<   2017年 11月 ( 31 )   > この月の画像一覧

セブン・シスターズ (トミー・ウォルコラ監督 / 原題 : What Happened to Monday?)

e0345320_22582546.jpg
かつて我々が想像していた未来は、明るい希望に満ちたものであった。鉄腕アトムやドラえもんが人間と共存し、困った問題にはすぐに解決策が示される。大きな問題だけでなく、よしんばそれが小さな問題であっても、困難を克服することで、人類はまた次の希望を持つことができる。それこそが我々の夢見る未来であったのだ。だが、いつの間に世界は変わってしまったのであろうか。近い未来、遠い未来、なんであれ、我々がこれから迎えようとしている世界は、果たしてどの程度希望を持てるものなのであろう。この映画を見てそんなことを考えてしまった。だが待て。なぜに未来のことなのか。題名のセブン・シスターズとは、英国のドーヴァー海峡に面したこのような場所のことではないのか。
e0345320_23043423.jpg
もちろん私はこの場所を訪れたことがあって、その雄大な景色に痛く感動したのであるが、このセブン・シスターズという場所とこの映画の間には、全く何の関連もない。それもそのはず、この映画の原題は、"What Happened to Monday?" である。つまり、「月曜に何が起こったか」ということ。この映画を見た人は誰でも分かるのであるが、これは実に秀逸な題名である。残念ながら、「セブン・シスターズ」では、この題名に込められたサスペンスを到底理解することはできない。ただその一方で、この題名にはそれなりの理由があって、それはつまり、この映画の主人公は 7人の姉妹なのである。これは予告編で既に明らかになっていたことなので、ネタバレには当たらないと整理して、この映画の前提を書いてみよう。
・近未来、世界は人口増加によって深刻な食糧難に陥っている。
・その問題を解決するため、遺伝子操作によって食物の大量生産が成し遂げられた。
・それによって食糧難が克服できたと思われたが、遺伝子操作による思わぬ副作用が現れた。
・それは、人間の多産性。つまり、一回のお産で多くの子供が生まれるようになってしまった。
・そのままではまた食糧危機が起こってしまうので、政府が立てた方策は、どの家庭も一人っ子しか認めないというもの。
・だが、既に多産が起こってしまっている状況下、生まれてくる多くの子供をなんとかしないといけない。
・そこで政府は、各家庭で選ばれた一人以外の子供を冷凍保存し、将来いつか食糧問題・人口問題が解決する日に、また蘇生するという方策に出た。
・ここにひとつの家族があって、ある女性が、父親の分からぬ子供を身ごもり、その七つ子を産んですぐに死んでしまう。
・その女性の父は、自分の孫にあたるその 7人の女の子たちを秘密裏に引き取り、古いアパートの最上階にかくまう。
・その 7人の女の子たちは、月曜から日曜まで、それぞれの曜日を名前として与えられる。つまり、Monday、Tuesday .... Saturday、Sunday。
・小学校に入る年齢になると、それぞれの子は自分の名前と同じ曜日に外出し、7人で一人の人格を演じることとなる。
・その生活を続けた 7人の女性は、既に 30代に至り、社会的にも重要なポジションを得ることになる。
・だが、彼女らの行っていることは、一人っ子しか認めないという政府の方針に逆らっており、極めて危険なこと。
・そしてある日、月曜日に Monday さんが外出し、そのまま戻らない。さぁ、どうする姉妹たち???

改めて、なかなかよくできた設定だと思う。そしてこの映画は、この秀逸な設定の中で、ハラハラドキドキ、先を読ませない展開を見せるのだ。こんなに面白い映画はそうそうないと思う。これが 7姉妹。
e0345320_23305120.jpg
それぞれに全く違ったいで立ちであり、全く違ったキャラクターなのであるが、実は演じているのは一人の女優。1979年スウェーデン生まれのノオミ・ラパスである。経歴を調べるといろいろな映画に出ているが、私もそれと知ってなるほどそうかと思ったことには、リドリー・スコットの「プロメテウス」の主役を務めていた人である。名作「エイリアン」の前日譚にあたるこの映画、最高の作品と絶賛するつもりはないが、それなりにインパクトのある映画ではあった。特に、この女優が演じたこのシーンは実にエグいもので、一度見たら忘れまい。うー、ブルブル。
e0345320_23380053.jpg
この作品の中のシーンでは、随所にこの 7人の姉妹が交錯し会話していて、誰もが、一体どうやって撮ったのか不思議に思うことだろう。それぞれのキャラクターを演じるノオミ・ラパスの演技が極めて自然なので、本当に、同じ顔をして違うテイストを持った 7人が存在しているのではないかと思うほどだ。それゆえ、Monday が行方不明になった翌日に Tuesday が何食わぬ顔で外出するところから、本当にハラハラするのである。これ、ひとりの女優が演じていると信じられますか?
e0345320_23434418.jpg
設定がうまく出来ている上に、話の流れを作るのが大変に巧いので、見ている人はどんどん引き込まれていく。スリルとサスペンス、そしてそこはかとないユーモア。そのストーリーの展開において、次々と襲い掛かる試練に立ち向かう姉妹たちに、観客はそのうち深く感情移入することになる。そして大詰めでは、最初に行方不明になった Monday に一体何が起こったのかが明らかになり、おぉなるほど、この映画の本質はまさに「Monday に何が起こったか」であることに気づくのである。これは秀逸な映画である。しかも、姉妹たちの祖父にウィレム・デフォー、一人っ子政策を強く推進する政治家にグレン・クローズが配されていて、その演技のレヴェルは極めて高い。
e0345320_23513593.png
e0345320_23524731.jpg
この映画を監督したのは、ノルウェイ出身のトミー・ウィルコラ。主演女優と同じ 1979年生まれで、これまでマニアックな映画を 4本撮っているが、日本で劇場公開されるのは本作が初めてとなるらしい。今後は注目する必要があるだろう。
e0345320_23563955.jpg
つまりこの映画は、ともに北欧生まれの監督と主演女優によってこれだけ面白いものになったわけだが、実はほかの役者にもノルウェイ出身がいて、さながら北欧の才能が結集した感さえある。このような映画を見ることができる我々は本当に恵まれている。ただ、現在上映しているのは新宿のシネマカリテのみで、12/1 (金) が最終上映日である。それまでに一人でも多くの人に見て頂きたいと、お薦めしておこう。

それにしても、これから数十年後の世界がどうなっているか、想像することも難しい。まさかこの映画で描かれているような事態が現実に起こっていることはないとは思うが・・・。いずれにせよ、映画は嘘の塊であり、その嘘をいかにリアリティを持って描くかに醍醐味がある。この映画のように立派な嘘をつければ、見る価値があろうというものだ。そんな映画の題名として、"What Happened to Monday?" から「セブン・シスターズ」に変えられてしまう点にはしかし、大いに疑問を感じる私である。これはいささか困った問題ではないかと、Monday (モンダイ) さん自身が言っておられます (笑)。だからこの映画の邦題は、「Monday の問題」とでもすればよかったのではないですかね。
e0345320_00073882.jpg

by yokohama7474 | 2017-11-29 00:08 | 映画 | Comments(0)

メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール

e0345320_00535640.jpg
これから私が語り始めるのは、フランスの名指揮者シルヴァン・カンブルランが、自ら常任指揮者を務める読売日本交響楽団 (通称「読響」) を指揮して行った、オリヴィエ・メシアン (1908 - 1992) の超大作オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」の全曲日本初演についてである。最初に言ってしまうと、ここで読響は間違いなく楽団史上屈指の大イヴェントを成功させたばかりか、日本のオーケストラ史上に残る大きな業績を打ち立てたのである。しかもそれが、名だたる世界の名オーケストラがひっきりなしにやってくる時期の東京でとなると、やはりその意義には最大限の敬意を表する必要がある。東京の音楽文化のレヴェルを、我々自身が再認識する素晴らしいきっかけとなった演奏会であった。

今回の演奏会は、サントリーホールで 11/19 (日) と、その一週間後の 11/26 (日) の 2回、そして、このプロジェクトを共同企画したびわ湖ホールで 11/23 (木・祝) にと、合計 3回開かれた。私が聴いたのはその最後のものであったが、通常の公演よりも高い価格設定であったにもかかわらず、東京公演は 2つとも完売で、このような珍しい曲目に対する東京の聴衆の好奇心がそれだけからも伺いしれて、実に興味深い。この日の演奏は、14時に開始して、35分の休憩を 2回挟んで、終了は 19時40分。実に 5時間半を超える大スペクタクルであった。ではまず、この曲について簡単に触れ、私自身の思い入れ (以前も書いたことがあり、繰り返しで恐縮なるも) についても少し語らせて頂く。これが 11/19 のサントリーホールでの演奏風景。
e0345320_21145715.jpg
メシアンはもちろん、フランス 20世紀を代表する真に偉大な作曲家であり、敬虔なカトリシズムに依拠し、しばしば鳥たちの声を題材として、神秘的な曲の数々を書いた人。このオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」は、12世紀から 13世紀にかけてイタリアのアッシジで活躍し、鳥の声を解したという聖人で、キリストと同じ箇所に傷 (聖痕 = スティグマ) を受けたという伝説のある聖フランチェスコを主人公とした、メシアン唯一のオペラである。1983年11月にパリ・オペラ座で世界初演されたのであるが、その時に指揮を取ったのが、ほかならぬ小澤征爾であった。当時そのことはかなりのニュースになって、この正味 4時間半を超える超大作を小澤が全曲暗譜で指揮したとか、そもそもメシアンは作曲の過程で小澤の音を常に念頭に置いていたとか、あるいは、宗教的な題材を扱うならなぜキリスト本人についての作品を書かないのかと質問を受けたメシアンが、「それは恐れ多い」と答えたとか、様々な情報があった。実は、その世界初演において小澤が指揮をする様子を映した鬼気迫る動画が、我が家のアーカイブのどこかにあるはずなので探してみたが、残念ながら見つけることができなかった。だがこの作品の世界初演は、明らかに偉大なる音楽史の 1ページであり、小澤という音楽家の記した歴史的な足取りであることは間違いない。その時のライヴ録音は、今や入手困難になっているようなので、ここで私が所有するセットの写真を掲載しておく。4枚組 CD が、写真下部にある灰色の紙ケースに入っている。
e0345320_21345884.jpg
その小澤はまた 1986年 3月に新日本フィルを指揮して、目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、この作品の一部 (全曲 8景のうち 3景) をオラトリオとして日本初演している。実はこのコンサート、私のこれまでのコンサート歴において未だに 5指に入る、まさに鳥肌ものの超名演であり、正直なところ、私が今でもクラシックコンサートに足繁く通うのは、この日の演奏会で音楽の素晴らしさを実感したから、と言っても過言ではないくらい、私にとっては重要な出来事であったのだ。カーテンコール時に、真っ赤に紅潮した作曲者メシアンが、ステージで小澤を抱擁しているところを、若い私も紅潮しながら呆然と見ていたことを、鮮明に覚えている。そのときの新聞記事から、メシアン、彼の夫人であるイヴォンヌ・ロリオ、そして小澤の写真。当日のプログラムと、サイン会もなかったのに、興奮した私が会場でメシアンにボールペンを渡してプログラムに無理矢理書いてもらったサイン。
e0345320_21421737.jpg
e0345320_21423790.jpg
e0345320_21425239.jpg
実は私は幸運にも、このとき以外にも 2回、この作品の実演に触れる機会があった。ひとつは 1999年11月マドリッドにて、アントニ・ヴィト指揮スペイン国立管弦楽団による抜粋版の演奏。もうひとつは 2008年 9月ロンドンのプロムスにて、インゴ・メッツマッハー指揮のハーグ・フィルで、このときは演奏会形式ながら全曲の演奏であった。そして今回も、演奏会形式ではあるがこの超大作が、カンブルランと読響によって全曲日本初演されるという歴史的な場に立ち会うことができたのである。今回のプログラムに、この演奏会に寄せる小澤征爾のコメントが載っていて、それは、「自分が敬愛する作曲家メシアン先生が唯一作曲したオペラの指揮を私に任せてくれたことを今でも懐かしく思い出します。今回、日本で全曲が演奏されると聞いて、とても嬉しいです」というシンプルなものだが、小澤らしくてよいではないか。

さて、今回はいつも以上に前置きが長いが (笑)、それはこの演奏会の意義を再確認しておきたかったからである。読響の常任指揮者を務めるカンブルランは、現代音楽も得意にしていて、このメシアンも、既にトゥーランガリラ交響曲や「彼方の閃光」などの大作を読響で指揮している。そして彼は、1992年にパリ・オペラ座で再演されて以来何度もこの作品を手掛けており、世界で最も多くこの作品を指揮した実績のある人なのである。
e0345320_22164402.jpg
そのことは、彼の指揮ぶりを見ていてよく分かった。この作品、上述の通りワーグナーの大作並の演奏時間を持つのであるが、実は内容は決してとっつきにくくもしんねりむっつりもしておらず、ワーグナーほどの重量感や冗長感もない。何度も何度も出て来る主人公聖フランチェスコのテーマや、炸裂しては沈黙するオーケストラ、百花繚乱の鳥の声、そして、ひたすら木琴類 (シロフォン、シロリンバ、マリンバ) が複雑なリズムで鳴りまくる箇所が、不思議な陶酔感を醸し出すのであるが、カンブルランは木琴類だけが鳴り渡る数分間でも、休むことなく強い集中力をもって指揮棒で空間を切り裂くという正確な指揮を続け、それはそれは圧巻である。よい意味での職人性を持つ彼の指揮は、過たず作品の本質を突き、ただひたすら核心に向かってひた進む。この作品で 3台も使われている電子楽器オンドマルトノは、ステージ奥のオルガン横、そして左右、ホールの真ん中あたりに位置しており、何度も何度も奇妙な音響を立ち昇らせるが、あたかもそれが何かの典礼のようにも聞こえてくる。そしてもちろん、大団円での想像を絶する大音響では、まるで音の勢いが爆風さながらにホール全体を揺らすような圧力を持ち、キリスト教徒ではない我々の前にも、あたかも神が顕現したかのようなヴィジョンを見せてくれた。まるで 4時間半が一連の壁画であるような演奏であったと言ってもよい。この作品は 3幕、8景でできていて、その内容は以下の通り。
 第 1幕
  第 1景 : 十字架
  第 2景 : 賛歌
  第 3景 : 重い皮膚病患者への接吻
 第 2幕
  第 4景 : 旅する天使
  第 5景 : 音楽を奏でる天使
  第 6景 : 鳥たちへの説教
 第 3幕
  第 7景 : 聖痕
  第 8景 : 死と再生

それぞれの場においては、聖フランチェスコの独白や弟子たちとの対話、また、重い皮膚病患者の接吻による治癒という奇跡や、旅人を装って弟子たちと会話する天使、そして、聖フランチェスコが聖痕を受ける場面と、最後に天に召される場面などが出てくる。つまり、物語として一貫性のあるものではなく、それぞれのシーンにおける神秘性や法悦性が曲の重点なのであり、オペラと言いながらも、序曲もなければ重唱やアリアもない。それゆえ、下手をすれば単調になる恐れのある作品だが、ひたすら強い集中力によって統率するカンブルランに、その手兵である読響が充分すぎるくらいの反応を示すことで、大変説得力のある演奏になったことを、とにかく喜びたい。それから、新国立劇場合唱団とびわ湖ホール声楽アンサンブルによる合唱も、過酷な長丁場の要所要所を素晴らしい内容でこなしており、最大限の敬意を表したい。歌手陣では、主役の聖フランチェスコを歌ったヴァンサン・ル・テクシエ (バリトン) は安定した出来であったし、天使役のエメーケ・バラート (ソプラノ) は、高音部の力強さがあればもっとよかったが、非常に美しい歌唱。それから、重い皮膚病を患う人を歌ったペーター・ブロンダー (テノール) は、その表現から「指環」のミーメを思わせたが、実際にバレンボイムの指揮でその役を歌った実績があるという。さらに、少ない出番ながら、兄弟エリアを歌ったジャン=ノエル・ブリアン (テノール) は張りのある美声で印象的だったし、兄弟ベルナルド役の妻屋秀和 (バス) も、日本を代表するバス歌手として貫禄充分であった。これはリハーサル風景。
e0345320_22502974.jpg
このような曲が演奏される 2回のコンサートが完売になる東京は、やはり本当に文化的な街である。我々は、今回の演奏の成功に惜しみない拍手を送るとともに、それを享受できる東京の文化的状況を誇りに思いたい。だが、最後にひとつだけ、気になることを書いてみよう。それは、聴衆の年齢層である。そもそも東京は、欧米のほかの大都市に比べて、クラシックのコンサートにやってくる聴衆の年齢層が若いという評価であったはずだ。それが今回、かなり年齢層が高いことに気がついた (私などは、もしかしたら平均年齢以下かもしれないと思われるほど・・・ちょっと誇張かな 笑)。これは若干奇異ではないか。しばらく前までなら、このような伝統的でない曲目のコンサートには、ちょっとユニークな服装をした若者も、少しは姿を見せていたように思う。全身黒づくめで血圧の低そうな女性とか、「オレのロック魂がメシアンの鳥たちと鳴きかわすぜ」とうそぶくロッカーとかが、本来会場にいるべきではなかったか。これからますます高齢化社会となり、コンサート会場で若者の姿を見ることが減って行くことになるのだろうか。それはクラシック音楽の将来にとっては、あまりよくないことだと思うのである。だからといって私に今すぐ何ができるわけでもないが、今回のような特別な曲の特別な演奏は、別に黒づくめやロッカーでなくてもよい、普通の若者にもっと聴いて欲しかった。31年前の私も、そんな若者であったわけで、若き日の感動が一生残るという意味では、それはかけがえのない経験であるはずなのだ。この記事を読まれる若い方々 (どのくらいおられるのか正直全く分からないが) には、是非この言葉を参考にして頂きたいものだと考えております。

by yokohama7474 | 2017-11-27 23:04 | 音楽 (Live) | Comments(2)

秋山和慶指揮 東京交響楽団 (ヴァイオリン : 佐藤玲果) 2017年11月25日 東京オペラシティコンサートホール

e0345320_22340048.jpg
このところしばらくは、贅沢この上ない世界最高クラスのオーケストラをとっかえひっかえ聴いてきたわけであるが、さて、それだけで本当によいのであろうか。もちろん、世界のトップオケの演奏には必ず何か発見があるもの。だがしかし、21世紀の東京に暮らす身としては、やはり「おらが街の」オーケストラもじっくり聴いてみたい。それこそが、東京が世界に発信できるはずの価値あるものであるべきだからだ。ただ問題は、この東京における「おらが街の」オーケストラは、フル編成のものだけで実に 9団体も存在するのだ!! これは間違いなく世界一であろうし、しかもそれぞれが独自の指揮者陣によって高度な活動を展開しているわけであるから、東京でおらが街のオケをフォローするだけでも、それはなかなかに大変なことなのである。だが、このコンサートなどはさしずめ、私のような人間にとっては必聴のものだ。なぜなら、私の敬愛する、今年 76歳になる巨匠、秋山和慶が、長年天塩にかけた東京交響楽団 (通称「東響」) を指揮して、何やら面白いプログラムを演奏するというのだ。どのくらい面白いかというと、このくらい面白いのだ。
 ロッシーニ : 歌劇「ウィリアム・テル」序曲
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : 佐藤玲果)
 オッフェンバック : 喜歌劇「天国と地獄」序曲
 サティ (ケネディ編) : スポーツと気晴らし
 マルティヌー : ハーフ・タイム
 オネゲル : 交響的運動第 2番「ラグビー」

どうです、面白いでしょう? 上のチラシにある通り、このコンサートのテーマは「スポーツと音楽」。つまり、運動会で使われる曲や、スポーツそのものをテーマにした曲を集めてあるのである。私なりにもう少し分析を加えると、前半と後半、それぞれの冒頭に、「ウィリアム・テル」序曲と「天国と地獄」序曲を配したのは、この 2曲の作りが似ているからである。そして、前半では 20世紀初頭に書かれたシベリウスのコンチェルト (終楽章がまるで運動会のような曲)、後半ではやはり 20世紀初頭、1910 - 20年代のパリに因む曲なのである。大変に考え抜かれたプログラムであり、さすが名伯楽秋山の面目躍如たるものがある。
e0345320_23551203.jpg
いや実際、この演奏会の楽しかったことと言ったら!! 「ウィリアム・テル」序曲とか「天国と地獄」序曲といった曲は、あれこれ出て来るソロが巧くなくてはならず、そして何より、オケのメンバーが真面目に、かつ楽しく演奏しないといけない。今回はまさにそのような、真面目かつ楽しい演奏であったのだが、オケにおける最大の功労者はこの人だろう。
e0345320_00005689.jpg
2013年からこの東響のコンサートマスターを務める、水谷晃。1986年生まれというから、今年 31歳。実は既に 2010年に、群馬交響楽団に国内最年少のコンマスとして入団している。東響には長らく大谷康子という素晴らしいコンマスがいたが、彼女が退団しても、このように素晴らしいコンマスが後を継ぐのだから、東京のオケは侮れない。今回のコンサートにおいて水谷は、終始笑顔を絶やさずにオケをリードし、「天国と地獄」における自身のソロも完璧な出来。実に心強い。もともと日本人は顔の表情があまり豊かでない人が多いが、この水谷の演奏から、これから日本人に必要な資質を学びたいと思う。それから、このオケのオーボエのレヴェルは、以前音楽監督ジョナサン・ノットの指揮する「コジ・ファン・トゥッテ」の演奏会の記事でも書いたが、それはそれは素晴らしいもの。2人の若い女性首席奏者がいて、その名は荒絵理子と荒木奏美 (今回のトップは後者)。アラアラコンビだが、全くアラアラと思うほど、その演奏は素晴らしい。今後東響の演奏を聴く機会のある方は、是非オーボエに注目して頂きたい。
e0345320_00103282.jpg
e0345320_00104334.jpg
そこに加わったのが、秋山の絶賛を得てソリストとして登場した、ヴァイオリンの佐藤玲果。1999年生まれで、現在東京藝術大学音楽学部附属音楽高校の 3年生。
e0345320_00162210.jpg
ステージマナーも初々しい佐藤は、シベリウス初期の傑作であるヴァイオリン協奏曲を弾いたのだが、やはり、フレッシュな音楽家の演奏はいいものだと思わせる内容であった。技術的には申し分なく、伸び伸びと弾いているところに好感が持てた。もちろんこの曲にも陰影があり、その表現は、佐藤が今後経験を積むにつれ、さらに深いものになって行くだろう。

そして、このコンサートの醍醐味は、なんと言っても最後の 3曲。いずれもスポーツに関係する曲だ。サティの「スポーツと気晴らし」はもともとピアノ曲で、この作曲家のファンである私は、高橋アキの録音でそれなりに聴いてきたが、ここではトーマス・ケネディ (1953 - 2007) の編曲による、全 21曲から 14曲を抜粋して曲順を入れ替えたヴァージョンでの演奏。14曲もありながら、演奏時間はわずか 10分ほど。いかにもサティらしい、皮肉でとぼけた味わいの曲で、まあそもそもサティとスポーツほど遠いイメージもないように思うが、この曲の中では、男性打楽器奏者が細長い木の棒をゴルフのクラブ代わりにしてスウィングし、その後膝の上で真っ二つにするというパフォーマンスもあり、生演奏ならではの面白みがあった。次のマルティヌーの曲は、名前はそれなりに知られているが、実際に演奏されることはかなり稀な作品。マルティヌーはもちろんチェコの作曲家であるが、1920年代にパリで学び、洒脱なモダニズムを身に着けた。この「ハーフ・タイム」はまさにその頃、1924年の作。彼はサッカー・ファンであり、ハーフ・タイム中の観客の喧騒や、サッカー選手の身のこなしを音楽にしたという。冒頭からいきなり、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を思わせるような、色彩が明滅する面白い曲。これもわずか 10分弱の短い曲であるが、秋山と東響の演奏は、その持ち味を充分に出したもので、マルティヌーという作曲家をもっと知りたいと思ったことであった。そして最後はオネゲルの「ラグビー」である。これは交響的運動第 2番 (という訳が正しいのか否かよく分からない。なぜなら英語の "Movement" は、日本語では「運動」であると同時に、音楽における「楽章」でもあるからだ) と題されている。では、その交響的運動第 1番は何かというと、有名な「パシフィック 231」。疾走する機関車を描写しながら、実はバッハのコラール前奏曲へのオマージュでもあるこの作品に比べて、この「ラグビー」の知名度は若干低い。録音もあまり多くなく、私はジャン・マルティノンの録音でしか聴いたことがない。また、チューリヒ・トーンハレ管が、当時の音楽監督であった若杉弘と来日した際に聴いた記憶があって、調べてみるとそれは 1990年のこと。気がつけば随分前のことだが、多分生演奏でこの曲を聴くのはそれ以来だろう。ここでも秋山と東響の演奏は切れもあり愉悦感もありで、素晴らしい。曲自体も、ラグビーの運動性を描写していて派手であるが、よく見ると打楽器が全く使われていない。これは意外であった。ラグビーのイメージ写真を掲載しよう。
e0345320_00410206.jpg
そして、どうやらアンコールがありそうだったので期待して見ていると、打楽器奏者がゾロゾロ入ってきて、始まったのは、あの有名なカバレフスキーの「道化師」から「ギャロップ」だ。誰でも聴いたことのある賑やかな曲で、コンサートの締めくくりを大いに盛り上げた。改めてこの秋山という指揮者の活動の多様性を思う。やはり、東京の文化を実感するには、来日オケを聴いているばかりではなく、このようなおらが街のオケの意欲的な試みを体験する必要があるだろう。会場では、今回の曲目とは全く異なる曲、ベートーヴェンの第九の新譜 CD を売っていたので購入した。昨年の年末のライヴ録音である (私もその演奏を生で聴いた)。このコンビの第九の録音は以前もあったと思うが、また新たに期すところがあるのだろう。今後もこのコンビは極力聴いて行くことにしたい。
e0345320_00510985.jpg

by yokohama7474 | 2017-11-27 00:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル (ピアノ : ユジャ・ワン) 2017年11月24日 サントリーホール

e0345320_23110014.jpg
サイモン・ラトル & ベルリン・フィル、最終章。いよいよ東京での演奏会である。11/24 (金)、25 (土) の 2回、サントリーホールで開催されるこのコンビのコンサートは、今年の数々の一流オケの来日の中でも、最もチケット争奪戦の激しかったもの。会場前には、「チケット求む」の紙を持って佇む人の姿が、どうだろう、6 - 7人はいただろうか。ただ、その方法ではなかなかチケットをゲットするのは難しかろう。その一方で会場には、「招待券受付」という窓口があって、スポンサーである TDK の関係者や得意先の方々は、そちらを利用したのであろう。もちろん、オーケストラコンサートにとって、スポンサーは不可欠な存在で、そのスポンサーが招待券を配布することには全く問題がない。だが、一方で純粋に音楽を聴きたくてもチケットが手に入らない人と、必ずしも音楽に興味がなくとも招待されたから会場に赴くという人とがいるだろうことは、なんとも皮肉なことではある。かく言う私も、なんとか最安席を 2次マーケットで (もちろん定価で買えるわけはない) 入手した口なので、純粋にこのコンサートを聴きたかった人たちの気持ちはよく分かる。いや、正確には今回、当日券をゲットできるかもしれないチャンスがあったのだ。その経緯は以下の通りだ。前回の記事で書いた通り、もともとこのコンサートのソリストとして予定されていたピアニスト、ラン・ランは来日中止となり、その代役としてユジャ・ワンが登場することとなった。そこで主催者は、ラン・ランのキャンセルによるチケットの払い戻しを認め、そこで返されたチケットを、当日希望者に抽選で販売するという策に出たのである。これはかなり良心的なことではあると思うのだが、ラン・ランなら聴きたいがユジャ・ワンには興味がないからチケットを払い戻すという判断をした人がどのくらいいたのか、大変興味があるのである。それにしても、この左手首が腱鞘炎とは・・・。やはりラン・ランも人間だったのである (笑)。
e0345320_00510679.jpg
この日の曲目は以下の通り。
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「ドン・ファン」作品20
 バルトーク : ピアノ協奏曲第 2番 (ピアノ : ユジャ・ワン)
 ブラームス : 交響曲第 4番ホ短調作品98

なるほど、前日は真ん中に現代曲を置いたロシア音楽プロ、今回は真ん中に協奏曲を置いたドイツ音楽プロである。さて、それが関係しているのか、コンサートが始まる前に舞台を見渡して気づいたことには、前日の川崎でのコンサートはそうではなかったのに、今回は、ヴァイオリンが左右対抗配置になっているのである!! つまり、前日は指揮者の左手から右回りに、第 1ヴァイオリン、第 2ヴァイオリン、チェロ、そして指揮者の右側がヴィオラ、その奥がコントラバスであったのに対し、今回は第 2ヴァイオリンとヴィオラの位置が入れ替わっていたのである。うーん、今回の曲目で、ブラームス 4番の第 1楽章あたりにはヴァイオリンが交互に歌う箇所もあるから対抗配置が効果的ともいえ、またバルトークのコンチェルトの第 1楽章では弦楽器が完全に沈黙するので、対抗配置であろうとなかろうと関係ない部分もあるので、前日と違う配置でも問題ないという判断だろうか。そう思って彼らの演奏風景の写真を見てみると、ヴァイオリンが対抗配置になっているものも、そうでないものもある。また、ヴィオラとチェロの位置が逆のときもある。やはり、ホールの特性やメインの曲目によって、配置を替えているということだろうか。
e0345320_00444641.jpg
ともあれ、音楽を聴いてみよう。最初の「ドン・ファン」はもちろん天下の名曲で、このような高性能のオケによるコンサートのオープニングには最適なのであるが、プログラムに掲載されているラトルのインタビューによると、この曲は自分がベルリン・フィルの首席に着任した頃に採り上げ、今回は久しぶりだが、カラヤン (この曲を得意とした) の死後、あまりこのオケで演奏されていなかったという。なるほど。だがやはりベルリン・フィルほどこの曲を演奏するのに相応しいオケもちょっとないだろう。いきなり突風のように吹き抜ける弦楽器はまさに一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルだし、オーボエのソロ (今日はマイヤーではなかったが) も実に繊細。ラトルの指揮はいつもの通り、グイグイ進めるところと抒情的に歌うところを微妙に (決して強引にではなく) 色分けして、曲の持ち味を最大限に引き出すもの。ほんのわずか、ホルンに不揃いの箇所があったようにも聞こえたが、それを除けば、まずは完璧の出来である。

そして 2曲目にユジャ・ワン登場だ。この驚異のピアニストについてはこのブログでは以前散々書いているので、詳細は省くが、次にその演奏を日本で聴けるのは来年 3月のニューヨーク・フィルの来日まで待つ必要あると思っていた私のような人間にとっては、もちろんラン・ランも聴きたかったが、その代役をユジャ・ワンが務めるという事態に、まさに快哉を叫びたくなる。彼女のベルリン・フィル・デビューは 2015年 5月。パーヴォ・ヤルヴィの指揮でプロコフィエフの 2番のコンチェルトを弾いた。今回は野性味の強いバルトークのコンチェルトであるだけに、期待が高まる。これは、楽団のサイトから拝借した、日本公演に先立つ中国ツアーにおける武漢でのリハーサルと本番の模様。あっ、この衣装は今回のものと同じものではないか。
e0345320_01100762.jpg
e0345320_01102747.jpg
今回のバルトーク、私の席からは残念なことにピアノの音が聴こえにくく、全体としてちょっとオケの音量が大きかったような気がする。だが、ユジャ・ワンの超絶的な腕の動きを見ていると、ピアノを打楽器として使っているようなこの曲の本質が見えてくるような気がした。前述の通り、第 1楽章は弦楽器は一切登場せず、オケは打楽器と管楽器だけなのであるが、第 2楽章に入ると、遠い夕焼けに溶けて行く景色のような微妙な色合いが、弦楽合奏によって示される。美しい瞬間だが、まるでアイヴズの「宵闇のセントラルパーク」の冒頭のような浮遊感や神秘性があり、ベルリン・フィルの弦の音は実に素晴らしい。この楽章では今度は金管楽器が登場しない。第 3楽章は慌ただしく変転する音楽で、ここでは様々な楽器が鳴り響く。そんな多彩な音楽的情景の中を泳いで行くユジャのピアノは、もちろん技術的に完璧であるだけでなく、確固たる自信を感じさせるもの。ただ惜しむらくは、打鍵の強さがもっとあれば、私のような安い席の聴衆にまで、その強い音楽が届いたのに、と思う。そして、演奏終了後はラトルとともに何度か舞台に登場したが、ラトルが舞台奥のハープ奏者の席 (ここが空いていたのは、「ドン・ファン」ではハープは使われたが、バルトークでは使われなかったからだ) に座って舞台上の一聴衆となり、アンコールとしてラフマニノフのヴォカリーズが演奏された。冒頭はちょっとコントロールしすぎで流れが悪いように思ったが、その後は抒情性をよく表現していた。そして 2曲目は、指揮者とコンサートマスター (今日も樫本大進) の方に、「まだ時間大丈夫かしら」という物問いたげな視線を向け、「まっ、やっちゃいますか」とばかり弾き出したのは、昨年のリサイタルのアンコールでも弾いた、プロコフィエフの 7番のソナタの終楽章。これはいつもと変わらぬ完璧な演奏で、ラトルもしきりに拍手をしていた。

そしてメインのブラームス 4番は、言うまでもなく天下の名曲。この晩秋の雰囲気に相応しい、人間の孤独と暗い情熱を感じさせる曲である。ここでもラトルとベルリン・フィルは素晴らしい演奏を展開した。いつもの通り、弦楽器はからだ全体で分厚い音を出し、木管はクリア、金管は輝かしい。冒頭のため息のような音型はなかなかに情感豊かに演奏され、全曲の至るところで纏綿たる情緒が歌われた。だがそこはラトルで、決して重くなりすぎることはなく、なんというか、あまり凹凸のない平らな地面をグイグイ力強く進んで行って、気がつくと地面は摩擦で熱を帯びているという印象。これはなかなか言葉にしにくいのだが、私がいつも感じるラトルの音楽の特性だ。つまり、極端な緩急はつけず、また、鳴っている音たちの広がりや、その深さ高さというよりも、むしろ強固な平面としてのつながりを思わせる音作り、という印象なのである。このスタイルは、いかなる音楽にも対処できるので、ラトルの音楽が情緒的すぎたり、無味乾燥であることはまずない。それはもちろん見事な演奏なのである。だが、前日のラフマニノフの演奏について少し書いた通り、時にそれは、鳴っている音の圧力は感じても、心底感動する音楽にならない、ということはないだろうか。世界最高の指揮者と世界最高のオケのコンビをこんな風に書くと、気分を害される方もおられると思うが、1985年のフィルハーモニアとの初来日に始まり、バーミンガム市響、ウィーン・フィル、そしてベルリン・フィルとの組み合わせを日本で聴き、ロンドンでも、オペラや、古楽オケとの共演を聴いたこともあるこのラトルという指揮者の過去の印象から、どうも私にはその印象が抜けないのだ。過去の演奏でとりわけ心に残っているのは、東京オペラシティで聴いたバーミンガムとのマーラー 7番で、それは、大変熱心に練習をするオケを、波に乗る若手指揮者が強力に統率したという演奏だった。その時に持つこととなった、平面が摩擦でチリチリ燃え始め、ついにはそこで音楽が牙を剥くという印象は、今も変わらない。変わったのは、もとから世界一流のオケが相手であるということであり、ひたすら完璧を目指すことによって、逆に新たな境地が見えなくなるというジレンマが生じたことではないか。それを避けるため、あの手この手で曲目に工夫を凝らしてきたラトルであり、彼なりの進化は当然見て取れるものの、ベルリン・フィルとのコンビではもうこの先はないほどの境地に達してしまい、今後の展望が見えにくくなってしまったのではないか・・・。今回のブラームスを聴きながら、彼の過去の演奏も思い出し、少し複雑な気分を味わうこととなったのである。ただこれは、私の思い入れゆえの評価かもしれず、前日のラフマニノフ同様、今回のブラームスを名演と呼ぶことに、私は躊躇しない。その一方で、来年 9月にラトルが新たな手兵であるロンドン交響楽団を引き連れて来日する際、同じブラームス 4番を演奏するということが、私の中の大きな期待になっている。同じ曲を選んだことに何か意味があるのだろうか。自分の耳で確かめたい。...と書いた後に気づいたことには、それは間違いで、その演奏会、来年 9月29日(土) のメインは、ブラームス 4番ではなく、正しくはシベリウス 5番であること発見。演奏会の長さとしても、曲の座りとしてもその方が適当であろうから、最初の発表は、もしかすると誤りであったのかもしれない。大変失礼しました。

今回もラトルは日本語で、「ミナサン、ドウモアリガトウゴザイマス」と客席に呼び掛けたが、今回はそれ以上のコメントはなく、曲目紹介だけでアンコールが始まった。ドヴォルザークのスラヴ舞曲作品72-2。スローで抒情的な曲で、ブラームスの人間悲劇のあと、これは恰好のデザートとなった。この曲はちょうど、打楽器としてはティンパニ以外にはトライアングルしか使われておらず、ブラームス 4番のあとに演奏するにはちょうどよい編成であった。

東京公演はもう 1回、11/25 (土) にサントリーホールで開かれる。曲目は、既に川崎で聴いたものと同じなので、私は聴きに行かないが、ラトルとベルリン・フィルの最終章を、多くの聴衆が堪能することだろう。そして、オケ、指揮者それぞれの次のステップを期待しよう。たまたま上で、ラトルのバーミンガム時代のことに触れたので、青年指揮者ラトルへの多少のノスタルジーを持って、その頃に録音されたシベリウス 2番 (1984年) のジャケットを掲載して、この記事を終わりにしよう。
e0345320_02024949.jpg

by yokohama7474 | 2017-11-25 02:04 | 音楽 (Live) | Comments(0)

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル 2017年11月23日 ミューザ川崎シンフォニーホール

e0345320_08331162.jpg

e0345320_23110014.jpg

さて。以前、ロイヤル・コンセルトヘボウ管の記事で予告した、アレの到来である。アレとはもちろん、クラシックファンには説明の必要もない。だがこのブログは、そうでない方々にも読んで頂ける内容を目指している関係上、改めて申し上げよう。世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルの来日である。これはこの秋の一流オケの連続襲来の中でも、間違いなくクライマックスをなすもの (だが誤解なきよう、この後にも大注目の来日オケが複数公演を控えている)。チラシを見ると、「ラトル & ベルリン・フィル、最終章。」とある。「アウトレイジ」ではあるまいし、一体何が最終章なのか。もちろんそれは、英国リヴァプールに 1955年に生まれた今年 62歳になる名指揮者、サー・サイモン・ラトルが 2002年以来続けてきたベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督の地位を、来年 2018年で退任するためである。今回の日本での演奏会は、川崎で 1回、東京で 2回の計 3回。ほかのオケよりもさらに高いその値段にもかかわらず、チケットは発売と同時に完売。今年注目度 No.1 のコンサートであることは間違いない。そうそう、これは今回のコンサートとは関係ないのだが、やはり書いておかねばならないのは、11/24 (金) のサントリーホール公演では現在最高のピアニストのひとり、日本でも大人気のラン・ランがソリストとして登場する予定であったが、左腕の腱鞘炎が完治しないために来日を断念。その代役は・・・実は私は、数百年前のことにはいろいろ興味があるくせに、何事によらず最新情報には疎い人間で、今回のコンサート会場でプログラムを買うまで知らなかったのだが、11/1 の時点で既に発表されていた情報によると、その代役の名は・・・なんとユジャ・ワンなのである!! ラン・ランの代役でユジャ・ワンとは、たまたま二人とも中国人と言っても何の意味もなく、とにかくすごいことになった。これについてはまた次の記事で書くことになろう。
e0345320_23364087.jpg

まずはこの日の曲目から。
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
 陳銀淑 (チン・ウンスク) : ChorósChordón(日本初演)
 ラフマニノフ : 交響曲第 3番イ短調作品44

技術的にも音楽的にも、なんという難易度の高いプログラムだろう。オーケストラ音楽もこの時代になると、誰もが知るスタンダードな名曲ばかり繰り返し演奏していては刺激がない。ラトルが以前から展開してきた、クラシック音楽の新たな地平を切り拓く活動は、今でも変わらないし、今後も変わらないだろう。もちろん賛否両論であることは自身百も承知であろう。だがそれにしてもこのプログラム、私のような人間にとってはもう、よだれが出るほど興味深いものだ!!

今回は会場であるミューザ川崎 (ラトルのお気に入りのホールである) で、本番前の最終リハーサルに立ち会うことができたので、その様子をまず書こう。本番開始は 17時であったところ、リハーサルは 15時から約 1時間とのことであった。ホールの 2階 CB ブロックと 3階 Cブロックが開放され、自由席での見学となった。ラフな格好で思い思いに練習するメンバーであったが、この日の曲目であった「ペトルーシュカ」以外に、なぜか R・シュトラウスの作品の断片が聴こえてきた。サントリーホールでの公演曲目になっている「ドン・ファン」はまだ分かるとしても、家庭交響曲やホルン協奏曲第 1番など。あ、後者を吹いていたのはホルンです。やはりホルン奏者にとってはシュトラウスは、ちょっと吹きたくなるレパートリーなのだろうか (笑)。ラトルは 14時52分頃に登場。T-シャツ姿だと腹が堂々としていて、若い頃からこの指揮者を聴いてきた身としては、若干複雑な感情だ。彼は譜面台に乗っていた大きな木の板と、その上に置いてあったスコアを自らどけたのだが、もちろんそんな台を必要とする大きなスコアは、今日のチン・ウンスクの曲だろう。きっと午前中にもリハーサルがあって、その曲を練習したのだろう。楽員ほぼ全員が揃い、思い思いの音をさらっている中、14時58分にコンサートマスターの樫本大進が登場。その後 3人の女性スタッフが入れ代わりに恐らくは Housekeeping 事項を楽員に伝え(最初の挨拶は「メリークリスマス!」)、そしてリハーサルが始まった。結果的に、ラフマニノフ 3番を 40分、「ペトルーシュカ」を 10分練習して、15時50分頃の終了となったのだが、我々が座った場所はステージから遠いので、ラトルの指示はほとんど聞こえない。ただ、指示は英語で行っていて、練習番号のみドイツ語であったようだ。ラフマニノフは冒頭からだったが、最初にクラリネットとホルンが弱音で演奏したあとに弦楽器がダーッと入る箇所で、ヴァイオリン奏者たちはすり足をして、わざと床をざぁーっと鳴らし、そのドラマティックな音の雪崩れ込みをユーモラスに、また余裕をもって表現した。非常にまじめなイメージのベルリン・フィルであるが、リハーサルではこんな楽しげなこともあるのは面白い。その後ラトルはかなり頻繁にオケを停め、弦楽合奏の表情などに注文をつけていた。極めてロマンティックでハリウッド風の第 2主題を何度もやり直していたのが印象的であった。第 2楽章は主として中間部のマーチ風の部分、第 3楽章も途中から終結部までをさらった。そして、続く「ペトルーシュカ」は、ほんの数か所を確かめるように練習したのみで終了した (オーボエのアルブレヒト・マイヤーがラトルに対して英語で、ある部分のテンポについて質問していた)。それにしても、そこで響いてくる音は、我々のよく知っているベルリン・フィル・サウンドとしか言いようがなく、重みと輝きをもった、情報量の多いもの。リハーサルだけでも、既にしてかなりのごちそうだ。

そしてコンサート本体である。最近は有名オケのコンサートでも空席が目立つことは珍しくないが、そこはやはりベルリン・フィル。今回はぎっしり満席だ。そして、ラトルが譜面台も置かずに暗譜で指揮して始まった「ペトルーシュカ」。その立ち上がりは極めて安定していて、エマニュエル・パユのフルートが自在に歌う。このパユをはじめとして、今回の演奏での木管ソロは、かなり濃厚な表情づけをしていて、その音は決して重いとか流れが悪いというわけではないものの、もしかすると、もっと鋭い音響のストラヴィンスキーを好む人もいるかもしれないなと思ったが、だがいずれにせよ、この天下の難曲をこれほど易々とこなしていくスーパーオーケストラは、そうそうあるものではないだろう。音の輝き、推進力、各場面の描き方の明晰さ、それらはいずれも申し分なく、普通のオケならしばしば悲惨なことになる (笑) 何か所かの難所でのトランペットも、全く不安のない、実に見事なもの。本当に素晴らしい。

休憩後の最初に演奏されたチン・ウンスクの曲は、今月ベルリンで世界初演されたばかり。チンは 1961年生まれの韓国の女流作曲家で、ハンブルクにてジェルジ・リゲティに師事した。世界的な創作活動を行っており、私の場合は、以前放送を録画した (例によって視聴はできていないが・・・) ケント・ナガノの指揮によるオペラ「不思議の国のアリス」によって、その名は知識の中にあった。だが、作品を聴くのは今回が初めてだ。
e0345320_00433587.jpg

プログラムに掲載されたラトルのインタビューによると、これはベルリン・フィルが何人かの作曲家に委嘱している「タパス・シリーズ」のひとつ。このシリーズ名は、スペイン料理のタパスのような小品という意味らしい。現代音楽の普及のためには、これはなかなか面白い発想である。今回の作品の題名はギリシャ語で「弦の踊り」という意味で、演奏時間 10分ほど。題名通り、弦楽器が、より合わさった粗いひも (Strings) のようにウネウネと進む一方、木管や金管、それから打楽器もかなり刺激的な音響を作り出す。だが、決してしんねりむっつりした曲ではなく、難解さはあまりないどころか、美しい瞬間が何度も訪れる。打楽器奏者は紙をクシャクシャにすることまで求められるが、きっと演奏していて楽しいのではないだろうか。ラトル自身、「ペトルーシュカ」と共通性のある音響を持つと述べている通り、コンサートの流れとしては決して悪くない。

メインのラフマニノフであるが、これもまあ、なんともハイカロリーの美音が惜しげもなく流れる名演で、一言で要約すると圧倒的であった。繰り返しだが、これぞベルリン・フィルの音であり、そのアンサンブルは堅く深い。リハーサルを聴いていたせいか、各テーマの歌い方に強い集中力を感じ、決してすべての部分が上出来とは言えないこの作品を、聴衆を全く飽きさせることなく流して行くのを聴くだけでも、これは稀有な体験と言わねばならない。ラトルによると、今回のツアー (日本に来る前に、香港、中国、韓国を回ってきたようだ) や、それに先立つ本拠地での今シーズンでは、このオケがこれまであまり採り上げていない曲を中心に選曲したという。なるほど、ラフマニノフ 3番をこのオケがそれほど頻繁に演奏してきたことはない (ロリン・マゼールによる素晴らしい録音からかなり時間が経っているし)。それにもかかわらず、曲の隅から隅まで神経の行き届いた演奏を軽々とこなすオケの能力は驚異的だ。ただ、強いてネガティヴな点を探すとすると、これだけできれば、完璧すぎて演奏にスリルがないとも言える。もっと言うと、実は私がこれまでもこのコンビで時折感じてきたことだが、感嘆はするが、場合によってはそれほど感動しないという困った面があるようにも思う。もしかするとその点が、ラトルがベルリン・フィルを離れることを決意したひとつの理由ではないかとも思ってしまうのだが、いかがなものだろうか。

だが、私は今回のラフマニノフに「感動しなかった」と言う気は毛頭ない。これは実に素晴らしい演奏で、まさに傾聴に値するものであった。そんなことを考えていると、ラトルが早々に聴衆の拍手を遮り、「ミナサン、ドウモアリガトウゴザイマス」と日本語で挨拶。それから英語で、「素晴らしい聴衆、素晴らしいホール。(そのあと、私の席からはよく聞こえなかったが、"in the World" と言っていたので、その前に来るのは "The best" か "One of the best" しかないだろう) これは音楽を演奏せずにはいられません」と告げて演奏したアンコールはなんと、プッチーニの「マノン・レスコー」間奏曲である。ラトルのプッチーニとは珍しいが、これはすごかった。洗練された音質が、情念の世界にまで昇華していた。そうだ、ラトルはもともと優等生でもなんでもなく、時に牙をむくような音楽をする人。そのことを久しぶりに思い出したような気がした。もちろん、この驚異的に美しい曲を、ベルリン・フィルは過去に録音している。これはカラヤンの全アルバムの中でも屈指の名盤と言われているもの。EMI の再録音もよいが、私としてはこの DG 盤こそ、オーケストラ音楽の奇跡のひとつと思っている。そんなことも思い出させる素晴らしいアンコールであった。
e0345320_01142174.jpg
実は今回、ある CD セットを購入すれば、終演後にコンサートマスターの樫本大進と、ホルンの首席であるシュテファン・ドールのサインがもらえるほか、ポスターやポロシャツなど、様々な特典があるという表示があった。
e0345320_01430955.jpg
e0345320_01174053.jpg
その対象とは、ベルリン・フィルの演奏になる新発売のセット (CD 4枚、ブルーレイ 2枚) で、ジョン・アダムズの作品集だ。私がこの作曲家のファンであることは以前も書いたし、アラン・ギルバート指揮東京都響による彼の近作「シェヘラザード 2」の日本初演もレポートした。ベルリン・フィルは昨シーズン、このアダムズをアーティスト・イン・レジデンス (いわば座付き作曲家) に迎えたので、このセットはそれを記念して、ベルリン・フィルが演奏したアダムズ作品を集めている。作曲者自身の指揮もあれば、もちろんラトル、それから上記のアラン・ギルバート、グスタヴォ・ドゥダメル、それから、このオケの次期首席指揮者キリル・ペトレンコとの初の録音も含まれている豪華版だ。
e0345320_01272778.jpg

内容に注目しながらも、お値段はちと高いので、未だ購入はしていなかったが、この際購入してサイン会に出ようと決意、そしてゲットしたのがこのサインである。
e0345320_01170396.jpg

ジョン・アダムズ・エディションの値段を書くと、家人から怒られてしまいそうなので、ここでは明らかにしませんが (笑)、ベルリン・フィルの今をより深く知るため、コンサートの補完として最適のセットであろうと確信しております。さて、明日 (もう日が替わって、正しくは今日だが) はもう 1回ラトルとベルリン・フィルを、しかもユジャ・ワンとの共演を聴くことができる。なんとも楽しみなことである。

by yokohama7474 | 2017-11-24 01:31 | 音楽 (Live) | Comments(0)

京都 大徳寺 本坊、興臨院、黄梅院、総見院

京都というところは、もちろんいつ行っても歴史を実感できる素晴らしい場所なのであるが、顕著な難点は、盆地であるために夏は暑く冬は寒いことだ。それゆえ、春と秋に多くの人々がこの街を訪れる。特に秋には、京都に数多くある紅葉の名所はどこも大賑わいだが、寺社の特別公開もあちこちで行われる。もちろん、冬に観光客を呼ぼうという試みである「京の冬の旅」にも面白い企画があるが、やはりなんと言っても秋がよい。というわけで、この秋、タイトなスケジュールながら 2度京都を日帰りで訪れている私である (もちろん近年の「秋」とはいつからかという議論はあって、気温から言えば、9月は完全に夏に含まれるような感覚になってしまっているのだが)。前回の記事でご紹介した近代美術館における絹谷幸二展を見たあと、東山エリアの近代美術館からほど近くに位置し、これまで特別公開時に行ったことのない聖護院 (しょうごいん。生八つ橋で有名だが、それはこの寺の近くの店で作られている) に行ったのだが、あいにくこの日は、特別公開期間中であっても寺の法要の都合か何かで、境内には入れたものの、堂内や庭園の拝観ができないとのことであった。残念だが致し方ない。残りの時間を計算に入れながら、代わりにどこに行こうかと思案して決めたのは、北山、紫野にある名刹、有名な大徳寺である。これがその大徳寺の正門である山門。「金毛閣」の額がかかっているが、千利休がここに自らの肖像を安置し、秀吉の逆鱗に触れて切腹を命じられたという史上有名な事件の発端になった場所である。
e0345320_11133097.jpg
日本の禅寺として有数の規模と歴史を誇るこの大徳寺の名前を知らない人は、あまりいないであろう。また、もしこの寺にイメージがなくとも、あの一休禅師が再興した寺であると言えば、へぇそうなのかと思う人がほとんどであろうと思う。あの有名な一休さんがいて、千利休だの秀吉だのという人たちが関わった大きな寺院であるから、例の京都五山という、禅寺 (より正確には臨済宗の寺のみで、禅のもう一派である曹洞宗は、五山制度の対象ではない) の格式を決めた制度においては、きっと一位を争うほどのステイタスがあるはず、と考えるのが人情というもの。だが驚くなかれ、大徳寺ほどの寺が、実は京都五山には入っていないのである!! ここで確認しておくと、京都五山とは、南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺。このうち 5位の万寿寺は、4位の東福寺の塔頭 (たっちゅう。大寺院の子院のこと) である。大寺院が沢山ある京都にあっても、禅寺として代表的な存在であるこの大徳寺と、それから妙心寺の名前が、五山のリストから落ちているわけだ。これには明確な理由があって、京都五山制度を整備した室町幕府と関係の悪かったところは、五山には入っていないということなのである。五山制度自体は中国から取り入れられ、鎌倉時代から既に日本にあったが (鎌倉五山というものもある)、その後室町時代になってから整備された。この大徳寺は後醍醐天皇の厚い庇護を受けたということで、室町幕府の意向によって五山から外されたということらしい。21世紀の現在、寺の格式は、実際にその場に身を置いて感じるという自由を我々は享受しているが、人間のやっていることであるから、長い歴史の中にはそのような確執もあったということである。

ともあれこの大徳寺、寺の資料に掲載されている境内の地図で数えていると、本坊以外に 24の塔頭寺院がある。だが、普段一般公開しているのは、大仙院 (歴史の教科書にも出て来る庭が有名) を含む 4つの塔頭のみで、ほとんどが非公開なのである。だが秋の時期には特別公開がある。今年は本坊以下、3つの塔頭が特別公開された。
e0345320_12412549.jpg
以下、ざっとご紹介するが、本坊やぞれぞれの塔頭では、門を入ると庭ですら写真撮影禁止とのことだったので、その回りの写真しかない。従い、一部はほかから拝借してここに掲載することをお許し頂きたい。さて、まずは本坊である。ここではなんと言っても、国宝の方丈に入ることができ、やはり国宝の唐門を拝観できるのが嬉しい。方丈の襖絵 80余面は狩野探幽筆の重要文化財、前庭は小堀遠州の作庭とされ、特別名勝である。特に唐門は、秀吉の聚楽第の遺構と言われ、華やかな彫刻の数々が見られる。日光東照宮の原型となったと言われているらしい。
e0345320_12500712.jpg

e0345320_12501809.jpg
その後、法堂 (はっとう) で鳴き龍を体験できるのも楽しい。この天井画の下で手を打つと、本当に龍が鳴いておりましたよ。
e0345320_12540764.jpg
また本坊においては、豊臣秀吉とその母の肖像画を見ることができた。実は、特別公開期間の前半には、近年狩野永徳の筆と認定された織田信長画像が展示されていたそうで、これも興味深いものであったが、またの機会を狙いたい。秀吉と大徳寺の関係は、例の千利休事件以外にも面白い話があるので、後述。次に塔頭の興臨院に移ろう。この寺は能登の守護、畠山義総によって 1520年代に創建され、後に前田利家によって再興されている。表門、本堂、唐門が重要文化財に指定されている。落ち着いた雰囲気のよい寺である。
e0345320_13024878.jpg
e0345320_13030212.jpg
次は黄梅院。この寺は、1562年に織田信長が父、信秀の菩提を弔うために創建した庵がその始まり。その後、信長の死後に秀吉によって改築されている。ここでも唐門や本堂が重要文化財に指定されている。以下は私が撮った写真で、それは 1ヶ月以上前のことなので、きっと今頃はきれいに紅葉しているのではないだろうか。
e0345320_13084901.jpg
e0345320_13125746.jpg
e0345320_13131024.jpg
そして、今回の中で最も興味深かったのは、総見院である。ここはなんと、本能寺の変で信長が亡くなった後、その菩提を弔うため、一周忌に際して 1583年に秀吉が創建したという寺なのである。以前、安土城址の記事の中で、同地にある総見寺 (結局訪問できなかったが) について触れたと記憶するが、やはりこの名称は信長に因むもの。実はもうひとつ、やはりこれも信長ゆかりの愛知県清須市にも、総見院という寺があるようだ。「総見院」は信長の戒名の一部にも使われている。
e0345320_13180723.jpg
e0345320_13262706.jpg
この寺で興味深いのはなんと言っても、創建時に秀吉の命によって作成された、等身大の織田信長坐像である。これももちろん借用してきた写真だが、この像の雰囲気がお分かり頂けよう。繰り返しだが、信長の一周忌に秀吉が作らせた像ということは、実際の信長の容貌を伝えているものではないだろうか。
e0345320_22010512.jpg
この寺にはまた、織田一族の墓碑がある。真ん中の五輪塔が信長のものだ。
e0345320_22185770.jpg
e0345320_22191142.jpg
実は秀吉はこの総見院を創建した際に、一大パフォーマンスを行っている。それは、信長の葬儀である。本能寺の焼け跡からは信長の遺体は発見されなかったのであるが、ポスト信長の勢力争いを有利に運んだ秀吉は、信長ゆかりのこの大徳寺 (その塔頭のひとつ、上で触れた黄梅院は信長自身が父を弔うために創設している) において、大々的に信長の葬儀を行った。その際、上記の現存する信長像に加えてもう 1体、香木をもって信長像を刻み、それを遺体の代わりに荼毘に付したという。そのとき、京都中にこの香木の香りが漂ったという。これは秀吉という人の天才を示すよい例ではないか。つまり、人間の中でも非常に敏感な感覚である嗅覚を刺激することで、信長の葬儀が行われていること、それを取り仕切っているのが秀吉であることを、都の人々に認識させるという作戦だったのであろう。ここで私が (どの本にも書いていないが勝手に) 思うことが二つ。まずひとつは、このような嗅覚の活用は、あらゆる感覚を研ぎ澄まさせる茶の湯と関係があるのではないかということ。きっと秀吉には動物的な感覚が備わっていて、本能的に嗅覚の活用を思い立ったが、実は同時代に、総合的に人間の感覚を研ぎ澄ますことに長けた千利休という名人がいて、秀吉はそのことに恐怖を抱いたため、利休を死に至らしめたのではないか。ふたつめは、信長から秀吉に至る、当時の新勢力による地位の誇示が、京都五山ではなくこの大徳寺で行われたことの背景は、既に滅びたりとはいえ旧秩序であった室町幕府から距離を取りたいという意向であったのではないか。そう思うと、様々な歴史の曲折が、この寺には未だに影を落としているようにも思われる。そうそう、歴史の曲折と言えば、以前彦根を訪問した際の記事に書いた石田三成の菩提寺であるが、それはやはりここ大徳寺の塔頭、三弦院なのである。たまたま今回、前を通りかかったときの写真がこれだ。「拝観謝絶」の札も厳めしい。室町幕府と距離を置いた大徳寺は、関ヶ原で家康に敗れた三成の菩提が祀られていることから、実は江戸幕府とも疎遠であったのであろうか。
e0345320_22252324.jpg
e0345320_22255294.jpg
拝観謝絶といえばもうひとつの塔頭、龍光院を思い出す。数々の国宝・重要文化財を所蔵しながらも、頑なにその扉を閉ざしているこの寺には、日本に 3つしかない国宝茶室のひとつ、蜜庵が存在するが非公開。そして、これも日本に 3つしかない国宝曜変天目茶碗のうちの 1つを所蔵しているのである。ちなみに後者は、あっと驚く特別公開が先般あったのだが、私としては一生の不覚、それを見逃してしまった。そのことについてはまた追って記事を書くこととしよう。

このように大徳寺には、一筋縄では行かない奥深い歴史が息づいているのである。上記でご紹介した特別公開のうち、大徳寺本体の方丈は既に終了しているが、塔頭 3軒は未だ継続中であるので、ご興味おありの方は、是非お出かけになってみてはいかが。

by yokohama7474 | 2017-11-23 22:36 | 美術・旅行 | Comments(2)

絹谷幸二 色彩とイメージの旅 京都国立近代美術館

e0345320_00135141.jpg
絹谷幸二 (きぬたに こうじ) は 1943年生まれ、今年 74歳の洋画家である。この画家の名前が一般にどのくらいポピュラーなものであるのか分からないが、多分その作品を見たら、「あぁ、あの」と思う人は多いのではないか。かく言う私は、彼の作品との出会いは今から 30年ほど前の学生時代に遡る。確か、ほかの人から譲ってもらった 1970年代のレコード芸術に、彼のイラストが毎月載っていたのだったと思う。実は、実家に帰ればその雑誌を確認することはできるのだが、今この瞬間はそれが叶わないので、飽くまでも「確かそうだった」ということでご勘弁願いたい。もしクラシックファンの方が絹谷作品のイメージを持ちたいと思えば、池袋の東京芸術劇場に行ってみるとよい。入り口前に何か所か、天井にクーポル状に凹んだところがあり、そこに描かれているのが絹谷の作品である。そんなわけで、30年来の絹谷ファンとしては、彼の個展が京都で開かれているのを知って、黙っていられようわけもない。10/15 (日) までであったこの展覧会、終了前日に京都、岡崎公園の京都国立近代美術館まで見に行ったのである。尚、この美術館には最近、もう一度足を運んでいて、それはこの美術館で現在開催中の展覧会をどうしても見たかったからなのであるが、そのついでに (?) 京都国立博物館で開かれている国宝展にも出向いたので、時間ができたら追ってそちらもアップすることとしたい。尚この絹谷幸二展は残念ながら東京への巡回はないが、12/8 (土) から来年 1/27 (日) まで、北海道立近代美術館でも開催される。

さて、今や日本の洋画壇の重鎮である絹谷は、こんな人。
e0345320_23392585.jpg
既に文化功労者であり、東京藝術大学の名誉教授である彼は、1966年、卒業制作で早くも画壇の注目を浴びたという経歴を持つ。もちろん、若い頃に評価されたからと言って、その評価がそのまま何十年も続くわけもなく、その後の画業における彼の様々な工夫や努力や試行錯誤が、彼の今日を作り上げたことは明らかだ。この展覧会では、そのような彼の軌跡を辿ることができて大変興味深かった。これが若き日の絹谷。
e0345320_23431170.jpg
展覧会は、絹谷が藝大を卒業する頃の作品から始まっていた。これは 1966年の「自画像」。才気走った印象はあまり受けず、むしろ、これから画家としての制作活動に乗り出して行こうという真摯な意欲が見える。
e0345320_00032392.jpg
これが、上でも触れた、卒業制作の「蒼の間隙」(1966年)。この作品が大橋賞という賞を受賞し、絹谷は世に出ることになったのである。ここには、後年の絹谷の、明るき色使いによる輻輳したイメージの萌芽もあるが、足をむき出しにした女性とおぼしき人物に、少し怪しいエロティシズムも感じられるように思う。寒色系の色彩によって過度な Emotion を周到に排除している点が、ひとつのスタイルとして興味深い。
e0345320_00061412.jpg
これはその 3年後、1969年の「蒼の風跡」。題名からも題材からも、上の作品からのシリーズ性は明らかだ。一度見たらなかなか忘れることのない作品であると思う。
e0345320_00094936.jpg
さて絹谷は、1971年にイタリアに留学、フレスコ画を学び、これが彼の画業の方向性を決めることになる。因みに、この「フレスコ画」(主として壁画に使われた手法で、壁に塗った漆喰が乾かないうちに顔料を使って描く画法による作品) という言葉は一般にもなじみがあるが、絹谷自身は、イタリア語の表現に従い、「アフレスコ」と呼んでいるらしい。これは、西洋絵画の発祥ともいわれるジョットによるスクロヴェーニ礼拝堂の壁画の一場面を絹谷が模写したもの。私は幸いなことに、イタリアのパトヴァにあるこの礼拝堂現地を一度訪問したことがあって、この壁画の驚天動地の素晴らしさを肌で実感した経験を持つが、ここでの絹谷の筆致は、やはりそのような感動とともに、西洋近代絵画の祖というべきジョットへの深い尊敬の念がまざまざと感じられる。
e0345320_00113933.jpg
こちらは、やはり留学中に描いたピエロ・デラ・フランチェスカの模写 (1973年頃)。ピエロ・デラ・フランチェスカといえば有元利夫であるが、これから発展する絹谷のスタイルにおいては、絵画のモチーフ自体は有元とはかなり違っている。だがこれは、絹谷の確かな技術を思わせる作品である。
e0345320_00193898.jpg
絹谷作品には時折シュールな雰囲気が混じるのであるが、この「りんごのある風景」(1972年) はその典型例であろう。シュールではあっても、むやみに難解なものではなく、イメージを素直に楽しめる作品である。
e0345320_23305263.jpg
この「夢・ヴェネツィア (カーレ・デッラ・マンドラ)」(1978年) には、いよいよ絹谷らしい構図の輻輳ぶりが出て来たと見えるが、今でも人々の感心を引く、「かわいい」作品ではないだろうか。
e0345320_23351157.jpg
これは「アンセルモ氏の肖像」(1973年)。この作品によって絹谷は、日本における具象絵画の登竜門である安井賞を受賞する。色彩がグチャグチャと、また電気のようにビリビリと混じり合うのはまさに絹谷スタイルだが、一度見たら忘れない独自のスタイルである。尚、会場ではこの安井賞の名称の由来となっている、日本洋画壇の巨匠、安井曾太郎の代表的な作品が何点か並んでいたが、それはちょっと余計なような気もした。
e0345320_23383656.jpg
スケッチ類も沢山展示されていて、彼らしくカラフルで楽しいが、明らかに 2本の色鉛筆を同時に使って平行する曲線を描いているあたりも、独特の喜遊感がある。
e0345320_23412654.jpg
e0345320_23433406.jpg
だがなんといっても、大きな作品で絹谷の個性が炸裂する。これは「アンジェラと蒼い空 I」(1976年)。社会的なメッセージ性の有無よりも、まずはその色彩で目を引くという点に、この画家の真骨頂があると思う。
e0345320_23474334.jpg
「フランチェスカとゾッティ氏の肖像」(1987年)。シュールでもあり、言葉が文字としてまた楽譜として踊っている。
e0345320_23491735.jpg
「銀嶺の女神」(1997年)。長野冬季オリンピックの公式ホスターの原画である。これも典型的な絹谷作品であり、オリンピックという華やかな舞台に相応しい。
e0345320_23522147.jpg
だが絹谷の作品は、ただ明るいだけではなく、時に内省的、時に社会的である。この 2点は、「自画像・夢」(2005年) と「漆黒の自画像」(2006年)。色合いが違い、モチーフも異なるが、いずれも空即是色 (もちろん般若心経の言葉である) という仏教の言葉を記載しながら、画家自身の家族を描いたり、内面のデーモンを描いたりしているわけである。
e0345320_23550721.jpg
e0345320_23565267.jpg
これは「イエス・オア・ノー」(1991年)。明らかに戦乱に対する政治性をもったメッセージであろうが、そのメッセージ性は、決して作品を重くするものではない。
e0345320_23591707.jpg
彼の近年の大掛かりな作品は、仏教的素材や日本神話を扱っているものが多く、その表現力は大変なもの。やはりこのような時代、画家の個性を貫いて行くのはなかなか大変なことだろうと思うのであるが。これは展覧会のポスターにもなっている「喝破」(2015年)。文字通り炸裂する色彩が強烈だ。せっかくなので、部分アップも掲載する。
e0345320_00094131.jpg
e0345320_00103109.jpg
ところでこの展覧会場に掲示されている解説で、この仏像のことを「阿修羅」と何度も書いてあったが、これは断じて阿修羅ではない。解説を書いているのは学芸員であろうから、そんなことはもちろん分かった上でのことであろうか。もちろんこの仏像は、五大明王のひとつ、降三世明王 (ごうざんぜみょうおう) である。京都の東寺講堂にある代表例はこちら。但し、絹谷の作品では、足の角度と本数が違う。足が両側 3本ずつというのは、同じ五大明王の中の大威徳明王 (だいいとくみょうおう) の特徴である。大威徳明王は水牛に乗っているので、彫刻でも 6本足が可能だが、さすがに立像で 6本足は技術的に困難であり、絹谷作品は、絵画であることのメリットを生かした造形になっているわけだ。
e0345320_00144562.jpg
一方でこの作品などは、石仏の口から漂い出る文字が、ちょっととぼけているような、不気味なような、不思議な感覚である。「羅漢唄う」(1980年)。
e0345320_00013817.jpg
これも力強い作品で、「不動明王・阿吽」(2011年)。不動明王の眷属は、制多迦 (せいたか) 童子と矜羯羅 (こんがら) 童子だが、この 2人は通常阿吽 (一方は口を開け、他方は閉じていること) にはなっていない。ここでは、後ろの左右に描かれている獅子と龍が阿吽をなしている。ところでこの龍など、なかなかユーモラスで、村上隆の描く龍とも共通点がある。
e0345320_00211652.jpg
仏像シリーズで言うと、これは「金剛蔵王権現像」(2011年)。絹谷の描く仏像には、モデルがはっきりするものと、典型的な図像を転用しているものがあるが、これは明らかに前者。吉野の金峯山寺蔵王堂のご本尊、蔵王権現 (ざおうごんげん) の三体像である。秘仏なので、ある時期まではなかなか見る機会はなかったが、最近は時折公開している。私も二度、実際にこの巨像の実物を前に、圧倒された経験がある。
e0345320_00264748.jpg
これは「大和国原」(1997年)。絹谷の風景画には、その一見して感じられる情報量の多さに関わらず、意外とシンプルな持ち味があると思う。その点、例えば富岡鉄斎と共通点があると言ったら、間違っているだろうか。
e0345320_00295983.jpg
さてこの展覧会では、最後のコーナーは撮影自由であったので、以下は私の現地での撮影になるもの。できる限り絹谷ワールドの面白さをシェアさせて頂きたい。これは滋賀県湖北地方にある渡岸寺 (どうがんじ) の有名な国宝十一面観音像を描いた、その名も「渡岸寺十一面観音」(2009年)。この仏像は日本の仏像の中でも有数の美しい作品で、私はこれまでに現地を三度訪ねたことがあるが、そろそろまた行かないといけないなぁ。
e0345320_00375135.jpg
上でも見たように、絹谷の描く龍は、村上隆ばりのユーモラスなものであるが、これは京都を舞台にした最新の龍のシリーズから、「光輝龍王二条城」と「樹上双龍伏見稲荷」(ともに 2017年)。
e0345320_00415335.jpg
e0345320_00442391.jpg
これもすごい迫力で、オマージュ「平時物語絵巻」。会場ではこの作品をモチーフとした映像作家とのコラボレーション作品も上映されていて、なかなか楽しかった。いやしかし、この渦巻く炎の迫力には圧倒される。
e0345320_00455996.jpg
e0345320_00475012.jpg
e0345320_00480925.jpg
やはり最新作で、「富嶽旭日風神雷神」(2017年)。これ、外人が喜びそうな構図ではあるものの、日本人が見ても面白いと思うこと請け合いだ。この風神像と雷神像は、当然、京都の三十三間堂のものがモデルになっている。
e0345320_00490630.jpg
e0345320_00513653.jpg
e0345320_00512395.jpg
それから、会場の最後に展示してあったのは、大変興味深い作品で、「生命 (いのち) 輝く」というもの (2017年)。これは、娘である絹谷香菜子との共作である。絹谷香菜子は、水墨画で動物などを描く日本画家。なるほどこれは、独特の個性を持った父と娘の貴重な共同作業なのである。
e0345320_00515524.jpg
このように、私としては初めて見る絹谷幸二展で、彼の画業の出発点から修業時代を経て、独自のスタイルを確立し、そしてさらに自由に展開して行くさまをじっくり鑑賞することができ、また最後には、今後何度実現するか分からない娘とのコラボレーションを見ることができて、大変楽しかった。また回顧展を見たいものである。会場を後にしようとして振り返り、最後に撮影したのがこの巨大な彫刻である。まさに色彩とイメージの旅、堪能しました。また 1ヶ月ほど後にこの場所に戻ってくるとは、そのときは考えなかったが、そのことはまた追って。
e0345320_00583820.jpg

by yokohama7474 | 2017-11-23 01:00 | 美術・旅行 | Comments(0)

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (ヴァイオリン : フランク・ペーター・ツィンマーマン) 2017年11月20日 サントリーホール

e0345320_23084923.jpg
前日の川崎公演に続く、オランダの名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と、昨年からその新たな首席指揮者の任にあるイタリアの名指揮者ダニエレ・ガッティによるコンサートである。今回サントリーホールでは、上のチラシにあるように 2回のコンサートが開かれる。そのうち 11/21 (火) の曲目は、既にご紹介した 11/19 (日) の川崎での曲目と同じなのである。実は前回の記事に少し書いた通り、今回のコンセルトヘボウの来日公演の 2つのプログラムは、かなりシンプルなものになっているのだが、今回の曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61 (ヴァイオリン : フランク・ペーター・ツィンマーマン)
 ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68

名曲で真っ向勝負とも取れるし、ちょっと冒険心を欠くかなぁとも思われる。あるいは、未だ新しいコンビゆえに冒険を避けるという意図もあるのだろうかとも考えてしまう。だが、前日の川崎でのコンサートは、曲目のシンプルさなどどうでもよくなってしまうような、上質な演奏を聴かせてくれた。課題は集客である。前回の記事には書かなかったが、川崎公演は日曜日であるにもかかわらず、かなり空席が目立つ淋しい入りであった。そして今回、月曜日のサントリーホールはどうだったかというと、これが当日券の販売もない満席ぶり。まずはほっとしたのである。これがこのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の本拠地、その名もコンセルトヘボウ。英語でいう「コンサートホール」という、そのものズバリのシンプルなホールである。私の実感するところ、ヨーロッパ文化のひとつの頂点をなすと言ってもよい素晴らしいホール。
e0345320_23360433.jpg
さてこの演奏会でソロを務めたヴァイオリニストは、ドイツの中堅、フランク・ペーター・ツィンマーマン。私と同じ 1965年の生まれで、今年 52歳。1983年に若杉弘指揮のケルン放送響のソリストとして初来日してから既に 34年。常に世界の一線で活躍してきたヴァイオリニストであるが、いつまでも童顔というか、若々しさを保っている人である。
e0345320_23415822.jpg
同世代のドイツのヴァイオリニストでは、1歳下のクリスティアン・テツラフがいるが、以前このブログでもご紹介した通り、テツラフが寄らば斬るぞという雰囲気の禁欲的なイメージであるとすると、このツィンマーマンはもう少し親しみやすいキャラクターであり、超絶技巧を売り物にせず、飽くまでヒューマンな温かみを感じさせる人である。今回のベートーヴェンの演奏でも、そのことを再度認識することとなった。この曲はヴァイオリンソロの登場までが結構長いためか、あるいはモーツァルトのコンチェルトと同じく、書かれた時代の演奏スタイルを反映してか、ソリストがオケのヴァイオリンのパートを一緒に弾くことがある。今回はまさにそうで、ツィマーマンは冒頭からごく自然に、楽員たちとともに音楽に入って行った。このコンチェルトにおいては、このような冒頭の流れが重要で、コンチェルトとしては異例に長い作品だけに、冒頭に乗れないと、そのまま改善のきっかけを失う例もある。そのような場合、大抵は「妙に静かなベートーヴェン」になってしまうというのが私の経験則なのであるが、今回は最後までそのような妙な静かさは到来せず、相変わらず統一感のある絶妙の音色で一貫したコンセルトヘボウの美しい音を堪能することができた。さすがこのソリストとこのオケ (そういえば、前日ソロを弾いたチェロのタチアナ・ヴァシリエヴァも、今日はオケの一員として楽しそうに弾いていた)、そしてこの指揮者である。ガッティに関して言えば、冒頭のティンパニへの指示から、かなり丁寧な指揮ぶりで、音像の明確なイメージが常にある様子であった。時にファゴットやチェロの旋律がよく響くこともあり、この曲の持ち味を充分に引き出していたと思う。ツィンマーマンはアンコールとして、バッハの無伴奏ソナタ第 2番の終楽章を弾いた。運動性のある音楽だが、やはり彼のヴァイオリンは、ここでも温かい人間性を感じさせるものであった。

さて、メインは天下の名曲ブラームス 1番である。一言でいうと、これもまたこのコンビらしい、きめ細かくまた美しい音楽であったが、私としては最高の名演と評価するには若干の躊躇あり、という気がした。ここでガッティが目指したものは、やはりオケの音質の高さと、それを取りまとめて自らが作り出す流れであったと思う。このブログで何度も書いている通り、ブラームスの交響曲は、まず何よりも極めて洗練された質の高い音でないと成功しないのだが、その点では今回の演奏は、やはり素晴らしい出来ではある。だが一方で、飽くまで私の好みだが、作曲者が 20年間艱難辛苦を乗り越えて書いたこの曲においては、やはりどこかで、野蛮なまでの生命力が欲しいところ。その点には少し物足りないかなという気がしたのである。例えば弦楽器の編成であるが、前日のマーラーがコントラバス 7本、チェロ 10本であったのに対し、この日のブラームスは、コントラバス 6本にチェロ 8本。つまりブラームスはマーラーよりも早い時代という整理であって、ことさらにこの曲の重量感を強調する意図はなかったのだろう。それから、この曲は第 3楽章と第 4楽章が続けて演奏されることが多く、それによって、短い休息から一気にクライマックスに雪崩れ込むというイメージができるのだが、今回の演奏ではその箇所では明確に演奏を切り、その代わり、第 2楽章から第 3楽章に入る部分をつなげていた。これは珍しいが、第 2楽章の抒情を、第 3楽章の気軽な雰囲気で中和しようということか。それから、第 1楽章提示部の反復はなかった。これらを考え合わせると、やはりガッティの求めたものは、劇的な音楽よりも流れのよい音楽であったように思う。その点、どのパートも隅々まで美しさに満ちたオーケストラは、彼の目指す音楽を見事に音にしていたとは考えられる。音楽とは、様々な表現があるから面白く、どの演奏家も同じなら、わざわざ聴きに行く価値がない。今回の私の印象も、またこのコンビの今後の演奏を体験する中で、また変わって行く可能性もあるかもしれない。そして、今回もアンコールはなし。これはもしかすると、昔のカラヤンよろしく、ガッティのポリシーなのかもしれない。
e0345320_00542262.jpg
終演後、サイン会があるというので参加した。なんでも、高円宮 (宮様ご自身は既に亡くなっているので、今では久子妃殿下のことをこう呼ぶのだろうか。オランダ王室とは仲がよいらしい) が表敬訪問されているとのことで、少し時間がかかるとのスタッフの説明であったが、それほどひどく待たされることなく指揮者が登場した。プログラムにこのようにサインをもらい、今後のこのコンビの演奏への期待を高めたのである。
e0345320_00590240.jpg
さて、海外一流オーケストラ来襲シリーズが続いているが、次の音楽の記事は、いよいよアレである。私もアレが本当に楽しみだが、アレの記事をアップするまで、音楽好きの方も、是非、このブログの映画とか美術の記事をお楽しみ下さい。よろしくお願いします。

by yokohama7474 | 2017-11-21 00:59 | 音楽 (Live) | Comments(2)

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (チェロ : タチアナ・ヴァシリエヴァ) 2017年11月19日 ミューザ川崎シンフォニーホール

e0345320_16154653.jpg
オランダの首都アムステルダムに本拠地を持つ世界最高の楽団のひとつ、コンセルトヘボウ管弦楽団の来日公演である。2年前の前回の来日公演では、ユジャ・ワンをソリストに迎え、指揮を取ったのは、もともとこのオケの打楽器奏者であったグスタヴォ・ヒメノであった。その時の演奏会の様子や、コンセルトヘボウ管のドキュメンタリー映画、また、現地アムステルダムで聴いたコンサートなど、このブログでは様々な角度からこの世界有数のオケの活動を描いてきたが、今回の来日公演にはまた格別な意義がある。それは、大の人気者マリス・ヤンソンスを引き継ぎ、昨年から首席指揮者に就任したイタリアのダニエレ・ガッティ (1961年生まれ) との初の来日公演になるからである。
e0345320_23135326.jpg
既に前日京都での演奏会を済ませ、これが 3日連続の首都圏のコンサートの最初。その後は長崎と大阪での公演があり、計 6公演である。今月初旬からの海外オーケストラ襲来組のひとつであるが、ただ、今回のコンセルトヘボウ管の曲目を見てみると、この百戦錬磨のオケとしては、楽々こなせるような内容ではないかと思う。プログラムは 2種類あって、この日の川崎での演奏会では、以下の通り。
 ハイドン : チェロ協奏曲第 1番ハ長調 (チェロ : タチアナ・ヴァシリエヴァ)
 マーラー : 交響曲第 4番ト長調 (ソプラノ : マリン・ビルトレム)

ははぁ、なるほど。古典派というか、ほとんどバロックに近い小編成のコンチェルトと、演奏時間は 1時間を要するとはいえ、マーラーの交響曲の中で最も穏やかなものとの組み合わせである。そう、確かにそうなのであるが、実際に聴き終わってから振り返ってみると、音符の数やテンションの高さだけが音楽の密度ではないことに思い当たる。さすがガッティとコンセルトヘボウの組み合わせによる演奏だと、実感したのである。

最初のコンチェルトでソロを弾いたのは、ロシア人のタチアナ・ヴァシリエヴァ。コンセルトヘボウの首席チェロ奏者である。
e0345320_23210029.jpg
この長身とその名前で思い出したのだが、彼女は庄司紗矢香の親しい友人で、以前、ナントや東京のラ・フォル・ジュルネで、庄司と組んでブラームスの二重協奏曲を弾いていた人ではないか!! 知らない間にこの名門オケの首席に就任していたとは。
e0345320_23235819.jpg
このハイドンの演奏、コントラバス 2本の小編成で、ヴァイオリンは左右対抗配置だが、出て来る音は現代オケのそれである。実は冒頭は、ごくわずかソロとオケの呼吸が揃わなかったかと聴こえ、この先どうなるかと思いきや、もう第 1楽章の半ばには、コンセルトヘボウの美しい響きに魅了されていた。内輪のソリストを頂いたオケは、当然のようにソロと一体となった音楽を歌って行くし、指揮のガッティも、その流れを邪魔することなく、要所要所で響きをちょっと締めたり開放したりする。さすがに世界一流のオケであると思うのは、その音楽が、あたかも流れ行く川のようにキラキラと輝き、その場面場面で、微妙な光の反射を見せるのである。こういう音楽は、聴く人の心を豊かにする。そう、音符の数とは関係なく、聴く人の心を豊かにする音楽なのである。ただ、ヴァシリエヴァのチェロは、テンポもよく表現も鮮やかで、確かに巧いのだが、強いて言うと若干優等生的というか、真面目すぎて面白みを欠く面もあったように思う。それは、どちらかというと奔放なタイプの音楽家を好む私の独断であるのだが、ハイドンの愉悦の表現には、ちょっと踏み外しがあった方がよいような気もしたことを、正直に述べておこう。それはアンコールで弾かれたバッハの無伴奏チェロ組曲第 1番の第 1楽章でも変わらない印象であった。ただ逆に言えば彼女のチェロは、オケの流れに逆らわないものなので、オケの首席奏者の道を選んだのは妥当だったのかもしれない。

さて、指揮者ガッティについて書いてみよう。私はこの指揮者に対して、少し複雑な印象を持っている。日本でも、1998年のボローニャ歌劇場における「ドン・カルロ」の熱演を未だに記憶しているし、翌年にはロイヤル・フィルとも来日し、マーラー 5番などを演奏したのを聴いた。ところが、私がロンドンに住んでいた 2009年、ちょうど首席指揮者がこのガッティからシャルル・デュトワに代わるタイミングで、フェアウェルとして演奏されたベートーヴェンやマーラーの 9番という大作は、完全に空振りの凡演であったのだ。ところがその後デュトワが振るとロイヤル・フィルは活き活きしていたので、やはり相性というものがあるのかと思いながら、さてガッティの本当の力はどこに、と思ったのだが、同じころ、まさにこのコンセルトヘボウとともにロンドンで行ったコンサートで聴いたチャイコフスキー 5番は、実に鮮やかな名演であったのである。イタリアの若手指揮者のホープであった頃から時も経ち、今や名門コンセルトヘボウの首席指揮者として 56歳のガッティが聴かせてくれる音楽を、じっくり楽しみたい。そう思って聴いた今回のマーラー 4番。実はここでも、ハイドン同様、冒頭の鈴と木管の作り出すテンポが、ほんのわずか、いびつかと思った。だが今回も、彼らはすぐに体勢を立て直し、深い陰影に富んだ美しい演奏を繰り広げたのであった。改めて実感するガッティの指揮の特色は、イタリア人らしくよく歌うことと、緩急のバランスが素晴らしくよいことだ。うーん。これだけ情報量の多いマーラー 4番の演奏も、ちょっとないのではないだろうか。特に第 3楽章では、静かにうねり続ける音の流れが、秋の夕映えのように無限の情緒をたたえて、聴く者に強く迫ってきた。また第 4楽章は、かなりギアチェンジが必要な音楽であるのだが、バタバタする箇所は皆無。常にバランスがよく視野の広い指揮ぶりであったと思う。ところで、今回ソプラノ・ソロにはユリア・クライダーというドイツ人が予定されていたが、体調不良とのことで、急遽マリン・ビストレムというスウェーデン人歌手に変更になった。この歌手、私には知識はなかったのだが、以前 BS で放送された、アムステルダム歌劇場 (時折コンセルトヘボウがピットに入る) で上演されたガッティ指揮の R・シュトラウスの「サロメ」で主役を歌っていた人だ。その番組は録画して、もちろん (?) 見ていないのだが、悪魔的なサロメの世界から遠く離れた清浄な天国の生活を、今回は歌うことになったのである (笑)。正直、ドラマティックな歌唱の方がやはり合っているのではないかと思ったが、突然の代役として立派にその役を果たしたと思う。
e0345320_00135820.png
ところで、私が聴きながらツラツラ考えていたのは、マーラー 4番とシュトラウスの「サロメ」は、作曲は同じ頃ではないのかということ。今調べてみると、前者の初演は 1901年 1月。後者の初演は 1905年12月。5年ほどの差はあるが、音楽史的観点からは、同時代の作と分類してもよいであろう。マーラーとシュトラウスは、友人でもありライヴァルでもあったわけだが、血みどろの世界と清浄な世界は、実は近い感性でつながっていた時代だったのかもしれない。そんなことで、アンコールには (「サロメの 7つのヴェールの踊り」には打楽器が少ない編成だったので) シュトラウスの歌曲でもやってくれないかと思ったが、結局何も演奏されずに終わった。昨今の東京における来日オケの公演でアンコールなしは珍しいが、マーラー 4番の終結部、清澄な湖に沈んで行くようなハープの低音が未だに耳に残っており、それがそのままコンサートの終結部であったことに、ガッティの見識を思う。さて、このコンビが演奏するもうひとつのプログラムは、どうなることであろうか。

by yokohama7474 | 2017-11-20 00:21 | 音楽 (Live) | Comments(5)

トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK 交響楽団 2017年11月18日 NHK ホール

e0345320_16064197.jpg
このブログで過去何度か、その高い能力を称賛してきた、北オセチア出身の名指揮者、トゥガン・ソヒエフが NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に戻ってきた。今年 40歳になる彼は、トゥールーズ・キャピトル管弦楽団とベルリン・ドイツ交響楽団という 2つのオケを率いるほか、現在ではモスクワのボリショイ劇場の音楽監督も兼任しているという多忙な身である。私は以前から、この指揮者を初めて実演で聴いたときから、絶対に大成すると確信したと声高にふれ回っているが (笑)、実際、そのような自分なりの予感が的中し、その指揮者の活躍が活発化することは嬉しいし、何よりも、東京で実際に聴けるのがありがたいではないか。今回彼は、11月の N 響定期 3プログラムのうち 2つを指揮し、残る 1つのプログラムは、既にこのブログでご紹介した通り、マレク・ヤノフスキが担当した。ソヒエフの 2つのプログラムはすべてプロコフィエフ作品で、この指揮者を聴くには最適と言ってもよいと思うが、特にこの日の曲目は、大変興味深い。
 プロコフィエフ (スタセヴィチ編) : オラトリオ「イワン雷帝」作品 116

通常 N 響定期では、チラシが作られることはなかったが、最近は時々あるようで、このコンサートも、上に掲げたような派手なチラシが作成されている。もちろん、それだけ注目のプログラムであるということだろう。この作品、ご存じの方も多いと思うが、あの映画史上の巨匠、セルゲイ・エイゼンシュテインが監督した映画「イワン雷帝」にプロフィエフがつけた音楽を編集してオラトリオとしたもの。曲としての知名度はそれなりにあろうが、実際に演奏されることは決して多くない。その理由の第一は、やはり作曲者自身の手によって編曲されたものではないということではないだろうか。その点が、同じプロコフィエフが、やはりエイゼンシュテインの映画のために書いた音楽を、こちらはカンタータとして編曲した「アレクサンドル・ネフスキー」とは異なると言える。だが、実際に聴いてみると、いかにもプロコフィエフらしい音楽でありながら、極めて平明で、大変に親しみやすい曲である。だが、曲について語る前に、ここはどうしてもエイゼンシュテインについて触れなくてはならない。1898年に現在のラトヴィアのリガに生まれ、1948年に没した、ソ連時代の巨匠映画監督である。このような、一目見たら忘れない、個性の強い顔立ちであった人。
e0345320_16381459.jpg
映画史をかじる人なら誰でも、彼の唱えたモンタージュ理論を知ることとなり、その代表的な例として、「戦艦ポチョムキン」(1925年) の中の有名な「オデッサの階段」のシーンを知ることとなる。ここでそこに深入りすることはしないが、私も映画好きのご多分に漏れず、学生時代に彼の作品の多く、つまりは最初の「戦艦ポチョムキン」から最後の「メキシコ万歳」までを見た。もちろん「イワン雷帝」も、完成した第 1部 (1944年)、第 2部 (1946年) のみならず、スターリン政権の圧力によって部分的に撮影されて頓挫した第 3部の断片まで見たことがある (因みにその機会は何かの講座だったかもしれず、講師は明確に思い出せないが、篠田正浩だったような気がしないでもない)。私の場合は、映画の文脈だけではなく、ロシア・アヴァンギャルドへの強い興味もあり、それらはいずれも非常に興味深いものであった。「戦艦ポチョムキン」はサイレントであるが、後からショスタコーヴィチ 5番などを録音した版でも見たし、弁士付きの上映も見た。それに対して「イワン雷帝」の場合は、あの弦楽器が目まぐるしく動く中、金管が奏する雷帝のテーマがしっかり録音されていて、「あ、プロコフィエフだ!!」と思ったものだ。これがそのエイゼンシュテインの「イワン雷帝」からのワンカット。
e0345320_22062236.jpg
この「イワン雷帝」をコンサートで演奏するとき、今回のようなアブラム・スタセヴィチ (1907 - 1971) の編曲による版以外にもいろいろな版があり、私などは、昔ロストロポーヴィチが録音した (そして新日本フィルでも指揮した) マイケル・ランケスター版で親しんだ方であるが、このスタセヴィチは 1940年代の映画音楽の録音を実際に指揮した経歴のある人らしく、彼の手になるオラトリオ「イワン雷帝」は、1961年、プロコフィエフ生誕 70周年 (没後 8年) の記念演奏会で初演されたもの。それゆえ、ある意味でオーセンティックな版とは言えるのかもしれないが、実はこの曲がもうひとつポピュラーにならない理由として挙げたいのは、語りつきのこの版においても、イワン雷帝が何者で、いかなる敵にどのように戦ったかのストーリーが、よく分からないからである!! 今回の演奏では語りを歌舞伎役者の片岡愛之助が務めたが、あえて歌舞伎風の雰囲気で語ったのはよいにせよ、やはりストーリー展開が不明であるのは同じ。なお、愛之助の公式ブログを見てみると、奥様はドラマの撮影が雨で流れたので、この日急遽 NHK ホールに来ていたらしい。ほぅ。私の席からは見えませんでしたよ (笑)。
e0345320_22253440.jpg
余談だが、エイゼンシュテインは日本文化に興味があったらしく、若い頃は日本語も学んでいたらしい。実は、1928年に史上初の歌舞伎の海外公演がソ連で行われた際、二代目 市川左團次 (1880 - 1940) と面会している。映画「イワン雷帝」にも歌舞伎の影響があると言われている。これがその左團次とエイゼンシュテインの写真。
e0345320_22324367.jpg
このように、作品としての課題は避けがたくあれこれありながら、だがこの日の演奏の素晴らしかったことは疑いがない。もちろんソヒエフの指揮が、いつものように音楽の大きな流れを作り出していて、きめ細かくまた呼吸よくオケの力を引き出していたことは、圧倒的と言ってもよかったであろう。この指揮者と N 響との相性はかなりよいように思う。そして、一方の功労者は、東京混声合唱団であろう。さすがに譜面を見ながらの歌唱であったが、ロシア語というなじみのない言語で、これだけの長丁場を乗り切るだけでも大変なのに、その力強い歌には、きっとソヒエフも満足したことだと思う。例えば後半のある曲では、合唱が徐々にクレッシェンドして行くところがあるのだが、その音量の絶妙なコントロールには大変感動した。それから、この曲には児童合唱も含まれていて、今回は東京少年少女合唱隊であったが、70分ほどのこの曲の最後 1/4 ほどの部分にしか出番がないにも関わらず、ハミングやロシア語の歌詞を美しく歌っていて (最後の方には、チャイコフスキーの大序曲「1812年」の冒頭に使われているロシア正教の聖歌「神よ汝の民を救い」のメロディが出て来る)、これもまた特筆もの。ともにウクライナ出身の 2人のソリスト、つまりメゾソプラノのスヴェトラーナ・シーロヴァとバリトンのアンドレイ・キマチは、出番は少ないが、これも安定した出来であった。このように、総じて、曲の弱点を補ってあまりある奏者たちの熱演に、会場は沸いたのである。このような演奏頻度の低い曲が、このような水準の演奏で聴けることは、本当に貴重なことであると思う。ソヒエフの才能はとどまるところを知らない。
e0345320_22514522.jpg
次の彼の来日は、来年 3月。また手兵トゥールーズ・キャピトル管弦楽団との演奏である。彼が得意とするロシア物とフランス物が並んでいて、これまた聴き物であり、早くも待ち遠しい思いに駆られてしまうのである。

by yokohama7474 | 2017-11-19 22:53 | 音楽 (Live) | Comments(2)