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いなごの日 / クール・ミリオン ナサニエル・ウエスト傑作選 (柴田元幸訳)

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よく書いていることだが、私は本屋をブラブラするのが好きな人間で、昨今のネットでの書籍の購入は、もちろん頻繁に利用はするけれども、本当の意味でのワクワクするような本との出会いは、やはり本屋でなければ得られないなぁと、いつも思っているのである。この本もたまたま本屋で手に取ってみて、なかなか面白そうだったので読んでみることにしたものだ。新潮文庫の村上柴田翻訳堂というシリーズ、つまりは翻訳も手掛ける作家村上春樹と、翻訳の専門家柴田元幸の二人が面白いと感じる英米文学を新訳・復刊で紹介するものだ。全 10冊であるが、そのラインナップを見てみると、有名作家無名作家を取り混ぜて、なかなか面白そうである。その中で私の目に留まったこの本。ナサニエル・ウエスト (1903 - 1940) の作品集で、新訳である。この作家の名前、何かどこかで聞いたような気がするが、気のせいかもしれない。米国の作家でナサニエルというファースト・ネームを持つ人は、もちろん「緋文字」で有名なホーソーンがいるが、彼はこのウエストよりも 100年も前の人。特に両者の間に関係はないようだ。そもそも名前の綴りが、ホーソーンの方が通常の "Nathaniel" であるのに対し、ウエストは "Nathanael" であり、訳者柴田元幸の解釈では、あのドイツ・ロマン派の幻想作家 E・T・A・ホフマンの「砂男」の主人公の名前を取ったのではないかとのこと。なるほど、そっち系の作家であれば、私の好みにもバッチリ合うはず。実はナサニエル・ウエストの本名はネイサン・ワイスタインといって、ユダヤ人である。この本のふざけた表紙が彼の肖像かと思いきやそうではなく、こんな人だったようだ。
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彼の生まれはニューヨークだが、大学をひどい成績で卒業して (おっ、親近感が沸くぞ)、家業の建築事務所を継がずにふらっとパリに渡ったらしい。1927年に帰米し、ホテルの夜勤マネージャーとして小説を書き始める。だが生前には結局どの小説も出版には至らず、困窮するが、1930年代後半からハリウッドに出入りし、何本もの映画の脚本に関わったことで経済的には救われたらしい。ヒッチコックの「断崖」も、第 1ヴァージョンのシナリオは、ウエストともうひとりの脚本家による作であったらしい。「華麗なるギャツビー」(最近では「グレイト・ギャツビー」という方が多いかな) のスコット・フィッツジェラルドは一貫してウエストの擁護者であったらしいが、奇しくもフッツジェラルドが心臓麻痺で死亡した翌日の 1940年12月22日、ウエストは猛スピードで車を走らせ、対向車に激突して、新妻とともに 37歳の短い生涯を終えた。このように伝記的なことを書いているだけでも、何やら教養主義や人道的な考えとはちょっと違った、風変わりで破滅的な作風を想像するが、その作品を読んでみると、やはり風変わりで破滅的なのである (笑)。この本には最後の作品である「いなごの日」と「クール・ミリオン」という 2つの中編、「ペテン師」と「ウェスタンユニオン・ボーイ」という 2つの短編が収められているが、私が実に面白いと思ったのは、「クール・ミリオン」だ。大志を抱いて旅に出る青年と、その周りの人たちが、波乱万丈の運命に翻弄される荒唐無稽な話だが、いやその話のブラックであること。私がこれを読みながらずっと思い出していたのは、ヴォルテールの「カンディード」である。バーンスタインによるミュージカル「キャンディード」の原作としても知られるこの小説は、18世紀フランス啓蒙主義者の作とは思えない、強烈に面白い内容であり、実にブラック。「クール・ミリオン」において容赦ない残酷な目にこれでもかと見舞われる主人公やその恋人の姿は、本当にカンディードと恋人クネゴンデの姿そのままではないか。この「カンディード」、岩波文庫で簡単に手に入るので、バーンスタインによるミュージカルをご存じの方もそうでない方も、是非一読をお薦めする。
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もちろん、ウエストがヴォルテールを模倣したのか否か、私には分からない。だがここには明らかに、「カンディード」と同じ精神が流れている。笑いの要素を越えて、残酷なまでに人間の本質を暴きたてずにはいられない作家の情熱と言ってもよい。もちろん、米国の社会の中に今も昔も存在する差別意識や、その裏返しの協調性も、物語の重要な要素としてそこここで出て来る。全くとりとめなく話は展開して行くので、とても緻密な計算のもとに書かれたものとは考えられないが、作者の創り出したいトーンはよく理解できる。

それに比べると、もう 1編の中編「いなごの日」の方は、もうひとつインパクトに欠けると思う。ハリウッドで夢を追ったり、破れた夢を抱えながら生きて行く人たちが描かれており、ウエスト自身のハリウッド体験が反映されているらしいが、ブラックさという点では「クール・ミリオン」には及ばない。ただ、登場人物のひとりひとりは、こちらの方がよく描かれているとも言えるだろう (村上春樹はこの本の巻末の柴田元幸との対談の中で、「クール・ミリオン」よりもこちらの方が、小説としてはるかにまとまっていると評価している)。ちょっと細部に入ると、私が感嘆した点は、ここで言及される芸術家たち。例えばピカソ、フアン・グリス、ガートルード・スタインは、この作品が書かれた 1930年代にはバリバリの現役であったはず (調べてみると、実際にはグリスは 1927年に亡くなっているが)。パリで多感な 20代の一時期を過ごしたことで、新たな芸術の潮流を存分に浴びたことが推し量られる。だが、さらに驚いたのは、歴史的な画家の名前が列挙されている箇所。まず、サルヴァトル・ローザ、そしてフレンチェスコ・グアルディ。私は恥ずかしながら両方とも知らなかったのだが、前者は 17世紀ナポリの画家で詩人。リストの「巡礼の年」(村上春樹ファンにはおなじみだろう --- 私は特にそうではないのだが) 第 2年「イタリア」の中に、「サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ」という曲があることでも知られているらしい。また後者は 18世紀の画家で、カナレットに続く世代としてヴェネツィアを描き続けた画家。なるほど、渋い 2人の画家が選択されている。だが真の驚きは、その次に出る名前である。モンス・デジデリオ。私はその名を、軍艦島を訪問した際の記事において言及したが、かつて三島由紀夫も愛した 17世紀イタリアの画家であり、巨大な廃墟がなぜか理由もなく崩れ落ちて行く、まるで世界の終わりのような底知れぬ虚無感漂う神秘的な作品を描いた。国内で紹介されているのは、このトレヴィルの画集だけだと思う。一時期は確か絶版であったと記憶するが、今調べると、幸いなことに復刊されているようだ。これまた、大のつくお薦め美術書である。
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このように、ナサニエル・ウエストの興味の中には古今の芸術があったわけで、これは単なる雰囲気作りとか教養主義といったものとは一線を画しているものと思う。小説そのものの評価については人それぞれであろうが、少なくとも、生き急いでいたようにしか思えないこの作家の心の中の深い部分に、人間の深層心理に迫る高い芸術性が潜んでいたことは間違いないだろう。その意味では、短編ながら「ペテン師」という作品に、彼の指向が凝縮して入っているとも言えると思う。これ、本当にブラックなので、相当覚悟して読む必要がありますよ。

生前は作家として認められなかったウエストであるが、戦後になってブラックユーモア作家たちの先駆者として再発見されたらしい。実は「いなごの日」は、1975年にジョン・シュレシンジャー監督、ドナルド・サザーランド主演で映画化されている。私は見ていないが、さて、面白いのだろうか。
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そもそも「いなごの日」とは、聖書の黙示録に、いなごの大群が世界の終わりに発生するとの記述があることに由来し、終末的な意味合いがある。確かにこの小説のラストには、終末的なイメージが存在するのだ。なるほど、ここでモンス・デジデリオとも共通性が出てきましたな。まぁ、この小説をモンス・デジデリオ的と表現することはできないとは思うものの。いずれにせよ、いろいろなイメージを持つことができるので、ブラックなものがお好きな人は、試しに読んでみられては如何。

by yokohama7474 | 2017-08-18 00:25 | 書物 | Comments(0)

ヒトラーへの 285枚の葉書 (ヴァンサン・ペレーズ監督 / 英題 : Alone in Berlin)

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荒唐無稽のストーリーの娯楽大作にも映画の面白さはもちろん大いにあるものだが、その一方で、歴史的な事実に材を採った社会的なメッセージを持つ映画に接することもまた大事であろうと考える。あえて言えば、そのように様々な違ったタイプの作品に接することで、映画という表現分野の持つ力の多様性を実感できるし、見る方の鑑賞の幅も広がろうというものだ。この作品など、そういう問題意識のある人には、かなり興味をそそられるタイプの作品であると思う。題名の示す通り、第二次大戦中のドイツを舞台にした物語。ストーリーは分かりやすい。戦争で我が子を失ったドイツ人夫婦が、それを機会にナチ政権を非難する匿名のカードをベルリンの街中にばら撒き始める。当然ながらゲシュタポ (秘密警察) が犯人を探し求めるが、なかなか見つけることができない。夫婦が街中に配って歩いたカードの数は、実に 285枚。だが、果たしてナチの手から逃げおおせるのか・・・というもので、実話に基づいていることもあり、いかにも重いテーマを扱っている。私個人はしかしながら、この作品が、映画としてそのテーマを充分に咀嚼し、歴史に残るような水準の作品になっているかと問われれば、残念ながら否定的な答えになってしまうだろう。以下、徒然に印象を綴ってみよう。

ここで夫婦を演じているのは、アイルランド人俳優のブレンダン・グリーンソンと、英国出身のオスカー女優、エマ・トンプソン。
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私がこの映画に注目したのは、まず第一にはエマ・トンプソンの出演であったのだが、なぜかここでの彼女は、時にかなりパターン化された演技をしているように思われてならない。もちろん、期待通りの非凡なシーンもあるが (ナチ親衛隊中佐の夫人を責める箇所など)、どうだろう、ちょっと遠い目をしているシーンが多すぎないか。ここでの彼女の役回りが、無謀な試みを始める亭主に対して、彼を咎めながらも同調する忍耐強い女性の姿であることは分かる。そしてその裏に、この夫婦の堅い絆があることをこの映画が示そうとしていることも分かる。だが、それでもやはり私は納得しない。例えば、昔を思い出して二人だけの時間に慰めを見出そうというシーンは、ちょっとこの映画の趣旨に反するのではないか。戦争下、愛する息子を失いながらも必死に生活を送る夫婦に、甘い慰めを考える余裕があったか否か。もしかすると作り手の意図は、悲惨な現実を描きながら、観客に癒しを与えたいということなのかもしれないが、もしそうなら、それはやはり映画の基本トーンに沿わないように思うのだ。一方のブレンダン・グリーンソンは、これまで数々の映画に出演しているものの、主演映画は少ないようだ。いわば彼の地味さが、この父親役に適しているとの判断による起用であろうか。確かに、寡黙で不器用ながら、心の中には強いものを持って決然たる行動に出るという人物像は、よく出ている。だが、やはりここでも、何かが足りないもどかしさを否定することができない。それは恐らく、普通の人に潜む狂気のようなもの、それが出て来ていないからではないか。実はほかにもう 1人、重要な役柄の登場人物がいる。この人だ。
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ドイツ人俳優、ダニエル・ブリュール。ここでの役柄は、主役夫婦を追い詰めるゲシュタポの警部である。タイプとしては、彼の名を一躍高めた「ラッシュ / プライドと友情」における天才レーサー、ニキ・ラウダに近いものがあると言えるだろう。つまり、優秀な能力を持ちながら、他人とのコミュニケーションには問題があり、その行動が冷徹一辺倒に見えながらも、実は人間性もあるという点においてである。だが大きく違う点が一つある。それは、ここでは彼は現場をすべて任されているわけではなく、メンツを重んじる党 (親衛隊) からの強いプレッシャー、しかも人の命にもかかわるようなものの下にいるという点だ。そのつらい立場と、一方で妥協のない強い信念をよく表現しており、私は彼こそがこの映画における最大の功労者であると思う。

と書いていて、ひとつ頭をよぎったことがある。それは言語。この映画はドイツを舞台にしていて、登場人物の役柄も全員ドイツ人である。にもかかわらず、使われている言語は英語なのだ。これは些細なようでいて、やはり大きな問題であるように思う。戦時下のドイツをリアルに描くなら、ドイツ語の響きでなければ、本当の意味の切実さは出ないのではないだろうか。これは私が音楽好きで、オペラにおける原語主義に毒されているということもあるのかもしれないが、でも、「ハイル・ヒトラー!!」と敬礼する人たちが英語で会話しているなんて、大いに違和感があり、やはりおかしいと思う。実はこの映画、英・仏・独の合作映画であり、世界での公開を前提にするなら、商業上英語が最も有利という事情があったのかもしれない。だが。だがである。こんなことを言ってもせんないと思うが、例えばメル・ギブソンがこの映画を撮るとしたら、やはりドイツ語で撮ったと思うのである。言語の選択はひとえに、作り手の信条の問題。この監督には違った信条があったということだろう。これについては後述する。

ここで話題になった本作の監督は、実は自身で脚本も書いているのだが、その名はヴァンサン・ペレーズ。どこかで聞いた記憶があると思ったら、この人でした。
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そう、あのパトリス・シェロー (もちろんオペラファンにもおなじみの名前) 監督の「王妃マルゴ」で、あのイザベル・アジャーニ (最近活動を聞かないですねぇ、でも素晴らしい女優) と共演していたあの俳優なのである。この映画を見たのはちょっと前と思っていたが、調べてみると 1994年。もう 23年も経っているかと思うと空恐ろしいが、スイス出身のこのヴァンサン・ペレーズは現在 53歳。まだまだイケメンの面影は充分ですな。
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この作品で彼が描きたかったのは、特別な英雄ではない普通の夫婦が、恐ろしいナチス体制下で自分たちの声を発したということで、その意義は現代に我々にも響くものだと思ったからだという。また、ドイツ人とスペイン人の血が流れている自分のルーツを探ると、ドイツ人の叔父が戦死していたり、スペイン人の祖父がファシストに銃殺されていたりという事実が分かったことが、本作の制作を後押ししたようだ。実はこの映画には原作があり、ハンス・ファラダというドイツの作家が 1946年、死の 3ヶ月前に発表した「ベルリンに一人死す」(邦訳も出ているようだ) である。本作の原題、"Alone in Berlin" は、その原作の英題と同じなのであろうか。この「ベルリンに一人死す」という小説は、ファラダがゲシュタポの資料に基づいて、つまりは現実に起こったことを題材として、命を削るほど凄まじい勢いで書き上げたものだが、2010年になってようやく英訳が出版され、ベストセラーになったらしい。ペレーズがこの映画を英語で撮ろうと思ったのは、それが理由だとのこと。これが原作者のファラダ。ナチから睨まれ、精神的葛藤から極度のアルコールと薬物依存に走ったらしい。
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確かに、この作品が突きつける重いテーマは、我々ひとりひとりに、独裁制のもとで自らの意見を明確にする勇気が果たしてあるか、という問いであろう。もちろんそこには命の危険があり、そう軽々に「自分でも同じことをやっただろう」と言える人は、まずほとんどいないであろう。その一方で、追いかけるゲシュタポにも様々な人間の確執やメンツ、階級制があり、決して一枚岩ではなかったこともここで描かれていて、興味深い。なにせ、泣く子も黙るゲシュタポの警部がこんな顔になってしまうのだから、世の中複雑なのである。そして結末では、もっと複雑なことが起こってしまうのである。
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映画の内容については厳しいことを書いてしまったが、この映画のテーマの重さ自体には異論の余地はない。なので、事実としての重みは、充分受け止めたいと思う。どの時代を生きるにおいても、歴史に学ぶことほど大切なことはないのだから。

by yokohama7474 | 2017-08-17 00:25 | 映画 | Comments(0)

ザ・マミー 呪われた砂漠の王女 (アレックス・カーツマン監督 / 原題 : The Mummy)

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今年のサマーシーズンの封切映画の中で、最も強く見たいと思ったのがこれだ。実際に見てみて大変に面白かったので、様々な方に広く見て頂きたい・・・とまでは言わないが、新しい時代のモンスター映画として、その種の映画に興味のある人にはお薦めである。このブログでは予告編に言及することが多いが、必ずしも新作映画の渉猟に大変熱心というわけでもない私にとっては、今後見るべき映画を占うに当たって、やはり予告編が最大の情報源である。この映画に関しては、それはもういやというほど多くの回数、予告編を見ることになったのだが、最初に予告編を見た瞬間に、これは本編を見る価値ありと直感した。それは、このようなミイラ (題名の「マミー」とはミイラのこと) の様子が印象的であったからである。
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この気味の悪い白塗りメイクから覗く強い視線に見覚えがあった。これである。
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このブログで大絶賛し、その後も時々思い出しては「面白い映画だったなぁ」とひとりごちている「キングスマン」において、このような義足の殺し屋を鮮烈に演じたソフィア・ブテラ。その後「スタートレック BEYOND」にも出ていたが、そのときは判別も難しいほど濃いメイクであった。その点今回は、やはりメイクは、うん、若干濃いめではあるが (笑)、表情は見える。彼女はアルジェリア系のフランス人で、今年 35歳。もともとはダンサーで、マドンナのバックで踊っていたりしたらしいが、「キングスマン」で本格的に映画デビュー、忘れがたい印象を残した。従い、予告編で彼女が演じるミイラのなんとも言えない迫力に接したとき、この映画には見る価値ありと思ったのである。もちろん、主役のこの人、トム・クルーズが、いつもの笑顔でアクションを演じているのも好ましい。彼が演じるのは、米軍の関係者らしいが、砂漠で「アドヴェンチャー魂」を発揮して、お宝を見つけてくすねようという悪い奴。だがどうやら女性には大いにもてるらしい。それがこの映画のひとつのキーであって、かなり対照的な 2人の女性から「盗人!!」と責められるシーンは重要なのである (?)。
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それから、最近スクリーンであまり見かけることがないのを残念に思っていたこの人、ラッセル・クロウ。
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予告編でも明らかなように、ストーリーは簡単。砂漠の中に眠っていた古代エジプトの王女のミイラが現代に甦り、ロンドンを攻撃する。彼女の標的は、トム・クルーズ演じるニック・モートンだ。ただ、ラッセル・クロウが善玉なのか悪玉なのかは予告編でははっきりしない。そのあたり、本編を見ていない人に詳しく述べるわけにはいかないが、実はこのストーリー、もう少し複雑だ。ロンドンの地下鉄工事中に見つかった十字軍騎士団の地下墓地が最初に紹介され、次いで、米軍関係者 (アナベル・ウォーリス演じる女性考古学者ジェニー・ハルジーを含む) が、エジプトではなく、なぜかイランでミイラを発見する様子が描かれる。そのミイラ、エジプトの王女アマネットを収めた柩はロンドンに運ばれるのであるが、途中で大トラブル発生。ミイラは人間たちの生気を吸い取ってどんどん活発になり、呪いの力で凄まじい災厄を巻き起こす。実はその目指す相手はトム・クルーズなのであった (ところで、予告編でラッセル・クロウが語っているセリフ、「彼女は世界を自分独自のものにするまで止まらないだろう」は、本編では聞くことができず、若干奇異である)。おぉ、こわ。
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ここでのトム・クルーズは、いつもの通りかなり激しいアクションに自ら取り組んでいるが、まぁ、「ミッション・インポッシブル」シリーズに比べればこのくらいはお茶の子さいさいであろう。死んだと思われたものがどっこい生きていた、というシーンでは女性ファン垂涎の筋肉ムキムキの裸体まで披露するサービスぶりで、まあとても今年 55歳になるとは思えない。その意味でこの映画、いつものトム・クルーズ映画スタンダードを満たしているという点だけでも、面白い映画と言えるであろう。
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一方のラッセル・クロウの役柄について、ここで詳しく書けないのが残念であるが、劇中で彼が名乗るだけで、「むむ、もしかしてこの人は」と思うこと必至。その設定が読めても、その後の展開をなかなか読めないのがよい。そしてここでトムとラッセルの豪華共演コンビは、肉弾戦まで披露してくれるのだから、嬉しいではないか。劇中で、敏捷な身のこなしのトム・クルーズに対してラッセル・クロウが「お前は若いから」というようなことを言うが、実年齢はトム・クルーズが 2歳上。もともとタイプの違う 2人であり、ラッセル・クロウの場合はやはり「グラディエーター」が忘れがたいように、闘士型のタイプである。だが、ちょっと重そうですな (笑)。役作りかな。
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この映画の面白い点は、随所にかなりのユーモア感覚があることや、一部ゾンビ物の要素を取り入れることでサスペンス感覚を増していること、それから、凝ったセットで、古代エジプト、中世、現代の時代色を巧みに使い分けていることにもあるだろう。あ、それからこの映画、飛行機の中で見る場合には、重要なシーンがカットされることは間違いない。なので、「映画なんて飛行機で見るもの」と決めている方には、この映画は例外として頂くしかない。監督のアレックス・カーツマンは原案と製作も兼ねているが、過去には様々なヒット作の脚本 (「ミッション・インポッシブル 3」「トランスフォーマー」「スタートレック」「グランド・イリュージョン」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」など) や製作を手掛けている。なかなかの才人であると思う。

それにしてもこの映画、ストーリーを途中まで書くのは簡単だが、結末はなかなか単純ではない。ミイラはこれで完結であろうが、トム・クルーズとラッセル・クロウを中心として、話はこれからも続いて行きそうだ。と言うにはわけがあって、この作品はもともと、ユニバーサル映画が戦前から様々に制作したモンスター映画のリメイク・シリース、名付けて「ダーク・ユニバース」の第 1回作品であるからだ。そう、ドラキュラやフランケンシュタインの怪物や狼男や半魚人を輩出した、あのユニバーサル・モンスター映画が、最新の技術と俳優陣によって再度映画化されるという、モンスター好きにとってこれ以上ないほど期待感を抱かせるプランが実現するのである。そのダーク・ユニバースの宣伝用のこの写真を見よ。
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そう、ここには、本作に出ているラッセル・クロウ、トム・クルーズ、ソフィア・ブテラに加えて、2人の俳優が写っている。あ、右から 2人目は、コスプレをしていないから分かりにくいが、これはジョニー・デップではないか!! そして手前に座っている俳優は誰だ。これは実は、前回の記事でご紹介した「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」でそのジョニー・デップの敵を演じた、あのハビエル・バルデムではないか!!! そう、既に発表されていることには、ジョニー・デップは透明人間を、ハビエル・バルデムはフランケンシュタインの怪物を演じるらしい。なんとも豪華なシリーズになりそうで、今から期待感増大中なのである。ところでトム・クルーズについてはつい昨日、「ミッション・インポッシブル 6」の撮影中、いつもの通りスタントマンを使わないアクションに挑戦していたところ、建物の屋上から屋上に飛び移るシーンで壁に激突したと報道があったが、今日のニュースでは、足首の骨を 2本骨折しているので、しばらくは治療に専念するとある。命に別状はないようで、不幸中の幸いではあるが、これから体力は衰えこそすれ向上することはない年齢。ファンの期待に応えるのは、この「ザ・マミー」で言うところのアドヴェンチャー魂ならぬ役者魂であろうが、どこかでキャリアを変えて行く決断も必要ではないかと思う。ともあれ私がここでそんなことを呟いてもせんないこと。トム・クルーズの次回作「バリー・シール」(10月公開) の予告編は既に始まっていて、これもなかなか面白そうである。一方のソフィア・ブテラの方は、これも予告編を既に見ることができるシャリース・セロン主演の「アトミック・ブロンド」において、またまた美しくも凶暴な役 (?) を演じているようだが、これも楽しみである。

最後にこの映画のオリジナル作品について。上記の通りダーク・ユニバースの第 1作であるこの映画は、実は 1932年の「ミイラ再生 (原題 : The Munny)」のリメイクなのである。ええっと、確かボリス・カーロフだったよな・・・と思いながら我が家の DVD コーナーを確認したところ、以前購入した何本かのユニバーサル・モンスター映画の DVD のうち 1本として、ありましたありました。
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73分の短い映画なので、早速見てみたところ、確かに主演はボリス・カーロフであり、つまりは男のミイラなのである。古代エジプトの神官であった彼は、王女に恋い焦がれており、現代に甦ってもその思い捨てがたく・・・という話。と書いていて思い出したのだが、実は「ハムナプトラ」(主演のブレンダン・フレーザーは最近どうしているのだろう) というシリーズ物の映画があったが、あれも実はこの「ミイラ再生」のリメイクであったのだ。そう思うと今回の「ザ・マミー」の内容は、随分違うものになっているのである。実は「ミイラ再生」は、ツタンカーメンの墓の発掘後に噂された古代の呪いをテーマにしているらしいのだが、ハワード・カーターによるその発掘は 1922年。映画製作よりほんの 10年前の出来事である。そう思うと、両大戦間の、平和だが潜在的な不安を抱えた時代の人々に、古代エジプトのイメージが強く働きかけたのだなと思う。これがミイラを演じるボリス・カーロフ。当然ながら、メイクは相当大変だったようである (上記 DVD の特典映像で、カーロフの娘だか孫だかがそう語っている)。
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かくして、時代は移れど人の心に恐怖は常に訴えかけるもの。ドキドキしながら、ダーク・ユニバースの次回作に期待しよう。
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by yokohama7474 | 2017-08-15 22:59 | 映画 | Comments(0)

パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊 (ヨアヒム・ローニング/エスペン・サンドベリ監督 / 原題 : Pirates of Caribbean : Dead Men Tell No Tales)

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「パイレーツ・オブ・カリビアン」は言うまでもなく、現代ハリウッドを代表する人気シリーズ。もともとディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」からの映画化という珍しいパターンで、アメリカンコミックや過去のキャラクターを活用していることが多いほかのシリーズとは一線を画している。2003年に第 1作が公開され、今回が 5作目となるわけだが、実のところ私はこのシリーズは、最初の作品「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」しか見ていないことに気がついた。なので今回はこの最新作を見に行くことにしたのであるが、正直なところこのシリーズでは、深い意味での人間の生きる意味とか、身を引き裂かれるような強い感動というものはあまり期待できないし、する方が無理というものなので (笑)、まあ半ば義務感であった点は否めない。こんなことを言うと、このシリーズのファンに怒られてしまうかもしれないが、それが偽らざる私のこの映画に対する姿勢であったのだ。

とは言うものの、主演のジョニー・デップは私としても大変にお気に入りの俳優であって、彼の数々のコスプレはいつも楽しいのであるが、ふとここで冷静に考えてみると、彼が普通の恰好で熱演を披露するという映画を見た記憶があるだろうか? ここでも実に楽しそうに当たり役ジャック・スパロウを演じていて、私にとってはその点こそこの映画の第一の価値である。
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彼がこのジャック・スパロウ役について語る言葉がプログラムに掲載されているので、一部引用しよう。

QUOTE
彼は不遜な奴だけど、それは無邪気さから生まれるもの。つまり、ジャックには純粋さがあるんじゃないかと思う。思ったことをそのまま口にしてしまい、その後で言ったことに対処しようとするようなところがあるね。おそらく彼は、頭の中がゴチャゴチャだから、言ってから 5.5秒後に自分が何を言ったか気づいているんだよ。観客は、この男は何でもなんとか乗り切ってしまう奴だぞ、と思っているんだろうけど、誰だって物事をうまく乗り切る様子を見るのは好きなはずさ。
UNQUOTE

面白いことを言うものだ。そもそも「5.5秒」の根拠は一体どこにあるのだろう (笑)。だがこのとぼけ方がいかにもジョニー・デップらしい。名実ともに今日のハリウッドを代表する俳優でありながら、このとぼけっぷり。まさにジャック・スパロウよろしく、観客に支持されるゆえんであろう。ちなみにこの映画の予告編では、かなりのサービス精神で、本編における重要なシーンの映像があれこれ流れているが、そのひとつが若き日のジャック・スパロウだ。こんな感じで、雰囲気あるではないか。演じている俳優の紹介はプログラムに見当たらないが、まさかジョニー・デップ本人の顔の CG 加工ではあるまいな。エンド・タイトルでは "Young Jack Sparrow" という役名があったような気もするが、定かではない。
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だが、予告編にない驚きのシーンももちろんあって、ひとつは、冒頭の銀行の金庫をジャックらが強奪するシーン。いや正確に言うと、雰囲気は予告編にも出ているのだが、これだけ大掛かりにやられるとは予想していなかった。ある意味で、無声映画時代のスラップスティック・コメディのようでもある。それから視覚的に瞠目すべき映像は、クライマックス、ポセイドンの槍 (作中では "Trident" と言っている。これは三又の槍のこと) を巡る攻防シーンに出て来る。詳細の記述は避けるが、海があのようになり、人や船が水にあのように翻弄され、そして海中のはずなのに断崖絶壁での絶体絶命のシーンが現れるとは、まさに意想外。それから全編を通して、敵である「海の死神」サラザールとその手下たちの動きの不気味なこと。呪いをかけられ、死してなおジャックに恨みを抱き続ける彼らは、髪はまるで海の中で漂うように空中を揺らめき、人によっては顔が半分ない。こんな奴らに襲われたら本当に怖いに違いない (笑)。
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もちろん随所に最新の CG を駆使しているわけだが、まあその技術の高度なこと。さすがに人気シリーズだけある。と、このように映像を誉めておいてから言ってしまうのも若干気が引けるが、映画として抜群に面白いかと訊かれれば、正直なところ、そうとも思えない。ストーリーにはそれほど意外性があるわけではなく、気の強いヒロインも最近のお決まりだし、親子の情を描く作品も、ほかに枚挙にいとまがない。また、何かあるひとつのモノ (この場合はポセイドンの槍) だけがすべての鍵を握っているという設定も、ひねりがない。だから私はこの映画を絶対にお薦めと申し上げるつもりはない。やはり、このシリーズが好きな人や、あるいはジョニー・デップのファン以外にとっては、もうひとつインパクトのない作品にとどまっているのではないだろうか。

その一方で、ジョニー・デップ以外にもユニークな役者が出ている点は評価すべきだろう。シリーズの常連である英国の名優ジェフリー・ラッシュも、当然よい味を出しているし、サラザール役のスペイン人、ハビエル・バルデムも怪演である。この人は「ノーカントリー」でアカデミー助演男優賞を受賞しているほか、最近では「007 スカイフォール」でこんな憎い敵を演じていたことが記憶に新しい。もともと悪役だけ演じていたわけではないのでしょうがね (笑)。
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ヒロインを演じるカヤ・スコデラリオは、どこかで見た顔だと思ったら、私がこのブログで絶賛した「メイズランナー」シリーズのヒロイン役であった。キャリアを見ると、その前にも「月に囚われた男」や「タイタンの戦い」などに出ていたようだが、全く覚えていない。未だ 25歳という若さなので、まだまだこれから活躍することであろう。
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それから、ジャックの叔父役で意外なビッグスターが特別出演している。この人である。
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なんと、ポール・マッカートニーである。登場シーンはごくわずかだが、どう見てもこれは喜んでやっている。なんでもジョニー・デップ本人がダメモトでお願いしたら、面白そうだと言って乗ってきたらしい。実際の撮影現場でも、ジョニーが少しリハーサルと違ったことをやると、ポールの方もそれに反応して違うことをやったりと、創造性あふれる現場であったらしい。なお、ポールが劇中で口ずさんでいるのは「マギー・メイ」というリヴァプールの民謡で、ビートルズもアルバム「レット・イット・ビー」の中で歌っているらしい。今度聴いてみよう。また、役者としては、最初の 3作に出演していて、今回 10年ぶりに出演している人たちがいる。
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もちろん、劇中で夫婦を演じるオーランド・ブルームとキーラ・ナイトレイである。だが、彼らの出演シーンは極めて限定的で、上に見る通り、オーランド・ブルームは既に死して海中で呪いをかけられている身であるため、フジツボつきの姿で最初は登場するし (笑)、一方のキーラ・ナイトレイは最後の方にだけ出て来るが、こちらはセリフなしである。ちょっと残念な気がしないでもない。

このように、映像や役者の点で、興味を惹く点がいろいろありながら、作品の充実度という点ではもうひとつという印象なのである。とまとめようとして、監督について一言も触れていないことに気がついた。なじみのない 2人の名前が監督としてクレジットされているが、この 2人はノルウェイ人で、小さな街で育った幼馴染であるらしい。本作が長編 4作目であるが、第 1作はリュック・ベッソン脚本、ペネロペ・クロスとサルマ・ハエック共演のコメディ・ウェスタン「バンディダス」、第 2作は実在したノルウェイ人のレジスタンス活動を描いた「ナチスが最も恐れた男」で、この 2本は日本未公開。第 3作目は、筏で太平洋横断に成功した冒険家ヘイエルダールを描いた「コン・ティキ」であるらしい。なるほど、全く違ったタイプの作品を作ってきた 2人であるが、ここでは海洋ドラマ「コン・ティキ」での実績を買っての起用であったのか??? ともあれ、このような大作の監督に起用されることで、また次へのステップとなるだろう。この作品の場合にはやはり、制作過程でジョニー・デップの強い発言力があったものと思われるが、そのジョニー・デップと監督たちの仲よさそうな写真もある。
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そうそう、本作は邦題が「最後の海賊」とあって、シリーズ最終作かと思わせるが、どうやらそういうことではないようだ。実は原題は "Dead Men Tell No Tales" で、日本語ではちょうど「死人に口なし」となるのだろうか、劇中で敵役であるサラザールが口にする言葉である。まあ、邦題が「パイレーツ・オブ・カリビアン 死人に口なし」ではやっぱりちょっと変なので、直訳でないことも理由があるとは思いつつ、もうちょっとよい題はなかったのかなぁ・・・と思う次第。

by yokohama7474 | 2017-08-15 18:25 | 映画 | Comments(0)

山形旅行 その 2 羽黒山、本明寺、注連寺、大日坊、酒田市 (土門拳記念館、本間家旧本邸、海向寺)

さて、前回の記事に続く山形旅行記の 2日目。この日はいよいよ念願の出羽三山詣での日である。出羽三山とは一体何か。もちろん、月山 (がっさん)、羽黒山、湯殿山のこと。一般的にはほら貝を吹いて山野を駆け巡る山伏のイメージで知られる、修験道 (しゅげんどう) の聖地である。これは、羽黒山の入り口に立っている石碑。
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ただこの出羽三山、知れば知るほどに謎の多い地域である。例えば、三山という名称とは裏腹に、この中で実際に山であるのは、月山 (1,984m) のみであるらしい。羽黒山 (414m) はその北端の一角であり、また湯殿山は、月山の南端に位置する渓谷なのである。これが山形県のホームページに記載されている出羽三山の位置関係。確かに、この三山が近い地域に連なった地形になっていることが分かる。
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私は以前ふと疑問に思ったことがある。それは、この地域 (山形県というよりは秋田県というべきなのか ? 実際には県境である) の代表的な山は、鳥海山ではないのかということだ。その標高は 2,236m。月山を凌ぐ高さなのである。上の地図の通り、地理的には出羽山地の北側に存在しており、この山こそ出羽三山のひとつにふさわしいのでは? と思ったのである。実は今回、後で述べる大日坊を訪問した際に、この疑問へのヒントを得ることが出来た。寺の方の説明によると、もともと江戸時代に出羽三山というと、この鳥海山、月山、そしてもうひとつは葉山 (はやま) という標高 1,462m の山 (月山の東側に位置する) を指したという。なので、実は現在我々の知る出羽三山とは、近代以降に定着したものであるらしい。それから、日本の近代の宗教政策と言えば、神仏分離であり廃仏毀釈である。このあたりの事情は、なかなか資料がなくて現代の我々には知りえない様々な壮絶なドラマというか、仏教の危機があったらしい。この出羽三山では今でも強く神仏混淆の雰囲気があるが、それに加えて、天台系と真言系の対立もあったようだ。言うまでもなく天台系は、天海僧正以降、江戸幕府に極めて近い。その一方で真言宗は、天台宗と同じ密教系でありながら、高野山の奥の院で開祖空海が未だに生きているという強い信仰によって、この庄内地方に即身成仏の習慣を作り出した。そう、一口に出羽三山の即身仏と言うが、実際に即身仏を輩出したのは、天台宗の月山、羽黒山ではなく、真言宗の湯殿山系の寺院のみであることに注目しよう。私自身、このあたりの事情については勉強不足であるが、最近、「出羽三山の神仏分離」という本も購入したことだし、これからいろいろ調べて行けば、面白い発見があるものと考えている。また、最近読み終えた「仏像ミステリー」という本は、いずれこのブログでもご紹介するが、平易ながら大変面白く、この出羽三山を巡る現実的で人間的な確執について、最後の章で語っているので大変参考になる。

ともあれ、山形旅行 2日目、まず向かった先は羽黒山であった。ここには何といっても素晴らしい国宝建造物と対面しなくては。登山道の入り口近くにある駐車場に車を停め、随身門をくぐると、山道を登るのかと思いきや、そこから下って行くのである。途中、古い社が左右に並んでいる場所を通るが、これがまたなんとも神秘的。
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ほどなく見えて来るのは、滝と、その前に立つ祠である。羽黒山に詣でる行者たちが禊をした (する?) 場所らしい。本当に神秘的な場所だ。
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さあ、お目当ての建物はもうすぐなのであるが、その前に見えるのは、天然記念物の「爺杉」(じじすぎ)。鬱蒼たる森には杉の木が立ち並ぶが、それにしてもこれは明らかに特別な木だ。樹齢は 1,000年を超えるらしく、近くに婆杉もあったが、近年暴風で倒れてしまったらしい。近年って言っても 1902年のことなのですがね (笑)。
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まさに神韻縹渺たるこの杉の佇まいに打たれてその場に佇んでいると、あ、あれ、その右手奥に、これまた堂々たる巨木が見える。だがこの古木は、上に伸びながらも、何やら水平方向の直線を何本か持っている。爺杉と同じく、どう見ても森の地面からすっくと立っているのだが、なんというべきか、そこには何か、爺杉と競い合うような垂直への強い意志が感じられないだろうか。森厳たるその佇まいには、実にただならぬ雰囲気があって、空恐ろしくなるくらいである。
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そう、これこそが、私が今回の旅で即身成仏と並んで対面を心待ちにしてきた、羽黒山の国宝五重塔だ。樹齢 1,000年の杉の木と競い合うように、人智が成し遂げたこの成果は、素のままの木の色を纏って、鬱蒼たる森の中に立っているのである。ここに来れば誰しもが、しばし立ち去りがたい思いに駆られるであろう。このような奇跡的な建造物を眼前にして感じた思いを、日常生活でも折に触れ思い出すことができれば、いかなる困難にも立ち向かえるような気がするのだ。
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来た道を戻り、駐車場に着いたが、その正面にある「いでは文化記念館」に興味を惹かれて入ってみた。「いでは」とは恐らく「出羽」のことであろう、内部には出羽三山の信仰についての様々な資料が展示されている。実際、この羽黒山には数多くの古そうな巡礼者向け宿坊が存在していて、修験道の信仰が未だに現在進行形のものであることが分かる。さて以下のポスターも、異形のものとか摩訶不思議なものに多大な興味を抱く私にとっては大変面白いものだが、タイトルの左隣に見える妖怪のような人物は誰だろう。
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実はこれ、飛鳥時代、崇峻天皇の第三皇子である蜂子皇子 (はちこのおうじ) である。父崇峻天皇が 592年に蘇我馬子によって暗殺されたので、聖徳太子によって匿われ、船に乗って都を脱出、出羽の国に辿り着いたという。そして彼は出羽三山を開いたのである。注目すべきはその特異な容姿である。
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この異形の顔は、多くの人々の悩みを聞いていることでそのようになったと言われているらしい。うーん、面白い。卑しくも天皇の血を引く高貴なる皇子をこのように描くには、きっと何か理由があったに違いない。この蜂子皇子の墓が、驚くべきことに羽黒山の山頂付近に残っている。皇族の墓なので、古墳と同じく、宮内庁の管轄となっているのである。この土の下で一体何を思う、蜂子皇子。
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誠に古い時代の物語がここで展開しているのであるが、前掲の「仏像ミステリー」という本には、大変興味深い説が載っている。それは、この蜂子皇子による出羽三山開創は、江戸時代の創作であろうというものだ。その創作を行った人の名は天宥 (てんゆう)。それまで真言宗系であった出羽三山を天台宗に宗旨替えし、それによって幕府の庇護を勝ち得ようとした僧である。この天宥が、彼以前の歴史書には出てこなかったこの蜂子皇子を開祖として祀り上げたのは、天皇家による権威づけが目的であったらしい。つまり、この皇子は実在していなかったということだ。歴史には必ずそれを作り出そうとする人間の意図が働くもの。この出羽三山の峻厳な自然を前にしても、人間たちの営みはどこまでも人間的なのである。羽黒山の山頂の鳥居の朱は、そんなこと知らぬげに鮮やかだ。
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この羽黒山山頂には、2つの重要文化財建造物がある。ひとつは鐘楼。このように檜皮葺である点が変わっているが、いかにも山岳信仰の雰囲気があって面白い。
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もうひとつは、これも非常に珍しい巨大神社建築で、三神合祭殿。ここに詣でれば、三山すべて回ったのと同じご利益があるという。まあ実際は、そんな楽をしようとしてはいけないのでしょうがね (笑)。この巨大建築、この地域ではほかでも目にしたように、邪鬼が柱を支えていて面白い。
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さてそれから私たちは、湯殿山系の即身成仏を見たいと思って車を走らせた。おめあては後述の注連寺と大日坊であったのだが、その途中にたまたまもうひとつ、即身成仏を祀るお寺の前を通りかかり、立ち寄ることにした。つまり、最初から庄内地方の全 6体の即身仏を拝観しようという意図はなく、本来なら飛ばしてしまったかもしれないこの場所の前を通りかかるとは、これも何かのお導きかと思ったのである。お寺の名前は本明寺で、祀られているのは本明海上人。
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実はお寺で伺って驚いたことには、この本明海上人は、庄内地区の 6体の即身成仏の中で最も古く、江戸初期、1683年の入定 (にゅうじょう) である。ということは、この地区で後に即身成仏を目指した僧たちの深い尊敬を集めた仏さまであったわけだ。境内にはその入定跡も残っており、大きな石碑が立っている。壮絶なる思いを今に伝える場所である。
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そして次に向かった先は、注連寺。ここは、作家森敦が芥川賞受賞作「月山」を執筆した場所であり、また、弘法大師ゆかりの七五三掛 (しめかけ) 桜という、最初は白く、そしてピンクに色が変わって行く珍しい桜がある。
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また本堂の中には現代アートの天井画がいくつもあって興味深いが、なんと言ってもこの寺の主役は、即身成仏、鉄門海上人であろう。
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この方は庄内地方の即身仏でも最も有名な人ではないだろうか。1768年の生まれ。もともとは川で働く労働者であったが、武士とトラブルになって相手を殺してしまい、注連寺に駆け込んで出家したと言われている。出家してのちは様々な社会事業を行い、その事績をたたえる石碑は、東北地方各地で実に 194基も見つかっているという。また、雨乞いのために左目をくり抜いたり、昔のなじみの遊女が寺を訪れたとき、修行にかける自分の気持ちを表すために自らの睾丸を切り落としたなど、凄まじいエピソードが残る。まさかと思いたくなるが、学術調査によって、実際に生前に左目を摘出していたことや、遺体に睾丸がないことも判明しており (因みに彼の睾丸のミイラとおぼしきものが、前回の記事でご紹介した鶴岡の南岳寺に残っているという。手元にその白黒写真もあるが、掲載はやめておこう 笑)。また、地元の漁師たちは、今でもテツモンカイと称するタコ採りの道具を使っていると、以前テレビで紹介していた。そのような鉄門海上人、実は即身成仏修行の途中、1829年に 62歳で亡くなってしまい、死後に人々の手によってミイラ化されたとも言われている。それだけ彼の活動が、人々から深く尊敬されていたということだろう。だがここで私は思うのだ。極限的に厳しい修行を生き延びないと即身仏にはなれない。普通なら栄養失調で死んでしまうような食生活を続けながら、でも死んでは全く意味がないわけで、なんとか生き続けなくてはならない。つまりは、死ぬために必死になって生きるという、なんとも想像を絶するパラドックスの中で彼らの修行は行われたわけだ。私には想像できないが、強い信仰心と、実は上記のような天台系との対立の中にあった真言系の僧侶たちの激しい闘争心が、そのような特殊な習俗を生み出したということか。

そして次に訪れたのは、大日坊。
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ここに祀られているのは真如海上人。なかなかに堂々たる存在感だ。実はこの寺にはほかにも 2体の即身仏があったが、残念ながら焼けてしまったそうである。
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さてここで、最後の目的地である酒田市の海向寺に向かったのであるが、もちろん酒田は、北前船で大成功を収めた豪商本間家 (「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われた、あの本間である) の本拠地であり、また、私の尊敬する写真家土門拳の出身地でもある。なので、いくつか写真をご紹介する。まずこれが土門拳記念館。あのニューヨークの MOMA で知られる (しばらく前に日経新聞で「私の履歴書」を書いていた) 建築家、谷口吉生の設計で、とても美しい。土門拳は古寺の写真も素晴らしいが、人物のポートレートとか、戦後の子供たちの風景を切り取った写真にも、素晴らしいものが多い。
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そう言えば、この土門拳記念館のある公園の一角に、南洲神社なるものがある。南洲とは西郷南洲、つまりは西郷隆盛のことであるが、なぜに西郷を祀る神社が酒田にあるかというと、戊辰戦争の際に朝敵となってしまった庄内藩に戦後処理のために派遣されたのが西郷で、その人間味あふれる寛大な統治に、庄内の人たちは西郷を深く尊敬したという。そのような縁で、西南戦争でも旧庄内藩から派遣された兵士が亡くなっているし、戦後の西郷の名誉回復に庄内の人たちが奔走したという事情もあったようである。銅像で西郷と話し合っているのは、庄内藩士、菅 実秀 (すげ さねひで)。
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本間家の旧本邸は、時間がないながら、なんとか覗くことができた。本間美術館や、旧鐙屋、山居倉庫なども面白そうであったが、今回は時間切れ。いつか雪辱を果たしたい。これが本間のお屋敷。
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そして今回最後の目的地、海向寺へ。ここには、コンクリート作りの収蔵庫内に、2体の即身仏がおわします。本堂の軒下には、先の羽黒山の三神合祭神と同様、邪鬼が柱を支えていてユニークだ。
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ここに並んでおられるのは、忠海上人 (1755年入定) と、円明海上人 (1822年入定)。空調のよくきいた静かな収蔵庫でのおふたりとの無言の対面に、ほかの寺にはない緊張を感じることとなった。
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なお、上でご紹介した注連寺の鉄門海上人の使用した鐘がこの寺に展示されていた。少し叩いてみると、カーンと乾いた音がした。
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今回対面することのできた 6体の即身仏、お姿や色やかすかな表情にもそれぞれ違いがあることが分かった。色については、これまでに保存の目的で手や顔に防腐剤を塗ったり、また目の回りだけ色をつけるということもあったため、個々の即身仏で違いが出てしまったという。また時代的にも、最も古い本明海上人が 1683年の入定、最も新しい鉄龍海上人が 1878 - 80年の入定と、約 200年の幅があるわけで、東北地方における即身成仏の習慣が根強く継続したことが分かる。生前は荒くれ者であった人もおられるが、壮絶な修行の末、現在では仏さまとして祀られていることは、人々に勇気を与えると言えるであろう。実はそれぞれのお寺でお聞きしたことには、どの仏さまも 12年に一度、丑 (うし) 年に衣を新調して着せ替えるらしい (但し、大日坊のサイトには、6年に一度で、丑年と未 (ひつじ) 年とあるが)。その際に古い着物は裁断してお守りの中に入れ、一般の人に販売する。そのようなことも、即身仏という存在が未だに地元の人々の心の支えになっていることが分かるのである。海向寺の境内に住んでいるこのノラネコ (いい毛並みのようだが) を見ても、生きとし生けるものへの愛着を感じてしまう私であった。それにしてもこのネコちゃん、もうちょっと人間になついてもよいのでは ? (笑)
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さて、海向寺を辞そうとして車を発進すると、実に素晴らしいナイス・サプライズに遭遇した。あの滝田洋二郎監督、本木雅弘主演の映画「おくりびと」のロケ地のひとつが、なんと海向寺の真ん前であったのである!!
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「小幡」という、既に使われていない割烹の建物だが、確かに見覚えがある。
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そうそう、冒頭の方で、主人公が新たな勤め先を探すという、こんなシーンがありました。
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私はこの映画が好きなので、ロケ地にたまたま巡り合えて、単純にハッピーだったのであるが、調べてみるとこの映画、酒田や鶴岡の各地でロケを行ったようである。生と死がすぐ近くで隣り合い語らいあう即身成仏の土地、庄内地方において、このような生と死にまつわる映画が撮影されたとは、なんとも感慨深い。かつてこの地を走り回った現在の仏さまたちも、この映画の撮影を温かく見守ったことであろう。

前回の記事の冒頭で、今回の旅行をクラゲ・アンド・ミイラの旅などと軽口叩いてしまったが、実際問題、その対照は興味深い。つまり、生命の維持を全く他人任せとして水中をフワフワ漂うクラゲと、この上ない激しい意志で生をつなぎ、そして自ら死まで決してしまう即身成仏。これほど極端な対照はない。我々の人生においては、そのどちらの極端な事態も、通常は発生しないのであるが、そのような対照に心を留めることで、普段見失いがちなことに気づくことができるかもしれない。なので、山形でクラゲ・アンド・ミイラの旅、大いにお薦めしたいと思います!! 最後に、加茂水族館自慢の、直径 5m の大クラゲ水槽の写真をアップするので、瞑想にご活用下さい。
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by yokohama7474 | 2017-08-14 01:04 | 美術・旅行 | Comments(0)

山形旅行 その 1 善寶寺、鶴岡市立加茂水族館、鶴岡市内、南岳寺

幼少の頃からの寺好きとして、東北から九州まで、貴重な文化財のあるお寺の訪問にはかなりの情熱を傾けて来た私であるが、それでもまだまだ訪れたことのない寺社は、全国に沢山ある。このブログでも、関東、近畿のみならず中部地方や中国地方や九州の寺社を記事にしてきたが、東北の旅行記は未だ書いたことがない。そんなこともあって、先般 (7月後半)、東北地方で私がこれまで訪れたくて果たせなかった場所に赴いた。その場所は、出羽三山。日本固有の山岳宗教である修験道と、仏教の一派である密教との融合が見られる独特の土地で、何と言っても、極めて厳しい修行を経て自らの身体をミイラとして後世に残す、いわゆる即身成仏という習俗に、以前から大いに興味があったもの。現在私の手元には、この出羽三山の即身成仏を中心とする日本のミイラについての本が三冊あり、それ以外に学生時代に図書館で借りて読んだ本もあった。出羽三山は現在の山形県であるが、日本海に近い場所。山形新幹線で山形市に到着すると、有名な山寺 (立石寺) などもあるが、それでは 出羽三山までの移動に結構時間がかかる。そこで思いついたのが、羽田から飛行機で庄内空港に飛ぶという方法。これであれば、出羽三山に加えて鶴岡市内、酒田市内も観光して、まるまる 2日の旅程を組むことができる。と、そこに家人の意外な希望があった。なんでも、庄内空港からほど近い加茂という場所に、クラゲで有名な水族館があって、是非見てみたいという。しかも、家人のみならず義母までがその案の提唱者であるという。よし、そういうことなら話は早い。クラゲ・アンド・ミイラの旅。いざ行かん、山形!!

というわけで、朝 7時前に羽田を経ち、1時間後には庄内空港に降り立った。そしてまず向かった先は、空港からほど遠からぬ善寶寺 (ぜんぽうじ) というお寺。朝早いこともあり、人影もまばらで、木々の上に見える夏の朝の青空が気持ちよい。
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この善寶寺の歴史は古く、9世紀から10世紀にかけて活躍した妙達上人という僧が開いたとされる。妙達上人のもとに龍神が現れ、法華経の功徳を受けたいと希望したため、妙達が法華経を唱えると、今もこの寺に残る「貝喰 (かいばみ) の池」に身を沈めたという。それゆえこの寺は龍神信仰が盛んで、近世から現代に至るまで、漁業関係者に篤く敬われているらしい。境内入り口の向かって左手には均整の取れた五重塔が立っている。
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明治時代の建物で、国の登録有形文化財である。実はこの寺の主要な建物はすべて 2年前に登録有形文化財となっているのである。これから概観するが、この寺の堂塔の佇まいは実に素晴らしく、気持ちが清らかになるような気がする。尚、私自身もあまり明確に理解していなかったが、「登録有形文化財」制度は 2006年から発足しており、従来の国宝や重要文化財のような「指定」ではなく「登録」という制度を持ち、貴重な文化遺産としての保存を目的としている。文化財保護の観点がより明確にされた制度であろう。以下、総門、山門、五百羅漢堂。これらはすべて江戸時代のものである。
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上から見るとこんな感じで、そのバランスのよい配置の素晴らしさを実感できる。
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五百羅漢堂の中には、正面の釈迦三尊像と十大弟子像、そして左右に夥しい羅漢さんたちがおられる、大変賑やかな場所。肩を組んで何やら親し気に話しかけている羅漢さんと、それをウンウンと聞いている羅漢さん。その会話を想像してみるのも楽しい。
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これは実質的に本堂に当たる龍王殿。波のうねりを表現している独特な作りであるが、その華麗な装飾や狛犬を見ると、これはやはり仏堂というよりは神殿である。内部を拝観できるが、ご尊隊である龍王像は非公開。昨年は開基妙達上人生誕 1150年で特別公開されたようだが、その機会を逃してしまい、残念。
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さてこの寺では、ほかに意外な存在との出会いがあるのだ。これである。
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1990年に写真週刊誌「フライデー」が紹介して、日本中で大ブームになった、あの人面魚である。この人面魚、この善寶寺で撮影されたものであることは事前の情報で知っており、一説には今でも健在ということ (鯉の寿命は 30年くらいはあるとのことだし) で、この種の超常現象 (?) に深い興味を持つ私としては、是非是非見たいと思ったのである。実際、古い歴史を持つ寺のこと、そのような俗っぽいブームには目もくれないのかと危惧したのだが、なんのことはない、境内の何か所かにこのような案内板が。
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おっと、ここに来れば 27年前のブームも未だに盛んであるかに誤解するような親切な案内ぶりではないか。だが、ここで気になることがひとつある。それは、私が上でご紹介したこの寺の歴史の中で、龍神が身を潜めた場所を、「貝喰 (かいばみ) の池」と書いた。そう、上の写真で明らかな通り、それこそ人面魚が出現した場所なのだ。ということは、この魚は龍神の遣いなのであろうか??? ともあれ、現地に向かってみよう。一応善寶寺の奥の院に向かう途中の場所のようではあるが、深い山の中というわけではないので容易に辿り着くことができる。寺の前を通る道路を少し右側 (寺に向かって) に進み、すぐに左の細い道に入って行けば、池の近くまで車で行くことができる。車椅子でも通れるように整備された石段を進むと、あ、見えてきました。そこそこ大きい池で、水面が沈んだ緑色であり、そう思って見るせいか、なんとも神秘的な佇まい。
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奥の方には祠というか、それなりに立派な、龍神を祀る神殿があり、そこで売っている鯉のエサを池に放つと、鯉だけではなく鯰や亀までが集まってきて、壮絶な食べ物の奪い合いを展開する。
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そして、そのような魚たちの騒動や、あるいは静かな水面を睨みながらカメラを構えた私の前に、何度かそれらしい鯉が現れ、シャッターチャンスを与えてくれた。以下は実際に私がその場で撮った写真である。どうだろう、人面魚と言えるだろうか。
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祠の管理をされている地元の人たちと喋ったところ、いわゆる人面魚と認定されうる鯉は 5 - 6匹いて、27年前に有名になった鯉も、やはり未だ生きているはずという。私がここで感じたことには、人面魚と言っても何も不思議な存在ではなく、ただ単に額の模様が人の顔のように見えるというだけであって、たまたまそうであったとしても、彼または彼女の生存競争における優位性には直接結びつかない (笑)。だがその一方で、なぜに龍神伝説のあるこの池でこのような騒動が起こったのか、少し分かったような気がした。人は謂れのある場所には神秘を見ようとするのだ。だから、都会に住む我々はあの騒動を、ただ単に人の顔をした鯉が現れたということで不思議なことだと思っていたが、もし龍神を信じる人たちが見れば、なんとも有り難い存在なのである。そのことにはたと気づいたのは、その貝喰の池のほとりの祠で見つけた、このような奉納品である。
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蛇紋石とあるが、要するに、蛇のような形が自然に浮き出た石である。この祠だけでなく、善寶寺の本殿にもいくつか展示されていた。これも物理的には、周囲とは色の違う物質が入り込んだ岩石であり、怪異な現象ではないように思うが、でも人はこのような不思議な模様に、何か聖なるものの存在を見たいと願うがゆえに、特別な崇敬の念を抱くのであろう。人面魚もまた、この蛇紋石と似たような面はありはしないか。もちろん、人面魚騒動のきっかけが何であったのか、私には知る由もないが、もしかすると、この土地に神聖なものを見出す地元の人の思いが、どこかで関係していたのかもしれない、などと想像してみる。ただ単に、人面魚がいるとかいないとかいうことで騒ぐのではなく、その土地の持つ歴史と、人々が連綿とつないできた思いの強さに、何か大切なものを実感してみるのも一興かと思う。

朝から人面魚を目撃して、幸先のよいスタートを切った我々は、次なる目的地、鶴岡市立加茂水族館に向かった。ここは私もテレビで何度か見たことがある。集客に苦労していた小さな水族館が、クラゲの展示に力を入れ、今では展示しているクラゲの種類は実に世界一であり、大成功して話題になっている場所。
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私は水族館や動物園もかなり好きな方なので、ここで様々なクラゲを見て、大変感動したし、実に面白かった!! たまたま通りかかった館長さんが説明してくれたことには、クラゲは自力で泳ぐことはせず、水中を浮遊して、たまたまありついたエサによって生命をつないで行くらしい。よって、様々な水槽に入っているクラゲは、人がその中で動力を使って水を循環させているためにエサをとらえることができ、もし水の循環をやめてしまうと、水槽の底に折り重なって沈んでしまうのだそうだ (実際に停電でそのようなことも起こったらしい)。うーむ、究極の他人任せの生き方である。参考になるような、ならないような (笑)。この水族館では写真を撮り放題なので、数々のクラゲの美しい写真をものにすることができる。これらは私がスマホで撮ったもので、あまりにきれいなので、待ち受け画面に設定しようかと思ったが、人生ことごとく他人任せな人間だと思われたくなくて、未だにそうはしていない。でも、きれいだなぁ。
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様々なクラゲが展示されているのもさることながら、日に何度か、飼育員 (というのでしょうね、やっぱり) がいくつかの種類のクラゲを例にとって、どのように食物を取ってどのように成長していくかを実演 (顕微鏡映像を含めて) で説明してくれるのが大変面白い。私が見たときには、うら若い女性の飼育員が、時折、ニコニコしながら若干ブラックな表現 (つまりその、クラゲのあまりに他人任せの生き方とか、あるクラゲには種が違うクラゲを食糧として与えるが、それは決して残酷なことではないとか) を交えて説明していたのが、大変によかった。ブラックと言えば、この水族館のレストランの名物は、クラゲラーメン。さんざんその姿の透明な美しさを愛でたのち、最後はおいしく頂くというのも、油断できない人生のアップダウンを象徴しているようで、なかなかに教訓的である。
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それから我々は、鶴岡市内へ向かった。庄内藩の城下町であり、かなり文化的な雰囲気をたたえた街であるようで、歴史的建造物も数多い。最初に訪れたのは致道博物館。もともと鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、現在では歴史的建造物を移築、保存するとともに、地元の歴史にまつわる資料を展示している。4つの歴史的建造物のうち実に 3つは重要文化財で (但しそのうちのひとつ旧鶴岡警察署庁舎は現在改修中で、見ることはできないが)、藩主酒井氏の庭園は国の名勝に指定されているという、見どころ満載の素晴らしい場所である。
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これはその重要文化財の旧西田川郡役所。1881年築造で、明治天皇の東北巡幸の際には鶴岡における行在所になった場所であるとのこと。立派な建物だ。
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これは旧庄内藩主御隠殿。この奥に名勝の庭園がある。炎暑の日ではあったが、うちわを片手にこのような緑を目にすることで、本当に気持ちが清々しくなる。
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こちらは重要文化財の、田麦俣 (たむぎまた) の民家。2階と 3階を養蚕に使用していたので、屋根が広くて、まるで兜のような独特な形をしている。
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次に訪れた場所も重要文化財の建造物。幕末から明治期にかけて、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主であった風間家の旧居である。旧風間家住宅「丙申堂」(へいしんどう) と呼ばれている。いや実に立派なお屋敷であり、ガイドの方が丁寧に説明して下さる。中でも、屋根の上に実に 4万個もの石を乗せてある点、全国有数である由。尚、時代小説家、藤沢周平はここ鶴岡の出身で (この街に記念館もあるが、今回は時間がなくてパス)、彼の原作になる映画「蝉しぐれ」のロケはここで行われたらしい。雰囲気あります。
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そしてその裏手の方に、風間家の旧別邸もあり、そちらは「無量光苑釈迦堂」と名付けられている。こちらは国の登録有形文化財。その名前からてっきり寺院かと思いきや、もともと来賓の接待や関係者の集会場所として使われた場所で、石造の釈迦如来像を安置していることから、九代目当主がこのように命名したとのこと。庭に面して二面が開け放たれる構造になっていて、なんとも気持ちがよい。
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さて、鶴岡おそるべし、まだほかにも重要文化財建造物があるのである。しかも今度はまた全く趣向の違うもの。これである。
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1903年に完成した、鶴岡カトリック教会天主堂である。パピノ神父というフランス人の設計とされており、瀟洒な外見でありながら、内部はまさに厳粛な信仰の空間である。炎天下から足を踏み入れた瞬間、心に涼やかな風が通ったような気がしたものだ。明治の頃にこのような立派な教会ができるほど、この鶴岡には文化的な土壌があったということだろう。
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そして、確か向かって左の祭壇であったろうか、思わぬ彫刻を発見して私は「あっ」と声を上げた。これはまがうことなき「黒いマリア」である。スペインやフランスにしか存在しておらず、キリスト教以前の地母神との融合ではないかという説もあるこのようなマリア像について私は興味があり、随分以前に芸術新潮誌で特集したものも読んだし、「ダ・ヴィンチ・コード」系の陰謀論との関連で書かれた本を読んだこともある。そんな、ヨーロッパの深部と関連するマリア像が、なぜ日本にあるのだろう。実はこの教会の落成記念に、フランス、ノルマンディーのデリヴランド修道院というところから贈られたものだという。やはり鶴岡、おそるべしである。
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さて、それから私たちは、先に即身成仏を見てしまおうと、鶴岡市内にある南岳寺というお寺に詣でたのであるが、それは後回しにして、もう少し一般的な鶴岡の名所を先にご紹介する。これは、車窓からしか見ることができなかったが、鶴岡公園にある大宝館という建物で、大正天皇即位を記念して建てられたもの。内部は高山樗牛ら、郷土ゆかりの人物たちを紹介しているらしい。
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そして、藩校の致道館。1816年から 1873年まで使われ、表門、孔子を祀る聖廟、講堂等々が残る、国の史跡である。現存する藩校は全国的にも十指に満たないようだが、ここは本当によく残っていて、往時の雰囲気がよく分かり、貴重である。
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面白いのはこの額である。堂々とした字で、一見、墨痕鮮やかな字の部分が浮き出ているように思われるが、間近で下から見ると、くぼんでいるのである。
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さて最後に、この日お目にかかることができた即身成仏をご紹介する。鶴岡市内にある南岳寺というところにおられる、鉄竜海上人である。これが南岳寺。正面に見えるお堂の地下に安置されている。
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即身成仏については、また次の記事で背景や私自身の思いを記したいと思っているが、いわゆるミイラ状として残された人体であり、いずれも「上人」という極めて高い尊称を持って、仏としてあがめられている。それもそのはず、即身仏になるためには、究極の厳しい修行が必要とされるのである。つまり、何年もかけて徐々に五穀絶ち、十穀絶ちと食物を制限して行き、木の皮を食べて生き延び、最後は土中に入る。鐘を叩いている音が土中から聞こえている間は生存が確認されているが、それが聞こえなくなると、いよいよ生命が絶えたということになり、それから 3年ほど経ってから、人々が遺骸を土中から出すというもの。まさに壮絶、究極の荒行である。これは日本にしかない信仰のかたちであって、昭和 30年代に調査がなされるまでは、ほとんど知られていなかったらしい。日本に現存する即身仏は 16体とも 17体とも言われているが、そのうち実に 6体が、この庄内地方に存在する。私は今回の旅で幸いなことにその 6体すべてと対面することができた。また、今回訪れた 5ヶ寺においては、それぞれにお寺の方による説明があったが、それらを総合することで、自分の想像していた即身成仏のイメージ通りの点もあれば、そうでない点もあった。それはまた次の記事に譲るとして、最初にお目にかかったこの鉄竜海上人は、実は庄内地方で最も遅い時期のもの。実は既に明治に入ってから本懐を遂げて即身仏になられたわけだが、明治の世の法律ではこれは許されていなかったため、過去帳を明治元年と書き換えて処理したとのこと。この南岳寺の住職であり、また、先達である鉄門海上人 (翌日訪れた湯殿山注連寺にその即身仏が現存する) の意を汲んで、ちょうど今クラゲの水族館の建っている加茂の港で水揚げされた魚介類を鶴岡の街に運ぶために、山を拓いて道を作ったりしたという。つまり、即身仏となった僧たちは、数々の社会事業に取り組み、生前から深い尊敬を集めていた人たちが多いようである。私は初めて対面したこの鉄竜海上人のお姿に、当然ながら強い衝撃を受けた。これが鉄竜海上人の写真。本から撮影しているので、テカリがあるものの、その壮絶なお姿は想像して頂けるものと思う。
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その日の夜、湯野浜温泉の快適な宿に泊まり、ちょうど夕食時に沈み行く夕日を眺めながら、その日を反芻した。凄まじい荒行をした僧たちも、同じような夕日を何度も眺めたことであろう。人々の生活を見守って来たこの夕日を見ながら、平和な現代に生きる私は、申し訳なくもちょっと贅沢な食事を堪能し、生きている幸せを実感した。そしてアルコールは進み、一日の疲れによって私は、食後すぐに眠りの世界に落ちて行ったのであった。「明日はいよいよ出羽三山だ・・・」と呟きながら・・・。
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by yokohama7474 | 2017-08-13 01:56 | 美術・旅行 | Comments(0)

生誕 140年 吉田博展 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

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海外で高い評価を得た画家、吉田博 (1876 - 1950) の版画を集めた展覧会についての記事を、今年の 3月 8日に書いた。その記事の中で私は、吉田の抒情的な版画の持つ素晴らしい表現力と筋金入りの美しさに賛辞の言葉を捧げたのであった。

http://culturemk.exblog.jp/25349917/

また私は記事の中で、それ以前より全国を巡回中のこの吉田の本格的な回顧展が、東京では 7月から 8月にかけて、新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で開かれるので、それに行ってみようと宣言した。この記事はそれに基づき、以前見た版画展とは違う大きなスケールで開催された吉田の回顧展について、少し語ってみようと思う。以前の記事で書いた吉田の伝記的な事柄は基本的に省略するつもりなので、ご興味おありの方は、是非 3月 8日の記事をお読み頂きたい。これが 23歳の頃、渡米後の吉田の肖像写真。
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福岡の久留米に生まれた吉田は、豊かな自然に恵まれた土地で育ち、山野を歩き回って絵を描くという少年期を送った。展覧会は 10代の頃のスケッチや水彩画から始まる。以下は 1893年、16歳のときの「驢馬」と「画材と鉢」。彼はこの翌年には東京に出て不同舎という画塾に入門するのだが、既にして驢馬の毛の繊細さや、水の入った鉢の自然な佇まいを表現できる技術を持っていたことが分かる。
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東京に出た 1894年、上野の東照宮を描いたスケッチ。やはり彼には風景画家としての卓越した技量が修業時代から備わっていたことが明白である。
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その頃の水彩画があれこれ展示されていて興味深い。とても 20歳前後の若者の作品とは思われないほどの完成度である。これは「鶏頭のある風景」(1894 - 99年頃作)。
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これも同じ頃の作、「つるべ井戸」。井戸の回りに咲いた花の存在感が感じられる。
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これは 1899年頃、ということは渡米前後に描いた水彩画「東照宮、日光」。外国人に好まれる観光地であることから題材に選ばれたのであろうか。自分の技量を世界に示そうという大胆な目標を持っていたということであり、若者のそのような清新の気風は、実に清々しいものだ。
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この展覧会に展示されている最も早い時期の油彩画がこれである。1898年、明治美術会 10周年記念展覧会に出品された「雲叡深秋」。クールベを思わせる写実のわざであるが、ただ、画面の中から沸き立つドラマ性や神秘性はなく、風景としての迫真の写実をひたすら追い求めたということか。実際、この展覧会を見て行くうちに私の中には、吉田博という画家の目指したところについて、ある思いが募って行った。それについては後で述べるが、思い返してみればこの油彩画の第一印象が、その後の鑑賞について回ったものと思う。
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吉田の渡米のいきさつ等は以前に記事に書いたので割愛するとして、彼が米国で展示した日本の風景を描いた水彩画は絶賛を博し、1901年に一旦帰国した吉田は、1905年に再度渡米、今回はヨーロッパにまで足を延ばした。私が興味を持ったのは、かの地で彼がいかなる油彩画を描いたのかということであった。例えばこの「グロスター」は、1904年に米国ボストン近郊の風景を描いたもの。なるほど、陽光の違いか空気の違いか、日本的要素をあまり感じさせない光の表現で、好ましいと思う。
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これは 1906年の「ウィンザー橋」。言わずと知れた王家の居城ウィンザー城のある街である。これは水彩だが、雨が多い英国の空気をよくとらえていると思うし、抒情もある。
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これも 1906年の油彩「ヴェニスの運河」。実はこの作品、夏目漱石の「三四郎」の中で言及されているらしい。三四郎と美穪子が、「長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画」を見る (当時吉田博は、義妹でのちに結婚する、やはり絵を描くふじをという女性と 2人で欧米を旅していた) 場面で、美穪子が「ヴェニスでしょう」と呟くシーンである。漱石の美術好きはよく知られているが、英国にあっても日本にあっても、権威のあるものよりも新しい芸術に興味を示した点が興味深い。明治の世に、ヴェニスの風景を見てヴェニスと分かるとは、相当な教養あるヒロインである。今年は漱石生誕 150年 (ということは、大政奉還の年に生まれたわけだ)。久しぶりに彼の作品でも読み返したいなぁと思い、書棚に並ぶちくま文庫の全 10巻の漱石全集を眺める私であった。
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帰国後の博は、黒田清輝を中心に結成された白馬会に対抗する太平洋画会のメンバーとして活躍する。これはそんな頃、1910年の作品で、「渓流」。これも上記の「雲叡深秋」と同じく川の流れを描いているが、より一層力強くまた鮮やかになっているように思われる。
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さて、吉田は既に若年期を過ぎて中年に至り、画家としての真価を問われる時代に入ってくる。そのような時代、彼が描き続けたのは、自然であった。これは大正年間の「穂高山」。私が以前松本で初めて出会った吉田の作品はこれであったと思う。
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またこれは大正 8年 (1919年) の「野営」の 第 2作と第 3作。
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ここには見事な自然が描かれている。だが、絵画の本質が、ただ目に見えるものを写すだけでないとすればどうであろう (私自身もその解は持ち合わせていないのであるが)。吉田が敵視した 10歳年上の黒田清輝の作品については、以前も記事として採り上げたが、さて、吉田の 40代の作品と、黒田の 40代の作品を比べてみて、鑑賞者はどのように思うであろうか。1910年代から 20年代に入ると、当時の美術の最先端地域であったパリでは、ありとあらゆる前衛がニョキニョキと現れてきている。もちろん、それが一概によいと言う気はないのだが、少なくとも私が抱くのは、せっかく明治初期の日本から飛び出して欧米を見た画家が、円熟期に差し掛かる頃に、このような絵を描いていてっよかったのだろうかという疑問である。ある意味で象徴的とも言おうか、日本人の洋画家の例に漏れず、吉田も日本画の作風で作品をものしている。これは恐らく大正期の作と思われる「雪景」。この絵が文句なしに美しい。だがその近代性はこの種の絵画作品において充分な説得力を持っているだろうか。
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ここで独断と偏見に満ちた、だが私がこの画家の作品を一定数見て思った感想を述べると、やはり吉田の才能が最大限発揮されたのは、風景を描いた版画であったのだと思う。例えばこの 1924年の油彩画「グランドキャニオン」は素晴らしく美しいのであるが、吉田はほぼ同じ構図の木版画を制作している。そしてそれこそが、恐らくは吉田の天職であったのだろう。
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以下同様に、吉田の版画を見ているかのように美しい (!) 油彩画の数々。1924 - 25年の「ヨセミテ公園」と、1925年の「モンブラン」。
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繰り返しだが、これらの風景を実に美しく描いたのが吉田の素晴らしい才能であって、それゆえに彼は、(逆説的ではあるが) 世界に冠たる油彩画家になることはなかった。それがよかったのか悪かったのか、私には分からない。だが例えばこの 1929年の「神樂坂通 雨後の夜」は、その日本的情緒が素晴らしく、このような作品を残しただけでも吉田は、木版画の世界では歴史に残る画家であって、その才能は、小林清親や川瀬巴水に匹敵するとは確実に言えるであろう。
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私には一流の芸術家の心中は分からない。だが、ある程度の想像力を持って推測することはできる。とびきりの才能を持っていた吉田は、その才能を持つがゆえに、自らの創作活動をどこに見出すかを自分で決める思いは強かったろう。そして彼は、日中戦争の頃から志願して戦地に赴き、従軍画家として様々な作品をものしたのである。これは、撮影場所と時期は不明ながら、戦地における吉田。その表情には決死のものは見受けられず、むしろ笑みを浮かべているように見える。
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後世の我々が、偉大なる芸術家であった吉田の行動を、70年以上経過した今、あれこれ言う意味があるのか否か分からない。だが、この展覧会で初めて接することとなった戦時中の吉田の創作活動は、本人の意図はともかく、戦争の情景をヴィヴィッドに描いたものとして、ある意味での絶望感を見る者にもたらすと言ってもよいと思う。これは従軍時代の写生帖から。
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今回私がショックをもって眺めた作品はこれだ。1941年、太平洋戦争に突入する頃の「急降下爆撃」。それまでの画家が見たことのない近代戦における新たな視覚である。非凡な風景版画家たる吉田が、この光景をどのように発見したのか、大変興味がある。少なくともこの迫力は大変なものであり、画家の中でこのような刺激的な視覚が、日常生活とどのように結びついていたのであろうか。
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これは、日本の配色濃厚となっていたであろう 1944年の作品で、「溶鉱炉」。ここにはもはや、大自然の雄大さはなく、人間の営みを称賛する姿勢のみが見受けられるのである。
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繰り返しだが、風景画家、木版画家としての吉田博の才能は素晴らしい。だが私がこの展覧会から学んだことは、いかに素晴らしい芸術家でも、その創作範囲においては向き不向きがあること。そして恐らくは芸術家自身、創作活動の中でそのようなことに気づくだろうということだ。軽々と国境を超えるコミュニケーションツールが当たり前となり、あらゆるイメージが世界中を瞬時にして飛び交う現代、恐らく吉田が持ったであろう誇りと限界の意識に、少しでも迫りたいと思う。その点においては有意義な展覧会であるとは言えるであろう。

by yokohama7474 | 2017-08-09 23:22 | 美術・旅行 | Comments(0)

ウィッチ (ロバート・エガース監督 / 原題 : The Witch)

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新宿武蔵野館という映画館をご存じであろうか。新宿東口すぐ近くの一等地のビルに入っている小さな劇場で、私は学生時代からお世話になっているのだが、時間がたっぷりあった学生時代はともかく、社会人になればこのような場所に足繁く通うことは難しくなる。私の場合も、ある時期は長らくこの劇場と全く疎遠になった時期もあったが、久しぶりに足を運んでみると、見違えるほどきれいに生まれ変わっており、そこにかかっている作品も、地味ながら見逃せないものが多い。そんなことで、社会人歴四半世紀を超えたここ数年、またこの劇場から目が離せなくなっているのだ。比較的最近では、メル・ギブソン主演の「ブラッド・ファーザー」をこの劇場で見たのだが、その際に予告編を見て気になったのが、この映画である。何やらアーリー・アメリカン調の雰囲気であり、欧州からの入植間もない米国において、ウィッチ、すなわち魔女が人々を恐怖に叩き込む、そんな映画であるようだ。よくこのブログで言及する通り、私にとって予告編は、本編の内容を占う重要な情報源。もちろん、予告編のイメージ通りの映画もあれば、全く違うものもあって、一概には言えないが、少なくとも映画をストーリー第一ではなく、映像と音響のアマルガムとして楽しむタイプの私としては、予告編で目にする映像と音楽・セリフだけで、期待感の程度が異なる。この映画ではどうであったろうか。

まず目についたのは主演のアニヤ・テイラー=ジョイ。
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この、一見美形のようでいて、よく見ると目と目が離れた、表情豊かで個性的な顔立ちの女優さんは、どこかで見覚えがある。そう、M・ナイト・シャマランの最新作「スプリット」である。このブログでも、その映画における彼女の演技を称賛したが、一度見たら忘れない顔であり、神秘性を重要な要素とするホラー系の映画においては、非常に貴重な存在であろう。1996年マイアミ生まれ。アルゼンチンで育ったので母語はスペイン語だが、幼少期にはロンドンに住んでいたこともあるという。実は、日本では公開の順番が逆になってしまったが、この映画 (2015年) の成功でシャマランの目にとまり、「スプリット」の主役に抜擢されたそうだ。私としては、これから述べるように、予告編で予感した通りにこの「ウィッチ」はなかなかの映画だと思うのであるが、やはり最大の功労者は彼女であろう。まあ行きがかり上、後半の方ではこういうことにもなるのであるが (笑)。
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この映画、とびきり怖いかと訊かれれば、いわゆるホラーとして気の利いたストーリー展開にはなっていないものの、画面からジワジワとにじみ出る人間というものの怖さに気づけば、相当に怖い映画であると感じることになるだろう。それには、感性を駆使すること、つまりは目を開き、耳を澄ますことだ。そう、特に音響において凝った演出が頻繁に見られて、その繰り返しの中で奇妙な感覚が醸成されて行く。例えばいきなり冒頭の場面、主人公一家が神父やほかの信者たちに弾劾され、集団を離れて森の中に棲み処を見つける決意をする場面。画面に映っている人物と、言葉を語っている人物が明らかに異なっており、人物関係が把握できないため、人は不安な気持ちになる。結局、家族が土地を追い出される理由は明確に説明されないのだが、もしかすると、そこでは既に魔女裁判が行われていたのか・・・??? ともあれ、見ている人たちは理不尽な気持ちの中で、家族が森の中に小屋を建てて暮らし始めるのを目撃する。夫婦の間には、長女である主人公のトマシンを含め、子供が 5人。そのうち 2人は男女の双子で、末の子は未だ赤ん坊の男の子だ。1630年の話で、家族は英国ヨークシャー地方から大西洋を越えて米国ニューイングランドにやってきたという設定になっている。もちろん電気もガスも水道もない場所である。敬虔な清教徒である家族であり、新天地を求めてともに苦労した人たちであれば仲はよいはずだが、なぜか家族の間には常に何か微妙なすれ違いがあり、その関係は不気味というか不穏というか、とにかく、愛情と団結心いっぱいのアドヴェンチャーファミリーという雰囲気ではない (笑)。そんな中、次々と事件が発生するのだが、そこで音響的に恐怖を増幅するのは、今度は男女の双子の歌や喋りである。童謡を歌ったり、姉トマシンを非難したりからかっているのであるが、なぜだろう、滔々と歌われたり繰り返し交互に喋られたりする彼らの言葉は、常に何か本能的な恐怖に訴えかけるのである。何気ない日常と隣り合わせの、恐ろしい非日常を想起させる部分がある。
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父親は、家族への愛情を持ち合わせた人物だが、寡黙であり、その愛情が快活に表面に出て来ることはない。家族のリーダーというイメージはほぼゼロである。演じるのはラルフ・アイネソンという英国の俳優。
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それから母親は、その神経質な喋り方や、不愉快さをあらわにした行動や、情け容赦ない絶叫などによって、もしかするとこの映画の登場人物の中で最も怖いかもしれない (笑)。ケイト・デッキーという、やはり英国の女優が演じている。
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前述の通り、あの手この手で見る者を怖がらせるタイプの映画ではない。それどころか、劇中で起きる事件の充分な説明もなされないまま、クライマックスを迎えるという印象だ。だがそれでもここには、人間という存在の真の怖さが描かれていると思う。長男のケイレブが森から帰ってきたあとの凄まじいシーン (そこではまた双子も奇妙な反応を起こして、これまた凄まじいのだが) など、鳥肌なしに見ることはできない。自然への恐怖心や、閉鎖的な村社会への嫌悪や、日常の不便への不満や、家族との距離感や、もしかすると芽生え始めた性的な欲情という要素もあるのかもしれないが、人間心理の奥底に潜む複雑な何かが作用してのことであろうか。普段は充分に豊かな感情と行動力を持つ少年が、まるで悪魔に魅入られたかのような言動を示せば、人々は何かが憑りついたと思ったことであろう。まさに日常が裂けて、その裂け目から邪悪なものが覗く瞬間である。その恐怖の表現をこそ、見逃してはならないのである。また、ウサギやヤギやカラスといった物言わぬ動物たちの不気味なこと。この映画のプログラムには、"Evil takes many forms" とあるが、まさに邪悪なものは、様々な姿かたちをとって我々人間のすぐ近くに存在する。どの動物が魔女の正体だなどと、ヤボなことを考えてはいけない。ここに登場する動物で信用できるのは、人間の忠実なしもべである犬だけであるのだ。そう思って見るとこのウサギも怖いでしょう?
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それから、これも音響の要素のひとつと言ってよいであろうが、喋られている英語が全然分からない。映画の最後に、ここでの言葉は 17世紀のニューイングランドで実際に話されていた言葉の再現を試みたという注釈が出てくるが、いわばその言葉は、私たちの知らない世界を表現するための重要なツールになっている。実際には英国北部訛りということなのであろうが、2人称の "thou"、その所有格 "thy" という言葉が何度も使われているのが聞き取ることができ、その古臭い言葉はもちろん、現在でも聖書で使われているものであるゆえ、宗教的なイメージがつきまとい、その点がまた映画の不気味な雰囲気を冗長するのである。考えてみれば、17世紀とはシェイクスピアの生きた時代。人々の感情表現のツールとしての言葉は、現代と違う点が多々あった (もちろん共通点も多々あったろうが) はずだ。そのことをリアルに感じるから、この映画は怖いのか。このような、人間の感覚に鋭く訴える映画を撮ったロバート・エガースという監督は、実はこれが長編デビュー作で、本作の脚本も手掛けている。この作品、インデペンデンス系映画の祭典であるサンダンス映画祭で監督賞を受賞したのをはじめ、多くの賞に輝いている。その実績によって、あのドイツ表現主義によるホラー映画の元祖「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年、F・W・ムルナウ監督) のリメイク版の監督に抜擢されたという。ホラーファンとしては今後の活躍に目が離せない監督である。
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尚、ここで題材になっている魔女というものがいかなる存在であったかについては、かなり以前、名古屋で見た大変興味深い展覧会の記事を書いたが、実際に過去に起こった魔女事件で有名なニューイングランドの場所がある。それは、マサチューセッツ州のセイラムだ。私はもちろんその場所を訪れたことがあり、それは忘れることができない思い出だ (ニューヨークから車で行けるホラー色の強い場所としては、スリーピー・ホロウと並ぶか、むしろそれ以上の場所だと言ってもよい)。そこでは 1692年に起こった魔女事件が未だに観光収入源になっていて面白い。もちろん、日本美術のファンとしては、岡倉天心とともに明治期における日本の古美術発見に大きな足跡を残したアーネスト・フェノロサがこの街の出身であることも重要だし、それから、私が住んでいる東京都大田区は、実はセイラムと姉妹都市なのである!! (なぜかは知らないが・・・) そんなセイラムの思い出を私がいかに大事にしているかについてのひとつの証拠は、自宅の鍵用に使用しているキーホルダーである。
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これ、今では真ん中の魔女の姿だけになってしまっているが、もともとは周りの円状の部分と下の長方形の部分に、"Salem" "1692" などと記されたプレートが嵌まっていたのである (笑)。こんな状態になってもこのキーホルダーを使い続けている魔女ファンの私としては、人間心理に興味を持たれる文化的な方に、是非この映画をお薦めしたい。新宿武蔵野館での上映は、しばらく前までは「8月中旬まで」となっていたのが、今調べると、「8月下旬まで」となっている。これは朗報です。遠からずホラーの女王として世界に君臨するかもしれない (?) アニヤ・テイラー=ジョイも、このように大入り満員を神に祈っているようだし。
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by yokohama7474 | 2017-08-09 00:33 | 映画 | Comments(0)

忍びの国 (中村 義洋監督)

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和田竜の小説「忍びの国」は、以前からちょっと気になっていて、実は、家人が処分しようとした読了済の本の中にそれを見つけたとき、「これ読むから売らないで」と頼んで、その本を自分の書棚に移したものである。だが、例によって例のごとく、未読の本がどんどん積み上がって行く中、なかなか手をつける間もなく、そのうち、同じ作者による「のぼうの城」が映画化された。その映画 / 小説の舞台となっている、埼玉県行田市に存在した忍城 (おしじょう) の跡には私もでかけ、このブログでも記事にしたが、今でも「のぼうの城」を読んだり見たりしていないことは、実はかなり気になっているのである。そうこうしているうち、「忍びの国」までが映画化されるという。人気グループ嵐のメンバー、大野智の主演であり、予告編を見ると、そのとぼけた味わいがなかなかよろしい。今後ばかりは見に行かねばと、劇場に走ったのである。ええっと、これはフリー素材サイトから。
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もともと私は忍者には結構興味のある方で、もちろん伊賀にも甲賀にも根来にも行ったことがあるし、金沢にあって忍者寺と呼ばれる妙立寺も大好きだ。「仮面の忍者赤影」ともなると幼時の思い出で、さすがにちょっと古すぎるが、実はそのイメージは私の中では未だに鮮烈であり、「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎であった頃」というナレーションなど、長じるに及んでの戦国時代のイメージ形成の一部をなしていることを否定できない。またテレビアニメでは、「サスケ」はちょっと甘ったるいイメージでなじめなかったのに対し、「カムイ外伝」のハードタッチに魅了されたのも少年時代。その後学生時代には、それらのアニメの原作者白土三平の忍者もの、とりわけ「カムイ伝」に心底ほれ込み、漫画雑誌「ガロ」に一時期のめり込んだのも、その流れであった。だがまあ、この映画はそのような私の個人的な忍者経験 (?) とは別に、万人が楽しめるものとなっているので、ご安心を。これが主人公の無門 (むもん)。自他ともに認める (はずの) 伊賀一の忍びで、彼の行くところ門がないに等しく、どこにでも忍び込めることに因む名前である。
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時は天正 4年 (1576年)、織田信長の次男、信雄 (のぶかつ) は、伊勢の国司であり自らの義父でもある北畠具教 (とものり) を、手下を使って殺害。伊勢の国の実権を握り、その 3年後に隣国伊賀、つまりは忍びの国を攻める。その時には大敗を喫するが、翌年再び総大将として伊賀を攻めて勝利する。この映画はその史実に、数々の架空のキャラクターを加えてストーリーが構築されているもの。これが信雄の肖像。
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この映画にはいくつかのテーマがある。思いつく限り列挙してみよう。
・偉大なる父を持った若者、織田信雄の葛藤
・北畠の旧臣たちの戦乱の世における処世術と、武士としての矜持
・十二人衆を中心とする伊賀という忍者の国の特殊性 (子供たちに至るまで死と隣り合わせという意味において)
・その伊賀の特殊性に対する個々の忍者の反応 (特に織田に寝返る下山平兵衛の思い)
・主人公無門のクールさと、飄々としたその姿の裏にある人間性
・無門の妻お国の勇気と優しさ

ここには、日本の歴史を大上段から語ろうという姿勢よりも、歴史を補う想像力の重要性に重きをおいた作劇が見られる。なかなかに多岐に亘るテーマを、後で振り返ってみればうまく映画の中に織り込んでいて、何の気なしにストーリーを追った人でも、冷静に考えてみれば、かなりよくできた映画であることに気づくだろう。そのひとつの秘訣として私が気づいたのは、この映画のセリフの高い質である。大野の個性をよく表した無門の言葉は、全くの気楽な現代語なのであるが (「あるよあるよ」とか「なんで?」とか)、周りの時代がかった言葉とも対立せずによく流れて行くし、武士の言葉や子供の言葉、あるいはお国の言葉も、古臭くなりすぎない微妙なバランスによって成り立っている。このセリフを書いた人は只者ではないだろうと思って確認すると、なんのことはない、原作者の和田竜自身が脚本も手掛けている (実は「のぼうの城」もそうであったらしい)。もしこの映画のストーリーだけを見て、大して面白くないと思った人がいれば、次の機会にもう一度セリフをよく聞いて頂きたい。これはなかなかよく練れた日本語なのであり、細部に宿る人間の思いをよく表した秀逸な言葉たちである。これが和田竜。1969年生まれで、早稲田大学政治経済学部出身という経歴。
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細部に関して言うと、この手の映画では戦闘シーンが非常に重要であるところ、前半にはもうひとつかなと思う箇所もあったが、無門たちが参戦を決意してからのシーンは、CG にも冴えがあって面白かったと思う。もしかすると、ジャンプの高さや速さその他の無門の荒唐無稽な戦いぶりにウソくささを感じる人もいるかもしれないが、このような映画では、誇張を笑って見ることができるか否かが大事。私としては、少なくとも後半の戦闘シーンの数々を楽しく見たのであった。だがその裏には、このようなスタッフの苦労があったようだ。
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大野もよく走り回っていい味を出しているが、その他の役者もそれぞれに個性的。下山平兵衛を演じた鈴木亮平は大変な熱演で、これなら来年の大河での西郷隆盛も期待できようというもの。日置 (へき) 大膳を演じた伊勢谷友介は、作品によっては、時に気合が空回り気味のこともあって気になっていたが、ここではかなり強い印象。そしてお国役の石原さとみは、目力のある落ち着いた演技に好感が持て、私としては「進撃の巨人」や「シン・ゴジラ」における彼女よりも、数段よいと思ったものである。
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その他、癖の強い脇役陣も豊富であるが、考えてみれば昔の黒澤映画などにおいても、多くの個性豊かな脇役がいたからこそ、素晴らしい映画表現が可能になったわけである。人気者である大野智の主演によってこのような映画がヒットすれば、日本映画はもっともっと充実して行くであろう。この映画の監督、中村忠義は 1970年生まれ。自主映画出身で、以前にも大野と組んだ「怪物くん」を撮っているほか、「奇跡のリンゴ」「予告犯」「殿、利息でござる!」などを監督している。

さて、改めてこの作品のストーリー展開における私の整理は以下のようなもの。まず、伊賀の国という「虎狼」の土地における、命の価値を理解しない残虐な人々、あるいは金のことしか頭にない愚かな人々の姿は、極端ではあるものの、現代にも通じる人間の本性を表しているということ (この点については、劇中でも明確に示される)。だがそんな環境でも人は、何か強い思いを持つ経験があれば、ラストシーンにおける無門のように、新しい世界に入って行くことができるということ。これは、素直に受け取ってもよいメッセージなのではなかろうか。

そんなわけで、書棚からこの映画の原作を引っ張り出し、読み始めた私であった。この文庫本、表紙が私の好きな画家である山口晃によるものであり、久しぶりにスムーズに読めそうな本のようだ。パラパラ見てみると、無門とお国の最初の会話などは映画と全く同じであるが、その一方で、映画には出てこないキャラクターも登場しており、映画とはまた違った、小説としての面白みを味わえそうである。読み終えればまた感想をアップすることにしますが、まあ、気長にお待ち下さい (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-08-07 22:38 | 映画 | Comments(0)

没後 40年 幻の画家 不染鉄 東京ステーションギャラリー

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先般このブログでもご紹介した、アール・ブリュットの画家アドルフ・ヴェルフリの展覧会を見に東京ステーションギャラリーを訪れた際、何やら異様な絵画をあしらったチラシが目に入った。それは上に掲げたもので、富士山とその麓を海まで俯瞰で描いたものであるが、写実的とはとても言い難く、だがその一方で描写はかなり細かい。一見して「異様」と感じたのは、このような密集感と富士という雄大な山とのアンバランスであったようだ。「不染鉄」とあるのはどうやら画家の名前らしいが、聞いたことがない。未知の画家の展覧会となると、私は血が騒ぐのである。なにか通常と違った感覚をそこで得ることができるのではないか。そう思って、会期が始まってまだ間もない頃にこの展覧会を訪れた。

画家の名前は不染 鉄 (ふせん てつ)。1891年に東京、小石川の寺の息子として生まれ、本名は哲治 (てつじ)。日本画を習ったが、写生旅行先の伊豆大島や式根島で突然漁師になったかと思うと、現在の京都市立芸大に入学して首席で卒業、その後は帝展で入選を重ねるなどの実績を挙げたが、戦後は画壇を離れ、奈良に住んで気ままに絵を描いたという。1976年に亡くなってから昨年で 40年。これまで、1996年に奈良県立美術館で一度回顧展が開かれただけで、東京での展覧会は今回が初めてである。これが不染の肖像。上記の絵の一種異様な迫力からすると意外だが、飄々とした人柄のように見えるではないか。
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まず、ポスターに使われた彼の代表作、「山海図絵 (伊豆の追憶)」(1925年) から見てみよう。これが全体図。真ん中に聳えるのは紛れもない富士山だが、それより手前は茶色い土地、向こう側は白い土地である。これは一体どういうことなのか。
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手前の風景は、副題にもある通り、伊豆の方、つまりは太平洋側である。このように集落や岩や灯台などが細やかに描かれ、緑色をした海の波も丁寧に表現されている。そこには船もあり、人々の営みが感じられる。
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その一方、奥の風景は何かというと、これはなんと、しんしんと雪の降り積もる日本海側なのである。茅葺の家が静かに佇んでいて、ここには人々の暮らしは雪に閉ざされている。
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このように、富士を挟んで、実際にはありえない対照的な風景を俯瞰するという作品なのである。しかもその表現がかなり細密であるがゆえに、不思議なリアリティと詩情が画面を支配している。なるほど、ちょっとほかにはないような奇妙な作品である。展覧会ではこのような不染の作品の数々との新鮮な出会いを果たすことができる。初期の習作などは展示されておらず、大正期の完成作から始まる。20代の作とはいえ、不染の個性が最初から明確に感じられるものばかり。これは「暮色有情」。古い家並みを俯瞰で描いており、墨の濃淡だけで素晴らしい情緒を描き出している。私はこの家々を見て、なぜとも知れず懐かしい思いを感じたものだ。この静謐感が伝わるだろうか。
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これは一転して鮮やかな赤が印象的な「東京郊外秋景」(1917-18年頃作)。まさに錦秋という言葉がふさわしい紅葉を描いているが、だが上の作品と同様、静かな情緒が画面を支配していて、見ていて懐かしい思いにとらわれるのである。
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これは「林間」(1919年頃作)。やはり茅葺屋根の家がどこか懐かしい。そしてここにも見える細密性。
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これは「雪之家」(大正末期~昭和初期頃作)。既にこれまで見てきた何点かの抒情性を合わせたような印象であるが、面白いのは、同じ茅葺の家を描くにも、最初の作品とは違って、輪郭はくっきりと線で描かれている。それによって画面に硬質なものが付与されているが、その硬質さすら抒情性を醸し出していると思う。非常に優れた手腕である。
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展覧会に展示されている作品の中には、ただ風景を描いたのみならず、そこに不染自身が紀行文のようなものを書き加えている例が多く見られる。これは 1923年の「伊豆風景」。メルヘンタッチと言ってもよい作品であり、添えられた言葉も、例えば「二三日前に乗った汽車は今頃もあの道を走っているかもしれない」と、詩情あるものである。
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これは、不染がその後の作品でも繰り返し描くこととなる奈良・西ノ京の風景で、お寺好きには一目瞭然だが、奥の建物は唐招提寺の金堂である。1927年作の「都跡村之図」。やはり下の方に文章が書かれていて、唐招提寺の詩情を、ですます調の丁寧語で書き綴っている。このような作品を描いた彼の心の中には、一体どのような思いがあったのか。ただ厳しい画業の追求ということではなく、自分の足で歩き、目で見たものを、詩的に表現することで、人々に時の流れの儚さや人の営みの尊さを訴えたかったのか。つまり、画壇で成功しようという野心が感じられず、むしろ人々に訴えることに価値を見出しているように思われる。
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これも同じ西ノ京だが、遠景に描かれているのは、薬師寺東塔である。不染の抒情性を表現するには、この西ノ京の風景はうってつけであったのだろう。やはり詩情豊かな作品で、なんとも心が穏やかになるが、但し、前景の家の描き方にはかなり細密描写も使われていて、かなり細やかな神経がここで使われていることも感じ取ることができよう。
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さてここまでの不染の作品を見て気づく特徴のひとつに、風景の中に人物が全く描かれていないことである。独特の静謐さはそのようなナイーヴな感性からも来ているのだと勝手に納得していると、1927年の作、「思出之記」(海邊) という横長の作品には、家の内外で語り合ったり作業をする人たちが描かれているのを発見した。ただ、もともと彼の風景画には人間の存在が暗示されているし、これらの人物も、言ってみれば風景のひとつを構成しているのではないか。それもこれも、不染の感性のなせるわざだと思う。
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そう、不染の作品は独特の硬質でいて抒情的なタッチなのであるが、そこにはその土地で暮らす人々の人生を見つける目があり、またそれは常に自らの来し方行く末に戻って行く感覚なのである。絵の中に自らの感傷的な思いを書き込むことも、あのあたりと関係しているのではないか。そして彼は、さらに直接的に自分を語る「生い立ちの記」という作品 (1931年) も残しているのである。これは部分的な写真だが、書いてある文章の冒頭は、「東京のかた隅 小石川の或小さなお寺に生まれました 母はランプの下でしきりにはたををっていた事なぞ覚えております」というもの。
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彼の作品には時に毒々しい要素があるものの、その多くは抒情的かつ現代的だ。この「凍雪冬村之図」(昭和初期頃) は、浮世絵風に見えながらその感性はかなりモダンで鋭角的と言ってもよいのではないか。それでいて抒情的である点に、不染の揺るぎない個性がある。
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これは、巻物になっている横長の水墨作品で、1947年の「南都覧古」。例によって手書きの説明のついた部分。
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この作品もそうだが、やはり奈良の西ノ京を描いた作品群が紹介されている。この昭和中期頃の作とされる「奈良風景」には、唐招提寺と薬師寺があり得ない位置関係で描かれている。つまり彼は現実の風景を写実的に描くことには興味がなく、抒情を表現するために空間を自分の中で再構成するのであろう。これが理解できると、冒頭の「山海図絵 (伊豆の追憶)」の手法がその集大成であることに気づくのである。
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これから 3点、薬師寺東塔を描いた作品をお目にかける。最初の「奈良風景」(昭和中期頃) は、この塔と唐招提寺金堂に加えて、遠景に東大寺大仏殿も見えている。
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次の「薬師寺東塔の図」(1970年頃) は、私の心にズシンと衝撃を与えてくれた作品。朝日がなぜか二重となっているが、シュールなまでのリアリティがあって美しい。これはデザインとして完全に完成されており、事実不染は似たような構図で何枚もの作品を残している。
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ところがそれに先立つ 1965年頃のこの「薬師寺東塔之図」は、同じ塔を描いていて、やはり日の出は二重になっているものの、背景を丁寧に描いており、上代の例えば春日曼荼羅のような風景入りの仏画のような雰囲気がある。これも実に素晴らしい絵で、できれば複製を手元に飾っておきたいくらいである。
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展覧会ではこの後に上記の「山海絵図 (伊豆の追憶)」が展示されていて、その他いくつかの富士山の絵も見ることができる。これは昭和初期頃の「富嶽之図」。細部のタッチはいかにも不染であるが、富士の写実的な描き方に迫力があり、ちょっと意外な連想だが、片岡球子などを思い起こさせないだろうか。
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不染の創作活動がこのように様々な様相を呈していることは非常に面白いのだが、ほかの例を挙げると、この「南海之図」(1955年頃作) はどうだろう。縦長の掛け軸の画面の下 2/3 以上が暗く渦巻く海で、それを墨だけで表しているのである。
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さあそしてこれは、中世の仏画を思わせる「蓬莱山之図」(昭和中期頃作)。仙人の住むという蓬莱山を描いているわけであるが、円形に閉じ込めたこの聖なる山の様子は、見ているうちに仏画ではなくヨーロッパの写本のように見えてくるから不思議である。
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と思うとこの「海」(1975年頃) では、おなじみの茅葺屋根の家々が並ぶ前を、なぜか魚たちが泳いでいる幻想的な風景が描かれている。さて、これをもってパウル・クレー風と言ってしまいたくなるのは私だけだろうか。
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これは 1974年頃作の「潮騒」の一部。こうなってくると、現代若手画家として注目を集めている池田学のペン画のようだと言ってしまいたくなる。
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仏教のお堂を描いた対照的な作品も大変に興味深いのでご紹介する。まずこれは、昭和 40年代に描かれた「夢殿」。言うまでもなく法隆寺の有名な建物であるが、このしのつく雨の中の凛とした姿はどうだろう。
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そしてこれが、1971年の「静雨 (静光院)」。同じ雨模様でも、これは全く異なるタッチの幻想的な風景。静光院とは、架空の寺院らしいが、もし多少なりとも近いイメージの建物を探すとすると、新薬師寺の本堂ではないか。建物のかたちも近いし、内部も、本尊薬師如来を取り囲む眷属の十二神将たちを思わせる。展覧会の図録には、「仏たちを従えた阿弥陀如来が鎮座している」とあるが・・・。
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これは、1968年12月29日に制作された「古い自転車」。知人に贈呈したもののように思われるが、78歳の自分を揶揄するような内容の文章が書かれており、この古い自転車とは、彼自身のことなのかもしれない。
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また彼は、自分が生まれた小石川の光圓寺にある大いちょうを何度も描いている。これは昭和 40年代の作品。実はこのいちょう、樹齢千年を超えると言われているが、戦時中の爆撃で焼けてしまったらしい。だが今でも焼け残った部分から、逞しく枝葉を伸ばしているとのこと。そうするとこの絵は、不染のイメージの中にある大いちょうが黄金の葉を散らしているところということだろう。ここでも古い自分を自分になぞらえているのだろうか。
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彼がはがきに絵と文を入れて実際に投函したものが沢山展示されている。夜明け前に目覚め、自らの中に神と悪魔、ジキルとハイドを感じている不染。だがその自画像は飄々としていて、深刻な精神のバランスの危機は感じさせない。鋭敏な感性を持つ芸術家なら、むしろ当然のことであろう。もっとも、上で見てきたような多彩な作風に、彼自身、複数の人格を感じる瞬間があったとすれば、その内面を少し覗いてみたい気がする。
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このように、全く未知の画家の様々な面に触れることができて、大いに触発される展覧会である。これからは時々、この展覧会の図録を見ながら、郷愁の世界に浸ることもあるかもしれない。

by yokohama7474 | 2017-08-06 23:17 | 美術・旅行 | Comments(0)