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さて、このブログで再三唱えているように、オペラに関しては東京は異常な街なのである。それは、海外の主要オペラハウスが入れ代わり立ち代わり引っ越し公演を行うということだ。もちろん東京には新国立劇場という常打ちのオペラハウスがあるほか、いくつものオペラ・カンパニーが意欲的な公演を行っている。それに加えてこのような一流オペラハウスの公演を居ながらにして聴くことができる街は、世界広しと言えどもほかにないであろう。4年ぶり9度目となる世界最高峰のオペラハウス、ウィーン国立歌劇場は今回3つの演目を演奏するが、これはその最初のもの。と言っても、この演目の3回の上演のうち、最後の回を鑑賞したものだ。

リヒャルト・シュトラウスのオペラに関しては、未だ日本に紹介されていないものも含め、実に多様な楽しみがあるのであるが、この「ナクソス島のアリアドネ」は、さほど長くないこともあって、それなりに上演頻度が高い。実はこのオペラ、私が知る限りこのウィーン国立歌劇場の来日公演で上演されるのはこれが実に3度目なのである。最初は、伝説になっている1980年のカール・ベーム指揮の公演。次が2000年のジュゼッペ・シノポリ指揮の公演である。私は前者には行っていないが、後者には行ったのだ。アグネス・バルツァの作曲家にエディタ・グルベローヴァのツェルビネッタであった(この2人は1980年の上演でも歌ったはずで、つまりはこの200年公演は、20年を経ての伝説の再現となったわけである)。今当時のプログラムを取り出してきてみると、ほうほう、アリアドネはシェリル・ステューダーであったのだ。彼女は既に60を越えているせいか、最近とんと名前を聞かなくなってしまったが、シノポリとの日本での共演では、バイロイト音楽祭の引っ越し公演における「タンホイザー」も懐かしい。この2回の上演は、いずれもフィリッポ・サンジュストによる同じ古典的な演出であったらしい。だが今回は、現在ザルツブルク音楽祭の芸術監督を務めるドイツ人、スヴェン=エリック・ベヒトルフによる新しい演出だ。もともと俳優のベヒトルフは今年59歳。このような眼光鋭い人である。
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このオペラの初演は1912年。もともとモリエールの喜劇「町人貴族」の劇中劇として書かれたが、上演時間が長すぎたこともあって初演は不評。作曲者と台本作家ホフマンスタールは「町人貴族」を外し(ちなみにこの劇の付随音楽は別作品として人口に膾炙している)、上演前の楽屋を描いた「プロローグ」を加えて、1916年(今からちょうど100年前だ!)にウィーンで改訂版を初演。これが現在上演されるこの作品の形態なのである。今回の来日公演で上演されたプロダクションについては事前の予備知識なく会場に向かったのであるが、プログラムの解説によると、2012年にザルツブルク音楽祭でプレミエ上演され、その後ウィーンでも上演された、1912年初演版に基づく演奏であると読める。おっと思い出したぞ。その2012年のザルツブルクでの上演は、ダニエル・ハーディング指揮のウィーン・フィルによるもので、日本でもNHK BSで放送された。演奏時間が異常に長いことに驚いたことを鮮明に覚えている。だが、蓋を開けてみると今回の上演は1912年初演版ではなく、通常の改訂版による演奏。しかも、もともとの演出では、台本作家ホフマンスタールとその恋人(ちょうどこのオペラの構想中に出会い、アリアドネのイメージを彼女から得たという)の役の役者たちが舞台に登場するという、さらにややこしい(笑)構成になっていたようだ。まあ、あまり長かったりややこしいよりは、ここは改訂版でよかったのではないでしょうかね。ちなみに帰宅後、そのハーディング指揮の2012年の演奏を少し見てみたが、確かに前半は延々セリフだし、後半ではアリアドネ役の歌手とホフマンスタールの恋人役の役者が同時に舞台に出ていた。それから、通常アルトで女性が歌ういわゆるパンツ役の作曲家を、男性が歌っていた。

ともあれ今回の演奏、さすがはウィーンと唸るような内容であった。指揮のヤノフスキは、日本でもおなじみのポーランド出身のドイツの指揮者。1939年生まれなので今年77歳の巨匠である。
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もともとワーグナーを得意にし、大作「ニーベルングの指環」でレコーディング・デビュー。その作品の演奏会形式での連続上演を日本でも行っているし、何よりも、今年のバイロイト音楽祭ではその「指環」を指揮したはずである。そのようなキャリアに鑑みて、もちろん同じドイツの、オーケストラが非常に重要であるシュトラウスの作品への適性はあるものとは思うが、だがこの「ナクソス島のアリアドネ」は小編成のオケ(今回の演奏ではコントラバス2本)を使い、軽妙洒脱な箇所も数多く出てくる作品で、軽めの身のこなしが必要な作品。同じシュトラウスでも、「サロメ」や「エレクトラ」や、あるいは「影のない女」のような炸裂する大音響は出てこない。さて、ヤノフスキの相性やいかに、と思ったのであるが、それは全くの杞憂。ヤノフスキは最初から最後まできっちりと最上級のオケをリードしながら、軽い音も実にウィーンらしい洒脱さで包んで、客席に散りばめた。そういえば彼は、ドイツ語圏だけではなく、フランス放送フィルやスイス・ロマンド管弦楽団でもポストを歴任した人。その音楽のパレットは大変に豊富であることを、改めて思い知った次第。

歌手陣もなかなかの充実で、全曲でいちばんの聴きどころであるツェルビネッタのアリア(コロラトゥーラによる超絶技巧を要するもの)を巧みにこなしたダニエル・ファリーもよかったが、私が感心したのは、アリアドネ役のグン=ブリット・バークミンである。昨年12月にシャルル・デュトワがN響で同じシュトラウスの「サロメ」を指揮したとき、そのタイトルロールを歌っていた歌手である。前回のウィーン国立歌劇場の来日でも、やはりサロメを歌っていた。
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その強くつややかな声は、このオペラでのアリアドネのやや複雑な性格の役柄を、ある意味で忘れさせるほどであった。つまり、失恋のあまり死を求める女性が、ツェルビネッタらにからかわれながらも、徐々に新たな恋に芽生えて行く様子が、説得力を持って歌い出されていたのである。それから、バッカス役のステファン・グールド。
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私が昨年見たバイロイトでのトリスタンや、私は見ることができなかったが、今月の新国立劇場での「ワルキューレ」でのジークムントなど、世界で活躍する一流のワーグナー歌いであるが、ここでも見事な歌唱である。実はこの役、当初の発表では別の歌手が歌うことになっていた。やはり当代一流のヘルデン・テノール、ヨハン・ボータである。だが彼は惜しくも今年癌で他界。今回のプログラムにもこのような追悼記事が掲載されている。
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考えてみれば、ステファン・グールドがトリスタンを歌った昨年のバイロイトでは、このボータがジークムントを歌ったのであった。私がその上演を見て書いた記事には心無い悪ふざけが記されていて、我ながら慚愧の念に堪えないが、そのときにはまさか彼が1年後に亡くなることなど思うわけもなかったので、その悪ふざけをあえて今から訂正することはやめておこう。だが、私自身そのときに書いているではないか。「ちょっと痩せたようにも思い」と。今から思えば、その時から病気だったのだ。心から追悼の意を表します。尚、ボータの享年は未だ51歳だったということで、実は私と同じ。しかも、調べてみると誕生日が6日しか違わない!!そう思うと本当に痛々しい思いである。

ところで今回の演出であるが、ひとつの特徴は、通常なら完全に別物であるプロローグとオペラ本体に共通性を持たせたこと。特に、プロローグでしか歌わない作曲家役が後半にも出て来て、ツェルビネッタのアリアをピアノで伴奏するような演技をする。それには理由があって、終結部で作曲家はツェルビネッタに愛を打ち明けるのである。なるほどそれは新機軸。全体として動きが多すぎず少なすぎず、なかなかスタイリッシュにまとまった演出であった。舞台の写真を何枚か掲載しておこう。
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実はこの「ナクソス島のアリアドネ」、1ヶ月も経たないうちにまた舞台に接することになる。それは東京二期会の公演。指揮者は外人だが歌手は全員日本人だ。さすがにシュトラウスのオペラは日本人にはハンディがあり、ウィーンの最上級の演奏と比較されるのは酷であろうが、それでも、東京という街の文化度が試される機会にはなるわけで、是非楽しみに待つこととしたい。

by yokohama7474 | 2016-10-31 00:13 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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見たい映画を結構頑張って見に行っているつもりであるが、それでももちろん、封切で見逃す映画は数多くある。だが、海外出張に出かけるときに飛行機の中で、見逃した映画や、あるいは絶対劇場には見に行かないような映画を見る機会もあって、なんとか埋め合わせをしている。ところがである。飛行機の中で絶対に見ることができないシーンがある。それは飛行機の墜落場面。だから、「永遠の零」も途中で重要なシーンがカットされていたし、最近見た日本未公開の "Criminals" (ケヴィン・コスナー主演、ゲイリー・オールドマン、トミー・リー・ジョーンズ共演) でも、最後の重要なシーンがなく、あれれ???ということになってしまっていた。その意味で言うと、この映画の場合、数年前に公開されたデンゼル・ワシントン主演の「フライト」とともに、もうそれは飛行機で見るなど絶望的だ(笑)。

だからというわけではないが、この映画はどうしても見たいと思っていた。2009年1月15日、乗員乗客155名を乗せてニューヨークのラガーディア空港を出発したUS AirwaysのA320(英仏独の共同出資会社エアバス社製)が、離陸後まもなく、いわゆるBird Strike(あ、これは鳥がストをするという意味ではなく、鳥の衝突のことです)によって両方のエンジンの出力を失い、あわや墜落というところ、機長のとっさの判断でハドソン川に着水し、全員の命が救われたという実話が題材になっている。実は私は、この事故が起こる1年2ヶ月前まで、ニューヨークのアッパーウェストサイド、まさにハドソン川沿いに住んでいたので(犬連れで)、自分のよく知っている場所で起こったこの事故は、大変衝撃的であった。ちなみにこのブログの題名「川沿いのラプソディ」は、私が今住んでいる多摩川沿いで、気まぐれに話題があっちこっちに散らばるブログを書いていることを自ら揶揄して命名したものであるが、実はニューヨークでもやはり川沿いに住んでいたということで、やはり、ある世界と違う世界の境界であって魔物が出没する、川沿いという場所に惹かれる私の性向は、以前から変わらないものと見える(笑)。ちなみにこのハドソン沿い、ご近所には、ドナルド・トランプが建てたアパート群が沢山建っておりましたですよ。

そんな個人的な思い入れもあり、しかもクリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演とくれば、もうこれは、見るのが義務である。これはすごいツー・ショットではないか。ハンクスはイーストウッドの監督作品に主演するのはこれが初めてのこととなる。イーストウッドがリハーサルなしにいきなり撮影をする主義なので、役者たちはこっそり集まってリハーサルしていたとか(笑)。
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イーストウッドは1930年生まれだから、今年実に86歳!!なんとも信じがたいし、最近の「J・エドガー」や「アメリカン・スナイパー」などでは、夢物語とは一線を画し、現代にまで続く米国の歴史、あるいはつい最近の出来事に鋭く切り込んでいて、そのハードな制作姿勢には誠に恐れ入る。そして、この、ほんの7年間の出来事についての映画も、そのような系譜に入るものである。米国の映画で驚くのは、当事者たちが存命であっても、実際に起こったことを映画の中で忠実に再現することが多いということだ。ここでも、関係者は皆実名で出ているようだし、エンドタイトルで理解できたことには、映画の中の乗客の一部は、実際にこの事故を経験した乗客であるようだ(役名の横に"Himself"とか"Herself"と出ていた)。US Airwaysの機体塗装や、機内の様子もそのままで、何かというとすぐに「この映画はフィクションであり、実在の人物・団体とは何の関係もありません」と注釈をつける日本の映画とは大違いだ。これは実在のサリー。
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イーストウッドの映画の特徴は、あえてストーリーをこねくり回すことなく、冷徹なまでの視点で、淡々とした描き方をすることである。説明的なシーンはほとんどない。例えばこの映画では、主人公(Sullenbergerという苗字によるものだろう、"Sully"と呼ばれている)である機長が若い頃に経験した戦闘機での着陸が、この事故といかなるつながりがあるのか、明確に示されることはない。また、調査委員会の家庭問題についての質問にも、サリーは思わせぶりな回答をするが、実際に家庭に問題があるようには見えない一方で、二人の娘について詳細に描かれることはなく、家族で画面に出てくるのは専ら妻(ローラ・リニー)だけである。また、Co-pilotであるジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)については、その個人生活は全く描かれないばかりか、サリーとの関係も、本人たち同士の会話でしか描かれない。これらの要素は、劇映画として娯楽性を追求するなら、欠点になるものばかりである。
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だが、それにもかかわらず、この映画のインパクトは並大抵のものではないのだ。恐ろしい映画だとさえ言えるだろう。見る人の多くは、乗員乗客全員の命を救った英雄であるサリーが、調査委員会によって、本当にラガーディア空港に引き返す、あるいはほかの空港にダイバートすることができなかったのかという点について追及を受けるのを見て、義憤にかられるであろう。今回はその追及する方の人たちがいかにも憎たらしく見えるので(笑)、その義憤がいかにも当然のこととなる。だが、事実としては、航空機を川に着水させるなどということは無謀極まりなく、乗員乗客の生命を危機にさらしたことは疑いない。だから、それが本当に最善の策であったのか否かを知るため、調査委員会がサリーたちを追及するのは当然のことであろう。そのあたりも、リアリティに徹するイーストウッドの演出で、切れ味よく描かれている。人生において厄介なことは、結果を知ってから「こんな英雄を責めるなんてけしからん」というのは簡単であって、実際には、英雄的な行為自体の定義が曖昧になることがあることではないか。前述のデンゼル・ワシントン主演、ロバート・ゼメキス監督の「フライト」では、フィクションとして、英雄的な行為を果たした機長の人間的な弱さを抉り出し、それゆえに尊さを持つ人間の克己心が描かれていたが、この「ハドソン川の奇跡」は、そんな気の利いたことはしてくれないのである。観客は事件の当事者さながら、固唾を飲んで物事の成り行きを見つめることとなる。

そして、ここで描かれた出来事は、本当にフィクションよりも稀有なことである。正直なところ私は、機体が着水してから乗客が避難し、水が機内に入ってくるあたりで、体が震え始めてしまった。こんなことが実際起こったなどと、誰が信じようか。その後の救出劇も含め、人間の命の尊厳を深く感じる経験となった、と書くときれいごとのように響いてしまうが、もうそれしか言葉がない。映画にはこんなことができるのだ。

機体が着水している写真を掲載しようかと思ったが、やめておく。そんな光景、見たくもないし想像したくもない。その代わり、救出された後に乗員乗客を気遣うサリーの姿を載せておこう。韓国で船が沈没したときに真っ先に逃げて逮捕された船長がいたが、やはり人間、非常時には恐怖に駆られてしまう弱い存在なのである。だから、このサリーの勇気ある冷静な行動に、襟を正したくなるのである。
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飛行機の中では絶対に見られない映画ではあるが、また同時に、ほかの映画では絶対得られないような強いインパクトのある映画でもある。クリント・イーストウッドには、もっともっとすごい映画を作って欲しい。感動しました!!

by yokohama7474 | 2016-10-30 01:45 | 映画 | Comments(0)

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前日の記事に書いた通り、この日は本当は浜離宮朝日ホールで、ロシアの鬼才ピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルを聴きたいと思っていたのである。だが、どうしてもそれを諦めざるを得ない事情が出来した。この日、池袋の東京芸術劇場で、フランスの巨匠ミシェル・プラッソンが読売日本交響楽団(通称「読響」)を指揮するとの発表があったのだ。今年4月、新国立劇場でのマスネ「ウェルテル」の指揮をするはずであったこの83歳の巨匠は、そのときは来日が果たせず、息子のエマニュエル・プラッソンが指揮することとなった。その雪辱戦というわけであろうか、今回の彼の来日は、この日の演奏会のためだけということであった。プラッソンの業績の偉大さは、何事も(日本と同じで)首都中心のフランスにおいて、地方都市トゥールーズで素晴らしいフランス音楽の精華を極めたということであろう。彼が鍛え上げたからこそ、トゥールーズ・キャピタル管弦楽団は、現在でも天才トゥガン・ソヒエフの手兵として素晴らしいレヴェルを保っているのであろう。そもそもトゥールーズは、フランスどころかヨーロッパを代表する企業である航空機メーカー、エアバス社の本拠地ではあるものの、音楽に関してはそれほど歴史があるわけではない。そのトゥールーズでプラッソンが心血を注いだフランス音楽の録音が、37枚の集大成として出ている。音楽好きなら是非持っておくべきアルバムだ。
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と、ここまで書いたところで、敏感な方は既にお気づきであろう。この記事のタイトルと、私がここで絶賛している指揮者とは、違いはしないか。そう、そうなのだ。アファナシエフのリサイタルを諦めてプラッソンの演奏会の会場に足を運んだ私の目に飛び込んできたのは、このような表示であった。
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な、なぬー。この言葉はふたつの意味が込められている。ひとつは、高齢のプラッソンの手術は大丈夫なのか。もうひとつ、代役がアントニ・ヴィトって、それはいくらなんでも豪華すぎないか???1944年ポーランド生まれのこの指揮者は、一時期ワルシャワ・フィルの音楽監督として知られ(彼の前任のカジミシェ・コルトもよい指揮者だったが...調べてみると1930年生まれのこの指揮者、未だ存命である)、ナクソスレーベルでの数多い録音によって知る人ぞ知る存在。
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だが、かく言う私も、この指揮者についてそれほど多くを知るところではない。マーラー5番のCDを持っていることは覚えているが、その音楽性についてあまり印象があるわけではないのだ。だが、なぜか分からぬが気になる存在であったのである。そんなヴィトの生演奏を今回初めて聴くことができる。私の特技のひとつは、何かがっかりするような事態に直面した場合でも、その状況から何か前向きな要素を探し出して楽しむということなのであるが、この演奏会などはさしずめその典型であったろう。今回のプログラムは、もともとプラッソンが予定していたものそのままなのであるが、これは究極のフランス音楽選である。
 ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
 サティ(ドビュッシー編) : ジムノペディ第1番、第3番
 ドビュッシー : 交響詩「海」
 フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」作品80(メゾソプラノ : 鳥木弥生)
 ラヴェル : 古風なメヌエット
 ラヴェル : ボレロ

マニアックな曲目はほとんどない。だが急な代役でこれらをすべて指揮できる指揮者は、それだけでも大したものである。実演では未知の指揮者、ヴィト。イメージとしては職人的なきっちりした指揮であろうかと思ったが、果たしてその結果やいかに。プラッソンも心配そうに祈っている。ちょっと顔が笑っていますが(笑)。
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そして、結論を言ってしまえば、これは素晴らしい演奏会であり、読響としても楽団史上に残るくらいの出来であったのではないか。まず、ヴィトの指揮は、予想に反して職人的(それが悪いと言っているのではない。念のため)というよりはむしろ、細部まで彫琢を尽くした極めて繊細かつ美的なもの。流れは決してよくないが、ひとつひとつの音の存在感には瞠目するものがある。指揮者のタイプで彼に近い人を探すと、ユーリ・テミルカーノフではないだろうか。奇しくもロシアの巨匠テミルカーノフはこの読響の名誉指揮者。それゆえ、ヴィトと読響(恐らくは初顔合わせ?)との相性がよかったのだと思う。最初の「牧神の午後への前奏曲」とその後の「ジムノペディ」は、静かな音が緩やかに進行する場面が多いが、なんというオケの敏感な反応であろう。私はサティの音楽には心底惚れ込んでいるが、このドビュッシーの編曲にはいつも何か違和感を感じていたところ、このような演奏で聴くと、サティの数少ない理解者であったドビュッシーが、自分とは全く違う個性に向かい合って、それを取り込もうとしたことを理解することができるのである。そして、交響詩「海」は、今月接する生演奏がこれで実に4回目なのであるが、メータとウィーン・フィル、ノットと東響とは異なる個性でじっくり聴かせてくれた。これは標題音楽などではない。純粋な音の絡み合いが大きなドラマを築き上げる稀有な作品だ。ヴィトは細部の音の絡みを丁寧に描き出し、例えば第1楽章で唐突にチェロが歌い出す箇所など、なんとも香気あふれる美しい演奏であった。

そして後半。フォーレも同様の繊細な演奏であったが、圧巻はやはり最後のラヴェルの2曲であろう。「古風なメヌエット」は実演で演奏されることはそれほど多くないが、冒頭から不協和音と典雅な音楽の絶妙の組み合わせを音にするのは、実に難しいと思う。だがヴィトと読響は、なんとも余裕ある雰囲気で、この難曲を美しく楽しく聴かせてくれたのだ。そうして、最後の「ボレロ」が始まる頃には、客席も期待感で満々。クールに指揮棒を振り始めたヴィトの指先から光線が発されるような、鳥肌立つ名演であった。全体を通して技術的な傷はほとんどなし。ただ、「ボレロ」の中で難しい箇所として知られるトロンボーンのソロでわずかにほころびがあったものの、私が素晴らしいと思ったのは、そのほころびをものともしない自発的な演奏。日本のオケは往々にして、技術的には高度だが遊びが足りないと言われる。だが今日のこの演奏に見られるように、そのような汚名はそろそろ返上すべきであろう。そして私の思うところ、読響がこのような演奏ができたのは、今回のコンサートマスターを務めた日下紗矢子の力によるところが大きいのではないか。
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このオケは、彼女以外にも小森谷巧、長原幸太という素晴らしいコンサートマスターを持っているが、私はこの日下の演奏こそ、楽団に新風を吹き込んでいるといつも思うのである。特に今回のようなフランス音楽は、その繊細さにおいて彼女のリードが大きくものを言っているに違いない。思い返せば、マズアやザンデルリンクが振っていた頃の読響は、楽員が全員男性で、力強い音を特徴としていたものだ。今やこのオケの常任指揮者はフランス人のシルヴァン・カンブルラン。時代は確実に30年前とは変わっている。それから、今回の演奏でフルートを吹いていたのは、私の見間違いでなければ、新日本フィルの白尾彰ではなかったか。
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ヴィトは来年2月、新日本フィルへの客演が決まっているが、そのこととこれは関係あるのだろうか。実際、今回のプログラムでは、冒頭の「牧神」といい、「ペレアス」の中の有名なシチリアーナといい、フルートソロが重要だ。「ボレロ」ですら、最初のソロはフルートだ。彼の客演が私の見間違いでないとすると、東京のオケの中でのこのような人材の流動性は、なかなかに好ましいことだと思う。

さて、すべてのプログラムが終了し、客席が大いに沸いているとき、何やらアンコールがありそうな気配。この流れなら、フォーレのパヴァーヌか、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」だろうか。いずれにせよパヴァーヌなのだなと思っていた(笑)。ところが、第1ヴァイオリン奏者を見ていると、何かの曲の途中から弾き始めるようだ。一体何だろうと思うと、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」のあの超絶的に美しい終曲であった!!まさに息を呑むような美しさ。ここで思い出したのは、この曲を得意とした大指揮者セルジュ・チェリビダッケのことだ。彼がこの読響に客演したのは1970年代で、私は聴いていないが、楽団の出来には不満足であったと聞いている。その彼がもし今の読響を聴いたら・・・と、あらぬ夢想を抱いてしまったのである。

終演後にサイン会があった。私はCD(ヤナーチェク)も購入したが、あえてプログラムにサインしてもらった。
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このように、指揮者の交代によって思わぬ出会いがあるとは、やはり東京はすごい街であると思う。帰り際、開演前にはなかったミシェル・プラッソンからのメッセージが出口付近に掲示されていた。高齢とはいえ、なんとか回復してもらい、また東京で演奏して欲しい。
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さて、終了前に話題をもうひとつ。私は上で、このヴィトの指揮を生で聴くのは初めてだと書いた。ところが、演奏を聴いているうちに、例によって脳髄の奥がうずきだした。いや、ある。一度彼の指揮を聴いたことが。あれはスペインのマドリッドであった。自宅に帰って早速調べてみたところ、出てきました。1999年11月26日、ヴィトがスペイン国立管弦楽団を指揮して演奏したメシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」抜粋のプログラムが。私とこの曲との関わりは以前にも書いたが、とにかく信じられないような崇高な曲なのだ。ヴィトの指揮ぶりの詳細は覚えていないが、演奏を聴いて充実感を感じたことを思い出した。チケット代は4,500ペセタ(27.05ユーロ)とある。そうか、まだユーロが実際の通貨としてはほとんど出回っていなかった頃だ。プログラムに載っているヴィトの写真も若い。
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ここで教訓。音楽を聴き続けていると、過去の記憶を辿る機会が増え、ボケ防止によいということ。独特の脳髄のうずき、覚えておこう。

by yokohama7474 | 2016-10-30 00:24 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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1947年生まれのアメリカ人ピアニスト、マレイ・ペライアについては、昨年の9月から10月にかけて、ベルナルト・ハイティンク指揮のロンドン交響楽団と共演した2回のコンサートをこのブログでもご紹介した。その時に聴いたモーツァルトの24番のコンチェルトは、その静謐さで心に残るものであったが、今回のソロ・リサイタルでは、より多様なペライアの音楽を堪能した。

今回の会場は、東京、築地の朝日新聞社の中にある、浜離宮朝日ホールである。上のチラシに「最高峰の至芸を552席の空間で聴く、究極の一夜」とある通り、これは中型サイズのホールであり、主として室内楽に使われる。2000席クラスの大ホールに比べると小さい分、よく聞こえるのであるが、収容人数が小さい分、このような高名な演奏家の場合、チケットが少し高くなってしまうのはやむを得ない。ペライアは10月31日(月)にも今回と全く同じプログラムをサントリーホールでも弾くが、そちらは(席のクラスも様々だが)少し安い。この浜離宮朝日ホール、響きはよいのだが、少々交通の便がよくなくて、私も過去に何度かしか来たことがない。だが今回はここでペライアを聴くのが楽しみであったのだ。その理由は、本来なら翌日、10月29日(土)にここで聴くはずだったロシアの名ピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルを聴くことができなくなってしまい、その腹いせ(?)として、前日のこのペライアのリサイタルを聴きに行くことにしたもの。まあともかく、彼らのような世界クラスの演奏家が連日登場することもある、上質の中ホールであることは間違いない。
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今回の曲目は以下の通り。
 ハイドン : アンダンテと変奏曲ヘ短調作品83
 モーツァルト : ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
 ブラームス : 6つの小品第3番バラード ト短調作品118-3
       4つの小品第3番間奏曲 ハ長調作品119-3
       4つの小品第2番間奏曲 ホ短調作品119-2
       6つの小品第2番間奏曲 イ長調作品118-2
       幻想曲集第1番奇想曲 作品116-1
 ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106 「ハンマークラヴィーア」

これはペライアが得意とするドイツ物を並べたプログラムで、まさに円熟の至芸を期待させるものである。そして、最初のハイドンの第一音が鳴った瞬間から、紛れもないペライアの音に魅了されたのであった。音楽を言葉で表現することは、よいワインを言葉で表現するのと同様、いやもしかしたらそれ以上に難しいかもしれない。だがこの、なんというか、芳醇でいて澄み切った深い音は、ペライアのものでしかありえない。キラキラしているとか、粒立ちがよいというのとは少し違って、一音一音の重量はそれなりにありながらも、決して重くない。うーん、うまく伝わらないなぁ(笑)。曲目構成上は、休憩後の後半に大作「ハンマークラヴィーア」を置き、前半に短い曲を並べているわけだが、前半に注目すると、ハイドンとモーツァルトの短調作品を続けたあと、ブラームスの小品を、短調・長調を入れ替わり5曲弾くというもの。つまり前半を占拠しているのは、悲劇性を秘めた抒情なのだ。この言葉ほどペライアのピアノにふさわしいものがあるだろうか。
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最初のハイドンの曲にはあまりなじみがないが、年下の友人であったモーツァルトの死を悼んで書かれたものと言われているらしい。一方のモーツァルトのソナタの方は、作曲者の母親の死後に書かれていて、その悲しみが表れているとされる。このように最初の2曲には死を見つめる作曲家の目が背後にあり、厳粛で悲痛な要素がある。だがそれは決して泣き叫ぶ悲しみではなく、美しくも透明な情熱がこもった悲しみなのである。このような曲を表現する場合、もう演奏家の人間が試されるとしか言いようがない。モーツァルトのソナタの第1楽章は凛とした行進という雰囲気であり、私も好きな曲であるが、このような透明な音で聴くと、自分の中に普段潜んでいて忘れている悲しい想いが脳裏に沁み出てくるような気がする。もっとも私の場合、そのような想いをまたすぐに忘れてしまうのが特技なのであるが(笑)。ブラームスの曲になると、既にロマン派の時代であり、特にこれらはいずれも作曲者晩年の作なので、曲の要求する表現力は格段に広がっているが、それでもやはりそこはブラームス、華麗な技よりも深い内向性が求められる。ここでのペライアは、相変わらず澄んだ音を鳴らしながらも、音楽はかなりドラマティックな様相を呈した。それはシンフォニックと言ってもよいだろう。小さいホールであったせいか、音量もかなり大きく聴こえたので、昨年聴いたモーツァルトのピアノ協奏曲の静謐な印象とはまた違ったものになったと思う。

シンフォニックなピアノと言えば、後半の大作、「ハンマークラヴィーア」ソナタほどそれにふさわしい作品も少ないだろう。ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタの29番目で、ここから先はあの珠玉の最後の3曲しかないわけだ。ベートーヴェンが心血を注いだこの分野の作品群において、この29番は、なんと表現しようか、突然の大爆発という言葉を当てはめようか。とにかく当時においては破天荒な作品で、この爆発のあと作曲者は、この曲の半分以下の長さのソナタを3曲書いたが、それらはあたかも彼岸の音楽のように響く。対してこの「ハンマークラヴィーア」は、この世とあの世の間にあって強く熱く燃え盛る、異常なまでのベートーヴェンの生きる力を表現していると思うのだ。ピアニストにとっても、生半可な気持ちで取り組める作品ではないだろう。つい1ヶ月半ほど前、現代の若手を代表するスーパー・ピアニスト、ユジャ・ワンの演奏するこの曲を2度に亘って聴いたばかりだが、案の定ペライアの演奏はユジャの演奏とは、同じ曲とは思えないくらい、というと若干誇張かもしれないが、それに近い印象を受けるほど異なったタイプの演奏であった。ユジャの場合は、技術の極限の向こうに、見たことのない無重力のような光景が広がっている印象であったが、ペライアはもう少し正統的。時に音は均一性を失い、いびつなかたちを見せながらも、一貫して現れる前に進もうという作曲者の生命力が、ぐっと胸に迫るとでも言おうか。そうだ、ピアニズムの極致というよりは、ピアノが交響性を希求しているような、そんな演奏だ。だがそこには狂気は感じられない。情熱はあるが、常に前を向き、終結部に向かって着実に進む理性が全体を御している。もちろん、ユジャ・ワンと比較してどちらがよい悪いを言うつもりはなく、音楽家というものは、国籍、年齢、性別など関係なく、それぞれの持つ能力を最大限に発揮して、それぞれに聴きごたえのある音楽を奏でるのであると、再度確認することができた。

この音は耳に残る。ペライアは、昨年の協奏曲の演奏のあとにもアンコールを演奏しなかったが、今日もしかり。だが聴衆はそれぞれ、満足して帰路に着いたことだろう。かく言う私も、一風呂浴び、アルコールを摂取してこの記事を書きながら、ペライアの音を思い出している。アルコール、じゃなかった、アンコールがなくてよかった。そんなコンサートは誠に貴重である。来年70を迎えるペライア、これからも元気で活躍を続けて欲しいものだ。

by yokohama7474 | 2016-10-29 00:31 | 音楽 (Live) | Comments(2)

真田十勇士 (堤幸彦監督)

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このところ戦国時代ネタが続いているので、それではということでこの映画を採り上げることとした。いや、正直なところ、そのような記事の流れを考えてから、慌ててこの映画を見に行ったわけである(笑)。いやもちろん、もともと見たかった映画であることは間違いないのだが。

あれはいつのことだったか、多分5年かあるいはそれ以上前だと思う。長野県の上田市に出掛けたとき、「真田の物語を大河ドラマに」という署名活動を目にした。もちろん、真田幸村のことは知っていたが、最強の敵である徳川家康を苦しめた勇敢な武将というイメージ以上に何か知識があるとすれば、子供の頃にNHKが人形劇で「真田十勇士」を放映していたことくらいであり、大河ドラマになるほどの材料があるのかなぁと、そのときは思ったものだ。そして数年を経て、今年放送している大河ドラマは「真田丸」。地元の人たちの思いが実ったのだとするとご同慶の至りではあるが、私自身はもともと大河ドラマにはそれほど思い入れのある方ではなく、この「真田丸」も時々見ているくらいなのである。だが、ひとつ私の心を虜にした真田幸村に関連する物語があったことを思い出した。それは村山知義の長編小説「忍びの者」だ。ここにはまさに真田の物語が大変面白く描かれていて、5分冊の長い作品を一気に読み切ったものである。忍者の親玉に関するあっと驚くトリックも最後に出て来るので、村山知義が日本のモダニズムにおいていかに重要な存在であったかを知らない人であっても、是非お読み下さいと推薦しておこう。岩波現代文庫版が中古で安く手に入る。市川雷蔵主演によってシリーズで映画化もされているが、私は残念ながらそれを見ていない。

さて、「真田十勇士」である。実は上にNHKの人形劇について書いたが、これは辻村ジュサブロー制作の人形を使ったもので、大当たりした「新八犬伝」に続くものであった。当時小学生の私はこの「新八犬伝」を毎日毎日食い入るように見ていたのだが、それは物語の悲惨さ(かわいそうな姫や、お互い兄弟であることを知らない犬士たち、そして不気味な玉梓の怨霊の出現)、そしてまさに、巡る因果は糸車という運命的な感覚に、子供ながらに強い呪術的なドラマ性を覚え、それに魅せられていたからであった。それに比べて「真田十勇士」の方は、同じ辻村ジュサブローの人形でありながら、ストーリーにロマン性を欠いているところがあると感じ、そのうち見なくなってしまった。白土三平の忍者ものに夢中になったのはそれよりかなり後、高校生から大学生の頃だったので、猿飛佐助や霧隠才蔵という忍者たちの登場にもあまりワクワクしなかったものだ。これが当時の主題歌のレコード。おぉ、あまり本編を見なかった割には大変に懐かしい(笑)!!
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まあそんな私と真田十勇士との過去の関係を長々と書くのはこのあたりでやめにして、この映画について語ろうではないか。今回、この映画と同じ6代目中村勘九郎主演で舞台でも上演されているのを知っていたが、実はこの映画、もともと2014年に制作された舞台作品がもとになっているのだ。私は最近はオペラ以外の演劇に出掛ける機会がめっきり減ってしまって淋しい限りなのであるが、この「真田十勇士」も、実は2年前に舞台にかかっていたとは知りませんでした。だが、この映画はあの堤幸彦(彼の「トリック」シリーズを私は結構好きなのである)の監督作品。彼が舞台版の演出家でもあるのだが(脚本も同じマキノノゾミ)、ここにはきっと、映画ならではの面白みがあるのではないか。
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映画の要点は、稀代の英雄と思われている真田幸村が実は腰抜けで、猿飛佐助や霧隠才蔵の知恵と後押しによって本当に立派な武士になり、後世に名を遺す大活躍をするというもの。嘘か真か。真か嘘か。その深遠な人生哲学(?)の機微を描いた大作映画である。このテーマは私にとってはなかなか共感できるもの。だって苦しいときに無理してでも楽し気な顔をしていると、そのうち本当に楽しくなって来て、苦労を乗り越えられますからね。芥川龍之介の小編「竜」ではないが、嘘から出た真には、ロマン性と現実性の双方がつきまとう。
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この映画、CGも多用しているが、かなりの数のエキストラを動員した群衆シーンが次から次へと出て来るし、殺陣にも凝ったものが多い(ちょっと雑然としすぎかとも思われるが)。役者も、松平健の家康(それと分からないほどの老け役)に、大竹しのぶの淀君。伊武雅刀が忍者の棟梁を演じるかと思えば、加藤雅也が情けない幸村を演じる。若手では、霧隠才蔵の松坂桃李に、その幼馴染のくのいち火垂(ほたる)は大島優子だ。豪華な役者の共演はかなり見応えがあることは間違いないのだが、率直なところ、主役の猿飛佐助を演じる中村勘九郎の演技があまりに歌舞伎風(あ、これは別に江戸時代のような抑揚でセリフを喋っているという意味ではなく、近代ものの歌舞伎に出て来るやんちゃな男のイメージ)で、その点の違和感を払拭することはできない。それから、もうひとつ率直なところで、役者ごとの演技の出来不出来には、明確に大きな差がある。なので、観客は映画の展開の中でいささか居心地の悪い思いをするのではないか。おっと、危ない危ない。あまり率直な感想を述べると、くのいちに命を狙われます。
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さて、私がここまで書いてきたことを悪口だと思う方は、試しに本編をご覧になるとよい。なぜここで大竹しのぶという稀代の女優が淀を演じているのか、なぜ勘九郎が歌舞伎の演技を引きずっているのか、なぜ脇役が目立たない演技をしているのか、分かる瞬間が来るだろう。そうすると私が上に書いたような点が、急にこの映画の美点に思われてくるものと思う。つまりこの映画の中で起こっていることは、すべてが嘘と真のつづれ織り。それこそ歌舞伎という日本が世界に誇る演劇の特性ではないか。その感覚の起爆剤として、大竹ほどの名女優が必要とされたということであろう。・・・うーん、見ていない人にはさっぱり分からない感想である(笑)。つまり私は思うのだ。堤監督自身が演劇で成し得た(であろう)ことを、CGに大群衆にクローズアップや効果音といった映画の特性を利用して達成したのが、この映画なのではないか。だからこの映画は舞台と表裏一体をなすものでありながら、映画としての独自の価値をも持つものだと言ってしまおう。勘九郎が嘘を真に変える瞬間のシーン、見事である。舞台なら当然、「中村屋!!」というかけ声が飛ぶだろう。

ところでこの映画、冒頭はアニメで始まり、「七人の侍」よろしく十勇士のメンバーが順々に揃って行くことになるのだが、それが結構長く続くので、ちょっと驚く。「この映画はアニメ映画ではありません。本編は数分後に始まります」という注釈が画面に出るほどだ(本当です)。それから、エンドタイトルでは、松任谷由実がこの映画のために書き下ろした曲をバックに、画面の左の方で荒いタッチのモノクロの劇画調で後日譚が描かれる。この最初と最後の部分には少し妙な感覚が残るのだが、作り手の意図は一体なんだったのだろう。その点は腑に落ちない思いが残った。

さて、日本人の判官びいきに訴えるこの真田の物語だが、上記のNHKの人形劇など、今見るともしかすると新鮮な思いで接することができるのではないかと思って調べてみると、なんと当時の番組の録画はほとんど残っておらず、実に全445話中たったの4話のみしか現存しないという。私が夢中になった「新八犬伝」も同様で、全464話中、現存はやはり4本のみ。これはなんとも淋しいことだ。幼少の頃に見たあの人形たちは、嘘か真か。もし勘九郎演じる猿飛佐助なら、「どっちでもいいよー。おめぇが本当のことだと思えば、本当のことで、それでいいじゃねぇかー」と言いそうですな。そうそう、こんな感じでした。私の人格形成のどこかに、これらの人形が大いに関係していると本気で思っている。
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映像も情報も限りなく増幅し、容易に手に入る現代には、素晴らしい、また便利な面も多々あるが、限られた娯楽、限られた情報に一生懸命かじりついていた時代のことを、時に思い出す意味もあるように思う。嘘と真の交錯を楽しむ感性があれば、過度にノスタルジックになることも避けられるものと思っている。

by yokohama7474 | 2016-10-27 22:35 | 映画 | Comments(0)

前の記事では、織田信長の最期にまつわる書物をご紹介したが、この記事は、信長が初めて築いた城について触れたいと思う。愛知県、名古屋の北東に位置する小牧山城がそれだ。
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私がこの城を訪れたのは1ヶ月と少し前。実は以前に記事として採り上げた岐阜県の願興寺や永保寺を訪問したあとであった。名古屋市内から車で移動すると、上記の岐阜の寺々からこの小牧を回るというのは、実はちょうど無理のない1日の観光コースに収まるのである。なので、この地区在住の方はもちろん、別の場所から名古屋地区に旅行される方にはレンタカー利用による手軽なドライブとして、このような歴史を巡る旅をお薦めします。さてこの小牧城、私には以前から気になる存在であった。歴史上、小牧・長久手の戦いは有名である。一方の長久手古戦場 (名古屋の東) は昨年訪れて、やはりこのブログの記事として採り上げた。だが、かたや小牧というと、県営名古屋空港の所在地であるということ以上に、あまりイメージがない。そもそも小牧と長久手は随分離れていて、連続した名称で呼ばれることには違和感があったのだ。だが調べてみるとこの戦い、本能寺の変の 2年後の1584年、信長の跡目争いとして起こった、羽柴秀吉と、織田信雄(のぶかつ、信長の次男)を擁した徳川家康との間の戦いで、実は全国規模の戦争に波及した一連の戦の総称であるらしい。小牧には家康の本陣があり、一方の長久手では両軍の戦闘が行われたことが、名前の由来であるようだ。この長久手の戦いでは秀吉軍が敗走し、秀吉側から和睦の申し出があったという。だがこの秀吉の敗北はこの戦い一日だけのことであり、実は1年に亘った一連の戦乱を通して、秀吉は信雄の領土をかなり奪うことで、その同盟者であった家康を出し抜いたというのが真実であるらしい。つまり、秀吉の天下統一に向けた確かなマイルストーンにはなったわけだ。

このように、戦国時代の歴史において重要な事柄がこの小牧で起こったことは事実であるにせよ、興味を惹くのは、冒頭に記した通り、この城は信長が最初に築いた城であるということだ。私がこれまでに訪れた中では、このブログでも採り上げた安土城が、もちろん信長の業績としては特筆ものであるが、彼はそれ以前に岐阜城も築いており、私は数年前にそこも訪れたことがある。なので、この小牧山城を訪れることで、信長が生涯に作った3つの城郭跡地にすべて立ち会うことになる。これは楽しみですよ、信長さん。
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この城は、小牧山という小さな山の上に建っている。ピンボケながら、私が車窓から撮影したのがこの写真。それなりの高さの感じが伝わるものと思う。尚、頂上に建っている天守閣はもちろん建造当時のものではなく、昭和43年に篤志家が私財を投じて再建したもので、今は小牧歴史館という博物館になっている。
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現地に辿り着いてみると、このような案内板があるが、てっきり山頂まで道路が続いているものと思いきや、かなりの山道をえっちらおっちら登っていかなくてはならないのである。それほど楽なことではない。
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現代の感覚では、戦国時代の城が山の上に石垣で囲まれて存在していることは普通と思われるが、実は城に石垣が作られたのは、この小牧山城が日本で最初であるという。つまり、天下統一を目指した当時30歳の信長は、軍事目的のみならず、「見せる」城の造営に意を砕いたわけであり、やはりほかの戦国武将にはない先見の明があったということであるようだ。そういえば岐阜城でも近年発掘が行われ、接客を含む信長の様々なアイデアが明らかになってきたと聞いたことがある。ここ小牧山城でも、近年の発掘作業を経て、今後は観光地として整備される計画であるようだ。頂上に至る道々、このようなものを見ることができる。石垣の裏込石は、「平成23年度発掘調査で出土」とあるので、ほんの5年前だ。
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そして見えてきた、天守閣を模した小牧市歴史館。辿り着くまで、なかなかにワイルドな道が続く。信長の築城以来、歴史を経て来た大きな石たちは、沈黙して語らないが、その存在感は心に残るものがある。
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そしてこれが歴史館。
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通常、再建された城郭の内部には、甲冑や火縄銃だとか、合戦の屏風とか、あるいはほかの城の写真(笑)などが展示されていて、あまり変わり映えしないのであるが、ここには規模は大変小さいながらも、古墳時代から現在に至るこの土地の歴史にまつわるものが展示されていて、なかなか居心地がよい。そして最上階から見えるのはこんな景色。左の奥に見えるのが、県立小牧空港の滑走路だろう。そのつもりで撮影したはずだが、結構距離があって、よく確認できない(笑)。
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現地にはこの城の発掘調査から判明した石垣についての説明パンフレットなどもあり、信長の時代に思いを馳せることができる。上述の通り、観光地としての整備を進めるということなので、数年後にはさらに観光客フレンドリーな場所になっているかもしれない。今後の高齢化社会を思うと、やはり頂上まで車で通れるようにしてもらえれば、もっと来訪者が増えるのではないだろうか。教科書にも載る「小牧・長久手の戦い」の舞台であり、信長の覇道の初期に位置する城である。華麗なる歴史スポットとして脚光を浴びてもらうことを祈っておりますよ。

by yokohama7474 | 2016-10-26 23:51 | 美術・旅行 | Comments(0)

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一週間ほど出張に出ていて、記事を更新することができませんでした。その間、真面目に仕事はこなしながら、書くネタはあるのに記事を書けないもどかしさで身を焦がす思いでした(笑)。幸か不幸か、今回は出張中にオペラやコンサートに出かけることはなかったので (一生懸命我慢したので?)、今回の記事は、音楽ネタではなく、しばらく前に読んだこの本についてということに相成った。

1582年、織田信長がその最期を迎えた本能寺の変は、その謎めいた真相を巡ってあれこれの推測が飛び交う、日本史上屈指の大事件であることは論を俟たない。ドラマや映画で何度扱われてきたか分からないくらいその話題度は高く、400年以上経った今でも、いわゆるゴシップの類が飛び交っている状況だし、それどころか最近は、歴史ネタで踊るコンビがネタにしているくらいである。この本は、そんな本能寺の変の真相に迫る、ミステリーさながらの実に面白い本なのだ。たまたま上の画像では「15万部突破」とあるが、私の手元の本 (2014年6月、初版第九刷) には、「20万部突破」とあり、ネットで画像検索すると、「24万部」「26万部」「35万部」、さらには「漫画化決定!! 別冊ヤングチャンピオン」という宣伝においては、ついに「40万部突破」とある。大変な売れ行きの本なのである。ちなみに題名から計算すると、ええっと、2013年の発行ということになるが(いや、厳密には「年目」はその年を含むので、ちょうど430年後の2012年が正しいと思うが、まあそこは置くとして)、実はその前、2009年に「本能寺の変 427年目の真実」という本があり、それを加筆・修正したのがこの本である。それだけ著者の執念がこもっているということだろう。

ではその執念をこめた著者は誰かというと、その名の通り、明智光秀の末裔、1947年生まれで、もともとシステムエンジニアの明智憲三郎という人だ。
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つまり、歴史の門外漢である人が日本史上最大の謎のひとつに挑んだというのがこの本なのであるが、その内容は、これは掛け値なしに滅法面白く、しかもかなりの数の一次史料にあたっての考察なので、その説得力には相当なものがある。上記の通り、これはいわばミステリーとしての謎解きの要素のある書物なので、その内容についてここに書いてしまうとネタバレになってしまい、このブログのコンセプトに反するので(笑)、それは避けることとするが、人々が単純に疑問に思う点、例えば、「信長ともあろうものが、なぜ本能寺滞在時には守りを固めていなかったのか」「変が起こるや否や秀吉が中国地方から矢のように近畿まで戻れたのはなぜか」「家康が堺から三河まで命からがら逃げ帰ったというのは本当か」、そして「なぜ光秀は反乱を起こしたのか」、「著者は光秀の末裔というが、謀反を起こした犯罪者の家系が根絶やしにされなかったのはなぜか」といった点のそれぞれについて、極めて明快な回答が提示されるので、その爽快感は無類のものである。しかもここで展開される説において、これまで定説とされてきたものが一体何に依拠していて、それがどの程度信憑性のあるものかがいちいち示されるので、この本の説には実際に説得力が感じられるのである。

考えてみれば、「歴史の真実」などという言葉にはうさん臭さがつきまとう。ほんの何十年どころか、何年か前の事件であっても、その真相は永遠に分からないという事件は沢山あると思う。ましてや、400年を経過した事件には、後世の権力者による情報操作もあってしかるべきだし、そもそも全体像を把握することができた同時代人はいないであろう。あるいは、ある人にとっての「真実」と、別の人にとっての「真実」が異なるという事態もあり得よう。その場合は、そもそも「真実」の定義すら曖昧になっているわけで、人間の営みには様々なところでそのような不確定性があるのだと思う。その一方で、この本を読んでいると、いやはや日本人というものは昔から日記やその他の記録を残すことが好きなのだなぁという感想を抱かざるを得ない。さしずめ現代ではブログなどという存在が、後世の人たちから見れば貴重な歴史的遺物と思われる日が来るのかもしれない。もっとも現在の世界に存在している情報量は、後世の人たちにとっても把握しきれないほど膨大であり、必要な情報が充分に歴史探索者に届くか否かは、いささか心もとない気もする。でも、今から400年後にこのブログを見る人が、この記事から例えば2016年の米国大統領選の行方を推理するような事態になったとしたら、「おいおいおいおい」と言いたくなるでしょうねぇ(笑)。でも、「お、400年前の日本ではこれだけ文化的なイヴェントが起こっていたのか」というように評価されるようなことがあれば、なんともやりがいのあることになるわけで。うーん、400年後の人類、一体どうなっているのだろうか。

などと余計なことを考えているわけだが、最後にちょっといい話。現存している京都の本能寺(当時とは場所が少し変わっているらしい)に行くと、その宝物館でこのような置物を見ることができる。
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これは三本足の蛙のかたちをした香炉で、信長愛用の品と伝わる。この蛙、なんとも愛嬌があるが、実は本能寺の変の前夜に突然鳴き出して、信長に危険を知らせたという。信長愛用の品であれば、そのくらいの不思議を起こす力はあるような気もするが、もし本当に鳴き出したとしても、信長の命を守ることはできなかったわけで、運命の厳しさを感じることができるのである。一方で謀反を起こした明智光秀の切実な思いは、一般的な歴史認識においてはあまりクローズアップされることはない。その点、光秀の末裔が書いたというこの本を通して、その歴史的な空隙を埋めることができて、大変有意義だと思う。三本足の蛙はもう鳴くことはないだろうが、歴史の結節点でこの蛙が実際に見た光景には、多分現代の我々が空想しても及ばない壮絶な歴史のドラマが込められていたのだろう。そんな蛙さんに話しかけたくなってしまいますなぁ。

by yokohama7474 | 2016-10-25 00:24 | 書物 | Comments(0)

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私は今、多少の憤りを感じている。その内容はおもに2つだ。まずひとつは、先般、ライナー・キュッヒルがウィーン・フィルのコンサートマスターを辞めたことを知らなかったように、音楽界の最新の状況に疎い自分に対して。そしてもうひとつは、東京に新たな音楽が鳴り響こうというのに、宣伝が不足していて、それを世間が大々的に歓迎している気配がないことだ。何を言っているかというと、このブログでも何度か記事で採り上げ、その素晴らしい才能に大いなる期待を抱いている弱冠29歳の大器、イタリア人のアンドレア・バッティストーニが、これまでの東京フィルハーモニー交響楽団(通称「東フィル」)の首席客演指揮者から、首席指揮者に格上げになったことを、私は今日の今日まで知らなかったのだ!!今回このコンサートに出掛けてみて、プログラムの折り込みチラシ(来年7月にバッティストーニが演奏会形式で指揮する「オテロ」の宣伝)を見てそれを知り、愕然としたのである。なぜならば、既に昨年12月20日の、バッティストーニが指揮した第九についての記事の中で、私は明確にそのような提案(?)をしていたからだ。実際、首席指揮者のポジションが空席である今、東フィルは何が何でもこのバッティストーニを獲得すべきだと考えていた。今般それが実現することになり、もちろんご同慶の至りなのであるが、それにしてもいつそんなことが決まったのか。東フィルのウェブサイトで調べてみると、なんと今年の10月1日付の発表で、しかも同日付での就任である。えー、そんなのありですか?世界を飛び回る多忙な指揮者は、何年も先まで予定が詰まっているはずで、今日言って今日、ハイ了解、じゃあ首席指揮者に就任します、となるわけがない(笑)。当然かなり以前から決まっていたに違いない。そもそも東フィルのシーズンは4月から始まっているので、シーズン途中(下半期から)での就任ということになる点も、極めて異例。もしかすると、契約内容がギリギリまで固まらなかったのかもしれないが、そうならそうで、楽団側ももっともっとアピールしてはいかがか。例えばバッティストーニ祭を大々的に開くとか、山手線の車両を借り切って広告を打つとか。実は私の憤りの根本的な原因は、ここ東京で繰り広げられている音楽のレヴェルの高さに比して、そこにいる人たち自身が無関心すぎることだ。「オラが街のオーケストラ」の動向は都民あるいは首都圏民全員で注視し、このような画期的な事件は、全員が祝福するようなことにならなければ。あ、もちろん、東京にはプロのオケが9団体存在するわけで、「オラが街のオーケストラ」が多すぎるという点はあるわけだが・・・。実はこのブログでも、ちょうど発表のあった頃、過去のバッティストーニの記事へのアクセスが増えたので、何かあったのかとは思ったが、せいぜい「題名のない音楽会」に出演するからだろうと思っていた。こんなビッグニュースを知らなかった自分の不明を恥じるとともに、東フィルさんには是非、この大器をシェフに頂くという千載一遇のチャンスを最大限に活用して頂きたい。但し不思議なのは、楽団の発表を見ても、任期が何年であるのかの記載がない。これはいかがなものか。ファンへの責務として、楽団はこのような点を明確にして欲しい。まさか、いつまでやってもらうか決まっていないということはないですよね???
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そういう事情なので、この秋のシーズンにバッティストーニが初めて東フィルを指揮するこのコンサートは、事実上の就任披露コンサートになったわけである。彼が採り上げたのは、マスカーニ作曲のオペラ「イリス」。これはお世辞にもよく知られている作品とは言い難いが、実は日本を舞台にしており、東フィルとしては、7月にチョン・ミョンフンの指揮で採り上げた、こちらは広く知られたプッチーニの「蝶々夫人」に続く、日本を舞台にしたオペラシリーズを成しているのである。イリスとは、英語でいうアイリス、つまりはアヤメのこと。このオペラのかわいそうな主人公の女の子の名前である。作曲者のピエトロ・マスカーニは、26歳の時の1890年、処女作「カヴァレリア・ルスティカーナ」で彗星のごとく世に出た人。この作品はまさにどこを取っても第一級の傑作であるが、今日通常のオペラハウスのレパートリーとしては、これ以外にマスカーニの作品が演奏されることは極めて稀だ。いわば「一発屋」としての評価が確立していると言える。だが実際にはマスカーニは生涯にオペラ15曲、オペレッタ1曲を残したのである。その中では、「友人フリッツ」が、その間奏曲で比較的知られており(カラヤンが録音していた)、この「イリス」も、単独で演奏される部分はあまりないものの、名前だけはある程度知られている、そんな作品である。実は私はこの珍しい作品の実演を聴いたことが一度だけあるが、それは2011年、井上道義が読響を指揮して東京芸術劇場で上演したセミ・ステージ。主役の小川里美が大変に素晴らしかった。その際には予習のためにジュゼッペ・パタネ指揮の貴重な国内盤CDを中古で手に入れ、歌詞と首っ引きで聴いたものだ。そのCDでは、あのドミンゴも歌っていて、役柄はオオサカという、イリスに言い寄る助平な若者の役なのだが、その美声はそれはそれは見事で、まさに聴き惚れる。
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実は今回の演奏、当日のリハーサルが公開されたのでそれにも出かけた。会場である渋谷のオーチャードホールの2階と3階に聴衆は通された。その距離では指揮者の指示は全く聴き取れなかったが、第3幕の大部分を通した後、第1幕の後半を演奏した。バッティストーニはほんの数回オケを停めただけで、スムーズな様子と見て取れた。照明や字幕、映像投影や人の出入りなどの確認も兼ねていたようだ。実際のところこのリハーサルでは、オーケストラと合唱団(新国立劇場合唱団)がメインで、主要な役柄のソリストはいなかった。なので、割愛されたのは主要キャストが登場するシーンであり、当初1時間半と聞いていたリハーサルが、45分で終了してしまった。
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さて、本番の演奏であるが、これがまたいつものバッティストーニのド迫力で押し通され、大変テンションの高い演奏となった。それにしても彼が指揮するときの東フィルの金管セクションは、実に凄まじいパワーを発揮する。もちろん、弦も木管も好調で、この若き英才指揮者のもとで演奏する喜びが溢れていた。また、合唱団の出来もいつもながら見事で、この珍しい作品の演奏としては、ちょっとこれ以上望めないほどのレヴェルであったのではないか。歌手について述べると、イリス役のラケーレ・スターニシは、見た目はどこからどこまでラテンな感じの女性で(笑)、はかなく繊細な日本の若い女性というこの役柄のイメージとは異なるが、強い声の表現力は素晴らしい。
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また、オオサカ役のフレンチェスコ・アニーレも、これまた若者というイメージではないものの、終始大変な美声で聴衆を魅了した。
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舞台後方には、上の会場写真にある通り、北斎の浮世絵などが時折投影されたが、私はそれはあまり支持しない。音楽と照明だけで充分であったと思う。特に、タコと女性の絡みを描いた北斎の作品(作中で紹介される坊さんの説話と関係はしている)が、何ヶ所かのクローズアップを含めて投影されたのは、悪趣味以外の何物でもない。・・・と書いてから補足するのだが、そもそもこのオペラ、日本人の目から見ると悪趣味極まりない点が多々あって、正直なところ、冷静に作品に対するのが難しい面は否めない。どうせ当時の三流脚本家の作だろうと思ったら、「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「アンドレア・シェニエ」「ワリー」などの数々の名作の台本を書いたルイージ・イッリカの作。ということは、ジャポニズムに沸くヨーロッパの人たちから見た日本とは、こんな摩訶不思議な世界だったということか。そういえば、同じ作者の手になる「蝶々夫人」(「イリス」の5年後、1904年に初演)だって、立派に摩訶不思議なところは多々ある。だがこの「イリス」の場合、「蝶々夫人」とは違って、登場人物は全員日本人であり、西洋人から見た日本人という図式にはなっていない。また、音楽も、プッチーニは日本の音楽を勉強して取り入れたのに対し、この「イリス」は、大きな東洋風の鐘や寺で使うような小さな鐘、また小道具として三味線なども出て来るが、音楽は決して東洋風ではない。プログラムに掲載されている堀内修の解説では、純潔な少女が性愛を拒み、太陽賛歌の中で花になるというストーリーは、そのままギリシャ神話の「ダフネ」であるとし、台本作家イッリカの意図はそこにあったのだろうとのこと。興味深い説だ。

そのような作品なので、今後もそうおいそれと日本で上演に接する機会はないであろうが、ただ、その太陽賛歌の壮大な音楽は非常に聴きごたえがあり、5年前に井上道義指揮で聴いたときもそうであったが、あのマスカーニが、処女作のくびきを打ち破ろうとして苦心惨憺創り出したであろう音響空間には、ちょっとほかにない迫力があることも事実。今回のバッティストーニと東フィルのようなパワー溢れる演奏であれば、その威力は充分今日の聴衆に伝わるのである。

帰り道、太陽賛歌(ちょっと「アメイジング・グレイス」に似ているのだ)を口ずさみながら、自ら命を絶って太陽に召された、アヤメという名を持つこの主人公の哀れさについて思いを巡らせていて、ふと足元を見ると、なんと、渋谷駅の山手線のホームに、アヤメの画像が埋め込まれているではないか!!
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その場で調べてみると、渋谷区の花はハナショウブ。これはアヤメ科アヤメ属の植物で、この植物を称してアヤメと言ってよいとのこと。いやー、これも何かのご縁ですね。可憐なアヤメは、駅の雑踏の中で多くの人々に踏まれてもこのように頑張っているわけである。私は可憐でもなんでもない、ふてぶてしいオッサンであるが(笑)、この姿を見習って頑張って生きて行こうという思いを新たにした。なので、東フィルさん、バッティストーニとの関係をより一層深化させて下さいよ!!

by yokohama7474 | 2016-10-16 20:40 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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英国の名指揮者ジョナサン・ノットが音楽監督を務める東京交響楽団(通称「東響」)は、来週からヨーロッパ演奏旅行を行う。5回の演奏会で2種類のプログラムが演奏されるが、そのうちの1種類については、既に10月10日の記事でご紹介した。今回聴いたのは残る1種類。このような内容だ。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲二短調作品61 (ヴァイオリン : イザベル・ファウスト)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第10番ホ短調作品93

トータルの演奏時間は結構長く、しかも全く異なるタイプの音楽だが、ここでもノットの言う、違ったスタイルの曲をそれぞれに合わせた柔軟性を持って演奏する能力が試されることになる。そして今回、会場に入るなりちょっと目を引くことがあった。ヴァイオリンの左右対抗配置は確かいつものことかと思うが、コントラバスを舞台の最奥部に横にズラリと並べる配置は、これはいつもと違うはずだ。これは昔のロシアのオケが取っていた配置だ(そう思っていくつかのロシアのオケの昔の来日プログラムの写真を見てみたが、そうでない配置も多くて、あまり参考になる写真を見つけることはできなかった)。

最初のベートーヴェンのコンチェルトを弾くのは、ドイツのイザベル・ファウスト。
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以前一度だけ聴いたことがあるのだが、技術で攻めるというタイプではなく、大変知的なヴァイオリンを弾くというイメージである。ベートーヴェンのコンチェルトは、チャイコフスキーとかシベリウスのように情緒豊かな曲というよりは、かなり静かにゆっくり流れる箇所の多い曲で、ファウストのレパートリーとしては適性あるように思う。だが、経歴を見ていて知ったことには、彼女は1993年にパガニーニ・コンクールで優勝しているのだ。パガニーニは悪魔的な技巧を持った伝説のヴァイオリニストであるがゆえに、その名を冠したコンクールで世に出たとは、若干意外である。だが、音楽を聴くのに先入観は不要。今回のベートーヴェンは、オーケストラとともに大変充実した美しい音楽に仕上がっており、これならヨーロッパの聴衆も満足すること請け合いだ。まず冒頭のティンパニの音が通常よりも軽くて硬いことに驚いたが、この時代の音楽を演奏するための古いタイプの楽器を使っていたというわけであろう。この曲はヴァイオリンが登場するまでに少し時間があるが、ノットはオケを丁寧にリードしながら、いつものように分離よい重層的な音を導いた。そして入ってきたヴァイオリンは、少し強弱を強調した歌いまわしであるが、予想通り情緒に溺れる感じでは全くなく、ヴィブラートも少なめで清潔感がある。だが、早い部分ではファウストのヴァイオリンは唸りを上げ、進むごとに練れた音になっていったのは実に見事であった。まず第1楽章が終わったところで思わず客席から若干ながら拍手が起きるほどの充実ぶりで、聴きごたえ充分。

驚いたのはカデンツァで、ティンパニの伴奏がつく。だがこれだけなら、誰の演奏だったか思い出せないが、以前にも実演で同じ光景を目にしたことがある。ところが今回は、第1楽章にもう一ヶ所短いカデンツァがあったり、第3楽章冒頭のロンドの主題に入る前に少し寄り道(いい言葉ですね!)があったりして、ちょっと珍しいなと思ったものである。演奏会終了後にホールの外にアンコールの曲目表示と並んで書いてあったことには、ベートーヴェン自身がこのヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲した版のカデンツァに基づいているとのこと。あ、その曲なら知っていますよ。若き日のピーター・ゼルキンと小澤征爾が録音している。
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帰宅して早速CDを取り出し、聴いてみると、あ、本当だ。第1楽章のカデンツァにはティンパニが伴っているし、第3楽章のロンド主題に入る前にはもって回ったパッセージがある。この編曲は、ソナチネの作曲家としてある程度後世に名を残しているクレメンティという人が、ベートーヴェンに旧作のピアノ編曲版を依頼したもののひとつらしいが、ベートーヴェンは後年になると、ピアニストが好き勝手にカデンツァを弾くのを嫌っていたことから、このピアノ編曲版のカデンツァは自分で書いたということのようだ。してみると、それを作曲家の意思として、もともとのヴァイオリン協奏曲に転用するのも、あながち意味のないことではないだろう。だが、今回の演奏は、そのような些細なことよりも、これだけ知的なヴァイオリンを日本のオケが丁寧に支えて充実した音響を作り上げたことにこそ、意味がある。協奏曲の伴奏としては珍しく、ノットは暗譜での指揮であったが、それだけ伸び伸びとオケをリードしようとしたということだろうか。ただ、第2楽章で一瞬、オケの演奏がちょっと危ない感じがしたようにも思ったが、気のせいであったか。いずれにせよ、全体の充実度は大変なものであった。そしてファウストが演奏したアンコールは、私の知らないバロック音楽であったが、ルイ=ガブリエル・ギユマンというフランスの作曲家の「無伴奏ヴァイオリンのためのアミューズマン作品18」からの1曲。珍しい曲だが、曲名の通り楽しい雰囲気であった。このファウスト、来年3月には三鷹で、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータの全曲演奏を行う。これはきっと素晴らしい演奏会になるだろう。来年の1月にはチョン・キョンファも同じくバッハの無伴奏全曲を披露するが、ヴァイオリニストとしての資質が全く違う彼女らの演奏を聴き比べられるのも、東京ならではかもしれない。

そして後半のショスタコーヴィチ10番。曲の性格は謎めいていているものの、人間の心理に訴える刺激的な音響が次々に出てくる劇的な曲だ。実はこの曲、早くも作曲の翌年、1954年にほかならぬこの東響が、上田仁(まさし)の指揮のもと、日本初演を行っているのである。ノットがこの曲をヨーロッパに持って行きたいと思った理由のひとつは、それだろう。ここではノットは譜面を見ながら、やはり丁寧に、だが最近の彼の演奏会で必ず明確に見える「本気度」を持って、真摯に取り組んでいた。全体の仕上がりはかなりのものだと思った。だがあえてひとつ言うと、棒を縦に振ろうが横に振ろうが、もう一段パワフルな炸裂が聴こえてこない恨みがあったと思う。これは楽団というよりも指揮者の持ち味であろうか、この曲はとにかく、切れ味と整理された線だけでは表現しきれないところがあり、腹の底にずーんと来る鳴り方が欲しい。さらに狂気を。それが今後この指揮者に期待したいところである。尚、この曲でも第1楽章終了時に一部聴衆から拍手が起きたが、曲の内容に鑑みて、あそこで拍手はちょっとどうだったか。もちろん聴く人が感動すれば拍手することは自由とはいえ、曲のつながりに留意して、演奏者の邪魔にならない拍手を心掛けたいものだ。顔をしかめる作曲者(笑)。
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それでは東響の皆様、来週からの楽旅、応援しております!!

by yokohama7474 | 2016-10-16 02:46 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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先に10月10日に上演されたヴェルディの「ドン・カルロ」をご紹介した、ワレリー・ゲルギエフ指揮するロシア、サンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場の来日公演、もうひとつの演目であるチャイコフスキーの名作「エフゲニー・オネーギン」を見た。結論から申し上げると、これは日本におけるロシアオペラ上演における記念碑的な演奏になるであろうと思われるほどの内容であった。

この演出は、2014年に制作されたプロダクションであるようだが、演出家は1993年からこのマリインスキーで仕事をしているアレクセイ・ステパニュク。もちろんロシア人だ。そしてキャスト表を眺めても、そこに見える名前はすべてロシア人。「ドン・カルロ」におけるフェルッチョ・フルラネットやヨンフン・リーのような他国人はここにはひとりもいない。そして演目は、もちろんロシア人プーシキンの原作をロシア人チャイコフスキーがオペラ化したロシア語のオペラなのである。これぞロシアのオペラハウスが自家薬籠中のものとし、世界に発信すべき演目でなくて何であろう。いやもちろん、何もお国物礼賛というわけではなく、実際に舞台を見て感動したからそのように言うのである。突出した大スターがいるわけではなく、主としてこれから世界で活躍して行こうという若い歌手がメインだが、その歌手たちの歌や演技力、統率のとれた合唱団、オケの深く細かい表現力、いかにも演劇好きのロシア人らしい気の利いた演出と、それぞれの要素が粒ぞろいで、全体としての完成度は驚くばかり。過去のマリインスキー劇場の来日公演では、今手元で判明する限りでは、2003年にこの「エフゲニー・オネーギン」は上演されていて、それはこれとは違う演出。ダブルキャストの主役の一方は、大スター、ディミトリー・ホロストフスキーであった(因みにこのときは、プロコフィエフの「戦争と平和」で、ホロストフスキーとアンナ・ネトレプコの共演があった)。多分今回の公演はそのときよりも、ステージ全体のレヴェルは数段上がっているのではないだろうか。換言すれば、芸術監督であり現代のカリスマであるワレリー・ゲルギエフも盤石の自信とともに、このロシアオペラの代表作を最高のレヴェルで日本の聴衆に提示するという強い意欲を持って、この演目を選んだのではないだろうか。
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まず、歌手をご覧頂きたい。タチアーナ役のマリア・バヤンキナ。アンジェリーナ・ジョリーではありません(笑)。
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オルガ役のエカテリーナ・セルゲイコワ。ニコール・キッドマンではありません(ちょっと違うか)。
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この二人が冒頭のシーンで、このように歌うのである。いやはや。
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オネーギンは、「ドン・カルロ」でロドリーゴを歌ったアレクセイ・マルコフ。
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タチアナの恋を打ち砕くオネーギン。
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彼らはいずれも若く、このマリインスキーで歌も演技も学んできた人たちだ。マリインスキー・アカデミーなるものがあり、なんでも、ゲルギエフの姉であるラリーサ・ゲルギエワという人が「もうひとりのカリスマ」として指導なさっているとのこと。歌だけでもなく演技も学び、複数のキャストが練習に参加して、本番ギリギリに誰が舞台に立つか決まるというシステムであるため、場数を踏むこともできるらしい。こうして金の卵たちがこのマリインスキーで生まれ、やがて世界に飛び立って行くわけだ。ロシア人はもともと体格がよく肺活量も多いとは言えようが、ただ闇雲にがなるのではなく、作品の求める声を出し、適切な演技をし、そして何より、見た目もよいという歌手たちが陸続と生まれているわけである。そんな若い優秀な歌手たちが、自国の代表的な作品を歌うとなると、それは最高のものができるはずだ。演出家ステパニュクによると、チャイコフスキーはこの作品の初演に、音楽院の学生を希望したらしい。それは、若さゆえの傲慢さや未熟さがもたらす悲劇を表現したかったからだという。なるほど、そうすると、このような若いキャストは作曲者の意図にもかなっているわけだ。

いずれの歌手も見事な出来栄えであり(レンスキー役だけはちょっと声が細かったが、抒情的ではあった)、有名な「手紙の場」や「レンスキーのアリア」は、ぐっと胸に来るものがあった。歌手陣の中では例外的に国際的な知名度を持つグレーミン役のバスのミハイル・ペトレンコ(本当はこの日は出番でなかったはずが変更になった)は、「ドン・カルロ」の宗教裁判官役もよかったが、この日のグレーミン役、出番は少なくとも重要な役だけに、そのいぶし銀の声は素晴らしかった。
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そしてオーケストラ!!いやはや、その表現力には唸りましたよ。例えば「手紙の場」の後の夜が明けて行く部分など、ワーグナーかと思うほどの迫力。これは、自国作品のみならず、ヴェルディやワーグナーも沢山こなすという経験を日常から積んでいるからこそ出る音であろう。もちろん、有名なポロネーズも万全の出来であったが、部分部分がどうのこうのではなく、最初から最後まで、すべての箇所で歌手たちとともに笑い、踊り、怒り、悲しみ、そして悲劇を巻き起こすという、いわばドラマの進行役をオケが果たしたと言ってもよいと思う。あ、それから、この日も「ドン・カルロ」の日も、演奏前のオケ・ピットでの音出しで、トランペットがリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を練習していたのはなぜだろう(笑)。この秋東京では、この曲のすごい演奏が2回あるはずなので、聴ければ追ってご報告します。

演出は、今回も「ドン・カルロ」同様、簡潔な舞台装置でありながら、色とりどりのリンゴや舞台奥のブランコという限られた小道具を効果的に使い、各場の最後は、緞帳がクローズアップのように登場人物の回りの空間を狭めて行くことで、心理の綾をよく描いていた。以下は「手紙の場」と、第3幕の舞踏会でオネーギンとタチアナが再会する場面。
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この作品の抒情性は卓越していて、ただの男女のすれ違いというメロドラマではない。狂言回しや合唱の活用など、細部も本当によくできていて、私は聴く度に感動してしまうのだが、今回ほど胸にぐっと来たことはちょっとない。やはり、上記のような様々な要素が、作品本来の強い表現力を引き出したからであろう。忘れられない経験となった。

ところでこの演奏、珍しく正午からの上演であったのだが、その理由は、ゲルギエフとマリインスキーのオケは、この上演終了(16時頃)後、19時からまた、オール・チャイコフスキー(幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ピアノ協奏曲第1番(ピアノは14歳の天才少年)、交響曲第5番) を同じ東京文化会館で演奏するからであった。相変わらず底抜けのスタミナのゲルギエフ、恐るべし。因みに私はこのオペラ鑑賞後、そのマリインスキーのコンサートではなく、別のコンサートに行き、その途中で1軒美術館に立ち寄っている。こちらはこちらで、多少のスタミナのいるスケジュールではあったが、でも、ただ見たり聴いたりしているだけですからね。演奏家のスタミナに比べれば屁のようなもの。それぞれ、追ってアップします。ただ、ブログを書くのは少しはスタミナの要る作業なので(笑)、ちょっと時間がかかるかもしれませんが。

ここで蛇足をひとつ。プーシキンによってこのオペラの原作「エフゲニー・オネーギン」が書かれたのは1830年。前項で採り上げた映画「高慢と偏見とゾンビ」のもともとの原型であるジェイン・オースティンの「高慢と偏見」は1813年の作。その間17年しか離れていない。オペラの冒頭でタチアナが文学好きの夢見がちな少女であることを説明する歌詞に、「英国の恋愛小説を読んで」という表現が出てくるが、もしかすると、タチアナが読んでいるのは「高慢と偏見」ではないだろうか!!そう思うと面白い。まさか「オネーギン」にはゾンビは出てこないし、この舞台にそんなものを入れる演出をすると、客席からブーが出ること必至だが(笑)、活性化した脳でちょっと想像してみるのも一興かも。実は私は何年か前、モルドヴァ共和国の首都キシニョフ(あるいはキシナウとも)という街に出張したことがある。恐らくほとんどの人はその国の名前も聞いたことがないだろうが、英国王室に献上していたワインで有名なところなのだが、その街に、「プーシキンが『エフゲニー・オネーギン』を執筆した家」というのがあって、内部には入れなかったが、外から覗いたことがある。調べてみると、急進的な作風を政府に疎んじられ、その地に送られたとのこと。今でこそロシアのまさに国民的詩人・作家として広く尊敬されているプーシキンだが、そんな時代もあったのだ。
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ちなみにプーシキンは1799年生まれ、1837年死去。「高慢と偏見」のジェイン・オースティンは、1775年生まれ、1817年死去。オースティンの方が一世代上だが、フランス革命からナポレオン戦争と、ヨーロッパ全体で貴族性が揺れ、戦争に次ぐ戦争に入って行った時代である。実は、この日私が見た美術展とは、江戸琳派の鈴木其一の展覧会であるが、其一は1796年生まれの1858年死去。プーシキンの生涯を完全に包含する。そうすると、同時代の日本の豊かな文化を育んだ平和は、ヨーロッパ人には想像もできなかったであろう。まぁそんな関係ないもの同士を想像の中で結び付けて遊んでいる、秋の夜長でした。

by yokohama7474 | 2016-10-16 01:26 | 音楽 (Live) | Comments(2)