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マリアンヌ (ロバート・ゼメキス監督 / 原題 : Allied)

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この映画の題名は、主人公である夫婦のうち、妻の方のファーストネームである。ところが原題はそれとは似ても似つかぬ、"Allied" という言葉。うーん。これはどう見ても人の名前ではないし、そもそも「マリアンヌ」と「アライド」は、響きが違いすぎるではないか!! それもそのはず、"Allied" とは、「同盟を組んだ」という意味の形容詞であって、人の名前ではありません (笑)。つまりは、ここで登場する男女が志をともにし、ともに闘う関係であるか否かを問う題名ということであろうか。もちろん、第二次世界大戦でナチス・ドイツと闘ったのは連合国、つまり Allies であった。映画の内容に鑑みると、二人とも連合国側の人間であったのか否かという点を題名で問うているのかもしれない。これはなかなかに凝った題名であり、まさか邦題を「同盟」とするわけにもいかないし、「絆」などと訳してみても、やはり違う。実に日本の配給会社泣かせの題名であり、そうすると「マリアンヌ」というフランス女性の名前を題名にする案には、一理あるかと思います (笑)。

予告編によると、愛する妻がスパイであるとの情報を受けた夫が疑心暗鬼にとらわれるという内容であると理解されるが、だが観客は、冒頭から間もない場面でこの女性が、そのようなイメージにふさわしい一般のかよわい人ではないことをすぐに知ることになる。そして訪れるこのシーン、この程度はネタバレではないと勝手に自分に言い聞かせるが (笑)、なかなかカッコよかったですよ。
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ブラッド・ピットとマリオン・コティヤールというビッグな組み合わせを主役に据えた映画であるし、監督が名匠ロバート・ゼメキスであるから、まず大きく期待を外れることはないだろうと思って見たのだが、見終わったあとの感想は若干複雑だ。あまりストーリーをひねりすぎない点には好感が持てるが、その一方で、戦争という特殊な状況におけるスパイ活動という設定において、個人が持つ感情に、どこまで思い入れをすべきであるのかよく分からないきらいがある。つまり、現実の世界ではこれに近い話はもしかすると実際にあったかもしれないし、それはそれは切ない物語なのではあるが、数知れない命が犠牲になった痛ましい大戦争の中で、愛という個人の感情が人間の行動を支配するファクターになりえたか否か、ということである。多くの場合、現実はもっともっと悲惨であったのではないか。すなわち、自分たちの敵と判断すると容赦なく相手の命を奪うその同じ人間が、自らの愛する家族の命については、絶対に奪われてはならないかけがえのないものと実感するということは当然あったろうが、21世紀の我々がそれを見て、主人公たちが絶対的に正しいと言えるのかどうかと、私は考え込んでしまったのであった。もちろんそのような違和感さえ拭ってしまえば、感動的な映画であることは間違いない。冒頭のモロッコの砂漠にブラピが落下傘で降り立つシーンのテンポ感と高低差の表現は素晴らしかったし、砂漠の車の中のラブシーンでは、現実を超えて砂嵐が命を燃え立たせるという描き方になっていて、映画的感興があった。慌ただしいネットも携帯電話もない戦時中、迫りくる危機に全身でぶつかっていく主人公たちの姿には、余計なものがなく、好感が持てる。つかの間のパーティのシーンでは、奇しくも昨年公開された「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」のシーンと同じく、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」が高らかに流れる。だが違いは、かの映画でこの音楽に乗って踊るのは夫ひとりであったが、ここでは夫婦揃ってのダンスになる点である。
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魔法も使えず超人的な力もない個人としては、歴史の大きな歯車に逆らって個人的な思いで国に楯突くことは、極めて難しい。だからこそ、そのような主題が映画になりうるとは言えるだろう。勇気ある行動は、たとえそれが最終的に悲劇に終わっても、人の心を動かすものである。その一方で、では個人的な正義感さえあれば、同じ人間である敵の命を情け容赦なく奪うことは果たして許されるのか? これは重い問いである。私の見るところ、この映画では、夫はそのような非情さを持ち合わせていて、目的のためには手段を選ばないが、妻の方はそうではなく、敵に対するなんらかの哀れみの情を持ち、自己犠牲をも辞さない潔さがある。さて、人間としてどちらが正しいと言えるのだろう。そして、果たしてふたりの間には同盟は成立しているのだろうか。
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この二人の俳優、どちらも私はファンなのである。ブラピは私生活のトラブル (?) とは関係なく、一貫して問題作に出ているし、一方のマリオン・コティヤールは、フランス人にしては異例なくらい英語がうまい人であり、それゆえに多くの映画で活躍している。実際今も、この映画以外に「たかが世界の終わり」(これはフランス映画であり、彼女は珍しく (?) フランス語を喋っている) が公開中だし、もうすぐ公開される「アサシンクリード」にも出演している。昔の女優のような気品があり、芯のある女性を演じられる得難い女優であると思う。

監督のロバート・ゼメキスについては触れるまでもないと思うが、1952年生まれの 64歳。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで名を上げ、「フォレスト・ガンプ / 一期一会」でアカデミー賞を受賞。現代ハリウッドを代表する監督であり、前作の「ザ・ウォーク」はこのブログでも絶賛したし、その前の「フライト」も素晴らしかった。ただ、彼の作品には本当の意味でのドク、じゃないや毒はなく、その作風には過激さは皆無であるが、その真摯な制作態度には好感が持てる。彼のフィルモグラフィを見ていて気付いたのだが、この作品は彼としては恐らく初めての歴史ドラマ。手堅い手腕を発揮していると思う。
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平和な時代に暮らしている我々、いや正確には現代でも戦乱はあちこちで起こっているので、平和な地域に暮らしている我々というべきか、その我々がつい忘れがちな、平和を獲得し守るための代償。そんなことに思いを致すことになる映画である。上に書いたような疑問を疑問のままにしておける日常生活に、我々は深く感謝しなければならない。それゆえの複雑な感想である。

by yokohama7474 | 2017-02-28 23:04 | 映画 | Comments(0)

ミハイル・プレトニョフ指揮 東京フィル (チェロ : アンドレイ・イオニーツァ) 2017年 2月26日 オーチャードホール

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今回、東京フィルハーモニー (通称「東フィル」) の指揮台に立つのは、ロシアの名指揮者、1957年生まれのミハイル・プレトニョフ。もともとはスーパーなピアニストであるが、1990年にロシア初の私設オーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団を組織して自ら音楽監督に就任。指揮者としても活発な活動を継続しており、現在はこの東フィルの特別客演指揮者でもある。そのプレトニョフが今回指揮した曲目は以下の通り。
 ストラヴィンスキー : ロシア風スケルツォ
 プロコフィエフ : 交響的協奏曲 (チェロ協奏曲第 2番ホ短調) 作品125 (チェロ : アンドレイ・イオニーツァ)
 ストラヴィンスキー : バレエ組曲「火の鳥」(1945年版)

なるほどこれは、ロシア・プログラムだ。だがその中身は一味違っている。私はこのプレトニョフを、余人をもって替え難い大変な才人と思っているのだが、この演奏会では、その才人ぶりが見事に発揮されていた一方で、全体の仕上がりにはいささか課題も残ることになったように思う。
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最初の「ロシア風スケルツォ」は 4分程度の短い曲で、録音では大曲とのカップリングでしばしばお目にかかるが、実演での演奏は比較的珍しい。第二次大戦中、米国に暮らしていたストラヴィンスキーに、ポール・ホワイトマン (ガーシュインにあの「ラプソディ・イン・ブルー」を委嘱したバンドリーダー) が依頼して書かれている。この作曲家の軽音楽好みを表していてなかなかに楽しい曲なのであり、「ペトルーシュカ」を思わせる箇所もある。今回のプレトニョフは、最初に舞台に登場したときからなぜか疲れているというか、少し老けたようにも思われたが、音楽が鳴り出すとなかなかに楽しい流れを作り出していた。だが、この曲の唐突な終わり方に客席は戸惑いを隠せず、今日のコンサートのどこかに、その戸惑いの余韻もあったかもしれない。

2曲目のプロコフィエフの曲は、内容はチェロ協奏曲なのであるが、オーケストラがかなり複雑な音響を鳴らすため、交響的協奏曲という題名で呼ばれる。この作曲家のチェロ協奏曲第 2番なのであるが、実は、チェロ協奏曲第 1番の改作。なるほどそう言えば、ショスタコーヴィチの 2曲のチェロ協奏曲はそれぞれ一定頻度で演奏されるが、プロコフィエフのチェロ協奏曲は、この交響的協奏曲はともかく、第 1番はかなりマイナーである。もっともこのプロコフィエフという作曲家、交響曲第 4
番も、改訂によって作品 47と作品 127 の 2種類が生まれており、別の作品として認識されている。この交響的協奏曲は、20世紀後半の偉大なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの助言によって第 1番の協奏曲が大規模に改作されたものであるが、そのロストロポーヴィチは後年、小澤征爾指揮ロンドン交響楽団と共に録音している。素晴らしい名盤である。
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今回独奏チェロを弾いたのは、1994年ルーマニア生まれのチェリスト、アンドレイ・イオニーツァ。未だ 20代前半という若さである。2015年にチャイコフスキー・コンクールで優勝した実績の持ち主。
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この世代のチェリストにしてみれば、ロストロポーヴィチはまさに神のごとき存在であろうが、それに臆せずに曲の神髄に切り込んで行く姿が勇ましい。最初から最後まで激しく弾き続けることが求められるこの曲で、その伸びたり縮んだりする自在なチェロを縦横無尽に響かせて見事であった。時折、音が濁っても構わないという強い姿勢も見せながら、進んで行く音のドラマを劇的に表現してのけた点、若さの特権と言うべきか。そして面白かったのはアンコールだ。2曲いずれも本人の口から曲名が説明されたが、1曲目は珍しくグルジアの作曲家、スルハン・ツィンツァーゼ (1925 - 1992) の「チョングリ」という作品。ほんの数分の短い曲だが、全編弓を使わずにピツィカート主体で演奏される、抒情的かつ民俗的な曲。調べてみると、昨年この同じオーチャード・ホールで女優指揮者アランドラ・デ・ラ・パーラ指揮の NHK 交響楽団 (昨年 2月 2日の記事参照) と共演したやはり若手チェリストのナレク・アフナジャリャン (アルメニア出身。今日のソリストイオニーツァの前の回、2011年のチャイコフスキー・コンクール優勝者) も、以前この「チョングリ」を日本でアンコールとして弾いたこともあるようだ。アンコールの 2曲目は一転してスタンダードなバッハの無伴奏チェロ組曲第 3番からのブーレ。ここでイオニーツァは、模範的な正確なバッハというより、感興に満ちた自由な音の奔走を聴かせてくれた。ここでも再び同じ言葉を使うが、誠に若さの特権とも言うべきその音楽の自在さは、これから一体どこに向かって行くのか楽しみである。

さて後半は、ストラヴィンスキーの代表作のひとつ、バレエ音楽「火の鳥」である。だがここで演奏されたのは、普段なかなか耳にすることのない 1945年版。この曲の組曲には 3種類あり、これ以外には 1911年版と、最もポピュラーな 1919年版がある。その 1919年版と、今回演奏された 1945年版の、耳で分かる違いは以下の 3点だ。
・曲数が 5曲多い。それは「火の鳥のヴァリアシオン」と「ロンド」の間に入る 10分間ほど。
・序奏において 1919年版で響くチェレスタが、ここではピアノになっている。
・終曲で弦が朗々と歌う音型が短く切れている。
そういえば昔テレビで見た、作曲者自身が来日して NHK 交響楽団を指揮した「火の鳥」の映像では、終曲で弦の音が短く切れていた。調べてみるとそれは、やはり今回と同じ 1945年版。その演奏は 1959年のもので、今では DVD で見ることもできる。
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今回のプレトニョフと東フィルの演奏、一定の水準にはもちろん達していたものの、オケにはほんの少しミスもあり、音質はクリアではあっても、最大限の自在な流れがあったかというと、残念ながら少し違ったような気がする。プレトニョフがこの「火の鳥」を演奏するときはいつもこの珍しい版を使うらしく、譜面台に楽譜を置いたまま開くことなく暗譜で全曲を指揮する姿には確信は感じられたものの、オケの締め方が少し弱かったようにも思った。前述の通り、気のせいか少し元気がないようにも見えたプレトニョフであったが、彼ならさらに切れのよい音が可能であったはず。10月に予定されている彼の次の来日はを楽しみにしよう。ただ、次回もまたしてもロシア物が予定されているが、少し違うレパートリー、例えばブラームスの交響曲など振ってもらったらいかがであろうか。きっと面白いはず。

by yokohama7474 | 2017-02-26 22:25 | 音楽 (Live) | Comments(0)

アントニ・ヴィト指揮 新日本フィル (ピアノ : クシシュトフ・ヤブウォンスキ) 2017年 2月25日 すみだトリフォニーホール

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昨年の 10月 30日の記事で、ポーランドの名指揮者アントニ・ヴィト指揮の読売日本交響楽団の素晴らしい演奏会について書いた。それはフランスの名匠ミシェル・プラッソンの代役としてフランス音楽を指揮したものであったが、今回新日本フィルの指揮台に立って彼が披露したのは、母国ポーランドの音楽ばかり。結論から言ってしまうと、これは実に素晴らしい演奏会であり、東京の音楽水準の高さをまざまざと見せつけるとともに、今年 73歳になるこのヴィトという指揮者が、これからいよいよさらなる高みに達して行くであろうことを予感するに充分なものであった。
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ポーランドの指揮者というと、もちろん先般 93歳で亡くなった巨匠スタニスラフ・スクロヴァチェフスキを思い浮かべるが、彼は後年の活躍の場を米国・英国・ドイツなどに求め、米国籍を取得した人。その点このヴィトは、音楽監督のポストはもっぱら母国ポーランドで持っており、その分、国際的な活躍の割には知名度が低いと言えるかもしれない。ポーランドにはほかにも (作曲家として高名なクシシュトフ・ペンデレツキに加え)、カジミエシュ・コルト (1930年生まれ)、イェジー・マクシミウク (1936年生まれ)、ヤーツェク・カスプシク (1952年生まれ) などが現在でも存命または依然活躍中で、私もそれぞれに思い入れがある。あ、若手では将来有望なクシシュトフ・ウルバンスキ (1982年生まれ) もいる (彼は来月、旧北ドイツ放送楽団、現 NDR エルプ・フィルを率いて来日するが、私は残念ながら出張のため、聴くことはできない)。

さて今回新日本フィルに初登場したヴィトが指揮したポーランド・プログラムとはいかなるものであったのか。
 スタニスラフ・モニューシュコ (1819 - 1872) : 歌劇「パリア」序曲
 ショパン (1810 - 1849) : ピアノ協奏曲第 1番ホ短調作品 11 (ピアノ : クシシュトフ・ヤブウォンスキ)
 カロル・シマノフスキ (1882 - 1937) : 交響曲第 2番変ロ長調作品 19

なるほど、ショパンの協奏曲以外は、あまり演奏されない曲である。だがこの 2曲を堂々たる暗譜で指揮したヴィトの演奏によって、これらの曲の魅力は大全開であった。

最初の曲の作曲者、モニューシュコは、ポーランドの国民楽派を起こした存在で、母国ではショパンと並び称されているとのこと。今回舞台に現れたヴィトが、聴衆の拍手が鳴りやまないうちに振り返りざま指揮棒を振り下ろし、見事な音響が勢いよく流れ出したのを目撃して、以前 FM で耳にした、カルロス・クライバーがウィーン・フィルを指揮した「英雄の生涯」を思い出したものだ。とにかく音の広がりが素晴らしく、新日本フィルも技術的に完璧な演奏を繰り広げたのである。私も初めて聴く曲であったが、大変にドラマティックな曲で、聴きごたえ充分。ヴィトはワルシャワ・フィルとともにこの作曲家のバレエ音楽集と序曲集をナクソス・レーベルに録音している。この機会に聴いてみようと思う。これがモニューシュコの肖像。
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次にショパンのコンチェルトを弾いたのは、これもやはりポーランド人のクシシュトフ・ヤブウォンスキ。1965年生まれだから私と同い年。1985年、第 11回ショパン・コンクール 3位であるが、面白いのはこの時の入賞者の顔ぶれだ。1位 スタニスラフ・ブーニン、2位 マルク・ラフォレ、4位 小山実稚恵、5位 ジャン・マルク・ルイサダ。今日でも活躍している人たちが多いのである。
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彼が弾いたショパンの協奏曲は何が素晴らしかったかというと、この作曲者若書きのロマン溢れる名作を、いささかの感傷性もなく、完璧なタッチで弾き切ったことである。この曲の冒頭はオーケストラによる序奏が長くて、ピアニストが集中力を維持するのは大変であると思うが、いざピアノが登場となると、叩きつけるように激しく音楽を奏でるピアニストが多い。だが今回のヤブウォンスキは、むしろ切ないようなきれいな音で始めたのである。そして千変万化のその音色は、曲本来の持ち味を充分に出し切っていたと思う。静謐な第 2楽章も、やはりロマン的な情緒を抑えつつ、非常にピュアな音に終始した。それでいて、最初の長い節回しが終わって次に進む箇所では、音の質量が明らかに増していて、その巧みな音響設計に魅了された。第 3楽章では笑みを浮かべ、走りすぎることなく一定のテンポを守りつつ、自由な音を奏でていた。アンコールももちろんショパンで、ワルツ第 2番とノクターン第 20番。後者はあの名作映画「戦場のピアニスト」で使われていた曲だ。ここでもヤブウォンスキのピアノは淡々としながら情感あふれる、瞠目すべきものであった。私は何度かワルシャワを訪れたことがあるが、彼の心臓が埋め込まれている教会で、その激しくも短い人生に思いを致したものであった。その真実の姿は、力任せでもなく耽溺することもない演奏により、ここ東京で明らかにされたと考えたい。これはドラクロワ描くところの 28歳のショパン。
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そしてメインのシマノフスキ 2番。この作曲者の作品としてなじみがあるのは、2曲のヴァイオリン協奏曲や、ヴァイオリンとピアノのための「神話」である。交響曲もそれなりに聴いたことはあるが、この 2番を生演奏で聴くのは初めてだ。この曲は、ハンガリーの名指揮者アンタル・ドラティが晩年にデトロイト交響楽団と行った一連の優れた録音のひとつ (第 3番「夜の歌」とのカップリング) であるので、今回久しぶりにその CD を引っ張り出して予習して行った。2楽章からなる 35分くらいの曲で、今回のプログラムでは「ワーグナーを思わせる」とあるが、私の印象ではむしろロシアのスクリャービンに似ていると思う。このスクリャービンはシマノフスキの 10歳上、1872年生まれ。後年神秘主義にはまって行くが、初期のピアノ曲など聴いていると、まるでショパンのようである。ショパンの音楽から影響を受けたスクリャービンが、ポーランドの作曲家としてその後輩にあたるシマノフスキに影響を与えたとすると、大変面白いことである。ともあれ今回のヴィトと新日本フィルの演奏は、やはり技術的な課題はすべてクリアした名演であり、ウネウネと続く曲想を抉り出すように暗譜で指揮したヴィトは、まるで手の先から光線が出ているようにすら思われた。こんな演奏はそう滅多に聴けるものではないだろう。ダンディな作曲者シマノフスキも、自分の音楽が極東の地でこれだけクリアな音で鳴っているのを聴くと、満足するのではないか。
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そんなわけで、これから指揮者として真の円熟を迎えるであろうアントニ・ヴィトの音楽を、また早く東京で聴きたいものである。今日の東京は、このように地平線から雲がモクモク沸いてくるような不思議な天気であったが、ポーランド音楽の神髄を聴いた後では、こんな風景に神秘性を感じるのを抑えることはできなかった。まぁでも、電線が汚いなぁ (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-02-26 01:21 | 音楽 (Live) | Comments(0)

チレア作曲 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」(指揮 : ダニエル・オーレン / 演出 : デイヴィッド・マクヴィカー) 2017年 2月21日 ロンドン、Royal Opera House

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しばらく出張に出ていたので、井上道義と大阪フィルによる東京公演 (ショスタコーヴィチの 11番・12番!!) を聴けなかったし、パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 響による横浜公演 (マーラー 6番!!) も聴き逃してしまった。また、政府の方針によって始まったプレミアム・フライデーなるものの初回も経験できなかった。だが、出張の行先はロンドン。空いている夜があれば積極的に文化イヴェントを狙いに行くことが可能な大都市である。というわけで、なんとか見に行くことができた公演がこれ。イタリアの作曲家フレンチェスコ・チレア (1866 - 1950) によるオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」である。このオペラ、もちろん無名作品というわけでは全然なく、むしろ音楽ファンにはよく知られた作品と言ってもよいのだが、一般の人には恐らく全く知られていないし、何より私自身も、生で見るのは確か今回が初めてである。アリア「私は芸術のしもべ」(この曲の邦題にはいくつものヴァイエーションがあって、定着したものはないようだが) は知っているが、これがフランスの女優を主人公にした物語ということや、作曲者チレアの作品としてはほぼ唯一今日でも上演される機会に恵まれる作品であるということ以上のイメージはなかった。確か日本では、1970年代のイタリア歌劇団の来日公演の演目としても含まれていたはずと思い、調べてみると、1976年、カバリエ、コッソット、カレーラスという豪華メンバーで上演されていて、これが日本初演であったようだ。ほかには 1993年にボローニャ歌劇場の来日公演で、フレーニ、またもやコッソット、そしてP・ドヴォルスキーという顔ぶれでも上演されている。だが、来日する歌劇場の演目としてはそれほどポピュラーなものではないことは確かであろう。

作曲者チレアは、「道化師」のレオンカヴァッロより 9歳下、プッチーニより 8歳下、「カヴァレリア・ルスティカーナ」のマスカーニより 3歳下、「アンドレア・シェニエ」のジョルダーノより 1歳上。ヴェルディ以降のイタリア・オペラの主要な作曲家はこの世代、1850 - 60年代生まれに固まっているわけであるが、多くの作品が今も演奏されるのはただひとりプッチーニだけであって、ほかの作曲家は、上に記したそれぞれ 1作ずつによって歴史に名を留めているに等しい状況である。その意味ではこのチレアも、この「アドリアーナ・ルクヴルール」1作によってその名を残していると言って過言ではないだろう (ほかには、カレーラスがアリアを歌うことのある「アルルの女」という作品もあるが、全曲はほとんど演奏されない)。調べてみるとこのチレア、1950年まで生きたにもかかわらず、最後のオペラ作品は、この「アドリアーナ・ルクヴルール」の次の作品で、トスカニーニが 1907年に初演した「グローリア」という作品であり、現存するオペラ作品はたったの 5つ。寡作家であったのである。
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この「アドリアーナ・ルクヴルール」は 1902年に初演された作品で、伝統的なオペラの優美さとは異なる、激しい人々の生きざまを描くヴェリズモ・オペラに近い作品と位置付けられる。ただ、流れる音楽を聴いていて連想するのは、ほかのヴェリズモ・オペラというよりは、フランスのマスネの作品ではないだろうか。多彩な旋律美がここにはあって、退廃的とは言わないまでも、美麗ではある。フランスに実在した女優アドリエンヌ・ルクヴルール (1694 - 1730、オペラではイタリア語の発音で、ファーストネームがアドリアーナになる) をモデルにしており、オペラの設定通り、ザクセン伯モーリッツ (オペラではやはりイタリア語でマウリツィオ) という人と恋に落ち、ブイヨン公爵夫人に毒殺されたという説が本当にあるらしい。大変興味深いことに、このオペラの主要登場人物 3名にはいずれも生前に描かれた肖像画がある。つまり、いずれも当時から有名な (まあ、ルクヴルール以外は貴族だからある意味当然かもしれないが) 人たちだったのである。そのような人物が実名で登場するオペラは、あまりないのではないか。以下、順にアドリエンヌ・ルクヴルール、ザクセン伯モーリッツ、ブイヨン公爵夫人。
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そしてこのオペラの初演時のポスターはこれだ。この時代の雰囲気がよく出ている。モダニズムの香り。
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このように、17世紀フランス絶対王政期の宮廷での確執を、20世紀初頭のイタリアにおけるドラマ的感性で美麗に描いたオペラということになる。ラストで女性の主人公が死んで行くという点では、「椿姫」や「ボエーム」と同じだが、ひとつ大きく異なる点は、主人公が病気ではなく (あるいは「蝶々夫人」や「トスカ」のような自殺でもなく) 殺害されるということだ。その場には犯人は登場せず、通常のオペラにはあまり例のない終わり方なのであるが、不思議とカタルシスが不足する感覚はない。それはやはり音楽がよく書けているからではないか。脇役も多くて、多少ストーリーが無用に込み入っている感はあるものの、やはりなかなかの名作であると思う。

今回ロイヤル・オペラで鑑賞したものと同じプロダクションが、既に映像作品として市場に出ている。2010年の収録で、主演はルーマニア出身の名ソプラノ、アンジェラ・ゲオルギュー (私と誕生日が数週間違い)。共演はヨナス・カウフマンとオリガ・ボロディナで、指揮は英国人マーク・エルダーである。
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今回はその再演ということで 7回上演があるが、そのうち 5回が同じゲオルギューで、残りの 2回は、今回ロイヤル・オペラ・デビューとなったアルメニア人の若い歌手。その名は、Hrachuhī Bassēnz。うーん、上についているチョンのかたちが正しいのか否かもよく分からないが (笑)、フラシュヒ・バセンスとでも読むのであろうか。YouTube には彼女の歌う映像が幾つか見つかるが、名前の発音までは分かりません (笑)。ともあれ、その若い歌手が出演する上演を鑑賞することとなった。
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対するザクセン伯マウリツィオは、米国人の Brian Jagde。この姓の発音は、「ジャッジ」でよいのであろうか。彼は既にピンカートン役でロイヤル・オペラにはデビューしているようだが、やはり若い歌手。
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そしてブイヨン公爵夫人は、ウズベキスタン出身の Ksenia Dudnikova。うーん、これはクセニア・ダドニコワと発音するのでしょうか。彼女も今回がロイヤル・オペラ・デビュー。
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このようにフレッシュな面々が顔を揃える公演であり、まさに欧州の最前線で活躍する歌手たちを聴くには絶好の機会であった。結果的にはこの 3人、それぞれに優れた歌唱であったとは言えると思うが、ひとつには、ルクヴルール役は有名なアリア以外には意外と低い声で歌う部分が多く、あまり華麗な響き方にはならない。主役の華麗さはあまり出てこない点、このオペラがヴェリズモ的と言われるゆえんであろうか。マウリツィオ役は、舞台映えが今ひとつ。ブイヨン公爵夫人役は、強い声の持ち主であり、この 3人の中では最も印象に残った。そして今回指揮を取ったのは、イスラエル出身のダニエル・オーレン。1955年生まれなので、既に今年 62歳になる。オーレンの指揮は大変丁寧で、好感の持てるものではあったが、いかんせん、このオペラハウスのオーケストラは (以前も書いたが)、残念ながらやはり力不足。
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演出のデイヴィッド・マクヴィカーはスコットランド出身で、現在世界各地で活躍中。東京の新国立劇場でも、2010年から 2011年にかけて上演された、大野和士が渾身の指揮を聴かせた「トリスタンとイゾルデ」を手掛けている。決して奇をてらうことのないオーソドックスな演出であるが、4幕からなるこのオペラの各幕で共通して登場する建物の構造は、ルクヴルールの栄光と軌を一にするように、舞台の裏になったり表になったり、あるいは骨組みだけになったりするのである。
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さてここでいくつか、この公演に関連するトリヴィアを披露しよう。まず、主役のバセンスがアルメニア出身であることは上に書いたが、同国の首都はエレヴァン。私はその都市に出張で行ったことがあるのだが (日本人でここに出張する人は珍しいだろう 笑)、プログラムに掲載されているこのバセンスの経歴を見てみると、彼女が卒業した学校はコミタス (Komitas) 音楽院とある。また彼女は、アルメニア政府からコミタス・メダルを授与されたとある。コミタス・・・。おぉっ、その人物を主人公とした映画を私は見たことがある。1869年生まれ (つまりチレアと同世代の人)、1935年没。修道士であり作曲家であったアルメニア音楽の父と呼ばれる人。彼を描いた映画、その名もずばり「コミタス」は、1949年アゼルバイジャン生まれの映画監督、ドン・アスカリアンの 1988年の作品。彼のもうひとつの作品「アヴェティック」(1992年) も私は見ているが、いずれもタルコフスキーとの共通性を感じさせる神秘的な映画。だがこの「コミタス」、このような手作り感満載のプログラムしか作られなかったのである。
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それから、この「アドリアーナ・ルクヴルール」に登場するザクセン伯マウリツィオのモデルである実在のザクセン伯モーリスは、ポーランド王の息子。そしてこの人の曾孫が、あの有名なジョルジュ・サンドなのである。この後に記事を書く予定だが、今日聴いた新日本フィルのポーランド・プログラムでショパンとその恋人ジョルジュ・サンドに思いを馳せたばかり。ポーランドの生んだ最大の文化人であるショパンの恋人の祖先が、ポーランド王の子孫であったとは。うーん、歴史の綾って面白い。これがジョルジュ・サンドの肖像。
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最後のネタは、このオペラの中でルクヴルールがその台詞を語る、ラシーヌの悲劇「フェードル」である。この演劇の初演は失敗であったようだが、それは一世代上のフランスの悲劇作家、コルネイユの後援者の画策によるものであったらしい。そしてその後援者とはほかでもない、このオペラでルクヴルールの敵役であるブイヨン公爵夫人なのである!! これはラシーヌの肖像画。
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そんなわけで、絶対王政時代のフランスの豊かな文化と、現代において多くのオペラ歌手を輩出しているロシア・CIS 地域の豊穣さがミックスした、得難いオペラ体験となったのである。

by yokohama7474 | 2017-02-25 23:44 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ロッシーニ : 歌劇「セヴィリアの理髪師」(演奏会形式) マルク・ミンコフスキ指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢 2017年 2月19日 石川県立音楽堂

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金沢は私のお気に入りの街のひとつで、これまで何度も訪れている。加賀百万石前田家の城下町で、街には独特の気品がある。兼六園はもちろん素晴らしいし、地方の美術館としては異例の人気を誇る 21世紀美術館も大いに見る価値ありだ。また、泉鏡花と室生犀星というおよそ対照的な作家を輩出し、鈴木大拙と西田幾多郎という日本有数の思想家たちが同級生として勉強した街。これだけ文化の香り高い街に本拠を置くこのオーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) は、1988年に岩城宏之を音楽監督に迎えて活動を開始した室内管弦楽団である。当初より名門レーベル、ドイツ・グラモフォンと契約するなど、その能力は高く評価されてきた (現在では自らのレーベルを持ち、良心的な価格で数々の面白い録音を世に問うている)。この文化都市にこのユニークなオケが存在している意味は、限りなく大きい。また、いわゆる室内管弦楽団の活動にありがちな古典派のレパートリー偏重ではなく、コンポーザー・イン・レジデンスと称する制度があり、常に現代の作曲家に活動の機会を与えていることも特筆される。すなわち、古典から現代音楽までを広くカバーするのみならず、新たな音楽を作り出す意欲を持った、高水準の楽団なのである。今回私が東京から日帰りで聴きに行ったこの演奏会など、まさにこのオケらしい意欲的な試みとして評価できるし、ともすれば東京だけが文化・経済の中心になりがちなこの国において、改めてこのオケの存在価値を実感することができる機会となった。実のところ、以前鈴木大拙の「日本的霊性」についての記事を書いた際、「近く金沢に行って、この鈴木大拙と、西田幾多郎の記念館に行きたい」と述べたが、種明かしをするとそれは、この演奏会のチケットをその時既に買っていたからである。だが、安藤忠雄の設計になる西田幾多郎の記念館は街中から少し離れていて、アクセスが若干不便。レンタカーを借りようと思ったが、天気予報によると雪が降って荒れ模様とのこと。そんなわけで今回は泣く泣く、2つの記念館は諦めて、この演奏会だけに行くことにした。もっとも行ってみれば天気は穏やかで、金沢滞在時間の短縮が、ちょっと悔やまれましたが (笑)。

数年前、ラ・フォル・ジュルネ金沢をやはり日帰りで聴きに行ったときには、羽田から小松まで飛行機に乗り、そこからバスで金沢に移動した記憶がある。だが今や北陸新幹線はこの金沢まで開通しており、2時間半も乗れば着いてしまうのだ。新幹線「かがやき」に乗ると、東京を出ると大宮、長野、富山にだけ停まって、そして終点金沢だ。これは便利である。車窓から外を見ると、なんと埼玉県から富士山がかなりきれいに見える。
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もちろん新幹線に乗って行くうちに、長野県に入るとこんな景色になるのであるが (笑)。
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そして到着した金沢駅はこのようなモダンな装い。人が多くて大変に賑わっている。
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今回の演奏会の会場であり、OEK の本拠地である石川県立音楽堂は、この金沢駅に文字通り隣接。徒歩 1分である。これは交通至便と言ってよいだろう。現在の音楽監督、井上道義の顔をあしらった大きな宣伝が掲げられている。
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演奏に先立って、音楽ジャーナリストの潮 博恵 (うしお ひろえ) が舞台に登場して解説を行った。この方、私は存じ上げなかったのだが、1990年に当時のさくら銀行 (現三井住友銀行) に入行し、総合職として 10年間、法人向け融資・為替業務を行っていたという。銀行退職後には法律の勉強をして行政書士となり、現在でもご主人とともに合同会社うしお事務所という事務所で経営コンサルタント業務を手掛けておられるらしい。その一方、もともと大学では音楽学を専攻しており、国内外のオーケストラ、オペラ、音楽祭などの運営の実態を研究してきたとのことで、2012年にはマイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団についての著作を発表。それがきっかけで OEK を取材することとなり、その成果はやはり著作として世に問うておられる。私は常々、クラシック音楽というものが閉ざされた一部マニアのためのものではなく、実社会とのつながりの中でこそ生きてくると考えているので、今回知った潮さんの活動を大変興味深く感じている。尚、この日の解説の中で言及されたことには、今回の演奏会は、「世界における我が国オーケストラのポジション」という、文化庁による事業の一環として、国外からも評論家を招いてその演奏を鑑賞してもらい、2/21 (火) には大阪でシンポジウムが開かれる (既に終わってしまったが) とのこと。日本オーケストラ連盟のサイトで関連情報を見ることができるが、米・英・墺・仏・そして日本の評論家が 5つの楽団のコンサートを鑑賞したらしい。それは、① ヤルヴィ指揮 NHK 響、② 秋山和慶指揮 広島響、③ リュウ・シャオチャ指揮 九州響、④ 井上道義指揮 大阪フィル、⑤ このマルク・ミンコフスキ指揮 OEK の 5つである。このような文化庁の事業も不勉強にしてこれまで知らなかったが、近年進境著しい日本のオケの現状を国外にも知らしめるための手段として、非常に有効であると思う。本当はこのブログなども、英語で書けば海外発信できるのであるが・・・。

ともあれ、前置きが長くなったが、演奏である。2015年12月16日の記事で、東京都響を指揮したその演奏を大絶賛した指揮者、マルク・ミンコフスキ (1962年生まれのフランス人) に対する大きな期待があったからこそ、私はこの演奏会をわざわざ金沢まで聴きに行ったのだ。そしてその期待は、充分満たされたのである。現在この OEK のゲスト・プリンシパル・コンダクターの地位にあるミンコフスキ。
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もともとバロックを中心とした古楽の分野で名を挙げた人であるので、このようなロッシーニの歌劇には適性があると思っていたが、いやその自由自在な指揮ぶりから沸き立つ本当のロッシーニの音は本当に楽しく、そう滅多に聴けるものではない。もちろん OEK の個々の奏者のレヴェルが高いということも大きな成功要因であると思うが、ミンコフスキが何か魔術的な手腕で、全体の流れをぎゅっと決めてしまったような響き方であった。その上で、個々の場面での細かいニュアンスが見事に表現された。すなわちオーケストラパートは、この軽妙なロッシーニのオペラ・ブッファの演奏として、まず完璧と言ってよいほどの出来であった。

歌手陣は、世界の歌劇場に出演経験を持つ伸び盛りの若手歌手たちが中心で、国際的な顔ぶれだ。アルマヴィーヴァ伯爵は米国のデイヴィッド・ポーティロ。ロジーナはイタリアのレセーナ・マルフィ。フィガロはポーランドのアンジェイ・フィロンチク。バルトロはイタリアのカルロ・レポーレ。このうち圧巻であったのはバルトロ役のレポーレで、調べてみると昨年のリッカルド・ムーティ指揮のウィーン国立歌劇場来日公演の「フィガロの結婚」でやはりバルトロ役を演じていた。因みに「フィガロの結婚」はこの「セヴィリアの理髪師」の後日譚にあたる物語で、主要登場人物は同じであるが (ここで誠実にロジーナを口説く青年である伯爵は、後年やはり誠実に (?)、今度は配下の女性でフィガロの妻となるスザンナを口説くのである 笑)、このバルトロ (とバジーリオ) は、2作に同じ名前で登場し、その性格設定は似ているが、同一人物とするにはちょっと無理がある。だが、堂々たる声で笑いを取らなくてはならない、なかなかの難役という意味では 2作に共通する。今回のレポーレの歌唱は見事であった。それ以外の歌手たちもそれぞれ役柄に必要とされる個性を備えていて、聴きごたえは充分。ただフィガロ役のフィロンチクは、もっと声量があればよかったと思う。その他、バジーリオを歌ったやはり若い後藤春馬をはじめ、日本人歌手たちも大健闘。また、東京藝大出身者を中心にこの日のために結成された合唱団も (作品自体に合唱の見せ場がさほどあるわけではないが) 万全の出来であった。
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それから、演奏会形式とはいえ、細かい演技もそれなりにつけられていたが、演出は 1960年生まれのイヴァン・アレクサンダーという演出家の手になるもの。
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フランス人であり、その活動は主として母国であるので、ミンコフスキとは旧知の仲であるのだろうか。ジャーナリストでもあるらしく、ということは知性派であろうから、何か奇抜なことをするかもしれないと思ったが、演奏会形式という制限もあってか、作品の邪魔をするような過剰な演出は周到に避けられていた。舞台の奥 (オケの後ろ) や客席まで活用した、動きの多い演奏会であったとは言えるかもしれない。
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そんなわけで私は今、今後の OEK の演奏会と合わせて、いずれ金沢を再訪し、今度こそ鈴木大拙・西田幾多郎の両記念館に出かけることを画策し始めている。また、ミンコフスキのコンサートであれば曲目を問わず聴く価値ありと再認識したので、7月に都響を振りに来る (メインはブルックナー 3番) のを聴き逃さないようにしないと、と気を引き締めているところであります。それから、日本のオケの真価を世界に知らしめる活動には、今後にも期待したい。海外から日本のオケを聴くためのツアーがどっとやって来るような事態になると、チケット確保の観点からはちょっと困りますがね。ま、現時点では考えすぎかもしれないが、それだけの価値はあると思いますよ、実際。

by yokohama7474 | 2017-02-25 01:15 | 音楽 (Live) | Comments(0)

アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィル 2017年 2月18日 新宿文化センター

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東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) が、首席指揮者であり世界的にも有望なイタリアの若手指揮者、1987年生まれのアンドレア・バッティストーニの指揮で演奏したのは、ジュゼッペ・ヴェルディの「レクイエム (死者のためのミサ曲)」である。これを聴かずしてなんとしよう。ただ会場が若干珍しくて、新宿文化センターなのである。このホールにはかなり以前、小澤征爾指揮新日本フィルによるマーラーの 7番のコンサートを聴きに来たことは覚えているが、実際に足を運ぶのはそれ以来なのではないだろうか。因みにそのコンサートは、手元にプログラムを引っ張り出してきて確認したところ、1988年のこと。今回の指揮者バッティストーニが未だ 1歳の赤ん坊であった頃だ (笑)。堀口大井という人 (定期会員と書いてあるが、一般の人だったのだろうか) によるメチャクチャ詳細な曲目解説が、実に 11ページに亘って掲載されていたのも懐かしい。これが新宿文化センター。ホールとしては決して悪い音響ではないし、オルガンもある立派なホールだ。
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私はこの会場に辿り着くまで、このホールの選択はひとえに、サントリーホールが改修中であることが原因とばかり思っていた。ところがそうではなくて、このコンサートは、新宿区成立 70周年を記念するものなのである。そのひとつの象徴が合唱団で、新宿文化センター合唱団という名称を持つが、それはほかでもない、今回の公演のために一般公募によって結成された 270名の合唱団。昨年 7月から練習を重ねてきたという (合唱指導は山神健志)。なるほど道理で、合唱団メンバーの家族友人知人の皆さんが客席に多くいたわけで、メンバーが入って来たときに舞台に向かって手を振る人もいたし、私の周りでも、「あ、いたいた、右から○人目」などと言っている人もいた。おかげでチケットは完売御礼。そして、舞台に居並ぶオケと合唱団、そして独唱者はすべて日本人で、指揮者のバッティストーニのみが外国人という事態にあいなった。開演前に会場アナウンスで、新宿区長も鑑賞に訪れていることが告げられ、スポットライトが当てられて区長の紹介がされたが、スピーチの類はなく、すぐに演奏に入って行ったのは一見識であった。ちなみに、このような記念の機会には、通常はもう少し祝典的な曲 (典型例はベートーヴェンの第 9番であろう) が選ばれるのが普通であり、死者のためのミサ曲とは一見ふさわしくないようだが、後で述べるように、この曲に刻まれているのは、あらゆる人間の生と死のドラマなのである。都内でも有数の活発な人の動きを持つ新宿区にて、過去にここに生きた人、そして今生きている人、これから生きて行く人、すべての人のドラマが一般市民による合唱団によって歌い上げられるのだと思うと、大変意義深い演奏会なのである。

私はバッティストーニの才能を極めて高く評価する者であるが、過去にこのブログでも何度か採り上げた通り、すべての演奏を大絶賛というわけでもない。だが今回は、結論から先に言ってしまうと、大変に感動的なコンサートとなり、この曲の偉大さ、ひいては (月並みな表現だが) 音楽の素晴らしさをつくづく実感することとなった。そもそもこのヴェルディのレクイエムは、クラシック好きの人にとってはもちろんよく知る曲であろうが、このブログはクラシックに造詣のない方にも読んでもらいたいと思って書いている。その私は、ここで強く主張しよう。もしあなたがこの曲を知らないとすると、それは人生にとっての大きな損失。是非是非、いかなる手段でもよいからこの曲を聴き、何度も鑑賞を繰り返し、その偉大さを心の深いところで享受して欲しい。西洋音楽の頂点のひとつであるから。これが偉大なるオペラ作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの肖像。
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と書いてはいるが、この曲の冒頭の神秘性は、録音では決して真価が分からない。墓の底から湧き上がるようなかすかな低弦、そしてピアニッシモによる呟きのような合唱。こうして書いているだけでも、ゾクゾクしてきてしまうのである (笑)。今回の演奏でも、この冒頭の弱音はことさらに神秘的であり、この日の演奏を生で聴いた人だけが実感できた金縛りの瞬間と言えるだろう。そしてこの演奏においては、バッティストーニの指導力云々よりもむしろ、オケ、独唱、合唱すべての人々がこの上ない自発性を発揮して成し遂げた充実感を感じることとなった。実に彫琢豊かな演奏で、曲の個々の部分が持つ持ち味と深みを充分に表しており、合唱団の人たち (かなり年輩の方も多く含まれていた) にとっても、きっと生涯忘れられない経験になったことだろう。独唱の 4人は、ソプラノの安藤赴美子 (つい先頃まで新国立劇場で、名匠フィリップ・オーギャン指揮のもと、「蝶々夫人」の主役を歌っていた)、メゾソプラノの山下牧子 (深い声で常に安定感を示した。彼女も新国立劇場の「蝶々夫人」でスズキを歌っていたのである)、テノールの村上敏明 (予定された歌手がインフルエンザにかかり、急遽代役で登場したにもかかわらず、実に美しい高音を聴かせた)、バスの妻屋秀和 (いつもの通りの強い表現力)。いずれも素晴らしい出来であったが、中でもソプラノの安藤は、最終曲「リベラ・メ」の冒頭のソロでは、ついに楽譜を持つ片手を離して、体を屈しながら、深い感情を込めた歌唱を聴かせた。そうなのだ、この曲は古今のレクイエムの中でも最もドラマティックでありオペラティックな曲。人間のドラマこそが曲の命であり、感情の赴くままに自由なテンポ設定をする指揮者にオケも食らいついて行き、なんとも生々しい人生のドラマが展開した。繰り返しだが、これは全員の勝利であり、現代の東京で実現できる音楽の水準の高さを示すものであったろう。主演後のバッティストーニも、実に嬉しそうにしていた。
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今回バッティストーニと東フィルによるほかの演奏会に心当たりがなかったので、帰宅してから調べると、この「レクイエム」と、翌日に静岡県磐田市で演奏会を開くのみ。たった 2回の演奏会のためだけに来日したのだろうか。彼はまた 3月に東フィルの指揮台に戻ってくるが、イタリア指揮界若手三羽烏のひとりとされる人であるから、世界が彼を待っているはず。日本に長く滞在する可能性は低いのではないか。実は演奏中にふと気づいたことには、やはりこの三羽烏の一人とされるダニエーレ・ルスティオーニも、ちょうど今来日中のはず。二期会の「トスカ」と、それから東京都交響楽団とのコンサートもあるはず。残念ながら今回私はいずれにも足を運ぶことはできないが、昨年 6月の東京交響楽団との演奏会を記事として採り上げた。
http://culturemk.exblog.jp/24489238/

ちょうど同じ時期にイタリア三羽烏のうち二人までが東京に滞在しているとは、東京はやはりなかなかだと思っていたのであるが、実は、この演奏会終了時、充足した思いで会場を出ようと通路を出口方面に歩いていると、客席に白人がいるのが見えた。・・・な、なんとそれは、そのルスティオーニその人ではないか!! 一瞬ジロジロ見てしまったが、自分でも驚いたことに、考える間もなく彼に話しかけてしまったのである。
 私「マエストロ・ルスティオーニですか?」
 彼「(ちょっと戸惑って) は、はい」
 私「今日はどうでしたか。彼はあなたのライバルですよね?」
 彼「(やや気色ばんで) ライバルじゃない。同僚です!!」
 私「(丁重にお辞儀して) そうですか。では、『トスカ』がんばって下さい」
 彼 (無言で笑ってうなずく)

その後楽屋に向かう風情であり、そんなところで一般人からあれこれ言われたくないのはよく分かるので、自分の無遠慮さを申し訳なく思ったが、実は、後で調べて分かったことには、彼はこの日 14時から東京文化会館で二期会の「トスカ」を指揮していたのである!! このバッティスティーニのコンサートは 18時からであったから、ルスティオーニは、オペラを振ったあとすぐに上野から新宿に移動したに違いない。やはり二人は親しい友人なのであろう。すると、バッティスティーニも二期会の「トスカ」を見たのかもしれない。これがルスティオーニ。バッティストーニよりも 4歳年上である。
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ところで今回のプログラムに、バッティストーニの以下のような言葉が掲載されている。

QUOTE
ヴェルディの「レクイエム」には、イタリア人と神との関係が反映されています。イタリア人の「祈り」は、とても個人的なものなのです。自分と「神」との対話。私は神にこう尋ねる、とか、私はこのようなことが起こらないように願う、とか。だからこの「レクイエム」は、とても個人的で、人間的な作品なのです。
UNQUOTE

なるほどよく分かる。では今回、ひとりのイタリア人のもと、何百人もの日本人が成し遂げた演奏を、バッティストーニは、そして「同僚」のルスティオーニは、どのように感じたであろうか。そして、今後の音楽界を担うイタリア三羽烏のうちの二人までが集う、新宿文化センター。なんとも素晴らしい出来事ではありませんか!!二人して新宿界隈に飲みに行ったのでしょうかね (笑)。

by yokohama7474 | 2017-02-19 01:55 | 音楽 (Live) | Comments(0)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子) 2017年 2月18日 NHK ホール

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に立つのは、首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。このブログでは再三ご紹介している通り、エストニア出身で、今や世界の指揮界で引っ張りだこの名指揮者。先週末に続いて私が今回聴くことができたのは以下のプログラム。
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲二短調作品 47 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 10番ホ短調作品 93

なるほど、ヤルヴィが先週採り上げたシベリウスの交響曲第 2番は 1901年の作で作品番号 43。同じ作曲家のこのヴァイオリン協奏曲はそのしばらく後、1904年の作で作品番号 47。但し現在演奏されるヴァージョンは、改訂を経て翌年 1905年に初演されたもの。この改訂初演のときのオーケストラはなんと、リヒャルト・シュトラウス指揮のベルリン・フィルである。西洋音楽史上で最も愛好されるヴァイオリン協奏曲のひとつになっている名曲だ。ソロを弾いたのは名実ともに日本を代表するヴァイオリニスト、諏訪内晶子。
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もちろんこの曲などは彼女にとっては目をつぶっていても弾ける曲なのであろうが、今回の演奏は彼女の新境地すら思わせる、大変に素晴らしいものであった。冒頭の静かな湖面の波紋を思わせる繊細な弦楽合奏のさざ波に乗って歌い出すソロ・ヴァイオリンは、強い集中力というよりも余裕を感じさせるもので、既にして諏訪内の音楽が尋常ならざる高みに達していることを思わせた。全曲を通して、完璧なテクニックが耳につくというよりは、時に音程すら危うくなるくらいの強い表現力を持って音楽を進めて行く様子に、終始圧倒されたのである。正直なところ、ひと昔前までは彼女の演奏には出来不出来がそれなりにあったように思う。だが今では、そのヴァイオリンは常に何かを語り続けるのである。我々は今後ともそれを傾聴しよう。彼女は今回も、アンコールとしておなじみのバッハの無伴奏ソナタ 2番からアンダンテを弾いたが、それはやはり確固たる自信に満ちた音楽であり、聴き手の心にストレートに響くものであった。ところで、諏訪内が音楽監督を務める「国際音楽祭 NIPPON」も今年が 5回目の開催。5月と 7月に東京と名古屋で意欲的なコンサートの数々が開かれ、最後は東日本大震災の被災地である岩手県久慈市でのチャリティコンサートで締めくくられる。きっと強い音楽で聴衆を勇気づけてくれることであろう。
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後半に演奏されたショスタコーヴィチの 10番は、1953年、スターリンの死後すぐに書かれた、この作曲家らしい屈折した難曲であるが、ここでも好調のヤルヴィと N 響のコンビが、聴きごたえ充分の演奏を展開した。改めて感じるのは、ヤルヴィの指揮の見通しのよさである。この交響曲を書いた作曲者の複雑な真意が何であるにせよ、このように個々の音楽的情景が揺るぎないクリアさをたたえた演奏によって純粋な音のドラマが立ち上がる様に立ち会うのは、なかなかに得難い体験なのである。彼は決して爆演系の指揮者ではなく、いかに音楽が熱狂しようとも、常に長い腕で冷静に音の流れを統御しているのだ。それでいて、音自体の迫力に不足することは決してない。沼の底から魑魅魍魎が浮かび上がるような冒頭から、なぜとも知れぬ熱狂が宙に舞い上がって行くエンディングまで、移り変わる情景に、人が生きる苦しみと喜びがにじみ出ている。この曲が作曲者自身を象徴する音型 (D-S-C-H) によって成り立っていることは以前から知られているし、不気味な第 3楽章が恋人を象徴しているらしいことも、もはや定説であろう。だが今回のプログラムによると、この曲は彼のいわゆる「戦争三部作」の掉尾を飾るものとして書かれたことが近年判明しているらしい。ショスタコーヴィチの戦争三部作とは、いわずとしれた交響曲第 7・8・9番であるが、このうち戦後に彼の交響曲として初めて発表された第 9番だけは、人を食ったような小規模でふざけた曲なのである。作曲者の中では、その第 9番の特殊性は充分認識されていたわけで、重厚な音が跋扈する (その一方でピッコロなどの高音の活用も大変に印象的な) この第 10番こそが、戦争三部作の 3作目であったとは、なかなか面白い。これからも新資料の発見によって評価が変わって行くであろうショスタコーヴィチ。
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今回の堂々たる演奏により、私にとってのヤルヴィと N 響は、これからも必聴のコンビであることを再確認したが、ひとつ残念なことがある。N 響は従来、3通りのプログラムによる定期演奏会のうち 1つはサントリーホールで開いているのであるが、同ホールは現在改修のために閉鎖中。このホールを本拠地とするほかのオケは、異なる会場を確保して定期演奏会を継続するのであるが、どういうわけかこの N 響だけは、サントリーホールシリーズは単に中止となり、つまりはこれから 9月定期までは、定期演奏会のプログラムは 2種類となるのである。だが今回ヤルヴィは、サントリー定期の代わりとして、ほかの会場で 2回のコンサートを開く。会場は横浜みなとみらいホール。曲目は極めて意欲的で、武満徹の弦楽のためのレクイエムと、マーラー 6番。しかも途中休憩なしに一気に演奏されるのだ。これがそのコンサートのポスター。聴きたい聴きたい!!
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だがここで問題がひとつ。横浜で平日のコンサートは東京勤務の人たちにとってはつらい。加えて、2/23 (木) は 15時開始だ。これはなかなかに厳しい。そもそも私は来週出張のため、これらのコンサートには行けないのだが、それにしてもこれは大変残念なこと。なんとかならなかったのであろうか・・・。

by yokohama7474 | 2017-02-18 23:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)

エゴン・シーレ 死と乙女 (ディーター・ベルナー監督 / 原題 : Egon Schiele - Tod und Mädchen)

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このブログで何度か言及してきた通り、19世紀末ウィーンの文化はなにか私の根源的なものに触れてくる異様な力があって、私は心の底からその文化に惚れ込んでいるのである。もちろん音楽ファンにとっては、まさにウィーン世紀末を代表するグスタフ・マーラーが、音楽史上におけるかけがえのない偶像というケースも多いだろう。一方美術の面では、多彩な才能がひしめく中で、グスタフ・クリムトとエゴン・シーレの名前こそが、一段高く燦然と輝く歴史的なものとなっていることは疑いない。この映画は、そのような世紀末ウィーンの頽廃文化を代表する天才画家エゴン・シーレの生きざま、いや、死にざまを描いている。オーストリアとルクセンブルクの資本による映画で、あえて原題をドイツ語で記した通り (上のポスターではその英訳が見える)、ドイツ語による映画なのである。もちろん、全国のシネコンで大々的に公開中というわけではないが、このような映画を見ることができる日本は、文化的にかなり高度な環境であるとは言ってよいと思う。これがシーレの肖像写真。
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私が画家エゴン・シーレ (1890 - 1918) の名前を知ったのは恐らく、高校生のとき (調べてみるとそれは 1983年) に封切られた映画、「エゴン・シーレ 愛と陶酔の日々」によってであったと思う。私はその作品を劇場に見に行く勇気がなかったのであるが、それは、何やら怪しいエロスを放つエゴン・シーレなる画家に、近寄りがたいものを感じたせいであったろうと思う。実はあとから知ったことには、新宿歌舞伎町にあったアート系映画を上映する映画館、シネマスクエアとうきゅうが 1981年にこけら落としとして上映した、ニコラス・ローグ監督、アート・ガーファンクル主演の映画「ジェラシー」も、世紀末ウィーンを題材にしていたのである。その映画は当時どこかの劇場で予告編を見た記憶はあるものの、やはり本編は見ていない。そして私の場合はその後すぐ、マーラーに熱狂してからウィーン世紀末に深入りした高校生時代、興味は容易にクリムトにまではたどり着いたが、そこからシーレまでは未だ遠かった。そして、今書庫を調べて手元に引っ張り出してきた本は、1986年 3月号の「美術手帖 特集シーレとウィーン」である。
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私はこの雑誌を、大学時代に東京から実家のある大阪まで帰省するため、学生の特権で東海道線の夜行の各駅停車、大垣行に乗り、その車中で夢中になって読んだことを昨日のことのように覚えている。多少大げさに言えば、これは私の文化面での指向を決定的にした雑誌である。今めくってみても、飯田善國、瀧本誠、千足伸行らの碩学が刺激的な文章を寄せているし、シーレだけでなく、世紀末ウィーンについての網羅的な情報が記載されている。そしてこの特集、当時新宿に存在した伊勢丹美術館での「エゴン・シーレとウィーン世紀末展」に関連した特集であったのである。従って私がシーレの本物に初めて接したのは、この1986年の展覧会ということになる。伊勢丹美術館はその後も類似の展覧会を何度も開き、私はそれらに必ず足を運んだし、その後起こったウィーン世紀末ブームの中で、主要な展覧会には恐らく全部足を運んだと思う。映画への言及に入る前に長々と書いているが (笑)、これが私のシーレに対する強い思い入れの源泉なのである。

さてここで、そのように世紀末ウィーンに対する思い入れを持つ私の、勝手な持論を披露しよう。この説は、これまでに読んだいかなる美術書歴史書の類にも載っていない。だが私が過去 30年間に亘って信じているのは、世紀末ウィーン文化を体現した人々のうち主要な人物は、誰一人として第一次世界大戦を生き延びることができなかったということだ。もちろん例外はあるだろう。だが、奇しくもクリムトとその弟子であるシーレが、ともに 1918年に他界していることは象徴的だ。西欧先進諸国がナショナリズムと帝国主義に導かれた挙句、ついに人類初の世界大戦に突入したという激動の歴史の中、芸術家たちはその命を削って創作活動に勤しんだ。そのギリギリと軋む命の音が、永遠の表現力をたたえているのであるが、彼らの体は束の間の平和の到来まで持たなかった。これは 1912年にシーレが描いた自分とクリムトの肖像 (「隠者たち」)。
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この映画は、シーレが 28歳の若さでスペイン風邪で亡くなる (身重の妻が旅立った数日後に) 直前の情景を追いながら、そこに過去の様々な回想が積み重なるという構造になっている。一言で片づけてしまえば、大変僭越ながら、独立した映画としてはそれほど発見に満ちた作品とは思われない。例えば、劇中やたらと鏡が多いことに気付くが、それは例えば、先般このブログで採り上げた怪作「ネオン・デーモン」(ちなみにこの映画の余韻が、日が経つほどに大きくなってくるのはどういうわけか???) における鏡の多用とは全く異なり、人の心の裏側を覗き込むような怪しい雰囲気の醸成にまでは至っていない。際立った映画的瞬間は、残念ながらそれほど多くは訪れないのである。ただ、ウィーンにあって演劇 (もちろんその周辺芸術分野である音楽) のファンにはなじみある名前、マックス・ラインハルトの名を冠したゼミナールで演技の修練を積んだ役者が多く出ていて、彼らの演技自体には見るべきところもあり、何よりシーレの人生を忠実に辿ることで、その孤高の魂のありかを考えさせるような出来にはなっていると思う。題名の「死と乙女」(1915年) は、このようなシーレの代表作のひとつ。
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この作品を描くシーンが映画に登場する。やがて遥かアフリカの地で死を迎えるモデルであり愛人であったヴァリを抱きしめるシーレ自身が、死神なのであったのか。
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ところでその愛人ヴァリの肖像はこちら。なるほど、今回の女優さんには共通した雰囲気がありますな。
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題名になっている「死と乙女」とは、これは常識に属することであろうが、シューベルトの歌曲の題名であり、死の床に臥す乙女と死神との対話が題材になっている。シューベルトはこの歌曲の主題を弦楽四重奏曲にも転用していて、その曲も「死と乙女」と呼ばれる。それを弦楽オーケストラ版に編曲したのは、ほかならぬグスタフ・マーラーだ。つまりこの「死と乙女」というテーマは、世紀末ウィーンのひとつのキーワードなのである。
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そんなわけで、結局ほとんど映画については語っていないことに気付いたが (笑)、この映画は、シーレに興味のある人 (よく知らないが知ってみたいと思う人を含む) にとっては興味深いものであることは請け合いだ。だがその次は是非ウィーンに飛んで、ベルヴェデーレ宮殿に展示されているシーレやクリムトの実物を見、そして、かつて伊勢丹美術館等に何度もやってきたシーレ作品の一大コレクションを展示するレオポルト美術館に足を運ぶことを心からお薦めする。もしかすると、それによって人生が変わる人もいるかもしれないが、その責任は取りかねるので何卒ご容赦を。
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by yokohama7474 | 2017-02-17 23:48 | 映画 | Comments(0)

本能寺ホテル (鈴木雅之監督)

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織田信長が明智光秀によって討たれた本能寺の変は、日本史上屈指の大事件であることは論を俟たないが、上のポスターにある通り、日本史上最大の謎と言っても過言ではない。このブログでも、光秀の子孫だという明智憲三郎著の「本能寺の変 431年目の真実」という大変面白い本をご紹介した (因みにその私の記事は、大変驚いたことに、著者明智憲三郎さんの公式ブログでも言及されました)。この映画は、その本能寺の変を目撃する現代女性を描いたもの。綾瀬はるか主演ということで、すぐに思い出す類似の映画は、「プリンセス・トヨトミ」であるが、あちらが小説の映画化であるのに対してこちらはオリジナル脚本。また設定は随分違っていて、こちらは現代と過去がはっきり断絶しているところ、ひょんなことからその二つの時間帯を往復することになる女性主人公を描いている。実はこの映画の監督は、「プリンセス・トヨトミ」と同じ鈴木雅之。シャネルズ = ラッツ & スターの歌手とは同姓同名で、全くの別人だ (笑)。もともとはテレビの演出家らしい。
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物語は、綾瀬はるか演じる結婚を控えた女性が、婚約者の親に会いに彼の実家のある京都に泊まるが、予定していたホテルには手違いで入れない。途方に暮れているときに目に入った古風な「本能寺ホテル」というホテルに転がり込むことになるが、そのホテルのエレベーターは、ある条件が整うと、1582年 6月 1日、つまりは大事件発生の 1日前の本能寺にタイムスリップする。そのことを知った女性は、なんとか信長に危機を伝えようとするというストーリー。
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信長には堤真一、森蘭丸には濱田岳が扮していて、主演の綾瀬はるかともども、最初から彼らが演じることを想定しての、いわゆる「あて書き」である由。その他、婚約者の父親が近藤正臣、ホテルの支配人は風間杜夫と、それぞれの個性に合った役は、なかなか気が利いている。
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だがやはりこの映画で最も存在感を発揮しているのは、綾瀬はるかであることは間違いないだろう。もちろん、大河ドラマの主役をはじめ、シリアスな役柄も演じているとはいえ、その天然ぶりには他の追随を許さない (?) ものがあり、ここではさすがにあて書きだけあって、とてもよい味を出している。作品そのものは、ひとりの女性が当たり前の日常にわずかな疑問を持ち、タイムスリップを経験する中で、信長からの刺激を受け、新たな人生観を得て成長するという流れがあって、それほど易しい役ではないと思う。こんな感じで戦国時代にも平気で入って行ける肝っ玉のある役柄でもある。
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そして演出も、かなり細かい部分の呼吸に気配りがなされていて、あれこれの工夫が面白い。例えば、主人公が最初のホテルに入れないことが判明する場面のとぼけぶり、金平糖をかじるときのカリッという食感など、印象的である。それから、美術も結構手が込んだ作りで、スタッフの苦労がしのばれる。ただその一方で、この映画のメッセージが何か現代人の感性と鋭く切り結ぶかと言えば、残念ながらそこまでの成果は出ていないように思う。例えば冒頭に引用されているビルマルクの言葉「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」は、作品の基調トーンとしてどこまで活きているであろうか。タイムスリップとは、まさに経験ではないか。この映画の中で経験から学ぶ主人公は、では愚者ということになるのかな。そのあたりの中途半端感が大変残念である。

ところで、本能寺の変が起こったのは、言うまでもなく本能寺という寺院なのであるが、信長が討たれたときになぜここに滞在していたかというと、この寺院を宿泊所としていたからだ。その意味では、まさに信長の宿泊場所が「本能寺ホテル」であったわけだ。調べてみるとこの本能寺は、法華宗、つまりは日蓮宗の寺院で、信長はこの宗派に帰依していたこともあって、上洛時にはこの寺を定宿としていたようだ。周知の通り信長は一向宗 (この時代は浄土真宗ではなく浄土宗を指したらしい) とは血みどろの対決をしているし、天台宗の総本山、比叡山を焼き討ちしているわけであるが、既存の仏教のすべてを否定したわけではなかったのである。ただ、ただである。この映画の中に、まさに歴史を大事に思う人には我慢できないシーンがある。それは、本能寺という設定の寺院の建物に、デカデカと「方丈」という額がかかっているのだ (ロケ地は南禅寺だろうか)。私の理解では、これは禅寺特有の住職の居室の呼び名であり、明らかに法華宗の寺院たる本能寺の景色ではない。どうでもよいことという見方もあると思うが、歴史に学ぶ賢者であれば、もうひと工夫欲しかったところ。こんな感じの建物。
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それから、明らかなロケ地がひとつあって、それは兵庫県の書写山円教寺だ。
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この場所で信長と家臣が球技をして遊ぶのであるが、ここは寺院にしては珍しく、建物によって囲まれた土地で、球技用のコートのような閉鎖空間になっているので、その着想は理解できる。ただ、シーンの流れとしては、閉塞感があってあまりよくないと思う。もっと広々した河原でのロケの方がよくはなかっただろうか。映画の印象は、個々のシーンの積み重ねによって決まる。細部においては、上に書いたような気の利いたシーンもある一方で、この種の時代物に欠かせないロケ地の組み合わせについては、ちょっと課題があるようにも思うが、いかがなものか。

そういえば、この映画は日本史上最大の謎である本能寺の変に迫るとの触れ込みであったが、信長の最期について、何か目から鱗の大発見が描かれていただろうか。ネタバレは避けるが、なんだろう、例の「人生五十年」という幸若舞を舞うシーンはなく、その点が新味と評価すべきだろうか。つまり、信長の生は 50年どころか、遥かな時を超えて、今に至る 400年以上も続いているということか。うーむ、まさかヴァンパイアものではあるまいな・・・。いやいや、そんな心配はないので (笑)、まだご覧でない方は、私のように重箱の隅をつっつくことなく、ごく自然に楽しんでもらえる映画だと思って見に行かれればよいものと思う。でも、本当に信長の最期ってどんな感じだったのであろうか。永遠に真相が分からない歴史のロマンである。
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by yokohama7474 | 2017-02-16 23:02 | 映画 | Comments(0)

ドクター・ストレンジ (スコット・デリクソン監督 / 原題 : Dr. Strange)

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とある人から、「今日は何の映画を見るんですか?」と訊かれて、「『ドクター・ストレンジ』ですよ」と答えると、「ええっ?! あの白黒映画、どこかの劇場でやっているんですか???」との反応。一体何かと思ったら、原題 "Dr. Strangelove"、日本公開名「博士の異常な愛情」のことであったようだ。ちなみに原題も邦題も実際にはもっと長いのだが、普通はこの題名で通っている。それは言うまでもなく鬼才スタンリー・キューブリック監督、ピーター・セラーズ主演の古い作品。いえいえ違います。この「ドクター・ストレンジ」は、「ドクター・ストレンジラヴ」とは全く違った映画で、「アベンジャーズ」シリーズで知られるアメリカンコミックのマーヴェル社のキャラクターが主人公。今回初めて、英国の名優ベネディクト・カンバーバッチ主演で映画化されたもの。少なくとも私は今回の映画で初めてそのキャラクターの存在を知ったが、調べてみると、マーヴェル社のアメコミのキャラクターとして初めて登場したのは、なんと 1963年と古いのである。
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ところが奇妙なことに、キューブリックの "Dr. Strangelove"、つまり「博士の異常な愛情」も、やはり同じ 1963年の制作なのである。ここには何か不思議な魔術的連関があるのであろうか。そう、これはアメコミにしては珍しい、魔術をテーマにした物語なのである。冷戦真っ只中の 60年代にこのような東洋的魔術や傲慢さへの戒めといった内容が受けていたとすると、当時米国が直面していた切迫した危機と、その裏腹の虚無感が、その背景にあるのかもしれない。もっともキューブリックの映画の方は、明確に冷戦の産物でありながら、こちらは魔術とは関係なさそうであるが (笑)。ともあれ、このストレンジな題名は一体どういう意味かというと、スティーヴン・ストレンジという名前の医者が主人公だということである。分かりやすすぎる (笑)。大抵の人は、「ストレンジ」などという文字通りストレンジな苗字を持つ人なんているわけないよと思うかもしれないが、いやいや、人生長く生きてくるといろんなことがある。私が仕事で関係のある人で、Strange という苗字を持つ人がちゃんと実在するのだ。それも、全くストレンジな人ではなく、業界の一流会社のニューヨーク本社にお勤めのエリートだ。今度会ったら、魔術を使うか否か確認してみよう。

などと、本編と関係ないことをウダウダ書いている理由はただひとつ。私には、この映画は面白いとは思えないからだ。せっかくカンバーバッチほどの名優を主演とし、このブログの過去の記事でも絶賛した、私が深く敬愛するデレク・ジャーマンのミューズであった女優ティルダ・スウィントンまで起用しながら、全くもったいない話である。しかも彼女、これは本当に頭を剃っているのではなかろうか。
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アメコミを原作とする映画がすべて「所詮マンガだろ」という評価にとどまるものではないことは自明で、このブログでも、「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」などは高く評価したものである。だがこの「ドクター・ストレンジ」に対しては残念ながら、「所詮マンガだろ」という憎まれ口を叩きたくなってしまうのだ。何やらクルクル手を回すだけで空間に黄色い炎のようなものが現れ、別の場所に移動できたり敵を攻撃したり自分を防御したりできる。のみならず後半では時間を操るようにまでなってしまう。これができるなら、亡くなってしまったり怪我をした登場人物 (自分を含め) に対しては、全部時間を戻せば事なきを得るではないか。昔クリストファー・リーヴが演じた「スーパーマン」の 1作目で、恋人の死に慟哭したスーパーマンが地球の周りを渾身で高速飛行し、自転を逆回りさせて時間を戻すシーンがあったが、あのような切実で素朴なシーンが懐かしい。
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ネタバレは避けるものの、魔術によって時間を逆行させることで、壊れた建物が原状回復して行くシーンは、最近「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」でも出て来た。それゆえ、この映画のラストのラストに出てくる「魔法使いが多すぎる」というセリフは、もしや、ハリー・ポッター・シリーズにケンカを売っているのではないかと思いたくもなるのである。一方、予告編でも明らかであったこの映画のウリになる見事なシーンは、建物がグニャグニャと動き、重力が自在に変化するところ。
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このパターンでは、非常に手の込んだシーンもいくつかあり、手間暇かかった映像であることは認めるが、これらのイメージも既に、「インセプション」とか「スタートレック Beyond」で使われているものの延長であり、現在の CG 技術をもってすれば、それほど驚くべきものとも思われない。まあ、予告編でもう見てしまっていますしね。

再び役者に関しては、主人公の恋人 (なのであろうか) 役のレイチェル・マクアダムスは最近大活躍であるが、ここではコスプレをしない (あ、医者の白衣をコスプレと認定しないならだが) 一般人の役を自然に演じている。
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一方、コスプレを楽しんでいる気配であるのは、敵であるカエシリウス役のミッツ・ミケルセン。デンマーク人で、実は「ローグ・ワン / スターウォーズ・ストーリー」では、主人公の父親、デススターの設計者ゲイレン・アーソ役を演じていた俳優だ。全然気づかなかった。なるほどこうして比べてみると、今回は目の周りのお肌が随分と荒れておられるが、確かに同一人物とも見える (笑)。
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監督のスコット・デリクソンは 1977年生まれの若手で、サスペンスやホラー系を中心に映画を作ってきた人。私が見たいと思って結局見ることができなかった「NY 心霊捜査官」なども監督している。今回はこの大作に大抜擢ということだろう。
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この映画、エンドタイトル終了後にもシーンがあり、今後マーヴェル社のほかのアメコミ・キャラクターとの共演があることはほぼ明らかだし、続編の制作が明示されて終わる。アベンジャー関係も何やらややこしいことになっており、スパイダーマン (マーヴェル社にとっては新顔だ) がアイアンマンに弟子入り (?) する次回作の予告編も、既に劇場で流れている。あまり複雑にキャラクターを錯綜させるのもどうかと思いますがね・・・。ともあれこの映画、突っ込みどころには事欠かないストレンジな映画ではありました。

by yokohama7474 | 2017-02-15 01:05 | 映画 | Comments(0)