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禅 心をかたちに 東京国立博物館

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これは、東京国立博物館で11/27(日)まで開催されている展覧会。なかなか記事をアップできずにいたが、とにかく会期内に書こうと思い、ギリギリながらここで皆様にご紹介することとした。というのも、これは大変に網羅的に禅に観点する貴重な文化財を取り揃えた展覧会で、これだけの規模と内容での展示は、今後もそうそうあるものではないからだ。日本人の精神世界に深く関わる禅を知ることは、自分たちが何者であり、過去に何をやってきたか、将来何をして行くべきなのか、そのような厳しい問いに直面することでもある。分かったような分からないような、人を食った物の言い方を禅問答のようだと言うが、ロジックでない何かに崇高な価値を求める東洋の発想自体に、我々の住む地域の特性が出ているということだろう。この展覧会は、今年の春に約1ヶ月京都で開催され、秋に東京でやはり約1ヶ月開催されるもの。合計しても2ヶ月しか開催期間がなく、期間中に展示替えもあるので、すべての作品を目にすることはもともと難しい。だがそれもまた一期一会。もし残る期間に現地に赴かれ、そのときの展示品を相対すれば、必ずや何か考えるヒントが得られるものであろうと考え、及ばずながらここに拙文を披露しようとするものである。

まずこの展覧会であるが、臨済禅師没後(仏教用語では「遠諱」(おんき)というらしい)1150年、白隠禅師没後250年を記念して開かれるもの。これらの高僧がどんな人たちであるかについては以下で言及されるが、ではそもそも禅とは何なのであろうか。展覧会における主催者側の冒頭挨拶から引用してみよう。

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およそ千五百年前、達磨大師(だるまだいし)によってインドから中国へ伝えられたとされる禅宗は、唐代の中国において臨済禅師義玄(りんざいぜんじぎげん)によって広がり、我が国には鎌倉時代にもたらされました。禅は武家のみならず、天皇家や公家にまで広く支持され、日本の社会と文化に大きな影響を与えました。
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QUOTE
禅は、釈尊の坐禅による悟り、即ち仏心を言葉や文字によらず、心から心へと伝えていくことを宗旨としております。体得したものは文字言句では説明し尽くせないからです。
UNQUOTE

ここで既に本質的なことが明らかになっている。つまり禅とは、ほとけの悟りの極意を、視覚聴覚で認知できる方法ではなく、心をもって伝えて行く仏教の一派であるということだ。それゆえ、この展覧会の副題は「心をかたちに」となっているのであろう。また、その禅の日本における広がりは、武家政権確立とともに始まり、広く社会に受け入れられて行ったということなのである。それから、もうひとつここで認識すべきなのは、この展覧会は、日本における3派の禅宗のうち2派、つまり臨済宗と黄檗宗(おうばくしゅう)の文化財の展示に限られ、もうひとつの宗派である曹洞宗(そうとうしゅう)は対象から外れていることだ。武家の支持を受けて鎌倉や京都で盛んとなった栄西を開祖とする臨済宗に対し、曹洞宗の開祖道元は、山奥に籠って修行することを是とした(福井の永平寺が総本山であることを想起すれば理解できるはず)。一方の黄檗宗は、江戸時代になって入ってきた中国風の禅で、全国規模で見ればマイナーな存在だ。従って、京都の華やかな禅寺の多くは臨済宗であり、この展覧会にはその臨済宗の寺院からの出展が多いと整理できる。ご覧頂ける通り、多くが高僧とその事績にまつわる遺品である。

では出品作を見て行こう。禅宗の高僧の名前には今日使われていない漢字も多く、ちゃんと漢字変換できない可能性もあるが、その点は何卒ご容赦を。まず最初は、禅の開祖である達磨を描いた作品。山梨県の向嶽寺の所蔵する国宝だ。
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日本でもおなじみのダルマさんはこの人であるが、壁に向かって9年間坐禅したために手足が腐ってしまったという伝承が日本のダルマの形態のいわれである。なんとも壮絶な修行の様子を可愛らしいキャラクターにしてしまう感性が、昔から日本人にあったということではないだろうか。この達磨の絵は、人間的な凄みを感じさせるもので、賛(絵の上の部分の文字)を書いているのは、鎌倉建長寺の開祖、蘭渓道隆だ。彼についてはまた後ほど触れるが、彼の賛が入っていることで、この絵が日本に禅宗が導入された最初期のものと判明するので、非常に貴重な遺品なのである。

仏教の流派はよく、始祖からの正統的な継承を重要視するが、臨済禅はとりわけその要素が強く、六大祖師なる存在が崇敬された。これは最初のふたり、達磨と、その弟子である慧可(えか。日本では雪舟の「慧可断臂図」で知られる)である。京都の妙心寺所蔵になる鎌倉時代の作品で、日本における六大祖師像の現存する最古の例であり、重要文化財だ。
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そして、臨済宗の名前の由来となっている中国の高僧、臨済義玄。彼の没年は867年。来年が没後1150年ということだ。温和な肖像画もあるが、これはまるで鬼のような怖い形相で、「怒目奮拳(どもくふんけん)」と呼ばれる様式。裂帛の気合ということだろう。これも日本の気合と根性文化のひとつの源流であろうか(笑)。興味深い。尚、ここで賛を書いているのはあの一休宗純。京都真珠庵所蔵の重文である。
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さて、禅宗の開祖達磨、臨済宗の開祖臨済義玄とくれば、次は臨済宗を日本に伝えた明珍栄西である。この人の名前は、歴史の教科書にも載っているのでおなじみであるが、字面から「えいさい」とつい読んでしまうのだが、正しくは「ようさい」と読むらしい。昨年岡山の吉備津神社を訪れた際に彼の生誕地の案内が出ていたが、父親はその神社の神官であったとのこと。臨済禅のみならず、喫茶の習慣も日本に伝えたことで知られる。これは現存する彼の最古の肖像画で、京都の両足院所蔵。この人の場合、後世の肖像彫刻も沢山あるが、いずれもこの四角いユニークな頭のかたちをしているのですぐ分かる(笑)。実際に頭が良すぎて、こんな格好に発達していたのだろう。
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これは、それほど有名な方ではないが、無準師範(ぶじゅんしばん)。京都東福寺の所蔵する国宝である。東福寺の開山である聖一国師円爾が宋に渡って弟子入りしたのがこの高僧で、賛は無準師範自身のもの。皇帝にも近い高僧で、弟子の中には、日本にやってきた無学祖元や、伝説的絵師である牧谿がいる。穏やかな表情に厳しさもたたえた、素晴らしい肖像画ではないか。
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そしてこれが、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の肖像だ。彼が開いた鎌倉、建長寺の開山堂に安置されているが、最近の修理によって江戸時代の塗装を剥がし、面目を一新したとのこと。瞳には水晶が入っていて、まさに生けるがごとき風貌。私のもと上司の副社長を彷彿とさせる(笑)。それだけリアルだということで、鎌倉時代の肖像彫刻の傑作だ。重文である。
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一方こちらは、やはり建長寺が蔵する蘭渓道隆の画像。自ら賛を書いている由緒正しいもので、国宝。面長であるが、きっと上の彫刻よりは若い頃の肖像なのであろう。そのように、画一的なものでない複数の肖像から、実際にこの高僧が日本で活動していたという750年も前の歴史的事実を如実に表している点、そのリアリティに圧倒される思いである。会場にはまた、この蘭渓道隆の書(「法語規則」)も展示されている。やはり建長寺の所蔵する国宝だ。
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鎌倉を代表するもうひとつの禅寺、円覚寺を開いたのは、無準師範の弟子である無学祖元(むがくそげん)。その円覚寺が所蔵する自賛の肖像画(重文)と、相国寺所蔵の彼の書である「与長楽寺一翁偈」(国宝)。さすが、いい字書きますねぇ。
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この展覧会の主催者あいさつからの抜粋で、禅が武家だけでなく天皇家や公家にも支持されたとあったが、その事実を体現する人がいる。鎌倉時代の亀山法皇だ。彼はなんとあの京都の大寺院、南禅寺の開基であるのだ。そのやんごとなき由緒ゆえに、南禅寺は京都五山、鎌倉五山双方の別格という位置づけに置かれたのである。これは南禅寺の所蔵する亀山法皇の彫像で、重文。崩御まもなく制作されたものであろうと見られる由。確かにリアルで人間的である。Wikiを見ると、「禅宗に帰依し、亀山法皇の出家で公家の間にも禅宗が徐々に浸透していく。その一方で、好色ぶりでも知られ、出家後も様々な女性と関係をもって多くの子供を儲けている」とある。なるほど、広く人生の機微を探訪された方であったようだ(笑)。だが江戸時代になると、狩野探幽の画像(やはり南禅寺蔵)のように、威厳をもって描かれるようになる。
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その一方、私の好きな高僧の肖像画がある。やはり京都有数の禅寺である大徳寺の開祖、大燈国師 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の自賛つきの画像。その大徳寺所蔵の国宝だ。何か不愉快なことでもあったのだろうか、横目できっと睨み付けるようなこの面構えには、美化のかけらもない。きっと厳しい人だったのでしょうね(笑)。この妙超が弟子に与えた書、「徹翁」(てっとう)の豪快さはどうだ。大徳寺所蔵になる重文である。ちなみに今回確認して知ったことには、この大徳寺、あれだけの名刹でありながら、京都五山には入っていない。理由は、室町幕府が五山制度を整備した際に、もともと後醍醐天皇に近かったこの寺を足利尊氏が排除したからだとのこと。今日、五山制度(ちなみに対象寺院はすべて臨済宗)は禅寺の格式そのものかという誤解を招きやすいが、なんのことはない、政治的な要素も多分にある中で制定されたものであるわけだ。妙超の「徹翁」の字を見ていると、そんなことはどうでもよくなってくる。
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そしてもう一人、有名な高僧をご紹介する。夢窓疎石(むそうそせき)である。彼は庭園の設計でも知られ、自ら初代住職となった天龍寺以外にも、京都なら西芳寺(あの苔寺だ)、鎌倉の瑞泉寺、そして私も先般訪れた岐阜の永保寺などに、彼の庭園が残っている。京都の嵐山ある天龍寺は足利尊氏の開基になるもので、それゆえにもちろん、京都五山第一位の高い寺格を持つ。上記の通り、人間のやっていることであるから、五山制度は足利氏の思惑によって整備されたものであることを再認識しよう。だが私は天龍寺の庭は大好きで、もう何度でも行きたくなるほど素晴らしい(今頃は紅葉がきれいだろうなぁ・・・)。そんな庭を造った夢想疎石を私は心から慕うし、このような自賛の肖像画(妙智院所蔵の重文)を見ても、きっと心の澄んだ人だったのだろうと思う。彼の書として展示されている「天龍寺臨幸私記」(鹿王院所蔵、重文)は、実務的な内容でありながら、涼やかな字とお見受けする。そういえば武満徹も、彼の名を題名とした曲を書いている。
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次は私が今回初めて知った、広島三原市の佛通寺というお寺にある2体の彫刻をご紹介する。即休契了(しっきゅうけいりょう)とその弟子、佛通寺開山の愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)である。室町時代の制作で、県の文化財指定であるが、中央から離れた三原において長らく守られてきたことに感動する。佛通寺はそれなりに知名度のある寺院であり、開山のこの僧たちの念が未だに続いていると思わせるような、生けるかごとき肖像である。
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室町時代の禅僧で最も有名な人はもちろん一休宗純であろう。私も以前このブログの記事で、彼が晩年を過ごした京田辺市の酬恩庵をご紹介したが、とんちの一休さんという姿ではない、狂気をはらんだ天才僧としての姿こそ、後世の人たちに何かを訴えかける。展覧会には、自賛入りの若い肖像画(奈良国立博物館蔵)が展示されているが、これは現存する最も早い時期の一休の肖像画であるそうだ。後ろに長い朱色の太刀が見えるが、これにはいわれがある。一休が堺の街中を木製の剣を持って歩き回ったとき、そのわけを訊かれて、「世の偽坊主はこの木剣のようなもの。室の中にあれば真剣に見えるが、いざ室を出るとただの木片で、人を殺すことも活かすこともできない」と答えたとか。いやはや、一休自身はきっと真剣のような人であったのだろう。
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それから、インゲン豆で有名な隠元隆琦(いんげんりゅうき)もユニークな僧であった。江戸時代に京都・宇治に黄檗山萬福寺を開き、新たな中国風禅宗である黄檗宗の開祖となった。これはその萬福寺が所有する自賛入りの肖像画。これまで見てみた通り、禅僧の肖像画、いわゆる頂相(ちんぞう)にはそれまで正面から描かれたものはなく、これは新機軸であったようだ。ここで彼の持つ長い杖は行脚用のもので、実際に萬福寺には隠元が使ったと言われる長い長い杖が残っていて、この展覧会にも展示されている。力強い「黄檗山」の字にも、この人の生きざまが表れていると感じる。
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さてそれから展覧会は、戦国武将と禅僧との関連のコーナーに入る。ここでは、展示されている戦国武将の肖像をいくつかご紹介する。まず、これは誰でしょう。答えは、九州の有力大名、大友宗麟である。宗麟といえば、キリシタン大名であったはず。このような僧の格好での肖像とは意外である。これは自身が菩提寺として開いた京都、大徳寺塔頭の瑞峯院に伝来したもので、百か日法要のために制作された可能性があるという。つまり、生前の姿をかなり忠実に伝えるものだろう。キリスト教に改宗しても、仏教寺院に葬られて僧の装束で肖像画が描かれるとは、日本の習慣は面白い。
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これは狩野永徳の手になる織田信長像。死の2年後、1584年の作とされる。つまり、三回忌のために作成された可能性が高いとのこと。現在では大徳寺の所有である。通常のイメージよりも少し弱々しくも思われるが、神経質そうなところはイメージに合う面もある。
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そしてこれは、豊臣秀吉の没後数ヶ月を経た1599年、狩野光信(永徳の長男)によって描かれたもの。遺言によって、豊国大明神という神の姿で描かれた最初の例であろうとのこと。現在では宇和島伊達文化保存会が所有する重文。
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江戸時代に入り、将軍家と近かった禅僧たちも多い。代表例として、金地院の以心崇伝像(狩野探幽筆)、自賛のある、たくあんで有名な沢庵和尚像(大阪、祥雲寺像の重文)を挙げておく。
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さて、禅画といえば白隠だ。これはその白隠慧鶴(はくいんえかく)の自画像。静岡県の松蔭寺の所蔵。白隠の自画像のうち最も古い例のひとつらしいが、時に白隠、既に71歳。年を経て迫力が出てこないと、こんな絵を描くことはできないでしょうな。
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これはやはり白隠の手になる達磨像(永青文庫蔵)だが、字が書いてあって、「どふ見ても」と読むらしい。どう見ても一体なんだというのか、大変気になる(笑)。この禅画の雰囲気は、不条理漫画にも通じるものがあるが、果たして不条理漫画なるもの、日本以外にあるのだろうか。もしかすると世界でも独特のものなのでは?
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これも白隠の面白い作品で、「乞食大師像」。やはり永青文庫の蔵である。描かれているのは、上で不機嫌な肖像画をご紹介した、大燈国師 宗峰妙超。彼が乞食の群れの中に身をやつしていたとき、探し出そうとした後醍醐天皇の使者は、妙超が「まくわ瓜」が好物であることを知っていて、高札でまくわ瓜をただで与えると布告。やって来た乞食の群れに対して、「足なしで取りに来い」と言うと、「手なしで渡せ」と答える者があって、妙超であるとばれたという逸話。この狂気をはらんだ表情が、禅の精神のひとつの表れであろう。
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仙厓(この展覧会では「僊厓」となっているが、ここでは通常の漢字を使用する)も様々なユーモラスな禅画で有名だ。この展覧会にも彼の作品が多く並んでいるが、これは福岡県の聖福寺所蔵になる「南泉斬猫図」(なんせんざんみょうず)。これは、いわゆる公案(禅のケーススタディ?)のひとつで、僧たちが一匹の猫をめぐって争いを起こしているのを見た南泉という名僧が、「わしの意に叶ったことを言えば猫は助ける。そうでなければ斬って捨てる」と僧たちに迫った。ところが僧たちはその生死を分ける場で何も言えず、猫は斬り殺されてしまった。その夜、外出から帰ってきた趙州(じょうしゅう)という門下の僧に南泉がその話をすると、趙州は何も言わず、草鞋を脱いで頭に乗せ、部屋を出て行ってしまった。それを見た南泉は、「あのときアイツがいたら子猫を斬らずにすんだのに。かわいそうなことをした」と言ったという話。なんともシュールであるが、これが禅の極意なのであろう。いやそれにしても仙厓、自由すぎる。こんな人がいれば、南泉はやはり猫を斬ることを思いとどまっただろう(笑)。
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その後彫刻のコーナーがある。禅独特の彫刻というものがあって面白い。これは建長寺の伽藍神(重文)。中国風であるが、民間信仰の神のような雰囲気もあるではないか。
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こちらは奈良国立博物館所蔵の同じ伽藍神であるが、こちらは走っておられる(笑)。
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国宝・重文居並ぶ中で、今回特に私の興味を惹いたのは、京都・鹿王院所蔵の十大弟子像。国の文化財指定は受けていないようだが、ほかにないユニークな十大弟子だ。鎌倉時代の制作だが、何体かは江戸時代に補修されている由。高さ40-50cm程度の小さなものであるが、その姿勢・表情の活き活きとしたことは、まるで近代彫刻のようだ。十体すべてご紹介したいところだが、ここでは三体だけにしよう。仏教彫刻を見慣れた人ほど、その造形のユニークさに驚くことだろう。特に三体目の須菩提は、かがんで靴をチェック(?)している!!これら十体は円形にずらりと並んで展示してあるので、面白くて何周も回って見入ってしまった。
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黄檗山萬福寺の十八羅漢から何体か展示されているが、この蘇賓陀尊者(すびんだそんじゃ)は、極めてユニーク。ほとけはおのが心の中にありという意味か。
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萬福寺からはやはり、中国伝来の韋駄天(いだてん)像も出品されていて、やはり楽しい。俊足で知られる、あの神だが、仏教寺院では庫裏(僧侶の生活場所)に置かれることが多い。萬福寺では、弥勒菩薩の化身である布袋像と背中合わせに安置されている。
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最後に、私がこの展覧会の最後のコーナー、「禅文化の広がり」の中で目にした飛び切りの逸品をふたつご紹介する。まず、大阪の東洋陶磁美術館所蔵にな国宝、油滴天目茶碗。素晴らしい名品であるとしか言いようがない。
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それから、会場である東京国立博物館が所蔵するやはり国宝の、雪舟筆による「秋冬山水図」。過去に何度か実物を見ているが、何度見ても空気感を味わうことができる絶品である。
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さて、ここまで充分長く書いてきたが、図録に載っている作品数307の中の、ほんの一部である(難しい漢字の変換もなんとかクリアした 笑)。いかに本展の規模と内容が図抜けているか、お分かり頂けよう。これを見たからと言って、禅について何かがすぐに分かるものではないだろうが、この記事の中で触れたように、武家や天皇家の思惑、高僧の人となり、茶の湯文化とのかかわり、等々の側面での多様な切り口から、日本人の考え方そのものや現代の文化にも、禅は大きな影響を与えていることは、分かってくるであろう。そうすると今度は、ここに出展しているような禅寺を実際に訪れてみたくなるに違いない。この展覧会の後にお寺を訪れることで、必ず何か発見があるだろう。私としては、この展覧会を大いに楽しんだことは事実だが、上の方でも書いた通り、一方ではこの展覧会の対象にはなっていない禅のもう一派である曹洞宗についても、知りたい気持ちが強くなってきた。曹洞宗の開祖、道元の代表作は正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)だが、その解説書を何分の一かまで読んで、もう何年もほったらかしてあることを思い出した・・・。心して再読したいと思います。

by yokohama7474 | 2016-11-23 22:53 | 美術・旅行 | Comments(0)

クリスティアン・ティーレマン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン (ピアノ : キット・アームストロング) 2016年11月22日 サントリーホール

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年に何度となく通うサントリーホールであるが、4連チャンというのはなかなか珍しい。もともと今年の秋の東京の音楽界は大変なことになると分かってはいたが、今はその真っ只中。がんばって聴きに行かないといけない。ここでご紹介するのは、2日前に仰天すべきワーグナーの「ラインの黄金」のホール・オペラを聴くことになった、ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan と名付けられたイヴェントの一環として開かれた、クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏会である。世界最古の伝統を誇るオケと、現代最高の指揮者のひとりが、その音楽の神髄を聴かせてくれる貴重な機会。先の「ラインの黄金」はほぼ満員の聴衆が熱狂した。もちろん今回も、会場のサントリーホールは満員の盛況だろう。・・・と思いきや、会場に到着した私を愕然とさせる光景がそこに。ホールの手前から何か違和感があったのだが、冷静に考えてみると、その場にいる人の数が普段より少ないのだ。これは開演10分前、18時50分の会場内の様子。
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し、信じられない、このガラガラ具合。ティーレマンとドレスデンの演奏会ですよ。一体何が起こったのであろうか。まさか、同日同時刻にNHKホールで開かれているユジャ・ワンをソリストに迎えてのティルソン=トーマス指揮サンフランシスコ響にお客を取られてしまったのか???結局、開演前に駆け込みで入ってきた人たちを含めても、ほぼ半分くらいの入りであった。このコンサートは、立派な銀行とその子会社の証券会社がスポンサーになっていて、会場にもポスターはあるわ、場内アナウンスでも企業名に言及はあるわ、相当なパトロンぶりであったのだが、人のよいことに(?)、招待券の配布には熱心ではなかったということなのだろうか・・・。

ともあれ、曲目をご紹介する。
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19 (ピアノ : キット・アームストロング)
 リヒャルト・シュトラウス : アルプス交響曲作品64

前半のベートーヴェンは、上記のポスターにもある通り、イェフィム・ブロンフマンがピアノを弾く予定であったが、健康上の理由で来日中止となり、急遽、1992年生まれのキット・アームストロングが代役に起用された。ブロンフマンは押しも押されぬ大ピアニストであるが、その代役を任されるというこのアームストロング、今年弱冠24歳という若さながら、キット素晴らしい才能に違いない。この機会に新しい音楽家との出会いを楽しみたい。
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ロサンゼルス生まれのアメリカ人で、ご覧の通り東洋系の顔立ちだが、1/8は日本人だとのこと。もちろん、音楽を聴くのに年齢も性別も人種も関係ない。一体どのような音楽を聴かせてくれるのか楽しみだ。彼は5歳で作曲を始めたということで、作曲家としての活動も継続しながら、ピアノを弾いている。あのアルフレート・ブレンデルの弟子で、この巨匠ピアニストに「私が出会った最高の才能」とまで言わしめたというからすごい。また会場には、このようなティーレマンの言葉が掲げられている。
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演奏されたベートーヴェンの2番のコンチェルトは、快活で歯切れのよい曲なのであるが、今回のアームストロングの演奏、大変素晴らしかった。何が素晴らしいかというと、若さに似合わない落ち着きを持って澄んだ音を紡ぎ出して行くテクニックと、純粋な音楽性である。さすがブレンデルの弟子だけあって、その音の粒立ちのよさは抜群であり、曲の魅力を十二分に表現したと思う。経歴を見ても、作曲家としての受賞歴は記載あるものの、ピアニストとしてコンクールに優勝したという記述はない。それは奇しくもティーレマンも同じ。コンクールが悪いとは言わないし、若手の登竜門としての意義はあるものの、このような才能がコンクールを経ずして世界に活躍の場を見出していることを知ると、本当に音楽というものは、先入観なく純粋に耳を傾けることで、新たな世界が拓けるのだなと改めて感じる。演奏が終わった後彼は礼儀正しいおじぎを何度もして、アンコールにバッハのパルティータ第1番のメヌエットを弾いたが、これまた透徹した、心が洗われるような演奏であった。このアームストロング、日本には既に昨年リサイタル・デビューしているようだが、来年1月にも再びリサイタルの舞台に立つ。新たな才能との出会いを好む方には、お薦めである。

さて後半はR・シュトラウスのアルプス交響曲だ。もしクラシックをあまりご存知なく、でも何か親しみやすい、かつオーケストラを駆使した雄大な曲を聴いてみたいという人がいれば、私は真っ先にこれをお薦めする。その長い生涯の前半では数々の華麗なオーケストラ曲、後半では主として一連のオペラを書いたこの大作曲家は、交響曲と銘打った曲を(習作を除けば)2曲作曲したが、いずれも通常の意味での交響曲ではなく、何かを描写した、いわゆる標題音楽なのである。もう1曲の家庭交響曲もよく出来た曲ではあるが、ダイナミズムはない。その点このアルプス交響曲は、なにせ山の夜明けから登山の一日を描いた曲であり、その間に森や滝や牧場を通り、岩場での危険な瞬間を経て頂上に達し、遥かな眺めを楽しむが、徐々に日は陰り、激しい雷雨となる。そして登山者はなんとか無事下山し、一日を振り返りながら、夜は更けて行く。こんな曲なのである。西洋音楽には自然と人間の対峙を描いた作品がそれなりにあり、例えばベートーヴェンの「田園」交響曲などもそうなのであるが、このアルプス交響曲こそは、究極の自然との対峙を音にしたもの。私が初めて体験したこの曲の録音は、ゲオルク・ショルティ指揮のバイエルン放送交響楽団によるもので、アナログレコードを何度も飽かずに聴いたものである。
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だが、なにせ膨大な金管楽器や打楽器を必要とする曲だけに、海外のオーケストラが来日公演で採り上げる機会はあまり多くない。1995年に今回と同じシュターツカペレ・ドレスデンが当時の音楽監督ジュゼッペ・シノポリと来日した際に、リヒャルト・シュトラウス・フェスティバルと銘打って行った一連の演奏会の中には含まれていた。せっかくなのでそのときのチラシを掲載しよう。
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実は、ドイツ最高の名門歌劇場のひとつであるドレスデン歌劇場とそのオーケストラは、シュトラウス本人と関係が深く、数々のオペラに加え、このアルプス交響曲も、作曲者自身の指揮でこのオーケストラが初演したものである。まさに作品の源泉とともにあるオーケストラなのだ。従い、ここで現在の音楽監督ティーレマンがこの曲を演奏するということは、本当に特別なことなのである。ところでこの曲、実は数日後にも別の世界的オーケストラが日本で演奏することになっており、偶然ではあろうが、なんとも贅沢な比較をいながらにしてできる我々は、なんと恵まれているのだろうか。そのコンサートについては追って記事を書くことになろう。

さて、そんな因縁のティーレマンとドレスデンによる今回の演奏、やはりティーレマンの持ち味が充分に発揮された名演となった。冒頭の夜から夜明けのシーンは、思いのほか大き目の音で始まり、繊細さよりは力強さを思わせた。そこからウネウネと太陽が昇ってくる様子が描かれて、ついに燦然たる輝きが現れるところまで、迷いのない一本の線のようだ。以前ウィーン・フィルを指揮した同じシュトラウスの「英雄の生涯」を聴いたときに、音楽の進行がスムーズで非常に見通しのよい指揮ぶりであるにも関わらず、時に即興的な表現も見られて大変スリリングに感じたものであったが、今回もまさにそれであった。これほど冒険的な山登り体験もそうはないでしょう(笑)。ドレスデンの音は相変わらず美麗でありながら迫力も満点。数々のソロの名技には、余裕すら感じられる。ただ、全体を通して印象を語ると、ワーグナーのときほどの圧倒的な衝撃はなく、このコンビならここまでやるだろうなという想像の範囲内であったとも言える。多少こじつけ風に言えば、もし会場が満員であったなら、演奏者と聴衆の相互作用によって、さらに白熱した音楽になったのかもしれないなぁ・・・と夢想していた。返す返すも、ガラガラの客席が惜しいことであった。

だが、歴史と伝統を誇るシュターツカペレ・ドレスデンと、新時代を切り拓いて行くべき指揮者ティーレマンの共同作業は、今後も長く続いて行くことであろう。ワーグナーやシュトラウスという中核レパートリー以外にも、面白い試みがなされて行くのを期待したい。その意味で、明日(日付が変わってもう今日であるが)演奏されるチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」など、このコンビとしては異色のレパートリーであり、いかにも面白そうだ。私は聴きに行けないが、願わくば多くの聴衆が会場のサントリーホールに集まりますように。
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by yokohama7474 | 2016-11-23 01:57 | 音楽 (Live) | Comments(8)

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団 (ピアノ : ユジャ・ワン) 2016年11月21日 サントリーホール

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東京は全く油断ならないところで、このサントリーホールでは、2日前の大野和士と庄司紗矢香の共演に心躍り、前日のティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンのワーグナーに圧倒され、やれやれと思っていたら、今度はこのコンサートである。あたかも、ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan の演奏会の合間を縫うように入っているこの演奏会、誠に侮りがたい。いや、正確に言うと、このホールの小ホールであるブルーローズではこの日、その音楽祭の一環として、シュターツカペレ・ドレスデンの首席奏者たちによる室内楽が演奏されていたのである。それと同時並行で開催された、マイケル・ティルソン・トーマス指揮のサンフランシスコ交響楽団の演奏会だ。この指揮者はロサンゼルス出身で、1995年から20年以上の長きに亘ってサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務める。愛称はMTT。
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私など、この人は青年指揮者だという印象が強いのだが、1944年生まれだから、既に今年72歳と知って驚く。なんたること、MTTが70を超えているとは!!この人はアメリカ音楽を含む近代の作品を中心レパートリーとしているが(両親がハリウッドの音楽家で、確かガーシュウィンが自宅に遊びに来たと語っているのを読んだ記憶がある)、随分早い時期に室内管弦楽団編成でベートーヴェンの交響曲全集を録音しているという実績もある。実は私は、この人の指揮するマーラーで、対照的な経験をしたことがある。一度は、既に20年前の話だが、ニューヨークで、ニューヨーク・フィルを指揮する5番を聴いてガッカリしたのだ(そんな演奏にヒーヒー叫んで総立ちのスタンディング・オベーションを送る聴衆にびっくりしたが、そのときはまだニューヨークのしきたりを知らなかった 笑)。もう一度は、それから数年後、当時手兵であったロンドン交響楽団を率いた来日公演での6番。これはすごい演奏であった。それ以外でも、初回のパシフィック・ミュージック・フェスティバルとか、前回のサンフランシスコ響との来日などで実演に接しているが、ロンドン響とのマーラー6番にまさる演奏は経験していない。実は、最近までニューヨーク在住であった音楽ファンの知人によると、米国で今最も高く評価されている指揮者とオケのコンビは、このMTTとサンフランシスコ響なのだそうである。確かに最近の録音も世評が高い。そんなわけで、夢をもう一度?、マーラーの演奏会を選んだのであった。曲目は以下の通り。
 ブライト・シェン : 「紅楼夢」序曲(日本初演)
 ショスタコーヴィチ : ピアノ協奏曲第1番ハ短調作品35 (ピアノ : ユジャ・ワン)
 マーラー : 交響曲第1番ニ長調「巨人」

上のチラシは一風変わっていて、大阪でのコンサートと東京でのコンサートが1枚に両方記載されている。このクラスの演奏家、ましてやソリストがユジャ・ワンとなると、普通は東京公演が何度か行われてしかるべきだが、実は今回は、この演奏会と、NHK音楽祭の一環として翌日NHKホールで開かれるコンサートの、合計2回のみ。NHK音楽祭は別の範疇のコンサートになるので、このチラシでは大阪公演も一緒に記載してヴァラエティを出したかったということか。実は今回のツァーは日本がメインでなく、韓国・中国・台湾を回って日本が最後の目的地だ。プログラムによると、11/9から11/22までの14日間に10回の演奏会が開かれるという強行軍。きっと指揮者もオケもお疲れでしょうが(あ、ソリストはまだ若いからきっと元気だと思います 笑)、ともあれ、期待のコンビ、どのようなコンサートになったのかレポートしよう。

最初の曲は、1955年中国生まれ、現在では米国に移住している作曲家ブライト・シェンの手になる、中国古典小説「紅楼夢」をテーマにした6分ほどの序曲で、今回が日本初演となる。これは、今年の9月にサンフランシスコ歌劇場で世界初演されたオペラ「紅楼夢」のテーマをもとに、別の曲として作曲されたもの。非常に耳に馴染みやすい、まるでミュージカルかとすら思える曲で、打楽器などに中国風の響きがある。だが、最後の部分では突然、バルトークの「中国の不思議な役人」のクライマックスそっくりの激しいリズムが刻まれて、なかなか迫力もある。なるほど、MTTの指揮によって出て来る音はどれもクリアで、米国での高い評価を納得させる。因みに18世紀、清代に書かれた「紅楼夢」は男女の情を描いた小説であることくらいは知っているが、私は読んだことがなく、「金瓶梅」のようなエロティックなものかと思ったら、こちらはプラトニックな恋愛ものである由(笑)。
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そして2曲目は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番。この曲はオケの編成が変わっていて、弦楽合奏とトランペット・ソロだけだ。そもそもショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲と同様、2曲あるのだが、ヴァイオリン協奏曲がどちらも陰鬱であるのに対し、ピアノ協奏曲はどちらも軽妙な要素が強い。もともとこの作曲者はピアノの名手であり、楽器に対する親しみがそのような特色を生んだものだろうか。ともあれ、お待たせしました。ユジャ・ワンです。
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彼女が9月に行ったリサイタルについては2度に亘って記事にしたので、もうあまりユジャユジャ言う気はないが、いや、グジャグジャ言う気はないが、まあ相変わらずスーパーなピアノで、考えられないくらいの表現力の幅である。例えば、上に軽妙と書いたが、実はこの曲は洒脱一辺倒ではなく、第2楽章には影のある情緒がひたひたと漂っているのだ、ということを再認識した。チェロの合奏との掛け合いなど、絶妙なものがあり、陶然としてしまう音でしたよ。もちろん疾走する部分は、もう誰か止めてくれーという感じ(笑)。因みにトランペット独奏は、このオケの首席であるマーク・イノウエ。その名の通り日系人で、名門エンパイア・ブラスに所属した経歴もある。輝かしくモダンな響きを堪能した。そして、ユジャ・ワンが登場するところ、アンコールが演奏されないわけはない。まず最初は、トランペットとの共演で、「二人でお茶を (Tea for Two)」。コントラバス、というかこの場合はベースと言うべきか、の伴奏つきでジャズ風の楽しい演奏であった。このポピュラーナンバーを演奏したのは当然、ショスタコーヴィチがこの曲をオーケストラ編曲しているからだろう。まだ若い頃に、ある指揮者に「君は天才だそうだから、今聴いたこの曲を思い出して、何も見ずに1時間で編曲版を作りなさい」と言われて、難なく編曲したという有名なエピソードのある、あれだ。そして2曲目は、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の「小さな白鳥の踊り」であったが、即興的にアレンジされていた。実はこのユジャ・ワンは、2012年にもMTTとサンフランシスコ響のソリストとして来日しており、楽員とも息の合った仲なのであろう。ちなみに今年のハロウィンには、サンフランシスコで共演していたらしく、同地のジャイアンツのユニフォームを来たMTTとユジャの写真を発見。
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そしてメインのマーラー「巨人」である。休憩後の舞台を見て気づくのは、まず指揮台が、非常にガッチリした木製の枠がついたものであり、指揮者の右手あたりには、桝状の容器に収まったコップに水が入っている。それを見て、MTTも既に70を超えて、演奏中に水分補給が必要なのかと複雑な思いだ。また、より興味深いのは弦楽器の配置で、コンサート前半では昔ながらの配置、つまり向かって左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、そして向かって指揮者右横にチェロ、その奥がコントラバスであったところ、後半のマーラーでは、ヴァイオリンの左右対抗配置を取り、指揮者正面の向かって左奥にチェロ、右奥にヴィオラで、コントラバスは左手の奥、第1ヴァイオリンの後ろであった。つまり、コントラバスは前半とは全く逆の位置で演奏することになったのだ。これはレパートリーごとに違った配置で適正な音響を引き出すという工夫であろうか?楽団紹介のこの写真では、今回の演奏会の前半の配置になっている。
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このマーラーの演奏、一言で言うと、大変にきれいに磨き抜かれた音で鳴っており、さすがに長年のコンビだけあって、息の合った演奏であったといえるだろう。木管も金管も技術は抜群で、左右に振り分けられたヴァイオリンの共鳴も説得力が大きい。また、大詰めではスコアの指定通りホルンを起立させていて、きっとそう来るだろうという事前の予想通り(これ、盛り上がるので私は好きなのです 笑)。テンポは基本的には大きく変えないものの、クライマックスでは少しためを作ることで、大きな流れが生まれていた。だが、全体として振り返ったときに思うのは、少し爽やか過ぎはしないか?ということ。若いマーラーが意気込んで、これから始まる艱難辛苦の作曲生活を知ってか知らでか、様々なアイデアを盛り込んだこの曲は、でもやはり、狂気に近いなりふり構わぬ表現によってこそ、本当に強い説得力が生まれるものではないか。好みの問題もあると思うが、MTTの音楽はマーラーにはちょっとピュア過ぎるような気がした。

尚、MTTは第1楽章と第2楽章の間で水を飲んでいた(第3・第4楽章は続けて演奏されるので水を飲むことはできないのだ)。その様子を見ながら聴いているうちに私が感じたのは、今回のツァーで彼は既に相当消耗しているのではないか、ということであった。永遠の音楽青年と思っていたが、やはり既に老齢。少し痛々しい。だが指揮者としては、年齢的にはこれからが面白くなるところだろう。明日NHK音楽祭で演奏するブルックナー7番は、彼としては異色のレパートリーであるが、このツァーの締めくくりとして熱演が期待されよう。追ってNHKで放送されるであろうから、楽しみにしたい。

最後に蛇足。この演奏会と同時並行で、小ホールであるブルーローズでは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席奏者たちの室内楽が行われていたと書いたが、もしかして、指揮者ティーレマンが客席にいないだろうかと、休憩時間にロビーをほっつき歩いてみた。残念ながらティーレマンはいないようだったが、やはり指揮者の鈴木雅明・優人父子と、それから下野竜也が、Gパンの外人と四人で何やら談笑している。会話はドイツ語だったので、もしかして、ドレスデンの楽員か?さすがですね。でも、ユジャ・ワンの弾くショスタコーヴィチを聴く鈴木父子って面白い。バッハ・コレギウム・ジャパンのスペシャル・ゲストとしてユジャ・ワンを迎え、バッハの鍵盤のための協奏曲を演奏するなんていうのはいかがなものでしょうか。侮れない東京のこと、そんな企画もいずれ実現するとよいと、勝手に思っております。

by yokohama7474 | 2016-11-21 22:13 | 音楽 (Live) | Comments(3)

ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan  ワーグナー : 楽劇「ラインの黄金」(クリスティアン・ティーレマン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン) 2016年11月20日 サントリーホール

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今回は珍しく結論から単刀直入に言おう。日本のクラシックファン、なかんずく東京の聴衆は本当にスポイルされている。なぜならば、いながらにして世界最高峰の演奏家たちが入れ代わり立ち代わり登場するからだ。ワーグナー演奏に関して言えば、つい先日、ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演で素晴らしい「ワルキューレ」を聴いたばかり。ああ、それなのに。それなのに。ヨーロッパから遠く離れたこの極東の都市で、すぐにまたこのような極上の演奏に触れることができるとは。現代最高の指揮者クリスティアン・ティーレマンが手兵シュターツカペレ・ドレスデン(ザクセン州ドレスデンに本拠地を持つオペラハウス所属で、世界最古のオーケストラ。かつてワーグナー自身も楽長であったことがある)を指揮した「ラインの黄金」である。休憩なしで演奏されるこのオペラ、まさに金縛りの2時間半であった。

上のチラシでも明らかな通り、この催しは、サントリーホール開館30周年を記念して行われる行事の一環として、ザルツブルク・イースター音楽祭の引っ越し公演として行われたもの。ここでご存知ない方のために簡単に説明すると、ザルツブルクは言うまでもなくオーストリアの避暑地で、モーツァルトの生地として知られるが、ここでは夏に世界最高の音楽祭が開かれることでも有名なのである。だが、夏の音楽祭以外でもここで行われている音楽祭があって、それがイースター(復活祭)音楽祭なのである。ハロウィンがすっかり定着した日本でも、さすがにイースターは宗教色が強すぎるのか、未だにポピュラーではない。だがヨーロッパの人々にとっては大変に重要な祭事なのである。それはつまり、キリストの復活を祝って春分の日前後に行われる宗教行事であり、ヨーロッパの重要な祝日だ。その期間に開かれるのがこのザルツブルク・イースター音楽祭。この音楽祭を私財を投げ打って1967年前に創設したのは、ひとりの指揮者である。
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言うまでもなく、音楽史上最も有名な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン。このザルツブルク出身であり、まさに世界楽壇を席巻した「帝王」である。カラヤン自身の評価は死後も衰えることなく、いやむしろ、生前よりも高くなっているかと思われるほどだが、大規模な音楽祭の継続には芸術性のみならず、現実的に巨額の資金が必要である。カラヤンがこの地で創設したもうひとつの音楽祭、聖霊降臨祭音楽祭の方は、既にバーデン=バーデンに移ってしまったが、イースター音楽祭の方は未だにザルツブルクに残っている。だが、当時カラヤンが率いた万能のベルリン・フィルは既にレジデント・オーケストラの座を退き、現在この音楽祭で演奏しているのが、シュターツカペレ・ドレスデンなのである。それは、このイースター音楽祭の音楽監督が、現在のドレスデンのシェフ、クリスティアン・ティーレマンであることによる。
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私はこの指揮者の生演奏には何度も触れてきたし、ドキュメンタリー映像などを通じて、その人となりにも一定のイメージがある。多くの指揮者と異なり、経歴を見てもコンクールの優勝は見当たらず、若い頃からオペラ・ハウスでたたき上げてきた人なのである。ベルリン生まれのドイツ人であり、幼少の頃からカラヤンの演奏を聴いて育ち、修業時代には彼のアシスタントも務めている。まさにドイツ音楽の伝統を体現する、現代では稀な指揮者。その指揮ぶりは、両手を前に出して不器用に前後したり円を描いたりするだけだが、彼の指揮するところ、瞠目すべき音のドラマが渦巻き始めるのを何度も目撃し、いつも感嘆するのである。

今回演奏された「ラインの黄金」は、言うまでもなく、このブログで何度も言及して来ているワーグナー畢生の超大作、楽劇「ニーベルングの指環」4部作の最初の作品で、序夜と名付けられている。ワーグナーの楽劇としては異例に演奏時間が短いが(笑)、なにせ幕間なしに一挙に演奏されるので、聴きごたえは充分だ。今回の上演はホールオペラと銘打たれていて、会場であるサントリーホールのある種の名物(?)で、プログラムの解説では、この言葉に®マークがついているので、登録商標になっているのであろう。往年の名テノール歌手、ジュゼッペ・サバティーニが率いていたものだが、最近はあまりその名を聞かなくなっている。上のチラシには「復活」とあるので、久しぶりのホールオペラ上演なのであろうか。ところで今回ザルツブルク・イースター音楽祭の引っ越し公演ということで、この「ラインの黄金」以外にも充実したラインナップになっている。特に、カラヤンの娘で女優のイザベル・カラヤンの一人芝居など面白そうだが、私は鑑賞することができなかった。
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このホールオペラ、基本的には演奏会形式なのであり、歌手は舞台用の衣装を着用しない。だが、例えばラインの乙女たちはお揃いのピンクのドレス、ローゲはジャケットの下に赤いシャツ、ミーメは職工風、ヴォータンは左目に小さい眼帯と、それぞれに雰囲気のある衣装であり、演技は実際の舞台上演と同等だ。開演前に撮った写真がこれだが、オケの後ろのひな壇に歌手が出入りし、左右の衝立の周りや、真ん中のスペースで劇が進行する。このオペラは、神々の長であるヴォータンが、新たな城であるヴァルハラ城を巨人たちに築かせるところに始まるが、ご覧頂けるように、オルガンの前に水墨画風の襖絵が置かれている。私の解釈するところ、後ろのオルガンがヴァルハラを表していて、いわば「借景」の設定になっているのだと思う。また、左右の衝立も、黄金が輝いたり積み上げられたりのために効果的に使われていて、これも日本風の襖のイメージを転用していると思われる。
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冒頭に書いた通り、この日の演奏はまさに瞠目すべきもので、ワーグナーファンが多く、ワーグナーの演奏頻度の高い東京においても、滅多に体験することのできない最上級の演奏であった。登場する歌手はいずれもワーグナー歌唱で実績のある人たちばかり。通常の上演では多少弱いこともあるラインの乙女たちとか、ドンナー、フローといった脇役たちもここでは万全だ。重なり合い、渦を巻き、前に進んで行く声の共演を聴くだけで、クラクラして来てしまった。私が昨年バイロイト音楽祭で実演に接した「ラインの黄金」でアルベリヒを演じていたアルベルト・ドーメンがここでも同じ役で、完璧な歌唱を聴かせた。また、先のウィーン国立歌劇場来日公演の「ワルキューレ」で素晴らしいフンディングを聴かせたアイン・アンガーは、ここではファフナーを演じている。いずれの歌手も見事であったが、私が心底感心したのは、フリッカを演じた藤村実穂子である。
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これまでこのブログでも、マーラー3番の独唱などでご紹介して来たが、このように実際のオペラの全曲上演で彼女を聴いてみると、その実績が充分納得できるだけの素晴らしさなのである。今回の上演においては、劇の進行の最も重要な部分を牽引したと言っても過言ではないだろう。強く深く響く声でありながら、時に鋭い高音も発し、どこまでも伸びるような輝かしさもある。フリッカの不寛容と嫉妬心、また、だらしない夫ヴォータンを差し置いて、なんとか神々の生活を維持しようという意外な(?)気配りまで、万全の表現であった。既にバイロイトではこの役を何度となく歌っており、そこでティーレマンとの共演実績も豊富である。その成果をこれだけ見事に聴かせてくれたことに感動する。日本からこのように優れたワーグナー歌手が出たことは、素直に喜びたいし、誇りに思いたい。

そして、ティーレマンの指揮をいかに形容しようか。上述の通りそっけないシンプルな指揮ぶりでありながら、低音から高音、強い音から弱い音、速いペースから遅いペースまで、まさに自由自在。このシュターツカペレ・ドレスデンは、古い歴史に裏打ちされた渋い音がもともとの持ち味で、相性のよいコンビであったブロムシュテットや、あるいは独特の鋭さを伴ったシノーポリ、また、ティーレマンの前任者であるルイージらが指揮したときには、やはり洗練された美麗な音が根底にあったと思う。だが今回のワーグナー演奏では、美しいニュアンスはもちろんのこと、時として乱暴とも思われるような、地の底から湧き出るような力強い音も随所で聴かれ、いやまさにこれは尋常ではないレヴェルの演奏であったのだ。ティーレマンの音のパレットの豊かさは以前から認識しているものの、ワーグナーでこれだけのうねりを聴かされると、もう降参だ(笑)。その神々しい手腕。
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終曲である「ワルハラ城への神々の入場」は、ブルックナー8番の終結部を思わせるような、実に壮大な曲なのであるが、実は最後に高音が糸を引くように宙に消えて行くのが、ブルックナーにはないワーグナーの洗練である。全曲が終了したとき、2時間半に亘って金縛り状態であった私の耳に、ワーグナー自身の声が聞こえたような気がするほどの、凄い演奏であった。

このティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンは、この後東京で2回の演奏会を開く。私はそのうちの1回を聴きに行く予定であるが、相当心して聴く必要あるなと、今から緊張ぎみである(笑)。一方、日本においては来年もワーグナー演奏が盛んであり、この「ラインの黄金」に限っても、びわ湖ホールが新たに始める「指環」ツィクルスの第1弾として上演するし、また、日本フィルの新音楽監督であるピエタリ・インキネンが演奏会形式で採り上げる。今回のような高次元のワーグナーを聴いて耳が肥えている聴衆に対して、日本勢としても一石を投じる演奏になって欲しいものである。

by yokohama7474 | 2016-11-21 00:11 | 音楽 (Live) | Comments(4)

大野和士指揮 東京都交響楽団 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香) 2016年11月19日 サントリーホール

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今月の東京都交響楽団(通称「都響」)の指揮台には、音楽監督の大野和士が登る。既に一週間前、11月12日(土)には、サントリーホール開場30周年を記念して、英国の作曲家マーク=アンソニー・ターネジの「Hibiki」という委嘱作世界初演があったのだが、通常なら当然何を置いても聴きに行くべきこのコンサートを、私は断腸の思いで諦めたのだ。なぜなら、その日にウィーン国立歌劇場来日公演の「ワルキューレ」のチケットを買っていたからだ。これは致し方ない、と自分に言い聞かせ、そして心待ちにしたのがこのコンサートだ。まずは曲目をご紹介する。
 フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」
 デュティユー : ヴァイオリン協奏曲「夢の樹」(ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 シェーンベルク : 交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5

クラシック音楽を聴く人なら、この曲目を見て期待するなと言う方が無理というもの。大野らしく知的でいて大胆な組み合わせだ。この3曲、いずれもそれぞれに共通点があるのだ。すなわち、
(1) 1曲目と3曲目は、同じ題名(これは誰でも分かりますね 笑)
(2) 1曲目と2曲目は、フランス音楽(これもさほど難しくない)
(3) 2曲目と3曲目は、全曲切れ目なく演奏されるEmotionalな曲
ということだ。しかもここでソロを弾くのは庄司紗矢香である。この指揮者とソリストの組み合わせは、間違いなく現代日本(もっとも、二人とも海外在住者ではあるが)を代表する高い芸術性を保証するものだ。特に、音楽バカではなく、ほかの芸術分野に対する造詣や新たなことに対する挑戦という意味で、この二人の芸術家の相乗効果には素晴らしいものが期待できるであろう。私の記憶ではこの二人、最初に共演が決まったのは2003年7月。オケは同じ都響で、曲目はマックス・レーガーの大作、ヴァイオリン協奏曲(日本初演!!)であった。このときにはあいにく大野が体調不良でキャンセルとなり、大野の盟友である広上淳一が代わりに指揮を執った。そして初共演がなったのは、私の記憶が正しければ、実に9年後の2012年6月、オケはやはり都響、曲はシマノフスキの1番の協奏曲であった。そして2013年のウィーン交響楽団の来日公演でのブラームスを経て、今回は、今年生誕100年を迎えるデュティユーのコンチェルトである。これらはいずれも(大野がキャンセルしたレーガーを含めて)、このコンビであればチャイコフスキーやシベリウスではなく、まさにこのような曲が聴きたいという、そんな選曲なのである。
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勢いで、このコンチェルトについて先に書いてしまおう。アンリ・デュティユー(1916-2013)は、3年前に実に97歳の高齢で世を去ったフランスの作曲家である。今年は生誕100年ということで、代表作のひとつ、チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」が、先に読売日本交響楽団によって演奏されたし(6月24日の記事ご参照)、来月には東京交響楽団でも演奏される。デュティユーの作風は、いわゆる耳の痛くなる現代音楽という雰囲気でもないので、さほど敬遠されないとも思うが、だがどの作品もシリアスであるので、一定水準以上にポピュラーになることはない。私の記憶では、この「夢の樹」というコンチェルトは、以前デュトワとN響の伴奏で、シャンタル・ジュイユというヴァイオリニストが演奏していた。実はこのジュイユは当時(今も?)デュトワの伴侶であったのだが、まあそれはこの際どうでもよい(笑)。1983年から85年にかけて書かれ、アイザック・スターンとマゼール指揮のフランス国立管弦楽団によって初演されたこの曲、25分ほどの手頃な長さであるが、夢幻的要素のある美しい作品である。4楽章から成ってはいるものの、連続して演奏されるので、聴いていても、楽章間の違いはそれほど分からないようにできている。打楽器が多く使われていて幻想的な音を繰り出すが、中でもハンガリーの民族楽器ツィンバロンの活躍がユニークだ。
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庄司のヴァイオリンは相変わらず強い集中力を持つもので、時々刻々と変化する音楽的情景を、美麗に描き出した。この人には本当に特別なものがあって、演奏中はどこか高いところに昇って行ってしまっているようだ。音楽の持つ日常を超えた力を聴衆に伝える術を知っている、世界でも稀な音楽家なのである。一方の大野はこの日、この曲だけが眼鏡をかけて譜面を見ながらの指揮であったが、もともと現代音楽への適性の高い人であり、流れがよくクリアな伴奏を繰り広げた。プログラムに載っている彼の言葉を引用しよう。上記の私の感想は、まさに大野が目指す音楽であったことが分かる。

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デュティユー作品は、楽想が目に見えるように変わりますので、聴きやすいと思います。響きに透明感があり、何ともいえない香りがある。私たちの意識に、すっと垂直方向の光を当てるような・・・。
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これは壮年期のデュティユー。
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強い集中力による演奏の後、庄司はアンコールを演奏しなかったが、それは正しかったと思うし、聴衆も納得していたと思う。ところで今回の後半の曲目、シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」であるが、きっとこの演奏を庄司は客席で聴くに違いないと思ったら、やはり1階席後方で聴いていた。このあたりの芸術的好奇心が並の音楽家とは違うのである。ニューヨークやロンドンでは、内田光子が前半でコンチェルトを弾くと、後半は聴衆として客席に入るのを何度も見かけたが、やはり同じような芸術的好奇心のなせるわざだろう。

そして、庄司も客席で傾聴したであろう、シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」。今回の1曲目も同じ題名だが、これはベルギー象徴派の詩人で劇作家のモーリス・メーテルリンクによる1892年の作品。まさに世紀末の象徴主義の雰囲気を一杯にたたえた作品で、現在知られているだけでも4人の錚々たる作曲家がこの戯曲をもとに曲を作った。最も有名なものはドビュッシーのオペラであり、ついでフォーレの劇付随音楽、そしてシェーンベルクの交響詩、最も知名度が低いのが、シベリウスの劇付随音楽であろう。その中でこのシェーンベルクの作品は、後年12音技法を発明して現代音楽の元祖となるこの作曲家の初期のもので、マーラーやシュトラウスから続く後期ロマン派の濃厚な音楽だ。決して秘曲というほど珍しい作品ではないが、実演ではあまり演奏されない。もちろん録音では、カラヤンがあの画期的な新ウィーン楽派集のひとつとして録音していたが、そのカラヤンにしても、録音した1974年にはベルリンやルツェルンで演奏しているようだが、それ以前もそれ以降も、ほとんど生演奏しなかったレパートリーである。そして、ほかのメジャーな指揮者は、この「ペレアス」をあまりレパートリーにして来なかったきらいがある。と書いていて思い出したが、ウィーン・フィルのアンソロジーで、珍しくもカール・ベームがこの曲を指揮したライヴ録音があったが、それはかなりのレア物なのである。
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実際、これだけの演奏会の数を誇る日本においても、この曲の実演は多くない。やはりシェーンベルク初期の作品で、後期ロマン主義スタイルで書かれた合唱と巨大なオーケストラのための超大作「グレの歌」の方が、むしろこの曲より演奏頻度が高いくらいだ。1927年から1981年までの日本のオケの定期演奏会記録を調べてみると、1972年に若杉弘と日フィル(日本初演だろう)、1980年にグシュルバウアーとN響、この2回しか演奏されていない。私自身、この「ペレアス」を実演で聴いた記憶は、遥か30年以上も昔の、小泉和裕(奇しくも都響の終身名誉指揮者であり、今月やはり同楽団を指揮した)が、当時の手兵であった新日本フィルを振ったものくらいしかない。そのときの小泉は暗譜で、素晴らしく集中力の高い音楽を聴かせたのをよく覚えている。彼のカラヤンコンクール優勝は1973年。このコンクールの優勝者はベルリン・フィルで研鑽を積むことができるシステムであり、これは想像だが、ちょうど彼のベルリンでの修業は、カラヤンがこの曲をベルリン・フィルと録音・生演奏していた頃であったのではないか。もしそうなら、そのような機会にみっちり習得したレパートリーであったのかもしれない。換言すると、そのようなきっかけでもないと、なかなかこの曲を暗譜するまで自家薬籠中のものにすることはできないように思う。
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さて、高い知性とマニアックな趣味性を併せ持つ大野は今回、やはり暗譜でこの「ペレアス」を指揮したのだ!! そして、耳に入って来た音楽は実に壮絶なもの。数々のマーラー演奏で鍛えられた都響のズシリと芯のある音が、いつものように多彩な音楽を紡ぎ出すのを耳にするのは大変壮観であったし、各セクションの自発性溢れる表現力にも強く動かされることとなった。この曲にはドロドロした情念が渦巻いており、生ぬるい演奏ではその真価は発揮されない。ただその一方で、マーラーやシュトラウスほど気の利いた音楽にもなっていないので、各主題を分離よく描き分けながら、しかも強い表現力を維持することは簡単ではないはず。そんな中、これだけ確信をもってエネルギッシュに40分を駆け抜けた指揮者とオーケストラは、この成果を世界に誇るべきではないか。この演奏会はたったの1回だけで、録音もされていない。これはいかにももったいないことではないか!!墓の下のシェーンベルクも、極東の地の日本でのこの成果を喜んでいると思う。
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これら2曲の演奏に比べると、最初のフォーレの「ペレアス」は、もちろん凡庸な演奏ではなかったが、ちょっと真面目過ぎたきらいがないでもない。ここでは、厚みのある音ではなく、洒脱な音を聴きたいものだと思った。これから大野と都響がどんどん進化することで、このようなレパートリーも面白くなって行くだろうと思う。最後に、大野自身の語る都響の現在の状況についての引用をしてみよう。

QUOTE
都響は、近年とみに音の圧力が増しています。まず、物理的なヴォリュームが以前とは違う。さらにもう一つの側面として、私たちの身体に浸透してくるような、持続力のある、人の心を揺り動かす力のある音圧。それがこのオーケストラの特徴だと思うのです。その個性が生きるプログラムを、今後も作っていきたいですね。
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まさに私が普段感じていることそのままではないか。来シーズンの都響のプログラムを眺めていると、今回のシェーンベルク作品と時代精神を共有するツェムリンスキーの「人魚姫」(随分以前に大野はN響でも指揮しているはず)や、スクリャービンの3番、あるいはメシアンのトゥーランガリラ交響曲など、必聴のプログラムがいくつもある。東京でしか聴けない内容の音楽で、世界を羨望させてやりたいものだ。高まる期待を、抑えられません!!
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by yokohama7474 | 2016-11-20 01:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)

よみがえれ! シーボルトの日本博物館 江戸東京博物館

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毎度おなじみの注意から入ろう。この展覧会は、東京での会期は既に終了してしまっている。だが、年明け2月には長崎で開催され、その後名古屋、大阪へ巡回することになっているので、ご興味おありの方は、そのいずれかに出掛けられるのがよいと思う。なかなか目にすることができない展示品が多いばかりか、これまで充分研究が進んでいなかった分野に関する展覧会であるから、大変興味深く見ることができることは請け合いだ。特に、ヨーロッパとアジアという異なった地域の交流に興味があれば(これが私の強い興味の対象なのであるが)、その面白さはまたひとしおである。

フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)の名は学校の歴史の教科書にも出てくるし、知らない日本人の方が少ないのではないだろうか。ドイツ人の医師で、長崎の出島に鳴滝塾を開いて蘭学を教えた。日本地図を国外に持ち出そうとして一旦は1828年に国外追放となったが、日本の開国後、1859年に再来日した。その彼は、実は大変な情熱をもって日本をヨーロッパに紹介しようとしていたのである。そのことはそれなりに知られてはいて、私も随分以前に、オランダのライデンの博物館にあるシーボルトが日本から持ち帰った大量の遺品についてのテレビ番組を見たことがある。だがそこでは、多くの収集品が倉庫に眠ったままで、充分な調査もされていないと紹介されていた記憶がある。この展覧会は、千葉の佐倉市にある国立歴史民俗博物館の主導のもと、2010年から2015年に亘って行われたシーボルト父子関係資料の総合的調査の成果を世に問うものである。

まずここで再確認しておきたいのは、シーボルトはバイエルン州ヴュルツブルク(いわゆるロマンティック街道の出発地点で、旧市街は世界遺産に登録されている)出身のドイツ人であるということだ。我々の常識に基づけば、江戸時代に日本が交流を維持したのは中国とオランダだけだ。それなのに、シーボルトがドイツ人とは、これは一体どうしたことか。彼は若い頃から東洋に興味があったのか、ドイツで医師として開業ののち、オランダ国王ウィレム1世の侍医からの斡旋を受け、オランダ領東インド(現在のジャワ島)所属の外科医としてバタヴィアに駐在。そこでオランダ領東インド総督の許可を得て、日本でオランダ商館医の地位を得て来日する運びとなったらしい。来日時に日本の通訳から、彼のオランダ語がおかしいと怪しまれたらしいが、「自分はオランダの山岳地帯の出身で訛りがある」と言って切り抜けたとのことだが、オランダは山岳地帯の全くない国なので、当時の日本人のオランダに対する理解度の低さが伺えて笑ってしまうエピソードである。

さてこの展覧会、シーボルトの肖像から始まっている。これはヴュルツブルクのメナニア学生団という団体に所属していた頃のスケッチ帖(1816年頃)で、右から2人目が、二十歳前後のシーボルトである。これ、なかなかいい雰囲気ではないか。例えば「ファウスト」とか、オペラではオッフェンバックの「ホフマン物語」の冒頭のような、学生たちが酒場で飲んでいる舞台のシーンを彷彿とさせる。あるいは、ブラームスの大学祝典序曲が頭の中に鳴り響くというべきか。ドイツの青春だ。
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彼の第一次滞在は1823年から1828年だから、27歳から32歳の頃ということになるが、日本で描かれた彼の肖像画はこれだ。
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あっはっは。珍しい西洋人の顔を見て、その高い鼻を一生懸命表現しようとした画家の気持ちを思うと、何か微笑ましい。まあもちろん、当時の異人さんに対する警戒心は、実は笑いごとではなかったのかもしれないが。一方のシーボルトも、オランダ人画家に日本人の肖像をスケッチさせている。これらは使用人たちであるようだが、なるほど、こちらは写実的に見える。当時の日本人はこういう顔をしていたのだろう。
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シーボルトは日本でタキという女性と共同生活を営み、娘を設けているが、それが後年、日本で初めて西洋医学を習得した女性医師となる楠本イネである。フォンの称号を持つ貴族の家系の人であるから、当然本国で立派な家族を持っているわけであり、タキさんはいわば蝶々夫人的な存在と言ってもよいだろうが、シーボルトはタキとイネの母子に愛情を注ぎ続けたようで、帰国後に出した手紙が何通か展示されている。これは1830年、オランダに帰国した年のクリスマスにライデンから出されたもの。筆跡は他人のものらしいが、日本語の文章自体はシーボルト本人によるものと考えられている。読んでもなんのことやら分からないが(笑)、最初の「一」にあるのは、「私は7月7日にオランダの港に錨を下した」であろうか。そのあと、「少し体調を崩したが今ではよくなった」と書いてあるように読める。間違っているかもしれませんが(笑)。ただ、シーボルトの愛情がにじみ出た書信であると思う。
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尚、シーボルトが営んだ蘭学の塾である鳴滝塾の精巧な模型が展示されている。いかなる経緯で作成されたものか分からないが、最近になって、ほかの図版との照合から、これが鳴滝塾の模型であると判明したものらしく、今回が日本初公開だ。この鳴滝塾のあった場所には今、シーボルト記念館があり、先日長崎旅行をした際に訪れたかったが、その時間がなかった。次回は是非その場所を訪れ、日本とヨーロッパの文明邂逅に想いを馳せたい。この鳴滝塾から、日本の近代医学や自然科学の創設を担った人材が輩出したのだ。
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シーボルトは日本到着後、早速積極的な学術調査に乗り出そうとしたようだ。だが日常においては行動は厳しく制限され、幕府の直轄領での薬草の採集を名目とした調査のみが可能であったらしい。ところが1826年、オランダ商館長の江戸参府への随行を命じられるという千載一遇のチャンスに恵まれ、その際に旅先での風景や人々の様子を記録する。これは、彼が帰国後に著した「日本」という書物に掲載された、江戸の鳥瞰図。19世紀であるから、日本でも既に遠近法は知られていたわけであろうし、これはもともと日本の浮世絵師が作成した図に基づいているようだ。だが、もともと日本人の美意識にはない光景であり、なんとも興味深い。
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江戸時代における西洋画というと、平賀源内、司馬江漢、亜欧堂田善、それに佐竹曙山や小野田直武らの秋田蘭画(サントリー美術館での展覧会が始まっている!!)という私のお気に入りの名前が並ぶわけであるが、出島出身で、このシーボルトお抱え絵師として活躍した画家もいるのである。その名は川原慶賀(かわはら けいが)。上に掲載した日本人の肖像画を描いたオランダ領東インド駐在のオランダ人画家、デ・フィレーネフェに西洋画を学んだと言われている。この展覧会には彼が描いた数多くの日本人のサンプルが展示されていて、なんとも興味深い。これは、「やくしや」(役者)と「むすめ」(町人の娘)。
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尚、私はもともとこの画家に興味があったので、たまたまこの展覧会に先立って以下の2冊の本を購入していたのであるが、パラパラ見ているだけでも当時の日本の雰囲気(平和でよい時代だ!!)が伝わってきて、なんとも興味深い。
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当時の民衆の姿や風物を描いた、これらのタイムカプセルのような作品が残されたのも、シーボルトのおかげである。なぜなら、日本人にとっての日常はまさに日常であって、特に記録に値するものではないところ、その日常は西洋人にとっては非日常であるがゆえに、つぶさに記録しようという意欲を呼び起こしたであろうからである。さらに言うなら、これを日本人画家に描かせたことの意義は大きい。西洋人なら、対象に対する知識のなさによって、珍妙な描き方になってしまうところ、日本人ならその心配がなく、対象の実在感を写し取ることができるからだ。その代わり、その日本人画家には充分な技量がないといけない。川原慶賀は芸術家として一流ということでもないかもしれないが、少なくともシーボルトの意を汲んで、洋風画法によって写実的に日本人の生活を画面に描き出したという点で、東西文明の邂逅という視点においては歴史的貢献を果たしたわけである。

さて、展覧会は、シーボルトが収集した日本に関する膨大な資料の一部の里帰りと、彼がヨーロッパでいかに日本を紹介するために懸命な努力をしたかについての情報が満載である。彼の二度目の来日は、日本が開国した後、1859年である。前年に締結された日蘭修好通商条約に基づき、彼に対する追放令は解除されていたらしい。すなわち、かつて追放された大好きな日本に、30年を経て還って来たことになる。この二度目の来日には、当時12歳の長男、アレクサンダーを随行していたとのこと。これは自身が創設した出島オランダ印刷所で製作された、「日本からの公開状」という小冊子。
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シーボルトは日本の文化習俗のみならず、動植物にも多大な興味を示し、「日本植物誌」や「日本動物誌」も編纂している。これは「日本植物誌」に掲載されたアジサイであるが、この植物は日本が原産。シーボルトはこれをヨーロッパに紹介する際、最愛の日本女性、おタキさんにちなんで、オタクサ(学名 Hydrangea Otaksa)と名付けた。
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これは「日本動物誌」の甲殻類のページから。イセエビだろうか。
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彼が一度国外追放の憂き目を見たのは、日本の地図を国外に持ち出そうとしたからだということは上に書いたが、実際、もし日本を攻めるのであれば地図は非常に重要な情報で、シーボルトも19世紀ヨーロッパの人間であってみれば、そのような軍事目的に利用できる情報の価値はよく心得ていたに違いない。彼の真意についてはいかなる説が有力であるのかは知らないが、いずれにせよ、彼は純粋に日本のことが好きで好きで仕方がなく、この未知の国についてすべてを知りたいという情熱が、すべての活動の根本になっていたように見受けられる。展覧会にはこのように、シーボルト自身が付箋を貼った地図(1840年製作なので、二度目の来日時の収集品である)も展示されている。これは、彼がヨーロッパでの「日本博物館」の展示のために使ったものと考えられている。
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さてでは、この展覧会の題名にもなっている「日本博物館」とは何だろう。実は彼は、自ら収集した日本の品々をヨーロッパに紹介することに心血を注いだ。最初の渡航から帰国した後の1832年、オランダのライデンの自宅において、収集品の最初の展覧会を開催。二度目の渡航から帰国後には、1863年にアムステルダム、翌年にはヴュルツブルク、1866年にはミュンヘンでそれぞれ日本に関する展覧会、自ら名付けたところによると、「日本博物館」を開いている。そして彼は結局、展覧会の開催地であるミュンヘンで風邪をこじらせ、1866年に70歳で世を去っているのである。この展覧会では、アムステルダムでの展示の再現が試みられていて興味深い。これが当時の雑誌における紹介。
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ここで描かれている日本の文物の実物が展示されている。例えば、真ん中に置かれた阿弥陀如来像。
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これは、ちょっと分かりにくいが、いちばん下の段の左の方に置かれていた、厨子入りの蛇身弁天像。グロテスクな姿だが、民間信仰の産物であって、やけに生々しい。
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下から二段目の右の方に置かれていた、麒麟香炉。これも、見る人たちにエキゾチックな感覚を与えたであろう。
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この「日本博物館」の再現展示のほかにも、シーボルトの膨大な収集品から、工芸品なども沢山展示されている。これは蒔絵の裁縫道具箱。
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だが、実はこの裁縫道具箱は、もともと海外輸出用に、外国人の趣向に合わせて作られたものらしい。なるほど、鎖国していたとはいえ、今ヨーロッパの宮殿などでは日本や中国の工芸品や陶磁器を多く見かけるということは、日本からの輸出も結構行われていたということだろう。実のところ、上に写真を掲げた彫刻なども、悪くはないが、日本で最高品質のものとは言い難く、また、収集品には日本人の日用品も多く含まれる。つまりシーボルトは、日本で比較的容易に手に入るものを片っ端から収集して行ったということだろう。必ずしも最高級の美術品でなくても、日本の文化をヨーロッパに紹介するという目的においては、大いに意味のあるコレクションであったと思われる。

展覧会では、彼が日本をヨーロッパに紹介する意義を主張して、コレクションの購入を施政者に訴えかけたことが説明されている。これは、あのワーグナーのパトロンとして名高いバイエルン王国のルートヴィヒ2世にあてた1864年の書簡。シーボルトはなかなかに逞しい人であったようなので、ヨーロッパ以外にも優れた文化があるという学術上の意義はもちろん、教育機関での利用や、貿易による経済振興も言及されているようだ。少なくとも、「侵略の価値がある」と書いてある気配は、なさそうですよ(笑)。
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ここにご紹介したのは展示品のほんの一部であるが、シーボルトの人となりを感じさせるものから、今や日本では失われてしまった風景習俗の記録、ヨーロッパ人の日本に対する興味、そして何より、これだけ離れたヨーロッパと日本との間の交流が、既に江戸時代に実現していた事実など、貴重な事柄を多々学ぶことのできる展覧会である。大変楽しませてもらいました。長崎でこの展覧会を見るのも、面白そうですねぇ。

by yokohama7474 | 2016-11-19 17:30 | 美術・旅行 | Comments(2)

久しぶりにありがとうございます 総訪問者数 5万人突破 / トラックバック停止のお知らせ

昨年の6月にブログを開設して以来、未だ1年半に満たない新米ブログではありますが、おかげさまを持ちまして、本日総訪問者数が5万人を超えました。あまり実感は沸かないのですが、これはかなり大きい数字であると思います。やはり日本には文化に興味をお持ちの方々が沢山おられるのだという事実に意を強くするとともに、こんなに気まぐれなブログにお付き合い頂いている方々には、心から感謝の意を表明させて頂きます。私はもとより音楽や美術や映画の専門家ではないし、どの分野についても評論活動をしているつもりはないので、即興的に気の向くままに書き連ねており、それゆえに筆(は最近使わないな・・・笑)が走りすぎることもあれば、事実として間違ったことを書いてしまうこともあります。コメントで間違いをご指摘頂いた場合には、その旨を記載して訂正するようにしており、一旦公開した文章にはなるべく手を入れないようにしています。それは、文化の諸相に触れてその時々に自分が感じたことを、なるべくヴィヴィッドに書き残したいという気持ちゆえのことであり、親切なご指摘を頂く方には感謝申し上げるとともに、事実の間違いだけはなるべく減らして行きたいものだと思っております。

ちなみに、ブログを書き始めてから今日を入れて535日目。書いた記事はこれを入れて452で、うち、このようなご挨拶の記事(「その他」に分類)は11あるので、実質、なんらかの文化的事柄を扱った記事は441。535日に441記事なので、平均すると1.21日に1記事ということになり、以前計算したときよりペースは少し落ちているものの、依然としてなかなかのペースであると思います。実は、記事の蓄積が増えるにつれ、特定のアーティストについて以前自分の書いたことなど、自分でも調べる必要が段々増えてきました。そんなとき、PCでもスマホでも、ブログ内検索の機能があるので重宝しています。もし皆様方も過去の記事を見たいと思われれば、是非検索機能をご活用頂ければと思います。

ひとつお知らせがあります。本日を持ちまして、トラックバックの受付を停止させて頂くこととしました。これまでご活用頂いた方には心苦しいのですが、私自身の書きたい内容と異なる内容の記事へのトラックバックもどうしても出て来てしまうこともあり、ブログの一貫性という観点から、そのようにすることとしました。何卒ご理解下さい。尚、コメントはこれまで通りオープンですので、是非忌憚ないご意見をお寄せ下さい。

それでは、これからも円月殺法ばりの筆致で(だから筆は使わないって 笑)文化の諸相に迫りたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
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by yokohama7474 | 2016-11-18 23:48 | その他 | Comments(0)

ジャック・リーチャー NEVER GO BACK (エドワード・ズウィック監督 / 原題 : Jack Reacher NEVER GO BACK)

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このブログも記事を重ねるごとに、「もう聞いたよその話」という話題が増えてきていることは私も分かっている。だが、毎日のブログアクセスをチェックしていると、ある特定の記事でたまたまこのブログに遭遇する方々も日々おられるようであり、私があっちを向いたりこっちを向いたりして、これまで書きつらねてきたことに対するイメージのない方もおられるはずだ。そんなわけで、すみません、以前の言の繰り返しですが、私は封切間もない映画を見に行くことは、ほとんどないのである。だが、この映画は先週の金曜日、11月11日に公開されたばかりの最新作だ。そんな映画を今見るとは、一体どういう風の吹き回しかというと、昨夜、「ジェイソン・ボーン」の記事を書いていて、その映画の上映規模が早々に縮小された理由は、もしかしたらこの映画の公開にあるのかもしれない、と適当なことを言ってしまったときに、はたと気づいたのである。そうだ、「ジェイソン・ボーン」の記事に続いて、この映画の記事を書けば、その比較もできるし、後で振り返って、2016年11月時点でどのような映画が劇場にかかっていたかを振り返ることができるのも楽しいかもしれないと。実は、既に鑑賞したにもかかわらず未だ記事をアップできていない美術の展覧会は五指に余っていて、それらについての焦りもあるのだが、そこはそれ、気ままでラプソディックな文化逍遥を楽しむのがモットーのこのブログ。早速劇場に走ってこの映画を見てきたので、以下勝手気ままな感想を書きつらねます。あー、前置きが長い(笑)。

この映画の予告編を見たとき、もちろん私には、これが以前の作品の続編であることが分かった。「ジャック・リーチャー」はその第1作の原題であり、トム・クルーズ演じる主人公の役名であったはずだ。でも、その邦題が思い出せない。ええっと、「モーゲージ」、「プレッジ」、「コラテラル」・・・これらはすべて、国際金融に縁のある人ならおなじみの言葉であろうが(笑)、どれも違う。「コラテラル・ダメージ」でもないし、「ダメージ」でもないなぁ。ところでこれらは、「モーゲージ」以外は実際の映画の題名で、しかもそのうちひとつは同じトム・クルーズ主演である。だが、「ジャック・リーチャー」を原題とする映画は上記のいずれでもなく、調べてみて思い出したことには、2012年の「アウトロー」という映画であった。これが私の手元にあるその映画のプログラム。
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な、なんだよこれ。「ジャック・リーチャー」という題名じゃないの。どこが「アウトロー」ですか。シリーズ化するのが分かっていたのなら、最初から主人公の名前である「ジャック・リーチャー」を邦題にすればよかったのに(笑)。このブログで映画を題材に採り上げる際には、必ず原題を併記しているが、それはこのようなケースに有用だと思うからである。実はこの「アウトロー」という題名は、リー・チャイルドによる原作の邦題であることも知っているので、あまり深追いすることはしないが、やはり邦題だけ見ていると、何年も経ってからどのような映画であったかを覚えているのは難しいことの、ひとつの例であると思う。ところで、この主人公の左ほほの傷、本作でもずっと存在していたので、トレードマークなのであろうか。

さてこの映画、大変面白いひとつの特徴がある。それは、予告編が、本編の冒頭部分ほぼそのままになっている点だ。コーヒーショップで暴力沙汰を起こして逮捕される主人公が、すぐに立場を逆転させ、保安官が逮捕されるというエピソード。
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正直、このエピソードが、その後展開するリーチャーと女性少佐スーザン・ターナーの逃避行とどう関わるのか、映画を見ているだけでは判然としない点もあるが、導入部分としてはなかなかに鮮やかだし印象的である。映画の持ち味を最初の数分で設定してしまうのは、かなり巧みな手法であると思う。スーザン・ターナー役を演じるのはコビー・スマルダーズ。「アベンジャー」シリーズのマリア・ヒル役で知られる。
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この女優は、スタイルもよく、なかなかに精悍な感じなのであるが、ちょっと男勝りを表面に出し過ぎるキャラクター設定ではないか。男女の逃避行であるにも関わらず、ロマンティックなシーンは皆無。自立した女としてリーチャーを誘惑しているように見えるシーンもあるが、爽やかなまでに色気がない(笑)。今日の女性軍人像は、こんな感じにするしかないのでしょうかね。それから、ロマンティックな設定がないもうひとつの理由は、逃避行に若い女の子が一緒であることにもよる。15歳という設定のこの女性サマンサを演じるのは、ダニカ・ヤロシュという若い女優で、もともとダンサーからミュージカル女優という経歴の持ち主らしい。だが、うーん、正直、ここでも守ってあげたくなるキャラクターにはあまりなっていないのが、残念と言えば残念。ところでこの三人は疑似家族のようであり、それがこの巨悪を描く映画の寒々とした設定を、多少なりとも和らげている。いわば、昔の「妖怪人間ベム」みたいなものか???
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ここで「ジェイソン・ボーン」と少し比較してみよう。トム・クルーズはマット・デイモンよりも8歳年上の、今年54歳。だが、「ミッション・インポッシブル」シリーズでもハードな演技を自ら行っている。ここでも体を張った演技をしていて、さすがである。「ジェイソン・ボーン」でのマット・デイモンと同様、ここでのトム・クルーズも、上半身裸のシーンを何度も披露していて、女性ファン必見であるが(笑)、だがマット・デイモンの硬派なイメージに対してトム・クルーズは二枚目キャラであり、それゆえのユーモアのセンスもあるように思う。また、ここでも銃撃戦、カーチェイス、そして肉弾戦と、お定まりのアクションシーンがあれこれ出て来るが、敵がITを駆使して追跡してくる手法は、携帯電話の発信とか盗難クレジットカードの使用くらいで、「ジェイソン・ボーン」よりは古典的である。それ、走って逃げろ!!
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それにしても、「ジェイソン・ボーン」とこの映画の重要な共通点は、米国の巨大な権力が他国を巻き込んだ大きな不正に関与しており、邪魔者はどんどん消すという設定である。個人の力でそれに立ち向かうという設定も共通で、もちろんそれなりにカタルシスを感じる要素はあるものの、何か救いのなさが常につきまとうような気もする。もし高い地位にある者が不正を働いている場合、その部下としての自分は、一体いかに振舞えるのか。映画のように本当に殺人が頻繁に起こる極端なケースではなくとも、社会の中に生きていれば、日常にそれに似た性質のケースがないとはいえない。絶対的な悪を描くことが難しい時代だとは言えるであろう。

この映画の監督はエドワード・ズウィックという人で、フィルモグラフィーには本作を入れて11作品が並んでいるが、代表作は「ラスト・サムライ」だろう。トム・クルーズとは気が合うのだろうか。素晴らしい才能とまで言えるか否かは分からないが、手堅い手腕の持ち主ではあろうと思う。これは本作のプロモーションで来日したときのツー・ショット。
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ところで、本作もいずれ飛行機の中で見ることができるかもしれないが、その場合、恐らくカットされてしまうであろうシーンがある。だがそれは、飛行機の墜落シーンではなく、乗客に真似されては困ることなのだ。一体どんなシーンか、これからご覧になる方は是非ご注意を。あんなことすると、走って逃げるなんて無理だと思うけどなぁ・・・(笑)。だが、カットされてしまうときっと、映画としてのつながりが破綻してしまうので、やはり映画は劇場で見るべきであると改めて思います。

by yokohama7474 | 2016-11-18 01:13 | 映画 | Comments(0)

ジェイソン・ボーン (ポール・グリーングラス監督 / 原題 : Jason Bourne)

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現代ハリウッドを代表する俳優、マット・デイモンが主演を務める「ジェイソン・ボーン」シリーズの新作。当然大ヒット間違いなしと思っていた。ところが、このブログでは同様の例を何度も書いているような気がするが(笑)、ふと気が付くと、封切1ヶ月にして既に上映している劇場は都内でも数えるほど。そんなはずはないだろうと思いながら、ほかの予定との兼ね合いを懸命に考え、ちょっと無理をしてなんとか見ることができた。実際に見てみると、あまりヒットしなかったのもなんとなく分かるような気もするし、一方で、それはもったいないという気もする。たまたま似たようなタイプの映画で、こちらはトム・クルーズ主演の「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」の封切も始まったという事情も関係しているのだろうか。だが、私がこの「ジェイソン・ボーン」を鑑賞した際には、そこそこ人が入っており、やはり私と同じように「そんなはずはない」と呟きながら劇場に急いだ人たちもそれなりにいたということだと思う。

さて、「ボーン・アイデンティティ」(2002)に始まるこのシリーズ、「ボーン・スプレマシー」(2004)、「ボーン・アルティメイタム」(2007)の3作に加え、監督・主演は異なるものの、同時進行する物語として「ボーン・レガシー」(2012)がある。私は最初の3作は見ているが、正直なところ、作品と作品の間に時間が空きすぎたきらいがあり、主人公ボーンが過去の記憶を失い苦悩する場面はもちろん覚えているものの、なんとか計画という固有名詞までは覚えておらず、シリーズ物の場合はそのような点がどうしてもネックになるケースがある。現代人はなかなか忙しく、実に多くのログインIDやパスワード(しかも業務に関係するものはそれを定期的に変えて行く)を、いちいち覚えていなくてはならない。それに加えて加齢という不可避の要因もあり、15年近くに亘って続く映画のシリーズの内容詳細までは、どうしても覚えていられないのが厳粛な事実である(笑)。なので、映画の冒頭に出てきてかなり暴れまくるニッキー・パーソンズという女性(演じるのはジュリア・スタイルズ)が、やけにボーンとなれなれしいと思ったら、後で調べてみて過去3作すべてに出演しているキャラクターであったと判明。でも本当に覚えていませんでした!!
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この映画のある意味で潔いところは、過去のシリーズを冒頭でおさらいするという気遣いのない点であるとも言える。こういう時代だから、過去の作品について調べ、必要あれば作品本編を鑑賞することも極めて簡単なことだ。でも、やはり作り手としては、過去のシリーズがどうであれ、この作品で勝負しようという思いは当然あるであろうから、ここはひとつこちらも、この作品だけをじっくり見てみようではないか。

というわけで、私の期待は、今回初登場するキャラクター、CIAのサイバー部門を束ねる若きエージェント、ヘザー・リーに集まるのである。
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この女優は誰だろう。実は、私もこのブログにおいて「コードネーム U.N.C.L.E.」や「エクス・マキナ」の演技を絶賛したスウェーデン出身のアリシア・ヴィキャンデルだ。私は見ていないが(そして今度も多分見ないだろうが)、「リリーのすべて」でオスカーの助演女優賞を獲得した実績を持つ。
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だが、正直なところここでの彼女は、役柄上、溌剌としたところを出すシーンがなく、本来の持ち味が出ていない上、カッコいい女性エージェントで新境地を開いているようにも思われない。クールでありながら実はハートがあり、でもそれも本当のところは出世欲によるものかもしれない、という複雑な役柄であるが、笑顔を見せるシーンは一度もない。映画全体にセットされたハードボイルドなトーンにおいてはそうなるのかもしれないが、もし複雑な役柄を表現したかったら、監督のポール・グリーングラスは、彼女を一度くらい笑わせてみてはいかがだったろうか。

その点、彼女の上司を演じるトミー・リー・ジョーンズはさすがである。この人独特の人間味と、社会の中で責任を全うしようとするがゆえの冷酷性をよく表現していて、見事。
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それから、敵役のスナイパーを演じるのは、フランスを代表する名優、ヴァンサン・カッセル。
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フランス人の英語は通常、大変な癖があるので、ハリウッド映画では「フランス人」としての役を演じる場合が多いが、この映画の場合は国籍はあまり関係なく、心なしか彼の英語も、以前より上達したように聞こえる(笑)。まあ、スナイパーだから、ベラベラ喋りまくるという設定にはなってはいないのですがね。ここでの彼の演技は、狂人的な要素はそれほどなく、主人公が迎え撃つ最強の敵という圧倒的な存在、ということでもない。だがもちろん、ヴァンサンの演技はなかなか渋くてリアリティがあることは確か。

そんな役者陣の中で、相変わらず役のイメージをクリアに伝える演技をするのが、主役のマット・デイモンだ。彼も既に46歳。このシリーズの最初の頃よりは、この役を演じるための肉体的ハードルは上がっているのは確実だろう。実際インタビューの中で、久しぶりのボーン役について、お気に入りのキャラクターだから役作りは苦にはならないが、自分の年齢で鍛え上げた肉体を作るのは大変なことだったと白状している。だが、このようなシーンにおいて、肉体美そのものというよりは、全身から発する「気」のようなものでその人物の強さを表現できる俳優は、そうそういないと思う。
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そしてこの映画、銃撃戦にカーチェイス、それに肉弾戦と、ある意味ではお定まりのアクション映画の要素が一通り詰め込まれているのであるが、ひとつ新味があるとすると、ITを駆使して、ハッキングがどこで行われているか、目指す相手がどこに潜んでいてどこに向かっているか、そういったことが遠くのオペレーションルームからすべて手に取るように分かるということだ。これをされてしまうと、逃走する主人公たちが絶体絶命の状態にあると感じることができて、その点では効果的であったといえる。だが、振り返って考えてみるとこの映画、かなり地味な内容なのである。CIAのなんとか計画がどんなものであれ、そこで明かされる謎に驚天動地ということにはならないし、善悪が大きく逆転することもなく、「ああ、こういう組織ならそういうこともありそうだね」くらいであると言ってもよいだろう。そして、CGを使いまくる昨今の映画における敵役が、クライマックスでど派手な最期を用意されているのに対し、その点もこの映画は古典的かつ、本当に決着がついたか否かすらも判然としないくらい、あっさりしている。そういった要素を考えると、あまりヒットしない理由も分かるような気がしてくるのだ。

ただ、この時代になってくると、誰のために戦うのか、世界をどう変えられるのか、悪に立ち向かうにはいかなる決断が必要なのか・・・そういった事柄について、大勢で同じ価値観を共感できるような楽天性は、もう描けないのかもしれない。そういえば、上で触れたアリシア・ヴィキャンデル以外でも、ここに出ている俳優には、おしなべて笑顔がない。上のポスターによると「新章始動」とあるので、ここからまたジェイソン・ボーンの新たな戦いのシリーズが始まるのであろう。しょうがない、このボーンの真剣な表情に免じて、その戦いにお伴するとしよう。でも、またあまり間を空けての制作になると、今回の内容を忘れてしまいます!!早く次を撮って欲しい。
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by yokohama7474 | 2016-11-17 00:41 | 映画 | Comments(0)

長崎旅行 その3 原爆資料館、浦上天主堂、平和祈念像、大浦天主堂、グラバー園、日本二十六聖人殉教記念館

午前中に軍艦島への上陸ツアーを終えた私たちは、残る午後の時間を長崎中心部の観光に充てることとした。長崎に来れば、やはりここを訪れないわけにはいかない。原爆資料館だ。駐車場の横にはこのような彫刻が立っている。
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広島の原爆資料館も最近リニューアルされてから未だ行っていないが、この長崎の資料館も初めてだ。1996年に建てられた近代的な建物。
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このような場所は、日本人が暑い真夏に過去の惨禍を思い出すというだけではなく、正しい歴史認識に基づいて国際的にメッセージを発信することができる場所であるべきだと思う。もちろん歴史認識自体が、ともすれば立場によって相対的なものになってしまうことは否めないものの、少なくとも事実を積み上げることで、起こってしまった悲劇を冷静に見つめることができるだろう。入り口からこのようならせん状のスロープを下りて行くが、徐々に時間を遡り、展示室の手前で1945年に立ち返ることとなる。オバマ大統領からのメッセージが展示されている。願わくば、「日本も核武装してはどうか」と公言する米国の次期大統領にも、もちろん、ここと広島を訪れて欲しいものだ。
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そして、展示室で最初に目に入るのが、1945年8月9日の「その時」で永遠に停まってしまった時計である。
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ここには、原爆の惨禍の証人としての数々の痛ましい展示物が並んでいるが、ショッキングなのは、瓦礫と化した街の様子の一部が、当時のモノクロの映像とともに再現されていることである。中でも、爆心地近くで大きな被害を受けた浦上天主堂の実物大模型は、見る人を震撼させる。そのリアリティは、子供たちでもよく理解できるような展示になっている。
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とてもここに載せられないような、まさに目をそむけたくなるような展示物も多いが、原爆の威力の凄まじさが分かる一例をご紹介しよう。これは、爆心地から4.4km離れた地点で撮影された写真だが、兵士が屋上から梯子を下りてきたところで熱戦を浴び、光が当たった部分のみコールタールが溶けて、陰になった部分が壁に残ったもの。
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もちろん、被害の悲惨さのみが展示の主眼ではなく、当日どのように爆弾が投下されたのかの検証や、原爆自体についての解説もある(以下の写真は、投下された原爆「ファットマン」)。また、1945年当時についてだけでなく、その前に日本がいかに戦争に踏み込んで行ったのか、また戦後の世界において核の脅威がどのように拡散し、現在存在する核兵器の量はいかなるものか、核軍縮の努力がいかに続けられているか、といった点についても展示物が沢山並んでいる。つまり、過去の惨禍を被害者として嘆くのではなく、過去へも未来へも視線を投げかけている真摯な展示方針に強く打たれるのである。日本人だけでなくあらゆる国の人たちに(欧米だけでなくアジア近隣諸国の人たちも)、特に施政者には見て欲しい場所だ。
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そして、浦上(うらかみ)天主堂を訪れた。その起源は1879年の小堂建設にまで遡るが、大聖堂は1914年に完成。後述する、長崎で処刑された二十六聖人の殉教に捧げる教会として設立された。上述の通り原爆で甚大な被害を受けたが、1959年に再建。資料館で見た聖人像が、今も入口横に立っている。
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これが被爆時の写真。なんとも痛ましい。
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現在では立派に再建されてはいるものの、被爆した彫像類が多く展示されていて、ひとつひとつを見るのは本当に心が痛い。中でも、堂内、入り口を入って左の小礼拝堂に安置されている「被爆のマリア」は、正面祭壇の最上段に安置されていた木造のマリア像の頭部で、瓦礫の中から奇跡的に発見されたもの。焼け焦げてなお、空洞の眼窩をもって戦争の惨禍を静かに語り続けている。これを見て鬼気迫るものを感じない人はいないだろう。
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それ以外も、様々な破損物が展示されている。私は特に、キリスト磔刑像のバラバラ遺体を痛ましいと思った。
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痛ましい心を少しでも鎮めたくて、平和祈念公園へ移動し、平和祈念像を見た。著名な彫刻家、北村西望によって1955年に作られた巨大彫刻である。垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているということらしい。骨太な、よい彫刻であると思う。空が白々しいまでに青い。
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次に向かった場所は大浦天主堂である。これはキリスト教の教会として唯一国宝に指定されているもの。この旅行で幾つもの教会を見てきたが、さすがにこれは美しい教会である。実はこの教会の建造は、明治維新に先立つ1864年。フランス人によって建てられたので、当初は「ふらんす寺」と呼ばれたらしい。全国的には江戸時代の最末期までキリスト教が禁止されている中、江戸時代を通じて世界に向けて開いた窓であった長崎には、このような素晴らしい教会が建てられたとは本当に驚きだ。
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冷静になって考えてみると、来年2017年は大政奉還150周年。ということは、この教会は150年以上この地に建っていることになる。建設当時の貴重な写真が残っているが、その外見は現在と違っているので、150年の歴史の中で手を加えられてきたということだろう。因みにこの写真を撮影したのは、日本最初の写真館を開いた上野彦馬である。
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因みに内部はこのように美しい空間。この中にいるだけで、日常の垢が落ちて行くような気がする。実に清浄な場所なのである。
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ここにいると時間を忘れてしまうのだが、まだ見なければいけない場所がある。この大浦天主堂に隣接している、グラバー園である。港を見下ろす丘の上にまで、何軒もの西洋人の旧居が連なっている場所だ。大浦天主堂の横から入ると、エレベーター風に上に上がって行く動く歩道を乗り継いで、丘の上まで昇って行くことになる。
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この場所の名前の由来となっているトーマス・グラヴァー(という表記が正しいが、慣例に従い、以下「グラバー」と表記)は、スコットランド出身。1859年に来日し、幕末の志士たちへの援助を惜しまなかったと言われている。まぁ、明治維新の歴史的評価については最近では様々な言説があり、例えば坂本龍馬とグラバーの関係についてもいろいろ書物も出ているし、何よりグラバー自身がフリーメーソンのメンバーであったことから、陰謀説にも結び付いていることも私はよく知っている。だが、そのあたりはよしとして、ここに存在する歴史的建造物(多分グラバー邸以外は、長崎の中のほかの場所から移築されてきたものであろう)を見ながら、日本が近代化に邁進した頃に思いを馳せようではないか。

まず、丘の上に建っている建物は、旧三菱第2ドックハウス。船が造船所で修理されている間に乗組員たちが宿泊した施設である。対岸に三菱造船所を見下ろす建物の前は見晴らしもよく、たたえられた水が大変に心地よい。
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少し下りて行くと、往年の名ソプラノであり、日本人歌手として初めて世界的に活躍した三浦環(みうら たまき、1884-1946)の像がある。これは言わずとしれた彼女の当たり役、プッチーニ作曲になる「蝶々夫人」である。港を見下ろす丘の上からピンカートンの帰りを待ち望みつつ、「ある晴れた日に船が見える」と歌う名アリアが響いてくるような気がする。そしてここにはまた、作曲者プッチーニの肖像も掲げられているのだ。
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そしてこれは旧リンガー邸。重要文化財に指定されているだけあって、素晴らしい建物だ。
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この館の主、フレデリック・リンガーは、グラバー商会に勤務後、リンガー商会を設立。貿易のみならずホテル・製茶・製粉・上水道・発電など幅広い事業を行った英国人。うむ。長崎名物チャンポンを中心に展開するレストランチェーン、リンガーハットは、もしかして彼の名前に由来するものなのではないか。だが、実はこの館の中の展示は、チャンポンに関するものではなく(笑)、知られざる日本人オペラ歌手に関するものなのだ。その名は喜波貞子(きわ ていこ 1902-1983)。
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私も寡聞にして彼女の名前は知らなかったが、三浦環より一世代下であり、やはり蝶々夫人役をはじめとして、世界的に活躍したソプラノ歌手であるらしい。顔を見ると分かるが、純粋な日本人ではなく、祖父はオランダ人なのである。ここの展示では、彼女自身が記録として残した世界各地での活躍の様子を示す雑誌の切り抜きや衣装などが並んでいて、興味は尽きない。また、彼女の人生を辿る説明書きも懇切丁寧だ。彼女の評伝が出たら読んでみたい。
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尚、このリンガー邸の横には、英国人居留地にあったフリーメーソン・ロッジの石柱が立っていて、興味深い。
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さて、リンガー邸の横には、これもやはり重要文化財のオルト邸が建っている。敷地面積で言えば、恐らくこれがこのグラバー園で最も広い屋敷であろうし、ギリシャ神殿風のファサードを持つ、なんとも雰囲気のある建物なのだ。尚、大河ドラマ「龍馬伝」で余貴美子が演じた大浦慶は、この屋敷の主、ウィリアム・オルトのビジネス・パートナーであったとのこと。
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それから、興味深いのは、日本で初めての西洋料理店である自由邸の建物が残っていて、今も喫茶店として使われている。
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さて、いよいよ本命、グラバー邸である。これも重要文化財であり、大変に見応えのある建物なのだ。1863年に建てられた、現存する日本最古の木造洋風建築。昨年、産業革命遺産のひとつとして、世界遺産に登録された。なぜかここには、コスプレを楽しむ人たちも(笑)。
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実際にグラバーという人が何を求めて日本にやって来て、どのような活動を展開したのかについては、諸説あるようだ。善玉悪玉を議論すると、なかなか難しい点もあるだろう。だが、間違いなく彼は日本の近代化に貢献のあった人物であると思われる。真偽のほどは知らないが、屋敷の中には、幕末の志士をかくまうためという隠し部屋がある。
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彼はツルさんという夫人を娶り、息子を得たが、その名は倉場富三郎(くらば とみさぶろう)。「くらば」はもちろん「グラバー」の当て字である。実業家でもあり水産学者でもあったそうだが、終戦直後に自殺してしまった。スパイ容疑がかけられていたとも言われているらしい。
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内部の展示で興味を惹くのは、この狛犬(2匹一対のうちの一体)だ。
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実はこれ、キリンビールのラベルのもとになった彫刻。実はグラバーは今日のキリンビール社の前身の社長を務めた人で、麒麟の口髭は、グラバーをモデルにしたと言われているらしい。キリンビールが三菱系の会社であると知らない人も多いかもしれないが、実はそうなのである。

そんなわけで、グラバー園にある西洋人の旧居の数々をを楽しんで外に出ると、このような広告が目に入った。先般までレストランであったようだが、今は売りに出されている。だが、なになに、1860年に建てられた日本最古の木造洋風建築だって? じゃあ、グラバー邸の立場はどうなる???なかなか瀟洒な建物であることは確かだが。
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さて、旅の終わりに向かったのは、西坂公園というところにある、日本二十六聖人殉教記念館。これは、1596年、豊臣秀吉の命によって処刑された、6人の宣教師と20人の日本人キリシタンのこと。京都と大坂で捉えられた信者たちは、長崎までの1,000kmの道のりを歩かされ、この地で磔となった。この事件はヨーロッパでも大きく取り上げられ、17世紀フランスの版画家ジャック・カロ(音楽ファンの方は、彼の版画がマーラーの交響曲第1番第3楽章のインスピレーションのもとになっているのをご存じだろう)もその光景を描いていることは、以前もこのブログでご紹介したことがある(4月14日付、カラヴァッジョ展に関する記事)。
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このことによりこの26人の殉教者は聖人に列せられることとなり、前述の浦上天主堂も、彼らを悼むために建造された。彼らが処刑された地には、現在ではこのような彫刻がある。1962年、日本を代表する彫刻家、舟越保武によって制作されたもので、その場の空気にはどこか凛としたものが漂う。
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そしてこの彫刻の裏側に、この二十六聖人の殉教に関連する資料を収めた資料館があるのである。
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この資料館の内容は非常に充実していて、私のようにこの時代のキリシタンに興味を持つ者にとっては、なんとも見応えのあるものなのである。これら殉教者の遺骨は、外国で保管されていたものが、近年里帰りしたとのことで、この資料館の2階に祀られている。歴史の荒波の中で散って行った命であるが、そこには信仰による恍惚があったのであろうか。人間である以上、神の栄光のためと割り切って死出の旅に出ることにはやはり、大きな葛藤があったのではないか。殉教者たちは黙して語らないが、今を生きる我々としては、このような場所において歴史を正しく認識することで、様々なことを学ぶことができるように思う。・・・と、神の啓示がガツンと私の身に降りかかったような気がしたのである。

そんなわけで、2日間の長崎の旅、大変充実したものになった。もちろん、最近復元が進んでいる出島や、国宝建造物のある黄檗宗の崇福寺、眼鏡橋や丸山花街、また亀山社中など、今回見ることができなかった名所も多い。できればまた長崎を再訪し、この街の持つ意義や情緒をさらに味わいたい。とりあえず今回の旅で購入したガジェット類は、川沿いの我が家の「世界遺産コーナー」の一角に収まることとなったのである。
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by yokohama7474 | 2016-11-16 01:48 | 美術・旅行 | Comments(2)