風であり、SFでもミステリーでもホラーでもない、なんとも名付けようのない作品である。私はこれを読んでいて、イスラエルとパレスティナのイメージかと思っていたのだが、ネットで調べると、どうやらモデルはオランダにあるバールレ=ナッサウという街であるらしい。この街についてはWikipediaもあるので、ご興味おありの向きはご覧頂ければと思うが、ベルギー国境から5km程度の距離にあるものの、街の中に実に21ヶ所ものベルギーの飛び地が存在しているという。場合によっては家の中を国境線を通っていることもあり、そのような家に住む家族は、正面玄関のある方の国民になっているそうだ。オランダ側の人口6,000人、ベルギー側2,000人という小さい規模の街であるが、歩いていると何度も国境を越える街とは、なんともユニーク。12世紀にブラバント公爵(おぉ、ワーグナーの「ローエングリン」ですな)がブレダという地域の領主にこの土地を与えたものの、自ら所有する部分は譲らなかったという。このブラバント公の所有地が今のベルギー領らしい。以下の地図で、黄色はオランダ、青がベルギーだ。オランダの中のベルギーの飛び地に囲まれたオランダの領地という場所もあり、なんとも面白い。
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さて、このようなモデル都市はあるものの、この作品で描かれているベジェルとウル・コーマの関係ほど複雑ではない。正直その関係は、読んでいてもあまりヴィヴィッドにイメージされることがない。それが作者の作戦なのかもしれないが、多分に映画的なヴィジュアル性を伴う文章というものは、意外と読んでいる人のイメージを刺激しないものだ。従い、500ページもある大部な作品で延々それをやられると、読者の方は相当辟易してくるものだ。加えて、殺人事件とその謎に迫る主人公の活躍は、胸がスカッとするというものでもなく、手に汗握る展開とは、お世辞にも言えないと思う。驚愕の謎解きがあるかと言えば、私としては否定的にとらえざるを得ない。むしろ、架空の場所を設定して自ら延々と同じような描写を続ける作者の姿を思うと、ちょっと偏執狂的な感じがすると言ってもよいし、もっと言葉を選べば、「いやぁご苦労さんですなぁ」ということになろうか。

もちろん、舞台が架空の街であれ、合理性を欠く禁忌の描写や、先史時代の謎を巡る言説に、普遍的な人間社会の宿命を感じる部分も、あるにはある。そして、この奇妙な設定が一種独特の情緒を生んでいることも確かだと思う。だが、やはり私は、実際に人間が辿ってきた歴史の方に興味がある。いかに優れたイマジネーションを持つ作家であっても、現実世界の歴史以上に面白い作品を書くことは至難の業だろう。あらゆることに関する詳しい情報が簡単に手に入る現代、歴史的事象は考えられないくらいのリアリティをもって我々の前に立ち現れてくる。わざわざ架空の世界のトラブルに深いりする小説を手に取る必要が、一体どのくらいあるだろうか。

というわけで、ちょっと特殊な設定を持つ小説だけに、「読んだ」という事実は忘れないと思うが、むしろ現実に存在するオランダのバールレ=ナッサウを訪れてみたいと思わせるきっかかになった小説として記憶に残るかもしれない。

by yokohama7474 | 2016-08-20 22:57 | 書物 | Comments(0)

セイジ・オザワ松本フェスティバル ファビオ・ルイージ指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2016年 8月19日 キッセイ文化ホール

セイジ・オザワ松本フェスティバルのオーケストラコンサートBプログラムの演奏会である。前日のAプログラムの前半に続き、指揮を執るのはファビオ・ルイージ。曲目はマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」である。
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彼は一昨年のオペラ「ファルスタッフ」でこの音楽祭に初登場した後、昨年はオーケストラ・コンサートで、ハイドンの82番「熊」とマーラー5番を指揮。その演奏については、昨年8月29日の記事でもご紹介した。そして今年もこの音楽祭に登場し、昨年に続いてマーラーの大作を指揮する。もともと音楽総監督である小澤征爾の名前と行動力に大いに依拠してきた音楽祭であり、日本人の若手から中堅を中心に何人もほかの指揮者が登壇したことはあるものの、3年連続で指揮するのはルイージが初めてであろう。人選にはいろいろな要素があって簡単によい悪いを決めつけるのは避けたいが、ここに登場する小澤以外の指揮者は、日本人でない方が何かと「座りがよい」ということもあるのかなぁ・・・、などと勝手に思いを巡らせている。まあともあれ、ファンとしては、ただ虚心坦懐に彼らの音楽に耳を傾けることで充分である。昨年の5番も熱演であったが、今回の2番は合唱・独唱を含むさらに規模の大きい作品であるだけに、ルイージとサイトウ・キネン・オーケストラの共演の成果に期待大である。これはリハーサルの様子。
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ルイージの音楽を聴いていつも感じるのは、どのような音楽においても、流麗な流れを作り出すことによって過剰な情緒性を排除し、メリハリをつけた音響によるドラマを過不足なく描き出すということだ。昨年のマーラー5番はまさにそのような演奏であったが、今年の「復活」も全く同じ印象だ。彼のマーラーは、日本人が大好きな(私もそのひとりだが)バーンスタイン的な混沌としたものではなく、もっと見通しがよくて切れ味のよいものになる。よいオーケストラで、またよいホールで聴けば、彼の音楽にはうむを言わせぬ説得力がある。今回の演奏、正直なところ、後者の「よいホール」という点に関しては、「あぁ、これがサントリーホールだったら!!」という思いに捕らわれたが、前者の点、「よいオーケストラ」という意味では、これはもう大満足と言ってよいであろう。私は昨年の記事で、管楽器の大部分を外国人が占めるという現状が、そもそも桐朋出身者による、小澤言うところの「同じ釜のめしを食った仲間」というサイトウ・キネン・オーケストラの理念に反するゆえ、その評価はよく考えるべきではないかといった厳しい内容のことを書いた記憶がある。だが、これをご覧頂く方に誤解頂きたくないのは、日本におけるクラシック音楽のイヴェントとしてのセイジ・オザワ松本フェスティバルの価値を考える上で、また、今後の発展を考える上で、このような問題意識には意味があると思うからこそ、人によっては異論もあろうことを承知で、昨年あえてそのようなことを書いてみたわけである。だが今回の演奏会を聴いて私の考えは変わってきた。つまり、質の高い音楽体験をするには、演奏家や裏方さんや資金や会場やあるいは聴衆の質に至るまで、様々な要素が必要になるわけだが、別に「日本人によるベストの演奏」にこだわらずとも、「日本で聴けるベストの演奏」でもよいではないか。つまり、弦楽器はたまたま日本人だけでも世界一流に伍していけるならそれでよし、管楽器については、日本人のトップの人たちと外国から参加するメンバーの混成がベストなら、それを続ければよい。但し、その海外からの参加者が、ただ金のためにやってくるのではなく、ここ松本での演奏に充実感と意義を見出してくれる必要があろう。その意味でこの音楽祭の成功を象徴するようなコメントを、例のホルンのラデク・バボラークがプログラムに載せているので、一部抜粋する。

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松本は本当に美しいところ --- 伝統に溢れ、温かくフレンドリーで、フェスティバルの期間はいつも、音楽と、音楽を導くインスピレーションに満ちています。(中略) 舞台上では高い集中力と純粋な喜び、そして終演後は、温泉や、あるいは居酒屋で、美味しい食事とビールとお酒と焼酎で愉快な打ち上げ! (中略) 松本はいつでも、地上の楽園です。
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海外から参加してくれるメジャープレーヤーがこのように感じてくれていることこそ、この音楽祭の大きな価値であり、それはそれで大いに意味があることではないか。聴く側にとっては何より、現在の日本のオケにおける課題である金管楽器の演奏にハラハラせずに聴けるだけでも、やはり海外メンバーをずらりと揃える意味はあろうというものだ(笑)。これは揶揄して言っているのではなく、日本のオケにもさらなる向上を期待したいがゆえのコメントだ。

さて、ルイージの指揮に話を戻そう。低弦の大地を揺るがす響きで始まるこの曲、冒頭から既に過度な重量感は排除されているのを感じる。だが決して弱々しい音楽ではなく、盛り上がる箇所は充分な燃焼度を持って盛り上がる演奏である。出色は第2楽章で、音色は微妙に変化し、アクセルとブレーキを交互に踏みながら、ふと窓の外を見ると情景が変わっているといった感じの演奏。オケとの呼吸が合わないとこのようにはいかないであろう。ただ、ひとつ不満があったのは、合唱団と独唱者を、第2楽章と第3楽章の間に登場させたことだ。この曲はいわば第1楽章が第1部、残りの部分、つまり第2・3・4・5楽章が第2部という構成になっていて、作曲者自身、第1楽章終了後に少なくとも5分の間をあけることと指示している。従い、レントラー舞曲の第2楽章が終わってすぐにティンパニがドドンと鳴って第3楽章スケルツォに入って行くというその呼吸が大事であって、そこに合唱団と独唱者の入場時間を入れることで、音楽の流れは台無しだ。だが、そのような不満もつかのま、第3楽章の勢いよい皮肉な音楽から静かに第4楽章に移行する頃には、また流麗な音の流れが脈打っており、そうして怒涛の第5楽章に突入したのであった。
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今回の独唱者は、まずアルトが、日本が世界に誇る藤村実穂子。実は、もともとはクリスティーン・ゴーキーというやはり世界的な歌手の出演が予定されていたところ、体調不良により降板したため、藤村が登場したもの。いやしかし、これ以上ない代役が見つかったものである。安定感は抜群だ。
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そしてソプラノが、二期会の三宅理恵。この演奏では独唱者も合唱団(OMF合唱団)も全員暗譜であったが、彼女は合唱の中からソプラノのソロパートが浮かび上がるとき、両の掌を胸の前で合わせ、つまり合掌をしながら、美しくソロを歌いあげた。この曲のソプラノには大した見せ場があるわけではないが、合唱団との一体感と、ときにそこから浮かび上がる声量と技量が必要なので、意外と難しいであろう。それゆえ、彼女の自主性溢れる歌唱は素晴らしいと思った。
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このように音楽は進んで行き、いつ聴いても鳥肌立つような強烈な大団円に至る。ヴァイオリンが全身で高揚感を作り出し、管楽器が輝かしく鳴り響き、オルガンまで入るあのめくるめく音響は、本当にひとりの人間が、頭の中に鳴り響いていたものを紙に書いたとは思えない神々しさである。日本ではかなり頻繁に演奏されるマーラーの人気曲であるが、今回の演奏ほど奏者がそれぞれの持ち場で力を発揮する演奏には、そうそう出会えるものではない。ルイージとサイトウ・キネン・オーケストラは、夏の松本で、またひとつ大きな足跡を残したのであり、終演後には多くの聴衆がスタンディング・オベイションで演奏者たちの熱演を称えたのであった。きっとその後の居酒屋での打ち上げにおける「ビールとお酒と焼酎」は、さぞやおいしかったことでしょう!!

コンサートとは直接関係ない蛇足情報をひとつ。この音楽祭では例年、前年の成果を横長の冊子にまとめ、会場や街中の書店で販売している。豊富な写真や演奏の論評や、ここだけでしか手に入らない演奏の一部を収めたCDと、大変に内容豊富で、私は毎年楽しみにしているのである。ところが今年は会場でも書店でもその冊子を見かけなかったので、キッセイ文化ホールでグッズが販売されているコーナー横のInformationと表示のある場所にいた人に訊いてみると、音楽祭事務局では2,000円で販売しているという。ホール1階の事務所に連れて行かれ、段ボール箱から1冊出してもらって購入することができた。
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但し、今年から付録CDはついていない。なぜ売店で売らないのか尋ねたところ、フェスティヴァルのグッズという扱いではなくなったからとのこと。よく意味が分からないが、もしかすると、松本市の予算を使用している以上、なんらかの成果物が必要で、そのために毎年作成されているのかもしれない。それに、これは前年の内容に関するものなので、前年の演奏会やオペラに来ていない人にとっては、その場で買い求める意味があまりないとも言える。なので、あまり売れ行きもよくなかったのかもしれない。だが、私にとってみれば昨年の思い出として是非欲しかったもの。もし同様の思いをお持ちの方がおられれば、参考情報として下さい。

さて、既にして来年のプログラムが気になるセイジ・オザワ松本フェスティバルだが、せっかく5番、2番とルイージのマーラーを続けて演奏したのだから、これは是非ともシリーズ化して欲しい。ついでに東京でも2回か3回演奏会を開いて頂いても、絶対満員になると思う。今後のフェスティヴァルの発展のため、日本の音楽界のさらなる向上のため、なんとかそのようにして頂けないものであろうか。バボラークさん、東京にもよい居酒屋、沢山ありますよ!!

by yokohama7474 | 2016-08-20 12:43 | 音楽 (Live) | Comments(2)