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セイジ・オザワ松本フェスティバル ファビオ・ルイージ / 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2016年 8月18日 キッセイ文化ホール

今年のセイジ・オザワ松本フェスティバルにおける最初のオーケストラコンサートに行ってきた。実は昨日、この演奏会のゲネプロを見学したことは前回の記事に記載した通り。今日がその本番ということになる。昨日の記事には期待と不安を正直に記しておいたが、まず最初に書いておこう。素晴らしいコンサートであった。

19時開演のところ、その45分前に会場のキッセイ文化ホールに到着すると、既にかなりの賑わいである。嬉々として自らの写真を撮る人。感慨深げに入り口を見上げる人。そして、「チケット求む」の札を抱えた人も。このコンサートのチケットを取るのはまさに至難の業。当日たまたま行けなくなった人がいれば浮いたチケットも出て来るわけだが、さてさて、果たして「チケット求む」の人の思いは満たされたのであろうか。
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このコンサートには2人の指揮者が登場する。前半がイタリアの名指揮者ファビオ・ルイージ。後半がこの音楽祭の総監督であり主役である小澤征爾だ。ひとつのコンサートを二人の指揮者で分けるとはかなり珍しいことであるが、そこには明確な理由があって、つまり、現在の小澤の体調に、ひとつのコンサートを一人で通して指揮できるだけの余裕がないせいである。これは松本に限らず、小澤が指揮を執るオペラやコンサートの公演においては既に過去何年も続いていることである。40代からの精力的な活躍に身近に接して来た身としては、なんともつらいことではあるのだが、それでも、もうすぐ81歳になる小澤征爾という特別な能力を持った指揮者の演奏を聴くためには、致し方ない。換言すれば、コンサートの半分しか登場しない指揮者を目当てとして、これだけの熾烈なチケット争奪戦になるのは、少なくともここ日本では小澤以外にはあり得ないということだ。

今回の曲目は以下の通り。
 オネゲル : 交響曲第3番「典礼風」(ファビオ・ルイージ指揮)
 ベートーヴェン : 交響曲第7番イ長調作品92 (小澤征爾指揮)

既に昨日の記事で触れた通り、当初発表では、後半で小澤が指揮するのはブラームスの交響曲第4番であったところ、約2週間前に、ベートーヴェン7番への変更が発表されたもの。会場には以下のような貼り紙が。
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この曲目変更の意味について云々するのはやめよう。昨年も諦めたブラームス4番を、今年も諦めざるを得なかった小澤の体調は、それはもちろん心配である。だが、ベートーヴェンの7番はクラシック音楽史上屈指の名作。今の小澤をその曲で聴ける幸運に感謝しよう。私は小澤とサイトウ・キネン・オーケストラによるこの曲の演奏を、1993年にもここ松本で聴いている。また2014年には、水戸まで足を運んで、水戸室内管弦楽団(メンバーがかなりサイトウ・キネンと共通するが楽団規模が小さい)との演奏も聴いた。それらの演奏と比べて今日の演奏はいかに異なるか、記憶を辿りながら聴くこととなった。

だが、小澤小澤と連呼しているだけではもったいない。なぜなら、「前座」を務めるのが、疑いもなく世界一級の指揮者の一人、ファビオ・ルイージであるからだ。1959年生まれで、かつて世界の名門シュターツカペレ・ドレスデンをはじめ、スイス・ロマンド管やウィーン響を率いた指揮者で、現在はチューリヒ歌劇場の音楽監督や、メトロポリタン歌劇場の首席指揮者を務めている。実はこのセイジ・オザワ松本フェスティバル及びその前身のサイトウ・キネン・フェスティバル松本では、今年で3年連続の登場となる。小澤以外でこのように連続で指揮台に立った指揮者はルイージただ一人。聴衆としては、このような優れた指揮者を毎年聴くことができることに感謝しよう。
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今回ルイージはこのコンサート以外にも、明日マーラーの交響曲第2番「復活」という大曲も指揮するが、それについては追って書くこととして、まずは今日のオネゲルだ。スイス出身のアルテュール・オネゲル(1892-1955)は5曲の交響曲を書いているが、この3番はその中で最も知られているもの。私も学生の頃から親しんで来た30分程度の曲であるが、実演にかかることはあまり多くないので、今回の演奏は大変に楽しみであった(余談だが、カラヤンはこの曲をレパートリーとしていて、前半にこれを置き、後半にブラームス1番を置いた演奏会もあった。今回、小澤がブラームス4番を指揮していれば、師カラヤンの例に類似したものになったのだが・・・)。実は昨日のゲネプロでも明らかなことであったが、サイトウ・キネン・オーケストラの水準は、近年演奏レヴェルがメキメキ上がっている東京のオケの数々よりも、さらに上であると思われる。それもそのはず、構成メンバーには在京オケのトップ奏者やソリスト、また、金管にはウィーン・フィルやベルリン・フィルのメンバーもいる。もちろんひとりひとりの技量だけでオケ全体としての性能が決まるわけではないが、このオケの場合は、とても臨時編成とは思えない一体感がある点が素晴らしいのだ。特に弦楽器(全員日本人)は特筆すべきで、舞台の近くの席で聴いていた私の耳にも、それぞれのセクション(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)の奏者間の音色の統一性には惚れ惚れするものがあった。ちなみにこの曲ではコンサートマスターは小森谷巧。その横には矢部達哉。1列後ろには豊嶋泰嗣。順番に、読響、都響、新日フィルのコンサートマスターがずらりと並んでいたわけだ。世界の第一線で活躍するルイージも、この水準には明らかに満足していると見えるし、共演を重ねることで既にオケとの信頼関係が醸成されているように思う。第1楽章で突進する弦楽器の各パートは、分離よくしかもお互いの音に敏感に反応し、素晴らしい推進力だ。第2楽章も抒情が上滑りせず、この音楽の本質がしっかりと表現されていた。第3楽章では破局に向かう行進曲の果てに強烈な不協和音が現れるが、ルイージは、彼らしく音の線を明快に描いてそのカタストロフを表現したことで、その後に続く全曲を締めくくる清澄な音楽(昨日のリハーサルで丁寧に準備していた箇所)を周到に用意した。この曲の持つ複雑な性格を余すところなく描き出した、傑出した演奏であったと思う。

そして、いよいよ後半に入り、小澤の登場である。最近の彼の演奏会では必ずそうなのだが、このような指揮台の椅子と、楽章間に指揮台から降りて休憩を取るための椅子が用意される。
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また、指揮台の脇には、スポーツドリンク、水、ウーロン茶とおぼしき3本のペットボトルが置かれ、楽章間に小澤が飲むことになる。ちなみにこれらのペットボトルはすべてラベルが剥がされていて、銘柄は分からない。NHKの旅行番組のようですね(笑)。まあそんなことは音楽の本質には関係ないのだが。これはリハーサルの様子。
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7番はベートーヴェンの交響曲の中でも一、二を争う人気曲であるが、その理由は躍動するリズムである。緩徐楽章であるべき第2楽章も、アダージョではなくアレグレット(少し速く)なのであって、4楽章すべてがテンポの速い音楽だ。老齢の指揮者がこの曲を指揮すると、往々にして本来あるべきテンポではない遅さに陥ってしまう可能性があるのだが、今回の小澤の演奏は、そのような硬直的な遅さとは無縁のものであり、音には常に量感があり、推進力もある。もちろん、かつての躍動する指揮ぶりを知っていると、その身振りの制限には痛々しさを禁じ得ないが、だがその鳴っている音楽の説得力、生命力はどうだろう。愉悦感に溢れ、次から次へと移り変わる音楽的情景は明確で、それぞれのパートが最大限の力を発揮する。何より、指揮者の体力の衰えをカバーしてあまりあるオケのメンバーの裂帛の気迫を、いかに表現すればよいだろう。こんな音楽はそうそう聴けるものではない。実際のところ、小澤は以前より椅子に座って指揮をする時間が確実に増えており、今回のベートーヴェンでは、第1楽章の序奏から主部に入る部分、第3楽章冒頭、第4楽章の後半という盛り上がりでは立ち上がって指揮していたものの、それ以外は椅子に座った状態。また楽章間では(ほぼ続けて演奏された第3、4楽章間を除き)疲れた顔で「ちょっと休む」と小声で言いながら指揮台横の椅子に座り替えていた。その間客席は水を打ったように静まりかえり、まるで儀式のように次の楽章を待つこととなった。そしてオケの面々は、その沈黙を集中力の肥やしとして、指揮者の肉体を超えた音楽が世の中には存在しうるのだということを、身をもって証明したのである。
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終演後の万雷の拍手の中、小澤が客席に誰かを探すしぐさを見せたが、誰も客席からステージに上がって来ない。そして、主要奏者たちの間を回って握手を終えた小澤は、袖に引っ込むことなく早々にオケに解散を命じた。やはり何度もステージと袖の往復はできないのだろうかと思ったが、小澤の早々の退場に飽き足らない聴衆は、空になった舞台に対して総立ちの拍手となった。すると、オケの面々が再度ステージに登場し、続いて小澤が、既に私服に着替えていたファビオ・ルイージと手を取り合って登場した。どうやら先刻の動作は、ルイージが客席にいるものと勘違いして探したのであったようだ。前半も後半も素晴らしい内容の演奏会で、舞台と客席が一体となった至福の時間が訪れた。そして、二度ほど同じ情景が繰り返されたあと、ステージの袖に、小澤の娘である小澤征良の姿が現れた。その腕には小さな子供が。小澤が、まだおじいちゃんの職業が分かっていないであろう孫に、いとしげに額を摺り寄せるという微笑ましいシーンで、この素晴らしいコンサートは終わりを告げたのであった。小澤征爾という人の人間性、音楽性、築いてきた栄光の歴史、ステージマンとしての命を賭けた戦い。いろんなことを考えさせられたコンサートであった。私の近くに座っていた女性は、演奏の途中から口を両手で覆い、終楽章ではついに声を抑えて涙を流していた。その気持ちは分かるのだが、この音楽を聴いて泣くのはやめよう。また来年、このようなかけがえのない音楽をここ松本で聴けることを心から楽しみに、また1年間を過ごして行きたいと思う。

by yokohama7474 | 2016-08-18 23:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

セイジ・オザワ松本フェスティバル 公開リハーサル ファビオ・ルイージ / 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2016年 8月17日 キッセイ文化ホール

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今年もセイジ・オザワ松本ファスティバルの季節がやってきた。もともとのサイトウ・キネン・フェスティバル松本という名称を替えてから、今回が2回目の開催ということになる。総監督の小澤征爾の登場は、当初発表では、オーケストラコンサート2回における後半と、マーカス・ロバーツを迎えてのGigでの「ラプソディ・イン・ブルー」、そして小澤征爾音楽塾オケによるラヴェルの歌劇「子どもと魔法」を2回ということであったが、オペラについては早々に降板が発表され、オーケストラコンサートについても、8/5という2週間前を切るタイミングになってから、ブラームス4番からベートーヴェン7番に変更になると発表された。音楽祭のサイトによると、4月にヨーロッパから(ベルリン・フィルを指揮して)帰国した後、体重が減ってしまい、体力がもとに戻らないがゆえに、医師と相談して曲目変更を決めたとある。ブラームス4番は、意外にも未だ小澤とサイトウ・キネンが松本で演奏したことのない曲目であるらしく、昨年もプログラムに入っていたが、やはり体力的な問題で、ベートーヴェン2番に変更になってしまった。今年こそブラームスを聴けると楽しみにしてきた、私を含むファンにとっては大変残念なことだが、致し方ない。ただそれにしても、演奏時間45分程度のブラームス4番に対し、ベートーヴェン7番は35分程度。この10分の差がそんなに大きいのか・・・と思ってしまうのが人情。まあもちろん、長さ以上にブラームスの音楽にはエネルギーが必要とされることもよく理解できるが。ちなみに最近松本で撮られた小澤の写真は以下の通り。
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私は今回、このコンサートに出掛ける予定にしているが、実は今日、それに先立つ公開リハーサルがあり、幸運なことにそれに参加することができたので、その様子をリポートする。会場のキッセイ文化ホール(旧松本文化会館)の入り口は例年通り、あまり華美でない飾りつけ。
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今日のリハーサルは、実際には本番前の通し稽古、いわゆるゲネプロで、1階席の後半部分が座席指定されて聴衆に開放されて行われたが、そのスペースに聴衆はぎっしりだったので、総勢500名規模であったろうか。入場の際、皆さん興奮を隠せない様子。
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そして始まったゲネプロは、まずイタリアの名指揮者ファビオ・ルイージがオネゲルの交響曲第3番「典礼風」を、次いで小澤がベートーヴェンの交響曲第7番イ長調作品92を通しで演奏するというものであった。それぞれの演奏内容については、実際のコンサートを聴いてから感想を書くことにしたいので、今日のところはゲネプロの様子のみ書いておくこととする。

まず、サイトウ・キネンの面々は、夏のことでもあり大変ラフな格好で、バミューダパンツにサンダルばきの人もいて、中には(ルイージのときには)サンダルを抜いて裸足になる奏者までいた。もちろん一流のプロの面々であるから、着ているものによって音の質が変わるということはありません(笑)。登場したルイージはポロシャツにスラックスで、30分程度のオネゲルの曲を、スコアをめくりつつ、最初から最後まで一気に演奏した。唯一、終楽章終結部近くの、フルートのソロにチェロのソロがかぶるところで、フルートのパートを大きく歌って強調していたくらいで、演奏を停めての指示は一切なし。全曲演奏が終わったあとも、同じフルートとチェロの絡みを繰り返したり、第1楽章の途中を少しさらったくらいで早々に練習は終了した (但し、トランペット奏者がドイツ語で何か質問したのに対してドイツ語で答えていた)。ステージから客席まで距離があり、背中をこちらに向けているので、喋っている言葉はほとんど聞き取れなかったが、最後にオケの演奏を"Excellent!"と誉めたあと、「次に皆さんと会うのは明日の夕方(本番前)ですね。トイ・トイ・トイ!!」と締めくくっているのは何とか聞き取れた。「トイ・トイ・トイ」はまじないの言葉であり、リハーサルのくつろいだ雰囲気をよく表していた。
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さてそれからステージの設定替え(ベートーヴェンはオネゲルよりも編成が小さいので)があったあと、いよいよ小澤の登場。チューニングの際には指揮台に腰をかけて待っていたが、上の写真でも分かる通り、また一回り小さくなったように見えて、ちょっと寂しかった。だが曲が始まるといつもの小澤の音楽で、気心の知れたメンバーとの息の合った充実の演奏が展開して行った。スコアは指揮台に置いているものの、手を触れることもない。身振りは本番よりは少し小さめと見受けられ、一度などは、テニスラケットをバックハンドで両手打ちするような珍しい動作も見せた。あまり考えたくないが、やはり自分のイメージ通りいかない体の動きを補強するための仕草だったのか・・・。第1楽章終了後は、ヴィオラセクションの前に置いた黒いチェアに腰かけて、水を飲んだ。ヴィオラのトップである店村眞積と何か喋っているが、ちょっとつらそうだ。そして、第2楽章を演奏したあと、どうやら小澤自身から申し出たように見えたが、15分間の休憩に入った。少しドキドキしながら15分が過ぎ、その後、第3、第4楽章がつつがなく演奏されたのだが、音楽に比類ない情熱をかけるあの小澤征爾のこと、通し演奏後に何か所かは指示が入るかと思いきや、全く何もなく、そのまま解散。つまり、このゲネプロを通して、指揮者からの指示は一切なしだ。これは演奏のクオリティが既に充分高いとして喜んでよいのか、それとも小澤の体力を心配すべきなのか。会場では撮影禁止のアナウンスはなかったので、1枚だけ遠慮しながら撮影したのがこの写真。
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ともあれ、まずは明日の演奏会が成功することを、少しドキドキしながらも、心から祈っております!!

by yokohama7474 | 2016-08-17 22:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)

シン・ゴジラ (庵野秀明総監督)

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昨年9月20日の記事で、大田区が主催した区内の歴史的な場所を巡る徒歩ツアーをご紹介したが、その記事に、私のツアー参加の数日前に、蒲田駅前でゴジラ映画のロケが行われたことを書いた。その時撮影されていたのが、ほかならぬこの「シン・ゴジラ」である。この映画は街で相当話題になっているので、それを思うと、妙なご縁で、からこの映画が制作されていることをかなり早い時期実感できた私は、ラッキーであった。

言うまでもなくゴジラは日本が生んだ怪獣キャラクターの王者であり、ハリウッドでも"Godzilla"として2度映画化されている。だが私自身、幼少時からの怪獣好きであり、ゴジラというキャラクター自体には魅力を感じながらも、実は映画館でゴジラ映画を見たことはほとんどない。1954年の最初の「ゴジラ」(もちろんリバイバル上映の際)と、1984年、できたばかりのマリオンが破壊されてしまう「ゴジラ」(これは封切で)がほぼすべてである。その理由は、このゴジラというキャラクターがどうしても「子供用」という位置づけだと思われてならなかったことだ。つまり、妙なガキであった私は、自分自身が子供の頃ですら、いかにも子供用に作られた映画には興味がなかったことになる(テレビの怪獣ものは別)。その意味で上記2作は、シリーズの中では子供用の要素が少ないと見受けられたので、劇場で見たわけである。ハリウッド版ゴジラも、子供用ではないようだったので劇場で見たのだが、これらハリウッド版はどちらも日本のゴジラとは異質なキャラクターとなっており、その点に違和感があったことも事実。その流れで言えば、今回の「シン・ゴジラ」は、久しぶりの国産ゴジラ映画であり、大人の鑑賞に堪えるという謳い文句であったので、自然と期待を抱くことになったわけである。からだが赤く手が小さくて、尾が異常に長いのが今回のゴジラのユニークな造形であるが、さて、どのような展開の映画となったのか。
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結論を急いでしまうと、この映画は怪獣映画というよりはむしろ、災害映画である。ここで改めて気づくことには、このような大怪獣が人間世界に危害を加える場合、人間は当然その対応に追われるわけで、それは取りも直さず、災害発生時の危機対応ということになる。日本ほど数多い天災に見舞われた経験のある国も、そうはないであろうし、そのうちの幾つかは、まさに甚大な被害をもたらす恐ろしい災害であったのだ。なので、今の日本人がこのような怪獣による攻撃をリアリティをもってとらえるには、やはり災害という観点に立たざるを得ないということになるのだろう。実際この映画の製作過程では、東日本大震災発生時の政府の対応などが詳しく調査されたという。このポイントが既に、この映画を支持するか否かの分かれ道になるだろう。私としては、いわゆる日本のお家芸たる特撮空想科学物を、伝統芸能のごとく継承して行くためには、やはりファンタジーこそが最重要であると思う。酷な言い方かもしれないが、災害対応を描きたければ、実際の災害に関するドキュメンタリーを作ればよい。そこにはきっと、言葉が追い付かない凄まじい悲劇があるだろう。ゴジラではない、現実による痛ましい災禍があるだろう。所詮作り物では、そこに到達するのは不可能であろう。そもそも日本政府の中枢に、このような優秀で献身的でしかもGood Lookingな人、どのくらいいるだろう(決してゼロとは言いませんが!)。
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怪獣映画を作るとは、所詮は絵空事の世界なのだろうか。これは難しい根本問題である。人間があれこれ悩んでゴジラを倒そうとするにはストーリー展開に限界があり、ここはひとつ、モスラでもラドンでもキングギドラでもよい。ゴジラに相対する敵役の怪獣がいれば、ストーリー展開はぐっと楽になる。それゆえに、過去のほとんどのゴジラ映画ではその手段が取られ、結果として子供用映画に堕してしまったというのが真相ではなかろうか。この「シン・ゴジラ」、それに気づかせてくれただけでも、かなりの問題作であることは確かである。だが、本当に怪獣物は子供用にしかならないのだろうか? 何か違うアイデアがあってもよさそうなものだ。本作は大人の鑑賞に堪えるという触れ込みであったがゆえに、この点になんとも居心地の悪い思いをするのである。

私の不満はほかにもいくつかあって、例えば、ゴジラの攻撃によって壊滅する東京の描き方に、どこにも逃げ場はないという絶望的な終末感がないこと。あえて終末感を避けたということなら、ゴジラにどこか動物としての感情が描いてあれば、少し奥行きも出たであろうが、それもない。加えて、被害に遭う人たちの個人レヴェルでの悲劇が全く描写されていない。だから、一体ゴジラが何のために上陸して来て、なぜ変態を繰り返してまで日本を襲うのか、そしてそれはいかなる悲劇を人々の中に巻き起こしたのか、全く迫って来るものがない。もっと言うと、米国の出方も妙でしょう。世界全体に脅威を与えるわけでなく、とりあえずは東京だけしか攻撃していない怪獣に、核爆弾を使うなんて言い出しますかね。つまりは、災害としてのリアリティを追求しても、必ずストーリーのどこかに破綻が生じてしまうのである。あ、それから、悪役不在という設定は、リアリティは出てもドラマ性を犠牲にせざるを得ない。もちろん、重いテーマとして、日本という国は今後どうなるのか、こんな集団無責任体制では没落する一途ではないのか、という危惧が描かれているのは分かる。そして、それに対していくつかの改善のヒントが描かれているのも認めよう。でも、いちばん見たかったファンタジーは、一体どこに行ってしまったのか。
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この映画には有名無名、沢山の俳優が出ていて、さすが超大作という感じはあるのだが、正直、個々に採り上げてここで論じたい俳優はほとんどいない。キャラクターとしてユニークであったのは石原さとみで、祖母が日系人のバイリンガルという設定に多少の無理を感じながらも、さすが英会話学校で鍛えただけあって(?)、英語の発音はなかなかよかったし、加えて、米国人の喋る日本語も、それらしくてよかったと思う。
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でも、この役は一体何のために出て来たのか、正直、もうひとつよく分からない。ゴジラに攻撃された東京で、ビルが次々と壊されて行く中、「NOVA」という看板を掲げたビルは無事に立っているシーンがあったと記憶するが、それがきっと石原さとみの宣伝なのだろう・・・とその時思ったが、あれ、後で気づくと、彼女が宣伝に出ているのは違う会社だったような・・・(笑)。考えすぎでした。

ところで、この題名の「シン・ゴジラ」とはいかなる意味か。先の「ゴジラ Final Wars」でもうゴジラ映画は作らないと宣言したはずの東宝がまたこの映画を作ったからには、「新ゴジラ」というタイトルがふさわしかろう。だが私は、「神ゴジラ」という意味も込めていると解釈する。映画の中には確かにそのような会話がある。ただそうすると、ゴジラを神にしてしまってよいのか。私の疑問はここでも続いて行くのだ・・・。庵野監督の代表作であるエヴァンゲリオンには私は全く知識がないのだが、「シン・エヴァンゲリオン」という作品もあるようですな。すみません、そちらは何も知りません。

エンドタイトルを見て気づいた点が2つ。ひとつは、出演者(役名記載なし)の中に、岡本喜八(写真)というものがあったこと。岡本喜八はもちろん有名な映画監督であるが、写真での出演となると、失踪したとして本作には登場しない謎の科学者、牧教授しかないだろう。恐らく庵野の岡本へのオマージュということなのだろうし、ネット検索するといくつかの説が見当たるものの、庵野本人の説明はないようだ。
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それから、エンドタイトルでズラリと並んだ多くの役者の最後に出て来た名前にびっくり。よく知られたその役者の顔は、どう思い出してもこの映画には見当たらなかったからだ。実はこのネタについても、ネットでは多くの情報を取ることができるので、今更秘密でもないのだが、ここではネタバレを避けておこう。ラストに名前が出て来るくらいだから極めて重要な役のはずなのに、顔が出てこない。とすると・・・。答えは簡単だ。この姿勢にヒント萬斎、いや満載だ(そうでもないか 笑)。
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庵野のコメントによると、これ一作きりという条件で引き受けたとあるが、この映画の終結部にはカタルシスは全くない。当然のように次回作ができるように、私は思う。ご覧になった方は合意して頂けようが、あのままでは2020年の東京オリンピックのときにどうなりますか。物珍しさで外人が大挙してやってくるか、または危険と感じて敬遠するか、さてどちらであろう。そんな与太話をしながらも、もはや今日では無邪気な怪獣物も成り立たなくなっている現実に向かい合いながら、でもやはりファンタジーとしての映画作りを、映画人の皆さんには是非とも期待しています。もっと面白い映画、絶対できると思いますよ。

by yokohama7474 | 2016-08-17 21:15 | 映画 | Comments(0)

大妖怪展 / 伊藤晴雨幽霊画展 江戸東京博物館

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毎年この時期になると、かならずどこかで妖怪や幽霊の絵画の展覧会が開かれるものである。日本独特の暑さを少しでも和らげようという、先人から伝わっている納涼手段である。子供の頃からの怪奇好きの私としては、この手のイヴェントはとことん楽しみたいと思うわけであるが、今回のこの展覧会は一味も二味も違う。何せ企画をしたのがあの美術史家の安村敏信だ。安心して下さい。この方はあの「奇想の系譜」で、若冲や蕭白に注目して日本美術史の評価を変えてしまった辻惟雄(つじ のぶお)の弟子で、長らくあのユニークな江戸美術や日本絵画の紹介で知られる板橋区立美術館の学芸員を務め、最後は館長にまで登りつめた方。
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昨今、ちょっと面白そうな日本美術の展覧会や出版物でこの人の名前を頻繁に目にするが、そのような人が企画する妖怪展が、面白くないわけがない。今回も街の書店では妖怪関係の書物が並んでいて、なんとなんと、あの雑誌の Tokyo Walker が別冊を組んで、その名も「大妖怪展 Walker」。ここには展覧会の図録にない情報もあれこれあり、何よりもこの安村と、国際日本文化研究センター所長の小松和彦の対談も載っていて、興味は尽きない。
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そんなこともあってか、私が出かけたときには会場の江戸東京博物館は押すな押すなの大混雑。絵巻物の展示が多いので、この混雑には正直参った。だが、東京での会期中であっても展示替えが何度かあるし、この後9月には大阪のあべのハルカス美術館に巡回し、そこでしか展示されない作品もあるという。これは大阪で再挑戦する価値ありかなとも思っている。だがこの東京での展覧会でも、混雑の中たっぷり1時間の間、飽きることなく異形の者たちの共演を心から楽しんだ私である。これが会場の様子。どの展覧会も同じような感じではあるが、ことこの展覧会に関しては、さしずめお化け屋敷に入って行くようなワクワク感がある。ちなみに、この写真の手前の人物の顔がないが、これは心霊写真でものっぺらぼうでもなく、プライバシーの観点から私が加工したものなので、ご安心を(笑)。
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この展覧会の特色は、縄文時代の土偶から現代の妖怪ウォッチまでをカバーし、妖怪画にとどまらず、地獄絵図や幽霊画までをも広く網羅していることだ。なので、実際の題名としては、「妖怪」というよりも、「超自然」とか「怪奇なもの」がよりふさわしい内容である。その際重要なことは、展示品に数々の国宝・重要文化財を含んでいることだ。これは単に怪奇なものを描いた作品の展覧会ではなく、れっきとした本格的な日本美術の展覧会であるのだ。では早速、「大変混雑」している会場内の様子をレポートする。

まず最初に展示されているのは、江戸時代後期の天才画家、葛飾北斎の作品。北斎の長く幅広い画業の中で、怪奇なものは様々に描かれているが、これは「狐狸図」。1848年、北斎実に89歳の作品だ。白蔵主(はくそうず)という僧に化けた狐と、茂林寺の僧に化けた狸。いずれも全く怖くないが、練達の筆がなんとも味わい深いではないか。
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そして、なかなか面白いものが続く。長野県小布施市に北斎を何度も呼び寄せた豪商で儒学者でもあった高井鴻山(たかい こうざん)の妖怪画である。この小布施には見事な北斎の肉筆画が残されているほか、この鴻山の旧居なども見ることができる。私もかなり以前に一度そこを訪れた際、鴻山についての地元発行の本などを買って帰ったものだ。この、墨だけで描いた妖怪どもの風流かつパワフルなことはどうだ。こんな絵を描くことのできた豪商は、一体どのような人だったのか。久しぶりに小布施に行ってみたいなぁと思ってしまいました。
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それから妖怪画の絵巻物があれこれ並んでいる。実は展示の順番は前後するのだが、日本の妖怪絵巻として最高傑作と言われているのは、大徳寺の塔頭である真珠庵の所蔵する「百鬼夜行絵巻」。室町時代、土佐派を代表する土佐光信の筆によるものとされており、重要文化財に指定されている。私は子供の頃からこの絵巻物の中のいくつかの妖怪たちの図像に親しんできたが、ここでは長い年月を経て人間に使用されてきた様々な器具や道具に魂が宿って妖怪と化しているところが描かれている。そこにはつまり、モノを大事にする日本人の感性が如実に表れていると考えてよいだろう。幽霊に比べて妖怪は、人を脅かすことには熱心でも、人に恨みを抱いているわけではないので、どこか愛嬌がある姿に描かれているが、その直接的な表現が室町時代にまで遡るとは、本当に興味深いことだ。
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このコーナーの展示品で私の目を引いたのは、なんといっても、白隠和尚の手になる「法具変妖之図」。白隠とは江戸時代の有名な禅僧で、ユーモアたっぷりの墨絵の数々で知られるが、このように彩色の妖怪画を描いていたとは驚きだ。以下で見る通り、図像としては上記の真珠庵の絵巻物から引用しているケースが多いようだが、なんとも大らかで自由闊達。本当に楽しんで書いているのがよく分かる。ここにも禅の精神となにか通じるものがあるのであろう。
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そして、有名な「稲生物怪録絵巻」(いのうもののけろくえまき)も展示されている。これは、古い屋敷に夜ごと妖怪が出現し、あの手この手で若い侍、稲生平太郎を脅かそうとするが全く効果なく、妖怪の親玉が最後に根を上げて登場するというもの。よく少年の通過儀礼の隠喩であると解説されているが、まあ、そうであろうとなかろうと、そこで描かれた妖怪の数々は極めてユニーク。私はこの絵巻物が大好きで、これに関する画集も何冊か所持しており、3種類の写本が今日まで伝わっていることも当然知っている。今回展示されているのは、その中で最も由緒正しい、物語の舞台である広島県三次(みよし)市に伝来したもの。これ、このイメージ、なんとも凄まじいイマジネーションではないか!!因みにこの絵巻、国学者の平田篤胤も論考しているとのこと。ここには日本独自の何かがある。
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この展覧会には、地獄極楽図が多く展示されているが、この東京の長徳寺所蔵の「六道絵」は本当に楽しい。いや、怖い絵を見て楽しいなどと言っては不謹慎で、きっと江戸時代当時には、これを見た庶民が地獄に堕ちたくないという思いを抱くのが制作者の狙いであったろうが、このなんともマンガ的な鮮やかな作品には、巧まぬユーモアがある。馬に乗る地蔵菩薩とはほかで見たこともなく、庶民の間で独自に発展した地獄の責め苦とそれからの救済というイメージに、死後の安楽を願う素朴な人間の感情が表れている。でもちょっと自由すぎませんか、これ(笑)。
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今回出品されている珍品の中でも、これは大変面白い。1762年に作られた「姫国山海録」(きこくせんがいろく)という書物で、中国の地理書である「山海経」に倣って、日本各地の幻獣、妖虫を「記録」したもの。生息地は北海道から九州に及ぶらしい。これは鎌倉に出るという虫。いやそれにしても、存在しない動物の数々を、まるで見てきたような記述をしているのは、一体どんなホラ吹きか(笑)。その意図は一体何であったのか。
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これは1832年制作の「百鬼夜行図巻」から。この絵巻物の最初には、行灯のもとに集まって百物語をする人々が描かれている。そう、怪奇譚を100続け、最後に蝋燭を吹き消すと怪奇現象が起こるという、あれだ。江戸時代末期の人たちは、外国の脅威を感じるまでは日常生活にそれほど危険がなく、このようなのんきな娯楽を考えたということか。それにしても、いろんな妖怪を考えるイマジネーションは素晴らしいものだと思う。
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鹿児島を舞台に、勇敢な若侍、大石兵六(おおいし ひょうろく)が妖怪たちと戦いながら、人を化かす狐を捕まえるという「大石兵六物語絵巻」(18世紀)。この顔の長い妖怪はぬっぺっぽうと名前がついているが、まるで表面が曲がった鏡に写った顔のようで、一度見たら忘れない。
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実は鹿児島には、この兵六をキャラクターとしたお菓子、兵六餅というものがあるらしい。なるほどこれか。調べてみると、やはり鹿児島名物であるボンタン飴(なぜかでっかいパッケージをNHKホールの売店で売っているのが前から気になっているが・・・)と同じメーカーの製品であるらしい。郷土の誇りでしょうな。
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ここから幽霊画の展示コーナーに入る。昨年9月5日の記事で、谷中全生庵の幽霊画コレクションの展覧会を採り上げたが、今回もその全生庵からの出品もある。だが、これまでに見たことのない幽霊画で、なかなか面白いものがあったのでご紹介する。まずこれは、勝川春章(このブログでは何度もその名前が登場する、肉筆の美人画を得意とした画家だ)の手になる「雨中幽霊図」。いやー、とても春章の作品とは思えないくらい怖いですなぁ。この長い顔が、超自然の存在であることを意味しているのだろう。決して下手だから顔が長くなっているのではないことは、春章の作品をあれこれ見てきた私が保証します(笑)。
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これも一度見たら忘れない異様な作品。夕岳(ゆうがく)という画家の「提灯に幽霊」。明治末か大正の、20世紀に入ってからの作品らしい。この場合はもしかして、画家の技量の問題で顔が大きくなってしまったのかも(笑)。でもすごい迫力だ。福島、南相馬市の金性寺の所蔵する幽霊画コレクションのひとつ。
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それから、沢山の錦絵による妖怪変化の図像がズラリ。よく知られた北斎の「百物語」(と言いながら現在までわずか5作品しかシリーズが確認されていない)や、「相馬の古内裏」をはじめとする歌川国芳の逸品が並ぶ。その中でいくつかご紹介する。これは国芳の「竹沢藤次曲独楽 お岩稲荷怪談廻り」(たけざわとうじきょくごま おいわいなりかいだんまわり)。竹沢藤次とは、江戸に大きな見世物小屋を構えて、コマ回しとゼンマイ仕掛けのからくりで大評判になった興行師であるようだ。右端の巨大な顔は、累(かさね)であるらしい。きっとこのような大きな首をからくりで動かしたのであろう。洋風の隈取りで表されているが、実際にもこんな感じだったのであろうか。
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国芳の数々の作品に続いては、月岡芳年の登場だ。彼の活躍は既に明治にも入ってくるのだが、「血まみれ芳年」と呼ばれた天才絵師の面目躍如とする作品がいくつも展示されている。これは、舌切り雀に材を採った「おもゐつゝら」、つまりは重いつづら。この爺さんの表情、リアルすぎる。
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この展覧会は、時代を行ったり来たりして、題材も一部繰り返しの部分があるのだが、次のコーナーは「版本の妖怪」。江戸時代を中心とする印刷物の中の妖怪の描かれ方が紹介されている。ここで出てくるビッグネームは、もちろん鳥山石燕(とりやま せきえん)。18世紀後半から19世紀前半、数々の出版物で妖怪を名前入りで紹介した。これはきっと庶民に大うけだったのではないだろうか。この図像は水木しげるにも直接の影響を与えていて、私も子供の頃に読んだ妖怪図鑑の数々では、このような石燕のイメージそのままか、それを水木しげるが若干アレンジしたものが沢山掲載されていたものだ。これぞ妖怪図像のスタンダードであると思うが、百鬼夜行の類の巻物に描かれた妖怪よりは、ちょっとリアルな怖さが含まれている。背景がどれも日常にあるものばかりだからということもあるのかもしれない。
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と思っているとなぜか展覧会はここでまた絵巻物と、一部は屏風絵に戻る。おなじみの土蜘蛛や大江山の酒呑童子が、源頼光とその配下の四天王に、バッタバッタとなぎ倒されている。
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実はこのあたりは既にあまり会場の混雑もなく、ある意味でクライマックスになっている迫力の作品の数々が、比較的楽な環境で鑑賞できる。もしかして、それを見越しての作品陳列であったのか??? まあ中には、この平安時代の「沙門地獄草子断簡」のように、その残虐度において子供には見せられない作品もあるので、その配慮もあるのかもしれない。いやそれにしても、いかに地獄の鬼たちの所業とはいえ、なんとも残酷ではないか。12世紀のスプラッターだ。
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最後に、お口直しという意味で、非常にユニークな図像をご覧頂こう。「熊野観心十界図」(くまのかんしんじっかいず)。画面中央に「心」の文字があり、その上に何やらアーチ型の橋が架かっている。実はこれ、右から左に向けて人間が歩行するうちに成長して年を取るところが描かれているのである。この写真では切れてしまっているが、下の方には地獄の風景。真ん中には地蔵や阿弥陀の姿も見られる。女人救済を強調するもので、同様の作例は多いとのことだが、私の目にはこれはまるで、西欧中世の写本のように見える。いつの時代にも、独特のヴィジョンを持った芸術家はいたのだなと実感する。
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さて展覧会はその後、いくつかの土偶と、妖怪ウォッチャーのキャラクターたちの展示があって締めくくられる。土偶を妖怪に分類するのは若干無理あるものの、日本人が大昔から持っていた神秘のヴィジョンの再確認という意味では、まあ理解できる。一方、私は妖怪ウォッチャーに関する知識はほぼゼロであり、別に知りたいとも思わないが(笑)、まあ、企画上、子供を呼ぶためには致し方なかったのかなぁと、少し戸惑いを覚えたのは事実。企画全体にも関係することだが、これだけの意義深い展覧会であれば、あまり子供向けの要素を入れない方がよかったのではないか。図録の作り方はまるで子供向きであって、それは本来の展覧会の趣旨と、果たして合致したものであったか否か。この点のみ、正直なところ少し違和感を禁じ得なかった。

さて、同じ江戸東京博物館で、ほかにも2つの特別展示がなされていたので、それも観覧した。ひとつは、江戸無血開城に貢献した山岡鉄舟に関するもの。もうひとつは、伊藤晴雨という画家が残した幽霊画である。鉄舟については、昨年9月5日の全生庵についての記事で少し触れたが、その全生庵自体、鉄舟が、明治維新に準じた人たちの菩提を弔うために開いた寺なのである。たまたまなのかどうなのか、その寺は落語家の初代三遊亭圓朝が集めた幽霊画を所蔵しているのであるが、ここに、五代目柳家小さん(1915-2002)のコレクションであった伊藤晴雨の幽霊画が寄贈され、今回はそれをまとめて展示しているもの。全部で19点あり、まとめて公開されるのは今回が初めてなのかもしれない。実は私の中にはおぼろげな記憶があって、昨年全生庵に行ったときに、小さんのコレクションと称する作品を何点か見たような気がするのだが、定かではない。いずれにせよ、今回の全幅まとめての公開は大変貴重な機会なので、大妖怪展をご覧になる方には是非お勧めしておこう。

伊藤晴雨(1882-1961)は、一般にはさほど知られた名前ではないかもしれないが、琳派の絵師に弟子入りした画家で、本の挿絵等々、幅広い活躍をしたが、最も知られているのは、アンダーグラウンドな分野、すなわち女性の緊縛等を描いた作品の数々だ。それゆえ画家としての晴雨に対して世間の偏見が存在すること自体は致し方ないが、私は以前、芸術新潮誌で晴雨の特集を読んで、そのイメージが一新したものだ。彼は幽霊画も数々描いているようだが、そこには確かな描画技術と、見る者をぞっとさせるような情緒面への訴えがある。それだけの技量のある画家であったということだ。

会場で売られていた画集の表紙はこれだ。銀色の縦に長いハードカバーで、厚みはさほどない。ちなみにこの作品は、「真景累ヶ淵」。
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これは「姑獲鳥」(うぶめ)。子供を抱えて顔を見せない羽のある妖怪の姿に、深い情念を感じる。まるでデッサンのような軽さに画家の確かな技術が表れている。
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かと思うと、ユーモアもある。これは「盂蘭盆会の亡者」。足つきのナスやキュウリにまたがって、楽しそうではないか。しばしの現世回帰に、自分たちが死んでいることを忘れているのではないか。
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これはまた、非現実的恐怖を味わえる作品。「東海道四谷怪談 深川三角屋敷の場」。お岩が死ぬときに着ていた着物を洗っていると、中から櫛を持った手がニュッと出てくるという歌舞伎のシーンに基づくもの。長い腕に強い恨みがこもっている。
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このように、大妖怪展と併せて見ることで、怪奇を描く表現力には様々なものがあるということを実感できる、よい展覧会であった。今後全生庵ではこのコレクションも併せて公開して頂ければありがたいと思います。晴雨の作品だからというわけではないが、決してお子様向け展示にはしないで頂きたい(笑)。


by yokohama7474 | 2016-08-17 01:15 | 美術・旅行 | Comments(0)

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 (ジェイ・ローチ監督 / 原題 : TRUMBO)

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東西冷戦体制が崩れてからはや四半世紀。映画の世界においても、冷戦時代にテーマを求める作品が多くなっているように思う。今すぐに思いつくだけでも、スピルバーグの「ブリッジ・オブ・スパイ」やコーエン兄弟の「ヘイル、シーザー!」がそうであり、いずれも質の高い役者を起用した最近の映画である。そんな中、この映画も、やはり非常に質の高い役者陣によって、今後ハリウッドの赤狩りを考えるに当たっては無視できないであろう映画になった。いや、訂正しよう。どこの誰であれ、冷戦期を専門として研究している学者でもない限り、「ハリウッドの赤狩りを考える」機会そのものが、日常の生活の中では極めて稀であろう(笑)。ではこの映画は極めて稀な人にしかアピールしないのか。全くそんなことはない。個々人では抗えない大きな社会の流れの中で、人はいかなる発想をもっていかに行動すべきなのか、その難しい問いかけに対するひとつの答えを提供する映画であり、様々な人間像をリアリティをもって描き切った秀作である。シネコンでは大作お盆映画のいくつかに押されて上映回数は極めて限定的になってしまっているが、私が見た数日前時点で、日比谷のTOHOシネマズシャンテでは、一日に数回の上映が継続しており、しかも私の見た回は、最前列にまで人が座る超満員状態。やはりこの映画館は、現代日本における映画の良心の生き続ける場所。まだこの映画をご覧になっていない方は、是非シャンテにお急ぎ下さい。

そもそも題名のトランボとは何かと言えば、人の名前である。ダルトン・トランボ(1905 - 1976)。まさに赤狩りの時代、1950年代を中心としてハリウッドで活躍した脚本家である。あの名作「ローマの休日」と、それから日本ではあまり知られていない(私も見たことがない)「黒い牡牛(原題 : The Brave One)」とで2度、アカデミー脚本賞に輝いている。但し、共産党員であることを公言して憚らなかったトランボは、刑務所に収監された時期もあり、脚本家としての才能は明らかなのに仕事を得ることができず、アカデミー賞受賞作品においても、偽名を使わざるを得なかった。この映画では、そのトランボの1947年から1970年代までの激動の生涯が描かれている。まず、本物のトランボさんの写真からご紹介する。このようにバスタブに入って構想・執筆する習慣があったらしく、映画の中でもそのまま再現されている。また、エンドタイトルでは、本人の肉声を聴くことができる。
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様々な民族が集まって形成されているアメリカ合衆国においては、自らの属する集団の利益のため、いかなる方法で他の集団と共存して行くのか、あるいは共存しない選択肢を取るのか、というテーマは極めて重いものであり、それゆえに、1950年代にハリウッドを席巻した赤狩りという現象は、いかにも米国らしい汚点と言えるように思う。第二次大戦終結とともに、それまでの同盟国から直接的な敵となったソヴィエト・ロシアの脅威のもと、まずは1950年に勃発した朝鮮戦争で東西陣営の激突が起こったわけであるが、そのような世界の動きの中で、夢を売るのが商売であったはずのハリウッドで、共産主義者の摘発・迫害が激化したわけである。そもそも、共産主義者はスパイだから国家への裏切り者であるという定義がなされたのに対して、国益のためと称して同志を売った共産主義者もまた、裏切り者との汚名を着せられたわけである(エリア・カザンの例が有名だ)。これはなんとも複雑なことではないか。戦争中にはファシズムをあれだけ嫌悪した自由の国で、ファシズムまがいのことが起こってしまったことを、21世紀の我々はいかに評価すべきであろうか。これは間違いなく誰にとっても難問なのであるが、上に書いた通り、この映画で描かれているトランボの考えや行動に多くのヒントを与えられるということは、取りも直さず、この映画では「人間」という存在の尊さと危うさが充分に描かれているということだ。

このブログは政治史についてのゴタクを書くのが趣旨ではないので、映画の話に戻すと、まず主役を演じるブライアン・クランストンの存在感が素晴らしい。
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もともとテレビドラマで人気を博した役者のようで、最近の出演作のリストには私が見た映画も何本かあるが、いずれも思い出すことができない。つまり、それなりの規模の映画で、主役としてこれだけ重要な役を演じたことは、これまであまりないのではないか。この役は、例えば最近のゲイリー・オールドマンならうまく演じるだろうし、実際、映像を見ていても彼そっくりに見えるシーンも多々ある。だが、ゲイリー・オールドマンには既に数々のヒット作でのイメージができてしまっているので、実在の人物を描くこの映画においては、このブライアン・クランストンの起用の方が新鮮だし、実際に成功であったと思う。ここでのトランボ像には、娘であるニコール・トランボ(エンドタイトルには、この映画のコンサルタントとして名前がクレジットされている)の目を通した父親像が基本にあることは明白である。共産主義者であることを隠すこともないが、過激な行動に出ることもないトランボ、また、友人には温かく接するが、友人の行為に対しては冷ややかに見ることもできるトランボ、家族を何より大事に思っているが、ここぞというときには仕事の鬼と化すトランボ。ユーモアと深刻さが錯綜するそのような複雑な人格を、本当にリアルに描いていて素晴らしい。

そして、妻を演じるダイアン・レインが、失礼ながら予想外に素晴らしい!! というのも、最近のスーパーマンシリーズ(私が酷評した「バットマンvsスーパーマン」を含めて)でのクラーク・ケントの母親役は、なんとも疲れた田舎のオバチャンという感じであるところ、この映画では、献身的に夫を支えながらも自己の内部で葛藤を抱えるクレオ夫人を、美しく、しかも気品と味わいをもって演じている。昔の子役時代から長い時間を経て、年相応の役を演じることができる女優に大きく成長したわけである。因みに私と同い年である(笑)。
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そして、強硬な反共産主義者としてトランボの敵となる役でありながら、不思議と憎めないジャーナリストを演じるヘレン・ミレンがまた素晴らしい。この人ならこう演じてくれるだろうという期待そのままだ。
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そしてそして、この人を忘れてはいけない。トランボの娘ニコラを演じる、エル・ファニング。
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日本ではどの程度知名度があるか分からないが、かつてスピルバーグの「宇宙戦争」などで子役として活躍したダコタ・ファニングの妹である。姉ダコタは1994年生まれで、このエルは1998年生まれ。今でも多分姉の方が有名であると思うが、私は2011年公開のJ・J・エイブラムスの「Super 8」で、これは姉よりすごい子役かも、と思い、同じ年のコッポラの「ヴァージニア」(どういうわけか、公開にあたってはあまり大々的に宣伝されなかったが、今日に至ってもコッポラの最近作だ)で、ほほぅこれはやっぱり、と思ったものである。その後「マレフィセント」などにも出演していたが、今回のような等身大の女性を演じるのは珍しいのではないか。上記の通り、ここで彼女の演じるニコラは、映画全体におけるトランボの人間像に大きく影響する重要な役だ。エル・ファニングについて実在のニコラ・トランボは以下のようにコメントしている。

QUOTE
ファニングはとても強い人です。10代の頃の自分がアイデンティティを探りながらどう感じていたかを彼女に伝えました。私が想像する当時の私を、ファニングは正確にとらえてくれました。当時の私を生き返らせたようでした。
UNQUOTE

役者として、自分がその役を演じた実在の人物からこんなコメントをもらえるとは、冥利に尽きることだと思う。因みにファニングは別インタビューで、「ニコラはとても強い人」とコメントしていて、お互いの強さをたたえ合っているのが面白い(笑)。この映画でのニコラは、父トランボに似て、居丈高にまた声高に何かを主張するわけではなく、自制心と客観性をもって自らの信念を貫く人として描かれているが、そういう人が本当に強い人なのでしょう。

それから、私の大好きなジョン・グッドマンが、いつもの通りここでも面目躍如であり、もう何も言うことはありません(笑)。
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こんなに素晴らしい映画を作った監督はジェイ・ローチという1957年生まれの米国人。経歴を見ても、これまであまりメジャーな映画を監督しているようには思えないが、唯一の例外は、「オースティン・パワーズ」の3作。あの下品なパロディ・スパイ映画には全く良識がない、全くけしからん、と怒りながらも、3本とも喜んで劇場で見ている私としては、何やら複雑な思いである(?)。
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脚本家をめぐるこの映画の脚本を書いたのは、本作の製作も手掛けたジョン・マクナマラという人物であるが、彼の師匠はイアン・マクラレン・ハンターという脚本家であったらしい。実はこのハンターという人物の名前が、「ローマの休日」には脚本家としてクレジットされているのだ。ハンターはマクナマラに、実際にこの名画の脚本を書いたのは自分ではなく、トランボであると告げたという。つまりこの映画には、赤狩りをめぐって実際に起こったことの残照があるということだ。それは何か特別なことではないだろうか。

さて、映画自体から少し外れて、書いてみたい話題が2つ。ひとつは、この映画の後半で重要な役割を果たす「スパルタカス」という映画について。言うまでもなくこれは、あの天才スタンリー・キューブリックの監督作ではあるものの、とても彼らしくない歴史物の大作で、キューブリック自身は自らの作品として終生認めていなかったと言われているのは周知の事実。実質的には、主役と製作総指揮も担当したカーク・ダグラスが仕切った映画であったのだが、この脚本には、ダグラスの決断で、トランボ自身の名前がクレジットされた。これは1960年のことで、この映画にも描かれている通り、同じ年に公開されたオットー・プレミンジャー監督の「栄光への脱出」とともに、いわばハリウッドにおける赤狩り時代の終焉を世間に告げることとなった作品のようである。もちろん、裏切り者扱いされていた共産党員の実名を出すことには大変な勇気が必要であったはずであるが、そのカーク・ダグラスの作品にかける思いは、この「スパルタカス」からヒシヒシと伝わってくるのである。私がこの映画を劇場でのリバイバルで見たのは、もう25年前の1991年であったが、大変な感動を覚えたのをつい昨日のように思えている。手元に当時のプログラム(1968年の最初のリバイバル時のものの復刻)を持ってきたので、見て頂きたい。
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ここに見られる「文部省選定」というお墨付きは、私にとっては「じゅげむじゅげむ」という呪文以上の意味は持たないが(笑)、このカーク・ダグラスの精悍な表情はどうだ。因みに映画「トランボ」の中でも、大変よく似た俳優に演じさせていて、なかなかよい。このプログラムには、映画評論と音楽評論の双方を手掛けていた岡俊雄による1968年当時の文章が載っているが、「スタンリー・キューブリック」のことを「スタンリイ・カブリック」と表記してあって、何やら時代がかっている。
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チェックしてみたところ、この岡俊雄の文章の中に、脚本のトランボについて触れた部分もある。「アメリカの左翼的歴史文学者として有名なハワード・ファストの原作をとりあげ、脚本を一時ハリウッドの赤追放にひっかかっていたダルトン・トランボの手にゆだねた」ことが、奴隷革命映画としての史劇スペクタクルになった原因だと述べられている。やはり、カーク・ダグラスのやったことの意味は非常に大きかったのだ。ちなみに今回調べて分かったことだが、このカーク・ダグラス、未だ現存しているのだ!!今年実に100歳になる。今や、息子のマイケル・ダグラスでさえ癌にかかったりしている中、すごい生命力だ。改めて敬意を表しよう。

もうひとつの話題は、トランボの友人でありながら、仲間の共産主義者たちの名前を公聴会で明らかにする「裏切り者」の俳優、エディ・ロビンソンが所有する絵画について。彼は実在の人物であるそうだが、裕福な家庭の出身なのであろう。劇中で仲間内が会合する彼の邸宅には、印象派を中心とする美術コレクションが飾られているのだが、ゴッホの有名な「タンギー爺さん」が一旦売りに出されて、「裏切り行為」の後、エディの羽振りがよくなるとまた戻ってくるというシーンがある。今回、帰宅して手元のゴッホの画集を調べてみると、ゴッホの描いたタンギー爺さんの肖像は2点あって、ひとつはパリのロダン美術館蔵。もうひとつは「個人蔵」とある。この絵だ。
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本当にこの絵をハリウッドの俳優が所有していたことがあるのだろうか。ちなみに、私が画集で調べた以上のことを今はネットでホイホイと簡単に調べることができる。なんとWikiでは、ゴッホの全作品を、その多くは画像つきで見ることができるのだ!!おまけにサイズや制作年や所有者も記載されていて、いや全く、こんなに便利だと人間、バカになってしまう(笑)。それによるとこの「タンギー爺さん」はギリシャの海運富豪であるスタブロス・ニアルコスのコレクションに入っていたらしいが、現在ではそれも実は明確ではないらしい。もしこの愛すべき作品が数奇な運命を辿っているとするなら、その発端は、もしかするとハリウッドの赤狩りの間接的な影響なのだろうか・・・。

と、毎度のごとく快調に脱線したので(?)、もうこのあたりで「トランボ」について語るのはやめておこう。ひとつ確かなことは、考えるヒントが沢山含まれた作品であるということだ。映画史に知識のない人であっても、一見の価値ありと思います。

by yokohama7474 | 2016-08-16 00:36 | 映画 | Comments(0)

聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画 国立西洋美術館

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つい先日上野に赴いて、芸大の美術館で滋賀県長浜市の仏像の展覧会を見た日、いくつかほかの展覧会を見る選択肢があった。東京国立博物館での古代ギリシャ展、東京都美術館でのポンピドゥー・センター展と、それからこのメッケネムというあまりなじみのない画家の展覧会である。特にこの展覧会は、ル・コルビュジェの設計した建築として先ごろ世界遺産入りを果たした国立西洋美術館での開催である。これまでに、もう数えきれないほど足を運んだ場所ではあるが、やはり世界遺産に登録されたことは喜ばしいし、このドイツの古い版画は面白そうだ。・・・とは思ったものの、その日はたまたま大変暑かったので、上野公園の中を歩いているうちに気持ちが萎えてきてしまい、結局どの美術館を訪れることもなかったのである。それから一週間ほど経過した日のこと、たまたま中学一年生の甥っ子(サッカー少年)と話していたとき、上野公園が話題になった。「オレ、この間行ったよ。上野公園」と言うので、てっきり動物園でパンダでも見たのかと思いきや、次の一言が私を驚かしたのである。「あの、あれ見たんだよ、メッケネム」・・・な、なに?! 中一の分際で、おじちゃんの未だ見ていないドイツ版画展を見たというのか??? 聞いてみると、夏休みの自由研究用であるという。なるほどなるほど、そういうことならこちらも負けてはいられない。意を決してでかけることにしたのである。現地に行ってみると、世界遺産登録を祝う日本語・英語ののぼりがあちこちに掲げられている。
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さてこの展覧会であるが、上記のポスターの雰囲気からして、恐らくはドイツで宗教改革が起こった頃、それは取りも直さず、グーテンベルクが印刷術を発明した後の時代の版画がテーマであるようだ。そして思い出したことには、以前やはりこの西洋美術館でドイツの古い版画の展覧会を見たことがある。そう思って書棚を探してみたところ、出てきたのは1995年に開かれた「宗教改革時代のドイツ木版画」という展覧会の図録である。どうだ、おじちゃんは中一のサッカー少年が生まれるよりも早く、この時代のドイツの版画に注目していたのであるぞ。・・・といばっても、今どきの少年には通じないだろうなぁ(笑)。これがその展覧会の図録。ゴータ市というドイツの地方都市のコレクションによるものであった。
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この図録をパラパラと開いてみても、今回の展覧会の主役であるらしいメッケネムという画家の名前は出てこない。ということは、私にとって初めて目にする画家ということになるだろう。その意味では中一の甥っ子も私も、スタートラインは同じなのである。イスラエル・ファン・メッケネム(1445頃 - 1503)は、ドイツ北西部、オランダとの国境近くのボッホルトという街に生まれた銅版画家であり金銀細工師である。これは大英博物館の所蔵になる、画家自身が描いたメッケネム夫妻の肖像。芸術家の矜持と社会的成功への誇りが感じられるような気がする。当時銅版画は最先端の技術であったらしい。
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彼が活躍した15世紀末から16世紀という時代はもちろん、中世が終わりを告げ、イタリアを中心にルネサンスが花開いた頃である。美術に関しては(当時は経済もそうであったのだが)イタリアはヨーロッパでも最先端であったわけで、このメッケネムと同世代のイタリアの画家と言えば、1452年生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチがいる。だがドイツにもルネサンスを代表する有名な画家はいて、ひとりはアルブレヒト・デューラー (1471年生まれ)、もうひとりはハンス・ホルバイン息子(1497年または98年生まれ)だ。このメッケネムはデューラーやホルバイン父よりもさらに一世代上だと認識すれば、時代環境のイメージが沸くであろうか。メッケナムの現存作品は500点ほどあるようだが、その多くは他の画家の構図を拝借したコピーであるという。現在の考え方では、芸術家にはオリジナリティが不可欠であって、オリンピックのエンブレムを他人の作品に倣ったりなどすると、世間のバッシングは凄まじいものがあるのであるが、当時は著作権の考え方など未だない時代。むしろ、他人の創造したイメージをうまく活用することで、ある構図が広範囲に普及するという点においては、オリジナルの構図を作った画家にとっても意味のあることだったようだ。メッケネムが模倣した先行画家のひとりは「E.S.の版画家」という逸名の画家(メッケネムの師匠であったとされる)。もうひとりはマルティン・ショーンガウアーという画家である。前者はアルザス地方、現在フランス領であるストラスブールの出身。後者もやはりアルザス地方のコルマール(あのマティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」がある街だ!!)の出身。加えて、デューラーは中部のニュルンベルク、ホルバイン父は南部のアウグルブルクの出身と、この時代のドイツの画家たちの活動した地域は異なっているので、同様の構図の作品が流通することで、ドイツ国内の文化レヴェル全般の向上に貢献したのではないであろうか。
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さてでは、具体例をいくつか見てみよう。まず、E.S.の版画家による「マリアのエリザベト訪問」と、それをコピーしたメッケネムの同名作品。
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このエリザベトとはマリアの親戚で、マリアと同時期に妊娠しており、そのおなかの中の子はのちの洗礼者ヨハネである。ご覧の通りこれら2作品は左右が反転している。その理由は解説書には見当たらないが、完成作の版画を見て、それを手本に版下を作ると、自然とこういうことになろう。但し、この2作は細部にはあれこれ違いがあって面白い。但し、メッケネムの初期の作品らしく、線が堅いように思われる。尚、メッケネム作品の屋根が赤いのは、後世の画家による修正である由。

次は同じくE.S.の版画家とメッケネムの「聖バルバラの殉教」。
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これは左右反転していないが、理由は恐らく、処刑する人物(聖バルバラの父、ディオスクルス)が右手に剣を持つ必要があったからだろうとのこと。反転していない構図も、やればできるじゃないか(笑)。ここでもやはり師匠の腕の方が上に見えますね。

ところがこれはどうだろう。ショーンガウアーの「聖母の死」と、メッケネムによるそのコピー。
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このショーンガウアーの作品は発表当時から人気を博したものであるらしく、細部の表現が素晴らしいが、ここでメッケネムは、やはり左右反転の構図ながらも、ひとつ重要な違いを生み出した。それは瀕死の聖母の表情だ。オリジナルのショーンガウアー作品では既に意識なく弱々しく見えるが、メッケネム作品では未だ目を開いて蝋燭をしっかり握っている。

メッケネムの宗教作品をさらに2つ。いずれもオリジナルに倣ったコピー作品のようだが、「聖アントニウスの誘惑」と「聖アグネス」。前者の悪魔に表された奇想が面白いし、後者の衣の表現も手が込んでいる。
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さてこれは少し複雑な構図の作品、「聖グレゴリウスのミサ」。ミサの途中にキリストの姿が顕現した奇跡を表したものであるが、聖堂内の様子といい、群像の処理とといい、よく描かれている。実はこの作品、免罪符として使用された銅版画として最初期の例であるらしく、本来は画面の下に、熱心に祈りを唱える者は2万年(!)分の煉獄での罪が免除されると銘記されていたとのこと。カトリック教会による免罪符の濫発に反旗を翻したのが、ほかならぬドイツ人の宗教改革者マルティン・ルターであったわけで(来年2017年は宗教改革500周年だ)、そう考えると、ドイツでの印刷術の発達が、宗教改革を必要とするような教会の堕落を作るきっかけとなり、また同時に、それに抵抗したルターの活動自体も、やはり発達した印刷術に支えられていたということがよく分かる。
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メッケネムの宗教画の興味深い例を最後にもうひとつ。彼が最晩年に手掛けたとされる「磔刑」と、その版画に100年以上後に別の画家が彩色したものだ。メッケネムの作品が100年経っても高い人気を保っていたことの例であろう。
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さて本展のタイトルは、「聖なるもの、俗なるもの」であって、冒頭のポスターには「いつの世も、人間は滑稽だ」というコピーが記されている。ここまで見てきた宗教画には滑稽な要素はあまりないが、実はこの展覧会、ここからが面白いのだ。様々な世俗的なシーンが描かれているが、これらの多くは宗教画とは異なりメッケネムのオリジナルが多いとのこと。うーん、やはりこの画家、聖より俗により親近感を持つ、かなり人間的な人であったのではないか(笑)。

これは「詩編と格言の図解」。5人の人物それぞれに教訓的な格言が添えてある。例えば右端の人物は道化師で、猫を可愛がっている。猫は道化師の顔を舐めて愛想を振りまいているが、次の瞬間には背中に爪を立てるだろうという教訓。猫に甘えられて嬉しそうな道化師の顔は、次の瞬間には苦痛にゆがむことになるわけだ。
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これは展覧会のポスターにもなっている「モリスカダンス」。題名はムーア人(モリスコ)たちの剣舞を起源とする中世ヨーロッパの民衆の踊りである。画面奥の中央にいる女性に対して多くの男性たちが求愛の踊りをしている。この熱狂と皮肉。肉体表現の躍動感に溢れていること。まさに人間世界の滑稽さを表しているではないか。
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メッケネムの視線は、民衆の日常生活にも注がれ、数々のアイロニーあふれる作品が残されている。これは「ズボンをめぐる闘い」。右下の地面に落ちた布を男性が拾おうとしているところに、女性が意地悪な笑みを浮かべて箒を手に殴り掛かっている。この布はズボンで、男性の権力を表しているらしい。当時夫にあると認識されていた家庭の支配権を妻が力づくで奪い取るところ。おー、なんと恐ろしい(笑)。
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ほかにも男女関係に関する皮肉を含んだ作品がいくつもあるが、もしかしたら中一の甥っ子がこの記事を見るかもしれないので、教育的配慮でこのあたりにとどめます(笑)。ご興味ある向きは、是非会場でご確認を。当時の民衆は、このような皮肉たっぷりの版画を見て、ニヤニヤ笑ったものであろうか。

この画家のドラマ性という点も見てみたいので、また少し毛色の変わった作品をご紹介する。これは「ユディト」。旧約聖書に出てくる、巨人ホロフェルネスの首を切ったあの女性である。優雅な姿勢で平然と侍女に生首を持たせるユディト。テントの中には首を失ったホロフェルネスの遺体。左奥の戦闘は、ホロフェルネス死後の戦況の一変を表しているとのこと。なかなか侮れないドラマティックなシーンを作り上げているではないか。
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宗教画であっても、同様のドラマ性を感じさせる作品が多く残されている。これは連作「受難伝」から「哀悼」。十字架から降ろされるキリストである。一見古雅ではあるが、迫真の筆と言ってもよい独特の表現力を感じる。
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会場には、金銀細工師としての顔も持っていたメッケネムの活動を偲ばせる参考作品もいくつか展示されているが、私が面白いと思ったのは、それよりもデザインの見本である。いくつかオーナメントが展示されているが、これは「花と8人の野人のオーナメント」。上部には蜂と蜘蛛が花に張り付いていて、その花びらの下には2組の男女が助け合って登っており、そのさらに下では、4人の男たちが争っている。欲望に身を委ねることへの警告という内容であるらしい。でも、例えば宮殿の広大な壁にこのような妙な模様が入っていても、ちょっと気づきませんよね(笑)。
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そんなわけで、私としては初めて知る銅版画家の、まさに聖と俗とをともに併せ呑む逞しさを充分に堪能した。いつの時代にも、またどの場所であっても、人間には様々にリアルな感情があり、社会的な営みがあり、つらいことや楽しいことを繰り返して生きてきたのだなということを、改めて感じることのできる機会であった。この記事を、そのまま中一の甥っ子の自由研究に転用して欲しいくらいである。20年以上前の展覧会に触れている点で、即刻アウトであるが(笑)。

by yokohama7474 | 2016-08-15 02:35 | 美術・旅行 | Comments(0)

東京・上野 びわ湖長浜 KANNON HOUSE

つい先日、8/8(月)の記事、滋賀県長浜市の仏像の展覧会について採り上げたが、その記事の最後に、その長浜市が東京の上野で最近オープンしたばかりの「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」について触れたばかり。たまたま上野に出掛けた際にこの場所に行ってみようと思い立ったので、今回はそれをレポートする。

そもそも上野の不忍池にある弁天堂は、琵琶湖に浮かぶ霊場で日本三弁天のひとつとしてつとに名高い竹生島(ちくぶじま)を模して造られたものである。その不忍池のほとりに、本家本元琵琶湖東岸の街である長浜から、順番に観音様がおいでになるというこの企画、素晴らしいではないか。不忍池を琵琶湖に見立てるなら、きっと不忍池のすぐ横から入れるかと思って池のほとりを歩いて行くと、あ、あったあった、KANNON HOUSEの表示!!だがよく見ると、ちょうど建物の裏側であって、やはり池の側に入り口はない模様だ。まあ、保安上はその方がよいですな。
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気を取り直して表の方に回ってみる。これが KANNON HOUSE の入っているビルの入口だ。APAホテルの向かって左隣。雑居ビルの1階なのである。
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こじんまりした佇まいだが、黒を基調としたデザインがなかなかオシャレである。さて、どのような観音様との出会いが待ってるのか、ちょっとワクワクする。中に入ると、受付の女性が丁寧に応対してくれる。入場は無料である。そして右手奥のスペースに進むと、そこには長浜の紹介ビデオや展示されている仏像や長浜の習俗についてのパネル、あるいは本やチラシによる長浜の案内情報が並んでいる。未だできてから日が浅いので、なんとも清潔感があって心が落ち着く。
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そして、木が格子状になって三方を囲んでいるスペースに、ガラスケースに入った観音様の姿が見える。現在展示されているのは、尊住院(そんじゅいん)というお寺の聖観音像。大変小ぶりだが、なんとも優しいお顔の観音様だ。平安時代の作である。
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この場所で嬉しいのは、まずひとつはガラスケースの中の観音様を、360度どこからでも身近に拝観できること。それから、フラッシュをたかなければ撮影自由であることだ。私の場合、ガラスケースに張り付くようにして(笑)ぐるりからじっくり拝観したあと、係の人に確認して、観音様のお姿を撮影させて頂いた。なんとも凛とした佇まいではありませんか。きっと何百年も村の人たちに大切にされてきたのだろう。
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日本人の多くは普段は全く宗教心がないにもかかわらず、不思議なことに、神社仏閣や、言うところのパワースポットに出掛けると、多くの人が賽銭を奉じている。それはまあ、結構なことかもしれないが、もしかすると、ほかの人もやっているから自分もやらないと気が済まないという日本人独特の習性なのではないか、と懐疑的に思うこともままある。その意味で、このKANNON HOUSEの一つの見識は、賽銭箱を置いていないことだ。ここで順番に展示される仏様は、地元で長い期間に亘って篤い信仰の対象となってきたわけで、滋賀県から遠路はるばる東京まで出開帳におでましになって、ここではちょっと普段と違ったお姿で滞在されることになる。賽銭箱がないがゆえにかえって、物見遊山の雰囲気がなくなり、東京の我々は、彫刻としての観音像を虚心坦懐に鑑賞することができる。だが逆説的なことではあるが、その虚心坦懐な鑑賞の結果、最終的にはやはり、何か人智を超えた尊いものを感じることができるような気がする。これが数百年の星霜を越えてきた仏像の持つ力でなくてなんであろう。その意味で、このKANNON HOUSEは、慌ただしい日常からほんの一瞬でも解放してくれる、貴重な場所であると思う。因みにこの尊住院の聖観音は6/7(火)から展示されており、9/4(日)で展示終了、9/5(月)は定休日で、翌9/6(火)からは次の仏像、常楽寺の聖観音像に交代になる。地元の人たちにしてみれば、篤く信仰している仏様が東京に出張されることは複雑な気持ちかもしれないが、多くの人で溢れる大東京で、様々な癒しを人々に与えて下さると思うと、本当にありがたいことだ。このKANNNON HOUSE、毎週金曜の17時から30分間は室内の灯りを消して観音像だけを浮かび上がらせる特別ライトアップを実施しているとのこと。是非一度、その静寂に満ちた空間を体験してみたい。

この場所を訪れたあと、上野公園の方に上がってみた。不忍池と弁天堂を見下ろすと、お盆休みで多くの人で賑わっている。この平和な風景は、もしかするとありがたい観音様のご利益によるものかもしれませんね。このKANNON HOUSE、あまり多くの人が押しかけて騒がしくなって欲しくはないものの、その一方で願わくばこの長浜市のユニークな試みが、多くの人に認識されることを願ってやまない。
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by yokohama7474 | 2016-08-14 01:01 | 美術・旅行 | Comments(0)

秋山和慶指揮 東京交響楽団 (トロンボーン : 中川英二郎) 2016年8月11日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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つい4日前、8/7(日)に行われたラデク・バボラーク指揮日本フィルの演奏会についての記事で既にご紹介した通り、ミューザ川崎シンフォニーホールでは、7/23(土)以降、フェスタサマーミューザKAWASAKIと題して、一連のオーケストラコンサートが開催されてきたが、今日はその最終回。実はこのシリーズ、オープニングを飾ったのは、このホールを本拠地とする東京交響楽団(通称「東響」)とその音楽監督、ジョナサン・ノットの演奏であったが、最終回を飾るのもやはり東響で、指揮を執るのはかつて東響の音楽監督を実に40年務め、現在は桂冠指揮者の秋山和慶 (あきやま かずよし) だ。このブログでは何度となく私が熱烈な秋山信奉者であることを述べてきたが、秋山は今年75歳。まだまだ老け込む気配など微塵もないが、今や名実ともに日本指揮界の重鎮である。できる限り多くの機会に彼の音楽を聴きたいと思っているところ、今回は、先のバボラークと日フィルの演奏会同様、公開リハーサルを聴くこともできるとあって、期待もひとしおだ。
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今回の曲目は以下の通り。
 バーンスタイン : 「キャンディード」序曲
 シルクレット : トロンボーン協奏曲 (トロンボーン : 中川英二郎)
 ベートーヴェン : 交響曲第7番イ長調作品92

会場で配布されたプログラムには、コンサート全体の副題として「華麗!豪快!爽快!」とある。最初の「キャンディード」序曲とベートーヴェン7番にはそれらの謳い文句があてはまるが、真ん中のシルクレットとは、なじみのない名前だ。いかなるトロンボーン協奏曲であるのか。その点の説明から始めよう。いや実はこのブログをやっていて、私はかなり頻繁に、この作曲家を知らない、この曲は初めて聴く、この演奏家はまだ聴いたことがない、と書きまくっているわけで、自分の無知をさらけ出してばかりで本当に恥ずかしい次第ではあるのだが、今回もこの作曲家シルクレットのことを微塵も知らなかったのである。今回初めて知ったことには、ナサニエル・シルクレット(1895-1982)はユダヤ系米国人、1930-40年代に映画音楽を手掛け、フレッド・アステアの主演作(「踊らん哉」とか「有頂天時代」・・・あ、原題では前者があの"Shall We Dance"、後者が"Swing Time"です)の音楽を作曲したほか、もともとはクラリネット奏者で、メトロポリタンオペラやニューヨーク・フィルの前身に所属したり、あの行進曲で有名なスーザのバンドにもいたらしい。また、RCAビクターの軽音楽部門の責任者として、多くの音楽家と交流を持ったということだ。このトロンボーン協奏曲は1945年の作品、初演したのは誰あろう、あのトミー・ドーシーとレオポルド・ストコフスキーだ。なかなかにダンディなシルクレットの肖像写真。
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指揮者のレオポルド・ストコフスキーは、そのけれんみたっぷりの魔術師的指揮ぶりに、保守的なクラシックファンからは未だにゲテモノ扱いされているきらいがあるものの、同時代の音楽にも極めて積極果敢に取り組んだ功績は音楽史上に輝くものであり、私は彼のCDをせっせと集めているが、なんということ、このシルクレットのトロンボーン協奏曲の初演の際の録音があるとは、これも全く知らなかった!!
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そしてこの初演者のトミー・ドーシーであるが、もちろんジャズのビッグネームである。私はジャズには体系的な知識があるわけでは全くないが、聴くのは結構好きで、特にこの時代のスウィングジャズは大好きである。若い頃からこんなCDを愛聴盤にしていて、トミー・ドーシー(4人のスウィングジャズの巨人たちのうち、右上の写真の人)の"On the Sunny Side of the Street"とか"I'll Never Smile Again"なんかは、時折口ずさんだりしている。
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そして、最近のこの曲の録音には、トロンボーンの超人クリスティアン・リンドベルイによるものがある。ジャケットでは、眼光鋭いストコフスキーが、くつろいだ雰囲気のトミー・ドーシーと向かい合っている写真が使われている。いい写真だ。
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そのような作品であるからして、このシルクレットの協奏曲には、ジャズの雰囲気がかなりあり(終楽章ではドラムも大活躍)、それと同時に昔の映画音楽のようなロマンティックなメロディー(チャップリンの「ライムライト」とショパンの「別れの曲」を足したような???)も、惜しげなく出てくるのである。トロンボーンとオケという本来のかたちでは今回の演奏が「おそらく日本初演」とのこと。そのような作品を演奏するには、相当腕の立つトロンボーン奏者が必要であろう。今回ソロを演奏したのは中川英二郎。
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1975年生まれ。トランペット奏者を父に持ち、5歳でトロンボーンを始め、高校在学中に初リーダー作をニューヨークで録音したとのこと。ジャンルを超えた様々な音楽に取り組んでいる音楽家だ。今回はリハーサルのときから全く譜面を見ることもなく、オケが途中で停まっても、指揮者のスコアをちょっと横から見るだけで完璧に曲の途中からでも演奏していたので、この曲が徹底的に頭に入っているのだなと実感された。実際のところ、親しみやすいようでそれなりに複雑な曲であると思うので、これだけ軽々と演奏できるトロンボーン奏者が、日本にそう何人もいるとは思えない。お見事だ。ところで秋山のリハーサルは、想像した通り大変効率的に進められ、要所要所でピアノだフォルテだ、クレッシェンドはどこからだ、ソロと金管楽器ではステージ上の距離のせいで若干ながら時差があるので注意せよ、等々、極めて実務的な指示が出るだけで、情緒的な説明は一切なし。また、この協奏曲の第2楽章では、初演曲であるせいだろうか、パート譜に音の誤りがあって、リハーサルの場で修正するなど、音作りの興味深い過程を見ることができた。

最初の「キャンディード」序曲は、これは私もよく知っている大好きな曲であるが、飛び跳ねるような曲想を自在に表現した名演で、このような演奏を聴くと、本当に秋山は万能の指揮者だなぁと思う。東響は管・弦ともに素晴らしい水準だ。だがそれにしてもこの曲、ミュージカルにしては技術的に難しすぎやしませんかね(笑)。せっかくだからバーンスタインの写真を載せておきましょう。
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メインのベートーヴェン7番は、この「華麗!豪快!爽快!」プログラムを締めくくるには最適の、リズムが全体を支配するスタンダードな名曲であるわけだが、実は私にはひとついやな思い出がある。もう10数年前であるが、同じこの秋山と東響のコンビでこの曲の実演を聴いたことがあるのだが、その時にどういうわけかトランペットにミスが頻出し、聴いていて落ち込んでしまったのだ。ベートーヴェンの時代のトランペットなど、パーッとかパッララパッパーッとか、全体の流れの中で、いざというときに音を華やかにする効果の音型を吹くために使われているに過ぎず、難しいソロがあるわけでもなんでもない。それゆえ、その日の演奏は私にとって大きなショックであったのだ。その頃既に、日本のオケの水準は上がって来ていると思っていただけに、やっぱりこんなものだったのか・・・と落胆してしまったわけである。だが今回は始まる前からそのような不安もなかったし、実際に鳴っていた音は、そのような過去を完全に忘れさせるようなもので、オーソドックスなベートーヴェンを堪能することができた。何か特別な趣向が凝らされているわけではないが、すべての声部があるべき力と美しさを持って演奏されていた。世の中にはもっと激しい7番もあるかもしれない。だが、ここにも充分な情熱があったことを聴き逃してはならない。素晴らしい演奏であった。

そして、意外なことにアンコールが演奏された。同じベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」から、第1幕でドン・ピツァロが登場するシーンでの行進曲。単独で演奏されるほど名曲とも思えないが、このミューザ川崎でのフェスティヴァルの締めくくりに、ベートーヴェンの小品をという意図であったろうか。そういえばフェスティヴァルのオープニングでのジョナサン・ノット指揮東響の演奏会も、メインはベートーヴェンの「田園」であった。改めて考えてみるに、この川崎の素晴らしいホールで日本のオケが腕を競い企画を競い、大変充実した演奏会を繰り広げるこのフェスタサマーミューザ川崎は、ほかでは聴けない面白い内容のものであった。この秋も、ヤンソンスとバイエルン放送響や、メータとウィーン・フィルがここで演奏を繰り広げる。迎え撃つ日本勢も、もうベートーヴェンでトランペットが外しまくることはない。秋以降のシーンが楽しみだ!!
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by yokohama7474 | 2016-08-11 23:08 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ワレリー・ゲルギエフ指揮 PMFオーケストラ (ヴァイオリン : レオニダス・カヴァコス) 2016年8月9日 サントリーホール

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この日、8月9日(火)の東京は、うだるような暑さであった。会社からほとんど外に出ることがないようにし(面談相手にはこちらのオフィスに来てもらうようにして 笑)、外気に触れることは極力避けていたが、昼や夕刻に建物から出ると、直射日光の当たらない庇の下を歩いていても、そのムワッと押し寄せる熱気が、まさに東南アジアの雰囲気だ。都心でも38度を記録したという。フェーン現象だかなんだか知らないが、こんな気候でも真面目に仕事している日本人は、どうかしていると思うときがある。ただ最近ではクールビズもかなり定着し、この季節にネクタイ・上着を見ることは稀になった点は有り難い。

さて、毎年この時期に恒例のPMFオーケストラの東京公演である。PMFとはPacific Music Festivalの略で、世界の若手演奏家たちが、第一線で活躍するプロの音楽家の指導を受け、その成果を披露する。故レナード・バーンスタインの提唱によって、札幌を舞台として1990年に始まった音楽祭だが、登場する音楽家たちの顔ぶれは文句なしに一流で、非常に成功している音楽祭であると言えるだろう。毎年、学生たちの修練の最後の仕上げとして東京で演奏会を開いており、昨年のコンサートもこのブログで採り上げた。今回も指揮を執るのは、昨年からこの音楽祭の芸術監督に就任したロシアの巨匠、ワレリー・ゲルギエフ。相変わらず世界で最も多忙な指揮者のひとりと言えるだろう。
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彼の音楽はいつも熱いので、この炎暑に聴くには少しばかりきつい(?)という気もするものの、いやいや、やはりこの人の音楽を聴きたいのである。さて、注目すべきは曲目だ。
 メンデルスゾーン : 交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」
 ブラームス : ヴァイオリン協奏曲二長調作品77 (ヴァイオリン : レオニダス・カヴァコス)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第8番ハ短調作品65

えっ、これって1回の演奏会ですか?! だって、通常のコンサートは正味1時間半程度。そこに休憩と楽員の入退場、場合によってはアンコールなどを含めて、大体2時間前後に収まるのが相場である。だが、この演奏会はどう見てもそれを遥かに超過している。前の2曲の組み合わせでは若干だが短い。後の2曲の組み合わせでも、既にして通常より長い。そうだ、強いて言えば、最初の曲と最後の曲を組み合わせるのが、普通の長さであると言えるだろう。そう思って上記のポスターを見ると・・・あっ、なんということ。ここではまさに、1曲目がメンデスルゾーンの「イタリア」、2曲目がショスタコーヴィチ8番と書いてある。ということは、最初の予定では普通の長さの演奏会であったものが、そこに40分を超えるブラームスのコンチェルトが加わって、なんとも盛り沢山なものになったということだろう。この炎暑にゲルギエフのショスタコーヴィチとは、毒を食らわば皿までと割り切って、出かけようではないか。

この記事を書くに当たり、昨年のPMFの演奏会について書いた自分の記事を読み返してみたのだが、なんだ、その感想がそのまま今回の演奏にもあてはまるではないか(笑)。ひとつ訂正は、私はてっきりこの音楽祭に参加する若者たちは環太平洋地域(つまりは日米、東アジア、東南アジア、オーストラリア)から来ていると思っていたところ(確か当初はそうだったと記憶する)、今回のメンバー表を見ると、フランス、スペイン、ドイツやUKなど欧州から、あるいは中南米、ロシア、イスラエルからの参加者もいるのである。つまり、本当に国際的なメンバーが集まっているということになる。音楽は国境を越えるとは言い古された言葉だが、ここでは肌の色も言葉も宗教も違う若者たちが、ともに音楽を奏でるわけで、世界各地で現実に起こっている悲劇的な出来事を考えると、なんと意義のあることだろう。実際にこのような世界的な音楽活動が日本で25年以上行われていることは、一般にもっと注目されてもよいのではないか。これは札幌でのピクニックコンサートの模様。おー、まさに日本のタングルウッドだ。素晴らしい解放感。
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演奏に関しては、メンデルスゾーンとショスタコーヴィチをまとめて語ろう。昨年の感想同様、この若いオケには渋みやコクを求めるのではなく、ひたすらキレのよい躍動感をこそ求めたい。だがその意味で言えば、メンデルスゾーンの爽やかなシンフォニーのイメージを伝えるにはもう一歩。特に、弦のがんばりに比して、木管がもう少し前に出てきてもよいように思った。終楽章の疾走感は聴きごたえがあったものの、全体を通して、明朗な音の張りのようなものがあればもっとよかったのにと思う。その点、指揮者ゲルギエフの適性もあるのだろう、ショスタコーヴィチの陰鬱で長くて謎めいた第8番は遥かに成功していたと思う。この曲は戦争中の1943年に書かれているが、伝統的な交響曲の楽章構成を取らず、全体の作りが非常にアンバランスなのである。時に激しく咆哮するかと思うと、ほとんど沈黙してしまう箇所もあり、最後は諦観なのか平和への祈りなのか、よく分からない静けさの中に消えて行く。ここでも音の厚みとか爆裂する部分には課題が残ったが、ただ、大変真剣に音楽に没入するメンバーたちの姿が感動を呼んだことも事実。若さの特権は確実にあって、プロのオケのような出来上がった演奏ではなかった点、むしろ好感が持てたものである。それから、ゲルギエフは今回最初から最後まで指揮台を使用していなかった。同じロシアの先輩、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(85歳だが、来月読響を振りに来日する!!)を思わせたが、何か意図があったのであろうか。

この2曲に比べ、私の耳をより魅了したのはなんといっても、レオニダス・カヴァコスの弾くブラームスであった。このカヴァコスは、長身長髪のギリシャ人。1967年生まれなので、今年49歳になる。
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私は以前ロンドンでこの人の生演奏に何度か接して、その素晴らしい音楽性に仰天したものである。こういう人を天才というのであろう。もちろん天才にもいろいろあるが、ヴァイオリンという、歌うことに長けたつややかな音色の楽器を手にしながら、そこで実際に聴こえてくる音以上のものを聴かせてしまうという点で、彼は天才なのである。多分、彼の音楽を聴いたことのない方にはなんのことやらサッパリだと思うが(笑)、技術のあるヴァイオリニストなら、その技巧をひけらかし、華麗に音楽を奏でたいという欲望に抗うのが難しいであろうところ、彼は禁欲的に音楽の本質に迫って行く。その姿に人々は大きな感動を覚えるのである。ブラームスのコンチェルトはもちろん名曲中の名曲であるのだが、カヴァコスの手にかかると、初めて耳にするような新鮮さをもって響く。暗い音楽にはなっていない。だが、破裂する歓びでもない。音の線を情緒的にならずに、集中力をもって紡いで行くうち、作曲者が創造したかったであろう、厳しくも純粋な音楽が響き出すのだ。凡庸な才能がこの方法を真似ると、多分聴くに堪えないものになるであろう。このような演奏を聴くと、音楽の本当の深みというものを思い知るのである。私の知る限り、ニコライ・ズナイダーという、カヴァコスより少し若いデンマークのヴァイオリニストも、彼に近い音楽性を持っているように思う。彼らのような音楽家が21世紀を作って行くのである。また今回のカヴァコス、興味深かったのは、第1楽章でも第2楽章でも、自分のソロが始まるまでは指揮者の隣でオケの方を向き、じっとその演奏を見守っていたことで、第2楽章で有名なソロを吹くオーボエ奏者の女性などは、緊張してしまうのではないかと思ったが、素晴らしく伸び伸びと吹いていた。これもカヴァコス流のオケとの一体感の成果なのかもしれない。一方で、アンコールで演奏したバッハの無伴奏ソナタ2番のおなじみのアンダンテ楽章では、古雅な響きの中、孤独と向き合う強い個が感じられた。これはリーダーとしての資質とも言えるのではないか。つまり、最近彼が行っているという指揮活動にも活きるものではないかと思った。もっとも、率直なところ、ヴァイオリン主体で演奏活動を続けて欲しいと思いますが。指揮者は既に沢山いるので(笑)。

このような盛り沢山の演奏会、終演時刻は開演から3時間後の22時であった。つまり、やはり通常のコンサートより1時間程度長かったことになる。PMFの一連のコンサートスケジュールを見てみると、8/4(木)には千歳で、8/8(月)には函館で、メンデスルゾーンとショスタコーヴィチだけで演奏会が開かれている。これは普通の演奏時間、つまりノーマル・ヴァージョンだ。では、ブラームスのコンチェルトの入ったロング・ヴァージョンが東京だけで演奏されたかというとさにあらず、8/7(日)のピクニックコンサート(上に写真を掲げた野外ステージが会場)では、12時から散々いろいろな曲が第1部で演奏されたあと、15時30分から第2部として、なんとこのロング・ヴァージョンのプログラムがまるまる演奏されたようだ。もちろんソリストはカヴァコス。大きな会場では彼のヴァイオリンの機微が充分聴き取れたか否か分からないが、まあいずれにせよ大変な体力を要するコンサートであったわけだ。超人的な音楽的体力を持つ芸術監督ゲルギエフに引率され、この音楽祭がますます発展して行くことを祈ろう。

そしてゲルギエフとは、10月のマリインスキー劇場の来日公演で再会の予定。今から体力を蓄えておかないと。
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by yokohama7474 | 2016-08-10 00:59 | 音楽 (Live) | Comments(0)

観音の里の祈りとくらし展 II びわ湖・長浜のホトケたち 東京藝術大学大学美術館

古来近江の国と呼ばれた滋賀県、琵琶湖近辺には数えきれないほど多くの社寺が存在し、幾星霜を越えて貴重な文化遺産を今日に伝えていることは、つい最近も2日間に亘る同地の旅行レポートでその一端をご説明したばかりである。実はこの夏東京で、その近江地方の北部、いわゆる湖北地方の長浜市所在の仏像ばかりを展示した展覧会が開かれたので、ご紹介する。但し、既に昨日8/7(日)にその展覧会の会期は終了してしまっているので、もしこの記事でこの地域の仏像にご興味をお持ちの向きは、是非現地でそれぞれの仏様に出会うことをご検討下さい(無責任で申し訳ありません 笑)。または、この記事の最後の情報をご参考下さい。今回の展覧会の会場は東京・上野の東京藝術大学の美術館。上野公園にはこのような雰囲気のあるポスターが貼られていた。
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実はこの展覧会、「観音の里の祈りと暮らし展 II」と銘打っているには理由があって、ちょうど2年前の春にも同様の展覧会が同じ場所で開かれており、今回は第2弾なのであった。以前の記事にも書いた通り、私はこの地域の寺々には中学生の頃以来何度となく足を運んできたし、その頃から、琵琶湖を舞台に十一面観音像を巡る旅を描いた井上靖の「星と祭」や、白洲正子の著作などで、既にこの土地の歴史についての明確なイメージがあった。それは、夥しい寺々が長い歴史の風雪に耐え、信長の比叡山焼き討ちや人災・天災で無残にも堂塔伽藍が灰燼に帰して行くに際し、しばしば村人たちが自分たちの手で仏像を水の中に沈め土の中に埋めるなどして、必死に守って来たという篤い信仰のおかげで、今日これだけの数の仏像が残されたという事実である。従って、近江の仏像は、京都・奈良の観光寺院とは異なり、小さなお堂や無住の寺、あるいは近隣の村人たちによって大切に守られていることが多く、そのような場面に出会うと、騒然とした現代の日本においても、歴史の荒波に耐えてきた素朴な祈りの姿が残されていることに、大変感動するのである。私の野心は、京都はもうよく知っているという、少しはモノの分かった外人たちをこの地域に連れて行き、日本の歴史と文化についてのさらに深い部分を、身を持って実感させるということなのである。例えばこのような光景に出会うと、人は洋の東西を問わず、思わず敬虔な気持ちになるものだ。
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ここで男性が手を合わせて拝んでいるのは、長浜市南郷町所蔵で、現在ではこの写真のように同地の自治会館の中に祀られている、平安時代の聖観音像(長浜市指定文化財)である。この観音様は今回の展覧会にも出品されていて、図録の写真は以下の通り。金色の光背や宝冠、瓔珞等の飾り物がない状態での展示なので、上の写真とは少し違った印象に見える。
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細身のモデリングや彫りの浅さは平安時代も後期のものと見えるが、ユニークなのは、クルリと輪を構成した両肘の横の天衣である。平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩のように、動きを表したものなのであろうか。からだが停まっていては、このような形にはならないだろう。ほかのどこの土地でも見たことがない、独特の造形だ。ここでこの仏像をまずご紹介したのは、今回の展覧会の在り方が象徴的に表れていると思ったからで、つまり、もともと地元で手厚く守られている仏様が、一旦その本拠地を離れ、花の東京の美術館で、素のままのお姿で我々の前においでになる。信仰の対象というよりは、彫刻という芸術作品として。ここにはよい面悪い面があると言えないだろうか。地元に足を運び、お堂の鍵を開けて頂いて一体一体拝むお姿と、ライトを浴びて陳列された彫刻群として鑑賞の対象となるお姿と。冒頭で、展覧会を見逃した方に現地訪問をお薦めしたのは、そういうわけなのである。あ、もちろん、この記事の最後に出てくる情報もお忘れなく。

近江の仏像群の特徴のひとつは、いかにも素朴な地方色豊かなものと、明らかに最高の技術をもった仏師の手になるものが混在していることだ。後者の代表が、日本有数の美仏である渡岸寺の国宝・十一面観音像であるが、だがあれほどの作品はもちろん例外的であって、洗練された仏像でも通常はどこかにユニークな持ち味があるのが面白い。例えばポスターになっている、像高2mの堂々たるこの仏像。平安時代初期(9世紀半ば!!)の重要文化財だ。
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長浜市木之本黒田にある観音寺の伝・千手観音像。ここで「伝」とあるのは、寺伝では千手観音と呼称しているが、通常千手観音はメインの両手以外に40本、合計42本の手を持つところ、ここでは18本しかないがゆえに、准胝(じゅんてい)観音ではないかとも言われているからである。この展覧会のよいところのひとつは、ほとんどの仏像は周囲を回って見ることができる点で、この仏像の場合、上の写真の通り後ろ姿が大変美しく、東大寺三月堂の不空羂索観音すら思わせる圧倒的な存在感だ。お顔は地味な作りにも見えるが、角度によって表情が異なり、大変に味わい深い。普段は厨子を出ることすら稀だというから、今回は本当に貴重な機会であったわけである。ちなみにこのお寺のある黒田という場所は、あの軍師官兵衛の黒田家発祥の地であるとのこと。すると官兵衛もこの仏様を仰ぎ見たことであろう。長い歴史を背負った観音様なのである。

技術的な精度で印象に残ったのはこちら。
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舎那院の秘仏本尊、鎌倉時代の愛染明王だ。重要文化財に指定されている。1970年頃まで厳重な秘仏であったため、大変保存状態がよいらしい。但し、通常愛染明王は赤く塗られているところ、この像は金箔の痕跡があり、それも煤けているように見えることから、この像の前で護摩が焚かれていたようにも思うが、いかがだろうか。

これは堂々たる等身大の聖観音像。来現寺所蔵の重要文化財。彫刻の技術は高いのに、お顔にどこか素朴さがあるのが、この地域の仏像らしくて、大変心に残った。
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彫刻技術の点では、こちらもなかなか。長浜市西浅井町山門自治会が所蔵する馬頭観音(滋賀県指定有形文化財)。
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近江の国は交通の要所であったせいか、このあたりから日本海側の若狭にかけて、馬頭観音の優品が数々遺されているが、この像も平安時代のものと、大変古い。ただ、後世の補修が相当入っているもののようだ。次に、同じ滋賀県指定有形文化財の馬頭観音で、大変ユニークなものをご紹介する。徳円寺所蔵になるもので、造立は鎌倉時代。
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ちょっと素朴なだけで、変わったところはないように見える。ところが、足元を見てビックリ!!
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なんと、両方の足の裏を見せて踵で立っているのだ。座像で足の裏を見せるような座り方の影響とのことだが、いやいや変でしょうこれ。座像じゃなくて立像なんだから(笑)。きっと何か意味があると思いたくなる。例えば、まるで飛んでいるように速く走るという意味を表しているとか(?)。

さて、お次は先般私も念願叶って訪問することができた竹生島(ちくぶじま)の弁財天座像。室町時代の作で、長浜市指定文化財。弁天さんのイメージをよく表している。像の底面に銘文があって、1557年、竹生島の祭礼である蓮華会(れんげえ)の際に奉納された像であると判明する。あ、展覧会では像の底面までは見せて頂けませんでした。念のため。
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これは比較的珍しい、十一面観音の座像。岡本神社の所蔵する平安時代の作で、長浜市指定文化財。なかなか綺麗な造形であるが、背中には大きな割れの補修がある。これは、姉川の戦い(1570年、織田・徳川 vs 浅井・朝倉)の際に村人がこの像を避難させようとして、誤って落としてしまったときのものとも言われているらしい。戦乱の歴史と、その中で生き延びてきた仏の力、それを支えた村人たちの信仰心を実感させる。但しこの像の背面は、上記弁天様の底面同様、展覧会では見ることはできなかった。
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素朴な地方色をたたえた仏像を3つ連続でご紹介する。最初は、洞寿院所蔵の観音菩薩(鎌倉時代、重要文化財)。33年に一度しか開扉されない貴重な秘仏だが、この呪術性すら感じさせる素朴さはどうだ。
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次は、横山神社所蔵、平安時代の馬頭観音(長浜市指定文化財)。ここにも、稚拙な静謐さの中に漂う呪術性が感じられるではないか。
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そしてこれは、浄光寺の十一面観音。室町時代の作で、文化財指定はないようだが、一度見たら忘れない存在感がある。もしかしたら、彩色も村の人たちが施したのだろうか。うーん、でもなんだか忘れがたいのである。
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これまで、観音像を多くご紹介したが、この地域には如来像にも注目すべきものが多々ある。これは西野薬師堂の伝・薬師如来。平安時代の作で重要文化財だ。私は3年前に現地でこの仏像を拝観したが、やはり重文の十一面観音像と並んで安置されたお堂に入り、心が豊かになったような気がしたものだ。この衣文の流れは平安時代初期の特徴を表していて、堂々たるもの。からだに塗られた漆が、一種独特の味わいを出している。
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そして3年前当時、この西野薬師堂からほど近いところにある無住の寺(というよりも小さな小さなお堂がひとつあるだけ)、正妙寺に向かったことを忘れるわけにはいかない。その頃、学研から出ている「へんな仏像」という本で見て、どうしても拝観したかった仏像があったのだ。まさか今回、この展覧会で再会するとは思ってもいなかった。皆様にご紹介しよう。これぞ日本全国探してもほかにない、千手千足観音だ!! 文化財指定はもちろんナシ!!!
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今回の展覧会では江戸時代の作とされているが、以前調べたときには、実は平安時代の古い仏像に金箔を施してあるという説(?)も目にしたと記憶する。いずれにせよ、千手観音は日本国中数々あれど、千足観音はほかにはないだろう。しかもこれ、普通の千手観音より手の数は少なく見える。足を作っている暇があれば、ちゃんと42本の手を作った方がよかったのでは???という疑問はぐっと呑み込んで(笑)、この奇抜な造形に心からの拍手を捧げよう。足はこんな感じで、左右各19本ずつあるらしい。
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実はこれ、誰かが勝手なイマジネーションで作り出したものではなく、天台宗系の図像集には千足観音の記述も見られるという。いやそれにしてもこの仏様、わずか42cmの小像であるが、そのやんちゃな表情といい、ポッコリ出たおなかといい、本当に存在感満点だ。3年前に拝観してからこんなに早く再会が叶うとは、これも何かのご縁であろう。現地では厨子の中に入っているところ、展覧会では背中も惜しみなく見せて頂くことができ、感動した。背後から見てみると、この大量の手と足の部分はどうやらひとつの塊のように見え、それを本体の後ろからパカッと合体させているように見受けられた。

と、改めて振り返ってみると、村人たちの素朴な信仰に守られてきた、なんともユニークな造形の数々を心から楽しんだわけである。今回展示された45体の仏像のうち、実に15体は現地から持ち出されるのも初めてとのことで、長浜が仏像の宝庫であると実感する。さてそのような長浜のホトケたちと出会うのは、果たして現地に行くしかないのだろうか。いえ、東京の皆様には朗報があります。なんと今年、上野に「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」なる場所がオープン!!
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不忍池のほとり、上野の森ファーストビルの1階にできたこのスペースには、数ヶ月おきに長浜から観音様が交代にやってこられるという。長浜市が運営していて、入館料は無料だ。私も未だ行ったことはないが、ウェブサイトを見ると、「速報! 次にお越しになる観音様が決まりました」などと情報がアップされている。百数十体の古い観音像を持つという長浜市ならではの企画であり、上野という歴史ある場所、かつ琵琶湖を模したとも思われる不忍池の畔での展観も、なかなか内容にぴったりではないか。地図は以下の通り。今後上野に出かける際には、是非とも立ち寄りたいと思います。様々な観音様との出会いに心が躍る。
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by yokohama7474 | 2016-08-08 23:22 | 美術・旅行 | Comments(0)