<   2016年 09月 ( 21 )   > この月の画像一覧

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 読売日本交響楽団 2016年9月24日 東京芸術劇場

e0345320_19583074.jpg
今月始まった新シーズン、これまでと来月を見据えて、在京のオケの中で私が最も高く評価する活動を繰り広げているのは、読売日本交響楽団(通称「読響」)である。9月初旬に始まった二期会の「トリスタンとイゾルデ」と、そこで指揮をしたスペインの巨匠ヘスス・ロペス=コボスとの初顔合わせのコンサート(ピアノはこれもスペインの人間国宝的存在、ホアキン・アチュカロだ)、そして今日から3日間、このオケの名誉指揮者として日本でもおなじみのゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとの演奏会。また来月に入ると、音楽監督シルヴァン・カンブルランの一連の演奏会に、日本でただ一度だけ開かれるフランスの巨匠ミシェル・プラッソンとの演奏会。それから、五嶋みどりが2曲のソロを弾く演奏会が予定されている。ただ私は、ロペス=コボスとの演奏会には行けなかったし、五嶋みどりが出演する日も含めて、カンブルランの演奏会には多分一度も足を運ぶことができない。そんなことから、今日の演奏会はなんとしても行きたかったのである。1931年生まれ、今年実に85歳になるロシアの巨匠、ロジェストヴェンスキーの演奏会である。上のポスターの一部を拡大してみよう。
e0345320_20065274.jpg
百戦錬磨の大巨匠とは言いえて妙。ボリショイ劇場やモスクワ放送交響楽団、またソヴィエト政府が彼のために組織した文化省交響楽団といった母国での偉大なる活動に加え、BBC交響楽団、ウィーン交響楽団、ストックホルム・フィルといったメジャーなオケを率いた、文字通りの大巨匠。私の場合は、クラシック音楽に親しむ前から彼の録音を聴いていたという経緯がある。小学生の時に、普段はクラシックなど聴かない両親が大枚はたいて購入したであろう、クラシック音楽大全のようなセットもの(アナログレコードを、それを乗せるとスピーカーをふさいでしまうような 笑 小さなプレーヤーで聴いた)の中に、この指揮者の演奏が含まれていたのである。今にして思えば貴重なことだと思うが、そこには彼の父親、ニコライ・アノーソフの指揮による録音(私が初めて親しんだ交響曲であるドヴォルザークの「新世界」など)も含まれていた。アノーソフはロシアでは名高い名匠であったので、このロジェストヴェンスキーはその父との混同を避け、母方の姓を名乗ったとのこと。大家には大家の、他人には分からない悩みがあるものだ。その天才的な棒さばきから、指揮台の魔術師とも呼ばれた、若き日のロジェストヴェンスキー、略してロジェヴェン。
e0345320_20175526.jpg
このロジェヴェン、読響とのつきあいは長く、1979年以来実に35年以上。現在は名誉指揮者の職にある。ハイドンとショスタコーヴィチを組み合わせた一連のシリーズなど、大変素晴らしい成果をこの楽団に残して来た。日本のクラシック音楽の活況に大いなる貢献のあった人である。老齢のため、次の来日はいつかいつかとハラハラして待っていた私としては、今回の演奏会は本当に嬉しいものであった。その思いは、85歳になって未だ衰えぬこの指揮台の魔術師の、まさに魔術的な演奏に接したことで、充分に満たされたのである。

事前の発表では、チャイコフスキーの3大バレエとしか記述がなかったが、曲目詳細は以下の通り。
 チャイコフスキー : バレエ音楽「白鳥の湖」から序奏/ワルツ/4羽の白鳥の踊り/ハンガリーの踊り/スペインの踊り/フィナーレ
 チャイコフスキー : バレエ音楽「眠りの森の美女」からワルツ/パノラマ/アダージョ
 チャイコフスキー : バレエ音楽「くるみ割り人形」第2幕

19世紀の音楽文化には数々の成果はあれど、チャイコフスキーのバレエ音楽は、その中のひとつとして、充分に人類のかけがえのない遺産に数えられる。そのことは分かっていたつもりであるが、ロジェヴェンが登場して、いつもながらに指揮台のない平土間のステージ上で長い指揮棒を操り始めたときから、もう心がやられてしまっている。こんな素晴らしい音楽を作り出した人類は、本当にすごい。それぞれの人間に与えられた生は限られたものであっても、このような音楽が鳴り響く地球とは、なんと素晴らしい星であることか!!・・・と、あえて大げさに書いてみたが(笑)、今日の読響は、コンサートマスター小森谷巧以下、本当にすごい音響が鳴っていた。これぞロシア音楽の醍醐味。バレエ音楽の醍醐味。前半の曲目の盛り上がりでは、ブルックナーを想起するほどの分厚く勢いのある音が鳴っていて、いつも日本のオケの金管に残念な思いを抱いている私にとっても、全く間然とするところのない華麗な音響であった。もちろん後半の「くるみ割り人形」第2幕には、このバレエの組曲でおなじみの曲があれこれ含まれていて、もう楽しいことこの上ない。85歳にしてこの生命力溢れる音楽を奏でるロジェヴェンは、やはり現代における最高の指揮者のひとりである。もう何も言うことはない。あるとすればただひとつ、また元気に来日して下さいということだけだ。
e0345320_20351044.jpg
私は今晩から出張に出るので、これから一週間程度はブログの更新ができない。だが私の耳の底には、百戦錬磨の大巨匠が繰り広げた音響が未だに残っているので、それを頼りに、お仕事頑張りますよ。

by yokohama7474 | 2016-09-24 20:37 | 音楽 (Live) | Comments(0)

クエイ兄弟 ファントム・ミュージアム 神奈川県立近代美術館葉山

e0345320_00194236.jpg
神奈川県立近代美術館と言えば、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にあって、「カマキン」の愛称で親しまれた美術館である。だが、今年1月11日の記事で採り上げた通り、そのカマキンは先日惜しくも閉館となってしまった。だがこの美術館、本館は閉鎖してしまったものの、鎌倉に別館があるし、実は葉山にも比較的新しい建物があって、時々面白い展覧会を開いている。陽光溢れる葉山の海岸沿いに建つこのような場所だ。
e0345320_09463303.jpg
これまでにここを訪れたときには、私の大好きなチェコのヤン・シュワンクマイエル、ロシアのユーリ・ノルシュテインといった、いわば芸術派のアニメーターの展覧会を見ることが多かったのだが、そこに今回新たな1ページが加わった。米国フィラデルフィア出身の双子の映像作家、スティーヴンとティモシーのクエイ兄弟(あるいは、ブラザーズ・クエイといった方が座りがよいか)の展覧会である。1947年生まれなので、来年70歳になる。
e0345320_09522469.jpg
私がこの展覧会を見てから既に二週間が経過してしまっているが、だが大丈夫。開催期間は10月10日まで。まだあと二週間残っている。非常に趣味性の高いアーティストであるので、興味のない方には無縁であろうが、彼らの怪しい雰囲気に身を乗り出す方には、是非この展覧会を訪れて頂きたい。あ、それから、この美術館のすぐ近くには、日本画家の山口蓬春の旧自宅兼アトリエが残されているので、そちらもお薦めだし、ちょっと南に足を延ばすと、運慶作の重要文化財の仏像を5体所蔵する横須賀市の浄楽寺もある。うわー、クエイ兄弟に山口蓬春に運慶と、全く共通点のない時空を超えた組み合わせであるが、このラプソディックな記事をモットーとするブログを書いている身としては、これらを同じ日に回られることを、併せてお薦めしておこう。食い合わせの悪さで精神的下痢(?)を起こされても、当方は一切関知しません。

いつもの寄り道はこのあたりにして、さて、クエイ兄弟である。このブログでは既に一度、その名前が出ている。今年の1月23日の勅使川原三郎のダンスについての記事である(ちなみにその記事へのアクセスは非常に少なくて、ちょっと残念な思いをしているのだが・・・)。そのダンスはポーランドの作家ブルーノ・シュルツの作品から想を得ていて、そのシュルツの別の作品をクエイ兄弟が映画化したのが短編「ストリート・オブ・クロコダイル」。私は学生時代にその作品といくつかのクエイ兄弟の短編を劇場で見て、ガツーンと脳天をやられてしまったのである。もう一度その作品のポスターと、いかなる映画であるかのイメージを持って頂けるような場面の写真(ポスターの一部だが)を掲載しておこう。
e0345320_10082747.jpg
e0345320_10090128.jpg
今手元に、1988年公開当時のプログラムを持ってきて見てみると、当時の衝撃が甦ってくる。中でも、やはり私が敬愛してやまない英国の映画監督、ピーター・グリーナウェイ(最近とんと活動を聞かないので淋しい限りであるが)までが文章を寄せている。
e0345320_10120770.jpg
ご覧頂けるように、この映像作家が立っているのは芸術文化のDark Sideであって、決してBright Sideではない。趣味性の高いアーティストであると書いたのはそういうことである。Dark Side好きの私にとっては感動の嵐であっても、Bright Side好きの方の中には、「なんだよこれ」と眉をひそめる向きもあろう。そのような方には、この展覧会はお薦めしません。

さて、日本ではこの映画でクエイ兄弟の名前は大ブレイク(?)したのであるが、その後彼らの作品に触れる機会は非常に限られていた。1995年に制作した長編映画「ベンヤメンタ学院」は正直なところ期待外れ。その後2005年にやはり長編映画の「ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク」を制作しているが、私はそれを見ていない。それら以外にクエイ兄弟の名前を聞くことはなく今日に至っているのであるが、その長い間の渇を癒すのがこの展覧会である。会場では、彼らの数々の短編作品を上映しているほか、撮影に使われたパペットの類もあれこれ展示されている。また、兄弟の美意識の原点を辿ることのできるデッサンや鉛筆画、また彼らが手掛けたCMや舞台美術などにも触れることができ、これまで「ストリート・オブ・クロコダイル」で大ブレイク(あ、だからこれには"?"がつくのだが 笑)して以来未知であったクエイ兄弟の全貌に迫ることができる、貴重な機会なのである。

上記の写真でも感じられると思うが、クエイ兄弟の持ち味はかなりブリティッシュな感じである。確かに彼らはロンドンのロイヤル・アカデミーに学び、今でもロンドンに住んでいるものと理解している。だが実は彼らの生まれは米国ペンシルヴァニア州、フィラデルフィア郊外である。今回の展覧会には、「母と双子」という1948年の写真が出品されているが、これが彼らの幼少時の写真なのであろうか。生まれは1947年なので、1歳ということになる。
e0345320_10350505.jpg
いやー、この写真、1歳にして既にクエイ兄弟の最初の作品のような気がする。遠景の2人の赤ん坊の無人格性と、後年彼らの作品中でパペットが行うなんらかの「労働」を、ここでは彼らの母が行っており、そして不気味に大きく開いた地下室への入り口が、何か神秘なものを思わせる。それぞれが、まごうことなきクエイ・ワールドではないか!!

20代の頃の鉛筆画にも面白いものが沢山ある。これは、「シュトックハウゼンを完璧に口笛で吹く服装倒錯者」(1967年頃)。カールハインツ・シュトックハウゼンは当時バリバリの前衛作曲家。電子音楽(って古い言葉だな)をいち早く取り入れ、頭が痛くなるようないわゆる現代音楽を盛んに作った人だ。だから、そのシュトックハウゼンの音楽を完璧に口笛で吹くなど、ありえない話(笑)。このあたりにこの兄弟のブラックな面が出ている。
e0345320_10402377.jpg
でもこれは、誰が見ても面白いと感じるであろう。「幻想 - 外したゴールのペナルティ」(1968年頃)。幻想的な絵本の挿絵のようでもあり、シュールな雰囲気をたたえていて物寂しいが、それと同時に、Dark Sideのクエイ兄弟にもサッカーに興じた少年時代があったのかと思うと、ちょっとほっとする(笑)。
e0345320_10443660.jpg
ついでにサッカーを題材にした作品をもうひとつ。「ペナルティーキックを受けるゴールキーパーの不安」(1970年代)。いいですねぇ。ノスタルジーと不気味さのほどよい調和というか。
e0345320_10472796.jpg
これは、「切断手術を受けても意欲的な人のための自転車コース」(1969年)。クエイ兄弟の中にある、身体の変容といびつな運動性というテーマへの強い興味がここにも表れている。感性として似ているのは、もともとモンティパイソンのイラストレーターであったテリー・ギリアムであろう。そういえば、彼らの2作目の長編映画「ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク」の制作総指揮はギリアムらしい。
e0345320_10501481.jpg
彼らの作品を見ていると、いかにDark Sideとはいえ、ただおどろおどろしいのではなく、そこには冷徹な知性が常に感じられる。音楽や文学に材を採った作品も多い点も特徴だ。これは、「MISHIMA」(1971年頃)。言うまでもなく三島由紀夫のことだろうし、制作年から明らかなように、前年の三島の自決に対するクエイ兄弟の反応であろう。仮面としての剣道着を着た人物がねじれたポーズを取っている。私が勝手に想像するのは、この剣道着がカポッと外れて、中に入っている三島の肉体がバラバラと崩壊する様子である。
e0345320_10544852.jpg
短編映画の撮影に使用されたとおぼしきセットが沢山展示されていて興味尽きないが、まずはやはり、代表作「ストリート・オブ・クロコダイル」だ。
e0345320_11030705.jpg
e0345320_11032308.jpg
あぁ、いつまでもこのセットの前に佇んでいたい。あるいは、このセット、欲しい!! ・・・という叶わぬ欲求を起こさせる耽美性なのである。CG全盛の今日、このような手作りパペットはあまり流行らないだろうし、撮影にかかる手間も膨大なものであろうが、その徒労にこそ高い趣味性が潜んでいる。これは「パンチとジュディ」。もともとある英国の人形劇らしいが、作曲家ハリソン・バートウィスルが1968年に書いた同名のオペラに想を得ている。バートウィスル!!現代音楽の分野ではそこそこ有名ではあるが、一般的な知名度は低いだろう。ところでこれ、殺戮のシーンではないのか!! なんともブラック。
e0345320_11064938.jpg
作曲家を扱った短編映画も多い。ストラヴィンスキーを題材にした「イーゴリ --- パリでプレイエルが仕事場を提供していた頃」(1982年)や、「レオシュ・ヤナーチェク --- 心の旅」(1983年)。
e0345320_11102420.jpg
e0345320_11122350.jpg
それから、クエイ兄弟が大きな影響を受けたチェコ・アニメの大家、ヤン・シュワンクマイエルを題材にした「ヤン・シュワンクマイエルの部屋」(1984年)。人形を使った魔術の国、チェコ。ルドルフ2世が作った「驚異の部屋」やアルチンボルド。そのようなイメージの断片を散りばめていて、知性と悪魔主義的感性が融合している。これぞクエイ兄弟の真骨頂。
e0345320_11133735.jpg
これだけ趣味性の高い創作活動をしていると、ちゃんと食べていけるのであろうかという余計な心配をしてしまうのであるが、そこはそれ、結構ミュージック・ビデオやコマーシャルの仕事をしているらしい。あぁ、よかった(笑)。以下はそれぞれ、ハネウェル(1986年)、ニコン(1989年)、コカコーラ(!1993年)のCMから。趣味性の追求に妥協はないように見える。
e0345320_11173477.jpg
e0345320_11192799.jpg
e0345320_11194145.jpg
それからこれは、アイルランドのビール銘柄、マーフィーズのモノクロのCM(1996年)。侍が忍術によって瓶に触れずにビールを飲み干す。
e0345320_11243639.jpg
フランスの天然微発砲水、バドワのCM(1998年)。フランスではクエイ兄弟の人形パペットが、普通にテレビに出ていたということだろう。
e0345320_11255634.jpg
それから、舞台美術もあれこれ手掛けているようだ。以下は、イングリッシュ・ナショナル・オペラでのプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」(1988年)と、ロイヤル・ナショナル・シアターでのチャイコフスキーの「マゼッパ」。
e0345320_11270752.jpg
e0345320_11281714.jpg
この展覧会には一ヶ所、写真撮影OKの作品がある。映画「ベンヤメンタ学院」に使われたセットで、「粉末化した鹿の精液の匂いを嗅いでください」とある。いやですよそんなもの(笑)。と心配するまでもなく、近づけないので匂いを嗅ぐことはできない。
e0345320_11321411.jpg
ここでご紹介した以外にも、クエイ兄弟の持ち味満載の展示物が目白押しである。面白いのは、双子なので人間としては二人なのであるが、どの作品も、二人のうちのどちらが作ったとか、制作にあたってどのように役割分担したとか、そのような記述は一切ない。それだけ二人は一心同体ということであろうか。これを機会にまた日本で人気が再燃して、次の映画作品にとりかかってもらえればいいなぁと思っております。そのためにも、この展覧会に行かれる方には、是非山口蓬春と運慶も同日に鑑賞して頂き、イメージの衝突に慣れておいて頂ければと思う次第であります。

by yokohama7474 | 2016-09-24 11:36 | 美術・旅行 | Comments(0)

チョン・ミョンフン指揮 東京フィル (ピアノ : チョ・ソンジン) 2016年9月23日 サントリーホール

e0345320_00225402.jpg
e0345320_00230391.jpg
今回の記事はいつもと若干趣向を変えて、写真の二連発から始めた。1枚ものと、アンディ・ウォーホル描くキャンベル・スープよろしく同じ図柄が複数集まった上に(あ、以前も使ったネタである 笑)、チョンと東京フィル(通称「東フィル」)の演奏会がほぼ毎回そうであるように、「満員御礼」の札が貼ってあるものとである。このような映像が2016年9月の音楽シーンのひとつの記録になるであろう。私にとっては、9月からの新シーズンにおいて、東京のメジャーオーケストラ7団体のうち6団体目の鑑賞になる。これで今シーズンで未だ演奏会を楽しむ機会がないのは東京交響楽団だけになった(10月には機会が到来する)。これまでこのブログの記事でご紹介して来た通り、今般の東京の新音楽シーズンは非常に充実しているわけであるが、わけても、まぎれもない現代のトップ指揮者である韓国出身のチョン・ミョンフンの指揮する東フィルの演奏は、掛け値なしに東京の音楽ファンにとって見逃すことができないイヴェントになっている。

今月、チョンと東フィルは2種類の曲目による3回のコンサートを開く。私が今回聴いたものは、既に同じ内容で9/21(水)に東京オペラシティにて開催された演奏会と同じ、以下のような演目である。
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(ピアノ : チョ・ソンジン)
 ベートーヴェン : 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

なるほど、逃げも隠れもできない真向勝負のベートーヴェン尽くし。実はチョンが今回採り上げるもう1つのプログラムは、やはりベートーヴェンの6番と7番。うむ、逃げも隠れもする必要はない。チョンと東フィルの力量が試される機会となるだろう。チョンは2001年にこのオケのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任してからはや15年。現在では名誉音楽監督というポジションを得ている。チョンの演奏はこのブログでも何度も採り上げてきたが、その度に大きな刺激を受けている。今回も期待せずにはいられないのである。

今回登場するソリストは、昨年のショパン・コンクールの覇者で、既に国際的な活動を始めている、弱冠22歳の韓国のピアニスト、チョ・ソンジンだ。既に名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからライヴ盤が出ている。
e0345320_00440110.jpg
彼がショパン・コンクールに優勝した直後に来日して、ウラディミール・フェドセーエフ指揮のNHK交響楽団と共演した際の演奏については、昨年11月21日の記事で採り上げた。今回自分の過去の記事を読み返してみると、今回の演奏の感想と共通する部分が多いことに若干の驚きを覚えるとともに、いつもチャランポランな私としては、音楽に関して自分の抱く感想がコロコロ変わることがないことを知り、なにやらほっと一安心だ(笑)。要するに前回も今回も私が感じたのは、この若きピアニストの場合、発展途上というよりは、既に完成した音楽家であるということだ。彼が弾いた「皇帝」は、その名の通り華麗で力に満ちた演奏が求められるところ、彼のピアノは、ただそのような外面的な効果を狙うというより、音楽の本質を丁寧に抉り出すようなイメージであったのである。若い演奏家を聴く楽しみの多くは、彼または彼女がその後いかに成長して行くかという点にあり、私も過去の記事でそのようなことを述べたことが何度もある。だが、「将来が楽しみだ」といった感想もあってもよいとはいえ、若かろうが熟年だろうが、まずはその演奏家の現在に耳を傾けるべきであろう。今回のチョの演奏からそのような感想を抱いた。彼のピアノは美しく流れがよく快活で、まさに若さに満ち溢れている。そして、それだけにとどまらないところが非凡なのである。今回の演奏では、チョンの推進力ある伴奏にも助けられたかもしれないが、実は数十名のオケに相対して、チョのピアノが先導するような箇所も、実際に何度か聴かれたと思う。いたずらに派手な効果を狙わないのに、音楽は溌剌とし、愉悦感にあふれている。なるほどこれは素晴らしい才能であると再認識した次第。それはアンコールで彼が弾いたベートーヴェンの「悲愴」ソナタの有名な第2楽章の演奏にもはっきりと表れていた。私もこの楽章には心から惚れ込んでいる人間であるが、あまり情緒的で思わせぶりな演奏では鼻白んでしまうところ、今回チョのピアノは、ごく自然体で感傷を排した、でもこの上なく美しい演奏であり、素晴らしい説得力であった。

後半はベートーヴェンの名作「田園」交響曲である。この曲はベートーヴェンの9曲の交響曲の中でも異色の作品であり、内容が親しみやすい割には、本当に質のよい演奏をするのは難しい曲であろうと思う。もともと交響曲とは、ソナタ形式に基づく器楽だけの形態。古典派の時代には、純粋な音の喜びの表出がメインであったはずだが、この曲は鳥の声や、農民の踊りや、嵐や、嵐が過ぎ去った後の晴天下における神への感謝など、いわゆる純粋な音楽以外の要素がふんだんに入っている。ここには情景の描写もあるが、それよりも重要であるのは、田園地帯で人間の感じる感情こそが、音に表されるべき対象であるということだ。チョンはインタビューでこの曲に関し、以下のように語っている。

QUOTE
『田園』は私が愛してやまない交響曲です。奇跡的な音楽であり、人間的という点で言えば、歴史上の全交響曲の中でも最高の作品。音楽を通してベートーヴェンがどれほど自然を愛していたかということがよくわかります。
UNQUOTE
e0345320_01333736.jpg
演奏家としてこれだけ率直にものを言ってしまうと、自らの演奏の質を厳しく問われるようにも思うが(笑)、さすが円熟の境地のチョンである。期待にたがわぬ素晴らしい演奏を聴かせてくれた。テンポは若干速めであったが、オケの面々にお互いの音を聴かせるように導いていて、その重層的な各パートの鳴り方に、何か尋常ではない強い表現意欲を感じることができた。そうだ。それから、7月22日の記事で書いた、チョンの音楽が師のジュリーニに似てきたという感想を、今回も抱くこととなった。民族もメンタリティも、きっと日常生活で好きな食べ物も(笑)、この師弟の間では異なる点が多いのに、不思議なことに音楽という文化活動においては、師弟間におけるそのような差異の要素よりも、類似の要素が、いずれかの時点で出て来てしまうのであろうか。興味深いことである。ともあれこの「田園」、いつものようなチョンの「寄らば切るぞ」という気迫よりも、人生の収穫を楽しむという感覚に満ちていたと思う。あとは、例えば終楽章でさらに凝縮した音が鳴っていればよかったようにも思う。だが素晴らしい熱演であったことは間違いない。

そして、定期演奏会としては珍しいことに、アンコールが演奏された。同じベートーヴェンの交響曲第7番の熱狂の終楽章だ。この曲は今回のチョンと東フィルの一連の演奏会のうち、9/25 (日) のメインの曲目になっている。多分この日の昼、この曲のリハーサルをしたところなのだろうか。楽器編成もほぼ同じ。ただ例外は、「田園」の後半に使われているトロンボーンが、7番では使われていないということだ。なので、このアンコールにおけるトロンボーン奏者たちは、同僚たちの熱演を高見の見物としゃれこんだわけである(?)。ただ、「田園」と同じく、大団円に向けてさらに音に緊密度が高まれば、さらによかったかもしれない。

今回の演奏会ではハプニングがもうひとつ。開演直前にオケがチューニングをする際、通常はオーボエが最初に「ラ」の音を出すが、ピアノがステージにある場合には、コンサートマスターがピアノの鍵盤を叩いて同じラを出すのである。ところが今回、コンマスがピアノに向かったところまではよかったのだが、間違えて全然違う音を出してしまい、楽員も聴衆も爆笑だ。これは珍しいことであるはず。まぁこれはご愛敬で、演奏が始まってしまえば、きっちりプロの音楽が奏でられていたのであるが。このような些細なハプニングが、時に思い出作りに貢献するし、音楽を奏でるという行為の真剣さを逆に強調することになるだろう。・・・と、ここはすっきり整理しておこう(笑)。

チョンと東フィル、次の演奏が待ち遠しい。

by yokohama7474 | 2016-09-24 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ボローニャ歌劇場来日公演 プッチーニ : 歌劇「トゥーランドット」(指揮 : 吉田裕史 / 演出 : アレッシオ・ピッツェック) 2016年9月22日 奈良・平城宮大極殿前特設ステージ

e0345320_23321448.jpg
本公演は、上のチラシにある通り、ジャパン・オペラ・フェスティヴァル2016奈良公演と銘打って開催されたものである。この名称だけでは内容が分からないが、実質的にイタリアの名門歌劇場であるボローニャ歌劇場の引っ越し公演である。指揮をするのはこの歌劇場の首席客演指揮者であり、この歌劇場のオーケストラがシンフォニーコンサートを演奏する際の名称であるボローニャ・フィルの音楽監督である、1968年生まれの吉田裕史(ひろふみ)である。
e0345320_23404236.jpg
恐らく首都圏の方は、「あれ?9月28日のサントリーホールでのコンサートなら知っているけれど、オペラ公演があったとは知らなかったな」と思われる方がほとんどではないだろうか。かく申す私も、この公演のことを全然知らなかった。つい数日前、興福寺の五重塔・三重塔初層同時公開(関連記事は追ってアップ予定...ちょい時間を頂きます)を見るために奈良に向かう途中、近鉄京都駅のプラットフォームに入るまでは。そこで私が目にした光景はこれだ。
e0345320_23455279.jpg
2010年の平城京遷都1300年を記念して開かれた数々のイヴェントのキャラクターとして彫刻家 籔内佐斗司(やぶうち さとし)が考案した、あのせんとくんである。なんの変哲もない(?)せんとくんと思いきや、その向かって右側のチラシが私の気を引いたのだ。
e0345320_23505453.jpg
あの復元された平城宮の中心の建物、大極殿の前に特設ステージを設けて、あのプッチーニの名作「トゥーランドット」を演奏する。しかもあのマエストロ吉田とあのボローニャの共演。東京のコンサート会場で配布されているチラシ(原始的ながら、公演情報としては未だ非常に有用なツール)では見たことがないし、いわゆる大手のチケット業者が扱っていないのか、これまでこの公演のことを聞いたことは皆無であった。だが、せんとくんのお導きで知ってしまったからには、これにはどうしても出掛けねば。というのも、実は私はこのマエストロ吉田とは若干の知遇を得る幸運に浴しており、彼の音楽の素晴らしさをよく知っているからだ。文化に敏感な方々に覗いて頂いているこのブログにおいては、やはり採り上げるべき対象である。スケジュールには多少の無理はあったが、万難を排して会場に赴いた。

まずこの吉田(本来は「氏」をつけるべきであろうが、ほかの指揮者同様の敬意を込めて、以下呼び捨てとする)であるが、日本人にしては珍しく、イタリアで着々と地歩を築いている指揮者である。以前、マントヴァ歌劇場の音楽監督であった頃、「日本人の指揮者でイタリアでポストを持った人って考えても思いつかないんですけど、ほかにいましたっけ」と訊くと、胸を張って「私が初めてです」とおっしゃったものだ。そして今では、あのイタリア有数の名門、以前はあのリッカルド・シャイー(ミラノ・スカラ座の現音楽監督)も音楽監督を務めたボローニャ歌劇場の首席客演指揮者である。イタリア人にとってのイタリア歌劇は、まさに自分たちの文化遺産。彼らの感じる誇りは、往々にして外国人への偏見につながるものだと思うし、言語ひとつ取っても、イタリア語が完璧にできないとまず信用されないであろう。吉田はそんな中、まさに「敵地」でひとり孤独な闘いを続けた結果、自らの実力で今日の地歩を築いた人なのである。私は彼の「蝶々夫人」を聴きにミラノ近郊のノヴァッラまで出かけたこともあれば、国内でも「フィガロの結婚」「魔笛」の素晴らしい指揮ぶりを聴いている。彼にとっては別に日本だけが舞台である必要はなく、イタリアをはじめとする世界で活躍して頂ければよいのだが、やはり故国日本で、さらに知名度を上げ、活躍の場を増やしてもらうことを切に祈っている。

実は吉田の指揮する日本でのボローニャ歌劇場のオペラ公演はここ数年続いていて、2013年には清水寺でマルティーニの「ドン・キホーテ」(知らない曲だ!!)ほか、2014年には二条城で「蝶々夫人」、昨2015年には姫路城と京都国立博物館で「道化師」が演奏されてきた。昨年からは、投資信託さわかみファンドの創業者、澤上篤人が会長を務める「ジャパン・オペラ・フェスティヴァル」としての上演となっている。それにしても、毎年凝った場所での公演だが、いずれも関西であるのは何か意味があるのだろうか。吉田はゆるぎない信念の人であり、かなりの硬骨漢であるので、なんらかの主張が込められているのかもしれない。

さて今回の会場は、国が長期的な復元計画を遂行中の平城宮址において、2010年に木造で復元されている巨大な建物、第一次大極殿の前の特設広場である。実はこの日は曇りか雨か、微妙な天気。覆うもののない野外での公演ゆえ、雨天なら中止になるが、主催者のウェブサイトで9時、12時、15時の3回アナウンスがあり、公演開催決定とのこと。平城宮址は近鉄の大和西大寺駅から歩いて10分あまり。道の途中も、敷地内に着いてからも、きっちり環境整備されている場所とは言い難いが、広い草むらのむこうに、ついにこのような巨大な建物が見えてくると、ワクワクする。
e0345320_00565180.jpg
この建物より10年以上前、1998年にこの遺跡で最初に復元された建物である朱雀門は、かなり遠くに見える。このガランとした空間に、これから復元作業が続いて行くのであろう。ところで、この門のすぐ前を近鉄が走っているが、オペラの会場からはかなり距離があるため、その音が音楽の妨げになることはない。写真で見えるクレーンは、回廊の復元作業用であろうか。
e0345320_00581787.jpg
16:30 開場、17:30開演予定とのことであったが、結局16:55まで待たされることになり、このような門の前で開場を待つ人たちの長蛇の列ができた。
e0345320_01002685.jpg
いよいよ開場となり、中に入ると、さすがに雄大なステージ設計である。空模様は気になるものの、なんとか行けそうだ。
e0345320_01011909.jpg
e0345320_01101664.jpg
野外特設ステージゆえ、椅子はこのような質素なもの。全部で 3,000席は超える収容人数であっただろう。楽員たちもその場で上着を着るなど、くつろいだ雰囲気。
e0345320_01065437.jpg
e0345320_01074067.jpg
e0345320_01081906.jpg
そして開演前にはこのようなドラが鳴らされる。これは、イタリアの野外オペラの代表であるアレーナ・ディ・ヴェローナを真似ているのだろうか。ふと見るとカラスが一羽、どこからともなくバサバサ飛んできて、屋根の上から見下ろしている。このあたりのハプニング性も野外公演ならではで、面白い。
e0345320_01094703.jpg
e0345320_01114665.jpg
こうして始まった「トゥーランドット」であるが、総じて言えば演奏のレヴェルはかなり高かったと思う。だがその一方で、会場設営や音響効果に課題が残り、ちょっともったいないような気がした。まず、歌手はいずれも高度な出来。主要な配役は以下の通り。
 トゥーランドット : ノルマ・ファンティーニ(イタリア人。ィーン、ミラノ、MET等に出演。新国立劇場では「アイーダ」「トスカ」のタイトルロール等で出演多し)
 カラフ : イアン・ストーリー(英国人。スカラ、MET、コヴェントガーデン等に出演。ベルリン州立歌劇場では「神々の黄昏」のジークフリートを歌ったこともあり)
 リュー : シッラ・クリスティアーノ(ボローニャ出身。イタリアを中心に活躍)

トゥーランドット役は、当然強い声を必要とされるわけだが、内面には恋への憧れを持ち、再終幕では可憐さすら求められる。私はあまり強すぎる声、たとえば昔のビルギッテ・ニルソンとか、この役を当たり役にしたゲーナ・ディミトローヴァで聴くと、ちょっと白けるようなところが正直あるのだが、今回のファンティーニの声には最初から優美さもあって、大変よいと思ったものだ。
e0345320_01242646.jpg
カラフのストーリーは、堂々たる体躯に張りのある声。演技も上々だ。
e0345320_02061161.jpg
その他、この曲で難しい箇所のひとつであるピン・パン・ポンの絡みもなかなかに絶妙で、うまく劇の流れが作られていた。但し、どうやらPAは使っていなかったか、もしくは限定的であったようで、私のいた前から10列目くらいでは、弦の響きなどはかなり聞こえにくく、本来鳴っていたであろう劇的な音は、残念ながら野外ではその効果がかなり薄れてしまっていたとしか言いようがない。また合唱団も、ボローニャ歌劇場合唱団と、オーディションで選ばれた日本人メンバーの混成で、舞台の両脇に長く伸びて陣取ったこともあり、コロス的に運命を語り物語を強く後押しするだけの凝縮性に欠けた点も残念であった。吉田は小柄な人であるが、その強い統率力はまぎれもない一流のオペラ指揮者であることを証明している。今日の指揮ぶりは、これまでにほかの演目で接してきた強い集中力とリズム感溢れるものであったものの、この環境では、実際に耳に入ってくる音にかなり自分のイマジネーションで補強して聴く必要があったものだ(笑)。

だがまあ、野外オペラである。そもそもオペラハウスでの演奏とは異なる環境であり、あまり硬いことは言わず、徐々に暮れ行く空間の中、いわば舞台の「借景」として堂々たる姿を見せる大極殿を見上げながら、一時日常を忘れたい。第1幕が終わる頃には既にあたりは暗くなっていて、雰囲気が出てきましたよ。幕間に見る指揮台もなかなかカッコよい。指揮者の戦場である。
e0345320_01321326.jpg
e0345320_01324083.jpg
ただ、音楽面を離れて会場設営上の難点も散見された。最大の難点は、トイレや飲食物の売店までが遠すぎること。これではなんとも慌ただしいし、体の不自由な人たちはかなり困ったことだろう。休憩が1回ならともかく、3幕物で休憩が2回入ると、この点は大きな課題になる。主催者の方々は、是非来年以降はこの点を熟慮して、会場と曲目を選んで頂きたい。もちろん、そもそもがオペラ上演を想定しているわけもない場所でのこのような公演には様々な困難があったことは容易に想像でき、この公演を実現に漕ぎ着けただけでも、心からなる敬意を表したい。

さて、実はこのオペラ、作曲者プッチーニが途中で再終幕を完成させずに死んでしまい、未完成に終わったものを、弟子が補筆完成させたのであるが、実は今回の公演も、残念ながら未完成で終わってしまったのである。つまり、第2幕が終わって第3幕に入ろうかというとき、ポツリポツリと雨が降ってきたのだ。野外とは言っても、これがサッカーとかラグビーなら、雨が降ろうと試合は続いて行くわけであるが、さすがにオーケストラの楽器は水に濡れると相当まずい(笑)。楽員の人たちはさっさと楽器をケースに入れて避難してしまった。その後しばらくは小雨、あるいはタイミングによっては弱い霧雨が続き、空を見てもあまり雲は厚くなかったので、観客たちはじっと席で我慢していたのである。しかしながら、そのうち雨具なしにはすまない状況に。
e0345320_01372236.jpg
待つこと、恐らくは30分くらいであったろうか。「出演者とどのように演奏を継続するか協議中」とのアナウンスが何度か流れた後、主催者の澤上篤人と指揮者の吉田、そしてボローニャ歌劇場の責任者のイタリア人が出て来た。傘で遮られているが、これがその時の写真。
e0345320_01470876.jpg
それによると、この天気ではオケが演奏できない。だがせっかくなので(第3幕にはこの曲最大の聴きどころ「誰も寝てはならぬ」もあるし)、ソロ歌手と合唱団には歌ってもらい、ピアノ(聴こえて来た音からするとピアノではなくエレクトーンであったように思うが)で伴奏して最後まで演奏します、とのこと。聴衆からは拍手はあったものの、正直なところ雨が弱まる気配がなく、半信半疑という雰囲気であった。案の定、それから雨足はむしろ強まってしまい、さらに10分ほど経過してからまた3人が出て来て、歌手にとって雨の中で歌うのは危険なので、残念ながら今日の演奏はここで中止としますとの発表があった。そうして人々は家路についたのであるが、周りの人たちの声は、「まあ雨だからしょうがないね」というもので、特に大きな混乱は見られなかった。

そんなわけで、尻切れトンボの上演となってしまったわけだが、次回、9/24(土)にはちゃんと通しでやりますとのこと。今年の日本は台風にやられたい放題で、しかも嵐が去っても爽やかな台風一過の秋晴れにはならないケースばかり。天気はコントロールできないので、主催者側の落ち度ではなんらないものの、ちょっと不便な会場設営と合わせ、若干疲れる未完成オペラの鑑賞となってしまった。演奏内容自体はかなりのものであっただけに、残念だ。ただ、私の席の近くの人が、「これもいい思い出になるね」と言っているのが耳に入った。そうそう。何事も前向きにとらえよう。マエストロ吉田とボローニャの次回公演に期待。





by yokohama7474 | 2016-09-23 01:53 | 音楽 (Live) | Comments(2)

ポンピドゥー・センター傑作展 東京都美術館

e0345320_19422192.jpg
まずはお詫びから入ろう。この記事をご覧頂く方がこの展覧会に興味を持たれ、「ちょっと行ってみようかな」と思われても、時既に遅し。会期は9月22日(木・祝)まで。つまり、私がこの記事を書き終わるその当日だ。いや、それでも、朝この記事をご覧になった方は、ちょうど祝日ということもあり、上野公園の東京都美術館に走ろうか、という気持ちを抱かれるかもしれない。この展覧会はこの後日本のどこの都市にも巡回しない。よって、本当に今日は最後のチャンス。最終日に現地に急ぐだけの価値はある、と申し上げておこう。

さてこの展覧会は、パリにある現代美術の殿堂、ポンピドゥー・センターの所蔵作品によるものである。名称は、この美術館の設立を主導した当時のフランス大統領、ジョルジュ・ポンピドゥーの名を取ったもの。フランスにおける国立の大規模美術館として、古代から近代までをカバーするルーヴル美術館、主として19世紀(メインはヨーロッパ各地での革命勃発の年1848年から第一次大戦勃発の1914年まで)をカバーするオルセー美術館、そして20世紀(と21世紀?)をカバーするこのポンピドゥー・センターの3館が、芸術の街パリの主役たちである。建物の外側にパイプが走る独特の「現場感覚」あふれる、ささくれだっていて決して平穏ではないモダニズムを持った、こんな建物だ。おっとこの写真に写っているのは、この美術館を取り巻くパイプに住んでいる(?)というキャラクター、リサとガスパールではないか!!
e0345320_22561951.jpg
私がこの美術館を初めて訪れたのは1990年のこと。以来何度となく足を運んでいるが、よく小学生たちが見学に来ていて、本物のピカソの前に車座に座り、教師の問いかけに何やら積極的に答えている情景などを目にする。まぁそれを見ていると、さすがパリであると思う。しかも子供ですら、喋っているのはフランス語なのである!!(当たり前か 笑) だが、現地を離れた展覧会は少し勝手が違うだろう。今回のように一ヶ所の美術館からまとめて作品を持ってくる場合、いわゆる総花的で当たり障りのない選択がなされることも往々にしてあり、現地を訪れたときのような高揚感がない場合もあるのだ。だがその点今回の展覧会は、これは行ってみないと分からないのだが、これまでに例のない独特な方法を取っていて、しかもそれが非常に成功していると評価できると思う。図録に載っている主催者の挨拶を引用すると、「フォーヴィスムが台頭してきた1906年からポンピドゥー・センターが開館した1977年までのタイムラインを『1年1作家1作品』によってたどります」とのこと。つまり、1906年、1907年、1908年...と来て1977年までの72年間に亘って、各年1人のアーティスト(絵画、彫刻、写真、建築や家具、そして映画まで)の作品が展示されているということだ。しかも興味深いのは、隣接する年で全く違う分野の作品が無作為に並ぶような場当たり的な企画ではなく、お互いに関連する作家であったりジャンルであったりが、年を接して並ぶように慎重に考察・選定されている。これによって、これまで気づかなかった美術の潮流や、あるいは全く未知の作家に巡り合うチャンスが与えられている。これまでにない新しい形態の展覧会であるが、これが可能になるのも、多様で膨大な作品を所有するポンピドゥー・センターならではだ。

以下、展示されている71作品の中から私の興味を惹いたものを幾つかご紹介し、この企画についての私なりの評価を、いつものようにとりとめなく(?)書いてみたい。ん? 1906年から1977年までは、両端を入れると72年。なのになぜ71作品?答えは後ほど。なんだよ、じれったい奴だなぁと、ジョルジュ・ポンピドゥーさんも苛立っておられる。
e0345320_23364848.jpg
この展覧会では、それぞれの年の作品の作者の肖像と、その言葉が引用されていて、その点も非常に凝った構成になっている。まずトップバッター、1906年の作家は、ラウル・デュフィ(1877-1953)。瀟洒な色使いと軽快な筆致で親しみやすい作品を描いた人だ。作品は「旗で飾られた通り」。
e0345320_23385081.jpg
続く1907年は、これもフランスのビッグ・ネーム、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)。フォーヴィスムからキュビスムに進んだ、やはり20世紀を代表する画家のひとりで、作品は「レック湾」。
e0345320_23422396.jpg
なるほどこの展覧会、やはりオーソドックな有名画家の明るい作品を並べて一般的な人気を狙うのだな、と思ったら、あにはからんや、次の1908年は一転してこの作品。これは侮りがたい。
e0345320_23445472.jpg
あの有名なムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いているが、ルノワールの作品とは大違いで、夜のモンマルトルの雰囲気がよく出ている。描いたのはオーギュスト・シャボーという画家(1882-1955)。この生年はピカソよりひとつ下、上記のブラックとは同い年だ。だが一般的な知名度は段違いに低い。試みに調べてみたが、Wikipediaでも彼の項目はない。美術の正規教育は受けたものの、船乗りで生計を立てていた時期もあるらしい。丁寧な絵ではないが、何か人生の裏側を知っている人でないと描けないような深い語り掛けをしてくる絵であると思う。

それから、知らない作家は1911年のコーナーでも登場する。ロジェ・ド・フレネー(1885-1925)。引用されている彼の言葉は、「私にはあまり想像力がないので、目で捉えたものをつくることしかできない」というもの。20世紀初頭という美術の革命の時代に生きた画家としては、なんと控えめな言葉であろうか。結核を患い、40歳という若さで世を去ったが、主としてキュビスムのスタイルを追求したらしい。展示されているのは「胸甲騎兵」という作品。
e0345320_23532468.jpg
そして永遠の前衛の最先端、マルセル・デュシャン(1887-1968)の有名な「自転車の車輪」は1913年の作品。
e0345320_00015985.jpg
翌年、1914年の作品が驚きだ。レイモン・デュシャン=ヴィヨン(1876-1918)の「馬」という彫刻。見事なモダニズムだ。
e0345320_00042891.jpg
この作品の作者の肖像写真はこれである。
e0345320_00062099.jpg
「動くものを動かなくするかわりに、動かないものを動かす。これが彫刻における真の目的である」とあるが、私はこれを読んで、ひとつ前に作品が展示されていたマルセル・デュシャンの手になる「階段を降りる裸体」を思い出した。ん?それにしてもこの作家の名前、レイモン・デュシャン=ヴィヨン...そうだ、彼はマルセル・デュシャンの兄なのである!! 腸チフスにかかって42歳で亡くなってしまったようだが、あの永遠の前衛デュシャンにも人並に家族がいて、しかも芸術家であったとは、あまり信じられない。因みにほかの兄弟たち、ジャック・ヴィヨン、シュザンヌ・デュシャン=クロティも芸術家であった由。デュシャンの妙な気品は、そのような家族環境から来ているのかもしれない。

さて時代は既に第一次大戦に突入しているが、ここで選ばれている作品群には、戦争の影は一切ない。シャガールやマン・レイという有名作家を経て、1922年はル・コルビュジェ(1887-1965)の作品。彼はもちろん有名な建築家であるが、ここでは「静物」という油彩画が出品されている。いかにも彼らしい混乱のないモダニズムが感じられる。
e0345320_00140193.jpg
1924年、25年は家具のデザインが連続していて、このあたりに展覧会の秩序ある見せ方の工夫があるが、1929年、30年の連続は、また毛色が変わっていて、かなりの衝撃だ。いわゆるアウトサイダー・アート、最近少しは定着してきたように思われる用語で言うと、アール・ブリュットに分類される作品であるからだ。1929年はセラフィーヌ・ルイ(1864-1942)の「楽園の樹」。なんとも形容しがたい表現力。
e0345320_00175953.jpg
彼女は全く美術の素養のない家政婦であったが、38歳のときに芸術に身を捧げなさいという聖母マリアのお告げを受け、多くの作品を生み出したが、後年は精神を病み、最後の10年間はすべての芸術活動をやめて精神病院で過ごしたという。引用されている言葉は、「私は絵を描きます。でもとても難しいです。私は絵のことを知らない年老いた初心者です」というもの。
e0345320_00415832.jpg
1930年は、カミーユ・ボンボワ(1883-1970)。「旅芸人のアスリート」という作品。アンリ・ルソー風ではあるが、船頭の息子として生まれ、肉体労働やサーカスでのレスラーとして働いたという彼の場合、これは自画像なのであろう。教育では身につけることができない、彼の人生が巧まずしてそのまま画面に現れたといった生々しさを感じる。
e0345320_00453639.jpg
e0345320_00472840.jpg
この展覧会には彫刻もあれこれ出品されていて、ブランクーシやジャコメッティや、あるいは以前世田谷美術館での個展をこのブログでも採り上げたフリオ・ゴンザレスなどもよいが、私が好きなパブロ・ガルガーリョ(1881-1934)の「預言者」をご紹介しておこう。様々な角度からの視覚がこの彫刻の面白さを引き出すので、この写真だけではその存在感は伝わりにくいかもしれないが、見ていて飽きることのない、素晴らしい作品である。
e0345320_00494914.jpg
この展覧会では、シュールレアリスムの作品はほぼ皆無で、そのあたりも一種の知見を感じさせるが、ルーマニア出身のヴィクトール・ブラウネル(1903-1966)の「無題」が1938年のコーナーに展示されている。ちょっと雑に見えるが、奇妙に深層心理に訴えかける作品だ。
e0345320_00535292.jpg
そうして、1941年の作品は、再びアウトサイダー・アートである。フルリ=ジョゼフ・クレパン(1875-1948)の「寺院」。配管工で金物屋であった彼は、神秘主義に強い興味を持っていたが、ある日手が勝手にデッサンを始め、絵を描き出したという。1939年に第二次世界大戦が始まると、戦争を終わらせるために300枚の絵を描けとのお告げを聞き、ちょうど300枚目は、ドイツ降伏の前日、1945年5月7日に描き終えたという。そうするとこれもその300枚のうちの1枚か。いやー、なんとも鬼気迫るものがある。
e0345320_00570872.jpg
e0345320_01014329.jpg
そして展覧会は1945年のコーナーへ。実はここには何も展示されていない。「人類にとって大きな意味を持つこの年には作品展示はせず、代わりにその年に作られたエディット・ピアフの『ラ・ヴィ・アン・ローズ(バラ色の人生)』を流します」という内容の表記があった。そういう理由で、総作品数は72ではなく71なのである。面白いことに、続く1946年はこのような作品が展示されている。
e0345320_01055890.jpg
「ラ・ヴィ・アン・ローズ」ならぬ「ピンクの交響曲」と題されたこの作品の作者は、アルジェリア人のアンリ・ヴァランシ(1883-1960)。彼は音楽絵画という概念を標榜したという。この展覧会では、二度の戦争の惨禍を社会参加的に訴える作品はごく限定的であるが、ピアフの「ラ・ヴィ・アン・ローズ」が流れる中でこのような作品を見ると、逆に凄まじい惨禍が人類を襲ったことを実感してしまうという逆説。歴史は決して後には戻らない。

ここまで有名作家の作品はかなり飛ばしてきたが、ここで一人ご紹介しておこう。1948年のコーナーで展示されているアンリ・マティス(1869-1954)の「大きな赤い部屋」。この展覧会のポスターにも使われている。
e0345320_01104020.jpg
私はマティスは本当の天才だと思っているが、その理由を明確に説明することができない。なぜこんな普通の情景がこれほどに神々しく見えるのか。以前見た大規模なマティス展で、なんということのない室内を描いた作品の制作過程で、描かれている対象の位置を繰り返し繰り返し動かして試行錯誤しているという解説を見た記憶がある。彼が作り出しているのは、彼自身が神である、現実とは別の世界なのであろうか。

これまでこの展覧会での展示はご紹介していないが、写真家としては、アンドレ・ケルテスやアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品が出展されている。だが私が面白いと思ったのは、リチャード・アヴェドン(1923-2004)が1958年に撮影したココ・シャネルの肖像。タイトルでは本名のガブルエル・シャネルの名が使われているが、ここで写真家が切り取りたかった老いたシャネルのリアリティには、その方がふさわしいだろう。こんな角度での撮影と、皺がエッフェル塔の足みたいに伸びた写真の公開を、よくシャネルが許したものだ(笑)。
e0345320_01142288.jpg
さてこのあたりからはいわゆる現代アートの世界に入ってきて、そこそこ面白いものもあれば、全然面白くないものもある。その中で私としてはこの人を採り上げないわけにはいかない。1961年のコーナーに展示されたクリスト(1935年生まれ)の「パッケージ」。
e0345320_01212105.jpg
よく知られているように彼は、巨大な建造物を梱包することで知られており、かつて日本でも茨城でアンブレラ・プロジェクトというものが開催された。壮大なる無為な行為は、人類の歴史のある一面を、皮肉とともに人々に突きつける。相当に過激なアーティストなのである。

1962年のコーナーでは、映画監督クリス・マルケル(1921-2012)の「ラ・ジュテ」という作品が上映されている。
e0345320_01243736.jpg
クリス・マルケルと言えば、私も昔アテネ・フランセで見た「サン・ソレイユ」が非常に美しい作品だったし、黒澤明の「乱」の制作に取材したドキュメンタリー映画「A.K.」(語りは蓮實重彦であった!!)も面白かった。久しぶりにその名前を聞いて、このような芸術的な映画を見る機会が減っていることを反省することしきり。

最後の3年、1975年から77年は、ポンピドゥー・センターそのものを対象とした作品が展示されている。なるほど、これだけ多様な芸術分野を包含したこの偉大なる美術館こそ、未来に渡して行くべき作品なのである。1975年は、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-1978)の映像作品で、「コニカル・インターセクト(円錐の交差)」。今のポンピドゥー・センターの場所には、もともと17世紀の建物が立っており、その取り壊しのために建物に円錐形の穴が開けられる際の映像を使用している。
e0345320_01311029.jpg
ところでこのゴードン・マッタ=クラークの名は初めて聞いたが、有名な画家ロベルト・マッタの息子だそうである。ちょっとマッタ、この展覧会には父親であるマッタの作品も展示されていなかったか。図録で確認したが、それは勘違いで、ほかの画家、アンドレ・マッソンと混同していた。というのも、随分以前に開かれたこのマッタとマッソンの合同展覧会によって、私はこれらの画家たちのことを知ったからである。実はこのゴードン・マッタ=クラークは、すい臓がんのために35歳の若さで亡くなっている。余談だが、もう一方のアンドレ・マッソンの息子ディエゴ・マッソンは指揮者、作曲家である。超有名ではないかもしれないが・・・(笑)。

展覧会の最後、1977年のコーナーに展示されているのは、このポンピドゥー・センターの模型である。
e0345320_01444363.jpg
このユニークな建物、誰の設計かと思えば、2人の建築家の合作で、ひとりは関西空港の設計によって日本でも有名なレンゾ・ピアノ(1937年生まれ)、もうひとりはリチャード・ロジャース(1933年生まれ)だ。リチャード・ロジャースと言えば「回転木馬」「南太平洋」「サウンド・オブ・ミュージック」などのミュージカルで有名な作曲家を思い出すが、もちろん同姓同名の別人である。代表作を調べると、ロンドンのロイズの本社があった。なるほど、あれはちょっとポンピドゥー・センターに似ている。日本にもいくつか作品があって、その中には南山城小学校というものもある。へー、写真を見ると解放感あるが、破天荒な小学校だ(笑)。ともあれ、激動の20世紀の文化活動を維持・保存するためのハコであるこの建物、それ自体が貴重な文化遺産になって行くものであろう。

まだまだご紹介できない作品が沢山あるが、このあたりでやめておこう。芸術の都パリらしいこの展示作品の幅広さとレヴェルの高さ。東京も、世界に誇る文化活動を、もっともっと広げていかなければという思いを新たにしながらも、やはりパリは特別だなぁと嘆息することしきりの、初秋の深夜でありました。

by yokohama7474 | 2016-09-22 01:57 | 美術・旅行 | Comments(2)

エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団 (ヴァイオリン : オーギュスタン・デュメイ) 2016年9月20日 サントリーホール

e0345320_22425754.jpg
今日の東京は、巨大な台風16号が迫りつつある状況で、これから明日未明にかけて大雨の予報である。そんな中サントリーホールでは、完売御礼のコンサートが開かれた。実際に足を運んでみると、空席はそれなりにあったものの、場合によっては帰宅の足がなくなるリスクをかけて集まった熱心なファンたちの期待にたがわぬ熱演に、ホールは熱気に満たされることとなった(「熱」の字三連発)。この演奏会、東京都交響楽団(通称「都響」)の前シェフ(タイトルはプリンシパル・コンダクター)であり、現在の桂冠指揮者であるイスラエル人の名指揮者、エリアフ・インバルの登場である。1936年生まれで今年80歳になったインバル、今年はまた都響との初共演から25年という節目の年である。彼の登壇は今回、9月10・15・20日と5日おきの3回、都響のA・B・Cと3種類ある定期演奏会のすべてに登場する。上のポスターは会場のサントリーホール前で撮影したものであるが、15日と20日の2回分(定期演奏会A・B)を1枚に収めてあるところ、今日はホール前に傘立てが沢山並んでいたためにポスターの前に充分スペースがなく、近距離で撮影せざるを得ず、肝心の今日の日付「9/20」が切れてしまいました(笑)。

曲目は以下の通り。
 モーツァルト : ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216(ヴァイオリン : オーギュスタン・デュメイ)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第8番ハ短調作品65

もともとインバルは1980年代にフランクフルト放送交響楽団(現hr交響楽団)の音楽監督として名を上げ、ブルックナーとマーラーの演奏で日本でも大人気となった。そのフランクフルト放送響との来日以降、日本のオケではN響も何度も指揮しているが、その後都響と急接近した。都響はもともと、歴代音楽監督の中に渡辺暁雄、若杉弘といったマーラーを得意とする指揮者を擁し、それからなんと言っても、インバルとはライバル関係(ケルン放送交響楽団の音楽監督として)にあったやはりイスラエル人の名指揮者ガリー・ベルティーニを音楽監督に頂いたこともあるオケであり、マーラー演奏にかけては世界的に見ても優れた実績を持つ。このインバルは都響とは二度に亘るマーラー・ツィクルスを行い、特に二度目のものはすべてライヴ録音され、絶賛を博した。そして今彼が都響と徐々に採り上げているのがショスタコーヴィチである。既にウィーン交響楽団と全集を録音している彼にとって、ショスタコーヴィチの謎めいた大作群は既に自家薬籠中のレパートリー。一方で東京では、都響に限らず全般にショスタコーヴィチ演奏が明らかに増えて来ている。その点においても、今回の8番には期待が募ったのである。
e0345320_23130576.jpg
さてその前にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲3番について語ろう。ここで登場したのは、世界有数のヴァイオリニストのひとり、フランス人のオーギュスタン・ギュメイだ。
e0345320_23163434.jpeg
非常に長身な人だが、なんともエレガントなヴァイオリンを弾く。ポルトガルの名女流ピアニスト、こちらは大変小柄なマリア・ジョアン・ピレシュとの一連のデュオでも知られている。また、私の記憶が正しければ、もう20年以上前であろうが、若杉弘と都響がヨーロッパツァーを行った際にソリストとして同行したはずである。最近では指揮もしており、関西フィルの音楽監督という地位にもある。私も以前、ベートーヴェンのコンチェルトを聴いてから久しぶりのデュメイ体験であったが、以前よりも一層音楽の自由度が増しているように思われた。彼クラスになると、力んだり焦ったりすることはなく、心からモーツァルトの音楽を楽しみながら弾くことが可能であり、注意深く聴けばそこに様々な表情が息づいているのが分かったが、それはやはり、並のヴァイオリニストができる技ではない。最近はやりの古楽器風の鋭いところは皆無で、昔ながらのモーツァルトであったと思うが、それは古臭いということでは全くなく、過度な耽美性も排除しているので、安心して聴けるということである。またインバルの指揮するモーツァルトはあまり聴く機会がないが、キビキビした音楽で万全の伴奏であったと思う。もちろん、お互いの音を聴き合う都響の技量に支えられていたことは間違いない。演奏終了後、いつものようにアンコールねだりの拍手が続いたが、デュメイはアンコールを演奏せず、右手の人差し指を立ててクルクル回して「巻き」の合図を聴衆に送った。言うまでもなく、台風が接近しているので、早くコンサートを進めましょうという意味であったのだろう。

そしてメインのショスタコーヴィチ8番であるが、これは第二次大戦中に書かれた1時間を超える大作。あのムラヴィンスキーが初演していて、壮絶な録音も残しているが、この作曲家の15曲のシンフォニーの中では、さほど人気のある方ではない。それでもその劇的な音響は凄まじく、最近日本でも演奏頻度が上がっているように思う。実際このブログでも、8月10日の記事で、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮のPMFオーケストラの演奏を採り上げた。実はその記事に書いた、若いPMFオーケストラの演奏に欠けていた力強さが、今回の都響の演奏に感じられたいちばんの特色ではなかったか。以前から何度か書いている通り、最近の都響の演奏は音の芯が必ずしっかりしており、マーラーと同様、このような曲では無類の適性を発揮するのだ。テンポは概して速めであったが、これはインバルが外で吹き荒れる台風を気にしてのことであったわけではないだろう(笑)。むしろ、サントリーホールの中に台風が吹き荒れたという感じすらするのだ。なんという表現の幅広さ。木管、金管の技術力の高さ。打楽器の迫力。弦楽器のニュアンスの豊かさ。少なくとも日本で聴ける最高の演奏水準であり、世界のどこに出しても恥ずかしくない素晴らしい名演であった。インバルは第1楽章と第2楽章を続けて演奏したが、これは珍しいことではないだろうか。だが、第3楽章から最後の第5楽章までは連続して演奏されるので、これによってあたかも全曲が前半、後半の二部構成に分かれたようになっていて、この複雑な情緒の曲の整理方法としては、なるほどと思わせるものがあった。それにしても、この曲で何度も現れる大音響が、未だに耳に残っているし、そこには視覚の作用もある。例えば、第3楽章であったろうか、ティンパニが紙ナプキンをそれぞれの太鼓の革の上に乗せてドコドコ叩き、次の場面ではそれを取り払っているのを目撃したが、あれはスコアに何か表記があるのだろうか。そのような細部にまで固唾を飲んで見守る演奏であったのである。あるいは、ピッコロの活躍と、それに絡まるコントラ・ファゴットは、木管楽器の最高音と最低音の会話であったし、全楽器の炸裂によって音の飛沫が飛び散り、それが収まったときに狂ったようにトレモロを強奏する弦楽器群の音の毛羽立ちも、耳から消えないでいるのだ。ステージにはマイクが沢山立っていたので、きっとライヴ収録され、CDになるのであろうか。記録に残す価値は充分にある名演であった。

最後にインバルについて少し。この人、日常生活でもかなりユニークな人であると聞くが、芸術家たるもの、ユニークであることは大いに結構だ。今回のプログラムにインタビューが掲載されているのだが、よくありがちな通りいっぺんの芸術家のコメントではなく、インバルらしいユニークさがあれこれ見られて興味が尽きない。例えば以下のような具合だ。

QUOTE
自分は12歳まで、とても信仰心の篤い人間でした。神の存在を完全に信じていたのです。その後、私の中で革命が起こり、唯物論者(マテリアリスト)になりました。その時期はあまり長くなかったのですが。今は、この世界を作った創造主の存在を確信しています。(中略) 科学的な研究は様々な分野でなされていますが、科学の力では究明できないことがこの世界にはたくさんあります。それは創造主の力を仮定しなければ説明がつかない。私は創造主の存在を信じていますし、音楽の中には常に創造主の力が働いていると感じながら指揮をしています。
UNQUOTE

またインタビュー記事には、都響との初共演が1991年9月のベルリオーズのレクイエムであったことに触れられており、インバルは、最初の共演のときから都響の反応が早かったこと、その後共演が一時期途絶えてから再度共演を果たしたときには、自分の要求を都響がすぐに思い出してくれたことを述べている。そして、この25年間、都響は進化を続けてきたので、マーラーにしても、以前よりさらに高いレヴェルで演奏できるようになっていると称賛している。これを読んで私は思い出した。私はこのインバルと都響の初顔合わせ公演を聴いている。早速いつものように当時のプログラムを引っ張り出してきた。
e0345320_00000435.jpg
開いてみると、あぁ、そうだ。サントリーホールではこのベルリオーズのほかに、ショスタコーヴィチの1番・5番。そして東京文化会館ではマーラーの「復活」が演奏され、いずれも土曜日の開催であったので、当時未だ社会人としてはペーペーの雑巾がけの身であった私も、すべて聴くことができたのだ。特にショスタコーヴィチ5番の大団円でティンパニと大太鼓の響きに鳥肌立ったことをよく覚えている。当時の新聞記事の切り抜きもあって、音楽評論家 中河原理は、演奏を称賛しながらも、オーケストラにはさらにデリケートな音色美が欲しいと書いている。中河は既に物故しているが、今の都響を聴いたらなんとコメントするだろう。
e0345320_00002445.jpg
そして、この25年前のプログラムに載っているインバルの写真はこれだ。さすがに現在は80歳。年を取ったとはいえ、まだまだその力量は健在であるどころか、これからさらに深化して行く可能性を秘めていると思う。それは本人の言うように、創造主の力を感じながらの指揮であるからかもしれない。次の来日が待ち遠しい。
e0345320_00003410.jpg

by yokohama7474 | 2016-09-20 22:43 | 音楽 (Live) | Comments(0)

X-MEN アポカリプス (ブライアン・シンガー監督 / 原題 : X-MEN Appocalypse)

e0345320_22230505.jpg
マーヴェル社のアメリカン・コミックを原作とし、数々の超能力を持つミュータントたちがその能力を遺憾なく発揮するド派手な映画シリーズ、それが「X-MEN」である。2000年に最初の映画が公開されて以来、これまでに5作のシリーズと、それから、主要キャラクターであるウルヴァリンを主役とする作品が2本。加えて、先頃このブログでもご紹介した「デッドプール」もこのシリーズの派生作品である。私はその中の一部しか見ていないが、よく考えて見ると、最初の作品から16年間でこの「X-MEN アポカリプス」を含めて9本の作品が作られているというペースはなかなかにすごい。日本人になじみのあるキャラクターはそれほど多くないが、米国ではきっと、それぞれのキャラクターにファンがいるような状況なのであろうか。

ただ、シリーズを重ねるごとに、時代を遡ったり進んだりするので、ちょっとまぎらわしいことが難点と言えば難点か。きっとマニアなら充分各キャラクターをフォローしていて、そのキャラクターに関するエピソードなどもそらんじているのであろうが、私はそこまでは全く到達していない。だが、そんな私とても、二人の主要キャラクターは分かる。これまでの作品でパトリック・スチュワートが演じてきたプロフェッサーX(チャールズ・エグゼビア)と、イアン・マッケラン演じるマグニートー(エリック・レーンジャー)だ。
e0345320_22482253.png
ところが今回の作品では、この二人は登場しない。いや、正確には、この二人の俳優は登場しない。だが、それぞれの役柄は今回も登場するのだ。どういうことかと言うと、今回の時代設定は1983年。若き日のチャールズとエリックが登場する。このような写真が分かりやすかろう。
e0345320_22505396.jpg
e0345320_22511423.jpg
なぜこれを書いているかというと、私のようなのんき者は、映画の途中でこれらキャクターの若き日の姿であることに気づいたからである。遅いって(笑)。いや、もっと間抜けなことには、過去にハル・バリーが演じたストームの若き日の姿は分かったが、ファムケ・ヤンセンが演じたジーン・グレイについては、自宅で過去のプログラムを取り出してからハタと「あ、あれが」と気が付く間抜けぶり。ヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンは、今回は予告編でも少し出ていた通り、ごく一部しか出てこないが、そういえばほかの映画では、「ジーン」「ジーン」とうるさかったことを思い出した。すると、この映画には、ウルヴァリンとジーンの運命の出会いが描かれているということになる。
e0345320_23191687.jpg
今回若き日のジーンを演じるのは、ソフィー・ターナーという英国人の女優。1996年生まれというから、未だ20歳ということになるが、とてもそんなに若くは見えず、演技の質そのものはさておき、「若きジーン」を自然に分からせるような初々しさを感じさせる配役になっていない!!と、製作者側の責任にしてしまおう(笑)。
e0345320_23134953.jpg
劇中でジェニファー・ローレンス演じるミスティークが、このジーンに対して、「私がこの子ぐらいだった頃」というセリフを吐くが、正直、この2人の年の差がそれほど明確ではないので、予備知識のない方はあまり実感を持ってそのセリフが耳に入ってこないのである。こんなメイクをするのは誠にご苦労さんですなぁ。このキャラクター、私はあまり好きではないのだが、こういうメイクがたまらんっていう人もいるのだろうか。
e0345320_23224809.jpg
e0345320_23243352.jpg
そんな中、今回強烈な印象を残すのは、なんと言っても強大な力を持つ敵役のキャラクター、アポカリプスである。聖書の「黙示録」を意味するこの言葉、この悪人にはピッタリなような大げさなような。
e0345320_23264374.jpg
演じるのは、以前映画「エクス・マキナ」の記事で称賛したオスカー・アイザックだ。素顔はこんな人だ。少し面影があるような、ないような。いずれにせよこの映画ではなかなかの存在感を発揮していて、悪役に存在感があると映画は面白くなるという鉄則に鑑みても、この作品は彼をこの役に得ただけで、既に面白い映画になることは確約されたようなもの。
e0345320_23293322.jpg
このように今回は、役者とそのメイクに焦点を当てた記事になっているが(笑)、その世界観とか細部の演出について、あまり語る必要を感じない。このシリーズの設定に特に思い入れのない私のような人は、例えば、世界のミュータントの意識が織りなす世界に入って行く巨大な機械、セレブロに冷ややかな目を向けてしまうのだ。現実に存在して、しかも我々の日常に入り込んでいるインターネットという奴でも、既に充分に気の遠くなるような複雑な世界だ。また、ユダヤ人のエリックがアウシュヴィッツで本格的に巨大な能力を発揮するあたりも、現実世界の狂気に拮抗する架空の設定としては、それほど衝撃的ではない。
e0345320_23435531.jpg
だがその一方で、これだけふんだんにCGを使って、普通我々が生きている実生活で目にすることがない(当たり前だが 笑)ような超常現象を、リアリティを持って見せられると、無条件に快感を覚えるのも事実。最近のヒーローもの映画の多くは、既に勧善懲悪では立ち行かないし、ヒーローであることの宿命に耐えかねて仲間割れを始めるなど、どうにもカタルシスのない作品が多いが、この映画はその点、もったいぶるシーンは少なく、単純に力と力が炸裂している。いかに現実離れしていても、これだけの映像を見るだけでも面白く見ることができる。あ、あと、登場人物のことをよく知らなくてもね(笑)。
e0345320_23461575.jpg
このシリーズ、来年ウルヴァリンの3作目が公開予定であるらしい。そのうちヒュー・ジャックマンの若い頃という設定の新進俳優でも出てくるのであろうか。これはシリーズ最初の作品「X-Men」での彼。さすがに若い。今やハリウッドの一流俳優に成長した彼も、この頃はどのように自分を発奮させて役作りに取り組んだのであろうか。
e0345320_23535819.jpg
功成り名を遂げたあとも、原点を大切にする人は立派である。どうやらヒュー・ジャックマンがウルヴァリンを演じるのは次回が最後とアナウンスされているようだが、「シン・ウルヴァリン」とかなんとか名乗って、またこの役に戻ってきてほしいものである。シリーズ自体もまだまだ継続してもらい、私はその度にストーリーを反芻させて頂きたいと思います(笑)。

by yokohama7474 | 2016-09-19 23:58 | 映画 | Comments(0)

東京都品川区 中延ねぶた祭り 2016年9月17日

e0345320_00535945.jpg
ねぶた祭りというと、もちろん東北は青森の大規模で勇壮な祭りである。私は小学生の頃に映画「八甲田山」でその光景を見て以来、その迫力に心から魅せられている人間なのである。そして、もう20年近く前になってしまうが、このねぶたと、弘前のねぷたを見に、家人と二人で現地に赴いたことがある。もちろん実際に目の当たりにした祭りの迫力は到底忘れるものではない。久しぶりにまた行ってみたいなぁと思う今日この頃なのであるが、なんとなんと、東京都品川区でも、2年に一度、ねぶた祭りが開かれるという。私が東急線のマイナー路線(?)、池上線または多摩川線の沿線に暮らし始めてからまる 7年。地区で言うと大田区ということになるが、都心からの移動は必ず品川区を通過する。なので、この祭りが行われるという品川区の中延(なかのぶ)は、ほとんど我が家の隣町くらいの感覚だ。だが、これまでそんな祭りがあるとは聞いたことがない。ところが調べてみると、今年がなんと既に15回目だという。2年に一度で15回目ということは、既に30年の実績があるということだ。これはどんなものか、是非見てみたいと思い立ち、家人とともに繰り出してみることとした。

上記のポスターの通り、17時からということなので、その15分ほど前に東急池上線の荏原中延駅に降り立った。もしかすると、駅は押すな押すなの大混雑、警官の懸命の交通整理も空しく、道には芋の子を洗うように人が溢れ、押しつぶされそうになる子供たちが悲鳴を上げる・・・そんな情景が繰り広げられているのではないかと思ったが、ええっと、そこまでの混雑ではないですねぇ(笑)。
e0345320_01075133.jpg
この荏原中延という駅、初めて降り立ったが、なんとも昭和の雰囲気漂う、よいところだ。そもそも東急池上線は、どの駅にも商店街があって、一度すべての駅で順番に降りて散策してみたいと、以前から思っているのである。地図によると、ねぶたは、その名も昭和通りという商店街(あ、あの、上野あたりを通っているあの道路とは別です)を通ってから角を右に曲がり、アーケード付の商店街、上の写真にも名前のある中延スキップロードを練り歩くという。駅から数百メートル歩くと、やはり結構な人込みである。特に最初にねぶたがやってくる昭和通りは、なかなかの混雑だ。
e0345320_01131994.jpg
祭りというと、やはりビール片手に焼き鳥や焼きそばだろう。おあつらえ向きに何やら喉が渇いてきたし、小腹も減ったきたぞ。こういうところでは意気投合する夫婦なので、早速アーケードの商店街に入り、ビールを調達。このあたりは未だ人込みは見られない。
e0345320_01342581.jpg
あっ、うまそうな焼きそば発見。早速頂きました。やはりねぶた祭りが開かれる土地である青森県黒石市は、焼きそばが名物であるらしい。
e0345320_01360887.jpg
e0345320_01362580.jpg
そしてよい気分になって来たところで、アーケード商店街から昭和通りの方に移動。この商店街のマスコット(?)、しょうちゃんとも対面。うーむ、ハンプティ・ダンプティばりの卵の化身であるか。でもちょっと正体不明(笑)。
e0345320_01391023.jpg
e0345320_01394336.jpg
と、突っ込みどころ満載の土地柄を満喫していると、おっ来た来たねぶたが。それほど大きくはないが、なかなか本格的ではないか!! 祝15回!!ちゃんと回転するし、裏には情緒豊かな女性の絵もきっちり描いてある。
e0345320_01451250.jpg
e0345320_01465686.jpg
e0345320_01471423.jpg
本家青森のねぶたは、山車があまりに巨大で、大通りを進んで行くので、山車の近くに寄ることはできないが、この中延ねぶたのよいところは、一応警官が道を空けるようにと指示は出すものの、ロープが張ってあったり柵が設置されているわけではなく、沿道に陣取った人たちは間近に山車を見ることができる点である。また、ねぶた祭りでは、山車の後をハネトと呼ばれる踊り子たちが足に鈴をつけ、笛や太鼓に合わせて「らっせーら、らっせーら」の掛け声とともに練り歩くのだが、ここでもそのような人たちが大勢いる。いいなぁー、楽しそうだなぁー、次回は是非ハネトとして参加したい!!
e0345320_01515202.jpg
e0345320_01530368.jpg
いわゆる実際のねぶたの山車は、ここでは4台。これが2台目だ。
e0345320_01533632.jpg
だがよく見るとこの場所、道幅が狭いこともさることながら、上の方に電線が縦横無尽に走っているではないか。この山車、兜のあたりはこんな感じで、電線を引きちぎってしまうのではないかとハラハラする。
e0345320_01545690.jpg
だが、大丈夫なのだ。ちゃんと先がT字型の長い木の棒を持った係の人がいて、このようにいちいち電線を上げて、山車を通すのである。なかなか大変だ。
e0345320_01593479.jpg
e0345320_02004986.jpg
3台目は、東北復興を謳っている。
e0345320_02013177.jpg
e0345320_02020296.jpg
そして現れた4台目が、今回の最優秀賞らしい。さすが、大変にダイナミックで、思わず見とれてしまう。
e0345320_02024638.jpg
e0345320_02032686.jpg
e0345320_02035244.jpg
回転機能を使わないときには、横にちゃんとつっかえ棒をしている。こんなところを覗き込めるのも、このねぶたならでは。
e0345320_02053257.jpg
段々暮れ始めた昭和通りの高さをいっぱいに使い、山車が前に進んで行く。
e0345320_02063255.jpg
ワンちゃんもハッピを着て、心配そうに見守っています。「祭りって気分が高揚するけど、安全には充分気をつけなさいよ」ってか。
e0345320_02070727.jpg
そして山車はアーケード商店街の方へ。お囃子もよく響き、なんとも熱狂的。いやー、カッコいいなぁ!!
e0345320_02080047.jpg
e0345320_02092602.jpg
ここのスペースは一層狭いので、細部が折り畳めるようになっている。狭い土地に暮らす日本人ならではの気配りだ(笑)。
e0345320_02090848.jpg
そうして商店街の奥に消えて行くねぶた。その間30分程度。だが山車は20時まで練り歩くとのことで、あたりが暗くなると一層綺麗であろう。もっとも、上で見た電線の問題があるので、暗い時間に屋外を進むことには無理があるだろう。主催者の方々の苦労が偲ばれる。お疲れ様です。
e0345320_02152137.jpg
いやー、身近にこんな素晴らしいお祭りがあるとは知りませんでした。もっと知名度が上がってもよいように思うが、でもこれ以上混雑するとこのように間近で見ることができなくなるだろうから、近隣の人たちのみが楽しむイヴェントとして継続して行ってもらいたいものだ。よし、2年後は足に鈴をつけて、「らっせーら、らっせーら」と行くか。ぎっくり腰にならないように気を付けないと。

by yokohama7474 | 2016-09-18 02:18 | 旅行 | Comments(0)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団 2016年9月17日 東京芸術劇場

e0345320_23461584.jpg
9月からの新たなシーズン開幕にあたり、NHK交響楽団(通称「N響」)は指揮台に、昨年から首席指揮者を務めるエストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィを迎え、先般9月9日付の記事でご紹介したマーラーの大作交響曲第8番によって、本格的な活動を開始した。楽団のスケジュールを調べると、9月8日に行われたこの演奏会から、10月6日に行われる同じくマーラーの交響曲第3番まで、ヤルヴィとN響は10回の演奏会を開催する。そのうちの1回は地方公演、つまり福井での演奏会だ。この1ヶ月に亘る共同作業によって、始動して間もないこのコンビの関係は間違いなく深化するであろうと期待している。

今回の演奏会は、サントリーホールでの定期Bプログラムと同じだが、場所は池袋の東京芸術劇場だ。上に掲げたポスターは会場に貼ってあったもの。直筆と思われるヤルヴィのサイン入りだ。

さてこの演奏会、なかなか意欲的な曲目である。
 ムソルグスキー : 交響詩「はげ山の一夜」原典版
 武満徹 : ア・ウェイ・ア・ローンII (1981作)
 武満徹 : ハウ・スロー・ザ・ウィンド (1991作)
 ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編) : 歌劇「ホヴァンチシナ」第4幕第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」
 ムソルグスキー(ラヴェル編) : 組曲「展覧会の絵」

つまり、ムソルグスキー&武満プログラムなのである。この2人の作曲家、共通点はほとんどないように思われるが、恐らく武満は今年没後20年の記念の年であるので演奏するのであろうし、たまたまそこに組み合わせるのがムソルグスキーであったのだと割り切って聴くことにしよう(笑)。いや実際、これは大変素晴らしい演奏会であった。N響の持つ実力が遺憾なく発揮され、今後のこのコンビへの大きな期待を持たせるに充分な演奏であった。もちろん、ひとつの条件が満たされる限りにおいて。それは、大きな体育館ではなく、音楽を音楽として細部まで鑑賞できる、一流のホールで演奏を聴くことができることだ。
e0345320_00002834.jpg
コンサートは前半に「はげ山の一夜」と武満2曲、後半にはムソルグスキーの作品の編曲ものが演奏された。最初の「はげ山の一夜」は、一般には盟友であり管弦楽法の大家であったリムスキー=コルサコフの編曲で知られているが、原典版は、あのクラウディオ・アバドが1980年にロンドン交響楽団と世界初録音して以来、それなりに聴く機会が増えてきた。R=コルサコフの編曲の方が聴きやすく、また最後にカタルシスを持って終わるので、今でもそちらの方が圧倒的にポピュラーなのであるが、原典版の土俗的な力もまた、たまにはよいものだ。ヤルヴィの指揮はいつも極めて洗練されており、この原典版でも、響きはうまくコントロールされていたと思う。何より、私がいつもN響を聴いている大きなホールではなく、このオケとしては演奏する機会の少ない東京芸術劇場のアコースティックを、楽員の皆さんも楽しまれたのではないか。勢いのある演奏であった。

そして、あの静かで瞑想的な武満の音楽が演奏された。「ア・ウェイ・ア・ローンII」は、「ア・ウェイ・ア・ローン」という弦楽四重奏のための曲の弦楽合奏版である。この曲は、既に解散してしまったが世界的な弦楽四重奏団として盛名を誇った東京クワルテットのために書かれた曲で、非常に清らかな曲である。私はこの曲を、まさにこの東京クワルテットの実演で1997年に聴いており、同じメンバーでのCDも持っているが、今回のように弦楽合奏版を聴くのは初めてだ。
e0345320_00180766.jpg
この曲と次の「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」との演奏において、ヤルヴィは指揮棒を持たずに素手で指揮をした。それは見事に功を奏していたと思う。繊細な音の浮き沈みがこのホールでははっきり聴き取れる(もちろん、定期演奏会で同じ曲目を演奏したサントリーホールでもそうであったろう)。ヤルヴィの出身国エストニアにはアルヴォ・ペルトという現代を代表する作曲家がいるが、彼の作風はヒーリング効果のあるもので、北欧には同様のスタイルの作曲家が多い。それらの音楽に充分親しんできたヤルヴィとしては、武満の静謐なスタイルには違和感なく入り込めるのではないだろうか。「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」の最後で、チーンという小さな鐘の響きが虚空に消えて行ったときは、ドビュッシーの代表作、牧神の午後への前奏曲を連想したが、フランス的感性への近似も、武満の音楽の国際的な認知を高める要素になっているであろう。だが、やはり日本のオケにこそ様々な武満の曲を深く解釈して演奏してもらいたい。今回のように、シェフである世界的指揮者のもとでの演奏機会は貴重であるが、N響はその貴重な機会を存分に生かし切ったと言えるであろう。

後半の1曲目は5分ほどの短い曲で、葬送行進曲風の間奏曲。R=コルサコフの手になるオーケストレーションはさすが雄弁だが、ここでも、ヴァイオリンの対抗配置を取ったN響の表現力に大いに印象づけられた。酒飲みで、多くの作品を未完のまま世を去ったムソルグスキーが聴いたら、なんと言うだろう。
e0345320_00295570.jpg
さて、そして天下の名曲「展覧会の絵」である。冒頭のトランペットがあまりに自由なのに驚いた。この種の表現は日本のオケがもともとあまり得意でなく、真面目に吹いてしまうことが多いからだ(あ、今回の演奏が不真面目だということではありません 笑)。ほかの東京のオケでも最近感じることだが、演奏中の表情に柔らかいものが出てくることが増えてきたように思うが、これは大変結構なことだと思う。今回の場合、N響の顔である「まろ」こと篠崎史紀が、終始余裕である。このあたり、在京オケ間の競争がよい刺激になっているものと思う。
e0345320_00353234.jpg
非常に派手な音響を沢山含むこの「展覧会の絵」であるが、ヤルヴィの統率は今回も見事の一言で、それぞれの曲の特性をきっちり表現しており、奇をてらうことは皆無。重々しい音もあれば軽やかな音もあり、快速で駆け巡る音もあれば炸裂する音もあり、この曲の持ち味通り、聴いていて飽きるということがなかった。ひとつユニークだったのは、この曲の最後の凄まじいクライマックスで鳴り響く鐘は、通常は縦に長いものを何本か吊るしたタイプのものを使うと思うが、今回は、幻想交響曲で使うような寺院の鐘のようなもの、いわゆるカリヨン(下の写真参照)を使っていた。この終曲は「キエフの大きな門」の情景であるから、カリヨンの深い響きでも曲調には合うし、面白い効果を挙げていた。
e0345320_00482807.jpg
この「展覧会の絵」は、誰もが素直に楽しめる内容であったと思うし、実際、終演後の聴衆の反応は熱狂に近いものがあった。オケの面々にも満面の笑みがこぼれ、その充実感を表していた。そうだ、このようなN響の演奏が聴きたかったし、これからも聴きたいのである。ヤルヴィとN響は、来春、大規模なヨーロッパツアーに出かける予定であるという。このように積極性あふれる演奏で、かの地の聴衆を魅了、圧倒して欲しいものである。

by yokohama7474 | 2016-09-18 00:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)

特別展古代ギリシャ 時空を超えた旅 東京国立博物館

e0345320_00114226.jpg
6月21日から開催中のこの展覧会、約3ヶ月近い期間も9月19日、つまりこの3連休で終わり。これは明らかに今夏行われたリオデジャネイロ・オリンピックの開催に合わせて開かれたものであろうと思うのだが、なんとなくそれほど大反響を呼んでいるようでもなかったこともあり、なかなか足を運ぶ機会がなかった。だが、展示品が実に325点、そのうちの9割が日本初公開となると、まぁそれは行っておかないといけませんね、と自分に言い聞かせ、例によって会期終了間近になってようやく現地に赴くこととなった(今後、長崎と神戸を巡回)。

私はギリシャには一度だけ行ったことがあるのだが、出張で訪れたアテネで、午後の空いた時間を使ってパルテノン神殿や博物館を見ただけである。それでも、ヨーロッパ文明発祥の地をこの目で見ることができたことは、今に至るも私の人生において大きな糧となっている。ただ、何分にも古い文明の遺跡であるので、パルテノンにしても、歴史の風雪になんとか耐えて、執念でかろうじて立っているという痛々しさを感じざるを得なかった。その後ヨーロッパ文明の中心地となったローマの壮大な遺跡群に比べると、街の規模も遺跡の残存具合もかなり差があり、華麗なるローマが日本における京都だとすると、アテネは古い奈良に喩えられるのではないかとの印象を持ったものだ。だが、ギリシャは多くの島からなる国であり、それぞれの都市国家が覇を競った場所。ほんの数時間アテネを歩いただけでは、もちろんその奥深さは分かろうはずもない。今回のような大規模な展覧会で、ギリシャ各地の時代も様々な遺品を目にすることで、見えてくることがあるだろう。こんな風景を思い浮かべて会場を歩こう。
e0345320_01124654.jpg
ところで、世界四大文明という範疇がある。言わずとしれた、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明である。先史時代のことはまだまだ分からないことが多いが、紀元前 3,000年前後をこれらの文明が栄えた時代とすると、実はギリシャ文明もその頃には既に栄えていたらしく(エーゲ文明)、改めて考えれば、なぜギリシャ文明は四大文明に入らないのか、少々不思議である。私が時々取り出しては眺めている、高校時代に教材であった昔懐かしい吉川弘文館の「標準世界史年表」(横長の見開きで、ある時代に世界各地で何が起こっていたかを同時に見ることのできる年表) を開いてみると、最初のページにこれら四大文明やギリシャ文明が並んでいる。もっとも、そもそもこの四大文明という奴は既に古い概念であるとはよく聞く話だし、ネット上で「なぜギリシャは四大文明に含まれないのか」という疑問に対する答えを探すことはそれほど困難ではない。いずれにせよ、近代から現代に至るまで世界をリードして来た(今後何百年かの間にどうなるかは神のみぞ知るだが・・・、そもそも、どの神だよという点から話が始まるが 笑)ヨーロッパという地域で、名実ともに最初の高度な文明であることから、ある意味で別格扱いというのが西洋人の整理なのかもしれない。尚、「世界四大文明」という考えは、19世紀に中国の学者が言い出したということらしく、そうであれば、東洋に重点のある分類には、それなりの反西洋の意図があったと解釈するのは無理のないところだろう。

ともあれこの展覧会、さほど大きな作品は来ていないし、とにかくそれを見なければ一生悔やむような絶品がズラリと並んでいるかと言えばそうでもないのだが、それでも興味深い作品が多く、また体系だった分類で数々の展示品を並べており、ギリシャ文明のダイナミズムはよく理解できる。構成は以下の 8部。
1. 古代ギリシャ世界のはじまり
2. ミノス文明
3. ミュケナイ文明
4. 幾何学様式 ~ アルカイック時代
5. クラシック時代
6. 古代オリンピック
7. マケドニア王国
8. ヘレニズムとローマ

なにせ展示品数325の大展覧会である。細かくご紹介して行くときりがないし、それぞれのセクションについてまとめるのも相当に骨が折れる。よって、川沿いのラプソディ(つまり、狂詩曲ですな)のタイトルを言い訳として、思いつくまま、興味深い展示品を適宜採り上げて行きたいと思う。

最初にお目にかけたいのは、このお尻。
e0345320_21150601.jpg
デフォルメされたなんともキュートなお尻であるが、後期新石器時代、紀元前実に 5300-4500年の制作と見られ、キュクラデス諸島のサリアゴス島の出土である。「サリアゴスの太った女性像」と呼びならわされているらしい。もちろん生命を生み出すのは女性であって、人間が自らの姿態を表し始めた時代には、生命の源に意識が行ったということなのだろうが、でも、こんなに尻を強調しなくても(笑)。もしかしたら、作った人たちもこれを見てゲラゲラ笑っていたのでは、と思いたくなる。見る人を幸せにするお尻である。それから、これはどうだろう。
e0345320_21214942.jpg
何やら顔のようにも見えるがさすがにそうではなく、乳房を持った粘土の容器である。このような形の容器はアンフォラと呼ばれ、展覧会ではこれを「乳房型突起装飾アンフォラ」と表記している。初期青銅器時代、紀元前2300-2000年頃の作品。私は本当に不思議に思うのであるが、アンフォラは実用的な容器であったはずなのに、なぜにこのような装飾を施したのであろうか。豊穣を祈った儀式的な発想なのだろうか。でもこのような作品を作った芸術家は、もしかしたら「いやらしい」「持つときに邪魔だよ」といった避難を回りから受け、でも自分の信念を貫いた勇気ある人だったのかもしれない(?)。いやそれにしても不思議な容器である。それから、このサントリーニ島出土の水差しは、乳首がついているのだが、水差しなのに胸を張っているではないか(笑)。紀元前17世紀のもの。すごい想像力だ。
e0345320_22050929.jpg
この展覧会では様々な容器や装飾品が展示されているが、やはり私の興味を惹くのは、このような人間の営みを感じさせるもの。ただその中でも、少し特殊なものもある。いわゆるキュクラデス文明によくあるこのような形態の彫刻は、お尻や乳房の人間性ではなく、そのシンプルな存在感で私の心を震わせる。
e0345320_21274534.jpg
時代の分類でいうと、初期キュクラデスII期(紀元前2800-2300年)頃のもの。高さ74.3cmなので、結構な大きさである。この時代の人間が、自分たちの顔をこのような形態で認識したということだろうか。洗練されすぎではないだろうか。私はアテネでも、それから仕事で何度か訪れたキプロスでもこの種の彫刻を沢山見たが、人間の形状を抽象化している神秘性に心底驚いたものだ。もちろん音楽好きなら、このような神秘性を舞台に転用した例として、サイトウ・キネン・フェスティバル松本の最初のオペラ公演、ストラヴィンスキーの「エディプス王」における演出家ジュリー・テイモアによる仮面を思い起こすことだろう。もちろんジュリー・テイモアの最も有名な演出作品は、ミュージカル「ライオンキング」である。
e0345320_21363833.jpg
上述の通り、今回の展覧会の面白いところは、ギリシャの中でも様々な時代に様々な場所で作られた遺品を幅広く紹介していることだ。これは一体なんだろう。
e0345320_21391005.jpg
真ん中にあるのはラグビーボールか???このような装飾はカマレス式と呼ばれているらしく、奢侈品であり権威の象徴であったと考えられている由。発掘されたのはあのミノス文明が栄えたクレタ島で、紀元前1750-1700年の作。クレタ島には、伝説のミノス王が牛頭人身のミノタウロスを閉じ込めたと言われるクノッソス宮殿の遺跡が実在している。行ってみたいなぁ。
e0345320_21470395.jpg
ミノタウロス神話が史実か否かについては詳しく知るところではないが、なんともロマンがあることは確かだし、上のような洗練されたデザインには驚嘆するのであるが、このような出土品もクレタ島からは出ていて驚かされる。
e0345320_21505731.jpg
これらは、やはり紀元前1700-1750年頃の作品。左端のものはなんと2階建ての建物の模型である。右のふたつは、飾り板。「町のモザイク」と呼ばれている。確かに建物を象っているようにも見える。これらより数百年時代が降るが、やはりクレタ島出土のこの見事な壺はどうだ。
e0345320_21550947.jpg
この展覧会ではほかにもいろいろとタコの装飾品が並んでいるが、これはとりわけ見事なもの。よくヨーロッパ人はタコを「悪魔の魚」と呼んで食べないと言われるが、ギリシャ人は全くの例外で、タコを食べるので、日本人にも親近感が沸く(笑)。だがそれにしても、紀元前15世紀のタコとは・・・。一方でクレタ島での造形は、いわゆるギリシャ彫刻より早い時代であるので、このような素朴な女神像も出土している。紀元前12世紀の作。アジア的と言うと言い過ぎかもしれないが、ヨーロッパ的というものが確立する前の造形であることが興味深い。
e0345320_21574368.jpg
そしてそして。牛頭の伝説を持つクレタ島で、こんなすごいものが出土している。
e0345320_21595908.jpg
冒頭に掲げたポスターにも掲載されているこの見事な作品は、牛頭形リュトン。紀元前1450年頃のものと言われている。模様のついていない部分は出土しなかった箇所を補ったものであるらしい。このリュトン(飲み物を入れる容器)はバラバラに壊されていたとのことで、何か呪術的な意味があったものと考えられている。いやそれにしても、時代を考えるとこの造形には鳥肌立つ思いである。ミノス文明における牛頭の意味はいかなるものであったのであろうか。

そして、展覧会ポスターの真ん中に据えられたこの絵は、サントリーニ島から出土した漁夫のフレスコ画。紀元前17世紀のもの。
e0345320_22080977.jpg
サントリーニ島というと、やはり壁画のフレスコ画である「ボクシングをする少年」で有名であるが、この絵は登場人物がひとりという点では少し不利かもしれないものの、まさに時空を超えた表現力に唖然とする。両手に魚を大量に抱えた漁夫は、その肉体美を誇示するかのように褐色の全裸姿をさらし、その髪型は、ふたつの房を残して剃り上げられている。図録の解説によると、「エーゲ美術のモニュメンタルな絵画の中でも最も重要な作品の1つ」とのこと。日本でもこのような面白そうな本の表紙として使われている。
e0345320_22164123.jpg
輻輳的なギリシャ文明の中でも有名なのが、ミュケナイ文明(ミケーネ文明)である。トロイ遺跡を発掘したハインリヒ・シュリーマンがアガメムノンのマスクを発見したとされるのがこのミュケナイである。もっともシュリーマン自身の功罪は昨今では様々に議論されているようだが、神話の世界と現実が交錯するイメージには、やはり抗いがたい魅力を感じる。この展覧会でも、このミュケナイの獅子門の複製が鑑賞者を見下ろしている。
e0345320_22185195.jpg
私の世代では、ミュケナイというよりミケーネという呼び方がしっくり来て、そのひとつの理由は、子供の頃に見ていたテレビアニメ、永井豪原作の「グレートマジンガー」の敵がミケーネ帝国であったからだ(笑)。
e0345320_22301750.jpg
だが実際に大人になってから見るこの展覧会で、ミュケナイ文明は、まあロボットは作れなかったかもしないが、高度な黄金の文明であったことを思い知る。この素晴らしい瑪瑙でできた剣の柄はどうだろう。紀元前1400年頃のもの。もちろん実用ではなく、装飾用であろう。
e0345320_22321608.jpg
そしてここでもタコをあしらった作品があるが、黄金製だ。紀元前16世紀後半の、ミュケナイの飾り板だ。
e0345320_22340186.jpg
紀元前900年頃からのギリシャ文明の様式を、幾何学様式と呼ぶらしい。ギリシャ文明のイメージのひとつの典型とも思われる、このような作風だ。紀元前750-725年頃のもので、ピュクシスという形態の壺である。副葬品で、馬は社会的ステイタスを表していると理解されている。卍型が見られるのも面白い。
e0345320_22345039.jpg
これなども、現代に作られたと言っても通用するようなキッシュな感性ではないか。紀元前7世紀半ば頃のオイノコエという形態の壺。描かれているのはライオンらしいが、私の目にはまるで、「チキチキマシーン猛レース」のケンケンのように見える(笑)。
e0345320_22534834.jpg
e0345320_22585091.jpg
かと思うと、紀元前6世紀半ばに作られたこのセイレーン像の怪しいこと。ここでまた永井豪のマンガを例に引くのはやめておこう(笑)。もっともあれはシレーヌという名前ですがね。
e0345320_23002941.jpg
ギリシャの都市文明が発達する頃になると、哲学、演劇、また医学の分野などでも驚くべき成果が続々である。そもそも紀元前に作られた演劇が、その作者名とともに今日まで伝わっていること自体が信じがたい。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスという悲劇作家やアリストファネスという喜劇作家は、高校の教科書にも出てくる名前だ。これは紀元前後に作成されたと見られる喜劇用の仮面で、「繊細な若者」。役者がこれをかぶり、観客たちが爆笑したのであろうか。
e0345320_23032246.jpg
これは有名なアリストテレスの肖像。1世紀後半のものらしいが、アテネのアクロポリスで、鼻も欠けずに出土した。
e0345320_23064382.jpg
驚くべきは、当時医者の治療を受けた部位が治癒すると、その部分をかたどった彫刻を奉納したらしい。このような耳とか乳房の彫刻が出土している。これはシュールなまでの雰囲気をたたえているではないか。
e0345320_23084678.jpg
展覧会はそれから、古代オリンピック及びその理念に関連する展示物のコーナーに入る。格闘や数々の競技が描かれた作品が並んでいるが、これは紀元前2-1世紀のブロンズ像で、エジプトのプトレマイオス5世がレスリングで敵を押さえつけているところ。素晴らしい保存状態で、本当に作られた時代が信じられない。
e0345320_23105856.jpg
面白いのは、当時実際に使われた垢掻き用のヘラが何点か展示されていること。肌につけた油や、競技・練習中に付着した砂を落とすために使われたらしい。これは2-4世紀のもの。なんという高い文明度!!
e0345320_23154369.jpg
若くして亡くなった競技者の墓碑が発掘されている。ステファノスという名前であることが判明している由。きっと愛犬をいつも連れて競技していたのであろう。実に紀元前360-370年頃のものという。この犬は、たまたまこの飼い主に巡り合ったがゆえに、時を超えてその姿を永遠に残すことになった幸運なヤツである。
e0345320_23145706.jpg
展覧会の最後には、アレクサンダー大王の東方遠征以降のヘレニズム時代の遺品が展示されている。我々がイメージするところのいわゆるギリシャ彫刻もあれこれ並んでいるが、私の目を引いたのはこれだ。2-3世紀の作とされるアフロディーテ像。1982年にアテネで発掘されたらしい。
e0345320_23230703.jpg
これ、何かに似ていないだろうか。そうだ、ルーヴルの至宝、ミロのヴィーナスだ。そちらは紀元前2世紀のものとされているので、恐らくは規範としての彫刻のスタイルがローマ時代に模倣されていったということなのであろう。その意味では、やはりオリジナルに比べると少し類型化しているようにも見える。だが私がここで感動するのは、写真も印刷術もない時代、脈々と続く芸術家の創作活動において、美の規範が伝承して行ったという、気の遠くなるような事実である。便利な時代になると、当時の芸術家と同じような強いモチベーションを維持するのは難しいのかもしれない。

と、ごく一部をご紹介するだけで大変な労力が必要な展覧会なのであるが、それだけ古代ギリシャ文明が奥深くまた幅広いということだろう。また現地を訪れる日を夢見て暮らして行こう。ま、とりあえず、朝からの観覧で空腹を覚えた私は、東京国立博物館内、東洋館の脇にある、ホテルオークラ経営のレストランで昼食を取ることとした。この展覧会期間中の特別メニューのひとつ、「ムサカセット」をオーダー。ムサカとは、ギリシャ風グラタンのようなもので、ズッキーニとかひき肉が入っていて、なかなかに美味でしたよ。
e0345320_23323825.jpg

by yokohama7474 | 2016-09-17 23:34 | 美術・旅行 | Comments(0)