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ここしばらく映画を見る機会を逃していた。もちろん、出張の際に飛行機の中で見た映画はある。それらは大抵、劇場で見逃したものか、あるいは劇場で見ることは最初から想定しないタイプの映画であって、面白いもの面白くないもの、様々だが、このブログで採り上げる対象とはしない。というのもここでは、映画に関しては、劇場というしかるべき空間での経験のみを語ることとしたいからだ。とまあそんなわけで、しばらくぶりに劇場で見て、そしてここで採り上げる映画は、あのウディ・アレンの新作である。

私のウディ・アレンに関する思い入れは以前にも書いたのだが、1980年代、90年代の頃にはどうにも共感できず、あえて距離を取っていた。だが時は流れ、このところの私は彼の作品にほれ込んでいて、見る映画見る映画、ふぅーんっと唸ってしまうのである。今彼のフィルモグラフィを眺めて数えたところ、2008年の「それでも恋するバルセロナ」以降の監督作品 (劇映画のみ) 9本のうち、見ていないのは 1本だけだ。彼は今年 82歳になる高齢だが、そのキャリアで一貫して監督作では必ず脚本を書き、オープニングタイトルは極めてシンプル。CG も使用しないから、エンドタイトルも今時珍しい、短いものだ。彼の制作態度は何十年も変わっておらず、ただこちらが年を取ってものの見方が変わってきた (願わくば大人になった???) ということなのだろう。これは本作で主要な役 (ヴォニー) を演じるクリステン・スチュワートと並ぶウディ・アレン。肩など組んで、おいおい、近い近い!! (笑)
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そんなわけで、久しぶりに見る映画として迷いなくこれを選んだのだが、オープニングタイトルでいきなり、普段のウディ・アレン映画では経験しない、のけぞるほどの驚きを覚えることとなった。それは、撮影監督の名前である。Vittorio Storaro・・・えっ、もしかして、ヴィットリオ・ストラーロ??? そう、あのベルナルド・ベルトルッチの盟友であり、この稀代の名監督の代表作の数々を、まさに奇跡の映像で彩った、あの天才撮影監督である。もちろんそれ以外にも、「地獄の黙示録」も有名だし、BBC がワーグナー生誕 150年を記念し、ロバート・バートン主演で制作した伝記作品でも、テレビながら実に彼らしい映像美を創り出していた。調べてみると彼は 1940年生まれで、今年 77歳。ウディ・アレン作品の撮影監督は初めてである。
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そして、始まった映画の冒頭シーンを見て、私は再びのけぞったのである。1930年代ハリウッド。映画関係者たちが集う華やかなパーティで、プールサイドを滑らかに動くカメラが映し出す、夕焼けのあとの空の薄い青、プールの水の青、それを反射する白い建物の青。それぞれ微妙な差を持つ青たちが、ひとつの画面の中で実に絶妙にバランスされてゆらめいており、言葉を失うほどだ。実際、この 96分という比較的短い映画の中に収まった映像美は、平凡な映画の百本分くらいではないか。正直なところ、映像に見とれてストーリーを追うのを忘れるシーンもいくつかあった。ここでのストラーロの行動範囲は、屋内ではオフィスや高級レストランやカジュアルなバーやパーティ会場や一般人の自宅や、それこそカフェまで。屋外では冒頭のような屋敷のプールサイドから、海岸の波打ち際から、豪邸のテラスから、ならず者が死体をセメント詰めにする建築現場まで。実に様々なシーンをフレームに収め、ある場合には西日が疑念に満ちた人の顔を赤く照らすかと思うと、またある場合には家族の会食の場面で家長たる父親の顔が陰になる。また、美しいシルエットもあれば、叔父を待つ主人公の服装と彼が背にする廊下の貼り紙が同系色のブラウンであったり、それはそれは、随所で遊びと真剣勝負がないまぜになっているのである。私は今ここで、記憶によってそれぞれのシーンを再現してみようとしているが、それには限界がある。少なくとももう一回、いやできれば三回はこの映画を見てみないと、この映像の真価を語りつくすことができないという無力感にとらわれているのである。昨今このような映画は極めて少ない。その点だけでも、この映画を見に行く価値は充分にあるのである。

もちろん、いつものようにウディ・アレン自身による脚本であるから、そのセリフの洗練されたこと。英語の論理性と、実はそこに時折出て来る詩的な感覚を感じることができて、いつもながら見事である。そうそう、「片思い」のことを "Unrequired Love" というのですな。勉強になります。実際この映画の言語を日本語に置き換えてみると、どうなるだろう。恐らく映画として成り立たないだろうと思う。人間の弱さを示す見栄や取り繕い、疑念や憤りや利己的な思い、情熱の先走り、そしてその反動の自己嫌悪・・・。そのような感情がストレートに伝わってくるのは、言語的なセンスも大いに関係していよう。そして、アレンの映画の常であるように、ここには本当の悪人という人はひとりも出てこない。それゆえに人生とは滑稽で哀れで、そして生きるに値するものなのだ。・・・おっといけない。若い頃の私は、このようなアレンの映画の批評を耳にして、どうにも敬遠したくなり、結果的にウディ・アレン映画という宝の山を、食わず嫌いしていたのであった。だから私も、そのような思いをあまり大々的にここで書いてしまうと、きっと若い人たちのためにならない。これ以上この種の賛美を連ねるのはやめておこう。もう遅いか (笑)。

この映画に出演している役者たちのほとんどが、私にとっては馴染みにない人たちである。ただ、主役ボビーを演じるジェシー・アイゼンバーグは、「グランド・イリュージョン」の 2作に出ていたのは覚えているし、調べてみると、「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」におけるレックス・ルーサーの役でもあった (因みにこの映画、私があれだけ散々悪口を書いたにも関わらず、続編が公開されることになるようだ)。ここでは、ナイーヴな青年がセレブたちの集う「カフェ・ソサエティ」で成り上がって行きながら、純粋な部分も残しているという設定を、大変上手に演じている。彼の放つ言葉がそのまま、英語の散文詩だと言ったらほめ過ぎだろうか。
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因みにこの映画、日本では以下のようなポスターもある。
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これを見ると、ボビーという男が、ふたりのヴェロニカという女性と巡り会い、恋に落ちる話であることは明確だが、さて、この派手な色遣いはどうだろう。正直、あのヴィットリオ・ストラーロの魔術的なカメラワークを堪能するには、ちょっとイメージが違わないか。この映画のストーリー自体は、最近ヒットした「ラ・ラ・ランド」に近いものがあって、まあその男女の切ないロマンス性を否定するつもりはないが、それよりもこの映画においては、人間を見る目にこそ大きな価値があると私は思っており、このように派手な作りのポスターで「ロマンスですよー」と宣言することは、作品の大人の魅力を伝えるためには、むしろ逆効果ではないか。それゆえ、私は冒頭に掲げた黒くてシンプルでシックなオリジナル・ポスターの方が、より作品の本質に近いと思うのである。

実は、ウディ・アレンとヴィットリオ・ストラーロにとっては、この映画が、ともにデジタルカメラで撮影した初の作品になったとのこと。ストラーロは長年デジタルでの撮影実験を重ねてきて、ようやくこの技術が満足できるレヴェルに達したと判断したのだという。そして、アレンの次回作 "Wonder Wheel" (ケイト・ウィンスレット主演) でもカメラを担当しているらしい。ともに 80歳前後に至った大芸術家同士、しかも全く違った持ち味の人たちが、ここへ来て意気投合しているというのが素晴らしい。是非是非、これから先も、共同で歴史に残る偉大な作品を作り続けて欲しい。あ、等身大で。
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by yokohama7474 | 2017-05-22 22:04 | 映画 | Comments(0)

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イタリアの若手指揮者、今年弱冠 30歳のアンドレア・バッティストーニと、彼が首席指揮者を務める東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の演奏会は、このブログでも何度かご紹介して来たが、今回は 4月からの新シーズンにおける最初の定期演奏会での共演である。実はこのオケは 4月には新国立劇場で「オテロ」と「フィガロの結婚」の演奏を担当していて、また 5月に入ってからも同じく新国立劇場で今度はバレエの「眠れる森の美女」を演奏していたこともあり、今期これまで東京地区で行った演奏会は、5/17 (水) の 14時から東京オペラシティでの「平日の午後のコンサート」しかない。それゆえ、この渋谷の Bunkamura オーチャードホールでの演奏会には、オケの面々としても、相当に期するところがあったものと思われる。これは今回の会場に展示されていた「平日の午後のコンサート」のリハーサル風景。曲目はチャイコフスキーのイタリア奇想曲と、交響曲第 5番。バッティストーニは最近イタリアの RAI 国立響を指揮したチャイコフスキー 5番の CD を発表しており、そこでもいつもの熱い音楽を展開していたので、きっとこの東フィルとの演奏会でも、熱狂的な演奏であったのだろう。
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熱いと言えば、今日は各地で 30度を超える真夏日となり、東京もまさに真夏の日差し。そんな中、渋谷駅から Bunkamura に向かう文化村通りでは、交通を遮断し、なんでも「渋谷・鹿児島おはら祭」とかいうパレードが繰り出していて、はっぴを着た賑やかな踊りの列 (皆さん鹿児島から来られたのでしょうか? 「ラサール連」などという団体もありました) が実に楽し気だ。もちろん暑いに違いないが、祭りとは暑さの中で燃えるもの。私は、割って入って踊ることこそしなかったものの、心は参加者の皆さんと同じで、踊っていましたよ (笑)。

さて実は今回の演奏会の曲目も、テーマは踊りなのだ。以下の通り。
 ヴェルディ : 歌劇「オテロ」第 3幕より舞曲
 ザンドナーイ : 歌劇「ジュリエッタとロメオ」より舞曲
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「春の祭典」

もちろんお目当ては後半の「ハルサイ」なのであるが、振り返ってみれば、いや実にバッティストーニと東フィルらしい熱狂に溢れた素晴らしい演奏会であった。このホールではいつも、前半・休憩・後半・そして終演時刻とタイムテーブルが書いてあるのだが、今回は後半が「50分」とあるのが目を引いた。「春の祭典」はせいぜい 35分くらいの曲だ。はっはぁこれはきっとアンコールをやってくれるのでは、と思いながら入場した私であった。その勘が当たったか否かはのちほど。

最初の曲は「オテロ」のバレエ音楽だが、えぇっと、「マクベス」とか「アイーダ」ならともかく、「オテロ」にバレエ音楽なんてありましたっけ。実はこれ、ミラノでこのオペラが初演されてから 7年後、パリでの初演の際に追加で作曲されたもの。パリではバレエが人気で、作曲家はバレエ音楽を入れないとオペラを上演するのが難しかったことはよく知られていて、その最たる例はワーグナーの「タンホイザー」であるが、ヴェルディもやはりそれで苦労 (?) したようだ。最近では「オテロ」のパリ版が採り上げられる機会も増えているようだが、私は実演で見たことはないと思う。面白いことに、上述の通り東フィルは (ほかの指揮者のもとで) 「オテロ」を演奏したばかりであり、また、9月には首席指揮者バッティストーニ自身が演奏会形式で採り上げる予定になっているのだが、その版の選択はどうなのだろうか。ともあれ、決してポピュラーとは言えない「オテロ」のバレエ音楽、いきなり輝かしい金管の音色で始まり、それはもういつものバッティストーニ節が全開だ。素晴らしいと思うのは、オケの面々も、体でノリを見せながら呼吸を合わせて音楽を紡ぎ出していることで、このような積極性やモチベーションの高さは、このイタリアの俊英指揮者を頂くこのオケならではの持ち味になっているように思う。

続くザンドナーイの曲も、珍しいものだ。リッカルド・ザンドナーイ (1883 - 1944) はイタリアのオペラ作曲家で、あのマスカーニの弟子に当たる人。ダンテの神曲に想を得た「フランチェスカ・ダ・リミニ」(チャイコフスキーも同名の管弦楽曲を作曲している) の存在がかろうじて知られているが、実際の演奏に触れることは少ないし、ほかの作品に至っては、名前も聞いたことがないものがほとんど。実は、有名な出版社リコルディは、未完に終わったプッチーニの「トゥーランドット」の補完にザンドナーイを起用しようとしたが、無名だということでプッチーニの息子が断り、アルファーノが選ばれたとの経緯があったらしい。今回演奏された「ジュリエッタとロメオ」は、もちろんシェークスピアの「ロメオとジュリエット」に基づくものであろうが、私は今回初めて耳にする。これがザンドナーイの肖像。なかなかにダンディな人である。
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この「ジュリエッタとロメオ」は 1922年の作品で、その管弦楽版は東フィルが1956年に (おそらく) 日本初演、1968年にも再演しているらしい。指揮はこのオケでイタリア音楽の紹介に努めたニコラ・ルッチ。既に100年を超える東フィルの歴史にはこのような貴重な活動があり、またそのようなゆかりのレパートリーを、今またバッティストーニが発掘していることはなんと意義深いことか。そして驚くべきは、この曲の面白いこと。レスピーギの「ローマの祭り」を思わせるような音型も出て来て、迫力満点だ。ここでもバッティストーニと東フィルは、もうこれ以上ないといういうほど力感に溢れた演奏を展開。多くの人にとって初めて聴く曲でありながら、終演後の客席は沸きに沸いた。指揮者はスコアを抱えて客席に見せたが、そうなのだ。このような面白い曲がまだまだ埋もれているとは、実に惜しいこと。ザンドナーイのほかの作品も是非、採り上げて頂きたい。

休憩後の「春の祭典」は、冒頭のファゴットが、通常よりも長く引き伸ばされて始まったのを聴いて、演奏の方向性が分かったような気がした。指揮者はしばしばテンポを落としてじっくりと音を停滞させ、いざというところでは煽り立てる。いわばこの曲の現代性よりも土俗性を強調した演奏ではなかったか。私個人としては、もう少し切れ味鋭い現代的な演奏の方が好みではあるが、いやしかし、これだけの迫力で演奏されると、その説得力には脱帽だ。ここでも東フィルの各奏者は自発性と、暴力的なまでの積極性を見せ、瞠目すべき演奏を実現した。実は東フィルの公式ホームページを見ると、バッティストーニのこの曲についての結構詳しい解説を読むことができて大変興味深い。この人、若さとイタリア人の血に頼って力任せに指揮棒を振っているわけでは決してなく、広範な音楽史の知識と深い洞察力が背景にあっての、あの情熱的な指揮であるわけである。この解説では、「春の祭典」についての興味深い発言が数々あるが、ここではプログラムにも引用されている次の印象深い言葉をご紹介する。

QUOTE
「春の祭典」は、音楽史のうえで決定的な、この作品「以前」と「以後」を分ける力がある、真のマイルストーンである。西洋音楽の流れの中で、これほど大きな発展と革命の力を孕んだ作品はほとんどない。他にはおそらくベートーヴェンの「英雄」、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、そしてシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」だけだろう。
UNQUOTE

全くその通りだと思う。この音楽の衝撃は、初演後 100年以上を経ても未だに衰えておらず、実演に接する度に興奮を抑えられない曲なのである。これは、この曲を題材にした女優画家ヴァランティーヌ・ユゴーのスケッチ。昔、ムーティ指揮の極めて鮮やかな録音の銀色のジャケットに使われていましたねぇ。
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そして、終演後の拍手をバッティストーニが遮り、聴衆に向かって「ドウモアリガトウゴザイマシタ」と挨拶してから説明するには、今回はシーズン最初の定期演奏会なので、これから聴衆に対するプレゼントを提供する。踊りの音楽を演奏したので、もう少し踊り続ける。但し今回は日本風に、とのこと。そして聴こえてきた拍子木で、ファンにはすぐに分かったのだ。外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」の大詰め、八木節である!! 以前はよく日本のオケの海外公演で演奏されて好評を博していたが、まぁこれは日本の祭囃子そのものであり、海外ではいつも大受けなのだ。日本人が聴くと少し気恥ずかしい気もするが、だが、演奏者側が本気のノリでやってくれれば、やはり聴いていて血が騒ぐ音楽。指揮者もオケも渾身かつ楽しんでの演奏で、会場は熱狂した。私はこの曲を何十年も知っているが、まさか自分が「ラプソディ」を冠したブログをやろうとは、ほんの 2年前にふと思いつくまでは夢にも思っていなかったので (笑)、この曲のラプソディックな盛り上がりに、感慨を新たにしたものである。それにしても、若いバッティストーニが、その成長を東フィルとともに成し遂げて行くことは確実であり、本当に楽しみだ。今後も是非ラプソディックに盛り上がって頂きたい。

15時から始まったコンサートは 16時半には終了し、外に出ると、未だに日差しはあるものの、既に「渋谷・鹿児島おはら祭」は終了しており、宴の後の雰囲気だ。命あるものは踊り、歌う。その時間が有限であるがゆえにこそ、踊ったり歌ったりしている時間が貴重なのである。そして私が川沿いの住まいで踊って歌っているここでのラプソディとは、気ままにその、生という貴重な時間を逍遥する楽しみ。今日の踊りと音楽に、何か力を与えられたように勝手に都合よく思ってしまっているのである (笑)。

by yokohama7474 | 2017-05-21 23:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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先に東京オペラシティコンサートホールでのマーラー 6番ほかのコンサートをご紹介した、フィンランドの名指揮者エサ=ペッカ・サロネンとその手兵、ロンドンに本拠を置くフィルハーモニア管弦楽団の演奏会。土曜日に池袋の東京芸術劇場で開かれた演奏会は、リヒャルト・シュトラウスの作品の間に、名実ともに日本を代表するヴァイオリニストである諏訪内晶子が弾くコンチェルトを挟んで行われた。曲目詳細は以下の通り。
 R・シュトラウス : 交響詩「ドン・ファン」作品20
 メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 R・シュトラウス : 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30

今回のサロネンとフィルハーモニアの来日ツアーは、西宮、名古屋、熊本を含む 7回のコンサートから成っており、ソリストは、ピアノが 2015年のショパン・コンクールの覇者である韓国のチョ・ソンジン (ベートーヴェンのピアノ協奏曲第 3番を演奏)、ヴァイオリンが諏訪内である。以前の記事でご紹介した通り、このフィルハーモニア管は、2008年にサロネンが首席指揮者に就任して以来、2 - 3 年に一度は来日している印象であり、既に日本でもおなじみだが、思い出してみると、1986年のサントリーホール開場に伴う一連のシリーズの中でもこのオケは、当時の音楽監督であったジュゼッペ・シノーポリの指揮で、マーラーを演奏していた。また、今回の演奏会場である池袋の東京芸術劇場が 1990年に開場したときには、やはりシノーポリの指揮で、ほぼ二週間の間に 10回のコンサートを開いて、マーラーの全交響曲 (歌曲集「子供の不思議な角笛」、「リュッケルトによる 5つの歌」、「亡き子をしのぶ歌」、「さすらう若人の歌」、「カンタータ「嘆きの歌」、大地の歌と、10番のアダージョも含めて!!!) を演奏するという、およそ常軌を逸した偉業を成し遂げてもいる。最近の若い人はそれを信じないかもしれないので、バブル時代の熱狂を後世に伝えて行くためにも (笑)、その時のプログラムを掲載しよう。なお、このときの「大地の歌」の演奏会では、たまたま来日中であったダニエル・バレンボイムが客席でスコア片手にシノーポリとフィルハーモニアの演奏に聴き入るというシーンも見られたのである。
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さて、昔話はこのくらいにして、現在に戻ってこよう (笑)。今回のサロネンとフィルハーモニアの演奏では、先のマーラーと同じ系統、つまりは後期ロマン派に属するリヒャルト・シュトラウスの音楽がメインとして演奏されたわけであるが、全体を通しての私の感想はマーラーと同じで、強い推進力による華麗なるオーケストラのマッスとしての響きに圧倒されたと申し上げよう。最初の「ドン・ファン」は 20分程度の曲であり、音楽史上最も有名な交響詩のひとつ。だが今回の演奏を聴いていると、まるでその倍くらいの長さに感じたものである。それだけ音の密度が濃かったということであろうか。サロネンの指揮は基本的に切れ味のよいもので、重々しく歌い込むというタイプではないのだが、それにしてもこの鳴り方は大変なもの。マーラーのときと同様、独奏ではなく専ら合奏を行う弦楽器セクションにしてからが、ひとりひとりの奏者の強いコミットメントが音楽全体を揺るがしながら進んで行くのである。例えばウィーン・フィルやコンセルトヘボウやボストン響のような、有機的な、音が滴るアンサンブルというものとは少し違っているが、これはこれで非常に高いレヴェルであると思う。「ツァラトゥストラ」はもちろん、キューブリックの名作映画「2001年宇宙の旅」で使われたことで、クラシック音楽に縁のない人でも誰でも知っている曲であるが、その冒頭がいかにうまく書けているか、今回改めて実感して、鳥肌が立った。トランペットは慎重に音を出し、ミスを回避できたが、圧巻は若いティンパニ奏者である。あれだけ思い切って叩ければ、気持ちいいだろうなぁ。このようにシュトラウスの 2曲は、オーケストラの醍醐味を存分に味わえるだけの、強い表現力を持った名演であったのである。これが若き日のシュトラウス。
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その間で演奏されたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、天下の名曲として知られているわけであり、諏訪内の演奏は充分に美麗で、またオーソドックスなものであったと思う。面白かったのは伴奏のオケで、「ドン・ファン」でのコントラバス 8本が 4本に減らされたのはまあよいとして、ティンパニ (この曲では最初から登場する) は古いタイプの小さくて硬いものに変更され、トランペットもまた、ピストンのない古いタイプのものに持ち替えて演奏していた。フィルハーモニア管の本拠地ロンドンでは、何十年にも亘って古楽演奏が盛んであり、そのような土地柄も関係しているのかもしれない。ただこの曲の場合、驚くような演奏に出会うことはさして多くなく (その驚くべき演奏は、このブログでも採り上げた、ニコライ・ズナイダーによって最近成し遂げられたのであるが)、気持ちよくきれいに響くことがまずは大事であろう。その条件は充分に満たしており、彼女の安定した技量が感じられた。また、アンコールでは今回はいつものバッハのアンダンテではなく、イザイの無伴奏ソナタ第 2番の第 1楽章が演奏された。バッハの無伴奏パルティータ 3番の冒頭の模倣に始まり、悪魔的な旋回の中から、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が浮かび上がるという、異形の曲だ。冴えた技巧によって、曲に込められた「オブセッション」がよく表現されていた。

さて、諏訪内といえば、今年で 5回目を迎えた「国際音楽祭 NIPPON」である。
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この音楽祭の最初の年 (2013年) であったと思うが、彼女はやはりサロネン / フィルハーモニアと共演し、サロネン自身の作曲によるヴァイオリン協奏曲の日本初演を行った。その時、演奏前にサロネンが自作を語るのを聞いたが、諏訪内に一部演奏を依頼して、「上手ですねぇ」と誉めていたことを思い出す。サロネンは今後、作曲活動と指揮活動を、どのように両立させて行くつもりなのであろうか。現在はニューヨーク・フィルのコンポーザー・イン・レジデンス (日本語で言うと「座付き作曲家」ということか) であり、またフィンランド国立歌劇場のアーティスト・イン・アソシエーション (これは日本語では「提携芸術家」とでも訳しますかね) でもある。このフィンランド国立歌劇場では、あのワーグナーの超大作「ニーベルングの指環」の上演も予定されているという。サロネンの「指環」、一体どんな感じになるのであろうか。実は今回の演奏会では、アンコールにワーグナーの「ローエングリン」第 3幕への前奏曲が演奏された。これはまた、オケの機能全開の胸のすく快演であったが、そのエンディングは通常そのまま終始和音になる (原曲ではそのまま結婚行進曲に入るので) ところ、今回はフンパーディンクが編曲した劇的なエンディング (鳴り響くのは「禁門の動機」?) を使用していた。この版は決してポピュラーではないが、昔はトスカニーニが使用しており、確かクラウディオ・アバドもこのかたちで演奏していたことはあるはず。サロネンのある種のこだわりを垣間見たような気がする。彼の「指環」、一体どのようなものになるのであろうか。

このサロネン、実はウィーン・フィルとは相性が悪いという説があり、それはドイツ古典をきっちり振れないからだとも言われている (そういえばウィーン・フィルの日本公演で病気の小澤征爾の代役にサロネンが抜擢されたが、キャンセルになったことがあった)。私にはその真偽のほどは分からないが、確かに彼のレパートリーには古典派は少ないし、たとえばロマン派でも、シューマンやブラームスなどは聴いたことがないような気がする。だがその一方で、これは私がある舞台上で N 響奏者の発言を実際に聞いた話なのだが、1988年に彼が N 響に最初に登場したとき、練習場に童顔の彼が姿を現しただけで、オケのメンバーは「コイツはできる!!」と思ったそうだ。そして、N 響との共演のうち、実際にストラヴィンスキーの「プルチネルラ」などは、抜群の切れ味であったことを覚えている。どの指揮者にも持ち味があって、適性がある。作曲活動に大作オペラの指揮と、多忙な身ではあるものの、このロンドンの名門オケとの蜜月を続けてくれれば、音楽史に新たなページを加える日が来るのではないかと思う。また N 響を振りにくる時間は、ちょっとないかもしれないが、できればそれもまた実現することを期待しよう。
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by yokohama7474 | 2017-05-21 03:03 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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前回の記事で、86歳の「ロシアの老巨匠が指揮するブルックナー 5番」の演奏をご紹介したが、実は今日、2017年 5月20日には、2つの東京のオーケストラがその「派生形」(?) とも言うべき演奏会を開く。ひとつは「ロシアの老巨匠」の演奏会、もうひとつは「ブルックナー 5番」の演奏会だ。このうち後者は、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団によるもの。楽しみにしてチケットを購入したが、昨今の東京では珍しくないほかのコンサートとのバッティングで、「さぁ、どちらを選ぶ?」という問いに迫られ、結局あきらめることとした。だが前者の方、「ロシアの老巨匠」の演奏会には万難を排して出かけることとしたのである。1932年生まれ、今年 85歳になるウラディーミル・フェドセーエフが指揮する NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の演奏会だ。
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冒頭の写真は今月の N 響の定期演奏会のプログラムであるが、そこには 2人の指揮者の姿があしわられている。ひとりは既にご紹介したピンカス・スタインバーグ、そしてもうひとりが今回の指揮者フェドセーエフである。N 響が行っている毎月 3種類のプログラムを複数の指揮者が振り分けることは珍しくない。だが待て。私の頭の中には、既にご紹介したスタインバーグの「わが祖国」と今回のフェドセーエフの演奏会以外に、今月の N 響定期のイメージがない。・・・そう思ってプログラムをめくってみると、あ、そうだ。通常は B ブログラムとしてサントリーホールで開かれているシリーズが、同ホールの改修によって現在は開催されないのである。その間 N 響は、「水曜夜のクラシック」という NHK ホールでのシリーズと、「午後のクラシック」という平日 15時からのミューザ川崎でのシリーズを開催する。うーん、平日の NHK ホールは務め人には厳しいし、15時の川崎に至っては、会社を休まないと無理ということになる。東京の音楽界において、いかにサントリーホールが欠かせない存在であるか、改めて思い知るではないか。

ともあれ今回の指揮者フェドセーエフは、この C 定期と、来週の「水曜夜のクラシック」とに登場して、すべてロシア音楽を指揮する。そういえば彼は今年 2月にも来日して、やはり N 響のオーチャードホール定期に登場し、これまたロシア音楽ばかりを指揮していた。フェドセーエフクラスになると、別にロシア音楽でなくてもなんでも振れると思うのだが、楽団の要請なのか指揮者の意思なのか、本当に N 響ではロシア音楽ばかり振っている印象である。以前には東京フィルにも頻繁に登場していたし、旧モスクワ放送響 (チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ) との度重なる来日でもおなじみのこの名指揮者については、以前にも何度かこのブログで採り上げているが、今年 85歳!! とは本当とは思えないほど元気で、椅子もなしに、立ったまま最初から最後まで指揮をするし、指揮台に上がるときには、よいしょっとばかりに勢いをつけて乗るのである!! 前回の記事で採り上げたロジェストヴェンスキーよりも 1歳若いだけであり、ロジェストヴェンスキーも年の割には充分若いと思ったが、フェドセーエフはちょっと異常なくらい若い。考えてみればこの 2人、旧モスクワ放送交響楽団やウィーン交響楽団のシェフとしての先輩後輩なのであるが、直接の交流はあるのだろうか。大変に興味のあるところである。さて今回、そのフェドセーエフが指揮したのは以下のプログラム。
 グリンカ : 幻想曲「カマリンスカヤ」
 ボロディン : 交響曲第 2番ロ短調
 チャイコフスキー : 交響曲第 4番ヘ短調作品 36

なるほど、どう見ても妥協の余地のないほどロシア音楽だ (笑)。もともとフェドセーエフには若干不思議なところがあって、ある場合にはいわゆる爆演系の指揮者になることもあれば、またある場合にはとても職人的に音色をまとめる手腕を見せるのである。その彼が指揮するロシア音楽を、実のところ私はさほどロシア的であるとは思っていない。そもそもロシア的などと言っても、一体何をもってそう言うのか。同じロシア人であっても、唯一無二の巨匠であったムラヴィンスキーと、まさに泥臭いロシアという印象のゴロワーノフは、まるで違う指揮ぶりを示している。また、日本でもカリスマ的な人気を誇った、今はなきコンドラシンやスヴェトラーノフ。あるいは件のロジェストヴェンスキーやキタエンコやテミルカーノフ、それにゲルギエフ。枚挙にいとまのないロシアの名指揮者たちには、それぞれの個性があって、ロシア的云々と言える個性があるのか否か疑問である(そう言いながらも、ロシア音楽の特性にはそれなりの理解があるつもりだが)。だから今回は、それぞれの曲の面白さを楽しみたいと思ったのであるが、さすがにフェドセーエフと N 響、見事な演奏を聴かせてくれた。

最初の「カマリンスカヤ」は、ロシア音楽の父と言われるミハイル・グリンカ (1804 - 1857) による 8分ほどの小品で、私も以前はよく聴いていたが、今回随分久しぶりに耳にした。2つのロシア民謡を引用しているらしいが、音楽自体はそれほど派手ではない。今回の演奏では、N 響の弦や木管がクリアな音で鳴っていて、退屈することなく聴くことができた。そして 2曲目はアレクサンドル・ボロディン (1833 - 1887) の 2番。いかにもロシア的な曲と言えば言えるであろうし、実際、私が中学生の頃初めてアンセルメのレコードでこの曲を聴いたときには、ちょっと泥臭くてついていけないなぁというのが正直な感想であった。それは今でも基本的に変わらない感想でもあるのだが、それでも注意深く聴くと、ここには疾走したり揺蕩ったりという音のドラマがある。たまたまロシアで生まれた情感豊かな交響曲ということで、楽しく聴くことはできるのだ。指揮棒を持たずに素手で指揮をするフェドセーエフには、もちろん祖国の音楽を広く世界に紹介したいという義務感もあるに違いないが、人間の感情を音で表すことに喜びを見出していると考えたい。それはもはや、ロシア的であるか否かは関係ないであろう。そのような普遍性を感じさせる見事な演奏であった。そうそう、そういえばこのボロディン 2番には、面白い CD がある。あのカルロス・クライバーと、その父でやはりとてつもなく偉大な指揮者であったエーリヒ・クライバーの演奏を 1枚に収めたものだ。ここでこの父子についての私の思いを述べ始めるときりがないが、確かカルロスの伝記の中で、彼が若き日にこの曲を演奏したのは、父の演奏に影響されてのことだと書いてあったはず。そう言えば、この曲の冒頭は、いかにもカルロスの疾走する音楽としてふさわしいではないか。
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えぇっと、このあたりでフェドの演奏会に戻りましょう (笑)。この日のメインは天下の名曲、チャイコフスキー 4番である。この日の曲目の流れで聴いてみると、確かにこれもれっきとしたロシア音楽であり、ロシア民謡の引用に民族性を明確に感じる一方で、そこに表れた音のドラマこそ、世界のいかなる土地でも人々の感情にそのまま訴えることのできる普遍的なものであると理解できる。チャイコフスキーは 1840年生まれで、ボロディンよりわずか 7歳年下であるだけだ。そして、前述のボロディン 2番の初演は 1877年 2月。チャイコフスキー 4番の初演は 1878年 2月。たったの 1年しか違わないのである。つまりこの 2曲は同時代音楽なのだ。だがそこには歴然とした洗練度の差があることは自明だ。チャイコスフキーは生前からいわゆる西欧派として、ボロディンらいわゆる「ロシア五人組」とは一線を画していたわけなのであるが、そのことの意味を改めて感じる機会になった。今回の演奏では、遅めのテンポ設定の中、弱音と強音の間にかなり強いコントラストがつけられ、輪郭がくっきりする一方で、このノリノリの交響曲に素直にノってしまうことを躊躇させるような雰囲気 (?) も感じられた。例えば、第 3楽章では弦楽器は弓を置き、一貫してピツィカートで演奏するのだが、陰鬱な第 2楽章から休むことなく、そのまま第 3楽章に続いたのである。全く違う世界がそこでは連続していた。一方で第 3楽章終了後、通常はそのまま勢いで第 4楽章になだれ込むことがほとんどであるところ、今回は間を置く方法が選択され、それによって弦楽器奏者たちは落ち着いて弓を手に取ることができた。だがこうなると、この曲を聴く人たち 100人のうち 100人全員が期待している、第 3楽章からそのまま雪崩れ込むべき第 4楽章の喧騒が、少し違った響きを帯びてくるのである。これはなかなか単純には行かない流れではないか。全体を通してテンポは通常よりも遅めであって、場面場面できめ細かい情感を引き出しながらフェドセーエフの見ているところは、何か現実を超えた遠い世界であるような気もした。世界音楽であるチャイコフスキー。その再現には様々な方法があり、正真正銘のロシアの宝である老巨匠が今回取った方法は、彼ならではの強いメッセージがあったのかもしれない。そう、そうなのだ。フェドは爆演タイプであることもあれば、大変に洗練されたタイプであることもある。そこには謎がある。もし次回、ロシア音楽以外を聴くことができれば、彼の世界の謎にもう少し迫れるのではないだろうか。

・・・と言いながら、今回の N 響との演奏会の次に予定されているこの指揮者の来日は、11月の手兵チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラとのもの。ここでは、おっ、ラフマニノフ 2番という大曲が予定されている。同じロシア音楽ではあるが、その感傷性は独自のもの。聴きたいと思う一方で、例えばブルックナーなんかもいいのではないかなぁとひとりごちております (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-05-21 01:06 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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この演奏会は本来、ポーランド出身の巨匠で、読売日本交響楽団 (通称「読響」) の元常任指揮者であったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが指揮する予定であったもの。このブログでも話題として採り上げた通り、スクロヴァチェフスキは残念ながら今年 2月21日に 93歳で逝去。日本で大変尊敬されたこの名指揮者の再度の来日に対する聴衆の期待が大きかったがゆえに、彼が指揮する予定であった 2種類 3回のコンサートにおいて、代役としていかなる指揮者が指揮台に立つのか、気になるところであった。ベートーヴェンの「英雄」をメインとする 2回の演奏会には、以前新星日本響 (のちに東京フィルに吸収合併) の指揮者として活躍したチェコ人のオンドレイ・レナルトが登場。そして残る 1回は、なんとあのロシアの名指揮者、読響の名誉指揮者でもあるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーに託された。レナルトも既にベテランで今年 75歳だが、こちらのロジェストヴェンスキーは実に今年 86歳。93歳で逝った名匠の代役としては、いずれも申し分ないものと言えるであろう。レナルト指揮の演奏会のチケットも持っていて、興味はあったのだが、残念ながらほかのコンサートのために行けなくなってしまった。だがこのロジェストヴェンスキーについては、なんとしても聴きたかったのである。その理由は曲目にある。
 ブルックナー : 交響曲第 5番変ロ長調 (シャルク改訂版)

ブルックナーの 5番自体は、もともと予定されていた曲目だが、クラシック音楽ファンなら既にご存じの通り、ブルックナーの弟子であった指揮者フランツ・シャルク (1863 - 1931) の改訂による版は、今日演奏されることはまずない、大変珍しいものである。もちろん、もともとスクロヴァチェフスキが予定していた版ではなく、ロジェストヴェンスキーの選択によるものであろう。ここで、クラシック音楽にあまりなじみのない方のために書いておくと、ブルックナーという作曲家は、自作の交響曲に自らも頻繁に手を入れたし、シャルクをはじめとする弟子たちの手によってもオリジナルと異なるものに改訂されることが多かった。その理由は、この作曲家の作品の際立った独自性、つまり、壮大で劇的だが形式感を欠き、ときにあまりにも冗長に響くという特徴にある。今日我々は彼の作品を繰り返し聴く機会に恵まれ、その特徴をよく知っているが、当時の聴衆はなかなかそれを理解しなかったのである。その無理解を作曲家自身も恐れたし、弟子たちはなんとかして師の作品が受け入れられるようにしたいと思ったことが、ブルックナーの楽譜に様々なヴァージョンが生まれる理由があったわけだ。だが、1930年代からはブルックナーの作品の原典版が出版されるようになり、その後どんどん原典主義が支配的になって行くにつれ、シャルク改訂版を実演で聴く機会は激減し、今やほぼ皆無という状況が過去何十年も続いている。これがブルックナー晩年の肖像だが、彼の書いた壮大この上ない音楽と、伝えられる人間的内向性のギャップが面白く、人間の精神作用の、ひとつの極端な例として興味がある。
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実は今回の指揮者ロジェストヴェンスキーは、ブルックナー演奏においてひとつの大きな金字塔を打ち立てている。それは、未完の 9番の補完された終楽章や、0番、00番はおろか、あらゆる異稿をすべて網羅したブルックナー全集を完成させていることだ。オーケストラは、当時ソ連政府がロジェストヴェンスキーのために既存の楽団を再編成してできた国立文化省交響楽団、現在のロシア国立シンフォニー・カペレである。私は学生時代にアナログレコードでそのいくつかを聴き、その鷹揚な音の響きを楽しんでいた。今では CD で 2セットに分かれた 16枚組が手元にある。あ、もちろんすべて聴いたわけではありません (笑)。
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ところが、ここにも含まれていないヴァージョンがある。それはたとえば 8番のオリジナル版 (インバルがの世の中に紹介した版)、それから、一連のシャルク改訂版である。つまりこのシャルク版は、86歳の老巨匠にとっても、恐らくは新レパートリーではないかと思われるのである。こんな版を実演で聴ける東京は、改めてすごい街だと思うのであるが、録音においても、通常知られているこの曲のこの版は、往年のドイツの巨匠ハンス・クナッパーツブッシュ (長い名前なので、「クナ」と略される) 指揮のものしかないのではないだろうか。ウィーン・フィルを指揮した 1956年のものと、ミュンヘン・フィルとの 1959年のライヴが知られる。ここではウィーン・フィル盤の懐かしいアナログレコードのジャケット写真を掲げておこう。
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私も今回、この演奏会に出かけるに当たって、久しぶりにこのクナの CD を取り出して聴いて行ったのだが、世の中でオリジナル版の長所をズタズタに改ざんしたように言われているシャルク版も、ただ音で聴いている分には、実はそれほど奇異ではない。もちろん、本来弦楽器だけのところにティンパニや金管が伴奏しているとか、弦の音型が少し違っているとか、オクターブ上になっているとか、あるいはこの曲をよく知る人には明らかな終楽章の大幅なカットという点には、気が付くだろう。だが、例えばあのレオポルド・ストコフスキーが手を入れたチャイコフスキー 5番のような、ショーマンシップに溢れた「改ざん」ではなく、もっと地味で真面目である。やはり、尊敬する師の作品を、少しでも聴衆に理解してほしいという弟子の思いが裏にあるからであろう。

さて、今回のロジェストヴェンスキーの演奏である。この人は以前から指揮台を使わず、自分の周りに金属の柵を立てて、長い指揮棒で指揮をするのだが、その点は今回も同じ。だがさすがに 86歳。舞台には椅子 (ストゥール) が置いてある。結局彼は、第 1楽章はすべて立ちながら指揮をし、第 2・3楽章は座って、第 4楽章はコーダの大団円のみ立ち上がって指揮をした。見た感じでは、その指揮ぶりも以前よりは小さい省エネぶりだが、若いころから「指揮棒の魔術師」の異名を取った人のこと、老いたりといえどもオケへの指示は明確で、その棒の振り方も実に自在。左手に指揮棒を持ち、右手の素手だけで指揮するかと思えば、利き腕でないはずの左手だけで指揮棒を振るシーンも見られた。また、第 3楽章スケルツォでチェロに強い指示を送った際に、指揮棒が手元から飛んで行ってしまうアクシデントもあったが、慌てず騒がず、予備の短めの指揮棒をすぐに取り出して振っていた。さすが、百戦錬磨の現場処理能力 (笑)。
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全体のテンポは概してかなり遅め。以前からロジェストヴェンスキーは細部を締め上げるようなことはしない人だが、今回も流れはオケに任せているように思われた。だがその結果、何か大変静かな雰囲気で曲が進行して行き、奇妙な神秘感をそこに聴きとることができたのである。ある意味ではメリハリのきいていない演奏で、スタイリッシュでもなく、切れ味よくもないものの、この指揮者とこのオケが長年培ってきた阿吽の呼吸が、その瞬間目の前で鳴っている音を超えた独特の空間を創り出していたように思われた。ブルックナーの音楽はもちろん神秘的な要素が強いが、今回の演奏は典型的なブルックナー演奏とはどこか異なっていて、何か達観したような雰囲気には、聴き手に感傷すら許さないようなものがあったのではないか。もちろん指揮者の年齢を考えれば、聴衆の方には、彼の音楽をもうあと何年聴けるだろうという感傷が出てきてもおかしくないわけであるが、ひたすら音を聴いていると、そんなことは忘れてしまい、時も場所も超えてただ淡々と音が鳴っているように思われたのであった。だが、最後の最後に来て驚きが待ち構えていた!! この曲の終楽章は、西洋音楽史上稀に見る強烈な盛り上がりを持っている。その終楽章で、上にも書いた大幅なカットがあって、さていよいよクライマックスというところで、最後列にズラリと並んだバンダ (別動隊のこと。ここではホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ 1、それにシンバルとトライアングル) が、一斉にすっくと立ち上がったではないか!! そして、作曲者が譜面に書き付けた音をさらに増強した、凄まじい音響でコラールが堂々と演奏されたのであ。なるほど、これがシャルクの言いたかったことであり、いたずら者のロジェストヴェンスキーが、曲の最後の最後で東京の聴衆に示したかったものなのか!! この種のバンダの活躍を基本的に好きな私としては、この箇所を聴くことができただけでも、この演奏会に来た甲斐があったと思ったものであった。そう、冒頭のポスターに、「ブルックナーは爆発だ!」とあるが、長く不思議な静謐感の果てに鳴り響いたこの大音響は、岡本太郎ならずとも、爆発という比喩を使いたくもなろうというものだ。終演後の拍手は大変に温かいもので、オケのメンバーが引き上げたあとも指揮者ひとりが呼び出されていた。さすがにこの大曲を振り終えたあとで、老巨匠の様子に疲れは歴然としたものがあったが、その飄々とした持ち味は今でも変わらぬもの。また次回の来日を楽しみにしたい。あ、ブルノ・モンサンジョン演出によるロジェストヴェンスキーの長いインタビュー作品の DVD も未だ途中までしか見ていないので、次回までに見ておかないと。

さて、会場の池袋、東京芸術劇場のロビーには、スクロヴァチェフキの遺品の数々が並べられていて大変興味深い。以下の表示にある通り、展示は少しずつ変えながら、7月12日まで続くとのこと。小さな熊のぬいぐるみなど、意外とかわいいところのあるおじいさんであったのが分かって微笑ましい。なお、写真に書かれたサインはもちろん直筆である。
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以下は、上の表示にある通り、直筆の予定表 (2013年)。簡潔ながらきっちりとした性格を彷彿とさせる。そして、最後の来日時に指揮したブルックナー 8番の総譜と、今回指揮するはずであったブルックナー 5番のパート譜 (あ、もちろん、シャルク版ではない 笑) で、いずれも指揮者自身の書き込みのあるもの。どれもこれも、今となっては貴重な遺品である。
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亡き巨匠を偲びながらも、今我々が実際に聴くことのできる名指揮者たちとの実り多い邂逅を、これからも味わって行きたいと、心から思う。

by yokohama7474 | 2017-05-20 01:16 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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以前の記事で書いたことであるが、年初から来日オケには世界の超メジャーはほとんどなかったという印象であるが、今年も 4ヶ月半が過ぎようかというところで、ようやくいわゆる超メジャー級の登場である (但し、誤解なきように申し添えると、超メジャーであるか否かは私の独断だし、超メジャー以外がダメと言っているわけでは断じてないので、念のため)。その超メジャーとは、指揮者はエサ=ペッカ・サロネン。1958年フィンランド生まれの 58歳。そしてオーケストラは、戦後、EMI の名プロデューサー、ウォルター・レッグによってロンドンに創設され、その後も数々の名指揮者のもとで輝かしい歴史を刻んできた名門、フィルハーモニア管弦楽団。サロネンがフィルハーモニアの首席指揮者に就任したのは 2008年。以来このコンビは数年に一度は来日していて、日本でも既におなじみだ。実はこのサロネン、作曲家としても大いに活躍中で、昨年 10月からヨーヨー・マのために新作チェロ協奏曲を書くべく指揮活動を一時中断していたというが、その曲は今年 3月 9日、無事シカゴ交響楽団の演奏会で初演されたという。実はそれに先立つ今年 1月、フィルハーモニア管との契約更改が発表された。来季は首席指揮者就任 10年になるわけだが、今後は期限を決めずにその地位が自動更新されて行くという。有名指揮者があちこちから引っ張りだこの昨今、サロネンほどの指揮者をこのような契約でつなぎとめることのできるフィルハーモニアは、やはり大したものではないか。
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私のサロネンへの思いについてはまたあとで述べるとして、まずは今回の演奏会をご紹介しよう。こんな曲目であった。
 ストラヴィンスキー : 葬送の歌 作品5 (日本初演)
 マーラー : 交響曲第 6番イ短調「悲劇的」

なるほど、ストラヴィンスキーもマーラーも、サロネン得意のレパートリーであり、このコンビなら大変期待できるプログラムと言えるだろう。だが、マーラーはまだよいとして、このストラヴィンスキーの曲にはなじみがないが、一体なんだろう。冒頭に掲げたポスターを見ると、マーラー演奏を高らかに謳いながら、左下の小さな丸の中に、この曲について「106年ぶりに発見!」とある。そして実際にこれがなんと、この曲の日本初演!! 実はこの「葬送の歌」という曲、2015年の春にサンクトペテルブルク音楽院の図書館の改修工事の過程で楽譜が発見されたものらしい。発見後の蘇演は、昨年 12月にヴァレリー・ゲルギエフによってなされたばかり。作品番号がついているということは、作曲者自身が自分が世に問う作品と認定していたということであろうが、長らく作品目録には「紛失」と記されていたらしい。この曲は 1909年、作曲者 27歳のときに書かれたもので、前年に亡くなった恩師リムスキー=コルサコフを悼んで書かれたものとのこと。12分くらいの曲であるが、大規模なオーケストラを駆使した哀しみの音楽になっている。だが、冒頭部分では誰しもが「火の鳥」を連想するのではないだろうか。初期の作品とはいえ、これは紛れもないストラヴィンスキーの作品であり、ここにある哀しみは、例えばこのわずか 26年前に書かれたチャイコフスキーの「悲愴」交響曲のそれとは大いに異なって、都会的であり近代的であると思う。演奏後の拍手に応えて指揮者サロネンが、楽譜を大きく掲げていたのが印象的であった。これが、集団写真の中のストラヴィンスキーとR=コルサコフ。えぇっと、弟子がカメラ目線なのに対し、師匠は知らんぷりですね (笑)。これだけ見ると、2人の関係 (特に、師から弟子に対する感情) は微妙だったのではないかと思いたくもなるが、本当のところはどうだったのだろう。
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そして、演奏会は休憩なしでメインのマーラー 6番に入って行った。サロネンのマーラーは、例えばバーンスタイン的な情念の音楽ではなく、この上なく輝かしい力感に満ち、また新しい音響に対する極めて貪欲な作曲家の姿勢 (= それは作曲家サロネンの大いなる共感でもあろう) が強調されるのが常であると思うが、今回もまさしくそのような演奏で、聴く者みなを圧倒するような、マッスとしてのオーケストラ音楽の威力を、最大限発揮したものであったと思う。その意味では、通常のケースよりも若干軽めの音で始まった冒頭の行進曲から、弾け散るように壮絶な最後の和音まで、一貫した強い流れがあったことが、この演奏の大きな特徴であったろう。以前も書いたが、この曲の第 2楽章と第 3楽章の順番には演奏によって違いがあり、昔は第 2楽章スケルツォ、第 3楽章アンダンテが普通であったが、作曲者の意思を尊重し、最近ではその逆の順番で演奏されることも多くなっている。だが私は、つながりから言ってスケルツォ - アンダンテの方が断然よいという立場であり、今回はその順番であったことに、ある種の安心感を覚えたことは事実。その安心感によって、細部がどうのこうのと言う気はなくなったとも言えるが、ともかく全体の流れがすこぶるよい演奏であったのだ。日本でもマーラー演奏は頻繁に行われているので、その比較が興味深かったのだが、全体的な水準としては、東京のオケも決してフィルハーモニアにひけはとっていないと思う。それどころか、例えば第 3楽章アンダンテで特に重要になる木管楽器の緊密な溶け合いなどは、時として東京のオケの方が上ではないかと思われる瞬間もあった。また、弦楽器の厚みやつややかさも、決して昨今の東京のオケは負けてはいない。但し、弦楽器奏者個々人の積極性という観点で見ると、やはり海千山千のフィルハーモニアはさすがに懐が深い。あえて言えば、ときにガサガサする音すら聞こえるほど、弦楽器セクションの前進力に圧倒されたとも言えるだろう。きれいごとでない音楽の凄みを、このコンビで聴くこととなったわけであるが、サロネンの指揮は、実は決して呼吸の深いものではない。それゆえ、音楽の縦の鳴り方という点では、ほかにも優れた指揮者がいるであろうが、横に流れて行く力の素晴らしさには、毎度唸らされるのだ。しんねりむっつりは皆無。切れ味鋭く、集中力の強い音楽は、この指揮者とオケのコンビが現代において持っている高い価値を示していると思う。マーラーの演奏として、これが唯一無二とは言わないが、大いに満足できる演奏であった。終演後には客席は大いに沸き、アンコールはなかったものの、指揮者もオケもまた、満足そうであった。

さてここで、「川沿いのラプソディ」名物、寄り道です。私のサロネンという指揮者に対する思い入れを少し書いてみたいので、彼の指揮に興味のある方にはそれなりに有用な情報になればよいと思います。そもそも彼の初来日は 1987年、当時首席指揮者の地位にあったスウェーデン放送交響楽団とであった。私はそのときにシベリウス 5番をメインとするコンサートを聴きに行き、終演後にサインももらっている。これだ。
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もうあれから 30年経つのかと思うと感慨深いが、当時の 28歳の若者の面影を、サロネンは 58歳の今も保っていて、本当に音楽まで若々しいのが嬉しいではないか。実は彼が世界のスターダムに突如として現れたのは、1983年にこのフィルハーモニア管弦楽団の指揮台に、マイケル・ティルソン・トーマスの代役として急遽登場してマーラー 3番を振ったときであった。よってサロネンにとってはこのオケとのつながりは、マーラーを介して始まったわけである。そして CD では、メシアンのトゥーランガリラ交響曲という名盤をその頃フィルハーモニアと録音していて、それは私の文字通りの愛聴盤になったのである。何度繰り返し聴いたか分からないほどだ。だが、私がサロネンとフィルハーモニアの実演に初めて触れたのは、初来日から 15年を経た1998年のこと。コンポージアム 1998と題された現代音楽のフェスティヴァルで、今回と同じ東京オペラシティコンサートホールを舞台に、リゲティ作品を中心とした一連の演奏会が開かれたが、私が聴いたのは、クリスティアン・テツラフを独奏者とした、そのリゲティのヴァイオリン協奏曲の圧倒的な演奏で、今でも鮮烈に覚えているのだが、その演奏会のメインは、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第 2組曲。大団円で音がぐぁーっと盛り上がって行ったときのとてつもない興奮は、本当に昨日のことのように思い出される。これが当時のプログラムと新聞記事。当時はロサンゼルス・フィルの音楽監督であって、未だフィルハーモニアの首席には就任していなかった。
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さらに、その後のロンドン在住中には幸いなことに、このコンビを頻繁に聴くことができた。彼が首席に就任したシーズンに開かれた極めて意欲的なシリーズ、「夢の都市ウィーン 1900-1935」。ここでは最初のシェーンベルク「グレの歌」を皮切りに、ツェムリンスキーの抒情交響曲や、マーラー 9番、6番、7番、ベルクの「ヴォツェック」など、私のような世紀末ウィーンの熱狂的ファンにとっては、まさに垂涎、狂喜乱舞のプログラムであった。私はこのシリーズにおいて、今回の曲目と同じマーラー 6番をはじめとする多くの演奏会を体験することができ、当時既によく知っていたサロネンとフィルハーモニアの間のケミストリーに、改めて圧倒されたのである。尚、このときの 6番 (2009年 5月の演奏) はライヴ CD にもなっている。
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ここではこれまでの私のサロネン体験の一部をご紹介したのみだが、考えてみれば私は、彼が未だ 20代の、キャリアの初期の頃からずっと聴き続けている指揮者であるということだ。その意味では、ラトルやシャイーや、それ以降の世代については皆同じ状況なのであるが、これらの指揮者たちが今、音楽の歴史を作っているわけである。サロネンの場合、見た目の若さもあって、未だ「巨匠」という名称はしっくりこないものの、やはり現代における最も優れた指揮者のひとりであることは間違いないだろう。今回のサロネン / フィルハーモニアの演奏会には、別プログラムでもう一度行くことができるはずなので、ここで書けなかった点も含め、また次回、サロネンについて熱く語りたいと思います。

by yokohama7474 | 2017-05-19 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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この展覧会は、日本人が大好きなパリのオルセー美術館から大挙して作品がやってくるという展覧会。最初にお断りしておくが、2月初旬から開かれているこの展覧会に私が足を運んだのは、ゴールデンウィーク中、より正確には、クラシック音楽の祭典、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの期間中、コンサートとコンサートの間という限られた時間であった。そして気が付くと期間は今週末の日曜日までで、しかも地方巡回はない。実は私の手元には、まだまだほかにも記事のネタはあるのだが、ここでこの展覧会をご紹介しようと思ったのは、たまたまこの記事をご覧になった方に、なかなかに貴重なこの展覧会に足を運べる可能性を少しでも多く持って頂きたいと願うからである。上のポスターにある通り、ここで紹介されるナビ派の展覧会は、日本にとっては「はじめまして」であるらしい。えっ、そうなのか。ゴーギャンの影響を受けたナビ派については、私が過去に日本で見たいくつかの展覧会で目にしているので、既におなじみではないのか。実はここでひとつ個人的に告白をすると、私が多感な青春期に広範な西洋美術に触れることとなったきっかけは、中学生のときに定期購読していた「週刊 朝日百科 世界の美術」のシリーズであったのだ。この全 140冊のシリーズはしっかりバインドされて未だに私の書庫に並んでおり、いつでも手に取ってみることができる。今試みにその一冊をここに持って来てみる。発行は昭和 54年 (= 1979年) 4月26日、価格は 400円だ!!
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ここには、シャガールと並んで、ボナール、ヴィヤール (ヴュイヤール)、そしてナビ派とある。この頃からちゃんとナビ派は美術のひとつのスタイルと認識されていて、私にとってはなじみのある名前であったのだ。だが、書庫に並んだ過去の展覧会の図録を調べても、確かにナビ派を冠したものは見当たらない。ゴーギャンの影響下という意味では、ポン=タヴェン (またはポン=タヴァン) 派の展覧会は開催されているが、ナビ派は本当にこれが初めてのようだ。その意味では三菱一号館美術館、いいところに目をつけたものだ。そしてまた面白いのは、この展覧会の出品作はすべてあのパリのオルセー美術館から来ている。入り口近くに掲げられている挨拶の言葉の中に、オルセー美術館長のものがあって、そこにはなんと、「オルセーは印象派で有名ですが、私は印象派以外の美術の紹介に力を入れていて、そのひとつがナビ派です」などいう趣旨のことが書いてある!! この方、ギ・コジュヴァルという人で、ナビ派の専門家であるらしい。なるほど、日本人が印象派を大好きであることを知りながら、それとは違った分野の作品を 80点あまり (描いた画家は 13人) も日本に持ってきて展覧会を開くとは、実に侮りがたい。そして、明るく爽やかな印象主義 (Impressionism) よりも、暗い情念を持った表現主義 (Expressionism) や象徴主義により心惹かれる私としては、これはやはり必見の展覧会であったのだ。

そもそもナビ派とは何か。ナビとはヘブライ語で預言者のこと。新たな美の預言者たろうとして 19世紀末に起こった若い画家たちの一派で、ゴーギャンの影響を受けて、平面的で装飾的な作品を描いた。と書いてもなんのことやら分からないので、いくつか作品を見てみよう。まず、ナビ派が規範としたゴーギャン (1848 - 1903) の「『黄色いキリスト』のある自画像」(1890 - 91年)。有名な作品である。
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ゴーギャンが最初にタヒチに出向く前の作品で、画面がいくつかの空間に分けられてベタッと色が塗られている。印象派のように輪郭がぼやけてはおらず、斜めを向いて決意に満ちた自分の顔と、後ろに置かれた二点の自作 (「黄色いキリスト」と「グロテスクな頭の形をした自画像の壺」) との対比に、緊張関係が感じられる。キリストの絵は静謐でどこか牧歌的ですらあり、壺の絵は不気味な感じであって、自画像と合わせて赤・青・黄の三原色をなしている。あえて平面的に描いた画面に秘められた数々のドラマ。これこそがナビ派につながるものであると認識した。これは、エミール・ベルナール (1868 - 1941) の「炻器瓶 (せっきびん) とりんご」。1887年の作。もちろんセザンヌの影響はあるであろうが、屋外の風景を主観的な印象によって美しく描くのではなく、室内で物言わぬ静物を輪郭線を使ってしっかり描くという感性から、奇妙な神秘感が醸成されているから不思議だ。
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これはポール・セリュジエ (1864 - 1927) の 1893年の作品、「にわか雨」。これは屋外の風景だが、極めて線的であり平面的だ。そして私たち日本人は、ここには浮世絵の影響があることを決して見誤ることはないだろう。形態は単純だが、ここでも何か詩的なものを感じるのが、やはり不思議に思われるのである。
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次の作品はナビ派結成のきっかけとなった記念すべきもの。同じセリュジエの「タリスマン (護符)、愛の森を流れるアヴェン川」(1888年作)。うーん、愛の森が何物か知らないが、ここに描かれているのは風景であるはずなのに、色彩の並置だけになっている。これはほとんど抽象画と言ってもよいのではないか。私は時折絵画作品を見て、色彩と形態の境界が分からなくなって陶然とすることがあるが (そのような作品を描いた画家のひとりとして、ナビ派とは離れるが、ニコラ・ド・スタールの名を挙げておこう)、これなどはまさにそうだ。セリュジエはゴーギャンの助言を得てこの作品を仕上げ、ナビ派の画家たちから「護符」と呼ばれるようになったとのこと。美しい。
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さてここで、ナビ派の代表的な画家のひとりが登場する。モーリス・ドニ (1870 - 1943) である。1890年作の「テラスの陽光」。上のセリュジエの作品に強く同調していると思われる。このドニは、「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面である」という言葉を残しているらしい。まさにこの作品ではそれを実践しているわけだ。
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これはケル=クサヴィエ・ルーセル (1867 - 1944) の「テラス」(1892年頃作)。一見印象主義風の平穏な風景にも見えるが、やはり平面性は独特のものだし、例えば細い木の枝が二本同じ方向を向いているのが不気味だし、右端の女性は亡霊のようではないか。鑑賞者のイマジネーションは秘めたドラマを導き出す。
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これは、アリスティード・マイヨール (1861 - 1944) の「女性の横顔」(1896年頃作)。あれ、マイヨールといえば彫刻家ではないのか。そう、ロダンやブールデルと並ぶ近代を代表するあの彫刻家は、本格的に彫刻を始めたのは 40歳を過ぎてかららしい。これは少し乾いた感性であり、新印象派風の点描も見られるが、横顔の女性の物言いたそうな顔にはやはり、ひそかなドラマ性がありはしないだろうか。ただ、その前に立つと非常に静謐な気持ちになる佳品である。
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これは、エドゥアール・ヴュイヤール (1868 - 1940) の 1940年頃のパステル画、「森の中の二人の女性」。こうなると象徴主義的ですらあって、この二人の女性のただならぬ様子 (?) には、近寄りがたいものすらある。だが色遣いは大変きれいだ。
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ここでナビ派のもうひとりの代表的画家をご紹介する。ピエール・ボナール (1867 - 1947)。1891年作の「親密さ」。義弟で作曲家のクロード・テラスという人物を描いているそうだが、壁のアラベスク模様と人物のパイプから昇る煙が一体となっている不思議な光景であり、最前部には絵を描く画家自身のものと思われる手がデカデカと描かれている (当然浮世絵の影響だろう)。このような室内の日常風景や静物を描くスタイルをアンティミスムと呼ぶらしく、ナビ派にはこの種の作品が多い。
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さあここで、ナビ派という範疇に入れてしまってよいものか否か分からない、私のお気に入りの画家が登場する。フェリックス・ヴァロットン (1865 - 1925) である。この三菱一号館美術館で 2014年に開かれたヴァロットン展は私にとっては素晴らしい衝撃であったのだが、実はそれに先だつ 20年前、1994年にブリヂストン美術館で開かれた「ヴァロットンの木版画」展を見たことが、私がこの画家に開眼するきっかけであったのだ。今回何点もの彼の作品と再会することで、その神秘性に改めて打たれたのである。これは 1898年の「化粧台の前のミシア」。この絵のモデル、ミシア・ゴドフスカは、ナビ派の画家たちが参加した芸術雑誌「ラ・ルヴュ・ブランシュ」を創刊したタデ・ナタンソンという人の妻であるらしい。ヴァロットンとナビ派のつながりは、やはりあったわけだ。
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やはりヴァロットンの「髪を整える女性」(1900年作)。これはもう、米国のエドワード・ホッパーを思わせるではないか!! 鳥肌立ちますな。
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そして、私がヴァロットンに開眼したジャンルである木版画の作品も掲げておこう。「アンティミテ」というシリーズの中の「外出の身支度」(1897年作)。皮肉っぽく描かれているのは、時代を超えた夫婦の間のすれ違いか???
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ここでまたドニの作品を見たい。1889年の「18歳の画家の肖像」。自画像である。18歳にしては髭などはやして、生意気である (笑)。世界が世紀末に向かう中、未来に希望を抱いていた芸術家の肖像なのだ。色調はクリアである。
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そしてヴュイヤールを 2点。ナビ派の画家たちはお互いに仲がよかったらしいが、この「読書する男」(1890年作) は、上に作品を掲載した友人のケル=クサヴィエ・ルーセルの肖像である。色彩は明るいが、人の内面を映し出すような落ち着きと神秘性がある。
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これもヴュイヤールの「八角形の自画像」(1890年作)。これもいかにもナビ派らしく、単純な色遣いでありながら心に残る構図だ。
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すみません、ここでまた 2点、ヴァロットン。1897年の自画像と、1899年の「アレクサンドル・ナタンソンの肖像」。自画像は意外にも、顔も端正なら描き方も丁寧だ。また、アレクサンドル・ナタンソンは、上で名前の出た兄弟のタデ・ナタンソンとともに、ナビ派が集った芸術雑誌を創刊した人。ヴァロットンの高い筆力が窺われる。
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これはドニの 1891年の作品、「婚約者マルト」。ドニはこの婚約者を何度も描いているらしいが、このパステル画にも愛情が感じられる。それにしても、ナビ派の人たちはお互いや、それぞれの家族を大事にしあっている感じがする。彼らが師と仰いだゴーギャンのワイルドさは、どうやら模範にはしなかったようである (笑)。
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ドニをもう 1点。1897年作の「メルニオ一家」。これも平和な光景。だが、ルノワールのような甘さはなく、現実か夢か判然としない雰囲気である点、私には好ましいと思われるのである。
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だがドニの心の中には、劇的なものへのひそかな志向もあったのではないかと、この 1890年の「磔刑像への奉納」を見ると思われてくる。ドロドロしたものを表面に持ってくるのはなく、精神の均衡は保たれているのだが、ここから象徴主義までの距離は、意外と近いのではないか。
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ヴュイヤールにも近い感性があるが、また独特だ。1891年の「ベッドにて」。水平の線がいくつか画面を横切っていて、上部は直線だが下部は曲線。右端には垂直方向の線がぎゅぎゅっと詰まっている。そして、壁に見える T の字は、実は十字架なのである。静謐な宗教性と無意識の世界が織りなす夢の世界は、シュールまであと一歩である。
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またドニに戻って、1893年の「ミューズたち」。平面的だが装飾的という典型的な例だが、ここに漂う倦怠感は、ムンクあたりに近くなってはいないだろうか。
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ナビ派にも、もうちょっと危ない方向に走った画家がいた。ポール・ランソン (1861 - 1909)。これは 1906年頃の「水浴」。平面性と装飾性は、はい、ありますね。でもこの緑の渦を巻く水や、謎のオリエンタルなライオンの彫像、そして手前の毒々しい赤い花など、ドニやヴュイヤールとは明らかに違う、一歩進んだ (?) 積極表現。あまり自宅には飾りたくないなぁ (笑)。
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これなども多大に呪術性を含んだ作品である。ジョルジュ・ラコンブ (1868 - 1916) の 1895年の彫刻作品「イシス」。もちろんエジプトの女神の名前である。血の乳を流す女神は、一体何を伝えようとしているのか。その表情はうつろで、民に語り掛ける様子はない。
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ここで見た通り、この展覧会は、既によく知られた印象派とは違う世界、そしてまた退廃性あふれる世紀末美術としては若干異色な世界に触れることができる。ナビ派の画家たちは 1860年代から 1870年代生まれ。音楽の世界ではマーラーやリヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、またシベリウスといった人たちと同世代だ。欧州各国の帝国主義の膨張から世界大戦に向かって行く時代の中で、新しい表現を模索した芸術家たち。印象派だけが近代フランス絵画ではないということを知るには、大変重要な展覧会である。残り期間はあとわずか。未だ行かれていない方には、是非お薦めしておこう。

ところで、冒頭近くで掲げた 1979年の「週刊 朝日百科 世界の美術」では、なぜナビ派とシャガールを一緒に扱ったのだろう。シャガールはユダヤ系ベラルーシ人で、もちろんナビ派よりもさらに大きな流れである (だが画家それぞれの個性はより際立っていた) エコール・ド・パリの画家だし、生年も 1887年で、ナビ派とは違違う世代。そして何より、絵画のタイプがかなり違うと思うが・・・。まあ、40年近く経ってから文句を言う筋合いのものでもないので、1冊で様々な美術を楽しめる号であったと割り切るとしよう (笑)。

by yokohama7474 | 2017-05-17 23:14 | 美術・旅行 | Comments(0)

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今私がこの記事を書き出したのは、このコンサートが終了してから 2時間半後。既に夜半となり、風呂上がりのビールを飲んだ私は既にほろ酔い気分。このところの出張や業務や接待メシや文化活動、それに伴う移動などで、それなりに疲れが溜まっていて、少し眠気を覚える。だがそれにもかかわらず、私の耳の底には未だ、このコンサートで鳴り響いていた第一級の音が渦巻いているのである。実に素晴らしい演奏だった。

このブログをご覧になっている方は先刻ご承知かと思うが、東京におけるオーケストラ活動は、私の見るところ、間違いなく世界一。もちろん、何をもって世界一と評価すべきはなかなか簡単ではないので、例えばウィーンやベルリンよりも本当に上かと訊かれれば、即答はできない。だが、ここ東京に存在するオーケストラの数と、来日オケ公演を含んだ演奏会の数、それから、もちろんそこに登場する演奏者の顔ぶれ、ホールのクオリティ (この点は若干の例外もあるが)、聴衆のクオリティ、そして、演奏される曲目のヴァラエティ、それらをすべて勘案すると、やはり東京は世界一のオーケストラ都市であると言ってよいと思うのである。上記の要素のうち、曲目について考えてみると、マーラーやブルックナーの大曲が多いことは言うまでもないが、最先端の現代音楽や古典派のレパートリーも絶えず演奏されている。だがそんな中で、東京で聴く機会が決して多くない分野のひとつに、英国音楽があると言えるように思う。もちろん、尾高忠明は、かつて BBC ウェールズ交響楽団のシェフを務めた関係で、英国音楽を演奏するケースが多いが、彼のコンサートで演奏される頻度が多い英国音楽は、エルガーやウォルトンではないか。その点、今回東京都交響楽団 (通称「都響」) が取り上げた曲目は意欲的だ。
 バターワース : 青柳の堤
 ティペット : ピアノ協奏曲 (1955年作、日本初演)
 ヴォーン・ウィリアムズ : ロンドン交響曲 (交響曲第 2番) (1920年版)

日本では英国音楽の愛好家は決して多くないと思うし、正直なところ、私自身もそうである。昔は三浦淳史という音楽評論家がいて、随分と積極的に英国音楽を紹介していたが、最近そのような評論家がいるとは思えないし、そもそも音楽評論なんて、読む機会が激減してしまっている。なので、このような曲目ではきっと客席はガラガラかと思いきや、満席ではないものの、結構席が埋まっていたのである。つまり、あまり聴く機会のない曲への期待感が、聴衆の側にはあったはずだ。そしてこのような曲目であるから、指揮者も英国人である。1959年生まれのマーティン・ブラビンズ。彼はつい最近まで名古屋フィルの常任指揮者を務めていたのは知っていて、どうやら職人的手腕のありそうな指揮者のようで、ちょっと興味はあったのだが、実際に聴くのは今回が初めて。現在はロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督だ。
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英国からは数々の名指揮者が生まれていて、私もその中の何人か、例えばエードリアン・ボールトとかジョン・バルビローリとか、あるいはコリン・デイヴィスのような巨匠たちは、心から尊敬するものである。彼らの誰もが多かれ少なかれ英国音楽を演奏し、多くの録音も残されているが、英国の管弦楽曲で最もポピュラーと思われるエルガーの交響曲ですら、私は溺愛するには至っていないし、英国の多くの作曲家の作品に聴かれる保守性に、少々うんざりすることもある。だがそれゆえにこそ、このようなすべて英国音楽というプログラム、しかも 1曲は日本初演というプログラムには、興味を持ったのである。

今回の最初の曲目、バターワースの「青柳の堤」は、題名は聞いたことがあるものの、実演で聴くには初めてだ。そもそもこの作曲家の作品は、あのカルロス・クライバー指揮の非正規盤で小品を聴いたことくらいしかない。ジョージ・バターワース (1885 - 1916) は、英国の民謡を採集して創作にいそしんだが、惜しいことに第 1次大戦に出征して戦死しているので、ごく少数の作品しか残っていないのである。家柄は結構よかったらしく、イートン校からオックスフォードに進んだインテリ。顔にも、どことなく野性味のある知性が窺われる。
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この「青柳の堤」(原題は "The Banks of Green Willow") は、6分ほどの短い曲で、彼が採集した民謡と自身の作曲による旋律から成っている。英国音楽らしい平明で保守的な面はあるものの、傾聴するとなんとも美しい曲であり、そして、ブラビンズの的確な指揮による都響の、実に美しい演奏!! 31歳で散ってしまった才能を惜しむ気持ちは誰でも抱くであろうが、だが、限られた人生でこんな佳曲を残したという事実だけでも、後世の人たちが忘れてはならない人であると思う。

そして 2曲目は、20世紀英国音楽を代表するマイケル・ティペット (1905 - 1998) のピアノ協奏曲で、なんと今回が日本初演。ティペットの作品は、代表作であるオラトリオ「我らの時代の子」を、録音でも実演でも聴いたことがあるし、ショルティが初演した交響曲第 4番や、チェリビダッケがロンドン交響楽団と来日したときに採り上げた典礼舞曲 (オペラ「真夏の結婚」から) などを通して、その作風には一定のイメージがある。だが、その長い生涯の経歴についてはほとんど知識がないし、ピアノ協奏曲を書いていたことも知らなかった。
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解説によるとこの曲は、1950年に英国公演を行ったドイツの名ピアニスト、ワルター・ギーゼキングが弾くベートーヴェンの 4番のピアノ協奏曲のリハーサルを聴いて刺激を受けて作られたものとのこと。第 1楽章が全体の半分を占めることや、緩徐楽章である第 2楽章が短い点がベートーヴェンの 4番のコンチェルトと似た構成とある。うん、たしかに 4番はそういう構成だが、楽章の長さよりも顕著な特色は、第 1楽章はピアノ・ソロで入り、第 2楽章はオケの弦楽合奏で入るという、鮮やかな対照が明確である点ではないか。このティペットの曲は、そのような対照は意図されていないようなので、あまりベートーヴェンの曲のことを気にする必要はなさそうだ。聴いていると、この曲においてはピアノはあまり雄弁に語ることはなく、終始何か呟いているような印象で、一方のオケの方も、壮大に鳴る場面は多くなく、木管の一部がハモったり、弦楽器のワン・セクションだけが旋律を奏でたりと、薄い音響が多く聴かれる。面白かったのは第 1楽章のカデンツァで、チェレスタの伴奏がつくこと。このようなキラキラした感じが、ティペットのひとつの持ち味と言えるであろうし、何よりも、ここでもオケの妙技が抜群で、非常に楽しめる演奏になった。あ、言い忘れてしまったが (笑)、ソリストはやはり英国人 (と言っていいのかな、スコットランド人である) のスティーヴン・オズボーン。1971年生まれで、2015年の都響ヨーロッパツアーで共演歴があるらしい。今回は驚くような演奏ではなかったものの、譜めくりを横につけながら、自然体でうまく曲の流れを作り出していたと思う。
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さて、そして後半の大曲は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ (1872 - 1958、RVWと略される) のロンドン交響曲。彼も英国を代表する作曲家であり、9曲の交響曲を書いていることは有名だが、実演で聴くことは決して多くない。ましてやこのロンドン交響曲は、作曲後に交響曲第 2番という番号が与えられているが、50分の大作であり、誰もが親しんでいる内容とは言えない。これが若い頃の RVW。
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私が RVW の交響曲に最初に触れたのは高校時代で、アンドレ・プレヴィンの指揮する南極交響曲 (第 7番) だったと記憶するが、正直なところ、あまり乗れなかった。その後、ハイティンクとロンドン・フィルの全集も購入したものの、そのセット物 CD のすべてを聴いたわけではないという、その程度のつきあい (?) である。だが、「トーマス・タリスの主題による幻想曲」(映画「聖杯たちの騎士」での使用が印象的であった) と「グリーンスリーヴスによる幻想曲」は大好きでよく聴いているし、RVW が指揮者として残したマタイ受難曲の録音も持っている。ともあれこのロンドン交響曲、標題音楽の一種であるが、作曲者自身が詳細の説明を好まず、「ロンドンっ子が書いた交響曲」と称している。今回初めて実演で聴いたが、なかなか面白い音楽だ。第 1楽章をたとえてみるなら、冒頭はシュトラウスの「アルプス交響曲」風の夜明けに始まり、「オペラ座の怪人」と「パリのアメリカ人」と中国の音楽が順番に出てくる、と言えばよいだろうか。この曲を聴いたことのない人にはチンプンカンプンだろうが (笑)、知っている人には分かるはず。以前何かのテレビで、その「オペラ座の怪人」風の箇所を面白おかしく紹介していたし、また、ロンドンの街の喧騒を表す音楽は、まさにガーシュウィンの「パリのアメリカ人」のようだ。そして、いかにも中国の音楽のようなメロディで盛り上がるのだが、これはいわゆる五音音階という奴で、RVW が採集した英国民謡から発想されているようである。ちなみに RVW は前述のバターワースよりも 17歳上だが、この二人は意気投合して英国民謡採集をともに行う仲であったらしく、このロンドン交響曲は、戦死したバターワースに捧げられている。さてこのようなごった煮音楽を面白く聴くには、ひとつ重要な条件がある。それは、とびきり上質な音質である。その点こそ、今回のブラビンズと都響の演奏の成功の第一の理由であろう。弦楽器はもちろん、木管も金管も、もうこれ以上ないほどのクオリティであり、音のパースペクティヴが完璧であった。まさに惚れ惚れする音とはこのこと。弦楽器の各パートは、先頭から最後列まで均一の音が鳴っていたが、これは一流オケの証明である。実際、演奏し慣れているはずのないこの曲を、手慣れたマーラーを演奏するごとくに余裕をもって演奏した都響のメンバーに、最大限の賛辞を捧げたいと思う。そしてもちろん、オケに気持ちよく演奏させたのは指揮者の功績。奇をてらったところは全くなく、実に真摯に棒を振り続けたブラビンズ、期待通りの高い職人性で、素晴らしい音楽を成し遂げたのである。

曲が静かに終わったあと、東京のコンサートホールではいつも聴かれる静寂があり、そして大きな拍手とブラヴォーの声。聴衆は皆、この演奏を楽しんだのである。印象的だったのは、ひとしきりカーテンコールが行われたあと、指揮者が聴衆に対して拍手をしたこと。きっとブラビンズは、東京の聴衆のレヴェルの高さを再認識したに違いない。決してポピュラーとは言えない英国音楽をこれだけ高度な音にするオケと、それにブラヴォーで応える聴衆。我々はそれを誇りに思いたい。私は常々、いわゆるお国ものには疑問を覚えることが多く、英国人指揮者だからといって英国音楽を指揮すべきだとは思わないが、このような演奏が聴けるなら、お国もの大歓迎である!! このコンビによるヴォーン・ウィリアムズの演奏、今度は 5/21 (日) に池袋の東京芸術劇場で、南極交響曲 (交響曲第 7番) が予定されている。私はそれに出かけることはできないが、これはお薦めである。

さて、記事を書き終わろうという今、酔いは既にさめてしまったが、でもあの都響の音は耳に未だ残っている。今晩はよい夢を見ることができるだろう。ロンドンの喧騒の夢でないことを祈ります (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-05-17 01:14 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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1979年生まれの若手指揮者のホープ、山田和樹が日本フィル (通称「日フィル」) を指揮して行っているグスタフ・マーラー (1860 - 1911) の全交響曲の連続演奏会、いわゆるツィクルスも、今年で 3年目に入り、いよいよ最後の 3つの交響曲 (番号のついていない「大地の歌」及び未完成の 10番は除く) が演奏される 。上のポスターにある通り、「第 3期 昇華」というタイトルがついている。因みに第 1期は「創生」、第 2期は「深化」であり、毎年 3曲ずつ順番にマーラーの交響曲を演奏して来ているのである。また、もうひとつの特色は、名実ともに日本を代表する作曲家、武満徹 (1930 - 1996) の作品を毎回組み合わせていること。このブログでは昨年の 4・5・6番をご紹介したが、私はこのツィクルスを最初から (出張で聴けなかった 2番を除き) 聴いて来ているので、いよいよ 3年目の仕上げに入ったことに大きな感慨と期待を抱くものである。そして今回の曲目は以下の通り。
 武満徹 : 夢の時 (1981年作)
 マーラー : 交響曲第 7番ホ短調「夜の歌」
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今回もいつものように演奏前に山田が登場してプレ・トークを行った。それによると、このシリーズを続けてきて、自らも、計画した当初考えたことと、実際にやってみて分かることとの違いを感じるとのこと。それは、自らの指揮の変化、マーラーの作風の変化、そして武満とマーラーの意外な共通性といったものである由。未だ 30代の指揮者としては、いかに天才といえども当然、日々進化の過程にあるであろうし、また、よく言われる通り、マーラーの作品には彼自身の人生が暗示あるいは予言されているという要素もあるので、創作の過程を時系列に従って辿ることによる発見は、必ずあるだろう。そして、これまであまり言及されて来なかった武満とマーラーの共通点については、私自身も毎回新鮮な思いを抱いている。もちろん、共通点とともに相違点もまた多く感じるわけであるが、時代も場所も文化的背景も超えて、例えば生と死の問題であるとか、人間と自然の対立や融和とか、あるいは音響美学という点においても、興味深い共鳴を耳にすることができるように思う。さて山田は今回演奏する第 7番が、マーラーの中で最も人気のない曲ゆえ、今回のコンサートのチケットの売れ行きもよくないと嘆いて聴衆を笑わせたが、なんのことはない、会場のオーチャードホールはほどんど満席だ。もちろん、この 7番がマーラーの交響曲で最も人気が低いことについては私も同意するし、多くの人が同意見であろう。山田はその理由のひとつとしてまず、マーラー自身が、初期の交響曲について書いたような詳細な曲の内容についての説明を、後年はしなくなったことを挙げた。そして、「夜の歌」というタイトルがよかったのか悪かったのか分からないが、終楽章などはハ長調で光が差すような音楽であって決して暗くはないし、交響曲として珍しいギターやマンドリンといった楽器の使用 (マーラーがうまく書いているので、PA 使用による補強も検討したが、なくてもよく聞こえるので不要と判断したと) も、夕方のセレナードというよりは、東洋的な雰囲気を出すために使われていて、そこにはロマン主義という時代の美学もあると主張。さらに、マーラーと武満の共通点として、バッハ研究を挙げた。マーラーは晩年バッハの楽譜を持ち歩いていたらしく、特にこの 7番の終楽章は、バロック音楽の研究成果であるという評価が一般的だ。また武満もバッハを深く尊敬し、最期の病床でもマタイ受難曲を聴いていたことを例に挙げていた。そして興味深かったのは、このような現象はもちろんバッハ個人の音楽への傾倒もさることながら、西洋音楽の原点であるバッハに遡ることで、モーツァルトやベートーヴェンをもそこに見ていたのだろうという山田の言葉である。つまりそれは、西洋音楽の流れの中に自分を置く試みであって、マーラーも武満も、そのような先人たちに学ぶ姿勢によって歴史に名を留める存在になったということを意味していよう。現代にもそのような作曲家たちが多く存在して欲しいと思わないではいられない。ここでは大バッハに敬意を表して、その肖像画を掲げておこう。
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さて今回の演奏であるが、山田の内外での活躍ぶりを知っているせいか、これまでよりもさらに一段の高みに到達したように思われてならない。最初の武満の「夢の時 (ドリームタイム)」は、オーストラリアの先住民であるアボリジニの天地創造の神話に想を得たもの。典型的な武満の美しい作品で、思い出してみると岩城宏之が手兵メルボルン交響楽団と来日したときに取り上げていたのをテレビで見たのが、私のこの曲との出会いであった。それは 1987年のこと (ちなみに岩城はこの曲の初演者であり、それは 1982年に、当時の岩城のもうひとつの手兵であった札幌交響楽団を指揮してのものであった)。私は当時、最初にこの曲を聴いたときから、時折ズーンと鳴り渡る和音に心地よさと神秘感をいつも覚えるのである。また、ここでの夢の世界の顕現には、映画芸術の夢との類似がイメージされているようで、いかにも映画マニアの武満らしい。だが驚くべきことに、この曲はもともと、チェコ出身の前衛振付家、イジー(英語読みで「イリ」とも)・キリアンの委嘱による舞踊音楽なのだ!! ダンスの音楽にしては全く拍節感がないのであるが、それはそうだ。夢の世界だもの (笑)。ただ音楽史には、拍節感のないバレエ音楽として有名な例がある。それはもちろん、伝説のニジンスキーが踊ったドビュッシーの牧神の午後への前奏曲だ。武満との共通性という点では、真っ先に名前の挙がるのが、この作曲家である。また、以前も記事で採り上げたが、武満の創り出した美しい音響は、ロシアの天才監督、アンドレイ・タルコフスキーの映画に表現されたような究極の夢幻性との共通点も、感じずにはいられない。武満の描いた夢の時間はまた、音楽史や映画史の記憶と結びついた、美的感覚に酔うことのできる時間であったのだ。今回の山田と日フィルの演奏のように、極めて繊細に、だが自然に美麗な音が響いてくると、このような曲はレパートリーとして定着し、将来の聴衆にも是非楽しんでもらいたいと切に思うのである。これが、「夢の時」初演に近い頃のキリアン。
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そしてメインのマーラー 7番であるが、山田の解釈は非常に洗練されたものであり、弦を中心とするオケの熱演によって、この渋い曲の魅力が、実は侮れないものであることを再認識させるに充分であったと思う。例えば冒頭部分、さざ波が起こって湖にボートが動き出すような音楽は、普通はもっと緩やかに重々しく奏されることが多いが、今回の演奏では、陰鬱さを感じさせないテノールホルンのしっかりしたソロによって、遠い世界への呼びかけのように響いた。英語で言うと Evocation などという言葉があり、日本語では「召喚」ということになろうか、神秘性を含む言葉のイメージだ。だがこの場合の神秘性は、前半の武満の曲のそれと同様、あくまで美的な感覚であって、おどろおどろしいものは感じない。今思い返せば、今回の山田の解釈では、第 3楽章の「影のような」と譜面に書かれたスケルツォですら、必ずしも闇の音楽ではなかったし、終楽章も、様々な演奏の可能性のある中で、かなり輝かしさに意識を置いたものであったと思う。第 2楽章、第 4楽章の「夜の音楽」の性格も、そう、たまたま前日にジョナサン・ノットと東京交響楽団で聴いた「タクシードライバー」の危険なニューヨークの夜の雰囲気とは異なり (笑)、あくまで美学としての夜のイメージ、ここではないどこかを思わせる遥か彼方へのロマンということであったろう。そうなると、頻繁にオケがひきつけを起こすような第 1楽章も、これも前日のノットと東響で聴いたベートーヴェン 8番のスフォルツァンドとは異なり、諧謔味はないが、しかし退廃的なものでもないように響いたと書いてしまおう。全曲を通しての弦楽器の共鳴には素晴らしいものがあり、特にヴィオラが深く音楽をえぐっていた。中音域の充実によって、この曲らしい晦渋さは表現されていたものの、素晴らしいのは、それがしんねりむっつりしたものではなく、常に前進力を音楽に与えていたのである。要するに、ここで山田は、陰鬱な世紀末的退廃ではなく、美的なロマン性を推進力を持って表現することで、この曲の魅力に新たな光を当てたということではなかったろうか。

演奏を終えた山田の顔には、充実感が溢れており、自身もかなり手ごたえを感じる出来であったろう。多くの場合日本のオケの課題である金管パートには、今回もごくわずかな課題はあると思ったが、炸裂する音響も随所に聴かれ、迫力充分であった。何より、山田和樹という若い逸材とこのような充実した共同作業を行うことで、オケの皆さんの語彙もより拡充するであろうから、日フィルのマーラーの在り方を今後も追求して頂きたいものだと思ったことである。このツィクルス、次回はいよいよ 6月初旬、超大作の 8番だ。鳥肌立つ名演を期待しております。

by yokohama7474 | 2017-05-15 00:39 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会には、二人の指揮者が登場する。ここではそのうち、イスラエルの名指揮者、ピンカス・スタインバーグ (上の写真の左側) が指揮した演奏会をレポートする。スタインバーグは 1945年生まれだから今年 72歳。これまで、ウィーン放送交響楽団やスイス・ロマンド管弦楽団のシェフを歴任し、2014年からはブダペスト・フィルの首席指揮者である。実は N 響には過去登壇していることは知っていたし、ウィーン放送響との来日もあったが、私はこれまで彼を生で聴いたことがない。彼の父、ウィリアム・スタインバーグはやはり実績のあった名指揮者で、ボストン交響楽団の音楽監督にまで登りつめている (小澤征爾のすぐの前任者で、任期は1969年から 72年まで)。私は若い頃、この父スタインバーグとボストン響によるホルストの「惑星」がひそかな名盤であると耳にして、廉価版で出ていたアナログレコードを購入して楽しんでいたことがある。派手さはないが、職人的な信頼感を感じる指揮ぶりだったと記憶する。最近では彼のアンソロジーなど購入しており、再度聴き込みたいと思っているのだが、ちょっと待て。息子ピンカスは現在活動中なのだから、彼の実演をこそ聴くべきではないのか。そう思うとこの指揮者が無性に気になってきたのだが、今回の演奏会の曲目が面白い。
 スメタナ : 連作交響詩「わが祖国」

この曲はチェコ音楽の父と呼ばれるベドルジハ・スメタナ (1824 - 1884) による 6作の交響詩群で、チェコ人特有の強い愛国心に裏打ちされた名作なのである。極めて有名な第 2曲「モルダウ」以外にも、チェコの過去の英雄や民族の戦い、あるいは自然の美しさを謳い上げた 75分ほどの大作。
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だがその特性から、返ってこの連作全曲の一般的な演奏頻度は、低くなってしまっている。毎年チェコの首都プラハで開かれる音楽祭「プラハの春」のオープニングでは、チェコ第一のオーケストラであるチェコ・フィルがこの曲を演奏することになっており、チェコの人たちにとってはそれだけ大事な曲。なので、チェコ人以外の指揮者が全曲を実演で取り上げること自体がまず珍しいし、チェコ以外に存在するオケにとってもそれほど馴染みのあるレパートリーにはなっていない。今回のように、イスラエル人の指揮者と日本のオケによる演奏は従って、この音楽の価値に純粋に耳を傾けるよい機会なのである。プログラムによると、スタインバーグは N 響には過去 5回、1986年、1992年、1994年、1997年、2005年と登場しており、今回は実に 12年ぶりの共演。この「わが祖国」全曲は既に一度、初顔合わせの 1992年に採り上げている由。実に 25年ぶりということだ。世界で経験を積んだこの指揮者を聴くタイミングとしては、なかなかよいのではないかと思い、会場の NHK ホールに足を運んだのである。因みに、上記「プラハの春」音楽祭の初日、つまりこの「わが祖国」が毎年演奏されるのは、スメタナの命日で、それは 5月12日。ちょうどこの演奏会の前日であった。
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結果として私はこのコンサートを大変楽しんだ。スタインバーグは全曲を暗譜で指揮したが、全く危なげなく、完全に掌握したレパートリーであることが明白であった。また、爆発力も見せながら、一方で楽員の自主性を重んじるところもあり、例えば冒頭のハープ 2台の演奏には、後ろ姿だけから判断すると、キューを送っている様子も見られず、開始のタイミングは奏者に任せたように思われた。この「わが祖国」は、上述の通りのチェコの民族性の要素はあるものの、大変劇的な音楽であり、例えばチャイコフスキーほど気が利いた音楽ではないにせよ、時折思い出したように、素晴らしくカッコいい響きが鳴り響くのである。従って、各曲の性格をきっちり描き分けて、聴かせどころを外さなければ、チェコ云々という要素なしでも充分楽しめるのである。その点、今回の演奏では指揮者の意図が明確に感じられる箇所が多く、純粋に劇的な音楽として楽しむことができた。事前のイメージ通り、職人的な指揮ぶりと言えばそうかもしれないが、指揮者とはそもそも職人性がないとできない職業であり、長年鍛錬した究極の職人技からカリスマ性が出てくるケースが多いことは、例えば先般亡くなったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの例などでよく分かる。この指揮者も、今まさにそのような円熟の境地に達しているのではないだろうか。楽員たちを同じ方向に導き、必要なところで必要な音を、つまりは繊細な音、豪快な音、長い音短い音、まっすぐな音曲がった音、そのような様々な音たちを自在に引き出すことは、共演を重ねたオケでないと難しかろう。スタインバーグと N 響は、長い付き合いではあるものの、その間に何度も空白があるので、オケとの呼吸の点ではごくわずかな課題もあったかもしれない。だがそれでもこの演奏では、尻上がりに音の鳴りが自在になっていったと言えるのではないか。情緒に流れるところは皆無であり、常に明確に指示を出し、きっちりとリズムを刻む姿は、ちょっと意外なたとえかもしれないが、ゲオルク・ショルティを思わせるところもあった。つまりは、究極の職人であり華麗なるカリスマであった指揮者である。その意味では、このスタインバーグはこれからどんどん充実の音楽を聴かせてくれるのではないだろうか。N 響は本当によい指揮者を招いているものだと、改めて感心するとともに、今後のスタインバーグへの期待もまた高まったのである。

ところで今回のプログラムに、今年 2月から 3月にかけて N 響が行ったヨーロッパ演奏旅行の詳細なレポートが載っていて興味深い。指揮はもちろん首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィで、ベルリン、ルクセンブルク、パリ、アムステルダム、ロンドン、ウィーン、ケルンという一流の音楽都市ばかりでの勝負であった。ベルリンのリハーサルでは、ダニエル・バレンボイムや樫本大進らベルリン・フィルのメンバーも顔を見せたらしい。ちょっと不鮮明だが、なかなか興味深いツー・ショット。昨年サントリーホールで開かれたバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンのブルックナー・ツィクルスをヤルヴィが聴きに来ていたことはこのブログでも記事にしたが、この 2人はパリ管の音楽監督として先輩後輩でもあり、意外と親しいのかもしれない。
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プログラムには、各地での新聞評が載っているが、どこもほぼ絶賛である。以前は日本のオケと言えば技術的には正確でも、精神的な部分で不足しているところがあるという評価が一般的だったが、これらの評を読んでいると、明らかにそのレヴェルを超えたと見做されており、率直な驚きが見られる。例えばアムステルダム、あの素晴らしいコンセルトヘボウ管を持つ欧州有数の文化都市での批評の最後の部分を引用しよう。

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弦楽器はクラシック愛好家が通常ウィーン・フィルの特徴とみなす輝きを放っていた。ヴィオラはベルリンなさがらであった。日本人は、このコンセルトヘボウ (注 : ここではオケではなく同名のホールのこと) という虎穴でアムステルダム的な切り札を切った --- どんなに指がまわっても、見せびらかしはありえない。このオーケストラを知らぬ間に世界トップに持ち上げた男の名前は、パーヴォ・ヤルヴィという。
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くーっ、痺れる批評だなぁ。これは是非楽員の方々も誇りとして頂き、日常の演奏の糧として頂くことを切望するのみです。ところで、今や押しも押されぬ音楽界のドンたるバレンボイムも、1973年に N 響の定期公演を指揮している。久しぶりに振ってみたいと思って頂けないものでしょうかね。上の写真でヤルヴィが大先輩のバレンボイムの肩に手をかけて話しているのは、もしかしたらそのことではないか、と勝手に想像するのも楽しいではないか。

by yokohama7474 | 2017-05-14 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(2)