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大阪 四天王寺

前の記事で採り上げた通り、ある週末、大阪市立美術館で仏像の展覧会を見たのだが、その前に久しぶりに四天王寺に行ってみようと思い立った。言うまでもなく、天王寺という駅のいわれとなった寺であるが、その由来は大変に古い。西暦 593年、聖徳太子によって建立されたと伝えられる日本最初の仏教寺院のひとつ。蘇我馬子と組んで仏教導入に積極的であった太子が、反仏教派であった物部守屋との戦いにおいて、自ら四天王像を刻み、勝利させてくれたら寺を造ってお祀りしますと念じたところ、戦いに勝利し、そうして建立されたのが四天王を祀るこの寺であると伝わっている。だが、例えば法隆寺とは異なり、その長い歴史の中で堂塔はことごとく灰燼に帰し、現在の伽藍は昭和の時代のもので、鉄筋コンクリート製。その点、幼少の頃から寺回りに情熱を傾ける妙なガキだった私としても、この寺に対する思いは複雑で、古いものこそを見たいという思いが強かった若い頃には、必ずしも頻繁に訪れたい場所ではなかったというのが正直なところだ。だが、私も既に苦み走った 50代。歴史の見方や場所の持っている特性、それを生み出す人間の様々な思いというものに少しは理解が及ぶようになり、必ずしも古い建物が残っていない場合でも、文化的な何かを感じることができることがあると、今は知っている。だから、何かに突き動かされるようにして、久しぶりの四天王寺訪問となった。天王寺駅からは歩いて 10分少々だが、参道にはこのような鮮やかな表示が。
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やがて辿り着いた四天王寺には、重要文化財に指定されている江戸時代の石鳥居が立っていて意表をつくが、そこには堂々と「大日本仏教最初四天王寺」という石碑もあって、ここが本当に、日本に仏教がもたらされた頃から連綿と続いている場所であることを実感するのである。神仏混淆は日本人の自然な信仰のかたちであり、現在でも鳥居が立っていることから、このお寺が多くの人たちの信仰を長くに亘って集めてきたことが分かろうというものだ。
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本来寺院というものは南側が正面で、そちらから入るのが正式なのであるが (従ってメインの入り口は南大門なのであるが)、まぁどうしても人や交通の流れというものがあり、ここでは西側から入ることをお許し頂こう。西門は松下幸之助の寄進になるもので、中には仁王像はなく、壁画が描かれている。このあたりも、若い頃は新しいものに文化財的価値はないと紋切型で考えていた私にとって、今見ると新たな思いを抱く点なのだ。連綿と続いてきた四天王寺の信仰を、大阪出身の成功した財界人が支えたことは、将来また違った価値を生むことだろう。西という方角は極楽浄土のある方角であり、この西門は、浄土に続く門として信仰されてきたのである。
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そして見えてきた伽藍。空が青くて気持ちいいですなぁ。
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よく高校の日本史で、○○寺式伽藍という図が載っていて、その中で四天王寺式は、門、塔、金堂、講堂が南北に一直線に並ぶものであると習った。実際のところ、そんなことを知っていようがいまいが、日常生活には関係ないのであるが (笑)、日本の寺院に興味のある向きには、もともと釈迦の骨を祀る役割を担った塔の重要度よりも、仏事を執り行う中心的な場所である金堂の重要度が増して行ったことは覚えておいた方がよい。但し、○○寺式と言って古代の寺の名前をつけられていても、現存する古代の伽藍は法隆寺だけだし、あとは薬師寺がかろうじて、東塔以外の建物の再建によって伽藍の様相を維持しているくらいだ。その点、すべて再建であるが、ここ四天王寺では、古代の伽藍が維持されているのだ。それこそ、連綿と続く信仰の力でなくて何であろう。これが現在の四天王寺の境内図だが、下の方に主要建物が南北一直線に並んでいるのが分かる。因みに上の写真は、上述の通り西からのアプローチによるもので、右に五重塔、左に金堂という配置になる。
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ところが残念なことに、現在金堂は改修中。なんでも、2022年の聖徳太子没後 1400年に向けて耐震工事中とのこと。尊い法灯を未来につないで行くため、必要なことであるので、ここは残念などとは言わず、またの機会を楽しみにしよう。
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この金堂の本尊は、巨大な救世観音 (ぐぜかんのん) 半跏像であるが、今回は拝観できず、やはり正直なところ(笑)残念だ。飛鳥仏に似せて作られているが、今回調べて分かったことには、昭和の大彫刻家、平櫛田中 (ひらぐし でんちゅう、1872 - 1979) の指導によって作られたらしい。そして壁画は著名な日本画家、中村岳陵 (1890 - 1969) の手になるもの。建物自体は鉄筋コンクリートであっても、永続性を考えればそのような現在の工法には意味があるし、仏像や壁画は、再建された当時の代表的な芸術家たちが動員されているという点、子供の頃には分からなかった価値なのである。またの再会の機会を期して、次は五重塔へ。この塔は靴を脱いでらせん階段を上層まで登っていけるが、展望台としての機能はない。だがせっかくなので、窓ガラス越しに、自分が歩いてきた西門を見下ろす光景を写真に収めた。
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日本の社寺建築は、戦乱や災害によって多くが失われ、再建されたりされなかったりという歴史を繰り返してきたが、この塔は創建以来実に 8代目。経済に貼ってある表記がなかなか貴重なので、以下にご紹介する。ここからはっきりと分かるのは、この寺の由緒正しい歴史が、歴代の権力者にも敬われ、また一般庶民からも慕われていたということである。そのような寺はなかなかないだろう。
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そして、回廊に面白いもの発見。回廊の天井が反射して分かりにくいが、下の説明板にある通り、これは創建当初のものかと思われる排水溝である。驚くべきことに、この寺の中心伽藍の位置は、1400年間変わっていないということになる!! 聖なる場所は、いかなる時代の変転があろうと、聖なる場所であり続けるのである。
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寺の正面に当たる南側に回ってみると、中門の仁王像も現在修復中。この仁王像も、現代日本を代表する仏師である松久宗林、朋林父子によるもの。ここでも再建時の最高の芸術家が動員されていたのである。
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中門の前に面白いもの発見。これだ。
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これは熊野権現礼拝石。熊野詣では現在でも人気だが、中世から盛んであり、京の宇治から船で淀川を下り、天満で上陸してからこの四天王寺、住吉大社というルートが熊野街道として利用された。人々はここで道中の無事を祈ったという。なるほどこの寺は、聖徳太子信仰、極楽浄土信仰に熊野信仰まで加わった、なんとも多重的な性格を持っていたことになる。そして私が次に向かった場所は、開祖聖徳太子を祀るエリア。まずは聖霊院 (しょうりょういん)。古い建築ではないが、ここは中心伽藍と異なり、鉄筋コンクリートではなく昔ながらの木造なのである。連綿と続いてきた太子信仰が息づいている、なんとも敬虔な気持ちになる場所だ。
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その奥には法隆寺の夢殿を思わせる建物があって、奥殿と名付けられている。堂そのものは夢殿のような八角円堂ではなく、完全な円形をしているが、これもよい雰囲気だ。
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その奥にある絵堂というお堂は、通常は毎月 22日にしか開けないが、ちょうど今特別開扉中である (あっ、期限は今日、4月30日までだ!!) 内部には、これも署名な画家、杉本健吉 (1905 - 2004) の手になる聖徳太子の生涯を描いた壁画がある。私のもらって来たチラシの写真を掲載しておく。狭い空間だが、杉本の自由な筆致がなかなかに詩的である。
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ここ四天王寺には江戸時代に七不思議というものがあったらしく、そのひとつは、境内にかかっていたこの小さな石造りの橋を渡ると安産になるというもの。この石、今は宝物館 (残念ながら今回は入館する時間なし) の前に置かれているが、これは実は古墳の石棺なのである。この近辺には茶臼山古墳 (昨年の大河ドラマで脚光を浴びた真田幸村が、大坂夏の陣において本陣を置いた場所) というものもあるし、四天王寺の山号 (寺院を山に見立て、必ずどの寺にも○○山という山号をつける) である荒陵山という言葉は、この寺が、もともとあった古墳を壊してできたのだと解釈する説もあるようである。なるほど、新たな聖なる場所を作るために、もともとあった聖なる場所を使用したということか。例えばパリでも同様な例があり、街の発祥である現在の聖ノートルダム寺院の場所は、キリスト教以前に存在した宗教の聖地であったそうだ。人間の聖なるものへの思いには、万国共通のものがあるということか。
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帰る前にもう一度是非立ち寄ってみたかった場所がある。それは、重要文化財に指定されている石舞台。この場所は、聖徳太子の命日である 4月22日に、太子の霊を慰めるために行われる聖霊会 (しょうりょうえ) という有名な行事の舞台となる場所。私が訪れたのは 4月23日であったので、ちょうど会の翌日ということになり、舞台上には何やらブルーシートにくるまれたものが未だ置かれている。惜しいことをした。いつかは見てみたいものである。ところで私はこの池にいる亀たちを見ると、いつも何やらほっとするのである。
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せっかくなので、重要無形民俗文化財に指定されている聖霊会の写真を拝借しよう。悠久の時を超えた深い神秘性を感じることができる。
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神秘性と言えば、日本の歴史において聖徳太子ほど神秘的で謎めいた人物もいないであろう。最近では、日本に仏教を導入し、遣隋使や十七条憲法や冠位十二階という画期的な業績をたった一人の人間が挙げたということは考えにくいとして、複数の人間の業績を合わせて単一の人格にしたのだろうという説も有力になってきていると聞く。学会における定説が今どうなっているか知らないが、最近の日本史の教科書から太子の名前が消えたという話も聞いたことがある (確認していないので本当か否か知らないが)。私自身、古代史には大変興味があっていろんな本を読んでいるが、聖徳太子に関するものは、もちろん梅原猛の「隠された十字架」に始まり、今、書棚を眺めながら題名だけ挙げると、「<聖徳太子>の誕生」「聖徳太子の正体」「聖徳太子は蘇我入鹿である」「聖徳太子はいなかった」「聖徳太子虚構説を排す」といった具合。また、太子が未来記という予言の書を著したという説に関する本では、「聖徳太子 四天王寺の暗号」というものも面白く読んだ。ここで様々な説に深入りするのはやめるが、人間の歴史に思いを馳せるとき、勝者による歴史記述は、敗者を貶め勝者自身を正当化するものであり、いついかなる時代にも、権力者は自己の正当化に忙しい。その一方で、純粋な信仰心や神秘的なものに対する畏敬の念 (ある場合には恐怖) は、庶民から社会の上層部まで、なんらかのかたちで存在していることも事実。従い、今でもこの四天王寺のような古い歴史のある場所では、積み重なってきた人々の思いが未だに何かを感じさせるのであろう。聖徳太子が実在の人物であろうとなかろうと、文化に興味のある人であれば、この寺の歴史から感性が刺激されることにはなんの疑いも持つ必要はない。それこそが大事なことなのだろうと思う。

と、様々なことを考えながら天王寺駅方向に歩いていると、大通り沿いにこんな小さな石碑を見つけた。
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なるほど、これも大阪の重要な歴史のひとつ。歩いていて歴史のかけらに遭遇することほど楽しいことはない。めっちゃおもろい、大阪の歴史。

by yokohama7474 | 2017-04-30 14:24 | 美術・旅行 | Comments(0)

木 × 仏像 飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年 大阪市立美術館

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このブログで既に採り上げた、アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団の大阪公演に出かけた週末、せっかくの機会なので大阪の別の場所を見ようと思った。いくつかの候補を頭の中で考え、結局選んだのは、天王寺公園内にある大阪市立美術館で開かれているこの展覧会だ。この美術館には随分長いこと行っていない。多分 30年以上だろう。うーん、確かにそれは長い (笑)。その間にこのエリアがきれいに再開発されたことも知っているが、なかなか出かけることができなかった。今回は、私としては必見の展覧会が開かれているということで、この歴史ある美術館 (1936年開館) に行くこととした。

この日は天気がよく、天王寺公園ではドッグランで犬を遊ばせる人もいれば、家族で芝生の上でくつろぐ人たちも。
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実はここに来る前にすぐ近く (だと思い込んでいたが意外と遠かった 笑) の四天王寺に行っており、そこから市立美術館まで歩くと、未だ 4月だというのに汗ばんでくる。だが、ようやく見えてきた、この立派な建物の威容。この美術館の前から階段の向こうを見晴るかすと、新世界名物、通天閣が見える。
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さて、現在この美術館で開かれているのは、日本の仏像彫刻の中でも木彫りの作品を集めた展覧会。まさに飛鳥時代から江戸時代の円空まで、1000年に亘る日本の木彫り仏が集合している。日本は森林が多く、建物にも木を使うし、歴史的に我々の日常生活には木が欠かせない。そんな環境で営まれてきた日本の仏教文化も、当然のことながら樹木と密接な関係がある。この展覧会を通してそのような感覚を再確認してみよう。最初に我々を出迎えてくれるのは、東京国立博物館所蔵の飛鳥時代の菩薩立像。いかにもこの時代の作品らしく、顔が大きく正面性のみ考慮された素朴な作品で、渡来仏の雰囲気満点だ。この時代には青銅製の作品が多く、木彫りは珍しい。どこの寺に伝来したものか興味があるが、明治以前の来歴は不明であるとのこと。
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これもやはり飛鳥時代の天王立像で、東京藝術大学の所蔵。これは確かに古く見える。法隆寺金堂や当麻寺の四天王像と共通するものがあると思うが、それにしても木彫りの小品がよくぞ今日まで伝えられたものだ。この像もやはり明治以前の来歴は不明である由。
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続いて、唐招提寺の有名な「講堂諸仏」(以前講堂に並べられていたことによる) から、重要文化財が 2点。薬師如来立像と伝獅子吼菩薩立像である。この堂々たるモデリングと、流れるような衣の表現は、奈良時代というよりも既に平安初期のスタイルであり、素晴らしい存在感だ。実は私は今、「仏像の樹種から考える古代一木彫像の謎」という本を読んでいるのだが、そこではこの唐招提寺講堂諸仏などを対象に、仏像に使われた木の種類を分析して、上代の仏像制作の謎に迫る試みがなされている。読み終えればまた記事にするので、お楽しみに。
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次も大変有名な仏像で、東大寺の弥勒如来坐像。この展覧会で唯一の国宝仏で、「試みの大仏」の異名で知られる。写真で見ると大きく見えるが、実際にはたったの 40cm 弱と小さな仏様である。東大寺の廬舎那仏、つまりは奈良の大仏という巨像を作る前に小さなサイズで作ったといういわれがあるが、多分、聖武天皇が作らせた最初の大仏よりも、この仏様の方があとの時代のものではなかろうか。その異国風の雰囲気はいわゆる貞観彫刻のイメージにふさわしい。その彫りの鋭く深いことは、いつ見ても感心する。
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お次は、件の四天王寺から。地理的にこの美術館から近い (しつこいようだが、歩くとそれほど近くない 笑) せいか、この展覧会にはこの寺から何体も興味深い仏像が出品されている。その中でもこれは有名なもので、重要文化財の阿弥陀三尊像。いずれも平安時代の作品ながら、その作風の違いから、もともとは一具のものではなかったのではないかと言われている。この脇侍の姿勢は、死者をお迎えに来たところであろうが、それにしてもなかなかの体のひねりぶりで、ユーモラスなほどだ。
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次も平安時代の重要文化財で、宮古薬師堂の薬師如来坐像。この仏像は、奈良の田原本町の小さなお堂に祀られている。私は現地に行ったことはないが、話には聞いていて、大変興味を持っている。今も地元の人たちの篤い信仰を受ける仏様であり、展覧会への出展は今回が初めてという貴重な機会なのである。
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この仏像も初めてお目にかかるものだが、なんとも可愛らしい。大阪の長圓寺の十一面観音立像。平安時代の作で、重要文化財である。一部が欠けている顔も、差し込んであるのではなく、明らかに本体と同じ木から彫り出されていて、お顔の優しさとは裏腹の、超絶的技術によって制作されている。
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次の仏像とは久々の再会。大阪貝塚市の孝恩寺の重要文化財、虚空蔵菩薩である。孝恩寺は国宝の本堂が釘無し堂という異名で知られている。大阪における文化財の宝庫だが、私はこれまでに一度しか訪れたことがない。この仏像 (当初は吉祥天として制作された可能性があるという) の存在感は大変なもので、久しぶりに現地を訪れたくなった。
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さて、会場のメインのスペースには、一体の大変珍しい仏像を囲んで、4体の地蔵菩薩立像が並んでいる。その珍しい仏像はこのあとにご紹介するとして、まずは 4体の中で私が最も興味を惹かれたお地蔵様だ。大阪、蓮花寺に伝わる平安時代の地蔵菩薩立像。頭の部分が痛々しく段になっているのは、木目が現れてきたということだろうか。いずれにせよ全身傷みが激しいのであるが、凄まじい執念でこの世にかたちを残しているといった雰囲気だ。このような仏像を見ると、仏が大地から生えた樹木から現れ、時の流れとともにいつかはまた大地に戻って行くのだという神秘性を感じる。応仁の乱の際は寺の池に沈められて難を逃れたという伝承もあるらしい。21世紀の我々は、あなたにお会いできて本当に嬉しいですよ!!
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そして、今回の展覧会の目玉である。冒頭に掲げたポスターにも使われている、京都、西往寺の重要文化財、宝誌和尚 (ほうしおしょう) 立像。まずはそのお姿を見て頂こう。
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な、なんということだ。お顔が真ん中から二つに裂けて、そこからもうひとつのお顔が覗いているではないか!!
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宝誌和尚とは、中国で 5世紀から 6世紀にかけて実在した人物で、梁の武帝が彼の姿を画家たちに描かせようとすると、宝誌が自分の指で顔を引き裂き、十一面観音がそこから現れて様々な表情をするので描けなかったという伝説によるものである。うーん、それにしてもこの造形は奇抜である。ここでは宝誌自身も、中から現出する観音も、非常に静謐な表情であって、なんとも神秘的だ。私は以前にもどこかの展覧会でこの像を見た記憶があるが、今回はガラスケースもなく周囲をぐるっと回って見ることができるのが嬉しい。そして、後ろに回って足元を見て気付いたことには (その部分の写真がないのが残念だが)、この仏像は明らかに一本の木から彫り出されている。つまり、裾の裏側は加工されておらず、本当に木の根っこのように見えるからだ。つまりこの像は、宝誌の肖像というよりは、自然の中から仏が現れてくるところを表現しているのではないだろうか。ひとつの証拠と考えられるのが、顔や手に明らかに残る鑿あとである。これはいわゆる鉈彫りと言われる手法で、定説では関東に分布している形態。だがこの作品は京都に存在しており、鉈彫りの分布範囲から外れる。私の理解するところでは、鉈彫りは東国武士の好みの荒々しい手法であると言われたり、単に未完成なのだろうと言われたり、あるいは、木の中から仏が現れるところを表しているのだという説もある。この最後の説は、これまでちょっと美化しすぎではないかと思わないでもなかったが、この像を見ると、果たしてそうかもしれないと思う。はっきりと残る鑿のあとをご覧下さい。
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ところで、私がこの仏像を知ったのは、全く意外な書物からであった。日本でも一時期は多くの崇拝者を持った思想家ロラン・バルト (1915 - 1980) が日本について語った書物、「表徴の帝国」(1970) の表紙だ。
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今、久しぶりに手元にその本を持ってきて開いている。この宝誌和尚像の写真の下には、このような文章がある。

QUOTE
表徴とは裂け目である。そのあいだから覗いているのは、ほかならぬもう一つの表徴の顔である。
UNQUOTE

この本、難解ではあるものの、相撲から歌舞伎から学生運動やパチンコに至るまで、日本について縦横に語っていて面白い。エクリチュールだかオートクチュールだか知らないが、あまり思想用語に惑わされずに読んでみるのも一興かと。

さて、例によって話が脇にそれてしまったので、もとに戻そう。これも珍しい作品で、大阪、東光院の釈迦如来像。と書いて気付いたが、これは豊中市にある萩の寺ではないか!! 私は子供の頃何度か行ったことがある。こんな仏像があるとは知らなかったが、これは何かというと、京都清凉寺の霊像、釈迦如来の光背についていた化仏 (けぶつ) なのである。像高 8cmと非常に小さく、後世になって文独自の光背と文殊菩薩、普賢菩薩が添えられたということらしい。
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これもまたミクロの超絶技巧が見られる作。四天王寺が所蔵する重要文化財の千手観音・二天像箱仏で、像高さ僅か 12.4cm。携帯用なのであろうか。
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これは大阪、専修寺の阿弥陀如来坐像。重要文化財で、寺伝では運慶作という。私はその情報を興味深く聞いた。なぜならこの仏像が結んでいる印は説法印というのだが、運慶作であることが明らかな静岡県、願成就院の国宝阿弥陀如来 (そちらは指が折れてしまっているが) と同じであるからだ。顔の張り方なども共通点があり、運慶自身の作でなくとも、その周辺の仏師の手によるものではないか。
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展覧会にはまた、四天王像が数多く展示されているが、興味深いのはこの新薬師寺所蔵のもの。鎌倉時代の作で、いわゆる大仏殿様と呼ばれるスタイルである。つまり、鎌倉時代に東大寺大仏殿に祀られた巨大な四天王のポーズを踏襲しているのである。現在の大仏殿には、その後江戸時代に再興された際に作られた 2体 (広目天、多聞天) だけがあり、やはりこの新薬師寺像と似たポーズを取っている。尚、江戸時代の大仏再興に際しては、四天王の残り 2体は資金切れのため、首までしか完成していない。
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この展覧会、最後の方には江戸時代の放浪の僧、円空の作品が登場する。十一面観音立像。これは埼玉県蓮田市の神職家に伝わったもので、神仏混交の頃の修験道信仰との関係で、円空が作品を残したのではないかと考えられている。円空は明らかに、樹木の持つ霊性を取り入れた造仏活動を行った人であろう。
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これはなかなか見ることができない例で、大阪の延命寺所蔵になる、大元帥明王像の頭部。北川運長という仏師が、元禄14年 (1701年) に制作に着手したが、発願者であった浄厳 (じょうごん) という僧が没したため、未完成に終わった。大元帥明王は敵を降伏させる恐ろしい明王で、彫刻の例は非常に少ない (秋篠寺にあるが、年一回公開の秘仏であり、私も未だ拝観したことがない)。浄厳は将軍家綱の帰依を得て湯島に霊雲寺をいう寺を開いたそうだが、この明王を作ろうとした目的は何だったのだろうか。だがこの頭部、大元帥明王のイメージとは異なって穏やかな表情であって、あかたも木の中から慈悲の顔がのぞいているように見える。
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まだまだ興味深い仏像が多く展示されていて、例えばひとつの寺やひとつの宗派の仏像だけ、あるいは同時代の仏像だけを展示したケースよりも、この展覧会は多彩な内容になっている。だがその展示作品の共通点は木彫りであるということで、そのような視点は大変に新鮮だ。日本人の考える霊的なものと、樹木という素材の関係を様々に考えさせてくれる、興味深い展覧会である。さて、日本人のもうひとつの特性、いや、これは日本人に限らず人間全般について言えることかもしれないが、聖なる場所のすぐ横には常に俗なる空間があるということ。展覧会を見終えて美術館前の階段を下りると、そこは新世界と呼ばれる繁華街。その後のコンサートがなければ、危うく昼間からたこ焼きに串カツにビール!! と行ってしまうところでした (笑)。聖俗併せ呑む余裕は常に必要で、そのような多義性もまた、人間の本質であろう。・・・でもビール、飲みたかったなぁ!!
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by yokohama7474 | 2017-04-29 23:47 | 美術・旅行 | Comments(0)

草間彌生 わが永遠の魂 国立新美術館

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日本の現代アーティストとして世界に知られた名前として、草間彌生 (1929年生まれ、今年実に 88歳!!) はかなりの人が真っ先に挙げる名前ではないだろうか。そのド派手な色使いによる作品は、一目見れば彼女のものと分かるものが多く、いわゆるオブセッショナル・アート (オブセッションとは強迫観念のこと。但し最近はこのような分類はあまり聞かないような気もする) の代表的なアーティストである。幼時より幻聴や幻覚に悩まされていて、それらを絵画作品に昇華したと言われている。若くして単身でニューヨークに渡り、かの地で名を上げたという点も、人々の関心を引く理由になっている。私は彼女の作品に横溢する異様な生命力に以前から魅せられており、小説を読んだこともあるし、以前このブログでも、彼女の出身地である松本の市立美術館の展示をご紹介したこともある。そして現在、東京六本木の国立新美術館にて開催されている彼女の個展に足を運んだので、今回はそれをレポートする。

まず午後遅めの時刻に現地に到着すると、このような長蛇の列。つまり列が奥まで行って U ターンして続いているのである。だがこの美術館では、人気のアルフォンス・ミュシャの展覧会も開かれていて、窓口は展覧会ごとに分かれていない。従って、きっとこのほとんどの人たちはミュシャ展に行くのだろうから、会場内に入ればそれほど混雑はしていないだろう。その証拠に、チケット売り場の表記には、「入場のための待ち時間はありません」とある。では根気よく並ぶとするか。
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美術館の入り口近辺の樹木には、一見して草間の作と分かる赤い水玉模様が巻き付けられている。近づいてみるとやはり作品で、「木に登った水玉」(2017年)。サイズは可変とのことだから、その場所のどんな樹木も作品に変えることができるのである。屋外から既にクサマワールドだ。その後チケット売り場に近づいてほかの人々の様子を見ていると、ミュシャ展ではなく草間展のチケットを購入する人が予想外に多くて、ちょっと不安になる。これで本当に待たずに会場に入れるのだろうか。
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美術館内に入ってみると、人の列が見えたが、それは草間展のショップで会計を待つ人たちの列。20分待ちとある。おいおい、ショップで 20分待ちなら、展覧会場がそれより人が少ないわけはないだろう。どうなっているのか!! と思って会場に入って行ったところ、すぐにこのような光景が目に入った。
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かなり広いスペースの壁面に、所狭しと作品が並んでおり、人々は思い思いの場所で絵を見上げたり写真を撮ったりしている。そうなのだ、展覧会の最初にこの広大なスペースがあるがゆえに、ここで人々が拡散し、展覧会場自体の混雑が緩和されている。なかなか賢い。そして、このスペースでは写真撮影自由で、なんとも寛大なのである。ここで人々は、老いも若きも、皆アートと一体になって楽しんでいる。この作品群は、草間が 2009年から取り組んでいる連作「わが永遠の魂」(展覧会の副題にもなっている) で、総数 500点中 130点ほど並んでいて、すべて日本初公開とのこと。加えて床には、いくつものカラフルな植物の彫刻が置かれていて、「明日咲く花」「真夜中に咲く花」という題がついている。私も楽しくなり、何枚も写真を撮ってしまいました。
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さてその先はさすがに撮影禁止になっているのだが、草間の長い画業を辿る旅が始まる。展示されているうち最も早い頃の作品がこれだ。紙の表裏に書かれた、1939年の鉛筆画 (無題)。10歳の頃の作品ということになるが、既にして斑点が現れている!! これをもって画家草間彌生の萌芽と言ってよいものか否か分からないが、少なくとも彼女の生は、初期の頃からこのような感覚に満たされていたことを想像することはできる。
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これはその 10年後、1949年の「残夢」。これはどう見ても、当時日本でも盛んであったシュールレアリズムである。草間は当時、地元松本で制作しており、地元の公民館などで展覧会を開いていたようだが、今回初めて知ったことには、日本におけるシュールレアリズム紹介の第一人者で、私が深く尊敬する詩人、瀧口修造 (1903 - 1973) が当時から草間の作品を高く評価し、彼女の活動を後押ししたらしい。
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これは 1951年の「心」。上の「残夢」と同系統の赤を使いながら、その斑点には、より一層の草間らしさが表れている。
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1957年の草間の写真が残っている。ここで彼女が地面に散りばめている自身の作品は、まるで瀧口修造の制作したデカルコマニー (絵具を垂らした紙を二つ折りにして開いたときにできる偶然のかたちをアートとしたもの) のようではないか。ご参考までに、瀧口のデカルコマニー作品の写真も掲載しておこう。草間をシュールの文脈で読むことで、その潜在意識のパワーという点では新たな発見があるように思う。
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もちろん、草間の作品には強迫観念を思わせるもの以外の要素もあって、会場に展示してある作品群を見ていると、例えばカンディンスキー、例えばパウル・クレー、またある場合にはミロ風であったりする。この都会の雨 (1962年) は、モンドリアン風と言えるのではないか。
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以下、「地の底を燃える火」(1963年) と「無題」(1954年)。私が上で挙げた作家たちと比較して、どうであろうか。ひとつ言えるのは、草間ならではのファンタジーがここにはあると思う。
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草間がニューヨークに移ったのは 1958年。そこで彼女はキャンバス全面に網目を描く「ネットペインティング」で好評を得る。いわばミニマルアートの一種とも言えようが、これまでの画歴を辿ってきた目には、彼女の精神を圧迫している強迫観念が、一見穏やかな表現によって微妙なバランスの中で静謐な空間を作り上げているように見える。以下は巨大なキャンバスの一部に描かれた一部をアップにしたもの。「No. AB」(1959年) と「No. PZ」(1960年)。サメの革みたいにも見えますな (笑)。
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似たような発想だが、コラージュ作品がこの「Airmail Accumulation」(1961年)。うん、ポップな感じがニューヨークらしいではないか。
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これは、1962 - 63年頃のニューヨークのアトリアでの草間。その後彼女の代表的な作品群を形作る、ニョキニョキと突起 (一説には男根の象徴とも。・・・というか、ある場合には明らかにそれを表しているケースもあると思う) が床や家具を埋め尽くす造形が見られる。よく知っているイメージではあるが、それにしてもこれは強烈な造形で、しかもこんなにニョキニョキと沢山作るには根気がいるだろう。この人の創作は、一旦これとなると、とことんそれなのだ (笑)。オブセッション。
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これは 1963年の「無題 (イス)」。そもそもイスの機能が邪魔されているし、生理的に気持ち悪いと誰もが思うはずだが、妙に心に残るのはなぜだろう。
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彼女の制作態度は、概して現実社会を直接題材にした政治的なものではない。だが、長じるにつれ、恐らくは人間の生と死への関心からであろうか、時には戦争をテーマにした作品が見られるようになる。これは 1977年の、その名も「戦争」。斑点はいかにも草間風でありながら、ナチ関連の写真が使われていて、彼女の作品としては若干異色であろう。
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これは 1989年の「一億光年の星屑」の一部。このあたりからはひたすら派手な色使いとなって行くが、トレードマークの斑点に、まるでキース・ヘリング作品のようなポップなウネウネ感 (?) が面白く、老いてますます増して行く草間の生命力に圧倒される。
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これは 1992年の「黄樹」の一部。もうこれはキース・ヘリングではない。私が思い出すのは、やはりニューヨーク在住であった河原温であるが、ひとつ言えるのは、草間の場合はこの柄からカボチャを連想するということではないか。
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この黄樹のパターンをバックに、今年になって撮影された写真がこれだ。そういえば芸術新潮の 4月号では、天才アラーキーが撮影した草間の同様の写真が掲載されていた。
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会場にはいくつかインスタレーションも置かれている。これは展覧会場の外に設けられた「オブリタレーションルーム」。入り口でカラフルなシールを何枚か渡され、それを観客が思い思いの場所に貼って行くというもの。上の写真が、私が与えられたシールを左手に持って、右手のスマホで撮影したもの。下の写真は、そのシールを貼ったあとの写真。さて、どこに貼ったのでしょうか、って、分かるわけないですな (笑)。
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さあそして、会場内から窓を通して見えた巨大なカボチャ作品に対面だ。展覧会を見終った人は是非、そのまま正面出口からは帰らずに、美術館の裏側、乃木坂駅に向かって欲しい。屋外に出てすぐの右側に作品はある。この日は非常によい天気で、背景の東京ミッドタウンともども、巨大カボチャを大変に美しく撮影できた。
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80代後半に至っても未だに衰えることのない草間パワーに、心底元気をもらいました!!

by yokohama7474 | 2017-04-28 23:35 | 美術・旅行 | Comments(2)

フィリップ・K・ディック著 : 高い城の男 (原題 : The Man in the High Castle)

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フィリップ・K・ディック (1928 - 1982) は言うまでもなく、SF 界で圧倒的にカルトな人気を誇る作家である。私の知人でも何人かはいわゆる SF マニアという人たちがいて、あらゆる SF 物を渉猟している (いた?)。もちろん私などはその足元にも及ばないのであるが、そんな私ですら、ディックの作品は特別な意味を持っていて、名作映画「ブレードランナー」の原作として知られる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を含めた数冊のディック作品を読んで、驚愕してきた口である。そんな私が大変久しぶりにディック作品を読みたいと思ったにはわけがある。そのわけは、追ってまたこのブログの記事でご紹介するとして、この「高い城の男」について語ろうではないか。これがディックの肖像写真。
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この「高い城の男」は、ディックの作品の中では初期のものである。この作品が1963年にヒューゴー賞という栄えある賞を受賞したことで、彼の名は一躍知れ渡ったらしい。ときにディックは既に 37歳。彼の充実した創作活動は、その後に彼に残された 20年弱の間に主になされたものだということだ。それにしても、1963年ということは、ケネディ暗殺の年。未だヴェトナム戦争は継続中であり、東西冷戦真っ盛りである。そんなときにディックの書いたこの作品の想定は極めてユニーク。それは、第二次世界大戦で連合国ではなく枢軸国、つまり、ドイツ・日本・イタリアが勝利した世界を舞台にしているのである。つまり、当時ガッチリ世界を支配していた現実の戦後秩序から全く離れた世界を、この作家は夢想していたことになる。これは今我々が考えるより数倍も難しいことであり、超弩級の想像力がないとできないことであったろう。それゆえこの作品は、未だに異色を放っているのである。 

と言いながらこの作品、決して読みながら手に汗握るサスペンスがあるわけではない。あえて言ってしまえば、登場人物が多い割には展開が遅い、それゆえにストーリーを追いにくい作品だと言ってもよいであろう。敗戦によって 3つの地域に分割された米国。西海岸は「戦勝国」日本の傀儡である「アメリカ太平洋岸連邦」、東海岸はドイツの傀儡である「アメリカ合衆国」、その間は緩衝地帯である「ロッキー山脈連邦」。ちょっと小さくて見にくいが、以下の地図が本作において想定された世界の勢力地図。赤はドイツの権力が及ぶ地域、緑は日本のテリトリー、水色はカナダなのである。
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上述の通り、この本を読んでいても、人間関係がもうひとつよく分からない点には結構忍耐を強いられる。しかも、何か大事件が起こるわけではなく、強いて言えば危険書物 (つまり、第二次大戦でもし連合国が勝っていたら、という「想定」に基づく物語) の作者、彼がつまり高い城の男なのであるが、その彼に暗殺の危機が迫るということくらいである。だがそれとても、突き進んで行くストーリーではなく、大変に錯綜した登場人物たちの思惑が徐々に収斂して行くというタイプのものであり、しかも、結局はなんらのサスペンスも起こらないのである。それから、登場人物たちの何人かが易経に凝っているという設定であり、それに関する様々な細かい描写があって、西洋人が読むと東洋の神秘というイメージで流すことができるのかもしれないが、私としては正直、その点もかなり冗長だと感じる結果となってしまった。だが、あえて言ってしまえば、当時文字通り世界をリードしていた偉大なる米国の作家が、その米国がもし先の戦争に敗れて、現実世界におけるドイツさながらの分断国家になっていたらどうなるかという空想を抱き、このようなリアリティを持って世界を描いたこと自体が、現実を遥か超えて行く未知の領域であったことだろう。読みながら情景を心に思い浮かべると、当時の観点で夢想した未来、決してバラ色ではなく、空には黒い雲がかかった未来に思いを馳せることができる。その意味でこれはやはり、歴史的な書物なのであろう。興味深いのは、この中で、同じ「戦勝国」でも、ドイツは独裁国家で暴力的な国、日本はドイツと微妙な距離を保つ慇懃無礼な国、そしてイタリアは、要するに弱小でドイツの尻に敷かれているという設定。なんだか分かる気がするではないか (笑)。

さてこの「高い城の男」、最近米国でテレビドラマ化され、日本でも配信されたようだ。私はそれを見ていないが、なんと製作総指揮があの (そう、あの「ブレードランナー」の) リドリー・スコット。このような分かりやすい映像が使われていたようだ。
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長らく世界の秩序は、先の大戦で勝利したか敗北したかによって決定づけられてきた。だが、そろそろそのような「分かりやすい」時代は終わろうとしているのではないだろうか。ある意味で、このディックの「高い城の男」のような世界なら、まだ分かりやすかったであろうが、今や世界の秩序はどんどん分断化され、見えにくくなっている。これが半世紀以上前に書かれた歴史的書物であればこそ、我々は真摯にその設定に向き合うことができる。さて、今から半世紀後、世界の秩序はどうなっていて、この書物はどのように読まれることであろうか。もし未来の人がこの記事を読んで、未だインターネットというものが存在していれば、是非コメントをお願いします!! (笑)

by yokohama7474 | 2017-04-28 00:05 | 書物 | Comments(0)

グレートウォール (チャン・イーモウ監督 / 原題 : The Great Wall)

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この映画のポスターを見て誰しもが抱く感想があるだろう。まず、グレートウォールというからには、万里の長城についての物語だろう。実際ポスターの下の方には、「万里の長城が造られた目的が、ついに明かされる」とある。だが、主演は現在ハリウッドのトップ俳優のひとりであるマット・デイモン。アクションから繊細な演技まで、なんでもできてしまう彼のことだから、西洋人でありながら、ここでは何食わぬ顔をして中国人を演じているのか??? ともかく、仲間とともに何かと戦うという設定の物語であることは確かだろう。もちろん万里の長城の建設に着手したのは、あの秦の始皇帝。紀元前 200年頃の話だ。そんな古代を舞台とするなら、西洋人を登場させるのは無理があるだろう。いや、とはいえ、ユーラシア大陸は陸続き。人類はその後シルクロードなる陸上の交易路を確立させ、アジアとヨーロッパには密なる交流が生まれるのだ。でも、秦の時代とは・・・。

とまぁ、余計なことを考えていたのだが、4/14 (金) の公開だから未だ 2週間足らずなのに、既にシネコンでの上映頻度が低くなっているのを発見して、これがいかなる物語であろうとも、劇場に急がねば、と思って見に行ったもの。もちろんそう思う理由は、この人だ。
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現代映画界の巨匠監督、チャン・イーモウ (張 芸謀) 65歳。そう、この映画は彼のすべきハリウッド第 1作なのだ (但し、中国と米国の合作映画であるが)。この監督については、北京オリンピックの開会式・閉会式の演出を手掛けたことで知られていると言ってもよいし、あるいはオペラ・ファンなら、ズービン・メータとフィレンツェ五月祭音楽祭が紫禁城で上演したプッチーニの「トゥーランドット」の演出家であることを挙げてもよい。だがやはり、初期の「赤いコーリャン」「菊豆」、あとなんと言ってもツァン・ツィイーがなんとも可愛らしかった「初恋のきた道」などのヒューマンな作風が忘れがたく、最近では「妻への家路」が深く心に残っている。その一方で、一般的に彼の知名度を上げたのは「HERO」と「LOVERS」というアクション大作であったろう。それから私として是非お奨めしておきたいのは、これも私が心から敬愛するコーエン兄弟の「ブラッド・シンプル」をリメイクした「女と銃と荒野の麺屋」。あまり知られていない映画かもしれないが、ご存じない方には、「ブラッド・シンプル」と併せて是非是非ご覧頂きたい。面白いです。さてそんなチャン・イーモウがこれまでハリウッド資本で映画を撮っていなかったとは意外である。というのも、同世代の中国の映画監督でもうひとりのビッグネーム、チェン・カイコー (陳 凱歌) は随分以前、調べてみると 2002年に、「キリング・ミー・ソフトリー」というサスペンス映画でハリウッドデビューしているからだ (ちょっと残念な出来ではあったものの)。ともあれ、チャン・イーモウがマット・デイモンを得て世に問う新作の出来栄えや、いかに。
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えぇっと、なんと書こうかな (笑)。私がもし一言でこの映画をまとめるとすると、珍作という言葉を選ぶかもしれない。ネタバレはいつもの通りしないようにするが、でもこれを言わないと話が進まないことには、なんとなんとこれは、私がつい最近見て記事も書いた、「キングコング 髑髏島の巨神」と同系列、つまりは怪獣映画なのである!! 舞台は秦の時代ではなく、12世紀、宋の時代。万里の長城が防ごうとしているのは、大量に攻め寄せる敵。その敵とは、60年に一度やってくる怪物、饕餮 (どんな字だかさっぱり分からないが、「とうてつ」と読む) の大群であり、その怪物たちは知恵があって、人間の裏をかいてどんどん攻め方を発達させているらしい。因みにこの饕餮という怪物、Wiki で調べてみると、殷や周と言った古代の時代から中国の青銅器や玉器に彫られているという。あぁなるほど、例えば出光美術館のコレクションにあるような青銅器類に、よく見かける文様だ。
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映画の中ではこんな感じ。
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あらら、この記事は「キングコング 髑髏島の巨神」について書いているのではありませんよね? (笑) いえいえ、ちゃんと「グレートウォール」であります。この映画でこの怪物が恐るべき大群で現れるシーンは、少し前なら「スターシップ・トゥルーパーズ」(私の大好きな映画なのである)、比較的最近なら「ワールド・ウォーZ」と比較されるだろう。だがこの映画、不思議なことに、そんな圧倒的な数の敵に襲われる人間側の描き方に、あまり絶望感がないのである。マット・デイモンと、もうひとり、ペドロ・パスカルというチリ人俳優の演じるコンビは、傭兵として各地を渡り歩き、火薬を求めて中国にやってきたならず者たちであり、腕に覚えの彼らは、なんのためらいもなく怪物との戦いに身を投じる (因みに、ヨーロッパでルネサンス三大革命と言われた火薬・羅針盤・活版印刷は、すべて中国が先立って発明していたというのは有名な話)。正直なところ、人間を描く名人であるチャン・イーモウともあろう人が、いかにも CG CG した動きを見せる怪物の集団を、こんなに CG、いやイージーに見せてしまってよいものであろうかという印象を拭うことはできない。決戦を間近に控えた人間は、それこそ「七人の侍」が秀逸に描いている通り、不安な思いをかき消すべく、生きている証拠を探して、例えば自暴自棄な男女の愛に走ったりするものではなかろうか。その点、この映画のヒロインには、爽やかなまでにその気配がない (笑)。
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この中国人女優さんの名は、ジン・ティエン。実は以前の記事ではあえて書かなかったのだが、「キングコング 髑髏島の巨神」にも出演しており、英語のセリフもそこそこある役であった。だが正直、その映画における彼女の役の必然性には納得できる要素が少なく、製作会社レジェンダリー・エンターテインメントが中国資本に買収されたことと何か関係があるのかなぁと、漠然と考えていた。そして実は、この「グレートウォール」もレジェンダリーによる製作なのである。これがコング映画における彼女の勇姿。私が立て続けに見た二本の怪獣映画のいずれにも出演していたということになる。
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彼女の顔は文句なしに美形であり、英語もまぁまぁ頑張ってはいるが、正直なところ、世界に羽ばたく素晴らしい女優かと訊かれれば、まだまだこれからでしょうと答えると思う。この映画における、決してフレンドリーではないとは言わないが、どうにも血の通ったところがあまり感じられない女将軍役を見ていると、例えば「スターウォーズ」の 1作目、エピソード 4 なども、王女と飛び入り兵士の話であったわけだが、あの映画にはなんだか夢があったなぁと思う次第。この映画、時代の要請なのか、あるいは作り手の側に何らかの意図があるのか分からないが、言葉を選ばずに言ってしまえば、あまり感興を感じない残念な設定なのである。

怪物との戦いの成り行きや、クライマックスの作り方も、昨今のあれこれの映画の中では、まあ特にどうということもない。ひとつ言えることは、決定的な悪役が全く出てこないということか。怪物の側の論理 (?) は描かれていないが、ただ人間と敵対している存在ということでしかなく、人間ドラマはそこには期待できないのである。出演している役者の中には、ウィレム・デフォーとかアンディ・ラウといった才能豊かな人たちもいるわけだが、彼らの登場シーンでもドラマ性は希薄で、あまり個性的には描かれていない。もちろん、この映画のストーリーや映像が全く面白くないという気はなく、何気なく見ていればそれなりに面白いと言ってもよいが、あのチャン・イーモウのハリウッド・デビューで、かつマット・デイモン主演と来れば、この出来はいささか残念である。だから私は思うのである。これはもしかしたら、才能ある人たちが作り上げたヘンな映画として、人々の記憶に残るのではないかと。最初の方で珍作と申し上げたのは、そのような意味だったのである。
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さてそうなるとこの映画、何か現代的なテーマでも隠されているのかと勘繰りたくもなってくる。東洋と西洋の優劣関係の揺らぎと「信頼」の重要性、富に向かって我も我もと押し寄せる中国の人口問題、会話の通じない独裁者 (この映画の怪物にも中心がいる) が指導する国家と対峙する緊張感、外から境界を超えてやってくる移民たち、平和実現のためには犠牲もやむないと冷静に考える姿勢・・・そんな諸々の要素がここで隠喩されているとしたら? はい、もしそうならそうでもよいのだが、「もし弾道ミサイルが飛んできたらこうしましょう」という注意事項が職場で喚起されるような物騒な現実の前では、隠喩の意味を考えていても埒があかない (笑)。娯楽は娯楽として、感情移入できるものであって欲しい。これが大監督チャン・イーモウの気まぐれなのか、あるいは今後変わって行く契機となるのかは、また次回作で確認してみたいと思う。

by yokohama7474 | 2017-04-27 00:24 | 映画 | Comments(0)

大植英次指揮 大阪フィル 2017年 4月25日 大阪・フェスティバルホール

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つい 2日前のアラン・ギルバート指揮東京都交響楽団の記事で、会場となった大阪のフェスティバルホールに私は何度か言及し、「次のフェスティバルホール体験はいつになるだろうか・・・」とつぶやいて記事を終えたが、あろうことか、その舌の根も乾かぬうちに同ホールを再訪している私 (笑)。全く人が悪いというか悪運が強いというか、一体なんなんだと思われる方もおられよう。種明かしをすると、前回の演奏会で聴くことのできたこのホールの音響が非常に気に入ったので、帰りがけにチケット売り場によって、ほとんど売切れに近かったこの公演のチケットを購入したというのが真相。ちょっとほかに大阪に用があり、有給休暇を取れる算段だったという事情もあるが、第一の理由はもちろん、期近のこのホールでの公演を調べて、おっと思うような魅力的なコンサートが見つかったからである。つまり、私の敬愛するマエストロ大植英次が、かつて音楽監督を務め、現在では桂冠指揮者という地位にある大阪フィルハーモニー交響楽団 (通称「大フィル」) を振る。最近大植を東京で聴く機会がなかった (去年府中で東京交響楽団を指揮するなどの機会もあったが、聴けなかった) ので、これは本当に貴重な機会。しかも後述の通り、その曲目が特別なのである。
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さて、新フェスティバルホールの第 2回の経験だが、前回は 14時からのコンサートであったところ、今回は 19時開演。ホワイエは薄暗く、なかなかにシックな感じだ。その名も中之島という、川と川の間の中州に建っているホールであり、建物に何本も刻まれたスリットから外を見ると、川とオフィスビルの組み合わせも都会的。大阪という大都会ではあるが、いつも見慣れた東京のホールの雰囲気とはまた違っていて、なんだか楽しくなってくる。以前からの私の夢は、定年退職したら、欧米各地に加えて日本でも、各都市にあるホールでその土地のオーケストラを聴いて回りたいというもの。その意味では、ここ大阪でその練習をしていると言ってもよい (笑)。コーヒーを飲むためのテーブルには、ロウソク風の卓上照明があり、目を上げるとホワイエに設置された電球が星々のようで美しい。
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では、私としては久しぶりに聴くこととなったこのコンビの今回の曲目、一体いかなるものであったのか。
 ベートーヴェン : 交響曲第 7番イ長調作品 72
 オルフ : 世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」

うーん、これは凄い。熱狂的な力を持つ大植の音楽が、最初から最後までリズムに乗って躍動するのが聞こえるようだ。そもそも、超のつく名曲であって、普通はメインに置かれるベートーヴェン 7番を前座にするとはなんと大胆な。もちろん、過去にも例えばマタチッチの最後の NHK 交響楽団への登壇の際 (メインはブラームス 1番) とか、確かシノーポリとフィルハーモニア管の来日公演でも (メインは「英雄」) 例があったと記憶するが、いずれにせよ大変異例。メインの曲目によほど自信がないとできない選曲であろう。もちろんベートーヴェンはこのオケにとって、育ての親であった朝比奈隆が生涯真摯に向き合った重要なレパートリーのひとつであるが、既に時代は移り、あのような重厚な音でベートーヴェンを演奏することはもはやなくなってしまった。だが、実際に充実した音が鳴っている限りは、演奏スタイルなど些末なこと。とにかく説得力のある音楽を聴きたい。その点今回の大植の演奏は、このコンビの持ち味を充分出したものであったと言えると思う。冒頭の和音からして弦楽器の響き合いが美しく耳をとらえ、そしてとにかく、この曲に必要な推進力に重点が置かれて演奏が進んで行った。編成はコントラバス 6本で、ヴァイオリンの左右対抗配置を取るという、昨今のスタンダードというべきスタイルであり、過剰な情緒を排してテンポも堅実であった。だが、そこには常に前に進む意志が感じられ、第 1楽章・第 4楽章とも提示部の反復がなされなかったのは、昨今では珍しいくらいだが、それも音楽の推進力を維持するためだったと解釈したい。それから興味深かったのは、第 1楽章の後半、リズムに乗りながら音楽が熱して行く箇所で、大植が指揮棒を使わず、素手で指揮したことだ。そもそもこの人、演奏中に突然指揮棒が姿を消したりまた現れたりと、魔術的なことがよく起こるのであるが (笑)、きっとあの独特の上着の袖の部分に、指揮棒が収納できるスペースが設けてあるのだろう。いずれにせよ、通常なら、リズムが勝った箇所ではなく、歌をオケから引き出すべき箇所において、指揮棒を使わない指揮者が多い (例えば小澤征爾は、現在では全く指揮棒を使わなくなってしまったが、若い頃は、オケから歌を引き出す箇所では必ず素手で指揮していたものだ)。その意味では今回大植が素手で指揮した箇所は、若干異例であったと思うが、オケから出る音全体を、なんというか、より高みに引き上げたいという意図の現れであったのではないか。それとは対照的に、指揮棒なしで演奏したくなるような、それこそ歌が必要な箇所である第 2楽章冒頭など、中音域を担うヴィオラのよく練れた表情を、きっちりと指揮棒を持って引き出していた。全体を通して、ホルンなどに若干の課題がないではないと思ったが、冒頭の和音から終楽章のヴァイオリンの手に汗握る掛け合いまで、大植の強いリードが、現在の大フィルの、これはこれで大変充実したベートーヴェンを実現していたと思う。

そして後半、ドイツのカール・オルフ (1895 - 1982) の「カルミナ・ブラーナ」(1937年初演) であるが、これはまた本当に血沸き肉躍る傑作なのである。中世ラテン語の歌から作曲者が歌詞を集めてきており、大規模な混声合唱と児童合唱を縦横に駆使した作品なのであるが、そのいちばんの特徴は、執拗なリズムなのである。炸裂する大オーケストラと合唱の音響を彩るそのリズムは、一度聴いたら絶対に忘れないし、何か呪術的なものさえ持ち合わせる曲。私はリッカルド・ムーティが若い頃に録音した、これ以上ないほどキレのよい演奏でこの曲に親しんだのだが、そのジャケットが曲のイメージをよく伝えているので、ここに写真を掲げておく。
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このメインの大曲で大植は、ベートーヴェンでの配置と異なり、第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンを向かって左に並べ、指揮者の右側にはヴィオラが陣取った。このような劇的な曲は前半のベートーヴェン以上に大植のテンペラメントに合っていると私は思うし、実際、最初の「おお、運命の女神よ」から流れ出た音の奔流には、圧倒されるばかり。細部にまで目の届いた実に輝かしい名演で、ここでは大胆にテンポを落としたり少し煽ったりする箇所も聴かれて、明らかにベートーヴェンを演奏するスタイルとは異なっていた。そのような違ったスタイルを使い分けることができるのも、気心のあったオケであるからだろう。そして、大フィル専属の大阪フィルハーモニー合唱団も、この曲に必要な野性味を充分に発揮して素晴らしかったし、暗譜で歌った大阪すみよし少年少女合唱団も熱演。さらに加えて、3人のソリスト、すなわち、ソプラノの森 麻季、カウンターテナーの藤木 大地、バリトンの与那城 敬も、それぞれ達者で、楽しめた。特に森の変わらぬ高音の美声には拍手。ただ、髪はこの写真よりもはるかにキンキンで、まるで人形の金髪のようであったが (笑)。
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振り返ってみて、まさにリズムの饗宴という曲目ではあったものの、残ったイメージはむしろ、何か大きな山が動いたような充実感だ。オーケストラ音楽の場合、リズムはリズムだけで終わらず、つまりその場で飛び跳ねるのではなく、常に前に進んで行くパワーとなる。今回のこのコンビの演奏で、そのことに気づかされたような気がする。そしてもうひとつ。「カルミナ・ブラーナ」の歌詞には下品であったりエロティックであったり、あるいは自暴自棄や皮肉などの、人間的な感情があちこちに散りばめられている。なにせ歌詞が中世ラテン語という特殊言語だから、子供たちでも照れずに歌えるという面もあるかもしれない (笑)。だが私はこの曲がこの大きなホールで響いているのを聴いていて、個々の人々の人生の集合がここで響いているのだなぁと思うと、なんとも高揚した気分になったのである。大阪の街で、大阪の人たち (と、若干数 ? の訪問者たち) が音楽に耳を傾けることの意義。教養とか文化とかいう能書きはなくとも、その音楽を楽しむことはできるが、平和や一定の経済力がないとそうはいかない。だから、このような音楽を実際に体験できる我々は、本当に幸せなのである。そしてこのホールは、大阪の人々にそのような幸せを与える、貴重な場所なのだ。

この大フィル、今後も素晴らしい指揮者陣が登場する。これが会場に貼ってあったポスターだが、左から、5月に登場するウラディーミル・フェドセーエフ (チャイコフスキー 5番など)、6月の準・メルクル (「ペトルーシュカ」など)、7月のエリアフ・インバル (マーラー 6番!!)、そして、写真では暗くて見えないが、9月はユベール・スダーン (シューベルト) だ。錚々たる顔ぶれではないか。
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普段なかなか体験できない大フィルの定期演奏会を堪能したので、ちょっと味をしめて、また次回はどうしようなどと考え始めている私。首尾よく行けば、またこのブログでご紹介します。井上道義体制から尾高忠明体制への音楽監督移行も注視したい。

by yokohama7474 | 2017-04-25 23:29 | 音楽 (Live) | Comments(2)

キングコング 髑髏島の巨神 (ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督 / 原題 : Kong : Skull Island)

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私はこのブログで映画を紹介するときには、かなりの頻度でその映画を予告編で見たときの印象を記している。それは、予告編にはその映画の興行成績にも直結しうる凝縮されたメッセージが入っているケースが多く、大げさに言えばその映画と対面するときの大事な「顔」であると思うからだ。そして、この映画の予告編を見たときに真っ先に私の頭が理解したことには、これは怪獣映画であるということだ。もちろん、誰もがすぐに理解する通り、キングコングの映画であるから、一般的には「モンスター映画」という呼称がふさわしいように思うが、なんのなんの、怪獣好きにはすぐに分かるこの「怪獣映画」の匂い (笑)。だからこの映画は私の中では、封切当初から見たい映画一覧表のかなり上位を占めることとなったのである。ところが、あろうことかこの数週間、結構忙しくて、なかなか映画を見る時間がない。ああ私はこのまま、仕事とか接待メシとか歓送迎会に時間を取られたまま、この映画を見る機会を逃してしまうのではないか・・・と神に罪を告白する思いで天を仰いでいたのであるが、ようやく先週末、なんとか朝の回に見に行くことができたのである。

さあ、そんなわけで、これが新たなる怪獣映画の傑作との出会いとなったことは、誠に喜ばしい。私の世代でキングコング映画と言えば、もちろん最初の作品 (1933) は RKO 製作映画のリヴァイヴァル特集上映で劇場で見ているものの、ジェシカ・ラングの出たジョン・ギラーミン監督作品 (1976) は劇場では見ていない一方、ナオミ・ワッツの出たピーター・ジャクソン監督作品 (2005) はもちろん見ている。あ、あと、米国のテレビアニメ物は、日本語の主題歌を今でもよく覚えている。だが東宝映画の「キングコング対ゴジラ」(1962) は、テレビでも見た記憶がない。でもこんなポスター、レトロでよいではないか。著作権の緩やかな大らかな時代の産物と思っていたが、今回調べて分かったことには、ちゃんと米国のプロダクションから東宝が権利を購入して制作したらしい。なるほど、題名においてゴジラよりもキングコングを先に出すことまで、契約で決まっていたのだろうか (笑)。まあ、こんな対決はもう二度と実現しないだろう。
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さて、21世紀のキングコングは、こんなに素朴ではない。第一今回の映画、予告編を裏切るキングコングの登場シーンがなんとも小気味よいのである。つまり、大抵の人は予告編でこのシーンを見て、岸壁に血で手形を残した巨大生物の存在におののく人間たち、しかしその正体は未だ現れず、不気味な謎に包まれている・・・と思うではないか。
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ところがそうではなくて、今回のコングは、かなり唐突にその姿を堂々と現すのだ。これからご覧になる方には、コングの初登場シーンにご注目、と言っておこう。いやー、楽しいなぁ。おっと、こんなに激しく牙をむかれては、その存在意義を誤解されてしまいます。
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そう、この映画においては、この凶暴極まりないコングが善玉なのか悪玉なのか、この点がかなり重要となってきて、これはいわゆるモンスター映画の常道でもあろう。だが上述の通り、これはただのモンスター映画ではなく、様々な怪獣たちが出て来る点にこそ重要性がある。そんな中でコングの位置づけも、それほどもったいつけることなくストレートに描かれることとなる。実に小気味よい。これがこの島に住む怪獣たちの例。
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よく見ると最初に掲げたポスターに、これらの怪獣たちの姿があしらわれていて、だからこれが怪獣映画であることは、やはり最初から明らかなのであるが、少し難点を挙げると、これらの怪獣の出番がちょっと少なくはないだろうか。実際のところこの映画におけるコングの闘いは、最初は人間と、そして最後は宿敵スカル・クローラー (上に掲げた写真のうちのひとつ) と、ということに絞られるのだ。だが、それとても難点というほどでもない。なんと言ってもヘリコプターを縦横無尽につかんでは投げるシーンは凄まじい迫力だし、クライマックスのスカル・クローラーとの闘いにおいては、霊長類(?)たるコングが他の巨大生物と違う点は、道具を使うことができる点だと実感し、胸が熱くなるのである (笑)。そのシーンもやはり非常によくできていて、とにかくすごい迫力なのだが、実はその闘いは、2014年のハリウッド版「Godzilla ゴジラ」におけるゴジラとムートーの闘いを思わせる点もある。・・・ではゴジラとキングコングが闘ったら、何が起こるのだろう。いやいや、上述の通り、そんなことはもう起こらないのだが。

改めて思い返してみると、この映画では随所に冴えた演出のセンスが見られるのだが、端的な長所を挙げると、観客が登場人物たちをきっちり区別できるように作られていること。このブログでも過去に何度か、戦闘ものにおける一群の登場人物たちの区別が難しい作品を採り上げたが、その点この映画は本当によくできていて、多くの登場人物たちが探索や戦闘に加わっているにもかかわらず、主要な役は全員識別できるようにできている。これは稀有なことで、監督の手腕であると称賛しよう。そしてそんな中、このような豪華な顔ぶれが顔を突き合わせるのである。
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そう、ジョン・グッドマンとサミュエル・L・ジャクソンだ。どんなに豪華な怪獣映画やねん (笑)。そして、実質的な主役はこの人、今最高にカッコよい、トム・ヒドルスマン。私は彼の演技を見て失望したことはない。
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そして、伝統的なキングコングもののヒロイン役を包含する (?) 逞しい女性カメラマンを演じるのは、ブリー・ラーソン。うーん、まあ正直それほどよい女優さんとも思わないが、未だ 27歳ながら、2015年の「ルーム」という映画で、なんとアカデミー主演女優賞に輝いているのだ。お見それしました。
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という大変充実したキャストをまとめた才人監督は誰かというと、なんと、インディーズ系出身でこれがメジャー長編デビューとなるジョーダン・ヴォート=ロバーツ。
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この特異な髭によって年齢不詳に見えるが、きっとまだ若いのだろう。芸術系の映画はもちろん好きだが、日本のアニメやゲームも大好きであるとのこと。さもありなん。またこの映画では、密林を舞台にしているということで、コッポラの「地獄の黙示録」へのオマージュを感じさせるシーンも多い。私の見るところ、この作品は正しい監督を得ることによって、素晴らしい成功作になったのだと思う。
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さて、これからこの映画をご覧になる方は、エンドタイトルが終わるまでちゃんと席にいなければならない。実際そこでは、私が上で書いたことが大嘘であることが判明するのである。嘘をついて失礼しました。実は、この映画のプログラムにも記載はあるし、ネット上にも様々な情報が溢れているので既にネタバレではないと確信して書くが、実は近い将来、キングコングはやはり、あのゴジラとの再決戦に臨むことになるのである!! 実はこの映画、「モンスターバース = Monster Verse」(Verse とは韻文とか詩作のこと) というシリーズの 2作目。1作目は、上でも触れた、ギャレス・エドワース監督の「Godzilla ゴジラ」なのである。そして、3作目は 2019年公開予定の "Godzilla ; King of Monsters"、4作目は 2020年公開予定の "Godzilla vs Kong" となる予定。このシリーズは、レジェンダリー・エンターテインメント社が東宝と提携して制作し、ワーナー・ブラザーズが配給しているらしい。なるほど、ゴジラは日本では「怪獣王」であったが、このシリーズでも他の怪獣をなぎ倒し、最後はキングコングと対決するわけか。それにしても、上の方で掲げた昔の東宝映画の題名では、キングコングの名が先に出ていたが、今回のハリウッド映画は、ゴジラの名が先に出るわけか。ゴジラの世界的名声も確立されたわけで、ご同慶の至りである (笑)。昨年日本で異常なほどヒットした「シン・ゴジラ」は、私の見るところでは、ハリウッド版ゴジラへのアンチテーゼであったわけだが、今後公開されるこれらのハリウッド映画に対して、日本側としても何か対抗策を取らなくてよいのだろうか。それとも、この Monster Verse シリーズには東宝も携わっているので、それでよしとするのだろうか。国際社会における日本の地位に影響するかもしれない大問題ではないか (笑)。でもこのコングの表情の多彩さは、さすがに恐竜タイプのゴジラでは出せないなぁ・・・。本当によくできている。いずれにせよ、対決を楽しみにしておりますよ。
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by yokohama7474 | 2017-04-25 00:31 | 映画 | Comments(0)

アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団 (ピアノ : イノン・バルナタン) 2017年 4月23日 大阪・フェスティバルホール

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4月19日の記事で、米国の名指揮者アラン・ギルバートと東京都交響楽団 (通称「都響」) との意欲的な演奏をご紹介したが、このコンビが今回取り組んだもうひとつのプログラムは、東京では昨日、4月22 (土) に東京芸術劇場で行われた。あいにく私はそのとき、NHK ホールでファビオ・ルイージ指揮の NHK 交響楽団の演奏会を聴いていたので、聴くことができなかった。だが、物事やはり様々な可能性を試してみることが何よりも大事である。今回、同じ曲目でのコンサートが大阪で開かれると知って、では大阪まで行くしかないでしょうと、実に単純な決断をしたのである。会場は中之島にあるフェスティバルホール。この名称は、大阪国際フェスティバルという音楽祭の会場になることによっており、このフェスティバルでは、なんと言っても 1967年にバイロイト音楽祭の引っ越し公演が実現したことや、1970年の大阪万博の際には、カラヤンとベルリン・フィル、バーンスタインとニューヨーク・フィル、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団などが登場し、そのことは、日本の西洋音楽史に燦然と輝く業績なのである。但し、これは本当の意味で欧米のいわゆる音楽祭のように、短い期間に集中的に世界的な音楽家が登場するという催しではなく、少なくとも現在では、数ヶ月のうちにいくつかの公演があるという形態であり、フェスティバルというよりも、個々の演奏会の内容で勝負している印象がある。実は今回のアラン・ギルバートと都響の演奏会も、フェスティバル提携公演という位置づけである。そうそう、書き忘れたが、このホールは、もともと大きい (2,700席) 割には音がよいと言われていたが、老朽化のために建て替えられ、現在のものは 2012年にオープンした新しいもの。私は以前のホールには何度か行ったことがあったが、新しく建て替えられてからは今回が初めてで、その興味も大きかったのである。これが現在フェスティバルホールの入っている中之島フェスティバルタワー。
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さて、現在ニューヨーク・フィルの音楽監督という、音楽界における世界トップの地位のひとつにいる指揮者アラン・ギルバートが採り上げた曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : 劇付随音楽「エグモント」序曲 作品84
 ラフマニノフ : パガニーニの主題による狂詩曲 作品43 (ピアノ : イノン・バルナタン)
 ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ホ長調「英雄」作品55

なるほど、ドイツ古典派のベートーヴェンの名作 2曲 (当初発表では「エグモント」序曲は入っていなかったところ、追加されたらしい) の間に、ロシアロマン派のラフマニノフが挟まっているという構成だ。これは私の勝手な想像だが、この真ん中のラフマニノフは、ギルバートが、日本では未だになじみのない今回のソリストの本領を発揮させるレパートリーとして、あえて挟んだものではないのか。そう思った理由は後述する。

さて、最初の「エグモント」序曲だが、颯爽と駆け抜けるというよりも、かなり重心の低い音色による堂々たるベートーヴェンであったと思う。冒頭の長い和音から音楽はドクドクと息づき、不安や情熱を絡みつかせながら、悲劇的な様相を帯びて進んで行く。都響の弦は明らかにほかのパートをよく聴きながら、有機的に伸びていた。実に素晴らしい反応力。ギルバートほどの実績ある指揮者にも臆することなく (むしろオケを臆させない点こそがギルバートの持ち味と言ってもよいのかもしれない)、持てる力をフルに音楽に乗せたという印象。コントラバス 6本 (これはメインの「エロイカ」でも同じ) で、今日のベートーヴェン演奏の基準というべき通常の規模であったが、ヴァイオリンの対抗配置は取らず、ヴィブラートも過剰にならない程度にはかかっていて、昔風という言うと当たっていないだろうが、古楽の影響を過度に受けた教条的な演奏とは全く異なる、活きたベートーヴェンであった。

そして、2曲目のラフマニノフを弾いたソリストは、イスラエルのピアニスト、イノン・バルナタン。1979年生まれというから、今年 38歳。既に、若手というより中堅というべき年齢である。
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経歴を見ても、○○コンクール優勝という説明がない。実際、最近の若手や中堅の演奏家は、コンクール歴がなくとも素晴らしく個性的な人が多くいるので、特に驚かない、というよりも、コンクール歴なしで世界で活躍しているとするなら、むしろその才能が本物である証拠ではないかと思いたくなる。実際彼は、ギルバートが音楽監督を務めるニューヨーク・フィルの初代アーティスト・イン・アソシエーション (日本語にするとつまり、ともに音楽を作り上げるパートナーとしての音楽家ということか) に指名されているという。ニューヨーク・フィル以外にも米国の名門オケの数々と共演していて、ヨーロッパにも活動を広げているようだ。実は都響にも過去に一度出演していて、それは、2016年 1月、やはりギルバートの指揮で、曲はベートーヴェンの 3番のコンチェルトであった。そのときのメインはやはりベートーヴェンの 7番で、うーん、そんなコンサートに私はなぜ行かなかったのかと思って調べてみると、山田和樹指揮日本フィルのマーラー・ツィクルスの第 4番と重なっていたのであった。それはそれでやむなかったのであるが、それにしても今回聴けてよかった。彼は、ちょっとないような素晴らしく個性的なピアノを弾く音楽家であることが分かったからだ。きっとその実力を知るギルバートが、前回のベートーヴェンとは異なるレパートリーで日本に再度紹介したかったのではないか。大変小柄な人なのであるが、その音楽の自由闊達なことは無類。そもそもこのラフマニノフの曲は、狂詩曲 (そう、このブログの題名と同じ、「ラプソディ」です!!) というだけあって音楽は勝手気ままに流れ、途中に誰もが知る超絶的に美しい抒情的な箇所 (第 18変奏) がある以外は、ピアノがのべつ好き勝手に飛び跳ねているような曲。もちろん、パガニーニが使用し、ラフマニノフ自身も様々な作品で引用したグレゴリオ聖歌の「怒りの日」(死者を弔う音楽の一節) をテーマとしている以上、そこに終末的な思想があるわけだが、むしろ死をあざけ嗤うような曲なのである。だがこの音楽は正直なところ、すべての小節が心に響いてくることにはならず、実演では結構退屈するようなこともある。それなのに、今回のバルナタンの演奏は実に見事で、聴いていて飽きることがない。もしこのような音楽を奏でるピアニストをほかに探すとすると、クラシックのピアニストではなく、例えばキース・ジャレットではないか。都会的な美音でありながら、そこに安住せず、常に自由さを忘れずに飛翔する。そのようなイメージである。もちろんそのピアノの質の高さによって、有名な第 18変奏では、ギルバートが唸りながら引き出した弦楽合奏の美しさがより一層増したことは言うまでもない。素晴らしい演奏であり、聴衆の拍手はなかなか鳴りやまなかったが、アンコールは演奏されずに休憩に入った。

そしてメインの「エロイカ」も、冒頭の「エグモント」と同様、実に堂々たるベートーヴェンで、もしかするとギルバート自身が新たな次元に入っているのではないかと思わせるような充実感を感じることとなった。ここでも都響の弦はいつもの芯のあるずっしりしたもので、もともとベートーヴェンへの適性はあると思うが、その音を充分に引き出した指揮者の手腕もさすがのものである。解釈において奇をてらったところは皆無であり、まさに正攻法。やはりよい音楽は、このようなストレートな表現によって活きるのだということを改めて実感した。終演後、既に聴衆たちの退場が始まっているときに、客席から「コントラバス、本当にうまかったぞ!!」と大きな声を舞台にかけた男性がいて、ちょっとびっくりではあったが (笑)、いやいや実にその通り。コントラバスが安定していたからこそ、弦全体のうねりが生まれたものと思う。

都響の大阪公演はさほど頻繁に行われているとは思えないが、この 2,700席のホールがきっしり満員。今後も、例えば音楽監督の大野和士とも大阪公演を行ってみてはいかがか (先日名古屋公演は行っていることでもあり)。私が今回聴いたのは 1階席のかなり前の方であったが、その音響は大変満足のできるものであり、大阪のホールとして、あの素晴らしいザ・シンフォニーホール (収容人数 1,700人) を忘れることはできないが、このフェスティバルホールでも充分素晴らしい音楽体験ができることを理解した。私の場合は、東京の音楽活動だけで既に手一杯状態ではあるものの、極力時間を作って、ほかの都市でも頑張って音楽を聴きたいものだ。さて、次のフェスティバルホール体験はいつになるだろうか・・・。
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by yokohama7474 | 2017-04-23 23:14 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ファビオ・ルイージ指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : ベアトリーチェ・ラナ) 2017年 4月22日 NHK ホール

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イタリアの名指揮者、ファビオ・ルイージ指揮による今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会の 2つ目のプログラム。今回の曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第 1番ハ長調作品 15 (ピアノ : ベアトリーチェ・ラナ)
 ブラームス : 交響曲第 4番ホ短調作品 98

なるほど、今回は王道のドイツ音楽一本で勝負するルイージである。但し、4月16日にご紹介した前回のルイージと N 響の演奏会も、実はすべての演目がドイツ・オーストリアの曲目であったのである。なるほどなるほど。今回彼が採り上げた 2つのプログラムは、すべてドイツ・オーストリア系。これまでのキャリアでドイツ語圏のシュターツカペレ・ドレスデンやウィーン交響楽団を率いてきたルイージと、元来ドイツ物をバリバリ弾くという持ち味で勝負して来た N 響。これは面白いことになりそうだ。

まず 1曲目、ベートーヴェンの 1番のピアノ・コンチェルトを弾いたのは、イタリアの若手女流、弱冠 24歳のベアトリーチェ・ラナ。N 響には初登場だ。
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日本のオケには様々なソリストが登場して、大家もいれば中堅もおり、若手もいる。このような機会に新たな演奏家と出会うことは、コンサート愛好者の特権なのである。さしずめ今回のラナなどは、そのような特権を感じさせてくれる素晴らしいピアニストであったと言えると思う。彼女の経歴を見てみると、2011年、18歳でモントリオール国際コンクールで優勝、2013年にはヴァン・クライバーン国際コンクールで 2位ということで、これはこれで素晴らしいのだが、どのようなピアニストであるのかは、実際に聴いてみないと分からない。そして、実際に聴いてみて分かったことには、非常にクリアな音で鍵盤を駆け抜ける素晴らしいピアニストだということだったのである。このベートーヴェンのコンチェルトは、本当に溌剌とした元気の出る曲であり、それをこのように演奏してもらえれば、聴き手としてはまず第一に、曲の素晴らしさを感じることができるわけで、それこそが音楽の醍醐味なのだと思う。第 2楽章で彼女のピアノは、まるでバッハを弾くかのような透明感をもって、感傷的になることなく、だが大変に美しくて平穏な世界を紡ぎ出した。この楽章の終盤に出てくるクラリネットとの絡みも実に見事で、本当にいい音楽なのだと実感したのである。いつも私がこのブログで主張していることは、演奏家が若いか年寄りかは、音楽を聴く上では重要な要素ではなく、それぞれの演奏家はそれぞれのキャリアがあるのであって、若い時にピークを迎える人もいれば、老年に至って真価を発揮する人もいる。さらに言えば、何をもってその演奏家のキャリアのピークであるかは、誰にも分からないのである。その意味で今回のラナは、今の彼女の持てる力を巧まずして発揮することで、ベートーヴェンの若書きの音楽の素晴らしさを表現したと言えると思うし、彼女の音楽がまた今後変わって行くことがあるにせよ、今の彼女の音楽は充分に魅力的だということだ。そして彼女が演奏したアンコールは、ドビュッシーの「ピアノのために」の第 1曲。うーん、ベートーヴェンの後にドビュッシーを弾ける感性は素晴らしいと思うし、実際、常に輝きを保ちながら鍵盤を縦横に駆け巡った彼女には、聴衆が聴き惚れるものがあった。因みに、以前誰かが書いていたが、ドビュッシーは「ピアノのために」という曲をフォルテで始めているのである (笑)。ラナの溌剌とした演奏を聴くと、そんなこともどうでもよくなって来るのである。

そして後半、天下の名曲ブラームス 4番。これは事前の予想通り、ルイージらしいタメの効いた演奏。冒頭の滴り落ちるような音型は、うぅーんっとカーブを描いて絞り出されたが、そこはさすが N 響。ルイージの要求によく応え、音楽的情景の移り変わりを実に充実した音で描き出していた。弦楽器が重層的で深い音色を出していたのは当然で、また木管奏者のそれぞれが、実によい音で鳴っていたのである。だがルイージの音楽は、昔のドイツの巨匠のような重い音にはならず、第 2楽章で深々と歌う箇所でも、推進力のあるキレのよい音で一貫していた。終楽章ではオーボエが入りを間違えるハプニングもあったものの、その後見事に挽回。寂しげなフルートも実に表情豊かで、終演後に指揮者が真っ先に立たせたのも納得できよう。なるほどこれが、イタリアの魂を持ったドイツ音楽なのである。美しくも爆発力のある音楽は、まさにルイージの明確な個性であると思う。ルイージと N 響には今後も長い共同作業を続けてもらい、日本において新時代のクラシック音楽の水準を打ち立ててもらいたい。先頃発表された N 響の来シーズン (今年 9月から) の定期演奏会の指揮者陣にはルイージの名前はないが、またその次のシーズンを心待ちにしている。この写真は、上に掲げた今回のプログラムで使われたルイージの写真。眠そうに見えないこともないが、大丈夫。ひとたび指揮を始めると、マジカルな手腕が発揮されるのである (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-04-22 23:22 | 音楽 (Live) | Comments(2)

シャセリオー展 国立西洋美術館

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テオドール・シャセリオー (1819 - 1856)。見覚えのある名前であり、どこかの美術館で作品に触れているはずだが、明確には思い出せない。確か昔、大学で文学部の講義を選択して、フランスのロマン主義と新古典主義から印象派に至る流れを一通り学んだ際にも、その名が出て来たような気がする。このポスターに使われている女性の肖像画を見ると、描き方自体には古典的な要素を持ちながらも、どこかに憧憬をたたえたその女性の表情には、型通りの写実を超えた、どこかなじみがあるようなないような、不思議な感覚を覚える。いずれにせよ、一般にはほとんど知られていない、37歳で夭折したこの画家の初めての展覧会が、上野の西洋美術館で開催中である。なかなかに貴重な機会と思い、ちょっと覗いてみた。

シャセリオーは、カリブ海のイスパニョーラ島 (現在は2/3がドミニカ共和国に、1/3がハイチに所属) で、フランス人の父と現地生まれの入植者 (いわゆるクレオール) の母の間に生まれた。現代の、しかも極東の島国に住む我々にとってはこのあたりは感覚的にちょっと分かりにくいが、当時ヨーロッパ列強諸国はいずれも植民地を持ち、自国から遠く離れた中南米にも、多くのヨーロッパ人たちが進出していたわけである。ドミニカも、スペインとフランスが取り合いをしていたようであり、複雑な歴史を持つ。シャセリオーの父も、もともとはナポレオンが送った (そ、そうなんだ!!) イスパニョーラ島への遠征軍に参加して現地に住みついたらしく、その後パナマやコロンビア独立のために奔走し、投獄されたこともあるという、行動の人であった。シャセリオーが 2歳のときに一家はパリに移住する。そこで絵の勉強を始めたシャセリオーは、11歳のときに、当時新古典主義の大家であったドミニク・アングルの弟子となることを認められた。早熟の天才であったわけだ。これは、1835年、16歳のときの自画像。彼は決して美男ではなかったという記録があるようだが、ここで見る若い男性は、確かに美形ではないものの、神経質さを感じさせる一方で、何か自分の中に存在する芸術への思いを冷静に見つめているようである。なるほど、早熟の天才である。
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これは、「16世紀スペイン女性の肖像の模写」。制作年は 1834 - 50年頃となっているので、正確なところは分からないのであろう。これが誰の姿で、誰の作品の模写であろうと、垂れ下がった首飾りをぐっとつかんだ左手が異様に逞しく、見る者をどきっとさせる点において、極めてユニークな作品と言えるのではないだろうか。
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これは、1837-38年頃の「黒人男性像の習作」。これは、師であるアングルが「キリストの誘惑」という作品を描こうとして、そこに登場するサタンの習作を描くようにシャセリオーに指示が出たことによって制作されたもので、現在でもアングル美術館所蔵になる。私が面白いと思うのは、この白々しいまでに青い空だ。黒い肌で描かれた堕天使の背景としては、なかなかのセンスではないか。右下に描かれた、握ったり開いたりする手も、表情があって面白い。
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アングルからシャセリオーに出された指示も展示されているが、こちらの方は平板な表情になっているので、10代にしてシャセリオーが、師の指示を超えるような想像力に富んだ制作を行っていたことの証明になるのではないだろうか。
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これは「アクタイオンに驚くディアナ」(1840年)。未だ 20歳そこそこだが、世間ではアングルの後継者と目されていたところ、本人は師と袂を別つ決意をし始めていたらしい。そのせいか、この作品はこの年のサロンに落選し、酷評を受けたという。芸術家の歩む道のりは、もちろん本人の意志次第でありながらも、時として運命的な要素に左右される。早熟であったシャセリオーが選んだ道は、歴史的な評価という点では必ずしも最善の策ではなかったのかもしれないが、だがそれゆえに、150年以上を経ても人々に訴える力を持つのかもしれない。この作品を見て私が連想するのは、英国で活躍したスイス人画家、フュースリ (「夢魔」で有名) である。また、右の後ろの方で女性が 2人並んでいるところなど、シュールなまでの不思議な雰囲気である。極めてユニークではないか。
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これも同じ 1840年の「石碑にすがって泣く娘 (思い出)」。後ろの木が、女性の哀しみに同調するように身をよじっている。このタッチは、もうダリに近いとすら言えるようなシュールなものだと思うのは、私だけであろうか。
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彼はその後イタリアへ旅をし、帰国した 1841年、パリのサン・メリ聖堂の礼拝堂の注文を得る。これはその習作、水彩で描かれた「エジプトの聖マリアの生涯」(1841 - 43年)。英国のラファエロ前派を予感させるようなタッチではないか。
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当時ギリシャ神話はポピュラーな題材であったが、シャセリオーは、いわゆる文学性を伴う絵画表現に傾くことで、新古典主義からロマン主義に鞍替えしたとされる。私は以前から、この 2派が、当時区別されたようには明確な差があるとはとても思えず、画家のメンタリティには通底する部分があると思っているのだが、この 1845年に描かれた「アポロンとダフネ」を見ると、ロマン主義を超えてむしろ象徴主義に近づいていると思う。
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それを証明するかのように、展覧会には象徴主義の代表選手であるギュスタヴ・モロー (1826 - 98) の同じ主題の作品が展示されている。これは制作年は不詳とのことだが、モローは、7歳上のシャセリオーから大いなる影響を受けたという。
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シャセリオーの文学趣味のひとつの表れとして、シェイクスピアの「オセロ」の版画の連作が挙げられる。1844年の初版はごく少数しか刷られなかったが、ロマン主義の大家であるドラクロワはそれを所持していたという。これは、「もし私があなたより先に死んだら・・・」。言うまでもなく、デズデモナとその侍女であろう。
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そしてこれは、「気絶したマゼッパを見つけるコサックの娘」(1851年)。マゼッパと言えば、バイロンが詩にしており、また音楽の分野ではリストやチャイコフスキーが題材にしていて、典型的なロマン派のテーマである。主人公マゼッパは、有力者の妻と不倫を犯し、馬の背中に縛り付けられて荒野に放たれるというワイルドな物語である。ここには異国趣味も色濃く出ていて、それもロマン派の典型例なのである。
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さらに、文学的でロマン派的な作品の好例がある。「マクベスと3人の美女」(1855年)。言うまでもなくシェイクスピアに題材を採っている。いわゆる器用な作品という感じはあまりせず、文学に表れた人間的な要素をキャンバスに描き出すことが画家の意図であるように思われる。
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次は「泉のほとりで眠るニンフ」(1850年)。泉と言えば、師のアングルの作品が有名だが、ここで横たわる美女の描き方は、アングルのそれとは全く違う。挑発するようにあけっぴろげになっている脇の下に毛が描かれているという事柄だけでも、師の新古典主義とは大きく異なるシャセリオーの感性が分かろうというものだ。この作品のモデルは、当代一の美女と謳われた女優のアリス・オジーという人らしく、文豪のヴィクトル・ユゴーは彼女に入れ込んで、あろうことか、彼女を巡って息子と争ったという。全くフランス人は・・・(笑)。
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シャセリオーの画業はこのような神話を題材にした作品だけでなく、同時代の人々の肖像画にも見るべきものがある。これは「アレクシ・ド・トクヴィル」(1850年)。由緒ある貴族の家に生まれたこのトクヴィルは、政治家であり法学者であって、シャセリオーと家族ぐるみのつきあいをしていたという。若干神経質なようでいて、だが同時に意志の強そうな表情が印象に残る。
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余談だが、この展覧会の会場には、高山裕二という人が書いた「トクヴィルの憂鬱」という本を売っていて、面白そうなので買ってしまった。トクヴィルを例に取って、19世紀フランスロマン主義の青年論について語った本である。
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肖像画の名品をもう一点。展覧会のポスターにもなっている「カバリュス嬢の肖像」(1848年)。モデルとなったマリー=テレーズ・カバリュスは、名門の家に生まれ、当時のパリで最も美しい女性の一人に数えられたとのこと。当時 23歳。知的でありながら人間味あふれる肖像画ではないか。
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19世紀のフランスの画家にとってはオリエント世界はエキゾチズム溢れる場所であったが、ロマン主義の泰斗であるドラクロワがモロッコ旅行で色彩に目覚めたことはよく知られている。シャセリオーもアルジェリアに滞在して、かの地の光のもとで様々なスケッチを残している。これは「バブーシュ (室内履き) の 6つの習作」(1846年頃)。溢れる好奇心でスケッチしている画家の姿が目に浮かぶ。
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これも同じ頃の「床に座るアルジェのユダヤ人女性」。油彩画よりもなだらかなタッチで描かれた水彩画で、完全に色を塗り切らない点にゆとりが見られて面白い。
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さて、シャセリオーが手掛けた畢生の大作は、1842年に完成した会計検査院の壁画である。このような立派な建物であったらしい。
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シャセリオーが描いたのは総面積 270平米の壁大小 15面で、「戦争」「平和」を中心的テーマとしており、描かれた人物は 230人以上。当時のフランスにおいて、独力で描かれた壁画としては最大のものであったらしい。これが当時描かれた版画。
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だが残念なことに、この壁画は1871年のパリ・コミューンの騒乱 (普仏戦争敗北後に勃発した市民の蜂起) の際に建物ごと焼かれてしまい、今では断片がルーヴル美術館に残るのみらしい。これが焼かれてしまった壁画の様子。
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なんとももったいない話だが、歴史の歯車が大きく動いた時代。貴重な絵画の犠牲もやむないことであったのかもしれない。この展覧会では、スケッチや古い写真でその壁画を偲ぶことができる。これは「母親と老人の間に立つ『平和』」と、「戦支度を調えさせる『秩序』」。
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これは、焼かれた後に撮られた写真で、「力と秩序」。
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フランス 19世紀の壁画と言えば、もちろんピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ (1824 - 1898) が有名で、私も 2年前にパリの記事を書いた際に言及したが、そのピュヴィス・ド・シャヴァンヌは、5歳上のシャセリオーから大きな影響を受けたという。上記の通りの、モローへの影響と並んでピュヴィス・ド・シャヴァンヌへの影響こそが、シャセリオーの短い人生の軌跡を永遠のものにしているのではないだろうか。展覧会にはまた、彼が晩年に手掛けた、パリのサン = ロック教会というところの壁画の習作も展示されている。これは「インド人に洗礼を施す聖ザビエル」(1852 - 53年)。初期から変わらぬ鮮やかな青が印象的だ。
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そしてシャセリオーは、1856年、37歳の若さで亡くなってしまう。展覧会の図録を見ても、その死因については「正確な病名は知られていない」とある。もともと虚弱な体質であったらしい。死後の見舞客の署名には、モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌも含まれているという。いかなる天才も死は免れないが、150年以上経ってから、このように遠い日本の地で展覧会が開かれていることを知ると、本人もさぞや驚くであろう。短い人生でスタイルを変えて自己の芸術を探求したその姿から、時代の雰囲気を色濃く感じることができて、大変興味深い展覧会であった。

by yokohama7474 | 2017-04-22 01:31 | 美術・旅行 | Comments(6)