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たまたま近くのTOHOシネマズで上映中の映画を調べていて目についたのが、この映画だ。これまで予告編はおろか、全くこの映画に関する情報を得たことはない。だが、いわく傑作「羊たちの沈黙」のジョナサン・デミ監督が大絶賛したとか、昨年のヴェネツィア映画祭で観客・審査員の多大なる指示を得て、新人監督賞を獲得したとか、なかなかに注意を引く情報が目に入る。そして、原作はジャン=ポール・サルトルの「一指導者の幼年時代」という短編である由。どうやら、第一次大戦後を舞台に、架空の独裁者の幼年時代を描いた映画らしい。このような作品がシネコンにかかっているというのは珍しいこと。これは早めに見ておこうと思い立ち、レイトショーに出掛けることにした。

ストーリーは単純と言えば至って単純。将来独裁者として君臨するひとりの男が、第一次大戦終結直後のパリ(ということは、1919年のヴェルサイユ条約に結実する戦後処理についての講和会議が行われていた場所だ)郊外に住む家族の一人息子として、いかなる少年時代を送ったかということを描いている。プログラムを読むと、サルトルの原作はヒトラーの幼年時代を題材にしているらしいが、この映画にはまた、ムッソリーニの少年時代の逸話なども盛り込まれているとのこと。監督は、「映画のタイトルをサルトルの作品から借りた」という表現をしていて、必ずしも原作であると明言はしていない。ちなみにこの短編、日本では新潮文庫の「水いらず」の中に収録されている。あ、私はこの本を持っているが、この短編については全く記憶がない(笑)。
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さてこの映画、昔のヨーロッパ映画のような陰影の濃い色調だと思ったら、35mmフィルムで撮影されているとのこと。共同脚本及び監督のブラディ・コーベットは1988年アリゾナ州スコッツデール生まれの米国人で、その未だ20代という若さや誕生地(何度か行ったことありますよ。砂漠です)は、とても格調高いヨーロッパ調というイメージとはほど遠いが、尊敬する映画監督として、ミヒャエル・ハネケとラース・フォン・トリアーをはじめ、カール・テホ・ドライヤーやロベール・ブレッソン、ジャン・ヴィゴ、小津安二郎といった芸術系の名前が並ぶ。もともと俳優で、件のラース・フォン・トリアーの「メランコリア」にも出演している。プログラムのモノクロ写真では髭を生やしているが、意外なことに、もともとこんな爽やか系の若者だ。
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それにしても、このような若者が監督した映画とはとても思えない、相当に仮借ない人間描写を含む映画であり、すべてを手放しで大絶賛しないとしても、少なくとも衝撃的な作品であるとは言えよう。その最大の理由は、主役であるプレスコットを演じる、映画初出演の男の子の素晴らしい演技だ。撮影時たったの9歳(!!)、英国人のトム・スウィート。
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ここで彼の見せる千変万化の表情にはつくづく驚かされるし、将来の独裁者の潜在的狂気をこれだけ自然に演じられると、本当にこの子は将来とんでもないことをしでかすのではないかと、心配になるほどだ(笑)。思春期と呼ぶにはまだ早い年頃で、劇中でもまるで少女のような少年という設定であるが、可愛らしい容姿の裏の悪魔的なものが何度も何度も出て来て、見ている者をとてつもなく不安にするのである。まさに空恐ろしいような「モンスター」の天才的な演技である。そして、この映画の中では、この「モンスター」によって最も不安に苛まれるのが母親であり、米国政府の要人としてパリ講和に参加している初老の父親も、立派な公的責務を負いながらも、個人生活ではやはり情けないまでに「モンスター」に翻弄されるのである。一方、彼を心から可愛がるお手伝いさんや、早すぎる少年の性的欲望まで喚起する家庭教師の女性まで、ほかの役者陣もそれぞれに芸達者である。正直、私が知っている名前はなかったのであるが、以下の写真で左上から右回りに、母親役のベレニス・ベジョ、父親の友人役のロバート・パティンソン、家庭教師役のステイシー・マーティン、父親役のリアム・カニンガム。
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この映画の演出は細部まで凝りに凝っていて、映画好きならかなり堪能できると思うが、また音楽好きにも興味深いシーンがいくつかある。例えばプレスコットが風呂に入れられるシーンで口笛で吹いているのは、(たった数秒だが)紛れもなくベートーヴェン7番の第2楽章だ。また、何度も蓄音機から流れる古いSP録音がBGMとなっているが、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」の「手紙の場」であったり、ショパンのピアノ・ソナタ第2番の第2楽章(葬送行進曲)の中間部の旋律を英語のポピュラーナンバーに編曲したものであったりするのである(なお後者は、イースターのシーンに加え、晩餐会の重要なシーンでも再び登場する)。ただ、映像の凝り方には一部不要なこだわりを感じるときもあって、このあたりは若さゆえの表現意欲の表れかとも思う。一方で映画のオリジナル音楽は、スコット・ウォーカーという作曲家(デイヴィッド・ボウイに影響を与え、レオス・カラックスの「ポーラX」...懐かしい...の音楽も担当していた)によるもので、中規模編成と思われるオーケストラが使われている。この音楽も、まるでホラー映画であるかのように映画の不気味なトーンを本編中のあちこちで盛り上げるのであるが、正直なところ、私にはちょっとうるさかった。特にラスト・シーンは、むしろ静寂をうまく使った方がよほど効果的ではなかったろうか。

このように、優れた面とそうでない面をそれなりに認識することができる映画であり、一般には多くの人の支持は得られないかもしれないが、文化的刺激を求める人には、子役の演技を見るだけでも価値があると申し上げておこう。一方で、現実世界ではどの国の政治も内向きとなり、今後の国際社会がどうなって行くのか分からないこの不安の時代に、このような内容の映画を見ることの意味は、大いにあるだろう。歴史というものの一筋縄でいかないところは、独裁者なら独裁者だけが、戦争の時代に起こったことの何もかもに責任があるという単純なことにはどう転んでもならないところである。独裁者を支持した一般庶民が圧倒的多数であったことこそが、本当に人をして心胆寒からしめるのだ。少年時代の独裁者が美少年ということだけで、既に耽美的要素を帯びた映画ではあるが、ただの後ろ向きな美学ではなく、厳しく時代の現実と切り結ぶだけの覚悟が作り手の方にあることをヒシヒシと感じる。翻って、我が国の文化の担い手は、果たしてこのような厳しさを持っているだろうか・・・と、柄にもなく考え込んでしまった次第である。

過去の姿をした現在が、真剣な眼差しで我々に問いかけてくる。
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by yokohama7474 | 2016-11-30 01:39 | 映画 | Comments(0)

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日本画史上に燦然とその名を輝かせている夭折の画家、速水御舟(はやみ ぎょしゅう、1894-1935)については、昨年7月5日の記事でも、世田谷美術館での関連展覧会をご紹介した。その展覧会には、御舟周辺の画家たちの作品も展示されていて、彼の活動の前後まで含めて展望する機会であった。一方、現在東京恵比寿の山種美術館で開催されているこの展覧会(今週末まで)は、2点の重要文化財を含む代表作が勢揃いするなど、この画家の画業を広範に辿ることができる非常に貴重な機会なのである。例によって例のごとく、会期終了間際になってのアップであるが、この記事をご覧になる方が、ひとりでも多く会場に足を運ばれることを願う次第である。因みにこの山種美術館、120点もの御舟作品を蔵する「御舟美術館」であるが、この展覧会は多くの所蔵者からの出展を含む80点からなるものだ。これが御舟。真面目そうな人である。
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速水御舟は東京浅草生まれ。本名は蒔田栄一であるが、後に速水家の養子となり、速水姓を名乗ることとなる。14歳で実家近くの案雅堂画塾というところに入門した。この画塾の主催者は松本楓湖(ふうこ)という、歴史画で知られた画家であったらしい。自由な雰囲気を持っていたこの画塾で出会った先輩が、今村紫紅(しこう 1880-1916)である。紫紅も日本画史上に燦然と輝く天才であるが、35歳で死去。御舟と紫紅とは、近代日本画が確立していく過程でともに試行錯誤した夭逝の天才であるが、ともに官立の美術学校で教育を受けておらず、幼少から画塾で学んだという点が興味深い。この展覧会では、御舟少年時代の作品も並んでいるが、これは17歳のときに古典絵巻の一部を模写した「瘤取之巻」(こぶとりのまき)。闊達な線に驚かされる。
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これはその翌年の制作になる「萌芽」。今村紫紅の南画風なところもあると思うが、これはどう見ても何かの模写や誰かの真似などではなく、画家自身の描きたいものを描いたのであろう。尼僧の全く写実的ではない顔と、周りに生えた、これまた現実離れのした植物たちの幻想性。当時の大富豪であり芸術家たちのパトロンであった原三渓が気に入って購入し、以降御舟のよき理解者となったきっかけを作った作品だそうである。
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これは1917年、23歳のときの「黄昏」。写実性よりも幻想性に依っている点は上の作品と共通しているものの、絵の持つ雰囲気は全然違う。青が大変美しいが、御舟自身、「群青中毒にかかった」と語った頃の作品である。これまた日本画史上に残る大画家である小林古径(当時34歳)が気に入って購入したという経緯を持つ。そのように考えると、御舟は若い頃から理解者に恵まれていたことが分かる。もちろん才能がないとそうはならないが、短い命と引き換えに、何か運命的なものに背中を押されて画業に邁進して行ったということであろう。
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これはその翌年の「洛北修学院村」の部分。スタイルは上の作品と共通しているが、まるでシャガールのようなメルヘンめいたこの幻影はどうだろう。御舟は実際に修学院村の寺に住んで、その記念としてこの作品を描いたという。村の農民たちの生活が描かれているが、庶民の生活への温かい視線というよりも、風景に溶け込む人々の生活の尊さを感じさせる。原三渓の旧蔵品だ。
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ところがその2年後、1920年に御舟は驚くような作品を発表する。現在では東京国立博物館の所蔵になる「京の舞妓」である。これはまさに、洋画家岸田劉生言うところの「でろりとした」絵画ではないか。
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上のメルヘン風の絵画とこれほど異なる不気味な絵があるだろうか!!御舟自身の言葉によると、「人間の浅ましい美しさ」と「陰の奥に存在する真実」を舞妓に見出して描いたとのこと。当時未だ26歳のこの画家の作品を、押しも押されぬ大家であった横山大観は激しく非難し、御舟の院展除名すら求めたという。一方、こちらは洋画壇の中心人物であった安井曾太郎は、御舟の「実在表現」の姿勢を高く評価したとのこと。なるほど、それはよく分かる気がする。この作品、壺や舞妓の衣装などは精密に描かれているのに、その顔は怨恨に満ちたかのような強烈なデフォルメがなされている。その意味では、上に掲げた「萌芽」と、技法は違えど共通点があるのではないだろうか。目に見えるものを綺麗に描くことには、御舟は興味がなかったのだ。それがやがて究極の作品「炎舞」につながって行くのである。これからその過程を辿ることになるが、これは「京の舞妓」の翌年、1921年に描いた「菊花図」。実は昨年7月5日の「速水御舟とその周辺」展の記事でもご紹介した。今確認すると、あっなんだ、そのときも岸田劉生と「でろり」について既に語っているではないか!!なのでここでは多言を弄さず、この菊の花の不気味な存在感をお楽しみ下さいと申し上げよう。今回の図録の解説によると、御舟と劉生は実際に交流があったとのことで、劉生の御舟への影響は明らかなのである。
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同じ1921年の作「鍋島の皿に柘榴」。この絵はある意味で極めて写実的ではあるが、皿を上から覗いているのに、柘榴は真横から描いていて、架空の情景なのである。セザンヌを思わせるところもあるが、一見つややかに描かれた対象物の「でろり」感は、セザンヌとは全く異なるものだ。
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これは御舟の意外な一面を示すもの。1923年の「灰燼」だ。制作年で明らかな通り、これは関東大震災の直後の光景。地震発生時に御舟は上野の院展会場にいたが、自宅に向かう途中で家族の無事が判明すると、文具店でスケッチブックを購入して瓦礫の街を写生して歩いたという。この絵には悲惨な感じはなく、むしろキュビズム風の実験精神が見えるように思うが、現実を超えた災害に向ける画家の鋭い視線も感じることができる。
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そして1925年。あの名作が誕生する。山種美術館の至宝、重要文化財の「炎舞」である。私としては、対面が確かこれが3回目。前回は未だ移転前の千鳥ヶ淵にあった旧山種美術館であった。そのときの展示方法は正直言って感心しなかったが、今回は素晴らしい。漆黒の闇に怪しく浮かび上がる炎を、見事な展示方法で演出している。
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私のように日本の古美術が好きな人間にとっては、この炎は明らかに仏画を思わせる。この絵が宗教性を感じさせるのはそういう点も関係していよう。ご参考までに、青蓮院の国宝、青不動の画像をお目にかける。因みにこの奇跡の絵画は、今では京都の将軍塚というところにお堂ができて、館内で少し距離を隔ててとはいえ、いつでも拝観できる。
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さてこの「炎舞」、軽井沢に3ヶ月間滞在した際に、毎晩のように焚き火を起こし、そこに群がる蛾を観察したことから生まれた。渦を巻いて上昇する炎の力と、それに翻弄され、チリチリと羽を焦がしながらも、短い生を無言で生きる蛾の不規則な動き。誰もが食い入るように見入ってしまう作品だ。実はこれに近い雰囲気の作品を御舟はもう1点描いている。「炎舞」の翌年1926年に描かれた「昆虫二題」のうちの「粧蛾舞戯(しょうがぶぎ)」。これも山種美術館の所蔵である。
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確かに雰囲気は近いが、だが底知れぬ怪しさという点では、「炎舞」には及ばない。そもそも、「炎舞」というシンプルな題名に比較して、なんとも説明的な題名ではないか(笑)。きっと御舟自身、自分の描いてしまった作品を恐れていたのではないだろうか。だが御舟の創造性の素晴らしさは、このような一定の雰囲気にとどまらず、貪欲に多様な作風を試みていることだろう。例えばこれは、「炎舞」と同じ1925年の軽井沢滞在中に描かれた「樹木」。こちらは量感たっぷりな樹木を描いていて、蛾の集う夜の世界とは全く異なるが、やはり現実を離れた幻想性という点では、題材としての共通点はあると思う。
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この「炎舞」を描いた時点から、御舟に残された時間はあと10年。だが彼の探求心は新たな境地に彼を導いたのだ。1928年の作品、やはり山種美術館蔵の「翠苔緑芝(すいたいりょくし)」。四曲一双の金屏風である。
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一見して琳派風の装飾的な画面。黒猫と白兎の対比も面白い。だが、翌年1929年の作品はもっと素晴らしい。重要文化財、これも山種美術館所蔵の「名樹散椿(めいじゅちりつばき)」。全体像と一部のアップの写真を掲げよう。
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この作品は京都のその名も椿寺と呼ばれる寺にあった樹齢四百年の木を素材にしたもの。だがここでは相変わらず写実というよりも、生き物のようなただならぬ迫力の創出に画家の主眼があるように思われる。先般、NHKの日曜美術館で紹介されていたが、この作品の背景には、金箔でできる正方形の升目や、金泥でできる色のむらがなく、完全に均質な金になっていて、装飾性が際立っている上に、なんとも品格がある。それを可能にした技法は、御舟が編み出したという独特の手法、「撒きつぶし」である。金の粉を、にかわを塗った紙の上にまき散らし、丁寧に手でそれを延ばして行く手法で、金箔の10倍の金を使用するという。御舟はその命を削って、この美麗かつ迫力ある作品を創り出したのである。

その後御舟は、1930年に渡欧している。イタリア政府主催のローマ日本美術展覧会(上記の「名樹散椿」も出展された)の式典出席の後、フランス、スペイン、イギリス等を10ヶ月に亘って歴訪している。因みにこのローマへの派遣は横山大観も一緒だったようだが、例の「京の舞妓」での激怒は、このときまでには鎮まっていたのであろうか(笑)。これはフレンツェで描いた「塔のある風景」。おー、これはまた、安野光雅かと思ってしまうような叙情性と現代性だ。
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渡欧から帰国後の御舟は、人物像の模索にとりかかる。これは1932年の「花ノ傍(かたわら)」。うーん、今度は、モダニズムあふれる清新な作品ではないか。今度はあの、「京の舞妓」を誉めたという安井曾太郎を思わせる作風だ。常に新たなものにチャレンジする御舟の旺盛な創作意欲に、心打たれるではないか。
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そして御舟は、若い頃取り組んだ模写の世界にも戻っている。これは1934年に描かれた、池上本門寺の「日蓮上人像」の模写である。
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周知の通り本門寺は、日蓮が旅の途中で倒れて世を去った場所で、日蓮宗の聖地のひとつ。この肖像画のオリジナルは惜しくも戦争で焼失してしまって現存しないが、御舟が模写したということは、本門寺の秘宝にふさわしい由緒正しいものであったのだろう。この鬼気迫る表情に、日蓮という人の強固な意志がみなぎっているではないか。模写でありながらその霊力まで写し取ったような御舟の気迫に圧倒される。

そして、御舟の命は翌年、1935年で突然途絶えてしまう。腸チフスであった。絶筆となった「円かなる月」。皇居前の松にかかる月を描いたものであるらしい。習作を経て最初に仕上げた作品は、日記には「松図失敗改作に決す 心動揺を覚えずにいられぬ」とあることから、一旦破棄されたことが分かっており、この2作目は6日間で仕上げたとのこと。もちろん彼はこれが最後の作品になるとは思っていなかったに違いない。だが、「炎の舞」ではあれだけ濃く、それだけに強い吸引力のあった闇が、ここでは薄ら明るい月夜であり、「名樹散椿」ではあれだけ逞しく繁茂していた木の枝が、ここでは細く弱々しい。変わらぬものを持ちながらもスタイルを変遷させてきた御舟が最後にこの世に残したものは、ある種の枯淡の境地を示す小さな作品であった。
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このように速水御舟の画業には驚くべき面が多々あり、今後も人々に訴えかける作品群であると思う。40年の短い生涯でこれだけの実績を残した画家はそうはいないだろう。「炎舞」だけが御舟ではなく、だが一方で彼の才能を凝縮させた奇跡的な作品が「炎舞」であったのだということを、改めて実感することとなった。未だご覧になっていない方は、今週末、山種美術館に走られたし!!

by yokohama7474 | 2016-11-28 23:46 | 美術・旅行 | Comments(0)

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ミュンヘンに本拠地を置く世界一流のオーケストラ、バイエルン放送交響楽団とその首席指揮者、ラトヴィア出身のマリス・ヤンソンスの演奏会、前日のミューザ川崎に続き、今度はサントリーホールに足を運んだ。これは、オーケストラファンならば誰もが聴いてみたいと思うような内容で、曲目はただ1曲、マーラーの交響曲第9番ニ長調なのである。この曲は演奏に1時間半を要する文字通り晩年のマーラーによる畢生の大作で、生と死のはざまで葛藤する芸術家の姿を浮き彫りにする深遠な作品。聴く方もそうおいそれとは聴くことはできないし、演奏する方はまた、相当な覚悟がないと取り組むことができないだろう。このブログでも、この曲に関する記事は未だ書いていないと記憶する。上のチラシにも、「歴史的名演の予感。究極のシンフォニー!」とあって、その謳い文句は必ずしも誇張ではないのである。

会場は超満員ではなかったものの、集まったクラシックファンの熱気に満ちている。休憩なしの演奏会ということで、開演前にトイレに長蛇の列ができていたが、それを見て改めて男性比率の高いコンサートだなと思いました(笑)。私のようなオッサンたちも涙するマーラー9番。果たして歴史的名演なるか。マーラーのデスマスクも何かを語り出しそうだ。
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ここで少し歴史的事実を振り返ってみよう。この曲の日本初演は、1967年、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルによるもの。また、バイエルン放送響の来日時のこの曲の演奏としては、1975年のラファエル・クーベリックによるものが知られている。後者は、演奏終了後にコンサートマスターが感動のあまり泣きじゃくっていたと、どこかで読んだことがある。実はこの2つの演奏とも、今ではCDで聴くことができて、前者も、それから伝説の後者にしても、今の耳で聴くと、それほど驚くほどの超名演とも思えない。だが面白いのは、コンドラシンは旧ソ連ではもちろんヤンソンスの大先輩にあたる指揮者であったわけだが、西側に亡命してからはアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団と親密な関係を築き、また、他でもないこのバイエルン放送響の首席指揮者に内定していたのだ。惜しくも急逝したためにその人事は実現しなかったわけだが、ヤンソンスにとっては、コンセルトヘボウとバイエルンという2つのオケで接点のある指揮者であるわけだ。これも何かのご縁だろう。

もちろん、音楽が始まってしまえば過去の事実も何かのご縁も関係ない。虚心坦懐に耳を傾けてみよう。もともとこのヤンソンスという指揮者は、決して感傷的なタイプではなく、とにかく明快な推進力を持って音楽を解き放つタイプ。今回は、持ち味の明快さを充分に保ちつつも、弦の中音域が極めて充実した深い内容であり、過度な感傷を排した音のドラマとして、大変高い次元に達した名演であったと思う。中でも、一貫して第2ヴァイオリンの積極性が印象的であり、全身で音楽への没入を示す奏者たちから、あたかもメラメラと炎が立ち昇っているようにすら感じた。奏者をしてここまで燃えさせるのが、ヤンソンスの持つ音楽家としての並外れた力なのだということを、改めて実感した次第である。解釈に奇をてらったところは全くないが、例えば第2楽章の終結部、ピッコロを中心とする弱音が2度繰り返される箇所は、そこだけ少しテンポを速めたように聴き取られ、細部の彫琢を感じさせた。第3楽章でも、目まぐるしく移り変わる音楽的情景を巧みにコントロールしていた。もちろん第1楽章で絶叫、諦観、憧憬、絶望、恐怖という感情のカケラの数々が渦を巻いて次々現れる点、終楽章で深々とした呼吸が引き継がれて途絶えない旋律が歌われる点、いずれも見事であり、まさに真っ向勝負でのマーラー演奏であった。繰り返しだが、ここには過度の感傷はない。ひたすら純度の高い音のドラマが展開していたのである。オーケストラ演奏の醍醐味が満載であり、恐らくは世界でも最もマーラーに対する耳が肥えていると思われる東京の聴衆も、この熱演に惜しみない大きな拍手を送っていた。思うに今回のコンサートマスターは、演奏後に泣きじゃくることはなく、きっと胸を張ったことだろう。これは、例えばバーンスタインがベルリン・フィルとのただ一度の顔合わせでこの曲を採り上げて達成したような「歴史的名演」という範疇ではないだろうが、オーケストラ音楽のひとつの極致に迫る名演として、長く語り継がれるであろう。

もちろん、こんな演奏のあとにアンコールなどあるわけはない。だがその代わり(?)、なんとヤンソンスのサイン会があったのだ。基本的にCDの購入者のみ参加可能ということであったので、前日にアルプス交響曲の新譜を購入した私は、一瞬躊躇した。私と同じように前日CDを購入したという男性は、なぜ昨日サイン会をやらなかったのかと、激しい口調で係の人につっかかっていたが、「マエストロが、今日だけサインしようとおっしゃったので・・・」とのこと。そういうことなら仕方ない。私は、ヤンソンスとバイエルンの、幻想交響曲のCDを購入した。実はこれ、カップリングがエドガー・ヴァレーズの「イオニザシオン」という、ヤンソンスとしては異色のレパートリーであったことから選択したものだ。終演後には大変に長い列ができたが、マエストロはきっちりと背広にネクタイといういで立ちで登場し、丁寧にサインをしてくれた。
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前回の記事で披露したものから、実に30年を経て再び手にしたヤンソンスのサイン。相変わらずきっちりしたもので、ちゃんと名前が読めますよ(笑)。バイエルンとの契約は確か2021年までだったと思う。ということは、このコンビでの来日はまた期待できるということだろう。次はどんな曲目を採り上げてくれるのか、楽しみに待っていることとしたい。

by yokohama7474 | 2016-11-28 00:27 | 音楽 (Live) | Comments(15)

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前項の井上道義とN響のコンサートを聴き終えて急いで向かった先は、ミューザ川崎シンフォニーホール。このところ相次いでいる海外一流オケの攻勢に、また極めて強力な一団が参戦だ。ラトヴィア出身、現代を代表する巨匠指揮者、マリス・ヤンソンスの指揮するバイエルン放送交響楽団である。ヤンソンスは1943年生まれなので今年73歳。去る10月1日の記事で、彼がアムステルダムで名門コンセルトヘボウ管を指揮したコンサートについて記事を書いたが、彼は既にコンセルトヘボウの音楽監督は退いており、現在維持しているポストは、このバイエルン放送響の首席指揮者のみである。こちらもコンセルトヘボウに負けず劣らず素晴らしいオケで、度重なる来日公演でも名演を積み重ねてきた。
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バイエルン放送響は、その名の通りドイツの放送局のオケであり、設立は第二次大戦後なのである。ミュンヘンに本拠地を持ち、初代首席指揮者オイゲン・ヨッフム以来、ラファエル・クーベリック、コリン・デイヴィス、ロリン・マゼールを経て、2003年からヤンソンスがその任にある。この歴代指揮者陣は、まさに掛け値なしに世界のトップクラスの人たちばかりであり、その音色の充実感が変わらぬ高いレヴェルで維持されているのも、これら第一級の歴代指揮者の薫陶の賜物であろうと思われる。今回の曲目は以下の通り。
 ハイドン : 交響曲第100番ト長調「軍隊」
 リヒャルト・シュトラウス : アルプス交響曲作品64

なんと、つい先日もあのクリスティアン・ティーレマン指揮のシュターツカペレ・ドレスデンによる生演奏を体験したばかりのアルプス交響曲が、今度はこのコンビによって演奏されるのだ。この曲は来日公演であまり演奏されないと以前の記事で書いたが、わずか中3日で、いずれ劣らぬ世界一級の演奏家たちがこの曲を採り上げるとは、東京とは実に恐ろしい街なのである。尚、今回のバイエルン放送響の来日公演は、11/23から11/28までの6日間に、西宮、名古屋、川崎と東京での5公演。このハイドンとシュトラウスの組み合わせは、既に11/24(木)に名古屋で行われている。

さて、1曲目のハイドンであるが、もう一言、楽しい!!最近、少なくとも日本のオケでは、ハイドンの交響曲の演奏頻度はあまり高くないと思うが、それは本当にもったいないことなのである。モーツァルトのアポロ的天才ぶりに比べて、ハイドンは大らかで、あえて言えばデュオニソス的祝祭感を持っている。交響曲の父と呼ばれ、110曲ほどの交響曲を書いた古典派の作曲家だが、曲ごとの個性が大変豊かであり、どの曲にも必ずユーモアがある点、ほかの作曲家では聴けないような魅力が満載だ。そして今回のヤンソンスとバイエルンの演奏のように愉悦感溢れる演奏で聴くと、大げさでなく、人生の喜びを誰もが感じることだろう。演奏スタイルは古楽風ではなく、伝統的なもの。もちろん、弦楽器の編成は小さく、ティンパニは硬い音のする古いタイプであったが、まるで大交響曲のような分厚い音で、ヴィブラートもしっかりかかっていた。要するに、音楽を楽しむ上で演奏スタイルはあくまでひとつの要素に過ぎず、よい音楽はよいのであって、上に述べたようなこのオケの高い水準を実際に再び耳にする喜びはまた格別である。この曲の「軍隊」というあだ名は、第2楽章でトルコ行進曲風の音楽が表れ、トランペット(今回は舞台裏での演奏であった)が軍楽隊のようなソロを吹くことによる。トルコ風音楽は終楽章でも再び登場するが、この日の演奏では、第2楽章終了後に4人の打楽器奏者が舞台を退いていぶかしく思っていると、なんとなんと終楽章では、下手側の客席入り口から入場して来て、大太鼓、シンバル、トライアングルと、それから大きな飾りを付けた鐘を打ち鳴らす奏者たちが、1階客席を練り歩いた。なんという楽しいハプニングだったろう!!そういえば、ヤンソンスとバイエルンが前々回、2012年の来日時にベートーヴェン・ツィクルスを演奏した際、第9番の終楽章でやはりトルコ行進曲が演奏されるときに、切れ切れに行進曲の伴奏をするトランペットが、ステージ下手のドアから現れて徐々に中心に向かって移動したのを覚えている。今回も同様の趣向であり、実際、より派手な演出だったと思う。この指揮者、本当に人を楽しませる名人なのだ。
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そしてメインの曲目、アルプス交響曲だ。先に演奏したシュターツカペレ・ドレスデンはこの曲を初演し、献呈を受けたという名誉を持つが、このバイエルン放送響も、やはり作曲者と深い縁がある。というのもこの作曲家の出身地が、アルプスのお膝元である、ほかならぬミュンヘンであるからだ。そして、指揮者としての活動も生涯活発に行っていたシュトラウスが、戦後に最後に指揮をしたのが、このバイエルン放送響であるらしい。録音の上でも、先の記事でご紹介した、この曲の人気を一気に上げることとなったゲオルク・ショルティの素晴らしい録音は、当時の手兵シカゴ交響楽団ではなく、このバイエルン放送響を指揮したものであった。そのような歴史を考えると、このヤンソンスとバイエルンの演奏も、まさに世界レヴェルでティーレマンとドレスデンに対抗できる、由緒正しく高水準なものであるのである。実際この日の演奏は、先のドレスデンの演奏とはまた一味違う、甲乙つけがたい名演となった。私の印象では、ヤンソンスの指揮の方がヒューマンな味わいに満ちていて、ティーレマンのようなスリルはないかもしれないが、着実な音楽になっていたと思う。とりわけ感銘深かったのは、嵐の後の祈りのような音楽。遅めのテンポでじっくりとまた深々と歌い込まれるのを聴いていると、ヤンソンスの興味が、自然の描写ではなく、自然を前にした人間の感情にあるのではないかと思われてくる。ドレスデンの柔らかく洗練された響きに対して、バイエルンは元来もう少しシャープでクリアな音だと思うが、ここでは陰影に富む繊細な音が鳴っていて、実に素晴らしいと思った。もちろん、夜明けから山に登り、頂上に達する際の劇的な迫力も充分。このコンビの到達した高みを、自分たちで確かめるような演奏であったと思う。そして、終結部を聴いて思い出したのは、同じシュトラウスの「死と変容」である。曲の内容は随分異なるが、ヤンソンスのヒューマンなタッチが、死にゆく病人の魂の昇華を描いた「死と変容」との共通点をこの曲の終結部に見出させたのだろうと思う。そのような感銘のあと、アンコールは演奏されなかった。

会場では、独占先行販売として、つい先月本拠地ミュンヘンで録音されたばかりのこのアルプス交響曲のCDが売られていたので、購入した(バイエルン放送局独自のレーベル"BR Klassik")。
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あ、なんだ、よく見るとこのCD、カップリングが件の「死と変容」ではないか!!そうすると私が感じた2曲の共通点は、ヤンソンスの意図に沿うものであったわけである。もっとも、ただ単に収録時間の関係かもしれないが(笑)。

このように非常に充実した演奏会であったのであるが、ひとつ気になったのは、ヤンソンスが少し老けたように感じたこと。背中が少し丸くなっていて、演奏終了後は疲労感を漂わせていた。もともと心臓病のある人なので、あまり無理は禁物だと思うのだが、ダイナミックな音をオケから引き出す名人として、世界各地を飛び回って活躍を続けて来た。だが、既に73ともなると、もちろん体力の衰えはあるだろう。是非ご自愛頂きたいと思う。

ここで少し個人的なノスタルジーを抱いてしまうのであるが、私がヤンソンスを初めて生で聴いたのは1986年。今からちょうど30年前のことになる。ロシアの大御所ムラヴィンスキーが来日をキャンセルし、彼が確かレニングラード・フィルの日本公演全部を指揮したのである。今プログラムを持ってきて確認すると、この頃の日本ツアーは大変な規模で、日本各地で実に19公演(!!)だ。彼の父アルヴィド・ヤンソンスは東京交響楽団を頻繁に指揮していたので日本では親しまれており、彼は「あのヤンソンスの息子」という紹介であったと記憶する。実力のほどは全く知られておらず、巨人ムラヴィンスキーを聴けない落胆が、客席を支配していた。だが、その時に私が聴いたチャイコフスキー5番とショスタコーヴィチ6番は実に胸のすく快演で、圧倒的な感銘を受けたことを、昨日のことのように思い出す。正直、その後彼がここまでビッグになるとは思わなかったが、音楽ファンにとって演奏家との巡り合いとは不思議なもの。最初の出会いを忘れることはできないのである。これはそのときのプログラムに載っている若きヤンソンスの写真と、私がその時もらったサインである。
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時は決して後戻りせず、先へ進むのみである。必要以上にノスタルジックにならずに、円熟の境地に入っているヤンソンスの今後のさらなる高みを、30年来のファンとして、是非期待したいと思います。

by yokohama7474 | 2016-11-27 02:34 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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このところ海外からやってくるオペラやオーケストラに応戦するのに忙しくて、日本のオケをあまり聴く機会がなかった。その隙に(?)、NHK交響楽団(通称「N響」)の指揮台にはトゥガン・ソヒエフとかデイヴィッド・ジンマンという一流の指揮者が立っていたのは知っていたが、実際に聴く機会がなかった。残念ではあるが致し方ない。そして今回N響の定期を指揮するのは、最近とみに充実した活動を展開している井上道義だ。
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因みにこのN響は、定期演奏会のチラシを作成していないので、以前は指揮者の写真を引っ張ってきて記事に乗せていた。だが今シーズンからN響の機関誌フィルハーモニーの表紙に、モノクロで指揮者の写真があしらわれるようになったので、上でもそれを使っている。上下逆さまの二人の指揮者が写っているが、同一人物ではない(笑)。左は米国の名指揮者、今年実に80歳(!!)になるデイヴィッド・ジンマン。対する右が、ミッチーこと井上道義なのである。彼については今年3月13日の鎌倉でのN響とのブルックナー8番の演奏についての記事で触れたが、今回、実に38年ぶりにN響の定期に帰って来た。このあたりについての彼自身の思いも上記の記事で言及しているが、まずは過去を振り返って、その38年前、1978年5月のN響の演奏会の曲目は以下の通り。
 ロッシーニ : 歌劇「泥棒かかさぎ」序曲
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18(ピアノ : ネルソン・フレイレ)
 プロコフィエフ : 交響曲第1番ニ長調作品25「古典交響曲」
 ドビュッシー : 交響詩「海」

それに対して今回の曲目は以下のようなものだ。
 ショスタコーヴィチ : ロシアとキルギスの民謡による序曲作品115
 ショスタコーヴィチ : ピアノ協奏曲第1番ハ短調作品35(ピアノ : アレクセイ・ヴォロディン)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第12番ニ短調作品112「1917年」

さて、ここには面白い対比がある。伝統的なオーケストラコンサートのひとつのパターンに、「序曲・協奏曲・交響曲」という構成がある。実は1978年の演奏会も、この方式を踏襲しながら、若さのなせるわざか(笑)、最後に追加で交響詩を置いている。それに対して今回は見事に序曲・協奏曲・交響曲である。また、前回・今回とも、選ばれた協奏曲はハ短調の曲。交響曲は二調の曲。これは偶然ではないと思う。それだけ井上にとってN響定期への復帰には大きな意味があるのであろう。

さて、井上は近年ショスタコーヴィチの演奏に力を入れているのであるが、ここですべてこの作曲家の曲で固めるとは、かなり大胆な試みである。決してポピュラーな曲目ではないものも含んでいるからなおさらだ。井上のショスタコーヴィチといえば、2007年に達成した偉業、日比谷公会堂での主として5つのオケを振り分けたこの作曲家の交響曲の連続演奏会である。当時私は海外に住んでいたので聴くことは叶わなかったが、気になる公演であったのだ。嬉しいことに、今年演奏された2曲を含めた全15曲の交響曲の録音が、もうすぐCDとして発売される。
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さて今回の演奏会、一言でまとめてしまえば、ミッチー節全開の胸のすくようなもの。今のこの指揮者とN響の邂逅には、大きな意味があるように思われる。例えば最初の序曲(交響曲でいうと13番と14番の間に位置する円熟期の作品)は一般にはほとんど演奏されないものであるにもかかわらず、井上には既に手兵大阪フィルを指揮した録音もあり、その堂々たる指揮ぶりには、N響も冷静ではいられまい。指揮に食らいついて行くような弦楽器は殺気立っており、木管は自発性溢れるものだと思うと、金管の迫力も負けてはいない。つまりN響の高い機能が炸裂するハイカロリーの演奏であったのである。病を克服し、今年70歳という年が信じられないような元気な指揮ぶりに、聴衆は勇気づけられたはずだ。

その興奮も冷めやらぬうちに演奏されたピアノ協奏曲第1番。つい先だってもユジャ・ワンとマイケル・ティルソン=トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団で聴いたばかりの曲である。ソロを弾くのはロシアの凄腕ピアニスト、今年39歳のアレクセイ・ヴォロディンだ。
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彼のピアノは、ユジャ・ワンと比べると技巧的には甲乙つけがたいが、やはり男性なので力強さがある。それゆえに一音一音の粒立ちのよさよりは、突進力が耳に入ってくる。モダニズムとパロディ精神をまとったこの曲の複雑な情緒を、そのままに聴衆にぶつけて来た感がある。だがその一方で、第2楽章の暗い影には聴き入るべきものがあり、そのただならぬ音楽には、聴けば聴くほどに作曲者の仮面が何重にも被せられていることに気付かされる。もちろん超絶技巧を披露するだけなら、また違った曲もあれこれあるが、非常にダイナミックレンジの広いヴォロディンの目指すところは、技術を超えた不思議な情緒の世界なのであろう。ここでのトランペットソロは、N響首席の菊本和昭が吹いていて、これもまた見事。井上はここでは指揮台を使わずに指揮をして、時に体全体を使って踊るような身振りも見せ、実際に身振り通りの音が鳴っていた。万雷の拍手に応えてヴォロディンが演奏したアンコールは、ラフマニノフの前奏曲二長調作品23-4。ここでは抒情性を際立たせる深い音楽が聴かれた。

そして、後半のショスタコーヴィチ12番。ロシア革命を記念して書かれ、革命勃発の年である1917年(ということは、もうすぐ100年なのである)を副題として持つ。初演は1961年。ショスタコーヴィチはその直前に共産党に入党しており、まさに体制への従順さを示すために書かれた曲かと一見思われる。だが、この作曲家の底知れぬ屈折は誠に一筋縄では行かない。4楽章からなるが、切れ目なく演奏される40分の曲に、一体いかなる秘密を閉じ込めたのであろうか。
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ここでも井上の指揮は確信に満ちたもので、指揮棒を使わずに次々とエグい音響をオーケストラから引き出して行く。この曲が天下の名曲であるか否かはおくとしても、これだけ爆裂する音響を続けるのは、いかにN響といえどもなかなかに大変であったろう(笑)。尚、今回のコンサートマスターは客演で、ダンカン・リデルという人。ロンドン・フィル、ボーンマス交響楽団を経て、現在ではロイヤル・フィルのコンサートマスターであるとのことで、2011年、2012年に続く3度目のN響への客演である。このような試みも、オーケストラにとっては刺激になるだろう。

終演後、楽員から花束の贈呈があり、それに対して井上は、彼らしくおどけた仕草で反応して客席を笑わせたが、恐らくは今回の演奏の会心の出来に満足していたのではないだろうか。70歳は指揮者にとって円熟の時期。これからが楽しみである。このような恰好で指揮して欲しいとは思わないが(笑)、彼らしく既成概念を打ち砕く活躍を期待しております。
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by yokohama7474 | 2016-11-27 01:17 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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この映画に出てくるのは、すべて弱い人間である。だから私はこの映画を見て全く楽しい気分にはなれなかった。実はこの思い、前項の平野啓一郎作の戯曲「肉声」を見て感じた問題意識とも通じるものがあるので、ここでこの映画を採り上げることに多少の意義はあるだろう。

以前も書いたが、この映画の主演であるエミリー・ブラントは私のお気に入りの女優である。彼女が主演して、しかも上に掲げたポスターに書いてある通り、たまたま電車の車窓から見た光景が殺人事件に発展して行くという設定が、ヒッチコックばりの巻き込まれ型スリラーになっているのではないかと考えたので、この映画に興味を持ったわけである。後で知ったことには、この映画の原作はポーラ・ホーキンズという英国の女流作家による小説で、既に40ヶ国語以上に翻訳されて世界的なベストセラーになっている由。原作はロンドン郊外を舞台にしているが、ここではニューヨーク郊外に変更されている。ただ、英国出身のブラントはここで、"can't"を「カーント」という英国式アクセントで発音するなど、異国からやってきてニューヨーク近郊に住んでいるという設定が分かるようになっている。舞台は、グランド・セントラル駅から北へ向かうメトロノース鉄道のHudson Line沿線(この線が通るウェストチェスター郡には日本人駐在員も多く暮らしている)。まさにハドソン川のすぐ横を鉄道が走っていて、雄大な風景である。これはイメージ。
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さて、この雄大なハドソン川を臨む沿線で、主人公の女性、エミリー・ブラント演じるレイチェルが毎日見ているのは、ハドソン川とは線路を挟んで反対側に並ぶ家のうちの一軒に住む若いカップル。彼女はそこに理想の夫婦像を見出すが、ある日その家に住む女性がほかの男性と不倫しているのを目撃。それが事件の発端になって行くというスリラーだ。どうです、面白そうでしょう(笑)。この映画を見る人が、だがすぐに目にするのは、前作「スノーホワイト/氷の王国」でのお姫様役(今年6月13日付の記事ご参照)とは似ても似つかない、カサカサに荒れた唇のアル中女なのである。
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先に述べておくが、ここでのエミリー・ブラントは大変な熱演である。それは認める。だが、その熱演が上質なスリラーに貢献しているか否かは別問題。ここでの主要な役は、彼女を含めた女性三人なのである。一人は、若い女性メガンを演じるヘイリー・ベネット。なかなかに色気のある危うい役柄であり、濡れた瞳がなんとも生々しいのであるが、後で調べて分かったことには、デンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」に出ていたあの女優だ。うん、確かにあまり美形ではないのに、ちょっと気になる若手女優であった。
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対する落ち着いた人妻アナを演じるのは、スウェーデン人のレベッカ・ファーガソン。彼女は「ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション」(今年9月10日付の記事ご参照)に出ていた女優である。
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彼女らが直接間接に演じる、男を巡る愛憎劇が、この映画の本質だ。私の意見では、これはスリラーなどではない。洒脱な社会批判や、背徳的な殺人賛美はここにはない。ただ、すえた男女の関係がウネウネと続いているだけなのだ。関係する男のひとりは、「ドラキュラZERO」「ハイライズ」のルーク・エヴァンス。
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この映画が彼の男っぽい魅力に依拠しているかというと、そうでもない。じゃあなんなんだよこの映画(笑)。人間の弱い面汚い面を、現実よりも誇張して描いているのである。このような映画を面白いと思う人もいるのかもしれないが、でも、私は全然楽しめなかった。様々な社会の危機を生きる必要のある現代、こんな「あーどうしようどうしよう」という映画を見ていても、埒が明くまい。この時代には個々人の強固な信念が試されるし、特に文化の担い手は、人間としての尊厳をこそ描くべきではないか。そうでなければ、退廃に身を委ねて空笑いするか、もしくは知的なエンターテインメントを追求すべきではないか。この映画は、同じハドソン川を舞台としていても、あの「ハドソン川の奇跡」とは全く違った映画なのである。そして、あえて言ってしまえば、昨日見た芝居「肉声」と共通する物足りなさを感じてしまうのだ。

まあ、ひとつ印象に残るシーンがあるとすると、クライマックスで男が殺されるところだろう。なるほど、人を殺すのにこういう手があったかと思うことにはなると思う(笑)。今後はワインを飲むときに思い出してしまうかもしれない血しぶきだ。
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繰り返しだが、これからの時代、個人個人が強く生きなくてはいけない。この映画の題名で、「トレイン」の前についている冠詞は、"the"であって"a"ではない。つまり、主人公の女性が乗っているのは、なんでもよい、いつでもよい列車ではなく、特定の列車。人それぞれに運命づけられた列車というものはあるのかもしれない。それをよく認識しつつ、自由な思いを求めて、この映画の主役のように、時にはせめて列車の反対側に乗るだけの余裕を持ちたい。そうするとまた違った景色が見えてくるのであろう。こんな弱い人たちに乱されることのない平穏が存在する違った景色が。

by yokohama7474 | 2016-11-26 23:50 | 映画 | Comments(0)

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この公演を知ったのは、どこかのコンサートで配布されていたチラシであったと思う。以下のようなシンプルなものであった。
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なになに、「この秋あの4人がおくる"妾"・語り」とはどういうことだろう。ここに並んでいる4人の芸術家の名前は、私にとっては濃淡(?)あれども、いずれも芸術愛好家にはよく知られたもの。しかも、あのジャン・コクトーの「声」を題材にしたコラボレーションであるようだ。これは行くしかないだろうと思い、日程を調べたところ、唯一初日公演にだけ行くことができると判明。平野啓一郎の小説のいくつかを愛好する家人を誘って、出かけてみたのであった。

コクトーの「声」は、原題のフランス語を直訳すると「人間の声」であり、クラシックファンにとっては、フランシス・プーランク作曲のモノオペラによって知られている。かく言う私も、録音ではジュリア・ミゲネスの独唱、ジョルジュ・プレートルの指揮の演奏で、また生演奏ではジェシー・ノーマンが日本でシェーンベルクの「期待」と合わせて披露した公演で、この曲に親しんできた。加えて、堀江眞知子のソロ、秋山和慶指揮の日本語版(和訳は若杉弘)のCDも手元にある。オペラとしては非常に特殊で、舞台上で何度か電話のベルが鳴り、その電話に応対する女性がたったひとりの登場人物なのである。コクトーの台本が書かれたのは1930年。プーランクによるオペラ化(マリア・カラスを念頭に置いて作曲されたが彼女による歌唱は実現しなかった)は1959年。ある種のモダニズムに彩られながら、フランス独特の陰鬱な色恋沙汰のアンニュイな雰囲気をたたえた作品である。徐々に狂気をはらんで行く女性の精神状態が、セリフだけで描かれた究極の作品と言える。ただ今回はこのコクトーの戯曲を、芥川賞作家である平野啓一郎が翻案したものを、寺島しのぶが一人で演じ、ヴァイオリニストの庄司紗矢香が音楽を演奏するという趣向。もともとの原案は、世界的な美術家である杉本博司によるものであるらしい。これが杉本の肖像と、彼の典型的な作風を示すモノクロ写真。
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会場は青山の草月ホール。このホールにはかなり久しぶりの訪問だ。随分以前はここで「東京の夏音楽祭」のコンサートやレクチャーが行われていて結構通ったし、ベルクのオペラの映画なども楽しく(?)ここで見たものだ。また、もちろん先代の生け花草月流家元、勅使河原宏は、私にとっては尊敬する映画監督。
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会場には花輪がいくつも飾られており、本作の創造者4名のうち舞台に登場しない杉本と平野は客席に姿を見せているし、俳優の奥田瑛二もいる。あ、こんな花輪もあるではないか。
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上演時間80分のこの芝居はいかなる内容かというと、一言で言えばコクトーの原作とは全く異なっている。共通点と言えば、女優ひとりのモノローグであることくらいである(笑)。舞台は1940年の夏と1945年3月。すなわち、日本が戦争に突き進んで行く時代と、既に空襲を経て敗色が濃くなっている時代である。ル・コルビュジェ風のモダニズム建築に住む愛人が主人公で、彼女が男からの電話を受けてひたすらひとりで喋るというもの。事前のネットニュースでは、庄司のヴァイオリンは、無声映画時代の音楽のように芝居を伴奏するとあったが、それは全くの誤報で、冒頭、中間、ほぼラストに登場し、セリフのない箇所で3回、無伴奏ヴァイオリンを演奏するというもの。これが開演前のステージ。杉本自身の解説によると、ここに投影されている建物は堀口捨己という建築家(1895-1984)の設計であり、彼は実際に資産家の施主のために愛人宅を設計しているという。そこに住む愛人は、フェンシングと水泳を趣味とする当時のモダンガールであったらしい。そのようなキャラクター設定は本作でも採用されている。
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そんなわけで、事前の説明は一通り済んだので、芝居の内容について語らねばならない。正直なところ、私にとってはこの上演は、その意欲的な試みの意義は理解できるものの、残念ながら内容について共感するには至らなかった。いくつか理由を挙げよう。
・寺島しのぶは終始バインダーのようなものを見ながらセリフを喋っており、これは一人芝居というよりは朗読だ。しかも、私が気付いた限りでは3回トチっていた。生の舞台なので、トチるのが悪いと言う気は毛頭なく、演技にはさすがのものがあると思った瞬間もあったが、あまりに単調とも思われた。
・演出として杉本と平野の両方の名が記載されているが、実際には動きはほとんどなく、舞台背景に投影されるスライドが、家の外観から、中から外を見た写真に変わる程度。寺島は時折立って歩くなどの最小限の演技はあったが、そこには演出と呼べるほどのものは感じられなかった。
・平野の脚本には、妾の大胆さと人生への割り切り、またその反動の人間的な感情が表現されていて、理解できる部分もあったが、品のない描写には共感できない。恐らくそれは、笑いがないからだ。例えば三島由紀夫の通俗作品における下品なネタには、どこか笑いの要素がある場合が多い。一方ここで平野が選んでいる言葉の数々は、三島の作品と比べて、品のなさを突き抜けて人間の真実を赤裸々に表すところにまで至っているか否か。
・音楽がない。これでは間がもたない。いやもちろん、庄司のヴァイオリンは3度に亘って響き渡ったが、芝居そのものとは分断されていて、私としては、同じ音楽をコンサートホールで聴きたかったと思う。以下のような非常に凝った曲目で、意欲的な自作を含め、いずれも私にとって初めて聴くものであったのだが・・・。
 1. エリック・タンギー (1968年フランス生まれ) : ソナタ・ブレーヴから第2楽章
 2. 庄司紗矢香 : 間奏曲
 3. オネゲル : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタから第2楽章
因みに彼女は今回、通常のコンサートのように髪を束ねてピンクのドレスを着るといういで立ちではなく、上の写真の通り、髪を下し、黒一色の衣装であった。鳴っている音は、表現主義風というか、しばしばわざとかすれぎみのようにも聞こえたが、さすがの安定感であり、特にオネゲルは高水準の演奏であった。

ここで題名が「声」ではなく「肉声」とされているのは理由があるだろう。すなわちここで描かれているのは、原作のような、電話という機械を通した声の伝達における届かない思いというよりは、電話の向こうにいる男と主人公の女がかつて交わした「肉」を伴った行為でありコミュニケーションであるからであろう。二人の逢瀬の際、実際に肉を通して交わされたはずの感情の残滓に、実は男も女も(それぞれ別のかたちで)しがみついているのだ。だが残酷なことに、戦争という個人を遥かに超えた大きな出来事の中で、彼らの肉はいつ形を失うか分からない。ラストシーンの意味は明確に説明されないが、恐らくはいずれ死すべき運命にある人間の持つ感情への、ある意味の賛歌なのではないだろうか。そのようなことは、私も頭ではそれなりに整理できるのだが、では、それが現代日本においていかなる意味を持つかと点を思うと、急に醒めてしまうのだ。1940年代の妾さんの言葉から、明日に生きる勇気を見出すことは、残念ながら私にはできなかった。

だが、私としては、久しぶりに演劇に接する機会。もともとこのような試みにはリスクがあるし、私とは異なる感想を抱いた人たちもいたと思う。そう考えると、このような機会を今後も極力楽しみたいと考えるのである。ジャン・コクトー自身が見たら、一体どうコメントするだろうか。きっと、「私には、男女の機微は本当は分からないんだよ・・・」と言うのではないか(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-11-26 01:23 | 演劇 | Comments(0)

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先週から今週にかけて、ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン、マイケル・ティルソン=トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団という一流外来オケの演奏を体験して来たが、ここでまた次なる外来オケの襲来だ。正直、今週末から来週にかけてもまだまだ外来攻勢は続くので、ここで根を上げるわけにはいかない。多少の不義理を押してでもスケジュールを調整し、このコンサートに足を運ばねば。それは、ダニエル・ハーディング指揮のパリ管弦楽団の演奏会だ。

まずはオーケストラの紹介から始めよう。フランスを代表するオーケストラ、パリに本拠を置くパリ管弦楽団は、日本のクラシックファンの間では、パリ管(=パリカン)の愛称でおなじみだ。パリ音楽院管弦楽団という、古きよきフランスの音を保っていたとして今でもノスタルジーの対象となっているオケが発展的に解消され、文化大臣アンドレ・マルローの肝いりによってこのパリ管が設立されたのは1967年。当時フランス最高の巨匠であったシャルル・ミュンシュを音楽監督に迎えて発足したが、翌年ミュンシュが急逝。カラヤンやショルティという信じられない豪華な「つなぎ」の指揮者を経て、1975年に音楽監督に就任したダニエル・バレンボイムによって活発な活動を展開した。ところがこのオケの評判はまさに毀誉褒貶。日本と同様、首都中心の文化体系を持つフランスで、地方都市であるトゥールーズやリヨンのオケが台頭し、パリでもほかのオケの活動が活発化することで、パリ管の相対的地位は低下したかに見えた。私が初めてこのオケを聴いたのは1989年で、バレンボイムのピアノと指揮に感銘を受けた。そしてその翌年1990年に、未だ来日していなかった次の音楽監督であるセミヨン・ビシュコフを現地パリで聴いて、このときもラフマニノフ2番などを楽しんだのである。だが、その後のビシュコフとパリ管の思い出にはよいものはない。東京でこのコンビによるマーラーの「復活」を聴いて、「オレは高い金を払ってなんでこんなつまらない演奏を聴いているのだろう」と自分に問いかけたのを覚えている(笑)。その頃のパリ管は、あまりにも音が荒れていたと思う。当時まだ存命であった粋なフランスの名指揮者ジャン・フルネは日本ではおなじみであるが、そのような人間国宝的なフランス人指揮者をパリ管は呼ばなかったのである。洒脱なフランス音楽を聴くなら、大西洋を渡った先にあるモントリオールでシャルル・デュトワの指揮を聴くべきと揶揄された頃だ(それから、アルミン・ジョルダンとスイス・ロマンド管弦楽団もよかったと個人的には思う)。その後パリ管が昔日の名声を取り戻したかに思えたのは、エストニア出身の名指揮者パーヴォ・ヤルヴィ(現在NHK交響楽団首席指揮者)が音楽監督を務めた2010年からのこと。シックな味わいの映像作品も沢山作られた。だがヤルヴィは就任期間わずか6年にして、昨シーズンで音楽監督を退き、今シーズンから音楽監督の座についたのが、英国の名指揮者、日本でもおなじみのダニエル・ハーディング41歳である。
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41歳といえば指揮者としては未だ若手なのであるが、彼の場合は10代から世界的な活躍を展開しているので、実績は充分だ。少し驚きであったのは、2016年9月からの就任の発表がほんの昨年であったこと。通常このクラスの指揮者は何年も先まで予定が詰まっているので、これほど直前で重要な人事が決まったのには、なにか事情があるのかもしれない。だが、ともあれ、就任間もないこの時期にこの新しいコンビを聴くことができる日本の聴衆は、毎度おなじみの表現であるが、本当に恵まれている。本拠地の新しいホール、フィルハーモニー・ド・パリでの9月の開幕シリーズで3種類の意欲的なプログラムを終えて、現地での評判も上々らしい。その3種類が面白い。1.シューマン : ゲーテの「ファウスト」からの情景、2. マーラー : 交響曲第10番、3. ジョージ・ベンジャミン : Deam of the Song (フランス初演)、ブラームス : 交響曲第1番等。名刺代わりにしては強烈なものではないか。これが新しい彼らのホール。うーん、以前の本拠地サル・プレイエルは音響が今ひとつだったので、ここに行ってみたいなぁ。
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今回彼らは、11/15から11/25までの11日間に、韓国と日本の各地で8回の演奏会を開く。曲目もなかなか大変であるが、私が今回聴いたのは以下の通り。
 ブリテン : 歌劇「ピーター・グライムズ」から4つの海の間奏曲
 ブラームス : ヴァイオリン協奏曲二長調作品77 (ヴァイオリン : ジョシュア・ベル)
 ベルリオーズ : 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」作品17から
  ロメオひとり~キャピュレット家の大宴会、愛の情景、マブ女王のスケルツォ、キャピュレット家の墓地にたたずむロメオ

最初に全体の感想を述べておくと、これはなかなかに充実した素晴らしい演奏会であった。だが、このコンビの今後を占うには少し早いような気がしたとも、正直に述べておこう。各曲については以下で触れて行くが、その前にひとつの気づき事項。このオケはフランスらしくチョイワル風の男性楽員が多いが、お揃いの衣装を身に着けているのが面白い。そのことはヤルヴィほかの指揮者との映像作品でも既に気づいていたが、調べてみると、ジャン=ルイ・シェレルというデザイナーによるものである由。このような黒くて立て襟のシックな衣装である。
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この奏者のように前を開けてネクタイを出している人もいれば、前を閉じている人もいる。そうですね、特に打楽器奏者は閉じておいた方が演奏が確実だろう(笑)。
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相変わらず長い前置きになってしまったが(笑)、このあたりで曲目に入ろう。まず面白いのは、パリ管による英国音楽、ブリテンの演奏だ。今年はこの作曲家の没後40年であり、ハーディング自身、新日本フィルを指揮してブリテンの畢生の大作、戦争レクイエムを日本で披露している(1月16日の記事ご参照)。ハーディングのインタビューによると、今回は招聘元であるKAJIMOTOからブリテンの曲を演奏して欲しいというリクエストがあったらしく、ほかの演奏会でも、彼の歌曲集である「セレナード」を演奏する。この日演奏された「ピーター・グライムズ」の4つの海の間奏曲はよくできた曲で、オペラ本体の陰鬱な内容を引きずりながらも、それを知らなくても楽しめる、変化に富んだ味わい豊かな曲なのである。冒頭の高音が非常に美しく、パリ管の好調をいきなり実感させてくれた。フランスのオケというと伝統的に、合奏よりも個人技というイメージがあるが、弦は強い統率のもとで規律ある洗練された音を響かせていた点、特筆すべきであろう。4曲の間奏曲の性格も充分に描き分けられ、第1曲の夜明けの情景から第2曲のカリヨン風の音楽に入ると、まるでミニマル音楽のように鋭く響く。第3曲は一転して茫洋とした夜の海の不気味さが表され、第4曲の嵐は突進力満点である。ここではこのコンビのフレッシュな音楽に耳が洗われる思いであった。

2曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲。ソロを弾くのは米国のヴァイオリニスト、今年39歳になるジョシュア・ベル。
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彼は欧米では大変な人気者なのであるが、日本ではそれほどではないような気もする。私も日本で聴くのは確かこれが初めてである。ご覧のような風貌で、若い頃は女の子かと見間違えるような感じであった。映画「レッド・バイオリン」でのヴァイオリン演奏を担当したことでも知られる。今回のブラームスは、変わったことは何もしておらず、華麗さを強調するというのとも少し違った、大変真面目な演奏であったが、そこには紛れもない一流の個性ある音楽が感じられたのである。オケとの絡みが大変美しく、特に第2楽章では、有名なオーボエソロだけではなく、次々と木管がヴァイオリンを支える音楽を紡ぎ出して行くのである。ベルはそれぞれの管楽器の音色をうまく受け止めて、トータルとしての音響を素晴らしくまとめていたと思う。ハーディングとは従前より友人であるらしく、随所で息の合ったところを見せていた。

そして後半は、ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」の抜粋である。もともと発表された演奏曲とその順番は、
 愛の情景、マブ女王のスケルツォ、ロメオひとり~キャピュレット家の大宴会
であったが、1曲追加して順番も変更になった。今回演奏された4曲は、あたかも交響曲の4楽章のように構成され、1.急速な楽章、2.緩徐楽章、3.スケルツォ、4.終曲という意図であったと解釈する。だがここには少し課題もあった。この曲はもともと合唱を含む大規模な作品であり、今回のようにオケだけで演奏すると、クライマックスが存在しないのだ!!私は実はこの曲をそれほど好きではないのだが、それは終曲でモンタギューとキャピュレットの人たちが「友よ!!」と和解を歌い上げるまで、ちょっと長いなぁと思ってしまうからだ。実は今回の演奏会、ヴァイオリンもオケもアンコールなしであったにもかかわらず、終了は21時20分。通常よりもかなり長いものになってしまった。演奏終了後に楽員たちが早々に譜面を閉じ、楽器を仕舞い始めるのを見て、このハーディングの意図が楽員に長時間労働(フランス人の最も嫌うものだ!! 笑)を強いていることを感じた。そもそもベルリオーズは交響曲らしい交響曲は書いていないわけで、今回わざわざシンフォニー調に整える必要はなかったようにも思う。実際、キャピュレット家の大宴会の場面(ここは私も大好きだ!!)に雪崩れ込むあたりの勢いには鳥肌立つものがあったし、愛の情景も、非常に丁寧に旋律を描き出した名演であった。それだけに、自然な音の饗宴以外にハーディングの知性によるペダンティックな要素が入ってしまうと、オケの自発性が損なわれるのではないかと危惧する。上記の今シーズン幕開けシリーズも、ちょっと曲目に凝りすぎではないだろうか。彼の師であるアバドやラトルがベルリン・フィルに新風を持ち込もうとしたときのレパートリーとダブっているのも、少し複雑な気がする。このように、「まあまあ皆さん、聞いて聞いて」と楽団員に言わずにすむようにして欲しい(笑)。
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そんなわけで、演奏内容そのものよりも、ハーディングの志向する方向がオケに受け入れられるか否かという点に、今後の課題を感じた次第。東京での最後の演奏会では、彼が深い思い入れを持つマーラー5番(東日本大震災発生日に新日本フィルと演奏した曲)が演奏される。私は聴きに行けないが、そのような特別な曲の演奏によって、理屈ではない楽員からの強い支持をハーディングが勝ち得ることを期待しよう。

by yokohama7474 | 2016-11-25 01:04 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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つい先日、ウィーン国立歌劇場の来日公演で鑑賞したばかりの、R・シュトラウスの傑作「ナクソス島のアリアドネ」を、全く異なる上演で鑑賞することとなった。これは日本のオペラ団体である東京二期会による公演で、上のチラシにある通り、ライプツィヒ歌劇場との提携公演。二期会は9月にもワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を、やはりライプツィヒ歌劇場との提携によって上演したが、この2作は大変に意欲的な取り組みとして、高く評価したい。そもそもオペラなどという大掛かりな芸術は非常な金食い虫であり、チケットの売り上げだけで費用を賄えるはずもなく、世界の多くの歌劇場は、国や地方自治体のサポートや企業からの寄付によって成り立っている。その点この二期会は、藤原歌劇団と並んで、常打ちのオペラハウスや専属のオーケストラなしに積極的なオペラ上演を継続している団体として、非常にユニークである。新国立劇場でのオペラ公演以外に日本にはこのような団体があることで、多様な演奏に親しむことができるわけであって、大変意義のあることだと思う。海外でオペラに出かけると観光客以外は大概老人の聴衆であることが多いが、日本では若い人の姿もそれなりの割合で入っていて、その点も大変結構だと思っている。もちろん、長い伝統を持つヨーロッパ人にとってのオペラと日本人にとってのオペラとの間には様々な点で差があるのは致し方ないが、純粋に音楽を主体とした舞台芸術として楽しめる上演を継続して行けば、日本の文化度はさらに上がって行くものと思うのである。

もちろんそんな私とて、ただ日本のオペラを応援するために会場に足を運ぶのではない。期待できそうな音楽家や演出家が関わっているから、出かけるのである。先の「トリスタンとイゾルデ」は、スペイン人のヘスス・ロペス=コボスが指揮を執ったが、今回登場するのは、シモーネ・ヤングだ。
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既に今年11月3日に東京交響楽団(通称「東響」)を指揮したコンサートを記事として採り上げたこの女性指揮者、今度はオペラで同じ東響を率いる(その間、大阪フィルにも客演した模様)。もともとハンブルク州立歌劇場で長らく音楽監督を務めた人であり、その実績は、ことさら女性云々と言う必要のない立派なもの。「ナクソス島のアリアドネ」は、オケの編成こそ小さいものの、めまぐるしく劇が進行して、音楽も複雑である。その手腕が楽しみである。今回演出を担当するのは、オーストリア出身のやはり女流演出家、カロリーネ・グルーバー。今回のプロダクションは、既に2008年にライプツィヒで上演しているとのこと。これは記者会見の様子。
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東京二期会によるこの上演、2組のキャストによる4回の公演が予定されていて、私が見たのはその初日にあたるもの。ふと気づいてみると、上演中ステージにいる人たちは、歌手の全員とオケの(恐らく)ほぼ全員が同じ国民、つまり日本人で、指揮者のみが外国人。そんな環境でのオペラ上演は、日本以外にはあるのだろうか。いずれにせよ、かなり強力に見えるこの指揮と演出のコンビ。
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この舞台、私としては結構楽しむことができた。ただ、演出は歌手にかなり細かい演技を要求するものであり、中にはちょっと動きがうるさいと思える箇所もあったと思う。プロローグはこのような、現在のビルの地下で展開し、ガラスの向こうには駐車場が見える。もともとの設定がオペラ上演前の楽屋なので、現代への読み替えとはいえ、これはそれほど違和感のないところ。
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だが、原作にはないキューピッドが、演技だけの役として出て来て、少々凝りすぎの感なきにしもあらず。
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オペラ本編の舞台設定は、もともとはナクソス島であるが、ここでは円卓の並ぶパーティ会場のような場所。豪華客船の中のようにも見える。
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この演出のひとつの特徴は、通常ならプロローグにしか登場しない役の人たちも皆、オペラ本体でも姿を見せていることだ。先に上演されたウィーン国立歌劇場によるスヴェン=エリック・ベヒトルフの演出では、作曲家がツェルビネッタとの恋を継続するためにオペラ本体でも登場したが、この演出は、文字通り全員である。演出家グルーバーは以下のように語る。

QUOTE
私は、アリアドネだけではなく、2幕に登場するすべての人物が「新しい愛をみつけ」、最後は全員が、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』のように、幸せになるのだ、と考えています。このアリアドネの物語のように、新しい愛をみつけることで人は絶望から再生できるだろうかという問題は、私にとっても大変重要なテーマとなっています
UNQUOTE

なるほど、大詰めではバッカスとアリアドネの二重唱の後ろで、あらゆる人たちがゆっくりと愛を演じたり迷いを示したりしていたが、「夏の夜の夢」のイメージであったか。セットの奥にある縦長の大きな扉は開かれ、窓かと思われた円形の物体は月と化し、天井と下手の壁からは巨大な植物が姿を現した。なかなかに幻想的ではあった。
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さてここで考えたいのは、台本作家のホフマンスタールが凝りに凝ったセリフ回しを駆使している作品において、ここまで多様な動きを歌手に課す必要があったかということではないか。先に見たウィーンの上演では、シンプルな演出によって音楽の力が最大限発揮されていた。どうしてもそれと比較してしまうと、演じた歌手の皆さん方は本当にご苦労様であったが(特にツェルビネッタは、何度も体中を触られて大変だったろう 笑)、もう少し音楽に集中したかったという思いを禁じ得ない。

一方の音楽であるが、まずヤングの指揮は期待通りに音楽の流麗な流れを作り出す達者なもので、丁寧な指揮ぶりに好感が持てた。このような作品になると、小細工の施しようもないが、やはり美しく響くべき箇所を美しく演奏するということが、なかなか難しいものと思う。その点では、特に木管が好調な最近の東響をヤングがよくリードしていた。プログラムを読んでいて気付いたが、この作品でシュトラウスは、古いモーツァルトの時代作品並みの30数名の小編成のオケを使って、そのクライマックスでは前作である「ばらの騎士」に匹敵するドラマティックな音楽を書いたわけだ。確かにこの曲のクライマックスは、ちゃんとした演奏で聴けば、情感に不足することなく、感動的である。今回の演奏ではそのあたりも万全で、安心して聴いていることができた。

歌手陣も、個別にばらつきはあったものの、総じて大健闘だったと思う。語り役の執事長を演じた多田羅廸夫(たたら みちお)は、昔小澤征爾がベルクの「ヴォツェック」を新日本フィルと演奏したときの主役だし、作曲家役の白土`理香(しらつち りか)も、昔よく若杉弘の演奏会で聴いた名前だ。そのような二期会の伝統に、例えばツェルビネッタを演じた高橋維(ゆい)のような昨年二期会にデビューしたという初々しい若手も交え、日本のオペラ界にも既に歴史が刻まれて行っているのだという思いを新たにする。そんな中、いちばんの熱演は、アリアドネを演じた林正子であったろう。
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これだけの難易度のオペラを日本人歌手だけで歌い切るということを、しかも、ほぼ全員入れ替わってのダブル・キャストで演じることを、指揮者や演出家はどのように思ったであろうか。ヨーロッパから遠く離れた日本でそんなことが起こっていることをドイツの人たちは多分ほとんど知らないであろうから、やはり日本人側から世界に向けてアピールして行くべきであろうと思うが、いかがなものであろうか。

余談だが、随分以前、やはりこの曲の日本人だけによる上演を見たことを思い出した。それは、ほかならぬ日本のオペラ/オーケストラ史に多大なる貢献を残した若杉弘の指揮によるもの。正直なところ、私はその上演前には、「新国立劇場ができたら達成できるレヴェルの予行演習だな」と思って聴きに行き、期待が大きかっただけに、その残念な出来にかなり意気消沈した記憶がある。今手元にその上演のプログラムを持って来てみると、それは1995年、東京オペラ・プロデュースと日本リヒャルト・シュトラウス協会の合同企画で、「邦人による原語初演」とある。会場は、なかのZEROホールというところであった。
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残念な出来とは書いたが、当時もコロラトゥーラソプラノとしてツェルビネッタ役を得意にした釜洞祐子の出演などもあった(上の「けいこ場スナップ」にも写っている)が、オケのパートがうまく流れを作り出せておらず、それによって舞台には活気がなかったような気がする。それを思うと、この20年間の日本のオペラ上演のレヴェル上昇には、大変なものがあると思うのだ。・・・と思ってプログラムを懐かしく見ていると、な、なんと、その時の上演にも出演していた歌手で、ひとりだけ今回の上演でも同じ役で歌っている人がいるのだ!!作曲家役の白土`理香だ。これが21年前のプログラムの写真。
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そしてこれが今回、ツェルビネッタ役の高橋維とのツーショット。後ろで立っているのが彼女である。
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もちろん衣装の問題もあるし、この比較はフェアではないかもしれないが、20年前の若手のホープが、今やベテランとして健在ぶりを示し、そこに現在の若手が絡むという図式には、何やら胸躍るものがある。日本のオペラの歴史は、今まさに作られつつあるのである。是非またこのような一流の指揮者を呼んで、日本独自の鍛錬の成果を積み上げて行って欲しい。

by yokohama7474 | 2016-11-24 01:17 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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前項では東京国立博物館(通称「東博」)で開催中の禅についての大展覧会をご紹介したが、実はもうひとつ、是非お薦めしたい展覧会が同じ東博で開催中であるので、そちらもご紹介しよう。上記ポスターにある通り、会期は12月11日までだから、こちらの方がまだ少し時間があるので、あまり焦りはないが(笑)。

ここで展覧されているのは、滋賀県にある櫟野寺(らくやじ)のご本尊十一面観音座像と、同寺の所蔵する他の重要文化財の仏像、合計20体である。展覧会場はごく狭いところではあるが、ひとつの寺からこのようにまとめて仏像がやって来て展示されるというのはかなり珍しいと思う。会場の東博本館には、このようなのぼりが掲げられていて、ワクワクする。
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櫟野寺は、びわ湖の南側、忍者で有名な甲賀市にある古刹である。792年に最澄が延暦寺の建立に必要な材木を求めて櫟野(いちの)の里を訪れ、櫟(いちい)の霊木に仏像を刻んだのが始まりと言われる。この寺には、平安時代の仏像が大小20体現存し、すべて重要文化財に指定されているのだ。私はこれまで2回、この寺を訪れている。最初はまだ高校生だったかと思う。そして2回目はつい最近、去年である。この展覧会に「平安の秘仏」とある。秘仏になっているのは本尊十一面観音であるが、私が若い頃は確か、いつでも見ることができたように記憶している。今では、正月三が日と夏の1日、そして春と秋の数日ずつしか開扉されないようである。ところが現在、本堂と宝物館の改修のため、このような東京でのまとめての展示が可能になったということらしい。仏像ファンにとっては、所蔵する古寺を実際に訪れてそこで拝観するのが常道であるものの、今回のような展覧会には特別な価値がある。それは、ライティングであったり配置であったりという洗練された展示方法によるものであり、特に今回の場合、厨子から出ないと絶対に見ることのできない本尊の背中側を見ることができることは、興味尽きない体験だ。それでは、まずはその本尊をご覧頂こう。
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写真でも充分伝わると思うが、大変迫力ある仏さまである。像高312cm、台座から光背までを含めると実に5mを超える巨像である。観音像は通常立っている(立像=りゅうぞうという)ことが多く、それは庶民を救う役目を追う観音様は、すぐに動いて庶民救済を行う必要あるからだ。このような座像はそれだけで珍しいが、これだけの巨像の造立によって何か強い力を表したいという意向があったのかもしれない。いわゆる丈六仏(立った高さが1丈6尺=4.8m)のサイズである。お顔のアップと、頭上の背面にあって通常は見ることのできない暴悪大笑面のアップによって、その迫力を感じて頂きたい。
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会場入ってすぐ右には、毘沙門天像がある。あの征夷大将軍、坂上田村麻呂(自身が伝説化され、北方の守護神である毘沙門天にたとえられるようになった人物)の発願によるものとの言い伝えがあるらしい。いかにも平安時代の古風で動きのない造形だが、ずっしりした体躯が逞しい。
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会場奥に並ぶのは、薬師如来坐像と地蔵菩薩坐像。
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観音菩薩立像。この下膨れの顔や太い鼻、厚い唇は、本尊の造形を受け継いでいると見られている。明らかにこの櫟野の地での造形パターンということだ。
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地蔵菩薩と吉祥天。やはり存在感ある造形だ。
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興味深いのはこの観音菩薩像。表面に鑿のあとが残る、いわゆる「鉈彫り」と呼ばれる手法である。以前は東国の武士好みの造形と言われたものだが、これは近畿での、しかも武士政権が確立する以前の制作であるので、何か別の解釈が必要であろう。もちろん、未完成という説もあるらしいが、顔や胸はきれいに仕上がっているので、この鑿あとは作為的に残しているという説の方が有力であるらしい。霊木から姿が浮き上がってくるところという神秘的な説もあるようだ。黙して語らぬ菩薩像。
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その他観音像の一部の写真を以下に掲げる。
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破損しているものも多いが、千年近い時を超えて、このように多くの仏像が残っていること自体、なんとも素晴らしいことではないか。東京にいながらこれらの仏像にまとめてお目にかかれるこの機会、是非多くの人々に有効活用して頂きたい。

by yokohama7474 | 2016-11-23 23:38 | 美術・旅行 | Comments(0)